闇夜の太陽
日本はおろかなる風俗ありて、歯の生えたる子を生みて、鬼の子と謂ひて殺しぬ
貞徳撰『徒然慰草』
一
冬の或る夕暮れ、上白沢慧音は、一人赤子を抱いて、里より離れた龍ヶ池へと向かう。その池は、日本中でしばしば聞くことが出来る民話と同じように、龍の伝承を受けし池であり、かつて龍がその池を住処とした謂れを持つ。そこはやや迷いの竹に近いところにあり、人も妖怪も、また妖精も、種族の別なく用いている。それでいて争いのないことは、ある種伝承の証明と思えなくも無い。
何故、彼女はその池へと向かうのか。
その赤子を、殺して、沈めるためである。
いや、殺さずにおいてもよい。ただ、沈めさえすれば、それでことは済むのだ。
その赤子は、今より僅か五時間前に生まれた子供である。その口には、生まれながらにして歯が生えていた。
鬼子である。
鬼子は殺すのが、里の掟である。
彼女はその任を受けた。
「おぎゃ、おぎゃぁ……」
上白沢慧音は、顔を俯けながらも、前へ前へと歩き進んだ。その目は確かに、弱弱しく泣き叫ぶ赤子の方に向けられていた。が、その目は虚ろであった。然しながら、決して、歩みは止めなかった。
その日の太陽は、赤く赤く、一際強い熱を放ち、そうして燃えて沈んでいった。その対極に、月は静かに昇るのだった。肌を刺す月の息吹が、次第次第に、人の心を冷ややかなものとしていく。
彼女の身体は、すっかり夕焼けで赤く染められていた。
だがその顔は、寒さに色を失っていた。
二
「やぁ、調子はどうだい?」
「お蔭様で、何も悪いことがなくて、至って健康です」
「そうか。ならよかった」
「ホント、先生にはお世話になりっぱなしで」
「ハハハ、なぁに、大事な教え子夫妻だからな。心配だし、かわいいし。こっちが世話を焼いてやりたくって、仕方がないんだ。気にするな」
「そんな、ホント、良くしてもらって……仕合せなことです」
その夫妻は、ともに彼女の教え子であった。そうして、教え子達の中で、初めて夫婦となった二人であった。その子供は、初めての子供であった。それは、三人にとって。
「しかし、もう少しで子供が産まれるんだなぁ。出産には何度か立ち会った経験があるが、こうまで身近な者が、子供を産む機会はなかったからな。なんだか、私までも緊張してしまうよ」
「はっはっはっは、先生。先生が緊張しちまったんじゃ、それがうちのに移って、よくないですぜ?」
「いや、これはその通りだ。すまない、すまない」
その夫は、如何にも豪気である。身の丈は六尺を越える。骨太で、肉質な体つきをしている。腕、脚などに体毛深く、髭もすっかり伸び、その貫禄は男盛りの山男にも、引けをとらない。生業はきこり。木工大工として、諸種の技術も身につけており、時にはそれを活かして稼ぎを得る。生徒としては、決して優等生ではなかったが、男としては、もとよりこの様な生き方も有る。それが子供時代から、容易に見て取れたものであるから、上白沢慧音も、強いて書物を勧めなかった。ただ最低限の読み書きを求めた。その心をよくよく理解し、苦手ながらも努力をしてくれる、心優しい少年であった。
「そうです、先生。子供の名前、考えてくれましたか?」
「ん、あぁ。まぁ、候補は三つにまで絞れたのだがな。どうにも、一つには出来なくって」
「まぁ、先生ったら。もうずっと、お願いしていますのに。中々お決めになってくださらないんですから」
「いや、どうしても、人の名前を決めるとなるとな。何せ一生のことだろう。どうしたって、慎重になってしまうよ」
「うふふふ。別に、太郎でも、花子でも、先生のお決めになった名前でしたら、文句は言いませんよ?」
「そんな、それでは、私の面子ってものもあるじゃないか?そう簡単には出来ないよ」
「あらあら。先生、面子で私の、大事な赤ちゃんの名前をお決めになるつもりですか?」
「そ、そんなつもりじゃないさ。これは、あれだ。言葉の綾でそう言ったまでのことだ」
「うふふ。冗談ですよ、先生」
「全く……君は、妻になってから、人が悪くなったぞ?私をしょっちゅうからかおうとするんだからな」
「あら、ごめんなさいね、先生?」
その妻は、勤勉で、器量持ちで、そして家のことも良く出来る、気立ての良い娘だった。最近でこそ、やや砕けた調子でふざけることも多くなったが、それも、微笑ましい。夫の影響か、或いは子を宿したことの強みか。いずれにしても、愛嬌が増して、より魅力的になったことは間違いが無い。幼い頃から、長い髪を自慢にしていた彼女は、着物は藤の古いものを着ていようとも、髪は必ず梳いて直くし、これを束ねて清楚にしていた。小躯であるから、なおさら長髪が人目を引く。人妻となり、子を宿しても、髪への愛着は変わらぬようだが、強いて言えば、洗い髪こそ美しくなった様に思える。これもやはり、母の美しさか。
二人の教え子との想い出は、今も、非常な勢いで、増えていっている。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
「おお、産まれた!!やったな、男の子だぞ」
「あぁ、よくやった。よくやった」
夫は、子を見て抱き寄せるより、まず妻の手を強く握り、嬉しい笑顔を、しっかりと見せてやった。そうして、それを見て、何よりも有り難く思う妻がいた。
その光景は、如何にも微笑ましく、何とも羨ましい。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
「……」
(先生、ちょっと……)
(……どうした?)
産婆の手にある赤子は、決して、母の手元には行かなかった。そして、母親には何も知らされないのである。が、何かがあることは、確かに分かる。死産ではない?では何か?幾つかあるだろう。だがどれも、不吉である。それを察して、色を失う。父もまた、同様である。が、それでも、つとめて平常を保つ意気は、何とも健気で哀れを誘う。
「先生……子は鬼子でした」
「……あぁ」
窓から差し込む光が、穿った筋となって、教え子の顔に掛かっていた。光を受けたその子は、見たことも無いくらいに、悲壮で、尊い、覚悟の目をしている。それが眩しい。
「……検分を、お願い致します」
「潔のよいことだ」
「ご苦労をお掛け致します」
そうして、頭を深々と下げる様は、私の胸を抉った。
「どう、やるつもりだ」
「これで殺して、埋めてやるつもりです」
そこには、小太刀が一つあった。
それは元服に際して、彼の父が、彼に与えたものであり、それは遺品の一つにも数えられるべきものであった。そうしてそれは、彼の子にとっても、将来は遺品の一つとなり、それはまた、その子にも……それを思うと、私はその小太刀を直視出来なかった。
そうして、しばし瞼を閉じ、未練に胸が詰まる思いでいると、
「それでは、行きましょう」
彼は私を急がせた。決して、覚悟を鈍らせぬために。
私は、深く、ゆっくりと、音を立てぬように、息を吐いて言った。
「……それには及ばない。私が確かに、務めを果たそう」
「先生!!お気持は有り難い。しかし、これは、親の義務です!!」
そう、語勢を荒らげる教え子に向かい、私は、瞼を静かに開いて、確かな力を込めて言う。
「……無理をするな。しばらく、休め」
そうして立ち上がり、急ぎ部屋を出る。
私が部屋を出て、そうして、私の足音が、あの部屋に届かぬくらいにまで離れたとき、押し殺された慟哭は、天地を貫く魂の叫びとなって、霊威全てを刮目させたに違いあるまい。その雄叫びは、私の胸に、いつまでも……鳴り響いて止まるところがないのだから。
三
竹林で、手持ち無沙汰に兎を眺めていた。
まるで代わり映えのしない、退屈な景色ではある。
けれども、それも、いつしか愛着を感じるようになった。
春には、慧音と一緒にたけのこを掘って、夏には、青々しさに、何だか知らない魅力を覚えて、涼しげな錦竹に一人寛ぎ、秋は、里の人が、最近は医者へ、お礼にと何かを持っていくから、それに付き添ってやる。冬は、春に慧音と、また一緒にたけのこを掘ることを思って、跳ねるウサギの足跡をなぞりながら、私は、踏みしめる雪の音を愉快に聴くのだ。そうしてその四季が、また幾度も繰り返される……。
そんな回想をして、またそこから繋がる夢想をして、こころ暖かい何かを感じていたとき、誰かの叫び声を聞いて、ハッと振り返ると、どこにも、鼓動を感じない。そうしてしばらく、おかしい、そんなはずはないと、思案していると、それは、遠い遠い、人里の方から発せられたものであることに気がついた。
その事実に呆気にとられていると、私は、覚えず頬が濡れていることに気がついた。何だかすすり泣きたいくらいの、強い、魂の揺さぶりを感じて、悲しさと、苦しさと、不吉さを抱きながら、そぞろな足取りで、里のほうへ向かうことにする。何か、私を引き付ける、強い運命の力を感じながら。
四
月と星がやおらその面影を現して来た。
夕焼けはもう殆ど沈み、半ば向うの山に隠れ、ただ黄昏色がほのかにこの世を照らすほどにしか、陽の光は確認出来なくなった。その陽の光に重なって、おぼろげに、誰か、見知った者が、向うから歩み来るのが見えた。
近くによって見ると、それは、妹紅であった。
「慧音……その子は、どうしたの?」
「あぁ、これはね。あの子の、赤ん坊だよ」
「あの子って、慧音が言っていた、教え子の?……何か、あったの?」
「うん。鬼子だった」
しばし、沈黙が流れる。
私は、私の左手側にある、遠目にもう、その大きさが確認できる、龍ヶ池を眺めた。その池には、最後の陽の光がおぼろげに落ちていて、幻想的な美しさを漂わせていた。例え山に隠れることとなったとしても、決してその姿を消すまいとする、その非常に力強い魅力が、この命の儚さと相まって、私の心を打った。
(殺しとうない……私は、殺しとうない……)
道中、揺れる心を、頑なにして来てはずだと言うのに、そうして、決心を鈍らせないように、急ぎ足で来たと言うのに、私は、どうしてもその衝動に耐え切れず、嗚咽をこぼした。そうして頬を伝う涙が幾重にもかさなった。歯を噛み締めて堪えようとした。が、ダメだった。心を暗くして、暗くして、どうにかして耐えようとしたことが、辛くて、辛くて、どうしても耐えられなかった。
私は、この衝動を抑えきれぬ私の心を、弱さであると信じていた。そうしてその弱さは、克服されねばならぬと信じていた。それが、事実の一側面を捉えていたことは、間違いがないのだけれども、その弱さに、真の克己心ではなく、偽りの克己心で、即ち盲目で応じたことは、大きな過ちであったに違いない。そもそも、何故私は、わざわざ、この龍ヶ池にまで来て、この赤子を沈めようとしたと言うのだろうか。なるほど、伝承あるこの場所は、古来日の国中で行われてきたとおり、人柱を捧げるのに適切な場所に違いあるまい。が、何故に、人柱として捧げねばならなかったのか。ただ無駄死にを勿体無く思ってだろうか?或いは、龍の霊験に頼り、鬼子の魂を浄化し給えと願ってのことだろうか?なるほど、それも一部認められるべきであろう。だが、それを全てとして、説明出来はしないのだ。
結局、私は、盲目となって、現実の残酷から耐え凌ごうとしたのだ。その末にある強さを得たところで、それはとても脆弱な強さになったに違いない。そして、その強さが拠り所とする正義は、詭弁の正義ではないだろうか?
