極東のある国の山の中にその郷はありました。
その郷の名前は幻想郷と言います。
幻想郷には今となっては御伽噺の中にしか存在しないような、妖怪や魔法使い、そして空飛ぶ巫女さんといった不思議な人たちがたくさん住んでいました。
それは妖怪や魔法などといったものが迷信にすぎないと信じ込んでいる人々には信じられないことなのでしょうが、幻想郷ではそれが普通なのです。
不老不死の少女なんてのもいます。
世の権力者たちがその存在を知ったらきっとその少女を放ってはおかないでしょうが、なにしろ幻想郷は博麗大結界に守られているので、幻想郷の外の普通の人々は彼女のことを知りません。
だから少女は今日ものんびりと暮らすことが出来るのです。
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ある夏の朝のことです。
まだ朝もやの薄く掛かる、蝉たちの鳴き声もまばらな早朝のことです。
山の中の幻想郷のさらに山奥にとても綺麗な渓流が流れていました。
河岸を形作る岩はどれもこれも見上げるほどに大きく、さらさらと流れる透き通った川面の向こうには銀色の鱗が朝日にまぶしく輝く魚たちが泳ぎまわる、そんな川です。
その渓流の川岸にある大岩に、一人の少女が腰を掛けて釣りをしていました。
少女は襟付きのシャツにサスペンダー、お札が縫いこまれた赤いモンペを履くという、なんとも奇妙な格好をしていました。
頭には強い日差しを避けるためか麦藁帽子を被っていますが、大きなリボンをつけているのでどうにも座りが悪いのでしょう、もぞもぞと頻繁に帽子をかぶる角度を弄っています。
少女の髪はいかに美しい銀色で、それが山の端から差す朝日にきらきらと輝いていました。
ふと少女の目が細まりました。
それから手首の返しだけでクィっと釣竿を引きます。
すると水面でパシャンと何かが跳ね上がり、それは綺麗な放物線を描いて少女の手元に収まりました。
少女の手の中でぴちぴちと跳ね回るその魚は、冷たい水と力強い川の流れの中でぎゅっと身の締まった美味しそうな若鮎です。
少女はにっこりと嬉しそうに笑ってそれを魚籠に放りました。
本日最初の釣果です。
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辰の刻も半ばを過ぎると日差しも随分厳しくなってきました。
いい加減蝉たちも起きてきて、ミンミンシャワシャワツクツクホーシと喧しくてかないません。
そんな幻想郷の山の中を一本の渓流が流れていました。
少女はその河岸の大岩に腰掛けて、相変わらず釣り糸を垂れています。
「あー? 妹紅じゃないか、なにやってるんだ?」
そこに通りがかったのは夏だというのに黒一色の、いかにも暑苦しい格好をした普通の魔法使いです。
妹紅と呼ばれた少女は顔も上げずに「見て分かんないの」と答えました。
「おお、見ればわかるぜ。釣りをしてるんだろ?」
「その通りよ」
「釣果はどうだい?」
「そっちの魚籠に入ってるわ。取っちゃダメだからね」
「取らないぜ。私が取るのはパチュリーの本だけだ」
なにやら不穏な返答をして魔法使いの少女は魚籠の中を覗き込みます。
魚籠の中には美味しそうな鮎が数匹、ここから出せと言わんばかりに元気に泳いでいました。
「美味そうだな」
「食べちゃだめよ」
「流石に生じゃ食べられないぜ」
「そう言って魔法の準備しない!」
「お? よく分かったな?」
魔法使いの少女から不穏な気配が漂ったので、少女は流石に顔を上げました。
釣り糸を垂らしたまま足元に竿を置くと、少女は魚籠を取り返して自分の近くに置きます。
魔法使いの少女は少し残念そうな顔をしました。
「いつから釣ってるんだ?」
「朝からよ」
「今も朝だぜ」
「早朝からよ」
「早朝から釣ってそれだけしか釣れてないのか?」
「そんなもんでしょ、釣りっていうのは時間が掛かるものよ」
「そんなもんなのか。私ならもっと簡単な方法で魚を捕まえるけどな」
