「暇だねリグるん」
「そうね。しかしリグるんは止めてほしい」
「予想通りの答えでつまんないよリグるん」
「そう言われても」
「他に言うこともない、でしょ?」
二の句が浮かばず、リグるんことリグル・ナイトバグは肩を落とした。
――疲れる。
かれこれ数時間はこの調子だった。返事をするのも面倒臭い。
加えて言えば、彼女の相手をするのもいい加減億劫だった。
ともに積極的に活動を開始するのは日が沈んでからということもあり、ふたりの行動パターンは似通っている。そのせいか、彼女とはち合うことは割と多い。そして今日もまた、その中の一回だった。
「リグるんの相手をするのもちょっぴり飽きてきてるこの頃なんだけど、やっぱり他に話し相手もいないのよ」
リグルは深い森の中、一本の大木の根元に腰を下ろしていた。見上げると、木の頂点近く、一本の太枝の上で、大仰な羽根を生やした少女が両足を所在無さげに揺らしている。
夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライだった。
「いないこともないでしょ。もう少し湖寄りの森の辺りにはルーミアもいるじゃない」
「あの子、おつむの程度が低くて会話にならないもの。ああいうのの相手はチルノあたりがちょうどいいわ」
「じゃあ、少なくとも私のおつむはあんたと同等と見てもらえてるわけね」
「いや、私の勝ち」
「そう。まあどうでもいいんだけど」
リグル個人としては、ルーミア達とミスティアとの間にたいした差があるとは思っていない。
差があるとしたら、日々なにをして生きるかという目的意識の有る無し程度の差なんだろうと感じていた。
もっとも、彼女はもっぱら通りかかる人間を夜盲にしては楽しんでいるだけの、誰から見たって迷惑者でしかない、とも思っていたが。
「あー、リグるんとの会話には発展性がないわね」
「そうね」
「まったく、そんなだからリグるんはつまんないのよ」
「うん、そうね」
今日もまた、そんなふうに世が更けていく。そう思っていた矢先、頭から生えた二本の触覚が遠くなにかを感じ取り、ぴくりと震えた。
「――あ、」足元を這っていた蟻の行列に向けていた視線を、上空へ向ける。
「……チャア~ンス」彼女も気がついたのだろう。枝の上で、すっくと立ち上がったのが見えた。
――やれやれ、またか。
「ねえ、この気配」
「うん、ふたつ。こっちに飛んでくるわね。片方は人間。もう片方は――あれ、よくわかんない」
「……ふたり、ねえ」
脳の片隅から、忘れようもない記憶が浮き上がる。
自分や彼女を完膚なきまで叩き伏せていった、とある人妖の二人組みの姿が。しかも、この気配にはいくらか覚えがあった。
「行くの? 止めたほうがいいんじゃない」
「なんで?」
「いや、なんでって」
彼女は不審、というより不満気な表情で見下ろしてくる。こちらの加勢をあからさまに期待していたようにも見えた。
このあたり、彼女はやはりルーミアやチルノと大差がないと感じる。学習能力を草葉の陰に置いてきてしまったのか。
「ついこの間やられたばっかりじゃない」
「うん? 怪我ならほとんどなかったし、あってももう治ってるわよ。別に大丈夫」
ダメだ。これは。
「……なら、まあ私は止めないわ。好きなように遊んでらっしゃい」
「えー、リグるん付き合ってくれないのー?」
ほらやっぱり。
「付き合いきれないわよ。ほら、もう近くまで来てるわよ」
「あー、もう。リグるんのいけずっ」
なんだいけずって、と立ち上がると、今までミスティアが立っていた枝が少し上下に揺れていた。
――まったく、懲りないというか、めげないというか。
はあ、と息を吐いて腰を下ろす。
「……頑張り屋なんだろうと、受け取っておこう」
どうせ、死ぬようなことはないだろうと思う。
取って食われるという言葉が、あるにはあるが。
……そこの二人組、ちょっと待ったぁ!
