そして、空は五色の白に染められた。
光は辺りを等しく包み込み、その中にたゆたう五色の魔力は海のように広大で膨大で。
迫り来る弾幕は津波のように激しく、または細波のように緩やかに。
そんな中で、レミリアの姿は弾幕という名の海を泳いでいるようにも、漂っているようにも、または溺れているようにも見えていた。
「くくっ・・・!これしきの・・・・・・攻撃でっ!」
パチュリーも、弾幕も、それを発する魔法陣も、天地を照らす月も、眼下の館も、遥か遠くの景色までも。今度は全てがはっきりと見えているのに、圧倒的な物量が自由な行動を許さない。一旦距離を置かれてしまえば、レミリアの身体能力など何の役にも立たなくなってしまう。
弾の一発一発は決して恐れるほどの物ではない。だがそれが積み重なれば馬鹿にはならないし、ダメージを覚悟で突っ込んでいけば格好の標的に、遠距離から弾幕で応戦しても分厚い弾幕の前に遮られ、大技を使おうとすれば十中八九邪魔が入るだろう。
結局、レミリアはパチュリーの最大奥義とも言える弾幕を避け続けるしかなかった。
赤い弾がレミリアの肩口を掠める。
「パ・・・・パチュリィィィッ・・・・・・・・・・・!」
青い弾がレミリアの翼膜を穿つ。
「いい加減に・・・しなさいっ・・・・・・!」
レミリア程の小さな体でも、完全に抜けきれるほどのすき間はない。
時に身を屈め、羽を折りたたみ、体を捻り、または手で弾を払い落とす。
だが、体術の限りを尽くして回避に臨んでも認識範囲外から飛来する弾がレミリアを襲う。
自分に向かって殺到する全ての弾を捌くのは、レミリアにとっても到底不可能だった。
緑の弾がレミリアの帽子を弾き飛ばす。
「き・・・・吸血鬼を・・・・・・・・・・・」
黄の弾がレミリアの頬を切り裂く。
「なめるんじゃあ・・・・・・・・ないわよ・・・・・・・・・・・・・・・・!」
そして、紫の弾がレミリアの腹を打った。
「っ・・・・・!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
プチン
空気が、しんと鎮まり返った。
たった今、この瞬間も『賢者の石』による弾幕が吹き荒れているというのに、大気には乱れ一つない。
そして大気だけではない。戦闘の余波を受けてざわめいていた庭の木々も、館に大穴を開けくすぶり続けている炎も、復興に追われているメイド達も。皆一様に鎮まり返っていた・・・・・・いや、鎮まらざるをえなかった。
なぜなら、そこには自分達の絶対的な主の悪魔のごとき姿が在るから。
なぜなら、大気ですら萎縮するほどの存在がそこに居るから。
その身を自らの血で汚し、紅き殺意を身に纏い、瞳には深い深い紅を湛え、黄金の月すらも紅く染め上げる幼き悪魔の王。
人呼んでそれを、スカーレットデビル―――
「・・・・・吸血鬼をなめるな・・・・・・・・・・・・・・・この小娘がっ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!」
元々よく通るレミリアの声だが、今は弾幕の中にあるのに一層よく通る。
その言葉の一つ一つ、文字の一つ一つに至るまでもが鋭利な槍のごとく周囲の者の耳に突き刺さり、耳から、そして肌全体から恐怖を植えつけていく。
幻想郷において吸血鬼に逆らおうとする者が少ない理由とされる『種族に対する畏怖』、それは奥底に眠る力を解き放った時の吸血鬼の真の力に対する畏怖に他ならなかった。
「それだけの力を奮った代償・・・・・・しかと、心得ろ・・・・・・・・・・・」
震えを止めた大気から大気へと殺気が伝播し、弾幕の勢いすら削いでしまう。
弾幕を隔てた向こう側にいるパチュリーの姿は、既に弾の影に見え隠れする程度でまともに見えていない。
