家々から漏れる明かりも少なくなり始めた深夜の人里を、二人連れの女性が歩いていた。
「案外時間がかかったわね」
「そうですね」
片方は幻想郷の管理人ともいえる妖怪の賢者、八雲紫。
もう一方はその式である八雲藍。
二人は幻想郷と外の世界を隔てる結界の補修作業を済ませた帰りであった。
「あー、お腹空いたわね。帰ったら何か用意してあるの?」
「いえ、私もここまで遅くなるとは思っていませんでしたので‥‥」
「そうよねぇ‥‥最近、外の世界からこちらに干渉しようとする力が強まっている気がしない?」
そう。
ここ数年、結界の消耗が以前とは比べられないほど早くなっているのだ。
まるで外の世界に住む多くの人々が、この地への侵入を望んでいるかのように。
「なんて、考えすぎよね。外に住む人間達がここの事を知っているわけが無いし」
「外の人間といえば、以前会った男性は今頃どうしているでしょうかね。あの帽子と眼鏡の」
「ああ、妙に作曲のセンスがよかった彼ね。酒好きの。懐かしいわね」
その人物によって幻想郷が外の人々に認知されるようになったわけだが、紫と藍はそんな事を知る由も無かった。
「懐かしいけれど、思い出でお腹は膨れないわ。どうしましょう」
「帰ったらお作りしますよ。少し時間は頂きますが」
「これ以上待ってたら、お腹と背中の境界が無くなってしまうわよ。それより、最後の修復が人里近くだったのは何かの廻り合わせだと思わない?」
「はぁ」
「せっかくだし、食事は済ませて帰りましょう」
「ああ、そういう事ですか。ふむ、それもいいですね。では適当に開いてる店を探しましょうか」
「そうね」
とはいうものの、元々さほど大きな集落ではない上に、今は妖怪が主役となる時間。
開いている店となると片手で数えられる程しか無い。
「ここでいいわね」
「小料理屋ですね。この時間にも開いているとなると、酒の提供が主でしょうか」
「それならお酒を頂かざるを得ないわね。困っちゃう」
「そんなに嬉しそうな顔で困っている人は初めて見ました」
ガラガラガラ
「いらっしゃいませ」
「ご店主。二人なのだが、席は空いているだろうか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
引き戸を開けて入店した二人を迎えたのは、見るからに人のよさそうな雰囲気を漂わせる、初老の女性だった。
「ああよかった。これで食事にありつけますね」
安堵したように自分の主に声をかける藍であったが、紫の表情が固まっているのに気が付いた。
その顔は、驚いたような、懐かしむような、悲しむような。
どれとでも取れる、複雑なものだった。
「あなたは‥‥」
「これは八雲様。お懐かしゅうございますね」
「そうね。あれからもう10年近くかしら」
「そうですね。その節はお世話になりました。さあさあ、外は寒かったでしょう? 火の近くにお座りくださいな」
「ええ」
女主人に促されるままに暖房近くの席へと座る。
「そろそろ店を閉めようと思っていたので、八雲様のお気に召すような大層な物はお出しできませんが‥‥申し訳無いですねぇ」
「いいえ。こんな時間なのだから仕方無いですわ。何か残っている物で美味しいのをくださる?」
「承知しました」
お任せで注文をしてからすぐ、簡単な料理が数品とお燗の酒が出てくる。
空きっ腹に熱い酒を流し込む。
胃は深刻なダメージを受けそうだが、寒空の下をやってきた二人には何よりも嬉しい。
酒が進むように考えられた料理も、二人の舌を満足させるに足る品であった。
「あら美味しい」
「本当ですね。これは是非作り方をご教授願いたい」
「焼き物はもう少しかかりますから、ゆっくり食べていてくださいね」
「そうさせてもらいます」
「あら? あなた、もしかしてお狐様かしら?」
「はい。紫様の式の八雲藍と申します。紫様のお知り合いだとは知らず、先程は失礼しました」
藍が言っているのは店に入った直後のやり取りである。
藍の口調は些か高圧的に取られる事もあり、本人も少し気にしているのであった。
「いえいえ、構いませんとも。お狐様が来てくださるだなんて、この店もうまくやっていけそうですね」
「あはは‥‥」
お参りでもするかのように両手を合わせる店主に、藍苦笑を隠せない。
「ところで‥‥紫様とはどういう経緯で?」
自分は買い物でよく人里までやって来るが、紫はそう頻繁には立ち寄らない。
