河童の神様
一
人里からやや離れて、妖怪の山にちょっと近い、けれども滅多に妖怪たちが近づかない、誰からも忘れ去られてしまったようなところに、綺麗な綺麗な小川が流れておりました。その小川から、草深い野原を隔てて、小さな池がありました。今はそこに、河童達の工場が建っているのですが、その工場には、鯉が四、五匹ばかり泳いでいる、小さなお池があって、その傍らに、これもまた、小さな祠があります。この祠の所以は、殆ど誰も知りません。それでもお祭りの日や、工場が建てられた日などには、その祠に、お花と、お饅頭とが備えられて、河童達はそこにお祈りをしてから、お仕事をしたり、お仕事から帰ったりします。
今日はその祠について、お話をしましょう。
二
さて、さっきお話しました、綺麗な小川ですが、あるときから、そこには一匹の河童が、よく遊びに来るようになりました。河童はにとりと言って、色々な発明が大好きな、女の子の河童です。
にとりは、時間を見つけては、あれやこれやと工夫をして、面白いもの、役に立ちそうなものを作る毎日を送っていました。ですが、時にはそういう毎日に疲れるときもあります。なるほど、確かに趣味でやっていることではありますが、どうしたって一日中、発明のためにあれやこれやと悩んでいたのでは、気分が詰まって仕方がありません。ですから、気分転換を兼ねて、にとりはよくこの小川で、一匹、水に浸かって、ちゃぷちゃぷと泳いで、気持を落ち着けていたのです。
そうやって、小川に通う日々が続きますと、或る日、何だか人の声がします。にとりはまだ子供の河童でした。それに、人間のことは、人づてに聞くばかりで、実施に彼女がお話をしたことはありませんでした。ですからにとりは、人間が来たことにびっくりしましたし、なんだか怖いとも思いましたので、小川から飛び出すと、野原に駆け込み、隠れてしまいました。ですが、ちょっぴり好奇心もあります。ですから、見つからないように、こっそりと、人間が何をするのか、どんな生き物なのか、観察することにしました。
そうしてじっと見ていると、確かに子供達が数人、小川にやって来ました。どうやら子供達は探険をしているらしく、こんなところに、綺麗な小川があったのを見つけて、今日第一の発見だと喜んで、そこで遊び始めました。にとりは、折角の隠れ家を子供達に占領されてしまい、困った、困ったと思いましたが、どうにもなりません。もっと観察していたい気もしましたが、好奇心大生で、腕白盛りな男の子たちです。万が一見つかってしまっては、大変です。ですから仕方ないので、しぶしぶながら帰ることにしました。
と、その途中で、にとりは小さな池があることを発見したのです。何だか水に浸かり足りないにとりは、仕方が無い、それではここで一風呂浴び直すかと気持を入れ替えました。その池は水草が多く、やや濁りがあるので、どうにも気持は良くなかったのですが、背の高い葦に囲まれていて、ちょうどぽっかりとあたりからは切り離されていたので、一人ゆっくり出来るのだけは希望に合っていました。ですから、それを慰めにして、ぷかぷか、ぷかぷかと、池に浮かんで楽しんでいました。
三
それから数日、子供達が来なくなったのを確認して、にとりは、ああよかったと思い、また小川で、半日ずっと、発明で悩んだ疲れを癒すことにしました。
綺麗な小川には、小さなお魚が一群をなして泳ぎ回っています。小魚の一群はさっと生い茂る水草に身を隠し、しばらくしてひょいっと出て来ました。そうかと思えば、巌の苔を食み、そうして川の流れに沿って、すいすいと気持良さそうに小川を下って行きます。ところが、それも急に横にそれて、水草の中で休憩を始めました。かえるが、それをのっぺりとした表情で見つめて、魚達に落ち着きがないのを、観察しています。また、その日はとても天気が良い日でした。ですから、お日様が水の中にまで顔を覗かせて、にっこりと微笑んでいます。にとりは、綺麗な陽光が幾重もの筋となって、川の中に眩い光を投じている様を、気持ちよく眺めて、なんだかもう、このままお昼寝をしてしまいたいくらいな、陽気な気持で、ぷかぷかとたゆたっておりました。
そんな、気のすっかり緩んだ状態でしたから、にとりは子供達がすぐ近くまで来ていることにも気がつきませんでした。ハッとしたときには、子供達はもう草原を掻き分けて来ていて、葦がざわざわと横に揺れ動くのが見て取れました。いけないと思って、だっと駆け出したので、にとりは間一髪、何とか見つからずに済みました。
「あぁ、あぶなかったなぁ」
そうしてほっと胸を撫で下ろします。
ところが、
(あ、しまった!!)
