Coolier - 新生・東方創想話

雪梅

2011/02/26 01:39:31
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 1

「霊夢さん、綺麗になりましたね」

 恥ずかしげの無い早苗の言葉に、霊夢は恥ずかしそうに俯いた。
 それを見ると、早苗は心が一杯になってしまう。その瞬間、他には何もいらないように思えた。
 霊夢の口ごもった様子を面白がって、早苗は霊夢の横顔をまじまじと見つめる。

「もう、やめてよ」
「見ていて、飽きないです」
「なによそれ」

 博麗神社の本殿の裏手に、幾つかの社があった。
 参道沿いの手水舎の脇から逸れると、装い静かな庭園が佇んでおり、通り抜けると森が広がった。
 その社叢の中に小さな社がある。
 少し離れた所に、こじんまりとした池があった。
 ほとりの大岩に霊夢と早苗の二人は腰掛けていた。
 社叢の殆どはコナラであり、クヌギである。稀にイヌシデが見られたけれど、皆葉を落とし、寒々とした様子である。
 二人のいる池のほとりからは、社叢の木々の枝の隙間から、庭園の梅の樹が見えた。
 花を咲かせている。
 落葉樹の隙間から見えるその風景は、不揃いの額縁を宛がわれた絵画のようだった。
 早苗はその不揃いさが好きだった。何一つ同じ風景が無い事。それを構成する物質でさえ何一つ同じで無い事。
 それに満足を覚えた。
 だから彼女は、なんの躊躇いも無く、選り好みをする。
 あるところから見た風景が閑散として詰まらなかったら、それに心底落胆した。
 あるところから見た風景が堪らなく素敵だとしたら、それを心に焼き付けようとじっくり眺めた。
 それに引き換え、傍らに佇む霊夢の事となると、分別なく、ありのまま全てを好ましく受け入れられた。
 二人がこうして言葉を交わす事も、当然の事であると思えたから。

「本当に、いつまででも眺めていられそう」

 霊夢の顔を見つめて、そんな事を言う。
 早苗がこうしてからかうと、霊夢は言葉には表さずに、表情を変えて応えるのだった。
 不満に頬を膨らませたり――
 口先を尖らせたり――
 目尻を下げたり――
 早苗がそっと、岩に降ろした右手を上げた。
 それを覚られないように、静かに、霊夢の左手に重ねる。何の装飾品も着けずとも、霊夢の細く白い指は優雅であった。
 一瞬、霊夢は驚いた素振りを見せるけれど、すぐに何事も無かったかのように微笑んだ。
 それが合図となって、早苗はすっと、霊夢に身を寄せた。
 まだ気温は低く、こうして近寄ると、霊夢の熱をよく感じた。
 すると、自分を取り巻く空気すら、朗らかな熱を帯びるように思える。
 触れているのは手だけだというのに、早苗は自分の体温までも急に上昇してしまう気がした。
 次の瞬間に、自分が何をするのか考えて赤面する。
 けれども目の前の霊夢は目を瞑ってしまっていたから、その様子を誰にも見られる事も無い。
 その瞬間に、充分に赤面した。
 頬を朱色に染めたまま、何の戸惑いも無く、唇重ね合わせる。
 すると今まで目にしていた全ての風景もどこかへ消えてしまって、ただ全てが霊夢への思いに変質してしまう。
 目にした全ての美が、ただこの一瞬の霊夢への思いに変わり――だから、霊夢がこれほどに綺麗に感ぜられるのだと―― 

 
 * * *
 

 当然の事を当然のように受け入れる。
 それは言葉にしてみれば至極当たり前の事であったけれど、こと心の問題ともなるとそうはいかない。
 東風谷早苗は、雪の絨毯の上、強かに聳える梅の樹が、どうしてこれほどに美しいのか、分からずにいた。
 決してそれは、何か秀でた一本では無い。ただ早苗が目に付けただけという、数多の中の一つでしか無い。
 その花が美しいのだろうか。そのごつごつとした肌が美しいのか。雪化粧が故に美しいのか。
 前ならば、もっと率直にこの美を受け入れられた気がした。しかし今は――
 ただなんとなく、それは美しい物で違いないとは思う。
 しかしその美は、自分に手の負える範疇を越えているのではないかと、ふと思った。
 得体の知れない類。自分の手の中に無いからこそ、理解出来ないからこそ、そこに成立する類であると思う。
 早苗は木の幹に掌を当て、目を瞑った。
 脈を知る事も、熱を感じる事も無い。
 この梅の樹がここに存在する為に、自分は一切関与しない。
 していないから、ここに存在する風景が、嘘偽りの無いものとなる。
 だけれど、彼女は嘘偽りを愛さずにはいられなかった。
 芳しい花の香りが、物言わぬ強引さで彼女を取り巻いた。


 * * *

 
 守矢神社から博麗神社までの道程。
 それは以前、ひどく長い道のりに思われた。 
 何故かと、それに正しい結論があるはずも無かったけれど、兎に角自分の気が急いでいたのだ――と、早苗はそう考えている。
 今改めて歩いてゆくと、その近さに驚くほどだった。
 早苗はふと、小学生時代の通学路を思い出した。
 六つの時に歩いたその道。十二の時に歩いたその道。
 そこに大した違いは無かったように思う。
 けれど、高校生になって再びそこを歩いた時。
 その道程がえらく短く感ぜられた事を思い出した。
 気が付いたころには、もう着いている。それほどだった。

