(やはり問題は私にこそある、のか?)
行儀悪く船を漕いでも埒があかない。
その事に気付いているのはどうも私だけのようだが、では何故このような事態が私に容認されているのか。
居心地の良さか。違和感が無さ過ぎるのは気のせいなのか、自己催眠のようにも思える。
辿り着けないのは、その日を迎えられないのは誰の所為なのか、と考えて最早何日が経過したことだろう。
しかし今更紅くなろうというのも無理な話だ。また、そこまでして私が自分自身を解決する必要性も感じられずにいる。
だが、これは私が望まなければ解かれない方程式なのかもしれない、と半ば確信めいた思いを得ている私もいるのだ。
だとするとこれは、
(まるで呪いのような、祝いのような―――)
** 師走某日 金曜 朝
徒歩で洗面所に向うのは、本当に久々のことだ。
長らく絶えていた習慣(それでもそれを習慣だと思い込むのはやはり先天的な自覚の無さ)だが、道程を忘れるほどの昔年でもなかったのだ、と歩みながらに思う。
ほんの数年。あの子が、この館に鳴り物入りでやって来て、電光石火の勢いをもってメイド長の職に就いたあの時から、たったの千と数百日しか経っていない。
なのに、こうしてその時から今までに思いを巡らせてみると、何とその密度の高いことか。その速度の速いことか。その温度の熱いことか。その鮮度の瑞々しいことか。その精度の――正しいことか。
無論、今までにもこういった、数日を空けて彼女が私の前から姿を消したりという事が無かったわけでもない。
そんな時私は、紅い友人、館の主、レミリア・スカーレットが抱く、彼女が居ないことで生じる心の浮遊感を少しでも和らげ、あるいは珍しくも三食の席を共にすることで、殊更に言い立てるでもなく慰めてきた。諌めてきた。
それを自慢するつもりはない。友という概念の本質を実践しているだけなのだから、蔑まれこそすれだ、と思う。
私は知識の体現であって、それら知の実践を担うものではない。だが、時ならずして好奇心は疼くものである。レミリア・スカーレット、レミィとの友人関係という名の繋がりは、友なる概念を体感するために作り上げたものなのだ。
そうして、実践は功を奏した。晴れて私とレミィは友となり、他に喩え様のない形の信頼関係を相互に保持することとなった。実験結果、その成果である。習得したのだと言っても差し支えあるまい。
尤も、関係性は糸であるから、そこに彼女の能力の介在が全くの皆無であったかというと、未だに怪しい点ではある。本人は否定しているけれど、彼女の断言は金言であり真言であっても必ずしも真実ではないのだから――
「――」
逸れる思考。
さて、向かうべき先が、そもそもあるのかどうかも判らないものを、逸れていると呼べるかどうか。
だが先立つ物がある以上、後続に続かねば道程は終わらない。
窓のない廊下を歩いて考える。
考えながら思う。終わる先の有無など終点にて終わるまで知らずとも良いと。
思いながら、考える。それが終わることを永久に知らぬ事になろうとも、と。
昨日の本意を知らなければなるまい。思い違いということもあるだろう。
レミィに会って確かめる必要がある。
しかしこの時間は眠っているだろうから、小悪魔あたりに言伝を頼んで、夕過ぎに図書館まで足労願うとしよう。
それはそれ。
まずは図書館だ。紫の追伸――確かめる必要がある。
『いい加減仕組みはちゃんと判ったの?
まだ判らないならヒント。答えは図書館にあるわ』
(図書館に、ある・・・って言われても、ねぇ)
確かにヒントの範疇だと言えよう。少なくとも、何が答えだ巫山戯るな、と怒鳴るほどではない的の外し具合である。
ヴワル魔法図書館に、答えがある。
場の特定は確かに有用な情報だが、この場合、その言葉が正確な場の特定に値せず、更に答えというのが数多無限の如く埋没する書物のことなのか、ミクロにある書の何がしかの記述なのか、それともマクロにこの空間自体を指すのか、皆目見当が付かない。
そして最悪な事に、正しく何のお話にもなっていない事に、一体全体、“何に対する”答えであるのか、何一つとして知る為の材料が無い、のだ。
しかし。だからなんだ、といった所であろう。
昨日の出来事と同じで、あの紫や、もしくは我が友人には何がしかの思惑がある。そうであるならば、なおの事意図を測りかねる所ではあるけれど、無目的では絶対に無いのだ。
誰がくだらないと感じようとも、彼女らにとっての最上あるいは普通あるいは最良あるいは最悪の目的が確かにある。
私には前提すらも判らない何か、紅源魔境はその糸口を咥え、境界幻想は答えに至り、どちらもどちらも、私が自発的に自覚的に自動的にそれを知る事を望んでいるのかもしれない、と考えてみる。
ならば動くしかない、何は無くとも。
思いながら図書館の扉を後ろ手に閉める。
近く重苦しく響くその音に、憂いを含んだ溜息を隠した。
差し当たって、慣れ親しんだテーブルの周辺から物探しらしき物漁りを始めようか。
軽く床を蹴り、淀んだ空気の流れに乗る。
「レミリア様・・・ですか?」
「ええ、ちょっと所用があって」
書架を眺めて手持ち無沙汰にしていた小悪魔を見つけ、私は単刀直入に命を下す。
いや、命令というのも妙な話か。
このコ・デヴィルは今でこそ私の付き人のようなものだが、招聘に応じ参じた使い魔の類とはわけの違う生命存在、二次平面のマクスウェルズ、字句から派生した亜空の幻想なのだから。
『文字が生きていないとするには、我々は二次世界の次元構成について余りにも無知であるし』、と書き出された、アカデミック且つオカルティックな書物、無闇に長ったらしい題を持つそれが生み出したのが、眼前にいるこの赤髪の魔性だ。
全概念生命保有説と銘打たれた嘘塗れの概論は、学界に於いて容易く棄却された。それには本説の余りといえば余りの突飛さが多大に働いていたが、何と言ってもその説の登場した当時の学界は「卑近と不能への知」を主題に掲げ進化発展するものであった事を忘れてはなるまい。四次世界の三次生命が二次世界の一次存在を理解しようというこの説には、どうあってもスポットの当たる目が無かったのだ。
だがそれ故に彼女はいる。失われた知識が、その虚実を問わず集い来るこの館に。
妄念とて幻想の素材たり得る。だからこそ、である。
そういった謎めく出自は本人から聞いた。裏付ける書物もまた此処にはあった。
興味が湧かないではなかったが、更に突っ込んで訊ねるよりも先に、私は何故か彼女に気に入られてしまった。
本好きに悪い者はいないんですよジト目のお姉さん、だったか。
それも嘘よとその場では言い返したけれど、唐突な敬語は心地良く響いたし、その程度の理由で好意を持たれるのも珍奇な経験であったから、私はそれ以上の事を訊く機会を逸してしまったものである。
思い返してみれば、その時既に私の眼は半月型だったわけだ。上下が逆転していないだけマシというものだろうか。
「あれぇ? あっれぇ?」
訊ねて数瞬を懐古に過ごして待った小悪魔の反応は、上目遣いに虚空を見て顎に手を当て、しきりに首を傾げてみせるという、典型的な懐疑のポーズだった。
私は自分の質問にどこか妙な所があっただろうかと考えながらに問う。
「・・・どうかしたのかしら」
「いえ、その、です」
「ここは幻想郷よ」
「うーん。一応日本語なんです。否定の丁寧語、指示語、文末の丁寧語って構成で」
「そういうのはいいから。
何を聞きたいのかは判るでしょう?」
「えっ? そういうのはいい? 珍しいこともあったもんですねー。
何かの前触れかなぁ、怖いような楽しいような」
「面白くもないおかしみが溢れてるような、ね。
で、どうなのかしら」
「はぁ・・・あの、こちらから逆に質問したいんですけども」
訊き難そうな事を訊くときの躊躇いがちな様子で、おずおずと彼女が手を挙げる。
私はそれに無言で首肯し、問いを促した。
これもまた、主従でないからこその行為であろう。彼女の厚意とも言えるか。また一方で働かざる物以下略という言葉に少し息が溜まる思いもあったが、吐き出さずに答えを待つ。
「パチュリー様は、ご存知無いんですか?」
「・・・何を」