まだ相変わらずのポーカーフェイスでレミリアを見つめているのだろうか。それとも周りの者と同じく震えを抱いているのだろうか。
だがそんな事は今のレミリアには関係ない。自らの力を解放し、目の前の状況を打破するのみ。
そして、今の吹っ切れた彼女にはそれが出来るだけの力が引き出されていた。
――汝、夜を踏みにじりし者よ
――汝、紅魔に刃向かいし者よ
――夜の真闇に沈むがいい
――紅の深淵を漂うがいい
――我らが力は常世より発し
――現世を呑みて常世に到る
――紅の系譜の先達は 二重八重に重なりて
――継手の紅をも呑み尽くし 全ては紅に還り逝く
ゆっくりと、確実に詠唱が続けられていく。
そうしている間にも五色の魔力弾が容赦なくレミリアを打ち続けているのに、彼女はそれを意にも介さない。
今、彼女の中にあるのは目の前の敵を倒そうという固い意志。そして怒りをも超越した純然たる『紅』の意志。
妖怪の頂点に立つというスカーレットの誇りが、自負が、パチュリーの攻撃に対する怒りを些細なものと笑い飛ばし、ついでに呑み込んでいたのだ。
――そして、全ては紅き彼方へ・・・・・・
――紅符『スカーレットマイスタ』
殺気と妖気が爆発的に膨れ上がった―――弾幕の海の遥か後ろで、パチュリーは周囲の空気を読み取っていた。
『賢者の石』はいわば彼女の最大奥義、その弾幕密度と殺傷力は彼女のスペルカードの中でも群を抜いている。だがその反面、弾幕密度が高すぎるあまり一度発動したら使用者自身も周囲の状況が分からなくなるという欠点があったのだ。
レミリアの魔力の動きを探ろうにも、自身が生み出した弾幕がチャフになってしまい何も分からない。分かる事といえば、突如大気の震えが止まり弾幕のチャフすらものともしない異様な妖気が漂いだしている事・・・それだけだった。
(すごい殺気・・・・・・本気になってるのね、レミィ)
思えば、今夜は満月に限りなく近い夜。何かの弾みで眠れる力が呼び覚まされるという事もありえないわけではなく、現に今のレミリアがそんな状態だ。
本能のままに発せられる殺気はあまりにも暴力的で、力の弱い妖精や人間あたりならその場にいるだけで恐怖ですくみ上がってしまうか精神を喰われ蝕まれてしまう事だろう。
ゆえに、パチュリーも弾幕の後ろで安穏としているわけにはいかなかった。
「行け・・・・我が分身、我が力」
紅魔の殺意、積み重ねられた『紅』の力、ありったけの魔力と妖力。
全てを右手に込め、腕を砲身として放つ。そして薙ぎ払う。
『それ』はいくつかの紅い弾に収束して放たれ、弾幕の海を突き進み、弾幕を呑み、駆逐し、そして全く勢いの衰えぬままその内の一発がパチュリーの魔法陣を一つ呑み込んで消えた。
「やったか・・・・・・・・・だが、まだだ・・・・・!」
五つある魔法陣が一つ消え、単純に考えればパチュリーの弾幕は二割減という事になる。
だがレミリアは眉一つ動かさない。彼女の標的は魔法陣ではなくあくまでパチュリー、魔法陣の一つを潰した程度で余韻に浸っている間などありはしないのだ。
無数の弾幕が体を打ち、掠め、その身はまさにスカーレット(紅色)になりつつあったが気にしない。
この場を埋め尽くしている全ての弾幕を消してパチュリーを打ち倒すべく、レミリアはさらに魔力を収束させて第二波の態勢を取り始めていた。
狙いがそれた弾は思い思いの方向へ飛んで消えた。
ある弾は紅い昇り星となって夜空を駆け上がり、館の壁から廊下からを無に還してしまった物まである。
本気となったレミリアの魔力を収束させた攻撃ともなると、そこに『破壊』という現象は生まれない。
触れた物は崩れ落ちる間もなく等しく消滅・または霧散し、人妖に直撃すれば痛みを感じる間もなく白玉楼の階段を駆け登らされる事は請け合いだ。
