★いつもと少しノリを変えてお送りしています。
物語の舞台は、弥栄の地・幻想郷の時をわずかに遡ります。
人間の里。そのやや奥まった場所に建てられた格調高いお屋敷が存在します。
八代目稗田家の当主・阿弥の忘れ形見であり、家督を継承すれば数えて九代目となる女の子がいました。
この女の子。本名を稗田阿求と申します。
里の者たちからは『あっきゅん』の愛称で親しまれる、齢にしてわずか4つばかりの女の子でした。
『求聞持』と呼ばれる不可思議な力を代々受け継ぎ、かの御阿礼の子として重大な役割を担い、皆の期待を一身に背負った女の子。
あっきゅんには、ゆくゆくは幻想郷縁起と呼ばれる書物を完成させるため、御阿礼の後継者の名に恥じない立派な編纂者となるべき使命があるのでした。
そのためにも、まずは文字の読み書きから。
里の者たちから「がんばれあっきゅん」という声援や献身的な指導のもと、あっきゅんは日夜がんばっています。
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“ばれんたいん”と呼ばれる風習が伝わって久しい幻想郷。
元々は博麗結界の向こうがわとされる外の世界から伝わった伝統的な風習なのだそうですが。
なんとあっきゅん。ふとした縁で知り合った森近霖之助なる青年のもとに、貯古齢糖(ちょこれいと)なるお菓子を贈りたいというのです。
なんとも健気でいじましい姿ではありませんか。将来、それはもう気立ての良い娘へと成長することでしょう。
あっきゅんの先代たちもまた、同じ書物を用いて貯古齢糖を作っていたというのですから、そう考えると感慨深いところがあります。
あっきゅんが読んでいるのは、外の世界にある極東の地で始めて製造・販売されたという当時の米津風月堂による貯古齢糖の製法が記された文献です。
日頃がんばっている勉学の成果あってか、簡単な文字は問題なく読めるのですが、難しい文字や文語表現に関してはまだまだよくわからない部分が多いようです。
でも利発で賢いあっきゅんは、わからないところを使用人の者に訊ねながらしっかり書物を紐解いていました。えらいです。
貯古齢糖を作るために必要な材料は、里の者たちが責任を持って用意してくれたので問題ありません。
加えて裁縫上手な使用人の娘お手製の可愛らしい割烹着。里一番の料亭の台所を貸し切ったために調理場所も問題ありません。
こうして準備は万端となり、あっきゅんは貯古齢糖を作る運びとなりました。
やる気はしっかり人一倍のあっきゅんですが、その身はまだまだ幼い女の子。
刃物の使用や、特に火を使う場面にはきちんと大人の監督が必要です。調理の過程においては料亭の若大将直々の目視が入ります。
一生懸命になって貯古齢糖作りにいそしむあっきゅんの愛くるしい姿を見て、稗田家の使用人一同、ほんわりと和んでいます。
途中で挫けそうになりながらも、仲間たちの協力もあってなんとかがんばって乗り越えることが出来、ようやくして、あっきゅん手作りの貯古齢糖は完成しました。
その時たまたま通りかかった天狗の一人を里の衆が呼び寄せ、あっきゅんは記念撮影をしてもらうことになりました。
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――森近霖之助の住居である香霖堂へとつながる林道はとても危険な場所。
普通に考えても、4歳のあっきゅんがひとりで来れるような場所ではありません。
そのため里の警備は若干手薄になりますが、腕の立つ者を数名ほど選び、護衛役として同行させる運びとなりました。
これで悪い妖怪が襲ってきても大丈夫。護衛役の彼らがあっきゅんのことを全力で守ってくれることでしょう。
まるでどこかのお姫様が巷を外遊するかのごとき大所帯。
どんな悪い妖怪がやってこようと、妖怪の方から逃げ出してしまうに違いありません。