煮え切らない問いに少なからず不安を覚える。彼女という性格にこんな惑いがあろうとは、という小さな驚きである。
「レミリア様、昨晩からお出掛けになられて。
まだ、戻られてないようなんですけれど・・・。
今、どちらに居られるのか、ご存知じゃ、ない・・・んですね」
「・・・ええ」
驚きを吹き飛ばす驚き。予想を軽く覆す破壊力を持っていたその言葉は、私の精神を頑是無く波打たせた。語法がおかしくなる程度の衝撃、ということである。毛ほども冷静でないというか。彼女の語尾が消え入るように下向いていったのは、私の顔面に二つある半月が痩せ細り、単なる横線に限り無く近付いていったのを受けてのことであろう、狭く見える怯え気味の彼女の様子からはそれが容易に受け取れてしまう。
「見たの?」
「いえ、見なくても判るもんでして。一応、私も悪魔だったりするので」
隷属する立ち位置で無くとも、類題であることにまた変わりなくということなのか、そういった点は出自の累代に関わらないということなのか、小悪魔はこくこくと頷く。
「じゃ、質問を変える、いえ、代えるわね。
メイド長は、何処にいる?」
「え、えええっと、その。
一昨日の夜に、レミリア様のお言い付けで出られて・・・」
視界が狭まる。ひう、と小悪魔は喉を鳴らす。そこまで怖いのだろうか。鏡で見るにはこの視界は狭すぎる・・・。
「変更2よ。
門番は、紅美鈴は元気に労働してる?」
「あーうー、火曜、パチュリー様に脅かされて、
あの金色だか黒色だか恋色だかの人間の所に行って・・・」
そして顎が閉じ、何も見えなくなる。
本当の直線は点の伸長である。ならばやはりそれは不可視であるはずだ。
だから、閉ざされた瞼はもしかすると、他人からは目視できなくなっているのかもしれない。目が閉じて不可視になるのは、瞳そのものが一時的にこの世から人為的ないし作為的ないし人為作為それ自体によって消し去られているからなのだ。瞳を閉じるというのは一種の魔法である。外界との接続手段を断ち切る。口(喉)を閉じる、鼻を塞ぐ、耳を割る、皮を削ぐ、どれも同様の寸断を生じさせる、誰にでも用いる事が出来るはずの魔法。
誰にも出来る必要のない、出来なければそれこそが最強無敵と喩えて美しくなる魔法。
無痛は幸か不幸か・・・知り得るべからず。他者でしかない私に出来るのは幸か、不幸の永劫な排斥を願うことのみだ。
感覚、という名の、呪い。
――でだ。
何故に、今、そうして、ここ、紅魔館は、段々と、緩々と、綽々と、
紅魔館ではなくなっていこうとしているのか。
考える。
「ん・・・そう。大体判ったけど・・・妙だなぁ・・・」
「で、でもパチュリー様?
そんなに珍しい事じゃ、ないと思います。
ふらっと出かけて、ふらっとお戻りになるなんて、割と・・・」
「――割とも何も無い。偶然は必然の類義語なんだって、紅い彼女を知らなくたって解ることでしょう。
あの永い夜の日と同じこと・・・狩り出されたメンツが、少々偏っているだけ」
「え・・・」
「でも、変。何で今日なのかしら・・・」
口にして説明する気も起きなかったので、ふうと息を吐いて肯く。全て布石と考えたところで、どうしてそれを私以外の誰かが理解できよう、此処の所私に降りかかっていた災いが締めくくりに近いなどと、それを知る私ないし追体験する何者かを置いて他には。そんな者が存在していると仮定するのも馬鹿馬鹿しい話だが。
その上、私は自分が出した結論にすら疑問を抱いている。懐疑とは即ちこのことだが、しかし止められる類のものでもない。瞼の裏の暗闇で、私は私の思考を思考する。
今日の異変は――“昨日までの総ざらえ”とでも呼ぶべきものだろう。
代償か。常に害を被っていたのは私だったと思うのだけれど――まあ、それはさて置くとしよう。
考えるべきは、その時期だ。
私の思考、幾重にも折り重なり、幾多に枝分かれ、幾千の無駄骨を乗り越えたそれが出す解。
だが、講評を添えるならば一言、『なにゆえに、本日この異変が該当するのか』と。
途轍無き規模でもって私を襲おうとしている今日の異変は、何故明日でなく本日起きているのか。
顔を上げた先に所在なげに佇んでいるであろう小悪魔への思慮遠慮すらも押しやって私は考える。
月曜、始まった。一週間が始まった。
いや、本当はその前日に始まっているのだ。だがその日は何事も無く過ぎた。今年最後の幸せな日だったと、今日明日をのみ残す今でこそ言えるだろう。ただ一つ、紅い友人の空恐ろしい予言を除けば、平々凡々な日曜日だったのだ。『パチェ。貴女、そう簡単に新年を迎えられると思っているの?』・・・不吉この上ない。
そうして迎えた月曜は、比較的平和だったと言える。凡そという字を宛てて良い。屋敷のメイドたちを厭うではないが、あの料理の味は格別だった。惜しむらくは、基準が私以外に絶無だったことか。批評は苦手である、殊に感覚を主とするものは。悪い事をしたものだとまでは思わないが、勿体無い事だとばかりは想う。
火曜、暑かった。一週間が動き出した。
炉に種火が入る時のように、唐突に忙しい一日が過ぎた。図書館が有限になり、私は半分喰われかけ、門番の間抜けが覿面に示され、そして蒸発していった火曜日。その時点で気付いていたならば或いは、それ以降の運命も――いや、展開も変わっていたのかもしれない。繰り人ならぬ私に運命を語る資格などあるまい・・・。
水曜、無駄だった。一週間が過ぎていく。
世界に無駄があるとするならその極致。有意義の為にある、『無くてはならない無駄』、無駄であることに意義がある一日。熱に浮かされて正気かどうかも定かでなかったが、どうしてもあの無駄は彼女に壊されなければならなかったのだろうか。そういえば彼女の姿も見ていないが、まさかに、この館から外に出よう筈もない、か? 紅以外の紅は此処でしか生きられない、いや、此処以外の紅にならない為に此処で生きているのだから。
木曜、寝ていた。一週間が寝惚け眼。
あの木は、郷の何処に辿り着いたのだろうか。境界幻想に訊ねて、正しい答えが返ってくるかも怪しい。自己同一性など、あれの前には無力な言葉だろう。同一性の乖離にこそ自己があるとすら思えてくる――愚直な独白に過ぎないけれど。それにしても本当にあれだけの理由で私はあんな目にあったのだろうか。裏の裏を表だと想っている内は境を解すること能わず、とあいつは言いたいのか、言いたくないのか。ねぼすけほど深い生き物はいない。生産も消費も損も得もせず、生死に惑う事も無いなんて。それは私だ。敵の敵はやはり第三の敵でしかなく。
そうしてそうして。今日は金曜。一週間が暮れなずむ。
もう、異変が起きている。
『一人一人と居なくなる知人を、私はその背中だけを見詰めてただ立っている』、人間が抱く別れの雑感、その代表格だろう。尤も大概は死別であるし、私は人間でもなければ棒立ちしてもいない。
火曜より門番、水曜よりメイド長、木曜より紅。気付けば単純至極の仕組みである。
確かに、一時的に友と会えなくなるのは端的に言って少しばかり寂しいものだ。
とは言え、それを真摯に受け止めろというのも無理な相談――失踪なんて、なんて事も無い、と真っ先に思ってしまうのだから。
彼女らが消えるなど冗談にも有り得る事ではないと、信じるよりも先に、当たり前と感じてしまうのだから。
近しい者の居なくなる事を現実と思えないのは、薄くて脆くて弱くて剛い、信頼という不気味な魔法の所為である。
ブギーマジック。だがその不気味さにこそ心躍る、万夫不当の出鱈目奇術、前人未踏の出たとこ勝負。
何よりも不気味な事には、こんな魔法を、私は一度も使った覚えがないというのに――
「あのー、ぱっちゅりー様ぁー? 立ち寝は足腰によろしくないかとー」
急速に、引き戻される。私は牙の無い顎を開き、小悪魔が前屈みに傾いて私の顔を下から覗く姿を認識する。気恥ずかしいという感性は何処かに忘れてきたように思うが、少しだけ体温が上がっていたかもしれない。
「・・・ん・・・あ、御免なさい。えーっと、説明、いるかしら」
「説明ですかぁ。いるよな、いらないよなってとこです。
それより、お食事まだですよね?