正義は実践を求める。覚悟に基づく、実践を。
だからこのとき、彼女が、私の背に手を回して、抱きしめて、思い切り、泣かせてくれたことが、とても、大事なことだった。それは、私に、真実と対峙し、それを乗り越える場所と機会とを与えてくれたのだから。
五
親友が目の前で泣き崩れるのを見て、私は、私が永く生きて来た理由を見つけた様に思った。
私は、ただ彼女を抱きしめてあげた。
そうして、途切れ途切れに語る言葉に頷いて、彼女を、いっそう強く抱きしめてあげた。
何も、言葉を投げ掛けずとも、ただ、傍にいて、泣きたいだけ泣かせてあげて、抱きしめてあげることが、一番大事なときがあることを、私は、知っている。もっともらしい言葉よりも、簡単な相槌が、人を助けることを、私は知っている。そのくらいには、私は、永く生きて来たつもりだ。
千年を超える時間は、人に絶望するには充分すぎた一方で、人に希望を失うには余りにも長すぎた。私は幾たびも人間を見損ない、そうして、幾たびも人間を見直した。
親友の、声にならない叫びを、ただ受け止めてあげる。
その間に、無意識に浮かび上がって来るのは、彼女と出会うまでの、私の長い歴史だった。
はじまりは絶望だった。
怪しき身寄りの無い少女は、それだけで、絶好の存在だった。
しかし、それを助けてくれる人がいた。
そうして、希望を取り返した。
が、それも、また絶望となった。その人の死とともに。
そうしてしばらくは、一人でいたのだけれども、縁があって、良い人たちと巡り会えた。が、それも、永久には続かなかった。
それからしばらくは、一箇所に止まることをしなくなった。
阿蘇の火山に身を投げてみたこともあった。
蒙古襲来の跡を眺めてみたこともあった。
厳島の鷺は白く鳴いた。雨後の月は美しかった。
崇徳天皇に逢ってみたかったものだが、それは無理だった。
畿内へは行く気になれなかった。だから、紀州へと向かった。熊野灘で、初めてくじらというのを見た。
逢坂関を通ってみると、焼き払われていて興が冷めた。
天橋立は格別に気に入った名勝地だったから、一年、四季の移ろいをじっくりと楽しんだ。
越中は、神通川の橋舟を渡り、霊山立山を登り、ついでに珍しい、雷鳥を食べてみたが、酷くまずくてがっかりした。
北端の津軽まで行ったときは、何か感慨深い気持にさせられた。あぁ、此処まで私は、一人で来てしまったのだなぁっと。
ついでだから蝦夷にまで行ってみたのだが、余りの寒さに、とっとと引き返して来た。
陸奥の国で、萱を刈る農夫に道を尋ねた時、桐の花の咲き満ちた山が、遠くに望めた。その、あたかも紫の雲がたなびくような美しさは、数多見た光景の中でも、一際思いで深いものになっている。
今でこそ江戸は賑わっているが、当時は、それはもう、酷い田舎だった。あれは徳川がよくやったのだ。当時は見るべきところもなかった。
そうして、最後に富士へと行って、四季に移ろうその姿を、眺めていた。そうした日の国の美しきが、私の心を癒したのだろう。もう一度、人間達と近しくなってみるのも良いかと思い始めた。
が、それも裏切られた。
戦国の世にあって、私が見たものは、人を売って、鉄砲を、その材を、その知恵を、買い求める大名達、商人たちであった。およそ人が人を売る様ほどに浅ましいものはない。奴隷として売られていく、女子供を見ることは、到底耐えがたかった。だから私は、また人から遠ざかった。
しかしその戦国の世にあっても、人の道を頑なに守る者もあった。
ある将は、家臣のために、進み腹を切った。
またある若武者は、義兄弟の敵討ちに、半生を賭した。
ある娘は、親兄弟のために、売られることを諾とした。
またある父は、人攫いを断固拒絶し、それに応じるよりは、むしろ切られて死ぬを潔しとした。
それらの人々に、私は尊さを感じた。なるほど、確かに人は浅ましいかも知れない。だが、その中にあって、我執を越えた精神を発揮するものがいることも間違い無い事実なのだ。その事実を、そしてそれを見たときの私の感情を、私は無いこととして、人間に絶望ばかりはしておれなかった。だが、それでも、私の絶望も深いものであったから、私は絶望と希望の狭間において、悩み苦しんだ。が、結局はこれ以上の懊悩に疲れ、次第に人と距離をとる様になっていった。
人間は、純潔な天使ではない。
さりとて、狡猾な悪魔でもない。
人間は真に人間足り得るし、またおよそ禽獣と呼ぶべき程に堕落する。その両者が、人の中にはあるのだ。それを私は判別し得ないのだから、もう、近づくことは止めたのだ。
私は、私の期待が裏切られることに、すっかり怖くなってしまった。
人に触れることが、恐怖に思えた。
そうして、つとめて辺境にある土地を回っていると、いつしか、私はこの幻想郷に流れ着いていた。そして輝夜と再開したことは、因果でもあったが、私にとっては、仕合せなことでもあった。人以外であっても、何か思考する生き物と対峙する事は、やはり私の心には必要であったのだから。
そうして、幾たびも輝夜と争いを繰り返す毎日が始まった。
或る日、私は朝から続く戦いに疲れ、帰る途中の昼下がりに、木陰で休むことにした。そうして、気がつくと、私は眠ってしまっていた。最も、眠ったといっても、長い旅の生活であるから、人が近づけば、私はすぐに眼を覚ますのだった。
私はそういうわけで、久しく深い眠りを知らなかった。だがそれでも、おぼろげな夢を見ることはあった。
私は、木の幹を頭にし、木陰に小鳥のさえずりを聞きながら、足元を流れる小川のせせらぎに耳を傾けていた。その時、夢見心地に、私の肩が揺すられているのを感じた。非常に大きく暖かいように思われたその手が、私の肩を、優しくさするのだった。私はゆっくり目を開いた。腰をかかげた白く美しい女性が、陽の光を受けて、私を見つめていた。それを私は、その近づいて来る気配を、少しも察知し得なかったのである。その人はただ優美に私に語りかけて、私のことを案じてくれたのだった。その声は澄み切って、良く響く、心地よい奏でだった。
如何に人の心が荒もうとも、失い得ない本能が在る。
私は、特にその人を恐れなかった。
六
人を護る純血以上に、人との混血である私は、か弱き人のための、正義を貫かねばならない。
確かに人は愚かに違いない。鬼子とは、まことに愚かな習慣であって、また身勝手極まりない習慣でも有る。かつて戦国の世において、また、妖怪の蔓延る脅威の時代においては、鬼子を神の子として、人々は崇め奉ったにも関わらず、一度太平の世になれば、微塵も異常が、その日常にあることを許せなくなって、これを悉く殺してしまうのだから。
しかし私は、それを、ただ愚かとしてはおられないのだ。
その身勝手さの表裏一体に有る、どうしても求めずにはおられない日常があることを知っているし、それを求めざるを得ない弱さと愚かさが、凡弱の民の切実な祈りであることを私は知っているのだから。
私はそれを護らねばならない。
それは例え、この子を殺してでも……。
「妹紅……」
「うん?なぁに?」
「……有難う」
彼女はただ、にこりと、微笑みを返してくれた。
七
火の鳥の抱擁は、正しきものには慰安と鼓舞の炎となった。
その嗚咽の全てを了承する、永き命の聡明と寛容は、その純真な覚悟を受け止めて、共に駆けんとする高志を有する。
月は雲に隠れて、ただ幾つかの星が、天と、水との上に浮かんでいる。
その暗き世界に、一匹の聖獣が、輝きを纏って光臨する。
その身の丈は、十尺、二十尺と、次第に大きさを増して行く。
そうして、仰ぎ見るに、竹林の一等高い竹を越えて、遥か頭上にあるのを知り、火の鳥は、明けの明星となって、小さな宿星を伴い、その日輪の前に佇む。その穏やかな微笑を見て、聖なる獣は、真に正義の覚悟を見つけたのだ。
ただ一口に、闇夜に潜む太陽は、二つの星を、喰らい溶かして光とした。
日輪は闇を切り裂き、天に昇る。
そうして、高く、高く昇って、雲を裂いて、月の姿を暴いて見せた。
氷輪は日輪に融かされた!!