「簡単な方法って?」
「これ」
言って魔法使いの少女は一抱えほどもある岩を簡単に持ち上げました。
魔法で身体を強化しているのかもしれません。
「ガチンコ漁」
ガチンコ漁とは水面に突き出している岩に同じような岩を叩きつけることで水中へ音響による衝撃波を飛ばし、そのせいで気絶して浮いてきた魚を捕まえるという、伝統的な漁法です。
幻想郷ではそうでもありませんが、外の世界では一部地域では使ってはいけないと決められている漁法でもあります。
「やめてよね、魚が逃げちゃうじゃない。それにガチンコ漁じゃ渓流の魚を捕まえられないわよ」
「あー? そうなのか?」
「気絶して浮いてきても流れてっちゃうでしょ、それにあれはもっと水面が静かな場所でやるものだし」
「なるほど――お、妹紅引いてる引いてる」
「え、わっ」
慌てて釣竿に飛びつくと少女はクィッと竿を引きました。
川面でパシャンと何かがはねて、その何かは次の瞬間には少女の手元に納まっています。
少女の手の中でぴちぴちと跳ね回っているのは、冷たい水と早い流れで身のしまった美味しそうな――。
「おー、岩魚」
「ホントだ。今日はまだ岩魚は釣れてなかったわね」
「私のおかげだぜ」
「は?」
「だって、私が言ってなかったら気づいてなかっただろ? もしかしたら竿も川に落としてしまってかもしれないし」
「ふむ……」
と、少女は指先をあごに添えて、
「じゃ、これ食べる?」
「お、いいのか?」
「ん、別に岩魚くらいならこの後でも釣れるだろうし」
「でも生じゃ食えん」
「さっき聞いたわよ」
少女が手に力を入れると岩魚の首はぺきりという音も立てずに折れました。
「ところであんた、塩とか持ってない?」
「持ってるわけないぜ」
「じゃあ悪いけど味付けなしね――あ、そうだ」
言って少女はそこらへんに落ちていた竹の葉を何枚か拾います。
この渓流は彼女が住んでいる竹林に近いので竹の落ち葉が風にのってそこら辺に何枚も落ちているのです。
少女はその竹の葉でくるりと岩魚を包みました。
何をするんだろうと魔法使いの少女が見ていると、岩魚を持った指の隙間からブワッと炎が噴出します。
魔法使いの少女もおおっと驚きました。
そして、そのまま数分――。
「はい、出来た。岩魚の香草焼き。香草って言っても竹だけど」
「便利なもんだなぁ」
「だからって私をかまどにしないでよね」
「こんな反抗的なかまどはいらないぜ」
「失礼な」
なんて言いながらも少女は笑顔です。
笑顔といっても苦笑に近いものではあったのですが。
魔法使いの少女はよく焼けた岩魚を受け取るとそれに丸のまま齧り付きました。
「はつひぜ」
熱いぜ、と言ったのでしょう。
「火傷しないようにね」
「うん」
魔法使いの少女がもぐもぐと岩魚に夢中になり始めると、少女はまた釣竿に戻っていきました。
釣り針に餌をつけて、糸を放ります。
錘のついた釣り糸はポチャンと音を立てて川面に消えました。
「ふまひぜ」
美味いぜ、と言ったのでしょう。
「よかったわねぇ」
「うん」
言葉を交わしながらも、少女の意識はもう川面に浮かぶの仕掛けの浮きに向かっているようでした。
辺りの森では蝉がミンミンシャワシャワツクツクホーシと喧しくてかないません。
それでもこの渓流の一帯だけはそんな音も届かないかのように静かなものでした。
釣り糸を垂れる少女と、無心に岩魚を頬張る魔法使いの少女の雰囲気がそうさせていたのかもしれません。
川を渡る風は涼やかでとても心地よいものでした。
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巳の刻を少し過ぎると、夏の太陽は天頂にまで達していました。
蝉たちがやかましい盛夏の森のその上では数羽の鳶がピーヒョロロと鳴きながら輪を描いて飛んでいます。
そんな幻想郷の山奥を一本の渓流が流れてしました。
鳶たちの鳴き声もどこか遠い渓流の河岸では、少女が相変わらず釣り糸を垂らしています。
