愛されることは幸福ではなく、愛することこそ幸福だ。
――ヘルマン・ヘッセ(「クラインとワーグナー」より)
Ⅰ
セカイは狭くて、残酷で、カタカナだった。
平仮名なんて知らない。漢字は存在にも気付いていない。両親から与えられたのは、小さなセカイと『コイシ』という名前だけ。薄暗い部屋の中で、私はいつも狭いセカイをずっと見ていた。
私と両親の間に言葉はない。お互いに心が読めるのだから、わざわざ口を開く手間すら無意味だった。
両親はカタカナで私を呼んでいた。コイシ、コイシと。
だから心はカタカナで出来ており、セカイもきっとカタカナなのだ。
(キミガワルイ)とハハは私を嫌った。
(アネトハオオチガイダ)とチチは私を侮蔑した。
両親の思考で頻繁にあがるアネという存在。彼ら彼女は四六時中、私の顔を見る度に比べた。そして最後には必ず私を見下し、狭いセカイの扉を閉める。後になって分かったことだが、両親は何度も確認にきていたらしい。私が脱走していないか、自殺していないか。
有り体に言えば両親は私の扱いに困っていた。嫌っていても殺せない。閻魔の監視が厳しいから、迂闊に死んで貰っても困る。だから二人は私を狭くて苦しいカタカナのセカイに閉じこめて、アネは外のセカイで両親と一緒に暮らしていた。
外のセカイはどんな所なのだろう。扉の隙間から漏れてくる眩しいもので満たされているのだとしたら、そこへ行ってみたい。私は段々とそう思うようになり、外で普通に暮らしているアネに嫉妬するようになった。
羨ましい。代わって欲しい。外に出たい。
こっそりと扉を開けようと何度も試みた。だけどドアノブを回したところで、ただガチャガチャと空しい音が響くだけ。ガチャリという気持ちの良い音は鳴らない。きっとあの、カチャッという音が必要なのだ。両親がセカイに入ってくる時と出る時に、カチャッという音が鳴る。
だけど、どうすれば鳴るのだろう。考えたところで良いアイデアが浮かぶはずもなかった。
だから直接訊いてみた。どうすれば外に出られるのかと。
ハハは顔を背け、チチは私の頬を叩いた。
「お前のような化け物を誰が外に出すものか!」
それが生まれて初めて聞いた言葉というもの。
そして生まれて初めて知った痛みというものだった。
地霊殿の廊下は絵画のようだと、誰かが言っていた。
万華鏡のようなステンドグラスが描いた模様は、味気ない赤絨毯を色とりどりに染めてくれる。私はその上を歩くのが大好きだった。
絵に触れてはいけません。彫刻に触ってはいけません。
みんな変なことばかり言っている。美しい絵は素晴らしい。綺麗な彫刻は格好いい。だからもっと近くで、もっと身近に感じたいというのに。それは世間一般では良くない行為らしい。
不思議だ。現にこうして廊下に描かれた模様の上に立っていると、自分が絵の中に入っているような錯覚を覚える。色の図鑑をひっくり返したような世界に立っている。それがたまらなく気持ちいい。
お金を貯めようと思った。もっともっとお金持ちになって、地上に溢れている芸術作品を買うのだ。その上を跳ねるように踏んでいくのは、きっと楽しいに違いない。
「ふん、ふん、ふん」
鼻歌も軽やかに、色彩豊かな絨毯の上を飛び跳ねる。
次は赤。次は紫。次は青。
無意識になるなんて勿体ない。こういうものは意識してやらないと。
だからお姉ちゃんに気付くのも簡単だった。無意識の世界に没頭すると誰も見えなくなってしまう。ただ目的を果たすまで、あるいは時間が過ぎてしまうまで、その世界から抜け出すことは出来ない。
踏みつけるのを止めて、すぐさま私は駆け出した。足はそこそこ早いほう。細い身体を馬鹿にされるけれど、これでも一応は鍛えているつもりだ。
紺色のスモックに向かって、思い切り飛びつく。残念ながら私と違って、姉のさとりは貧弱極まりない。ちょっとした重い物も持てず、放り投げた缶ジュースも受け取れないほどに反射神経が鈍い。だから当たり前のように私へ気付けないまま、衝撃も殺せず、二人して絨毯の上へと倒れ込んだ。
胸とお腹の下からは仄かに温かく柔らかい感触がする。ついでに小動物の鳴き声にも似た唸り声が聞こえてきた。
「んー、お姉ちゃんは相変わらず気持ちいいなあ」
腰に手を回し、華奢な身体に頬ずりをした。この抱きしめたら折れてしまいそうな身体が、私はとても大好きだった。それこそ絵画よりも、彫刻よりも、他の何よりも大好きだった。
お姉ちゃんは逃れようと藻掻いている。こうして抱きつかれるのは恥ずかしいらしく、頼み込んでも素直に頷いてはくれない。だから奇襲で飛びつくしかないのだ。せっかく手にした機会なのだから、そう簡単に手放すつもりはなかった。
思う存分に堪能しよう。お姉ちゃんの背中を。うーん、温かい。
「……満足しましたか、こいし」
「まだ。もうちょっとだけ」
「私は忙しいんですけどね。さっきまでは暇でしたからパルスィと会っていたんですけど、今は四季様との定期面談の準備もありますし、亡霊の管理に関してはお燐とも話し合わないといけないのです」
肌の柔らかさに対して、背骨の固さもたまらない。なまじ全てが全てマシュマロのようにふわふわしていたら、私はこれほどお姉ちゃんの背中に愛情を抱いていただろうか。いや、いない。
コーンスープに紛れ込んだクルトンのように、ちょっとした隠し味が料理全体を引き締めるのだ。さしずめ背骨はクルトン。鍋に入れたら良い出汁がとれそうなクルトンだ。勿論、お姉ちゃんを食べるつもりなんて欠片もなかった。
この世に一人しかおらず、とてもとても大切なお姉ちゃんを食べるだなんて。私のみならず他人がしたとしても許されざる行為だ。
絶対に有り得ない。それにしても気持ちいい。思わず寝そう。
「聞いちゃいませんね。まったく、この子ときたら」
呆れたような溜息も私の耳には届かず、いよいよお姉ちゃんが匍匐前進で這おうとした辺りになって、ようやく私は満足できた。これでもかなり妥協はしている。本音を言うなら一日中しがみついて、一緒のベッドで朝まで寝たいくらいだ。
だけどお姉ちゃんは忙しい。地霊殿の経営から管理から何から何まで、全て一人で請け負っているのだ。お燐やお空も手伝っているけれど、お姉ちゃんの負担は相変わらず。私も何度か手伝おうとしたのだけれど、細々とした文字で書かれた書類が相手というのは、どうにも私の専門分野では無かったらしい。せめて力仕事ならお手伝い出来るのに。
だから地上の世界を巡って、せめてお姉ちゃんの助けになるような知識を吸収しているのだ。おかげで今ではちょっとした怪我なら治せるし、掃除洗濯料理もある程度はこなせるようになった。
竹林のお医者さんや紅魔館のメイドさんに感謝しないといけない。
「今日は私が料理を作るよ!」
「そうして貰えると助かります。こいしの料理は美味しいですからね。楽しみにしてますよ」
「うん、来月の誕生日も腕を振るうよ!」
横を歩いていたお姉ちゃんが、その言葉に苦笑を浮かべた。
変な事、言ったかな?
「誕生日と言っても、あなたの誕生日でしょう。主賓が腕を振るうというのも悪くはありませんが、ここは大人しく祝われておきなさい。料理は私が担当するから」
お姉ちゃんの料理。思わず胸が弾んだ。
私もそれなりに腕を磨いてきたが、お姉ちゃんの料理には敵わない。厳しい修行を積んだのかと尋ねたくなるぐらいの腕前なのだ。ただ基本的に美食自体にはあまり興味がないらしく、こういった祝いの席ぐらいでしか腕を振るわない。
久々にお姉ちゃんの料理が食べられる。嬉しいことは嬉しいのだけど、それが負担だったら私としては遠慮したいかもしれない。せっかくの誕生日、お姉ちゃんの苦しむ姿は見たくなかった。
「構いませんよ。こいしの為の苦しみならば、それは喜びでもあるのです。好きでやりたいと言うのですから、要は私の我が儘みたいなもの。止めろと言われたら逆に凹んでしまいますよ」
「じゃあ、私も手伝う」
「そうですね、今のこいしならそっちの方が楽しいかもしれません。分かりました。誕生日になったら一緒に料理を作りましょう」
お姉ちゃんと肩を並べてのお料理。それはどれぐらい楽しいだろう。ひょっとしたら足を引っ張ってしまうかもしれないけど、それでも私は楽しみだった。ああ、早く来月が来ればいいのに。
そうすれば私はもっと楽しく、お姉ちゃんも明るくなれる。
色とりどりの絨毯に、伸びていくのは二人の影。仲良く寄り添った姉妹の影は、私とお姉ちゃんそっくりで。
「そういえば――」
「あ! さとり様!」
お燐の声が聞こえた。残念、これでお仕事に逆戻りか。
姉妹の時間はお終い。お燐が名前を呼ぶ時は、大抵仕事か緊急事態なのだ。甘えたい時は猫の姿のまま近寄って、構って欲しそうに足へ擦り寄ってくる。もしもそうだったら、私もまたお姉ちゃんに甘えたのに。
お仕事の邪魔をしてはいけない。ここは大人しく退散して、また地上へ遊びに行こうかな。
そう思っていた。
「さとり様?」
歩く影と、止まる影。仲良く寄り添っていた姉妹の影が、今は見事にバラバラだ。
ゆっくりと振り返る。
お姉ちゃんの後ろから、バタバタと駆け寄ってくるお燐。彼女もまた、動物的な本能で異常を察知したのだろう。怪訝そうな顔でお姉ちゃんの背中を見つめている。
そう、私の大好きな背中。今すぐにでも抱きしめたい、お姉ちゃんの身体。
そしてお姉ちゃんの顔には、驚愕とも、恐怖とも、悲しみとも表現できない、不思議な不思議な表情が張り付いていた。全身は硬直して動かず、目も見開いたまま。視線は私を通り抜け、遙か向こうの天井を見ているようだ。いや、あるいは何処も見ていないのかも。
身体を取り巻く紐は力無く揺れており、胸の辺りにあった第三の目は――
「あれ?」
下を見る。そこにあったのは私の第三の目。青い瞳はしっかりと閉じられ、今も開く様子はない。
お姉ちゃんのは赤い瞳。私とは違う、情熱的な赤。
それが、しっかりと、閉じられていた。
私のではない第三の目が、お姉ちゃんの目が。
それはつまり、
「お燐、なのですか?」
不安そうな声は、まるで心が読めていないようだった。
お医者さんは言った。病気ではない。
神様は言った。呪いではない。
巫女は言った。異変ではない。
だけど私はよく知っていた。
昔、昔のこと。同じように目を閉じた少女が、他ならぬ古明地こいしだったのだから。
そして知っている。閉じた瞳は簡単に開かないということを。
「あなたはどうして瞳を閉じたのかしら?」
橋姫のパルスィが問いかける。地上と地下を繋ぐ大穴。ほど近い橋の上には、覚と同じぐらい嫌われている橋姫がいた。お姉ちゃん曰く、腐れ縁。パルスィ曰く、腐った縁。二人は互いの仲をそう呼び合うぐらいには仲が良い。
妬ましいことだ。
「正直に言うと分からないんだよね。嫌われたくないっていう意識はずっとあったんだけど、気が付いたら私は瞳を閉じてたわけで。実感もないし、手段も分からない。当然、元に戻す方法もね」
お姉ちゃんが目を閉ざし、部屋に籠もってから数日後。私は幻想郷のあちこちを走り回り、閉ざした瞳を開く方法を探していた。広い広い幻想郷の中も、こうして見たら随分と狭い。数日の間に万策は尽き、探していないのは地下ぐらいのものだ。
呼び止めてきたパルスィに付きあってはいるが、これも一種の現実逃避なのだろう。だって地下にも方法が無いとすれば、それは即ち元には戻れないということ。私は目を閉ざしても平気だったし、新しい力も手に入れた。だから平気だったけど、お姉ちゃんはそうじゃない。
あの力を気に入っていた。あの力を使いこなしていた。
それが急に消えたのだ。私もお燐もお空も寄せ付けず、ずっと部屋に籠もっている。
いつも頑張っているお姉ちゃんの為、何とか力になってあげたかったのだけど。
「だったらいっそ元に戻さなければいいのに。あんな力、ない方が幸せよ」
「捨てた私が言うのも何だけど、お姉ちゃんにはあの力が必要なんだと思う。妖怪が人を襲うように、妖精が人を驚かすように、覚は人の心を読むものだから」
「そんな優しい理論で生きているのなら、私だって何も言わなかったわよ。好きにすればいい。でもさとりは力を矜持にしていない。あれはただ、力に依存しているだけ。不自然なまでに寄りかかり、ただ倒れただけのこと」
背中から抱きついたお姉ちゃんは、そのまま廊下に倒れ伏した。
あの時は起きあがることが出来たけど、今度は駄目だって言うんだろうか。
「だから問題があるとすれば、どうやってさとりを元に戻すかじゃない。どうやってさとりを前に進ませるのか。いえ違うわね、どうやってさとりを死なせないか」
「誰かが命を狙ってるの?」
パルスィは愉しそうに笑って、欄干にもたれかかる。
「誰も狙っていないわ。強いて言うならさとり自身」
「お姉ちゃんはそんな事しないよ。私なんかよりも遙かに強いもん」
「いいえ、あなたの方が遙かに強いわ。だから私はあなたに惹かれない。むしろ妬ましい。だけどさとりは弱いから惹かれた。まぁそれはきっと、向こうも同じなんでしょうけど」
「むー」
「不服そうね。けれど似たもの同士だからこそ分かるの。さとりは嫌われることに慣れている。人から疎まれることに馴れている。憎まれることに慣れている。妬まれることに慣れている」
パルスィの言っていることが分からない。そこまで負の感情に強いのなら、どうしてお姉ちゃんは死のうとするのだ。理由がなければ妖怪も死なない。自殺なんて、気まぐれでするものじゃないのだから。
「さとりは慣れている。慣れすぎるぐらいに慣れている。だけどね、肝心要の事に関しては紙細工よりも耐性が脆い。そもそもね、本来なら何処にもいないのよ。相手が自分を嫌っているかどうか。完璧に分かる奴なんて」
だから、とパルスィは続けた。
「さとりは嫌われているかもしれない、という状況に慣れていない。だってそこには希望があるから。もしかしたら好かれているかもしれない。でも本当は嫌っているのかもしれない。答え合わせはできない。だから相手が自分をどう思っているのか。それは一生分からない。そんな状況に、果たしてさとりは耐えられるかしら?」
嫌われているのと、嫌われているかもしれないのとでは意味が異なる。
人の感情は移ろいゆくもの。昨日は好かれていたのに、今日は嫌われているかもしれない。ちょっとした些細な事で、人はあっさり好いたり嫌ったりするのだから。確かめることもできず、行動から推測したり、相手の言葉を信じたりして、人々は悶々としながら日々を生きている。
だけど、それはとても当たり前の世界。瞳を閉ざしてからは、私もそんな世界で生きていた。無意識では表面の意識が分からない。相手が私をどう思っているのかなんて、もうとっくの昔に分からなくなっていた。
お姉ちゃんが放り込まれたのはそういう世界。
「私は決めつけることで耐えている。相手は私を嫌っている。相手は私を憎んでいる。だから私も相手を憎もう。相手の良い所に嫉妬しよう。そうやって暮らしているの。だけどさとりの矛先は他人に向かうのかしら? あの子は自分から傷つけるタイプだし、あるいはもう」
無意識のうちに、私は走り出していた。
鍵は掛かっていない。手応えはなく、あっさりとドアノブは回った。
さっきまで何度やっても駄目だったのに。固く閉ざされていた扉は嘘のように簡単に開き、そして部屋の中にお姉ちゃんの姿は無かった。ただ寝るためにしか使っていない部屋。置かれているのはベッドだけで、どこにも隠れる所なんてない。
もしかしてとベッドの下を覗いたけれど、やっぱりお姉ちゃんの姿は無かった。外に出たのだろうか。あれほど出るのを嫌がっていたのに。首を傾げていても、ふらっと戻ってくるわけでもないし。
探さなくちゃ。心が読めないということは、相手のトラウマを抉ることも出来ない。つまり弾幕ごっこも出来ないのだから、今のお姉ちゃんはこの地下世界で誰よりも弱いのだ。花を手折るように命を摘み取られたら。そう思えばいてもたってもいられない。
廊下の絵画を楽しむ余裕もなく、赤絨毯の上を駆けていく。何匹かペット達とすれ違ったけど、残念ながら私は動物の気持ちが分からなかった。せめてお燐やお空ほど妖怪に近ければ言葉もかわせるんだけど、ただの鳴き声ではお姉ちゃんの居場所は分からない。
中庭にも居ない。玄関ホールにも居ない。中央ホールにも居なかった。
後は灼熱地獄跡か、あるいは部屋を一つずつ見て回るぐらいか。まさか旧地獄街道の方には行ってないだろう。普段から滅多に近寄らないし、今となっては裸で狼の群れを横切るようなものだ。かなりショックを受けていても、さすがにそこまでの事はしていない、と信じたい。
ホールの柱時計が不気味な音を鳴らす。
いつもなら散歩の時間だ。だけど、出かける気にはなれなかった。せめてお姉ちゃんが元に戻るまで、当分はお出かけも自粛しよう。風邪の時も心細くなるのだから、心が見えないとなれば尚更だ。
最初はまだ平静を保っていたけれど、最近のお姉ちゃんは頬が痩けるぐらい精神が不安定になっているし、長い間地霊殿を留守にするなんて出来るわけがなかった。
大事な大事なお姉ちゃんなのだから。
「うわっ!」
不意に襲ってきた背後からの衝撃で、思わず倒れそうになったのを堪える。戯れに紅魔館の門番とやっていた訓練が功を奏したのか、下半身の安定感には自信があった。それにしても、いきなりなんだろう。
腰の辺りに温かい感触。どれどれと首を回してみれば、紫色の髪の毛が視界に飛び込んできた。フリルのあしらわれた襟元が風もないのにフラフラと揺れている。
「お姉ちゃん!」
俯いた顔は表情が見えない。抱きつかれるのは気持ちいいけど、いつまでもこのままというわけにもいかなかった。引き剥がそうとしたのだが抵抗される。まるでいつもの私みたいだ。
目を閉じると甘えたがりになるのかな。不思議な関係性があったものだ。
身をよじって身体を捻った。背後をとられた形から抱き合うような姿勢に変える。やっぱりお姉ちゃんの顔が見えないのは寂しい。今度は私も真正面から飛びつくようにしよう。
俯いたままのお姉ちゃん。しがみついて離れない。
まるで幼い子供のようで普段を知る者ならば驚きで声を失うところだ。なるほど、パルスィの言葉は正しかった。不安なのだろう。怖いんだろう。子供のようだと言ったのも、あながち間違いではない。
私にも経験があった。聞こえる声が聞こえず、世界が静かになった瞬間。それは確かに不安だったけれど、少なくとも私は適応できた。本当はお姉ちゃんもこちらの世界に来て貰いたいけれど、無理をしてまで望むような事でもない。
パルスィは言っていた。お姉ちゃんは耐えられない。
お姉ちゃんにとって、剥き出しの世界はあまりにも過酷すぎたのだ。
「こいし、どこへ行っていたのです?」
俯いたまま、震えるような声で問いかける。嘘を吐いても意味はない。誤魔化すようなことでもない。私は素直に答えた。
「お姉ちゃんの第三の目を開く方法があるんじゃないかって。それを調べに地上へ出ていたの。見つからなかったけどね。ごめん、お姉ちゃん」
「謝るような事じゃありません。見つからなかったのは残念だけど、こいしが無事に帰ってきてくれて良かった。あなたは私のたった一人の大切な妹なのですから」
以前はふらふらと出歩いても文句を言われなかったし、こんなにも心配されることはなかった。不安がそうさせているのだろうか。なんにせよ悪い気はしない。好きな人に思われて、気分を損ねる捻くれ者では無いのだから。
複雑に絡み合おうとする紐をはね除け、お姉ちゃんは顔を上げた。
「ただ、これからはなるべく側に居てください。こんな状況ですから、あなたに万が一があっても私はどうすることもできない。今の私は無力です」
私の事よりも自分を案じて欲しい。この地霊殿で一番危ないのはお姉ちゃんの方なんだから。
だけど、多分照れくさいのだろう。急に抱きついてきたのだ。お姉ちゃんだって不安に違いない。私に側へ居て欲しいのだけど、それを素直に言ったら軽蔑されるかもしれない。そんな無用な心配をして、敢えて私の身を案じるような事を言っているのだ。