太陽の咆哮は、幻想郷の全てを轟かした。
鬼はそれを恐れた。
龍は眠りを覚ました。
人はそれを崇めた。
そうして燦々と輝くその新たな龍は、まざまざとその威光を示すと、鷹揚に空を下り、人里へと降り立った。
眩い光が、里を満たす。
その光が収まったとき、そこには、一匹の聖獣が、一人の神童を抱いて立っていた。
その赤子には、天を駆ける、赤く、美しい、羽が生えていた。
日本はおろかなる風俗ありて、歯の生えたる子を生みて、鬼の子と謂ひて殺しぬ
貞徳撰『徒然慰草』
一
冬の或る夕暮れ、上白沢慧音は、一人赤子を抱いて、里より離れた龍ヶ池へと向かう。その池は、日本中でしばしば聞くことが出来る民話と同じように、龍の伝承を受けし池であり、かつて龍がその池を住処とした謂れを持つ。そこはやや迷いの竹に近いところにあり、人も妖怪も、また妖精も、種族の別なく用いている。それでいて争いのないことは、ある種伝承の証明と思えなくも無い。
何故、彼女はその池へと向かうのか。
その赤子を、殺して、沈めるためである。
いや、殺さずにおいてもよい。ただ、沈めさえすれば、それでことは済むのだ。
その赤子は、今より僅か五時間前に生まれた子供である。その口には、生まれながらにして歯が生えていた。
鬼子である。
鬼子は殺すのが、里の掟である。
彼女はその任を受けた。
「おぎゃ、おぎゃぁ……」
上白沢慧音は、顔を俯けながらも、前へ前へと歩き進んだ。その目は確かに、弱弱しく泣き叫ぶ赤子の方に向けられていた。が、その目は虚ろであった。然しながら、決して、歩みは止めなかった。
その日の太陽は、赤く赤く、一際強い熱を放ち、そうして燃えて沈んでいった。その対極に、月は静かに昇るのだった。肌を刺す月の息吹が、次第次第に、人の心を冷ややかなものとしていく。
彼女の身体は、すっかり夕焼けで赤く染められていた。
だがその顔は、寒さに色を失っていた。
二
「やぁ、調子はどうだい?」
「お蔭様で、何も悪いことがなくて、至って健康です」
「そうか。ならよかった」
「ホント、先生にはお世話になりっぱなしで」
「ハハハ、なぁに、大事な教え子夫妻だからな。心配だし、かわいいし。こっちが世話を焼いてやりたくって、仕方がないんだ。気にするな」
「そんな、ホント、良くしてもらって……仕合せなことです」
その夫妻は、ともに彼女の教え子であった。そうして、教え子達の中で、初めて夫婦となった二人であった。その子供は、初めての子供であった。それは、三人にとって。
「しかし、もう少しで子供が産まれるんだなぁ。出産には何度か立ち会った経験があるが、こうまで身近な者が、子供を産む機会はなかったからな。なんだか、私までも緊張してしまうよ」
「はっはっはっは、先生。先生が緊張しちまったんじゃ、それがうちのに移って、よくないですぜ?」
「いや、これはその通りだ。すまない、すまない」
その夫は、如何にも豪気である。身の丈は六尺を越える。骨太で、肉質な体つきをしている。腕、脚などに体毛深く、髭もすっかり伸び、その貫禄は男盛りの山男にも、引けをとらない。生業はきこり。木工大工として、諸種の技術も身につけており、時にはそれを活かして稼ぎを得る。生徒としては、決して優等生ではなかったが、男としては、もとよりこの様な生き方も有る。それが子供時代から、容易に見て取れたものであるから、上白沢慧音も、強いて書物を勧めなかった。ただ最低限の読み書きを求めた。その心をよくよく理解し、苦手ながらも努力をしてくれる、心優しい少年であった。
「そうです、先生。子供の名前、考えてくれましたか?」
「ん、あぁ。まぁ、候補は三つにまで絞れたのだがな。どうにも、一つには出来なくって」
「まぁ、先生ったら。もうずっと、お願いしていますのに。中々お決めになってくださらないんですから」
「いや、どうしても、人の名前を決めるとなるとな。何せ一生のことだろう。どうしたって、慎重になってしまうよ」
「うふふふ。別に、太郎でも、花子でも、先生のお決めになった名前でしたら、文句は言いませんよ?」
「そんな、それでは、私の面子ってものもあるじゃないか?そう簡単には出来ないよ」
「あらあら。先生、面子で私の、大事な赤ちゃんの名前をお決めになるつもりですか?」
「そ、そんなつもりじゃないさ。これは、あれだ。言葉の綾でそう言ったまでのことだ」
「うふふ。冗談ですよ、先生」
「全く……君は、妻になってから、人が悪くなったぞ?私をしょっちゅうからかおうとするんだからな」
「あら、ごめんなさいね、先生?」
その妻は、勤勉で、器量持ちで、そして家のことも良く出来る、気立ての良い娘だった。最近でこそ、やや砕けた調子でふざけることも多くなったが、それも、微笑ましい。夫の影響か、或いは子を宿したことの強みか。いずれにしても、愛嬌が増して、より魅力的になったことは間違いが無い。幼い頃から、長い髪を自慢にしていた彼女は、着物は藤の古いものを着ていようとも、髪は必ず梳いて直くし、これを束ねて清楚にしていた。小躯であるから、なおさら長髪が人目を引く。人妻となり、子を宿しても、髪への愛着は変わらぬようだが、強いて言えば、洗い髪こそ美しくなった様に思える。これもやはり、母の美しさか。
二人の教え子との想い出は、今も、非常な勢いで、増えていっている。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
「おお、産まれた!!やったな、男の子だぞ」
「あぁ、よくやった。よくやった」
夫は、子を見て抱き寄せるより、まず妻の手を強く握り、嬉しい笑顔を、しっかりと見せてやった。そうして、それを見て、何よりも有り難く思う妻がいた。
その光景は、如何にも微笑ましく、何とも羨ましい。
「おぎゃぁ、おぎゃぁ」
「……」
(先生、ちょっと……)
(……どうした?)
産婆の手にある赤子は、決して、母の手元には行かなかった。そして、母親には何も知らされないのである。が、何かがあることは、確かに分かる。死産ではない?では何か?幾つかあるだろう。だがどれも、不吉である。それを察して、色を失う。父もまた、同様である。が、それでも、つとめて平常を保つ意気は、何とも健気で哀れを誘う。
「先生……子は鬼子でした」
「……あぁ」
窓から差し込む光が、穿った筋となって、教え子の顔に掛かっていた。光を受けたその子は、見たことも無いくらいに、悲壮で、尊い、覚悟の目をしている。それが眩しい。
「……検分を、お願い致します」
「潔のよいことだ」
「ご苦労をお掛け致します」
そうして、頭を深々と下げる様は、私の胸を抉った。
「どう、やるつもりだ」
「これで殺して、埋めてやるつもりです」
そこには、小太刀が一つあった。
それは元服に際して、彼の父が、彼に与えたものであり、それは遺品の一つにも数えられるべきものであった。そうしてそれは、彼の子にとっても、将来は遺品の一つとなり、それはまた、その子にも……それを思うと、私はその小太刀を直視出来なかった。
そうして、しばし瞼を閉じ、未練に胸が詰まる思いでいると、
「それでは、行きましょう」
彼は私を急がせた。決して、覚悟を鈍らせぬために。
私は、深く、ゆっくりと、音を立てぬように、息を吐いて言った。
「……それには及ばない。私が確かに、務めを果たそう」
「先生!!お気持は有り難い。しかし、これは、親の義務です!!」
そう、語勢を荒らげる教え子に向かい、私は、瞼を静かに開いて、確かな力を込めて言う。
「……無理をするな。しばらく、休め」
そうして立ち上がり、急ぎ部屋を出る。
私が部屋を出て、そうして、私の足音が、あの部屋に届かぬくらいにまで離れたとき、押し殺された慟哭は、天地を貫く魂の叫びとなって、霊威全てを刮目させたに違いあるまい。その雄叫びは、私の胸に、いつまでも……鳴り響いて止まるところがないのだから。
三
竹林で、手持ち無沙汰に兎を眺めていた。
まるで代わり映えのしない、退屈な景色ではある。
けれども、それも、いつしか愛着を感じるようになった。
春には、慧音と一緒にたけのこを掘って、夏には、青々しさに、何だか知らない魅力を覚えて、涼しげな錦竹に一人寛ぎ、秋は、里の人が、最近は医者へ、お礼にと何かを持っていくから、それに付き添ってやる。冬は、春に慧音と、また一緒にたけのこを掘ることを思って、跳ねるウサギの足跡をなぞりながら、私は、踏みしめる雪の音を愉快に聴くのだ。そうしてその四季が、また幾度も繰り返される……。
そんな回想をして、またそこから繋がる夢想をして、こころ暖かい何かを感じていたとき、誰かの叫び声を聞いて、ハッと振り返ると、どこにも、鼓動を感じない。そうしてしばらく、おかしい、そんなはずはないと、思案していると、それは、遠い遠い、人里の方から発せられたものであることに気がついた。
その事実に呆気にとられていると、私は、覚えず頬が濡れていることに気がついた。何だかすすり泣きたいくらいの、強い、魂の揺さぶりを感じて、悲しさと、苦しさと、不吉さを抱きながら、そぞろな足取りで、里のほうへ向かうことにする。何か、私を引き付ける、強い運命の力を感じながら。
四
月と星がやおらその面影を現して来た。
夕焼けはもう殆ど沈み、半ば向うの山に隠れ、ただ黄昏色がほのかにこの世を照らすほどにしか、陽の光は確認出来なくなった。その陽の光に重なって、おぼろげに、誰か、見知った者が、向うから歩み来るのが見えた。
近くによって見ると、それは、妹紅であった。
「慧音……その子は、どうしたの?」
「あぁ、これはね。あの子の、赤ん坊だよ」
「あの子って、慧音が言っていた、教え子の?……何か、あったの?」
「うん。鬼子だった」
しばし、沈黙が流れる。
私は、私の左手側にある、遠目にもう、その大きさが確認できる、龍ヶ池を眺めた。その池には、最後の陽の光がおぼろげに落ちていて、幻想的な美しさを漂わせていた。例え山に隠れることとなったとしても、決してその姿を消すまいとする、その非常に力強い魅力が、この命の儚さと相まって、私の心を打った。
(殺しとうない……私は、殺しとうない……)
道中、揺れる心を、頑なにして来てはずだと言うのに、そうして、決心を鈍らせないように、急ぎ足で来たと言うのに、私は、どうしてもその衝動に耐え切れず、嗚咽をこぼした。そうして頬を伝う涙が幾重にもかさなった。歯を噛み締めて堪えようとした。が、ダメだった。心を暗くして、暗くして、どうにかして耐えようとしたことが、辛くて、辛くて、どうしても耐えられなかった。
私は、この衝動を抑えきれぬ私の心を、弱さであると信じていた。そうしてその弱さは、克服されねばならぬと信じていた。それが、事実の一側面を捉えていたことは、間違いがないのだけれども、その弱さに、真の克己心ではなく、偽りの克己心で、即ち盲目で応じたことは、大きな過ちであったに違いない。そもそも、何故私は、わざわざ、この龍ヶ池にまで来て、この赤子を沈めようとしたと言うのだろうか。なるほど、伝承あるこの場所は、古来日の国中で行われてきたとおり、人柱を捧げるのに適切な場所に違いあるまい。が、何故に、人柱として捧げねばならなかったのか。ただ無駄死にを勿体無く思ってだろうか?或いは、龍の霊験に頼り、鬼子の魂を浄化し給えと願ってのことだろうか?なるほど、それも一部認められるべきであろう。だが、それを全てとして、説明出来はしないのだ。
結局、私は、盲目となって、現実の残酷から耐え凌ごうとしたのだ。その末にある強さを得たところで、それはとても脆弱な強さになったに違いない。そして、その強さが拠り所とする正義は、詭弁の正義ではないだろうか?