藍としては当然の疑問を口にしただけであったが。
「藍っ!」
静かに酒を楽しんでいた紫が突如、叱り付けるような声をあげる。
「いえいえ、いいんですよ。たまには思い出してあげないと、あの人も可哀想ですもの」
「あの人、ですか?」
「ええ、私には夫がいましてね。この店はあの人の後を継いでいるんですよ」
そこまで聞いた時、藍はしまったと思った。
この語り口調から察するに、女主人の夫は既に過去の人なのだろう。
「私の夫はね、10年くらい前になりますねぇ。妖怪に食べられてしまったんですよ」
藍は愕然とした。
死者について語らせただけでは無い。
その人を死に至らしめた原因と同じ妖怪である自分が尋ねてしまったのだ。
なんとも浅慮だった。
だがここまで話させてしまった以上、慌てて遮るわけにもいかない。
藍は大人しく聞く事を決めた。
聞くところによると女主人の夫は鹿撃ちを生業としていたらしい。
その仕事でコツコツと資金を貯め、そろそろ念願だった料理屋を開ける。
そう考えていた矢先、事件は起きてしまった。
帰りが遅い夫を心配した彼女が里の有志の協力を得て捜索を行った結果、衣服の一部と愛用していた鉄砲だけが見つかったそうだ。
「里に住む人間を襲った妖怪は退治しなければならない。だけどその当時、霊夢はまだ未成熟でね。私がその妖怪を探し出して退治する事になったんだけど‥‥」
黙って聞いていた紫が口を挟む。
「だけど、この人がそれを止めたのよ。旦那さんの仇を討てる絶好の機会だっていうのにね」
「夫の遺言状があったんですよ。その手紙には、こう書いてあるました」
『俺がもしも先に逝ってしまった時、残していくお前達に頼みがある。
一つは食い物屋を営むという俺の夢を継いで欲しいって事だ。
そしてもう一つ。こっちが重要だな。
俺が万一妖怪に食われて死んだ時には、決してその妖怪を恨まないで欲しい。
俺は長年、鹿撃ちで生計を立てていた。
自分が生きるために命を奪ってきた。
妖怪達だってそれと同じだ。
それに、こっちが連中の縄張りまで押し入ってるんだからな。
食われたって文句は言えんさ。
そういうわけで、俺が妖怪に食われた時にはそいつを恨まず、ただこう聞いておいてくれ。
「腹は一杯になったか?」ってな。
それで相手が頷いてくれりゃ、俺も満足して成仏できるってもんだ』
幻想郷が誕生した頃から見守っている紫にしてみれば、人が妖怪に食われる事は珍しい事では無かった。
ルールが定められてからもイレギュラーが発生する事は時折あり、慣れている筈の事だった。
そんな紫が女主人をはっきり覚えていたのも、この手紙が原因だった。
「こんな手紙を残されたらねぇ。言われた通りにするしか無いでしょう?」
人間の身でありながら、妖怪の立場も考慮していた男。
生きている内に出会っていたならば、いい友人になれたかも知れない。
「その後、八雲様と巫女様が夫の葬儀に立ち会ってくれましてね。」
「今の話で思い出したんだけれど、あなた息子さんがいなかったかしら?」
「そういえば、遺言の手紙にも『お前達』って書いてありましたね」
二人の言葉に、女主人は初めて顔を曇らせた。
「息子は夫の一件に納得できて無いみたいでしてね。妖怪が悪さをしないように、だなんて言って、愚連隊の真似事をしているんですよ」
「ぐ、愚連隊‥‥ですか?」
「少し過激な自警団みたいなものかしらね?」
「大人しくしている妖怪さん達にまで目をギラギラさせて見張って‥‥近所じゃ妖怪よりよっぽど怖がられてますよ。今日だってこんな時間まで帰ってこないんだから‥‥」
女主人の言葉に、紫は複雑な心境であった。
父親は人間と妖怪の関係を好意的に捉えていたが、その息子はそうでは無い。
それが悪い事だとは決して言い切れない。
妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。
それが基本である以上、両者の間には一定の溝が有るのも仕方が無い。
むしろ、昔から続いてきた幻想郷の在り方を維持していくためには、その方が好都合ではないだろうか。
しかし、こうも思うのだ。
互いにもっと関心を持ち、良き隣人として友好的な関係を築いていく。
例えば博麗霊夢の周囲の人妖のように。
そんな新しい在り方があってもいいのでは無いだろうか。
幻想郷の管理者としてどちらを望むべきなのかはわからない。
しかし紫個人としては後者も捨て難く思えるのだった。
ガラガラガラ!