……なに? こいつ。
……このあたりに住んでる夜雀だ。時々村の人間が苦情を申し立ててくるんだが、特に実害はないんでな。放置してる。
……有体に言うと、単なるザコね。
……あー、馬鹿にしてる!
……悪いな。今急いでるんだ。弾幕勝負はまた今度にしてくれ。
……勝負に待ったはないのっ!
……そうそう、無いのよね。
……おい、妹紅――
……大丈夫。軽くやるわよ。それっ、前方及び左右に回り込んでの拡散弾ー。
……うわっ!? わっ? あぎゃ――――!
……おい。妹紅、その辺にしておけ。
……とか言われつつ、更に追い撃ちとかかけてみたりとかしちゃったりしてー。
……うびゃっ!
どぱらだぱぱぱ、
と、遠くで花火の音がした。次いで、枝葉を折り千切りながら落下してくる鈍い衝撃が、森の空気を少しばかり揺るがす。
上空の気配はしばしその場に留まっていたが、一方の背に捕まっていた方がなにかを耳打ちすると、再び発進。
加速をつけ、あっという間に触覚の知覚外に消えてしまった。
光のほとんど届かない森の底からも、尾を引く燐粉のような火の粉がはっきりと伺えた。
視線を転じる。
「……おーい、生きてる?」
「……………………くうぅ……」
すぐ目の前で、今しがた墜落してきた薄く焦げ目の付いた夜雀が、地面に拳を打ちつけて悔し泣きに泣いていた。
まあ自分自身、彼女お得意の夜盲の符の一枚も使えずに落とされたのは初めて見た。
「ほら、やっぱりこうなった」
つぶやくと、夜雀らしい毛深い耳がひくりと震えた。
「……『やっぱり』?」
こちらに向けてきた視線は、目の幅いっぱいの水滴でにじんでいた。
「リグるん、最初からこうなると思って、付き合ってくれなかったわけ……?」
「……まあ、そんな感じ」
視線をよそに泳がせて、あいまいな答えを返した。
正面切ってそんな目でにらまれると、やはり、それはそれで少し罪悪感を感じる。
そこで大泣きでもするのなら、おおよしよし悪かった、と肩を叩きつつ胸を貸してやらなくもない。
けれども、この妖怪の性質の悪さはここからが本領だ。
「……裏切ったわね。私の気持ちを裏切ったわね?」
よろめく身体を強引に立たせると、腕を一振り。その手に、数枚の符が現れる。目元から光る飛沫が飛んだ。
「――いやだって、あれは相手が悪すぎるわよ。分からなかった? 竹林の半獣と蓬莱人よ?」
慌てず、急がず、ゆっくりと立ち上がり、こちらも後手に符を握る。
「関係ないわよ。人を襲うのに理由が要る?」
翳された符の一枚が、急速に発光。逆に、こちらの視界が徐々に狭まっていくのが感じられた。
「要らないのは通り魔だけ! ……あ。通り魔か。で、でもでも、でもだよ?