「うん、なるべくお姉ちゃんの側にいるね。ひょっとしたら治す方法も、この地霊殿にあるかもしれないし」
使われていない幾つかの書庫。あるいは、その中に先祖の覚が残した治療方法が残っているかもしれない。膨大な上に覚が書いた書物は独りよがりで読みづらい。だからなるべく手は付けたくなかったのだけど、少なくとも鬼や土蜘蛛に尋ねるよりは効果が期待できそうだ。
どこか暗かったお姉ちゃんの顔に光が戻ってくる。少しは不安も晴らせたのかな。抱きついていた両腕を離し、乱れた服装を整える。髪の毛にはまだ寝癖が残っていたけど、それは愛嬌ということにしよう。その方が可愛い。
チラリと横目でこちらを窺い、おもむろに伸びた手が私の指を握りしめる。お姉ちゃんとこうして手を繋ぐのは、果たして何ヶ月ぶりだろう。
不謹慎だけど、お姉ちゃんには悪いけど。
「じゃあ行きますよ、こいし」
私はこの時間がとても楽しかった。
Ⅱ
セカイの終わりはあまりにも唐突だった。
カチャッと音がして、ガチャリと扉が開く。しかし顔を覗かせたのはいつもの両親ではなく、見たこともない小さな女の子だった。背は私と同じぐらい。顔つきはハハに似ていた。
だからだろうか。こんなにも小さいのに、私とはまるっきり違うように思えた。それこそ身体の材料が違うのではないかと思うほど、女の子は綺麗で、可愛くて、紫色だった。
「こいし」
私は身を震わせる。殴られるという恐怖ではない。それは驚きだった。
チチの呼び方と違う。ハハの呼び方とも違う。カタカナじゃない、だけどとてもとても温かい響き。私の名前のはずなのに、それを呼ばれても不思議と嫌な気にはならなかった。
ああ、なるほど。これが名前なのだ。きっと、これが平仮名なのだ。
気が付くと、私は涙を流していた。
女の子は少し戸惑ったように目を泳がせたかと思えば、口を真一文字に結ぶ。
「いきましょう」
行きましょう。生きましょう。
漢字を知らない私には、そのどちらでも良かった。ただ女の子が手を伸ばしている。こんなにも見窄らしく、嫌われ者の私に。一瞬だけ手を取るのが躊躇われた。もしも手を合わせたら、女の子も薄汚れてしまいそうな気がしたから。
そんな気持ちを見透かされた。女の子も心が読めた。
だから私の手を取って、狭くて、暗くて、カタカナのセカイから引っ張り出した。
憧れた外へ。光輝く外のセカイへ。
扉を越える。
目を細めた。
女の子は振り返り、私の顔を見て笑った。
「わたしはさとり。あなたのおねえさんよ」
彼女が私の嫌っていたアネだったのかと、両親はどうしたのかと、尋ねる余裕なんて有るわけがなく。
言葉が出せない私は、ただ思うことでアネに伝えた。
感謝の言葉は知らない。両親が教えてくれなかったから。
だから漠然とした、靄のように、実体のない感情を伝える。
アネに届くだろうか。叩かれたりしないだろうか。
不安を吹き飛ばすように、私は不意に抱きしめられた。
「もう、だいじょうぶだから」
私のセカイは、この瞬間に終わった。
膨大な書物は見るだけで頭が痛くなる。あまり読書は得意ではなかった。調べることも苦手だ。こういうのはお姉ちゃんの方が適している。だけど、お姉ちゃんにはお姉ちゃんの仕事があるわけで。
書庫から執務室へ本を運び、用意してくれた私専用の椅子で第三の目が開く方法を探し求める。書庫で調べれば持ち運ぶ手間は省けるのだが、そうするとお姉ちゃんが不安がるのだ。まさか仕事を書庫でするわけにもいかないし、こうして私が執務室にお邪魔する形となっている。
以前なら仕事に集中したいからと追い出されていたのに、今は居ても文句さえ言われない。仕事をしているお姉ちゃんは凛々しく、チラリとこちらの様子を窺う姿は可愛らしい。こんな光景が拝めるのなら、持ち運ぶ手間など有って無いようなものだ。
いけない、いけない。本に集中しないと。
ただでさえ頭はあまり良くないのだ。片手間で調べられるほど、読書にも慣れていないし。せっかくのヒントを読み飛ばしてしまったら、この調査自体が無駄に終わってしまう。せめて少しでもいいから情報を集めないと。
ページを捲り、膨大な文字の海へ身を投じる。せめて浮き輪ぐらい欲しい今日この頃だ。
「さとり様、ちょっとお話があるんですけど」
「なんですか。またお空が何かやらかしたのですか?」
「いえいえ、そうじゃなくて亡霊の管理に関してなんですが」
お燐は頻繁に執務室へ訪れる。お空が交渉や管理を苦手としており、そちらの方も請け負っているから自然とお姉ちゃんとも会う回数が増えているんだとか。全然知らなかったけれど、意外とみんな働いているらしい。
真面目な顔で話し合うお姉ちゃんとお燐を見ていると、自分の子供っぽさが浮き彫りになっているようで少し疎外感を感じた。だけど手がかりを見つけたら、きっとお姉ちゃんもお燐も喜んでくれるはず。これも立派な私の仕事。真剣にこなさないと。
「では亡霊に関してはそのように。灼熱地獄跡はお空に任せましょう。あの子に細かい調整を説明しても無意味ですが、微調整自体は勘で何となくやっているようですし。下手に口を挟まない方がいい」
「分かりました。じゃあ、早速そうします」
「ああ、その前に訊きたいことがあるのですけど」
そそくさと出て行こうとしたお燐を引き留める。余程この部屋に長居をしたくなかったのだろう。お燐の顔は硬直していた。ここしばらく、ずっと同じ事を訊かれていたのだ。普通の妖怪なら嫌がるのも無理はない。
お姉ちゃんは仕事の話をしていた時と同じぐらい真剣な表情で尋ねる。
「私のこと、嫌ってませんか?」
「嫌ってるわけないですよ。あたい、さとり様のこと大好きですから」
「本当ですか?」
「本当です! 誓って言えます!」
「でも何だか直ぐに部屋から出て行こうとしましたよね。やっぱり私の事を嫌ってるのでしょう? 本当の事を教えてください」
私は嫌われることを恐れた。だけどお姉ちゃんはそうじゃないみたい。
お姉ちゃんが恐れているのは、相手の気持ちが分からないこと。好かれているのか嫌われているのか、兎に角それが確かめたいらしい。
地下の中には私達を嫌っている妖怪もいて、そういう奴がたまに用事で地霊殿に訪れる。露骨に嫌な顔をしたそいつに、お姉ちゃんは躊躇わずに訊いた。私の事を嫌っているんですか、って。
当然、そいつは当たり前だと答えたけれどお姉ちゃんは嫌な顔ひとつ見せなかった。むしろ満足そうに頷いて、ホッと胸を撫で下ろしたぐらいだ。心の底から嫌っているなら、別にそれはそれでいいらしい。
「急ごうとしてたのは仕事があるからですよ! さとり様を嫌いになるわけないじゃないですか!」
「そ、そうですか。ならいいんです」
うんざりとした顔でお燐が出て行く。確か、このやり取りは本日二回目だ。お姉ちゃん大好きっ子のお燐でも、さすがに回数が増えれば面倒になってくるだろう。私だったら何度聞かれても喜んで答えるけれど。他人にそれを求めるのは酷というやつだ。
もっとも、お姉ちゃんは私には質問しなかった。
どうしてだろう。訊くまでもないからという理由なら、心が通じ合ってるみたいで嬉しいんだけど。
「んっ、こいし。そろそろ行きますよ」
壁にかかった時計を見上げ、突然お姉ちゃんがそんな事を言った。
「何処行くの?」
「朝に言ったでしょう。今日は四季様との定期面談の日です」
地霊殿は是非曲直庁の管轄。だから定期的に視察と面談が行われているのだ。ただ私はあの堅物閻魔様があまり好きではないので、それに参加したことは無いんだけど。今のお姉ちゃんを一人であの閻魔様に会わすのも心許ないし、仕方なく参加することとなった。
本当、苦手なんだよね閻魔様。何か会ったらすぐに説教してくるし。変な事を言ったら、あの持ってる棒で叩かれそうだし。
気は進まない。でもこれも、お姉ちゃんの為だ。
「頑張ろうね!」
「別に気張る必要はありませんよ。ただ普段通りにしていればいいだけです」
私が閻魔様を苦手にしているから、お姉ちゃんは安心しなさいと優しい笑顔を向けてくれた。それだけで毅然と立ち向かえそうな気がしてくるから不思議だ。
今なら閻魔様を倒すことだって出来そう。やらないけど。
応接室の掃除をして、お茶やお菓子の準備を整える。羊羹やら饅頭みたいな和菓子は仕事場で散々食べているらしく、ケーキやクッキーのような洋菓子がお気に入りらしい。甘い物が好きなんて可愛らしい所があるものだ。
案外、管理職というのは甘い物好きなのかもしれない。お姉ちゃんも好きだし。
そして準備が終わったところで、見計らったように閻魔様が訪れた。玄関からお出迎えしたら必要以上に気を配る必要はありませんとか言われて、以来応接室で会うのが決まり事になったんだとか。変な所を見られていないのか、この部屋でいつも心配しているらしい。お姉ちゃんは。
「さすがに自室へは入らないでしょうけど視察の意味合いもあるわけですから。ある程度の調査は行っているんでしょう。それを止める権限は私に有りませんし、異常が見つからない事を祈るばかりです」
「異常って言えば、お姉ちゃんの第三の目は?」
「健康管理に関しては嘘を吐けませんし、そもそも閻魔を誤魔化す事なんて不可能ですよ。ちゃんと報告してあります。今日はそこの所も突っ込まれるでしょうね」
まさか地霊殿の当主をクビにされるなんて事は無いだろう。多分。
だけどそわそわしているお姉ちゃんを見ていると、悪い予感が当たりそうでこちらもドキドキしてくるのだ。もしもクビになったらどうしよう。私達は地霊殿に居られないわけだから、どこかに家を建てるしかないのかな。私はお姉ちゃんが居れば何処でもいいけど、お姉ちゃんはショックを受けるだろうし、地霊殿も気に入っているし。やっぱりクビにはなって欲しくない。
様々な思考と憶測が飛び交う中で、閻魔様は威風堂々と応接室に姿を現した。死神の姿はない。一人だけだ。
「お待ちしておりました、四季様」
「社交辞令も程ほどにしておきましょう。今日はいつもよりも長引きそうですし」
先制攻撃はあっさりと弾かれる。そういえばお姉ちゃんは相手の心を読むことで交渉事を有利に進めてきた。だけど今日はそれが使えない。つまり生身のお姉ちゃんで相手をするしかないのだ。
今になって初めて、私達が不利な立場にいるんだと実感させられる。見ればお姉ちゃんも珍しく緊張しているらしく、首の裏側には脂汗が流れ落ちていた。
「やはり私の第三の目に関してですか?」
「是非曲直庁はあなたが目を閉じても管理が正常に行われるのなら問題無しとの判断を下しました。ただ私個人としましては、非常に不安でなりません。特にあなたをよく知る者の一人としては」
「……あの、ひょっとして四季様は私の事が嫌いなんでしょうか?」
唐突な質問に閻魔様が目を丸くする。話の腰を砕かれただけでなく、思わぬ方向から攻撃されたのだ。
「何を急に言い出すのかと思えば、その質問にどんな意味があるのですか?」
「是非曲直庁は問題無しと言った。なのに四季様は問題があると考えている。それはつまり、私個人が気に入らないからなのですよね」
「過程も結論も歪曲しすぎです。まぁ、そういう質問はいずれするだろうとは思っていましたよ。だからこそ私は心配しているのですが」
よく知ると自称するだけあって、さすがにお姉ちゃんの問題にも気付いているようだ。眉間に皺をよせ、難しい顔で溜息を吐いた。
「若干、嫌われている側に曲解しようとするきらいはありますが、概ね想像通りです。あなたは分からない状況に耐えられない。だから確かめようとするのでしょう。相手があなたをどう思っているのか」
「……………………」
「今まで分かっていた事が急に分からなくなったのです。動揺する気持ちも分かりますし、尋ねようとする行動にも理解は示せる。ですが、それは一個人としての話です。地霊殿の当主という立場を見れば、そうあなたは少し臆病すぎる。そんな風に一々確かめているようでは満足に仕事も出来なくなりますよ」
たまらず私は口を挟んだ。
「でもでも、お姉ちゃんはちゃんと仕事をしてるよ!」
変な棒で口元を隠し、鋭い視線が私の方に飛んでくる。まるで心臓を射抜くような、容赦の欠片もない眼光だ。
「今はまだ問題がないでしょう、当人も周りも。しかし歪みは蓄積していく。それが溜まれば溜まるほど崩壊の確率も高くなるのです。壊れてしまってからでは遅い。そうなる前に私は当主の首をすげ替える必要があります」
首という単語にお姉ちゃんが震えた。
「勿論、即刻そんな真似をするつもりはありません。代わりの者も見つかっていませんし、あるいは元に戻るかもしれない。一ヶ月ぐらい様子を見ましょう。もしもそれで回復するか、あるいは問題はないと判断したら古明地さとりが続けて当主の任に就くことを了解します。ですがもしも問題有りと判断したら、残念ですがあなたには当主を辞めて貰うことになる」
「お姉ちゃんは大丈夫だよ!」
「そうなる事を私も願っていますよ」
寂しげに呟く閻魔様の表情は、もしかしたら心配している心の表れなのかもしれない。この人もまた、形は違うけどお姉ちゃんの身を案じているのか。
そうだとしたら当主を首にする事も違う意味を持ってくるのだが、さすがにそれは穿ち過ぎかな。閻魔様は職務第一の人。私情を挟まないと言うならば、そこには本当に公務しかないのだろう。
だからやると決めたら容赦がない。問題有りと見なされたら、本当にお姉ちゃんはクビにされてしまうのだ。
大丈夫。お姉ちゃんはちゃんと仕事をしてるし、不合格の判を押されることはない。
私はそう信じている。
「理解して頂けましたか、古明地さとり」
戸惑いの表情でお姉ちゃんは答えた。
「あの、やっぱり四季様は私の事が嫌いなんでしょうか?」
閻魔様は呆れた顔で、駄目かもしれませんね、と呟いた。
視察から数日後。いつものように私は書庫から本を持ち出し、執務室へ帰る途中の事だった。一向に進展しない調査とは裏腹に、積み重ねられた書物の重いこと重いこと。これはこれで筋力を鍛えてくれるのだが、腕力がついたのに治療法は見つからないのでは何の意味もない。
旧地獄街道にも古書店はある。そちらも当たってみるべきなのか。
積まれた本で目の前が見えず、おまけに考え事をしていた。蹲っていたお燐に気付けなかったのも無理はない。危うく蹴飛ばしそうになったのだが、はてさて。お燐はこんな廊下の端っこで何をしていたのか。
「ああ、すいませんねえ。ちょっと頭痛が酷かったもので」
「具合が悪いようだったらお医者さんのところに行ってみたら?」
立ち上がったお燐の顔は、なるほど病人のようである。目の下には隈が見え、頬も少し痩けている。肌もカサカサ。赤い髪の毛も今はくすんだように輝きを失い、ロクに手入れもしていないのだろう。生えたい放題のボサボサだった。服の乱れも直していない。
乱暴に手櫛を入れながら、お燐は乾いた笑いを浮かべた。
「行ってはみたんですけどね、医者の言うところにはストレスが原因だそうで」
「ストレス、ね」
肉体労働は身体に堪える。単純労働は精神に堪える。お燐の仕事は亡霊の管理。普通にしていれば肉体が疲れるだけで済むのだが、それに加えてお姉ちゃんの質問攻めだ。さすがのお燐も参っているのだろう。顔色が何よりも鮮明に語っていた。
じゃあ、私はお姉ちゃんに注意をするのか。お燐が困っているから止めてあげてと。
答えはノーだ。だって、お姉ちゃんは私の言うことを聞かないから。
別に嫌がらせでやっているわけじゃない。ただ不安なだけなのだ。そんな妖怪に対して不安がるなとは、なかなかに難しい注文である。それを分かっているからこそ、お燐も強く返せない。だから尚更ストレスが溜まる。
「お空は大丈夫なの?」
「お空もあたいほどじゃないですけど、かなり参っているみたいです。そっちの方はどうですか?」
「全然。せめてお姉ちゃんが元に戻ってくれれば、お燐達にも負担をかけずに済むんだけどね」
「期待してますよ。本当、一刻も早く解決するように」
お姉ちゃんは私にとって大切な人だ。何度同じ質問されても構わない。だけどこの幻想郷に生きる妖怪の全てが、私と同じわけではないのだ。お燐もお空も、こんな生活を続けていたら壊れてしまう。
だからといってお姉ちゃんが止めることはない。現に一回ほどそれとなく注意してみたのだが、心が読めないのなら言葉で確認しないと不安でしょうがない、と返された。
要は普通にやっていた読心が質問に変わっただけの話。ただ、それがお燐達の負担になっているだけで。
「はぁ……」
兎に角、なるべく早く解決しないと。お姉ちゃんもお燐も限界は近い。
再び本を抱え、執務室に急いだ。お姉ちゃんは相変わらず仕事をしているようだが、顔色はお燐に負けず劣らず悪い。どれだけ質問しようと、読心には敵わないのだ。胸に抱いている不安を完全に払拭することはできない。
むしろ不安は増していくばかり。最近は挙動も不審になってきた。ドアを閉める音だけでビクリと身体を震わせる。だけど私だと分かれば、途端に安堵の表情を見せるのだ。
信用されているのかな。そういえば目を閉じてからは訊かれた事がなかった。お姉ちゃんのことが好きかどうか。一度も。
幼い頃は頻繁に訊かれたものだ。私は喜んで何度も答えたものだけど、こういう状況で訊かないのはどういう心境の変化だろう。信頼しているのなら有り難く、とても嬉しい。
ある程度の年齢になってからは、ずっとお姉ちゃんが大好きだと言い続けてきた。行動でも示した。それがやっと結ばれたのかも知れない。頑張ろう。その信頼が絶望に変わらないよう、兎にも角にも書物を調べるのだ。
月が昇り、夜が濃くなる。深夜。
お姉ちゃんの指を一本ずつ離し、ようやく繋がっていた手が解けた。名残惜しいけど、こういう時間帯でなければ外出することもできない。起こさないよう細心の注意を払いながら、私はゆっくりとベッドから降りた。
不安だからと私のベッドに潜り込んできたお姉ちゃん。昔は立場が逆だったのに、まさかこんな事になるだなんて。もしかしたら、昔のお姉ちゃんもこうしてこっそり抜け出していたのかもしれない。
そう思うと自然に笑みが零れた。私もようやく、お姉ちゃんの立っていた場所まで辿り着けたのかな。それはとても誇らしいこと。お姉ちゃんは大好きな人であり、大切な人であり、同時に憧れの人だったのだから。
肩を並べられることが嬉しい。自慢したいぐらいだ。
「っと、いけない」
陶酔しかけていた意識を戻す。夜は私を待ってくれない。
早く戻ってこないと、万が一お姉ちゃんが起きた場合、不安がらせてしまう。
地霊殿を抜け出し、一路、旧地獄街道へと向かった。さすがに夜も遅い。開いている店は酒を振る舞うところばかり。しかしそこには用事がなかった。私が求めているのは情報だ。
目的の古書店を見つけ出す。当然、扉は固く閉ざされていた。
もっとも、こんな鍵やら錠は私にとって有って無いようなもの。色んな所に忍び込めるよう、解錠の技術も磨いていたのだ。ありがとう、黒い魔法使いさん。今度、事件が解決したらお礼に沢山の本を届けてあげよう。
カチャッと音がした。
泥棒は此処でも注意を怠らない。忍び込む所を見られたら一大事だからだ。だけど私には関係ない。無意識を操る能力があれば、誰にも見咎められることなく好きな所に侵入できるのだ。それこそ大妖怪か神様でもない限り。私を見つけることは難しい。
カビくさい室内を歩き回り、それらしい本を探し求める。夜目は利く方だけど、さすがにこうも暗いと背表紙を見るのも一苦労だ。しかし迂闊に明かりをつけたら、さすがの店主も気付くだろう。私の姿を消すことはできても、明かりの気配を消すことは出来ないのだから。
一冊ずつ確認し、棚から棚へと視線を移す。段々と目が疲れてきた。ああ、お姉ちゃん特製のブルーベリージャムが恋しい。あの甘さと粒々の食感が大好きなのだ。今は大変な時だから我が儘も言えないけど、誕生日には是非ともお願いしておこう。
そうだ、もうすぐ私の誕生日なのだ。もしもこのまま何も解決しなかったから、一体どうするつもりなんだろう。絶対にやってと駄々をこねるつもりはない。中止にするならするで構わないが、寂しいことに変わりはなかった。
