いきなりくちびるを奪われた。
――また、雪かな。
首に巻いたマフラーを引っ張って口元を覆う。
それだけで身を切るような冷たい風は防げないけれど、気分の問題だ。
空を飛びながら雲を窺う。青空の向こうに見える大きな雲は暗い色。
幻想郷を一望できるこの高度の気温からしてあれが届いたら雪になる確率が高い。
参ったな。ようやく晴れたと思ったのにまた雪だなんて。ま、大雪注意の記事でも書きますか。
「おお寒い寒い」
ネタも取れたし、そろそろ地上に帰ろうか。雪で覆われた地上なんて空と大差ない寒さだけど。
んん、里に寄ってから帰ろうかな。お茶したいし……買う物もあるし。ふむ、そうしますか。
里に吹く風を探しそれに乗る。
あっという間に人間の里が見えてきた。妖怪の姿も多い――ほんとに増えたなあ、昼型の妖怪。
他人のことは言えない私だけれど、あまり感心はしないと思う。妖怪は夜に出てこそ、なのだから。
私は取材とかあるからしょうがないんですけどねー、と誰に聞かせるでもない自己弁護。
さてどの辺に下りようか……うわ、道凍ってる。雪は掃かれてるけど……あ、妖怪が転んだ。
むむむ。こういう時困るのよね、この下駄靴。走るくらいは楽勝だけど凍った道にはどうにも弱い。
んー。まあ気をつけながら歩けばいいか。下手に転ぶと足首が悲惨なことになるし。
用心すると妥協して適当なところに下りる。
さて、まずは霧雨屋かな……あそこなら欲しい物も置いてそうだし。
――と思ったのだが、その商品は棚に置いてなかった。
店員さんに訊いたら奥にまだあるかもしれないと言うので探してもらうことにする。
しかし中々見つからなかったようで、丸々一刻は待たされてしまった。
それでも欲しい物も手に入ったことだし礼を告げ店を出る。
よかったよかった。あとちょっとだっていうのに切れちゃって困ってたのだ。
他の色で補うなんて間抜けだしね。
さ、お茶して帰りますか。ずっと飛んでて体冷えちゃったし。
行きつけの喫茶店に入る。暖炉に火が入ってて、店内はほんのりと暖かかった。
よく座る奥の席に着いて紅茶を注文。紅茶が出てくるまで手持無沙汰だったので鞄を開ける。
小ぶりな紙袋を取り出し今日買った毛糸玉から糸を引っ張る。
うん、もうすぐ完成しそうだしここでもちょっと編んでこう。
んー毛糸のつなぎ方は……と、仮結びでいいかな。裁縫セットも鞄に入ってるし。
編み棒をちゃっちゃと操り編んでいく。もう終盤ということもあってか、慣れたものだった。
ちりん、と扉につけられたベルが鳴る。あや、千客万来ですね、って。
「げ」
「あら、文さん」
早苗さんとばったり遭って、否、会ってしま、否否、会った。
「ど、どうも」
妖怪の山の神である八坂様に仕える巫女。
彼女自身も神様らしい――早苗さん。
半年くらい前の件以来、どうも私はこの人が苦手だった。
だって時々目を金色に光らせて蛇みたいな鋭い視線向けてくるんですもん。
普段がぽややんとしてるだけにそのギャップが凄くこわい。ほんとにこわい。泣きそう。
彼女は買い物袋を抱えたままスタスタと軽い足取りでこちらに向かってきて、向かいの席に座った。
「相席いいですか?」
座ってから訊くなよ!
断り辛いじゃないか!