私は別に人間に特別害意があるんじゃなく、これまでのはただの気まぐれで――」
不味い。慌ててこちらも符に力を注ぎ込む。手の平に血が集まってくるような熱さ。同時に木々のあちこちで同胞の息吹が上がる。
「じゃあリグるんは私のなんなのよ! 私はリグるんのなんなのよ!」
「私はあんたのなんでもない! あんたも私のなんでもない!」
ミスティアの顔が真っ赤に染まるのと、リグルの顔が真っ青に変わったのは、たぶん同時だった。
「もう怒った! 夜盲『夜雀の歌』ぁっ!」
「勘弁してよ! 蠢符『ナイトバグストーム』ッ!」
こちらの方が出が早い。先手を取って足元の地面に一撃。煙幕を張りすかさず転身、リグルは一目散に駆け出した。
最近、いつもこんな調子な気がする。低めに張り出した枝を飛び越えつつ、ふと思う。
視界が狭く真っ暗な中を、迫る弾幕から全力で逃走。木々の合間を縫って走る。目眩ましに、こちらも立て続けに反撃。
いったい、なんだってあいつの相手ばかりしてるんだ、自分は。無理してまで時間を割く義理はないはずだ。
それに、話す相手なら、あいつ以外にもいくらでも――
そこで気がつく。唐突に、気づかなければいいことに。
そういえば、自分もここ数ヶ月、彼女と以外、誰ともコミュニケーションを取っていないことに。
「わっ」
視線が前のめりに加速した。なにかに蹴躓いたと一瞬遅れて理解する。木の根かなにかに違いない。
若干よろめいていた隙に、彼我の距離が一気に縮まるのを感じた。構わず再度走り出そうとして、
ぞくり。
背後に気配、振り向かずに当たりを付けて弾幕展開、全力疾走、目の前にまた一本の幹、避けられない、衝撃、暗闇の中脳が火花を散らす、天地がムーンサルト、頭で地を駆ける、否転がる、その中で見る、光る、歯? それとも目? 翻る、翼? それとも指? それとも???? 意を決する、覚悟を決める、転がりながら起き上がる、起き上がりながら符を握る、符を握ってから振り返る、
――ひえぇ。
リグルのめのまえはまっくらになった!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
幻想郷の黄金週:「藤原妹紅」「上白沢慧音」のケース・その弐
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
※あらすじ
(注: こ の あ ら す じ が 全 て ! だ か ら 前 作 は 読 ま な く て い い の ! な !?)
幻想郷では現在GWの真っ只中。魔理沙はアリスとふたりで、咲夜はひとりで「外」に所用で出ています。
一方、茶葉を切らし、節々にガタの来ている家具に首の回らない慧音は、
万年暇人の妹紅と連れ立って現在大掃除中の紅魔館へ向かいます。では本編をどうぞ。
湖の片隅、岸辺の近くで、水と炎のしぶきが大きく上がる。
「ほいっ。到着ぅー」
「ごわっ、ごわわぶごわっ」
妹紅は慧音の腕をつかんだまま、盛大に湖面を滑空した。
「と、ととっ。――あっ、こーまかん見っけ。あっちね」
「ごわっぷごわわっ、ごぶごわっ」
そのまま水面を勢いよく滑り続け減速し、岸の砂利を踏みしめたところで、妹紅は背中の赤羽を消した。
もんぺの汚れを叩き落とし、大きく伸び。
「う――――ん。さて、と。慧音?」
「……………」
妹紅の足元で、冠から靴下まで濡れハクタクとなった慧音は沈黙を返した。
「あ、ごめん。……ていうか、なんでそれ、脱げないの?」
「……ハクタクの神秘」
慧音はゆらりと立ち上がると、スカートの裾を絞って水を切る。
妹紅の示す『それ』は、濡れそぼってはいるものの、少しのずれもなく頭に被さり、午後の風にそよいでいた。
「いや、ほんとごめんね?」