半刻ほど林道を進んでいくと、人里のはずれにある、外の世界から漂流した物品を主として取り扱う道具屋・香霖堂の建物が見えてきます。
「あっきゅん。がんばって!」「お嬢の初恋。実るといいですね!」「いってらっしゃいませ!」
初恋の相手・森近霖之助はこの扉の向こうにいる。
どきどきと高鳴る心音とともに募る不安。
この先に香霖お兄ちゃんがいるんだ――そう思うだけで、否応にも不安の気持ちを隠せなくなるあっきゅんの背中から、家の使用人や有志の協力者たちからの篤い声援が送られます。
こんなにも力強い味方がいてくれるという事実。
そうです。なにを恐れる必要があるのでしょう。
あっきゅんは勇気を振りしぼって、その第一歩を踏み出し、香霖堂の扉を開けようとします。ですが。
うーんうーん。
爪先立ちになって力いっぱい扉を開けようとしますが、扉の取っ手に肝心の手が届きません。
そこで護衛役のひとりが後ろから抱っこしてくれます。
扉に手を添えたあっきゅんの動きに合わせるように、香霖堂の玄関の扉がゆっくりと開いていきます。
しかしそこで。あっきゅんの期待を大きく裏切ってしまう事態が起こります。
あっきゅんの目に真っ先に飛び込んだのは、幼いあっきゅんにとって予想もつかぬことであったでしょう。
なんと、香霖堂には先客がいたのです。
しかも相手は女性。当代のあっきゅんにとっては未だ面識を持たない女性。
記憶によれば確か、幻想郷縁起の頁の一節に描かれていた――境界の大妖怪と呼ばれる妙齢の女性が、持参した貯古齢糖を霖之助の口に運ぼうとする光景だったのです。
その女性の抜群の容貌と、すでに恋仲と呼ぶべき二人の仲睦まじさを見て。
あっきゅんは二人の間に割って入る事など到底敵わないのだと、幼心に知ることになります。
「あれ……あれ……?」
目の前がどういうことか滲んできて。気がつくと、涙がぽたぽたと零れ落ちていました。
どうしてこんなに涙があふれ出るのか。まだ幼いあっきゅんには知る由もありません。
「お嬢ぉおおおお!」「なんてこった!」「元気を出してくだせえ!」
そんなあっきゅんの姿を見て、香霖堂のある森の奥まで護衛役としてついてきた、体格のいい男衆が野太い声でもらい泣きをしています。
「お嬢を泣かせるたぁ許せねぇ」「おのれぇ!」「ふてぇ野郎だ。とっちめてやる!」
血気盛んな若い衆は男泣きに咽びながら肩口まで袖をまくり上げ、いまにも香霖堂に乗り込んでいきそうな雰囲気でした。
そこに、あっきゅん護衛隊の長にして引率役・藤原妹紅が手をかざし、一触即発の彼らの前に立ち塞がります。なるほど、護衛の長として血気盛んな若い衆を宥めようとしているのでしょう。
そうして彼女はあっきゅんの方を振り向くや、右手から炎を出して。
「恋敵を燃やすか? あっきゅん」
こらこら妹紅さん。貴女は慧音さんに代わって皆さんを止めるべき立場でしょう。
あっきゅんにとっての幸せの第一歩なのだから。初めからなにもかも全部うまくいくのだと、里の誰もが信じて疑わなかったのでしょう。
明らかに護衛の人選を間違えていました。これは慧音さんのうっかりさんだと言わざるを得ません。
あっきゅんのことを普段から娘や妹のように大切に思っているだけに里の皆さん、怒髪点をつくように怒りは増大していくばかりです。
それを妹紅がますます焚きつけてしまっていて。あたり一面には、妖怪さえ裸足で逃げ出しそうな殺気が漲っていました。
そんな彼らを、制止する声があがったのです。
「だめっ!」
制止したのは、あっきゅんの大声でした。
その声を聞いて皆ハッと我に返ります。
「香霖お兄ちゃん、しあわせそうだから、いいの!」
護衛たちは返す言葉を失ってしまいます。
守るべき当人が、それでいいと言っているのだから。
「これで、いいんだからぁ……えぐっ。えぐっ」
あっきゅんはその場に膝を折ると、ついに声をあげて泣き出してしまいました。
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「おや、阿求ちゃん? どうしたんだいこんな森の奥まで。迷子になっちゃったのかい?」