にとりはとても大きなうっかりをしてしまいました。
彼女の発明品や、道具のいくつかを、すっかり川辺に置いて来てしまったのです。どうしよう、どうしよう、見つからずにそのまんまならいいのに……と思いましたが、目敏い子供達は、すぐさま発明品や、道具を見つけ出します。
「あ、なんだこれ!」
「うわぁ、変なの。なんだろうなぁ」
「随分とひん曲がって、おっかしい形だなぁ」
「これは、釘にとんかちに……」
「あはは、これ、こうしたら面白いんじゃない?」
みんなてんでバラバラに、好き勝手を言っています。
なんだかにとりは馬鹿にされて腹立たしいし、失敗をして悔しいし、大事な道具や発明品が壊されないかと心配です。ですが、かといって人間の前に出て行く勇気もないし、どうしようもなくって、溜息しか出ません。
そうして落ち込んでいると、ある男の子が、
「なぁなぁ、まだこんなのがあるかも知れないから、ちょっと手分けして探して来ようぜ?」
と提案しました。
これは大変、こんなところにいたのでは子供達に見つかってしまうと思ったにとりは、しぶしぶお家に帰って、今日はもう、一日不貞寝に決めました。そうして、夜、子供達がいなくなったら、もしかしたら道具もそこいらに置いて行ってくれるかもしれないので、後で拾いに行くことに決めました。
四
その日の夜、にとりは月明かりを頼りに、例の小川へと行くことにしました。昼間の天気が、やや崩れてきて、雲が多く出ています。雨が降って来そうな天気です。河童ですから、雨に濡れるのはへっちゃらですが、道具が傷むかも知れませんし、探し難くもなりますから、少しにとりは不機嫌になりました。そうして道中、子供達に見つかった道具や発明品が、本当に見つかるのかどうか、不安でしかたありませんでしたから、次第次第にイライラが募っていきます。
そうして、くさくさしながら歩いていると、何時の間にか、もう少しで小川に着きそうなところまで来ました。と、何でしょうか?どうにも、人の気配がします。確かに、ここいらに来る妖怪は、にとりくらいしかいませんが、それでも人里から離れていますから、こんな時間に人間が珍しいことだと思いました。それと同時に、にとりは大変困って、どうしようか、どうしようかと悩んでいました。ですが、どれだけ悩んだところで、どうにも事態がつかめませんから、葦に隠れて、何をしているのか、覗き見ることにしました。
がさがさ、がさがさと、そこいらの野原を掻き分けたり、松明の明かりを頼りにして、人間達は小川の中を覗き見ています。
そうして、しばらくすると、強い語勢で、こう言います。
「いたか?」
「いや、こっちはダメだ」
「そっちはどうだ?」
その声は、大きな、大人の男の人たちでした。
(うぅ、怖いなぁ)
子供達にもおっかなびっくりのにとりですから、大の大人が出てきたのでは、どうしようもありません。
そうして、しばらくすると、遠くから、鉦太鼓の音に混じって、
「迷子の、迷子の、……松やい。かえせや、もどせや、……松やい」
と、子供や女たちの、大合唱の声が聞こえてきました。
にとりは、それを聞いて、すべて合点が行きました。
(誰か、神隠しにあったんだ。だから、皆で探しているんだ)
これは困りました。どうにもすぐに、人間達は引き返してくれそうにはありません。
(はぁ、今日はついてないなぁ)
そう思って、にとりは諦めて、家に帰ることにしました。
が、なんと言うことでしょうか。人間が帰り道を遮るようにして、探索を始めたのですから、大変です。これでは、じきに見つかって、何か酷いことをされるかもしれません。陸に上がった河童などは、翼を傷めた鳥の様なものです。しかもにとりは、ほら、ご覧の通り臆病者の子供河童ですから、女子供に勝てるのかさえ怪しいものです。
どうしよう、どうしようと悩んでいると、あ、そうだ。あの池にもぐって、朝まで隠れることにしようと思いつきました。そうして、見つかりませんように、見つかりませんようにとお祈りして、葦の高いのを頼りに、身を低くして池へと進みます。そうして、何とか池にまで辿り着くと、にとりはホッとして、お池にちゃぷんと入って、ふぅっと一息つけることが出来ました。
(いやぁ、濁りがあるとか、水草が多いとか、贅沢を言って悪かったね。君は、一番の良いお池だよ)
にとりはすっかりお池を褒めちぎって、心の中で、馬鹿にしてごめんと、謝りました。そうして水の中で、大きく息を吐いて、心を落ち着けます。やっと一安心です。
そうして、にとりが落ち着きを取り戻すと、何だか不思議なことが起こりました。
(カッパさんや、カッパさんや。お願いがあるんじゃけど)
何処からか、声が聞こえて来るのです。
(カッパさんや、カッパさんや。そっちの端の、急に深くなっとるところを、見てくれんかの?見てくれんかの?)