「ああ。構わん、構わんさ。今のでノミも逃げただろう」
「うえ」
ハクタクは牛の仲間だった。
「あれ………御用、なんですか?」
紅魔館の門番は、突然の来客にではなく、来客にも関わらず不意打ちをしてこないことのほうに驚いていた。それも半端な驚きようではなく、両手の青龍刀に腰に携えた三節根、さらには袖に仕込んでいた暗器の類をざらざらと地面にこぼすほどのものだった。
それに逆に面食らった慧音は、喉元まで来ていた言葉を一瞬腹の中まで呑み込んだ。
「う、うむ。大した用じゃないんだが……此処が最近、大規模な調度品の破棄をすると聞いてな。よければ、いくらか譲って欲しいものがある」
「調度品。ああ。それでしたら門の向こう、正面の庭に積んでありますから、お好きなものをどうぞ」
「おお、太っ腹! デブ!」
ずかん、と、妹紅の頭が地面にめり込んだ。打ち下ろした片手を何事もなかったかのように収めると、慧音は軽く一礼する。
「すまんな。それと、茶葉を少し貰いたい。あ、いや、こちらには相応の対価は支払うつもりだが」
「お茶っ葉、ですか。紅魔館はお茶はお茶でも、紅茶を主に扱ってるんで……」
美鈴はうーんと首を傾げた。そして傾げてから十秒ほどした後、ぽんと手を打った。
「そうだ! お嬢様に掛け合ってみてはどうですか?」
「お嬢様? ……ああ、あいつか」
慧音は目尻にしわを寄せる。美鈴も美鈴で『あいつ』という単語に若干むっとするが、それはそれ、続けて言った。
「東方の茶葉はここでは希少なんで、ほとんどの管理は咲夜さ……でなくて、メイド長に一任されてます。
ですが、メイド長は現在出払っていますので、今はお嬢様がご自分で」
そりゃあ殊勝な心がけだぁ、と足元で湧いた声を、慧音は声の出元ごと無言で踏み抜いた。
「一応、茶葉の売買は行っていますけど、館内で使われているものと比べると質はあまり高くないですし、
お買い求めになるより、直接お会いになってみたほうがいいですよ。うまくいけば、今後ともいろいろといただけるかもしれませんし」
最後に、ここでの話は無かったことですよ、と片目を閉じてみせる美鈴に、慧音は図らずも涙腺が緩みそうになった。
「そうか……悪いな、本当に。いろいろと世話になる」
慧音は更にもう一度、さっきより深く頭を下げた。美鈴は慌ててそれを制した。
「い、いいんですよ、そんな。ただ、私最近、誰かと普通の会話をするのがずいぶんと久しぶりだったんで、ついお節介を……」
「……苦労してるんだなあ、お前も……」
「……………ええ」
互いを慈しむような、労わるような、一種異様な共感だった。
「けぇね……ぐるじぃ……じぬ」
「お前はちょっとやそっとでは死なん。最近学んだことだ」
「じゃあ、こちらをどうぞ」
門に近寄ると、美鈴は小型の通用門を押し開いた。
「わかった。行こう、妹紅」
「あれ、それってギャグ?」
「……偶然だ」
少しずつ離れていく声。小門を再び閉じると、美鈴は壁に寄りかかり、大きく、安堵の息をついた。
「……よかったぁ……普通のお客さんで」
それを最後に、美鈴はその場に崩れるようにしてへたりこんだ。
「さて。一休み、かな。今夜……忙しくなりそう、だし……」
ふあぅあ、と欠伸交じりの声。そして聞こえ始める寝息には、ところどころ、ノイズのような、重く苦しい呻きがあった。
「――と、いうわけなんだが、」
「ふうん。物好きな奴だな、お前」
「物好き、どういう意味だ?」
締め切られた窓に、シャンデリアのレッドガラス越しに放たれる紅い光。
目眩を起こしそうな真紅の一室で、慧音は紅魔の主と対峙していた。
豪奢な造りの円形テーブルの手前で、豪奢な造りの幅のあるソファーに腰を下ろしている慧音は、これまた豪奢な造りのティーカップに注がれた、薄茶色の液体に視線を向けていた。