何か軽く食べるものでもお持ちしますよぉ」
「・・・紅茶」
先程私が脅しめいた形で詰問していたのも忘れたか、小悪魔は何処か楽しげに言った。
気楽な奴めと嘆息するのは軽易であったが、それを飲み込んで私は思う。この子のスタンスもまた正しい、何を心配する事もあるまい、本日の変事とて推測に過ぎないのだ、と。彼女が居なくなっていないのは、つまり、である。
「はい。じゃ、お紅茶と何か、適当に見繕ってきますね」
といって、私の推測が外れるというのも中々に珍しい事だから、対策、原因探しの一つもしておくべきか。実際、一体どんな力によってそれが行われているのかすら判っていないのであるし。
瞳を開きながら、私が何らの反応もしなくなることについて、私の知人達は理解が深い。そういった場合、彼女らは哀しがるでも怒り出すでもなく、単純に私がその場を去ったのとまるきり同じ反応を示す。己の為すべきことを為す。有為。
またか、といった呆れ顔も散見するけど、ただ私にはありがたい事とばかり思えるから、特に何も言わず。
だから私は、小悪魔が私に背を向け、黒の翼をはたとも動かさずに飛び上がり、図書館の空をふわふわと行って、少しずつ遠ざかっていくのに気付いても、これを自然な事と思うが故に、見送るでもなく見過ごした。
一刻が過ぎても、小悪魔は戻らない。
** 師走某日 金曜 昼
今や、紅魔館は無人であった。
聴こえない聴こえない聴こえない。生活音が聞こえない。
モノが存続している証明が、音の波という実在になって伝播してこない。
いつでもそうだと言えるけれど、いつまでもそうだった事は無い。プランク以下も以上も、あってはならない静寂の分断が、たった今この時すらも続いている。
今や杞憂は杞憂に終わった。
確かに何かが起きている。確かが何かに起きている。
昼の日が燦々と数少ない窓から滲み出ているのに、いつだって人通りの少ない廊下が、いつもとは比べ物にならない程、冷たく、静かで、乾ききっていた。
朽ち果てた廃墟のように。もう鳴らない鐘のように。
今や、紅魔館は無人であった。
無人のロビーは紅いけれど何も無いスペースだった。
元々人間は一人しか居ないけれど、人形を模して在る全ての拵えモノはこの言葉の意図する範疇に含めて構うまい。
誰も居ない。何も居ない。
誰も居ない。
「――」
幾度否定しても余りある、余りに余りのこの事態、事実に、私はどういった対応を迫られているのだろうか、と思考する。
否、そもそもこれは、私に降りかかっている災厄なのかどうかすらも定かでない。私自身の為すべき成すべき解決方法などというやさしい手段が果たして用意してあるのかも判らないのだ。
推量するにも材料不足、幾つか考えられる結論も、私宛の異変であるという前提に基づいたものでしかなく、そうでない場合或いは異変でない場合、私に出来ることなど何も無いのである。
誰も居ない。
上りにくい階段も静かばかりで、私は横目に見ながら今更この館の広さに呆れる。
それは何の意味があるのか。
誰も居ないということが、私に対する攻撃になっているのか。
少しずつ少しずつ、それを感じるものが私以外に何者も存在しないというのに、
少しずつ少しずつ、この屋敷を取り巻く空気が冷えていくことに気付いても、
少しずつ少しずつ、世界が狭まり繋がりが断たれていく事と判るが故に、
少しずつ少しずつ、謎が深まらずにまた解き明かされる事も無く、
少しずつ少しずつ、適当に投げ遣りに放り捨てられているのか、
少しずつ少しずつ。
少しずつ、居なくなっていった。
赤髪の小悪魔が最後の一人・・・。
(悲鳴の一つも上げずに消える)
・・・いや、現象を画一化して考えようとしてはいけないのかもしれない。
仮定しよう、例えば。
紅魔館の現在の無人化と、主を始めとする中心存在の相次ぐ失踪は、同根の事象ではない。
この館には、主人の我儘と無責任により数多迷い込んだ少女たちが、深き忠誠を携えたメイドとして仕えている。
十や二十ではきかない彼女たち、メイド衆という群体が、(少なくとも私に)気付かれぬまま一夜にして姿を消すなどというのは、全く真実実現可能な出来事、なのだろうか。
疑わしいものだが――はてさて。女王が移り住めば兵もまた、とするなら幾許かは解せないでもないのだけれど、それにしては奇妙に思えるのだ。
私が例外となった裏付けにはなるだろう、だが同様の立場である、誰にも与しない筈の小悪魔は例に含まれてしまった。
(何より、ここが残っていることの説明がつかない)
そう、この屋敷、つまり私が今足を着くところの紅く紅い館もまた紅い友人の僕なのだ。もし女王蟻の比喩を用いるならば、この屋敷は共に連れて行かれて然るべき存在である。
紅魔館はあくまで手下の一つであり、紅い女王の巣は他ならぬ幻想の郷そのものなのだから。
すう、と外の空気を吸い込んで、私は顔を強く顰めた。
否、逆か。顔を顰めた隙に、口元から空気が吸い込まれてやってきた。
認識の甘さに気付いての渋面である。まさかこれほどとは思わなかった、のだ。
「――」
真上から陽が見下ろす刻限、屋上のテラスで眼下に広がる湖面を見るともなしに見ながら、声さえも封じて静かに耳を澄ますと、此処に於いても無音が聴こえた。
さっさと封を解いて、困ったもの、と愚痴りたい気分になったのは、決して私の短気に因るものではないと思う。
この無音が何を示すのか理解してしまえば、誰だって、と。
誰だって判る。
仮説の結論化?