「ど、どうぞ」
うわああん。こわいよう、こわいよう。
帰りたいよう。おうち帰りたいよう。
うう……霧雨屋で待たされなければこんなことには……
……なんとなくだけど、どんな行動しても結局会う羽目になってそうな気がしたのは何故だろうか。
諦めよう。その方がまだ傷が浅くて済む……そんな、気がする。
肩を落として編み物を再開する。はあ、この虚脱感が編み込まれなければいいんだけど。
「おや?」
ケーキセットを注文した早苗さんは私の手元に視線を向けた。
「おやおや?」
妙に細められた金色の視線が私の手元と私の顔を行ったり来たりする。
「……ふふーん?」
「……なんですか、そのいやらしい笑い方」
露骨なまでのニヤニヤ笑い。わざとじゃなければこんな顔出来ない。
この人の場合気づかずに、ってこともありそうだけど。
「ぬふふー。いえいえ、青春だなあ、って」
「……私の歳知ってて言ってるんですかそれ」
皮肉なんてもんじゃない。
いや、妖怪は肉体年齢じゃなく精神年齢の生き物だ、ってのは重々承知してるけど。
でも私は気になってしまう性質で、だから千年以上生きているのを気にしてしまうのだ。
青春とか、そんなの大昔に終えちゃってますよ。って。
「なに言ってるんですか、青春に年齢なんて関係ありませんよ」
外じゃ教師と生徒がスポーツを通して青春するなんて珍しくありません。
そんなことを大見得を切って彼女は言った。
教師? 慧音さん――は、まだ若い人、だけど。まあ、彼女もそれなりの年齢では、ある。
なら私も許容範囲内なのか、とまでは思えないけれど。
今に始まったことじゃないけど、彼女の例えはよくわからない。
溜息をつく代わりに運ばれてきた紅茶を啜る。
「バレンタインデーですものね」
「――っ!!」
むせる。
砂糖を入れ忘れたせいでひどく苦い。
苦みが気管にまで染み渡る。
「……っ、ごほっ、そ、そうですね」
如月の十四日は恋人たちの日――そんなことを吹聴したのは、彼女だった。
ちょこというお菓子を渡すとかプレゼントを渡すとかそういう日だと。
師走の終わり頃もそんな日だとか言っていたけど、そちらはどうにも解り辛くて無視をしていた。
ただ、如月の方は単純で、たまには乗るのもいいかと乗ってみたのだが。
「うふふー」
まさかその当人にバレてしまうなんて。
「それ、例の想い人さん用ですか?」
以前彼女に相談を持ちかけたことがある。
その時早苗さんは素っ頓狂な発想の飛躍を以って私を悩ます相手を想い人と断じたのだ。
結果的にそれは正鵠を射ていたのであるが――恥ずかしいから、正直なところは話していない。
「想い人って、まあ」
動揺してるなあ、私。誤魔化し切れてない。
想い人。私の恋人である犬走椛。
このマフラーは、彼女の為に編んでいるのである。
「凝ってますねえ。赤地に白いライン入りとは」
「これは、その、私の赤い眼が好きだとうるさくて」
「ふうん?」
やだなあ、惚気てるみたい。
「いいじゃないですか、紅白でめでたくて」
言葉に窮してるのを見てか早苗さんは話を進める。
……そう言われると霊夢さんみたいで、なんか熱が冷める。
別に霊夢さんのことは嫌いじゃないし、良い友人と思っているが……
流石に恋人に渡すものに霊夢さんのイメージがあるというのはどうなんだろう……?
私としては私の赤い眼と、彼女の白い髪をイメージしたつもりだったのだけれど。
あと少しで編み上がるけど……今から他のを作るんじゃ間に合わないけど、どうしよう。
うーん。相変わらず悪気なく自覚なくこちらの予定を引っ掻きまわしてくれるなあ、この人。
「あれ、なんか不名誉なこと思われてる気がします」
「気のせいです」
「というか、編む手を休めませんねえ文さん」
まあ、あと少しですし。不安は残るけどもったいないですし。
いつまでもあなたに振り回されっぱなしじゃないんですよ。まだ怖いですけど。
「なんか――無理矢理集中してる、って感じです」
「………………」
相変わらず、鋭いなあ。
この人のことだから、編み物してた私の異常を見て取ってわざわざ相席にしたのかもしれない。
巫女らしく、勘が鋭いのだ、この人は。前回だって……結局は彼女の言う通りだったのだし。
「わかっちゃいます?」
「それなりに。どうかしました? 疲れてるって顔してますよ」
疲れてる。疲れてる――か。
きっと、大当たり。編み物に逃げていたのだろう。
他のことを考えずに済む編み物は逃げ場として最適だった。
ちゃっちゃと編み棒を動かし、余分な毛糸を切って――完成。
さあ、逃げ場はなくなりました。これからどうすればよいのでしょう?