にとりは、はて、不思議だとは思いましたが、言われる通りに、反対側の、深くなっているところを見に行くことにしました。
お池の中には、大きなお月様が、そのお顔を浮かべていらっしゃいます。そのお顔は、大きなお顔でしたが、全く無表情で、ただ明るいだけの、寂しいお顔です。そのお月様の明かりが、白々と照らす先には、男の子が一人、水草に足を取られて、水底に沈んでいるのがありました。手を伸ばせば、水面から、肘が出るくらいの、深いと言っても、まだそう深いところではありません。きっと、急に深くなって、水草に足を取られて、水をいっぱい飲んでしまったから、分からないうちに、苦しんで、死んでしまったのでしょう。とてもとても、つらそうなお顔で、その子はぐったりと、水底に身体を揺れ動かしていました。水草は、申し訳なさそうに、頭を垂れて、子供を取り囲んで、ゆらゆらしています。お月様はやっぱり、無表情に、明かりを灯していました。
(かわいそうに……かわいそうに……)
にとりはそう思って、絡まった水草を足からはずしてやって、子供を胸に抱いて、お池から出ることにしました。
(ごめんや、ごめんや)
その間中、にとりは、そんな声を、ずっと聞いていました。
五
お池から出ると、にとりは、男の子を、そっと、葦の生えていない、土の上に横にしてやりました。お月様は雲に隠れて、その子の顔は、良く見えません。次第に、ぱさぱさ、ぱさぱさと、小雨が降ってきました。それが、お池の水をはねて、深い雨音となり、葦に当って、葉を打つ高い雨音になります。それが、にとりの鳴き声に重なって、皆が、その子の死を悼んでいる様に聞こえます。
にとりはひとしきり泣いたら、かわいそうな男の子を肩に抱えて、人間のほうへと歩き出しました。水を一杯に飲んだ男の子は、どっしりと重く冷たくなっていました。その身の丈も、にとりと同じくらいありました。それでもにとりは、精一杯その子を抱いて運んでやりました。深い深い、雪の道を行くよりも大変な思いで、運んで行ってやりました。
ようやく松明の灯りが見えて、にとりは、ホッとします。
臆病なにとりも、その時は、全然人間を怖いとは思いませんでした。ただ、男の子がかわいそうでしたし、大事な役目を果たせたと思うので、大変安堵したのです。
そうして、草原から、がさがさっと出て、人間の前に出て行きました。
人間は、にとりが出てくると、ゆっくりと振り返って、ぴたりと動かなくなりました。
そうして、二秒か三秒か、わかりませんが、沈黙が流れたと思うと、急に、
「うわああああ!!」
と叫んで、向こうへ走って生きます。
にとりは、
「待って!待って!」
と懸命に追いかけますが、男の子を抱えているもので、まるで追いつけません。しかも雨で、川辺ですから、多少地面がぬかるみますので、なおさらです。
そうして、急に、「ダァン……」と、耳をつんざく様な、恐ろしく乾いた音が響きました。にとりは、遠くに、男の人が二三人、鉄砲を構えているのを見つけて、慌てて逃げ帰りました。
走って、走って、なんとか走って、気がついたら、あのお池に着いていました。そうして、お池に、どぼんと飛び込んで、水底で、がたがた、がたがたと震えました。雨が水をはねる音が、池の底まで、聞こえて来る、寒々とした、一夜になりました。
六
翌日、にとりは、怖いとは思いましたが、逃げる途中、放って来た男の子が気になって、きょろきょろ、きょろきょろと、注意深くあたりを見渡しながら、小川へと行ってみました。そこには、もう男の子の姿は無く、かわりに、にとりの発明品や道具と、きゅうりが一山、おいてありました。
きっと、人間達は、悪さをしたものだから、河童の怒りを買って、祟られたのだと思ったのでしょう。にとりはなんだか、悲しい気持ちになりました。