上等、と静かに心中で啖呵を切った。
ここはもう紅魔館ではない――否。
ここはもう、幻想郷ではない。
では何だと問われても窮する。何故ならば、それを問うた者の知性を疑うより他にすべき事が絶えてしまうからである。幻想郷を知るものならば、この光景を見て判らない道理が無い。誰だって、何だって、である。
近頃の外界に住み暮らした事の無い私には想像するしかないけれど、恐らく外の生き物とて同じ感覚を得るだろう。感覚、つまり発端となる呪い、生命と他の生命を繋ぐ歪で無骨な金属製のワイヤ、全て失う事で生という呪詛から逃れる事の出来るそれを。
何故、ここまで私がその認識に至らずにいたのかと問われれば、たった今まで私は例外だったから、と答えられる。
言い換えるなら、“この館が紅すぎたから”、か。
陽射しも、
それを反射する湖も、
水際に打ち寄せる微かな波も、
地平線代わりの稜線から下も、上も、
全ていつもと同じ景色だった。
ただ一つ、それら全てが全く全うされた同色である、という点に目を瞑れば。
館の紅だけを取り残して、
幻想郷の風景はモノクロに塗り替えられていたのだ。
白んだ景観のように絶句した私は、かつて銀嶺の従者が、ふとした私の質問に、言葉少なに語っていた事を思い出す。
思わず思考した――奇妙な事だが、既にしてこれは習性、私の自由意思ではどうにもならない条件反射である。
巡らすのは、彼女の好きなタネ無しトリック、時空を操る四次元手品について。
十六夜咲夜は割と普通ですけどと言っていたけど、成る程確かにそうなのだろう。
仕切り色の空間、停滞色の時間、・・・灰色の世界。視界全てが白黒に染まって、静寂という名の喧騒だけが喚き散らす、無色無音の平等な環境。タネも仕掛けも見咎められない、滅法便利な奇術の道具、完全無比の『過失暗殺(ライフイズビューティフル)』。
それが彼女の当たり前なのだ。時間が止まって無色など無音など感じられるものか等と、つべこべ言っても仕方が無い。科学の版図は問うまでも無く、宗旨思想も幻想なのだから、せめて納得のいく形に整理するだけでもと思い、その為の書を作って、数冊に分けて纏めた事がある。あの時の珈琲はやや苦みが強かったが、それに気付くのは呑み終えた後だったか、何やら妙に没頭して著したように思う。
どんな内容であったか忘れるでもない、しかしまぁ、後で探して読めば良かろう。
今考えるに相応しいことは――
――反射から意識を引き戻し、灰色の風景を眺める。便利な機能だ、と思いつつ。
宗旨思想も幻想、如何に玄妙な思索を凝らしたところでまぼろしはまぼろし、ただ使うばかりに用いるのみである。諸刃であるのは確かだが、害為す力を多分に有していることもまた、だ。
神経機能の齎す恩恵に感謝し、反復して思考する。
灰色の風景は、彼女の言を取るならばつまり、己と他との繋がりを断つ手段による表面的な結果だ。
彼女におけるそれは時空の操作、現在と自在とを切り離す永遠の刃物が瀟洒至極に舞い踊った風景である。
それを元に考える、ならば。
であれば、と考え、私は悟る。
悟る。
理解する。現象を、少なくとも今見る事の出来る範囲、限られた形に於いて理解する。
そうでない可能性の悉くが、分断され切断され寸断され断裂され断絶され断言されてしまっているのであれば。
これまで平生と受け入れられていた世界を、正常に受け取る事が出来なくなっているのだ、としたら。
おかしくなっているのは私を取り巻く周辺環境ではなく、また周辺に取り込まれた私自身でもなく――
――その二つを繋いで同期させている、即ち感覚という名の関係性。
世界と、そこに実存する私との同一性、世界観という呪いそのもの、なのではないか。
呪わしき接点を失って、私と世界とがかけ離れ、二つの世界に距離が生じる。
それはつまり、今なお世界に存って在る全ての概念と私との距離だ。
遠くなった私からは未だ世界に内包される彼女たちが段々と見えなくなり、遂には消えてなくなる。
スケールとしては巨大な幻想の郷の風景も、遠方の野山のように色を失い、残るのは客観のモノクロ。遠目にも判る館の紅と、それらの相対距離から私の中心地点と読み取れるヴワル魔法図書館を除き、世界の全ては灰色になった。
周囲の全てを失うとは、自分以外に知覚できるものが何一つ無くなるということ。
つまり。
私は無造作に書を放り投げて一言呟いてみる。
「金曜よ」
それは本日を司る私の魔法のキーワードであり、発するだけで世界の様相を一変させる色遊びの小片である。
だが。
ばさりという有り触れた音も立てずに、その本は折り目のついた頁を開けっぱなしにして、屋上の冷たい床に落ちた。
私は一つ頷くと、次に横目で時計塔の短針を睨み、それを逆廻りさせようとして、ぐるりと目を回す。
回ったのは私の視界だけだった。
周囲の全てを失うとはこういうことだ。
筆もカンバスも染料も風景も、何も、無い。
私の魔法は――もう、この世界には届かなくなってしまった。
そして、だとしたら、と悟る。
私にはもう、どうにもならない。
魔法が意味を為さないなどというのはリスクにもならない。
そんな事よりも重大な問題がある。
世界との距離は、今この瞬間もその距離単位を増やしている。
つまり、その内私はこの世界を全く知覚出来なくなる。
伸ばした手は届かず、誰かの叫び声も聴こえない。
さっきまで私が存在していた世界への、一切の干渉が封じられる。
私には、この事態を解決する事が出来ないのだ、と悟る。
何もしない内から何もしない事にするのは嫌いだが、こればかりは致し方も無く。
舞台から下ろされた役者は、楽屋でただ一人台本を読むのみ、だ。
だから私はこの異変の解決を私の能力のみを以って為そうとする事を諦めすごすご奈落へ落ち隠れよう。
確認、そう、正に確たる認識を会得した私は、本を拾って有りもしない埃を払い、ひょいと手摺から身を躍らせた。
灰色の地面が急接近する。
飛び降り自殺という流行の肝試しのように思えるが、これはただの近道だ。
事実、私は魔法も使わず両足を揃えて着地。
落下の反動がえんやらと世界から私へ帰ってくる前に、すたこら走って館に入ることが出来た。
人騒がせな話もあったものだ。
こんな事をしている暇があったら。
** 師走某日 金曜 夕
慣れ親しんだ椅子に腰掛け、書の背を文机の端に乗せ傾けて、分厚いそれに目を落とす。
私のすべき事など、決まりきった上に定まっている。
そもそもからして、これ以上に私が為すべき事など万に一つも存在しない。成すべき事ならいざ知らず。
異変の収拾など、何処かの誰かが付ければいいのだ。何度も何度も私にお鉢が回ってきた偶然は、ただの意地悪な必然運命。主犯になるのも英雄になるのも御免であるから、何もしなくていいというのなら好都合以外の何でもないのだ。
久々に長大な余暇だ。二日、いや三日ぶりか? 数え方によっては四日である。
全くとんでもない年末だな、と月の初めから振り返る間も、目は休みなく字を追い、片手で頁を捲る。
図書館はまだ私の身近にあるようで色も音も失われておらず、私は安心して読書に没頭する事が出来た。
読み飛ばすことなくじっくりと、読み終えた頁をゆっくりとひらめかせ、ぱたり、とそれ以前の頁に重ねる。
自分の窮地を忘れるではないが、急いて読む本に何の面白みがあろう。
そんな風に思いながら、少し考える。
その窮地。
現象は理解できたが、原因及び犯人が全く判らない。既にしてそれらへの手出しは出来ず、考えた所で無駄に終わるかもしれないのだが、だからこそ余計に興味が湧く。
そう、現象ばかりに気を取られていた私は、何物あるいは何者によってそれが為されているのか、または成されてしまったのかという方角についての思考をすっかりと忘れていたのだ。罰すべき疑わしき者が近隣に見当たらなかった所為だが、思い付けなかったのは手落ちと反省することまでも忘れてはならないのである。
第一、このような事態を引き起こせる何者かなど、存在し得るのだろうか、と考える。
形としてすら見える強固な接地面が、確かにあったはずなのだ、私と世界との間には。
七曜、日月火水木金土を兼ね備えた私は、大小問わぬ自然の全てに干渉する、選り取りみどりな七極世界の魔法を使う、混ざり気無し、純度100%の幻想魔女である。
対応する七つの星を有し私から程近いこの世界と私とが、突然に遠くかけ離れたどこかへと切り分けられてしまうというのは、一体どういうことなのか、と考える。
切り離す、そんな事が出来るのは、昨日現れた、いや正確には現れずに姿を消した、境界の紫色ぐらいしか思い当たらないが、私以上の不精者である彼女のような者が、二日続けて何か事を起こそうとするだろうかと考えると不自然の極みであると断じられる。
ならば他に、一体誰が。
いやそれ以前に、どういった手段で――?