その対面には、同じようなソファー、ではなく、屋敷に一つのみの玉座が置かれ、そこには紅い悪魔、レミリア・スカーレットの姿がある。
レミリアは慣れ親しんだ様子でカップを口に運び、妖艶な中にも幼さのある笑みを浮かべ、次に物憂げに視線を、部屋の片隅にやった。
作り置いてくれていても、当人がいないんじゃあね。
わずかに動いた唇が、そう言っているように慧音には聞こえた。不意に視線が交差する。
「この間、戯れに夕餉の茶をお前の言うものに変えてみたがな。そうするとどうだ。渋いぞ、あれは。本当に同じ茶なのか」
「同じなものか。茶葉が違えば当然別物だ。紅茶に慣れていれば、反応は誰しもそんなものだ。文化の差だな、西の」
「そういうお前は東の、か」
玉座の背は、幼い姿のレミリアが肘を乗せられるほどに低い。主の翼の妨げにならぬように特注してあるからだった。
「そういえば、連れに蓬莱人がいたようだったが。そいつはどうしたんだ」
空になったカップを軽く振ると、どこからかメイドが数人ほど現れ、新たに注ぎ入れる。その中のひとりと目が合った慧音は、手を振って遠慮した。
「外で積まれたものの中から、うちで使えそうなものを掘り出している。私がやるつもりだったんだが、聞かなくてな。気分はまるで宝探しだ。まったく、あいつは長く生きている割には頭が村の坊主達と大差ない」
慧音は苦笑して、初めてカップに口を付けた。喉を鳴らさぬよう、少しだけ飲む。
「甘い……」
途端、顔が難しくなる。レミリアが笑いを噛み殺し、ここにも文化の差があったな。とつぶやいた。
前かがみになり、テーブルに両肘を、組んだ十指に顎を乗せる。傍らのメイドは、すでに消えていた。
「長命な存在は、成長を置き去りにしたからこそ長命なのさ。
少しずつでも年を経て変わっていく私達とは違い、終わりのない蓬莱人に成長はない」
「……まあ、わかってはいる。だがな、成長と老成は違うものだと、私は思っている」
「ほう。なかなかに深いことを言う。持論をお聞かせ願おうか」
「ふむ……。経験による知識の積み重ねを成長というのなら、老成とは知識が古び成熟してしまうこと。
終わりがないというのは、きっといつまでも新鮮な、鮮やかだということなんだ。
いつまでも色あせることのない、な。そう考えると、私には永遠がそう辛い物とは思えない」
まあ、あいつにはまず、経験を知識に変えるだけの知能が必要だがな。
そう笑って締めくくると、慧音はソファーの背に身体を預けた。レミリアは慧音を見据え、物憂げに目を細める。
「……時々、お前達の話を耳にする」
「お恥ずかしい限りだ」
「そうだな。お恥ずかしい話ばかりだ。だがな、そういうお前達を見ていると、たまに、羨ましく思う時がある」
「……そうか?」
「ああ。――だが同時に、哀れに思える時もある」
「なるほど……だが、どちらが『先』かの違いだけだ。そういう問題はな」
「ふん……さすが歴史食い、知識は豊富だな。物言いだけは千年級だ」
「そういうのは偏見だよ……」
「ふふ……」
「あはは……」
と、
ズン。
館が、鳴いた。
シャンデリアが軋み、天井から塵がこぼれる。たちまちメイド隊が現れ、レミリアにかかる埃を払う。
「……ちっ。もう、か」
レミリアが、苦しげに舌打ちした。
「もう? 今のは…………」
口を開きかけた慧音は、そこで、
「……そういうことか」
床を、その更に下を、見た。
「ほう。知っているのか」
レミリアは腰を上げ、玉座を離れる。
「博麗の巫女――霊夢達とは面識があるのでな、知識として以外にも、話は聞いたことがある」
「そうか……」
レミリアは、瞳を伏せてなにかを考えているようだった。