楽しみにしてたんだけどなあ。
思わず愚痴もこぼれる。そんな私を見かねたのか、それとも運命からの誕生日プレゼントだったのか。飛び込むように視界の中に収まったのは『覚の系譜』という古くさい本。慌てて中身を確認すれば、そこには覚の一族に関する歴史が綴られていた。地霊殿にあったのは古明地家の記録が主で、覚全体に関する物はあまり無かった。
これは貴重な資料になるかもしれない。小脇に抱え、探索を続行しようとする。しかしさすがに時間も経ちすぎた。このまま朝を迎えるわけにもいかず、とりあえず私は地霊殿へ戻ることにしたのだ。
眠気も襲ってきたし。今日はこのぐらいにしよう。
持ち出した書物の重要性に、この時の私はまだ気付いていなかった。
呆れた顔を見せながら、閻魔様は視察が終わった後も何度か地霊殿に訪れていた。やっぱりあの人はあの人なりにお姉ちゃんが心配なのだろう。せめて、その行動の真意が一割でもお姉ちゃんに伝わっていれば何度も確認しなくて済むのに。
「あのあの、失礼ですけど四季様は私の事が嫌いになったりしてませんか?」
「……少なくとも嫌いじゃありません」
「そこは白黒はっきりすべきじゃありませんか? 好きなのか嫌いなのか、せめてそれだけでも教えてください」
白黒はっきりつける程度の能力の閻魔様。そう言われたらさすがにお茶を濁すことも出来ず、頬を染めながらぶっきらぼうに答えた。
「白か黒で言うならば、好きです」
以前のお姉ちゃんなら、ここでホッと胸を撫で下ろす。だけど今のお姉ちゃんは疑心暗鬼の塊だった。日を追う事に不安という症状は悪化し、ただ好きというだけでは信用できないほど追いつめられていた。
どこか虚ろな瞳は閻魔様すら見ていない。
「好きだと言うのなら、どうして毎日会いにきてくれないのですか? 本当に四季様は私の事が好きなんでしょうか? 実は顔も見たくないほど嫌いなのでは?」
「何を根拠に言っているのかは知りませんが、嫌いならこうして会ったりしません。曲解が過ぎますよ、古明地さとり」
「す、すいません! ですからどうか、嫌いにはならないでください」
責めるような目つきから一転、今度は縋るように閻魔様を見つめる。急な態度の変化に眉を顰めつつ、閻魔様はこめかみを揉みほぐした。お姉ちゃんの情緒不安定は確実に進行している。何度も訪れている閻魔様のこと。それを見抜いていないはずもない。
ここで閻魔様がクビだと言えば、その瞬間から私達は地霊殿に住めなくなるのだ。本当だったらそちらの方を心配しなくてはいけないのに、お姉ちゃんは相変わらず好きか嫌いかしか見ていない。
閻魔様が立ち去ろうとすると、捨てられたペットのように悲しそうな目で背中を追っていた。近頃は誰に対してもあんな感じだ。私達を嫌いだと公言していた奴にまで縋ろうとするものだから、気味悪がって段々と地霊殿に近寄る妖怪が減っている。まぁ、それはそれで良いのだが。
去り際に、閻魔様がこちらに手招きをした。お姉ちゃんの様子を窺いながら、私も追いかけるように部屋を出る。外では閻魔様が腕組みをして私を待っていた。
「悪化していますね」
開口一番の台詞から反論できない。閻魔様よりも身近にいる私は肌で感じ取っていた。お姉ちゃんが段々と良くない方向へ落ちていることに。
「期限は一ヶ月後に定めましたが、それ以前に問題有りと判断したら即刻当主の座を降りて貰います。残念ながらその宣告をするのも時間の問題だと私は思いますが」
何もしてこなかったわけではない。第三の目さえ開ければ、お姉ちゃんはきっと元に戻ってくれるはずだ。だから必死になって、多少は犯罪的な手段も使って情報を集めようとした。
だが結果は。
「その様子だと戻す方法は見つかっていないようですね」
「……覚の中でも前例はあったらしいんだけど、ただ何故かその人達に関する情報が乏しくて」
「前例と言うと?」
「私もそうだけど、覚の中には急に目を閉じてしまう奴が極希に現れるらしいの。ただ、殆どの覚は原因も分からずに死んでいる」
閻魔様が言葉を呑んだ。私も驚いたのだ。
第三の目を閉じた覚は例外を除いて軒並みが命を落としている。それもかなりの短命ばかり。寿命では有り得ないのだから、病気か、事故か、あるいは殺されたのか。いずれにせよ殆どが若くして死んでいるのは間違いない。
「あなたを除いて、ですか」
私は自分がどれだけ特殊な存在なのか気付いていなかった。長い覚の歴史の中でも、幾つかもの分家がある系統図の中でも、第三の目を閉じて生き残っていたのは私だけだった。それが何を意味するのか。まったく分からないのが悔しい。
あの本を何を伝えているのか。頭の回転が鈍い私でも直ぐに気付いた。
このまま放っておいたら、お姉ちゃんは死んでしまう。
何が殺すのか、それは分からない。
ただ唯一の希望があるとすれば、私は生き残っているということ。だから希望はあるのだ。それさえ分かれば、お姉ちゃんだって生き残れるに違いない。
「なるほど。つまり地霊殿の当主たるか否かという以前に命の危険性があると。何とも物騒な話になってきました。進退問題ならいざ知らず、生命の危機となれば私としても出来る限りの協力は致しましょう」
「本当!?」
「ええ、閻魔は嘘を吐きません。ただクビにする時は容赦なく命じますが、構いませんね?」
一瞬だけ戸惑ったものの、命有っての物種だ。当主の座は取り戻すことが出来るけど、失った命は返ってこない。躊躇う必要なんてなかった。私は力強く頷いた。
「良いでしょう。とはいえ、私としても出来ることは限られています。せいぜい是非曲直庁に眠っている資料を漁るぐらいでしょうか。何か分かったらお知らせしますので、あなたの方も引き続き調査を進めてください」
「うん、分かった。ありがとう、閻魔様」
照れくさそうにそっぽを向き、何も言わず去っていった。さっきのお姉ちゃんへの対応といい、案外恥ずかしがり屋なのかもしれない。
部屋に戻ると、不安そうな顔でお姉ちゃんが尋ねてきた。
「何処へ行っていたのです?」
「ちょっとトイレ」
ただでさえ不安定なお姉ちゃん。このうえ命の危険が迫っていると教えたら、それこそパニックになりかねない。閻魔様への口止めを忘れていたけど、まさか伝えるような真似はしないはずだ。
今度会ったら注意しておこう。いらぬお節介で終わると良いんだけど。
「そうですか……」
書物に向き直るお姉ちゃん。だけど集中力は持続せず、しきりにこちらを見たり、扉を見たりと忙しい。
お姉ちゃんを守りつつ、危険の正体を暴き、解決して、第三の目も元に戻す。
言葉にすれば簡単だけど、本当に出来るのかどうか。
私も不安になってきた。
仕事中、お姉ちゃんが席を立つ回数が増えてきた。最初は日に一度だったのが、今では三十分に一度の割合。閻魔様でなくとも、このままでは業務に支障を来すと判断するだろう。
それで何処に行くのかと思えば、お燐やお空達の所だった。要するに不安が高まり、あの人は私をどう思っているのだろうか気になる。そんな疑問が極限まで達すると、いてもたってもいられなくなり、確かめる為に会いに行く。
最早、顔を合わせた時に質問するだけでは不安の解消が追いつけない。時には旧地獄街道まで出張る事もあり、一時は三途の川を渡ろうとした時もあった。怠惰な死神も冷や汗を掻くほどなのだから、地霊殿におけるペット達の負担もますます酷いものになっている。
最近では殆どの動物がお姉ちゃんを見ると逃げ出すようになっていた。数も減っているように思える。それでショックを受けるのならまだしも、嫌われたと分かったからなのか逃げた子達を追いかけようとしなかった。逆にまだ居る子達へ質問の量が増えるのだ。それも鬼気迫った表情で。
逃げれば咎められず、居れば苦痛に苛まれる。単純なペット達がどちらの選択肢を選ぶのか、馬鹿な妖精にだって分かるだろう。唯一、それが分かっていないのはお姉ちゃんだけ。問えば問うほど答えは傾いていくのに、それでもお姉ちゃんは質問を止めなかった。
私を嫌っているのですか、って。
「いい加減にしてください!」
執務室に響き渡るのは、お燐の怒声。本から顔をあげてみれば、顔を真っ赤にしたお燐が真っ青なお姉ちゃんを息も荒く睨み付けている。机の上に積み重ねられていた書類は零れ、床に紙の海を作っていた。
お姉ちゃんは震える手でそれを拾おうとするのだが、怯えているせいか、上手く掴めていない。まるで箸で砂を掴むように、ポロポロと手のひらから零れては落ちていく。
お燐はそんなお姉ちゃんに構うことなく、怒りの矛先を容赦なく向けた。
「うんざりなんですよ、何度も何度も同じ質問を! 散々言ってるじゃないですか、さとり様の事は大好きだって! どうして信じてくれないんですか!」
「だ、だけど……」
「それとも何ですか! さとり様はあたい達に嫌って欲しいんですか!?」
「そんな事はないわ!」
「だったらいちいち訊かないでください! あたい達は何度も言いましたよね、大好きだって。それじゃ駄目なんですか? どうしたらさとり様は分かってくれるんですか?」
答えは有る。ただ今は不可能だ。
お姉ちゃんにとっての真実とは、第三の目で見たもの以外に無いのだから。ただの言葉では満足しない。だけど普通の世界では、それこそが当たり前なのだ。完全に相手の心を知ることは出来ず、言葉や態度で察するしかない。誰もが不安定な中で生きている。
お姉ちゃんは、それに馴染めないだけ。
完璧な世界で生きていたから。不安定な秤に耐えられないのだ。
「そもそも、さとり様はどうなんですか? あたい達の事が本当に好きなんですか?」
「も、勿論よ。あなた達は大切な家族みたいなものですから。当然、大切に思っています」
微笑もうとしたのか、ぎこちない表情が顔に張り付いていた。
お燐は髪の毛を掻きむしり、苛立たしげに答える。
「じゃあ、どうして逃げ出した家族を放っているんですか! どうして残った家族に負担をかけるようなことばかりするんですか! はっきり言って、さとり様の言葉こそが信じられない!」
引きつったように、それでも笑おうとするお姉ちゃん。
私達は覚の一族。だから嫌われることにも慣れている。ただ、お燐ほどの近しい者に嫌われた記憶なんて一度も無かった。
止めようとした。だけど手も言葉も出てこない。
何て言うのだ。追いつめられたお姉ちゃんに、追いつめられたお燐達に。悪いのはお姉ちゃんかもしれない。だけど、お姉ちゃんも好きでこんな事をしているのではないのだ。それはお燐も分かっているのだろう。
だが理解しても限界は限界に過ぎない。それでも我慢して残ってくれなど、言えるはずがなかった。
「鬱陶しいし邪魔なんです! あなたの言葉がどれだけあたい達を苦しめているのか、考えた事がありますか! お空も苦しんでる! だけど、あなたの事が大好きだから文句も言えないって泣いてるんですよ!」
お姉ちゃんの口から漏れるのは、言葉にならない言葉ばかり。震えは大きくなり、目も挙動不審に泳いでいる。
怒らせていた肩を下ろし、一転して静かな口調でお燐は呟いた。
「もう、限界なんです」
泣いてさえいるようだった。悔しがっているようにも見えた。
「行くの?」
お燐達がどうしたいのか。私には既に道が見えていた。
申し訳なさそうな顔で、お燐は頷く。
「さとり様が元に戻るまでの間、地霊殿をよろしくお願いします」
丁寧に頭を下げられた。そんなことを、される資格もないのに。
お姉ちゃんの事ばかりに頭が向いて、お燐達に何もしてあげられなかった。たったの一度だけ断られたから、きっと何を言っても無駄だろうと諦めて。もしかしたら、ちょっとぐらいは彼女達の苦痛を和らげてあげることが出来たかもしれない。せめてストレスを軽減する事ぐらい出来たかもしれない。
だけどそれは後の祭り。ただの後悔。現実では既に終わろうとしている。
私は何も言わず、お燐の背中を見送った。
「さようなら、さとり様」
「お燐!」
必死の形相で呼び止めるお姉ちゃん。
「最後にもう一度だけ訊かせてください。私の事が嫌いになったのですか?」
これだけの事をされても、あれだけの言葉を吐かれても、それでも信じることが出来ないなんて。どれだけ第三の目に頼っていたのか、そしてどれだけ妄信していたのか。
言葉や態度なんて、お姉ちゃんからしてみれば信じるに足らないものなんだろう。だけど能力が使えないから、何度も何度も繰り返す。どれだけ明白だろうと、どれだけ露骨だろうと。目を閉じたお姉ちゃんには何も伝わらないのだから。
お燐は振り向かず、
「今のさとり様は大嫌いです」
そう言い残し、部屋を出て行った。
残されたのは私とお姉ちゃんだけ。此処で泣いてくれたら、せめてもの救いになるのに。お燐の言葉が伝わったのだと、少しぐらいは慰めになるのに。お姉ちゃんは不安そうな顔で閉められた扉を見つめるばかり。
何も届いていなかった。
嫌いという言葉でさえ、今のお姉ちゃんには遙か遠い。
Ⅲ
セカイは世界に変わり、コイシは古明地こいしになり、アネをお姉ちゃんと呼ぶようになった。
私は地霊殿の一角に閉じこめられていた。私とお姉ちゃんの母親は違うらしく、そして私の母親は大した悪女だったらしい。覚の中ですら忌み嫌われており、私を残してこの世を去ったんだとか。
本来なら産まれてすぐに殺されてもおかしくないところを、とある閻魔様が助けてくれたんだそうな。だから命こそ助かったものの、両親はそれでは満足しなかったみたい。私を地下の牢屋に閉じこめて、何もしないようずっと見張っていた。
それを知ったお姉ちゃんは両親を倒し、私を解放してくれたのだ。お姉ちゃんも両親を嫌っていたらしく倒すのに躊躇はしていなかった。それほどにお姉ちゃんは優秀で、私も完全に心を読むことは出来なかった。
そうそう、心を読むのが私達の種族にしか出来ないと知ったのも外に出てからだった。
「だから他の種族と会う時には気を付けなさい。私達は恐れられているから、迂闊な事をしたら殴られたり場合によっては殺されることもあるのよ」
お姉ちゃんは真剣な顔でそう言った。だが私には実感がなかった。なにせ長い間を地下の牢屋で過ごしていたのだ。接していたのも同じ覚である両親だけ。外に出るようになってから私が迫害されるまで、そう長い時間は要さなかった。
同じ子供の妖怪からは石を投げられ、時には大人の妖怪から蹴飛ばされたり殴られたりすることもあった。私個人が気に入らなかったというよりも、彼らは覚そのものが嫌いだったみたい。いや正しくは怖かったのだ。だから遠くに行ってくれるよう、あるいは居なくなってくれるように私達を迫害している。
それを素直に伝えるものだから、また私への風当たりが強くなった。
世界は広く、カタカナだけではなかったけど、地下の部屋よりも残酷だったのだ。
「お姉ちゃんはどうして平気なの?」
私と同じぐらい嫌われているのに気にした風もないお姉ちゃん。私はそれが不思議で不思議で言葉にしてしまうぐらい不思議だった。だからお姉ちゃんも笑って、言葉で返してくれたのだ。
「私達を恐れる者から好かれようとは思わない。この力を知ってなお笑ってくれるもの。あるいはこいしのように同じ能力を持っている者。そういった人達が側にいてくれるのなら、別にそれ以外の全員から嫌われても私は平気よ」
「閻魔様とか?」
お姉ちゃんが頻繁に会っている閻魔様がいる。彼女が私を助けくれた閻魔なのかどうか、それは全く分からない。ただお姉ちゃんが彼女に惹かれているのは事実だった。
「まぁ、確かにあの人は凄いかもしれないわね」
この後、お姉ちゃんは閻魔様を真似るように口調が敬語になっていくのだがそれは別の話。
「それにね、こいし。この世にはもっと恐ろしいことがあるの」
「恐ろしいこと?」
驚かすように顔を近づけてくる。思わず後ずさりしてしまった私を見て、お姉ちゃんは嗜虐的な笑顔を浮かべるのだった。
「それは心が読めないこと。私達は灯りのようなものだから、暗闇の世界を極端に恐れるのよ。だから神様は苦手。連中の中には心を読ませない奴らもいるからね」
アネがお姉ちゃんに変わり、憎悪も次第に薄れていった。お姉ちゃんは私が思っていたほど悪い奴じゃなかったし、両親から私を救ってくれたし、私が酷い目にあったら仕返しをしてくれるほど優しかった。
だからお姉ちゃんのようになりたかった。お姉ちゃんが大好きだった。
ただ、暗闇が怖いという気持ちだけは結局理解することが出来なかった。
あの部屋に長くいたせいか、それとも覚として不完全だったのか。
「まぁ、こいしにはまだまだ理解できないかしら」
小馬鹿にするような言い方をされて、私は頬を膨らませる。
お姉ちゃんが怖がりなのだ。だから暗闇を極端を恐れている。私はそんなことない。暗闇なんて怖くない。
「へえ、随分と強気ねえ。だったら、今日の晩ご飯はこいしの嫌い物尽くしにしようかしら。恐がりな私は好きな物ばっかり食べるけど、こいしは強いものねえ。嫌い物ばっかりでも平気よね?」
「うう……お姉ちゃんの意地悪!」
「ふふふ」
だけど、私の言葉は正しかった。
私は暗闇が平気で、
お姉ちゃんは恐がりだったのだ。
地霊殿の大きさは変わらない。だけど最近になって広くなったように思えるのは、きっとペット達が全て居なくなってしまったからだろう。妖精や妖獣の類が姿を消した地霊殿には影も音もなく、私達姉妹だけが変わらずに暮らしている。
時刻は昼を過ぎたところ。本当なら今頃は本を読んでいるはずなのだが、私は地霊殿の中を駆け回っていた。かつては楽しみながら踏んでいた絨毯の絵画も、今となってはただの模様でしかない。
弾む足取りは程遠く、余裕の欠片も見られなかった。
「お姉ちゃん! お姉ちゃん!」
執務室にお姉ちゃんの姿はなかった。玄関の鍵は閉まっている。中庭への扉も閉まっていた。だから地霊殿の中に居るはずなのに、まったく姿を見せないのはどういうことか。お燐達が居なくなって尚更私にベッタリだったのに、まさか急に居なくなるなんて。
心のどこかで油断していたとしか思えない。お姉ちゃんは私を信用してくれている。だから大丈夫だと。
何が大丈夫なものか。滑稽だ。
自分の慢心に腹が立つ。あんな精神状態のお姉ちゃんを放っておいたら、何をするのか分かったものではない。頭の中には最悪の可能性が過ぎるけれど、それは杞憂だと頭を振った。
一つずつ部屋を開いてはお姉ちゃんがいないか確かめる。こうしている時間ですら勿体ない。
だけど地道に探すしかなかった。呼びかけるしかないのだ。
廊下の向こう側にはお風呂場へ続く扉が見える。あそこまでまだまだ開いていない扉が残っている。本当に地霊殿という所は無駄に部屋数が多いのだ。こういう形で怨むことになろうとは、さすがの私も予想していなかった。
次の部屋のドアノブに手をかけ、ふとお風呂場の方を見る。目を凝らせば、扉が少しだけ開いているではないか。この地霊殿に残っているのは私とお姉ちゃんだけ。そして私はお風呂になんか入っていない。
すぐさま駆け出した。脱衣場を抜け、入浴場へと飛び込む。湯船には湯が張られておらず、代わりにシャワーが床のタイルをお湯で満たしていた。透明な液体に混じり排水溝へと流れていくのは、お姉ちゃんの第三の目とそっくりな赤色。
シャワーを全身に浴びながら、壁にもたれかかり、ぐったりと項垂れるお姉ちゃんの姿があった。
「っ!」
悲痛な叫びは声にならず、どうしていいのか戸惑ってしまう。お姉ちゃんの右手には赤い液体のこびりついたカミソリ。そして左の手首からはダクダクと血液が流れ出していた。反射的に止めようとするけど、それは正しい治療法なのか。
こういう時は最初の治療で生死が決まるとお医者さんは言っていた。そうだ、お医者さんを呼んでこよう。竹林のお医者さんならこの傷だって簡単に治してくれるはずだ。いや、それは難しい。ここから竹林までは距離がありすぎる。そうしている間にもお姉ちゃんの手首からは血が流れ、ああ本当に死んでしまう。このままではお姉ちゃんが死んでしまう。
どうしよう。どうすればいいんだろう。
