Coolier - 新生・東方創想話

聖輦船遊覧飛行の旅

2011/02/19 23:53:02
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 あなたは鋭い牙をもつ二匹の獣に囲まれている。
 あなたは順序に注意をしなければならない。
 あなたが最後である。次はない。

 順序を尋ねられたとき、あなたは「私で終わり」と答えなければならない。
 それ以外、この書面に関することを尋ねられたとき、あなたは「知らない」と答えなければならない。
 あらゆる手段を通じての伝達もしてはならない。
 乗組員の誰に聞いてもならない。
 もしこのことについて漏らすことがあれば、あなたに不幸が訪れるだろう。






 鈴仙・優曇華院・イナバ様

 聖輦船へようこそ。私たちはあなたを歓迎します。
 長き遊覧の旅へとあなたを導きましょう。




1.

「……何なのかしら、これ」

 手にとった紙に何度も眼を通し、鈴仙は困惑した口調でつぶやいた。
 聖輦船とはただ遊覧飛行をするだけの舟ではなかったのか。
 先ほど乗船する際、案内役のナズーリンから一人ずつの荷物チェックがあると聞かされていたのだが、まさかこんな指示書のような案内を読まされるとは思ってもみなかった。
 これはいったい何なのだろう。
 輝夜や永琳も、こんな用紙を眼にしたのだろうか。荷物チェックというのは口実で、これを見せるために順番に案内したのだろうか。輝夜たちもまた何かを提示されたのだろうか。

 鈴仙は腕を組み、立ち尽くして考えた。
 こんなことをして、いったい何をするつもりなのだろう。
 指示に従うのであれば、この用紙に書かれていることは誰にも話すことが出来ないではないか。乗組員にも聞いてはならないとある。輝夜や永琳にも告げず、言葉のとおり、誰にも話さずに自分の心に沈ませておかなければならないのだ。

「まぁ、特別、大したことは書いてないみたいだけど……」

 何度も紙を裏返し、ひっくり返し、読み返してみるが、内容が変わるわけではない。
 結局のところ、質問に対して「私で終わり」と答えるか「知らない」と答えるだけのことなのだ。あとは黙っていればいい。それだけのことだ。
 呆れながらも鈴仙は紙をひらひらとさせた。

 そのとき、用紙に書かれた文字がすっと掻き消えたように見えた。
「え?」
 驚く間もなく、すぐに違う文字が浮かび上がった。
 丸文字で「聖輦船遊覧飛行のご案内」と書かれた題目が目に付く。
 それには見覚えがある。数日前から里の看板に貼り付けられていたもので、ファンシーでカラフルな女の子と船のイラストが添えられ、今日の日付が記されていた。祈りを捧げながら大きな吹き出しで「いざ雄大な空へ! 南無三!」と叫ぶ尼僧の絵がどうにもミスマッチに思えて印象的であった。

 ご案内をずっと見ていてもしょうがないので部屋を抜け出ると、廊下がまっすぐに続いていた。
 窓はなく、燭台のランプが並列に続き、暗いなかで小粒ほどに灯っている。
 少しだけぐらつきを覚えた。風が強く吹いていて、舟ごと揺られているのだろう。聖輦船はもう飛行を始めているのだ。

 揺られながら廊下を進み、突き当たりのドアを開くとそこは甲板だった。
 輝く太陽に照らされ、たくさんの声で満たされていた。
 里から来たのだろうか、向こうの少女たちは長い髪が風にまかれるのに翻弄され、舞い上がるスカートに翻弄され、にやけつく男児たちを顔を真っ赤にしてたたいたりしていた。同じく里から来たのであろう父や母たちは、それを穏やかに微笑して眺めている。やはり上空までのぼると風は強いのだろう。長めのスカートを履いていて良かった、と鈴仙は思った。

 甲板で語らうのは里の者たちが殆どで、見慣れない顔のなかにぽつぽつと見知った顔が散見された。置き薬を介して知り合った里の者たちである。彼らと軽い会釈を交わしつつ、鈴仙は輝夜を探した。
 最初に甲板に上がったのは右舷で、そこから前方の船首へと進み、左舷へと降りて、見回し続ける。そのまま船尾まで降りてきたところで、ようやく舷側にもたれている輝夜を見つけた。遊覧船から下界を眺めおろし、隣の永琳と何か話している。顔を輝かせ、鈴仙はすぐさま駆け出した。
「輝夜さまー!」
 手を振って近寄ると、気付いた輝夜が優しく出迎えてくれた。
「鈴仙、遅かったわね。何かあったの?」
「いえ、ちょっとおかしなことが――といいますか、その」
「おかしなこと?」
「あ、いえ!」
 隣の永琳が首を傾げたので、鈴仙はあわてて否定した。いきなり暴露してどうする。何処で誰が見ているか解らないのだ。指示書について漏らしてはならないから、それを見ていて遅れたなどとは説明できない。遅かった理由は誤魔化さなければならないのだ。
「えーと、里で知り合った者たちに声を掛けられまして。少し時間を忘れてしまいましたよ」
「ふぅん、そうなの。何処の人? ちょっと声を掛けてみようかしら」
 永琳がきょろきょろと辺りを見回したので、あわてた鈴仙は誤魔化すように手を振った。
「いえいえ! 何か待たせてる人がいるとかで、何処かに行ってしまいましたよ」
「あら、そうなんだ。じゃあ仕方ないわね」
「はい、はい。そうなんです、そうなんですよ」
 眺める動きを止めて、永琳は舷側に寄りかかった。
(……まったく、何なのよ!)
 笑いに苦味を交えつつ、鈴仙は無言で悪態を吐いた。
 冷や汗とはいえ、冬にも関わらず汗を流すなんて厄介なことに巻き込まれたものだ。
 何が用意されているのか知らないが、参加の意思確認ぐらいあっても良いものではないだろうか。
 不幸などと書いてあったから無視するわけにもいかない。無理やりに秘密を握らされ、それを口止めされているような気分だった。

「ねえ、いい景色だわ」
 髪を風になびかせ、舷側に肘をついた輝夜がつぶやいた。
 空を眺め、地上を眺め、山々を見つめて機嫌をよくしている。月ほどではない高みから地上を眺める気分はどのようなものだろう。風に髪を梳かせ、その手で軽く押さえながら、輝夜の唇が小さく何かささやいたように見えた。
 永琳が微笑して言った。
「ええ、本当ね。輝夜もあまり外に出ないから、いい機会だったわね」
「……あら、何か面白いことがあったら出掛けるわよ。いつも家にいるわけじゃないわ」
「ええ、そうですね」
 視線を交わして微笑しあうと、輝夜はふたたび山々や地上の景色を眺めだした。
 鈴仙も舷側に寄って地上に眼を向ける。壮観だった。山々の木々が風にあおられ揺られている。山の頂上のあたりに見知らぬ神社が鎮座していて、鳥居の近くで誰かが箒を動かしている。ふと顔をあげて、まぶしそう誰かはこちらを見上げた。
 遠くの山間では、天狗らしき者が複数で飛び回っている。その動きからして警備をしているように思えた。姿を消しているようであるが、鈴仙の眼は誤魔化せない。その羽ばたく姿はよく見えた。

 今回永遠亭の住民が聖輦船に乗船することになったのは、里に出ていた永琳と、一輪という妖怪の繋がりがあったからである。熱か風邪か、具合を悪くして道端でくたびれていた一輪を通りがかりの永琳が見つけて診察し、薬を処方してやったというのだ。最初一輪は人間用の薬だと思っていたらしく、それは自分には効かないとこぼしていたのだが、親切におされて飲んでみたところ、早晩にすっかり治ってしまったのだという。
 後日、鈴仙を連れて茶屋でお茶を飲んでいた永琳は再び一輪に出会った。そのときに丁寧に礼を述べられ、三人交えて雑談をはじめたとき、薬について詳しい話を聞かれたので、永琳は自分の仕事と連れの鈴仙の薬売りについて説明した。妖怪向けの薬を処方できる者がいるなんて、と言って一輪は感激し、永遠亭の住民を遊覧船に是非無料で招待させてほしい、と添えたのだ。
 すぐに年が明けた翌日、一輪に手渡された案内状に誘われて、永遠亭の一向が集合場所の命蓮寺とやらにやってくると、そこには寺といえるような寺がなく、ただ大きな舟が上空に浮いているだけだった。舟の腹部に入り口が設けられ、そこに地上からスロープで繋がっていた。
 案内の旗を掲げてその場にいた命蓮寺の鼠らしき妖怪少女、ナズーリンの歓迎を受けるに、中に入るには荷物のチェックが必要らしい。さしたる手荷物もない鈴仙も待たされて、一人一人で乗船することになった。輝夜や永琳、てゐが次々とスロープをあがっていって、腹に入り込んでいくのを見送った。最後に鈴仙の番が来たとき、ナズーリンは「君が最後の乗船者だよ」と言ったのだ。
 そこでは次のような会話がなされた。
「やっぱり最後だったのね。てゐが寝坊しなかったら、もうちょっと早く来れたんだけどね」
「てゐとは、さっきの元気な兎さんのことかい」
「ええ、そうよ。夜遊びするなって言ってるのにするんだから。正午到着にも関わらず遅れるなんて悪いわね。あいつに代わって謝るわ」
「気にしないでくれたまえ。時間には間に合っているんだ。それに、この遊覧飛行は特別な目的地があるわけじゃない。ただ幻想郷を回遊するだけだよ。誰も文句は言わないだろう」
「ありがと。そう言ってもらえて嬉しいわ」
 ナズーリンについて手綱を離さぬように昇っていくと、風がひとしきり強くなってきた。スロープの先では聖輦船が腹をさらけ出して揺られている。大きな存在感をもって佇む舟は浮かぶ大陸のようであった。
 中に入ると、ナズーリンはスロープの結びを解いた。音もなく中空の階段が地上へと落下してゆく。
「後で回収するのさ。さぁ、行こうか」
 聖輦船は地上を離れ、ゆっくりと上昇を始めた。船内には小さな振動が響いている。船酔いしそうになりながら、迷路のように続く通路を案内された先、鈴仙はとある一つのドアに入るように促された。

 それこそが、指示書の置かれた部屋だったのだ。
 ナズーリンは部屋の中までは入ってこなかった。鈴仙が入室したあとに鍵を閉めて、さっさといなくなってしまったのだ。
 そうなれば、もうあとは進むしかあるまい。

(鍵を閉めていなくなったってことは、拒否は認めないっていうつもりなのかしら。参加は強制……。でも、何で私を……)

 舷側にもたれたまま、そよぐ風に髪を任せ、鈴仙はただ山々を眺めていた。
 せっかくの輝夜と永琳との遊覧船の旅なのだ。それなのに、他のことに頭をとらわれたくないという思いがあった。正直なところ、拒否できるものなら拒否したい。しかし要求自体が些細なものであったので、強い反発までは抱かなかった。

「それにしても、すごいわね。里がもうあんなに遠くになったわ。山の神社をこえて、どんどん進んでる」
 何処かを指差して、滝が見えるわ、と輝夜が言った。
「普段から家にいたら、こういうのは解らないのよね。たまには出歩いて、色々見て歩くのもいいかもしれないわね……」
 楽しそうな輝夜の表情を見て、鈴仙は顔をほころばせた。
 その声に耳を傾けると、ふと近くのざわざわとした雑談のなかに、輝夜の名がまじっていたことに気付いた。
 注意深く振り返ると、その正体は見覚えのない男たちであった。里の若者たちだろう。顔を紅潮させて何か熱く語り合っている。鈴仙にとって輝夜は主であるため、不穏な匂いを感じればそれとなく暗躍するつもりである。

 音もなく忍び寄って詳しく耳にしようとしたところ、こちらのほうに手を振って走りよってくる影に気が付いた。
「八意先生!」
 駆けてきたのは一輪だった。茶屋で会ったときと同じ尼の格好をして、きらきらの笑顔を輝かせている。
「あら、一輪さん。名前でいいって言ったのに」
 気付いた永琳は微笑して出迎え、息を吐く一輪に挨拶し、握手をかわした。
 それから舷側に持たれて風景を眺める輝夜を呼んで紹介した。輝夜とは初対面である。
 輝夜は一輪と握手をかわした。
「はじめまして。あなたが雲居さんね。私は蓬莱山輝夜。話は永琳から聞いているわ。このたびは聖輦船に招待してくれてありがとう。私、感激しているわ。また来たいって思っているところよ」
 一輪は喜び勇んで飛び跳ねた。
「そうですか! それは嬉しいです。私は一輪。雲居一輪といいます」
 挨拶を交わしたあと、一輪は顔見知りの鈴仙とも同様に握手を交わした。茶屋以来の出会いである。そのときは永琳が主に口を開いていたので一輪と会話を費やしていたわけではないのだが、それでも親しさが感じられた。
「永遠亭のみなさん。ようこそ聖輦船へお越しくださいました。来ていただいて、嬉しく思います」
 永琳が微笑して答えた。
「それはこちらもです。遊覧船の景色は本当に見事ね。素晴らしいわ」
 一輪は照れたように笑った。
「ありがとうございます。聖輦船は幻想郷をゆっくりと回遊します。ずっと上空ですので、風が強い場所もあります。風が気になるようであれば髪留めをお貸ししますので、仰ってください。それと皆さん、昼食はお済みですか? 中の船室で軽い食事を出していますので、小腹が空いていたらご利用ください。ほかにもお楽しみのイベントを用意しています。聖輦船は、ただ空を飛ぶだけではありませんよ。ぜひ、楽しんでいってください。私たちはあなた方を歓迎します」

 手を振って去っていく一輪を見送ったあと、乗船して早々に出歩いて姿を消していたらしいてゐが戻ってきた。
「いやぁ、いい眺めだよね! ご飯もおいしいよね! あ、鈴仙はやっと来たんだ。じゃ私、もうちょっと遊んでくるよ」
「あー、こらちょっと!」
 呼ぶ間もなく駆け出して、そのまま人ごみに紛れててゐは消えてしまった。
 束の間の、一瞬の出来事であった。いったい何をしに戻ってきたのだろう。
「じゃあ、って何なのよあいつ。失礼しちゃうわね!」

 今回の聖輦船の遊覧飛行について、一輪は永遠亭の住民なら誰でも連れて来ていいと言っていた。永遠亭に帰った永琳は輝夜にそれを話し、輝夜はすぐに乗り気になった。てゐは興味のないそぶりをしていたので、当初は三人で行く予定であった。だがしかし、後日のこと、鼻唄をうたいながら準備にいそしむ鈴仙を見かけたてゐが猛烈果敢に同行を主張しだしたのだ。思わず呆気にとられてしまった。
 興味がないのではなかったのか、それとも用意する鈴仙を見てうらやましくなったのだろうか、ずるい、行きたい、と駄々を捏ねては転げまわり、仕方なく輝夜に相談したところ、別にいいんじゃない、という返事であった。そうしててゐも乗船することになったのだ。
 わざと興味のない振りをしていたのか知らないが、あのはしゃぎようを見るに、本当は最初から行きたかったのではあるまいか……。

「てゐのやつ、あんなにほっつき歩いて。やっぱり最初っから来たかったのよね。ほんと、しょうがないんだから。輝夜さま、わたしたちはどうしましょう?」
「そうねえ。私たち、何も食べて来てないし、雲居さんの言ったように少し中に入りましょうか? 風景はいつでも眺められるし」
「ええ、そうですね」
 永琳が頷くと鈴仙は同調し、歩き出した二人の後ろについた。
 ふと冷静になり、気付かれないように周囲を見回して、誰かがこちらを窺っていないかを確かめる。顔を紅潮させた男たちはもう見えなくなっていた。
(あいつら、何かしでかすんじゃないかしら。気をつけないと……)
 そのまま人ごみを進み続け、永琳の帽子や輝夜の後姿を眺めるうち、先ほどの一輪の言葉が暗に思い出された。
(彼女、イベント、って言ってたわね……)
 イベントで思いつくことは、指示書のことである。それが一輪の言っていたイベントに関係があるのならば、ここで一輪が出てきたのは、それを匂わせるためだったのかもしれない。握手と同時に視線を交わしたときの微笑が果たしてただの微笑であったのか。あるいは、あれは、鈴仙を確かめようとする眼差しだったのではないか。要求を理解しているのかどうか、一輪はあの瞬間に判断しようとしたのではないのだろうか。
(それは考えすぎ、かしらね)
 自分で最後と答えること、知らないと答えること、求められていることはその二つで、まず大したことではない。指示書の意向に沿うことによるデメリットはないのだ。
 だがしかし、鋭い牙を持つ二匹の獣という単語が脳裏によみがえってきた。イベントというのであれば、何処かで猛獣に襲われるイベントでも示唆されているのかもしれない。そんなことの餌食になるのは御免だ。
 少しだけ、鈴仙は周囲を警戒することにした。



2.