魔法使いの少女はもういません。
紅いお屋敷の図書館からくすねてきた本を楽しみに、自分の棲家へと帰っていったのです。
「あら、妹紅じゃないの。何やってるの?」
魔法使いの少女の次に通りがかったのは、かっちりとしたエプロンドレスに身を包んだメイドさんでした。
エプロンドレスにしては短めなスカートは涼しげでいいのですが、そのかっちりとした隙の無い着こなしはやっぱり暑そうに見えます。
妹紅と呼ばれた少女は顔も上げずに「見て分かんないの」と答えました。
「釣りでしょ?」
「分かってるんじゃない」
「何か釣れた?」
「そこの魚籠の中に入ってるわ。取っちゃダメよ」
「取らないわよ、いやしんぼじゃあるまいし」
そう言ってメイドさんは魚籠の中を覗き込みます。
魚籠の中には美味しそうな若鮎が十匹ほど、岩魚はいませんが山女が数匹ここから出せと言わんばかりに元気よく泳いでいました。
「美味しそうね」
「食べちゃダメだからね」
「ここじゃあ調理具もないからねぇ」
「そう言いながらナイフ出さない!」
「あら、バレバレかしら?」
メイドさんがどこからか取り出したナイフが陽光を反射したので、少女は流石に気づいて顔を上げました。
今度は釣り糸も川から引き上げて竿を岩に置くと、少女は魚籠を取り返して自分の近くに置きます。
「いやしんぼはあなたね」、という顔をメイドさんがしたので、少女は「失礼な」、という顔をしました。
「いつから釣ってるの?」
「朝からよ」
「ご苦労さまねぇ、これ全部あなたが食べるの?」
「そんなわけないでしょ。里に持っていって野菜とかと交換してもらうのよ」
「本当、ご苦労様だわねぇ。私なら魚くらいもっと簡単な方法で捕まえるけどね」
「ガチンコはダメよ」
「しないわよ、そんな野蛮なの」
「じゃあどうするの?」
「これ」
言ってメイドさんは懐からナイフの束を取り出しました。
どこに入っていたのかは知りませんが、心なしかメイドさんの胸が小さくなった気がします。
少女はそれに気づいていましたが優しげな笑みを浮かべて気づかない振りをしてあげました。
「で、ナイフでどうするの?」
「投げるわ」
「投げる?」
「私くらいになると水中を泳ぐ魚にだって綺麗に命中させられます」
「凄いわね」
少女は素直に感心しました。
でもナイフの刃渡りとか刃の広さとかを考えると、鮎のような小さな魚が相手では当たった瞬間に身体が両断されてしまうのではないかと思います。
それを指摘するとメイドさんは不敵に笑いました。
「まぁ見てなさい」
両手の指に間に四本ずつ、計八本のナイフを構えるとメイドさんはひたりと川面を見据えます。
それからきっかり八秒の時が流れたあと、メイドさんはひょうとナイフを放ちました。
凄まじいスピードで飛ぶナイフは殆ど水を跳ねずに川面に潜ると、八本のそれぞれが群れを成して泳ぐ若鮎を貫きました。
少女は驚きました。
八本のナイフは全て刃が横に寝た状態で、鮎の身体を両断することもなく綺麗に彼らに突き刺さったのです。
思わず釣竿を手放して拍手してしまいました。
これはほとんど曲芸と言って差し支えないほどの妙技です。
「凄いわねぇ」
「まぁ私に掛かればこんなものですわ」
少女が素直に褒めるとメイドさんはホホホと笑いました。
そして少女はふと思うことがあって、ホホホと笑うメイドさんに問いかけます。
「ところでさぁ」
「うん?」
「あのナイフと鮎だけど、どうやって回収するわけ?」
「え?」
「この川って、透き通ってるから分かりにくいかもしれないけど結構深いのよ」
「……深いって、どのくらい?」
「そうね、私が水浴びして、ついでに泳ぐのに差し支えないくらい」
そのくらいの深さというと大体三尺くらいでしょうか、深いところではもう少しありそうです。
メイドさんは回収の方法までは考えていなかったらしく、その場に固まります。
深く透き通る川面の向こうには、メイドさんの放ったナイフが若鮎たちを川底に縫い付けてしまっているのがよく見えます。