兎に角、血を止めなければならない。覚は人間とあまり変わらない。血を流しすぎれば出血多量で死んでしまう。脱衣場にあったタオルを持ち出し、腕を縛ろうと手首を持ち上げた。
そして私は初めて、お姉ちゃんの傷を間近で見たのだ。
確かに出血はしている。しかし動揺する程の量ではなかった。シャワーのお湯に混じっていたから、あるいは焦っていたからなのか。実際よりも多く流れているように錯覚してしまったけど、よくよく見ればそれほど酷い傷でもない。
跡は残るだろうけど、生死に関わる程ではなさそうだ。
身体から力が抜けていく。いや、ここでまた油断してはいけない。カミソリを取り上げ、とりあえず腕を縛った。お姉ちゃんを後ろから引きずって、ようやく脱衣場まで運んでくる。
私もお姉ちゃんも身体中がびしょ濡れだった。せめてお湯だったから良かったものの、これが水なら風邪をひいていたかもしれない。あるいは、もうすぐひくのか。お湯は冷めて水となり、途端に寒気が襲ってきたのだ。
着替えないと。だけどお姉ちゃんは無気力そのもの。抱き起こそうとしても反応はせず、ただ虚空を見つめるばかり。
お燐に嫌われたショックとは思えない。
おそらく、不安が極限に達したのだろう。尋ねたくても誰もいない。尋ねていっても逃げられる。それは嫌われている証なのに、言葉じゃ信じられなくて、お姉ちゃんは不安の迷路に迷い込んでいた。
抜け出す方法は二つだけ。第三の目を開くか、それともお姉ちゃん自身が命を落とすか。
前者は無理だと思い、後者を選んだ。お姉ちゃんが臆病で良かった。もしも思い切りが良かったら、今頃は手首より先が無くなっていた可能性もある。そうなったら、私ではどうすることもできない。死のうとする妖怪を止める術なんて私には、……あるはずもなかった。
「っしょっと」
服を脱がし、身体を拭く。髪の毛の手入れは後でもいいだろう。備え付けの医療セットから包帯を取り出し、手首に巻き付けた。これで良いんだろうか。よく分からない。ちゃんとお医者さんに診てもらうべきなんだろうけど、果たしてこの状態のお姉ちゃんを外に出していいものか。いや、そもそも人と会わせていいものか。
相手もお姉ちゃんも不快になるだけだろう。幸いにも命に別状はないし、しばらく治るまで待つことにしようか。
「こいし……」
掠れるような声。それがお姉ちゃんのものだと分かるのに時間を要するほど、それはかつての透き通るようなものとは似ても似つかなかった。
「何?」
優しい声色で小首を傾げる。お姉ちゃんは黙ったままだ。
だが強引に聞こうとしてはいけない。こういうものは相手の言葉を待たなければ。下手をすれば一生口をきいてくれなくなる。
私は待ち続けた。
待ち続けて、待ち続けて、数時間後にお姉ちゃんは顔を逸らした。
「何でもないわ」
「うん。じゃあ言いたくなったらまた教えてね。私はいつでもちゃんと聞くから」
返事は無かった。再びお姉ちゃんは虚空を見つめ、また喋らなくなった。
まるで彫刻のように。だけど芸術的な美しさはない。
そこにあるのは悲しさだけ。かつての美しさを失った、哀れで悲しい覚の彫刻。お姉ちゃんを見捨てることは出来ない。だけど早く元に戻って欲しかった。お燐じゃないけれど、私も今のお姉ちゃんは……
頬を叩く。お姉ちゃんはお姉ちゃんだ。
私を助けてくれたお姉ちゃん。外の世界から手を伸ばしてくれたお姉ちゃん。優しくて頼りになるお姉ちゃんの為になろうと、あの時に私は誓ったのだ。その誓いはまだ破られることもなく、永遠のものだと信じている。
変な事を考えては駄目だ。私もネガティブになったらお終いなのだから。
気をしっかり保とう。
その決意とは裏腹に、どこかで何かへヒビの入った音が聞こえた。
玄関の鍵を頑丈なものに変えた。中庭に続く扉の鍵も同じ物だ。正直、私でも解錠するのは難しい。そしてお空の攻撃にも耐えられるほどの特製だ。
これがどこに使われていた鍵なのか。思い出せば噛みしめた唇から血が垂れる。
仕方ないのだ。今の地霊殿にこれよりも頑丈な鍵はない。だから例えこれが私を閉じこめていた鍵だとしても使うしかなかった。しかもその目的がお姉ちゃんを閉じこめる事だと言うのだから、あの頃の幼い私が知ったらどんな顔で今の私を見つめることやら。想像するだけで恐ろしい。
何度も何度も確かめて、鍵がしっかりと掛かっている事を確認する。本当なら窓にも同じ鍵をしたいのだが、そんな特殊な鍵が幾つもあるはずなかった。そちらは私の方で警戒するとしよう。お姉ちゃんは非力だ。そう簡単に窓を破れるとも思えないし、割ったら割ったで私も気付く。
思わず自分を殴りたい衝動に駆られた。なんだこれは。まるで私の両親ではないか。執拗に鍵を確かめ、どうやったら逃げ出さないか考え、徹底的に閉じこめようとする。かつて両親が私にやったこと。それを助けてくれたお姉ちゃんにしようとしている。
皮肉などという言葉で済まされない。これはもう裏切り行為とも言って良い。
だが何と言われようと、どれだけ罪の意識に苛まれようと、私は止めるつもりなんてなかった。
お姉ちゃんを外に出してはいけない。
「――ぅ! ――っ!」
何処かで誰かが暴れている。考えるまでもない。
私は慌てて走り出した。音は執務室の中から聞こえてくる。
扉を開いた途端、書類の紙吹雪が廊下まで飛んできた。
「お燐とお空はどこ! 確かめないといけない。あの子達が私をどう思っているのか!」
「お燐もお空も出て行ったじゃない」
「どうして出て行ったの!? 私を嫌いなのかしら、ううんでも本当のところは分からない。ああ、やっぱり確かめないと。彼女たちの気持ちが分からない。こんなに知りたいのに、どうして二人は出て行ってしまったのよ!」
放り投げられたインクの瓶が書類棚のガラスを突き破った。床に散らばるガラスの破片を綺麗だと言う人もいるのだろう。壊れたガラスを見つめていたお姉ちゃんは、いきなり椅子を掴んだ。
私が咄嗟に止めなかったら、今頃は廊下の窓ガラスを叩き割っていたはず。必死で抵抗しながら、お姉ちゃんは唾をまき散らしながら吠える。
「離しなさいこいし! どうして邪魔をするの!」
「何度訊いても無駄だよ! だからお燐達は出て行ったの!」
「あなたは私の事が好きなんでしょ! だったら黙って言うことをきいてよ!」
「お姉ちゃんは大好きだよ! でもだからこそ、これ以上嫌われて欲しくないの!」
ピタリと、まるで先程の暴れっぷりが嘘のように、お姉ちゃんは動かなくなった。
一瞬だけ力を緩めようとしたけど、これもフェイントかもしれない。拘束を解かない私に対し、顔を背けたままお姉ちゃんは話す。
「嫌われることなんて怖くないわ。あなたも知っているでしょ。覚とは嫌われ者の種族。だけど本当に恐ろしいのは嫌われているのかどうか分からないこと。私には分からない。お燐達が本当に私を嫌っているのかどうか」
「言ってたじゃない。今のお姉ちゃんは、その、嫌いだって」
窓ガラスが揺れるほど、大きな声でお姉ちゃんは笑った。
「馬鹿じゃない。こいしだって昔は心を読めたでしょ。だったら知ってるはず。人間や妖怪という生き物がどれほど嘘を吐いているのか」
笑顔で接しながらも心の中で蛇蝎のように私を嫌っていた奴もいる。逆に露骨な嫌悪感を示しながらも実は私の事を気遣っていた奴もいる。本当に、言葉や表情や態度というものは当てにならない。
だからこそ覚は嫌われるのだ。誰もが隠しているものを暴くから。
「だったら、せめて能力が戻るまでは信じてあげようよ」
「じゃあ私の能力はいつ戻るの? 明日? 来月? それとも来年?」
「それは……」
調査に進展はなかった。むしろ止まっているとも言える。最近は本を読むよりもお姉ちゃんを見張る時間の方が長く、命の危機に関しても全く分かっていない。閻魔様からの音沙汰も無かった。お姉ちゃんを恐れて近づかないのか、それとも何も見つからないことが心苦しくて近寄らないのか。
いずれにせよ反論の言葉はない。黙りこくる私を振り払い、お姉ちゃんは憎悪の視線を私に向けた。
「気休めは言わないでよ。私の能力なんだから、誰よりも私が一番分かっている。これはそう簡単に治るものではない。あるいは一生治らないかもしれない。だからこそ今の内に知っておきたいのよ。みんなの本当の気持ちを」
「だけど言葉は信用できない。じゃあ、お姉ちゃんはどうしたいの? どうすれば他人の気持ちを信じることが出来るの?」
拳を握り、肩を震わせた。お姉ちゃんだって分かっているはず。自分の言っている事がおかしいんだって。
これでせめて冷静になってくれればと思っていたのに、事態は思わぬ方向へ動き出す。
不意に、お姉ちゃんの表情が明るくなったのだ。
「簡単な話よ、こいし」
穏やかな笑顔ではない。温かい笑顔でもない。それはとても歪な笑顔。どこかネジが外れているように見る者を不安にする。
「私達はかつて何を読んでいたのかしら?」
「……心だね」
「ええ、その通り。だからこれはとても単純な話」
お姉ちゃんはゆっくりと腕を動かして、自分の胸を指さした。
口は三日月のように開き、血走った眼球はせわしなく揺れている。
私はようやく気付いてしまった。
「胸を開いて、心臓を見ればいいのよ」
お姉ちゃんはとっくの昔に壊れてしまっていたのだと。さも名案を思いついたという風に喜ぶ姿を見て、私は確信したのだった。
戦慄すら覚える。両親を倒したと言った時も、私を虐めていた奴らをやっつけた時も、こんなにも恐怖を覚えた事なんてなかった。その言葉の裏でお姉ちゃんが何をしていたのか。知っていたのに恐れなかった。
だけど今は違う。お姉ちゃんが怖い。心の底から怖い。
出来ることなら逃げ出したかった。目の前にいるのはお姉ちゃんの皮を被った別の生命体なのではないか。そんな風にすら思えてくるぐらいに、私は恐怖で顔を引きつらせていた。
「大丈夫、妖怪ですもの。そう簡単に死にはしないわ。万が一死んだとしても、それは仕方ないの事故よ。だって私は知りたいんですもの。お燐達だって喜んでくれるわよね。ああ、でも嫌われていたら許してくれないかしら。まぁ、それはそれで構わないわ。ねえ、素敵なアイデアだと思わないこいし。そうでしょこいし。どうしたのこいし」
もう崖から落ちている。後はただ地上目がけて落下していくだけ。
重力に引かれ、ただ落ちていくだけのお姉ちゃん。
分かっている。もう手遅れなのだと。
だけどそれでも、恐怖を覚えていても尚、私は手を伸ばそうとしていた。かつてお姉ちゃんがそうしたように、暗闇の中に届くよう祈りながら。
歯を噛みしめる。痛いだろう。激痛が走るだろう。あるいは死んでしまうかもしれない。
それでもお姉ちゃんを止める為ならば。目を覚ましてくれるのならば。
喜んで、この身を捧げる覚悟があった。
「お姉ちゃん」
「なにかしらこいし」
躊躇いもなく、私は自分の胸を切り開いた。鋭利な爪は肉を抉り、筋を千切り、骨を切り裂いた。剥き出しになった臓器が蠢き、中でも一番活発な臓器は、お姉ちゃんの目にも届いていることだろう。
「見える? 私の心臓」
意識が遠のいた。一文字喋るだけで身体中を針に刺されたような激痛が襲う。
呆気にとられた表情のお姉ちゃん。
見たかったものが見られた妖怪の反応ではない。
「どう、かな、私の心、読めた?」
思わずふらつく。だけどまだ倒れてはいけない。
お姉ちゃんは何も言わない。黙ったまま私を見つめている。
足下が温かくなっていく。限界は近い。
「読めない、でしょ。当たり前、だよ。心臓を、見ても、心は、読め――」
「駄目!」
ああ、ようやく気付いてくれたのかと。違うことが分かったのかと。
喜び、倒れていく私を、戸惑ったような表情でお姉ちゃんが見下ろしていた。
「違うの駄目よ。あなたの気持ちなんて知りたくない。止めてよあなたは心が読めない存在のままでいてよ。そうじゃないとこいしにまで嫌われたら私はどうすればいいのよ!」
ああ、なんだ。気付いたわけではないのか。
だけど、お姉ちゃんも嫌われるのが怖かったんだ。やっぱり言葉では本心が分からない。それほど大丈夫だと言っていたのに嫌われたくない奴がいた。
私と同じだ。
所詮は一人の妖怪。所詮はただの妖怪。誰からも嫌われて平気なわけがない。
ただ、好かれたかった人が少なかっただけで。
「やめて! 私を置いていかないで! 一人にしないで!」
泣きながら叫ぶ。
きっと私だから、こんなにも泣いてくれているんだろう。
それは感情の表れ。好意の証。
ありがとう、お姉ちゃん。やっぱり、大好きだよ。
そういえば、お姉ちゃんが泣いている姿を見たのはこれで二回目だ。
臆病だけど泣き虫じゃない。どんな罵声を吐かれても、殴られても、軽蔑されても絶対に涙を見せなかった。だから悪意を持った連中の中には、お姉ちゃんの涙腺は枯れていて、本当に血も涙も無いんだろうと馬鹿馬鹿しい噂を流している奴もいた。
そんな事ないのにと、呟けるのは私ぐらいか。だってお姉ちゃんが涙を流した時、そこにいたのは私だけだったのだから。今回も。昔のも。
私は、不意に目を覚ました。
凝った洋風の天井ではなく、飛び込んできたのは竿縁の天井。地霊殿ではない。和室など何処にもなかった。洋風の部屋しかないはずなのに。
起きあがって目を丸くする。私が横になっていたのは見覚えのない純和風の床の間。布団の感触は目新しく面白いのだが、それよりも気になる者が側で本を読んでいた。名前を呼ぶよりも早く、彼女は何気なく顔を上げる。
「さすがは妖怪ね。傷の治りも早い」
「そっちも妖怪じゃん」
苦笑を返される。どういう意味だろう。
胸の辺りに変な感触がしたので下を見てみれば、腰から上が包帯でグルグル巻きにされていた。だが素人のように歪ではなく丁寧な仕事がしてある。まさか彼女がしたわけでもなかろうに、とすると可能性は一つだけか。
「ねえ、パルスィ」
「何かしら?」
「此処は永遠亭?」
半ば確信した疑問に対し、パルスィは眉を吊り上げた。
「まさか何も覚えていないのかしらね。あなたが言ったんじゃない。永遠亭まで連れて行ってって。大怪我をしていたから、てっきり傷の治療をして欲しいんだと思っていたけど。なるほど、無意識状態だったわけね」
無意識状態の自分が何をしようとしているのか。それは私自身にも分からないことだった。
時折そういう瞬間があるものの、普段はコントロールしているから滅多に予期せずして無意識に陥ることはないのに。やはり血液を失いすぎたせいか、それとも怪我があまりにも酷すぎたのか。いずれにせよ身体の方から求めていたのだろう。早く治療して欲しいと。
なにせ胸を自分を切り開いたのだ。妖怪でなかったら――
「お姉ちゃんは!?」
何を悠長な事を考えていたのだ。暢気に布団で寝ている場合ではなかった。
咄嗟に起きあがろうとして目眩にやられた。思わずたたらを踏み、危うく倒れそうになったのを何とか堪えた。
「あなたが倒れてからまだ一日しか経っていない。その間、私はずっと此処にいたわ。さとりがどうなっているかなんて分かるわけないでしょ」
つまり、お姉ちゃんは、あの広い地霊殿に一人きり。
枕元に置いてあった帽子を拾い上げ、ふらつく身体で歩みを進める。
「医者からは絶対安静と言われているんだけど」
私に嫌われたくないと言った。一人になりたくないと言った。
あの言葉が嘘であるはずはない。
だったら、私の居場所は永遠亭では無かった。
「お姉ちゃんは私が死んだと思っているかもしれない。不安にさせたままにしたくないの。だから帰るわ」
自暴自棄になったお姉ちゃんが何をするのか。大凡の見当はついている。
あの時は私が止めたけれど、今はもう誰もいない。臆病なお姉ちゃんだって、切っ掛けさせあれば簡単に自分の命を絶てるのだ。そんな馬鹿な真似、絶対に見過ごすわけにはいかなかった。
早く帰らないと。焦る気持ちに対し、身体はなかなか言うことを聞いてくれない。
カタツムリのようにのろまな足取りが、今はただ恨めしい。
「さとりはそこまで追いつめられているのかしら?」
「死のうとしたり、心臓を見れば心が読めるとか言い出した。追いつめられてる何よりの証拠だよ」
壁に手をつき、リハビリのように歩く。
背後から小馬鹿にしたような笑い声が聞こえてこなければ、もう少しで手は襖に伸びていただろうに。私は振り返ってしまった。
「何がおかしいの?」
閉じた本は脇に置かれ、パルスィの双眸がこちらを向いた。
「さとりはまだ追いつめられていない。壊れてもいないし、当然狂ってもいない」
「……パルスィはお姉ちゃんと会ってないからそんな事が言えるんだよ。私はずっと一緒に暮らしていた。その私が断言できる。お姉ちゃんは心が読めない不安によって、今にも消え去りそうなほど追いつめられている」
「確かにさとりは逃げることで自分を防衛している。壁際まで追いつめられたら猫を噛まずに舌を噛むでしょうね。だけど、まだその段階にはない」
ずっと離れた所に居たくせに、まるでお姉ちゃんを理解しているような口ぶり。気に入らなかった。
だけど、いつまでもパルスィと口論している暇もない。それこそ、この一秒の間にお姉ちゃんは自分の命を刈り取ろうとしているかもしれない。いまだに余裕ぶったパルスィを背中に、私は永遠亭の廊下を歩いていった。
お医者さんに見つかりはしたけど、徐々に治りつつある身体を見せて何とか帰ることの許可は貰えた。治療さえされていれば、後は放っておいても勝手に治る。ただ安静にしていれば治り方も早いというだけで、多少の無理をしても妖怪の身体ならば大丈夫だ。
ただ心の病は妖怪だろうと人間だろうと簡単に治りはしない。
今ならば分かる。第三の目を閉じた妖怪が、どうしてあんなにも死んでいったのか。
要するに、今のお姉ちゃんと一緒なのだ。不安で不安で不安すぎて、耐えられなくなったから命を絶つ。誰かが殺しにくるわけではない。勝手に自分で自分の命を奪い取っているだけの話。
そしてお姉ちゃんもその道に片足を踏み込んでいる。
だけど、まだ間に合うはず。私が戻りさえすれば。そして今度こそ自分が本当にお姉ちゃんを好きなのだとアピールすれば。あるいはお姉ちゃんの不安も解消されるのかもしれない。
依然として心が読めない不安はあるだろうけど、自分を好いてくれる人が一人でも側にいるということは支えになるだろうし。私はそうやってお姉ちゃんを支えるべきだったのだ。
「うぐっ」
高度が下がる。まだ本調子ではないのだ。飛ぶのだって一苦労。
だけど、ようやく地霊殿の姿が見えてきた。もうすぐだ。もうすぐお姉ちゃんと再会できる。
玄関の扉は開いていた。どうやら私は鍵を外して、此処から出て行ったらしい。
嫌な予感が頭を過ぎる。もしも、お姉ちゃんがこの扉から外に出て行ったとしたら。お燐達の所に行っていたとしたら。とても良い方向に話が転がるとは思えない。今は兎に角地霊殿の中を確認するしかなかった。
せめて中に居てくれますように。半ば祈りながら玄関を潜り、見慣れた背中を見つけてホッと胸を撫で下ろす。
スモックみたいな紺色の服。桜色のスカートに濃い紫色の髪の毛。そして身体にまとわりついた赤い紐は、紛れもなくお姉ちゃんのトレードマークだ。しかし髪の毛はしっかりと手入れがされており、服もどことなく綺麗になっている。
まさか誰かが来ているのか。お燐やお空が戻ってくるとは思えないし、パルスィはそういう事をしない。そもそも彼女はずっと永遠亭にいた。閻魔様辺りだろうか。
いや、考えるのは後にしよう。今はただ、お姉ちゃんに報告しないと。
どんな顔をするのだろう。驚くだろうか。喜ぶだろうか。
いずれにせよ、私は笑顔で返すだろう。
ただいま、と。
「お姉ちゃん!」
ふっと顔をあげ、お姉ちゃんがこちらを振り向いた。アメジストのような眼球が、私の姿を映し出している。だが無表情だ。その顔には何の感情も浮かび上がっていない。
私の死がショックになって感情を失ってしまったのかと、俄に不安が押し寄せるほど時間が過ぎてようやく。
お姉ちゃんは顔を綻ばせた。
「お帰りなさい、こいし」
…………あれ?