そうして、道具の一式と、きゅうりを抱えて、ぼうっとしていると、小川の中に、珍しい小石が落ちているのを見つけました。それは、小さな小さな石が、幾つにも重なり、溶け合って、一つの石になっている、さざれ石でした。それが、何とも有り難く思えたので、それも一緒に、にとりは持って帰ることにしました。道中、にとりは泣きながら、なんでかなぁ、なんでかなぁっと、答えの出ない呟きを繰り返しました。そうして、例のお池に着くと、荷物の一切をそこにおいてしまって、とぷんと、お池に潜り込みました。
水底から見えるお空は、何にもない、詰まらないお空です。
雲の白も、空の青も、陽の光も、全てが灰色に染まっていて、見ていると陰鬱な気分になる、詰まらないお空です。
顔を水面から出して、お空を見てみると、昨晩の雲が、次第に退いていって、お日様と、雲と、空とが、キレイに分かれて、浮いています。
それは、混ざり合わずに、お互いの色を引き立て会って、綺麗な、綺麗な、夏空になって行くのです。
それを見て、にとりは、
「あぁ、いいなぁ」
と思いました。
そうしてにとりは、お池から出て、きゅうりと、道具と、さざれ石とを腕に抱えて、
「有難う御座いました」
と、お池にお礼を言って、帰りました。
それからにとりは、何か機嫌の良くない時には、このお池に来て、ぷかぷかと浮いて、心を落ち着けるのが常になりました。
七
さて、それからずっと後のことです。
にとりもすっかり大きくなりました。
それに伴って、妖怪たちの文明も大いに発達していきました。
文明が発達すると、やれ工場だ、やれ住宅地だと、何かにつけて土地が必要になります。そのくせ、妖怪たちは、堅苦しいのがだいっ嫌いですから、近場に工場が立ち並んだり、大きな高層マンションが建つようなことを到底許せません。次第次第に、外へ外へと土地を求めて行きますから、どうしても、例のお池だって、そのまんまにしておく余裕がなくなってしまいました。
にとりは、お池が埋められてしまうのは、大変嫌でしたが、皆で決めたことですから、どうにもなりませんでした。ですが、それでも、何とかならないかと思い、河童の親分に相談すると、親分はにとりの心意気を殊勝に思って、資産家の大河童にある提案をしに行きました。
その提案とは、工場に、お池を作れば、風流で粋だから、作ってはどうかと言う提案です。
「ね、どうです旦那?あっしの言うとおりにしておくんなされば、旦那の格も上がるってもんですぜ?」
「う~ん、どうしたもんじゃろうなぁ……」
資産家の河童は、まるまる太ったお尻を、ぼりぼり掻きながら、牛蛙のように、おなかをぷっくりぷっくりさせて、右手に掴んだお饅頭を、金平糖のようにむしゃむしゃ食べて、悩んでいます。
「蛙は、いっぱいお池にすむじゃろうか?」
「ええ、ええ。いっぱい住みますとも。蛙のいっぱい集まる工場なんて、洒落てますぜ?」
「ぐぇっこ、ぐぇっこ、ぐぇっこ。そいつは結構。好きにしんしゃい」
親分は言葉巧みに、資産家の大河童を丸め込みました。
そうして、工場のお庭には、小さなお池と、もっと小さな祠が一つ、建てられたのでした。その祠には、蛙の祠と銘を刻まれていますが、誰もそんなことは知りません。資産家の大河童はとうの昔に忘れてしまいました。河童の親分も、忘れてしまったかも知れません。ただにとりだけは、男の子の祠だと勘違いして、折りあるごとに、お祈りをしました。それを見て、他の河童も、何だか良く分かりませんが、にとりがお祈りをしているので、お祈りをし始めました。誰も、何故にとりがお祈りをしているのか、皆がお祈りをしているのか、聞く人はありませんでした。もとからみんな、祠があるのだから、お祈りをするのは、当たり前だと思っていましたし、何よりも、にとりがお祈りをするのだから、皆もお祈りをしたのです。そうしてその祠は、殆ど誰も、何のためにある祠なのか、まるで知りませんが、それでも、今もずっと、河童達に祀られているのです。