正義は実践を求める。覚悟に基づく、実践を。
だからこのとき、彼女が、私の背に手を回して、抱きしめて、思い切り、泣かせてくれたことが、とても、大事なことだった。それは、私に、真実と対峙し、それを乗り越える場所と機会とを与えてくれたのだから。
五
親友が目の前で泣き崩れるのを見て、私は、私が永く生きて来た理由を見つけた様に思った。
私は、ただ彼女を抱きしめてあげた。
そうして、途切れ途切れに語る言葉に頷いて、彼女を、いっそう強く抱きしめてあげた。
何も、言葉を投げ掛けずとも、ただ、傍にいて、泣きたいだけ泣かせてあげて、抱きしめてあげることが、一番大事なときがあることを、私は、知っている。もっともらしい言葉よりも、簡単な相槌が、人を助けることを、私は知っている。そのくらいには、私は、永く生きて来たつもりだ。
千年を超える時間は、人に絶望するには充分すぎた一方で、人に希望を失うには余りにも長すぎた。私は幾たびも人間を見損ない、そうして、幾たびも人間を見直した。
親友の、声にならない叫びを、ただ受け止めてあげる。
その間に、無意識に浮かび上がって来るのは、彼女と出会うまでの、私の長い歴史だった。
はじまりは絶望だった。
怪しき身寄りの無い少女は、それだけで、絶好の存在だった。
しかし、それを助けてくれる人がいた。
そうして、希望を取り返した。
が、それも、また絶望となった。その人の死とともに。
そうしてしばらくは、一人でいたのだけれども、縁があって、良い人たちと巡り会えた。が、それも、永久には続かなかった。
それからしばらくは、一箇所に止まることをしなくなった。
阿蘇の火山に身を投げてみたこともあった。
蒙古襲来の跡を眺めてみたこともあった。
厳島の鷺は白く鳴いた。雨後の月は美しかった。
崇徳天皇に逢ってみたかったものだが、それは無理だった。
畿内へは行く気になれなかった。だから、紀州へと向かった。熊野灘で、初めてくじらというのを見た。
逢坂関を通ってみると、焼き払われていて興が冷めた。
天橋立は格別に気に入った名勝地だったから、一年、四季の移ろいをじっくりと楽しんだ。
越中は、神通川の橋舟を渡り、霊山立山を登り、ついでに珍しい、雷鳥を食べてみたが、酷くまずくてがっかりした。
北端の津軽まで行ったときは、何か感慨深い気持にさせられた。あぁ、此処まで私は、一人で来てしまったのだなぁっと。
ついでだから蝦夷にまで行ってみたのだが、余りの寒さに、とっとと引き返して来た。
陸奥の国で、萱を刈る農夫に道を尋ねた時、桐の花の咲き満ちた山が、遠くに望めた。その、あたかも紫の雲がたなびくような美しさは、数多見た光景の中でも、一際思いで深いものになっている。
今でこそ江戸は賑わっているが、当時は、それはもう、酷い田舎だった。あれは徳川がよくやったのだ。当時は見るべきところもなかった。
そうして、最後に富士へと行って、四季に移ろうその姿を、眺めていた。そうした日の国の美しきが、私の心を癒したのだろう。もう一度、人間達と近しくなってみるのも良いかと思い始めた。
が、それも裏切られた。
戦国の世にあって、私が見たものは、人を売って、鉄砲を、その材を、その知恵を、買い求める大名達、商人たちであった。およそ人が人を売る様ほどに浅ましいものはない。奴隷として売られていく、女子供を見ることは、到底耐えがたかった。だから私は、また人から遠ざかった。
しかしその戦国の世にあっても、人の道を頑なに守る者もあった。
ある将は、家臣のために、進み腹を切った。
またある若武者は、義兄弟の敵討ちに、半生を賭した。
ある娘は、親兄弟のために、売られることを諾とした。
またある父は、人攫いを断固拒絶し、それに応じるよりは、むしろ切られて死ぬを潔しとした。
それらの人々に、私は尊さを感じた。なるほど、確かに人は浅ましいかも知れない。だが、その中にあって、我執を越えた精神を発揮するものがいることも間違い無い事実なのだ。その事実を、そしてそれを見たときの私の感情を、私は無いこととして、人間に絶望ばかりはしておれなかった。だが、それでも、私の絶望も深いものであったから、私は絶望と希望の狭間において、悩み苦しんだ。が、結局はこれ以上の懊悩に疲れ、次第に人と距離をとる様になっていった。
人間は、純潔な天使ではない。
さりとて、狡猾な悪魔でもない。
人間は真に人間足り得るし、またおよそ禽獣と呼ぶべき程に堕落する。その両者が、人の中にはあるのだ。それを私は判別し得ないのだから、もう、近づくことは止めたのだ。
私は、私の期待が裏切られることに、すっかり怖くなってしまった。
人に触れることが、恐怖に思えた。
そうして、つとめて辺境にある土地を回っていると、いつしか、私はこの幻想郷に流れ着いていた。そして輝夜と再開したことは、因果でもあったが、私にとっては、仕合せなことでもあった。人以外であっても、何か思考する生き物と対峙する事は、やはり私の心には必要であったのだから。
そうして、幾たびも輝夜と争いを繰り返す毎日が始まった。
或る日、私は朝から続く戦いに疲れ、帰る途中の昼下がりに、木陰で休むことにした。そうして、気がつくと、私は眠ってしまっていた。最も、眠ったといっても、長い旅の生活であるから、人が近づけば、私はすぐに眼を覚ますのだった。
私はそういうわけで、久しく深い眠りを知らなかった。だがそれでも、おぼろげな夢を見ることはあった。
私は、木の幹を頭にし、木陰に小鳥のさえずりを聞きながら、足元を流れる小川のせせらぎに耳を傾けていた。その時、夢見心地に、私の肩が揺すられているのを感じた。非常に大きく暖かいように思われたその手が、私の肩を、優しくさするのだった。私はゆっくり目を開いた。腰をかかげた白く美しい女性が、陽の光を受けて、私を見つめていた。それを私は、その近づいて来る気配を、少しも察知し得なかったのである。その人はただ優美に私に語りかけて、私のことを案じてくれたのだった。その声は澄み切って、良く響く、心地よい奏でだった。
如何に人の心が荒もうとも、失い得ない本能が在る。
私は、特にその人を恐れなかった。
六
人を護る純血以上に、人との混血である私は、か弱き人のための、正義を貫かねばならない。
確かに人は愚かに違いない。鬼子とは、まことに愚かな習慣であって、また身勝手極まりない習慣でも有る。かつて戦国の世において、また、妖怪の蔓延る脅威の時代においては、鬼子を神の子として、人々は崇め奉ったにも関わらず、一度太平の世になれば、微塵も異常が、その日常にあることを許せなくなって、これを悉く殺してしまうのだから。
しかし私は、それを、ただ愚かとしてはおられないのだ。
その身勝手さの表裏一体に有る、どうしても求めずにはおられない日常があることを知っているし、それを求めざるを得ない弱さと愚かさが、凡弱の民の切実な祈りであることを私は知っているのだから。
私はそれを護らねばならない。
それは例え、この子を殺してでも……。
「妹紅……」
「うん?なぁに?」
「……有難う」
彼女はただ、にこりと、微笑みを返してくれた。
七
火の鳥の抱擁は、正しきものには慰安と鼓舞の炎となった。
その嗚咽の全てを了承する、永き命の聡明と寛容は、その純真な覚悟を受け止めて、共に駆けんとする高志を有する。
月は雲に隠れて、ただ幾つかの星が、天と、水との上に浮かんでいる。
その暗き世界に、一匹の聖獣が、輝きを纏って光臨する。
その身の丈は、十尺、二十尺と、次第に大きさを増して行く。
そうして、仰ぎ見るに、竹林の一等高い竹を越えて、遥か頭上にあるのを知り、火の鳥は、明けの明星となって、小さな宿星を伴い、その日輪の前に佇む。その穏やかな微笑を見て、聖なる獣は、真に正義の覚悟を見つけたのだ。
ただ一口に、闇夜に潜む太陽は、二つの星を、喰らい溶かして光とした。
日輪は闇を切り裂き、天に昇る。
そうして、高く、高く昇って、雲を裂いて、月の姿を暴いて見せた。
氷輪は日輪に融かされた!!
太陽の咆哮は、幻想郷の全てを轟かした。
鬼はそれを恐れた。
龍は眠りを覚ました。
人はそれを崇めた。
そうして燦々と輝くその新たな龍は、まざまざとその威光を示すと、鷹揚に空を下り、人里へと降り立った。
眩い光が、里を満たす。
その光が収まったとき、そこには、一匹の聖獣が、一人の神童を抱いて立っていた。
その赤子には、天を駆ける、赤く、美しい、羽が生えていた。
それともなんかのギャグですかこれ
後書きは概ね同意ですが、話がそれるので詳しくは言いません。
けどこの作品は内容と照らし合わせると短すぎるように思えました。
趣味が合わないっていう以前に、難解な事を難解に書く自分に酔ってる印象を受けました。
後輩を育てる前にまず自分を育てた方がいいんじゃないかな。上から目線は結構だけど相応のものがないと滑稽なだけよ。
そういう芸風だと創想話に限らず、どこに行ってもウケないんじゃないかな。
【第三者がコメントにコメントを返す事】
が、禁止されているんですが、このことと勘違いしているのでは?
作品は良かったと思いますが・・・
作家に貫くべき自我があることは素晴らしいことです、が、それなら作品で語りましょうよ。
私は作家は垂れ流すものではないと思っています。
貴方が作る幻想の世界……何故貴方自身の現実で壊してしまうんですか?
打ち明けた話、なにがしたいんスかね。
読者層の意識を変えたいのか、それとも同じスタンスの作家が欲しいのか。
何にせよこの後書きじゃ何も変わりませんよ。魅力ないスもん。「主張する側」は常に相手の土俵で戦ってるって事、忘れてません?
鴎外先生なんか引用しなくたって、作品が面白かったんだから普通の言葉で普通に書けば十二分ですよ。それでガッチリ届きましたよ。
思想家としちゃ立派でしょう。でも、表現者としてはどうです?貴方はどう思ってます?「伝える」って事の繊細さ、難しさ、忘れてませんか?
>そういうSSにも、クーリエの読者は非常に冷淡であることだ。
>初投稿となると、作者は当然不安一杯だろう。それを、初投稿だからって、
>言い訳にもならないとして撥ね退けるのはどうだろうか?