明確な答えを出せないまま頁を捲る。
ぱた、という素っ気無い音に顔を上げた。
それ自体は何ということもない、ただ棚に立掛けてあって不安定な素振りを見せていた一冊の本が、とうとう支えを失い横倒れになったという、書庫にありがちな静けさの象徴とでも言うべき音だった。
だが、金属のように冷たくまた柔らかいその音は、奇妙なほどの余韻を私の耳に残す。
時間も、遠くに離れていこうとしているのだろうか。
気付けば天窓から注ぐ昼の陽射しは去っていて、既に五時を回ろうかという程に暮れていると知らせる暗闇が、図書館の奥地にひっそりと居た。
昼から読み始めた本が、百頁も進んでいない。考え事をしていた所為だけでは無いように思える。
世界が流されていた時から、私が外れてしまったか、あるいは流れの速い所に押しやられたかしたのだろう。私がゆっくりなのは常態である。
それでもまだ繋がっていられるという事実に、私は改めてこの世界の広大さ、膨大さ、巨大さを思い知る。少しのありがたみと、大いなるありがた迷惑を感じながら。
(・・・にしても)
その事実を認識した事で、私は内心に少々の焦りが生じ始めているのに気付く。世界との完全な隔絶が近いと知って。
断絶は、そこにある知識を私が得られなくなるという事を意味する。以外の全ては二の次、付け合せの付録に過ぎない。
有り体に、本を読めなくなる。
その事態を齎す異変を、私は解決する事が出来ない。私の魔法は役に立たない。
だから自分の力で解決する事を諦めた。
我が友人は何か言っていたようだけれど、こればかりは私には手の出しようがないのだから。
だが。
私がこの場に居て、いつもの如く貪るように本を読むのは、異変の解決を諦めたからでは、ない。
最悪の事態を諦観し受け入れ、この世との別れに際しせめてもの慰みをと残された時間を住み慣れた場所で過ごそうと思った、などという前向きな絶望とは、まるっきりわけが違う。
私が今此処で本を読んでいる理由は、大きく二つ。
一つは述べたとおり、私が最も為すべきことは、パチュリー・ノーレッジが最優先で行わなければならない事は、図書館に在って全ての蔵書と共に生き只管にただ只管に飽きもせず只管に書を読み読み読み続けるという簡単で単純で純粋で粋狂で狂乱な行動たった一つのみに一までも何時までも終までも始終終始取り組み果て終わる事、である。
そしてもう一つは、少しだけ複雑な経緯から生じる、単純な理由。
レミリア・スカーレット、紅い彼女が、かつて結んだ魔女との契約を果たす為、私の待つこの旧き不動に強襲するまでの間。
暇潰しを、する為だ。
感覚という呪いが解けかかっていても、絆という名のそれは今しも健在である。
それは記憶の中に凝り固まって、既に私の一部と化して、私の在り様を少なからず修正改悪している。
紅い彼女とのそれが作られたのは遠い昔、あの日あの時、この場所で。
友への信頼、不気味で不思議な、脆弱の堅牢。
頼られれば応え、縋り付けば諌め、肩を叩いて笑い合う、不思議に満ちたブギーマジック。
だから必ずやって来る。
世界との距離など関係無い、彼女はそもそも超越者。
盤面から飛び立つのも自由自在にして、着陸地点はいつも紅だ。
傍に居て、互いに互いを認め合う為、もう一度同じ盤面に足を付けさせる為、必ずや、彼女はこの私を助けに来る。
そして彼女が来さえすれば、彼女の強すぎる紅を使って、私自身の独力で、紅い館に帰ることができる。
だから私は本を読むのであり。
そしてだからこそ。
私は今、少しだけの焦りを感じているのである。
まだ、来ないのかと思いながら。
頁を捲り、暇を潰す。
今に来る。きっと来ると信じて。呪いの魔法に操られ、それをすら信じ。
瀟洒な時間を従えて、誰より早い最速の紅は、周回遅れの紫目掛け、一直線に飛んで――
ぃん。
来た。
一瞬届いたその音はほんの僅かな微動だったけれど、何故だか長く後を引く。
視界の何処に見えたのかも判らなくなるほどの瞬間、正しく瞬いたその煌きは、確かに私の閉ざされかけた視聴覚を刺激し、感覚呪詛の蘇りを適切に示す試験光である。
『何かが起こった』という事を知らせる音叉が跳ね踊り、私はそのベクトルを知覚、開きっ放しの天窓へと素早く視線を向け、その何者かの到来を万感と共に見詰める準備を整えた。
私は一切の疑いなく、そこから現れるのは我が友人、幼く紅き悪魔の令嬢であると思い。
「遅いわ、レミィ」
呟いて一つ、無音の世界に吐息を流した。
ばさりと、漆黒よりも紅い翼をマントのように翻す姿を思い浮かべながらである。
天窓の外の無色の中に、一際目立って輝、く?
「んん?」
一際、目立って、輝く――恋色。
世に在るべからず、存在自体が罪悪の、九番目のカラー・リング。
そいつは、
落下の加速度にそれ自体の爆発的な推進力を足し躍動欲に暴れ回る天地無用の巨大な魔力を掛けて掛けて掛けて、
自重を抛り捨て、
自嘲もさり気無く、
自乗に自乗を階乗して、
真っ直ぐ馬鹿みたいに莫迦みたいにどこまでも笑いながら。
紅よりも、夢よりも速く。
私の所へ真っ直ぐに。
自暴自棄とすら思えるものの、誰が来たかは問うべくもなし。
夜の静寂に轟き渡るは、変幻自在、華美の極致の恋色魔術、箒星の大器。
私の自然の枠を越えた、魔空を翔ける二極の掛け橋。
――バカが、降りて来る。
「――ッ!!」
過る認識の的確さに手を叩いて喜ぶ間も無く、そいつの爆心地を瞬きもせずに割り出し、息を呑む。
真っ直ぐに、砂粒が散弾銃になるような殺戮的な勢いで、降りて来る。
直下型のバカだ。
何をしにやって来たのか知らないが、私が微塵に砕ければ着陸地点である所の魔法図書館も同時に消え去り、あの痴れ者も着弾点というブレーキを失って事象地平を穿ち続けるだけの存在になる。
それは奴にしても望む所ではあるまいに、恐らくは何も考えていないのだろう。
私は凡そ間違い無く直後に息切れして苦しみにのた打ち回るであろう事を知った上で、生まれて初めて、自分の足で全身全霊をかけ地面を連打して、走った。
手足の如き魔法を使えず風の一つも操れない今の身では致し方ない、木端となって散るのは御免である。
君子危うきに近寄らずは想像力豊かな者の言葉なのだ、神は要するに誇大創造と被害妄想の塊だったのだと想いながら、私は息を止めて遁走する。あれは何だったか、『爪先の神を蹴っ飛ばせ』とかいうふざけた流行り歌。
なんてどうでもいい事しきりの交錯思考を一切合財ほっぽり無視して遠慮も加減も無く盛大に、擬音化できない爆砕音が、私の背後で暴れ回る。
けどそれを安心と共に迎え入れようとしている自分に気付いて、私は少々の驚きを覚えた。
突然に動いたせいで軋む身体の中に、確かな平穏が鼓動している。
誰でもいいからどうにかしろと思っていたわけではないのに、ただ単純に助かったと思えている事に。
あのモノクロが、それほどの認識を以って私に受け入れられているのだという事に。
あれを友だと仮定できてしまう事に。
驚いている? 驚いているだって?