久しぶりに見たお姉ちゃんの笑顔。
懐かしい笑顔だ。
だけど、どこかおかしい。
「心配したのですよ。急に居なくなったから、どこに消えたのかと不安で不安で」
第三の目は閉じられている。だけどそんな事は気にした風もなく、お姉ちゃんは出迎えるように近づいていった。
「さあ、あなたの好きなシチューも用意してありますよ。一緒に食べましょう」
シチューは大好物だ。私もお姉ちゃんと一緒に食べたい。
だけど、ねえ、お姉ちゃん。
私はこっちだよ。
「お燐やお空もお腹を減らしてますよ。ほら、行きましょうこいし」
お姉ちゃんは壁に向かって、そう言った。
Ⅳ
私は目を閉じた。いや閉じてしまった。
第三の目は縫いつけられたように開かない。
お姉ちゃんは泣いていた。私を見て泣いていた。
こんなはずじゃなかった。
私はただ嫌われたくなかっただけなのに。
お姉ちゃんから嫌われたくなかっただけなのに。
どうしてこうなったのだろう。
第三の目は何も答えない。
現実から逃げる手段は自殺だけではないのだと、どうして私は気付かなかったのだろう。後悔しても始まらないし、そもそも気付いたところで何をしたら良かったのか。お姉ちゃんが本当に壊れようとしていた時、私は永遠亭の布団で眠っていたのだから。
いっそあのまま眠ってしまえば良かったのかも。そう思うぐらいに酷い光景だ。
「まったくもう、仕事の邪魔をしないでください。……仕方ないですねえ。ちょっとだけですよ。我が妹ながら、どうしてこうも甘えん坊になってしまったのか」
執務室の中。いつもの椅子に座り、見えない私と楽しそうに戯れるお姉ちゃん。迷惑そうに顔をしかめながらも、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
握りしめた拳が痛い。架空の自分へ嫉妬しているわけではなく、単に見ていられないだけ。
これが逃げ出した妖怪の末路なのか。お姉ちゃんは現実から抜け出し、空想の地霊殿を作りあげてしまった。そんなことをしても何の解決にもならないというのに。相変わらず第三の目は閉じているし、何よりも私は生きて此処にいた。
歓迎して欲しいとは思わない。喜んで欲しいとも思っていない。
ただ、私を見て欲しかった。現実に向き合って貰いたかった。
私達の世界は此処にあるのだ。頭の中ではない。
「なるほど。偶には中庭で食べるのも良いかもしれませんね。お燐やお空達も呼んで盛大にやりましょうか」
明るく振る舞えば振る舞うほど、私の心は暗く落ち込んでいく。
我慢できず、お姉ちゃんの前に回り込んで両肩をしっかりと掴んだ。力の加減はしていない。爪は肉に食い込んでいる。痛いはずだ。痛いと言って。
だけどお姉ちゃんは虚ろな瞳で、私の後ろ側を見るばかり。
「目を覚ましてよお姉ちゃん!」
お姉ちゃんの第三の目が閉じた時も、手首を切ってしまった時も、あるいは胸を切り開こうとしていた時も、こんな気持ちにはならなかった。これは嫉妬なのだろうか。私は空想の自分を妬ましく思っているのだろうか。
だから自分の方を振り向いて貰えるよう、こんな行動をしているのだとしたら。
「そんなに急かさなくても私は逃げませんよ」
なんと、無駄な努力だったのか。
お姉ちゃんは私の手をすり抜け、見えない私と一緒に部屋を出て行った。その足取りは軽く、つい先日まで情緒不安定だった妖怪とは思えない。外見も整っているし、どことなく血色も良かった。相手は空想の産物とはいえ、ちゃんと自分の食事はとっているらしい。
それもそうだ。あのお姉ちゃんはかつてのお姉ちゃん。まだ第三の目が閉じておらず、お燐やお空にも見放されず、私も死にかけていない頃のお姉ちゃんなのだ。身だしなみに気を遣っているのも当然だし、食事だって当たり前のようにする。
確かに私から見れば今のお姉ちゃんは見ていられない。あまりにも醜悪で、あまりにも悲しい。
だけどお姉ちゃん自身はどうなんだろう。全ての悩みから解放され、仮初めとはいえ幸せに暮らしている。あの調子だと自殺の危険性もないだろうし、当主の座は下ろされるかもしれないけど、そんなことは関係ない。現実がどうなろうと、お姉ちゃんが暮らしているのは空想の世界なのだから。変わらず当主のままでいるのだろう。
そう、少なくともお姉ちゃんは幸せだ。だったら、このままでも良いんじゃないか。
私は何処か余所の場所へ行って、お姉ちゃんは自分の世界で永遠に楽しく暮らす。
魅力的な提案だ。私さえ我慢すれば誰もが幸せになれる。
ああだけど、私は古明地こいしだから。自分の無意識に関しても把握してしまった。どうしてそんな誘惑に負けそうなのか。そんな幸せ、破綻するのは目に見えているのに。何故、どうして。
最早自分を言い繕うことも出来ない。
私も疲れていた。お姉ちゃんの相手をすることに。
お姉ちゃんが他人から嫌われていく場面を見てきた。大事な人からも疎まれ、それでも何も気付かなかったお姉ちゃんを眺めていた。あげくに周りから人がいなくなると自分の手首を切り、終いには心臓を見れば心が分かると意味不明な事を言い出した。
そして私は自分の胸を切り開いた。これでお姉ちゃんは分かってくれる。こんな事をしても無駄なのだと。心臓を見ても心は分からない。だけど私の気持ちぐらいは伝わってくれると嬉しい。私がお姉ちゃんをどれだけ大切に思っているのか。どれだけ好きなのか。せめて欠片でも伝わってくれれば。
その結果がこの有様である。お姉ちゃんは現実の私から目を背け、自分にとって都合の良い架空の妹を作り上げた。そして架空のペット達と架空の地霊殿で戯れている。私を此処へ置き去りにしたまま。
どうすれば良いというんだろう。能力を戻す方法も分からない。
何もかもが分からなくて、だから私も逃げだそうとした。目の前から現実から。お姉ちゃんが壊れてしまったという悲しい事実から。目を背けようとした。
笑うしかない。あれほど固く誓ったのに、私の信念とはこの程度のものだったのか。何があっても絶対にお姉ちゃんを守る、最後までお姉ちゃんを見守るのだと第三の目を閉じた日に誓った。あれは偽りだったのか。
心は変わる。簡単に移ろう。それは覚なら誰もが知っている真実。
私とて例外ではない。最初は嫌いだったお姉ちゃんが段々と好きになった。勿論、今だって好きだ。ただ、昔の私と同じぐらい好きなのかと訊かれたら返答に困る。だってあの頃の私なら、こんな場面でも迷わず何か行動しようとしていた。例え無駄に終わると分かっていても、諦めきれずに必死でお姉ちゃんの為に何かしようと努力していただろう。
それがどうだ。こうして部屋に取り残され、何をするでもなくボーッとしている。お姉ちゃんはもう居ない。空想の私達と一緒に中庭で昼食をとっている頃だろう。私は何もしていない。しようともしていない。
私が死にそうになった時、お姉ちゃんは泣いていた。だけどあれは一人になるのが嫌だから泣いていただけで、別に私が死にそうだからではない。だから空想とはいえ代わりの人間が見つかったのなら、むしろ私はお払い箱ではないのか。
私はお姉ちゃんが大好きだった。だけどお姉ちゃんは私をどう思っていたのか。
今となっては訊くこともできない。仮に何か答えたとしても、それは架空の私に対して向けられたものだし。そもそも今のお姉ちゃんに私の言葉は届かない。心が読めないからではなく、住む世界が違っているのだから。
何処か別の場所で暮らそう。地下は駄目だ。地霊殿が近すぎる。守矢神社でお世話になるか。はたまた竹林でお医者さんの手伝いをするか。いずれにせよ早めに出た方が良いだろう。いつまでも居たら未練が沸いてくるかもしれないし、何よりも楽しそうなお姉ちゃんを見ているのは辛かった。
大した私物もない。着の身着のままで出かけられるのは私の強みだった。
だけど最後ぐらいはお姉ちゃんに挨拶していこうか。本人に会うのは辛いだけだし、私は振り返って執務机に頭を下げた。いつもお姉ちゃんが使っていた机。年代物で古くさく、だけどとても気に入っていた机だ。
「じゃあね、お姉ちゃん。ありがとう、バイバイ」
そのまま何も起こらなかったら私は部屋を出ていた。何処に行ったのかは分からない。だって結局、私は地霊殿に留まることとなったのだから。
お姉ちゃんが暴れたせいか、棚に張られていたガラスは全て割れている。中の物が落ちてきても、受け止めることなど出来ない。だからそれはコロリと落ちて、ゆっくりと回りながら私の足下にぶつかってきた。
随分と可愛らしい熊のぬいぐるみだ。それに、どこかで見たような帽子を被っている。
手には小さなメッセージカード。
内容はシンプルだ。
『Happy Birthday to Koishi』
私とお揃いの帽子を被った熊は、獰猛な牙を剥き出しにしながら爪で威嚇している。随分と攻撃的なぬいぐるみだ。これで女の子が喜ぶのかどうかは知らないけど、少なくとも私なら大切そうに抱きしめて毎晩抱いて寝るだろう。
熊の外見も気に入ったし、何よりもお姉ちゃんからの誕生日プレゼントなのだ。
私は熊が転げてきた棚を漁った。机の引き出しを空けた。どうしても気になる事があったのだ。
どこかにそれを示すものがあるかもしれない。熊を抱えて部屋を探し回る。
そしてようやく、机の下からそれを見つけた。
一枚の領収書。ぬいぐるみを買った時のものだ。
日付はお燐達が出て行く前。あれだけ不安そうにしていたのに。それでも私の誕生日プレゼントだけは忘れていなかった。
堪えていたものが溢れだし、涙へと変わった。
もう絶対に迷わない。決して諦めたりしない。
まずは連れ戻そう。
楽しくも明るい幻想の世界から、辛くて残酷な現実の世界へ。お姉ちゃんが私の手をとってくれたように、今度は私が手をとる番なのだ。
だから待っていて、お姉ちゃん。
第三の目とは違い、こちらの方はまだ私の領域だ。簡単に治療できるわけではないけど、何も分からないよりもかはマシ。目の治療は後回しにして、今は兎に角お姉ちゃんをこちらの世界に引き戻そう。
無意識を操って強制的に戻すことも考えた。だけど覚相手にそれは危険すぎる。それにお姉ちゃんは情緒不安定だった。迂闊な事をすれば完全に壊れてしまい、ただ生きるだけの人形になりかねない。そんな真似はさせないし、するつもりも全く無い。だから能力は使えなかった。
地道な方法しかない。お姉ちゃんが私を認識していないのは、架空の世界に古明地こいしという存在がいるから。もしも現実の私を認めてしまったら、その時点で架空の世界が崩壊してしまう。だから私を無視しているのだ。
逆に言えば、私でなければいい。だけど誰かに頼めるものではない。
答えは一つだ。私が他人になればいいだけの話。
服装も帽子も変えていない。どうせ外見など見ていないのだ。万が一にも認識してくれないようなら、その時こそ髪の毛に至るまで変えるべきだろう。その心配は無いと思いたいのだけど。
緊張で胸が痛い。呼吸が苦しい。
深呼吸をしながらお姉ちゃんの前に回り込む。
お姉ちゃんは中庭で一人寂しくパンを齧っていた。
「はじめまして、古明地さとりさん」
イメージするのは守矢の巫女さん。ちょっと大人びた風を装いながらも基本的には若い女性をしている。彼女のようなタイプは地霊殿にはいなかった。
ヘドロのような眼球が久しぶりに私の方を捉える。瞬時にてっぺんから爪先まで視線を動かし、怪訝そうな顔で距離をとった。良かった、少なくとも無視されることはなそうだ。これでまずは第一歩。
だが安心している暇はなく、警戒心を抱かせてしまった。このままではいずれ無視をされてしまう。
「私は高石。四季映姫の代理閻魔です」
「代理?」
「ええ、残念ながら四季映姫は風邪で寝込んでしまったので。しばらくの間は私が代理人として仕事を任されることになりました。今日はそのお知らせに来たのですよ」
是非曲直庁に問い合わせたら嘘だとバレるけど、今のお姉ちゃんはそんな真似しないだろう。心臓の鼓動は有り得ないほど速くなっている。冷静な判断力を失ったお姉ちゃん。絶対に嘘がバレることはないと信じていても、それでも万が一という可能性はあるのだから。緊張しないわけがない。
頬を汗が伝っていく。灼熱地獄跡からの熱気が原因だと思いたい。
「代理人の方でしたか。それはそれは養生してくださいと四季様にお伝えください」
「分かりました。四季映姫も喜ぶでしょう。私は彼女と頻繁に食事をしているのですが、いつもいつも言っていましたよ。地霊殿の当主は頼りになると」
ここが最初の分水嶺。基本的にお姉ちゃんの能力は戻っていない。仮に戻っていたとしても、私の心を読むことはできない。だから充分に有り得るわけだ。心が読めないからという理由で私を再び無視するということが。
だけど私は間接的にお姉ちゃんを褒めた。閻魔様が本当にそう言っているのかどうかは出鱈目だけど、それはとても望ましい情報ではないか。褒められて悪い気のする人はいない。出来れば現実であって欲しいと願う。だからこの言葉も無視することはできないはず。
空想は都合の良い世界。だからこの情報は受け入れられる可能性が高い。
心を読んだということにするのか、それとも読めていないけど真実であると思いこむのか。いずれにせよ無視されなければそれでいい。
さあ、どうなるか。
「それは、とても有り難いことですね」
ホッと胸を撫で下ろす。どこか照れたような顔をしていた。これで当分は余計なことを言わないかぎり、お姉ちゃんは私を閻魔様の代理として認識してくれるだろう。
とりあえず、今日はこの辺にしようか。あまり長居しても不審に思われるし。
「では私は帰らせて貰いますが、今後は度々お邪魔させて貰うと思いますよ。なにしろ地霊殿の事は私よりもあなたの方が詳しいわけですから。色々と窺いたいお話もありますし」
「歓迎しますよ、高石さん」
別れの言葉を告げ、中庭を立ち去ろうとした。しかし我慢できずに振り向いて、思わず話しかけてしまう。
「ねえ、お姉ちゃん」
反応は無かった。高石と名乗らないかぎり、お姉ちゃんが私の方を見てくれることはない。
これも作戦のうち。理解しているけど、これほど寂しいことはない。
私が高石と名乗ってから数日が過ぎた頃。毎日のように会話をしているおかげで、今や夕食を一緒にとる段階まで進むことが出来た。もっとも警戒心は依然として消えず、あくまで社交的な雰囲気を臭わせているが進歩は進歩だ。
「古明地こいしさんですか。お姉さんに負けないぐらい素敵な妹さんをお持ちですね」
「不承の姉ですが自慢の妹ですよ。彼女がいてくれるおかげで助かった場面も何度かありましたし」
自分で自分を褒めるむず痒さに加えて、お姉ちゃんからの褒め言葉。さぞや私の表情は複雑怪奇になっていたのだろう。咳をして俯いていなかったら、眉を顰められていたに違いない。
失礼、と口元を拭いてから食事に戻る。
「羨ましい限りです。外見も内面もよく似ているようですし」
「………………」
無言でパンを千切るお姉ちゃん。この情報は無視されるらしい。似ていると言われたくないのか。真正面から断言されたわけではないけれど凹んでしまうのは仕方ない。
喜んだり傷付いたりと我ながら忙しいことだ。
「さとりさんは料理もお上手なんですね」
「門前の小僧に過ぎませんよ。四季様がお上手でしたから、私もああなれればと思いまして」
「憧れですか?」
「私如きでは釣り合いにもなりませんが、尊敬できる人物ではあります。ただあのお説教癖だけはどうにかして貰いたいのですが」
しみじみと言うものだから、思わず吹き出しそうになった。
「分かります。私も彼女は凄い閻魔だと思っていますけど、お説教がどうにも苦手で。ついつい避けてしまうんですよね」
「閻魔とは、皆さんああいうものなんだと思っていましたが?」
どうなのだろう。彼女以外の閻魔様に会ったことはないし、例外なのかどうか判断はできない。だが全ての閻魔様に説教癖があるのだとすれば、なるほど裁判所というのは地獄よりも地獄なのかもしれない。
ただまぁ、少なくとも高石というキャラクターにお説教は似合わなかった。だから私の答えも決まっている。
「どうでしょうか。あまりそういう閻魔は多くないと思いますけど、彼女だけが特別とは思いませんね。中にはあれぐらい激しい方もいらっしゃるのではないでしょうか。少なくとも私自身や周りには四季映姫を除けば一人もいません」
「なるほど」
「さとりさんは誰かにお説教をした経験とか有りませんか?」
ただ雑談をしていても時間を浪費するだけだ。お姉ちゃんには現実へ戻って貰わなければならない。だからその為に少しずつ、現実というものを認識させる必要があった。
神経を遣う作業だ。ただ黙られるだけならまだしも、地雷を踏んでしまったら高石というキャラクターは二度と認識されなくなるだろう。しかもガードが堅くなり、今後は迂闊に偽名を名乗るのも難しくなるはずだ。
慎重に、だけど踏み込んでいかなければならない。
「妹がいますから、お説教は日常茶飯事でしたよ。こいしは行動的な子ですから、人様に迷惑をかけた事もありますし」
「やはり姉妹とはそういうものなのですね。私は一人っ子ですから、その辺りの経験が乏しいんですよ」
「喧嘩もしますから、一概に姉妹が素晴らしいとは言えません。ただ居なければ居ないで寂しいものですよ、妹というものは」
まるで以前に妹が居なくなったかのような発言だ。突っ込むべきかどうか迷ったけれど、まだここは踏み込むべき場面ではないだろう。
スープを啜った。お気に入りのカボチャのスープも今は味が分からない。
「大喧嘩とかされたことは?」
「下手をすれば月に一度はやっていますよ。それもくだらない理由で。前回はお風呂の順番でしたか。妹が浴槽に柚子を入れていたのに気付かず、私が一番風呂に入ったら酷く怒りましてね。楽しみにしていたのにと涙混じりに怒鳴られたものですよ」
懐かしくもない記憶だ。改めて言われると子供っぽくて恥ずかしい。
だけどあの時は本当に腹が立ったのだ。楽しみにしていたものを横から浚われたような気がして、ついつい頭に血が上ってしまった。冷静に考えてみれば一番風呂でも二番風呂でも柚子のお風呂に変わりはないのだが。
怒っている妖怪というのは得てして判断能力を失ってしまうものである。恥ずかしさを抑えながら、私は会話を続けた。
「妹さんはよく泣かれるんですか?」
「怒るとよく泣きますよ。それに悲しい時も普通に泣きます。いつも笑顔だから勘違いされやすいんですけど、意外に情緒豊かなんですよ。あの子」
思い出したように微笑んだお姉ちゃん。ここまで突っ込んだ話をしてくれているのは、高石というキャラクターに好感を抱いてくれているからか。だとしたら、少しぐらい前に出てみるのも有りかもしれない。
「お……さとりさんは泣いたりしないんですか?」
私が知るかぎり、お姉ちゃんが泣いたのは生涯で二度だけ。私が第三の目を閉じた時と、私が死にそうになった時だ。もしも後者を連想したのなら、確実にこの質問は無視されるだろう。
だけどもしも前者ならば。
お姉ちゃんは無言で付け合わせのニンジンを頬張り、こちらを見ずに咀嚼している。どうやら後者だったようだ。仕方ない。また会話を一から組み立てるとしようか。
諦めかけていた時のことだ。
「一度だけ、泣いたことがありますよ」
二度目の記憶は消しているのか。いや、それよりも大事なのは一度目を覚えているということ。そしてそれは無視しないのだということだ。
思わず身を乗り出しそうになるけど、ここで警戒されたら元も子もない。さも落ち着いている風を装いながらも、内心ではお姉ちゃんの話に思い切り食い付いていた。
「忘れもしませんよ、あの子が第三の目を閉じた日のこと。覚は嫌われ者の種族ですから。せめて一人ぐらいは好いてくれる人がいればと思っていたんです。妹はそんな私にとって救世主のような子でした。彼女が私にとっての支えだったんです」
私にとっての救世主がお姉ちゃんであったように、お姉ちゃんの救世主が私だった。
既に互いの手を伸ばしていた。そしてそれを仲良く繋いでいたのに、私の方から振り払ってしまったのだ。第三の目を閉じるという、最悪の形で。
「だから動揺しましたよ。恐怖に怯えました。この世でただ一人の支えである妹の心が読めなくなっていたんですから。だから私は不安で不安で、何度も何度も妹の心を試そうとしたんです。それこそ言葉だけでなく、態度や行動でも」
もしも私が閉じこめられていた時の私だったら。最初の質問で私達の関係は終わっている。あの頃はお姉ちゃんが大嫌いだった。だから好きかどうかと訊かれたら、迷わず嫌いと答えていただろう。
だけど私は外に出た。お姉ちゃんの手をとって、お姉ちゃんの背中に守られながら、この残酷な世界を生き抜くことが出来たのだ。感謝どころではない。尊敬では追いつかない。言葉では言い表せないほどの感情を抱いていた。
だから何度訊かれても平気だった。何度でも好きだと答えた。何をされても気にしなかった。どんな事でも疑わなかった。
「はっきり言ってしまえば軽蔑されるような事もしました。正直、あの頃の私はどうにかしていたんだと思います。だけど、こいしは最後まで私の側にいてくれた。だからこそ彼女を信じることが出来たのです。本当に、あの子には感謝してもしきれませんよ」
確かに私の頑張りもあったのかもしれない。だけどお燐やお空の存在も忘れてはいけないのだ。側にいるのが心の読めない私だけでは不安だからと、今度は動物達をペットとして飼うことになった。
彼女たちの思考は人間や妖怪と違って単純であるし、ストレートであるからこそ好意に好意を返してくれる。今ほどではないにしろ、あの頃のお姉ちゃんは私に対して疑心暗鬼になっていた。もしもお燐達の存在がなければうち解けるのも時間が掛かっていたか、あるいは今になっても完全には打ち解けていなかったのかもしれない。
そういった意味では彼女たちにも感謝しなければ。
「素晴らしい妹さんですね」
「自慢の妹ですから」
まるで我がことのように照れるお姉ちゃん。そこまで客観的に過去を見られるのならば、きっとここ数週間のことも落ち着いて判断できるはず。今ならば私の言葉も届くだろうし、あるいは心を落ち着けてくれるかもしれない。
誘惑が心を支配する。ここで躊躇うのは臆病者だと、嘲るように笑っていた。
いや、冷静になるのは私の方だ。むしろ、これだけ素直に話してくれるのは自分の目が閉じた記憶を完全に封印しているからではないか。これはむしろ回復の兆しというよりも、手遅れの前兆というべきだ。
だったら尚のこと急ぐべきなのだが、私は黙ったまま食事をとるしかなかった。
説教されるのは慣れている。泣かれてしまうのも心苦しいけど耐えられる。
だけど無視されるのは、本当に辛いのだ。
お姉ちゃんの噂は是非曲直庁にも届いているらしく、封筒を届けにきた死神はそそくさと退散してしまった。どこかのお喋り好きの死神でもあるまいし、好きこのんで油を売るような連中じゃないけれど。それでも一目散に逃げ帰ることはないかじゃないか。
よほどお姉ちゃんに会いたくないらしい。噂には尾ひれが付くもの。どこまで脚色されて伝わっているのか、聞いたら不愉快になりそうだから敢えて聞こうとは思わない。
それよりも封筒だ。わざわざ死神を配達に選んだのだから差出人は自ずと分かる。ひっくり返した封筒の裏。案の定の名前がそこには記されていた。
『四季映姫・ヤマザナドゥ』
だが個人的に気になったのは裏よりも表側。宛名はお姉ちゃんではなく私になっていた。
嫌な予感しかしない。だが無視しても中の手紙が消えるわけでもないし、内容だってそのままなのだ。大人しく受け入れるしかないだろう。例え、それがどんなに残酷な内容だったとしても。
恐る恐る封を切り、中から手紙を取り出す。てっきりクビを言い渡されるものとばかり思っていたが、そういった堅苦しい書類などは一切入っていなかった。有ったのは丁寧な字で簡潔に纏めてある手紙だけ。
『多忙につき協力できません。誠に申し訳ありませんが、古明地さとりの件は独自に解決して頂きたく思います』
私としては有り難い提案だ。命を狙われるとは言ったものの、あれは要するに自殺の危険があるということ。自ら命を絶とうとする者などに当主が勤まるわけがない。そう言われて即座に首を切られる恐れもあった。
原因が分かった今となっては、閻魔様が多忙であるのは有り難い限り。だけど気になる。あの律儀な閻魔様が途中で仕事を放り出すなんて、どれだけあちらは多忙なんだろう。それとも単なる言い訳だろうか。ますます閻魔様には似合わない。
考えられるとしたら、上からの命令か。律儀であればあるだけ上下関係にも縛られている。上の連中から関わるなと言われたら、志半ばでも諦めてしまうだろう。
しかし、それはそれで謎である。どうして手を引けと命じるのか。戯れなどというくだらない理由でもあるまい。何かあるのかと邪推してみるが、所詮はただの推測に過ぎない。まさか三途の川を渡って聞くわけにもいかないし、関わらないと言うならば敢えてこちらから首を突っ込む必要もない。
お姉ちゃんに見られないよう手紙を燃やし、灰を蹴飛ばして粉々にした。昔なら中庭を汚すなと怒られたものだが、生憎とお姉ちゃんは架空の私と戯れるのに忙しいらしい。見咎めるものはいない、と思っていたのだが。
「自分の家だからって汚すのは感心しないわね。それとも無意識の行動だったのかしら?」
お姉ちゃんの声ではなかった。今の地霊殿に自ら近づこうとする奴がいるなんて。まず声をかけられたことに驚き、振り向いてまた驚いた。
「ここも随分と寂しくなったわね。さすがは嫌われ者の館。むしろ相応しくなったと褒めるべきかもしれないわね」
息を吐くように嫌味を言う妖怪など、こいしの知っている限りでは数人しかいなかった。しかし彼女はいつも縦穴の近くで通行人の見張りをしているはず。どうしてこんな所にいるのか。
「わざわざ私を馬鹿にしにきたの、パルスィ」
「冗談。生憎と私はそこまで暇じゃないのよ」
パルスィは肩をすくめた。
「永遠亭で別れてからあなたの姿を見なくなったから。てっきり死んだんじゃないかと思って様子を見に来たのよ。なんだ生きてるじゃない。死体になってたら思い切り笑ってやろうと思ってたのに」
「……もしかして、私を心配してくれたの?」
鼻で笑われた。照れ隠しにも見えない。
どうやら本気で馬鹿にされたらしい。
「自意識過剰なんじゃない? あなたが何処で死のうと私には何の関係もないわよ」
「むー、じゃあもう用事は終わったんでしょ! とっとと帰ってよ!」
「追い返そうとしなくても良いじゃない。ちょっと暇なのよ」
先程は忙しいと言っていたのに、どういうつもりなんだろう。
パルスィは嘲笑を浮かべながら、キョロキョロと中庭を見渡した。ペット達がいない中庭は随分と広く思えて、なんだか寂しくなってくる。
「さとりは何処かに行ったの?」
「お姉ちゃんは部屋で仕事してるよ」
「ふーん、誰と?」
まるで私を試すような、ニヤニヤとした笑い。彼女の耳にも噂は届いているのだろう。あたかも何も知らない風を装っていたけど、やっぱり知っていたんじゃないか。どう考えても馬鹿にする為に来たとしか思えない。
「まさか、こいしなんて言わないでしょ。あなたは此処にいるんだから」
「五月蠅いな……」
「それとも違う名前で呼んだ方がいいのかしら。ねえ、高石さん」
「っ!」
噂どころではない。確実にパルスィは私達のやり取りを見ていた。それも頻繁に。
お姉ちゃんに意識を集中させていたせいだろう。全く気付けなかった。
それにしても何と性格の悪い妖怪なんだ。何も言わずにずっと私達を眺め、そして声を掛けてきたと思えばこうやって相手を動揺させていく。私の顔は真っ赤になっていただろう。手近に物があったら投げていたかもしれない。
パルスィに当たっても仕方ない。それでは何も解決しない。
そうやって自分を説得し、何とか冷静な判断能力を取り戻した。
「事情を知ってるなら話は早いね。お姉ちゃんはとても不安定な精神状態なの。あなたみたいな性悪妖怪と会わすわけにはいかない」
「酷い言い草ね。心配しなくてもちょっと顔を見るだけよ」
どうしてそこまでお姉ちゃんに会おうとするのだ。まさか何か良からぬ事を言って、お姉ちゃんを不安にさせるつもりではないだろうか。だとしたら、絶対に会わせるわけにはいかない。
こっそり眺めているだけならまだしも、直接会うなんてとてもとても……
ん?