大きく息を吐く。完成したマフラーを見分することなく畳んで鞄に仕舞う。
「……最近、ペースがつかめなくて」
「想い人さんとの?」
「はい。なんか、勢いに負けちゃうというか」
「うーん……あんまりよろしくない感じですねぇ」
早苗さんは眉根を寄せて唸る。
私のことを心配してくれているのだろう。
こういう人だから、嫌いになれないんですよねえ。
「それじゃ文さんが嫌がることもずるずると――なんてことになりかねませんよ」
「わかってるんですけどね。びしっと言わなきゃならないって」
溜息一つ。
紅茶に砂糖を入れてかき混ぜる。
――そう、相変わらず椛は悩みの種だった。
嫌いになるとか、昔のように怖がって攻撃的になっちゃうとかはないけれど……困っては、いる。
「なにかお手伝いできることがあるなら……相談に乗りますけど」
言いながらも出来ることはないと察しているのだろう。早苗さんの口調は重い。
流石のバランス感覚というか、言うだけあってこういうことの機微には聡いらしい。
「それには及びませんよ」
礼の意味も込めて微笑む。
まだ笑えるくらいの元気は残っている。
空元気ではない証拠に、私の思考は止まっていない。
「今度くらいは自分でなんとかしなきゃ」
私の方が年上なんだから、多少なりともリードしなきゃ。
そんな、安っぽい自負があった、
早苗さんと別れ帰路の風に乗る。
暗い雲はまだ幻想郷にまで届いていない。降り出すのは明日以降ってところかな。
妖怪の山に入り高度を落とす。んー……風が乱れてるなあ。私の家まで吹くのが見つからない。
しょうがない、ちょっと歩くか。開けた場所に下りる。
雪に残る足跡は少なく、踏み固められていない雪に下駄の歯は殆ど埋まってしまった。
マフラーを巻き直す。やっぱり里に比べてここらは寒い。飛んでる間はまだ我慢できるのにな。
さくさくと雪道を進む。ふと強い風が吹き抜け、きらきら光るものが視界に舞い込んできた。
風花――か。風に散らされた新雪が陽光を反射し輝いている。
思わず頬が緩む。こういうものが見れたりするから、歩くのも悪くない。
ま、空を飛ぶ気持ち良さには敵わないけれど。
歩調を緩める。こんなキレイなものが見れたからか、急ぐのも馬鹿らしくなった。
見飽きた雪景色だけれど、忘れてたり知らなかったりでまだまだ楽しめるのかもしれない。
最近は何かと忙しなかったしゆっくりするのもいいかな。
なんて、そんな考えは早苗さんに会った時点で改めておくべきだったと思い知る。
雪景色に埋没しそうで、だけど決してそんなことはない白い姿。
犬走椛が私の家の前に立っていた。
「おかえりなさい、文さん」
口の端が僅かに上がる程度の笑顔。
いつもいつも無表情なくせに私の前だけで見せる、彼女の素顔だった。
「……待ってたんですか」
想定しておくべきだった。
こちらの予想など何の役にも立たないと。彼女は何時だって唐突だったのだから。
そう、だ。椛は……私に対して我慢することをやめたんだった。
許可を出した私が困惑してしまうほどに、犬もかくやの甘えっぷり。
確かに、私はわがままを言ってもいいと言った。
過去に私を追い詰めた負い目か、彼女はずっと家来のような振る舞いを続けていた。
そんなの見ていられなくて、だからあなたもわがままを言ってもいいと告げたのだ。
だから責める資格はないのかもしれないけれど、一言くらいは文句を言いたくなる。
常に私を立てて我欲は欠片も見せないなんてのも嫌だけど、これも困る。
私にだって体面というものがあるのだ。はぐれ者にだってそれなりの見栄がある。
なんていうか、加減、してくれればいいのに。
この前だってはたての前だっていうのにいきなり抱きついて来て――
はたてがツインテールを尻尾のように跳ね上げて驚いていたのが忘れられない。
一か零しかないのか、こいつ。