時折瞬く紅い瞳が自分に向けられているのを、慣れないアールグレイをちびちびとすすりながら慧音は感じていた。
「……そうだ、名案を思いついた」
二分ほどして、そう口火を切ったレミリアは、なんとなくよそよそしい態度で手を合わせた。
「なに?」
「茶葉の件だ。あんなもの、タダでくれてやっても構わんのだが、それでは館の者達に示しがつかんのでな。
なにかちょうどいい対価がないものかと考えていた。それが、今決まった」
「……待て。まさかお前」
すでにこちらに翼を向けているレミリアに、慧音は声をかけた。
「あの蓬莱人を呼べ。調度の類で廃棄したものは残らずお前らにやる。茶葉も好きなだけやろう。どうだ、釣りが来るぞ」
「いや、私の予想では、いくらあっても足りんぞ。下手をすれば命が――」
「命を金品と比べるな。行くぞ。……お前たちに、妹の、フランドールの世話を任せる」
メイド達の顔には驚愕が、慧音の引きつった顔には、ありありと「的中」という文字が浮かんだ。
「えー? なにこの服? ひらひらじゃん。ちょっと、慧音ー?」
「耐えろ……耐えるんだ、妹紅」
客間の一室で、妹紅は両手に持った一枚のスカートを広げていた。それは幅広で、裾が幾重にも重なり、レースが巡らされた、弁解の仕様もなく、
「メイド服……」
すでにスカートを着終えた慧音が、同じく両手に抱えた、こちらは上着の、胸元にあしらわれたリボンに暗澹とした視線を落とす。紅魔館のメイド服は互換性重視らしく、ドレスは上下を切り離して使うことができた。
(まあ、上下の寸法を合わせるにはいいかもしれんが…………、いや)
一瞬、メイド長の策略かと本気で勘ぐってみる。だが、まさかそこまではしないだろうとも思い、考えるのはそこで止めた。
脱いだ服は洗濯にかけるといわれ、早々に持ち去られていた。現在、胸はパーフェクトテイクオフだ。
「どうだ? 一応サイズは合わせさせたが」
ドアが開き、こちらは別に変化のない様子でレミリアが入ってくる。どことなく、楽しげに。
慧音は虚ろな眼差しでレミリアにかくんと顔を向けた。
「ああ、ちょうどいいな。ぴったりだ…………上着以外はな」
「なに?」
レミリアの表情に、ぴしりと亀裂が入る。
「すまんが、もうひとつ上のサイズを頼む……苦しいんだ」
言って、上着を差し出す。
「申し訳ありません。それが一番大きいものでして……ひっ」
着付けを任されていたメイドのひとりが、頭を下げ、次いで裏返りそうな声を上げた。
傍らの悪魔が、これ以上はないというほど燃え盛った瞳で慧音を見据えていた。握りしめた奥歯と拳から、今にも血が噴き出そうなほどに。
「――くそっ。『スカーレットマイスタ』を置いてきていた。でなくとも……くそっ」
軽く上げた両手を、胸の前で翳す。コンプレックスの表れだった。
「あ、あたしもなんかきつそうだわ。これ変えられる?」
「……神罰」
スターオブダビデ。
廊下をかつかつと叩く音が、幾つも響く。
「まったく、餓鬼かお前は」
「煩い。知るか。黙ってろ」
「ほんと、迷惑この上ないわねー。それにしても、あーきつい」
「こいつ……」
結局、星型に巨大な竪穴を開けた部屋を破棄した後、ふたりは消し炭になった服とは別に、また新たなものを手渡された。フリル付のフレアスカートは言うに及ばず、腰のリボン、二の腕までの袖、胸をやたらに強調するオレンジ色のエプロン。おまけにヘッドドレスがない代わりにエプロンとお揃いのリボンで強制的にポニーテールと合いなっていた。
ここまでくるともはや嫌がらせに違い。と思いつつも、少し気がはやっているのが否定できない自分に深く恥じいる慧音だった。
うなじに当たる風の感触がむずがゆいようでくすぐったい。
