~資料;八雲紫について~
八雲紫の出自は、謎に包まれている。
古くから居る事は分かっている。その時代毎の文書もあれば、証人もいくらかは居る。
しかし、何時、どのようにして出現したのか。それが全く残っていない。
現存する最古の記述は九百年前、最古の情報は千四百年前にまで遡る。そしてその最古の情報を教えてくれた者が言うにはこうだ。
「あいつはふらりと私の前に現れたかと思うとさ、酒を……おっとと、これ以上は言えないな。まあとにかく、良い奴な事には変わりないよ。いつもは胡散臭くしてるけどね。おっとと、これ以上言ったら怒られるな」
何分提供者の性格が適当なため、果たしてどれほどの信憑性があるのかは定かではないが、八雲紫がこれ以前に存在していた事は容易に想像できる。
私の推定では千五百年。いやもっと前、千八百年程の昔にまで歴史を遡る事が出来るのではないかと思われる。
――「稗田家著 八雲紫の謎を追う」の序文より抜粋。この後、八雲紫の好物、休日の過ごし方などのインタビューが載っているが、何の役にも立たない内容なので割愛する。
――文字が古すぎて読めない。
が、挿絵にある髪の色、また背後にある特徴的なスキマの絵などから八雲紫と判別できる。
稗田家家人によると、これは当時の物好きが書いたものらしい。書いてあるのは人となり、そして歌。
ともすれば恋文とも取れる内容から、それなりに近しい人物が書いた物と推測できる。
――「稗田家蔵書の一部」より抜粋。
「正直な所、私にはあの小娘が何故ああまでも巨大な力を持つ事が出来たのか、さっぱりわからんのだ。
九尾を支配下に置き、鬼と対等に居る。いや、対等などとは言っているが、実際に勝負をすればまず奴が勝つだろう。
おかしいのだ。それほどの力を個人が持つ事は。確かに強力な妖怪は存在する。強力な人間も、昔は居た。
しかしそう言う次元ではないのだ。あれはもっと……そう、何か通常ではないような別の方法を使っているのだと思う。
そうでなければ説明がつかん。何か、小ずるい方法を使っているに違いないのだ」
――「妖怪の山のとある妖怪の証言」
おかしい。この所、八雲紫の姿をとんと見かけない。
いつも冬の間は姿を現さない妖怪だが、ここ数年、夏も冬も、もちろん春も秋もてんで姿を見ないのだ。
幸いにして、結界の管理その他は問題なく機能しているようだが、それでも賢者の姿が見えないのは色々と不安である。
彼女の式が言うには特に何の問題も無いとの事だったが、そんな言葉だけで安心ができるものだろうか。
なんにせよ、平穏無事であって欲しいものである。
――「稗田家十一代目当主の手記」より抜粋。
「え、紫の事? 何か今更感漂うわね。ああ、今居ないから……。
でも私も、そこまで紫の事知ってる訳じゃないのよ。ホラ、私って生前の記憶無いし?
でも、生きてた頃もそんなには紫の事知らなかったんじゃないかなあ。死んでから随分と付き合ってるけど、未だにあの能力の仕組みわからないし。ふふ、そんな事言ったら私の能力もそうなんだけどね。
ただ、あの子外の世界への適応力が凄いのよねえ。だから何だと言う訳でもないのだけれど。
ごめんなさいね、ネタになりそうなものは分からなかったわ。え? 友人かどうかって?
馬鹿ね、ここまで付き合いが長くなると、もう友人なんて言えないわよ」
――「八雲紫と親しい人物からの証言」
あの日、あなたが何事も無く戻ってきた時、私は喜びに震えました。
そして同時に、すぐに謝ろうとも。あの時の私の行動は、私達の友情を侮辱するものだったし、私はそれが許せなかった。
すぐに謝って、そしてとても虫のいい話だとは思うけど、今までの関係に戻りたかった。
あなたは良いよ良いよって笑って許してくれて、でもそれがちょっとぎこちなくて、ああ、でも許してくれたんだって思いました。
……でも、さ、メリー。教えてよ。あなた何時からコーヒーをブラックで飲めるようになったの?
最初に気付いたのはそこだった。あれ?おかしいな?で終わるはずだった。
でも、見れば見るほどおかしいのよ。あなたはそんなに男の子のあしらいが上手かったっけ?
あの坂を上る時、全く息を切らしていなかったじゃない。隠してるみたいだけど、数学が出来るのも知ってる。
そして何より……倶楽部活動をしていても、あなたはどこか、そう、全く興奮していない。
退屈そうにはしてない。けど分かるの。これを楽しんでいるのは私だけなんだって。
以前のメリーだったら、一緒に笑いあって、泣きあって、そして楽しみあえたのに。
メリー、ねえメリー。あなたは本当にメリーなの?
――「宇佐見蓮子の日記」より抜粋。
~マエリベリー・ハーン~
ばぶー。
産まれは日本。西洋人とのハーフ。と、帰化した西洋人との間に産まれた。玉のように、もてはやされた。
まあ、その辺りは一般的な家庭であれば良くある事なのだろう。それなりに幸せな生活をしていたと思う。
六歳位の時、自分が人とは少し違う事に気付いた。他の人には見えないものが見えている。
それは、最初は、とても身近なもののように感じた。特に疑問は持っていなかった。白く光る、すじのようなものだった。
ちょっとした疑問を持って、親に聞いてみた。これはなんなのか。何を言っているのかわからない、と言う顔をされた。
幼心に、ああ、これは人に言ってはいけない事なのだな、と思った。
好奇心は旺盛な年頃であった。
自分の見えているこれが何なのか気になって、色々な本を読んで調べた。
周りの人は、自分を才女だと言った。良く勉強をして偉いね、とも言った。私は、私が気になったからしているだけだった。
それが一番大切なことなのだと知るのは、ずっと後になる。
それなりに良い学校へ進んだ。この頃になると、私は自分の見える物の事、そしてそれが視える眼の事を隠すようになっていた。
ときたまチラ、チラと視界に入るすじのようなものは、常に気になり続けていた。同時に、誰にも私の気持ちが分かる事は無いのだろうな、と思うと、酷く悲しくなった。
せめて、見えなくても良い。理解してくれる相手が欲しかった。
京都の、それはそれは大きな大学へと入った。好奇心に押され、副次的にではあるが学力は高かった。
この眼に対する不安や心細い事など幾らでもあったが、それでもグレなかったのは、そんな環境ではなかったからだろう。
何と言うか、伸び伸びとした家庭だった。ストレスなどは溜め込まない。父の口癖は「なるようになるさHAHAHA」だった。
一人暮らしもすんなり認められた。誰からも反対されなかった。どうもうちの親族は結構適当な感がある。
良く考えてみると、自分もこんな妙なものが見えているのに特に取り立てて騒いだような事は無かった気がする。
血は争えないなあ、と思った。
ああ、そう言えば、一人暮らしを始めるに当たって一つだけ父に言われた事がある。
「どうしようもなくなったら頼って来るんだよ。そうしたらパパはスーパーマンになって、君を助けてあげるからね!」
私は、父の事を「お父さん」と呼んでいたが、ずっと自分の事を「パパ」と呼ばせたがっている父親だった。
小さい頃から、変な親だとは思っていた。でも、なんだかんだで決める所は決めて来る、格好良い父親だ。
京都市内の何だかそれっぽい会場で、入学式が行なわれた。なるほど一流の大学だけあって、色々な所から人が来ている。
大学生活にこれと言った不安は感じなかった様に思う。どうにかなるだろうと思っていた。そしてこう言った場合、どうにかなるようにしておけば変に気負うよりも上手く行くと、経験で分かっていた。
どうせなら何かサークルにでも入ろうかと思ったが、あまりピンと来るものは無かった。どこも、凄く真面目か、凄く不真面目かの両極端で、真面目に緩くやって行きたい私としてはもっと、こう、緩い感じの物が良かったのだ。
しれに、折角こんな遠路はるばる京都まで来ているのだから、もう少し面白そうな事がしたかった。
贅沢なのかもしれない。でも、半分以上は本気でそう思いながら、私の大学生活はスタートした。
そうやって適当に過ごして一ヶ月が経った頃、講義中の教室で私に近づいてくる子が居た。
全体的に黒っぽい、すっとした服に、これまた黒いハット。その子は私の隣の席へどっかと座ると、某国のエージェントよろしくハットを深く被り、一枚の紙を渡してきた。
『きみに、話がある』
それだけ書かれた紙。何事かと思った。顔が隠れていて表情はあまり読み取れないが、口元はキュッと引き締まっている。凛々しいとか、そう言う以前に演技派だと思った。
今時こんな真似、小さな子供でもやらない。やるとしたら、むしろ大きなお友達くらいの物だ。まあ、この大学にはそんな変人も結構多いとは聞いていたけど。
もしや告白の類かとも思ったが、男の子にしては線が細い。女の子だった。胸は無かった。
「はじめまして、ハーンさん。貴女の事は調べさせてもらったわ!」
彼女は律儀にも講義が終わるまで座って待っていて、講義が終わると同時に、こう切り出してきた。
時々眠そうにしていたのが見えていたけど、突っ込まないでおいた。ハーンさんは寛大なのである。
「あなたは……だれ?」
「ふっ、私の名は宇佐見蓮子。物理学を専攻しているよ」
ちょっとそれっぽい雰囲気で答えたら、ノリノリで返してきた。案外面白い奴かもしれない。ところで、こんな入学して早々専攻なんて決められたっけ?
そんな和やかな雰囲気から一変、蓮子さんと言ったか、彼女がビシィ! とでも効果音の入りそうな勢いでこちらを見る。
「まあ、私の事なんてどうでも良いのよ。ねえ、ハーンさん。貴女、おかしなものが見えてたりしない?」
凄まじい眼力だ。と言うか、女の子のしていい目つきじゃない。
これは、もしかすると怪しい宗教の勧誘とか言うものではないだろうか。脳内に警鐘が鳴る。
「あ、あの、私そう言うのは間に合ってますんで」
「違うわよ、そうじゃなくて、貴女時々何も無いような場所をぼーっと見ている事があるでしょう。それも一度や二度じゃない、同じような場所を何度も。あとはまあ、勘ね。似たもの同士の勘。どう? 貴女がここでそれを認めてくれるのなら、私の秘密も話すけど」
なにこの子こわい。何時の間にか行動を把握されていると言うのは、中々に怖い物が有る。
でもそれ以上に、興味の方が湧いた。名前まで調べ上げて接触して来るなんて、殆ど確信に近いものを持っていなければ出来ない。
秘密と言うのも気になった。この子の行動力も気になった。私は、黙ってこくんと頷いた。
「ふふん、やっぱりね。夜、講義が終わったらまた会いましょう。場所は正門前の広場。時間は……八時位で良いわね」
それだけ言い残すと、彼女はまたさっさか何処かへと行ってしまった。
今日の分の講義が全て終わったのは午後六時。それからの二時間は適当に暇を潰して過ごした。と言うかこの時間設定、絶対あの子がもう一コマ分講義があるからだ。
八時になった。あの子はまだ来ない。まさかからかわれたのかとも思ったけど、すぐに思い直した。相手を信じる事って大切よね、うん。
しかし、もしも騙されていたのであれば、次見かけた際に問答無用で鉄拳マエリベリーパンチを叩き込もうとは思った。伝家の宝刀である。これも、父親に教わった物だ。
「いいかい、娘よ。女の子はおしとやかで有るべきだが、時には強くもならなくてはいけない。もし君を辱めるような輩が出てきたら、今から教える技をお見舞いしてやりなさい」
父は、強かった。若い頃は格闘技をやっていたらしく、自らの拳で木の板や瓦を割る所を何度か見せてもらった事がある。後にそれらには切れ込みなどの細工がしてあったと知るのだが。
そうして、いくつかの技を教えてもらった。父が足技を教えようとした辺りで、母からストップが入った。「蹴りではおしとやかさに欠けますわ、あなた」との事だった。母の中で、せいけん突きはまだセーフのようだった。
そんな事を考えていたら、彼方から走ってくる影が見えた。どうやら、杞憂に終わったようだ。
「いや、ごめんごめん。待った?」
「奥義の封印を破る時は来なかったようね」
全く、喜ばしい限りである。
「うん? まあいいや。それじゃ私の能力をお見せしましょう。夜にしか使えないんだけどね」
そう言って、彼女は空を見上げた。
「今の時刻は、午後八時七分四十二秒。時計見てみて」
慌てて、時計を見る。八時七分四十四秒。四十五、四十六。
「今、四十七秒になったわ。わかった? これが私の能力。夜空を見上げると、星が時間を教えてくれるの。本当は場所も分かるんだけどね、分かりきってる場所を言っても意味ないから」
確かにすごいといえば凄い。だが、
「なんか、勿体付けてた割には地味ぃー」
「うるさいわね、良いのよ別に地味だって。そんな事より貴女の秘密はなんなの?」
「私は、何だかそこかしこに光のすじみたいな物が見えるの。ただそれだけよ」
「貴女だって負けず劣らず地味じゃない」
「でも、気になるんだもん。他の人には見えてないみたいだし」
「ふむ、ねえメリー、それってもしかして見える場所が毎回同じだったりしないかしら」
「メリー?」
「あなたの事よ。ま、まえぃ、べ……ハーンさんとか呼びにくいし。ね、良いでしょ?」
なんだか可愛いなこの子。マエリベリーって発音できないのだろうか。
「まえりべりい」みたいに日本語英語になるのを避けようとして、結局失敗している。
ちなみに私も、ちゃんと発音できるのは自分の名前だけだ。一通りの発音だけ教えられて、お父さんに
「でもここは日本だから日本語だけ使えれば良いよHAHA」と言われてそのままになってしまった。
その割には名前の発音だけはしっかりと覚えさせるのである。おかげでこんな風貌なのに外国語は全く喋れなかった。
単語は知ってるし、リスニングも簡単なものなら出来るけど、それと実用的な会話能力とは全く結びつかない。
「まあ良いけどさ」
「よし、決まりね。んで、どうなのよ。同じ場所かどうか」
「たしかに、似たような場所に見える事はよくあるわ」
「やっぱり。貴女、いつも似たような場所で似たような所を見るんだもの。貴女の視ている物がなんなのか、もしかしたら分かるかもね」
彼女、蓮子はオカルト信奉者だった。物理学などを専攻(しようと)しているのも、現科学の穴を暴いてやる、そんな理由だ。
自分と一緒にサークルを組まないかと誘われた。この世の不思議なものを見付けるサークル。
二人の眼があればきっと出来ない事は無いと。二人とも大した事が出来る眼な訳では無いなんて、分かっているはずなのに。
とても快活な子だった。きっと彼女も私と同じように眼を隠して来たに違いないと思っていたのに、全然そんな事は無く、むしろ大いにひけらかしていたと言っていた。
でもやっぱり、寂しさは感じていたらしい。私の事を見つけた時は、「これだ!」と感じたと言う。
こんな風に軽く言ってはいるが、多分彼女は動きに動いて、私を見つけたのだと思う。何日も観察して名前まで調べるなんて、普通はしない。念入りに考えを纏めて、確信を抱いてから接触してきたのだ。
そして私は、彼女に動いてもらって引っ張り上げられたのだと思う。そう、引っ張り上げられた。彼女とは、随分話が合った。お互いの特殊な眼の事も、遠慮なく語り合えた。
彼女がこうやって行動を起こしてくれなければ、私はもうずっとこうやって自分の眼の事を誰かと話すなんて出来なかったかもしれない。
見習わなければいけないな、と思った。そして同時に、私は生涯の友を手に入れたのだと思った。
~一線を越えた~