これあなたのSSも含まれてますよね。
悔しかったら読者の心を打つ、純粋に面白い作品書いてみたらどうでしょうか。
毎回思うけど、文体をカッコよく見せることが目的でうわべの技巧ばっかり拘って
ストーリー展開が面白くなく、ベースのある二次創作なのにキャラが魅力的じゃないんですよ。
そしてそれを指摘されたら、読むほうに学がない、認めない周囲が悪い、という旨の言い訳を
本文と同じぐらいのダラダラした長文で垂れ流す。
ここの低レート作家にありがちな考えですけど、そういう独善的な発想から抜け出さないと
思うような評価は得られないと思いますよ。
ここは作品の投下場であって、作者の育成場でも自己主張する場でもありません。
まず、思ったのは貴方はしばしば「かの〇〇氏もこう言っている」という表現をしていますが、貴方はどうなのですか?
貴方の主張からは、貴方自身の確たる信念が感じられません
確たる信念のない、偉大な先人の威を借る人物が何を言っても滑稽なだけではないでしょうか
現に、貴方は色々と勘違いをしています
クーリエにコメント返信を悪とする習慣なんぞありませんし、なにもクーリエだけに叩きが存在するわけではありません、創作活動全般でよくありうることです
貴方は他の作品に投稿されている、純粋な称賛コメントを見てないのですか?
叩かれたことのない作家など存在しませんし、称賛されることのない作家もしかりです
叩かれることのない環境なんてものは不可能ですし、無意味で、つまらないと思いますよ
仏教における四苦に、何故"生"があるのかを考えてみることをお勧めします
文章を飾りすぎて主要な話の流れが伝わってこない。
伝わってこないから物語を理解できず、話に入り込めない。
それを踏まえてこの点数を。
読者に問題があると決めつけるのは簡単ですが、まずは自分の作品を見返してみる事をお勧めします。
あと作者がコメントに返信するのは誰も嫌ってないですし
ローカルルールにもそんなのありません。
何か勘違いをしているのでしょうか?
あなたは自分の作品を弁舌で持って語るのではなく作品自身で語るべきではないでしょうか?
それを読むほうに学がないなどといってあなたは神様ですか?
一応言わせておきますが文章創作をする人物は決して読者より高みにいる存在ではなくあなたも読者もそれぞれ自分自身で考えをもっている人間であるということを自覚しておくべきでしょう。
>学歴も無い中、何とか苦労して書いたかも分からない、
>そういうSSにも、クーリエの読者は非常に冷淡であることだ。
>初投稿となると、作者は当然不安一杯だろう。それを、初投稿だからって、
>言い訳にもならないとして撥ね退けるのはどうだろうか?
あなたは創作者をこうして様々な立場にいると認める反面読者をオタクという一つの記号にくくりそれを侮蔑している。
コレがどれほど思い上がったことが少しは考えたらどうであろうか?
今の時代小説家という職業は決して社会的地位の高い人種ではない。あなたの言うような明治時代の文豪のような高待遇は喩えあなたが新人賞を取ったとしてもされないでしょう。
そういうことを考えて自分がどれだけ高飛車になっているのか考えてください。
読者あっての創作者です。創作者あっての読者です。どちらか一方が偉いなんて考え方が間違っています。
あなたの鼻につくあとがきおよびレスポンスはそういったあなた自身の思い上がりが起因しているように思えます。
これは創想話のローカルルールがどうだとかそういう問題以前にあなた自身の創作者としての心持に問題があります。
なのでテーマ自体がぶれてて、慧音の悲壮な覚悟や妹紅の心理描写も
2人で勝手に盛り上がってて読者置いてけぼりな感じ。
オチらしいオチもなく、起承転結の承で終わってる。
あとがきはほんとに毎回げんなりする。
>クーリエのローカルルールなんて知ったことではない。
だったらクーリエから出て行けよ。自分で自分の理想の投稿サイトを作ればいい。
あとあんたの作品のつまらなさと驕った思想が叩かれてるのに、
他の初心者の批判コメやらオタク全体のレッテル張りに転嫁すんなよ。
・キャラの行動の動機付けが弱い。二次としてそのキャラである必要性も薄い。
・起承転結の承で終わってる、雰囲気だけの話が多い
・大仰なテーマは思いつくものの、それを読者に伝えるストーリーや描写がまとめきれてない
・内容の薄さを言い回しや文章の装飾でごまかし、行数を稼いでいる
・この作品もそうだけど、東方のキャラや世界観ありきで物語を考えてるというより、
まず作者の思想や文章を表に出すことが最優先で、無理やり東方を利用してるように感じる。
(ただ評価が高い話は比較的この傾向が薄い)
ちなみに台本形式だったり文章がつたなくて評価が低くても、
テーマが明確・ストーリーに起承転結のメリハリがある・キャラが立ってて魅力的
という二次はいっぱいある。
この作者は、そういう不慣れな初心者たちを学歴がどうたらと見下してるようだけど、
実際に叩かれてるのはこの作者の自己評価の高さと、それを正当化しようとする勘違いコメント。
実力不足を自覚したくないから批判や責任の対象を自分以外に求めて、
脳内で捏造した「諦めてクーリエを去った大多数の声」を代弁する形を取ってるのかな。
難解な言葉や難解な言い回しをすることが素晴らしいと勘違いしてませんかね?それとも、そうすることで自己陶酔に浸っているんでしょうか?
いずれにせよ、こういったパブリックな場で自分が言いたいことを相手に伝えたければ、上から目線でものを言わずに、相手から出るであろう反論に対して、自分はこう思います、とそれなりの態度を持って主張すべきです。それが嫌なら自分のサイトでも作ってそこに迷い込んだ人を洗脳するしかないと思います。
少なくとも、今の貴方の態度では誰も共感はしませんよ。
読者だって人間だしここはお前の城じゃない。
コメント欄で「創作の場なんだから主張は作中で表現しろ」と批判する=俺が偏狭と思うからアウト
あなたにとっての幻想卿(そそわ)とは、あなたにとってのみ都合のいい世界なんですね・・・
後書きに関しては、要は創想話読者の偏狭さについてだと思いますが、
>クーリエの読者は非常に冷淡である
>初投稿だからって、言い訳にもならないとして撥ね退ける
↑撥ね退けられる作品にはそれ相応の理由があるのだと思います、が、悪い所を指摘したりアドバイスをする読者が多くないとも思うので、その点では同意します。
しかし、
>一石を投じてみることにする。
↑これは後書きでなく作品で表すべきです。
いろいろ書きましたが、俺得を追及したいなら、して下さい。あなたの文を好きになる人もいるはずです。
あと、コメントへの返信は、楽しみにしてますよ。
乱文失礼しました。
要は「私の作品は面白いのに、読者が偏屈で偏狭だから伝わらないんだ!」ってことですよね?
おそらく「新人賞狙うほどの力量を持った自分が創想話に投稿してやってるんだ」みたいな考えでいるのでしょうが、せっかく他の人がコメントしてくれてるのにそればっかりでいたら呆れられますよ。
作品は面白いと思いますが、東方キャラである必要が感じられません。
クーリエの読者が嫌いなら、無理に東方キャラを使ってここに投稿せずに、他の場所なりなんなりで精を出してみてはいかがでしょうか。
で、創想話が初心者や下手な人間に冷たいというのは、たしかにそう思う時もありますが、必ずしもすべてがそうということもないですよ。私もまだまだ新人の部類ですが、割とあたたかく迎えてもらえたように思います。
ただやっぱり、ここの雰囲気として、読者は「物語」を読みたくて来ているのであって、それに先立って作者の持論のようなものが全面に出てきていたりすると、辟易することはあるんじゃないでしょうか。
言い方はなんですが、ここは妄想を垂れ流す場所であって、誰もが文学談義・創作談義をしたいわけではないです。
で、したい人はすればいいし、したくない人はしなければいいんですが、でもつまるとこ「それも含めて創作だ」というのと「後書きで持論なんか書くな」というのはどっちもそれぞれのモラル的な価値観で判断しちゃってるわけで、あんまり解決をみないような気がします。
リア充ばっかりのカラオケに行ってアニソン歌って「空気が壊れるからやめろ」「自分が好きな歌を歌ってもいいだろ」というような。
個人的には後書き解説のスタイルもありだと思いますが、現状ですと、作品どうこう、後書きとコメントのスタイルどうこう以前に雲井さんご自身が嫌われている感じです。なんというか、内容以前に書き方で「ちょっとこの人ご高説が過ぎるんじゃないか」と思ってしまいます。
もの書きとしては、書きたいものを書くのはそれはそうですが、それを読んだ人がどんな風に感じ考え得るのか(書いた意図とは違っても)ということにも、気を使うべきではないでしょうか。
芥川のその作品を読んだことはないですが、おそらくそれは、自分が書いた言葉について感覚麻痺に陥るような人間に与えられたものではないと思います。
面白かったです
言ってる事は間違いじゃなし、しかし正論ではいそうですかと動くほど人間は温くないっていう。
どうせなので挙げられた問題について意見を提供させてもらうと、
まず初心者、下手云々のはこれはもう程度の差こそあれ匿名でコメント・評価できるとこはこんなもんだ、としか言いようがないね。
クーリエ特有と仰るし、ここも結構なものではあると思うけど、上には上が以下略。無能乙、もう上げるな、つまらん、なんて多少品のないだけの挨拶だ。
そそわの名無し批評家()が随分アレなのも匿名性あってこそ、ID/IP表示なり、コメントはログイン制なり、の導入を管理者・技術者各位に提案してみるってのが(もちろん十分な説得力とメリットの提示を以て、の話だけど)いいと思うね、名無し相手に水掛け論なんで不毛過ぎるし、何より質以前に量が違う、ただでさえ複数なのに増殖成り代わり自由自在の相手とか無理無理。…まあ、これを名無しで言う俺も大概だがな。
確かに、初投稿の拙い、けれど投稿者は懸命に書いただろうものを貶すだけの(アドバイスの真似事すらしない)名無しに「じゃあテメー書いてみろ」と言いたくなるのも分からんでもないけど、それはいけないことだ、そうですか改めます、そんな人間はいない。匿名で、しかもネット越しなら尚のことだ。
アドバイスとしては、モノカキだというだけでは扇動者にはなれんよ、ってとこかねえ。これじゃティッシュ代わりのアンケートにしかなりませぬ。
申し訳ないがあとがきから先に読んでしまったのでフリーで。
そそわ以外にも書く場所はあるし、他に気に入ったとこを見つけてみる、ってのもいいと思うよ。いや、「失せろ」の比喩でなくて。
過去の言い訳長文見てたらバレバレだよ。
それを表に出すとカッコつかないからって、
他の初心者批判やら幻想郷のあるべき姿()やらをダシに使うのやめなよ。
始めから最後まで置いてきぼりです。
新春特集・花果子念報『創作』の作者コメントを読んで、あなたに興味を持ちました。
物語を書きたいのだが書けないと、悩んでいたからです。