第一波の攻撃でも少なくない数のメイドがこの世から消えてなくなったはずである。館の壁に開いた穴から聞こえる悲鳴・怒号が内部の惨状を端的に表していた。
「今度は外さない・・・・・・・・・行け」
先ほどの倍の弾が生成され、より狭い散布域で撃ち出された。
五色の白に染まっていた空は一瞬にして紅に喰い尽くされ、それでも弾幕が消えないのはパチュリーへの直撃弾がないからだろう。
だが残り四つとなった魔法陣も次々に消えていき、空の一角が完全な紅となりそれ以外の色が見えなくなった事を確認するとパチンと指を弾いて弾幕を無に還す。
後に残ったのはわずかな魔力の残滓、相変わらず震えを止め続けている大気、そして新たな傷の一つも見当たらないパチュリーの姿だった。
「・・・・・・・・・・現れたか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
弾幕の海を乗り越えて対峙する二人。だが両者とも感情の類は表に出していない。
レミリアはパチュリーを倒すという強い目的意識のため、そしてパチュリーは元々感情を表に出す方ではなく。
しかし、無表情であればあるほどお互いの胸の内に秘めた想い・策は強く深いという事を二人とも知っていた。
「複合符の連続使用による『賢者の石』への布石・・・・・・私の二番煎じとはいえ、それほどの事をやってのける魔力は流石と言っておく」
「口調まで変わっちゃって・・・・・あなたは『レミィ』?それとも『スカーレット』?」
「・・・・私が『どちら』かなど、どうでもいい事だ・・・・・・・・・・『パチェ』『リー』」
「・・・・『レミィ』と『スカーレット』の記憶が絡み合っているみたいね・・・・・・・・何百年・何千年にも渡り積み重ねられてきた紅の力を記憶・人格と共に我が身に憑ける・・・・・それこそが『スカーレットマイスタ』、確かに物凄い力だったわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
眼光だけで大抵の生物を威圧し、あまつさえ精神を破壊させかねないレミリアの針のような視線を受けているのに、パチュリーは目もそらさずいつもの淡々とした口調で語っていた。
それを挑発と受け取ったか、レミリアの殺気がますます膨れ上がる。
「それが解った所で何だというのだ?切り札の弾幕は破られた、打つ手はあるまい」
「・・・・私の幸運は、あなたがその凄まじいまでの力を弾幕を消す事だけに使ってくれた事。そしてあなたの不幸は、今の私を目の前にして駄目押しをしない事。弾切れかしら?」
「何・・・・・・?」
「お陰でほら・・・・・・・・・・チェック・メイトよ」
突如、パチュリーの目の前に火の玉が生まれた。
新たな弾幕の口火・・・という考えがレミリアの脳内で即座に繋がるが、その火球には予兆もパチュリーの予備動作も何もなかった。
そしてその火球は無から生まれた物ではない。戦いの際にパチュリーが携えていた、立派な魔道書から炎を発していたのだ。
「な・・・・・・・・正気か!?」
「正気も正気、むしろ大真面目よ・・・・・吸血鬼を滅する最大にして最強の武器といえば分かるでしょ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・!・・・・・・・太陽・・・・・・・・・・・・」
思えば不審な所があった。
『賢者の石』の弾幕で動きを封じ視界を遮った状態なら、パチュリーはレミリアを狙い放題だったはずなのだ。
なのにそれをせず、ずっと弾幕の後ろに隠れ続けていた・・・・・・
――三つの複合符が『賢者の石』の為の隠れ蓑だったなら
――『賢者の石』すらも隠れ蓑の一つに過ぎなかった?
――そして私が弾幕にてこずっている間に詠唱を終わらせていたとするなら・・・・・
――次の攻撃もタイムラグはない・・・・・・!?
