Coolier - 新生・東方創想話

月見酒

2005/05/01 05:53:29
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 血のように紅い赤もあれば、海のように蒼い青もある。


「んー。」
 蟀谷をぐいぐいと押しながら霧雨 魔理沙は目を瞬かせた。ぼんやりとした像が焦点を結び、蒼然たる月がそこに浮かび上がってくる。
 今宵は中秋の名月。例のように例のごとく、有象無象がここ博麗神社に集い、夜会を開いているのである。
 ぎゃあぎゃあと乱痴気騒ぎを繰り広げる妖怪達をざっと目で流しながら、変わらないな、と彼女は小さく漏らした。その胸中には、嬉しいような哀しいような複雑な感情が渦巻いていた。
「それでも世界は回る、か。」
 自分で言ってりゃ世話がないなと、自嘲するように苦笑いを浮かべると、彼女はもう一度頭上に視線を移した。
 『月は血を滾らせる』とは、どこぞの吸血鬼の言。『月は人を狂わせる』とは、どこぞの宇宙人の言。成る程成る程と、彼女は得心した。確かに今日のような月は心を、特に腹の奥底に居座るような深い感情を喚起してくる。『情動』と、そう言うべきであろうか。とにかく、それは彼女にとっては珍しい体験だった。少なくとも、”以前”は感じたことのないものであったのは確かであった。
「あら。」
 間の抜けた声が背中にかけられ、魔理沙は否応無しに現実に引戻された。反射的に声の方向に顔を向ける。そうして、その声の出所を視認すると、安心したのか残念なのかわからない曖昧な顔で「何だ」と漏らした。
「お前か。」
 何てこと無い。声をかけられることは予想外だったが、改めて考えてみれば、そんなことが出来る人物は一人しかいなかった。
「こんばんは、良い月ね。」
 何の変哲も無い普通の挨拶。それでも、それは魔理沙にとっては懐かしく、思わず胸が熱くなるようなものであった。
「ああ。呑まれそうだぜ。」
 魔理沙は相好を崩すと、今宵唯一の話相手、西行寺 幽々子を隣に招いた。