そんなわけで、あなたの作品(newだし)を読みました。
まず、時間の流れが不明です。
奥さんがしゃべっていたら、いつのまにか奥さんが子供を産んでた。
その後も夫か誰か?、誰がしゃべってるのか読み直さないと分からない。
結局、どこで(どの時間で)物語が展開されていたのかよく分かりません。
Storyも謎です。
慧音が赤子を湖に捨てに来た。教え子がその子を出産したが、その子には歯が生えていたためだ。
妹紅がいた、自己紹介しました。慧音も自己紹介しました。ふたりは出会い抱き合った。
そしたら、何かを悟った、そして不思議なことが起きました、おしまい。
何でこんなことが起きたのか、最後は何が起きたのかさえ、分かりませんでした。
とにかく物語に入り込めません。
歯の生えた赤子は鬼子なので殺す風習があった。
だから、殺した。たぶん厳しい現実に対する悲哀と諦め(強さ)がテーマなんだと思う。
でも、今そんな風習なんてないよ。だから、彼女らの気持ちがよく分からない。
どうやって彼女らに共感して読めば良いのか。とにかく落ち着くところがなかった。
物語の中で、こうやって読んでよと、助けてくれる仕掛けがあると嬉しかった。
この作品についてこんな印象を持ちました。
キャラクターが話すためには舞台が必要だから、印象的な場面がまず用意される。
それから、ぬっとキャラクターが浮き上がってきて、自分の話をつらつらと話す。
登場人物が出そろったら、最後に決める、それでおしまい。
こういう作品を読みなれてないせいか、何を楽しんだらよいのか分かりません。
あなたの狙いのようなものは、分からないなりに感じるところはありました。
たぶん、全体を通して「美しい」(という何か)を書きたかったのではないか。
ただ美(日本的な)という一瞬を想起できれば良しとした、そんな印象を持ちました。
無我ではなく、刀の一振りのような一瞬に、美だけがありさえすれば良い。
刹那がいつまでも続けばそれは永遠で、その刹那は因果も超えて全てを塗りつぶす。
そういった、圧倒的な超主観的世界でしょう。
時間の流れや因果関係、キャラの動機づけなんてどうでも良かったのかもしれません。
でも、長々とした文章をいちいち細かく味わって読んでなんて、いられない。
いちいちが綺麗だと、ちょっと邪魔だ、どれが大事でどれが不要だろうか。
長い文章、それを味わって読め、それはただただ億劫なんだ。
美しい文章を見せたいなら、小さなサイズにすべきなんだと思う。
そういう意味では、この作品は十分に詰められていないと思いました。
あるいは、その体験を文章を読ませることで、それこそ物語を、創りだしてほしいです。
彼方に何か企みがあるのは分かりました。
そして、自分の作品をあなたは楽しんでいるんだということも分かりました。
ならば、教えてほしいです、その楽しみ方を。アジルのではなく。
あとがきから読んだので、この人はどんな素晴らしい文章を書くのだろうかと期待しましたが、何ということも無い、上手でしたが、ただ上手という印象。
かと言って読みやすい訳でも無かったです。
本編の内容に言及しますと、読後の印象はよく分からない、と言ったものでした。
まずテーマは何なのかと。
個人的には、鬼子という理由だけで子を殺す。しかし、前の時代では逆に崇められた。そんな人間の身勝手さや醜さなどの、人とはこんなものだ、というのを表現したかったのかなぁ、と。
あくまでも個人的にですから、違ったらすみません。
それでも、このまま、個人的な解釈を前提に話を進めますのでご勘弁を。
話のテーマがそれなら、鬼子の話は一例として成程、と理解しました。
その後、妹紅の回想の中でも、テーマに沿った言葉が出てきました。
これも一例でしょう。
それは良いのですが、如何せん、話の繋がりが見えてきません。
何で急に妹紅は回想したのか、回想する必要はあったのか。あまりにも唐突すぎます。
回想の中での話が必要なだけだったら、少し考えもんです。
もう少し効果的な入れ方もあったのでは無いでしょうか
話の流れに合ってないです。はっきり言って。
書きたいから書いた感が否めません。
これ以降も話の筋はガタガタな印象を受け続けました。
慧音の感情も感じ難いです。
全体的に唐突な印象を受けて、一つ一つの章が独立している印象。特に後になればなる程、その印象は強くなっていきました。
作者様が仰る通り、完璧に私は置いてきぼりでした。
まぁ元々、あとがきから読んだので批判的な読み方をしてしまったというのもあるかもしれません。
だとしても、批判的な感情を抱くあとがきって何でしょうね?笑
あとがきは何にせよ、高圧的でした。
上から目線が拭えませんでした。
どうかと思います。そんなんじゃ聞いてくれる話も聞いてくれなくなりますよ。
作者様の仰ることも正しいです。
創作なんて好きなことをするもの。その通りです。
自分が好きならそれでいいんですよね。
でも、そこには批判的な意見は必ずと言って良いほど存在します。それを含めての創作の場です。
この場が排他的と仰りますが、初心者に対して、ここが悪い。こけぐらいは直してこい。と言葉をかけるのは悪いことでしょうか。
明らかに足りない部分があるから、指摘しているだけです。
確かに言い方はきつくて、ここを去ってしまう方も居たでしょう。
でもそれは、他方が悪いという訳では無いと思うのです。
排他的、というのはあるかもしれませんけどね。
でも、世間が狭いってあなたが言うことじゃないでしょう笑
色々言いましたが、纏めますと。
私はあなたが好きではありません。
では、あなたがクーリエに一石を投じ変革を起こすのを期待してあます。
本文は俺得らしいので、もう何も言う必要はないでしょう。好きにやったらいいと思います。
総合すると、残念に思うを通り越して、もはや誰と戦ってるのかわからないのでした。
俺は悪くない、悪いのは読み手だ! って本気で思ってるなら、そう思ってたらいいよ。
作品としてはこの点数で。
後書きは正直要らんかったですね。
どうあれ、一石を投じるとなって、一番まずいのは、何のレスポンスもないことですからね。
それがあって、兎に角嬉しい限りです。
まずいくつか誤解があると思いますので、それを解きます。
第一に、私は私への批判を歓迎します。
そもそも、新人賞に作品を出すというのも、一種読者を煽ってのことです。
それだけ、自分に対しては率直に意見が欲しい。
そういった気持ちがあったので、こうすれば、一杯コメントをもらえるだろうと考えてのことです。
それがかなり成功して、今までも比較的コメントに恵まれていたと思います。
ただ、それが自分の予期したのとは異なって困惑したのはあります。
私は、私の作品が面白くないというコメントには、有り難いとしか思いません。
が、分からないというコメントには困惑しました。
或いは、意図したところが、まるで正反対の結果を招いたことにも、困惑しました。
それがどうしてかあんまりにもわからなかったので、色々実験したら、大失敗だったりしたので、なおさらびっくりしたのはあります。
その理由に関しては、はっきりと解消しました。
感性が違うのです。良いと悪いが全然間逆に向いてしまっているので、これは多少頑張ってもダメだなと思いました。
で、理由がはっきりしたので、後は調整をしていくだけです。
それが非常に困難ではありましょうが、それもまた一つ楽しいことです。
さて、私の話が、基本的に私の思想に基づいてなされているという点から、批判されている方は、本当に正鵠を射ている。
私も同様の分析であって、私の作品に対する、私の分析としては、19と28番目のレスをしたかたのコメントを見れば間違いないでしょう。
こういう素晴らしい批評家が、他の作品を見てもいるから、このサイトは素晴らしい。
ただ、やっぱり感性が違うんですね。
例えば、前提として、私が評価されたいという観点からものを見てしまっている。
創作上の評価なんて、死ぬまでに得られたら良いわけで、プロ文学を目指すのではないんだったら、
よっぽど大事なリアルの生活があるわけです。プロ文学を目指すにしても、そりゃ四十五十になって、
賞を取れたら充分じゃないですか。どうせ死ぬまで長いんだから。
十年、毎年募集して、一回賞を取れたらいいんですよ。どうせ片手間だし。
そんな人間が、評価されたいと思いますか?
そりゃ、将来評価されたいとは思いますが、そんなものは、十年以上先の夢なんですよ。
だから、今は今の課題があるわけです。
それを考えてみれば、何か一つに特化した作品が出来るのは、おかしな話じゃないとご理解できると思いますし、
そもそも一般的な評価が眼中にないことも、ご理解できると思います。
歴史に名を残す名作を作りたいという願望はあっても、売れたいとは微塵も思ってないわけです。
そもそも創作って、死ぬまでに歴史上の名作を一つか二つ残す、そういった魂の燃焼だと思うんですよ。
死ぬ代わりに、歴史的名作を残す、そういった衝動だと思っています。
まぁ、この辺りも含めて、私は旧い人間なんだろうとは思いますから、多分皆さんは分からないと思います。
もう一つ、大文学者の言葉を借りればと考えている方。
これは流石に滑稽です。
だって、先人の言葉をわざわざ捜して引用しないと、
「所詮貴方がそう思っているだけでしょう?」と返せるのですから。
結局は、そうなるから、私は捜してきて、自分の主張に合うものを引用しただけなんですよ。
で、世間一般では、引用先がないと、「所詮貴方が……」になります。
これはディベートの世界で最も厳しいですね。引用がないと、全部評価に値しないで終了になりますから。
実際の社会でも、議論やレポート、論文になれば、引用がないとやっぱり弱いです。
引用が無ければ、単なる一個人の意見として、「あ、そう」で返されますから。
引用があったって、「なるほどね」で終わるものです。
ですが、一個人の意見よりはまだマシと思われます。
結局、正論だろうがなんだろうが、相手の心に響かないと無駄ですがね。
後は、コメント返信を禁止するようなルールがないという方。
無いと言えば無いですが、作ろうとしようとしている人はいると感じました。
似たようなものに、「こっちではなくて、あっちで投稿したらどうか?」みたいに、
それとなく誘導しようとする人がいますね。
或いは、匿名で、利用規約違反で関係の無い話や罵倒をする人。
まぁ、そんな動きを一々気にしていたら、このネットの世界、やってられないというのは、
もうレス44番さんの言うとおりで、耐えろとしか言いようが無い。
が、どうも自分は、どうしようもないから何もしないのは、偽善としか思えない。
こういうのが、格好のネタにされるのはもちろん承知だし、
また、これが無意識の荒しになるのも充分承知の上。
だから、自分としては、一石を投じて、憤死するのも良いだろうと思ってます。
結局それじゃ、アンケート代わりにしかならないとする指摘は正しくその通り。
ただ自分としては、アンケート代わりになればそれで良いかなぁっとも思う。
最後に面白くない、表現だけに凝っているという方。
その通り過ぎる!!