ナイフの周囲にだけは少し濁りがあるように見えますが、それは鮎の身から流れる血なのでしょう。
メイドさんは固まったまま困った顔になりました。
少女はそれが面白くてまた問いかけます。
「ねぇ、どうするの、ナイフ?」
「……」
メイドさんは答えません。
天頂に達した夏の太陽はじりじりと地上を照らし、河岸の岩も水に濡れていない部分は熱されて熱くなってきました。
そしてメイドさんのこめかみをつーっと汗が伝うのですが、少女は優しいのでその汗はきっと暑さのせいね、と思ってあげることにしたのです。
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山の中の幻想郷、そのまた山の中を一本の渓流が流れていました。
水の冷たさは猛暑の夏には心地よく、その透明さは季節を問わず美しい、そんな川です。
その渓流の河岸を作る大岩の上に、服が畳んで置いてありました。
畳まれて置いてある服は風に飛ばされないよう、上に石が重りとして置かれています。
襟付きの白いシャツ、サスペンダー、お札が縫いこまれた赤いモンペ、それに麦藁帽子。
それらの服の間には人目につかないようにドロワーズやサラシといった下着の類も隠されています。
もっともこんな山奥では人目もなにもあったものではないのですけれど、とはいえこの服の主は今日ここの渓流ですでに二人の人間に出会ってしまっているので油断はしていないようです。
「ぷはっ」
ぱしゃんと川面の水が跳ねて、そこから少女が顔を出しました。
朝ごろからこの川で釣りをしていた少女です、岩の上に置かれた服の主です。
少女は裸で川を泳いでいました。
その手には銀色のナイフが握られています。
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馬の刻は一日で最も暑くなる時間帯です。
そうは言っても山々からの冷たい湧水で満たされた川の底にはそんな暑さなど全く関係がありません。
川底を悠然と闊歩する沢蟹たち、河岸の岩がつくる水底の洞にはたくましい髭を生やした鯰が昼寝をしています。
そんな水の中の風景に一際異彩を放つものがありました。
水面越しの陽光を受けてきらめくそれは、先ほどのメイドさんが投げたナイフです。
河岸の岩の上からは水中できらめく銀のナイフがよく見えました。
柄に刻まれた細かい模様までくっきり見えるのは山暮らしの長い少女だからでしたが、大切なのはそれほどに水が透き通っているということです。
少女は岩の上からどこにナイフが沈んでいるのかを確認しながら、モンペを吊っているサスペンダーに手を掛けました。
サスペンダーを外すとするりと衣擦れの音がして、モンペは少女の足元に落ちます。
それから少女はぷちぷちと上からシャツのボタンを一つ一つ丁寧に外して生きました。
そんなことをしながら、先ほどのメイドさんとの別れ際の会話が思い出されます。
『あー、ええっと』
『うん』
『それじゃ私、お嬢様から頼まれたお使いがありますので』
『え、ちょっとナイフは!?』
『オホホ、それじゃ申し訳ないですけど妹紅さん、私の代わりにあのナイフ拾っておいてもらえるかしら』
『なんで私がそんなことを』
『回収しておいてくれたらお礼に紅魔館で仕入れてる仔牛の肉をおすそ分けしてあげます』
『任せてちょうだい、ちょろい仕事だわ』
回想から復帰したとき、少女はすでに上着のシャツも脱ぎ終えて、下はドロワーズに上はサラシという奇妙にちぐはぐな下着姿になっていました。
彼女のような年の少女が昼の日中に日の下でする格好ではありませんが、これから水に潜ってナイフを回収するのですから仕方ないのかもしれません。
とはいえドロワーズのようなヒラヒラしたものでは、いくら下着とはいえ水の中に入るには不都合がありそうです。
少女はさらにドロワーズの腰紐に手を掛けました。
紐をするりと解くとドロワーズはすとんと岩の上に落ちます。