妹紅はいたって平気な様子で、後頭部のリボンをいじっている。どういうわけか、彼女のそれだけは強い主張で元の御札のままだった。
「なあ、訊くんだが、これはどこから持ってきたんだ?」
「……他になかったんでな、咲夜の部屋から取ってこさせた」
「自虐……?」
「妹紅、思っていても口にするな」
「恐らくは、香霖堂とやらで買ったんだろうが……それでいいじゃないか。はは、よく似合ってるぞ。ははは」
無理に取り繕おうとするレミリアに、慧音は一抹の殺意を覚えた。
「まあいい……で、」
慧音は立ち止まった。
「ここが、そうなのか?」
指し示す。今まで続いていた長い廊下は、そこで行き止まりになっていた。
そこには、一枚の扉。取り付けられた小窓の下にはネームプレートが架けられ、『ふらんのおへや』と乱雑な筆跡で書かれている。
「そう」
レミリアは頷き、ドアに近寄る。ノブに人差し指を近づけると、たちまちそこから煙が上がり始める。皮膚がただれ始めているのが慧音にも見て取れた。
「これは?」
「……結界だ。霊夢特製のな。博麗大結界と同種の遮断型……、それも飛び切り、強力なやつだ」
顔をしかめて、ノブから手を離す。それだけで、レミリアの頬には汗が幾筋も伝っていた。
あたかも命を搾り取られたような、急激な変化だった。
「なら、その作用は結界以外のものか」
「それは魔理沙のものよ」
「え?」
いつの間にか、最後尾の妹紅の更に後ろに、地上数十センチに浮き上がり、ピンクの寝間着にコートを羽織った、小脇に重厚な本を抱える少女の姿があった。
「あれ、あんた誰?」
「パチュリー・ノーレッジ。いつもは図書館にいるわ」
少女、パチュリーはレミリアに腕を出すよう言うと、その指先に手の平を合わせ、なにかを唱えた。治癒系統の魔法だろう。レミリアの表情が、若干落ち着いたものへと変わる。
「ふう……。悪いわね、パチェ」
「うかつに手を出すのはやめなさい。これは妹様の力を念頭に作られているんだから」
「じゃあなに。私の力はフランに劣っているとでも?」
「総量のことを言ってるんじゃないわ。全く加減をしない、仕方を知らない妹様の力と、常にセーブをかけているあなたとじゃ、それは話にならない相談ね」
への字口のレミリアに、やれやれね、とパチェは吐息をついた。慧音はそのドアからいくつか歴史を読み解き、その構成に感嘆の声を上げた。
「この『部屋』は、霊夢と魔理沙の合作ということか」
「なに? どういうこと? わかんにぇー」
妹紅が口をむずむずさせ、指でこめかみを押さえていた。
「そう。物理的な衝撃を霊夢の結界が阻み、魔理沙の障壁が吸血鬼特有の霧散と変化の能力を封じ、なおかつ力を削ぐ。布陣としてはこの上ないものだけど、それでも――」
パチュリーはドアに目を向ける。気配すらも遮断されているのか、その向こう側では何が起こっているのか窺い知ることはできない。
「朝方に一回。さっきので二回。この部屋をもってしても、妹様の力を封じ切れてはいない」
「日隠しの一件以来、フランの精神は着実に成長している。だから、日没後には館を出ることも認め、地上の部屋も与えた」
レミリアは語り始める。その表情に、背負う疲労とは違う毛色の影を浮かべて。
「でも、それでもフランの狂気は収まらない。なにかの拍子に癇癪を起こすたび、それは首を擡げて顔を出す。今のところは安定しているが、月の中一週。満月の日の前後には、必ず暴走が起こる。だからその間だけは、フランを、この部屋に入れる」
ぎり、と、奥歯を噛み締める音が聞こえた。慧音は無言で立ち尽くし、妹紅は目元をぬぐった。
「泣かせる話だねぇ。うん、ほんと」
ずかん。
「妹紅。お前はもう喋るな」
「うー」
「……今日、一日だけでいいんだ」
「おい。……なに、やってるんだ」
