或る少女のための人形劇
幻想郷の魔法の森。鬱蒼と木々が生い茂るその中にあって、日中、陽の光を妨げぬ程度に開けた場所に、一人の魔法使いが住んでいます。彼女の名前はアリス・マーガトロイド。人形を操ることに長け、手先の器用さは抜群の、容貌美麗なレディーです。
そんな彼女は辺境にあっても、孤高にして清澄を尊び、どこかクールで都会的優美さを良しとし、余り積極的に世人と交わろうとはしませんでしたが、ある縁から人里の先生に請われ、子供達に人形劇を演じるようになりました。
想像してみてください。
才気抜群の令嬢が、目に鮮やかで稀有なる異国の人形達を、我が意のままに操る様を。
この日彼女は、黒のシルクサテンに、シダ模様が描かれたバッフルスタイルのツーピースドレスを着ていました。これは栄光のヴィクトリアンを思わせる意匠です。肌の露出はまるでなく、色も確かに目立たぬようにしていますが、薄い組み紐のフリルは幾重にも重ねられ、細妙な趣向に気がつかぬものはありませんから、まるで地味なことはありません。黒のケープに施された、白と金の刺繍が見事です。が、それもつとめて襟とサイドに施されているのですから、慎ましやかで上品なことはこの上もありません。首筋の僅かにしか見えない純潔の肌が、如何にも尊く美しいのは、彼女のために一大清福をもたらしています。ジェットティアラが金髪の彼女にはよく映えていて、見目麗しい限りです。そうして驚くべきは、人形を操る、その長く細い端正な十の指に、色彩やかな糸操いのローマン・モザイク・リングがはめられていることです。二万色以上のガラス片によって生命の息吹を与えられたローマン・モザイクが人類の至宝であるならば、アリス・マーガトロイドの、その美しい指の一つ一つも至宝に違い有りません。それによって繰り広げられる、人越の奥義。愛くるしい人形たちが、舞、躍ります。そうして、その劇にあわせて、響く美声は鈴の音を奏でるのです。
それはもう、宝具と呼ぶべきオルゴールが、其処に開かれたのでありました。
実のところ彼女は、はじめ先生の依頼を受けたのも、社交場の必要からそうしたのだという気持ちが半ばあったのです。決して嫌とは思いませんでしたが、さりとて積極的に交わり、何度も人形劇を里へ赴いて披露する気もありませんでした。
ですが、いざ劇を終えてみると、子供たちの満賛の拍手が向けられるのですから、決して悪い気持ちはしません。純粋で偽りの無い喜びの声をかけられて、どこか彼女の人形たちも誇らしげに見えます。どれほどお洒落をさせてあげて、どれほど可愛がってあげても、こんなに嬉しそうな表情はしませんでした。人形を一番の友として生きる彼女だからこそ、人形たちの気持ちには敏く、またこれを大切に思うのです。彼女はまた、彼女の人形たちに、陽の光を当ててあげようと思いました。こういった経緯があって、彼女はお祭りで人形劇を披露したりするようにもなったのです。
さて、こうして何度も何度も子供たちと接するうちに、彼女の中にあった、やや尖った性格が段々と丸みを帯びて生きます。元来心優しい彼女だからこそ、人形を愛し、それを友として生きる道を選んだのです。それが長い研鑽の時代を通じて、築いた汗と涙の跡が自尊心となり、容易には他人と馴れ合わない、そういった性格を作り上げたのです。
ですが、それも今思えば、臆病な自尊心だったのかも知れません。
結局のところ、人と触れ合うことで過去の彼女が否定されるのを恐れ、一人辺境に居を構え、物言わず、また逆らわぬ人形ばかりと接して、受動的な生活を送っていたようにも見えるのです。
子供たちの率直な言葉は、時に彼女を喜ばせ、また困惑させ、残念に思うときもありますが、それが次の活力となり、彼女の技術も多いに高まりました。かつて彼女は、頭の中に作りたい人形の設計図があり、それに従って人形を作っていましたが、今では人形を作る一つ一つの素材が彼女に語りかけ、どういった形に作って欲しいかをお願いしているように感じるようにまでなりました。
或る日、こんなことがありました。