 その船室は食堂として使われていて、広々としたものであった。
 バイキング形式で、部屋の端に出来上がったさまざまな料理が用意されており、好きにとって食べてよいらしい。席に着いて食べられるように円形のテーブルが各所においてある。すでに半分ほど埋まっていた。
 そこそこ空いているのは食べてきた者が多いためだろうか、それとも、乗船が最後になり、鈴仙が指示書で時間をとられていたせいだろうか。とうに混雑の時間帯は過ぎているように思われた。今はそれらは過ぎ去って、食後のデザートとともに雑談に終始しているように見受けられた。
 笑顔と冗談がこぼれ、子どもが走り回ったり、捕まって諌められたりしている。
 永琳が隣の輝夜に聞いた。
「どうする? 私たちは何処か座る?」
「そうね。食べ歩きよりは座りたいわね」
 永琳が席をとったのを見ると、鈴仙は、パスタやポテトや炒飯などをあちらこちらを駆け回ってとってきた。しかし勢い勇んで席に戻ったら二人とも居なかった。料理を置いてから見回すと、それぞれ自由に動き回っているのが見受けられた。普段は輝夜や永琳の料理は鈴仙が用意しているので、ついつい癖で集めてしまったのだが、どうやらここにおいては必要なかったらしい。

「あら、あなた……」
 声に振り返ると、そこには紅魔館のメイド、十六夜咲夜が居た。
 意外なことに、彼女はいつものメイド服ではなく、厚手のセーターに暖かそうなマフラーをつけ、短いスカートではなく、濃色の花柄模様のロングスカートを履いていた。今日はメイド業務は休みなのだろうか。いつもと格好が違うのに半ば呆気にとられてしまう。
 いつも隣にいる吸血鬼はおらず、代わりに、紅魔館は地下の書庫に居座る魔女がスパゲティを乗せた皿を抱えて口をへの字にして立っている。彼女らの後ろには紅い髪の門番も炒飯の皿を抱えて立っていた。眼が合うとにっこりと微笑んでくれる。二人の格好は見覚えのある同じものだ。
「なんだ、咲夜とご一行じゃない。その格好、どうしたの? いつもの小さいのもいないし」
 くすりと笑って咲夜は言った。
「寒いからに決まってるでしょ? 私はあなたたち妖怪と違って人間なんだから、身体のできが違うのよ。厚着しないと、この年明けの寒さはやってられないわ」
 鈴仙はシャツをひらつかせた。
「いやいや、こっちも何枚か重ね着はしてるのよ。やっぱり夏は暑いし冬は寒いんだからね」
「じゃあパチュリー様と美鈴は特別なのかしらね」
 隠れて背後を覗い、咲夜は愉しそうに笑った。
「お嬢様はね、吸血鬼だから昼夜逆転してるのよ。年始だからって散々パーティで遊んでいたんだから」
「あんたたち、いつも一緒だと思ってた。昼間でも日傘とかしてなかったっけ?」
「日傘してまで出掛ける用事があればそうなるけど、普段はぐっすりなのよ。夕べなんて朝まで暴れていたからね、今日はちょっとやそっとじゃ起きないでしょうよ。それこそ吸血鬼らしく、陽が沈まない限りはね。だから今は空いた時間なわけ」
「それって、あなたも起きてたんじゃないの? 徹夜?」
「私は休みたいときに休めるのよ。良い条件でしょ。パチュリー様と美鈴はひきずられて徹夜なんだけどね、まだまだ元気みたいね」
 鈴仙の視線を受けて、パチュリーはじと眼のまま、美鈴は余裕の表情でニッと笑った。
「よくやるわねぇ。それで今日は仕事を休んで遊覧船に乗ろうってわけ」
「いえ、私は仕事をするつもりだったんだけど、パチュリー様が……」
「え?」
 ちらと咲夜はパチュリーに眼を向けた。すると、今の今まで黙り込んでいたパチュリーが口を開いた。
「誰も疑問に思わないし口にもしないけど……。そもそも船が空を飛ぶのっておかしいでしょ。咲夜が遊覧船のチラシを持って帰ってきてから気になっていたのよ。空飛ぶ船について書かれている本は幾つか見たことがあるわ。でもどれも動力には触れられていないのよね。飛空石とか、クリスタルとか、言葉は出るけど、どうやって作るのかは書かれていないの。私はね、この船を空に飛ばしている動力が知りたいの。プロペラは何処にもついてないみたいだし、これほど大きな船を中空に浮かしているのは道具か魔術のどちらかだわ。で、どっちか知らないけど、道具だったら詳しい話が知りたいし、魔術だったら、ぜひ使用者に会ってみたいわね。きっと風の元素の使い手よ。それもこれだけの規模の船と人数を飛ばせられる強力な魔法使い。どちらにしても興味あるわね」
 合点がいったというように咲夜が手をうった。
「ああ、そうだったんですか。私はてっきり、布団を干すみたいに外に出たんだと思ってたんですが」
「へえ。あなた、私を何だと思ってるの」
 咲夜をにらみつけると、パチュリーは抱えていた皿のスパゲティをフォークで巻き取って一口に食べた。
「あ、私は何となく着いてきたんです。お二人でお出かけなんてずるいじゃないですか!」
 隣の美鈴は何故か自信たっぷりだった。聞くに、正月だからと彼女も休暇を貰えているらしい。
「美鈴はともかく、パチュリー様、日陰の生活はあまりよくありませんよ。たまには外に出たほうがいいと思います」
「そうですよ! 甲板で日光浴もいいと思いますよ。健康的ですし」
「余計なお世話ね。時間がもったいないじゃない。健康的だから屋外で本を読めって? 風で飛ばされるし、日光で髪も痛むし、いいことないじゃない」
 同じ館に住む二人の猛攻をさらりとかわし、さらに口をへの字にしたパチュリーは再びスパゲティを口に突っ込んだ。つるつるとパスタが巻き取られて彼女の口中に吸い込まれていった。
 ふと輝夜を思い出して鈴仙は苦笑してしまった。先ほど永琳にそれとなく外出を促されていたからだ。永遠を解いた今となっては輝夜はいつでも外に出られるのだ。これまで輝夜は竹林を歩き回ったり、稀に里に姿を見せるぐらいだったが、少しずつ行動範囲を広げていって、輝夜は何を見て、どう変わっていくのだろう。そこに少しだけ思いを馳せた。
 ふと、咲夜が周囲を眺めて聞いた。
「……ところで、あなたは一人? 輝夜とか来てるの?」
「輝夜さまとお師匠様は料理をとりにいってるわ。あの辺にいると思う。まだ来たばっかりなのよ」
「あら、そうだったの。ま、私たちも来てすぐですが」

 その後、輝夜と永琳は料理を盛った小皿をもって戻ってきた。
 新年の挨拶を交わした面々は、立ち話も難だろうと席について食事をしようという話になった。

 広々とした丸い机を六人で囲む。鈴仙のもってきた料理に加え、餃子、シュウマイ、肉まんなどが山盛りに追加されている。各人はそれぞれ好きなものを小皿にとって、思い思いに口にいれている。輝夜は少食で、多く取ってきたわりにはあまり口にせず、永琳は餃子を好んで食べた。咲夜はスープを口にして猫のような悲鳴をあげ、舌を出して「これは熱いですわ」と言った。それからシュウマイを一つずつ口にいれ、パスタやジャガイモにも少しずつ手を出し始めた。美鈴はあらゆる料理を小皿にとっては食べ、とっては食べ、豊満な胸を揺らせながら「美味しいですね、美味しいですね」などと言って次々と食べていた。鈴仙はあまり食べたい気が起こらなかったので、ただスープを口にするだけだった。
「……動力?」
 食事を交えた雑談の途中、スプーンで粥をすすった永琳が上目遣いに言った。
「この船の動力ね? 知ってるわよ。確か船幽霊がいるんだって。それが船長で、この聖輦船を動かしてるらしいわよ。だから魔法でも道具の類でもないと思う」
 パスタで満腹になってげっぷをし、食後らしき紅茶を静かに啜っていたパチュリーは永琳の言葉に小さなため息をついた。
「そう、船幽霊か……。ということは、そいつ自身の存在が動力になってるかしら。それは考え付かなかったわ。そうなると、魔術でも道具でもないわね。だったら来なくても良かったかしら。あてが外れたわ」
「まぁまぁ、パフェー様! せっはくの遊覧船なのれすから、ゆっふりと楽しみまひょうお!」
「楽しむ?」
 肉まんを頬張らせ、おかしな言語になってまで取り成した美鈴をじと目で見返すと、パチュリーは唇をにやけつかせる。美鈴は胸をたたいて肉まんを喉に流し込み、咳き込んだ。
「げほ。ええ、そうですよ。こんな機会、滅多にないじゃないですか。楽しめることは楽しめるときに楽しむ。それが一番いいんです。門番の仕事もお庭でお花の世話もいいんですけど、たまにはこうして旅行とかもいいですよね。ね! 咲夜さん!」
「あなたは平和ねぇ」
 発言のあとに攻めたてられないようにそれとなく咲夜に同意を求める美鈴だったが、パチュリーのにやけつかした顔は変わらなかった。
 スプーンで紅茶を掻きまわしながら、パチュリーは一語一語、ゆっくりとつぶやいた。
「……あなたの言うとおり、楽しめられればいんだけどね」
「それはどういうことですか?」
 その咲夜の疑問は誰しもが感じたようで、皆がパチュリーを注目した。
「パチュリー様は、この遊覧船が楽しめるものにならない、とお考えなのですか?」
 スプーンを置いて、悠々とパチュリーは紅茶を口にする。
「さぁ……。でも、ただの遊覧飛行では終わらないわね。この船の連中が、何かを企んでいる。それは解っているわ」
「企んでいるって……、何をですか」
「あなた、気付いていないの?」
「はぁ、恐らく気付いておりませんが。何にでしょうか」
「……ここに乗船している全員に、何か得体の知れない魔術が掛けられている」
 不意の発言は永琳のものだった。肘をついて腕を組み、したたかな顔で永琳はパチュリーを眺めている。皆が永琳を注目し、パチュリーは薄く笑った。
「正体はよくわからないけどね。今現在、一人一人に微量の魔力が掛かっている状態なのよ。もちろん、私たちにもね」
「そんな」
 驚いて、鈴仙は自分の身体をまさぐった。
「魔術ですか? そんな、いつの間に……。私、ぜんぜん気付きませんでした」
 同じように、美鈴も服に何か付いていないか確かめるようにあちこちを見た。
 パチュリーはそれを呆れたように眺めた。
「見ても解らないわよ。咲夜も気付いていないようだし、うちの者たちはみんな駄目ね」
「眼に見えない魔法なんて魔法じゃありませんわ」
 お手上げだ、というように咲夜は両手を広げる。輝夜にしても気付いておらず、結局、気付いていたのはパチュリーと永琳だけだった。パチュリーは食後のはずが再びフォークに手を伸ばし、パスタに落とし、くるくると回しながら永琳をにらみつける。
「さて、薬だけかと思えば魔力にも精通しているあなた。あなたはこれをどう捉える? 私の見立てではね、これの目的は識別よ。この船の何処に誰がいるのか、連中は逐一監視しているの」
「そうね。私もそう思うわ」
 美鈴が手を挙げて言った。
「そうだ! 迷子案内でもしたいんじゃないでしょうか?」
「ちょっと美鈴、あなたは黙っていて。それなら左舷のほうにテントで総合案内があったでしょ。迷子になったらここへ駆け込めって説明を偉そうな格好のやつしていたわ。私たちはレミィが居ないからそんなの聞かされていないけど、子連れのグループにはそう呼びかけていたでしょ? それに、これは迷子にしては少し大仰な仕掛けだわ。もっと、何か、別の目的があるような気がするの」
 しゅんとする美鈴に、咲夜がくすくすと笑った。
「あなたは浮かれて走り回ってたからね」
「で、続きよ薬屋さん。もうひとつ重要で肝心なこと。いったいどうして私たち一人一人の動向を監視しているのか。これはどう?」
「イベントね」
 さらりと言ってのけた永琳にパチュリーは顔をしかめた。
「何それ? イベントはこの遊覧船の旅じゃないのかしら?」
「それだけじゃないのよ。さっき一輪……乗組員の一人に聞いたのよ。何かイベントがあるそうだわ。それに関わってくると思うんだけど。そうね、この魔術の効果からかんがみると、個々人そのものが重要となるものじゃないかしら」
 輝夜が聞いた。
「永琳、それはどういうこと?」
「例えばね、決まった時間までに特定の誰かを探して捕まえましょう、と発表されるとするじゃない? でも、遊覧船は陽が沈むころには地上に降りるでしょう? それまでに探し人が見つからないと、彼らも困るんじゃないかしら。もちろん彼らの身内に探し人がいれば調整できるのでしょうけどね、そうとは限らない。つまり、彼らはそのイベントの進行を、ある程度コントロールしたいんじゃないかってこと」
 パチュリーがつまらなさそうに言った。
「探し人ねぇ。それは退屈だわ。探してどうするの?」
「もちろんイベントの内容が人探しとは限らないわ。単に思いついたことを言っただけ。ただ要点は、私たちに掛けられた魔術はそのイベントの内容に見合った魔術ではないか、ということなのよ。例えば対象の人物が何かの理由で何処かに隠れていたり、人の少ない場所にずっといたりすると、当然発見は遅くなってしまう。そのときに、それとなく人のいるほうへ案内をする。または人の目をそちらに向けさせる。そういうことが起こるんじゃないかってこと。逆に始まったばかりで時間が有り余っているのに、人の群れの中に対象の人物がいたりすると、それとなく人気のないところに連れ出したりするんじゃないかなって。要は、バランスなのよ。聖輦船の飛行の頭の先から足の爪先まで、イベントで満遍なく楽しめるような配慮があるんじゃないかって」
 咲夜が小さく頷いた。
「それはまた手の込んだイベントですね。仮にそうだとすると、肝心の探し人は誰になるのでしょうか」
「そうね、とんがった兎の耳を生やしたやつを捕まえろ、とか?」
 とつぜん永琳に視線を向けられて、鈴仙はあやうく紅茶を吹き出しそうになった。
「そ、そんな! お師匠様、どうして私が……」
 永琳は悪戯っぽく笑った。
「あはは。あなたのその耳は解りやすい特徴だから。仮に指名するのであれば、乗船する誰もがそれと解るような問いかけじゃなきゃ駄目なのよ。書庫でもくもくと読書にふけって紅茶を飲んでる人物、といったら私たちには検討つくけど、里の人間たちには解らない。そういった公平性は考慮されるはずだわ。そうしたとき、あなたは特徴を描くに実に説明しやすいのよ。里にもよく行ってるでしょう?」
「はぁ。まぁ。そうですが……」
 確かに季節の変わり目に置き薬として里に出掛けている。もう何度も通っているので、そこそこ顔は知られていることだろう。
 納得したように咲夜は頷いた。
「確かにそのとおりです。年中ネグリジェでビタミン不足のトラブルメーカーが誰かというところまでいけば、私と美鈴ぐらいにしか連想は出来ないでしょう。仮に、いえ、万が一のことですが、それがパチュリー様であったとしても里の誰にも解らない、というわけですね」
「そういうことね」
「解らないどころか解りやすすぎよ、あなた」
 パチュリーに注意されても楽しそうな咲夜の顔を見ていると、ついと輝夜が肉まんをちぎって鈴仙に差し出した。もう半分を自分の口にいれて、にこにこして差し出したままである。
「あ……、輝夜さま、ありがとうございます」
「ずっと見ていたけど、あなたはあまり食べないのね」
「はぁ、どうも食欲がわかなくて」
 それでもせっかく貰ったので、半分の肉まんを口に入れる。ほかほかで熱々であった。
 しばらくフォークをいじっていたパチュリーは、そのままとりあげて一口にパスタを食べる。それから少しだけ咀嚼したあとに咲夜を睨んだ。
「咲夜を誘って失敗だったわ。イベントなんて私は興味ない。何があるのかと魔術に掛けられたままになってやったけど、とっとと解いて帰ろうかしら」
「パチュリー様、いいじゃないですか。料理も気に入られたようですし、お代わりをお持ちしましょうか」
「いらないわ。そこのかき込んでるのにでも持ってきたら?」
 急にふられて、炒飯をかきこみ、肉まんを頬張らせ、スープを啜っていた美鈴はきょとんとした顔で反応した。
「あなたのほうは、そんなに食べて太ったりしないの?」
 そう言って、輝夜は半ば呆れた表情のなかに微笑をにじませていた。

