燃えるように赤い衣装に身を包む、情熱のキーボーディスト。取材の礼は、そんな見出しが躍る新聞だった。
取材対象への謝礼が新聞ってどうなんだろうと思いながら目を通してみたら、なるほど密着されただけのことはある丁寧な出来。
見出しが安易じゃないかと言ったら、分かりやすさ、イメージの作りやすさが一番なんだと返された。
そんな風に見られるために赤い服を着てる訳じゃないけど、イメージの大部分が外見で決まるのは当然のこと。縁の無い人はさることながら、ある程度近しい人でもそれは変わらない。
さて、湧いてくる疑問が一つ。
赤いから情熱的な私は、赤くなければどんな風に見えるんだろう?
◆◇◆◇◆
鏡の前で、真っ白な袖の長さを確かめる。腕をだらりと下げても親指の付け根が隠れる程度で、動き回るのに支障は無さそう。
「しっかし……これは……ねぇ」
腕を広げてくるりと回ると、少し緩めに巻いたスカートが風を受けて持ち上がる。
ちらりと見えた太ももは細く引き締まっており、どちらかと言えば男の子のような快活さの印象が強い。
色気だとか艶だとかにはまるで縁が無いけど、これが私なのだからこれで良いのだ。でも、だからといって。
「ルナサ姉さんは恥ずかしくないのかなぁ。大股広げて走り回ったりしないから大丈夫なんだろうけど」
物は試しと、ルナサ姉さんの服を拝借した。
『新鮮ね』
無表情のルナサ姉さんから誉めてるのかどうなのかさっぱり分からない感想をもらって、どんなもんだと姿見の前に立ってみた。確かにその通りだと、少し遅れて頷いた。
黒が基調の服だからか、鏡の中のそいつは私よりもいくらか大人びて見える。似合う似合わないの前に、まるで他人のような違和感が強く感じられた。
プリズムリバーのちっこい子で通ってしまう私が言うのも何だけど、ルナサ姉さんの身長も低い方にカテゴライズされる程度でしかない。だから上着もブラウスもダボダボになってしまうようなことはなく、袖がいくらか長い程度で見栄え良く私の体を飾っている。
頭には月がてっぺんについた黒い帽子。私の色の薄い茶髪と合わせると少し地味に見てしまうところはあるものの、人の物を借りておいて自分に似合わないと嘆くのは筋違い。これは納得することにした。
靴と靴下のサイズは問題無し。ルナサ姉さんの足のサイズなんて知ろうと思ったことも無かったから一安心だ。
そしてスカート。直立しても膝が完全に見えるルナサ姉さんとは違い、姿見の前に立っている私の膝はほんの少し隠れてしまっている。
これは身長差のせいであって私の足が短いなどということとは断じて結びつかないので気にすることはないんだけど、日頃キュロットを愛用してるせいでどうしても落ち着かない。スースーする感じは慣れるしかないとしても、一つ一つの動作に気をつけないとショーツが見えてしまいそうで困る。酷く困る。
「ま、今日はただの散歩だしー。淑女してれば大丈夫よね」
スカートじゃなければ衣装を取り替えてライブも悪くないとは思う。思うけど、スカートである以上それは決して無理なこと。
元々子供向けの演奏はしてないけど、全然違う意味でお子様お断りなライブになってしまう。スカートであることを意識して大人しく演奏するなんて、絶対に出来やしないんだから。
風を受けて足にぴったり張り付くスカートが意外なほどに暖かいのは嬉しい誤算、急制動をかけるとすぐにスカートが舞い上がってしまうのは思った以上の困った誤算。
大人しくしてようと結論付けるまでに誰にも見られなかったことに安堵しつつ、気の向くままに空を行く。
「さて、誰かいないかなぁ」
待宵の月を仰いでみたら、てっぺんを過ぎて地面の下に帰る準備を始めていた。そろそろ日付が変わる頃、素敵な夜はこれからが最高潮。
こんな時間なのだ、騒霊が飛べば妖怪に――
「当たるってもんよね。おーい」
じゃれあうシルエットに声を投げ、ぶんぶんと手を振って呼びかける。
ダンスと呼ぶにはあまりに粗雑で、喧嘩と呼ぶにはあまりに険悪さが足りない。そんなじゃれ合いがぴたりと止まって、二人分の影が手を振り返して来た。
片や幸せですと言わんばかりに腕全体で、片や恥ずかしいのよと言いたげに手の先だけで。
「…………リリカじゃない。珍しい格好してるのね、一瞬誰かと思っちゃった」
「リリカではありません? 人違いはダメよリグル、友達を見間違えるようじゃダメダメね」
過剰なまでに腕を振り返してくれたルーミアは、にひひーとかいう音が聞こえてきそうな意地悪げで心から楽しそうな飛び切りの笑顔。
いつも楽しそうなルーミアだけど、リグルをからかっている時が一番楽しそうに見える。
「イントネーション、その後の言葉、判断材料はいっぱいあるでしょうに。茶々入れる余裕があるならその辺に気付いてよ」
「気付かないなぁ」
対するリグルは溜息が出てこないのが不思議なくらいに疲れ切った表情で。
一事が万事こんな感じだとさぞ疲れそうだけど、ルーミアと一緒にいることを止めようとしない辺り何だかんだで楽しんでるんだと思う。
私とメルラン姉さんに挟まれてやれやれと呟くルナサ姉さんと似ているけれど、何かどこか違う気もする。家族とはまた違った気の置けなさは、きっと二人にしか分からない。
「ま、そんなことは置いといて。こんばんはリリカ、意外と違和感無いのね。よく似合ってるわよ」
「置くじゃなくて捨てるの間違いでしょ、省みる気なんてない癖に。……改めてこんばんは。ルナサの服だよねそれ、借りてきたの?」
「借りてきたの。思ったよりスカートも動きやすいわー」
思い切り足を振り上げてハイキック、なんてことはとても出来なさそうだけど。普段のキュロットでもしないけど。
「全体的なシルエットはほとんど変わらないのに結構変わって見えるものね。私たちと並ぶと一回り年上に見えそうなくらい」
ルーミアの声色に少しばかり羨望が混じる。リグルに接している時とは打って変わった裏の無い賞賛が素直に嬉しい。
「本当に色一つで印象がガラッと変わるよね。ま、でも」
リグルはそこで言葉を切って、ルーミアを上から下までゆっくりと見つめて、
「黒い服着ててもちっとも大人っぽく見えない誰かさんも――」