 くいと幽々子が猪口を仰ぐ。月明かりと相まってか、久方ぶりに見る幽々子の横顔は艶やかに見えた。ざわざわと騒ぎ散らしている円居がどこか別世界のようにも感じた。その視線に気づいたのか、幽々子は微笑を浮かべると猪口を突き出してきた。
「いかが?」
「いや、気持ちだけで。」
 そう?と残念そうに小首を傾げると、幽々子は再び猪口を仰った。こくりと小さく鳴る喉をじっと見つめながら、魔理沙はその顔を穏やかに緩ませた。
「お前も、いやお前らも変わんないな。」
「そう見えるかしら?」
 ほんの少し悪戯めいた笑みを浮かべながら、幽々子は猪口を置いた。
「ああ。少なくとも見た目は。」
「中身は?」
「中身もたぶん変わってない……と思うな。」
「あらあら。」
 軽く戯けながら幽々子は視線を宴席に移した。魔理沙も無言でそれに倣う。
 相変わらず場は騒がしい。ところどころ欠けたピースはあるものの、やっぱりそこはいつも通りの宴会であった。
 幽々子は、ふと魔理沙がどんな顔をしているのか気になった。魔理沙に気付かれないようにそっと視線を彼女に向けると、懐かしげに宴席を見つめるその顔を窺った。ほんの少し緩んだ口元以外に、その顔にはそれといった感情は浮かんでいなかった。幽々子は少しだけ胸が痛むのを感じた。
「縁もたけなわね。」
「まったくだぜ。」
「寂しい?」
「どうだろうな、わからん。」
「そっか。」
 それっきり幽々子は口を開かなかった。気にかかることはあるが、この雰囲気は素直に心地良いと感じていたからだ。今日の月にはよく映えると、そんなふうにも思っていた。
「霊夢はどうしてる?」
 雰囲気を壊さないようにと気を使ったかどうかはわからないが、聊か落ち着かせた声色で魔理沙が問いかけてきた。
「床に伏せてるわ。体調が優れないくせに動き回るから。」
 神社の奥に目をやりながら、幽々子は呆れたようにそうこぼした。
 魔理沙は、「へえ」と、好奇心の詰まった目で幽々子と同じように神社の奥を見つめると、
「年寄りの冷や水だ。」
 そう言って楽しそうに声を上げて笑った。
 幽々子はつられるようにして笑うと、「怒るわよ、彼女」と、一応諌めておいた。
「違いない。」
 くっくっと今度は含んだ笑いを浮かべながら、魔理沙は目を擦った
「アリスは?」
「さあ?」
「パチュリーは?」
「さあ?」
「おいおい、しっかりしてくれよ。」
「だって会えないんだから仕方ないじゃない。二人ともずっと引篭もりよ。あれから。」
「あー。」
 ばつが悪そうな顔で魔理沙がポリポリと頬を掻く。
「罪な女ね。」
「茶化すなよ。」
 そう言って魔理沙は視線を幽々子から外した。それ以上言うこともなかったので、幽々子も黙って月を見上げた。
 双方とも口を噤んだまま、須臾の時間が流れた。
「……合う気はない?」
 先に口を開いたのは幽々子であった。
 すぐには返事は返ってこなかった。聞こえていたからだろう。幽々子は静かに答えを待った。しばらくして、
「ああ。」
 と、はっきりした声で魔理沙は言を返してきた。
「そういうのは、何だ。気に食わないんだ。」
 力強くそう付け加えもした。
 幽々子は迷った。どういう顔してやればいいのかわからなかった。だから、
「死人に口なしってことね。」
 一番簡単な言葉で概括した。
「使い方が違う気がするが、まあ、そんなところだ。」
「何か勿体無い。」
 幽々子は率直に思ったままを口にした。
 「ああ」と、諾したのかどうかわからないような返事を返しながら、魔理沙はじっと幽々子を見据えた。
「スマンな。私の我侭だ。」
 その声もはっきりと力強いものであった。幽々子はそれ以上何も言うことができなかった。
 仕方なく魔理沙から視線を外すと、幽々子は話題を変えた。
「ところで。」
「んっ?」
「越してくる気は無い?」
「そっちに?」
「そう。楽しいわよ、宿無しよりかは。」
「宿無し……ねえ。」
 言葉の尻をぼやけさせながら、魔理沙は苦笑いを浮かべた。
「どうする?」
「うん、そうだな。気持ちは嬉しいけど。」
 申し訳なさそうに魔理沙は手を合わせた。
「すまん、やっぱり宿無しのほうが性にあってる。」
「いいわ。別に無理強いするつもりはないし。」
「スマンな。」
 重ねて詫びる。その様子を見ながら、幽々子はフッと微笑んだ。
「らしくないわね。」
「何が?」
「何かすっかり角がとれちゃった感じだわ。淡白。」
「あー。置いてきたのかもな、そういうの。」
「あらあら。」
 くすくすと、鈴を鳴らすように幽々子は笑った。

「さて、と。」
 魔理沙は立ち上がると、スカートの床に面していた部分をぱたぱたと叩いた。
「いくの?」
「ああ。あんまり長居したくないんだ。」
「どうして?」
 魔理沙は黙って空を見上げ、
「今日はこんなにも月が綺麗だから。」
 ぽつりとそうこぼした。
「だから?」
「呑まれてしまいそうなんだ。」
 そう言ってじっと月を見つめ続ける魔理沙の顔を、幽々子はもう一度だけ覗き込んでみた。月明かりのせいだろうか。幽々子はその顔に閑寂のようなものを感じた。
「成る程。」
 小さく頷きながら、幽々子は傍にあった猪口に酒を注ぎ、それを魔理沙の前に突きつけた。
「呑まないって。」
 押し返すようにして魔理沙はそれを手で遮ったが、幽々子はふるふると小さく首を振ると、ゆったりとした動作で月を指差した。
「月見酒よ。」
「えっ?」
 魔理沙が不思議な顔で幽々子を見返すが、その視線を気にも止めず幽々子は猪口を口元に運んだ。
「お酒に月を映しながら仰ぐの。」
 そう言って、くいっとそれを飲み干した。
 そうして空になった猪口の底を再度魔理沙に突きつけると、先ほどから訝しげに自分を見つめ続ける目にそっと微笑みかけた。
「すると、ホラ。月を呑んでるみたい。」
「何だそりゃ。お前は月も平らげるのかよ。」
 呆れたように魔理沙が返す。
「違う違う。今の一杯はあなたのぶんよ。」
「私の?」
「そうよ。どうかしら『呑まれる前に呑んでやった』って気分は?」
 魔理沙は、「あー。」と得心したように頷くと、突然プッと噴出した。
「そうだな。なんか馬鹿らしくなった。」
 それを聞くと幽々子はニコリと微笑んだ。
「そうそう。それでいいのよ。肩の力を抜いて、ね。」
「肩の?」
「そうよ。嬉しいなら嬉しい。哀しいなら哀しい。それでいいのよ。」
「カッコつかないだろ。」
「もう。この子は。」
 やれやれと言った感じで幽々子は立ち上がると、鼻が触れ合うぐらいの距離まで魔理沙に顔を近づけた。
「体面なんて考えてちゃ損よ。楽しくないわ。」
「何だそりゃ。実体験か?」
「そうよ。わかりやすいでしょ。」
「ああ、すごい説得力だ。」
 そうして合わせたように2人で笑った。
「ね?だから来たいと思った時にまた来なさい。」
「来てもすることないんだがな。誰に会うわけでもないし。」
「だ~か~ら。難しく考えない。私”達”はもっと気楽でいいの。」
 そう言いながら、幽々子はポンポンと魔理沙の肩を軽く叩いた。
「待ってるわ、皆で。」
「……んっ。」
 その言葉が予想外のものであったのだろうか、魔理沙は帽子のつばを下に引っ張ると、そのまま顔を伏せた。
「またね、魔理沙。」
「……ああ。」
 その声を聞きながら、幽々子は静かに目を瞑った。消え行く残滓を噛み締めるように。