少しだけ考える。ひょっとしたら、という曖昧な推測が浮かんできた。
「もしかして、心配してるのは私じゃなくてお姉ちゃんの方?」
ピタリと、地霊殿の中に入ろうとしていたパルスィが動きを止めた。
「私達を遠くから眺めてたのもお姉ちゃんの様子が気になったからで、だけど見ているだけじゃ寂しかったから直接会おうとしてやってきたとか。そういうこと?」
「……………………」
「なんだ、私じゃなくてお姉ちゃんに会いたかったんだ。そっかそっか、パルスィは友達思いなんだね」
お姉ちゃんにも心配してくれる人がまだ残っていた。その事に対する感謝が半分。そして先程の仕返しが半分籠められた言葉は、見事にパルスィの身体を射抜いたらしい。
突然、踵を返した。
「用事を思い出したから帰るわ」
さっきとは違い、パルスィの頬は赤く染まっていた。耳の先もどことなく赤い。
「また来てね!」
何も言わず、パルスィは去っていった。
私だけじゃない。お姉ちゃんを大切に思っている妖怪は他にもいたのだ。
諦めてはいけない。お姉ちゃんは絶対に元に戻してみせる!
そう誓うことが出来たのは、次にパルスィと再開するまでの間だけだった。
玄関ホールで見えない私と戯れるお姉ちゃん。もう何度も嫌になるぐらい繰り返して見た光景なのに、自然と目頭が熱くなる。
思わず天井を見上げた。シャンデリアの輝きがどことなく濁って見えるのは、私の心がくすんでいるからなのか。
眉間を揉みほぐしながら、今日も高石としてお姉ちゃんに接しようかと思っていた矢先のこと。乱暴に扉を開き、血相を変えたパルスィが飛び込んできた。
またお姉ちゃんの様子が気になったのか。それにしては慌てているように見える。
パルスィはチラリとお姉ちゃんの様子を窺ってから、私の元まで近寄っていきなり腕を掴んできた。力加減は忘れているらしく、手首の辺りが赤くなっている。痛いと抗議の声をあげる間もなく、
「来なさい」
と、地霊殿の外へ連れて行かれた。有無を言わせぬやり方には反発を抱いたけれど、いつも遠くから見ていただけのパルスィがこうも積極的に動いているのだ。何か余程の事があったのだろう。
仕方なく、私はされるがままに玄関の扉を潜った。辺りに誰もいないのを確認している。他人には聞かれたくない話となれば、おそらくお姉ちゃんの事だろう。
「どうしたの?」
「さとりは元に戻ってないわよね?」
意味不明な質問に唇を尖らせる。
「当たり前だよ」
現実の世界に戻ってきてもいないし、第三の目も開いていない。パルスィがどちらの意味で質問したのかは不明だけど、どっちにしろ答えは同じだ。そう簡単に治るものではないと、パルスィも知っているのに。これも嫌がらせの一環だろうか。だとしたら、さすがに堪忍袋にも限界というものがある。
乱暴に掴まれた腕を払い、キッとパルスィを睨み付けた。だが動じる風もなく、むしろ視線は玄関ホールの方へ向けられていた。
「なら好都合ね。一つだけ忠告しておくけど、さとりを元に戻したら駄目よ」
「……………………は?」
理解不能の言葉に時間は止まり、ようやく動き出しても飛びだしてきたのは間抜けな疑問系。
当たり前だ。ここまで積み重ねてきた努力も、必死に行ってきた調査も、全てはお姉ちゃんを元に戻す為。勿論、あらゆる意味でだ。現実に戻し、そして尚かつ第三の目も開かせる。そうすれば何かもかもが元通りなのだ。
それを目指して何週間も頑張ってきた。それなのに、今更その努力を水の泡にしろと?
俄には理解できないし、熟考しても理解できない。
パルスィだってお姉ちゃんを心配していたはずなのに、どうして?
「私の邪魔するの?」
優先順位がある。私の中での一番では当然お姉ちゃんだ。もしもパルスィが邪魔するというのなら、何をしたって突破してみせる。例え殺し合いになろうとも躊躇わず、お姉ちゃんの為に障害を排除するだろう。
「私の前にも橋姫をやってる奴がいた。そいつが残した日記帳を見つけたの。そこにはさとりとよく似た症状の覚がいると記されていたわ」
別に目新しい情報でもない。殆どの覚が死んでおり、それはおそらく自殺だろうという事も知っている。だからどうしたと言うのだ。それのどこにお姉ちゃんを元に戻してはいけない要素が含まれているのか。
自然と厳しくなる私の視線に構う様子もなく、パルスィは続けた。
「他人の心が読めない苦しみに耐えきれず、殆どの覚は自らの手で命を絶っていった。だけど中には信頼できる相棒や家族、あるいは恋人がいたりして耐える者もいたの。そういった連中はやがて自分にとって都合の良い空想の世界に浸り、現実を見なくなっていった」
お姉ちゃんとそっくりだ。だがさして驚くことではない。
覚の歴史も長い。目を閉じた覚も少なくはない。
中には似たような状況もあるだろう。むしろ無い方が不自然に思える。
「だけど、それも長くは続けられるものじゃない。空想に浸っていた覚は例外なく、やがては現実の世界に引き戻される。そして覚は気付くのよ。自分が大切な者達を放っておいて、都合の良い世界へ逃げていたことに。更に第三の目を再び開いた覚も、同じように絶望したわ。不安に耐えようとしていた間に、どれだけ自分が嫌われてしまったのかと」
お姉ちゃんの側にはペット達がいた。だけど今は遠く離れてしまった。
お姉ちゃんの側には私がいた。だけど今は架空の私とお喋りしている。
パルスィの語る内容は、まさしく今のお姉ちゃん。本当にそこまで似通った出来事があるのかと、思わず疑いの眼を向けてしまうぐらいに状況が似ていた。
「絶望した覚はどうなるの?」
半ば分かっていることなのに、どうしても訊かずにはいられない。
パルスィは固い表情で答えた。
「自殺しているわ」
不安に耐えきれず死を選び、不安に耐えて再び目を開いても死を選び、不安に耐えきれず架空の世界に逃げても結局は死を選ぶ。目を閉じてしまった時点で、どうやっても死を選ぶ運命だったとでも言うのだろうか。これでは、あまりにもお姉ちゃんが哀れだ。
確かに元に戻さない方がいいのかもしれない。お燐やお空は本気でお姉ちゃんを嫌ってしまった。例え第三の目を開いたところで、すぐに好いてくれるかと言えば甚だ疑問である。私達は嫌われることに慣れている。だけど親しい者に嫌われて平気な顔をしているほど、薄情でもないのだ。
それに私のこともある。自殺未遂を繰り返していた頃のお姉ちゃんは、それこそ切っ掛けさえあれば死んでしまいそうなほど危うかった。結局は未遂で終わっていたけれど、もしも今戻ったとしたら。
「そんなの嘘だよ……だって、それが本当だったらもうお姉ちゃんを救う方法はないってことでしょ! どうやったってお姉ちゃんは自殺する! そんなの信じられるわけがない!」
本当は第三の目なんかどうでも良かった。地霊殿の当主にも興味はない。
ただ、お姉ちゃんが生きて笑ってくれていたら。私はそれだけで満足だったのに。
どうして生きることさえも許されないのか。
私達の会話など聞こえていないらしく、お姉ちゃんは気にした風もなく誰もいない方向に向かって話しかけている。
力が抜け、膝から崩れ落ちた。あのままにしておけと言うのか。いつかは崩壊すると知りながら、今はまだ生きているからと自分を誤魔化し、誰もいない空間に向かって喋り続けるお姉ちゃんを眺め続けろと言うのか。それはどちらにとっても残酷すぎる話。
暗さも、狭さも、あの部屋に置いてきたと思っていた。だけどカタカナと残酷さだけはこちらの世界にも尾いてきた。それがまさか、こんな形で思い知らされるだなんて。
「そんなの、ないよ」
限界だ。お姉ちゃんよりも先に私の心が限界を迎えた。
元に戻してみせると誓ったけれど、それがお姉ちゃんを殺す引き金になるのなら。私は誓いを守ることが出来ない。だけど時間が経てばやがてお姉ちゃんは死に至る。無意識で強引に心を変える手段も残されていた。だけどそれは、ああやって現実に逃げている状態と何が違うのだろうか。
生きていて欲しい。それは間違いない。
ただ私が生きていて欲しいのはお姉ちゃんであって、心を操られた人形ではない。だから無意識の能力を使うつもりはないし、ましてや手足を拘束してあの地下室に放り込むような真似もしない。
そんな事をするくらいなら、いっそ――
「助ける方法ならあるわ」
「本当!?」
躊躇も、逡巡も、葛藤もなく、私はパルスィの手を握りしめた。
「ほ、本当よ。先代の日記にも書いてあったわ。要はさとりが死への誘惑に耐えるほど心が強くなればいいのよ」
俄に見えた希望の光も、しかし今はくすんで見える。
言うは易く行うは難し。心が強ければ今回の事件も最初の段階で解決しているだろう。お姉ちゃんは心が読めなくてもへっちゃらで、相も変わらぬ日常を送りましたとさ。めでたし、めでたし。
だけど現実はそうならなかった。お姉ちゃんは心が読めない不安に耐えきれず、他人を傷つけ、自分を傷つけ、最後には空想の世界へと逃げ込んでしまった。
そんなお姉ちゃんの心を強くするなんて、それこそ無意識の能力を使うしかない。
「その表情だとあなたは信じていないようね」
「パルスィは信じているの? そんな事が可能だって」
「分からないわ。だから試しにきたのよ」
「試す?」
私の問いかけに答えることなく、パルスィはお姉ちゃんの方へと歩み寄っていった。そういえばパルスィは認識されるのだろうか。私は矛盾が生じるからと意図的に無視されていたようだけど、お姉ちゃんの世界でパルスィという名前は一度も出てこなかった。
無視される心配は無いと踏んでいるのか、パルスィの態度は堂々としたものだった。遠慮無くお姉ちゃんの前に飛びだし、思い切り顔を近づける。誰かが背中を押したら唇が触れてしまいそうなほどの距離だ。
露骨に顔をしかめ、お姉ちゃんはパルスィから離れた。
「なんですか、いきなり。そんなに顔を近づけて気持ち悪いですよ」
「随分なご挨拶ね。まぁ、いいわ」
懐かしいやり取りね、という小声まではお姉ちゃんに届いていなかったらしい。
「ねえ、さとり。私はちょっと質問に来たのよ。簡単な質問だから答えて頂戴」
「また藪から棒に変なことを。分かりました。それが終わったらすぐに帰ってくださいよ」
「ええ、いいわ。じゃあ尋ねるけど、変な扉を見なかったかしら?」
ある程度の事情を知っている私ですら鼻の付け根に皺を寄せるような質問だ。お姉ちゃんがどういう顔をしているのか、わざわざ説明せずとも分かるだろう。
予想外だったのは、それに有ると答えたこと。
「あなたの背後にある壁と、私の背後にある壁。それぞれに一つずつ変な扉があるのは知っていますよ」
「どんな扉?」
「片方は頑丈そうですね。それに新品みたいです。もう片方は古びています。今にも崩れそうです」
「疑問には思わないの? 見覚えのない扉なんでしょ?」
「不思議なことを言いますね。そこに扉があるのは当然でしょう」
「どうして?」
「ここが玄関だからです。玄関に扉があるのはおかしな話ではない」
お姉ちゃんの答えは微妙にズレていた。だけど巫山戯た様子はなく、至って真剣そのものだ。
パルスィは満足そうに頷くと、ありがとうと感謝の言葉だけ残してこちらへ戻ってきた。
「扉が見えている。だけど違和感を持っていない」
「私には見えていないけどね」
「私にも見えていないわ。あれはさとりにしか見えない扉。いわば未来と過去の扉よ」
この部屋にある扉は一枚だけ。玄関ホールから外へ出る為のものだ。
それを除けばあるのは窓ぐらいのもの。お姉ちゃんが言うような扉はどこにも見あたらない。
「両方見えているならまだ希望はあるわ。助かる方法は残されている」
「どういうこと? 話が全然見えてこないんだけど」
「扉は無意識が作りだした幻覚。まぁ、架空のあなたと同じようなものよ。過去の扉は現実への扉。そちらを開けば現実へ戻ってくる。そしておそらくは、第三の目も元に戻るでしょうね」
「え!?」
私の驚きは無視したまま、パルスィは真剣な顔で続ける。
「問題は未来の扉。頑丈そうということは開きづらいという表れだけど、あちらを開けばさとりには新しい未来が待っている。そう、あなたのように無意識を操る能力を手に入れることができるの」
何を馬鹿なと疑いかけたけれど、私という証拠がここにいるのだ。第三の目を閉じて手に入れた能力ならば、同じようにお姉ちゃんが手に入れることも不可能ではない。それは理解できる。
だが命を助けるという意味は全く分からなかった。それが無意識とどう繋がっているというのか。
「新しい能力を手に入れたから心が強くなるんじゃない。心が強い者は未来の扉を開いて新しい能力を手に入れることができるのよ」
「……じゃあ、結局ふりだしじゃない」
「そうでもないわ。少なくともさとりには未来の扉が見えている。だったらまだ可能性はあるわ。もしも本当に心が弱いままなら、さとりには扉が見えてもいなかった。僅かでも強さが残っているからこそ、ああやって扉が見えたのよ。だからまだ諦める必要はない。可能性は残っているんだから」
真面目な表情なれど、その口調には熱気が宿っていた。彼女もまた、お姉ちゃんの為に必死で書物の海を漁っていたのだろう。なるほど確かにパルスィの家にも書庫があるとは思っていなかった。
そこまでお姉ちゃんの為を思ってくれるのは嬉しい。だから私も期待に応えたくなる。
ただどうしても納得がいかないのだ。パルスィの話はところどころに頷ける部分があるのだけど、どうにも肝心な場所がぼやけているように思える。話全体がふわふわしているのだ。
だから素直に受け取ることができない。まるで核心だけ隠しているような。
それに、こんなにも都合良く全てが見つかるものだろうか。閻魔様でも私でも簡単に見つけることは出来なかったのに。どうしてパルスィの家にはちゃんとした資料が――
「パルスィ」
「協力して頂戴。可能性が残っているんならさとりを助けることだって……」
「最初から知ってたんでしょ?」
熱気が嘘のように消えていった。代わりに身も凍えるような冷気が押し寄せてくる。
表面上の顔は変わらない。だけど雰囲気は明らかに違っていた。
「最初から知っていたなら教えていたわよ。会う機会は何度もあったわけだし」
「そうだね、そこでパルスィは何度も助言してくれたよね。不自然なくらいに的確な助言を」
「…………………」
「それに今だって、こうやって助ける方法を教えてくれた。だけど私は思ったのよ。もしかしたらパルスィは最初から全てを知っていたんじゃないかって。それどころか――」
この先はできれば勘違いであって欲しい。
そう祈りながら、私はパルスィに問いかける。
「もしかしたら、パルスィが原因でお姉ちゃんは心を閉じたんじゃないかって」
自殺未遂、現実逃避。色々な事がありすぎた。
その間も私は必死で第三の目を戻そうとしていたけれど、ついぞ原因に関しては何も分からずじまいだった。それはパルスィの説明を聞いても同じこと。彼女は助ける方法こそ言ったけれど、原因については何も言わなかった。
だけどあれだけ詳しく記しておきながら、原因だけは不明という事があるのだろうか。あるのだとしたら、ここでパルスィは笑うだろう。私の大いなる勘違いだと。邪推にも程があると。馬鹿にするよう笑うはず。
パルスィは口元を歪め、
「正解よ。私は全て知っていた。そして原因を作ったのも私」
彼女の胸元を掴みあげ、そのまま思い切り壁に叩きつけた。鈍い音がして、パルスィの口から呻き声と唾液が飛び散る。その間も両腕は容赦なくパルスィの首を締め上げた。
こいつだ。こいつがお姉ちゃんを苦しめた。
容赦する必要はない。ここで息の根を止めてしまおう。放っておけばまたお姉ちゃんに害を与える。生かしておけない。殺してしまおう。
私は無表情のまま、淡々とパルスィの首を絞める。
「目を……閉じた……原因……は、」
不意に手から力が抜けた。
怒りで無意識が暴走していたらしい。憤怒と殺意を抱いた所までは覚えているのだが、そこから先に関してはあまり記憶もなかった。ただパルスィを殺そうとした事だけは覚えているのだが反省はしていない。
だって、無意識状態じゃなくても殺したいんだから。原因が気になったから手を離しただけで、喋ってしまえば後はどうなるか当の私にすら分からない。
床に膝をつきながら何度もむせるパルスィ。苦しいだろう。死にかけたのだ。だけど私やお姉ちゃんはもっと苦しかったのだ。これで許されると思っているのなら世の中の残酷さを舐めているとしか思えない。
「原因は何なの?」
極めて単純な問いかけに、パルスィは怯えるでもなく膝をつきながら堂々と答えた。
「むしろ、どうしてあなたが分からないのか不思議に思うわ。あなたが目を閉じた原因と、さとりが目を閉じた原因は同じなのだから。もっと言うなら他の覚も全て同じ原因なのよ」
私はただお姉ちゃんに嫌われたくなかっただけ。だから目を閉じて、いつのまにか新しい能力を手にしていた。
お姉ちゃんも同じ? それは有り得ない。だってお姉ちゃんがお姉ちゃんに嫌われたくないというのはおかしい。自分自身を嫌いなるも何もないし、そもそも他の覚は過去の人物だ。お姉ちゃんを知らない者達ばかり。
だとしたら誰かに嫌われたくなかったのか。思い出せ。目を閉じた時の私の記憶を探し出すんだ。どうして私は目を閉じようと思ったのか。お姉ちゃんに嫌われたくなかったから何をしようとしていたのか。
閃いたのと口に出したのは、ほぼ同時。
「こんな能力なんて、いらない」
「その通り。覚は能力を嫌い、放棄することで力を封じることが出来るのよ」
覚の能力は優秀すぎた。相手がどう思っているのか、知りたくもないのに分かってしまう。それがどうでもいい妖怪の心ならノイズとして処理することもできた。嫌いな奴の心なら無視すれば良かった。
だけど好きな人の心ならば。どうしても気になってしまうのが当たり前。
私はお姉ちゃんの心が知りたかった。同時に知りたくなかった。
あの時、私が倒れようとしていた時のこと。お姉ちゃんは言っていた。
『あなたの気持ちなんて知りたくない。止めてよあなたは心が読めない存在のままでいてよ。そうじゃないとこいしにまで嫌われたら私はどうすればいいのよ!』
私も同じだった。お姉ちゃんは大好き。そしてお姉ちゃんから好かれたい。だけどもしもお姉ちゃんが嫌っていたなら、覚同士で隠し事は出来ない。本音がそのまま私に伝わってしまう。
今は好かれている。だけど未来永劫ずっと同じだという保証はどこにもない。将来は嫌われてしまうかもしれない。そんなのは耐えられない。
パンドラの箱も、シュレディンガーの箱も、開けなければ何も起きない。何も分からない。何も決まらない。
だから私は箱に蓋をしたのだ。
お姉ちゃんに嫌われたくなかった。いいや、お姉ちゃんから嫌われていることを知りたくなかったから。
だから私にとって何も聞こえない世界は快適でしかなかった。お姉ちゃんが今は何を考えているのだろう。それを考えることが幸せでならなかった。
静寂の世界には慣れている。暗闇の世界にも慣れている。ただ、お姉ちゃんから嫌われる世界に慣れていなかっただけで。
結局は悲しませてしまったけれど、後悔はあまりしていない。もしかしたら嫌われてしまったかもしれないけど、私がそれを知ることは永遠にないのだから。
ただ、お姉ちゃんは違っただけの話。
「さとりも能力を放棄しようとした。ただ彼女は暗闇の世界を侮っていた。いや、それは歴代の覚も同じこと。例外なく彼女や彼らは耐えきれず、やがて自らの手で命を落としていった。あなたを除いて」
私にとって、この世界は天国のようなもの。だけどお姉ちゃんにとっては地獄でしかない。
「元に戻す方法は簡単。心の底から能力を取り戻したいと願えばいい。だから時間が経つにつれ覚は耐えきれず、勝手に能力を取り戻してしまうのよ。さとりも同じ。そのうち架空の世界は崩壊して、嫌でもこちらの世界に戻ってくるでしょうね」
パルスィの言葉が正しいとしたら、どうしても不可解なことがある。
どうして、お姉ちゃんは能力を放棄しようとしたのか。
「新しい能力を獲得する方法も単純。心の底から放棄したいと願えばいい。要するに今のさとりは中途半端だからこうなっているの。どちらかに梁を傾ければいい。ただそれだけの話」
しかも、これだけ辛い目に遭いながらまだ能力を放棄しようとしている。それはとても小さな欠片なのかもしれない。あるいはもう消えてようとしているのか。いずれにせよ有ることは間違いなく、そして放っておけば消滅することも確実だ。
尋ねるなら今だ。こればかりはパルスィだって知らないだろう。
お姉ちゃんに聞くしかない。
だけどそれよりも、今はパルスィを始末しておく方が先だ。
「ちなみに、あなたはお姉ちゃんに何をしたの?」
「直接は何もしてないわ。ただ言っただけ」
「何て?」
「妹の誕生日もうすぐね、って」
それ、だけ?