私の苦悩に気づかぬ様子で彼女はこちらに一歩歩み寄る。
「はい、用事がありまして」
「用事……?」
珍しい口上だ。ここ最近は「用がなくては来てはいけませんか」なんて調子だったのに。
急用か、と考えて――彼女の指先や、頬が赤くなっていることに気づいた。
「あの、何時からここに?」
確か椛は寒さには強いとか言っていた筈だが……
「ああ、一時ほど前から待たせていただいてます」
ひととき? ひとときって、一刻の四倍で、人間の時間に当て嵌めるなら二時間で――
「この寒いのに一時立ちっぱなしですか!?」
「? ええ、まあ」
「なんできょとんとしてるんですか!」
すっかり冷たくなった手を引っ掴んで玄関に向かう。
「こういう時の為にうちの鍵は渡してあるでしょう!」
「入ろうとは、思ったのですが」
「思うだけじゃなくて入りなさい!」
鍵を開け居間まで椛を連れていく。火鉢は、ええい妖術で炭に火を点けよう。
炭を片っ端から燃やし並べていく。まずは暖を取らねばならないし、炭は立てて置こう。
うちのは関東火鉢だから、割と大きめだし暖まるのも早いだろう。
「ほら、暖まりなさい。手が凄く冷たいじゃないですか」
強引に火鉢の前に座らせ私は次の準備へ移る。
次は炬燵を、いやお茶の方がいいかな――って。
あれ、自分の家に入っただけなのに虎口に飛び込んだような気がするよ?
……頭が冷えてきた。何やってるんだろう私。
椛の甘えっぷりをどうにかしたいと考えていたのに甘える口実を与えてどうするんだ。
誰の目も届かない室内なんて絶好の猟場ではないか。忘れたのか、彼女は狼なんだぞ私。
「あ、あの私お茶を」
「いつもと逆ですね」
慌てて逃げようとした私の背に、殊の外冷静な声が届いた。
見れば――彼女は、苦笑している。
「私は……他人が、自分を蔑ろにしているのが、あまり好きではないので」
「それはお互い様のようです」
重ねて、苦笑。
言われてみれば、彼女の言う通りいつもと逆だった。
私が体を冷やして彼女が怒る。そんなことを繰り返していた。
「……椛、なんでうちに入らなかったんですか?」
なんとなく、おぼろげに察したことは口に出さずに問う。
「最近は要らぬご心労をおかけしたようでしたので――自重をと」
予想通りの返事だった。
本当に、極端な奴。一か零しかない。
だから……先んじられてしまうのだろう。
何かを言う前に彼女の方から引いてしまった。
なんにつけ――後手に回るなあ、私。
「そういう自重のされ方は、嬉しくありません」
でも今回のは別問題。自らを痛めつけるような自重なんて論外である。
返事を聞かずに部屋を出る。お茶の支度とかして、彼女に暖まってもらわねば。
話すのなんて、それからでいい。
何往復かしてもろもろの支度を済ませる。
釜戸に火を入れ湯を沸かし、それとは別に鉄瓶に水を入れ五徳を敷いた火鉢の上に乗せる。
お茶を淹れ盆に乗せ――とりあえずは、こんなものか。
居間に戻ってお茶を渡したら火鉢の炭を横にしよう。もうそれなりに暖まってるだろうし。
支度は終わり。お茶を渡して……話を始める、か。
何から話せばよいのだろう。
話すことはいっぱいある。
椛にペースを握られっぱなしというのは、出鼻を挫かれたカタチだし。
編み終わったマフラーは、まだ仕上がりを確かめてないし。
自分を大事にしろというお説教は、泥仕合になりそうだし。
迷う、なあ。
ああ……本当に、椛に対しては空回りばかり。
狡猾で老獪で邪知深い射命丸文は何処に行ってしまったのか。
千年を生きた古天狗の悪知恵も――恋路の前では吹けば散る塵芥。
羽をもがれたかのように、何一つ自由に出来なかった。
「初恋、なんだもんなあ」
生きた年月なんて何の役にも立たない。
経験が無い故に戸惑うことしかできない。
最速の天狗の肩書も、大妖怪に列せられる妖力も、全くの無意味。
無力で臆病な人間の少女となんら変わらない……弱さ。