そうか。
なら、これも――
** 師走某日 金曜 夕
思考し続けるというのも、呪い。
重ね掛け上書き、雪だるま式に重複して、上から順に解こうとしても、天井知らずにゃ届かない。
スタック、スタック、スタッカート。
何にせよこの世のことは大概そういうものである、と諦める事だけは、必須の諦観か。
――と考えると、少しだけ胸が楽になった感覚を覚える。
それでいい。それでいいのだ。
そうやって絶えず自分に言い聞かせていないと、とてもじゃないが、いや、とても、納得できたものではない。
納得できないというのは、自分のその心境に対してである。その心境、つまり、何やら酷く気忙しく、落ち着かない気分、でも、どことなくそれが心地良く感じられて、もどかしさすら楽しい、という不安定さだ。
不安定であるという事は、通常自然であれば当たり前の事。安定は腐敗を、落着は終焉を招くのだから、世は常に揺れ動きゆらめき震え戸惑い浮き沈んでいるべきなのだ。
客観を想定してみれば、私というのは殆どそうやって腐敗していく生き物のように見えるだろう、と判るけれど、事実私は常に変化している。不動であり不老であっても不変ではなく、この図書館の蔵書は時が続く限り無限に増殖しつづける。
続く、それは世界が生きているということだ。親近の情すら覚える。
でも今ここには、そんなあるべき姿を棄ててでも、安寧をこの手にしたいと願う自分が居る。
それほどの震災に、今、私の精神は見舞われている。前後の順が逆転するのを、押し止められず。
何をうろたえる必要があろう。私はパチュリー・ノーレッジ。顕在してより一世紀、0から9の天然自然を複数種類に渡り解し、冠に刻んだ知識の印を、夢幻に回して祖を吸取る、辺境奈落の『中央管制塔(パーティカラー)』、人呼ぶところの一週間。
何を恐れる理由があろう。相手はたかだか十数年、掟破りの例外魔法をただひたすらに走り抜け、瞳に金紗の光を湛え、三千世界を箒で跨ぐ、諸行無常の『爆音脱兎(ライクザスタンピード)』、自称するには普通の少女。
そう。
奴だ。
奴だ。奴だ。
奴だ。奴だ。奴だ。
一つ加えて七回目、奴だ。
こいつだけは来て欲しくないと、漏らす本音の先があればその穴に向けて私は叫ぶだろう。
現れてはならない騒動の先端、幻想郷最悪の人間、の一人。
何かをしようというのでもなく、何処からか降り落ちて、影も残さず消える。
真っ黒な箒星が、私の根城に。
私の目の前に居る。
肩で荒く息をし、真冬に玉のような汗をかいて己が顔を手で煽ぐ、傲岸不遜の恋色魔術。
ふう疲れたおい此処暑いぞ窓を開けろよって無いなそんなのと、晴やかに涼しげにとびっきりに綺麗な笑顔で言った。
窓なら今お前が創ってきたろうにと愚痴ろうにも私の言葉は喉で詰まる。
こいつには、というより本日の訪問者には訊かねばならない事が山ほどあった。
聞くべき事があるのだ。
他の何をするよりも優先されなければならない質問が。本日の異変を解決する為の。
だけど、今の私にはそれらの全てがどうでもよく感じられる。
代わりに私は、言わねばならない言葉が、他の何を捨てても見つけなければならない道が、私の眼前に埋もれてしまって、でも確かにそこにあるという、ことに気付いていた。
それを、ただ一つの正解を、言葉が塵より積もる喉笛という渾名の玩具ケースから振り絞り、取捨して濾過して引っこ抜く。
貴女一体、違う。何をしに、これも没。誰だアンタ、問題外。やぁハニー、何だこれ。
間違えるな落ち着けいやまた間違えた。取り出す道具を間違えた。
落ち着きはそもそも取り乱されずに抱いているから、
少なくともそう錯覚することが瞬時にできるだけは幻想を歩んでいる筈だから、
もっと直接的に、
もっと直列的に、
もっと直感的に、
もっと直情的に、
垂直に正直に直向きに、
一筆書きの迷路のように、
まるで霧雨魔理沙のように。
途切れ途切れの呼吸を止めて、諦めながらに言い切る。
「――バカ。年始参りには早すぎる」
間違えた。
道を間違えた、道具を間違えた。
その落胆が表面に出るのを抑え、逆さに見えるそいつの口が動くのを待たず、取り繕う。
もう何でもいい。
始まりを間違えたのなら、是正できるだけするのみだ。
「今日は何の用?
私の邪魔をしに来たのは確かのようだけど。
それとももう済んでるの、今日は?」
傅く禁書の群れに腰掛けたそいつは、何とも形容しがたい生き物である。
捻くれた、曲りくねった王道とでも言ったものだろうか。
結果的に見れば、その怪しさのベクトルには何ら違えたところもないように思えるのだけれど、紆余曲折に竜頭蛇尾、間に何を挟むかというのは、やはりこいつを語る場合に於いても避けては通れぬ道なのだ。
古式ゆかしいウィッチスタイル、ぼろの箒も持ち合わせたその服装には、何故か綻びたローブではなく、真っ白なエプロンがかかっている。必要以上に大きい黒帽子の裏にはフリルが覗き、その整った相貌と煌く双眸と合わせてみると一風変わった人形のように見えもする。
だがそんな少女趣味とは裏腹に、そいつが吐くのは悪口雑言、挙句の口調が男前と来れば、その変人ぶりを騙る序の口としては十全に過ぎるだろう。
その憎たらしさに、喘息持ちを無理に走らせるんじゃない単細胞と言い捨ててやりたい気持ちも強くあるが、それで事態が元の木阿弥となっては骨折り損、慈悲と共に、精一杯の睥睨をもって替えよう。どちらにせよ正解とは程遠い表現であるし。
仰向けに大の字に倒れて思考する私を差し置き、霧雨魔理沙は笑って喋る。
「残念。全然違うぜ。
っと、何でパチュリーがそんな事知ってるんだ?」
「合ってるわけね。
それより、どうして魔理沙がそんな暇な事してるのかを訊きたい」
「概ね正しいということを除けばまるっきり間違ってるだろ」
「それを除いて正しい時を教えて欲しいくらいに間違ってるわ。
質問に答えて」
「やなこった、と言いたいところだが、それじゃここまで来た意味が無い」
さかしまの霧雨は当たり前のように喋る。
それがどれだけ凄まじい存在感の果てに生まれる行動であるかなど、一片の思案もせずに。
今この場所は世界であって世界でない、本来の立地から遠く離れた衛星のようになっているのに、この異色の魔法使いは、当たり前のように喋る。真空を歩くような無謀と似た風に、世界とは違う場所で世界のように振舞う。虚数も虚空でいられないこの空間で。清浄よりも狭い一瞬の停滞で。
それは世界に実在を依らないということであり、常識から外れた、単一の個であるということだ。
必要に迫られる事無く、執拗に迫り来る侵略者。
何処まで行っても、たった一人の霧雨魔理沙であるということ。
「そら、持ってけ泥棒」
魔理沙が、頭の黒帽子から取り出した何かを、こちらに投げて寄越すのが見えた。
だが私は今の自分の姿勢を思い、両手でそれを受け取ることの無理を悟ると、意識をその物体に集中して片手を掲げる。
私の身振りはそのまま魔法のスウィッチである。放物線を描いていた物体は唐突に重力から離れ、私の手の内に納まった。
何気なくそうしてから気付く。
使えているじゃないか、魔法。
「泥棒猫は貴女。って、金属製の円盤?
何、これ」
「拾得物の来歴なんざ聞きたくもなかったが、残念ながら知ってる。
言うなればパチュリー、それが犯人って奴だよ」
「格好つけてないで日本語を使うといいと思うわ」
「どっこいそれは人だ。それに、犯物なんて言葉は無いだろ?」
「良く判らないけど、どういうこと?