そんなあっきゅんの泣き声を聞いた森近霖之助があっきゅんの姿に気がつきました。
玄関先で泣いていたあっきゅんを見て、心配そうに手を伸ばします。
「ん? 手に持っているのは、もしかしてバレンタインのチョコレートかい?」
貯古齢糖の名を聞いて、当初の目的を思い出した途端。
あっきゅんの顔がたちどころに紅潮し、せっかく作った包み箱を後ろ手に隠してしまいます。
そんな彼らを見守っていた護衛役の男衆は拳をぱきぽきと鳴らしながら霖之助を睨みつけ、女衆はそわそわしながら、あっきゅん達の様子を伺っています。
「香霖お兄ちゃん。よかったら、わたしのも、うけとって、ほしい、です……」
緊張の思いに途切れ途切れになりながらも、伝えようと思っていたその言葉をがんばって口に出すと、貯古齢糖の包み箱をおずおずと差し出します。
「……そっか、ありがとう。うれしいよ」
あっきゅんの様子から、おおよその事情を察したのでしょう。
森近霖之助はあっきゅんから貯古齢糖の包み箱を受け取ると、彼の手が、あっきゅんの柔らかな髪を撫でていました。
ぽわぽわ。不思議な気持ちに包まれて、それだけであっきゅんは幸せな気持ちになりました。
それが女の子特有の『恋』という名の気持ちだと知るのはまだまだ先の話ですが。
森近霖之助の、あっきゅんに対する紳士的な態度を見て、殺気立っていた里の衆もようやく怒りを鎮めてくれたようでした。
こうして。あっきゅんの小さな初恋は実ることこそありませんでしたが。
きっとそれ以上の、大切なものを見つけることができたような、そんな気もしていたのです。
あっきゅん。またひとつ成長しましたね。
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森近霖之助たちと何度も手を振って別れたあと。
護衛たちに守られながらあっきゅんが人里に帰り着きました。
瞬間。お留守番をしていた里の者たちから「おめでとう!」と盛大な歓声が沸き立ちます。
いたる所から“くらっかー”を鳴らされ、“らいすしゃわー”が降り注ぎ、あっきゅん目がけて“ぶーけ”が投げこまれたりと雨あられ。
瞬く間に、名状しがたい熱気に包まれたお祭り空気一色となりました。
ちょっと里の皆さん、なんだか“てんしょん”が異様です。おかしいですよ文化人類学的に。
なんでも上白沢慧音による指揮のもと。里で留守番をしていた者達が協力しあって祝いごとの用意をしていたというのです。
里のあちらこちらに施された和洋折衷も甚だしい装飾は、外の世界から流れ着いた様々な文化圏の書物を読み漁った知識を参考にしたとのことで。
もちろんこれは、過保護な後見人や使用人たちの早とちりによるものなのですが――なんでも森近霖之助のことを、あっきゅんの将来の婿養子として受け入れる準備を整えていたそうで。
あっきゅんの護衛たちは慧音にひと通りの事情を説明すると、里の者たちは落胆するどころかその逆で、傷心のあっきゅんを元気づけるべく、お祭りの熱気が高まっていきます。
残念ながら婚約祝いではなくなってしまいましたが、元々お祭り好きな里の皆さんのこと。
その晩は一晩中、盛大なお祭りで盛り上がったそうです。
時間も忘れて飲んでは騒いで。歌っては踊って。あっきゅんもめいいっぱい楽しむことができたみたいで、笑顔でほくほく顔でした。
こうしてひとときを楽しむ仲間たちのことを忘れないようにと心に焼きつけて。
いつまでも、いつまでも。彼らのように笑顔のたえない幻想郷でありますように、と。
そのためにあっきゅんにできること。
読み書きのお勉強をもっともっとがんばって、みんなを毎日笑顔にできるような立派な求聞持になろうと、心に決めた瞬間でもありました。
かくしてあっきゅんの初恋の物語は、これにて幕を閉じることになります。
めでたし。めでたし。
GJ!