少女の裸の下半身が現れました。
細いけれど肉感のある脚線美、瑞々しく引き締まった柔らかそうなお尻には健康的な魅力が感じられます。
少女は女性の最も大切な部分を隠すこともせず、胸元のサラシに手を当てて少し考えに耽りました。
サラシが泳ぐ邪魔になるとは思えないのですが、「ここまで脱いじゃったんだし、ねぇ?」とサラシを解いてしまいます。
サラシの帯がするすると解かれていき、足元にそれがとぐろを巻くほどにサラシの隙間からは少女の乳房があらわになっていきました。
サラシできつく締め付けられていた少女の乳房が柔らかく震えます。
「んーっ」
と、少女は大きく背伸びをしました。
川を渡る風が、普段服を着ているときには決して触れないであろう場所も撫でていきます。
それは奇妙な感触でしたが、少女はそれを不快とは思いませんでした。
一度だけ、息をついて高い空を見上げます。
日差しはきつく、夏の暑気はじりじりと彼女の肌を焼いて、全身がじっとりと汗ばんでいるのを感じました。
水浴びをするのにいい頃合だったのかもしれないと、そんなことを思う少女でした。
もちろんこれは仔牛の肉に釣られてあのメイドさんのいいように使われようとしている自分のプライドへの言い訳です。
それから一二、三四、と軽く柔軟をして――、
「それっ」
ざぶーん。
/
羊の刻に差しかかろうかという頃になると、幻想郷の山々からはひぐらしの鳴き声が聞こえ始めます。
カナカナカナというその鳴き声はまだ日も高いというのに、どうしても夏の夕暮れを思わせるものがありました。
そんな幻想郷の山奥を一本の渓流が流れています。
油蝉のそれとは違う、牧歌的な寂寥感を滲ませるひぐらしの鳴き声の響き渡る幻想郷の渓流の淵では、一人の少女がなにやら魚籠の中をもぞもぞとやっていました。
「あーっ!? ちょっとあんた何やってるのよっ!」
魚籠をいじくる少女の背中にそんな声が投げかけられます。
少女は緋袴の裾を翻して背後を振り返りました。
そこにいたのはちょうど川から上がってくるところだった裸身の少女です。
「えっと、魚籠漁り?」
「そんなの見れば分かるわよ、私が聞きたいのはなんでそんなことしてるのかってことよ、霊夢」
「今日の釣果はいかほどかなーって思って……っていうか少しくらい隠しなさいよ」
「別に見られても恥ずかしい身体じゃないもの、あなたと違ってね」
裸の少女は腕を組んで巫女装束の少女の扁平な胸元に視線を向けました。
組んだ腕の上に柔らかなものが乗っています。
むっと眉をひそめる巫女さんですが、別に見せたい異性がいるわけでもなし、とのど元までせり上がっていた衝動を押さえ込みました。
そうよ、それに空を飛ぶなら身軽な方がいいもんね。
なんてことも考えましたが、それはなんとなく蛇足だったようで微妙に落ち込んでしまいます。
「それにしても今日はやけに“人”に会うわね。あんたも偶然通りかかったってわけ?」
「私? 私はほら、これ」
「これ?」
言って巫女さんは脇に抱えていた笊を示しました。
笊にはたくさんの野菜が載っています、ついでに吟醸酒も。
「その野菜がどうかしたの?」
「え? 魔理沙が今日は川辺でバーベキューやるから野菜持って来いって言うから」
「バーベキュー!?」
「なんか妹紅が渓流釣りで美味しい魚を釣ってるからそれに便乗する、みたいな話で……聞いてないの?」
「初耳よっ」
「あっそう。でもま、たまにはいいじゃない」
「よくないわよ、この魚は明日里に持ってって野菜と交換してもらうんだから」
「里に? でもこれ持って帰っても明日の朝ごろには腐っちゃってんじゃない? ていうかいい加減服着なさいよ」
少女はうーっと唸りながら身体についた水滴を拭っていきます。
巫女さんがそれをじーっと見ていると、少女は顔を赤くして身体を隠しました。
「見られて恥ずかしい身体じゃないんでしょ?」
「それでもそんな凝視されたら隠すわよっ」