湖の近くを散策していると、氷の妖精が、大きな大きな氷を作って、大得意になって、自慢しています。それを見てアリスは、糸操いの指輪を取り出し、指にはめ、ピアノを弾くかのように優雅に指を躍らせます。すると、鋭い糸が真空の刃になって、段々とその氷を削って、見る見る間に形を作るのです。そうして、三十分もすると、あっと驚く、氷の彫刻が出来上がりました。それは、氷の女神が舞い降りたかのように美麗な出来栄えでしたから、その辺りに住む妖精や妖怪などは、一人としてこの氷の女神を見に来ないものはないほどでした。
また、或る日、こんなことがありました。
紅魔館の当主から、妹のために人形劇を披露してあげて欲しいとの依頼がありました。その妹は、一人で部屋にこもって、たいそうたくさんの御本を読んだものですから、もうどんな御本を読んであげても、妹は満足しなくなったとのことなのです。ですから新たな娯楽として、当主はアリスに人形劇をお願いしたのです。
アリスは、二つ返事で良しとしました。
彼女には里の子供たちに何度も劇を披露して、喝采を受けた自信があります。是非ともこの強敵を喜ばせてやろうと意気込みました。少し前の彼女では考えられないくらいに積極的です。
しかし彼女の劇は、全て西洋の物語で、それはきっと、紅魔館の妹さんが既に知っている物語だと思いました。ですから、彼女は題材を日本に求めることにしました。しかも出来るだけ書物によらず、口頭伝承による物語を集め、創作をしようと考えたのです。
そうして、しばらく彼女は題材集めの旅に出ました。
里の先生からは、幻想郷であった様々な昔話を聞きました。
妖怪の山に行って、河童からは河童の悪戯の失敗譚を、天狗からは天狗と人の交流譚を聞きました。また神社に行って外の世界に伝わるお話も聞きました。
天界へ行くと、龍宮の使いが海の者達のことを話してくれました。海人たちは本当に悲しいときにしか泣けず、そうしてその涙は宝石になるのだそうです。また、人魚の肉は不老長寿の妙薬になるそうです。幻想郷の者は海のことを知りませんから、これは大変面白いと思いました。
そうして帰る途中、小さくて大きな鬼に出会いました。彼女は地底に住んでいたので、地底の話をいっぱいしてくれました。また鬼が島の様子を詳細に教えてくれました。鬼が島には富士山より高い山が幾つも幾つも連なっているそうです。そんな島が日本にあるわけがない、酔っ払いの冗談だとも思いましたが、面白い話ではあったのでそれとして聞いておきました。桃太郎のお話も、鬼から見れば卑怯千万な人間のお話になりますから、これもまた大変面白くありました。
最後に八雲の家を訪ね、猫のお話、狐のお話、そうして境界の神様であるクナドサヘノカミや、結界の神様であるヤチマタノマツリノミチアヘマツリノカミのお話を聞きました。
色々な人から聞いたお話は、滑稽なお話、悲しいお話、残酷なお話、どれもこれも異郷人のアリスにはちょっと難しいところがありましたが、それでも丁寧に教えてもらって、彼女なりに理解することが出来ました。
そうして家にかえって、台本を作り、お人形を作り、練習をして、いざ約束の日を迎えました。人形劇の準備をして家を出ますと、お空は真っ暗です。空はきわまりなきほどに深く、その中に巨大な星座が輝いています。永劫の広漠と評すべき深い闇夜です。しかしアリスは、その闇夜に、深い深い闇に、深遠なる無窮を感じました。お洒落なドレスを翻して、人形遣いの少女は闇夜を舞台に踊って見せます。
「デモンストレーションには、丁度良いわね」
余裕綽々、程よい緊張感で以て、アリスは紅魔館へと到着しました。
さて、お屋敷の中に入ると、そこにはたくさんの顔見知りがお洒落をして待っていました。
その中に一人、見たことの無い少女が、かわいらしいピンクのワンピースを着て、お洒落をして待っていました。その目には、見知らぬ人を見た子供の好奇に満ちた表情と、はにかんで近寄れないときの照れた表情とが見て取れました。またつとめて人の影に隠れようとする様からは、警戒して誰かと真っ直ぐにはおられない性格なのが分かります。どれも里の子供たちが見せてくれたものと変わりません。ただ、それが一人の中に全部詰め込まれているので、なるほど、面白いなぁ、かわいいなぁっとアリスは思いました。