 とつぜん大声が響いた。見ると、寺子屋の慧音が子どもを諌めているところだった。
「いいか。この料理はお前だけのものじゃないんだ。独占するんじゃない。他の人が取れないだろう」
「いやだ。これは俺んだ! いくらでも取っていいって、さっきのねーちゃんが言ってたぞ! だからこれは俺は全部取ったんだ。これは全部俺のなんだ!」
 大皿にたくさんのポテトが乗せられたテーブルを、子どもはその小さな身体で囲うようにしていた。並べられたたくさんの皿にポテトが山盛りに積まれているのが見える。
「あまり欲張るな。そんなに取っても食べられないだろう。いいか、食べるぶんだけ取るんだ。お前以外にも食べたい人がいる。独り占めしたら取れなくなるだろう。聞き分けるんだ」
「いやだ!」
 わめく子どもは何度もたしなめられるが、まったく言うことを聞かない。ひたすらにわめくばかりだった。慧音の注意も次第に熱がこもってきて、ついには肩頬だけ吊り上げるような、ひくつった笑みをみせるまでに至った。
「お前には言葉のあやから教えたほうがいいのかもしれんがな……。今はそれ以上に教えなければならぬことがある!」
 腕をまくり、重心を低くとり、慧音は何か構えをとる。
「うお、ちょっと待って! 先生、はえぇよ!」
 すぐに子どもは何かを察したようだが、頭をかばう暇もなく、手痛い頭突きを食らう羽目になった。子どもはしゃがみ込んで頭を押さえ、慧音は荒い息を一つ吐くと、そのままその子どもを引きずって近くの席に座らせた。

「子どもを一人だけ連れてるなんて珍しいわね」
 そういって、輝夜に何か耳打ちをして永琳は席を外し、慧音の席へたった。
 美鈴が首を傾げて聞いた。
「輝夜さん。永琳さんは何を言ったんですか?」
「また後で会いましょう、って」
「え? それだけですか? 別段、耳打ちしなくてもいいと思うんですが」
「知らないわ」
「ほー。何というか、仲がいいんですね。そう思いましたよ。耳打ちって、されるとドキドキしませんか? 秘密を打ち明けられたみたいで……」
 パチュリーがつまらなそうに反応する。
「美鈴は耳打ちなんてされたことないでしょ」
「ありますよ。咲夜さんとか」
 咲夜は恥ずかしそうに笑った。
「またしょうもないこと思い出して……」
「へへ。でもあれですね、私の思うに、パチュリー様は逆に耳打ちをしたことがないんじゃないですか? するような乙女にも見えませんし」
「乙女と何の関連があるのかしら。まぁ、ないけど」
「私に耳打ちしてみてくださいよ。パチュリー様の秘密を聴いてみたいですね。そのネグリジェは実は同じものを何十着と持っていて使いまわしてるとか、生まれてこの方その服以外を着たことがないとか……」
 咲夜が追従した。
「そういえばパチュリー様、その服はお洗濯に出してくれませんね。ご自分でお洗いになっているのですか?」
「まさか、パチュリー様……!」
「……」
「いえ、気に病むことはありませんよ。パチュリー様はインドアの泰斗なのですから、ずっと同じく服を着続けていたとしても、それは致し方ないことだと思います」
「……」
 パチュリーは人差し指だけで美鈴を誘い寄せた。美鈴は人参をぶらさげられた兎のように寄っていって耳を寄せる。パチュリーはその耳にそっと唇を近づけ、小さな、しかし強みのある低い声でささやいた。
「……ロイヤルフレア」
 極少の輝きが炸裂して食堂が光で満たされる。
 極限の反射神経で難を逃れた美鈴を含め、面々は急激にざわめきだした食堂から飛ぶように退散した。



3.

 甲板は落ち着いた午後の日光とともに、優しげな風に吹かれていた。
 食堂を抜け出るときにはその騒ぎに戦々恐々とさせられた鈴仙だったが、反応を窺うに物理的な被害はないようだった。パチュリーの魔法は強い閃光を放っただけのものらしい。それは力を極端に抑えられた結果なのだという。パチュリーもそのあたりは考慮しているらしかった。
 左舷の総合案内まで行くと、先ほどの一輪と、黄色い短髪の女性がいた。寅丸星というらしい。輝夜は一輪に声をかけて髪留めをもらい、ポニーテールを一輪につくってもらっていた。一輪は髪をいじるのが好きなのだという。輝夜の臙脂の衣装は冬用の厚手のそれに切り替わっており、いつもと同じ格好なのだが、髪を束ねるところは滅多に見られない光景だったので鈴仙はまじまじと眺めてしまった。
 髪をいじられるままの輝夜が照れくさそうに笑った。
「珍しいかしら。似合ってる?」
「よくお似合いですよ。輝夜さま素敵です!」
 楽しそうに輝夜は笑った。
 出来上がってからの輝夜は、飛んだり、跳ねたり、小走りしたり、左右に振り向いたり、身体を柔軟体操のように動かして髪を確かめると、納得するように何度かうなずいた。
「何だか動きやすいわね、これ。すごくいいわ」
 一輪が腰に手をあてて笑った。
「ええ、ほんとう、似合っていますよ。その髪留めはですね、白蓮が使っていたものなんです。白蓮は物理的、肉体的な力を向上させる魔術を得意としていますから、その魔力を受け続けた髪留めもいつしか力を強める魔術アイテムみたくなってしまったんです。もう必要ないといって白蓮に貰ったものなんですが、あいにく、力の質といいますか、魔力の質といいますか、私と相性がよくなかったんです。里の人にそれとなく付けて差し上げたりしていたんですが、どうも居心地が悪いとか、落ち着かないとか、不満があって、ずっと残っていたんです。色々な人に試してもらっていたんですが、あなたとは相性がいいようですね。よろしければ、差し上げますよ」
 輝夜は驚いたように否定する。
「それは、ちょっと悪いわね。もらい物なんでしょう?」
「いいえ、いいんです。いつか白蓮に教えていただいたことがあります。ものには存在意義があり、目的があり、それが満たせられることが本懐であるということです。髪留めにとってのそれは言葉通り、髪を留めることです。それが満たせられれば、私にはそれで十分なんです。小箱に仕舞われ続けるよりは、使ってあげたほうがいい。そういうことです。きっと、その髪留めにとっても良いことでしょう。私がこうしたことを、きっと、白蓮もお喜びになっていただけると思います」
「そう……」
 輝夜は言葉を飲み込んで、笑顔を浮かべた。
「解ったわ。ありがとう。あなたの言うとおり、これをいただくわ」
 手を握り交わす二人を見るうち、鈴仙は心の高鳴りを感じた。静けさと落ち着きを秘めた永遠亭の輝夜は鳴りをひそめ、俊敏で、快活で、炉に火をくべたような活き活きとした力が今の輝夜に満ちているように思えた。それは永遠の中にいた輝夜とはまた別の輝夜であると思えた。何かしら惹き付けられるものを感じるのだ。注意を引かされ、意識させられ、何かが胸に迫ってくる。
「あの、輝夜さま」
 輝夜は振り返った。
「ん? どうしたの、鈴仙」
 胸の前で手を握り合わせ、鈴仙は輝夜を見つめる。
「本当に、よく似合っています。お似合いです」
「え? ありがとう。嬉しいわ」
 嬉しそうに微笑したあと、輝夜は気付いたように言った。
「あなた、様子がおかしいわね。顔が赤いわ。どうかした? 熱でもある?」
 鈴仙の額と自分の額にそれぞれ手をあて、輝夜は熱をはかった。すぐに鈴仙は覚醒し、慌てて取り成す。
「あ、す、すみません! 平気です。つい、ぼーっとしてしまいました」
「あら、そう」
 輝夜は手を離した。
 胸に手をあてて、鈴仙は混乱する。いったい今、何をしたのだろう。輝夜に迫らずにはいられない何かを感じていた。輝夜は主であるため、意識するなど日常だ。おかしなことは、そこに感情が付加されてしまっていることだろう。
 時の流れとともに地上の穢れの影響を受けて、気付かぬうちに何らかの変化が訪れているのだろうか。それが何であれ、輝夜の従者としての立ち居振る舞いが損なわれるのではあれば何かしらの対策を採らねばならない。
「すみません。疲れが溜まっているわけではないのですが……」
「気にしないで。行きましょう」

 右舷の側で案内があるから移動してくれと一輪に促され、テントの近くにいた紅魔館の三人を連れて全員で移動すると、艦橋の屋根に飛び上がって仁王立ちしたセーラー服の少女がメガホン片手に参集願いますと呼びかけているところだった。
「何か始まるんですかね。ひょっとして永琳さんの言っていた催し物ってやつですかね」
 美鈴が何か楽しそうにつぶやいたが、興味ないというパチュリーが離れだしたので、つられるように全員揃って舷側のほうに移動して風になびかれるままになった。
 咲夜が輝夜の髪を見て聞いた。
「その髪、どうしたの?」
「似合ってるでしょう? 動きやすいわよ、これ」
「それはそうでしょう。あなたの髪はそもそも長すぎですから」
「あなたも髪を伸ばしてみたらどうかしら?」
「いえ、このぐらいの長さがいいのです」
 二人の雑談の隣では、パチュリーが髪留めの魔術に気付いていて、純度は高いが魔力そのものは小さいと評していた。美鈴は食後のシェスタの時間をむさぼろうとしているのか、少しうとうととしているようだった。それらを横目に眺めつつ、舷側にもたれかかり、今にも説明がはじめようとする艦橋に鈴仙は眼を向けていた。

 メガホンの大きな音が漏れてきて、それからすぐに声があがった。
「えー、皆さまがた、このたびは新年早々、我が聖輦船にご乗船いただきまして、まことにありがとうございます。遊覧船のたびは如何でしょうか。わたくし、この聖輦船の船長を務めております、村紗水蜜といいます。水に甘い蜜で水蜜です。これはいい名前と自分で自賛してしまいますがー、お気軽に、ムラサ、または、ムラサ船長とお呼びください。今日一日、長い船旅をご一緒させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。えー、本日は天気にも恵まれましてー、絶好の遊覧日和であります。ん、あ! こらそこ!」
 急に叫んだ声が何ごとかと思えば、村紗のスカートが風にまかれてめくりあがっており、鼻の下を伸ばして眺める男児や若者たちがいたようだ。ひらひらと揺られるスカートの先にはしっかりと水色のショーツが見えていた。
 村紗は弾幕模様のアンカーを叩き込んで大人しくさせると、すぐにスカートの八方にアンカー型のアクセサリを錘として付属させ、風に動じぬように仕立てあげた。
「鼻の下を伸ばすと、ろくなことがありませんよー。淑女の方々、聖輦船は風が強いのでその辺はお気をつけくださいね!」
 そうして引き続き挨拶が続けられた。今回の遊覧船の始まりを告げる公式なアナウンスなのだろう。鈴仙は挨拶を聞き流し、一輪の告げたイベントとやらの紹介をただただ待ち続けた。
「……とまぁ、そういうわけです。えー、さて、いつも遊覧船にご乗船くださる方もいくらか見受けられますが、今回は新年早々ということもありまして、記念にとはじめて乗船される方も多いようです。そこで、ですね。今回は少し趣向を変えまして、飛行を続けながら一つのイベントを用意させていただきました!」
 メガホンを振り回し、村紗はおかしなポーズをとって宣言した。
 きた、と思った。鈴仙はぴくりと耳をふるわせて注目する。
「なおー、ご参加される、されないは皆様方の自由です! 楽しみたい方がお楽しみください。参加される方には、もちろん賞品を用意させていただいておりますよ!」
 おお……! というどよめきとともに観衆は沸いた。
 だんだん村紗は激しくなってきて、その賞品とやらを次々とどこかから取り出しては一つ一つ紹介を始めた。
 その一つ一つに奇天烈なポーズを付け加え、それはもはやマイクパフォーマンスならぬ怪しげなメガホンパフォーマンスへと変貌していた。
「さぁて、肝心の賞品はこちらです! まずは一点、里の稗田家ご推薦の茶屋のお団子無料券です! 続いてこちら、鼠娘、ナズーリンによる探し物サービスの無料回数券! こちらへばってもこき使ってください! そして次は、我らが命蓮寺の置物、寅丸星の一日貸し出し券です! 星のほうには仏門の力を得たこの宝塔も付属します! もちろんこちらも一日の貸し出しですからね! そして最後にこちら、我らが聖白蓮の隠し撮りプ、ロ、マ、イ、ド! レアです! 輝かしいです! 引き出しに仕舞うもよし、額縁に入れて拝むもよし、たくさんの使い道があります! 以上です! さぁ、いずれも劣らぬ魅力がありますが、皆さま是非これらを目指して……」
「おい、ちょっと待ちたまえムラサ!」
「何故私と宝塔が貸し出されるのですか。聞いてませんよ!」