私は多少愉快ですが、こりゃ、どう考えても他の人には分かりません。
話が飛び飛びじゃないですか。相当、シンパシーがないと分かりません。
でも、だからこれにこのあとがきで投稿したわけです。
結局、極端に自分の趣味を反映させものに載せないとダメです。
だから、同時に投稿したもう一つの作品には、あとがきらしいあとがきを書いていないわけです。
じゃぁ、一般受けするのが書けるのか?といわれたら、どうでしょうか?
私はそんなに技術があるとも思っていません。
大体、小説らしい小説をかけたのは、三ヶ月前ですから。
その前一年くらいは、書こうとしても書けない、そんなレベルでした。
しかし、書かねばならない義務が、少なくとも書こうとしなくてはならない理由があったから書いただけです。
それが人様から評価を得られるなんて、到底思えません。
が、意図は理解されるとは思っていました。
その意図が面白くないとは言われるとは思いましたが、意図が理解されないとは思わなかったわけです。
ただし一度くらいは、人に面白いと思われるだろう作品を書いて、盛大に笑われてみようとは思います。
そうじゃないと、筋が通りませんからね。
さて、細かくコメントに返信をしていこうと思います。
ただし、上述の返信で充分だろうと思うコメントには返事は致しません。
まず、作品に対して好意的にコメントを頂いている方、それでがっかりしたところがあるという方。
私も申し訳ない気持がありますが、基本的に私は、何か自分で出来ることがあれば、やらないと気がすまないたちです。
こういうのはネットの世界だけでもありません。むしろリアルにおいて、破滅型の人生をまっしぐらに送るタイプです。
ごめんね!!
ただ、一つ。私のやろうとしていることについて。
私は、結局東方を媒体として利用している人間です。
これは、例えば、お持ちかは知りませんが、東方の同人漫画家であるチャりんさんが、『遠野幻想郷』でやったように、作者の世界を積極的に東方の世界に持ち込む、その動きを極端に、そして意識的にやったものだと思っていただければ、若干の理解に役立つかと思います。
私は私ほど極端に作者の世界を持ち込んだ作品が、理解されるとは全然思いません。それが証明されていることは、私の過去の作品をご覧頂ければよく分かります。でもそれで良いと思っています。誰か率先して死ぬ人間ってのは、やっぱり必要なんですよ。そういう人間は、必ず多くの批判に晒されますが、それを見て、或る程度の人間は適切な割合で、その運動を取り入れるからです。そうして、この東方界隈を一つのステップとして、作者なりの抽出のあり方を、より意識的に捉えていって貰えれば、そうして、そういった動きを歓迎するまでにこの世界が成熟していけば、それは大変愉快なことです。そのために一つ死んでみようかと言う考えは、此処に投稿した最初からありました。もちろん、それだけが目的ではありませんし、それが完全な計画でもありませんでした。ただ、こういう考えに基づいて動いた以上は、これから当然、そうして動いて行きますから、それをやはり面白くないと思われるのでしたら、見ないほうが良いかも知れませんと、申し上げるほかにはありません。これは、致し方ありません。
>レス7番さん
上達の秘訣は、徹底的に人から罵倒されて、吐瀉を顧みずに努力することだと思っていますから、滑稽で結構です。
これからもどんどん、ご指摘をお願いします。
>レス15番さん、18番さん
これは流石に心に響きました。
私としても、元々一石を投じることが大切で、二つ三つ投じる必要はないと思っていますから、これ以降は、別に言うほど何も言わないと思います。
>レス26番さん
こういう反応を待ってたんだよ!!
これを釣としてちゃんと楽しめるユーモアは大切。嘲笑と微笑は別だからね。
>アン・シャーリーさん
最後の一文は間違いなく真理です。
そうして、誰もが文学談義・創作談義をしたいわけではないと言う言葉も、本質をついていて、よく理解して貰っていて、嬉しい限りです。これからも良かったら、お時間のあるときに読んでいただければ幸いです。
>レス46番さん
素晴らしい読解に驚きました。
正しく仰るとおりで、これは美を語った話なんです。
それも、日本的で、しかも一瞬の美であって、それが全てだと言うところまで読み取って頂けるとは、本当に有り難い。
きっと、読みにくかったろうと思います。そうまでして親切に読んで頂けて、本当に有難う御座います。
私の書こうとしたことが、余りにも冗長に美を連ねすぎて疲れると言うのも、本当にその通りだと思います。
ではこれが何故ダメか。というよりは、これがどうしたら、他の人に共感される作品になるか。
それに関しても、良いアドバイスを頂けて本当に有り難いです。
特に、こう読んで欲しいという仕掛けが欲しかったと言うご感想は、なるほど、そういう形で、読み手の理解を促す工夫は必要ですし、また得るべき技能だと納得させられました。何よりも自分が欠けている能力の一つに間違い有りません。
何とか努力して、この技術も得ていかなくてはならないと思います。
>レス48番さん
その通り。
議論の何が良いかといえば、質疑応答こそが面白い。
タウンミーティングなり、講演会なりに行った事がある方は分かると思いますが、講演の内容は、大体本で事前に読めることなんですよね。それが質疑応答になると、到底本でかけない、率直な意見と深い見識に触れることが出来る。
このように仰ってくれる方がいたことは、言うまでも無く、様々にコメントを下さった方々あってのこと。
それはもう、感謝として言いようが無いですね。
そして、レス52番さんの仰るとおり。書き手としてはこんなに嬉しいことはないです。
本当の最後に、やはりこうやって、非常に活発なレスポンスがあることは、クーリエの素晴らしさに違い有りません。これほどレスポンスが多い、東方系、それ以外も含めて、小説の投稿サイトは無いと思います。そうして、東方界隈がどんどん規模を拡大していっており、その対象者がオタクと言われるような層を遥かに超えて、かなり一般の人々にまで波及して言っていることは、間違いない事実です。また、若者達にとって、少し前まではオタク的と言われ、軽蔑を受ける対象になっていた文化が、かなりのところ一般に認知され、また支持されていく、そういった動きが広まっていることも、また自明かと思います。
しかしそれにも関わらず、これらの動きは、意識的と言うよりは、無意識的な動きに思えます。
未だその渦中にあって、最もコアな人々が、やや劣等感を抱き、所詮は日陰者であるとして、広く社会からの認知を求めようとしないこに、私は強い疑問を感じます。それはその人々にとって、将来と現在の利益が有り、過去の雪辱があるからではないのです。我々の後輩が、自然な欲求として抱くであろう、自分たちの良いものを良いものとして評価して欲しいというその衝動を、闘争無く甘受し得る、そういった社会を我々一人一人が、即ちこのオタク的なものを良いとおもう先輩の一人一人が、確かな市民権を求めて、率先して求めていく必要があると思うからです。
全ての世代は、何かしらの果たさねばならない義務を負っている。
私は常に考える。果たして、我々は次の世代のために何を残せるのかと。
そうしてそのための、実際の行動が、我々には求められているのである。
国際協調を是とする現代社会において、我々は第一に優秀な人材を、国際機関へと送らねばならない。何故なら、制度を自国の有利なものへと改変することこそが、最も戦略的に有効な策だからである。だがもう一つ、この観点から、自国を有利にするある影響力があることを私は知っている。それはソフトパワーである。どれだけ難しい話を、どれだけ偉い政治家が言うよりも、面白い漫画やアニメが、我国を豊かにする力となるのが、この現代である。今は社会から嘲笑を買う私の意見も、二十年後には、先見の明と称えられていることを、私は確信している。
その確信は、共有されねばならない。
何故なら、意識的な動きは、無意識的な動きよりも、大きな波紋となり、颶風を巻き起こし、大海を揺るがす津浪となり、怒涛の如く人を飲み込むからである。我々はその確かな胎動の一つとならねばならいのだ。
そのために必要なことが三つある。
第一に、我々は我々の良いとするものを、意識的に捉えて理解しなければならない。門外漢にはわけが分からない世界では、何時までたっても、下種で低俗と言われるだけだろう。新しい形式を構築しなければならないのである。
第二に、我々は後輩の育成に熱心でなくてはならない。そうして寛容でなくてはならない。もはやこの世界は、一部の人間のためだけにある世界ではないのだから。
第三に、我々はそのための犠牲者を必要とするだろう。破滅型の実践者なくして、新しい運動に炎は宿らない。畢竟、誰かの死骸の上に、新しい命は宿るのである。闇夜にひるがえる燐火が、光明に燃える炎とならねばならない。しかして燐火は燐火である。それは他日の瑕疵ともなる。言葉は投げ掛けられねばならない。そうして、引き継がれねばならない。が、引き継ぐ必要は無い。投げ掛けたものは、汚泥となって沈めば良い。
畢竟私に先導の力量と資格が無い以上、私がすべき事は、言葉を投げ掛けることであり、一つの蠢動となることに他ならないのだから、それならば、盛大に弾けて散れば宜しい。もとより小説も、私の主張の実践のために、始めたことなのだから、それこそ、この言葉が投げ掛けられ、何処かに目を吹きさえすれば、もう書く必要もない。ただもうしばらくは、得ねばならない技術と、投げ掛けねばならない言葉が多少あるから、まだ書くことはするだろう。創作とは、血と涙の刻印であると、私は思う。だから私の作品に娯楽を求められても、ちょっと困る。だって、俺得を書いても、全然楽しくないんだからね。『藤花の祈り』だけだよ。書いて楽しかったのは。他は全部、苦痛の一言。それでいいじゃないかね?世の中には、そういう人間が一人くらいいないといけないんだから。
要するに不快な思いをしたくなかったら
作者名で避けて自衛しろってことか
しっかり筋を立ててから書いた方が良い気がする。
じゃないとやりたいことを詰め込んで急ぎすぎた結果、企画倒れしちゃいましたみたいな事になるよ。
少なくとも今までの作品を見てそんな印象を受けた。
もっとじっくり腰を据えて創作に取り組んだ方が良いんでないの?
