「バレンタインデー? 何それ」
咲夜がテーブルの上にカップを置きながらこぼした言葉は、私には聞きなれないものだった。
こうしたことは別に珍しくない。私はある程度自由となった今でも、基本は地下室にこもりきりで物を知らないから、咲夜はおやつの時間にいつも色々な話をしてくれる。
そんな時、今のようにガキを扱うみたく微笑むのがいけ好かなくはあるけれど。
「お国によって違いますが、この場合は女性が男性に向けてチョコレートを送る行事の事ですわ。日付は如月の十四日。すなわち今日ですわね」
「ふーん。今って如月だったんだ」
「そこからですか。まあ、外ならともかく、この幻想郷では馴染みの無い文化ですが」
「やっぱり咲夜って元は外の世界の人間なわけ?」
「さあ、どうでしょうね」
「答えになってない。仮にも主人の妹が質問してるってのに」
「女は謎の一つや二つあった方が魅力的になるそうですよ。お紅茶にお砂糖をほんの少し入れるのと一緒ですわ」
「私はストレートの方が好きだけどね」
「存じあげております。妹様は私の立派な主の一人ですから。ではそのストレートをどうぞ」
ティーポットから紅茶を注ぎながら、いけしゃあしゃあとそんな事をのたまうのだ、このメイドは。
そしてその度、私はこいつの事が分からなくなる。
謎の一つや二つというが、こいつは謎が多すぎる。砂糖を山のように入れた紅茶だなんてそれこそ飲めたものじゃない。
あんまりそういったものに付き合うと一番シンプルな
「それで? その謎多きバレンタインデーとやらがどうしたのよ」
「いえ、つい先程までお嬢様の音頭でメイド諸々を集めて、チョコレートの交換会を行っていたのですよ」
「女が男に渡すんじゃなかったの」
「親しい者同士で渡す場合も多いのです」
「やっぱ謎だわ」
「妹様も参加なさったらよろしかったのに。私はもう数えきれないくらいチョコをもらいましたよ。渡した分を考えると、元は取れてないかもしれませんが」
「数えきれない程もらってもマイナスって、そんなに沢山渡したの?」
「簡単なトリュフチョコでしたから数を揃えるのには特に苦労はありませんでしたね。時間なんてそれこそいくらでもありますし」
「あっそ。……私が行っても咲夜ほどモテないよ、どうせ」
謎多きとはいえ、私が知っている事もあるにはある。
たとえば、十六夜咲夜はこの紅魔館で大分愛されている存在のようだ、とか。
このメイドはそれなりに昔からこの紅魔館で働いていたらしい。それなのに、私との初対面を済ませたのはつい数年前。お姉様が戯れで異変を起こしてからしばらくの事だった。
霊夢と魔理沙との初対面で人間を飲み物の形でしか見たことがないと言ったのは冗談でもなんでもなく、それまで私は館に住まう唯一の人間である咲夜にすら出会った事がなかったのだ。
多分、私に咲夜が壊されやしないか心配で、会わせるに会わせられなかったのだろう。霊夢や魔理沙相手に私が普通に接しているのを見て、ようやく踏ん切りがついたとかに違いない。
咲夜は完全で瀟洒なメイドだった。
お姉様がメイドとして徹底的にしつけたのだろう。容姿端麗なのも、お化粧なり美容なりで不足がないように慮られているからだろう。
たかが人間相手に――本来は飲み物としてしか見なさないような奴相手に――そこまでのことをしてやるのだ。
お姉様だけじゃない。私が館を歩き回っていると、ほうぼうで咲夜を見かけ、そしてその咲夜に他人が向ける視線をいくつも見てきた。
憧憬、母性、親愛、信頼。そんな眩しい輝きばかりだった。
それを受けて、咲夜はいつも微笑みを浮かべる。私に向けるのとは、また違ったものを。
そしてそれが、他のどんな表情よりもいけ好かない。
「妹様? お紅茶が冷めてしまいますわ」
「ん? あ、ああ、そうね。いただきます」
大分考え込んでしまったらしく、カップから昇り立つ湯気が弱々しくなっていた。
味が落ちない内にと手を伸ばそうとして、私はいつもよりテーブルの上が寂しい事に気がついた。
「咲夜。お茶請けが見当たらないんだけど。あんたらしくもない」
「ああ、それでしたらこちらにご用意しています」
「はあ?」
そう言って咲夜は何もない手の平の上に、小洒落た小さな箱を出してみせた。
ことりと、私の前にそれが置かれる。
「妹様へ不肖私めから。バレンタインデーの贈り物ですわ」
「……何だ、そういうことか。余り物の有効活用だなんて経済的ね」
「まあまあ。いいから開けてみてくださいな」
何がおかしくてこんなにも微笑んでいるのだろうか。
その表情に、私は腹立ちまぎれにラッピングごと箱を壊してやろうかとも思ったけれど、お菓子のないティータイムには代えられなかった。
それでも気持ち乱暴に、箱を開ける。
姿を表すのは余り物のトリュフチョコ――
「――え?」
では、なかった。
まず目を引いたのは、八つの色に彩られた宝石のような菱形のチョコレート。
水、青、紫、赤、橙、黄、黄緑、そしてまた水。
その並びが二つ、鏡写しのようにお行儀よく横に収まっている。
そして、その頭をなぞるように、チョコレートで出来た枝のようなものが添えられていた。
これじゃ、まるで。
「いかがですか? 妹様の羽をイメージして、色はマーブルチョコレートの要領でやってみたのですけれど」
「えっ、あ、な、何で。トリュフチョコ、だったんじゃ」
「せっかくの催しごとに顔を出さない妹様の為に、特別にこしらえたに決まってるじゃありませんか。他のと違って結構大変でしたとも。……けれど」
咲夜は微笑む。
それは今までに一度だって見たことのない微笑み方だった。
「妹様に喜んでいただけたのなら、それで充分元は取れましたわ」
そして、いけしゃあしゃあとそんな事をのたまうのだ、この十六夜咲夜という謎多き女は。
でも。
「……ありがとう」
こんな気持ちになれるのだから、それは悪いことではないのかもしれない。
フラン可愛い。
あとフランちゃんは可愛い
1年以上放置したことがあるなぁ・・・
七色に輝くチョコレートはフランドールの瞳にどのように映ったのか……色々想像を巡らせるような余韻が残る感じが好き!
個人的には咲夜がフランドールに向ける笑顔の意味おいて感情がどんなものなのか、とても気になって仕方ない内容でした
アレですが、好きですこの二人。
さすが咲夜さん
フランドールはかわいいね