彼女の知識を総動員して、私の能力は結界そのものを見ている事が分かった。何故見えるようになるのか、結界のどう言った部分が見えているのか、そこまではハッキリとしなかったが、仮説は立てられた。
結界だと知った時の蓮子の驚きようは凄かった。最初なんて、地縛霊が見えているのだと言って各種霊能者の所へお参りに行ったというのに。
五人の所へ行って、三人から「憑かれている」一人から「なんの関係も無い」と言われ、最後の一人には会ってすら貰えなかった。流石に会ってもくれないのはどうかと思ったが、言われる事にバラつきがあるため霊の説はお流れになった。
次に、気脈のようなものが見えているのだと言う事になった。たしかに、気脈ならば特徴も合致していると言えた。
しかし、古い文献を漁ってそれらしき場所へ行っても、何も見付からない。有る事には有るのだが、気脈を現しているにしては小さすぎたし、なにより何かが見えるのはそう言ったパワースポットと関係の無い場所の方が多かった。
そして最終的に、結界だと言う結論に達した。結界。数あるオカルト誌でまことしやかに囁かれながらも、誰も目にした事が無いもの。情報すら、はるか昔の伝承に残るだけで、それこそここ数百年では名前すらも出てこない有様だった。それでも、オカルトマニアの人気は高い。
そう、結界は存在するのだ。他でもない国がそれを認めている。結界を暴く事は禁止されていた。未だ誰も暴く事はおろか、発見する事も出来てないのに、それなりに重い刑罰が設定されている。
そんな特A級のオカルトの手掛かりを、私達は手に入れてしまったのだ。
当然倶楽部活動も慎重になって行く……かと思いきや。そんな事は全く無く、むしろ日を追うごとに大胆さは増していった。
と言うのも、この法律、罰則はあっても適用される条件がいまいち適当なのだ。
多分下手に規定を作って他のオカルト活動の制限になる事を避けたのだと思う。それとも、結界を発見する事が出来る者など金輪際現れないとたかを括っているのかも知れなかった。
ともあれ、そのお陰で何を気にする事も無く活動できるのである。楽で良い。
「もし見付かったらエージェントが始末しにくるのかもねー」などと蓮子は笑っていた。私はむしろ、モルモットにされるのではと思った。人間の扱いを受けられるのだろうか。少し、怖くなった
蓮子は、考えすぎだよと言って笑っていた。
倶楽部活動は、各地の名所探訪の様なものが大半だった。
蓮子と一緒に、西にUFOの噂があれば駆けつけ、東に蓮子の実家があればお邪魔した。泣いてる老婆を家まで送り届けた事もあった。
その度に、まあ、夢の有る話無い話もしたりした。いつか月にも行ってみたいわねえ、なんて。夢物語ではあったが、楽しいものだった。
各地のそれっぽい場所を歩いていると、たまにくらっと体がぐらつく様な感じがあったりする。最近気付いたのだが、そんな時蓮子はいつも私の前に出て道を歩くのだった。
何故かと聞いたら、笑って「なんとなくよ」と答えられた。あまり納得は出来なかったが、そう言うものなんだなと思った。
倶楽部活動を続けていく中で、いくつか結界の綻びのようなものを見つけた。ずさんな管理体制だと言わざるを得なかった。やはり、あの法律は形だけなのだとも。
くぐれそうな程大きなものを一箇所見つけたので、二人でくぐってみた。景色が変わった様に見えて、雰囲気も変わったように思えた。途轍もない、世紀の大発見をしたように感じた。
蓮子と二人で、きゃっきゃとはしゃぎ回った。暫くそうやってはしゃいで、その日は帰った。恥ずかしい事に、結界を越えてからの活動を何一つ想定していなかったのである。
次の日来た時、結界のほつれはなくなってしまっていた。「目を付けられるような事は無くなったんだし良いんじゃない?」と蓮子は言っていた。
でも私はエージェントに目を付けられるなんて事は起こらない様な気がしていた。国の結界への対応は、どちらかと言うと臭いものにフタをしているだけに思えた。
そしてある日、私マエリベリー・ハーンはふとした拍子に、これまたある事を掴んだ。
それは言わば何かをする際の要、コツとも言うべきもので、それは掴もうとして掴むものではなく、また掴むまいとして掴まないものでもなく。ただ、これから通るであろう道に行き着いたと、ただそれだけの事だった。
そして、そのコツを掴んだ時、そこらに見えている結界を、触る事が出来るようになった。指を這わせると、結界がゆれて、薄くなって行くのが分かった。
あれ、と思った。よく周りを見回してみると、白く光るそれ以外にも、光らないもの、色の違うもの、形自体が良く分からないもの。そんなもの達が見えるようになっていたのだ。
何事だ、と思った。でも、あまり不安は感じなかった。本当は、認識出来なかっただけで前から見えていたのではないか、そう思った。
コツさえ掴めば後は早かった。自らの能力が自在に操れる快感。そこから、どこまで行けるのかと。好奇心が心を支配するのにさほど時間はかからなかった。
蓮子には隠しておいた。あとでサプライズ的に見せて、驚かせてやろうと思った。
いくつかの事を試し、能力の操り方を一通り覚えた所で、能力のお披露目場所を探した。
昔、パワースポットを探し回った時の場所で、心当たりがあった。二人で絶対に何かあると思って行ったのに、予想に反してあまりに何の反応も無かった場所。
しかし、そんな事がある筈は無いのだ。その地方で一番大きいとされている気脈が、二つぶつかり合うような場所だった。他の気脈では、小さくても何かしらは見付かったのに、その場所にだけは見付からない。どう考えても、不自然だった。
山の中に古い参道があり、気脈の位置と思しきところに大きな石が置かれている。そんな場所だった。その石を崇めているのだと言う。
二人で行った時、石の場所を見ても何も感じるものは無かった。何の変哲も無い、ただの丸っこい石。そうとしか思えなかった。参道。これに秘密が有るような気がした。
日が暮れた頃、蓮子を誘ってもう一度その山へと来てみた。私の読みが正しければ、きっとこれで合っている。
なんだか、結界のある場所も感じ取れるような気がした。この山の中から、気配のようなものが伝わってきている。
とても、大きい。
「ねえ、メリー。ここって確か前に来た事無かったっけ? それも大ハズレだった」
「蓮子、その時って場所を確認しながら参道を進んだっけ」
「いや、流石にそんな面倒くさい事はやらなかったけど……」
「多分ね、この参道は罠だと思うわ。少しづつ、目的の場所からずれている」
「……ふぅん、だから夜に来たって訳ね」
「頼りにしてるわよ、連子」
そう、彼女の能力。その両眼は、星を視て時間を知る他に、月を視て場所を知る事が出来る。
彼女の基準にしか対応していないため多少の使い勝手の悪さはあるが、それでも国内ならば十分役に立った。
参道を登って行くと、蓮子がここだ、と言った。段々と目的の場所からずれていると。そこからは森の中へと入っていった。暗い。何度か、つまずきそうになった。
森の中は不気味だった。何か居ると感じたのではない。何も居るように感じられなかったからだ。風の音も、虫の声も、全く聞こえはしなかった。
空が見えにくい、と蓮子がこぼした。
不意に、開けた場所に出た。小さな、祠が有る。人など滅多に来ないだろうに、汚れ一つない、綺麗な祠だ。
そして、その前、きっとここが、気脈の交わる場所。そこには、2mはあろうかと言う光のすじが、いや、これはもう光の柱と呼ぶべきだろう、聳え立っていた。
昔からの霊峰で、力場の重なり合うところ。そこに生じるゆがみ。そんな場所には、何かがある。やはり、思ったとおりだ。そう思った。
「メリー、何か見えるの?」
「これは凄い、これは、凄いわよ蓮子。あなたの背よりも高い」
「それって、目茶苦茶大きいじゃない!」
驚く親友に内心ほくそえみながら、私は結界に近づいていく。そして、向き直って、一言。
「このスキマを、今から開いて見せます!」
手を結界の下端にそえ、一気に引き上げる。乾いた音が鳴る。結界はそこに大きく口を開けていた。中は見えない。
開かれた空間はかつて無いほど巨大で、一瞬たじろいだけれども、すぐに持ち直した。
圧倒するような気が、空間の向こうから滲み出ていた。無理矢理、頬を引き攣らせて、耐えた。
「さあ、行こう蓮子。これは絶対、面白い事になるわよ!」
無理矢理、元気を出した。そうしないと、呑まれてしまいそうだった。まるで、人の子にはとても分不相応だとでも言わんばかりに。蓮子は、何も応えない。
気圧されている場合では無い。親友の手オ握って、結界に飛び込もうとした。引っ張り返された。彼女は、じっとこちらを見つめていた。
何故引っ張り返されるのだろう。蓮子は行きたくないのだろうか。途端に、自分も何だか怖くなってきていた。
じわりと、結界が揺らいだ。さっきよりも、威圧感が減っている。しまったと思った。この入り口は、あまり長続きしないんだ。
気が付くと走っていた。手を握ったまま、開かれた結界の中へと飛び込んだ。
全身が入る瞬間、手を、振り解かれた気がした。
光に包まれた。光、だったのかどうかはわからない。ただ、視覚情報が役に立たなくなったのは確かだ。
良く分からない時間だった。長いとか短いではなく、時間の感覚自体が狂っていると感じた。
私は判断を間違えたのだろうか。そんな思いがよぎったが、今更、どうしようもない事だった。
目を開けられるようになった時、私はどこか見知らぬ場所に倒れていた。小さな、原っぱ、のような場所だった。周りは山に囲まれている。
日は、中天に差し掛かっていた。結界に飛び込んだ時は夜だったのに。時間が、ずれている。どれだけあの中に居たのだろう、と思った。
結界の向こう側、と言う事ならば別に知らない場所に来てもおかしくは無いのだが、今のは結界を乗り越えたのとはまた違う気がした。
乗り越えると言うより、運ばれる。今となっては、あれは本当に結界だったのかとも思えてくる。少なくとも、人を何処かに飛ばす結界の話は、聞いた事が無かった。
辺りを見回してみた。帰れる様な空間の入り口は、見付からなかった。
蓮子の事を考えた。裏切られたような気がして、ちょっと悲しくなった。
しかし、よくよく考えてみると、自分も相当な無茶をしていたと思う。せめて蓮子に相談して、下準備を十分にしてから突入するべきだった。今の自分は、ナイフの一本も持っていない。
知らない土地。最悪何日か野宿をする事も視野に入れなければならない状況。自分のせいで親友を死なせてしまったなどと、そう思う事が無いだけでもよしとした。
帰ったら、謝ろうと思った。
とにかく、歩いた。帰る方法を探した。力場に出来た空間から来たのだから、近くに似たような場所はある筈だった。
見付からなかった。原っぱは諦め、山に入るしかなかった。そうして暫く歩いて、おかしな事に気付いた。
幾ら歩いた所で自然は終わりを見せず、人の住む気配も無い。もっと言えば、人の手の入った気配すらないのだ。
そんな場所は、日本にはもう無かったはずなのに。いくらか、小さな自然は存在している。でも、そのどれもが何かしら人の手を入れられているか、とても小さい、数十分や数時間で外に出てしまうような所だった。もう、日が暮れようとしていた。
そして、日が暮れた。暗い。その場で、夜が明けるのを待つしかなかった。どこかから獣の唸り声がする。聞いた事なんて無いはずなのに、確実にそうなのだと分かった。私を見つけたら、きっと襲い掛かってくるだろう。
怖かった。気付かない内に、体が震えていた。木の上に登った。途中、二回ほど落っこちたけど、どうにか登る事が出来た。
心細さに、おかしくなりそうだった。その日は、眠る事が出来なかった。親友の名を、何度も呟いた。
それから数日。ついに歩けなくなり、膝をつき、最後を待つのみとなった。薄れ行く意識の中で思い出すのは親友の事。
ついぞ謝る事はできなかった。調子に乗りすぎたのかな、と思った。力に浮かれ、溺れた者の末路なのかと。
境界を見る事が出来る。その境界をこじ開ける事が出来る。それが一体何の役に立つのだろう。
こんな能力を持ってしまったばかりに。じっと手を見つめた。土だらけだった。女の子の手にしては、とても汚れている。
そう言えば、女の子らしい事も出来なかったなあと思った。自分の眼の事にかまけて、恋もしてこなかった。
ぼーっと手を眺めている内に、ある事に気付いた。自分の手の中に、何かぼやけたものが見える。もっと良く眼を凝らして視た。
ハッキリと、視えた。幼い頃からずっと見えていた物が、そこにはあった。
ためしに、自分自身の体も視てみた。細かい擦り傷がいくつかある。違う、もっと深い所だ。視た。なにかが、視えた。
右手を見てみた。良く見ると、そこかしこに何かすじのようなものが見える。
私の見ていたものは、結界ではない。そう気付いた。左手でそれをいじってみた。
右手の感覚が変わっていく。じわり、じわりと。ぐず、ぐずと。何が起きているのかは分からないが、ただ、右手の内部が変わっていくのだけは分かった。不思議と、痛みは無かった。その代わりに、何か、溶けて行くような。
水気の多い泥を踏みしめていくような、そんな感触があった。左手も、同様にした。
どこか強張った右手で左手を触っている間、私が見ていたものは何だったのだろうと考えた。結界も見えていた筈だ。
何度か結界の張られていると噂の場所にも行ったし、そう言った所では必ず光のすじが見付かった。
光のすじ。考えてみると、おかしかった。結界の有る場所にあったので気付かなかったが、結界ならば面で見えなければおかしいのだ。
左手を、いじり終わった。指を動かしてみる。やはり少々強張っていたが、問題なく動いた。
両手をいじり終えた。体を視る。いくつかのすじが視えた。手を胸に当て、息を整える。
手を押し込むと、ずず、と身体の中に入っていくのが分かった。呻き声が漏れる。
体の中が変わっていく。言いようの無い不快感に襲われた。手よりも、もっと酷い感触。
体の中を、毛虫が這い回るように感じる。呼吸が、早くなる。喉から何かが、こみ上げて来ているのを感じた。
何も口にしていないので、かすかな胃液だけが出て来る。思わず、えずいた。
脚が痙攣している。なおも、体の中をいじり続けた。股下に、濡れる感触。便が、漏れ出ていた。
蓮子が居なくて良かったと、心の底から思った。
全てを終えた時、疲れも、空腹も、感じなくなっていた。
代わりに、何か大切なものを失っていた気がした。
~放浪の旅~
歴史に詳しくないため西暦の何年ごろかはわからないが、ここが辛うじて日本であることは分かった。それも、相当の過去の。
最初、夢だと思った。ようやく人の住む場所を見つけた時、目に飛び込んできたのは竪穴式住居。こんなもん、一生涯目にする事は無いと思っていたのに。
農作業をしていた人が居たので試しに話しかけてみたが、もちろん言葉は通じない。それどころか、一目散に逃げられた。これまた良く分からない言葉を叫ばれて。
私は、ここでは人間ではないとされた。自慢じゃないが、私もそれなりに可愛い方だとは思っていたので、少しショックだった。
仕方が無いので、山にこもった。幸い飢えて死ぬような事も無くなったので、いくらでも居る事が出来た。サバイバル能力だけが、いやに高くなっていった。
いくらか生活を続けていて分かったのは、私達が結界と呼んでいたものは、どちらかと言うと結界とそれ以外の場所の境目であったようだと言う事。
この時代にもすじと呼べるものがあって、それが元居た時代よりも格段に多いのだ。ただ、色が違った。紫色をしていた。