たったそれだけの言葉で、これだけの事態を引き起こし、こんな結末を迎えようとしている。嘘だろうと思った。口から出任せだと決めつけても良かった。
だけどパルスィの表情が語っている。真実なのだと。
「結局、あなたは何がしたかったのよ。お姉ちゃんを振り回し、私を振り回し、みんなを混乱させて」
「先代が調べていたのは単純な理由だったわ。面白そうだったから。他人の不幸は蜜の味と言うし、橋姫からすれば余所様の苦しむ姿なんてのは娯楽でしかないからね」
だとしたら許す余地はない。面白半分で私達は苦しめられた。
お姉ちゃんは傷付き、お燐達は離れ、私も限界だったのだ。
笑って済ませる段階など、とうの昔に越えている。
「それがあなたの理由?」
「いいえ、先代の理由よ。私の方はまぁ、その、もっと単純だけど」
言葉を濁すパルスィ。構わない。どうせロクな理由ではないのだ。
無視して殺してしまおう。そう決意して一歩目を踏みだそうとした時のこと。
「あなたがいなかったら困るじゃない」
「え?」
「だから、もしもさとりが目を閉じてしまった時。あなたがいなかったら困ってるでしょって」
照れくさそうに頬を掻き、そっぽを向いたパルスィ。
「確かにあなたはさとりにベッタリだったわ。でも最近は放浪の回数も増えているようだし、万が一ということもある。そこでさとりが能力を放棄し、第三の目を閉じるようなことがあれば。正直、私だけじゃ対処できなかったでしょうね。さとりはきっと自殺していたわ」
「だから、敢えてお姉ちゃんを?」
「日記を見つけたのはつい最近のこと。知ってからはどうしようか悩んだわ。全て伝えてしまうのも有りかもしれない。だけどさとりは知っていたとしても能力を放棄していたんでしょうね。さっきの言葉を告げた時。私の心を読んだなら知っているはずだもの。どうして自分の心が閉じてしまったのか」
知っているような素振りは見せなかった。あれが演技だとは思いたくない。
おそらく何も知らなかったのだろう。だけど、確かにパルスィの言うとおりかもしれない。お姉ちゃんは暗闇の世界を侮っていた。例え辛い現実が待ち受けていると知ったとしても、構わず飛び込んでしまうかもしれない。
あくまで仮定の話だが。可能性は高いと思う。
「そして悩んだ結論がコレよ。あなたならきっと、さとりを助けてくれると信じていた。だけどもしも何かあった時はこっそりと後ろから支えようと思ってはいたのよ。手首を切った時はごめんなさい。駆けつけるのが遅すぎた」
ずっと私達を見ていたとしたら。あるいは胸を開いた時に永遠亭へ連れていってくれたのもパルスィなのかもしれない。だとしたら、私は一体どうすればいいのだ。
怒りの捌け口を見つけてしまった。だけど彼女もまた、同じようにお姉ちゃんを思ってこその行動だった。許せない部分はある。でも根本的な部分は許してしまいたかった。
「私をどうするかは好きにするといいわ。まぁ、殺すというなら出来る限りの抵抗するけど。それよりも先に解決すべき問題があるでしょう?」
パルスィの事は後回しにしよう。きっと全てが上手く収まったなら、私だって彼女を完全に許すことが出来るだろうし。
そう、やるべき事が私には残されていた。
まだ一つ、大きな謎が隠されているのだ。
お姉ちゃんはどうして、能力を放棄しようとしていたのか。それが分かれば、もしかしたら解決の糸口が見えてくるかもしれない。
もう二度と目を開くことはないかもしれないけど、それでもお姉ちゃんには生きて欲しかった。だから選んで貰うしかない。目を閉じたまま、新しい能力を手に入れて、あの部屋よりも真っ暗な世界で生きるという選択肢を。
私とパルスィが話をしている間も、お姉ちゃんはずっと玄関ホールの中にいた。この距離だ。聞こえてないはずがない。だけど相変わらずの様子で、お姉ちゃんは見えないペットや私と遊んでいるようだ。
感覚というのは案外当てにならないもの。意識の取捨選択で聴覚を切り捨ててしまえば、声などただの音波に過ぎない。衝撃的な内容やお姉ちゃんにとって初耳の事もあったろうに。動揺した素振りすら見せないのは肝が据わっているというより最初から聞こえていなかったと考える方が正しい。
なるほど。ある意味では今のお姉ちゃんは私に近づいているのだ。無意識を操る能力があれば感覚のオンオフも自由自在だ。それこそ見えない物が見えるようにする事だって出来る。私だけじゃなく、他の人の目にも。
自殺未遂を私は心の弱さだと思っていた。臆病だから出来なかったのだと。現実逃避にしたって同じことだ。だけど本当は違うのかもしれない。微かに残っていた心の強さが自殺を食い止めたとしたら。現実逃避だって自己防衛の一種だ。あのまま本当に私が死んでいたとしたら、きっとお姉ちゃんは廃人か今度こそ自殺を成功させて閻魔様の裁きを受けていただろう。
望みはあるのかもしれない。まだ諦めるには早いようだ。
手を伸ばせば間に合うかもしれない。
しかし、それもこれも全ては目を閉じた原因が分かったらの話だ。根本的な原因を知らないままだと私としても手の打ちようがない。どうしてお姉ちゃんは能力を放棄しようとしたのか。
切っ掛けを作ったのはパルスィだ。よくよく考えればある程度の推測はついているのだろう。だが所詮は推測に過ぎない。お姉ちゃんから直接訊くに超したことはないのだ。
そもそもパルスィの姿は玄関ホールにはない。全てを私に任せ、居なくなっていた。
「忘れてるかもしれないけど、私だってロクな妖怪じゃないのよ。格好良いこと言いながら、実質はあなたに丸投げしてる。私じゃ役に立たないって言い訳してね。悪い結果になるのが怖かったのよ。あなたに全て任せるわ。どんな結果になろうとも、私は絶対責めたりしないわよ。そんな資格、とうの昔に無くなっているもの」
言われずとも、私は最後までお姉ちゃんの側にいるつもりだった。もう絶対に投げたそうとしたりしない。
座り込んで空気をこねるお姉ちゃん。覗き込むように私も腰を屈めた。
「こんにちは、さとりさん。またお邪魔させて貰いますよ」
「どうぞどうぞ、相変わらず何も無い所ですが。ああっ、何でしたらお茶菓子でも用意しましょうか」
「お構いなく。今日はちょっとさとりさんとお話をしに来ただけですから」
何度も何度も話した甲斐あって、お姉ちゃんの中で高石に対する好感度はかなり上がっている。今では仲良くお茶をする事も出来るぐらいだ。だが楽しくも何ともない。演技しながらではお茶の味も分からないし、そもそも席に座っているのは私ではないのだ。逆に空しさがこみ上げてくるのを押しとどめるのに精一杯。
いつか姉妹でお茶が出来る日を祈りつつ、私はお姉ちゃんの双眸を見つめた。
「妹さんが第三の目を閉じた原因に心当たりはありませんか?」
さすがに核心から突くことは不可能だ。少しずつ近づけていくしかない。
お姉ちゃんは難しそうな顔で考え込み、やがて寂しげな表情で首を左右に振った。
「嫌われたくなかったからと言っていますが、それも本当なのかどうか。もう心が読めませんから私には真実を知る術がありません。推測なら幾らでも出来ますけど、そんなことをしても空しいだけです」
「何かの病気という可能性は?」
「有り得ません。妹は望んで第三の目を閉じたのです。後悔はしているかもしれません。ですが自らの意志で目を閉じたことに変わりはない」
私はお姉ちゃんの心が読みたくないから第三の目を閉じた。本当に臆病なのは私の方。現実から逃げたお姉ちゃんに対し、私はお姉ちゃんから逃げ出したのだ。これを心が強いと言えるのか。だがいずれにせよ、能力なんていらないと思ったのは事実。
「さとりさんにも理解できませんか。しかし人生は複雑怪奇ですから。さとりさんも思った事がありませんか? 能力なんていらないと」
ほぼ核心と言っても良い。喉の乾きが鬱陶しかった。
お姉ちゃんは黙り、何も言わない。無視されているというよりも、真剣に何かを考えている感じだ。即答しないあたり、何か心当たりがあるのだろう。そしてそれこそが、今回の事件の根本的な原因なのだ。
自然と拳に力が入る。姿勢もいつのまにか前のめりになっていた。
焦ってはいけない。焦ればお姉ちゃんは警戒して遠のいてしまう。
私は待つしかなかった。
「私の人生もそれなりに長いですから。何度かは思ったことがありますよ。こんな能力、いっそ無かったら良かったのにって。例えば知りたくもないことを知ってしまった時とか、後は人から嫌われた瞬間が分かるのもあまり気持ちは良くなかったですね」
固唾を呑んだ。お姉ちゃんの言葉には続きがある。
軽く語っているのはあくまで前座。本命はその先にあるのだ。
視線を彷徨わせるお姉ちゃん。落ち着かないのは向こうも同じ。心の一部をさらけ出しているのだ。据わりが悪いのも無理はない。
固く閉ざされていた口がようやく開いたのは、それから五分後の事だった。聞こえるか聞こえないかの小声で、お姉ちゃんはボソリと呟いた。
「こいしが羨ましかったんです」
私の世界には存在しない言葉だった。危うく聞き流す所だったのを、咄嗟に掴んで連れ戻した。だってあのお姉ちゃんが、誰よりも格好良くて頼りになって臆病な所はあるけれどとても優しいお姉ちゃんが。私の事を羨んでいるなんて。
何かの冗談かと思った。「嘘ですよ。高石さんを少しからかっただけです」と続けて言われても怒りは覚えない。むしろ納得するぐらいだ。そうだよね、そうに決まっている。お姉ちゃんが私を羨むなんて、そんなの有り得ない。
だけど世界は私の想像を遙かに上回っていた。
「知っての通り、あの子は第三の目を閉ざしました。だけど逆に新しい能力を手にいれて、心が読めないのに他の種族と普通に接している。覚であった頃に比べれば、友人と呼べる方々も増えたことでしょう。私には数えるほどしかないのに」
確かにそれは事実だ。覚であった頃は向こうから私を遠ざけようとしていた。心が読めるのだ。並大抵の妖怪や人間であれば敬遠するのは当然の反応だろう。大妖怪ですら私達には進んで近づこうとしなかった。例外をあげるとすれば閻魔様やパルスィぐらいである。
だけど第三の目を閉ざしてからは、あちらも心が読まれないと知っているからなのか中には普通に接してくれる連中も増えてきた。それに幻想郷の中には覚と知っていても平気な顔で付きあってくれる奴らもいる。私の方が世界を広げ、お姉ちゃんの世界は地霊殿から出ていない。その差もあったのだろう。
「当主と呼ばれながら狭い地霊殿の中でペット達としか接していない私。幻想郷中を放浪し、様々な人達と交流を深めていたこいし。端から見ればどちらが姉なのが分からないでしょうね。仕事が忙しいからと理由をつけては外に出ようとしなかった。私は情けない妖怪です」
今にも泣きそうな顔で呟く。
私は何と言ったらいいのだろう。閻魔代理の高石であれば、何か掛ける言葉も見つかったのかもしれない。だけど駄目だった。今の私はただの古明地こいしになっている。お姉ちゃんの妹になっている。
掛ける言葉なんて、どこにも無い。
「もうすぐあの子の誕生日なんです。あの子はまた一つ年を重ねる。まるで私を置いてどんどん大人になっていくようで、あるいは焦っていたのかもしれません。私ももっとしっかりしなくては。こいしのようにならなくてはと」
根底にあったのは嫉妬。だからパルスィが察知できた。
妬みや怨みに関しては覚よりも敏感なのが橋姫だ。不思議でも何でもない。
「あの時、私は思ったのです。こんな能力なんて無くても、立派にやっていかないとって」
お姉ちゃんが頭を押さえる。呆気にとられていた私は、あからさまな変化に気付けていなかった。
「だ、だから、わ、私、は……」
言葉は途切れ途切れに、眼球は忙しなく動き、身体中も小刻みに震えている。何かの発作かと主ぐらいお姉ちゃんは挙動不審になっていた。まるで少し前のように。
いけない。やっぱり核心を突きすぎた。
元から壊れようとした世界だ。いつかはこうなるのも分かっていた。だけどこんなにも早く崩壊しようとしているのは、お姉ちゃんが思い出してしまったからなのだろう。
「もういい! それ以上は思いだしたら駄目!」
必死な声も空しく、やがて空想の世界は終わりを迎えた。
「だから私は第三の目を閉じたの」
そしてお姉ちゃんは暗闇の世界へ戻ってきた。
玄関ホールを揺らすような絶叫。獣の唸り声か、はたまた悪魔の遠吠えか。いずれにせよ思わず耳を塞ぎたくなるような悲鳴は、お姉ちゃんが発するものだった。ついさっきまで有った余裕は霞のように消え去り、必死の形相で私にしがみついてきた。
「大丈夫! 私はここにいるよ!」
私が死んだと思ったから、お姉ちゃんは空想の世界に逃げた。だから私が生きていると分かれば発作も治まると思ったのだけれど。この恐怖はそういう類のものではないらしい。ただ漠然とした不安。得体の知れない恐ろしさ。当の本人ですら自分が何に対してこうも怯えているのか分からない。
強いて言うなら恐怖を恐れているのだ。いくら言葉をかけたところでお姉ちゃんの心を落ち着かせることはできない。それでも無言で見続けるなんてこと出来るはずもなく、優しく抱きしめたところでやっぱり効果は全く無かった。
熱い所から冷たい所に移動すれば心臓発作で死んでしまう。自分に都合の良い温かい世界と容赦のない残酷で冷たい世界への移動。これはいわば心臓発作の前兆みたいなものだ。
「大丈夫だから、大丈夫」
私に出来ることは抱きしめながら、ただひたすらに安心させる言葉を投げかけるだけ。効果は無いと知りながら、偽善のように何度も繰り返す。今は兎に角、お姉ちゃんを一人にすることが一番危ない。無気力は自殺する為の行動力すらも奪うのだが、こういった発作は突発的に死のうとする事がある。
離してはいけない。私が抱きしめているのはお姉ちゃんの命でもあるのだから。
何分か、あるいは何時間か。しばらくすると悲鳴も途切れ、私にもたれかかる力も強くなってきた。
「こ、いし?」
掠れた声で呼ばれた名前に、思わず目頭が熱くなる。ここ数日は壁や空気に向けられていた言葉が、今はちゃんと私に向けられている。ただそれだけの事なのに、どうしてこうも嬉しくなってしまうのか。
鼻をすすり、抱きしめる力を強くした。
全てを忘れてしまいたい。そしてまた元のように仲良く暮らしたい。だけどその為には、どうしてもお姉ちゃんに辛い選択肢を突きつけなければならなかった。今のお姉ちゃんが果たして私の望む方を選んでくれるのか。かなり難しい。
それでもやるしかなかった。
「お姉ちゃん。扉はまだ見える?」
「扉、ですか。ええ、まだ見えます」
矢継ぎ早に質問を続ける。お姉ちゃんに正確な現状を把握させてはいけない。自分が何をしてきたのか。何をしてしまったのか。それを知ったらお姉ちゃんはきっと、選択する事からも逃げ出してしまうから。
卑怯だと知りながらも、私は気付かれないように努力していた。
「それはお姉ちゃんの深層心理が作りだした二つの選択肢。片方は能力を取り戻せるけどお姉ちゃんの決意が無駄になる。もう片方は決意を貫けるけど能力は永遠に返ってこない」
「………………」
「絶対にどちらかを選ばないと駄目なの。もう逃げている猶予はない」
肩を掴み、真剣な表情で告げる。
お姉ちゃんの顔に困惑や戸惑いの色はなかった。やはり私達の会話を聞いてはいたのだろう。ただ理解しようとしなかっただけで、どうして第三の目が閉じてしまったのか。どうして能力を放棄しようとしたのか。その全てを思い出しているはずだ。
勿論、過去の覚達が自殺してしまった事も。だからこそ理解して欲しい。また妄想の世界に逃げても無駄なのだと。いずれにせよ選ぶしかないのだ。新しい能力を手に入れて生きるか、覚の能力を取り戻して死ぬか。
覚の能力を取り戻し、尚かつ生きるという道もあるのかもしれない。過去に例がないというだけで、お姉ちゃんが出来ない保証はどこにもなかった。だけど自分がどれだけ嫌われてしまったのか、それを本当に知ってしまえば耐えられないだろう。分の悪い賭けにしかならない。
「選んで、お姉ちゃん。どちらの扉を開くのか」
「……こいしはどっちが良いの?」
私に躊躇いはなかった。
「お姉ちゃんと一緒に楽しく暮らせる方」
これ以上はなく、これ未満も存在していない。
古明地こいしにとっての絶対条件。それが古明地さとり、お姉ちゃんなのだ。
「で、でも、私は、あなたを無視していた!」
「あれはうん、寂しかったな。だけど過去はどうでもいい。これからお姉ちゃんが私に微笑んでくれるんなら、それで全部チャラだよ」
「あなたを傷つけてしまった!」
視線が向けられた先にあるのは私の胸。心臓を見せる為に切り開いた胸だ。
「怪我はもう治ってるし、あれぐらいじゃ私の心は全然痛くない。むしろお姉ちゃんが手首を切った時の方が痛かった」
「どうして?」
「お姉ちゃんと一緒にいたいから。だからお姉ちゃんのいない世界こそが私にとって一番の地獄なの」
この暗闇の世界を苦痛だとお姉ちゃんは言う。
だけど私の苦痛は全く違うのだ。今となってはあの部屋だって苦痛のうちには入らない。両親にも怨みはあっても苦しさは感じなかった。何よりも大切なものが出来てしまったのだから、それが失われる事こそが最大の苦しみなのだ。
「知らなかった? 私、お姉ちゃんが大好きなんだよ?」
言葉は繰り返せば陳腐になる。私は何度、大好きという言葉を使ってきただろう。
とっくの昔に陳腐化して、今は化石のようになっているかもしれない。それでも私は構わず使うのだ。この世の中をどれだけ見渡しても、平仮名や漢字を勉強しても、これ以上にお姉ちゃんへ対する気持ちを表すのに相応しい言葉はないのだから。
「なんと、眩しい」
自嘲するような苦笑するような複雑な笑顔。
「やはりあなたは心が強い。こんな何も聞こえない世界に恐怖を抱かないなんて、私には到底真似できない。耐えられるわけないでしょうに」
「お姉ちゃん……」