紫が一人考えを巡らせている時、扉が乱暴に開け放たれた。
開いた扉から、お世辞にもガラのいいとは言えない青年が入ってくる。
「帰ったぜ。何か飯残ってるか?」
この店の一人息子が帰宅したのであった。
「おっと、まだ客がいたのか。‥‥ちっ、妖怪かよ」
客席に座る二人の姿を見て妖怪だと気が付いた瞬間、露骨に嫌悪感を示す息子。
藍は少しムッとするも、先程の話を聞いた以上その反応も仕方が無い事に思えた。
「これ完二! お客様に何て口を叩くんだい! この方達は八雲様とお狐様だよ」
「八雲だか何だか知らないが、妙な真似しやがったら叩き出すからな!」
啖呵を切る青年に、とりあえずこの場は早めに退散した方がよさそうだと判断したのだろう。
紫と藍は出された料理に箸をつける。
食事をしている最中も青年からは警戒している気配が絶えない。
微妙な居心地の悪さに疲れ始めた時だった。
「ちょっとあんた!」
「へ?」
突然大声を出した青年が二人の方に近付いて来たかと思うと、卓の上の料理を真剣な面持ちで見ている。
「あの‥‥何か?」
紫が尋ねた瞬間、何かを確認した青年の顔つきが強張る。
そして。
「おい! 吐け! 早く!」
藍の襟首を掴んだかと思うと、ガクンガクンと前後に揺すり始めたではないか。
これには紫も女主人も呆然。
「おわわわわわ」
揺さぶられている藍も、突然身に降りかかった事態に混乱し、妙な声をあげるしかできない。
「完二! 何をしてるんだい!」
「お袋こそ何やってんだよ! なんて物出してるんだ!」
一足早く我に返った女主人は息子の奇行を咎めるが、逆に怒鳴られてしまう。
「ほら吐けって! おい!」
何度も繰り返される吐けと言う言葉。
酒を飲んでいたところを揺さぶられているため、本当に吐きそうになってきていた。
こんなところでそんな事になってしまったら一生の恥。
お嫁にいけなくなってしまう。
藍は堪えた。
「ちっ! しかたねえ! ほら、行くぞ!」
青年が漸く藍を解放するが、今度はグイッと体を持ち上げられ、背負われてしまった。
「あわわわ! 何をするんだ! 放せ!」
「ちょ、ちょっとあなた。藍をどうする気?」
エスカレートした奇行に、ついに紫と藍も黙っていられなくなった。
青年から返ってきたのは予想外の言葉であった。
「どうするって、医者に連れてくんだよ! 里の医者じゃ妖怪は診れないだろうから、竹林の薬師のところにでも行くぞ!」
「医者って‥‥藍がどうかしたの? まずは落ち着いてちょうだい」
「どうしたもこうしたも、あんた達が食ってたメシに玉ねぎ入ってたじゃねえか!」
「へ?」
「わかったな! わかったなら行くぞ! くそっ、尻尾が邪魔くせえな」
「ちょちょちょちょ、ちょっと待ってちょうだい。玉ねぎがどうしたの?」
「んだよ焦れってえな! この姉ちゃん、狐なんだろ!? そんで玉ねぎ食ったんだろうが!」
「ええ」
「物知らねえ姉ちゃんだな! 狐は犬の仲間だろうが!」
「そうね」
「犬にネギ食わせたらいけないって、昔けーね先生が言ってたんだよ!」
「‥‥‥‥」
訪れる沈黙。
「んだよ? 」
「‥‥ぷっ」
破られる沈黙。
「あははははは! そ、その子は大丈夫よ。妖怪ですもの。ぷっ、ふふ‥‥」
「はぁ!? 何言って‥‥」
「藍、あなたの好物、なんだったかしら?」
「‥‥あぶらげとネギトロです」
「ね? 普段から平気で食べてるのよ」
そこまで説明され、ようやく自分の先走りに気が付いた青年の顔がみるみる赤くなっていく。
手からは力が抜け、だらりと垂らされる。
つまり。
ドサッ!
