――早苗って変わってるよね。
幻想郷に来るまで、彼女がほぼ日常的に言われていた言葉がそれだった。
神奈子は今でもその光景を覚えている。
「手伝わせてしまってすまないね、巫女さん」
言われ、早苗が照れたように微笑む。
「いえ、大丈夫ですよ。自慢じゃないですけど、こう見えて田植えは得意なんです」
冗談で言っているわけではない。
お人よしの卦があるのか、あるいはそれが現人神としての使命と思っているのか、早苗は他人が困っているところを見過ごすことが出来ない。
幻想郷に来た今でこそそのベクトルは「信仰」に対して向けられることが多いが、一介の学生だった頃は特にお年寄りの間で人気があったものだ。もともと神社の巫女(正確には風祝だがいちいち区別する者はいない)という事もあり、信心深い老人達の間ではちょっとしたアイドル扱いだったと言ってもいい。
しかしそれ故に、同じ学生達からはやや浮いた感もあったのだが。
「はい…これでおしまいですね」
汗を拭う。
お年寄りに頭を下げられ、照れながらぱたぱたと手を振る。
お礼の作物を受け取って顔を綻ばせる。
そのどれもが、神奈子が知る「本来の」東風谷早苗の姿だ。
――早苗って変わってるよね。
神奈子は今でもその光景を覚えている。
言われ、愛想笑いめいた苦笑と共に冗談の一つもかわした後、誰もいなくなったことを確認してからわずかに泣きそうな表情を浮かべる人間の姿を。
それでも己の信念を曲げようとしなかった現人神の姿を。
畦道を一人早苗が歩いていると、反対の道から赤い巫女服姿が現れた。
「あ、霊夢さん」
「あれ、早苗じゃない」
普段は下ろしている髪を結ってアップにしている霊夢は、近づく早苗に覇気のない表情でぱたぱたと手を振りながら、
「あんた暑くないの?」
やおらそう言った。
虚を突かれた早苗はぱちぱちと瞬きした後、
「そりゃ暑いですけど…巫女服完全装備の霊夢さんほどではありませんよ?」
言う早苗は、外から持ってきた薄手のTシャツと短パンというラフな服装だ。基本的に巫女服でいることが多い早苗だが、田植えを手伝うのにはさすがに不適当だった。
「そうじゃなくて、髪」
「……ああ」
いつも通り下ろしたままの自分の髪に触れる。
「確かに暑いですね、というより鬱陶しいです」
「なら上げなさいよ、無精者め」
「霊夢さんに言われると地味に傷つくんですが…」
「ほら、動くな」
袖から取り出した髪留めで彼女の髪を上げる霊夢にされるがままの早苗は、
「そういえば霊夢さんはどちらへ? この先には魔法の森しかありませんよね?」
「そこまでは行かない。途中にある家の稲作を手伝うことになってるのよ」
「あ、そうなんですか」
意外だった。てっきり霊夢はそういう力仕事はしないものだと思っていたのだが。
という考えがどうやら顔に出ていたらしい、霊夢は軽く嘆息した後、
「私だってしなくていいならしないわよ。けど、働かざる者食うべからずってね。
――はい出来た」
「ありがとうございます、霊夢さん」
早苗の顔が綻ぶ。
「さて、じゃあ私は一仕事してきますかね」
「私も手伝いましょうか」
すれ違いかけたところに背後から声をかけられ、霊夢がくるりと早苗を向く。
「あんたもどこかの家の手伝いをしてきたばかりでしょ? 泥で汚れた姿を見ればわかるわ」
言外で、だから休めと霊夢は言う。
対し早苗は胸を張り、
「これでも私は幻想郷に来るまで『稲作の早苗ちゃん』と呼ばれた腕前ですよ?」
「『早苗』で『稲作』とは言い得て妙な」
「だからこのくらいでへこたれたりするほどやわじゃありません」
自慢げに語る早苗に対し、霊夢は半眼で、
「じゃあ私の代わりに手伝ってきて。で、報酬だけちょうだい」
「れ~いむさ~ん、一緒に手伝いましょうよ~」
「鬱陶しい、ひっつくな」
背後から抱きつく早苗の頭にぐりぐりと拳を押しつける。
「そういえば霊夢さん、その格好で農作業するんですか?」
「他にないのよ」
「…良かったら、私の服貸しましょうか?」
結局、手伝いは2人ですることになったらしい。
揃いの恰好で田植えをする姿は姉妹のようで、時折泥水をかけあって喧嘩するところまで含めて微笑ましい。
その姿を、神奈子は遠目で眺めていた。
「楽しそうだね、早苗」
「ああ」
振り向くと、そこには諏訪子が立っていた。
「……早苗は、こっちに来て良かったのかな」
「今更それを言うな。ここに来るまで散々論じてきたことだろう」
「早苗抜きでね」
神奈子は目を閉じる。
「早苗の幸せを私達が決めることは出来ない。違うか?」
「違わないよ。違わないさ」
わかりきったことを言わないでよ、と諏訪子。
しばし無言。
「――早苗とる手もとや昔しのぶ摺」
「…芭蕉か」
「私達に、早苗の昔を偲ぶ権利はないよね」
神奈子は答えない。
視線の先で、早苗が派手に転んだ。
呆れた表情を浮かべた霊夢が、泥にまみれた早苗の手をとる。
「…せめて、早苗がああして笑っていられることを祈ることしか出来ないよね」
早苗は笑っていた。
それはいつかの愛想笑いなどではなく。
心から、嬉しそうに。
「少なくとも」
「ん?」
「少なくとも、ここでは早苗は『特別』じゃない。それだけは――確かだ」
「……そうだね」
二柱の神は、そう言ってどちらからともなく笑みを浮かべた。