自然の多さに比例するのかとも思った。もと居た時代でも境界は幾つか見かけたが、自然の有る場所には限らなかった。白い色は文明の色かと、そう思った。
思い返すと、私がすじを見つけた時はまず何かがあり、それと別のものとの違い、ズレが生じる部分を見ていたように思う。私はこれを境界と呼んだ。
そして境界が開かれた内部の事を、スキマと。何故だか、この解釈でまず間違いないと言う確信もあった。
ある日、奇妙な動物に出会った。今まで見た事も無いような形で、跳ねて目の前に来たかと思うと、スッと通り過ぎていってしまった。
そう言った者たちが多く居る所には、決まって紫色のすじがあった。
あれこそがこの時代の日本で怪異と呼ばれているもので、かつて自分達が追い求めたものであると知るのは、もう少し後である。
元の世界へと戻る方法を探して、数年が経った。早い物だった。各地を放浪しては、巨大なスキマが無いかを調べる生活。
ときたま、自分が最初に出た場所へと戻ってみたが、何の進展や変化が有るわけではなかった。
人が恋しくなった。今までも何度か寂しさを覚えたりする事はあったが、その度に打ち消してきた。
やるべき事があったし、結局の所この時代では人里に行った所で化物扱いをされるのが落ちなのだ。
しかし、もう耐えられなくなった。
私は船に乗った。大陸への、貢物を運ぶ船だろうか。
船室に隠れて気配を絶つ。容易い事だった。大陸へ行ったら、諸国を旅するつもりだった。
何処へ行こうともこの時代の日本よりは文明が進んでいるだろうし、なんなら欧州へ行って定住しても良かった。あそこなら、私と似たような外見の人の方が多い。
言葉の違いなどは、些細な事だった。なにしろ、覚えればすむのだから。
大陸は、流石に文化が進んでいた。城が有る。そして、城の中に町がある。外敵が多いのだろうか。
しかしやはり、この姿は目立った。頭髪や瞳をいじるのは、何か取り返しのつかない事になりそうだから止めておいた。
昼の間は顔を隠して何か私でも出来そうな事は無いか探す。夜になったら、適当な家の中に隠れ潜む。
そうやって何日か過ごした。山にこもっているのと変わりはしなかった。言葉は、そうやって居る内に自然と覚えた。
使いもしない言葉だった。
自分が、この時代には過ぎるほどの知識を持っている事に気付いた。これを使って取り入れば、容姿など関係ないのではないか。
しかし、私の介入はその後の歴史を大きく変えるだろう。それこそオーバーテクノロジーも良い所なのである。
私自身が消えてしまうかもしれなかった。必要以上に強く人と関わる事は、出来なかった。
気付くと町を出ていた。何処へ行くあても無く、ふらり、ふらりと彷徨っていた。
欧州へと辿り着いた。ひたすら歩いていた。途中で馬が欲しくなったが、盗みをはたらくのは嫌だった。
ここでは、あまり奇妙な目で見られる事は無かった。しばらくは、ここに居ようと思った。
~あやかしの時代~
数百年、大陸に居た。色々な事を見て、色々な事を学んだ。戦も、何度か経験した。
何時の間にか歳をとらなくなっていたし、付き合いも自然と人から妖怪へと移っていった。
名前も変わった。ハーンも、マエリベリーも、こちらの人たちは発音が出来なかったからだ。欧州でも、まだ言葉が違うようで、馴染みは無かった。
仕方が無いので、そのつど音の似た言葉を当て嵌めて名前にしていた。少しでも、名前に繋がりを残しておきたかった。そうすれば、きっと忘れる事も無いから。名前だけでも、覚えていられるから。
陰陽術を、良く学んだ。西の魔術はまだ発展途上だったと言うのもある。しかし何より、この陰と陽の考えかたが好きだった。
この数百年で、自分の力は驚くほど強くなっていた。能力の汎用性が高いからだろう。能力の扱いに慣れてからは、時々自分の身体をいじって、妖力の底上げをしていた。最初に比べれば、すんなりと変化は済んだ。
妖力をぶつけて、空間に無理矢理スキマを開く術も見つけた。その中に、身を隠す事も出来た。ある程度近ければ、離れた空間を繋ぐ事も出来た。
いつしか、私と並ぶ事が出来る者は極わずかになっていた。
久しぶりに、日ノ本へ帰ってみようかと思った。
もうそろそろ文化的に発展してきても良い頃だし、あちらへ渡ったと言う大妖の話も気になった。
船で帰ることにした。別に飛んで行っても良かったのだが、疲れるし、どうせなら帰郷は出た時と同じ方法でとも思った。
この頃から、元の世界に戻るなんて言うのはどうでも良くなっていた。もう、私は変わり過ぎてしまったし、今更彼女と会っても、どうしようもないだろうと言う思いがあった。
いつからか、随分と老獪になっている自分に気付いた。
大きく様変わりした日本を歩きながら、ふと、面白い子供を見つけた。
死の臭いが漂っている。今までに見た事も無いような姿をしていた。姿形が、と言う訳ではない。
興味が湧いたので話しかけてみた。あえて、妖怪の姿を隠さずに。何故か、すぐに懐かれてしまった。
しばらくはその子と良く遊んだ。
その子は歌が得意だったので、何か私の名前にも箔を付けてくれと言った所、歴史も交えて大層な由来を付けてくれた。
今まではただ名前に当て字をしただけで、そこまで深くは考えていなかったのだが、なるほど面白い。
もうこの名前で固定してしまっても良いかと思った。今度からはそう言う意味だと人に教える事にした。
その子が成長し、大人になり、子供をもうけるまでそんなに時間はかからなかったような気がする。
いよいよ私も人ではなくなって来たのだな、と、一人嘲笑した。
その子が旅に出た。一人、娘を頼むと言い残して。妾腹の子だから、公に育てられないのだと言う。
その娘もまた、父親と同等、いやそれ以上の力を持っていた。人間には過ぎた力だった。
その娘も、父親と同じく歌を愛した。
これも縁だと思い、小さい頃から面倒を見てやった。良く、頭を巡らす子だった。優しい子だった。
その子が大きくなってからも、私もまたこれといって用事は無かったので、ちょくちょく遊びに行った。
庭の桜の木の下で、歌を詠みあうのが、その子のお気に入りだった。親から受け継いだ死の力も、これと言って問題は無いようであった。良い兆候だと思えた。
まさか、その子が、私の居ない間何をして遊んでいるかなど考えもしなかった。
年の頃十三、四になっていた。
少し彼女の元を離れていた。それでも数ヶ月程度だったが、なんだか長く感じた。
それまでは一年や二年など、時とも思わなかったのに。やはり、誰かと交わると言うのは大切なんだな、と思った。
そして暫くぶりに彼女の元へ戻ってきて、庭で遊ぶ彼女の姿を見つけた時、私は自分の目を疑った。そんな事が、あるのかと思った。
彼女は笑っていた。笑いながら、遊んでいた。白い、ふわふわとしたもので、お手玉のような事をしていた。遊んでいたものの一つが、はじけて消えた。
霊魂であった。
彼女の、強い死の臭いの源が分かった。この子の父親は、こんな事はできなかった。
死霊を自分の支配化に置く事が出来た。肉体ではない、魂そのものに干渉する力。あまりにも危険な力。
本人は、その力の危うさをまだ理解していない。近くに死体は無かった。あの霊魂はそこらに浮いていたものを捕まえただけだろう。それだけは、不幸中の幸いだった。
彼女にその能力の事を聞いたら、ただ「こうやって遊ぶ事が出来る」とだけ答えられた。今自分が手にしている白いもの。それが何なのかすら分かっていない。
何時頃からそうやって遊んでいたのかたずねた。数年前からだと言う。全く気付かなかった。私が居ない間、こうやって遊んでいたのだと言う。最近になって楽に動かせるようになったと、動かせる数も増えたと彼女は言った。
能力が成長している。いつか近いうちに暴走する。決して、有り得ない事ではなかった。
彼女の力を抑える方法を探す事にした。二年ほど家を空けると、その間、さっきのような遊びはしてはいけないと、念入りに教え込んだ。しぶしぶながらも、承諾はしてくれた。
他に例が無い能力だった。大陸でも、こんな能力は聞いた事も無い。二年で帰ってこれるかも、本当は分からなかった。
でも、やるしかなかった。
一年が経った辺りで、鬼が死に関して詳しいとの情報を手に入れた。
鬼。強大な力を持つと聞いている。公明正大を好み、小細工を嫌うとも。今までいくつか噂を聞いた事はあったが、会うのははじめてだった。
京の東の山。その辺りを根城にしているらしかった。
山は、異様な雰囲気に包まれていた。人外の放つ雰囲気。妖怪の山。
どうも居るのは鬼だけではないようだ。姿は見えないが、そこかしこから色々な妖怪の気配がする。
姿を隠し、山へと入った。流石に私も今や大妖の一人に名を連ねている。この程度の妖怪達に見付からない様にするなどは、雑作も無い事だった。
山の中腹辺りで、鬼が集まっているのを発見した。
その中で一際暴れている小鬼が居る。鬼の喧嘩だろうか? いや、どうやら力比べをしているようだった。
体は小さいのに力は強い。見た限りではこの短い間にもう三人も投げ飛ばしている。今、四人目が向かった。瞬間、後ろへ飛ばされていた。
「おい、出てきなよ。そこの陰に隠れている奴!」
五人目を投げ飛ばした所で、いきなり小鬼がこちらに体の向きを変え、言った。
先手を取られた、と思った。まさか、私の事を察知出来る奴が居るとは思わなかった。
面倒事は避けたかったのだが、ここで逃げると鬼の機嫌を損ねる怖れがある。腹を決めて、出て行くしかなかった。
「こんにちわ、小鬼さん。良く私の居る事がわかったわね?」
辺りの鬼達にざわめきが走る。数人、好戦的な視線を向けてきた。
今すぐにでも襲い掛かってくると言う事は無いだろうが、少々厄介だ。これだけの鬼を相手にするのは、骨が折れる。
「ははっ、あんた、バレてないとでも思ったのかい? この伊吹様を舐めてもらっちゃあ困るねえ!」
小鬼が、歯を見せて笑う。こうやって見ると、中々可愛いものだった。
しかし、伊吹と言ったか。まさかこの小鬼が、かの名高い鬼の首領だとでも言うのか。
だが、力は強いようだが鬼の首領としてはまだ物足りない気もする。それに今では伊吹童子は酒天童子と名を変えているはずだ。
するとこの小鬼は……。
「私は、あなたの親父様に用があるのです。あなたに用はありませんわ」
「連れない事言うなよ、大方、鬼に何かを頼みに来たんだろう? こんな場所にそんな軽装でやってくるのは大体そんな奴だ。でも駄目駄目、親父はそんなの聞いちゃくれないよ。何の得にもなりはしないし。今親父は忙しいからね」
やはり、酒天童子の娘だったか。子供が親の名前を貰う事は、割と良くある。それでも、幼名をそのまま貰うのは稀だが。
しかし困った。にべもない返事。最悪、力尽くで聞き出すしかないのかと損益計算をしはじめた所でもう一度、小鬼が口を開いた。
「でも私は違うよ。私は暇してるからね。なあ、アンタ、のっぴきならない事情を抱えてるんだろ? こんな場所に一人で来るようだ。まさか喧嘩しに来た訳でもないみたいだし。良いよ、話聞いてやっても。あんた相当の手練みたいだし。雰囲気で分かる。まあ、面白そうなら、の条件付だが。しかし、鬼に物を頼むのに酒の一つも持ってきて居ない様じゃ駄目だな。明日もう一度来な。私はこの山のどこかに居る」
そう言い残して、彼女はふっと消えてしまった。
周りの鬼達から歓声が上がる。こうやって霞のように消え去るのは、彼女の得意芸のようだ。
鬼達の私を見る目も、どこか違っている。もう好戦的な目をしている者は居なかった。むしろ、好意的と言っても良かった。
帰ろうとスキマを開いたら、一人の鬼に「鬼殺しなんて持って来たら承知しねえぞ」と笑いながら背中をたたかれた。
少しよろけた。あまり痛くは無かった。
次の日、言われた通りまた山に入った。あの鬼の居場所。妖気を探って場所を探す。
山の中だと言って居たが、昨日会った場所には居ないようだった。そこよりももう少し東へ行った所で、気配がした。
頭領の娘と言うには不釣合いな、酷く簡素なあばら小屋で、彼女は待っていた。
少し間をおいて、中に入る。
「酒は持って来たかい?」
小鬼が、床の上に筵を敷いて待っていた。私に、座れと促してくる。
「ええ、持って来ましたわ」
「その割には、何も持っていないようじゃないか」
「ここにありますわ、ホラ」
スキマを開いて、酒を纏めて放り出した。大小様々に、百ともう少し。
酒を、片っ端から買い集めた。高いもの安いもの、古いもの新しいもの。幸いにも数百年間で金目のものはそれなりに貯まっていたので、一気に放出した。どうせ、あった所で使いもしない金である。未練は無かった。
「うおおっ、なんだこりゃ!?」
「気に入って頂けたかしら? 煩悩の塊、これだけ集めるのには苦労したわ」
「いや、凄い凄い! これほどとは思わなかったよ。やるね、あんた」
大層興奮した様子で、小鬼が酒に手を伸ばす。
「なあ、これだけあるんだ。酒盛りしようよ」
「駄目よ、高いんだから。味わって飲みなさいな」
「うむぅ、分かったよ……」
渋々と、手を引っ込める。でも杯は持ったままだ。
「それで、情報の件ですが」
「まあ待てまあ待て。私は話を聞くと言っただけだぞ。……ああ、そう睨むなって!良いよ、教えるよ。鬼の誇りにかけて、嘘はつかない。ただ……」
杯を、投げてよこす。
「まずは、飲もうじゃないか。お前の事を、もっと知りたいんだ」
鬼の中に、地獄と交流があると言う奴が居た。変わり者の鬼だった。力もそんなに強くないし、どこか真面目な所がある。
彼に話を通してもらい、三途の河のそばで向こうの役人と会うことになった。
どうも話が早い。あの鬼は、本当に鬼なのだろうか。もし鬼だったとしても鬼と言う名前なだけではないのか。本質が全く違う、あれは、きっと地獄の鬼と言うものだった。
伊吹童子も付いて来ると言った。ここまで手を尽くしたのだから、自分にも顛末を見届ける権利はある。と言った。
勝手にすればいい、と思った。
三途の河。まさか生身で来る事の出来る場所とは知らなかった。なんでも、世界の所々にはそう言った区別の薄い所が有るそうで、そう言った場所は力のある者なら乗り越える事が出来るらしい。
役人に、彼女の死の能力の事を話した。死を、操る能力。出来れば、消し去ってしまう方法。抑える方法だけでも良い、知りたかった。
役人が難しい顔をする。伊吹童子が、早く答えるよう促した。役人が、口を開く。
彼女の能力は、これからどんどん強くなり続ける。世界の、ひずみのようなものだ。彼女の代でそれが完成されてしまった。
彼女に子が出来ればそこに受け継がれ、例え死んでも魂にずっと残り続ける。
すぐにでも殺してしまい、冥界側で魂を管理するのが一番望ましい。
絶望的な答えが返ってきた。思わず、掴みかかりそうになった。拳を握り締め、なんとか、耐えた。
展望は、閉ざされた。それでも何とか救う方法は無いのかと聞いた。せめて、苦しまないように殺してやるしかないと言われた。
殺さなければ、今に大勢の人間が死ぬと。人の精神でそれに耐えられる者は居ないと。もしも耐えられるようになってしまったら、その方が不幸であると言われた。
どうやってあの子に伝えればいいのだろう。あの子は、今でも私の帰りを待っている。せめて、殺すしかないのならば私に殺させてくれと頼んだ。
逆に、お願いする、と言われた。冥界から人員を送るのには問題が出るらしい。皮肉な話だった。
役人が帰って行った。
これから、私はあの子の元に帰る。本来の予定よりずっと早く帰れると言うのに、心は晴れなかった。