「その黒いマントで黒度を補充すれば私も素敵なレディに!」
「え!? ダメだってばちょっとどこ触ってんの!?」
先ほどのお返しと言わんばかりのからかいの言葉は最後まで言い切ることすら許されない。
正直リグルにはあんまり似合わない意地の悪い笑みは、唐突に襲い掛かったルーミアによって瞬く間に消されていく。
「私も黒いマントで黒度を補充するわー!」
「リ、リリカまで!? って黒度って何なのさー!」
何でもいいのだ。
「もうお嫁に行けないぃ……」
「うふふー、リグルのマントゲットぉー」
私とルーミアが遊び半分でリグルはそれなりに必死だったから、二対一にも関わらず割と拮抗した争いが繰り広げられて、その結果がこんな感じ。
リグルは背中のマントを失ったことが恥ずかしいらしく、何故か胸の辺りを庇うように腕を縮こめている。
ルーミアはリグルのマントを着けてご満悦。けど、マントが長すぎて子供がはしゃいでるようにしか見えない。リグルの身長はルナサ姉さんと同程度、それに比べてルーミアの身長は私よりも低い。二人が並べば頭半分程度の開きがある。マントの長さが合わなくても仕方が無い。
「ねね、似合う? 似合う?」
そんな長すぎるマントをばさーっと翻す様は、普段以上に幼く見えた。彼女の期待通りレディとやらに見えるかと問われれば首を捻ることしか出来ないけど、
「似合ってるよ。私が着けてるより、ずっと」
「うんうん。いっそのことそのまま貰っちゃえば?」
私の気持ちをきっちり代弁してくれたリグルの言葉に乗っかる。
リグルより似合うかどうかは別問題だけど、それはどこかに置いて――いや、捨てておこう。
どっちの方がより似合うか、なんてどうでもいい。
「だーめ。一張羅って訳じゃないけど、そんなにたくさんスペアがある訳でもないんだから」
「残念。私もひとつ欲しかったなぁ」
「欲しいなら自分で作ればいいじゃない。手先器用なんだから出来るでしょ?」
「裁縫は苦手なのよー。楽器を演奏することと手先が器用なことが直結する訳じゃないし、そもそも私は手を使わないと演奏出来ない訳でもないし」
むしろ手だけでは演奏出来る気がしない。音よ出ろーと念じたら音が出るんです、と言った方が私のやってることには近かったりするのだ。
だからどちらかと言えば不器用な方だったりする。悲しくなってくるから言わないけど。
「ダメなものはダメだってば。他を当たってちょうだい」
「けちー。ルーミアも何とか言ってやりなよー」
「…………ふぇっ?」
うん?
「ルーミア?」
私とリグルの声がハモる。
そりゃそうだろう。急に変な声を出されたら、思うことは疑問、以外にない。
「えっ? あ、あー、と、聞いてたよ、うん」
二人分の視線の先で、何故かルーミアはしどろもどろ。そういえばルーミアのこんな顔はあまり見たこと無いなぁ、とぼんやり思う。
「リ、リリカが何か演奏してくれるのよね? 折角シックな格好してるんだしさ、こうしっとりしたヤツをお願いできるかしら」
視線をリグルに移し、ちょうどこちらに向いてきたリグルの視線とちょちょいと会話。
そうだっけ?
そうなんじゃない?
「何か違う気もするけど、まあいいや。夜明けまであまり時間も無さそうだし、ちゃちゃっと始めちゃいますか」
ぱちんと指を鳴らすと、私の目の前に愛用のキーボードが浮き出てくる。
これだって原理なんてさっぱり分からない。大事なのは出来るかどうか。理屈なんて知らなくても良いのだ。
「今宵は私リリカ・プリズムリバーの独演会にご来場いただき真にありがとうございます。短い時間ではありますが、ごゆるりとお楽しみくださいませ」
形式ばった挨拶はルナサ姉さんの十八番。ルナサ姉さんの服を着てるからってこんなことまで真似しなくてもとは思うけど、ルーミアのリクエストの手前あまりはっちゃける訳にもいかないような気がした。
大人びているのと堅苦しいのは似ているようで違うものだけど、何となくそういう振る舞いがしたくなってしまう。今の私なら情熱のキーボーディスト、なんて記事にはならないんだろう。
◆◇◆◇◆
『似合ってる似合ってる。まるでリリカのためにあつらえた服みたい』
自分のことのように喜ばれて何だか恥ずかしくなってしまった。ぱちぱちと拍手までされてはそそくさと退散するしかない。
リリカは誉められ慣れてないわね、なんて声が聞こえたけど聞いてないことに。分かってるけど性分だ、ほっといてくれ。
今度はメルラン姉さんの服を借りてみた。慣れない、それでも嬉しいことには違いない誉め言葉にりんごになった顔を直せないまま姿見の前に立ってみて、鏡に映るそいつに目を奪われた。
ルナサ姉さんより更に背の高いメルラン姉さんの服は、当然だけど私には大きすぎる。
服に着られて無様なことになってやしないかと心配だったが、蓋を開けてみれば正反対の結果が待っていた。
「こんな風になるんだなぁ。メルラン姉さんの服を借りてる気すらしないや」
上着とブラウスとスカートが基本構成なのに、上着が長すぎるせいで上下一体のワンピースにしか見えない。
スカートも膝を全部覆い隠すほどの長さになっており、上下あわせてちょっとしたドレスのよう。
ブラウスを脱いでロンググローブでも嵌めてみれば、絵に描いたようなお姫様になれそうな気がする。
やっぱり、こんなイメージを抱かせるのはぶかぶかなシルエットだけじゃなくてこの白い色が大きいんだと思う。少し桃色がかっているからか、花の精なんてメルヘンチックなフレーズが頭を通り過ぎていった。
「ごきげんよう、王子様。……なんてね」
ふんわりしたフレアスカートを両手でつまみ、絵本みたいにお姫様ごっこ。
さすがに恥ずかしくて照れ笑い、その表情が自分じゃないみたいに可愛らしいからびっくりだ。
こんな笑顔も出来るんだなぁ、と何だか他人事。それもそのはず、ルナサ姉さんの服を借りた時以上に自分に見えない。
「職業お姫様に転向してみようかしらー」
「それも良いかもねー」
浮かれて飛び出た独り言に、返事。
それはつまり、自分一人だと思ってたのが実はそうじゃなかったってことで。
それはつまり、誰にも見られないと思ってやったことがばっちり見られてたってことで。
……見られ、た?