何もかも知ってるなら、洗い浚い吐いた方が楽になるよ」
「楽だぜ。だって、言った通りだ。
付け足すなら・・・それが『今日』だ、ってとこか」
金髪金眼のモノクロマジシャンは嘯いて、私の手にある変てこな物体を指差す。
相も変わらずにやにやと、何が楽しいのかご機嫌も良く、抛っておけば鼻歌の一つも始めようかという面体。
しかし、訝しむべきはその表情でなく言質である。
『今日』。
私が妙な寝過ごし方でもしていなければ、本日は金曜。
それは、明けの空に煌く愛の肖像、宵の空に輝く美の象徴、眺め見下ろす金翼の明け星だ。
私と世界とを繋ぐ、釦の一つ。掛違えても外れてしまっても、それはもう失敗作でしかない。
――あぁ、そうか。
「これが金星。小さいね?」
「コンパクトで良いだろ、森を散歩してたら落ちてたんだ。
何処の何だかは知らないが、拾ってしまえば私のものだからな。
いやあ――星一つ丸々持ってくるのも、中々骨だぜ」
「冗談は置いても、うん、隕鉄か。
性質の悪い冗談でも無いみたい、ね」
「どっちなんだよ」
「冗談でこんなこと言えない。
またとんでもない物を持ち込んだものだわ」
金色の物体を中指でこつこつと叩きながら私は言う。
見た目といい手触りといい、どこを取っても安っぽいアルマイトの皿、それもひょいと投げれば犬が飛びつこうかという。それはフリスビーだけど大方似たような役割だし気にすまい。従者に扱わせるもの。
しかし、私や魔理沙のような魔法屋には判る。
同じ大きさの本と比べて驚くほど軽いこれがただの金属ではなく、唯一つの明星の欠片だということが。
何故こんな所、つまり幻想郷などに、このような出で立ちをして在るのかは判らないが、確かにこれは異質である。
この星には有り得ないダークマター・・・マターも何も、物質そのものの正体をさて置けば金星だと判っているのだけれど。
興味深い材料には違いないが、残念ながらこれをどうこうするわけにはいかないようだ。
私の探究心を妨げるのは、先程まで使えなかった魔法が復活しているという事実。
目の前の黒いのはこれが犯人だと言ったが、嘘だ。
“この隕石は確かに凄まじい幻想の産物であり、また確かに金星の意思が宿っている”。
が、ただの原因でしかない以上、因果を担った犯人は他にいる。
ふと、円盤の裏側に不思議な突起があるのに気付いて、私はそれを摘んで引っ張る。
すると、つるつるで継ぎ目なんて無いように見える表面に一辺の欠けた長方形状の線が入り、かぱ、と軽い音が鳴った。
蓋が開いたのだ。
が、私は中身を覗いた次の瞬間蓋をそっと閉じ、自分の見たものを忘れることに努めた。
びくんびくんと危険そうな痙攣を繰り返す金ぴかの小人なんて、早く夢で整頓してしまわなければ。
私は何も見ていない。
「ほら、人だろ?」
驚きだよなあ意外と小さいもんだぜ金星人、しゃあしゃあとそいつは言う。
そうだ。人の努力を水泡に帰す努力を怠らないのが霧雨魔理沙だった。
私はまたも生まれた新たな諦めを大きな大きな嘆息でもって祝福する。
その嘘だけはホントの嘘だと信じていたのに。
「ええ、人ね。しかもぼろっぼろだわ。
何をどうしたらこんな風になるのよ、魔理沙」
「ん? んー、何で私に聞くんだ?」
「しらばっくれるつもりね。
まぁ別にそれでもいいけど、ところで良心の呵責って言葉は知ってる?」
「おいおい、魔法使いにそんなものあると思ってるのか。
それはお人好しの専売特許だぜ、パチュリー」
「そんなものがあるなんてこれっぽっちも思っちゃいない。
けど、知識の実践を怠ったからこその魔女狩りよ。
嘘を吐くなら、もっとマシな嘘をお勧めするわ。バレバレなんて、奇術でも認められないよ」
「むぅ、手厳しいな、お前は。大体魔女狩りなんて今時流行らないぜ」
「流行らないのは私や七色人形みたいなのがでしゃばらないから。
流行に従うから都会派なのよ、アレは。
貴女は目立ちすぎなんだって、判ってる?」
「目立たないと魔法なんて使ってる意味無いだろ?」
「目立ち方が悪いと言ってるの」
お前そりゃ僻みだと言って魔理沙はむくれてみせるが、それもポーズである。
不遜極まる態度だ。
が、こいつはいつもこんなものであるから私は怒らない。
相手にしたって私のジト目なんて慣れっこだろうから加減無しで睨む。あいこだろう。
森で拾ったなどと、隠すつもりも見えない嘘である。この努力家であることを執拗に隠す隠蔽家が、こんな怪しい物体(人体?)を手放しでひけらかすだなんて、誰が信じるというのだ。動く前に撃つ前に動くような危険な奴が、ただ拾うだけだなんて。
更に言えば、嘘に嘘を重ねるほどこいつは器用ではない。二倍三倍六倍七倍、呪いは術者に帰還する。
こいつは人間だ――良心の呵責は、必ずや発生するのだ。それがどういった形であろうと。
だからこそ私にこの金色を手渡した。この場に持ち込んだ。
これは、そう。
「汚れた星の光で照らされたから、ここまでくすんだ銀色になった。
反省してるみたいだから、それ以上は許してあげるけど?」
「嫌味な奴だな。ってか、失礼だし。誰が汚れてるって?」
「ふん。白状したわね。
鉄槌が欲しいんなら、これはいい材料になるよ」
「止してくれ、そんな質量で叩かれるのは御免だ。
それに、私が悪いわけじゃないぞ。
単にその金ぴかが脆かっただけじゃないか」
「思い切り弱点を突いておいて何言ってるんだか。
お陰で久々に孤独な時間を過ごした」
「そこは感謝してくれるんだろ?」
「馬鹿。危うく永遠が無駄になる所だったのよ」
「ちぇ、贅沢な奴」
最大限のお詫びを隠す、ぺらぺらのメッキ。
「どっちが!」
【金曜よ】
俯いて呟いた私の独白が、ぐゎん、という無音の爆撃となって図書館に広がる。
景色を彩る細やかなピースがパラパラと剥げ、同色のパネルとなって固まっていく。
机や棚や壁や天井の木目が磨り減って単なる茶色へ、積み重なる色とりどりの書物はそれぞれに輝き出した。
ガチガチと金属の軽くぶつかり合う音が絶え間なく続き、視界は純粋な景色へと変わる。
「そりゃ勿論。私だぜ」
その変貌にも慌てず騒がず笑みを崩さず、霧雨魔理沙は星になる。
七色世界の『墜落者』、自然界の色彩とも超越者の混沌とも違う、人間の心にのみ存在する汚れた絵の具。
“原罪(マジック・オブ・ラブ)”。
自覚症状の有無は病状の深刻さとは全くの無関係だというのに――いや、受け答えなどしてやるまい。
【七度 世を照らして伝えて曰く 七度 世を隠して潜めて曰く
智及ばぬ熾火の在り処 己の他に何も見えざるや きらきら 綺羅綺羅と聞こし召す】
構わず世界を塗り替えつづける私に、彗星は口出しするのを止めたようだ。
考え無しに指図なんてされずとも、為すべきことを為すのが私。
私は七色パレットの詩を謡う。
標的は霧雨魔理沙に非ず。
私の魔法があのモノトーンには通じないことなど、シマウマにだって解るというものである。
目標は手の内、歪んで凹んだ輝く星、極限に至った色は絢爛の純白。
【主星に反し土中に紛れ 失せ消え果てど止まざるは
不確かな恍惚と 綺羅びやかな凋落と 実り溢れる炎天の秋水】
何故か。
多分に恨みがましい考えだが、此処にやってきたのが紅でなく黒だったのは、何故か。
盟友や戦友のように深くも重くも暗くも無い、軽くてキレイな間柄である紅い彼女の糸よりも、
どうしてこいつが先に来るのか。いや、来れない理由があるのは判る、それは一体何なのだ?
何故か。
この金色の小人――金星の意思は、遠く離れたこの星に何を目的としてやってきたのか。
飛来直後の疲弊に止めを刺すような真似をされなければ、この金は何かを為そうとして現れたのに相違無い。
その目的は、私の身の回りに起こる厄介事の数々と何か関係があるのだろうか?
もしかするならば――この金星は、私に会いに来たのではないだろうか?