伊吹童子が、自分がやろうかと、提案してきた。断った。それがあの子への礼儀だと思った。ならば、せめて傍で見ていると言った。断りきれなかった。
一人では、逃げ出してしまいそうだった。
久しぶりに戻ったあの子の家は、閑散としていた。いつもならば、使用人が数名見える筈なのだが、それもない。
伊吹童子が、何かに気付いたようだ。少し遅れて、私も異常に気が付いた。
どこかから、腐臭が漂ってきている。手遅れだったか、と思った。
庭を回り、臭いの元を探す。近づいて行けば行くほど、臭いは強くなっていく。それも、尋常じゃない強さに。
桜の木の下、あの子が気に入っていたその桜の下に、何人もの人間が、山となって積まれていた。
十人や二十人ではない、五十人は居た。武具を装備しているものが何人か居る。外傷は、見当たらなかった。
あの子を探して、屋敷に入った。伊吹童子には、外で待っていてくれるよう頼んだ。
果たして、屋敷の一室、死の臭いの一番濃い場所。そこにあの子は居た。……うつろな目をしていた。
私が居る事に気付くと、顔が明るくなった。そして、何故私がここに来たのか悟ったのだろう。
悲しそうに顔を歪ませて、どうして居てくれなかったの、と言って、懐から短刀を取り出し、自らの喉へと突き刺した。
一瞬の事だった。私は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
何も、出来なかった。
彼女の亡骸を抱きかかえて屋敷から出た。私は、とても見られた顔ではなかったと思う。
伊吹童子に亡骸を渡して、冥界へ運んでくれと頼んだ。あの体が、彼女の封印には必要なはずだ。
私の事を心配して残ろうとしたが、一人にしてくれと言って、行かせた。誰かと一緒に居られる気分ではなかった。
一人残った屋敷の中ぼーっとして、ぼーっとして、何もしたくなくて。
どれ位そうしていただろう、せめてでもと思って桜の下の死骸を埋葬した。
装備をつけた者が大勢居た。辺りには武器も散らばっていた。きっと彼女は何度も命を狙われて、その度に殺して、
それでもずっと私の事を待っていたのだ。優しい子だった。一体何を思って、人を殺して行ったのだろう。
私は何もしてやれなかった、改めてそう思った。
割と早く、冥界からの使者が来た。
彼女の魂を亡霊として甦らせ、白玉楼の主人にするらしい。白玉楼。文人の魂が集まる場所だ。歌が好きだったあの子にはうってつけの場所だろう。
庭の桜が死体の血を吸い、妖怪になりかけていると言われたので、これも冥界へもって行く事となった。妖気を持った桜と、亡骸。この二重の封印を力に、亡霊は存在するのだと言う。
桜を冥界まで運ぶのに、私の能力が使われた。次元間の移送は少し不安だったが、どうにか成功した。
彼女の誕生に立ち会った。亡霊となるに辺り、生前の記憶は全て失われるとの事だった。それで良いと思った。あんな記憶は、持っていて良い物ではない。
名前も新しく付けた。西行寺幽々子。西行は落日である。寺は時とかけた。そして、幽かと言う事で幽々子。亡霊となのであまり縁起の良い名前でも箔がつかないだろうと思い、こうした。日にかけたのは、自らの持つ強大な力、そして行為。半分は、私への戒めの意味を込めての、命名だった。
後に似たような名前の坊主が、これまた似たような境遇で白玉楼へと来る事になるが、それはまた別の話。
しばらくの彼女の世話は私がやる事となった。記憶は無くとも性格は殆ど生前のまま残っていた。死んでまもなく亡霊となったからだろう。亡霊とは本来そう言うものである。生前の特性を、色濃く受け継ぐ。
しかし、今になって思う。私は、彼女に随分と影響を与えたのだな、と。段々と彼女の考え方が私に似て来ているのである。時々、ハッとさせられる事も言うようにもなった。
数年が経つ頃には彼女も大体の事を覚え、特に世話なども必要とはしなくなっていた。なので暇な時などは歌を詠んだり、文人の霊を集めて話を聞いていたりなどした。
また数年が経った頃、冥界からそろそろ白玉楼を去るようにとの通達があった。
生きているものが冥界に長く留まりすぎるのは危険だと言う。知っていた。最近、身体が重く感じるようになっていた。でも、それでも良いと思っていた。それが、贖罪になってくれるのではないかと思っていた。
出入りの制限は付けないと言われた。幽々子にも「元気になってからまた遊びに来てちょうだい」と言われたので、久しぶりに下界へ帰る事にした。
私の後任には、冥界でも腕利きの剣士が据えられた。まだ若い。しかし、その立ち居振る舞いからは、かなりの使い手である事がうかがえる。
幽々子に変な気を起こしたら、すぐに舞い戻って八つ裂きにしてやる。そう伝えたら苦笑された。
ふむ、良く見ると、中々の好青年である。そんな心配も無かっただろうか。名を聞いた。妖忌、そう答えた。
地上に降りた私は、隠居生活を送っていた。富士の近くに屋敷を構え、たまに白玉楼に顔を出し、幽々子や妖忌と話をする。
ときたま、土地の妖怪達が物を聞きに来る。いつしか私は、土地の長老のような扱いを受けていた。出て行く妖怪も、入ってくる妖怪も、生まれてくる妖怪もたくさん居た。その中で私だけが、ただ一人同じ場所を動かなかった。
こんな生活も悪くは無いと思った。特に何の動きも無く、ただその日を暮らす生活。とてものんびりとしている。
時々思い立ったように能力の修行をしたり、思索に耽ったり。白玉楼から書物を借りてきて読んだりもした。
そんな生活を続けていた最中、鬼が京に総攻撃をかけたと、流れの妖怪から教えてもらった。
今までにも何度か、きな臭い噂はあったのだ。ついにやったか、と思った。
そう言えば、鬼にも知り合いが居た。あの子とも長く会っていない。
また数日して、鬼が散々に撃たれたとの情報を手にした。今度は放っていた使い魔からだ。
鬼の頭領酒天童子も、首を取られて死んだそうだ。あの鬼の集団が、やられた。どれもこれもが、山を砕き、声を天に響かせると言われている者達である。にわかには信じがたい事だった。
何か、策を使われた。そう思った。
自分で確かめてみようと出かける仕度をしていると、ふいに、戸を叩く音がした。来客だろうか。
何かと思って出てみると、そこにはあの鬼。その昔に知り合ったあの子。伊吹童子が立っていた。
涙を流して、震えている。そこに、鬼の威厳など欠片もありはしない。
「ゆかりぃ、親父が、親父が死んじまったよぉ……」
そう言い残して、彼女はその場に倒れこんだ。慌てて駆け寄る。気を、失っていた。
軽く手当てをして、布団に放り込んでおいた。時折、うなされている。丸一日経って、目を覚ました。
「あ、紫……」
「あら、ようやっと起きたのね。汁の物ならすぐにでも用意できるけど、食べる?」
「……うん」
スキマを開いて椀ごと取り出す。彼女は少し頭を下げて受け取ると、小さくいただきますと言って口をつけた。
見るからに憔悴していた。無理も無い、彼女は、一気に色々なものを失ったのだろうから。
一人でここに来た。それが全てを物語っていた。続報で、かなりの数の鬼が討たれたと聞いた。父や仲間がやられて行く中から、単身逃げ出してきたのだ。逃げる。それは卑怯を嫌う鬼にとって、嘘に次ぐ屈辱だった。
妖怪は、人間に比べて精神の占める割合が非常に大きい。体に大きな外傷は見当たらなかったが、心的な外傷は計り知れない。こうなった場合、妖怪は人よりもすぐに死ぬ。
黙々と、彼女が汁を啜る音だけが聞こえる。時々何か言いたそうにちらちらとこちらを見てくるのが分かる。言い難い事なのだろう。私は黙って、彼女が話すまで待っていた。
汁を飲み終えた彼女が、口を開く。
「その、いきなり押しかけちゃって、ごめん」
「まあ、そうね。布団も占領されるし、傷の手当てもしないといけないものね」
間。彼女は上目遣いに、こちらを見ている。
「あのさ、本当、迷惑だったら、すぐにでも出て行くから。手当てとか、ありがとう。感謝してる、から」
そう言って、彼女は俯いてしまった。相当、重症のようである。
このまま帰す事は容易いが、彼女はきっと近く心の衰弱と共に体が崩れていき、死に至るだろう。
それを放って置くほど、私は寝覚めの悪い事をするつもりはない。
「なら何で貴女はここに来たのよ」
「う、だって、皆居なくなっちゃったし、紫しか頼れる人居なかった……」
「馬鹿ね、なら居ればいいのよ。私しか居ないと思ったんでしょう? なら居れば良い。下手な遠慮なんて、するものじゃないわよ? 貴女には似合わないわ」
「……ゆ、ゆかりぃー、お前大好きだぁー!」
そう叫んで、彼女が飛びついてきた。鬼の力で抱き締められたらたまった物では無いので、避けた。
床に頭をこすりつけながら、壁にぶつかって、止まった。恨めしげにこちらを見ている。
手をヒラヒラと振って、応えておいた。
「私ってさ、酒天様の娘だった訳じゃん?」
布団の中で、彼女が話し始める。
最初、一緒の布団で寝てくれとせがまれた。角が邪魔でどう考えても無理だったので、却下した。
すると、じゃあせめて一緒の部屋で寝てくれと言われた。今日だけだからと。まあ、断る理由は無かった。
「周りに居るのは、親父の取り巻きばかりだった。酒天様の娘って言われて、結構ちやほやされたよ。まあ当然、私も強かったんだけどさ、でも、やっぱり物足りなかった。かと言って親父の側近には敵わない。中途半端な強さだったんだ」
確かに、そうだった。力も強いし、面白い能力も持っているようだったが、しかしそれだけだった。本気で戦ったとして、私はおろか、妖忌にも勝てないだろう。
「対等な相手が欲しかったんだよ。立場とか関係ない。できれば、力も関係ない方が良かった。鬼の世界は、力が全てだったから。そして、お前が来たんだ」
なんだか随分と前の事のような気がする。時の経つのは早いものだ。そう思うと彼女と会うのも久しぶりな気がする。
最後に会ったのは幽々子が死んだ時だっただろうか。あれからずっと会って居なかった。
「もう二百年近くも前になるのかな。あの時、お前に酒を持って来いって言っただろ? お前は私の事ただの大酒のみって思ったかもしれないけどさ、あれ結構勇気振り絞ったんだぞ? 持って来て貰った酒で酒盛りして、仲良くなろうって魂胆だったんだから。そしたら阿呆みたいな量持って来て、本当、何事かと思ったよ」
なんと、もう二百年も経っていたのか。道理で久しぶりに感じた訳だ。同時に、鬼は信義を大切にすると言うのも、痛いほど分かった。
しかしすると疑問が残る。
「あら? じゃあ貴女どうやって私の家を見付けたの? 貴女に家の場所教えてなかったはずだけど」
と言うよりも、最後に会った時私は家など持っていなかった。幽々子の家に殆ど住み込みのような状態で居た事はあったが、基本的には各地を転々として居た根無し草である。
「頑張って探したんだよぉ。言ってなかったっけ? 私自分の体を霧に出来るんだって。それでしらみつぶしに」
う、それは少し気の毒な事をした。今度からもう少し優しくしてあげても良い。
「やっと見つけた時は嬉しかったなあ。丁度直前に紫の臭いのする奴見つけてさ。そいつの後つけてったらあったの」
それは多分情報収集用の使い魔の事だろう。そこら辺の動物を臨時に雇って使役している。
報酬は飯二日分。我ながら破格の待遇だと思う。
「そして、やっぱり紫は思ったとおり良い奴だったよ。ねえ、紫」
「ん、何かしら?」
なんだか、もじもじとしている。少しの間があって、彼女がまた口を開いた。
「これからも、私の友達で居てくれる?」
ああ、かわいいな、こいつ。
答える代わりに、彼女の布団に潜り込んだ。角が邪魔だったので、布でぐるぐる巻きにして枕にしてやった。頭を動かすなよ、と言った。それだけで、十分だった。うん、と小さく帰してきて、それで終わった。
もう少しばかり、話をした。鬼の事や、私の事。幽々子のその後も教えてあげた。布団の中で、少しじゃれあった。腹の肉をつまんできたので、胸の辺りを叩いて反撃した。
その内、二人とも寝てしまった。夜中に、目が覚めた。彼女は、もううなされてなどいなかった。
明くる日、彼女は旅立って行った。頭領の娘として、各地に散らばった鬼を萃めるのだそうだ。
どこか、遠い所へ行くかもしれないと言っていた。もう、人と争うような事も無いだろうとも。
彼女が去るのを見届けた後、私はまた、隠棲生活へと戻っていった。
~幻想の郷~
人間の力が強くなってきた。今までも力を持った導師、武士などは居たが、それらはあくまでも局地的な物。
今は、人間の社会全体が力をつけてきている。私の計算ではあと二百年。その位で力関係は殆ど逆転するだろう。
それまでに、どうにかして私達が生き延びる方法を考えなければいけない。
そう言えば、私の居た時代も妖怪などは全く見なかった。そう言う運命なのだろうか。
それは、認めたくなかった。どこかに、私達の生き延びるための場所を、抜け道を確保しなければならなかった。
まず人の居ない場所をと言う事で、本州を北上、ロシアの東部を目指す事にした。が、しかし蝦夷地にも辿り着けず断念。
北は、寒すぎる。防寒具は用意できない事もないが、案内も無しに探険するのは幾ら私と言えども自殺行為だった。
夏にもう一度挑戦しようかと思ったが、やめておいた。よしんば向こうに居を構えたとしても、寒さに強い妖怪もそう居ない。冬を越せず全滅するのは嫌だった。
次に、西へ向かい大陸へと渡ろうとした。中央アジアの高原地帯ならば、人の手も入りにくいし好都合だろうと。
良い案だと思ったのだが、二つほど問題があった。まず一つ。蝦夷地程ではないにしろ気候が厳しい。
そしてもう一つ。たしかいつかこの辺りで原発事故が起きていた気がする。歴史には詳しくないので細かい場所や時間はわからないのだが、流石にそんな危険な場所に移り住むわけにも行かなかった。
しかし候補には入れておいた。
最後に欧州。やはり、少し寒い。そして、遠かった。
途中で中東にも寄ったのだが、あそこは既に相当の発展をしている。それに、あの辺りは戦乱が起きやすかった。
しかし、土地は広い。どこかには、良い場所があるかも知れない。欧州が駄目だったら、中東に行っても良かった。
手ごろな土地を見つけて、その辺りの土地に住む妖怪に交渉を持ちかけよう。そう思った矢先に、向こう連中から接触があった。何の用でここに来たのか。観光とだけ答えておいた。すぐに帰るよう言われた。ここにお前に見せる物は無いとも。
欧州には、かつて来た事が有る。まだまだ若かった頃だが、その頃の伝手が有る筈だった。
その旨を伝えると、驚くべき答えが返って来た。私が今名を上げた者達は、全て先の騒乱で死んだと。
欧州では既に何度も妖怪達が覇権をかけて争っており、もう古い妖怪などは一人も残っていないと。
「ここにお前を歓迎する者は居ない。帰れ」最後にそう言って、その妖怪は去って行った。
気の良い奴らだった。私がこの地を離れる時も、諸手を振って見送ってくれたものだ。
もう一度位は会いたかったな、と思った。
結局の所何の収穫も無しに日本へ帰ってきた。何時の間にか幕府なるものが出来ていた。
ああ、そう言えば昔、誰かに教わった気がする。良い国作ろう鎌倉幕府。と言う事は、今は西暦千二百年前後か。
これは誰から教えてもらったのだったか。れ、れ……思い出す事は出来なかった。大切な名前だった気がした。
関東に幕府が出来てしまったので、随分な妖怪が東北へと流れ込んだらしい。あまり、良い事ではなかった。
このままでは、日本の東西で妖怪が分裂してしまう。そうするとますます個々の勢力が減衰していく。いつかあちらにも使者を送らなければならないだろう。