「メル、ラン……ねえさん?」
空耳であってくれと、自身の感覚の異常を願う。
「はいはいメルラン姉さんよ、リリカ姫ちゃん」
いつの間にか鏡に映りこんでいるあれは目の錯覚だと、現在進行形の事実を否定する。
「その、ど、どの辺りから……?」
ちょいと振り向くだけなのに、首がまともに動いてくれない。
だからきっとこれは夢の中なんだと、眠った記憶なんてまるで無いことをすっ飛ばして自分を納得させようとして。
「ごきげんよう、王子様」
「お願い誰にも言わないでメルラン姉さんも忘れてお願いお願いお願いぃぃぃぃ!!!!!」
メルラン姉さんの胸倉を掴んで、力の限り揺する。
されるがままに首をがくがくさせているにも拘らず、華やかに笑うメルラン姉さんの表情は崩れなかった。
どんだけタフなんだ。
『大丈夫、秘密にしておいてあげる。条件は私が覚えておくことを許すこと。あんなに可愛いリリカはそうそう見られないもの、忘れちゃうなんて勿体無いわー』
あの場に居続けると顔どころか全身が沸騰して蒸発してしまいそうだったから、逃げ出すように外に出て来た。
メルラン姉さんの出した条件は悪くないものだったけど、それはそれで恥ずかしすぎてやっぱり耐えられるものじゃない。
「――――ふぅ」
なるべく何も考えないように、深呼吸を繰り返す。
目的地に着くまでには素面を取り戻しておかないと、変な子として偉い人に連行されてしまう。
空は一面の蒼蒼蒼。桜が散って随分経つとはいえ、空の色はまるで初夏のように深い。
体の火照りが収まっても、日差しが強くて少々暑い。川遊びは無理があっても、冷たいお茶とお菓子なら諸手を上げて大歓迎。
夜が妖怪の時間なら、昼は人間の時間。だから、行く先は人里に決まっていた。
「人里は活気があっていいなぁ。いつかど真ん中でライブしたいけど」
大人子供関係なく巻き込んでの大きなライブは楽しそうだけど、何がどうなるか分からないから実行には踏み切れない。
神社だの白玉楼だのにお呼ばれした時は子供みたいな巫女やら魔法使いやらが混ざってるけど、あの辺は変だから例外。人間なのかどうかも怪しいし。
体の前でゆったりと手を組んで、のんびりと喧騒の中を歩いていく。せかせかと追い抜いていく人たちの背中を眺めながら、どこまでもゆっくりと。
こうやって腕を伸ばしているとブラウスの袖が親指をほとんど隠してしまうけど、思ったより邪魔にはならない。けれど激しく動くには何かと不便で、歩く速度も自然と牛歩になっていく。それにつれて時間が間延びしたような気がしてくるから不思議だ。
お姫様もこんな生活を送っているのかもしれない。贅沢なことこの上ない時間の使い方だけど、そんな生活に誘われても即座に首を振る自信がある。私は騒霊プリズムリバー、楚々とするのは柄じゃない。
「おや、リリカさんではないですか。珍しいですね、色々と」
不意に脇から声。
「あれー、稗田のちっちゃいのじゃん。こんな所で何してんの?」
「茶屋ですることは一服に決まっています。それから私には阿求という名前がありますので、そちらで呼んでくださいと会うたびに言っていますが」
声のした方に振り向けば、稗田が茶屋の軒先でお茶をすすっている。店の中に入った方が涼しそうな気もするけど、暑い所の方がお茶が美味しいとかそんな理由なんだろう。
よくよく見れば、手の湯呑からは元気良く湯気が立ち上っている。暑い時に熱いお茶を飲むのがオツだって主張する人間は少なくないけど、私にはどうもよく分からない。
「おばちゃんいつものー。お代は稗田が持ってくれるからさー」
稗田の独り言はいつも通りに聞き流し、店の中に声を投げる。声の主――つまり私を確認するために出て来たおばちゃんが、私を見るなり目を丸くした。
「リリカちゃん、今日は随分とおめかししてるんだねぇ。ひょっとしてデートかい?」
「んふふ、ナイショ」
「そうだねえ、女の子は秘密の一つや二つは持ってないとねえ」
昔を思い出すわぁ、と呟きながら引っ込んでいくおばちゃんを見送る。あのおばちゃんにも若い頃があったんだなぁとか思ってしまうのは、初めて会った時からずっとおばちゃんがおばちゃんだからだろうか。
「……デート?」
「んな訳ないじゃん」
残念、と肩をすくめる稗田の脇から、団子をひとついただく。あっ、という声を聞きながらもごもごもご。相変わらず良い仕事してて大満足です、まる。
「代金はきっちりいただきますよ。もちろん貴方の分も払いません」
「分かってるって。言ってみただけよ」
もうひとついただこうと手を伸ばしたら、皿を反対側に持っていかれてしまった。表情はどこまでも澄ましたものだけど、素早い動作からは焦りと怒りがひしひしと伝わってくる。そんな可愛いことするからからかいたくなるんだって、この頭でっかちはきっと分かってない。
「デートでもないなら、どうしてそのような格好を? それ、メルランさんの服……ですよね?」
「メルラン姉さんの服を着た私は果たしてどのような印象を抱かせるのか、という実験。とか言うとカッコ良いと思わない?」
「別に格好良いものではないと思いますが……」
「カッコ良いの」
「そうですか」
心底どうでも良さそう。まあ私もどうでも良いんだけど。
「それでさ、どう?」
「どう、とは」
「女の子が服に関して意見を求めるのは、誉めよ称えよ持ち上げよってことさね。阿求様も女の子ならこの気持ち分かるでしょう」
絶妙なタイミングで割って入ってくるおばちゃん、そして三色団子と渋みの弱い冷茶。団子もお茶も作り置きでいつでも持って来れるはずの物だから、案外私たちの会話をこっそり聞いていたのかも。
「もー、そんなこと言っちゃったら何言われてもお世辞になっちゃうじゃないのよー」
「とてもよく似合っていますよ。今から殿方とデートに出かけるのだと言われても頷くにやぶさかではないですね」
私の皿から団子を抜き取りつつ稗田が割って入ってくる。そのあまりに淀みない動作に、そして唐突な言葉に、私は阻止をすっかり忘れてしまう。
「今のリリカちゃんならどれだけ誉めてもお世辞になんてならないね。ほら、道行く男共がみんなリリカちゃんをちらちら見てるじゃないか」
笑いながら、おばちゃんが通りを指差す。指の向くままに顔を向けてみると、あっち向いてホイみたいにたくさんの視線がそっぽを向いた。
「え……? いや、そんな風に言われると恥ずかしくなってくるんだけど」
「白が似合う女は美人だと言いますからね。同性の私が見てもそう思うのですから、異性が目を留めてもおかしくはないでしょう」
酷くつまらなさそうな稗田の言葉が、段々と私の頭をショートさせていく。稗田がお世辞なんて言う性格じゃないのはよく知ってるから、つまり全部本気で言ってて……あれ……?
