我輩は猫である。名前は……あるっちゃある。
主人である橙が言うには私の名前は「クロ」らしい。
毛色が黒いからクロだなんて、安直にもほどがある。
これだからガキのネーミングセンスは当てにならん。
まあ、それでも皆からそう呼ばれているのだからしょうがない。
私はクロでありシロではないのだ。私の名前はクロ。
ん? なんで猫のくせに喋っているんだって?
主人公補正ということで勘弁してもらいたい。
小春日和のいい天気。梅の季節も終わり、そろそろ桜と宴会の時節になるだろう。
私ほか多数の猫は人に化けることができないのでその雰囲気を楽しむ程度だが。
それでもやってくる人妖の方々に擦り寄りその膝の恩恵を味わえるあの場は本当いいものだ。
特に紅魔館の門番とか永遠亭の女医とかの太腿は毎回争奪戦が行われるほどの人気っぷり。
幻想郷の猫は万年発情期です、フヒヒ。
山の木々や草花も一斉に芽吹き始め、若々しい生命の鼓動が感じられる。
私に限らず春が嫌いなものはいないだろう。いるとしたら太ましい冬の妖怪ぐらいだ。
草木を掻き分けながら進んでいくと、朽ち果てた一軒の藁葺き小屋が目の前に広がる。
橙が廃村を勝手に自分の物とし「マヨヒガ」なんて名前までつけた猫の楽園。
彼女は我々を配下にしようとしているらしいがあんな青二才に従うほど従順じゃないのよ猫は。
若草の芝を踏みしめる。陽光の匂いが照り返してとても心地よい。
肉球の間に柔らかな草の感触を楽しみながら、私は廃屋の縁側へと飛び移る。
ギシッと軋む板張り。午後の日差しは少し強いが、温い風が黒い毛並みを撫でていく。
猫としてこれ以上の幸福を求めるのは罪というものだ。
瞳を閉じるとたちまち睡魔に襲われる。大きくため息をつくとそのまま身体を丸くした。
どこぞでホトトギスと共に「春ですよー!」と春の風物詩が鳴いている。
「ようクロ、アンタも日向ぼっこかい?」
快活な声色で私に話しかけてきたのは同じ橙の部下(?)であるシロ。
その毛並みは私とは真逆で新雪のように綺麗な純白だ。名前の語源は察していただきたい。
薄目を開けて唸る私の隣に座り、シロもまた身体を丸くする。
しかしシロは寝ることは無い。こいつは結構お喋りで、人の気も知らずにベラベラと話したがる。
聞き手の私は軽く流す感じだが、それでもこいつは満足らしい。
「クロ、橙は?」
「知らねぇ……藍様んとこじゃね?」
「もしくは妖精連中と遊んでいるかだな」
「絶対あいつリーダーとしての自覚ないよな」
「んだよ。こっちには仕事させて自分遊んでんだもんなぁ」
「ま、こちとらサボれるから別に構いやしないけど」
ケタケタと二匹して笑いながら主人の悪口に華を咲かせる。
我々猫の仕事というのは幻想郷で起きた異変をいち早く知らせること……らしい。
どうせ橙に知らせたところで自分の手柄として藍様か紫様に話すだろう。
上司がこれだとモチベーションが下がるのは当たり前なわけで。
それに情報の伝達速度で言ったら文屋の鴉天狗のほうが速いに決まっている。
主人はどうにかして手柄を立てたいらしいが、野良猫には役不足だ。
「そういや聞いたかよ? タマ公の話」
「ん? いや、あいつなんかしたのか?」
「“迷いの竹林”でチンチン鳥に襲われたんだとよ」
「マジかよ? だからあれほどあそこらで小鳥を襲うなって言ったのに」
「危うく八目鰻として蒲焼にされるところだったって」
「他の連中にもよく言い聞かせないとな」
猫にとって世知辛い世の中になったものだ。
小鳥や鼠は貴重な動物性たんぱく質として本来肉食の我々には大切な食料なのに。
しかし単なる猫に妖怪を相手取る力なんてない。下手したら取って食われてしまうからだ。
まあ、猫喰う妖怪もそうはいないだろう。自分で言って不味そうだし。
あ、でも絶食状態の博麗の巫女ならやりかねんな。気をつけとこ。
「そういやそろそろ繁殖期だなぁ」
「ミケの野郎、五匹も生んだとよ。どんだけ頑張る気だっつーの」
「……橙とかって発情期あるんかな?」
「……どうなんだろ。いや、ないだろさすがに」