「ご名答よ、レミィ・・・・・いえ、今のあなたは『レミィ・スカーレット』とでも呼べばいいのかしら」
「っ・・・・・・・たかだか100歳程度の魔女風情がっ・・・・・・・・・・・・・・!」
「年齢の多寡なんて関係ない・・・・・・・言ったでしょ、『魔女の私に騙し合いで戦おうなんて、100年は早い』って」
魔道書を火種とする火球がさらに大きさを増した。今や人の頭よりも大きく膨らみ、表層を炎が蠢く様は小さな太陽を思わせる。
その小さな太陽を頭上に掲げ、パチュリーはまだ顔色一つ変えずにレミリアを見据えていた。
「・・・・・如何なあなたといえども、太陽の光には屈するわよね・・・今度こそ、本当に終わりよ」
――創世の炎に焼き尽くされよ
「させるかっ・・・・・・・・・・・・・!!」
次の攻撃の正体を見抜き、レミリアが前に出る。
パチュリーが仕掛けようとしている攻撃は、間違いなくレミリアにとっては天敵中の天敵。防御も回避も許されず、発動する前に潰すか命を賭けて耐え抜くしかない。
そしてレミリアは、相手の駄目押しを許さず前者を選んだのだ。
――日符
「ちぃぃっ・・・・・・・・・・・!!」
――ロイヤル
レミリアの鋭い爪が弧を描いてパチュリーを襲う。
だが不発、弾けた光がパチュリーの寸前で爪を灼き、白煙と共に無に還す。。
「 ! ・ ・ ・ し ま っ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 」
―― フ レ ア
そして、世界は再び白に染まる―――
いつもと変わらない紅魔館。
あの丸い月も、館がたまに弾幕で崩れたりする所もいつも通り。
いつもと少し違うといえば、破壊の規模が少々・・・・どころかかなり大きいという事。
だが、咲夜なら再び日が昇るまでの間に全てを終わらせてくれているはず。
彼女はそういう類稀な力を持った、紅魔館の頼れる保全係でもあるのだ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・疲れた」
咲夜の完全な仕事に期待し、パチュリーが地に足を付ける。
風に流されているような動きで空を飛ぶ彼女だが、今この時ばかりは本当に風に流されて『落ちて』きたのだ。
既に自分の軽い体を支えるだけの魔力もなく、元々少ない体力は完全にカラ。意識は保てても動く体力すら残っていない。文字通り満身創痍の状態だ。
「・・・・でも、あれならレミィもきっと・・・・・・・・・・・・」
『殺さない』と宣言はしたものの、戦意を喪失するか弾幕能力を完全に失う程度まで攻撃しなければレミリアは何度何十度でも立ち上がってくるだろう。それはすなわち、レミリアに対しては完膚無きまでに打ちのめさなければ勝鬨を上げる事は許されないという事なのだ。
だから、持てる弾幕の全てを振り絞った。後先を考えず、ただレミリアに勝つ事だけを考えた。
そして今。『スカーレット』の力を憑けたレミリアを出し抜き、パチュリーはこうしてここにいる。
最早それだけでも勝利と言って差し支えなく、幻想郷内では霊夢・魔理沙に次ぐ大快挙なのだ。
「そういえば・・・・・・・・・なんでレミィと戦ってたんだっけ・・・・?」
ほんの少し前に交わした会話を思い出す・・・・・・・・・・・・・・・
咲夜の猫度の話。
犬か、猫か。
レミリアか、パチュリーか。
まるで子どもの言い争い・・・・・・
「・・・・・馬鹿みたい」
思い出した末に出てきた言葉がこれだ。自分の事とはいえ容赦ない。
だが、勝ったという事はレミリアに対し自分の言い分を通せるという事なのだ。
その事を思い返すとほんの少しだけ体に力が灯り、引きずるようにだがなんとか体を動かす事もできる。
「あとで・・・・・・レミィを探してもらわないと」
場を埋め尽くす殺気と魔力が消えたお陰か、すっぽり開いた壁穴や館の玄関からメイド達が出てくるのがちらほら見える。
自分の介抱とレミリアの捜索は彼女達に任せよう・・・・・・今はただひたすら眠ろう・・・・・・
パチュリーにはおよそ似つかわしくない、安堵の笑みが浮かんでいた。
「・・・・・・チェック・メイト」
「!!?」
凍りつくような声が背後から聞こえた。
この状況で、パチュリーの『背後から』声をかけられる人物となると相当限られてくる。
そしてこの声は、最初に思いついた咲夜よりも随分高く幼い感じを与えていた。
そう。
パチュリーに倒されてどこかに消えたと思っていたレミリアその人の声だったのだ。
「呆れた・・・・・・・・どこまでタフにできてるのかしら」