慧音と、その足元に額をしたたかに打ち付け、痙攣しつつうずくまる妹紅に向き合うと、永遠に紅い幼き月、レミリア・スカーレットは、静かに、腰を折った。
「この時期のフランの世話は、いつもは咲夜と美鈴に交代で任せている。
だが咲夜は今幻想郷にはいない。その上、美鈴は咲夜の穴埋めに昨日まで連日で事に当たり、フランの相手をしている。今日は満月。今宵を乗り切れば峠は越せる。だが正直、今晩美鈴を行かせれば、戻ってくる保証は……ない」
下げた顔は、帽子と垂れた前髪で隠れている。薄氷色の髪の切れ間から覗く口が、重く、苦しげに開かれる。
「咲夜を行かせたのは私であり、美鈴を酷使していたのも私だ。その私が言うのも情けない限りだが……、頼む」
「……お前」
「レミィが行けば話が早いだろう、と思うかもしれないけど、」
ふわりと動いたパチュリーは、レミリアの傍らでふたりに向き直る。
「この部屋は吸血鬼にとっては地獄以外のなんでもない。妹様のように、常に全開でいなければ、とてもじゃないけど持たないわ。たとえ万が一にでも、紅魔の主が滅びる、それも、実の妹によってという事態だけは避けなければならないの」
「パチェ!」
「言わせなさいよ、レミィ…………。そうね、私からも頼もうかしら」
パチェはわずかに自らを浮遊させていた魔法を解くと、地に足をつけ、レミリアと同じく、頭を下げた。
「お願い」
「……情けない限りね」
「言いっこなしよ」
レミリアは自嘲的な声でつぶやき、パチュリーは笑って肩をすくめた。
慧音は戸惑いつつも、それを制そうとして、
「よし! そこまでされて引き下がっちゃあ藤原一門の名がすたる!」
「った!?」
唐突に立ち上がった妹紅に足を引っ掛け、その場に尻餅をついた。
「も、妹紅!?」
「やってあげようじゃない慧音! せっかくいろいろ貰えるんだし、貰ったものは恩でも怨でも、なにかしらで返さなくっちゃ!」
「……妹紅」
「ほらっ、さっさと立つ!」
見上げる先で、妹紅が笑って手を伸ばす。
慧音はそれを見つめ、
「……はは」
手を上げると、目の前のその手をぎゅっと握り返して立ち上がった。
「……そうだな。我ながら、無責任な考えをしていたものだ」
髪をかき上げ、顔を引き締める。
「分った。改めてこの話、引き受けよう」
「しょうだんせいりーつ!」
顔を上げたレミリアは、気恥ずかしげな笑顔を見せた。
「……悪いな。世話になる」
「堅苦しい言い方はなしだ。そこのそいつに話すくらい、あけすけで構わない」
隣で微笑むパチュリーを示し、にっと笑う。レミリアは軽く頬を染め、そこで初めて、口元を緩め、心の底から笑みを浮かべた。
「そうか。……そうね。わかった。じゃあ、任せたわ、ふたりとも」
「頼むわよ」
「ああ」
「どんとこいっ!」
空を滑る太陽は、少しずつ、山間に消えようとしていた。
――続く――
_, ,_
(`Д´ ∩ < ヤダヤダ
⊂ ( 続きが読めなきゃヤダヤダ
ヽ∩ つ ジタバタ
〃〃
マジ面白いです、続編一日千秋の思いでお待ちしてます
語順を変えたり付け足したりと、付け焼刃の上塗りです。
一度読んでみた人は、暇ならもう一度読み返してみてください。
少しでも読みやすくなっていると思ってくれれば一応ミッション成功です。
なお、タイトルが出てくるまでの序章「リグるんはつらいよ(ぇ」は修正無しです。
あのあたりだけはなんかうまく言ってる気がして。GW中の旅行先で寝ながら書いたんですけどねw
>ねぎさん
マジ頑張ります、続編一日千秋の思い出でお待ちしてください。
平成ライダー並だ!(ォ
モコーはともかく、慧音がカコイイですな。
続きを待たさせていただきます。
こういった作品にめぐり合えたことは行幸でした。
ぜひがんばってください。