東北の山を探していると、なるほど、面白い場所を見つけた。妖怪の流入した土地。そこに元から住んでいた人々。そして、妖怪を追ってきた退治屋達。旧知の連中もいくらか見つけた。
魔力、気の巡りも悪くない。こう言った場所こそが理想なのである。
早速気の流れ方を調べて、似たような場所を見つける方法を求めた。
夜、旧友を集めて私の計画を話した。いずれも、私に劣らぬ賢者達である。
話し合いは、何日か続いた。何処に移住するか、どうやって移住するか。そもそも、奴らを纏まらせて動かす事など出来るのだろうか。
そんな中、誰かがこんな事を言った。「この里をそのまま隠してしまえば良いのではないか?」と。
妙案だった。すぐさま、細かい部分を詰める作業へと入っていった。
多数の妖怪を見かけたが、鬼だけが居なかった。きっと鬼もここに集まってきているものだと思ったのだが。
手頃な者に聞いた所、卑怯な手を使い自分達を退治するようになった人間達を嫌って、地底へこもってしまったと言う。「もう人間達とは争わない」昔伊吹童子が言っていたのは、こう言う事だったのだろうか。
伊吹童子もそうなのかと聞いたら、彼女だけは変わり者で一人でそこらをぶらついたり鬼の居る地底へ帰ったりしているらしい。
また、この地方の妖怪が急激に増えたため妖怪同士の揉め事も起きるようになっていた。
喧嘩っ早いだけならまだしも、酷い性格の者、厄介な能力を持つ者は早急に対策を考えねばならなかった。
ふと、何故自分はここまで妖怪達の事を気にかけているのだろうかと思った。何故なのだろう。
でも、何故だか、無くならせてはいけないのだと思っていた。自分が妖怪だからだろうか。良くは、分からなかった。
名付けて「妖怪拡張計画」と題されたそれは、二段階の構成で成り立つ。
第一段階。これはあともう少しして妖怪の力が衰え始めた時に発動する。即ち「勢力の弱まった物を引き付ける結界」
これにより交流の途絶えた西側の妖怪もその内こちら側に招かれる事となる。この結界はかなり大きく取る。
そして第二段階。最早完全に妖怪達が人間に追いやられた時、この結界が張られる。
こちらは「外の世界とこちらの世界の常識の差を利用する結界」となる。これにより、外の世界の文明が進めば進むほど結界は強固となり、干渉を受け付けなくなる。
いつか、我々の存在が受け入れられるようになったらその結界も意味を無くし、消え去るのである。
私は、この郷を幻想の住まう所、「幻想郷」と名付けた。
一つは自嘲の意味を込めて。そしてもう一つは、この地を誰もが幻想として見た理想郷にすると言う決意である。
ここに、我らが最後の砦、幻想郷は誕生した。
時は経ち、そろそろ第一の結界を張る、と言う段階になって問題が発生した。
血気に逸った妖怪達が、人間どもと決戦をすると言い出したのだ。それが、結構な数に上った。
無茶だった。確かに勝てはするだろうが、それは双方大きな犠牲を払った上での事となるだろう。そして、妖怪達は勝った後、特に何もしない。勝つだけ勝って、その後の人間の営みに口を出す者も殆ど居ないだろう。
纏まって動く、団結して動く。なまじ力が強いために、妖怪はこれが出来なかった。その内、人間達の凄惨な報復を受ける事になる。その先に待っているのは、完全な滅びだ。
そもそも古代、人間達の力がずっと弱かった時にも支配をしなかったのは、こう言った理由があるからではなかったのか。
しかし、彼らの熱気は納まる事を知らなかった。また賢者達を集めて、一計を案じた。
彼らを、外の場所に侵攻させることにした。日本ではない、どこかに。その地で負けてくれればそれで良かったし、もし勝ったのならばそこで定住してもらうつもりだった。
当初は外国に侵略をしかけるつもりだったが、最近出現した竹林の中に月から来た者が居る事がわかった。
結界がまさか土地までも引き寄せるとは思わなかった。その者達が言うには、もしこちらが月に行ったとしても月からはこの郷を見つける事は出来ないそうだ。
これはありがたかった。なるべくなら、遺恨は避けたい。そして同時に、まず地上の妖怪は負けるであろうとも言われた。そうなった時、彼らは一人残らず死ぬと。郷のためには仕方の無い事だ、そう自分に言い聞かせた。
情報料として何か礼を送ろうかとも思ったが、静かに暮らさせて欲しいとの事だったので、竹林を不干渉とする事で落ち着いた。
あの夜空に浮かぶ月に生活する者が居る事にも驚いたが、何よりもあの竹林に住む者達、あの館だけは完全に時が止まっていた様に感じた。
まだまだ、私にも分からない事と言うのは存在するものだと思った。
決戦の日がやってきた。久々に暴れられるとあってか、皆一様に活気付いている。強力な妖怪達ばかりだった。
どれだけ居るのか数えた。脚のたくさんある者、胴の長い物。首の複数ある者も居た。その数総勢四百二十名。百鬼夜行どころの騒ぎではない。誇張無しで、国が一つ取れる規模だった。
一人から酒を勧められたが、断った。自分がこれから彼らを殺しに行くのだと思うと、とても飲む気になどなれなかった。
そう、指揮官は、私だ。賢者の中では私が一番強かったし、能力も逃げるのに適していた。突入にも、私の能力が使われる。
細かな作戦などは立てなかった。何しろ、敵の装備も、土地も、人数も、何もかもが分からないのだ。
彼らにはただ力の限り暴れろ、と伝えた。所詮それしかできなかったし、それが一番効果の有る者達だった。
そして私は、彼らを適当に暴れさせた後頃合を見計らって地上へと逃げ帰る。逃げ帰らなければ、ならなかった。
私が居なければ成り立たない事は、いつのまにかとても多くなっていた。私が死ぬ事は許されなかった。
卑怯だと思った。出来る事なら何人かは、連れ帰ってやりたかった。
決行。月への道が開かれ、各々が思い思いに死地へと足を踏み入れる。
空が暗い。大気が薄いからだろう。不思議と、重力の違いは感じなかった。彼方に、町と宮殿が見える。手を前へと掲げ、進攻の合図を送る。
突如現れた私達に、どよめき立つ町人。血相を変えて出て来る警備隊。こちらの妖怪の一人が、身体を震わせて突進していく。これが口火となり、一斉に妖怪達が雪崩れ込む。警備隊は、一戦も交えることなく、散り散りにどこかへ行ってしまった。
幸いにも町民は逃げ足が速く、一人の犠牲者も出そうには無かった。それにしても、優勢である。
そもそもこの狭い月に大量の軍隊は要らないと言う事なのだろう。本隊はまだ出て来ていないようだが、宮殿からわらわらと出てきた程度の兵では話にならなかった。出て来る傍から、蹴散らされていく。
逃げた者は、追うなと言ってあった。逃げるのならば、それで良かった。無駄に死ぬ者を増やしたくは無かった。
そしてついに、宮殿の前まで辿り着いた。何時の間にか、相手の喉下へと迫っていた。これは、行けるのでは無いかと思った。なんと言ってもこちらは四百体居る。並みの人間なら歯も立たないようなのが、四百だ。幾ら月の民が強いとは言え、この程度ならこちらの倍以上は出てきても負ける気はしなかった。
宮殿の一箇所が、光った気がした。瞬間、私の右手に居た妖怪達が消し飛んだ。何をされたのか分からなかった。全軍がどよめき立つ。
第二波。今度は左側に撃たれた。警戒をしていたようで被害は先程よりもずっと少なかったが、それでも何体かは消し飛んだ。
宮殿から、本隊と思しき兵が出てきた。一目で、今までの兵とは練度も装備も違うと分かった。誘い込まれた。逃げろと、叫んでいた。
何体かが、構わず突っ込んで行く。一体が、全身に穴を開けられて倒れたのが見えた。それを視て踵を返したもう一体は、飛び掛ってきた兵に体を両断されて死んだ。
全力で、逃げた。逃げながら妖怪達を纏めていった。その間にも、後ろから撃たれて死んで行く者や、死に花を咲かせようと果敢に向かっていって、そのまま消えて行く者が大勢出た。
さながら、地獄絵図のようだった。もう限界だと思った所で、スキマを開いて妖怪達をその中へ入れた。
命からがら地上まで逃げ帰った時、四百二十居た妖怪達は二十程度にまで減ってしまっていた。惨敗だった。圧倒的な力の差だった。
恐ろしい兵器だった。何が起こったのか、把握しているのは自分以外に居ないだろう。あれは兵器、それも近代兵器だ。紛れも無く。
ふと顔を上げると、沈痛な面持ちをした妖怪達がこちらを見ていた。
あの死地まで彼らを連れて行ったのは私だった。恨み言の一つや二つ、覚悟していた。襲い掛かられても、仕方ないと思った。
そう思っていたのに、かかって来たのは、意外な言葉だった。
「あいつらはきっと、最後に暴れる事が出来て幸せだった」
そんな事を言われた。命を助けてくれて感謝する、とも。そして、どこかへと去っていった。もう会う事は無いのだろうと言う気がした。
もしかして、彼らは全て分かっていたのだろうか。自分達が疎まれている事も、わざわざ死地へ向かわされた事も。
その上で受け入れてくれていたのか。そんなそぶりは微塵も見せずに。私が助けてしまった事は、余計な事だったのか。
何だかたまらなくなって、幽々子の所へ行った。別になんだと言うわけではなかった。ただ、誰かと一緒に居たかった。
客間へ通された。幽々子は、何も聞かず、私のそばに座っていた。そのまま少しそうしていた。
ふいに、頭をなでられた。やめてよ、と言ったけど、構わずなで続けられた。「紫は、よくやってるわよ」幽々子が言った。
涙が、一粒、零れ落ちた。だんだんと溢れてきた。止まらなかった。
我慢してたのに、嗚咽が漏れ出てきた。妖忌が居なくて良かったと思った。幽々子は、まだ頭をなで続けていた。
こんな姿を賢者達には見せられない。無様だ。何が大妖怪だ。こんな、甘っちょろいような考えで。でも、耐えられなかった。私は、とても酷い事をしたのだと思った。
泣けるだけ、泣き続けた。今だけは、大妖怪ではなく、ただの女に戻って居たかった。
ひとしきり泣いた後、幽々子に「私ったらまるで愛人みたいね」と言われた。
結界が張られて暫くした頃、欧州の騒乱が収まったとの情報が入った。ついに、それだけの力を持った妖怪が出たのだと言う。
あの辺りは今まで長くても二百歳を越える妖怪は居なかった。それだけ争いを繰り返してきたと言う事であり、
また、それだけ力を強めてきたと言う事でもある。敵対はしたくないな、と思った。
同時期、奇妙な石の噂を聞く。殺生石と呼ばれ、前を通ると災いが降りかかると言うものだ。
普段なら気にも留めないような噂なのだが、どうも被害の規模が大きいのと、期間が長いことが気になった。
その場所に行って見てみると、確かにある石から禍々しい気が立ち上っている。
また調べて行く内に、この辺り一体に巨大な封印が結ばれていることが分かった。
封印の形からして、随分と昔のものである事が推測できる。それが、風雨にさらされて脆くなってしまったのだろう。
しかしこの巨大印と年代からして、相当の大物が封印されている可能性が高い。それこそ、私も知らないような。
たまたまこちらに来ていた伊吹童子に協力を依頼して、万全の体制で臨む。
伊吹童子は、名前を変えていた。童子の名を捨て、新しい風を入れるのだと言う。前回、私と会った直後の事だった。
萃める力。萃香と言う名前にしたそうだ。自らを霧と化すだけではなく、物体を引き寄せられるようにもなっていた。力も、ずっと強くなっていた。成長した鬼と言うのはこんなにも心強いものなのだろうか。
もし件の妖怪を上手く殺さずにすめば、式にしてやろう、などと考えていた。出来る。そう思った。
果たして、現れたのは巨大な妖狐だった。尾は九つに分かれ、毛並みは金。まさかの大物、金毛九尾の狐であった。ずっと昔にこちらへ渡ってきたとは聞いていたが、こんな所に居たのか。
何故こんな場所で封印されていたのかは分からないが、音に聞こえた大妖怪である。緊張が、走る。
しかし負ける気はしなかった。私達もまた、同様に強力な妖怪であった。相手が寝起きだと、それも大きかった。
激闘の末、めでたく式を打つ事に成功した。式とは相手の身体に命令を書き込んだ紙を接続させ、その通りに動かす術の事を言う。概念は昔からあったが、この式はそれに私が改良を加えたものだ。紙を媒介に、私自身と接続する。負担は大きくなるが、それは別のところで補った。
この子に名前を付けなければならない。どうしようか迷ったが、私と同じ、色の名前にしようと思った。
私の、初めての家族だ。大事にしなければ。萃香と一緒に、祝勝会を開いた。三人で飲むだけの、簡素な集まり。
その中で、名前を「藍」と決めた。なんと言う事は無い。丁度空の色がそんな感じだっただけの事だ。
しかし、藍は気に入ってくれた様で嬉しい。藍、ラン、うん、自分でも良い名前だと思う。
萃香はまたどこかへ出かけていった。また、と言って送り出した。
藍は、さすがと言うべきか、能力が高かった。細かな所にも気が付くし、情報を処理する能力に長けていた。
計算力ではない、情報を使う能力。その場その場で動くのが上手いのだ。人の心の機微にも聡かった。
全体を見渡しての策謀はあまり得意ではなかったが、それは私がやればいい。これから幻想郷の細かな調整や取り決めを作って行く身にとって、藍の存在は非常に助かった。
私への忠誠心が高いのも良かった。本来、殆ど対等と言っても良いような力量だ。それでも、この子は甘んじて私の下についている。
これが、部下の鑑と言うべきものなのかもしれないと思った。能力で遅れは取らないとしても、全体を考え一番良い方法を選ぶ。
私も、上に立つ者として彼女の能力を最大限発揮させてやらなければならない。と思った。
そう、と思っていたのだが、どうも藍がしばしば金をちょろまかしては変装して人里に油揚げを買いに行っている事が発覚した。
問い詰めた所、「あ、紫様も食べますか?」などと言ってきた。しかも真顔で。
ねじ切る勢いで耳を捻り上げてやった。すると、給金を要求してきた。確かに殆どただ働き同然だったが、それでも衣食住は用意してある。待遇もそれなりに良い筈だった。
仕方が無いので、駄賃はやるから横領はやめろ、と言っていくらかの銭を渡しておいた。彼女はまた大喜びで油揚げを買いに行った。
……その後姿を見送り、ため息をつく。なんとなく、あの子が上に立ちたがらない理由がわかった気がする。生来がいい加減な性格なので、何かを取り纏める事が出来ないのだ。面倒な事は全て私にやらせる気でいる。
そのくせ、仕事は人一倍にやるから文句も言えない。あくまでも部下としては優秀なのである。食えない奴だ、と思った。
素行が目に余る妖怪を追放しようとの動きが出た。賢者達も、半数が同意見である。
と言うのも、人里の人間達が近々そう言った妖怪達に向けて討伐隊を組もうとしているそうなのだ。
今の時代、人間達の術も強い。特にこの地は、今や対妖怪の最前線である。そう言った仕事を生業にしている者は、皆自然とここに脚が運ぶ。今人里にはそう言った退治屋と農民がほぼ1:1の割合で住んでいる。
異常な比率である。しかしそのお陰で、人間達にも無駄な被害が出ずこの地はどうにかやって行けているのだが。
鬼の去った地底へとやるか、それとも海の向こう、あまり土着の妖怪も居ないような場所へやるかで意見が分かれたが、
あまり離れた所へ追いやるのは死ねと言っている様なものなので、地底へと送り込む事にした。
鬼に奴らを取りまとめて貰おう。そんな思惑もあった。鬼が奴らを率いて攻めて来る事は無いのかと言う意見が出た。