【秘蹟の隠蔽は秘蹟により 隠蔽の隠蔽は隠蔽により
上薬 無機にして有機を飾る温暖を捨て 白く乾いた羽根を捨て
厘と残った僅かな蛇は 神話の呪いに身を捧ぐ】
疑問は尽きないが、それよりも。
確かにここに、金星は生きている。
王星に降り落ちる運命にあった同属の殻を借りて、太白という生命体は今此処に息づいている。
そしてその存在は、限り無く弱っているのだ。白黒の馬鹿者の無思慮によって。
あの阿呆はまるで判っていない。
修飾語を欠いた言葉ほど危険なものは無いのだということを。
上っ面に仮面、裏で相手を嘲笑う性質を知らずに、正面から相手を笑い飛ばす霧雨魔理沙。
バレバレの嘘しか言わない大嘘つきは、誰よりも公明正大に見える。
本当は、その全てが偽りの姿だというのに、だ。
そんな奴の前に現れたのが、この円盤の不運だろう。
愚か者は軽々と箱を開いた。豪奢なテクスチャを破いて捨てたのだ。
輝く表面と押し隠された弱味は、“不思議で不気味な繋がり”、彼女にすればそれがブギー、ブギーでブギーな魔法に見えて、この世に一つの決まりの筈の、不変普遍なルールを信じ、その実態を――暴いた。
それが、金星にとっての致命傷になるとも知らず。
それが、私にとっての頭痛の種となるとも。
金曜。
七つの柱の一つがほぼ九割方崩れ去って、私と世界が乖離し出す。
だがソーラーシステムは完全でなければ0と同じ、柱同士の関係性が連鎖的に異常を来し、系の繋がりは千々に乱れた。
加速度的に区分けされる私と世界。
ただ離れるだけならば緩慢に感じられる筈の時流、それにすら干渉した世界の遠ざかりは、戻り得る亀裂とは段違いの、乱暴で物理的な切断と例えるべきもの。
崩れ去った足元の瓦礫が、自分の頭上から襲い来るような非日常。
歩いていた地面へ小走りに跳ねて背伸びする子供のような非常識。
勝つべき者に負けることの不思議を何ら不思議と思わない非効率。
負け続ける者に助けられ自分の敗北を不意に忘れ去るほど非現実。
喉を通る全てが美味し過ぎて味が判らなくなっても食べる非合法。
さぁ、ルールを正さねばならない。
私は本を読むために、壊れた世界を修復する。
その為に、私は金曜を修復する。
金色の肌に浮かぶ、あってはならない錆び付きを取り除く。
そうした上で、再び塗装。
キレイな世界を取り戻す。
だから私は、七色の海に浮かぶ、あってはならない恋色のトーテムを取り除く。
ここは私しかいない。
こいつはここにいてはいけない。
早く雑多な、七色よりも多くの絵の具が塗りたくられたあの世界に帰らないと、
私はこいつを、無意識に排除してしまうだろう。
それは――避けたい。
そうだ、避けたいのだ。
そうだ、それを言いたかったのだ――さっきも!
【言い触らせ 虚飾】
答えを見つけた私が操るそれは世界を彩るのではなく、全て材料に戻す魔法。
七極世界、ステンドグラスマジック。
「魔理沙。聴こえる?」
「あん?」
今ならば吐き捨てられるだろう、この歪んだ直情を。
喉は私とリンクして、七つに言葉を解体し、私の言うべきクールな台詞に摩り替える。
形は大幅に違うけれども、これは紅い友人と私を結んだあの言葉と同種のものだ。
即ち、他者同士を繋ぐ関係性の魔法、不気味な呪い、ブギー、ブギー。
「――救助ご苦労様。帰ったら、私の紅茶を淹れてあげるわ」
ああ。
言えた。
これが正解のルートだ。
私の表情が見えていたかどうかは判らないけれど――。
その魔法使いは、気さくで奇矯な泥棒猫は、七色世界の異色のままで、
飛び抜けて素敵で素っ気無く、不思議と沈んだ気配を浮かべ、
本当に、楽しそうに愉しそうに。
――にやり、と。
斜めに曲がった口元を、更なる笑みに歪ませて。
「いらね。色々混ざってそうだしな。埃とか」
徒に悪戯っぽく、ウィンクしながらそう言った。
上塗りの嘘はすぐにわかる。意味不明の出鱈目とは違う。
その言葉はつまり、いや、言うまい。
「そう。じゃ、手間が省けるね」
「本が読める?」
「わね。ええ、本当に」
かは、と笑い合う。
そんな何気なさに、最早説明は要らない。その省略の為の関係性だ、大元を辿れば。
既にして、加え過ぎにも程があるのだ。
加算するなら減算せねばなるまい。1は1なのだから。0は0なのだから。
そう。
これ以上の時間は要らない。
だって、とっくの昔にロスタイム。
もう十分に蛇足を描いて。
想像力の翼を付けて。
本日は金曜。
明け方宵の口、地平線から――
【 ― ギルド・ザ・リリー ― 】
キラキラと、眩いばかりの金色が迫り来る。
そうして、黄金の水平と共に。
私の元へ、金曜日が。
帰ってきた。
何が蛇足かといって。
憂鬱な明日、土曜日以上のものはない。
けどそれは、蛇足の有意義を教えることであるから、ああ、もういい。
以下、次曜である。
<ブギーマジックオーケストラ・三 了>
あっとこれは失礼をば、ここは感想欄であり日記はチラシの裏へでした。
さて意思を欲せられておられるとの事ですが、言の葉使いの弄する術は、その事の端すべてを見るまで全てを語らず語れず。 それ故凡俗は事の端のみ己の思いを言葉で述べさせて頂くのが精一杯ですが、何卒脱線ご容赦を。
魔理沙とパチュリーが理想ドンぴしゃの関係ですよ!!
やっぱり智達同士の会話ってのはこうでなくっちゃならんのです!!
さすがはshinsokku様、私が密かに勝手に不遜にも同好の師と仰ぐ御仁であらせられます、いやその演出力や御見事!!天井突き破って落ちてきた星にふるえが止まりません!!
さあ後一日過ごす事で見事その七曜を完する事が出来るかパチュリー・ノーレッジ!!
そういや明の明星って金星だったなあとか訳のわからない感動に打ち震えながら次の土曜までお茶碗たたき続けるであります!!
発熱とか何だかんだが重なりで行けなかったなあ、と後悔すること幾万回。
花映塚を横目に見つつ涙に暮れる日々だったりします。無念。
>――バカが、降りて来る。
まさに魔理沙!(力強く
あと、なにやら悩んでらっしゃるみたいですが……
うーん、本当の所、私は他人に意見できる身ではありません。所詮はまだ右往左往してるだけですからね。
それでも思うのは、やはり「結局は自分が読みたいのを書いてる」ということです。
『読者である自分』を納得させたいために書いている、という部分が確かにあります。
逆に、この『読者』を納得させたら、周囲の評価は関係なくなるのかなあ、とか思ってます。
……まあ、いままで一度だって心底納得してくれたことは無いんですけどね。w
ともあれ、土曜が来る日を楽しみにしてます。
と、個人的嗜好はさておきまして、お待ちしておりました金曜日。この人が出ると途端に物語が途端に瑞々しくなるのは、万有引力よりも確かな法則です、魔理沙さん。ぺんぺん草すら残さぬ一方的一方通行の魔砲ではなく、確かな信頼のあるキャッチボールが素晴らしいことこの上無しです。
しかし、相も変わらずで冴える筆は、衰える所を見せません。卓越せしはこの世界観。見習いたいばかりか、爪の垢を戴きたいくらいです。いや、金星人には笑いました。
しかし、簡単に100点を付けるものでもないと少し反省。かといって確立した基準を覆すわけにもいかず、泣く泣くこの点数です。モニターの前では拍手喝采なので、その点だけは補足させてくださいませ。木曜があまりにも絶品過ぎました。
名残惜しいもので、一巡りも残す所、土曜のみとなってしまいました。待っていれば必ず作品が来るという安寧も、涙を呑んで手放さなければなりません。
そういうわけで、一ファンとしては感慨深い、半年以上にも及ぶこの壮大な綴りも語り弾きも、遂にファンファーレ。
微睡むような、たゆたうような土曜を求めて、いつまでもお待ちしております。