「だってあいつ俺らと一緒で、マタタビ嗅いだら酔っ払ったぞ前」
「もう式神になってるからな……猫っつっても私らとは違うだろう」
「どうするよ。橙が顔赤くしてさ、息も艶っぽくして『我慢できにゃい……!』なんて言い寄ってきたら……」
「うん、もうこの話はおしまい」
これ以上すると発情するからなぁ。主に人間の変態さんたちが。
それに結構紫様のスキマ規制も厳しくなっているから、行き過ぎるとスキマ送りされてしまう。
後で藍様に助けてもらえるから別に構わないけど。その後根掘り葉掘り聞いてくるのが難点なだけで。
でも、獣から妖怪になったものは本当この時期どうするんだろう。
妖怪も生き物だから種の保存のために生殖行動ぐらいするだろうとは予想がつく。
でも見た目人間だからなぁ。我々のように辺り構わずってな訳にはいかないだろうに。
いけね、想像したらムラムラしてきた。
少し破廉恥なY談で盛り上がっていると、小屋の奥から何者かがこちらに近づいてくる。
二匹して振り返ると黒々とした平面体が床に這いつくばっていた。
「よう、ゴキブリの。調子はどうだい?」
「へぇ! 相変わらず人様には嫌われていやす!」
「ハハハ。まぁ、一緒に日向ぼっこしようや」
蟲の妖怪であるリグル・ナイトバグの配下、ゴキブリ。
気骨のあるいい奴なんだが見た目で損している可哀想な虫である。
ゴキブリはシロの隣に移動し、黒光りとした身体を陽光に晒していた。
「お前んところも子供生まれたんだって?」
「へぇ、お陰様ですっかり大所帯になりました」
「いいねぇ子沢山ってのは……可愛いもんだろ?」
「そりゃもう……目に入れても痛くねぇってのはこのことで」
彼はリグルに仕えて結構日は長い。私たちとは違いちゃんと忠誠心があるんだとか。
蟲の地位向上のために粉骨砕身してくれているのだから当然だと以前言ってたっけ。
いい上司じゃないか。どこぞのチビッ子と違って。
「そういや、リグルがなにか商売始めたって聞いたんだが?」
「あぁ……『蟲のしらせサービス』って奴ですよ」
「決まった時間にアンタらが報せに来てくれるんだろ? なかなか面白そうじゃないか」
「いや……そうなんですけどねぇ」
彼は複雑そうな表情を見せ始める。ゴキブリに表情も糞もないがそんな気がした。
「うちらん中でも蝶や蛍なんかは結構人気なんですよ。見た目綺麗ですし、お客さん喜んでくれて」
「うん……なんか問題でも」
「いやこの前、寝たきりの婆さんがいる家に蝿連中の報せが行きましてね。
婆さんが寝ている上でブンブン飛び回ってえらい騒ぎになったとか」
「あぁ……うん。そりゃ驚くわな……」
「常時待機できるのはカマドウマとか家蜘蛛ぐらいで。そして極め付けが我々ですよ……」
想像していただきたい。一家団欒の夕餉時、どこからかカサカサと何かが蠢く音が。
気づけどすでに時遅し。家具の隙間から天井から床下から、夥しいほどのGが這いずり回る様を。
響き渡る婦女子の阿鼻叫喚。逃げ惑う男たち。黒い特攻服は場所をとわず侵食を繰り広げる。
床も壁も天井も蠢く黒で覆い尽くされ、なかには中空を飛び回るものさえではじめる。
触れ合う肌。足や腕に止まり、目にも止まらぬ速さで服の中へ侵入。
何十匹もの蟲が体の表面を渡り歩いている。吹き出る鳥肌。途切れる意識。
そこまで想像して吐き気を催してきた。隣を見ればシロもかなり青ざめている。
「……ちょっとした異変だな」
「……博麗の巫女がきてもおかしくないな」
「私も止めたんですけどねぇ……リグル様が強引に押し切っちゃって……」
「お互い上司持ちは大変だなぁ……」
日はやや西に傾き、吹き抜ける風も少し涼やかなものになっていた。
マヨヒガの猫は今日も今日とて平和な時を過す。
主人である橙が言うには私の名前は「クロ」らしい。
毛色が黒いからクロだなんて、安直にもほどがある。
これだからガキのネーミングセンスは当てにならん。
まあ、それでも皆からそう呼ばれているのだからしょうがない。
私はクロでありシロではないのだ。私の名前はクロ。
ん? なんで猫のくせに喋っているんだって?