覚にとって信じられるのは心の声だけ。言葉など偽りが塗りたくられた出来損ないの伝達手段だ。そう決めつけているのが覚という妖怪。そしてお姉ちゃんは覚の見本とも呼べるぐらい能力に依存していた。
生半可なことでは捨てられない。少し昔の私ならそう諦め、お姉ちゃんに全てを任せていた。
だけど今は違う。知っているから。
挫けそうな決意なれど、一度は思っているのだ。覚の能力なんていらないと。
扉が見えている限り、まだ希望は潰えていない。
「じゃあ私が手をとるよ!」
お姉ちゃんは目を見開いた。
「私を助けてくれたのはお姉ちゃんだった。だから今度は私がお姉ちゃんを助ける番。暗闇の世界が怖いって言うなら、そこから抜け出せるよう私が手を引っ張る!」
「そんな事出来るわけがない!」
「出来るよ! いや、絶対にやる!」
両親は怖い人達だった。そして覚の中でも優れている方だった。今の私なら軽く倒すことも出来るかもしれない。しかし当時の私では傷一つ負わせることは出来なかったと断言できる。
子供と大人だ。能力云々を抜きにしても、元々相手にならない。
それをお姉ちゃんは覆した。理屈のちゃぶ台をひっくり返して、強引に自分の道理を突き進めたのだ。だからこそ、こうして今私は此処にいる。もしもあの時、お姉ちゃんが私を助けてくれなかったら今頃は生きていなかったかもしれない。閻魔の監視があったとはいえ、こっそりと監禁するぐらいの力はあったのだ。うっかり殺してしまっても、もしかしたらお咎めの一つで済むような策を練っていたかもしれない。
仮定の話だ。論じても意味はない。
ただ一つだけ確かなのは、こうして私がお姉ちゃんの目にいるということ。
「お姉ちゃんは私が助ける! 絶対に死なせたりしない!」
上気にした頬に涙を這わせながら、強い意志をこめてお姉ちゃんを睨み付ける。言葉が途切れるたびに鼻をすすり、拳は強く握りしめられていた。
「どうして、どうしてあなたはそこまで私なんかの為に頑張れるのよ。どうして、こんな臆病で情けない妖怪を好きになったりしたの!」
卵は産まれてくる親を選べない。
だけど雛は親は選べるのだ。
「私を助けてくれたのがお姉ちゃんだから」
部屋という殻に閉じこめられていた雛鳥の私。殻を破ってから最初に見たものは美しいセカイと、格好良いアネの姿。
「今だから言えるけど、あれはそんな素晴らしいことじゃないわ。私はただ無条件に従ってくれる味方が欲しかっただけ。何も刷り込まれていないあなたなら御しやすいからと思って、だからあなたを助けたのよ!」
「打算があってもいい。助けたくて助けたんじゃないとしても、結局は何も変わらないよ。あそこから私を連れ出してくれたのはお姉ちゃんなんだから」
嘘偽りのない言葉。せめてこれだけは、心が読めないお姉ちゃんにも伝わって欲しい。
願いが届いたのか。あるいは気持ちを酌んでくれたのか。
呆気にとられていたお姉ちゃんは、やがて力無く肩を落とした。
浮かべていたのは寂しげな笑顔。
「あなたは、やっぱり強いわ」
「お姉ちゃんの妹ですから」
えっへん、と胸を張る。
「確かにもう逃げることはできないし、私としても逃げるつもりはない。選ぶしかないのなら、私の答えはもう決まっているわ」
一瞬強ばった身体が、すぐさま解れていった。
何日ぶりだろう。何週間前のことか。
優しい笑顔が私に向けられたのは。本当に、どれだけ昔のことだったのか。
「ありがとう、こいし」
私の返事を聞く前に、お姉ちゃんは意識を失った。
Ⅴ
ありがとう、お姉ちゃん
地霊殿にあった資料を漁るうち、私は母親の覚がどういう妖怪だったのかを知ることになった。一般的には衝撃の事実かも知れないが、私からしてみれば産まれる前に死んだ過去の妖怪。そもそもお姉ちゃんを治す為に必死で、そんな妖怪の事などどうでも良かった。
ただ一つだけ気になったのは、私の母親もまた他人の無意識を読むことができるらしい。しかし問題なのは第三の目を閉じていないのに新しい能力を取得したということ。つまり私の母は無意識と意識の全てを読むことが出来たのだ。
これは覚の歴史を紐解いても前代未聞の出来事であり、多くの覚が喜ぶよりも恐怖を覚えたという。だから覚達は悪女だの罪人だのと有りもしないレッテルを貼り付け、覚の名誉を守るという名目で母を殺した。相手の心を読めたところで、所詮は脆弱な妖怪。集団に襲われたら命を守る術などなかった。
これで終われば覚の歴史に語られない闇が追加されただけなのに。母は死ぬ前に一人の妖怪を産み落としていた。それが私。当時は名前もない子供だった。化け物の子供は化け物になるかもしれないからと、やはり覚達は私を殺そうとした。だが一人の閻魔が現れ、殺すことを禁じたのだという。
偽善者ゆえの戯れ言という説もあれば、覚の監視を任されていた閻魔としての実力に傷を付けたくなかったという説まで様々だ。だがどれもこれも適当に後付けされたようなもので、真相は今に至っても分かっていない。覚達に心を読ませなかったのだ。おそらく十王レベルの閻魔だったのだろう。
閻魔の真意はさておくとしても、困ったのは覚達だ。手元に残されたのは化け物の子供。殺すこともできず、かといって面倒を見るのも御免だ。壮絶ななすりつけあいの果てに、古明地という家に引き取られることとなった。
後はお決まりのパターン。地下牢に閉じこめられ、永遠に飼い殺されるところだったのをお姉ちゃんが救ってくれた。両親のように忌み嫌うことなく、ただ私を利用したいが為に。
この世で初めて私を必要としてくれたのは、他ならぬお姉ちゃんだったのだ。
私が懐いたのも無理のない話である。
「んん……」
安らかな寝顔を見ていると、ふと過去の記憶が頭に浮かんできた。忙しいから改めて考えることは出来なかったけれど、なんともまあ我ながら壮絶な人生を歩んできたものである。
まさに薄氷。踏む場所を間違えていれば、ここには姉妹共々いなかったのかもしれない。
まだ油断は出来ないけれど。お姉ちゃんがどちらを選んだのか答えは出ていない。
気絶しているのを起こすわけにもいかず、膝枕をしながらお姉ちゃんが目覚めるのを待ち続ける。本来なら緊張するべきところだ。いわば判決を待つ囚人のようなもの。暢気に膝枕などしている余裕はない。
だけど不思議と私は穏やかだった。心臓はいつも通り平常営業。脂汗の一つも掻いておらず、呼吸も至って自然そのもの。下手をすればいつもより落ち着いていた。
打算的で、臆病で、追いつめられたら弱いお姉ちゃん。
心配する要素は沢山あるけど、それでも私は信じている。
「う、ん?」
目蓋が微かに動いた。顔をしかめながら、身をよじるお姉ちゃん。
やがてゆっくりと目が開き、私の顔を見つめた。
「おはよう、お姉ちゃん」
ぼんやりとした眼に光が戻り、優しい笑顔で挨拶を返す。
「おはよう、こいし」
第三の目は開いていない。お姉ちゃんは未来を選んだ。
思わず抱きしめそうになったところで、急に胸を抑えて苦しみだす。
「お姉ちゃん!?」
「ごめんなさい、少し具合が悪いみたい。まぁ、あれだけの事があった後ですから。仕方ないのかもしれませんけど、ね」
私の時は痛みなど無かったのが、なにせお姉ちゃんは時間がかかった。副作用だってあるのかもしれない。お医者さんでも呼びにいこうとかと立ち上がりかけた私を、お姉ちゃんが制した。
「痛み止めの薬が私の部屋にあるから、ちょっと取ってきてくれませんか?」
「お姉ちゃんの部屋だね。うん、分かった」
床に寝かせ、走り出そうとしたところで立ち止まる。不意に振り向いて、
「おかえり!」
呆気にとられたお姉ちゃんは、表情を緩め、
「ありがとう」
それは思い望んだ答えじゃなかったけれど、お姉ちゃんなりの感謝の気持ちなんだろうと解釈した。
お姉ちゃんは時折、こちらの予想していない答えを返してくる。私も何を考えているのか分からないと言われることが多いけれど、お姉ちゃんだって同じぐらい不思議な妖怪だ。かつて心が読めていた時だって、分かるけれど理解できない事が多々あったし。
きっと今だって心の中では何か不思議なことを考えているのだろう。でもそれは天才とかそういう連中と同じことなのかもしれない。お姉ちゃんは言っていた。竹林のお医者さんは頭が良すぎて何を考えているのか分かっても理解できないと。
だからなるべく会いたくないのだとも言っていた。もっとも私の対処法は違う。理解できないのなら、考えないようにすればいいだけ。それだけの話。
薬を見つけ、ついでにコップに水も入れておく。お盆から落ちないよう注意しつつ、いそいそと玄関ホールまで戻った。
「お待たせ」
相変わらず玄関ホールには冷たい空気が蔓延っていた。
「待ちくたびれましたよ」
そう言ってお姉ちゃんは微笑んでくれるものと思っていた。だけど姿はどこにも見えず、言葉も全く聞こえてこない。お姉ちゃんはいなくなっていた。
まさかあの身体でふらふらと出かけるわけもないし、あるいは誰かに連れ去られたのか。迂闊としか言えない。命の危険は自殺だけではないのだ。むしろお姉ちゃんに限れば殺そうと企んでいる奴らだって多いはず。もしも新しい能力を手に入れそうだと知れば、刺客の一人や二人は送り込んできても不思議ではない。
だがまだ遠くには行っていないはず。探せば近くにいるはずだと、
私は思っていた。
「ん?」
ピチャリ、ピチャリと。水音が玄関ホールに響き渡る。
誰もいない。蛇口もない。勿論、コップから水が溢れているわけでもない。
どこから聞こえてくるのだろう。四方を見渡し、耳を澄ます。
それは玄関のホールの中央から聞こえてきた。
なるほど。確かに小さな水たまりが出来ている。
ああでも何だか変な水たまりだ。雨水ではないだろう。
だとすれば雨漏りでもない。
水たまりの上には豪華なシャンデリアがあるだけ。それ以上は何もない。
何もないのだ。見てはいけない。
絶対に。顔を上げるな。気付いてはいけない。
例え水が赤かろうと、お姉ちゃんの姿がなかろうと。
上を見てはいけない。
いけなかったのに。
「お姉ちゃん?」
種が分かれば簡単だった。水たまりの原因はお姉ちゃんの右手。だけど手首を切ったわけじゃない。お姉ちゃんはそんなことしない。する必要もないのだ。
血は人差し指から垂れていた。どこかで怪我でもしたのか、まさか自分で噛んだわけでもあるまい。そんなこと、する意味がない。
だから壁に書かれた文字だって、お姉ちゃんのものではないのだ。
『ごめん』
これではまるで遺書ではないか。どうしてそんなもの、お姉ちゃんが遺すのか。問いかけても答えてくれない。私を嘲笑うかのように、ブラブラと左右に揺れている。
巫山戯ているのだろう。子供のように無邪気なお姉ちゃん。
だけどしばらくすれば、すぐにさっきのような顔で目を覚ましてくれる。
だって選んだのだ。お姉ちゃんは未来を。
私と一緒に生きる。強く生きるのだと選んだからこそ、第三の目は――
しっかりと開かれていた。
「な、んで?」
私は見た。お姉ちゃんの第三の目が閉じられていたのを。
だけど同時に気付いてもいる。もしもちょっとだけ時間をおいてから目が開いたのだとすれば、お姉ちゃんが胸を押さえたのも納得できる。私に見せたくなかったのだ。自分が本当はどちらを選んだのか。
どちらを放棄したのか。
結局、お姉ちゃんは暗闇の世界では生きられなかった。私が特殊だったのだ。私が化け物だったのだ。
お姉ちゃんはただの覚だ。天才かもしれないけど、どうしようもないぐらいに覚だった。
世界は何度も私に突きつけた。お姉ちゃんはいずれ死ぬのだと。
私はそれを退けた。お姉ちゃんは絶対に私が守るんだと。
その結末が、これだ。
「……何でこうなっちゃったんだろうね、お姉ちゃん」
第三の目から伸びた紐がネックレスのように首へ巻かれている。指先には血のマニキュア。お姉ちゃんには似つかわしくない、安っぽいアクセサリだ。
だけど、今のお姉ちゃんには不思議と似合っているように思えた。
「ごめんなさい」
助けられなくてごめんなさい。
守れなくてごめんなさい。
私だけ生き残ってごめんなさい。
生まれてきて、ごめんなさい。
うん、点は入れない
良い作品だったからこそ二人には幸せになって欲しかった。
結末が多少読めてはいたけどそれを乗り越えて幸せになって欲しかったです
続き、サイドストーリーがくると主に俺が喜びます!
すごいですが、上の方と同じく、恐縮ですが少しとっ散らかってるような印象を受けました。
個人的にパルスィが少しひっかかる印象でした。
しかしそれ故にこそ、どうにかして回避して欲しかったという思いもあります。矛盾していますが。
いずれにせよ、興味深い話をありがとうございました。
どうしても途中で読むのを止められませんでした。
けれど、一つ一つ丁寧に可能性が潰されて行って、そこに向かわざるを得なくなってしまっていた。
これをVNのゲームだとするなら、どこまで選択肢を戻せばハッピーエンドに到れるのかが検討もつきません。
敢えて言うなら、最後にこいしは気を抜きすぎた気もしますが、流れとしては仕方がなかった。
疑問点は2つ。
映姫が件から手を引いた理由。
そして最後の瞬間、何故パルスィはその場にいなかった。
もしくは、いてなおさとりを止めなかった。
某『ひぐらし~』以来、初めて鬱エンドの先をみたいと思いました。
長々とすみません。
ある意味不本意ながら、100点を付けさせて頂きます。
ありがとうございました。もう一回読んできます……
その果てにあるものだからこそこの結末は素晴らしい。
ハッピーエンドでも100点の話でしたね、これはもう、結末がどっちでも
完全に納得できてしまう。
それに他の方がおっしゃたように伏線を回収しきれていないのも。
結局さとりは何がしたかったの?って感じです。最初に目を閉じた動機も少し無理があるんじゃないかと……。
あの能力で怨霊を治めている身ですし(地底の代表とも言えますし)、パルシィに煽られたりこいしに憧れたといっても、相当のことがない限りは閉じないのではないのかなと思いました。自分の読みが浅いからそう思うかも知れませんが……。ともかく読めてよかったです
読んでいる間、この結末はぼんやりと悟っていたのですが、やはり姉妹二人でお茶ができる未来を見てみたかったです・・・
彼女達二人にもっと味方はいなかったのでしょうか?
ペットたちのように目を閉じてしまったさとりにはこいし以外には誰も寄り添えなかったのでしょうか?
本当にこいしが言ったように狭い幻想郷の誰にも救えなかったのでしょうか・・・
あるいは彼女達が遂に持てなかった無条件で愛してくれる、そして包み込んでくれる優しい親のような存在が必要だったのかもしれません。
ハッピーエンドを無意識に願ってしまうものですが、この終わり方を見た時には、そうだよなと、すぐに納得しました。
嗚呼、氏の作品にはいつも心が揺さぶられる。
可能性としては四季様の協力、もしくはパルスィの真意の把握なのでしょうか
これほど話の裏が見たいと思う作品も珍しい
唐突な結末がやはり納得できませんでした。
エンターテイメントとしては正しいんだろうけど、
結末ありきの物語は化かされたって気になります。
途中から方針変更じゃなく最初からさとりの自殺で
終えるつもりだったんですよね?
だとしたら非常に悪趣味。100点は入れられません。
なにか救いがあって欲しいと思いつつ読んでたけど、やっぱりこうなるよね、というラストでした。
ありがとうございました。
しかし、重い。
アフターストーリーorサイドストーリー欲しいです
個人的には好き嫌いはないからね、締め付けられた
個人の納得とかこのキャラはこうだとか、そういう幻想はいらないよね
幻想郷は総てを受け入れる、それはとても残酷なことですもの
貴方の物語は、締め付けられた。そんな感想
勝手な憶測ですが、こいしの母は死んでいなくて、能力を使って閻魔を操っている……なんていう想像をしてみたり
また、途中退場するなら映姫は最初から書面だけでのやり取りでもよかったような気がします。
でもやっぱり悲しいなぁ
なんでこういう展開になるのかさっぱりだった。
こうなるだろ、というあらすじが予め脳内で組みあがってるんだろうけど、
それを表現し切れていないというか。
覚りの設定にしても無理がありすぎてこの作品を書きたいがために
考えました的な粗が目立つというか。
ちなみにハッピーエンドで終わってたら50点以下をつけてたと思うw
こいしもさとりも人間味がありすぎますね……
でもこの作品に引き込まれました。とても興味深い話だったと思います。
ただ若干ひっかかる所がありました。それは他の方々がおっしゃっているような所です
最後にこのこいしに救いの手をさしのべてくれる者が現れる事を祈って締めたいと思います
結末自体に文句を言うのはおかど違いだと分かってはいるけど、これはちょっとあんまりだと思う。
逆転の可能性が見えてきて、これからどのようにして姉妹が苦境を乗り越えていくかって時にカタルシスも無くあっさり終わってしまいとにかく悔しいし虚しい。
話自体はとても面白かったのでこの点で。
印象に残る作品だった。
しかし作中で何度も希望が現れるのは、読後の虚しさを煽ります。可能性など何もないと。そう感じてしまったので100点はつけられませんでした。
皆さんは詰みにいたる形までに何か違和感があるとおっしやいますが、私は最後詰みの瞬間こそに違和感を感じます。
もう少しこの結末に相応しい最期を期待しました。
この素晴らしい文章にこれ以上言葉が見つからないので申し訳ないです。
最後まで必死に頑張ったこいしがかわいそうです。
できれば救いのあるエンドも書いていただきたいです…
それはともかく、最初からバッドエンドが確定しているのにもかかわらず、希望をちらつかせ、最後に急転直下という構成はすばらしいです。
読後感は重いですが、充実した良い作品だと思いました。
そして疲れるSSとは大抵いいものだと思うのです。
タイトルを改めて見るとゾッとしますね……
何にせよ面白かったです。
だからこそ100点を入れざるを得ない