紅美鈴は考える。
ここ何年かの間、いや何十年の間自分は名前で呼ばれた記憶が無い。
お嬢様はいつも私を『門番』や『中国』と呼ぶ。
私の名前は『紅美鈴』なのに……。
パチュリー様と咲夜さんは私を呼ぶときに『あなた』と言う。
メイド達は『門番長』等と呼ぶ。
まるで私の名前を知らないみたいに……。
きちんと自己紹介はしたのに。
きちんと『紅美鈴』だと何度も何度も……クドイと言われるまで言ったのに。
なのに……名前を呼んでくれない。
誰一人として私の名前を呼んでくれない。
ふと、思う。
(もしかして自分の名前を誰も覚えていないのだろうか?)
いや、そんなことは無いはずだ。
……無いと思いたい。
無いと言い切れないのは何故だろう?
何だか泣きたくなってきた。
そんなことを考えていると突然後ろから声をかけられた。
「紅魔館の門番ともあろう者が、こんなところで何をしているのかしら?」
メイド長の咲夜さんだ。
なんだか怒っているみたいだ。とりあえず謝っとこう。
「すいません、ちょっと考え事してて……」
「まったく、最近のあなたぼーっとしすぎよ。悩み事があるんなら相談にのるけど?」
「本当ですか?」
「えぇ」
願っても無い言葉だ。ここはお言葉に甘えよう。
「えっとですね……」
「なに?」
「紅魔館のみんなが私の名前を呼んでくれないんです」
「……そんなくだらないことで門番の仕事サボっていたの?」
咲夜さんが半眼で言ってくる。
「くだらないことって……あんまりですよ!酷いです!これでも真剣に悩んでるんですから!!」
私の予想外の剣幕に咲夜さんはびっくりしたみたいだ。
「えっ……あぁ、ごめんなさい」
「くだらないって言うんなら、考えてみてください!!誰も自分の名前を呼んでくれないんですよ!!」
「そんなにつらいの?」
「ここ何十年も私は名前を呼ばれた記憶が無いんですよ?つらいに決まってるじゃないですか!」
「じゃぁ、私が名前で呼んであげるわ。それなら良いでしょ?」
「本当ですか?なら今すぐ呼んでください!!」
「勿論いいわよ」
笑顔でそう言った後に咲夜さんが固まった……まるで時間が止まっているみたいだ。
何秒か経ってから、咲夜さんは言いにくそうに言ってきた。
「……あなたの名前を教えてくれないかしら?」
今度は私が固まる番だった。
「えぇっと……今なんとオッシャイマシタ?」
「だから、あなたの名前を教えてくれないかしら?と言ったのよ」
「咲夜さん……もしかして私の名前忘れたんですか?」
そう聞くと咲夜さんは目をそらした。
……忘れてたんだ。
「……紅美鈴です。ホン・メイリン」
「分かったわ。紅……」
名前を呼ぶ途中で咲夜さんは何故か止まった。
目を瞑って、何かを必死で思い出そうとしているようだ。
「紅、紅、紅……!紅美鈴!!」
「咲夜さん……私の名前そんなに覚えにくいですか?」
「そ、そんなことは無いわよ……ιι」
「そうですか……?まぁいいですけど。これからはちゃんと名前で呼んでくださいよ?」
「えぇ、分かったわ。でもそんなに気にすることなの?」
「当たり前です!咲夜さんはいつも自分の本当の名前で呼んでもらっているからそんなことが言えるんです!!」
「……じゃぁ、私を本当の名前で呼んでみてくれるかしら?」
咲夜さんは何を言っているんだろう。咲夜さんの名前って……決まっているじゃないか。
「そんなの決まってるじゃないですか。咲夜さんの名前は‘十六夜咲夜’でしょう?」
そう言うと咲夜さんは諭すように言ってきた。
「それはお嬢様に頂いた名前よ。私の本当の名前は、私も知らないの」
初耳だった。
「……そうなんですか?」
「えぇ、私は自分の本当の名前を知らないの。だから名前に関して言えば本当の名前を知っているあなたの方が幸せなんじゃないかしら?」
「そうかもしれないですけど……じゃぁ、咲夜さんはつらくないんですか?」
思わず聞いてみる。
「私はそんなことは気にしてないもの」
「何故です?自分の本当の名前を知らないのに……」」
「本当の名前を知らなくても私は私だから。どんな名で呼ばれても私はここでの生活を気に入っているから気にする必要がないの。あなたはどうなの?」
「そう、ですね。……名前を呼んでもらえなくても、私もここでの暮らしを気に入っています」
「なら、呼び方なんてくだらない事で悩んでないで仕事しなさい」
「はいっ!!」
咲夜さんに言われて気が付いた。どんな名前で呼ばれても私は紅魔館での生活が好きだ。
これからは名前なんて小さな事で悩まないようにしよう。
何故なら私はここが好きだから。
なんだか足が軽くなったような気がする。
さぁて、門番がんばろう!!
仕事場へと走る門番の背を見送りながら咲夜は一人ごちた。
「まったく世話の焼ける門番ね……」
しかし危なかった。
なんとか誤魔化せたからいいが一時はどうなる事かと思った。
あの子の名前―――紅……何だっけ?まぁいいか―――とにかく覚えにくいのよね。
聴いた瞬間に頭から抜けちゃうのよ。
気持ちは解らないでもないが……覚えられないものはしょうがないじゃない。
メイド達も門番の名前だけはどうしても覚えることが出来ないと言っていたし……
(まぁ、恨むのならそんな名前をつけた親を恨むのね)
時計を見ると、もうすぐお嬢様の食事の時間だ。
「急いで準備しなくちゃ」
そう言うと咲夜はキッチンへと急いだ。
……結局、その後も咲夜は門番を名前で呼ぶことは無かった。
――了――
こういったショートレンジで話を纏めれて且つ面白いと言うのは凄いと思いますので、今後も頑張ってください。
言ったそばから忘れられてる名前。
これはもう、何かの呪いか、神の意思か……
ちなみに、ここ読むまで氏のHN、たにんだと思ってました……
吊ってきます……