主人公補正ということで勘弁してもらいたい。
小春日和のいい天気。梅の季節も終わり、そろそろ桜と宴会の時節になるだろう。
私ほか多数の猫は人に化けることができないのでその雰囲気を楽しむ程度だが。
それでもやってくる人妖の方々に擦り寄りその膝の恩恵を味わえるあの場は本当いいものだ。
特に紅魔館の門番とか永遠亭の女医とかの太腿は毎回争奪戦が行われるほどの人気っぷり。
幻想郷の猫は万年発情期です、フヒヒ。
山の木々や草花も一斉に芽吹き始め、若々しい生命の鼓動が感じられる。
私に限らず春が嫌いなものはいないだろう。いるとしたら太ましい冬の妖怪ぐらいだ。
草木を掻き分けながら進んでいくと、朽ち果てた一軒の藁葺き小屋が目の前に広がる。
橙が廃村を勝手に自分の物とし「マヨヒガ」なんて名前までつけた猫の楽園。
彼女は我々を配下にしようとしているらしいがあんな青二才に従うほど従順じゃないのよ猫は。
若草の芝を踏みしめる。陽光の匂いが照り返してとても心地よい。
肉球の間に柔らかな草の感触を楽しみながら、私は廃屋の縁側へと飛び移る。
ギシッと軋む板張り。午後の日差しは少し強いが、温い風が黒い毛並みを撫でていく。
猫としてこれ以上の幸福を求めるのは罪というものだ。
瞳を閉じるとたちまち睡魔に襲われる。大きくため息をつくとそのまま身体を丸くした。
どこぞでホトトギスと共に「春ですよー!」と春の風物詩が鳴いている。
「ようクロ、アンタも日向ぼっこかい?」
快活な声色で私に話しかけてきたのは同じ橙の部下(?)であるシロ。
その毛並みは私とは真逆で新雪のように綺麗な純白だ。名前の語源は察していただきたい。
薄目を開けて唸る私の隣に座り、シロもまた身体を丸くする。
しかしシロは寝ることは無い。こいつは結構お喋りで、人の気も知らずにベラベラと話したがる。
聞き手の私は軽く流す感じだが、それでもこいつは満足らしい。
「クロ、橙は?」
「知らねぇ……藍様んとこじゃね?」
「もしくは妖精連中と遊んでいるかだな」
「絶対あいつリーダーとしての自覚ないよな」
「んだよ。こっちには仕事させて自分遊んでんだもんなぁ」
「ま、こちとらサボれるから別に構いやしないけど」
ケタケタと二匹して笑いながら主人の悪口に華を咲かせる。
我々猫の仕事というのは幻想郷で起きた異変をいち早く知らせること……らしい。
どうせ橙に知らせたところで自分の手柄として藍様か紫様に話すだろう。
上司がこれだとモチベーションが下がるのは当たり前なわけで。
それに情報の伝達速度で言ったら文屋の鴉天狗のほうが速いに決まっている。
主人はどうにかして手柄を立てたいらしいが、野良猫には役不足だ。
「そういや聞いたかよ? タマ公の話」
「ん? いや、あいつなんかしたのか?」
「“迷いの竹林”でチンチン鳥に襲われたんだとよ」
「マジかよ? だからあれほどあそこらで小鳥を襲うなって言ったのに」
「危うく八目鰻として蒲焼にされるところだったって」
「他の連中にもよく言い聞かせないとな」
猫にとって世知辛い世の中になったものだ。
小鳥や鼠は貴重な動物性たんぱく質として本来肉食の我々には大切な食料なのに。
しかし単なる猫に妖怪を相手取る力なんてない。下手したら取って食われてしまうからだ。
まあ、猫喰う妖怪もそうはいないだろう。自分で言って不味そうだし。
あ、でも絶食状態の博麗の巫女ならやりかねんな。気をつけとこ。
「そういやそろそろ繁殖期だなぁ」
「ミケの野郎、五匹も生んだとよ。どんだけ頑張る気だっつーの」
「……橙とかって発情期あるんかな?」
「……どうなんだろ。いや、ないだろさすがに」
「だってあいつ俺らと一緒で、マタタビ嗅いだら酔っ払ったぞ前」