「清く正しい射命丸です……か。皮肉よね」
恋したことなど皆無だから清いなんて、弱さを誇るような馬鹿らしさ。
大きく溜息一つ。
お茶が冷めてしまうからもう行こう。
頭の中は雑然としたままで何を話せばいいのかもわからないままだけど。
計算づくでばかり動いていたから、無策だと腰が引けてしまう。
あーあ。自覚はしてたけど、改めて考えると――――
嫌な女だな――私。
戸を開ける。
「お待たせしました」
お茶の乗った盆を入れ戸を閉める。
程よい熱さになった湯呑を渡す。
「すいません。かえって気を遣わせてしまったようで」
「そう思うのなら、もっと自分を大事にしてくださいね」
お説教までは行かずとも釘を刺しておく。
椛は何時無茶をしだすかわからないのだから。
そうして沈黙が訪れる。聞こえるのは蒸気を吐く鉄瓶の音だけ。
ふと窓を見ると、薄暗くなった空から雪がちらついていた。
予想、外れちゃったか。大雪注意の記事は没にしなきゃ。
風を読み違えるなんてな……今日一日、上の空だったのかしら。
「あの」
声に振り返る。頬の赤みの引いた椛は、包みを取り出していた。
「これを」
「え?」
包みが差し出される。
かなり、大きい。
「ばれんたいん、というものがあると聞き及びましたので――あなたに、と」
ばれん、たいん?
今日は――如月の十四日。
早苗さんが吹聴した恋人たちの日。
バレンタインデー。
「……耳が早いんですね」
「これでも天狗の端くれですので」
彼女は微笑む。
包みを受け取り、どう反応しようか迷っていたら開けてくださいと言われた。
開けろって。まあ、彼女の性急さは今に始まったことじゃないけど。
言われるがままに包みを開く。出てきたのは、服だった。
茶色い、獣の皮をなめしたような質感の服。見た感じ上着といった感じの洋服。
「森の道具屋で見つけました。飛行服というそうで、牛の革で出来てて風を通さないそうです」
彼女の言う通りとてもあたたかそうだ。飛行服、か。
これを着て空を飛ぶのは、どんな感じなのだろう。
「あなたにぴったりだと思いまして」
その一言で、ようやく頭が動き出した。
「あ、ありがとうございます」
プレゼント。恋人からの贈り物。
まさか、貰えるなんて思わなかった。
「……あっ」
慌てて鞄を探す。部屋の隅の方にあった。
貰った服を抱えたまま取りに行き、急いで戻る。
そんなに大きな鞄じゃないから漁るまでもなく目当ての品は出てきた。
「あの、お返しというわけじゃないんですけど」
渡すだけ。
差し出すだけでいいのに、躊躇する。
こんな立派なものを貰えるなんて考えてなかった。
私が用意した物なんて、簡単な手編みのマフラーだけ。彼女がくれた服とは吊り合わない。
こんなことならもっといいものを用意しておけばよかった……
後悔しながら、マフラーを差し出す。
「私も、用意してまして……あなたの程、立派じゃないんですけど」
椛は受け取ってくれた。
慌てたまま鞄からもう一つの品を取り出す。
「それと、これ」
渡すものは二つ。二つだけど、やっぱり吊り合わない。
少し考えれば椛がこういうことするだろうって考え付いただろうに。
自分のことに手いっぱいで、ああもう、なんで私はこうも手際が悪いんだろう。
「これ、文さんが編んだのですか?」
「え、はい。そうですけど……」
俯いたまま顔を上げられない。
なんか、勢いに流されて渡しちゃったけど急いで見合う品を買ってくるべきだったろうか。
これじゃ月とすっぽんだ。同じ防寒具でも格が違い過ぎる。なのに渡しちゃって……
「ありがとうございます」
礼の言葉にも、顔を上げられない。
「文さんが手ずから編んでくれただなんて……なにより嬉しいです」
本当に、嬉しそうな声。余計に顔を上げられなくなる。
今度は別の恥ずかしさで。顔が、熱くて。
あんなに高そうな服と等価以上だなんて、言われたら。