心底疲れきった表情を見せながらも口調だけは変わらないパチュリー。だが、今の彼女は指一本動かす事もできなかった。
首筋の、ちょうど頚動脈の辺りから感じる細い感触。レミリアの指が・・・いや、手刀がパチュリーの首に触れているのだ。
抵抗どころか振り向こうとしただけでも刀の切れ味を誇る手刀はパチュリーの頚動脈を瞬時に掻っ切ってしまうかも知れないし、もしかしたら勢い余って首まで落としてしまうかも知れない。
勝利を確信した直後にそんなバッドエンドを迎えるのは真っ平御免と、せめてパチュリーは言葉でレミリアに抵抗する事しかできなかった。
「・・・・身を護る事に力を殆ど使い果たしてしまって・・・・・・それでも爪が少し灼けた。お陰で深爪よ、パチェ」
「・・・・・・・・・・・・・レミィ?」
「・・・まあ、あの時は顔も見た事ないご先祖様たちが私の精神まで乗っ取ろうとして下さったみたいだけど?」
レミリアの言葉に、先ほど感じた威圧感は全く感じられなかった。
今の彼女はいつも通りの、奔放でわがままなお嬢様の言葉遣いだ。
『力を使い果たした』という事で、『スカーレット』の力と共に人格も消滅したという所だろう。
「きっと『あの時の私』も言ってたと思うけど、一応言わせてもらうわ。合体技の連続使用から『賢者の石』へのコンボ、流石はパチェね・・・・・・でも」
「ええ・・・・・もう魔力も体力も打ち止め。どうしたものかしら」
「惜しかったわね。昨日戦ってたらあなたの勝ちだったかも知れないのに」
「明日戦ってたら10秒も持たなかったかも?」
「ま、そんなトコかしら」
突きつけられた手刀に力はこもっていない。
レミリアは吸血鬼だが、戦意のない者を容赦なく叩き潰すほど鬼でもない。
この手刀を突きつけるという行為は勝負の結末を報せ無言で相手に降伏を迫る、いわば『形だけのチェック・メイト』なのだ。
パチュリーほど理解の早い者ならば早々に悟り、レミリアの言いなりにでも食糧にでも何でもなるだろう。
「あなたには葡萄じゃなくてウナギが足りないわね」
「ご助言、痛み入るわ」
「今回は少しだけ焦ったけど・・・・・・もし今度があったらこうはいかない」
「はいはい・・・・・・・・・・・・・・・まぁ、レミィを本気にさせる事ができたんだからそれで満足するべきかしら?・・・っと」
言いながら、パチュリーの足元は既におぼつかなくなってきていた。
二、三歩たたらを踏み、手刀の拘束をも振り切って体が引力に従ってしまう。
そして地面をキスをしてしまう直前・・・レミリアの腕が、パチュリーを支えていた。
「・・・っとぉ・・・・・・・・大丈夫、パチェ?」
「ん・・・・・少し疲れただけ」
「少しどころじゃないでしょ・・・・・・仕方ない、少しだけお姫様してなさい」
ふわりと体が宙に浮く。レミリアが、自分より大きいパチュリーの体を抱え上げたのだ。
「きゃっ!?」
「よっ・・・・・今日だけよ、私がこんな事するの・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・じゃあお言葉に甘えて・・・・・・・・・・お休み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・レミィ」
「・・・・・・・・お休み、パチェ」
夜更かししてまで戦いに臨み、傷を負いつつも力を振り絞り、そして今は張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れて。
静かに瞼を閉じ、パチュリーは己の身を全てレミリアに預けて夢の中へ旅立ってしまった。
先ほどまで殺し合いとも受け取れそうな戦いを演じていた相手の安らかな寝顔を見て、レミリアの表情が和らぐ。
今の彼女は、400年も年上の小さな小さなお姉さんなのだ。
「貴女に敬意を表して・・・・・・パチェ、少しだけ折れてあげる・・・・・・・・・・・・・・・」
自分より大きな体をしっかりと支え、レミリアは月明かりに導かれそれほど遠くもない家路を一歩踏み出した。
「いやあああああああああああああああああああああああああ!!!!」
次の夜、即ち満月の夜。
紅魔館は何事もなかったかのように元の佇まいを取り戻し、メイド達も少し数が減った事を除けば
全員傷一つない体に戻っていた。全ては咲夜の時空間干渉能力の賜物だ。
そして今夜は、パチュリーの金切り声が紅魔館中に響き渡っていた。
感情を露にする事が殆どない彼女が、館中に響き渡るほどの悲鳴を上げる事は今まで一度もない。