「もう式神になってるからな……猫っつっても私らとは違うだろう」
「どうするよ。橙が顔赤くしてさ、息も艶っぽくして『我慢できにゃい……!』なんて言い寄ってきたら……」
「うん、もうこの話はおしまい」
これ以上すると発情するからなぁ。主に人間の変態さんたちが。
それに結構紫様のスキマ規制も厳しくなっているから、行き過ぎるとスキマ送りされてしまう。
後で藍様に助けてもらえるから別に構わないけど。その後根掘り葉掘り聞いてくるのが難点なだけで。
でも、獣から妖怪になったものは本当この時期どうするんだろう。
妖怪も生き物だから種の保存のために生殖行動ぐらいするだろうとは予想がつく。
でも見た目人間だからなぁ。我々のように辺り構わずってな訳にはいかないだろうに。
いけね、想像したらムラムラしてきた。
少し破廉恥なY談で盛り上がっていると、小屋の奥から何者かがこちらに近づいてくる。
二匹して振り返ると黒々とした平面体が床に這いつくばっていた。
「よう、ゴキブリの。調子はどうだい?」
「へぇ! 相変わらず人様には嫌われていやす!」
「ハハハ。まぁ、一緒に日向ぼっこしようや」
蟲の妖怪であるリグル・ナイトバグの配下、ゴキブリ。
気骨のあるいい奴なんだが見た目で損している可哀想な虫である。
ゴキブリはシロの隣に移動し、黒光りとした身体を陽光に晒していた。
「お前んところも子供生まれたんだって?」
「へぇ、お陰様ですっかり大所帯になりました」
「いいねぇ子沢山ってのは……可愛いもんだろ?」
「そりゃもう……目に入れても痛くねぇってのはこのことで」
彼はリグルに仕えて結構日は長い。私たちとは違いちゃんと忠誠心があるんだとか。
蟲の地位向上のために粉骨砕身してくれているのだから当然だと以前言ってたっけ。
いい上司じゃないか。どこぞのチビッ子と違って。
「そういや、リグルがなにか商売始めたって聞いたんだが?」
「あぁ……『蟲のしらせサービス』って奴ですよ」
「決まった時間にアンタらが報せに来てくれるんだろ? なかなか面白そうじゃないか」
「いや……そうなんですけどねぇ」
彼は複雑そうな表情を見せ始める。ゴキブリに表情も糞もないがそんな気がした。
「うちらん中でも蝶や蛍なんかは結構人気なんですよ。見た目綺麗ですし、お客さん喜んでくれて」
「うん……なんか問題でも」
「いやこの前、寝たきりの婆さんがいる家に蝿連中の報せが行きましてね。
婆さんが寝ている上でブンブン飛び回ってえらい騒ぎになったとか」
「あぁ……うん。そりゃ驚くわな……」
「常時待機できるのはカマドウマとか家蜘蛛ぐらいで。そして極め付けが我々ですよ……」
想像していただきたい。一家団欒の夕餉時、どこからかカサカサと何かが蠢く音が。
気づけどすでに時遅し。家具の隙間から天井から床下から、夥しいほどのGが這いずり回る様を。
響き渡る婦女子の阿鼻叫喚。逃げ惑う男たち。黒い特攻服は場所をとわず侵食を繰り広げる。
床も壁も天井も蠢く黒で覆い尽くされ、なかには中空を飛び回るものさえではじめる。
触れ合う肌。足や腕に止まり、目にも止まらぬ速さで服の中へ侵入。
何十匹もの蟲が体の表面を渡り歩いている。吹き出る鳥肌。途切れる意識。
そこまで想像して吐き気を催してきた。隣を見ればシロもかなり青ざめている。
「……ちょっとした異変だな」
「……博麗の巫女がきてもおかしくないな」
「私も止めたんですけどねぇ……リグル様が強引に押し切っちゃって……」
「お互い上司持ちは大変だなぁ……」
日はやや西に傾き、吹き抜ける風も少し涼やかなものになっていた。
マヨヒガの猫は今日も今日とて平和な時を過す。
が、苦労人でも黒い虫は容認できんな、断じて。