「いたっ! 降ろすなら静かに降ろしてくれ!」
「ま、紛らわしいんだよ! ふざけやがって!」
「そっちが勝手に早とちりしたんじゃないか!」
「うっせえ! そんでな、てめえちょっと重いんだよ!」
「な‥‥それが女性に対する言葉か! 大体私は尻尾の分も体重に加算されるから仕方ないんだ!」
言い争う青年と自分の式を見ながら、しばらく笑いが止まらなかった紫であったが、一つだけ確かめておきたい事があった。
「ねえあなた、妖怪が嫌いなんでしょ? どうしてあんなに必死に藍を助けようとしたのかしら?」
「あ? いや、その‥‥だからって目の前でコロッといかれちゃ、目覚めが悪くなるだろうがよ。気が付いたら、なんとなく自然にやってたんだよ」
「そう‥‥」
「それによ‥‥最近やっと少しずつ親父の残した言葉について落ち着いて考えられるようになってな。妖怪ってやつの見方を変える必要があるかも知れないと思ってたところだしな」
「そうなの‥‥」
紫が先程考えていた、人間と妖怪の新しい在り方。
それが正解なのかはわからないが、今目の前にいる青年を見ていると、人間と妖怪の境界を埋めていくのも悪くないかも知れない。
そう思えるようになったのであった。
「そうだ。私の式を必死に助けようとしてくれたお礼がしたいわね」
「お礼だ? いいよそんなの。勘違いだったんだろ」
「その気持ちが嬉しかったのよ。妖怪は肉体よりも精神に重きを置く。心が満たされると、それだけでも活力になるのよ」
「そんなもんかねえ」
「さあ、あなたに選択してもらいましょう。‥‥藍の尻尾を思う存分モフモフするか、藍の胸を思う存分モフモフするか」
「紫様!?」
「まあまあ。おんぶまでしてもらった仲じゃないの」
「それとこれとは‥‥」
「なあ、本当に礼をもらっていいのか?」
「ええ構わないわ。どっちがいいか決まったの?」
「いや、その‥‥どうせなら耳がいいんだけどよ」
「‥‥‥‥」
「はふぅ‥‥」
人間と妖怪の溝は絶対に埋められる。
藍の耳を無言でいじり倒す青年と、目を細めて脱力しきった自分の式の姿を見て、紫は確信したのであった。
個人的には名前はない方が好きかな
良いハナシダナー
胸もイイ、尻尾もイイ、でも獣耳が一番!!
あなたとはいい酒が呑めそうです。
藍様もふもふしてえ
お見事
もふもふしてぇ
そりゃ、目の前で苦しそうにされたら、「人間」なら黙ってられないわ!w
痛いのは人間も妖怪も一緒w
それが判れば、人間だろうと猫だろうと妖怪だろうと、友にも家族にもなれるわw
と、言いたいけど
流石に恥ずかしいので尻尾で!w