「こちらの包みは?」
「それは、チョコレートです。今日渡すのがいいお菓子だと、聞いて」
「食べていいですか?」
「はい、どうぞ」
甘くておいしいです、と彼女は笑う。
完全に顔を上げるタイミングを逸した。
もうどんな顔をすればいいのかもわからない。
何を言えばいいのかも、わからない。
私は……彼女みたいに素直じゃないから。
体面を気にして、彼女のように甘えることも出来ない。
素直な彼女の好意に戸惑って、うろたえてしまう。
悩みを思い出す。
なんで今の今まで窘められなかったのかを思い出す。
きっと、嫌だと言えばこいつは二度と手を出さない。
そういう愚直さがあると、私は知っている。
だから、言えなかった。言うのが怖かった。
一か零――なのだ。
零になってしまったら……どうなるのか。
拒絶ばかりする私を見限って彼女はどこかに行ってしまうのではないか、なんて……
「文さん」
手を握られていた。
もう冷たくはない、大きな、椛の手。
「一人で悩まないでください」
「悩む、って。わかるんですか、そんなの」
「はい。なんだかんだで、半年お付き合いさせていただいてますから」
私は……あなたがわからないのに。
今日のプレゼントだって、全然読めなかった。
いつもいつも予想は外れて、いつだって唐突で。
ずっと、計算が狂わされっぱなしで。
「椛、私……」
「嫌でしたか?」
顔を上げる。
能面のような無表情で私を見る金色の双眸。
「私があなたに甘えるのは、嫌でしたか?」
本人に問われ、ずっと考え続けてきた問いの形が変わる。
甘えられて困っていた――それは何故?
そう、何故、困っていた? 体面があるから? 恥ずかしいから?
「椛、私は、ただ」
私から言ったのだ。わがままを言ってもいいと。
それなのにいざ甘えられたら嫌がる? そもそも、嫌がっていたのか?
私は――嫌がるんじゃなく、困っていた。
何故、困っていた……?
「見境なく甘えられるのが、それは、それが――」
「ご安心を、文さん」
椛は微笑んだ。
「私が見境を無くすのはあなただけですよ」
――体面なんかじゃ、なかった。
なんのことはない。
ただ、椛を独占したいという気持ちの、裏返し。
彼女の好意を誰にも見られたくない、一人占めしたいという、欲求、だった。
そんなことも初めてで、わからなくて、独り思い悩んで……結局、見透かされた。
「そういうこと、いつでも言うから……見境が無いっていうんです」
生意気ですよ、年下のくせに。
続ける筈だった言葉を呑み込んでしまう。
言葉を呑み込んで、代わりに――
多分、初めてだと思う。
初めて、私から……椛に抱き付く。
「……文さん?」
「寒いから」
言い訳を口にする。
きっとすぐに見透かされるだろう拙い言い訳。
プライドとか肩書きとか年齢とか、色んなものが邪魔をして素直になれない。
「――寒いから、あなたで暖を取っているだけです。湯たんぽ代わりなのでしょう、あなたは」
「はい」
一瞬の迷いもなく彼女は頷いた。
私の言い訳を承知の上で、だけど額面通りの意味も込めて、受け入れた。
だけど、伝わるだろうか。変な意地が邪魔をして口に出せない私の真意を。
ただ抱き締めるだけで、彼女は察して、
「失礼します」
顎に、彼女の手が掛かる。
座っていても身長差は大きく、彼女は屈み込んでくる。
伝わった。察してくれた。
私の、ほんの少しだけ前向きなプライドを。
一度目は勢いに負けて、だった。
彼女の想いを受け入れるとか、考えてなかった。
だけど、二度目は――私の意思で受け入れる。
年上らしく、多少のリードを取る。
彼女にだけ責任を負わせたりしないって、示す。
二度目のキスは少しだけ苦くて、だけど甘い味がした。
あなたの椛はやはり最高だ!
恋に悩める文が可愛い。
文も可愛いくて可愛いくて。
もみもみは男前かっこいいです。