確かに、尤もな意見である。それには、今の鬼に全体を纏め上げる事の出来る者が居ない事と、出て来れない様に結界を張る事を挙げ落ち着いた。
ただ、会議では言わなかったが、私としてはいつか情勢が落ち着いた頃に結界を解くつもりでいた。そう言った者達を受け入れてこそ、真の理想郷たり得る。そんな強い想いがあった。
鬼との交渉は、鬼にやってもらった。伊吹萃香。元頭領の娘の声望は、まだ根強く残っている。それとこちらから、賢者が一名。私ではない。それと、追放される者の代表として覚り妖怪を一名つけた。
覚り妖怪。その能力により、忌み嫌われている妖怪の一人である。しかし、覚り妖怪はあまり力が強くない。迫害され、殺されてしまう危険が常に付きまとうのが覚り妖怪と言う種族だった。
そのため、覚り妖怪には鬼と連携して地底の妖怪の取り纏めをやって貰いたいと思っていた。立場があれば容易に手出しは出来なくなるし、決して嘘をつかない鬼は覚り妖怪とも相性が良かった。
かくして、妖怪達の地底への追放が決定された。
今まさに、討伐隊が出発しようとしていた所だったと、偵察の者から聞いた。
全員が入ったのを見届けた後、封印の結界を張り地下との通行を禁じた。
織田信長がもう世に出ている事に気が付いたので、見に行った。
江戸時代に入り、幻想郷の存在も安定してくると私は藍を連れて旅に出るようになった。前とはまた大きく変わったであろう世界を、見てまわっておきたかった。
何処に行っても、やっぱり記憶とは全然違っていた。前回から、また数百年が経過していた。所々、地形すらも違うような場所がある。
いや、地形が同じ所などは、殆ど無かった。みな、何かしらが、どこかしらが変わっている。
この頃にもなると、大陸には旧知の妖怪なんてものはもう全くと言って良いほど居なくなっていた。大陸は、騒乱が多い。改めてそう思った。
藍などは、かつて自分が居た時とどう違うかなどを熱心に話している。やにわに、王宮の説明もしましょうなどと言い忍び込もうとし出したので、無理矢理引きとめた。あまり騒ぎを起こすと、土着の妖怪に目を付けられる。
藍は「私達なら大丈夫ですよ」と言っていたが、そう言う問題では無い。禍根は、少ない方が良い。
三度目の、欧州へ着いた。今回は本当に観光が目当てで、もう一つ、ついでに欧州で生まれたと言う妖怪を見ておこうと思った。
欧州の風土は懐かしい。第二の故郷と言う感じさえする。最初の頃は、容姿で差別されないこの地方へ長く居たものだ。
ギリシャから入り、南岸から時計回りに国々を回っていく。意外と、藍が料理を気に入っていた。
中華ばかり食べていたものだと思っていたから、舌に合わないのではないかと思っていたのだが、やはり美味いものは美味いようだ。
時々調理法を聞いていたが、日本ではこちらの食材は手に入らない事を完全に失念している。
それに気づいた時、店の中だと言うのに危うく尻尾が出かかった。無言で叩くと、泣きそうな顔でこちらを見つめて来た。無視した。そんな顔をしたって、無理な物は無理なのである。
北岸を回って、東欧に戻ってきてしまってもその妖怪とやらには出会えなかった。
おかしいな、と思ったら、どうもその東欧にこそ住んでいたらしい。盲点だった。欧州の騒乱を収めたというからには中央部に居るのだろうと踏んだのだが、外れていたようだ。
そしてそれはまた、こんな辺境からでも欧州全土へ行き渡るほど、その妖怪の力が強い事を意味する。
「ようこそ、お嬢さん。我が屋敷へ」
そう言って私達を出迎えたのは、威圧感と自信を全身に漲らせた壮年の男性だった。吸血鬼、そう呼ばれている。
コウモリの羽は隠しているようだが、口からは隠しても隠しきれない、鋭い犬歯が顔を覗かせていた。
藍は私の傍で静かに佇んでいる。本当に良く出来た部下だと思う。普段ふざけていても、こう言った場では決して粗相を見せない。
「お会い出来て光栄ですわ、伯爵」
まず驚いたのが、この妖怪、爵位を持っている。それが妖怪の中での物なのか、実際に人間からも貰っているのか。
どちらにしろ屋敷の大きさから見て、人間社会にもそれなりの顔を持っているだろう事は推測できる。
この妖怪は、人間との共生の道を選んだのだ。それも、自分達にかなり有利な条件で。相当の切れ者である。加えて特筆すべきはこの力。まだ若いだろうに、離れていても伝わる妖力の濃さ。気の充実。
まずこれに勝てる妖怪は日本には居ないだろう、と思う。鬼ならば互角の勝負をするかも知れないが、謀略で負けるだろう。
私でも純粋な身体能力では後れを取る。まあ、私は肉体派では無いのだけれども。
一通りの挨拶を済ませて、別れた。あれとは敵対したくない物だ。
最悪、こちらに勢力を伸ばしてくる前に叩いてしまう事も考えた。が、いずれ彼らも落ちぶれる。
その時、幻想郷を頼ってきたら迎え入れようとは思っていた。
黒船、来航。
ついに来た。文明開化の波が。この時の為に、ほぼ全ての準備は済ませてあった。
後は時期を見計らって、結界を張るだけだ。
アメリカへ渡り、情勢を確認する。こんな時、自分の容姿は便利だった。
色々な術を覚えたが、変身能力だけは覚えなかった。精々出来たとしても年齢操作で、どうしても姿を変えなければならない時は幻術で代用した。
ここから暫くは、耐える事が続く。限界まで、外との隔絶を粘って、粘って、粘る。その為に、情報を出来るだけ集めておきたかった。国外に出るのも、これが最後となる。
結界を閉じる事で、何が起こるかは分からなかった。予測は立てた。しかし、臨機に応じて変更する事が出来ない。
一度外に取り残されたら、そのまま内部に入れず文明の波に消されてしまう妖怪が出る事も、十分に考えられた。
国内で戦争が起きた。幕府は、倒れるだろう。そしてこれから、内でも外でも戦争の規模はどんどん大きくなっていく。
人が、たくさん死ぬ。妖怪は、人を殺す力によってまたたくさん殺されていく。どうにか、私の郷だけは守りたかった。
外の情報は、賢者の何人かと使い魔とに仕入れてもらっている。
郷の近くで争いごとが起こる度に、賢者達が総出で郷の存在を隠した。私はと言うと、藍を連れてひたすら国内を回っていた。月に一回は郷に戻って、集められた情報を整理する。
本来ならばもう少し分担を出来る予定だったのだが、人間の文明の進歩が予想以上に早く、郷を隠すのに賢者の半数以上が当たらなければならない。
残りの賢者は世界の主要地域に散らばっている。必然、情報の処理と最終決定は、私の手にゆだねられる事となった。尋常じゃない重圧が、私に圧し掛かった。
そうして居る内に、政権が変わって十五年が経った。もう十分に耐えたと言って良いだろうと思う。藍は、まだいけるのでは無いかと言っていた。
明治十七年。清とフランスの間で戦争が起こった。朝鮮内部でも、きな臭い動きがある。水面下の動きなどは、数え切れないぐらいだ。もう、限界だと思った。藍も、同意見だった。
各地に散らばっていた賢者達を呼び戻す。幸いにも、一人も欠けた者は出なかった。最悪、戦時で殺気立った現地の妖怪に殺される危険もあった。
結界を張るための儀式が始まった。妖怪の賢者達に見守られ、この時の為に用意してあった人間、博麗の巫女が祈りを捧げる。
天に雷雲が立ち込め、洪水のような雨と共に龍神様が姿を現す。この幻想郷における最高神へ、妖怪の賢者の命にかけてこの地の恒久の平和を約束した。
そして、博麗大結界が、発動した。結界維持のための人材、博麗の巫女は、同時に秩序の象徴となる。巫女が居なくなれば結界は遠からず消滅し、その時この幻想郷も塵と消える。
誰であろうと、彼女を傷つける事は許されなかった。結界が張られた事によって外界との交流は途絶え、結界の中に居る者は外へ出る事が出来なくなる。
この狭い郷の中で生活するには、秩序を守るための存在は必要不可欠だった。
結界の構築、現世との隔絶と共に、今まで流入できなかったありとあらゆるものが具現化してきた。
中でも驚いたのが、山である。山。しかもかなり高い。郷の北に現れてくれたから良いものの、南にでも現れていたらそれこそ一大事だった。そして山の出現とともに、天狗達が山を占拠した。
天狗。昔、鬼の住む山に鬼の力の庇護を受け住んでいた妖怪の一種である。鬼無き後は各地へ散らばっていたようだが、近年になって郷の近くに大量に集まってきていた。
天狗は独自の社会を作ると言う。きっと前々から計画は立てていたのだろう。なんにせよ、他の妖怪と軋轢が無いのならそれで良い。
山の幻想入りを契機として、天界や冥界なども近くに集まって来たらしい。世界でほぼ唯一となった幻想の場所。
ここを中心として様々な世界への道が開かれている。危うい均衡だった。しかし、危うければ危ういほど結界は強固となる。
ついに幻想郷が、その姿を完成させた。
~いつか見た世界~
今運命の時を迎えようとしている。
これまで何度も計算を繰り返し、求めた時間。あまりに遠い場所に降りたために、欠片も見えなかったパラドクス。
私の、生まれる瞬間だ。
果たして私は、この世界の自己矛盾、自浄効果に阻まれて、消え去ってしまうのか?それともまだ、この世界への存在を許されるのだろうか?
別にここ数日までは、なんとも思っていなかった。ただ、もしもの時に備えて、藍には伝えておいた。
今日なのだ。そう思うと、途端に怖くなっていた。怖い。今更死を恐れるのか。自分に言い聞かせた。少し、体が震えているのが分かった。
後三十分。ここまで不安を感じるのは久しぶりだ。
後二十分。藍がこちらを見つめている。大丈夫だ、と言って下がらせた。泣き言を漏らしてしまいそうだった。
後十五分。大丈夫だ、引継ぎの準備は済ませた。
後五分、三分、一分……
――私が、生まれた。そして、私は消えなかった。
元の時代に戻る。それがにわかに現実味を帯びてきた。
藍が、「あ、紫様死ななかったんですね」などと言って来たので、アルゼンチンバックブリーカーをきめた。
心なしか、藍の顔は嬉しそうだった。
それから私は、しばしば私の様子を見に行った。
泣いて、笑って、喜んで、もう私からすれば何でもない、本当に詰まらない事に、私は一生懸命になって生きていた。
あれが私の親だろうか。良く可愛がっている。「なんとかなるさHAHAHA!」などとよく言っていた。変な親だと思った。
ふと、こうやって見ていてもこの頃の記憶が思い出せなくなっている事に気付いた。
私は、本当に私なのだろうか、と思った。私なのだ、そう思うことにした。
幻想郷の雑務は、全て藍に任せた。博麗大結界が張られた頃よりより仕事の殆どは藍にやらせていたのだ。
私は、裏方に回った。今まで散々駆けずり回ってきたのだからもう休ませて欲しいと言う思いと、私は暗躍をする方が性に合っていると言う思いがあった。役割を分担させて、効率を良くしたいと言うのもあった。
手が必要だと思い、式も持たせた。橙と言う名前で、藍のこの子への溺愛っぷりと言ったら凄い物があった。よく、暇が出来たら遊んで居た。仕事をさせている所は、まだ見た事が無い。
年の殆どを外の世界で過ごした。たまに帰ってきて、藍の仕事を見た。そつなくこなしている。これなら心配なかった。
数年、帰らないと言った。友人連中への連絡も藍にさせた。
今はただ、私の事を見て居たかった。あれが私なのだと思うと、見ずには居られなかった。見ておかなければ、いけない気がした。
私は、大学生になっていた。少し生意気な所も有るが、こちらから見ていても概ね優秀である。
この頃になると、眼の機能も育ってきているので見付からない様にするのが一苦労だ。彼女の行動範囲内で不用意にスキマを開くと、痕跡を発見される危険が有った。
大学生、そう、今では顔も思い出せなくなった親友。私の唯一人の理解者。そして、私を捨てた親友と、出会う場所。
別に彼女を恨んでなどは居ないが、まあ、恨み言の一つ位は言ってもバチは当たるまいと思っていた。
私の親友の名は、宇佐見蓮子と言った。ああ、蓮子、れんこ。確かに、そんな名前だったように思う。
彼女は、とても魅力的な人間だ。快活で、行動力に優れ、人望も有る。何より思考の発展がとても速かった。
かつて悪い感情を抱いてなかった事は覚えている。でも、それだけだった。今、私は尊敬にもにた感情を抱いていると言うのに。
ずっと一緒に居た分、気付かなかったのだろうか。少し、目の前の自分の事が羨ましくなった。
何時の間にか私と蓮子は倶楽部活動を始めていて、何時の間にか色々な場所へ行っていた。勘が鋭いようで、中々危険な場所にも行っている。
そして気付いたのだが、蓮子は私がついうっかりそう言った線を越えてしまった時、さりげなく前へ出て元の場所へ戻ろうとしていたのだ。私は、それに気付いていない。
私は、常に彼女に導いてもらっていた。
私の笑顔が、眩しかった。
二度目の運命の時が近づいていた。今度は私が消え、私が生まれる日だ。
数日前から、私が妙な動きをするようになっていた。境界の開き方を覚えたのだ。
段々と、記憶がフラッシュバックしてくる。これから数日後、私は親友を連れて山に登り、そしてこの世から消える。
今ここで、止めてしまうべきだろうか。そうすれば彼女は妙な場所に飛ばされる事も無く、
平和にその生涯を終える事が出来るだろう。
しかしそれこそ、大きなパラドクスを生んでしまうのではないか。結局決められないまま時は過ぎ、当日を迎えてしまった。
「このスキマを、今から開いて見せます!」
運命の日。私が、この世から消える日。私は、木々の間に身を隠し、彼女達の事を見ていた。
私が手をかざし、スキマを、こじ開ける。この世の理を、破壊する能力。
もしかしたら、私はもうこの時点で人間の道を少しづつ踏み外していたのかも知れない。それほど、私の持つ力は人からかけ離れていた。
開かれたのは、信じられないほど巨大なスキマだった。スキマを操れるようになって幾星霜。
ここまで大きく、そして神秘的なスキマは見た事が無い。私は、こんなものに飛び込んだのか。じわりと、手に汗が滲む。
スキマが姿を見せると共に、蓮子の顔が強張ったのがわかった。蓮子が、怯えている。あの蓮子が。
止めようとしたのだろう、手を伸ばし、口を開きかけた所で――
「さあ行こう蓮子。これは絶対面白い事になるわよ!」
私の声が、それを遮った。
こちらへ伸びていた蓮子の手を引っ掴み、私がスキマへと向かっていく。蓮子が引っ張り返す。
私が、蓮子の方に向き直った。不思議そうな表情を浮かべている。再度、スキマの方へと歩き出した。
「やだ! やめて、メリー!」
蓮子が叫ぶ。私は、構わず蓮子を引っ張っている。蓮子の叫びなど、聞こえてはいなかった。
私は明らかに舞い上がっていた。新しく手に入れた力に、それを親友に見せびらかす事に。
肝心の親友の事になど、目もくれず。
私の全身がスキマに入る瞬間、小さな悲鳴をあげ、手を振り解く蓮子が見えた。
蓮子は、走った。走って、走って、走り去った後に、家に着いて、泣いた。
一通り泣いた後、眠った。起きた後は、一日中所在無さげに動き回って、また、涙を流した。
全く外に出なかった。数日経って心配した友人が訪ねてきたが、誰とも会おうとしなかった。
一度だけ、あのスキマがあった場所に行った。もう何も無かった。それでお祠の前で何時間もうろうろして、何かをしていたようだったが、結局何も起こらず、すごすごと帰っていった。
そしてその様子を、私はスキマからずっと見ていた。
私「マエリベリー・ハーン」は逡巡した。姿は似せた。仕草も、ずっと観察してきたから真似られる筈だ。
しかし、本当にそれで騙しきれるのか?