 すぐに苦情が入った。先ほどのナズーリンと、総合案内に一輪と居た寅丸星である。
 二人は艦橋に飛び上がってクレーマーのように村紗に詰め寄っている。
 村紗は苦々しく笑って抵抗した。
「いいじゃんよ! 年に一回のサービスのつもりなんだからさぁ。こうやって色々とサービスしたら皆が白蓮に帰依してくれ……、おおっと」
 カチ、とスイッチを切る音がして、音がやんだ。聴衆のざわめきが残り、何か問答がずっと続いているようであった。声を届かせないつもりなのだろうが、鈴仙の耳にはきちんと届いている。
 おされつつも声が言った。
「だからどっかであんたら紹介しないと駄目でしょ! それに楽な仕事でしょ? あんた探し物得意だし、星にいたっては、命蓮寺では置物みたいなものじゃない。拝まれて終わるだけよきっと。だからいいじゃん。いいじゃん。いいじゃん!」
「何で私だけ回数券なんだ! こき使われるんだ! 一回でいいだろ! 訂正したまえ!」
「でも言っちゃったし、今更撤回もできないよ!」
「私についても説明してくださいムラサ。置物とはどういうつもりですか? あなたは私をそういう眼で見ていたのですね? それに宝塔を持ち出すとは、あなたは命蓮寺の住まう者としての意識が低いようです。しかるのち白蓮に話し、厳しい処遇を与えなければなりません」
「言葉のあやっていうかさぁ、あんた里のご老人に拝まれてるの知ってるでしょ? ほれ、一日ぐらい行ってやりなよ。喜ぶってきっと。宝塔だって、今はあんまり魔力入ってないじゃんよ。だから大丈夫だって!」
「しかしだな……」
 ふくれっつらの収まらぬ二人のもとに、もう一人の人物が左舷のほうから飛び上がって近づくのが見えた。白蓮! と小さく村紗が叫んだことにより、彼女がプロマイドの人物だと解った。
 当の白蓮は、村紗、ナズーリン、寅丸星を眺め、なだめすかすように言った。
「皆、落ち着きましょう。揉め事はいけません。ムラサは命蓮寺のことを考えてここまでしてくれたのです。そのことを汲んであげましょう。ナズーリン、あなたの力があれば、そう難しいことではないはずです。あなたはこのことにより、里の信頼を勝ち取ることが出来るでしょう。それに星、あなたはこれを切欠に里の方々に近づくことで、より彼らと密接になることが出来るのです。そのことについては、喜びこそすれ、否定をしてはいけません。彼らを歓迎し、受け入れる努力を怠ってはいけませんが、こちらから近づく努力も必要です。宝塔については、年末の行事で力を使ってしまいましたから……。まだ力は殆ど溜まっておりません。あなたが肌身離さず持っていれば大丈夫だろうと思います。これまであなたは寺に留まり、里の方々に教えを説くことに終始していました。ムラサの話は、あなたのほうから里に歩み寄るいい機会ではありませんか……」
 中断されたアナウンスの行方を見守る里の人間たちには、彼らが何を話し合っているのか解らず、度の過ぎた賞品にしたことを白蓮とやらに諌められているのだろうと解釈しあっていた。しかし耳のいい鈴仙には解る。事実はそれと違い、彼らはそのまま押し通す結論に至ろうとしているのだ。
 それとなく星が白蓮に聞いた。
「……あなたのおっしゃることは解りました。ならば白蓮、聞きましょう。あなたはプロマイドの中身を確認しましたか? ムラサのことです。隠し撮りにはぬえあたりを利用したのでしょう。そしてぬえのことです。ただの横顔では済まないと思いますが」
「気付いていましたよ」
「え?」
「ぬえが天狗のカメラを拝借して私を隠し撮りしていることには気付いていました。ですから問題ありません」
 星は眼を瞠った。
「なんと……。さすが白蓮です。私の見誤りをお許しください。解りました。私は里に出向き、里の者たちに教えを広めましょう。それがあなたの望みであるならば……」
 白蓮は胸の前で手を抱きしめた。
「星……。聞いていただいてありがとうございます」
 鼠少女、ナズーリンがぼそりと言った。
「聖。問題ないとおっしゃいましたね。ということは、あなたはプロマイドに沐浴を撮られていることも納得されているのですね。先日、あなたが恍惚とした表情で水を浴びる写真を私はぬえに見せてもらったのですが」
 不思議と空気が凍ったような音がした。
「ムラサ、終わったら下に降りてきてください。話があります。ナズーリンに星、ちょっと来てください」
「は、はい……」
 すくむ二獣の尻尾を引きつれ、鉄壁の笑みを残して白蓮はそのまま二人を連れて船室に入ってしまった。残された村紗は一人でぽつんと佇んだあと、里の者たちに気づいた。
 取り成すようにメガホンのスイッチを入れ、村紗は声高らかに叫ぶ。
「えーと、お待たせいたしました! 我らが白蓮に賞品を認めていただけましたー! さぁ皆様、振るってご参加ください!」
 おお……! 変更はないのか……! 白蓮様公認だぞ……!
 観衆のどよめきが再びが湧いた。
 鈴仙の耳で聞き取るに、家族持ちはささやかな賞品、ナズーリンの探し物や団子無料券などのささやかな賞品で充分であるらしいが、若者が特に執拗に狙いかけるのは白蓮のプロマイドだった。白蓮は里の者に人気があった。これまで里になかった衣服を纏い、新たな教えを広める美しい容貌の女性に焦がれるものは決して少なくなかった。逆に寅丸星を欲しがる者は少なかった。里の老人たちが期待をかけているようだが、そもそも老人たちは、体調を慮って聖輦船に乗らなかった人が多いらしい。
 村紗がメガホンで何か叫んだ。
「はいはーい、ではこちら、ご覧くださーい!」
 何か丸めたポスターのようなものを広げ、村紗はそれを掲げた。

『絵を煮る山』

 墨を使い、太字の達筆でその五文字だけが描かれていた。
 村紗はにこにこしながら観衆の反応を窺い、メガホンを掲げる。
「えー、これが今回のイベントですよ。謎掛けってやつですね! これを手がかりとして、推理しちゃってください。正解まで辿り付けたお方、先着一名様に、先ほど私の挙げた賞品のなかから一つだけ選んでいただきます。プレゼントしちゃいますよ!」
 全てではなかったのか。観衆は急にざわざわしだした。先ほどの問答から、連れ去られた二人を慮って村紗は気を使ったのではないかと鈴仙は感じた。
 早速広まりつつあるイベントに満足したのか、村紗は更なる笑みを漏らし、再び、高らかにメガホンを掲げる。
「この謎掛けをもとに解き進めてください! ヒントはありません! 質問も駄目です! 乗組員の誰に聞いても返答はありませんよ! 皆様だけの力で解いてください! さぁ、それでは聖輦船の船長、村紗がお送りしました! 聖輦船の旅はまだまだ続きますからね。参加される方も、されない方も、ごゆっくりとお楽しみくださーい!」
 村紗はくるりと一回転するアイドルのようなパフォーマンスをきめ、叫びをあげた。
「最後に! 命蓮寺のマスコットキャラでもあります雲山とともに開幕宣言を終えたいと思います! 雲が山のように伸び上がる。それが雲山です! さぁこい雲山! 雲山! 雲山!」
 雲山! 雲山! 雲山! と観衆が続けざまに叫びだした。
 呼応するように、船上の何処かから汽笛が鳴り響いた。鈍くひびく低音のそれは開幕を告げる合図のようであった。もくもくと筋肉上等のポーズをした雲が伸び上がり、そこから花びらが次々と舞い上がる。赤、黄、橙、紫の花々は淡い冬陽をうけてまばゆく燦き、空の海と純白の雲のキャンバスに色を投げた。冬の壮冷に絢爛が映える。花びらは音もなく、しんしんと雪のように、舟上に、地上へと降り注いだ。雲は拡散して消えてゆき、観衆は息を呑んでそれらを見つめる。村紗が静かに身をひるがえして船室に立ち去ったあと、そこには静かな歓声だけが残された。

 聖輦船は山々を越え、幻想郷を周回し、鏡のような湖に卵の影と花びらを落として通り過ぎようとしている。
 鈴仙が花々に歓声をあげたのは一瞬のことだった。舷側にもたれかかり、降り散る花びらを見上げ、鈴仙は一人考える。
(これって……、参加したほうがいいのかしら?)
 連想されるのはあの指示書のことだ。まず、このイベントとやらは自分に提示された指示書と関係があると思われる。村紗の謎掛けを追っていった先、何処かで指示書の出来事が降って掛かるのかもしれない。
 自分で終わり。知らない。ただそれだけのこと。この村紗の謎掛けについては、参加する、しないの指示はなかった。つまり、好きにしていいということなのだろう。
 鈴仙はどうすればいいか。考えるに、必然的にたどり着くのは輝夜であった。
 顔をあげると、観衆のざわざわとした声が鈴仙の耳に入ってきた。
「なぁ、あの謎掛けって、何のことなんだろうな」
「絵を煮る山。煮る?」
「お前はどう思った?」
「いやさっぱり……」
「そもそも煮るって何だよ」
「ん! まさか……」
「お、何か気付いたか?」
「俺の生まれる前のことなんだけど。山に篭って、一心不乱に絵を描き続ける男がいたらしいんだよ。そいつはひとたび絵が気に入らないとなればすぐに破り捨てちまったらしい」
「……それがどうかしたのか?」
「いや、絵と山で連想しただけだ。特に意味はない」
「おい! ちょっと期待させんな」
「絵と山はともかく、煮るってのは他二つとの関連性が低いよな。うーん……。山で廃棄された絵、つまり紙だな。それを煮て作られるスープがあった。どうだ?」
「紙のスープ? そんなのあるのか?」
「聞いたことないな」
「俺もねぇよ」
 じきに右舷に集まった者たちは散会し、そこかしこで輪をつくって何やら話し始めた。そのまま船室に戻っていく面々も見受けられた。

 鈴仙は輝夜の様子を窺っていた。このあとどうするのだろう。鈴仙が謎掛けに参加するもしないも、全ては輝夜次第である。どうなるにしろ、輝夜の決断に合わせる。鈴仙の腹積もりはそこだった。
 そうして輝夜に仰ごうとしたとき、わざとらしい咳払いが聞こえた。パチュリーであった。
「あの黄色いのに付属するのって、宝塔といったわね」
「寅丸といいましたか、彼女が持っていたものですね。あれ、綺麗でしたね。何かの装飾品でしょうか」
「装飾品? 咲夜、あなた何を見ていたの?」
「え? まぁ、彼女たちを見てましたが……」
「あの宝塔というのは、ただのオブジェじゃない。あれは器ね。魔力を貯蔵する器。それほど魔力は込められてはいなかったけれど、あれはもっと、底知れぬ量を許容できるはず。奴ら、いったいどうしてあんな道具を持っているのかしら。あの道具が存在するということは、その器を満たすほどの魔力が存在するということ……。ちょっと無視できないわね。気になるわ。気になる」
 くすりと笑って咲夜が聞いた。
「まさか、それを取って来いとおっしゃるのですか?」
 含み笑いをしてパチュリーが返す。
「ええ、盗って来なさい」
「パチュリー様のことですから、盗んで来るほうだと思って返しますが、力づくは良くないですよ」
「あら、どうして?」
「いざこざを起こしに来たのではないのですから。手荒に動くのはやめましょうよ」
「そう。だったら、力づくではなくて、頭づくで取りにいきなさい」
「頭づく?」
「そう、頭づく」
 美鈴が困ったように言った。
「ひょっとして、謎を解けということですか? すみません、さっぱり解りませんでしたよ。咲夜さんはどうですか?」
「私は眺めてるだけだったから、特に考えてなかったけど……。そうですね、山に降りて絵描きの男でも探してみますか?」
 呆れたようにパチュリーが言った。
「馬鹿ね。そんなの役に立たないわよ。それに、謎なら解けているわ」
「え!」
 美鈴の驚きと同時、皆が息を呑んだ。
 咲夜がゆっくりと聞いた。
「パチュリー様、謎が解けたって本当ですか?」
「別に難しくもない。単純な暗号ね。いい? これは……」
 そこで、何も言わずに耳を傾ける輝夜と鈴仙にパチュリーは気付き、薄く笑った。
「……ひょっとして、あなたたちは参加するの?」
 輝夜が何を言うかと思ったが、当の輝夜は振り返り、鈴仙を見つめて言った。
「鈴仙。あなた、あの謎掛けに興味がある?」
「え?」
 話を振られ、鈴仙は困惑する。まさか自分に聞かれるとは思わなかった。
 興味があるかと聞かれれば、ないとは言えない。あの指示書のこともあって、何かしら自分に関連すると思われるからだ。
「私は……。その、興味は、あります」
「解ったわ」
 輝夜は頷いて髪をひるがえし、パチュリーに告げる。
「私たちも参加する」
「あら。ということは、ここでお別れね」
「そのようね」
「あの黄色いのが持ってる宝塔は私たちがいただく。あなたたちが何を欲しがるのか知らないけれど、負けられないわ」
「ふふ。こちらもよ」
「さ、咲夜に美鈴、行くわよ」
「すみません、そういうことですので」
「また会いましょう!」
 パチュリーは咲夜と美鈴を引き連れて、輝夜たちから離れていった。
 彼女たちは、星のもつ宝塔を目当てに謎解きを始めるだろう。
 絵を煮る山。パチュリーはその謎掛けの答えに気付いているという。いざ参戦するとなったはいいが、鈴仙には何ら思い浮かぶことはなかった。そもそも絵を煮てどうする。とてもじゃないが食べられたものではないし、材料からして食べるものですらない。それは考え方が間違っているとしか思えないのだ。
 しかし、今の鈴仙にはそれ以上に気に掛かることがあった。
「輝夜様」
「ん、何?」
「……どうして輝夜様は私に判断を仰がれたのですか」
「ん……」
 何処か言いづらそうに黙り、輝夜はあちこちに眼を向ける。
「たまには、ね」
「たまには、ですか」
「私は参加しなくてもいいと思ったんだけど、あなたならどう思うかな、って」
「私は……。そうですね、ちょっと興味もあったので」
 頭をぽりぽりと掻く。指示書のことを話せないのが、少し苦痛だった。
「なら、いいじゃない。参加してみましょ」
 輝夜のその笑顔が、何処か、いつもの輝夜らしくないような気がした。
「はい、解りました」
 しかし従者である鈴仙に、それを断れるはずもないのだった。



4.