「リリカちゃんは普段は元気な子だから、そんな花嫁衣裳みたいな服を着ると女の子らしさが特に際立って見えるんだろうねぇ。いやー本当によく似合ってるよ、いつもその服を着たらどうだい?」
おばちゃんからの援護射撃で、私の視線はついにダウン。テンカウントを過ぎても立ち上がることなんて出来やしない。手の中で段々冷たさが消えていくお茶を見つめ続けても楽しいことなんて何も無いけど、私には少々ダメージが大き過ぎた。
『団子は全部阿求様が食べちゃったけど、大丈夫。可愛いリリカちゃんに免じてお代はサービスしてあげる』
そんな言葉と、ご馳走様と手を合わせる稗田に弾き起こされた。過ぎた時間は分からない。
◆◇◆◇◆
「あらリリカ。何だか疲れてるわね」
「……色々あったの」
逃げるように帰って来た私に、ルナサ姉さんがかけた第一声はそんな感じだった。リビングのソファに沈み込むように腰を下ろして、珍しく新聞を読んでいる。
はて、うちは新聞の購読なんてやってないはずだけど。
「メルランの服はどうだった?」
「私には合わないよ。似合ってるらしいけどね」
服はもう自分の物に着替えている。リリカ姫なんて最初から存在しなかったのです。
もしかしたら、茶屋に行くまでの間も同じように見られてたのかもしれない。意識してなかったから能天気に歩くことも出来たけど、意識してしまうととても人前には出られない。
「そう、残念」
「え……?」
「これ」
読んでた新聞を押し付けられるように受け取る。
「話が見えてこないんだけ……ど……」
号外らしく一枚ぽっきりのそれの見出しを見た瞬間、世界が凍りついた。
『新生プリズムリバー準備会!? 突発ライブを緊急レポート!
人里から少し離れた草原で、昼間からライブを行っていたのはメルラン・プリズムリバーさん。
本当はちょっと歩いて回るだけのつもりだったんだけどね、と語る彼女は、何と妹のリリカ・プリズムリバーさんの衣装姿。
身長差故のサイズの違いからかはたまた激しいライブによるものか、赤い上着はボタン全開、その下のブラウスも一つボタンが外されていた。
リリカさんのキュロットスカートも彼女が履くとショートパンツのようで、普段のメルランさんとも、またリリカさんとも違った、女性の私ですらぞくりとする妖艶な姿を恥ずかしがる素振りもなく披露していた。
衣装を取り替えてライブをする予定はあるのかと問うてみた所、それも楽しそうね~、何かほら、赤い服着てるとテンション上がるじゃない? 今までにないライブに出来るかもよ? との返答をいただいた。
リーダーのルナサさん、また衣装の本来の持ち主であるリリカさんにもすぐに取材を試みる予定。近く、続報を発行する予定である。
射命丸 文』
号外を盛大に引き裂いて豪快にゴミ箱に突っ込んで、深く深くため息を吐く。
生気が一緒に出て行ったような気がしたけど仕方ない。元気印が売りの私だけど、今回ばかりは仕方ない。
何やってんだあのド阿呆。
「貴方がやってるんだから、メルランがやってみたいと思うのも不思議じゃないわよね」
号外だからか写真の類は無かったけれど、メルラン姉さんの姿はありありと想像出来た。
私という枷――良くも悪くも――から解き放たれたメルラン姉さんは、ただでさえ自分の演奏で青天井にテンションを上げていく。
そこに衣装という更なるブースト要素が加わってしまったら、熱狂を通り越して軽く発狂してもおかしくない。
それはメルラン姉さんだけじゃなく、観客もみんな同じ。
記事を読む限りでは怪我人が出ている様子はないけど、ブンヤを含めた全員が踏み潰された哀れな誰かに気付かなかっただけなんじゃないか、と心配になってしまう。
「貴方も違う気分を味わってきたみたいだし、次のライブで試してみましょうか」
私がゴミ箱に入れ損ねた号外の切れ端を一つ一つゴミ箱に捨てながら、ルナサ姉さんは呟く。
ルナサ姉さんには珍しい、弾んでいると言って差し支えない楽しそうな声色。
どこが楽しいのか全く分からない。嘆くところでしょうに。
「テンション上げすぎたメルラン姉さんをどうにか出来なきゃ地獄絵図にしかならないって。ルナサ姉さんに出来るの?」
「大丈夫よ」
「さっきの号外見た限りじゃ、かなり酷い格好してたみたいだけど? プリズムリバーのリーダーとして、それも容認するつもり?」
「大丈夫よ」
切れ端を全て捨て終わったルナサ姉さんの視線がこちらを向く。
声色同様の楽しそうな表情は、リグルと一緒にいるルーミアのそれとよく似ていた。
「ルナサ姉さん……?」
嫌な予感がする。
嫌な予感しかしない。
ルーミアがあんな楽しそうな顔をするのは、リグルをからかっている時だけで。
だから、ルナサ姉さんがこんな楽しそうな顔をするのも――
「リリカ姫の言うことならメルランだって聞くに決まっているでしょう。それにメルランがどんな格好をしていても問題無いわ、みんなの視線はリリカ姫に釘付けなんだから」
取材対象への謝礼が新聞ってどうなんだろうと思いながら目を通してみたら、なるほど密着されただけのことはある丁寧な出来。
見出しが安易じゃないかと言ったら、分かりやすさ、イメージの作りやすさが一番なんだと返された。
そんな風に見られるために赤い服を着てる訳じゃないけど、イメージの大部分が外見で決まるのは当然のこと。縁の無い人はさることながら、ある程度近しい人でもそれは変わらない。
さて、湧いてくる疑問が一つ。
赤いから情熱的な私は、赤くなければどんな風に見えるんだろう?