蓮子は、見ていて気の毒なほどに悲しんでいた。本当は、私が消えたのを見届けた後、外の世界に残るつもりは無かった。幻想郷に帰って、またゆったりと暮らそう。そう思っていた。
ずっと見ている内に、情が移ったのかもしれなかった。こんな結末は、悲しすぎるのではないかとも思った。
あの憐れな少女に今すぐにでも声をかけてあげたい。何でもなかったのだと、言ってやりたい。
しかし、もし、もしも私が最早「マエリベリー・ハーン」ではなくなっている事に気付かれた時、彼女は何を思うのだろうか。
私はその時、なんと言葉をかければ良いのだろうか。彼女と私は最早、対等な関係でもなんでも無くなっていると知った時、どれだけ傷つくのだろうか。
私はまた、かけがえの無い親友に酷い事をしてしまうのか。そして、そう。それを知った後でも彼女は私を親友として見れるのだろうか。
私と彼女は親友だったが、私と彼女は親友で居られるのだろうか。
悩んだ。悩みに悩んだ。答えは、出なかった。
ついに落ち込む彼女の姿を見ていられなくなって、呼び鈴を鳴らした。私が居なくなって、八日目の事だった。
反応が無かったので、二度。四度押した時に、インターホンが取られ
「うるさい、黙れ」
平素の彼女からは想像も出来ない低い声で、返事を返された。
私は、努めて明るい声で、
「おーい、貴女のいとしのメリーさんが帰ってきたよー」
と、呼びかけてみた。我ながらバカっぽい。しかもこんな怪談、どこかで聞いたことがある。
途端に家の中が騒がしくなった。足音が聞こえる。ドアが開く。目が、合う。
蓮子の目は真っ赤で、髪もボサボサで、なんだかやつれていて、そして。
蓮子が、抱きついてきた。泣きじゃくりながら、何か良く分からない事をしきりに叫んでいる。
私は、蓮子の背中をなでながら、家の中へと入っていった。
何とか落ち着かせて、コーヒーを淹れに台所へ向かう。
勝手知ったる他人の家。特にここ最近はずっと覗き込んでいた家だ。
ようやく落ち着いてきた所で、先手を打って謝った。考えもなしにスキマに飛び込んだ事。心配をかけた事。
後は、簡単だった。伊達に長く生きている訳ではない。言いたい事は言って、仲直りもした。
そうして私と入れ替わりになった私は、失われた青春時代をエンジョイした。
今改めてやってみると、女学生も中々悪くない。
授業は些か退屈ではあるが(特に数学)、学生と言うモラトリアム全盛の立場を満喫できるのは素晴らしい。
試験も何にも無い妖怪生活だって、勢力相関やら土地管理やら色々あるのだ。しかも私は、その中でもかなり上の立場にある。責任もそれなりに重い。
そうだ、いつか蓮子もあの郷へ招待しよう。私の全てを費やした力作だ。きっと気に入ってくれる。
いや、いっその事蓮子も妖怪にしてしまおうか。
何だか、良い考えのように思えた。そうすれば、彼女を寿命で失う事もなくなる。やっぱり私は、彼女の事を気に入っているようだった。
~誰よりも私を見ている~
ある日、進路の相談と言う事で、蓮子を呼び出した。場所は今の私の家。どこか懐かしい家。青春の家。
なので私は、この家を「青春ハウス」と心の中で呼んでいる。一度蓮子の前で口に出してしまって、大いに笑われた。
この所、そう言ったともすれば年甲斐も無いと言われそうな事ばかりやっている。
心なしか性格も少し丸くなった。いや、もしかしたら元々こうだったのかも知れない。普段周りに居るのが曲者ぞろいだから私も気を遣ってなければいけなかった訳で。
進路の相談と言う事だったが、本当は違う。頃合を見計らって、彼女を幻想郷へ連れて行く。いわばその前準備のようなものだった。
蓮子は、酒を持ってきた。しかもそれなりに高い。進路の相談には不釣合いな一升瓶が、机の上におかれた。
どうしたのかと聞いたら、「秘蔵っ酒よ」とだけ返された。つまみでも作ろうかと思ったが、蓮子に手で制された。
二人分のグラスがあれば良いと、そう言われた。
「それで、蓮子、進路の相談なんだけど」
「メリー」
静かに、蓮子が私の言葉を遮る。そして、とくとくと酒をグラスに注ぎ、渡してきた。
自分の分も注いでいる。
「メリー、自分で言うのもなんだけど、私は頭が良いわ」
知っている。少なくとも、私の見た限りでは同年代で蓮子に敵う人間はそう居ないだろう。
知識の量が、とかの問題ではなく、視点が違った。勘も良い。洞察力なども、図抜けている。
果たしてそう言った総合的な面で、蓮子は優れている人間だと言えた。
「まあ、知ってるけど、それがどうかした?」
「メリー、私を見くびらないで」
そう言って、ドンと、グラスをテーブルに叩きつける。目には、強い意志が見えた。この目を、私は何度か見た事がある。何かの、覚悟をきめた目。自らの身が滅しても良い、不退転の、覚悟を。
瞬間、身体が竦むのを感じた。蓮子の目を、見ることが出来なかった。蓮子の両目が、じっとこちらを睨みつけている。いや、睨みつけてなどは居ない、ただ視線を向けているだけだ。しかし、そう思わずには居られなかった。
室内だというのに、空気が、冷たく肌を刺す。息苦しさで、自分の呼吸が止まっていた事に気付いた。気圧されていた。この私が。
一杯煽って、蓮子は続ける。
「あなた、私に隠してる事があるでしょう。それも、それなりに重要な。正直ね、隠し事されるのって結構ムカつくのよ? 私はそんなにも信用がないのかって。別に大した事がない隠し事なら何も言わないわ。でも、その隠し事は私にも関係が有る事でしょう。ホラ、あんたも飲みなさいよ。あなたは進路の相談だって言ってたけど、そんな物はポイよポイ。私は、あなたと腹を割って話すためにここに来た。いい、一片のすれ違いも起こさないためによ。そしてもう一度言うわメリー、私は頭が良い!」
一気にそうまくし立てて、蓮子はグラスに二杯目を注ぎ、グッと飲み干した。
私はと言うと、内心気が気ではなかった。指が震える。思考が追い付かない。
当然ながら私には私生活での悩み事も、進路についての問題も、何一つ無い。あるのは、そう、あるのは……。
あれから、私が第二の「マエリベリー・ハーン」となってから、妖力はおろか、スキマを開いた事さえも無かった。私が妖怪だなんて、誰にも分かる筈は無かった。
なのに、なんで。
「い、いやだなあ蓮子、そんな、隠し事なんて……」
「言え、マエリベリー・ハーン!」
否定をしかけた私の言葉を遮って、蓮子が怒鳴る。小さく、悲鳴を上げた。怖かった。そんな目で見ないで欲しかった。そんな、罪人を責める様な目で。
しかしどうして言う事が出来ようか。こんな、こんな、もう私は、人間では無いのだと言う事を。
「隠し事なんて、有るわけ無いじゃないのよ、連子ぉ!」
声を絞り出す。グラスの酒を、一口に飲んだ。味がしない。良いお酒のはずなのに、全然、美味しくなんてなかった。ちらと、蓮子の顔色を覗う。
冷たい目をして、こちらを見ていた。泣き出したくなった。ごめんなさいと、謝ってしまおうかとも思った。
蓮子は「そう」とだけ呟いて、そのまま黙ってしまった。沈黙が、痛かった。いっその事怒鳴り続けていてくれた方がどんなに楽だったか。
いつまでこんな時間が続くんだ。永遠にも思える時間の中、おもむろに蓮子が立ち上がった。
「ど、どうしたの蓮子?」
「帰るわ。あ、そのお酒飲んじゃって良いわよ」
一瞬だった。言い終わるが早いか、蓮子は手早く身支度を整えて、そのままさっさと帰っていってしまった。
後に、一人だけ残された。一人で、暫く呆然としていた。片付けねばと思って蓮子の分のグラスを流しに持って行った時、一抹の寂しさを覚えた。
私のグラスに残っていた分は、飲まずに捨ててしまった。飲んだところでと思った。飲みたくも無かった。
嫌われて、しまったかなと思った。そんな事は無いと、すぐにかき消した。
何度もかき消したのに、かき消えてはくれなかった。
蓮子が出て行ってから、あの言葉の意味を考えていた。「自分は、頭が良い」
あれはもしかして、「自分は疑心暗鬼で友人を失うような愚挙はおかさない」と、そう言った意味なのではないか。
分かる訳が無いだろうと思ったが、同時に、下手な小細工に頼らず相手の事を考えるようなら分かったんだろうな、とも思った。そう言った意味での「頭が良い」も含まれて居たように思う。
藍だったら、分かったのかな、と思った。あの子は、人の心に敏感だ。幽々子や萃香はどうだろう。萃香などは、考えるまでも無いな。あの子は、正道である事を好むから。
賢者達。これは、半々だろうなと苦笑した。あいつらも悪い奴らでは無いのだが、妙なクセのある奴が多すぎる。
先程の会話を思い返してみた。自分が妖怪であるといずれは打ち明けるつもりだったのに、いざ、言えと言われると何も言えなかった。
第一、そんな、何を気付いたのかは知らないけど、普通妖怪の所に単身乗り込んで「あなたは妖怪でしょう」なんて言う奴があるか。もし本当にそうだったら、食べられて終わりだ。
そこまで考えて、ハッとする。もしかして、だから彼女は酒を持ってきたのか? 本当は、聞くのなんて怖くて、それでも聞かずにはいられなくて、だから、酒の力に頼ったのか?
だとしたら、私は何て事をしてしまったのだろう。彼女の勇気と、私に対する信頼を踏みにじったのだ。
本当は私は、蓮子と友達で居たかったんだ。妖怪ではなく、人間の、マエリベリー・ハーンとして。対等では無くなったと知られて傷つくのは、私の方だった。
風呂に入って、文字通り頭を冷やした。少し、感情が落ち着いてくる。
次の日大学で蓮子に会った時、とても冷たい目を向けられた。そしてすぐに、いつも通りの表情になった。
怖かった。この笑顔は、もしかして上辺だけのものなのではないか。もう、彼女の信頼を取り戻す事は出来ないのか。
少し、視界が滲んだ。涙は、意地でも流さなかった。
「ねえ、蓮子……」
「なによ、メリー」
どこか、声に棘が有る。もう会話をやめて、逃げ出してしまいたかった。
「やっぱり、話すからさ、聞いてくれないかな」
「話すって何をよ」
「……昨日隠してた事」
「ふーん、やっぱり隠してた事あったんだ」
少し声の感じが和らいだ。でも、油断は禁物である。
「今度、もう一回私の家に来てくれないかな。その時に見せるから」
「今じゃ駄目なの?」
「うん、その、人前だと見せにくいから」
「じゃあ、今日行くわ。ううん、今行きましょう。どうせ大した授業じゃないし。メリーだってサボっても大丈夫なんでしょ?」
酷い行動力を見た。
言うが早いか蓮子は私を連れて、私の家へと歩いていく。
私はと言うと、切り替えが追い付かずただ蓮子の後ろを付いて行く事しかできなかった。
そこに、妖怪の賢者など居なかった。今の私は、ただのか弱い少女でしかなかった。今は、それで良いのだと思った。
「さあ、話してもらうわよ、メリー」
蓮子は部屋に入るなり床に腰をどっかと落として、腕を組んでいる。まるで頑固親父だ。
私は、蓮子に背を向けて立っている。久しぶりに、能力を使うな、と思った。それまで、倶楽部活動で境界を視る事はあったけど、自力でスキマを開いたりなどはしなかった。右手を胸に当て、深呼吸する。一、二、三。
辺りを、妖気が包み込む。この場に居るのは、私。境界に潜み、二千年の長きを生きた、その力天下に並ぶ者無しと謳われる大妖。
蓮子は、どんな表情をしているだろうか。ゆっくりと振り返り、言う。
「蓮子、これが隠していた私の秘密。勘の良い貴女ならもう分かるかしら? 私が、どう言う存在なのか」
蓮子が、目を見開いて、辺りを見回している。部屋の中は、紫色の空気で満たされていた。妖怪の発する気。妖気。人間の目に見えるほど、濃い。
自分の口調が変わっているのが分かった。人間の小娘から、威厳のある大妖のものに。
「メリー、あなた、やっぱり……」
「どうやって気付いたのかは分からないけど、貴女の洞察力には感服するわ。流石は私の親友ね」
言葉を紡ぐ度に、胸がズキリと痛む。親友なんて言葉、今の私に言う資格などありはしないのに。この言葉は、マエリベリー・ハーンのものなのに。私の口からは、妖怪の言葉ばかりが出てきた。
「なんで隠して……、いや、ううん、そんな事はどうだって良い。あの結界の向こうで、一体何があったの」
「色々よ、蓮子。でもね、断言できる。先に何か言われる前に、これだけは言っておくわ。もうここに、貴女の知っているマエリベリー・ハーンは居ない。居るのは、気の遠くなるような年月を生きた、妖怪だけよ」
ついに言った。言ってしまった。これが、彼女に隠していた一番の秘密。私は、歳を取りすぎた。私が、私だった頃の記憶なんて全て忘れてしまった。貴女の名前すら、思い出す事は出来なかった!
もしも彼女が、これを聞いて私から去って行くのなら、それでも構わなかった。どうせ疑惑を抱かれた時点で、全ては終わっていたのだ。ただ、真実を話すのが自分なりのケジメの付け方だった。
「じゃあ、あなたはメリーじゃないの?」
「まあ、そうなるわね。少なくとも、貴女の思うようなメリーさんじゃない」
それきり、彼女は黙り込んでしまった。少しだけ顔を上げて、私の事を見ている。
「嘘だ、あなたやっぱりメリーよ」
そして、本当に何でもないような顔をして、蓮子がそう言った。
~妖怪「マエリベリー・ハーン」~
「どう言うことかしら?」
私がたずねる。
「理由はいくつかあるんだけどね。まあ、乙女の勘ってやつ? 最初貴女のメリーと違う所にばかり目が行ってたんだけど、よくよく考えてみると同じ所も結構あったのよね。それも私生活で。だから、結界の向こう側で誰かにすり替わられた、ってのは没になるわ」
「……続けて」
「はいはい。で、すると結構昔からメリーの事を観察してて、その上ですり替わったって事になるんだけども……」
蓮子が、語るのを止める。少し逡巡して、私の顔を見て、微笑んで、言った。
「そんな事、する意味が無いのよね。それこそ、本人でも無い限り。ねえ、メリーなんでしょ? と言うかもう、分かりきってたのよ。こんな事して、私にバラしちゃって。メリーは、優しいから」
なんで、分かるんだ。そんな、隅の隅まで。優しいからなんて、言わないでよ。私なんて、そんな。
「二千年前……」
「ん?」
「二千年前に、飛ばされたわ。不用意な事をしたと思ってる。なんであの時、貴女に従ってやめなかったんだろうって。そこからずっと生きてきた。長かった。長かったんだよ、蓮子。もう、最近の最近まで、貴女の名前すらも忘れていた位に」
部屋に充満していた妖気は、すでに無くなっていた。力が抜けて、座り込んでしまった。
「ごめんなさい、蓮子。もう一度謝らせて。あんな結界に飛び込んでごめんって。貴女に心配をかけさせてしまってごめんって」
「いいよ、もう、そんな事は。メリーがメリーなら、それで十分。ねえ、昨日私が持ってきたお酒、まだ残ってるんでしょ? 飲もう、メリー。この酒は、そのために持ってきた」
気にしてないよといった風に、蓮子が言う。机の脇に置かれていた一升瓶を手に取ったあと、ふと思いついたように、こちらを振り返った。
「まあ、あとは、なんだ。おかえり、メリー」
おかえり、だって。
「おかえり?」
「あれ、おかえりじゃないの? 何か随分と長くかかったみたいだから、おかえりって言ったんだけど」
「でも、私、結構変わっちゃったし、もう人間じゃないし」
「なーに阿呆な事言ってんの。メリーはメリーよ、他の何でもない。それともメリーは、私の言葉が信じられないって言うの? 他の何でもない、私の言葉が」
臓腑にストンと、何かが落ちた音が聞こえた。今まで他人の物だったマエリベリー・ハーンと言う名前が、自分の物のように感じられた。
もしかして、私はマエリベリー・ハーンに戻る事が出来たのか?