 食堂は先ほどより人が減っていた。もう昼下がりであり、食事をする面々は殆どいなくなっていたのだ。
 それでも年明けとなれば家でゴロゴロしているのが里の者たちの普段であるし、妖怪たちも気の抜ける時節である。回遊の最中にひとしきり景観を楽しんだ者たちが、お茶や軽いデザートを肴に会話を楽しんでいるようだった。
 先ほどの謎掛けなど何処吹く風の恋人同士の会話もあれば、真剣に、楽しんで推理し合っている若者たちもいて、命蓮寺の発案したであろう謎掛けのイベントはそれなりに成功しているようであった。

 輝夜は席に着く前にさっさと自分で紅茶を用意してしまい、代わりに用意しようとした鈴仙があわてる間もなく二人分用意して二人席をとってしまった。
「すみません、私がやるべきところを……」
「いいわよ」
「あ、そういえば師匠は何処へ行ったのでしょう? 見当たりませんが……」
「永琳のことだもの。心配ないわ。この舟の何処かにいると思う。それより話を進めましょう。鈴仙、あなた、謎掛けについてどう解釈した? 絵を煮る山、って書かれていたわよね」
 懐から筆を取り出し、テーブルに置かれた紙ナプキンを千切り、輝夜は、絵を煮る山、と書いた。村紗が掲げたものと同じ文字だが、こちらは線の細い達筆だった。
「やはり、煮る、というのが解りません。当たり前のことですが、絵は煮るものではないと思います。だから字面をそのまま追うのは間違いではないか、と思いました」
「そうね。それは私も思う。いくらなんでも似つかわしくないじゃない。絵と山だけなら良かったんだけどね」
「絵と山、ですか……。例えばですが、聖輦船の中に絵が飾られているところがあって、それらしき名前のものがあるとは考えられないでしょうか。それこそ、山で絵を煮込んでいるところを描いたような絵が……」
 輝夜が噴き出した。
「やだ。ちょっと笑わせないで。そんな絵、あったら見てみたいじゃないの」
「あ、いや、すみません。つい浮かんでしまったもので」
 口元を隠し、顔を赤くしたままお腹を押さえてしばらく笑ったあと、紅茶を小さく口にして、輝夜は落ち着いたように息を吐いた。
「もう。ほんと、想像させないでよ。どんなインスピレーションを感じたっていうのよ、それ」
 鈴仙は恥ずかしそうに頭を撫でる。
「いや、すみません。ただそのままを考えてみたものでして」
「ま、でも、絵画ね。方向性は悪くないんじゃないかしら。山だとそこら中にあるから絞りきれないけど、絵なら容易い。まず、この聖輦船の中に絵が飾られていないか調べてみましょうか? 歩き回った限り、絵は飾られてないみたいだけど、まだ見ていない部屋もあると思うし」
「はい。解りました」

 鈴仙が残りの紅茶を一口に啜ろうとしたとき、ふと影が近づくのが見えた。
「何の話をしているのかな?」
 その声は慧音のものだった。子どもをつれて、にこやかに笑っている。先ほどのポテトの子どもだった。気付いた輝夜がゆっくりと立ち上がった。つられて鈴仙も立ち上がる。
「上白沢さんね。あけましておめでとう」
「あけましておめでとう。先ほど八意殿にお会いしました。別れてからだいぶ経ちますが、合流されていないようですね」
「ええ。私たち、ずっと甲板に出ていたから……」
「ああ……、外に出ていたのですか。彼女、八意殿は奥の部屋へ行きましたよ」
「奥の部屋?」
「ええ。せっかく命蓮寺に来たのですから、中を歩き回ってみたいと」
「命蓮寺?」
 輝夜は眼を大きくした。
「ここは聖輦船ではなくて? 命蓮寺というのは彼らの住居じゃないのかしら?」
「そのとおりです。驚かれるでしょうが、ここは聖輦船であり、命蓮寺でもあるのです。船長の村紗殿を見かけましたか? どちらも正体は、彼女の操る舟なんですよ。それは空を飛べば聖輦船、地上に降りれば命蓮寺です。つまり、この聖輦船にあるものは命蓮寺にもあり、命蓮寺にあるものは聖輦船にもあるのです。だから彼らは、今日のために荷物を運び込んだりする必要もないんです。どのような仕組みで変形しているのか知りませんが、よく出来ていますよ。ところどころが似通っています」
「それは……凄いわね。奇抜だわ」
「ええ。私も思います」
「あなた、命蓮寺についてお詳しいのかしら?」
「何度か中を見せてもらったことがあります」
「少し、お話しません? 立ち話もなんですから」
「いいですよ。健太、いいだろう?」
 健太と呼ばれた子どもは頷いて、慧音の手をつかんだままだった。
 鈴仙に目配せすると、輝夜は隣の四人席をとった。
「紅茶でよろしいかしら?」
「ふふ、お構いなく」
 ここぞとばかりに、鈴仙は紅茶を淹れて二人に出した。
「鈴仙殿、ありがとう」
「いいえ」
 微笑して一口だけ飲み、慧音はカップを置いた。
 ざわざわとしたバイキングルームの中で、四人は静かに互いを見守った。子どもは少し居心地悪そうにして、あちらこちらを見たり、心細そうに、時折、慧音のほうを見た。鈴仙は輝夜を立てて、何も言わずにただ黙っていた。
 口を開いたのは慧音だった。
「……珍しいですね、あなたとこうして話をするなんて」
「そうね。本当、珍しい」
「八意殿か妹紅、どちらかがいつも傍にいた気がします」
「ええ。今は鈴仙を傍に」
「その髪はどうされたのですか? いつもは何も手をつけておられなかった」
「気分転換です。似合っているかしら?」
「ええ、よく似合っています。髪を束ねられたからでしょうか、少し活発になったようにも見えます」
「その感想は間違っていません。今の私は、何かせずにはいられないんです」
 慧音は薄く微笑んだ。
「ふふ、何故でしょう、今のあなたには魅力を感じますよ。見ていて惹かれるのです」
「嬉しいわ。何も出ないけどね。では早速、いいかしら?」
「ええ」
「この命蓮寺について、知っていることを教えて」
「そうですね……。私の知っていることで良ければ」
 慧音はゆっくりと話し始めた。命蓮寺は最近里の近くに出来た寺で、里には纏まった食材をよく購入しに来るらしい。あるとき、縁があって食材を寺まで運ぶのを手伝ったことがある。命蓮寺は新しい寺であるが、その全景はそうとは思えないほど古びたものを感じさせた。回廊を渡り、蔵に運び込んだあと、慧音は寺の住民である一輪にねぎらいを受けて庵で茶をご馳走になった。そのときに山の神社の娘を見かけ、少し話をしたという。彼女はちょうど立ち去るところで、慧音を見つけると微笑んでくれた。そのまま元気よく礼をして帰ったという。
「輝夜殿、あなたは甲板にいたと仰いましたね。ということは、船長――村紗殿から謎掛けを提示されたのではありませんか」
「ええ、よくご存知ね」
「その庵で、話をされていたんですよ。村紗殿が何か謎掛けをしたいと言って、東風谷殿といいましたか、山の娘に相談していたそうです」
「……あなた、あの謎掛けの答えをご存知なの?」
「いいえ、知りません。聞きましたが、謎掛けが何かすら、教えていただけませんでしたよ」
「そう……」
「食事のバイキング形式というのも、その山の巫女の発案らしいですよ。一見贅沢のようにも見えますが、採算はとれるらしいです。何より顧客満足度が高いらしく、お勧めされたそうです」
「確かにそうかもね。私もうきうきしたものだけど、結局あまり食べなかったわ。それでも満足しているもの」
「ふふ、あなたは顧客として上質ですね」
「普通にしているだけよ」
「それで、食材を運んだお礼ではないんですが、何点かの絵を見せていただきました。聖殿がよく描いておられるようですね」
「絵、ですか」
「そうです」
「そのこと、詳しくお聞かせいただけないかしら。場所は……、いえ、どんな絵があるのかしら?」
「人物や、風景、野草が主ですね。聖殿の趣味のようで、気に入ったものとみればすぐに篭って絵を描くような人だそうです」
「何点ぐらいご覧になりました?」
「数十点は。描き掛けも含めればもっとあるでしょうね」
「その、聞きづらいのだけど……、絵の中で、絵を燃やしたり、煮たりしているようなものを見たことは?」
「え?」
 驚いて、慧音は眼を大きくした。
「燃やしたり、似たり? いえ、ぐつぐつと煮るほうの、煮たり、ですか……?」
 輝夜は苦笑する。
「そうです。突拍子もないでしょう?」
 慧音は息を吐いて微笑した。
「ふふ、そうですね。そんな絵があったら突拍子もない。逆に見てみたいですね。ですが、すみません。私には見覚えはありません」
「そうですか」
「ただ、見せていただいたのは、もう数ヶ月も前のことです。あるいは聖殿が、そういった絵を描いているかもしれませんね」
「それは考えられるわ。ありがとう。それと……。命蓮寺にあるものは聖輦船にもある。そうであれば、その聖さんの描かれた絵も聖輦船で鑑賞できる、ということになるわね」
「そのとおりです。奥のほうにいけば、見れると思いますよ」
「永琳が向かったのはそちらかしら」
「そうです」
「解りました。ありがとう」
 鈴仙を促し、席を立とうとした輝夜を慧音が呼び止めた。
「輝夜殿、ところで……」
「え? 何かしら」
「甲板で寅丸殿を見ませんでしたか」
「寅丸殿というと……」
「輝夜様。あの黄色い頭の、宝塔を持った人のことです」
 鈴仙の説明に、輝夜は思い出したように頷いた。
「ああ、彼女のこと? 謎掛けのときに出てきて、その聖さんに船室に連れていかれたのを見たのが最後ね。それから見ていないわ。それが、どうかしたのかしら?」
「こいつです」
 隣の座った子どもの頭に慧音は手を乗せた。子どもはむくれたような顔をして、黙ったままである。
「迷子になってね。私の教え子でもあるんだが、家族連れで来たのが、どうやらはぐれてしまったらしい」
「それなら……。左舷のほうに総合案内があったと思うけど、行ってみたらいかがかしら。迷子の案内もやっているはずよ」
「そちらには行ってみました。一輪殿は居たのですが、どうも迷子については寅丸殿が請け負っているそうなんです。ちょうど彼女は席を外しているらしくて。一輪殿の役割は聖輦船の全般的な案内業務らしくて、それで手一杯だそうです。聖輦船では迷子探しのために、何かしらの方法を使って乗船者の位置を把握できるようにしているらしいのですが、それを行使できるのが寅丸殿だけのようなんです。だから一輪殿ではすぐに手が出せないと聞きました。でも心配してくれましてね。テントで預かると言ってくれたんです。ですがどうも、こいつが私を離れないんですよ。嫌がりましてね。それで一緒に待つわけにもいかなくて、連れて歩くことにしたわけです」
「そうだったのね。じゃあ、その寅丸さんを見掛けたら、あなたが探していたって伝えればいいかしら?」
「そうですね。是非お願いしたい。私たちはここか甲板を歩き回っています。せっかく来たのだし、こいつも空の旅を楽しみたいでしょうからね」