 そうして雲散するようにして魔理沙の気配は消えた。
『月見酒、美味かったぜ』
 それはどこか遠くから響くような声であった。

「幽々子。」
 神社の奥から凛とした声が響き、幽々子はゆっくりとその声の方向に振り返った。
「あら、お早う。どうしたの急に?」
 声の主は博麗 霊夢であった。相変わらずの紅白の巫女衣装に包まれた彼女の身体はどこか重たげで、引きずるようにしながらこちらに向かって歩みを進めていた。
「んっ、いや。あいつの声がしたから……」
 そこまで言うと、彼女はブルブルと顔を振るった。
「……って馬鹿みたい。そんなはずないのに。疲れてるのかな、私。」
「馬鹿?結構なことじゃない。楽に生きたり死んだりしましょうよ。」
「何よそれ?誰に言ってんのよ。」
 じとりと訝しげな目で幽々子を一瞥すると、霊夢は疲れたように溜息をはいた。
「頭痛くなってきた。寝る。」
 ぺたぺたと、板張りの廊下を歩く音が遠ざかっていくのを聞きながら、幽々子はその小さく丸まった背中に声をかけた。
「ああ。そうそう言伝があったわ。」
 ピタリと霊夢は足を止め、面倒くさそうに後ろを振り返った。
「何?」
「『年寄りの冷や水』だって。」
「はっ?」
 霊夢は鳩が豆鉄砲を喰らったような顔を浮かべていたが、しばらくして「ああ」と頷いた。そうして、幽々子の後に広がる虚空に視線を投げかけると、皺の刻まれた顔を目一杯緩ませながら童女のような笑みを浮かべた。
「『あんたにだけは言われたくなかったわよ』」
 そう言って踵を返すと、再び神社の奥に消えていった。手向けのように右手を掲げながら。

 血のように紅い赤もあれば、海のように蒼い青もある。
 紅い月に酔いしれながら騒ぎ散らすのもいいが、たまには蒼い月に呑まれながら静かに晩酌をするのも悪くはない。

 空の猪口に酒を注ぎ足すと、幽々子はそれを覗き込んだ。
「月見酒。」
 小さくそう呟き、猪口を少し傾ける。中の酒に波紋が広がり、捉えた月が静かに揺らぐ。もう一度軽く傾け、同じよう月の揺らぎを楽しんだ後、緩りとそれを空に掲げた。

「乾杯よ、お嬢さん方。」

end
山も谷もありませんが、これも東方らしいかなと思って書いてみたりしました。
so
[email protected]
http://www.geocities.jp/not_article/
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コメント



0.3780簡易評価
36.60名前が無い程度の能力削除
変わってしまうものと変わらないもの
前者の寂しさと後者の美しさ
バランスの取れた素晴しい作品だと思います
76.80名前が無い程度の能力削除
う~ん、こういう空気好きです。