◆◇◆◇◆
鏡の前で、真っ白な袖の長さを確かめる。腕をだらりと下げても親指の付け根が隠れる程度で、動き回るのに支障は無さそう。
「しっかし……これは……ねぇ」
腕を広げてくるりと回ると、少し緩めに巻いたスカートが風を受けて持ち上がる。
ちらりと見えた太ももは細く引き締まっており、どちらかと言えば男の子のような快活さの印象が強い。
色気だとか艶だとかにはまるで縁が無いけど、これが私なのだからこれで良いのだ。でも、だからといって。
「ルナサ姉さんは恥ずかしくないのかなぁ。大股広げて走り回ったりしないから大丈夫なんだろうけど」
物は試しと、ルナサ姉さんの服を拝借した。
『新鮮ね』
無表情のルナサ姉さんから誉めてるのかどうなのかさっぱり分からない感想をもらって、どんなもんだと姿見の前に立ってみた。確かにその通りだと、少し遅れて頷いた。
黒が基調の服だからか、鏡の中のそいつは私よりもいくらか大人びて見える。似合う似合わないの前に、まるで他人のような違和感が強く感じられた。
プリズムリバーのちっこい子で通ってしまう私が言うのも何だけど、ルナサ姉さんの身長も低い方にカテゴライズされる程度でしかない。だから上着もブラウスもダボダボになってしまうようなことはなく、袖がいくらか長い程度で見栄え良く私の体を飾っている。
頭には月がてっぺんについた黒い帽子。私の色の薄い茶髪と合わせると少し地味に見てしまうところはあるものの、人の物を借りておいて自分に似合わないと嘆くのは筋違い。これは納得することにした。
靴と靴下のサイズは問題無し。ルナサ姉さんの足のサイズなんて知ろうと思ったことも無かったから一安心だ。
そしてスカート。直立しても膝が完全に見えるルナサ姉さんとは違い、姿見の前に立っている私の膝はほんの少し隠れてしまっている。
これは身長差のせいであって私の足が短いなどということとは断じて結びつかないので気にすることはないんだけど、日頃キュロットを愛用してるせいでどうしても落ち着かない。スースーする感じは慣れるしかないとしても、一つ一つの動作に気をつけないとショーツが見えてしまいそうで困る。酷く困る。
「ま、今日はただの散歩だしー。淑女してれば大丈夫よね」
スカートじゃなければ衣装を取り替えてライブも悪くないとは思う。思うけど、スカートである以上それは決して無理なこと。
元々子供向けの演奏はしてないけど、全然違う意味でお子様お断りなライブになってしまう。スカートであることを意識して大人しく演奏するなんて、絶対に出来やしないんだから。
風を受けて足にぴったり張り付くスカートが意外なほどに暖かいのは嬉しい誤算、急制動をかけるとすぐにスカートが舞い上がってしまうのは思った以上の困った誤算。
大人しくしてようと結論付けるまでに誰にも見られなかったことに安堵しつつ、気の向くままに空を行く。
「さて、誰かいないかなぁ」
待宵の月を仰いでみたら、てっぺんを過ぎて地面の下に帰る準備を始めていた。そろそろ日付が変わる頃、素敵な夜はこれからが最高潮。
こんな時間なのだ、騒霊が飛べば妖怪に――
「当たるってもんよね。おーい」
じゃれあうシルエットに声を投げ、ぶんぶんと手を振って呼びかける。
ダンスと呼ぶにはあまりに粗雑で、喧嘩と呼ぶにはあまりに険悪さが足りない。そんなじゃれ合いがぴたりと止まって、二人分の影が手を振り返して来た。
片や幸せですと言わんばかりに腕全体で、片や恥ずかしいのよと言いたげに手の先だけで。
「…………リリカじゃない。珍しい格好してるのね、一瞬誰かと思っちゃった」
「リリカではありません? 人違いはダメよリグル、友達を見間違えるようじゃダメダメね」
過剰なまでに腕を振り返してくれたルーミアは、にひひーとかいう音が聞こえてきそうな意地悪げで心から楽しそうな飛び切りの笑顔。
いつも楽しそうなルーミアだけど、リグルをからかっている時が一番楽しそうに見える。
「イントネーション、その後の言葉、判断材料はいっぱいあるでしょうに。茶々入れる余裕があるならその辺に気付いてよ」
「気付かないなぁ」
対するリグルは溜息が出てこないのが不思議なくらいに疲れ切った表情で。
一事が万事こんな感じだとさぞ疲れそうだけど、ルーミアと一緒にいることを止めようとしない辺り何だかんだで楽しんでるんだと思う。
私とメルラン姉さんに挟まれてやれやれと呟くルナサ姉さんと似ているけれど、何かどこか違う気もする。家族とはまた違った気の置けなさは、きっと二人にしか分からない。
「ま、そんなことは置いといて。こんばんはリリカ、意外と違和感無いのね。よく似合ってるわよ」
「置くじゃなくて捨てるの間違いでしょ、省みる気なんてない癖に。……改めてこんばんは。ルナサの服だよねそれ、借りてきたの?」
「借りてきたの。思ったよりスカートも動きやすいわー」
思い切り足を振り上げてハイキック、なんてことはとても出来なさそうだけど。普段のキュロットでもしないけど。
「全体的なシルエットはほとんど変わらないのに結構変わって見えるものね。私たちと並ぶと一回り年上に見えそうなくらい」
ルーミアの声色に少しばかり羨望が混じる。リグルに接している時とは打って変わった裏の無い賞賛が素直に嬉しい。
「本当に色一つで印象がガラッと変わるよね。ま、でも」
リグルはそこで言葉を切って、ルーミアを上から下までゆっくりと見つめて、
「黒い服着ててもちっとも大人っぽく見えない誰かさんも――」
「その黒いマントで黒度を補充すれば私も素敵なレディに!」
「え!? ダメだってばちょっとどこ触ってんの!?」
先ほどのお返しと言わんばかりのからかいの言葉は最後まで言い切ることすら許されない。
正直リグルにはあんまり似合わない意地の悪い笑みは、唐突に襲い掛かったルーミアによって瞬く間に消されていく。