何故だろう。別に、マエリベリー・ハーンで居る事に固執していた訳じゃない。妖怪と化してからも、それなりに楽しくやってた。
それでも、何か大切なものを取り戻した気がする。憶えていないほど昔に捨てて、大切なものだと気付きもしなかったものを。
「凄いおばあちゃんになっちゃったよ?」
「それでもよ」
「友達なんて、化物ぞろい」
「メリーには関係ないでしょ?」
「すごい、性格も、悪く」
「そーなのかー」
「人間だって、食べた事あるかも知れないのよ!?」
「メリー、貴女が望むなら、人間ぐらい私も食べてあげる。だからそんなに思い詰めないで。私は貴女の事、好きよ? それで良いじゃない。それともメリーは私の事嫌い?」
報われた気がした。こうやって、ただ長く生きてきた事が。ああ、この親友は、なんて良い奴なのだろう。
何だか感極まって、気付いたら泣いてた。嬉しくて泣く事があるなんて、知らなかった。泣きながら、笑いながら酒を飲んでた。蓮子もニヤつきながら杯を乾かしている。
すぐに無くなってしまったので、スキマを開いて家の酒蔵から何本か取り出した。蓮子が凄い凄いと囃し立ててくる。
たくさん飲んで、たくさん話して、そして疲れて、二人で雑魚寝した。
なんだか、とても良い夢が見れた。
その後数年ほど現世生活を楽しんで、蓮子を幻想郷へと迎え入れた。
蓮子が驚きの声を上げる。それはそうだろう。最早今の世界、これ程の自然を残している所は滅多に無い。
人の手が入った自然は多数点在しているが、それとは違う、日本の原風景をそのままに残している。
人里を案内する。道行く人々が道を開けるのを見た蓮子が、「メリーって凄いのね……」と呟いていた。少し得意な気がした。
しかし、そこらに橙グッズが多数見られるのが気になる。豆腐屋の隣には、独立して油揚げ屋が出来ていた。
あの駄狐め、数年目を離しただけでこれか。
それなりに歩いたので、茶屋にでも寄って休憩しようかと思ったが、そろそろ私が帰ってきたと知られる頃だ。
面倒な事になる前にさっさと帰る事にした。
屋敷に帰ると、藍が外まで出迎えに来ていた。
「お帰りなさいませ紫様。お留守の間も万事、抜かりなく」
「人里に油揚げ屋が新しく出来ていたわ。橙もだいぶ人気者になったようね?」
「あれは、プラスαの部分ですので」
しれっとした顔で言ってくる。誰が屁理屈をこねろと言ったのか。あとでお仕置きが必要だ。
「ところで、紫様、そちらの人間は?」
駄狐が蓮子に目を向けて言う。
「ああ、この子は蓮子と言って」
「ははん、今日の晩御飯ですね。こら、小娘。食べてしまうぞ!」
そう言って牙を見せ付ける。
流石にこの冗談は看過できなかったので、喉元に突きを食らわせておいた。
悶絶しているが、何だかんだでこの子の丈夫さも分かっている。だからこそ安心して技をかけられるのだ。
「大切な客人よ。丁重に扱いなさい」
「あ、狐さん、宇佐見蓮子です。よろしく」
「ゲホッ、ああ、こちらこそ。藍と申します。よろしく」
暫くは蓮子の顔見せと幻想郷の常識を教える事で忙しくなりそうだ。
藍に任せても良かったが、あの子は何か変な事を吹き込みそうで心配だし、やっぱり自分自身の手で蓮子を案内したかった。
そして、私の自慢の友人を、自慢の幻想郷を、見せ付けてやりたかった。
日本の片隅に、幻想として封じられた秘密。それを見た時、何を思ってくれるのだろう。どうやって驚いてくれるのだろう。
とても楽しみだ。きっとみんな、仲良くやってくれる。
私は今、ようやっと私の歴史のスタート地点に立ったのだ。
その日の夕食時、また里の油揚げ屋の話題になったが、あの店はもう市場に組み込まれてしまっているので今更無くす事は出来ないと言われた。橙グッズも今や我が家の大きな収入源となっているので、同じだと言われた。
藍の一人勝ちだった。少し得意げな顔をしているのがムカついた。
END
一つ許せないのは俺の睡眠時間を削ってくれたことだどうしてくれる。
とても凄かったです
コメントが非常に付けづらい。でも50点以上付けたかったのでとりあえずコメント入りで。
本当に紫が生きてるだけの話。タグと後書きの通りだった。淡々としていて私は好きだけど、匿名で30~50点くらい入れて帰る人も多そうな。
悪い作品ではないんだけど全体的にキャラの感情表現が弱く感じられた。オリジナルエピソードも抵抗無く読めたが小さく纏めすぎてて勿体無い。
しかし作者様の約2000年の紫の歴史をもっと細かくドラマチックに演出しようとすると、間違いなく容量が今の2,3倍になっちゃうだろうからここらが妥協点なのかもしれない。いつか作者様が存分に自重しない長編も読んでみたい。長すぎると思ったら書ききった後に分割して一気に投稿するという手も。
少々淡白だったにせよ、私には作中の紫は愛おしく感じられたし、蓮子はメリーの良き友だと思えた。このポイントを感じ取れば作者様の思惑通りなのではないだろうか。
そして蓮子が良い娘過ぎる。2000年程の歴史を受け止めたのは、無知故か、あるいはその広き心故か。
この作品は、まるでバターをたっぷり塗り込んだベーコンエッグのように魅力的なんだ。
一度食べ始めると、もう手が止まらないんだよ。
おかわりだって恥ずかしげなくできる。
中でも、自分を改造するシーンの辺りは、ちょっと胸が苦しくなったよ。
藍しゃま可愛い。
メリーが幸せになれて本当に良かった。
ご馳走様でした。
文量に関しては確かにここら辺が妥協点なのかもなぁ。
お見事でした。次回作も期待しております。
う~ん、これだけのストーリーをサラリと流しちゃうのも勿体なく感じる一方、
蓮子に再開するまでの話を書こうとすると不可避なんですよね……
いつか、それぞれの部分も読んでみたいです。
あと、素敵な蓮メリちゅっちゅでした。お狐様は少し自重した方がいいかとw
この1言しかでませんね。
とてもおもしろい作品でした。
メリーさん、仲直り出来て良かった。
以下誤植だと思われるもの
>そこまではハッキリとしなかったが、仮設は立てられた。
仮説では?
あと、何カ所か誤植があったような気が……。
とてもおもしろかったです。
なんだかのほほんとしている部分が良かったです。
しかしゆかゆゆ派の俺にはきつい
読み始めるとテンポもよく、ぐぐっと話に引きずり込まれました。
中盤辺りからはもう、時間が経つのも忘れていました。
結局、一気に最後まで読んでしまいました。
最高でした。ゆかりんちゅっちゅっ。
・自分の覚えている範囲の誤植
「域を切らしていなかった」→「息を切らしていなかった」
「手誰」→「手足れ」または「手練」
藍と萃香が良い味出してるなあ。
もちろん全てのキャラが一層好きになりました。
会社の昼休みとかを潰したかいがありました。
100kbが短く感じましたね
とても面白かったし、ゆかりんは可愛かった!
ただ永琳が永夜抄時点で月からは見つからないとは知らなかったと言ってたんで、そこだけ矛盾が気になりました。
これは良い紫と蓮メリでした。ごちそうさまです。
睡眠時間なー……。
そしてメリー=紫説でこれ程分かりやすく、納得でき、かつ、魅了されたことは私にはありません。とにかくありがとうございます!!
展開の速さは丁度いい位でした。間にもっと話を詰めたらえらいことになります。でも蓮子の今後は読んでみたかったり…
文章の前半にまだかなり誤字がありました、素晴らしい作品なのでちょっともったいないです。
メリー=紫説を取るとこんな話になるだろうなって
ノートにいろいろ書いてたのと。
作中の大学はあそこか。
今は校舎も新しくなっちゃったけど、
建て直す前は確かに結界の10や20有りそうな雰囲気があった気がする。
てえかゆゆ様愛人みたいってそういうことですか!
随分前からかぎとっていたんだなー。
ともあれ長編お疲れさまでした。
霊夢が生まれた頃には既に蓮子は亡くなってる、って所かな?
間の話がちょっとスカスカに感じたので、いっそのことそこはさらっと流して
蓮子との再開後に話を絞った方が俺的には嬉しかった。
それか長編にして矛盾無く物語を構築するか。
今のままだとどっちつかずのただのあらすじになってるから。
壮大な歴史、彼女の軌跡。
すぐに引き込まれ、読みふけってしまいました。
面白かったです!
『妖怪の楽園』と『未来百鬼夜行』が大好きなので、
とてもよかったです。
しかもゆかりんがなんかかわいいのがまたなんとも。
いやー、面白かった。さっくり最後まで読んでしまいましたー。
欲を言えば二千年の軌跡野中にもう少し他のキャラがでてきてくれたらなぁと。
現世で蓮子と過ごした数年間と幻想郷に迎えてからの詳しいお話とか読んでみたいです。
連子になっている箇所が何個かありました。一応報告しておきますね
感情と起伏が盛りだくさんの物語も大好きですが、この作品のように淡々とした語り口も乙なものです。
あと藍が名脇役すぎる。最後の締め方も大好きです。
読みやすいのに読み応えがありました。好みにどストライクでした!
メリーが蓮子に自分の秘密を打ち明けるところなんかは目頭が熱くなってしまいました。
他の方も言ってますがぜひ長編で数十倍くらいの容量で読んでみたいです。創想話以外で長編書いてる人もけっこういますし。…オリ主ばっかですが。
あとは、すごいタグでだましている気がしてなりません。ちゅっちゅってほど甘い印象は持ちませんでしたし、メリーと蓮子は恋人というより親友といった関係のように思えます。シリアスじゃないとも言っていますが私の中でこれは完ぺきにシリアスですよ。
ですからシリアス好きな私は最初この作品を開きませんでしたし、点が伸びているので開いてみたらタグ詐欺にだまされて危うくこの作品を読み損ねるところでした。
これが得をしているのか損をしているのかは微妙ですが、私は損をしているしもったいないことだと思います、もっと素直なタグをつけてもいいのではないでしょうか?
それでもやはり面白い。長さを感じないまま読み終わることができた。
以下、今までのコメントとかなり被っていますが、読んで感じたことです。
展開が速いとタグにありましたが、序盤と終盤の蓮子との絡みは実際そのように感じました。
もうちょっと濃い描写で読みたかったなあ、というのが本音。
逆に、間の話は色々と詰め込みすぎて間延びしているような印象。
90kbならあの部分を少し削るか、あるいは大長編になってもこの面白さなら読めただろうな、と思います。
色んな方が書いているように、もっと長くても良いというか、サラっと流すには勿体無いような箇所もありました。
ホント、もっと長くても良かった!
ゆかりんが可愛いだけでなく、皆可愛いじゃないか!
良いものをありがとう。
もう良かったとだけしか言えない!
展開の速さもこの作品の味として読めました。
文章の簡潔さと淡々と出来事を述べていく感じが、逆にメリーが過ごした時間の長さを強調していたように思います。
ただラスト、蓮子に受け入れらてメリーのそれまでの2千年が報われるのは美しいですが、やはり蓮子の心の動きに説得力が乏しいと思います。
理性で今のメリーが本当にメリーだとわかっても、行動の節々から感じる違和感を感情的に受け入れられるのか?
また、以前自分と一緒にいたメリーが2千年の時間を過ごすことになったが、それについては何も感じないのか?
そのあたりへの説明があったらもっとよかったな、と思います。
個人的には悩んだ末に「私にできることは目の前のメリーを愛することだッ!!」みたいなオトコマエ蓮子を希望。
この終わり方でちゃんとスッキリ出来るのだけれど、個人的に後日談が読みたい。
ちょうよみたい。
淡々とした中に妙な味とユニークなコメディ要素を感じられました。
とても面白かったです。
SSだととりわけ、感情表現が際立つ物が多いですが、
実際だとこのくらい、再開というのは衝撃なく吸いつくように収まるのかな、と。
良い感じの秘封と紫の話でした。
蓮メリに焦点をあわせればとても良いラストだったと思います。
この後の蓮子の幻想郷ライフを読んでみたいですね。
しかし、こうして連ねて書いていくとやっぱ2000年は長いな
>下界へ変える事にした
帰る事にした
>小さく帰してきて
返してきて
ストーリー素敵過ぎます。
この後の蓮子の幻想郷ライフは楽しそうですね。
眼福感謝です。
こんにちは
そして唯一の間違いは、これを読み始める時間だった!
睡眠時間ががが
>膝をつき、最後を待つのみとなった
>最後に暴れる事が出来て幸せだった
どちらも「最期」の方が宜しいかと
見事でした。それで充分ですよね^^
当たり前な話ですが世界観の共有が出来る所とウーンってなってしまう所がありましたが、
テンポも良いですし最後まで読んでみると本当に納得出来る、というか涙を流さざるをえない作品でした。
素晴らしい作品に出会えて良かった。ありがとうございます。
特に話の本筋に絡む訳でもないのに、藍さまの存在感がスゲエ。
名もなき昔の西洋妖怪や、月で死んでいった異形の妖怪たちもキャラが映えていて、切ない気持になりました。
そして世界を巡ったからこそ、西洋妖怪に対する理解やすべてを受け入れる大きな懐ができたのかな、と納得してしまいました。
家庭(あるべきところ)に帰ってきたかのような蓮子と再会後のやりとりもいいですね。いろんな感情が噴き出てきてて。
難点を言えば、月面戦争の無茶な開戦理由と藍の性格ぐらいでしょうか。しかし、総評を言えばとて楽しませてもらいました。
なにかをありがとう。
何という俺得。ありがとうございました!
しかも、こういう時代を超えるような話は個人的にツボなので、二重に得。
面白かったです!
私の睡眠時間を削るくらいでは到底足りない程、とても良い作品を読ませて頂きました。
後日談としての、人間蓮子の幻想生活も見たかったです。
それに藍さまのキャラが良すぎて、もうね。
返してきて
でしょうか
とても面白かった! もっといろんな人に見てもらいたいモノですね
個人的には心情描写が少ないのも気になりましたが、そこも魅力でしょうか
それがいい!
面白かったです。
ほんと感謝ですありがとうございます
しばし既にあげられている作品を楽しませていただく所存です。
ありがとうございました。
もっと長く詳しくやってほしいくらいです
もっと長く詳しくやってほしいくらいです
もっと長く詳しくやってほしいくらいです
ものを久々に読んだ!
所々笑える部分もあり、
とても楽しく読めました。
いや、もっと長くても良かった。
秘封倶楽部に近年はまって来ているのでとても助かりました。
ありがとうございます。
ストーリー展開からのオチも良過ぎてなんらかの法に抵触しないですかね…?