 二人と別れ、輝夜と鈴仙は船室の奥のほうへと進んだ。
 屋外の甲板へと続く扉とは逆のほうに幾つか扉があったが、輝夜はそのうちの一つを躊躇なく開いて入り込んだ。中は薄暗く、通路が続いていた。命蓮寺においては回廊だったと思わせられる造りだった。ただ両側の壁は木に覆われ、並列して燭台が続いている。最初に鈴仙が乗船した際に個室から甲板へと続いていた通路と同じ造りだが、横の幅が広くとられているようだった。輝夜に付き従って鈴仙は中に入り、緩やかな灯かりの中をただ進んだ。
 輝夜は先を歩き、鈴仙はただ後ろについた。薄暗く、鈴仙の眼からすれば輝夜より視界はとれているだろう。輝夜の眼からはもっと暗く見えているはずである。しかし輝夜はポニーテールを揺らし、何も迷うことなく暗がりを突き進んでいる。鈴仙はその後ろ姿をただ眺めていた。どうしてか、その腰に抱きつきたい衝動に駆られてしまう。輝夜の匂いに埋もれたくなってしまう。ついと手が延びて、その袖を掴みかけたときだった。
「ねえ、鈴仙……」
「あ、はい!」
 とつぜんの声に驚いて、威勢よく返事をしてしまった。それに輝夜も驚いたのか、歩みが止まった。振り向いて、鈴仙の顔を覗き込んだ。暗くて見えづらいのか、眼を凝らして見つめるような顔が鈴仙にはありありと見えてしまう。
「どうかしたの?」
「あ、いえ、すみません。何でもありません……」
「そう……」
 静かに息を吐く気配がした。
「ただ突き進んできちゃったけど、この辺りってそもそも入って良かったのかしら。特に禁止するような案内が無かったから入ってしまったけど、それにしては暗いわね。私の家みたいに、採光がしっかりしてないんじゃないかしら」
 揺られる聖輦船は燭台の灯火を揺らせた。蝋燭の灯かりが輝夜をおぼろげに映し出す。舟がギシギシと風に軋む音が小さく響いてくる。静かだ。
「まさかとは思いますが……。ここは一般には利用されない通路ではないでしょうか。それでしたら、もっと明るくしていると思いますが」
「そうなのよね。ちょっと暗いわよね」
「はい。……ちょっと暗いのは苦手です」
 そのまま近づいて、思い切って輝夜の裾を握ってみた。
 何が起きるのか、鈴仙は気が気でならなかった。何を言われるのか、ドキドキして心が激しく波打った。
 しかし、不安はすぐに潮がひくように消えていった。鈴仙が怖がっていると思ったのか、輝夜は背中に手を伸ばし、鈴仙を抱き寄せてくれたのだ。柔らかな臙脂に包まれて、永遠亭の竹の香りを含んだ、甘く、芳しい匂いが鈴仙を包み込んだ。その暖かみがじわじわと鈴仙の身体に染み込んでゆく。
「……ここだけじゃなくて、他のところも見てみましょうか。それか、雲居さんか誰かに聞いてみましょう? 絵の場所ぐらいなら教えてもらえると思うわ」
「はい」
「……どうしたの? 暗いの苦手だったかしら?」
「いえ……」
 どうしてだろう。顔が赤くなってしまって離れられそうにない。
 いつもにこにことして、和やかで、のびのびと永遠亭で暮らしている輝夜。感情的になりやすい一面もあるが、概ね穏やかである。それが輝夜のイメージだ。しかしこの輝夜は何処か違う。あの髪留めが輝夜に力を与えていることを加味しても、それを超える何かが輝夜から溢れ出ているように思えるのだ。それが鈴仙に何らかの影響を与えている。そこまでは感じ取れるが、その正体がよく解らない。ただ輝夜に意識がいって、居ても経ってもいられないのだ。
 いつもは何とも思っていなかったことが次々と思い出される。臙脂の衣装に包まれた華奢なその身体。背中を何度流しただろう。水を弾く肌。柔らかく、しなやかな体つき。湯に浸かって小さく漏れるその声。ほてった身体の水分を丹念に拭き取った。触れると驚くほど吸い付いてくる肌。ただそういうものだと感じていただけだ。そのときは。
「……もうちょっとだけ、こうしていていいですか」
「いいけど……。熱でもあるのかしら」
 眼を閉じて、輝夜の身体に顔をうずめた。
「輝夜様の身体、柔らかいですね」
「ちょっと! 何を言うのよ」
 困惑したような、驚いたような声が聞こえる。
「陽だまりのようで暖かいです」
「うん。それは嬉しいんだけど……」
「良い匂いです」
 くすりと笑いが漏れて、鈴仙の髪が何度か梳かれた。
「本当、どうしたの? おかしくなっちゃって。甘えたい年頃なのかしら」
「……はい。甘えさせてください」
「……あなたはイナバの中でも甘えるほうじゃなかったわね。色々と疲れが溜まっているのかしら。たまにはね、こうして甘えてもいいからね」
 輝夜の声が妙に膚に染みてくる。甘えるほうじゃなかった。それは、確かにそうかもしれない。高貴な身分の者には、跪きはしても甘えるなどもっての外だ。常に三歩は離れたところで影から手を尽くさねばならないのだ。
 それがどうしたことだろう、このようにもたれかかってしまうだなんて。地上の穢れを吸って、疲れてしまったのだろうか。変わってしまったのだろうか。
 しかしそれは輝夜にも言えることだ。本来の輝夜であれば、このような甘えは許されるものではないはずだ。それがこうして、抱いてくれたり、頭を撫でたりしてくれる。それは鈴仙だけでなく、輝夜も少しずつ変わっていっていることの証左なのかもしれない。
「そこの君たち!」
 とつぜんに呼ばれ、鈴仙は身を硬くした。
「おや……、何だ。誰かと思えば」
 ランプを掲げて近付いてくるのはナズーリンだった。
 鈴仙は輝夜を離れる。
「君たちかい。どうしてこんなところにいる?」
 悠々として輝夜が言った。
「ただドアに入って進んできただけよ。何かよろしくなかったかしら」
「無いことはないがね、ここは入ってはならないと柵があったと思うのだが」
「柵? 知らないわね。そんなのは無かったわよ」
「無かった? ふむ……」
 ナズーリンは考えるように黙り、輝夜と鈴仙を比べるように眺めた。
「まぁいいか。外まで案内するよ。こちらは別に見せて困るようなものはないのだがね、一部、私たちの寝室も混じっているのだよ。それはおいそれと見せられるものではないからね」
「ナズーリンさん、といったかしら。ちょっといいかしら? 聞きたいことがあるのだけど」
「ふむ、何かな。君たちが先ほど右舷にいてムラサの話を聞いていたのは知っているよ。だから君たちのほうも知っていると思うが、謎掛けについては一切答えられない」
「違うわ。この舟は命蓮寺でもあるのでしょう? 私、上白沢さんに、命蓮寺で絵を見せてもらったと聞きましたの。その話を聞いて、私も是非見せていただきたいなと思ったのよ」
 ナズーリンは耳を揺らせた。
「へえ、絵かい。確かにあるがね。しかし、せっかくの謎掛けの最中にそんなことをしていていいのかね」
「いいのよ」
 謎掛けのことは乗組員に聞いてはならない。村紗の言ったことだ。だから輝夜は絵が謎掛けに関係していると言及しないのだろう。
「……そうかい、分かったよ。では案内しよう。付いてきたまえ」
 ランプを掲げて歩くナズーリンは道に迷わず、右へ曲がったり左へ曲がったりして進んだ。命蓮寺とはこんなに広いものなのだろうか。少しだけ驚かされる。
 先ほどの行為が邪魔されたことを、鈴仙は少なからず恨めしく思っていた。もう少しだけ輝夜の身体と匂いに埋もれていたかったのに。何と悪いタイミングで見つかったものだろう。袖を掴むこともなく、ただ三歩離れて付き従うだけでしかなくなってしまった。
「ところで、君たちは上白沢氏に聞いて絵を探していると言ったね」
「ええ、そうよ」
「その上白沢氏が何処へ行ったか知らないかい?」
「居場所? そうね。甲板を歩き回ってると思うわ。子どもに景色を見せたいって言ってたわね」
「そうかい。解ったよ、ありがとう」
「彼女がどうかした?」
「いつも世話になっているからね、彼女は今回の遊覧飛行に私たちのほうから招待したんだよ。そのお礼をまだしていなかったからね」
「そうなんだ。まあ、探せば見つかると思うわよ」
「ああ。あとで探してみよう」
 薄暗い階段を一段一段降りながらナズーリンがつぶやいた。
「しかし、絵を見たいとは珍しいね。白蓮が描いたということは知っているのかい?」
「ええ。いい趣味をお持ちで」
「ふふ。甲板で白蓮に連れられたあとは白蓮の庵でお叱りを受けたよ。ぬえも捕まった。あいつは居残りだ。泣きながらお叱りを受けているだろうね」
「お叱りって? あなた、何かしたの?」
「白蓮のプロマイドだよ。あれについて余計な進言をしてしまったばかりにね、大変な目に遭わされたんだ。まったく、口にすべきではなかったね。ぬえが撮った白蓮の写真の中に、見せられないものが混じっていたわけさ」
「ふぅん。写真写りが悪かったのかしら」
「いや、良すぎたのさ。上半身が綺麗にね。ぬえを問い詰めて、ネガごと焼き払われてしまったよ。まったく惜しいことをしたものだ」
「そうなんだ……」
 背後から鈴仙が見るに、ナズーリンの様子は何処かおかしかった。逆光で見えづらいが、ナズーリンは耳がひくひくと動いて、尻尾がふるふると揺れている。獲物が近くにいるのか、いないいのか。それとも鼠は夜行性だっただろうか。だから過敏になっているのだろうか。
 しばしあって、ナズーリンが頬を掻いて言った。
「ところで、君の名前はなんといったか」
「私のこと? この子のこと?」
「君のことだな」
「蓬莱山輝夜。案内をいただいたから、名前ぐらい知っているでしょう?」
「ふむ。そうか……。確かに、知っているよ。いい名前だな」
「ふふ。どうしたのかしら。そんなに珍しいかしら?」
「いや、失敬した。また機会があれば聖輦船の旅にまた来てもらいたい。招待もしよう」
「ありがとう。そのときは是非」
 ナズーリンは手を差し出し、応じて差し出した輝夜の手をぎゅっと握って、漏らすような笑みを見せた。
 そのまま歩き続けた先、一つのドアの前でナズーリンは立ち止まった。そのまま中に入り、輝夜と鈴仙を招き入れる。
「さ、ここが絵を集めた庵だよ。白蓮の別室とでも言おうか。聖輦船が飛ぶのは稀にしかないが、絵画はいつでも見れる。だから鑑賞するのはいつでもいいと思うんだがね」
「いいわ、ありがとう」
 その庵は聖輦船で見たどの場所とも比べようのないぐらい違う部屋だった。植物園のようで、土があり、草が生え、植物が実を成らせていた。温暖な気候の草原を持ち込んだかのような部屋だった。驚くことに、片側の壁が丸々と空いており、そのまま外に続いている。陽に照らし出されているのだ。しかし冬の寒冷は感じられない。
「聖輦船に白蓮の魔力を重ねてね、外と通じているのだが風の出入りは無く、陽は通るんだ。つまり透明な魔力のクッションだね。ま、ガラスの代わりだと思ってくれたまえ」
 壁にはたくさんの絵が掛けられていた。ただの描きかけのような絵もたくさんあった。ナズーリンの絵、先ほどの寅丸星の絵、村紗の絵、そして一輪の絵。見知らぬ少女の絵も幾つかあった。聖輦船の乗組員の絵は、二人一緒に、何人も集まったりして、何枚も、何枚も、描かれているようだった。
 他にも雄大な山々を描いた絵、空から見た地上の絵、見知らぬ人々が集まっている絵、野草の絵、花々の絵などがあり、どれも繊細だが強いタッチで描かれている。
「良い絵だろう? 白蓮は特に花が好きでね、種を貰ってきては植えているんだ。それを絵にするのが好きらしい。何でも形に残しておきたいのだそうだ」
 次々と絵を見せられ、その一つ一つをナズーリンは紹介してくれた。
「……それは水仙だ。ちょうど花咲く時季だよ。鮮やかな黄色だろう? 別名はナルキッソスというらしい。その美しさで男女問わずに言い寄られた若者の名前さ。彼はそれらを跳ね除けてしまってね、悲嘆から自殺者も出たほどだそうだ。その高慢が神様の目に触れてね、自分以外を愛せないようにされてしまったんだ。それである日、湖に映る自分の姿を見て離れられなくなってしまい、そのままそこで死んでいったらしい。花になった、というのかね。水仙が湖を覗き込むように咲いているのはそういう理由らしいよ。聞き耳だがね」
「……そちらは玉簾の花だね。尖った花びらが純白で壮麗だな。別名をレインリリーというそうだ。良い名づけだと思うね。雨のあと、いっせいに咲き始めることから付けられたそうだ。レインは雨。リリーは百合を意味するのさ。百合科の花らしい」
「……そちらはシクラメンだね。花びらが篝火のようだろう? 篝火花ともいうらしい。白蓮は気に入って、命蓮寺のそこかしこに植えてしまわれたよ」
 やけに親切なナズーリンの紹介を受けながらいくらかの絵を見るうち、鈴仙は思った。ここには謎掛けで探している絵などないのではないか。絵を煮る山。それに合致するような絵などもちろん見当たらない。「絵」という単語は解答とは関係ないのではないか。
 絵の紹介を終えたあと、ナズーリンは一息吐いて言った。
「……とまぁ、そんなところだ。満足したかい?」
「輝夜さま。ここはあまり関係が無いように思えます。どうしましょう?」
「そうね……」
 腕を組んで、何か考えるようにした輝夜は、ちらと鈴仙を見た。
「何か違う気もする……。いえ、そうよね……。うん……」
「あの謎掛けについては、もう一度考えなおしたほうがいいのではないでしょうか。師匠にも相談すれば、きっといい案を出していただけると思います」
「永琳? そう、そうね、永琳が居たわね……」



5.

 庵を出て、食堂まで戻ってきた三人を出迎えたのは紅魔館の三人娘だった。
 パチュリーは不機嫌そうにしており、咲夜は余裕の表情で、美鈴は苦々しげだった。うまくいっていないのだろうか。
「私は上白沢氏に用事があるので、失礼するよ」
 そう言ってナズーリンは一足先に去っていた。
 見送ったあと、咲夜が言った。
「上白沢? 慧音さんのことかしら。甲板で見たけど」
「ええ。私もそうお伝えしたわ」
 答える輝夜の目前に、パチュリーがゆっくりと立ちはだかった。
「あなたたち、こんなところに居たのね」
「あら、魔女さん。捜査は順調かしら?」
 聞いて、すぐにじと眼になったパチュリーが息を吐いて言った。
「駄目ね。そもそも広くて何処を探したらいいのか解りやしないわ。ああ、それと……」
 そのまま鈴仙に眼を向ける。
「あなた。宝塔持ちが探していたわよ」
「宝塔? ああ、寅丸って人ですか。私を?」
「そうね。聖輦船の立ち入り禁止区域で迷子になってる兎を保護したはいいけど、保護者が解らないそうなのよ。まったく、迷子センターも大変ね。ね? レミィを連れてこなくて良かったでしょ? きっと六回ぐらい迷子になるわよ。それで一人だけ居なくなってるのに、逆に私たちのほうを迷子扱いするの。レミィならきっとそうね。私には解る」
 ごもっともです、と頷く美鈴に、咲夜は、迷子にさせませんよ、と力強く口にした。
「でもパチュリー様もすごかったですよ。お前の宝塔はいただいた! って寅丸さんに宣戦布告したんですから。それなのに頼られてですね、兎さんの保護者を知らないかって」
「兎……?」
「ま、そういうことよ。たまたま見知ってたからね、教えてあげたわけ。とんがった兎の耳生やしてるのがそうよ、って」
 何ということか。
 あの悪戯兎がやってくれたのか。
 鈴仙は天を仰いだ。何かスイッチが入ったようでもあった。
「兎さんね、それって、てゐのことね? てゐが迷子になったのね? で、保護者が私ってことね?」
 大きくため息を吐いて、苦々しく毒づく。
「もう、何てことしてくれるのかしら。ほっつき歩いて迷惑かけて! 好き勝手に遊びのもいいけど、もうちょっと考えてよね」
 月と地上の違いはあれど、同族ながらにその不始末には落胆を隠し切れない。いったい何処に忍び込んで捕まったのだろう。暗くて怖くなったのではないか。そのままあちらこちらを動き回って道に迷ったのではないか。
「それで、その寅丸さんは何処にいるの? 探しに行かなきゃ」
「右舷のテントに居ると思うわよ。一回戻るって行ってたから」
「ありがと」
「それであなたたちはどう? 推理は進んでる? その分だとまだまだのようだけどね」
 輝夜が答えた。
「まだまだね。思い違いをしていたみたいでね、考え直しよ。もうちょっと煮詰めないといけないこともあるし……」
「ふん。こちらはあとは探すだけなのにね。この聖輦船って、何処にも絵を飾ってない。それだと困るのよね」
「絵? それなら見たわよ」
「見た? 何処で?」
「このドアの先のね……」
 輝夜は先ほどの植物園のような庵までの行き方を説明した。戻るときに道を覚えてしまったらしい。そしてそこは聖輦船遊覧中のため、今は公開しておらず、偶然に見せてもらったことも付け加えた。
 パチュリーは魔王のようにせせら笑った。
「ふふふ……。謎は全て解けた! さぁ、行くわよ咲夜! 美鈴! 宝塔は我が手にある!」
「まさかパチュリー様! もうですか!」
「そうよ、さぁ行くわよ!」
 そのままドタバタと走り、三人はドアを開けてその奥へ走り去っていった。
「……騒がしいやつらですね、輝夜さま」
 輝夜はくすくすと笑った。
「愉しそうでいいじゃない。ああいうの、好きよ」
「いったい何を推理したんでしょう。絵を探してるって言ってましたが」
「思い当たることはあるんだけど……」
「何かお気づきなのですか?」
「大した話じゃないわ。結局解らないし」
「そうですか……。それはそうと、私、てゐを迎えに行ってきます。すぐに戻ってきますから」
「……」
「輝夜さま?」
「……あなた、疑問に思わなかった?」
「疑問ですか?」
「そう。さっきの言葉に」
「言葉? いえ、特には思いませんでしたが……」
「そう。解った。私、ちょっと考え事があるから、ここで待っているわ」
「はい。解りました。すぐに戻って参ります」
 食堂に輝夜を残し、鈴仙は甲板を飛び出した。



6. 