「私も黒いマントで黒度を補充するわー!」
「リ、リリカまで!? って黒度って何なのさー!」
何でもいいのだ。
「もうお嫁に行けないぃ……」
「うふふー、リグルのマントゲットぉー」
私とルーミアが遊び半分でリグルはそれなりに必死だったから、二対一にも関わらず割と拮抗した争いが繰り広げられて、その結果がこんな感じ。
リグルは背中のマントを失ったことが恥ずかしいらしく、何故か胸の辺りを庇うように腕を縮こめている。
ルーミアはリグルのマントを着けてご満悦。けど、マントが長すぎて子供がはしゃいでるようにしか見えない。リグルの身長はルナサ姉さんと同程度、それに比べてルーミアの身長は私よりも低い。二人が並べば頭半分程度の開きがある。マントの長さが合わなくても仕方が無い。
「ねね、似合う? 似合う?」
そんな長すぎるマントをばさーっと翻す様は、普段以上に幼く見えた。彼女の期待通りレディとやらに見えるかと問われれば首を捻ることしか出来ないけど、
「似合ってるよ。私が着けてるより、ずっと」
「うんうん。いっそのことそのまま貰っちゃえば?」
私の気持ちをきっちり代弁してくれたリグルの言葉に乗っかる。
リグルより似合うかどうかは別問題だけど、それはどこかに置いて――いや、捨てておこう。
どっちの方がより似合うか、なんてどうでもいい。
「だーめ。一張羅って訳じゃないけど、そんなにたくさんスペアがある訳でもないんだから」
「残念。私もひとつ欲しかったなぁ」
「欲しいなら自分で作ればいいじゃない。手先器用なんだから出来るでしょ?」
「裁縫は苦手なのよー。楽器を演奏することと手先が器用なことが直結する訳じゃないし、そもそも私は手を使わないと演奏出来ない訳でもないし」
むしろ手だけでは演奏出来る気がしない。音よ出ろーと念じたら音が出るんです、と言った方が私のやってることには近かったりするのだ。
だからどちらかと言えば不器用な方だったりする。悲しくなってくるから言わないけど。
「ダメなものはダメだってば。他を当たってちょうだい」
「けちー。ルーミアも何とか言ってやりなよー」
「…………ふぇっ?」
うん?
「ルーミア?」
私とリグルの声がハモる。
そりゃそうだろう。急に変な声を出されたら、思うことは疑問、以外にない。
「えっ? あ、あー、と、聞いてたよ、うん」
二人分の視線の先で、何故かルーミアはしどろもどろ。そういえばルーミアのこんな顔はあまり見たこと無いなぁ、とぼんやり思う。
「リ、リリカが何か演奏してくれるのよね? 折角シックな格好してるんだしさ、こうしっとりしたヤツをお願いできるかしら」
視線をリグルに移し、ちょうどこちらに向いてきたリグルの視線とちょちょいと会話。
そうだっけ?
そうなんじゃない?
「何か違う気もするけど、まあいいや。夜明けまであまり時間も無さそうだし、ちゃちゃっと始めちゃいますか」
ぱちんと指を鳴らすと、私の目の前に愛用のキーボードが浮き出てくる。
これだって原理なんてさっぱり分からない。大事なのは出来るかどうか。理屈なんて知らなくても良いのだ。
「今宵は私リリカ・プリズムリバーの独演会にご来場いただき真にありがとうございます。短い時間ではありますが、ごゆるりとお楽しみくださいませ」
形式ばった挨拶はルナサ姉さんの十八番。ルナサ姉さんの服を着てるからってこんなことまで真似しなくてもとは思うけど、ルーミアのリクエストの手前あまりはっちゃける訳にもいかないような気がした。
大人びているのと堅苦しいのは似ているようで違うものだけど、何となくそういう振る舞いがしたくなってしまう。今の私なら情熱のキーボーディスト、なんて記事にはならないんだろう。
◆◇◆◇◆
『似合ってる似合ってる。まるでリリカのためにあつらえた服みたい』
自分のことのように喜ばれて何だか恥ずかしくなってしまった。ぱちぱちと拍手までされてはそそくさと退散するしかない。
リリカは誉められ慣れてないわね、なんて声が聞こえたけど聞いてないことに。分かってるけど性分だ、ほっといてくれ。
今度はメルラン姉さんの服を借りてみた。慣れない、それでも嬉しいことには違いない誉め言葉にりんごになった顔を直せないまま姿見の前に立ってみて、鏡に映るそいつに目を奪われた。
ルナサ姉さんより更に背の高いメルラン姉さんの服は、当然だけど私には大きすぎる。
服に着られて無様なことになってやしないかと心配だったが、蓋を開けてみれば正反対の結果が待っていた。
「こんな風になるんだなぁ。メルラン姉さんの服を借りてる気すらしないや」
上着とブラウスとスカートが基本構成なのに、上着が長すぎるせいで上下一体のワンピースにしか見えない。
スカートも膝を全部覆い隠すほどの長さになっており、上下あわせてちょっとしたドレスのよう。
ブラウスを脱いでロンググローブでも嵌めてみれば、絵に描いたようなお姫様になれそうな気がする。
やっぱり、こんなイメージを抱かせるのはぶかぶかなシルエットだけじゃなくてこの白い色が大きいんだと思う。少し桃色がかっているからか、花の精なんてメルヘンチックなフレーズが頭を通り過ぎていった。
「ごきげんよう、王子様。……なんてね」
ふんわりしたフレアスカートを両手でつまみ、絵本みたいにお姫様ごっこ。
さすがに恥ずかしくて照れ笑い、その表情が自分じゃないみたいに可愛らしいからびっくりだ。
こんな笑顔も出来るんだなぁ、と何だか他人事。それもそのはず、ルナサ姉さんの服を借りた時以上に自分に見えない。
「職業お姫様に転向してみようかしらー」
「それも良いかもねー」
浮かれて飛び出た独り言に、返事。
それはつまり、自分一人だと思ってたのが実はそうじゃなかったってことで。
それはつまり、誰にも見られないと思ってやったことがばっちり見られてたってことで。
……見られ、た?