「ふーん。それにしても下の毛まで」
「言うなぁっ」
怒鳴って川から回収したメイドさんのナイフを投げ放ちます。
巫女さんはひらりと身をかわしました。
「危ないじゃない」
「そう思うんだったら見ないでよね」
「はいはい」
巫女さんの返事はとてもおざなりでした。
/
「はい霊夢、こっちもう焼けてるわよ」
「ありがと、咲夜」
「妹紅ー、ちょっとこっち火加減強いぜー」
「あーもうっ、ちょっと待ちなさいよっ」
申の刻の幻想郷、日は山の端に差し掛かり、もうすぐ夜が訪れます。
昼間を制覇した蝉たちの鳴き声も今はひぐらしのそればかりで、そこに混じって蟋蟀や鈴虫の鳴き声が響いていました。
そんな幻想郷の山奥を一本の渓流が流れています。
その渓流の川岸では四人の少女たちがわいわいと騒ぎながらバーベキューと小宴会を楽しんでいました。
「こんな上等なお肉食べるの、久しぶりだわ……」
「紅魔館で仕入れてるお肉だからねぇ。お嬢様たちに下手なもの出せませんわ」
「妹紅の釣った鮎も美味いぜ」
「それ山女ね」
「美味いぜ山女」
「魔理沙、お肉やお魚ばっかり食べてないで野菜も食べなさい。そんなんじゃあ大きくなれないわよ」
「別に大きくなれなくてもいいぜ」
「……咲夜、野菜ちょうだい」
「霊夢は偉いわねぇ。偏食気味のお嬢様にも見習って欲しいわ」
「妹紅ー、火加減ー」
「だから私をかまどにするなって言ってるでしょー!?」
なんでこんなことに、と不老不死の少女は思います。
あれから少女が服を全部身につけ終えたころにメイドさんと魔法使いの少女はやってきました。
もちろんバーベキューなど寝耳に水だった少女は魔法使いの少女に食って掛かります。
けれど、もうやると決めてしまった魔法使いの少女の意思は固く、何を言おうとも「まぁいいじゃないか」の一点張りで聞いてくれません。
結局議論は弾幕ごっこにまでもつれ込んだのでしたが、流石の不老不死の少女でも三対一では勝ち目がありませんでした。
負けてぼろぼろになった少女に魔法使いの少女は言いました。
「まぁたまには、人間だけの宴会って趣向も悪くないだろ?」
そう言われてしまうと不老不死の少女にはもう言葉もありません。
だってそれは、不老不死という体質のせいで人目を避け、同じ人間から人間扱いされない暮らしを続けてきた少女には、とても魅力的な言葉だったのです。
バーベキューはそうして始まり、負けた少女は体よくかまど役を引き受けさせられることになったのでした。
「肉美味いぜー」
「魔理沙ったらさっきから食べてばっかり。そんなんだと太るわよ?」
「私は少しやせすぎだからそれくらいで丁度いいぜ」
「いいわねぇ、食べても食べても太らないなんて……」
「咲夜だって十分細いと思うけど」
「なんでそこで……胸を見ながら言うのかしらね、妹紅さん?」
「べっつにぃー?」
巫女さんがメイドさんに奇妙な親近感を覚えた瞬間でした。
吟醸酒を持ってメイドさんに近づきます。
「まぁ一献」
「え? あ、ありがとう……?」
「分かるわ、その気持ち」
「な、なんのことかしら」
「おお、霊夢がおかしくなったぜ。飲ませすぎたか?」
「魔理沙、あんたもそのうち分かるようになるわ」
「わけがわからんぜ。妹紅、分かるか?」
「なんとなくね……でも私には関係ないことだわ」
言って少女はくすりと笑いました。
魔法使いの少女はいまだに理解していない顔でしたが、巫女さんは殺気まがいの気迫が篭った視線を向けてきます。
メイドさんは何とも言いがたい表情をしていました。
向けられる巫女さんの視線をいなしながら、不老不死の少女は美味しそうに脂を爆ぜさせる鮎の塩焼きにかぶりつきました。
もしゃもしゃと淡白ながらも濃厚な若鮎を味わいながら、やはり「なんでこんなことに」と思います。
本当なら今頃、竹林の中にある自分の家に帰って、一人で夕飯の支度をしているはずでした。
今頬張っているこの鮎だって、本当なら明日、里に行ってなにかの食べ物と交換してもらっていたはずのものです。