 梅の花はかくも美しい。とりわけこの時候。
 それは早苗の常識だった。
 東風谷早苗は梅の花を愛す。東風谷早苗は博麗霊夢を愛す。
 それほどに当然の事であった。
 早苗は強かな梅の花が好きだ。
 桜の散り頃、人はそれを儚いと言う。
 けれど早苗は、陽気に浮かれて花弁をばら撒くその姿が、ほんの時折ではあるけれど、下品に思える時があった。
 梅は花弁を散らしても、その白い花弁は雪にまみれてしまう。
 慎ましやかと、強かさ。その二つが梅の樹にはある。
 早苗は本心、桜の花見があまり好きではない。
 つまり人が桜で花見をする理由が、そこにあるのだと早苗は思う。
 桜は嘘偽りなく存在出来ないのだ。
 酒であるとか、他の誰か。それがあって始めて存在する。
 桜の美は花見の場で共通されて無くてはならない。
 そこには、早苗の心への反駁が含まれた。
 一人一人見える景色が同じはずが無いのに、けれどそれが要求される。
 そこにどうしても違和感を覚えてしまう早苗に、花見を楽しめるはずも無かった。
 ふと、肩に梅の花弁が乗っていたのに気が付く。
 雪の代わりにふわりと漂う、梅の花弁である。
 僅かに黄ばんだその花弁は、早苗が関与した途端、ただの塵になり下がってしまっていた。


 * * *


 梅の花の咲く時候。
 早苗は時折、博麗神社を訪れる。
 その梅の花を見る為に、である。
 梅の花は美しい。
 この梅の樹がここに存在する為に、私は何一つしていない。しないで構わない。私の手を離れたところにあるものだから、かくも美しい――
 早苗は胸の中で、そう呟いた。
 顔を上げる。樹々の隙間から手水舎の傍に立つ霊夢の顔が窺えた。
 横顔を見つめると、やはりそれは美しかった。
 









 2

 葉の無い枝の間から見えた霊夢さんの横顔――そこに確固として存在していながら、実感を伴わない。 
 じっと、食い入るように見つめていたように思う。
 薄らとするようになった化粧のせいだろうか。
 穏やかな瞳からだろうか。
 衰えを知らない相貌からは、ただあの頃の純潔な姿を、未だ思い出せる。

「――霊夢さん、綺麗になりましたね」

 私がどんな気持ちでこの言葉を口にしても、もう貴女は顔色一つ変えないし、届かない。言葉を届ける事はもうできない。
 ただ貴女は、私の手の届かない所で微笑む。私には見えない光を灯して。
 その姿は、私の知る貴女以上に綺麗だった。
 つまり、私の知り得ない彼女だからこそ、私の手を離れたところに存在するからこそ美しい。  
 その美に、私は一切加担していない。
 私の加担していたあの頃の霊夢さんの美は、つまり嘘偽りの美だったのだ。
 今私の網膜に焼き付く彼女の美こそが真実であり、間違いない存在であるはずなのに――! 
 けれど私はそれに実感を覚える事が出来ない。
 私の思う最上の霊夢さんは、私の存在を必要としない。 

「――おばさん、どうしたの」

 声に振り向くと、少年が立っていた。
 彼の顔を、私は初めて見た。

「雪の降る時節、この梅の一等綺麗な時ですから」
「ふーん。俺は桜の花の方が好きだなあ」
「そう。お花見は好き?」
「うん」
「桜、好きなんだ――」
 
 私達の声が聞こえてか、霊夢さんがこちらに気が付いた。
 彼女は私の顔を見つめると、ただ穏やかに、ゆったりと微笑んだ。
 その微笑みに、私の心はひどく傷ついた。
 そして同時に、その痛みの中から、これが正しく美しくある事なのだと理解した。
 これでようやく『終わった』のかもしれない。
 彼女は私たちの元まで来ると、薬指に指輪を嵌めた左手で少年の頭を撫でてから、口を開いた。

「あら、早苗じゃない。久しぶりね。どうしたの?」
「お久しぶりです。この子は――霊夢さんの、お子さんですか?」
「ええ、そうよ」
「ふふ、一目で分かりました。霊夢さんにそっくりですから――」

 彼女の遺伝子の通った、男の子である。
 私はまた、嘘偽りの中に美を見出す事を選ぼうと思う。
 桜を好きになろう。
 つまりは彼を、彼女の遺伝子を――
 これもレイサナなんだよぅ!
 とあとがきで力説するつもりだったけど自信がなくなりました。

 ただ一つ、雪の中咲く梅の花がきれいです。
 というわけで、ここまでお付き合いありがとうございました。 
実里川果実
http://vivaemptiness.blog97.fc2.com/
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コメント



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2.100名前が無い程度の能力削除
思わず「えっ」て口走っちゃったじゃないか…
物悲しくも綺麗でした。
7.100名前が無い程度の能力削除
一抹の凶気に怖気が走りました。
うまく言い表せませんが私にとっては若干のホラー。
10.100奇声を発する程度の能力削除
切なくも素晴らしいお話でした…
13.100名前が無い程度の能力削除
これは……怖いですね。美しくもあるんですけれど。