さて、ゲストが皆揃いました。
アリスは準備を済ませると、お気に入りの上海人形と一緒にステージの上に昇ります。何時もは主役をやってくれる彼女も、今日はお手伝いさんとしてアリスを助ける役です。
そうしてゲストの前に立つと、二人で上品にお辞儀をして、いよいよ舞台開演となります。
皆さん、想像してみてください。
才気抜群の令嬢が、目に鮮やかで稀有なる異国の人形達を、我が意のままに操る様を。
この日彼女は、淡いクリーム色のシルクサテンのドレスを着ていました。リボンが蝶結びになって、ウエストの正面、おへその辺りにあしらわれています。蝶結びのリボンから、肩口にかけてフリルがあしらわれているのは、お洒落ですがなんとも上品で厭味がありません。袖口と襟元にも、二段のフリルがあしらわれています。裾がフリルではなく、三段のリボンでアクセントをつけているところなどは、あくまで主役が誰かを弁えていて、心憎い限りです。ウェディングを思わせるオレンジ・ブラッサム・ヘアーオーナメントが、彼女の清らかさを強調しています。香水はオレンジで、甘い香りが漂ってくるかのようです。そうして、彼女の細長く整った十の指が、極彩のローマン・モザイク・リングを纏って翻っています。二万色以上のガラス片がバックライトとなって、今日の主役の人形たちを彩ります。新しく生命の息吹を与えられた和の人形たちは、優しいお姉さんたちに祝福されながら、その晴れ舞台を飾ったのでした。
それが、フランドール・スカーレットの目にはどう映ったでしょうか?
アリス・マーガトロイドは、その輝く感動を、見る間でもなく分かっていたのです。
けど、段差でずっこけました。
最初のうちは完全な第三者目線のようですが、次第にアリスに近いところで感情描写などがされるようになって、なんだか違和感がありました。
例えば、最初の違和感は
>結局のところ、人と触れ合うことで過去の自分が否定されるのを恐れ、一人辺境に居を構え、物言わず、また逆らわぬ人形ばかりと接して、受動的な生活を送っていたようにも思えるのです。
の部分ですが、これはアリスの視点で語っているように見えました。完全な三人称のつもりで見ていたので、急に物語から放り出された気がしました。
とりあえず、完全な第三者視点の部分とそうでない文章を混ぜないか、あるいは切り離して見れるように工夫が欲しかったです。具体的に一つ挙げますが、最後の『そうして、準備を済ますと、いよいよ開演となります。』は上の章に形を変えるなりして入れておいてくれたほうが個人的にマシだと思いました。
文章の作り方など大して知らない者ですが、違和感があったということだけ一方的に報告させてもらいます。
最初読んだとき、アリスの思考が文章に混ざっていて、全体がアリスの痛い妄想みたいで、すごく嫌でした。
でもあとがきは余計かも
それときわめて物語性が希薄なのも意図的にした結果でしょうか? 大体こういった作品はもっと物語性を持たせるのがセオリーだと勝手に思っていますが、それをあえて破ったのだとすれば残念ながらそこまでの真新しい発見は出来ませんでした。
あと最後にこの作品はきちんと推敲されましたか?
応募用の原稿執筆で忙しいのは分かりますが生半可な作品を投稿されて批評を求めても、こちらもやはり生半可な批評しかし得ませんよ。
描写がゴテゴテしてますが、さりとてキラキラ光っていて、あまり苦にはなりませんでした
アリスが各地を回る様子も、浮かぶようでした
惜しむらくは、話としては盛り上がることなく終わったこと
これはこの長さだからこそこのオチでいけましたが、全てを細かくした長編にもできると感じました
ただあとがきは蛇足というか、折角のいい気分がぶち壊されますね
あとたぶん誤字報告
意匠→衣装かな?