前の作品で結構言われてたから、もう来ないとばかり思ってました。
個人的には貴方の作品は大好きです。特にこういった作風は秀逸という言葉以外思い浮かびません。
自分も趣味で小説を書いていますが、比べれば比べるほど涙が出てきます。
これからも楽しみにしています。
子供が死んでにとりが誤解されたくだりと、形骸化した祠のオチに繋がりがないので
で?だから?という感想しか出てきませんでした。
あと句点が多くて眼で追って疲れる部分が多かったです。
色々とコメントを貰って、疑問が大分解決したので、自分としてはスッキリして、続きを早く書きたかったのですが、仕事が忙しくなって、土曜日出勤もあったので、ちょっと書く余裕がありませんでした。
何だかんだで、此処はレスポンスも多いですし、非常に有意義です。仕事の片手間の小説ですから、死ぬまでに良いものを一つ二つ書ければよいくらいの鷹揚な気持で書いてますから、よほどリアルが忙しくならない限りは、ぽつぽつ書いていくとは思います。
それで、レスの14番さんのお言葉ですか、正しくその通りだと思います。
ただ、それは、或る程度私の意図したところでもあるので、これは感性の違いが大なのかなぁっと思います。
例えば、オチの弱さなんですが、これって、童話全体に繋がる弱点なんですね。
童話って、かなり意味不明なのがあったりします。
理由としては、子供が相手なので、あんまり理屈で語っても仕方が無いのと、子供の好む滑稽が、大人の滑稽とは違うことが挙げられます。
例を挙げると、浦島太郎ですが、これって、理屈で考えると、あんまりよく分からないのです。
教訓染みた雰囲気の癖に、じゃぁ、どうしたらよかったんだよ!!
っと、突っ込める話になっています。亀を助けてあげた結果がこれだよ!!なんですね。
これは、その方が面白いから残ったという話なんだと思います。
ごんぎつねだって、良いことした結果が殺されちゃうわけですから。
ただ、その方が余韻がよかったから、そうしたんだと思います。
深く読めば、殺されてでも、罪を償ったごんは偉いとなるのですが、それにしてはあんまりにも酷い最後になっています。
この話の最後のオチも、逆ではありますが、そんなところがあって、要するに、救ってあげたいから救ってあげたと言うところが大きいのです。
本当は、お池から空を見上げるところで、区切ってしまおうかとも思いました。
そうすると、話としてはもう少し綺麗に纏まるかと思います。
ただ、そうすると、童話的物語としては、何か子供に分かり難いのです。
大人ならば、そこで表現したいことは分かるかも知れませんが、子供はちょっと分からないかも知れない。
だから最後、何か心安い、滑稽な一節を設けて、何となくよかったよかったと思える、そういう話にしたのです。
ただこれは、かなり危険な一手です。
だって、普通は、で?だから?と感じるはずなのですから。
よくよく考えて、この話が現在の私たちへの風刺であると気がついて、それがつまりは、幻想郷は美しいという話だと感付いても、
祠のオチに繋がりがないことは、弁解のしようがありません。
それ故、私はレス14番さんの批評はもっともであると思いますが、一方で、止むを得ず切り捨てたのも事実なのです。
それは畢竟、私の実力不足ですから、どうにかしたいものです。
句点の多さは、仰るとおりです。
出来るだけ適切な区切りにしようとは思っていますが、まだ一般的な区切りの感覚が掴めないのです。
これから勉強していこうと思います。
他の方も、コメント有難う御座いました。
何とかもう一つ、河童の出てくる作品を作りたいと思っていますので、頑張ります。
こういう作品も面白いなぁ