メイドさんが持ってきたブランデーだって自分が口にするようなことなんてあり得なかったはずだし、仔牛のお肉だってそうかもしれません。
まして、こうして四人で一緒に酒宴をするなんて全く想像の埒外でした。
「本当、なんでこんなことになったのかしらねぇ」
そう思いを口に出して呟いてみます。
けれど言葉とは裏腹に、少女の顔に浮かぶのは苦笑とは違う、楽しそうな微笑でした。
「あー? 何か言ったか、妹紅?」
「別にぃー」
魔法使いの少女の言葉に、不老不死の少女は笑ってそう返します。
空にはいつの間にか月が昇っていました。
幻想郷に猛暑の一日をもたらした太陽は山陰に消え、それでも山稜の線を赤く滲ませています。
空の色合いは東に向かうほど濃く深い紺色で、夜の訪れを世界に告げるのです。
夜、それは妖怪が動き回る妖々跋扈の時間。
それでも不老不死の少女は、もう少し、もう少しだけ夜の訪れを待って欲しいと、どこかの誰かに祈るのでした。
不老不死の自分が人間よりも妖怪に近いことなど、少女はきっちり自覚しています。
それでも思うのです。
こうして人に囲まれている今くらいは、かつてそうであったように人間らしくいたいと、そう思うのです。
だから少女は、そんな思いは胸の奥にしまいこんで、この場を用意してくれた魔法使いの少女に酒瓶を向けるのでした。
「まぁ一献」
「おー、ご機嫌だぜー」
魔法使いの少女の返事はよくわからないものでしたが、それでも少女は笑いました。
よくわからなくても、なんとなく楽しかったのです。
人と交わるということは、つまりそういうこと、なんとなくでも何気ないことでも、それが楽しいのだということを、少女はそんな当たり前なことを思い出したのです。
「ご返杯だぜ」
「ありがと」
本当に、ありがとうと。
その言葉と一緒に、不老不死の藤原妹紅は注がれたお酒を飲み干しました。
カァーっと喉の奥が熱くなって、なぜか涙腺が緩みます。
「あら、妹紅どうして泣いてるの?」
「ウーッ、なんでもないわよっ」
「ははは、泣き上戸だったのか?」
「なんだか意外だわねぇ」
「なんでもないったらぁ!」
からかう人間三人の言葉に怒鳴り返します。
それを受けて三人はまた笑いました。
夜の幻想郷の山奥に人間四人の楽しそうな声が木霊します。
そんな、ある夏の一日のことでした。
まんまるの月が明るく世界を照らす、そんな夕べのことでした。
四人からは見えないよう森の木陰に隠れたワーハクタクの少女が、自分の角を憎憎しげに振り回す、そんな夜のことでした。
渓流釣りを多少嗜む程度の私の知識では、鮎が釣れる場所に岩魚や山女はいないと思うのだがどうか? 経験的にだから間違ってるかも知れないが。
ほのぼの感たっぷりでステキでした。
妹紅大スキーな自分にとっては狂気乱舞ものでした。
嗚呼、妹紅かわいいよ妹紅!
会話文とか、自然でええなぁ。
こういう和やかな雰囲気もよいものですね。割りと現金なもこたん萌え。
それはともかくとして、満月の夜でなければ慧音も加われたんだなぁ(笑
あともこたん萌え。
なんだか凄いかわいらしい物語です。三人目はどんな風に話して受け答えるのかな、と思ってたらああなるとは
落ちがまたいい
こんな休日が過ごせたらいいなぁ
けーね様がみてr(ry
最後の段で涙腺が緩み…そして最後の最後で吹き出しました。
それと、瀟洒だけれどもどこか抜けている…そんな咲夜像にこの咲夜はぴたりですねぇ。
心地よい幻想分を補充させていただきましたー
そして、けーねタンハァハァ(ぉ
慧音が……w
最後の一行だけでこれほど萌えさせてくれる慧音は偉いと思った。
単純にして効果的、分かりやすい転の段に唸らされました。
話も面白いし良い作品、自分もSSを書いている身なので勉強になりました。
何処をとっても綺麗で萌えて素晴らしい作品だと思いました。
そしてこいつで一万点越えだ!
大自然の中でのバーベキュー
ごちそうさまでした!(いろんな意味で