流れ的には意匠ともとれなくはないから何とも言えないけど
0.鬱蒼と茂る魔法の森の奥に、人形を操ることに長けた、容貌美麗な魔法使いがいた。
1.アリスが里で人形劇を演じるようになる。
2.里の人と接していくにつれてアリスの人柄が丸くなる。
3.紅魔館から依頼を受けて人形劇の披露をすることに。
4.題材を集めるために幻想郷を旅する。
この作品の概要をまとめると上記のようになると思います。
それで、番号で言うと2の部分で、
>>彼女の中にあった、やや尖った性格が段々と丸みを帯びていきます。
アリスの物語なのですから、内心の問題と変化は2より前に説明するべきかなと思いました。
あと、番号の2と3の間で、
>>或る日、こんなことがありました。
ここで氷妖精のエピソードが入り、
>>また、或る日、こんなことがありました。
ここから紅魔館のエピソードが始まります。
そして題材集めをし、アリスの形容を描写して終わり。
はたして作中で作者様は何を語りたかったのでしょう。
余計かも知れませんが、たとえば、私だったら
0.アリス「人と接する時間がもったいない。引きこもって研究している方がマシ」
1.アリスは自立思考する人形の研究に執着している→何かが足りなく中々進まない。
2.ある日人里の賢者から人形劇の依頼を受ける
3.糸の本数を減らした試作品のテストを兼ねて、了承
4.里の人と接していくにつれてアリスの角が取れる。
5.里から口コミで郷に広がり、アリス大忙し
(鬼に桃太郎の人形劇をやったら、全く違うと怒られる)
(実はレティと雪女は友達だった)
(実はおじいさんに聞き耳頭巾をあげたのは藍の友人だった)
6.人形劇が一段落、帰宅すると1で書きかけていた計算式が目に入る。
7.「人を認める心」を計算式に付け加えて就寝
とても基本的な手法ですが、このように原点回帰させた方が良いんじゃないかなぁと。
今回は徹底して普通の物語ですが、まだ構成が甘いなあと、それが正直な感想でございます
アリスの描写が美人でお洒落だったのでこの点数で。くんかくんか。
では、次回作に期待しております。
事件が起きなければ物語にならないということはありませんし、日常の些細なことにだって物語を見出すことができる。
作者さんはどちらかというとそういう素朴で、非ハリウッド的(というと語弊があるかもしれませんが)なものを好まれているのかもしれません。
色んな意見があるかとは思いますが、私はこういう作品は好きです。
個人的には拙い絵で描かれた紙芝居であろうと、心が動けばオールオッケーなんですが。
作品タイトルがちょっと気になりますね。
〝或る少女〟がアリスを指しているなら納得。フランちゃんなら違和感。
後書きでの主張は歓迎。こういった、ある種の隙ともいえる人間臭さは好ましいです。
本文や後書きからこぼれる書き手の思考を色々想像するのも楽しいので。邪道かもしれませんけどね。
>社交場の必要からそうしたのだという気持ちが→社交上? アリスが人里に社交場を持つ必要性を感じているという意?
>やや尖った性格が段々と丸みを帯びて生きます→帯びていきます
>それが次の活力となり、彼女の技術も多いに高まりました→大いに
起伏を抑えた淡々とした描写のなかに想像を遊ばせてもらえます。
これこそが雲井さんの作風なのだと勝手に一人決めしているのですが、
SSとは物語を語るばかりのものではないのだなあとか思わせてもらいました。
丁寧な文体が不思議と安堵感を湧かせてくれました
面白かったです
淡々としていて、でも脳裏に美しく投写される彼女たちの一幕。
とても素敵でした。
信じてそうなアリスだね。
でも、嫌いじゃないよ。
ただ、何をどうしたのか、というアリスの凄さがこちらに伝わってこないんだよね。
アリスの容姿や衣装、人形の素晴らしさにはかなり力を入れて書いてるんだけど、
そのアリスと人形が行った人形劇が素晴らしくないはずはない、として具体的に
どういう劇を行ったのかが書かれてないから、本当に素晴らしい人形劇だったの
かがわからない。
綺麗で完璧なアリスを書きたいのなら、その部分もきっちり書き込んだらどうか
な、とか思った。
文章の技術でいえば100点なのですが、描写の濃さゆえにお話としては淡白さを感じてしまいました。
加えて作者が自分の作品について語るのはいかがなものかと(雲井氏の信条、スタイルであろうことは重々理解しております)。
でもアリスは美人でお洒落だから、描写に凝るのも仕方ないですよね。
でも、もっと感動巨編にしてくれると嬉しいな
次作に期待だ