「メル、ラン……ねえさん?」
空耳であってくれと、自身の感覚の異常を願う。
「はいはいメルラン姉さんよ、リリカ姫ちゃん」
いつの間にか鏡に映りこんでいるあれは目の錯覚だと、現在進行形の事実を否定する。
「その、ど、どの辺りから……?」
ちょいと振り向くだけなのに、首がまともに動いてくれない。
だからきっとこれは夢の中なんだと、眠った記憶なんてまるで無いことをすっ飛ばして自分を納得させようとして。
「ごきげんよう、王子様」
「お願い誰にも言わないでメルラン姉さんも忘れてお願いお願いお願いぃぃぃぃ!!!!!」
メルラン姉さんの胸倉を掴んで、力の限り揺する。
されるがままに首をがくがくさせているにも拘らず、華やかに笑うメルラン姉さんの表情は崩れなかった。
どんだけタフなんだ。
『大丈夫、秘密にしておいてあげる。条件は私が覚えておくことを許すこと。あんなに可愛いリリカはそうそう見られないもの、忘れちゃうなんて勿体無いわー』
あの場に居続けると顔どころか全身が沸騰して蒸発してしまいそうだったから、逃げ出すように外に出て来た。
メルラン姉さんの出した条件は悪くないものだったけど、それはそれで恥ずかしすぎてやっぱり耐えられるものじゃない。
「――――ふぅ」
なるべく何も考えないように、深呼吸を繰り返す。
目的地に着くまでには素面を取り戻しておかないと、変な子として偉い人に連行されてしまう。
空は一面の蒼蒼蒼。桜が散って随分経つとはいえ、空の色はまるで初夏のように深い。
体の火照りが収まっても、日差しが強くて少々暑い。川遊びは無理があっても、冷たいお茶とお菓子なら諸手を上げて大歓迎。
夜が妖怪の時間なら、昼は人間の時間。だから、行く先は人里に決まっていた。
「人里は活気があっていいなぁ。いつかど真ん中でライブしたいけど」
大人子供関係なく巻き込んでの大きなライブは楽しそうだけど、何がどうなるか分からないから実行には踏み切れない。
神社だの白玉楼だのにお呼ばれした時は子供みたいな巫女やら魔法使いやらが混ざってるけど、あの辺は変だから例外。人間なのかどうかも怪しいし。
体の前でゆったりと手を組んで、のんびりと喧騒の中を歩いていく。せかせかと追い抜いていく人たちの背中を眺めながら、どこまでもゆっくりと。
こうやって腕を伸ばしているとブラウスの袖が親指をほとんど隠してしまうけど、思ったより邪魔にはならない。けれど激しく動くには何かと不便で、歩く速度も自然と牛歩になっていく。それにつれて時間が間延びしたような気がしてくるから不思議だ。
お姫様もこんな生活を送っているのかもしれない。贅沢なことこの上ない時間の使い方だけど、そんな生活に誘われても即座に首を振る自信がある。私は騒霊プリズムリバー、楚々とするのは柄じゃない。
「おや、リリカさんではないですか。珍しいですね、色々と」
不意に脇から声。
「あれー、稗田のちっちゃいのじゃん。こんな所で何してんの?」
「茶屋ですることは一服に決まっています。それから私には阿求という名前がありますので、そちらで呼んでくださいと会うたびに言っていますが」
声のした方に振り向けば、稗田が茶屋の軒先でお茶をすすっている。店の中に入った方が涼しそうな気もするけど、暑い所の方がお茶が美味しいとかそんな理由なんだろう。
よくよく見れば、手の湯呑からは元気良く湯気が立ち上っている。暑い時に熱いお茶を飲むのがオツだって主張する人間は少なくないけど、私にはどうもよく分からない。
「おばちゃんいつものー。お代は稗田が持ってくれるからさー」
稗田の独り言はいつも通りに聞き流し、店の中に声を投げる。声の主――つまり私を確認するために出て来たおばちゃんが、私を見るなり目を丸くした。
「リリカちゃん、今日は随分とおめかししてるんだねぇ。ひょっとしてデートかい?」
「んふふ、ナイショ」
「そうだねえ、女の子は秘密の一つや二つは持ってないとねえ」
昔を思い出すわぁ、と呟きながら引っ込んでいくおばちゃんを見送る。あのおばちゃんにも若い頃があったんだなぁとか思ってしまうのは、初めて会った時からずっとおばちゃんがおばちゃんだからだろうか。
「……デート?」
「んな訳ないじゃん」
残念、と肩をすくめる稗田の脇から、団子をひとついただく。あっ、という声を聞きながらもごもごもご。相変わらず良い仕事してて大満足です、まる。
「代金はきっちりいただきますよ。もちろん貴方の分も払いません」
「分かってるって。言ってみただけよ」
もうひとついただこうと手を伸ばしたら、皿を反対側に持っていかれてしまった。表情はどこまでも澄ましたものだけど、素早い動作からは焦りと怒りがひしひしと伝わってくる。そんな可愛いことするからからかいたくなるんだって、この頭でっかちはきっと分かってない。
「デートでもないなら、どうしてそのような格好を? それ、メルランさんの服……ですよね?」
「メルラン姉さんの服を着た私は果たしてどのような印象を抱かせるのか、という実験。とか言うとカッコ良いと思わない?」
「別に格好良いものではないと思いますが……」
「カッコ良いの」
「そうですか」
心底どうでも良さそう。まあ私もどうでも良いんだけど。
「それでさ、どう?」
「どう、とは」
「女の子が服に関して意見を求めるのは、誉めよ称えよ持ち上げよってことさね。阿求様も女の子ならこの気持ち分かるでしょう」
絶妙なタイミングで割って入ってくるおばちゃん、そして三色団子と渋みの弱い冷茶。団子もお茶も作り置きでいつでも持って来れるはずの物だから、案外私たちの会話をこっそり聞いていたのかも。
「もー、そんなこと言っちゃったら何言われてもお世辞になっちゃうじゃないのよー」
「とてもよく似合っていますよ。今から殿方とデートに出かけるのだと言われても頷くにやぶさかではないですね」
私の皿から団子を抜き取りつつ稗田が割って入ってくる。そのあまりに淀みない動作に、そして唐突な言葉に、私は阻止をすっかり忘れてしまう。
「今のリリカちゃんならどれだけ誉めてもお世辞になんてならないね。ほら、道行く男共がみんなリリカちゃんをちらちら見てるじゃないか」
笑いながら、おばちゃんが通りを指差す。指の向くままに顔を向けてみると、あっち向いてホイみたいにたくさんの視線がそっぽを向いた。
「え……? いや、そんな風に言われると恥ずかしくなってくるんだけど」
「白が似合う女は美人だと言いますからね。同性の私が見てもそう思うのですから、異性が目を留めてもおかしくはないでしょう」
酷くつまらなさそうな稗田の言葉が、段々と私の頭をショートさせていく。稗田がお世辞なんて言う性格じゃないのはよく知ってるから、つまり全部本気で言ってて……あれ……?