しかし感性云々って自分を卑下してんだか読者を見下してんだか分からんなw
ブログ作ったら?簡単だし
あなたがやろうとしていることはあなたには出来ないことだから諦めなさい
としか言えないな
>誰か率先して死ぬ人間ってのは、やっぱり必要なんですよ。そういう人間は、必ず多くの批判に晒されますが、それを見て、或る程度の人間は適切な割合で、その運動を取り入れるからです。
そうなれるのは能力のある人の場合だよね
自分にも出来ると思い込んでるだけの人間が大きなことやろうとしても無理だよね
あなたでは一石を投じる(笑)こともできないよね
次に。ここからは作品とは関係がありませんね。読まなくて結構。
あなたの思想(一部しか読んでいませんが)は、はっきり言って個々を無視している。
SSを書くのが辛いそうですね。
しかし、あなた。SSを書いている人が皆が皆、終始書くことを楽しんでいるとお思いか。
あなたには解らないかと思いますが。判らないではない、解らない。
あなたのSSはもはや「芸術のための芸術」ならぬ「SSのためのSS」ではないか。
そんなもの誰が読みたいと思いますか? そして、今回SSより長いあとがきという形でもはやSSですらなくなった。
おまけ+主張だ。それこそハッピーセッ○のようなものだ。
もはやあなたの発する言葉の語尾には全ていやらしい草が生えているように思える。
あなたには自作に対する愛情が無いのでしょうか。非常に残念です。
私は正直あなたの、無駄に「~でなければならない」というその考え方が気に食わない。
あなたが「~でなければならない」と言っているものは「~でなければならないわけでもない」
それこそあなたはこの文化を、いや、アメリカで成立した今日の、そして恒久的に模範的なものであろう考え方そのものさえ理解していないのではないかと疑ってしまう。本当に正しい文化の概要などは私も知りませんが。あなたはその初歩さえ理解していないように思える。
ここで最初の個々を無視しているという話に戻ります。物を作るのは人です。個々の人です。
と適当に並べたてておきましょう。真面目に考えるのが面倒ですので。眠いですし。
まず一つ目。タイトルが面白くない。過去のSSもタイトルだけチラ見をしていましたがどれもこれも「○○の○○」のパターンばかりで正直うんざりです。飲食店で例えるなら看板の段階で一見さんバイバイのオーラが漂っているワケです。概ね、創想話やこんぺの人気SSというのはタイトル段階で工夫をされている(あるいは、センスが輝いている)ので、その段階で見劣りしますね
で、二つ目。この話を書いて読ませる必要性、描きたかったテーマとは一体何なのでしょうか
小手先の技術論や作者さんの思想を披露するばかりに終始していて、物語の面白さが伝わりませんでした
漫画で例えるなら構図や背景の書き込み、CGの使い方ばかり気にしていて、内容がスッカスカのキャラ描写に魅力が無い作品を読んだ気分です
とりあえず、SSで伝えたかったことや描きたかったシーンをはっきりさせて、それを書くためだけにキーボードを叩いてはどうかなーと思いました
別に、伝えたい事なんて何でもいいんですよ。○○と××の強い絆を描きたい!でも、△△の嫁は絶対××だから俺がそれを布教してやる!でも。大笑いしてほしいから渾身のシモネタを読めや!でもいいんですよ
でも、氏のSSからはそういう「芯」が見えない。一番大事な部分なのに、そこが詰まっていない
見えるのは「芯」があるように見せかけるためだけに纏った「泡」です。そんなの、軽く水ですすいでしまえば綺麗サッパリ流れ落ちてしまいます
技術は平均以上だと思うにそこが残念。残念なので点数評価はせず思った事をざーっと書くだけ
今のままだと多分マイナスのバイアスがかかって読まれると思うので、次回は名前を変えて投稿する事をオススメしますよ、と追記っ
でも、あなたはその伝え方が致命的に下手。伝えようとしてるのかもわからない。
だから、あなたの思想が良い悪いの判断さえ、他人にはできない。だって、思いが届いてないもの。
何千キロも遠く離れた友人に贈りものを渡すのに、自分で徒歩で行くようなものですよ。
どうすれば他人にもうまく伝わるか。まずはこれを考えてくださいな。
とりあえず、今のままじゃあ、誰にも何も伝わってないと思うよ。
あなたが思ってる以上に、あなたと他人の距離は大きそうだから。
それと、「コメント同士で言い合いをするのは禁止」というだけで作家のコメントに対する返答を規制するルールはない。
むしろコメントに対する作者の反応は推奨されるものであるべきだ。
コメント返礼をすることを「作ろうとしようとしている人はいると感じました」というのなら誰がいつどのようにやっているかを教えて欲しい。
一読者として全否定してやる。
一石を投じた事に対しては敬意を表する。
しかし一石が発泡スチロールでは何の意味もない。
二点について言いたいことがある。
オタクの世界とルールについて
>後輩を育てて、皆で楽しめる様な、そうして広く発展して行こうとする意識が少ない、このオタクの世界
これについてはっきりと否定しておく。
少し周りを見れば同人創作のために文章のトレーニングやお互いに批評をしている人間は何十もいるし、自分の作品への愛を示す二次創作が盛り上がる事はすなわち発展ではないだろうか。
これは悪い事ではないのだが、あなたは自身の創作活動に集中し視野が狭くなっているのではないか。
「皆で楽しめる」 もちろんよいことだが自分達でしか楽しめない事に対して熱中し、青春すらささげる阿呆が「オタク」と呼ばれるのだ。オタク同士で楽しみ盛り上がっているコンテンツに対しもっと受け入れろという認識は間違っている。
もう一点ルールについて。
>一々コメントしてくれた人に誠意を示さなくては悪い気だってするのだ
正しかどうかはともかく「悪くはない」 ただ、
>クーリエのローカルルールなんて知ったことではない
そういうわけではない。
規制があるとはいえオタクの世界が存在しているのはルールを守っているからだ。
ルール、法律を破る者に世界を厳しい。
「そういうジャンルはあちらで」は大抵自分にとって目障りな存在に対して使われるモノなのだし仰るとおり偽善だ。だが悲しいことに、本質をついてもいる。だから使われる。
この場合のルールとローカルルールについて簡単に実例を出すならば
「性描写が含まれる作品を書く」
これはもちろん自由だ。それを小説新人賞に応募しても誰も文句は言わない。
担当者が寝不足で性欲全開の状態ならば面白いと拾われる可能性もある。
「性描写が含まれる作品を創想話に投稿する」
これはもちろんアウトだ。注意事項に書いてある。
さらに「そういうのはアチラ」の場所も存在する。「アッチでやれ」が通用する。
さてこの時問題になるのが「どこからがアウトなの?」だ。
キスまでならいいのか貝合わせはいいのか云々。
創想話でもしばしば話題になっているのはご存知だろう。
こういう場合明確な線引きをすることは難しい。
「アレがいいならコレはセーフ」と規制と削除のいたちごっこになる。
この点管理人はギリギリを狙う事もダメとすることで上手く回している。それでも荒れるのだから大変だが。
ローカルルールはその場を安定させ発展させるためにある。
ただそれはそこにかかわる全てに明確な線引き出来る物ではないのだ。
大きくなったコミュニティに新たに線引きをするためには既存の物を全て破壊しなければならず、そのためにかかる労力と時間は膨大なものとなる。
これを「閉塞的」とも言うのだろうが、ここまで大きくなったコミュニティではどうしようもないのが事実だ。
楽天が成長のために新事業に参加することが必要だが、TOYOTAが新事業に参加することは不必要なのだ。
それでも自分にとって良い環境を作りたいならば新しく作るしかない。
それを理解できず、受け入れられず現状の打破を唱える事しかできないのならば、その程度の熱意ということだ。
幻想郷は寛容である。全てを受け入れると賢者も言っている。
しかし、守るべきものを守らないものに対して賢者がどのような行動、態度をとるのかはご存知だろう。
悲しいことにこの作品もこの場のルールに縛られているのではないか?
自分が読んで抱いた感想はこれだけです。
作品と作者を結びつけて語るべきではないと良く言われますが、
それにだって限度というものがあります。
感性が違う人にも楽しんでもらえるよう、工夫をこらすことが肝要なのでは?
技巧に走っても話の芯さえ通っていれば読める、面白い話になるでしょうし。
あなたの言葉はただの言い訳です。
ひとつひとつが凄く綺麗な欠片なのに全体で見ると凄く歪っていう物語的なナンセンスが大好きです。
何かこれだけでも(色んな意味で)勉強になるなw
この手のコメ炎上で累計ポイント狙う奴はいなくなるのかもね…
批判や意見に対して
「フンフン、そういう考え方もあるのですね。私は真摯に受け止めますよ」とか
「そうそう、そういう意見が欲しかったのですよ!」みたいな…
何て言うんでしょう、何を言っても無駄というか、何を言われても動じませんよを演じようとしているというか
頭でっかちの子供というか
勘違いに気が付かないまま今までやってきてしまった、という印象です
新しく作品を上げたようですが、こういう思想を主張したいとき以外は名前を変えた方が良いのでは?(って、これはその作品でコメントするべきでしょうか)
あなたの名前を見た時点で読むのを止める人もいると思います
評価は貰うにこしたことありませんよ
物語は、その観測者により形が変わると思います。その変わった形が二次創作だとも思っています。だから"絶対"なんて線引きは有り得ないと思うのです。
いくら偉人の言葉を借りようと、その意味、本質は先に言ったとおり、人によって変わります。少なくとも自分はそうです。故に、一定の理解は得られても、それ以上はなく、熱も人も見えてこない。
自己陶酔も自己擁護もいいですが、あなたはもう少し人を見た方がいい。客観性を捨て、主観で完結させてしまえば他人の感性などどうでもいいのでしょうか。偏狭なものを見て偏狭だと決め付ける偏狭さを顧みれないのでしょうか。だからそれは結果として現れて今に至ります。
人あっての二次創作です。他人も御自身も大切にしましょう。
そして何がすごいって、作品だけでなく後書き、コメントへと、3重構造のメッセージを織り成しているところです。
なんて哀れな一部のコメントたち!後書きを見て、図星を突かれ、ムキになって稚拙な悪口雑言を書き散らすも、よくよく見ればそれが後書きの指摘の傍証になってしまっていることに気づかない!
それもこれもこの、異常を除き、出る杭を打ち、目立つ者を集団で叩きのめそうとする、いかにも前近代社会的でそれゆえ非幻想郷的な、偏狭さが、ひとえに為せる業なのです。
作品中では巨大な火の鳥がそんな偏狭を焼き尽くす希望となった。ネットの中でその役割を果たせるのは、そんな中でも(別段そこまで難解でもないけれど)ちゃんと文章を読み、作品に対する健全なレスポンスを返した、知恵あるコメントたちでしょう。彼らの方こそ、後書きの指摘を反証している。