幻想郷に来るまで、彼女がほぼ日常的に言われていた言葉がそれだった。
神奈子は今でもその光景を覚えている。
「手伝わせてしまってすまないね、巫女さん」
言われ、早苗が照れたように微笑む。
「いえ、大丈夫ですよ。自慢じゃないですけど、こう見えて田植えは得意なんです」
冗談で言っているわけではない。
お人よしの卦があるのか、あるいはそれが現人神としての使命と思っているのか、早苗は他人が困っているところを見過ごすことが出来ない。
幻想郷に来た今でこそそのベクトルは「信仰」に対して向けられることが多いが、一介の学生だった頃は特にお年寄りの間で人気があったものだ。もともと神社の巫女(正確には風祝だがいちいち区別する者はいない)という事もあり、信心深い老人達の間ではちょっとしたアイドル扱いだったと言ってもいい。
しかしそれ故に、同じ学生達からはやや浮いた感もあったのだが。
「はい…これでおしまいですね」
汗を拭う。
お年寄りに頭を下げられ、照れながらぱたぱたと手を振る。
お礼の作物を受け取って顔を綻ばせる。
そのどれもが、神奈子が知る「本来の」東風谷早苗の姿だ。
――早苗って変わってるよね。
神奈子は今でもその光景を覚えている。
言われ、愛想笑いめいた苦笑と共に冗談の一つもかわした後、誰もいなくなったことを確認してからわずかに泣きそうな表情を浮かべる人間の姿を。
それでも己の信念を曲げようとしなかった現人神の姿を。
畦道を一人早苗が歩いていると、反対の道から赤い巫女服姿が現れた。
「あ、霊夢さん」
「あれ、早苗じゃない」
普段は下ろしている髪を結ってアップにしている霊夢は、近づく早苗に覇気のない表情でぱたぱたと手を振りながら、
「あんた暑くないの?」
やおらそう言った。
虚を突かれた早苗はぱちぱちと瞬きした後、
「そりゃ暑いですけど…巫女服完全装備の霊夢さんほどではありませんよ?」
言う早苗は、外から持ってきた薄手のTシャツと短パンというラフな服装だ。基本的に巫女服でいることが多い早苗だが、田植えを手伝うのにはさすがに不適当だった。
「そうじゃなくて、髪」
「……ああ」
いつも通り下ろしたままの自分の髪に触れる。
「確かに暑いですね、というより鬱陶しいです」
「なら上げなさいよ、無精者め」
「霊夢さんに言われると地味に傷つくんですが…」
「ほら、動くな」
袖から取り出した髪留めで彼女の髪を上げる霊夢にされるがままの早苗は、
「そういえば霊夢さんはどちらへ? この先には魔法の森しかありませんよね?」
「そこまでは行かない。途中にある家の稲作を手伝うことになってるのよ」
「あ、そうなんですか」
意外だった。てっきり霊夢はそういう力仕事はしないものだと思っていたのだが。
という考えがどうやら顔に出ていたらしい、霊夢は軽く嘆息した後、
「私だってしなくていいならしないわよ。けど、働かざる者食うべからずってね。
――はい出来た」
「ありがとうございます、霊夢さん」
早苗の顔が綻ぶ。
「さて、じゃあ私は一仕事してきますかね」
「私も手伝いましょうか」
すれ違いかけたところに背後から声をかけられ、霊夢がくるりと早苗を向く。
「あんたもどこかの家の手伝いをしてきたばかりでしょ? 泥で汚れた姿を見ればわかるわ」
言外で、だから休めと霊夢は言う。
対し早苗は胸を張り、
「これでも私は幻想郷に来るまで『稲作の早苗ちゃん』と呼ばれた腕前ですよ?」
「『早苗』で『稲作』とは言い得て妙な」
「だからこのくらいでへこたれたりするほどやわじゃありません」
自慢げに語る早苗に対し、霊夢は半眼で、
「じゃあ私の代わりに手伝ってきて。で、報酬だけちょうだい」
「れ~いむさ~ん、一緒に手伝いましょうよ~」
「鬱陶しい、ひっつくな」
背後から抱きつく早苗の頭にぐりぐりと拳を押しつける。
「そういえば霊夢さん、その格好で農作業するんですか?」
「他にないのよ」
「…良かったら、私の服貸しましょうか?」
結局、手伝いは2人ですることになったらしい。
揃いの恰好で田植えをする姿は姉妹のようで、時折泥水をかけあって喧嘩するところまで含めて微笑ましい。
その姿を、神奈子は遠目で眺めていた。
「楽しそうだね、早苗」
「ああ」
振り向くと、そこには諏訪子が立っていた。
「……早苗は、こっちに来て良かったのかな」
「今更それを言うな。ここに来るまで散々論じてきたことだろう」
「早苗抜きでね」
神奈子は目を閉じる。
「早苗の幸せを私達が決めることは出来ない。違うか?」
「違わないよ。違わないさ」
わかりきったことを言わないでよ、と諏訪子。
しばし無言。
「――早苗とる手もとや昔しのぶ摺」
「…芭蕉か」
「私達に、早苗の昔を偲ぶ権利はないよね」
神奈子は答えない。
視線の先で、早苗が派手に転んだ。
呆れた表情を浮かべた霊夢が、泥にまみれた早苗の手をとる。
「…せめて、早苗がああして笑っていられることを祈ることしか出来ないよね」
早苗は笑っていた。
それはいつかの愛想笑いなどではなく。
心から、嬉しそうに。
「少なくとも」
「ん?」
「少なくとも、ここでは早苗は『特別』じゃない。それだけは――確かだ」
「……そうだね」
二柱の神は、そう言ってどちらからともなく笑みを浮かべた。