 陽は下がっており、地平の先が赤く染まり始めている。遊覧飛行が終わりを迎えようとしているのだ。それほど時間は経っていないと思っていたが、時が過ぎるのは早いらしい。
「ほんと、一回叱ってやらなくちゃ。そういえばあいつ、寝坊もしてたし! それもまだ怒ってなかったし!」
 甲板を早歩きで突き進む。人ごみを抜け、流れる風を通り抜け、右舷の総合案内まで鈴仙は歩いた。
「あら、鈴仙じゃない」
「あっ、師匠!」
 途中で声を掛けたのは永琳だった。隣には一輪が居て、二人で何か話しているようだった。
「お師匠様、何処にいってらしたのですか!」
 佇む永琳のもとに走り寄ると、呆れたように永琳は言った。
「それは私の台詞よ。何か変な閃光とともにあなたたち居なくなってるし、私だけ置いてけぼりだわ」
「甲板でお一人のところに私が声を掛けたのです」
「そうね。慧音さんと話してるうちに置いてかれたあと、色々と舟の内部を見て回っていたの。そしたら白蓮ていう人に会って入っちゃ駄目だって言われたわよ。で、そのあとに甲板でね」
 鈴仙は舌を出して笑った。
「えへへ、そうでした。いえ、あのあと、甲板に出ていたんですよ。そこでイベントがありましてね、聖輦船の船長が色々と説明していましたよ。私と輝夜様は今、それに参加して追ってる最中なんです」
「イベント? そうか。中身は何だったの?」
「謎掛けですね。『絵を煮る山』という文句だけが示されまして、それを追ってるんです。いえ、これと言って手がかりはないんですが」
「えを、にる、やま?」
 永琳は怪訝な顔をする。
「はい。絵画をぐつぐつと煮るお山です」
「ああ……、って、結局解らないじゃないの。煮てどうするのよ」
 鈴仙はこれまでの経緯を説明した。甲板のあとに食堂で推理をし、慧音と会話してから奥に入り、長々と聖輦船の内部をさまよい、ナズーリンの案内を受けて白蓮の画廊の庵に行った。そこでずっと説明を聞いていて、そのあとに再び食堂に戻った。
「それで、どうもてゐが迷子になって保護されているそうなんです。私、それを迎えに行かなくちゃいけないんです」
 永琳は隠しきれずにこぼれるような笑いを漏らした。
「迷子。あの子もやっぱり見た目相応ってことなのね」
「はい。本当、可愛げのない兎ですね」
 ひとしきり笑ったあと、永琳は言った。
「それにしても、絵を煮る山か。おかしな題目ね」
「何か解りますか?」
「今の情報だけでは解らないわね。あなたに聞いても駄目なんでしょう?」
 隣の一輪は苦笑する。
「ごめんなさい。私は口に出来ないんです。残念ですが」
 鈴仙の頭にぽんと手を置き、永琳は微笑した。
「ま、楽しんでらっしゃいな。もうそろそろ下船の時間だし、私はもう外野よ。残念だけど」
「そうですか……。あ、でも輝夜さまが食堂に居ると思います。輝夜さまはまだ何か考えておられるみたいです。一緒に推理されてはいかがでしょう」
「ん、そうね。後で行ってみるわ」
「はい。では、私はてゐを迎えに行って参りますので!」

 足早に鈴仙は立ち去って、永琳と一輪の二人が残された。
 立ち去る鈴仙を見送り、一輪はうっすらと笑った。
「……彼女たち、楽しんでいただけているようで何よりです」
「ありがとう。あなたたちのお陰だわ。新年からいい思い出が作れて、きっと輝夜も満足でしょうね」
「ふふ。頑張って準備した甲斐があったというものです」
「そうね。何度か遊覧飛行は行っているのかしら? 機会があれば、また来てみたいわ」
「はい。そのときは是非招待させてください」
「ありがとう。でも、そんなに恩に着らなくたってもいいわよ。私、大したこともしていないのだから」
 一輪は小さく首をふった。
「八意先生。私はあなたに助けられました。道で伏せていた私を、あなたは見つけてくれたんです。あなたは私を茶屋に連れていってくれました」
「あら、ただ連れていっただけよ?」
「いいえ。そのあと、山に入り、野草を摘み取って、磨り潰して、薬を煎じてくれたんです。手間暇を掛けて、ただ道端で座っていた私のために」
「……見た目からして気分が悪そうだったから。でも大したことじゃないわ。それぐらい」
「昔、同じようなことがあったんです。ずっと昔。まだ……、この聖輦船のように、人間と妖怪が一緒にいることのなかった時代。私は妖怪であることを隠して、人間の住む村で暮らしていました。人間が好きじゃなかった。あいつら、仲間を次々と殺して……。私は人間を憎みだしたグループの一つに加わって、彼らの動向を調査していたんです。そのとき、あることで私が妖怪であることがバレてしまいそうになったことがありました。私は毒を盛られて動けなくなっていたんです。それを助け出してくれたのが……。そうです。彼は人間だったんです。そのときのことを、思い出しました」
「……」
「恩は忘れません。ずっと、覚えています。その思い出と一緒に、あなたのことも、覚えています」
 陽が一輪の向こうの果て閃光のようにきらめいた。それは幻想郷を染めて、聖輦船を染めて、全てを燃え上げる夕陽であった。
「……八意先生。何か、望みや願いはありませんか」
「……どうして?」
「私にできることなら叶えてあげたい」
「ありがとう。ですが、今は特別ありません」
「そうですか」
「いえ、そうね……」
「はい」
「私の連れの……」
「はい」
「輝夜の、役に立ってあげて欲しい」
「輝夜さん、ですか」
「そう。私がこの幻想郷に居るのもね、輝夜がいるから。ずっと昔、ある日、私は一つの決心をしたのです。それがなければ、私はここに居なかったでしょう。輝夜と暮らすことも無かったでしょう。ずっと、あの空の向こうにいたはずだったのです」
 空に浮かびあがろうとする小さな欠けた月を見上げ、永琳は黙る。
「しかし今となっては……。輝夜は幻想郷で隠れて過ごす必要がなくなってしまった。幻想郷の中でなら、輝夜は自由に生活が出来るのです。だから、出来ることであれば、もっと、あの子に……」
「八意先生」
「……何かしら」
「本当は駄目なんですけど、ちょっとだけ教えてしまいます。雲山のことを、思い出してください」
「ウンザン……?」
「はい。私の相棒です。きっとあなたの、いえ、輝夜さんの役に立つと思います」
 永琳は微笑み、小さく頷いた。



7.

 沈みゆく陽を受けて、右舷のテントは夕陽の赤に染まっている。
 鈴仙がテントを覗き込んだとき、待ってましたとばかりに一匹の兎が叫んだ。
「おお、鈴仙! よくきたね! 待ってたんだよ!」
「もう、何しでかしてんのよあんた!」
 座り込んでいたてゐをすぐに襲い掛かって捕まえると、近くでは黄色い髪の女性、寅丸星が苦々しく笑っていた。
「やあ、あなたが鈴仙殿ですね。その小さな兎さんの保護者、ということでいいのですか?」
 鈴仙はかしこまって礼をした。
「あ、はい、まぁ、そんなところです。こいつが迷惑掛けました。すみません」
「いえいえ、こちらもご迷惑をお掛けしまして……」
「へ?」
 謝るのはこちらではないのか。鈴仙は顔に疑問を浮かべた。
 星は頬をぽりぽりと掻いた。
「いえ、まぁ、追うたんびに逃げるものでして、少し野生の感といいますか、追いかけるうちにうっかり食べちゃいそうになったりもしましてね。それにしても逃げる姿が可愛いですね。いやはや、困ったものです」
「ほんとだよ!」
 てゐが泣きながら鈴仙の後ろに隠れた。ぶるぶると震えている。
「もっと早く来てくれなかったら、私剥かれて食べられちゃってたよ!」
「食べません、食べません」
「よだれ! よだれでてるよ!」
「おっと失礼」
 ぐいと拭う星。
「いや、尻尾が可愛いですね。そうふるふるさせられると、ついつい手を出したくなってしまうのです」
「もう勘弁してよう!」
 いったい何をされたのだろう。とりあえず噛み傷は無いものの、これほど怯えているからには何かあったに違いない。しかし、普段のてゐの素行を考えれば、これもいい薬だと思えるのだった。
「ふふ。あんた馬鹿ねー。天罰覿面ってやつね。因果応報、身から出た錆、ま、何でもいいけどねー」
「何よ!」
 食いかかるようにてゐは鈴仙の背中に飛び乗り、そのまま脇や腰をくすぐり始めた。
「うわははは! ちょっと、やめて、こら!」
 そのまま転げ周り、逆にくすぐってやったりを繰り返し、披露困憊になるまで続ける羽目になった。
 起き上がる頃には息切れし、激しい脱力に襲われていた。
「ちょっと、あんた、容赦なさすぎ。私も、容赦しなかったけど……」
「もう疲れたよ。行こうよ……」
 ぐったりするてゐを抱え上げ、鈴仙は星に礼をした。
「すみません、変なところを見せて。もう戻りますから」
「ふふ。そうですか。ではまた会いましょう」
 帰りがけ、ふと思いついた。
「あ、そういえば……星さん」
「はい。なんでしょうか」
「慧音さんが探してましたよ。会いましたか?」
「ええ、もう会いましたよ。迷子の件ですね。無事解決しました。慧音さんは中の船室で休まれていますよ。私の部屋に個人的に招待したのです」
「そうだったんですか」
 二人は笑いあい、鈴仙はてゐを連れて総合案内を後にした。

 食堂で輝夜を見つけると、同じ席には永琳がいた。合流したのだろう。鈴仙はてゐを連れて二人のもとに掛けた。
「お師匠様ー! 輝夜さまー!」
「あら、いい笑顔」
「ご苦労様、鈴仙」
 輝夜と永琳に出迎えられ、鈴仙とてゐは席についた。ようやっと四人が揃ったとでも言おうか。やけに気分がいい。てゐにくすぐられて笑いに笑ったからだろうか。自然と輝夜への語りかけにも表れてしまう。
「輝夜さま、謎は解けられましたか? お師匠様が加われば百人力ですよね! 私、ちょっとお料理とってきますから!」
 脇に並べられたテーブルに寄っていって、鼻歌を歌いながらポテトやパスタを小皿にとる。早い夕食のようなものである。ここで済ませてしまおう。
「……だからさ、その輝夜さんが来てるんだよ……」
 ふとした声にぴくりと動きがとまり、鈴仙は振り返った。
 見覚えがあった。甲板で見かけた、輝夜のことを口にする不審な男たちである。
「あいつらだったのね……」
 こっそりと波長をいじって姿を消し、鈴仙は彼らに近寄る。彼らが何を言っているのか、確かめねばならない。
 内容によっては密かに動かねばならない。そういうこともありうるのだ。
 ひそひそ話しが聞こえてくる。
「あれがそうなのか? ちょっと髪型が違うんじゃないか?」
「違うよ。今、髪を結ってるだろう? それがまたいい」
「だな。ふふ、しかしまさかこんなところで出会えるとは思ってもみなかった。あの月都万象展が俺の運命を変えたんだよ。あれがまさに、俺と輝夜さんの邂逅だったんだ」
「何年前だそれ? 兎娘の餅を食ったのは覚えてるんだがなぁ」
「おっと、俺も覚えてるぜ? 輝夜さんは月都万象展で言ってたんだ。あの綺麗な顔でだぞ? 皆様、その耳かっぽじって聞きやがれ糞野郎。超スゲー物品が会場をところ狭しとひしめき合い……」
「俺も聞いた! 阿鼻叫喚の地獄絵図が現代に蘇るのだー! って叫んでた!」
 鈴仙は噴いた。わりと以前の話だが、確かにそんなことを言っていたような気がする。あのときは永遠亭のお披露目としては大きなイベントだったので、輝夜もテンションが上がっていたためであろう。
「俺、行ってないから解らないけどなぁ……ほんとにそんなこと言ってたのか? こっそり声を覗うに、そんなこと言いそうな人には見えないけどなぁ……」
「俺はまざまざと覚えてるんだよ。というかな、あの美しい声とその発言内容のギャップが今でも俺の心をとらえて離さねぇんだよ! ここで会ったが何年ぶりだ。俺はこの会場で、輝夜さんに告白するぜ……!」
 ざわ……! と席が揺れた。聞き耳を立てる鈴仙すらおののいた。
「おい、それ、マジかよ! いっちゃうのか!」
「ああ。俺にいい案があるんだ。彼女、ムラムラ船長の謎を追ってるだろ? 俺な、その謎が解けたんだよ……!」
「本当か……!」
 鈴仙の耳が揺れる。謎が解けた? さらに注意深く耳をすませる。
「ほら、最近、慧音先生が横文字の講義を始めたろ。お前ら寝てたから聞いてなかったと思うけどさ。俺はちゃんと聞いてたんだよ。それが大きなヒントになるんだ」
「あー? 確かに寝てたけどさ。慧音先生の声は念仏なんだよ。寝るのは仕方ない。俺のせいじゃない。だから知らん」
「ま、抜け駆けされたくないからぼかすけどさ、答えは絵なんだよ。たぶんこの聖輦船の中に飾られているはず。俺はそれを手に入れる。そして紳士的に輝夜さんに渡す。輝夜さんはもちろん驚くはずさ。そこで俺はこう言う。あなたのために手に入れました……! ってな! それで彼女、イチコロだぜ?」
「ん? おい待てよ、肝心の絵は何処なんだよ?」
「……」
「どうしたよ、急に黙り込んで」
「……見つかってないんだ」
「何……! それじゃ駄目じゃないか」
「仕方ねぇだろ、散々歩き回ったのに見つからないんだよ……!」
「なぁ」
 男の一人がふと口にした。
「俺はあれだな、餅を搗いてた娘のほうがいいな」
「ん? 誰だよ?」
「ほれ、とんがった耳のさ」
「ああ、誰かが呼んでたな。うどんらしき娘だろ」
 鈴仙はカチンときた。ウドンゲは優曇華院の優曇華であって、楽しげ、苦しげ、という用法とは異なる。うどんらしい、うどんっぽい、うどんのように、という意味でのウドンゲではないのだ。そしてそれを呼んでいいのは師匠である永琳だけである。
「あー、よく置き薬に来るね、彼女」
「まぁそうなんだけどさ。ほら、その月都万象展で餅搗いてたじゃん。月の兎が搗いた餅とかなんとかいって。ただの餅だったけど。まぁそのときにさ、足を滑らせた彼女の下着が見えたんだよ。あれは良かった。良いアングルだった。ベストショットだった。思わず膝を打ったね。俺はその輝夜さんよりそっちに意識がいっちゃって……ぐぁ!」
「おいどうした! いきなり肉まん食らって!」
「んが、ぐぐぐ……!」
(このド馬鹿! 何処見てんのよ!)
 猛烈なる怒りは発散させるところもなく、ついでに他の面々の口にも、剥き出しの肉まんを詰め込んでやった。熱々地獄である。
 声にならない叫びをあげる彼らに鼻を鳴らし、鈴仙はすたすたとその場を去った。