「リリカちゃんは普段は元気な子だから、そんな花嫁衣裳みたいな服を着ると女の子らしさが特に際立って見えるんだろうねぇ。いやー本当によく似合ってるよ、いつもその服を着たらどうだい?」
おばちゃんからの援護射撃で、私の視線はついにダウン。テンカウントを過ぎても立ち上がることなんて出来やしない。手の中で段々冷たさが消えていくお茶を見つめ続けても楽しいことなんて何も無いけど、私には少々ダメージが大き過ぎた。
『団子は全部阿求様が食べちゃったけど、大丈夫。可愛いリリカちゃんに免じてお代はサービスしてあげる』
そんな言葉と、ご馳走様と手を合わせる稗田に弾き起こされた。過ぎた時間は分からない。
◆◇◆◇◆
「あらリリカ。何だか疲れてるわね」
「……色々あったの」
逃げるように帰って来た私に、ルナサ姉さんがかけた第一声はそんな感じだった。リビングのソファに沈み込むように腰を下ろして、珍しく新聞を読んでいる。
はて、うちは新聞の購読なんてやってないはずだけど。
「メルランの服はどうだった?」
「私には合わないよ。似合ってるらしいけどね」
服はもう自分の物に着替えている。リリカ姫なんて最初から存在しなかったのです。
もしかしたら、茶屋に行くまでの間も同じように見られてたのかもしれない。意識してなかったから能天気に歩くことも出来たけど、意識してしまうととても人前には出られない。
「そう、残念」
「え……?」
「これ」
読んでた新聞を押し付けられるように受け取る。
「話が見えてこないんだけ……ど……」
号外らしく一枚ぽっきりのそれの見出しを見た瞬間、世界が凍りついた。
『新生プリズムリバー準備会!? 突発ライブを緊急レポート!
人里から少し離れた草原で、昼間からライブを行っていたのはメルラン・プリズムリバーさん。
本当はちょっと歩いて回るだけのつもりだったんだけどね、と語る彼女は、何と妹のリリカ・プリズムリバーさんの衣装姿。
身長差故のサイズの違いからかはたまた激しいライブによるものか、赤い上着はボタン全開、その下のブラウスも一つボタンが外されていた。
リリカさんのキュロットスカートも彼女が履くとショートパンツのようで、普段のメルランさんとも、またリリカさんとも違った、女性の私ですらぞくりとする妖艶な姿を恥ずかしがる素振りもなく披露していた。
衣装を取り替えてライブをする予定はあるのかと問うてみた所、それも楽しそうね~、何かほら、赤い服着てるとテンション上がるじゃない? 今までにないライブに出来るかもよ? との返答をいただいた。
リーダーのルナサさん、また衣装の本来の持ち主であるリリカさんにもすぐに取材を試みる予定。近く、続報を発行する予定である。
射命丸 文』
号外を盛大に引き裂いて豪快にゴミ箱に突っ込んで、深く深くため息を吐く。
生気が一緒に出て行ったような気がしたけど仕方ない。元気印が売りの私だけど、今回ばかりは仕方ない。
何やってんだあのド阿呆。
「貴方がやってるんだから、メルランがやってみたいと思うのも不思議じゃないわよね」
号外だからか写真の類は無かったけれど、メルラン姉さんの姿はありありと想像出来た。
私という枷――良くも悪くも――から解き放たれたメルラン姉さんは、ただでさえ自分の演奏で青天井にテンションを上げていく。
そこに衣装という更なるブースト要素が加わってしまったら、熱狂を通り越して軽く発狂してもおかしくない。
それはメルラン姉さんだけじゃなく、観客もみんな同じ。
記事を読む限りでは怪我人が出ている様子はないけど、ブンヤを含めた全員が踏み潰された哀れな誰かに気付かなかっただけなんじゃないか、と心配になってしまう。
「貴方も違う気分を味わってきたみたいだし、次のライブで試してみましょうか」
私がゴミ箱に入れ損ねた号外の切れ端を一つ一つゴミ箱に捨てながら、ルナサ姉さんは呟く。
ルナサ姉さんには珍しい、弾んでいると言って差し支えない楽しそうな声色。
どこが楽しいのか全く分からない。嘆くところでしょうに。
「テンション上げすぎたメルラン姉さんをどうにか出来なきゃ地獄絵図にしかならないって。ルナサ姉さんに出来るの?」
「大丈夫よ」
「さっきの号外見た限りじゃ、かなり酷い格好してたみたいだけど? プリズムリバーのリーダーとして、それも容認するつもり?」
「大丈夫よ」
切れ端を全て捨て終わったルナサ姉さんの視線がこちらを向く。
声色同様の楽しそうな表情は、リグルと一緒にいるルーミアのそれとよく似ていた。
「ルナサ姉さん……?」
嫌な予感がする。
嫌な予感しかしない。
ルーミアがあんな楽しそうな顔をするのは、リグルをからかっている時だけで。
だから、ルナサ姉さんがこんな楽しそうな顔をするのも――
「リリカ姫の言うことならメルランだって聞くに決まっているでしょう。それにメルランがどんな格好をしていても問題無いわ、みんなの視線はリリカ姫に釘付けなんだから」
清楚な格好で激しい動きをするのって独特なかっこよさがあると思うのです。
よって、リリカはメルランの衣装でライブをするべき。