だから、何事かとメイド達は我先にとパチュリーのいる図書館を目指す。
「ちょっ・・・・・ちょっとレミィ!?何なのこれッ!?」
「あら、なかなか似合ってるわよ」
「そういう問題じゃなくて・・・・・・・・・・なんで私に『こんな物』が付いてるの!?」
日頃感情の起伏が小さい事の反動か、パチュリーの声がよく響く。
だが彼女が激昂するのも無理はない。お決まりの帽子には犬を模したふさふさの付け耳が、服の腰の部分からはやはり犬を模した白い尾が生えているのだ。
「昨日の勝負、私が勝ったわよね?でも、あなたの健闘を最大限評価してあげようと思ったの」
「・・・・・・それとこの格好と何の関係があるのよ」
「『咲夜には猫度が足りない』・・・あなたがこう言ってたから、あなたの意見を尊重する事にしたのよ」
「・・・・ちょっと待って。じゃあ咲夜は・・・・・・・・・・・・・・・」
「ええ、 立 派 な 猫 に な っ た わ 」
レミリアがポンポンと手を叩くと、物陰から咲夜が姿を現す。そしてその姿を見てパチュリーの顔が固まった。
着ているのはいつものメイド服だが、白いメイドカチューシャには猫を模したような黒い付け耳が。そしてメイド服の腰の部分にはしなやかな黒い尾、両手には肉球を模した手袋まで付けている。
その表情は猛烈に恥ずかしそうだがどこか諦めた感じで、頬を赤らめてもじもじとしている始末。これが完全で瀟洒な従者だとは、パチュリーには到底思えなかった。
「・・・・・・・・ぅぁ、咲夜・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「霊夢や魔理沙は『咲夜はゴールデンレトリバーやシベリアンハスキーの方が似合う』って言うんだけどね、猫もなかなかどうして似合ってると思わない?」
「ノーコメントでお願い・・・・・・で、それでどうして私が犬にならなきゃならないの」
「咲夜はあなたの主張を通して猫になってもらったけど、今度は私の主張を通す所がなくなっちゃったのよ。だから、あなたが疲れて眠ってる間に付けさせてもらったの」
「・・・・犬だったら、外にいるじゃない。アレじゃ駄目なの?」
「それじゃ駄目なの」
チッチッチ、と人差し指の振り子を作ってレミリアがパチュリーの言葉を否定する。
「古来より、『カフェオレにクリープ』という格言があるそうよ」
(意味が分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ッ)
「それに、あなたの『それ』はパピヨンをイメージしてるんだけど、結構かわいいわよ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・もうどうにでもして」
レミリアの言動が、時に館の全ての住人の想定を斜め上に上回る事はパチュリーも承知している。
だが館の主人である事と圧倒的な実力を持っている事を踏まえると逆らうに逆らえない。その場の空気に流されて相槌を打つのが関の山だ。
ましてや半病人に近い状態の今のパチュリーの事、この場は流れに身を任せてレミリアが飽きるのを待つ事しかできなかった。
「あ、そうそうパチェ」
「・・・・・今度は何?」
「まだやり残してた事があったのよ」
そう言って取り出したのは名札付きの薄桃色の首輪。ご丁寧に『ぱちぇ』と名前まで書いてある。
「愛玩用とはいえ、犬の必需品だもの。これもきっと似合うと思うわ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・丁重にお断り」
「させない」
笑顔のままレミリアが迫る。
パチュリーからしてみれば嬉々として、というより狂気に染まって、だ。むしろそのようにしか見えない。
そして今の彼女にはレミリアに抵抗するだけの体力がない。
「さ、パチェ・・・・・・・・これを付けたらうんと可愛がってあげる」
「やーーーーーーーーーーーーーーめーーーーーーーーーーーーーーーーーてーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
窓ガラスや本が震えるほどの絶叫が図書館から放たれたが、その真相はごくごく一部の住人しか知らない・・・
(end)
圧倒的なボリューム、知恵の掛け合いから結末まで息つく間もないハイテンション。
パチェの健闘にはくしゅ
ふたりのかっこよさにもドキドキさせていただきました。
あ、あとレミリアさまにうんと可愛がられてしまうわんこパチュリーのその後にもドキドキw