「あら、おかえり。ずいぶん遅かったのね」
「師匠ー、パスタは食べられますか? 一緒に夕飯をとろうと思って多めに持ってきましたよ」
 いつの間にか輝夜の膝を陣取っているてゐが叫んだ。
「っていうか、どうしてあんたが輝夜さまの膝にいるのよ。ちょっと降りなさいよそこ」
「いいじゃん。輝夜さまも良いって言ってるし」
「輝夜さま、そいつ降ろしましょうよ。好きにさせてるとつけあがりますよ」
 輝夜は上機嫌に答えた。
「まぁ、たまにはいいでしょ? この子がこんなに甘えてくるなんて珍しいしね」
 てゐはパスタをがっついて、肉まんに食らいついて、ごくごくとスープを飲み始めた。
「うめぇ!」
「まぁ、輝夜さまがおっしゃるのであれば……」
 ほくほく顔で夕食を楽しむてゐを横目に見ていると、永琳が何か見計らったようつぶやいた。
「鈴仙。あなたも同じことがしたいんじゃなくて?」
「ち、違います!」
 その言葉に鈴仙は動揺した。咄嗟に違うと叫んだが、実際のところ、非常にうらやましいと思っていたからだ。
 当たりと描かれた鈴仙の顔を見て、永琳はにっこりと笑う。
「ま、無理もないわね。今の輝夜にはね、媚薬の効果が掛かってるのよ」
「え?」
 鈴仙と輝夜、二人が同時に口にした。
「その髪留め。白蓮さんのものなんだって? 一輪さんに聞いたわ。それでね、その髪留めには身体的な能力を向上させる力のほかに、動物たちを惹きつける媚薬の効能も持ち合わせているらしいわ。ずっと昔、一人ぼっちだった白蓮さんはね、寂しがって動物を飼っていたそうなの。そのときの彼女の強い願いが、媚薬の効果として力を付けてしまったのね。つまり輝夜、あなた、この船室では鈴仙にモテモテだったんじゃない?」
 輝夜は複雑そうな顔をして考え込んだ。
「思い当たる節が……ないわけじゃないけど……」
 その一方、鈴仙は顔が爆発しそうだった。あのとき輝夜の袖を掴んだり、顔を埋めたりしたのは、その髪留めが原因だったとでもいうのか。確かに最初に髪留めを付けたときからおかしな感情が生まれ始めたとは思っていたのだが……。
 輝夜はしゅんとした顔を浮かべる。
「なんというか、残念ね。鈴仙、あなたの思いは本物じゃなかったってことなんだ。別に私に甘えたいわけじゃなかったのね」
「そ、そんなことないです! そりゃ私だって色々とくっついたりしたいですよ! でもそんなことするわけにもいかないじゃないですか!」
 強く力説する鈴仙に驚いて、輝夜は照れたように笑った。
「ふふふ。ちょっとそれ、私、嬉しいかも」
「はい。あ、はい……」
 恥ずかしい台詞を叫んでしまったことに気付き、鈴仙は急におとなしくなった。そんな鈴仙を見て、永琳はくすくすと笑い出した。
「あはは。これは面白い。面白いわね。もうちょっとからかいたくなってきたかしら」
「ちょっと、永琳?」
 少し口をとがらせたのもつかの間、輝夜は閃いたように笑い、てゐをどかして立ち上がった。手を後ろにやって髪をいじり、一輪に付けてもらった髪留めを取り出す。解放された黒髪が流れるように落ちた。
「何をするの?」
「いいことよ」
 輝夜はそそくさと永琳の背後に回り、その赤十字の帽子を取って髪をいじりだした。
 いじられるままの永琳はおとなしくするしかない。
「まさか、輝夜に髪をいじられるとは思わなかったわね」
「たまにはいいでしょう?」
 永琳はもともと髪をまとめているので見た目に変わりはない。重複する形で髪留めをさらにつけただけであった。
 できあがって、輝夜は永琳の肩を抱いて鈴仙に向ける。
「さ、あなたには永琳がどう見える?」
 鈴仙は永琳をじっと見つめる。
「師匠……。確かに、これは何か、くるものがありますね」
 永琳は嘆息をついた。
「私自身には何の変わりはないんだけどね。どう、胸に飛び込んでみる?」
 受け入れるように永琳は両手を広げる。
 鈴仙は恐る恐ると動こうとするが、叫ぶ。
「行きたい! ですが、お師匠様の場合は何かあとが恐ろしくて……!」
 永琳は噴き出した。
「こら鈴仙、あなたは何に苦しんでるのよ。てゐはどう?」
「複雑」
「何なのよそれ」
 輝夜の穏やかな笑いが漏れ、再び食事が始まった。
 永琳が何か飲みながら言った。
「……ところでさ、賞品はもらったの?」
「え?」
「だから、賞品よ。謎、解けたんでしょう?」
 鈴仙は輝夜を見た。
「……解けたのですか? そうだ、先ほど里の者の話しを耳にしたのですが、横文字にヒントがあるそうです」
「横文字ね。あー、まぁ、そうね。でも……」
 輝夜は何か意思をもった眼で鈴仙を見つめている。そのまま口を開き、何か声を出そうとしたときだった。

 食堂の前面の壁で大きな音が響いた。何事かと皆が振り返る。すると急に台がのし上がってあらわれ、そこにはおかしなポーズをきめた村紗がやはり仁王立ちをしているのだった。
 手にもったメガホンがきらりと光る。
「さて、皆さん! 長い聖輦船の旅もようやく終わりを迎えようとしています。本日は聖輦船にご乗船いただきまして、まことにありがとうございました! 特別な事故やトラブルもなく、平和な遊覧飛行ができたと感じております!」
 よくやった! さすがムラサ船長! そして俺たち! などの声が次々と上がった。見れば、バイキングの料理の中にいつの間にか酒が追加されている。夕暮れから始めている者もおり、出来上がっているものはそこかしこに見受けられた。早い夕食をとっているつもりだったが、まさか宴会のほうがこんなに早く始まっていようとは思わなかった。
「さて、えー、当初お知らせしておりましたイベントについてですが、現時点での正解者はいらっしゃらないようです。んー、残念! でも仕方ないです。しょうがないんです。難しすぎましたかね。まぁそれはさておき、これより、閉会の挨拶をさせていただきたいと思います!」
 うおー! という歓声があがる。
 盛り上がり始めた里の者たちの勢いを、また別の声がかき消した。
「そこまでよ!」
 見ると、パチュリーが息を切らせて立ち尽くしている。咲夜と美鈴もいた。
 里の者たちは村紗のアナウンスが中断されたことに戸惑っていた。ざわざわとした雰囲気の中、パチュリーはもっていた何かを高らかと掲げた。
「さぁ船長、あなたの謎掛けの答えはこれよ!」
 パチュリーが何を掲げたのか、鈴仙たちの位置からは見えなかった。
 しかし謎を追い求めていた者たちからは悔しさと悲嘆の声が上がる。
 おい、あれ解けたやつが居たのか……! やっぱり絵だ! 絵なんだよ! プ、プロマイドが……!
 ざわめきあう観衆の中、村紗はしげしげとそれを眺めたあと、いかにも苦々しげな顔になって言った。
「残念ーっ!」
 メガホンの大音量が食堂の皆にそう告げた。
「な、何ですって!」
 おののくはパチュリーである。後ろの美鈴が驚いて言った。
「パ、パチュリー様、外れましたか! いったいこれは、どういうことでしょうか……」
「それは私が言いたいわね。どういうこと、美鈴。あなた、花の世話をしてるから花については任せてって言っていたわよね。それがこの体たらく? 少しお仕置きが必要のようね」
「そ、そんな! 私は間違っていません! それは確かにパチュリー様の仰られた花です!」
「なら正解のはずよ。私の推理は間違っていないわ。問題があるとすれば絵の選択。あなたが私の言った花の絵を選ばなかったことによるわね」
「そんなぁ!」
 大きく村紗の声が響いた。
「まーまー! 微妙なラインですけど、残念なことにですねー、違うんですよねー。ま、ちょっと残念でしたけど、私はちょっと助かったりして。あはは」
 鈴仙は眉をひそめて聞いた。
「輝夜さま。やつらの言ってる絵とは何でしょう。私たちも絵を見せていただきましたが、その中にあったものなのでしょうか?」
「そうね……」
 輝夜は考え込むようにしたあと、鈴仙を見た。
「それより、鈴仙」
 改まったように言われ、鈴仙は身を正した。
「はい。何でしょう」
「あなたは誰を探しているの?」
「え?」
「あなたは誰かを探しているのではないの?」
「いえ、特に、探しているものはありませんが……」
「ではあなたの次は誰なの?」
「――え?」

 順序を尋ねられたとき、あなたは「私で終わり」と答えなければならない。

 不意に指示書がよみがえった。
 順序?
 これは、順序なのだろうか。
 次は誰なのか。これは、順序にあたるのか。
「……えと、私で終わりです」
「……終わり? あなたで?」
「はい。私で終わりです。次はありません。私が最後です」
 急に鈴仙の身体が発光した。まばゆく輝く黄色の光が、眼も開けていられないほどに光を輝かせる。
 食堂に集まった者たちから、前面の台に立つ村紗から、暴れだしたパチュリーと逃げ始めた美鈴、あとを追う咲夜から、誰からもから、光が到達してあつまってきた。
 もう鈴仙は何をも見えなくなっていた。光が溜まりすぎて、何が起きているのかわからない。立ち尽くす足の裏に繋がる、舟板の木の硬さが伝わるだけである。
 光は一つに束ねられ、分裂し、小さな滴を無数に作り出す。それは食堂の前面に光は集まり、輝かしい球体へと変貌を遂げたかと思えば、一つの絵図を作り出した。
 それは兎の絵であった。
 月の表面に描かれるような、餅を搗く兎の絵であった。
「おめでとうございまああああす!」
 村紗の絶叫が響き渡った。
「おお! よくぞ! この船長の謎を解いていただけました! そうです! これが答えです! 誰ですか、回答者は誰でしょうか!」
 急に発光したことに呆気にとられていた輝夜は、気付いたように振り返り、手をあげて村紗のほうへ走っていった。
 台座に輝夜が上がりこむ。
 村紗は満足げな笑みをもってそれを迎えた。
「ほう、あなたは一輪の招待した永遠亭の方ですね? 聞いていますよ。おめでとうございます! あとで賞品をお渡ししましょう。まずは、一言だけ頂いてよろしいでしょうか?」
 メガホンを渡され、輝夜は最初迷っているようだったが、受け取って口にした。
「皆さま、ありがとうございます。遊覧船にのるのは始めてですが、非常に愉しかった。ねえ、また来てもいいかしら?」
「もちろんです!」
 村紗はそう答え、がっしりとした握手を交わした。
 輝かしいその瞬間は歓声と拍手に迎えられ、聖輦船の遊覧船サービスは大好評をもって幕を閉じることになったのだ。




 帰り道、暗がりの竹林を四人で歩く。
 鈴仙は星のまたたく空を見上げてぼやいた。
「そういえば、今年は兎の年でしたね。忘れていましたよ」
「ふふ。ま、今年もいいことがあるといいわね。何たって、あなたたちの年なんだから」
 言って、永琳はくすりと笑った。
「はい。えへへ」
 輝夜も機嫌よく笑った。
「永遠亭で留守を任せてた兎たちも退屈してるだろうからね。宴会でも開いてあげましょうか? お酒ならいくらでもあるし、ね」
「兎を酔っ払わせたら大変なことになるよー」
 自分のその言葉を、てゐは自分で証明していた。ふらついて何処へ消えていくか解ったものではない。仕方なく鈴仙はてゐをおぶり、帰途についていたのだ。寝言なのか返事なのかよく解らない。

 永遠亭は静かであったが、住民が帰ってきたことにより、少しずつ明かりが灯される。
 ぐったりとした留守番の兎たちはてゐの帰還とともに息を吹き返し、持ち帰られた食べ物によってさらによみがえった。
「我が兎たちよ、てゐ様が帰ったからにはもう安心であるぞー!」
 それを切欠に兎たちは勢いを増した。
 永琳と輝夜は小荷物を置きに一度部屋に戻り、鈴仙は動かないてゐを四季の間に放り投げてから宴会の準備を進めた。酒が運び込まれる一方で飲み交わされる酒、酒、酒。妖怪兎は遠慮を知らない。食い散らかし、飲み干し、騒ぎに騒ぎ続けていたのだ。
「やっぱりやめればよかったんじゃ……」
 早くも鈴仙は心配になりつつあった。
 最初に来たのは輝夜だった。四季の間を見渡す主に位置に座り、鈴仙の注ぐお酒を口にする。
「やっぱり美味しい。家で呑むお酒は最高ね」
「はい。やっぱり家が落ち着きますよね」
 にこにこと微笑するうちに永琳がやってきた。
「もう始まってるのね。どれ、私も今夜は酔おうかしら」
「私がお注ぎしますよ!」
「あら、ありがとう」
 杯を差し出した永琳のもとに無数の兎たちが群がった。
「あ、師匠ー!」
「ちょっと何これ、うわー!」
 永琳が兎の海におぼれるように呑まれていった。伸ばされた手のひらが吸い込まれ、最後は兎の海に沈んでしまった。
 唖然とした輝夜がぽつりと言った。
「そういえば、髪留め付けたままだったわね……」




 永遠亭の夜は、和やかに、賑やかに過ぎていく。
 鈴仙は思った。今年はきっと、もっといいことが起こるだろう。愉しいことが起こるだろう。
 そんなわくわくをもって、兎の海に沈んだ永琳を助け出しに立ち上がるのだった。




 
正月に出せたら最高だなw

2月

東方SS投票があるらしい。支援SSとして出そう!

終わった

****
ありがとうございました。
難易度はイージーモード。苦もなく解けることでしょう。

※できれば作中の謎掛けについては言及しないでいただけると助かります。


誤字について、大変申し訳ありませんでした。
改行等含め、修正させていただきました。


※追加
感想ありがとうございます。
謎掛けは気付いた方がほくそ笑んでくれればいいかなと思っていましたが、
答え合わせができないというのは痛烈でした。それもそうだなと。
いまさら本文に追加も出来ないので、
後日にテキストのリンクか何かの形でエピソードとしてお知らせしたいと思います。
深夜に微妙な気分にさせて申し訳ない。今後精進致します。

※追加2
解答編をリンクとして追加しました。
gene
http://
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コメント



0.200簡易評価
2.無評価名前が無い程度の能力削除
>鈴仙・優曇華印・イナバ様
鈴仙・優曇華院・イナバ
>雲井さんね
雲居
3.無評価gene削除
>2の方へ
誤字について、大変申し訳ありません。
指摘ありがとうございます。
現在修正が出来ないようで、改行等含めて後で直させていただきます。
4.100奇声を発する程度の能力削除
謎掛けはサッパリ分からなかったけどポニテの姫様も良い!!
とても楽しく読めました
7.100名前が無い程度の能力削除
鈴仙最高! おもしろかった!
9.100名前が無い程度の能力削除
イベント運営がハイレベル…!

あとブロマイド、上半身がバッチリて、それはまずいぞぬえちゃん。
10.無評価名前が無い程度の能力削除
いろいろ説明不足で良くわからなかった。
謎の答えは出たけど答え合わせもできないし
なんとなく微妙な読後感...
11.100名前が無い程度の能力削除
これは凄い! なかなか読み応えのある推理SSでした。
いやー、最初はミステリかホラーか、いったいどんな展開になるのかとドキドキものでしたが、気づいたら終盤になってました。
そこでようやく、そういう話ではないということに気づきましたねw
登場人物がやたら誰かを探しているということは感じていましたが、そういう意味だったとは。
楽しませていただきました。
12.100名前が無い程度の能力削除
解答編見ました。なんとなく干支が関係してるのかな?とは思っていましたが
まさかそんな真実があったとは・・・面白かったです!
あと、姫のポニーテール姿と例のブロマイド見てみたい
14.50名前が無い程度の能力削除
ストーリーは面白いです。
問題は謎かけです。イージーではありません。また解答を見ても首をかしげてしまいます。練り込みと説明が足りません。何を作者は一人で面白がっているんだと感じました。
展開の細かい部分はこなれていて面白かったですが、売りである謎解きの部分は0点。
総合して半分の点数ですね。
15.80r削除
おおう…面白い。
のんびりした雰囲気に騙されてた。解答編みてここまで練り込まれてたのかと二度読み直したよ。
ムラサの謎かけがわからなくても探すパートでピンときて答がわかりました。このへんがイージーたる由縁ですかな?
解答編みて始めて気がついた事が多いのはいい案配ですが、なんかしらヒントと言うか匂わせがもう少しあった方がよかったのかも知れませんね。
あとキャラクターも可愛いらしくていい。星ちゃん貸し出しが欲しい。
楽しかった。