その日、命蓮寺には八雲一家が訪れていた。
橙ちゃんという可愛らしい女の子のお世話をナズーリンに任せて、私、寅丸星は八雲藍さんの相手をすることになった。
命蓮寺の案内。
聖と八雲紫さんの話し合いが終わるまでの間、私はそんな大役を任されてしまったものだから、それはもう緊張していた。
「なあ、寅丸殿?」
「ひゃ、ひゃい!な、なんでしゅか?」
もうカミカミとかそういうレベルではなかった。
舌が別の生き物であるかのように制御不能だった。
そんな私の様子を見て藍さんはぷっ、と吹き出していた。
「わ、笑いましたね?今笑いましたね?」
「いや済まない、可愛らしい方だと思ってな」
「か、可愛らしい!?」
「あぁ、少し怖い方かと思っていたのだがな。どうやら想像よりも遥かに可愛いようだ」
「~~~~~~~っ!」
か、可愛いなんて初めて言われた!
い、いやそれはもちろん小さい頃とかは言われていたけど、でも、この年になって可愛らしいってそんな……
私はもう真っ赤になってしまって、可愛いという言葉だけが頭の中をぐるぐると回っている。
「どうかしたのか、寅丸殿?」
「はっ!い、いえ、どうもしていません!あ、あと、星と呼んでくれて構いませんから!」
慌てて答えた私が面白かったらしく、藍さんが笑いをこらえているのがよくわかった。
「ありがとう、星」
凛々しい笑顔が私に向けられる。それだけで心臓のドキドキが、緊張とは別の何かで加速するのがわかった。
今、私達は命蓮寺の廊下を歩いている。
ほぼ内部の案内は終わって、次にどこに行くかを考えていた。
すると不意に、藍さんが立ち止まる。
どうかしたのかな、と思って私も足を止めた。
「改めてお礼を言いたい。星、今日は命蓮寺に招いてもらって、本当にありがとう」
その廊下の真ん中で、突然そんなことを言われてしまう。
しかも、きっちりとしたお辞儀までされてしまった。
突然のことに、私はちょっと混乱する。
「あ、あの顔を上げてください」
藍さんは私がそう言ってからしばらくして、ようやく顔を上げてくれた。
「いや、唐突に済まない。しかし今日のことは、私がお礼を言わなければ。紫様はあまりそういうことをしないから……」
少しだけ申し訳なさそうな顔を私に向けてそう言った。
八雲紫さんの印象は、確かに少々不気味な感じがしていた。
簡単に自分の心を明かすタイプではないだろうなと思う。
その、主のことをよく理解して、いきなりこんなお礼をしてきたのか……
「素敵な人……」
「ん、何か言ったか?」
「え!?あ、いえ、その、なんでもないんです!」
思わず呟いてしまった言葉は、自分にとっても意外な言葉だった。
(いや、意外でもないか……)
仕えるべき主を持ち、式という部下を持つ。
藍さんは私に似ているのだ。
聖という主を持ち、ナズーリンという部下を持つ私に。
同じ立場であったなら、私は聖の気持ちを理解して、こんなことが出来ただろうか。
いや、現状ではできないと言わざるを得ない。
緊張して自分のことだけで手一杯になってしまう私が、そんな気を回せるはずもない。
だから藍さんが素敵な人に思えたのだ。
私の憧れ。
私の理想。
目の前の女性はそういう存在に思えたのだ。
気がつけば私は、藍さんに見惚れてしまっていた。
「星、大丈夫か?」
藍さんの言葉が右耳から左耳へと流れていってしまう。
「顔が赤いが……ちょっと失礼するぞ」
すっと私の額に向かって藍さんの手が伸びてくる。
ぴたっ、という音がして、ようやく私は我に返った。
「ふむ……やはり少し熱いな」
藍さんが、自分の額と私の額に手を当てて、熱を測っていた。
理解した瞬間、私の顔が沸騰した。
「だ、だだ、だ、大丈夫ですからっ!!」
「い、いやしかし今すごい熱が……」
「ほんとに大丈夫なんですっ!」
「そ、そうか?私は気にしないから無理はしないでくれよ。良ければ看病でもなんでもするぞ」
「か、看病なんてそんな!!」
一瞬それもいいな、って思ってしまった自分が怖い……。
そうしてしばらくの間、私を心配する藍さんと、大丈夫だと言い張る私の闘いが続いた。
場所は変わって、私の部屋。
畳張りのその部屋で、藍さんと向かい合って座布団に座る。
藍さんがどうしても譲らないので、それなら私の部屋でゆっくり話をすることにして、何かあったらすぐに横になれるようにしようということで話がまとまったのだ。
「藍さんは、紫さんが何の話で来たのか知っていますか?」
会話が途切れたタイミングを狙って、私はその話を切り出した。
「紫様の用事か……」
藍さんは、一度考えるように静かに目を閉じる。
やっぱりその姿は凛としていて、どうしても羨望の眼差しをを向けずにはいられない。
そうしていると、藍さんがゆっくりと目を開けて、口を開いた。
「おそらくは……テスト、と言ったところか」
「テスト?」
「ああ、この命蓮寺が幻想郷に存在することを許すかどうか、そのテストだと思うが……」
少し伏し目がちで話す藍さんの言葉に、少なからず私は驚いていた。
八雲紫さんが、幻想郷の管理者であるという話は聞いたことがある。
でも、私達の存在を許すかどうかというのは、どういう意味があるのだろうか?
よくわかっていない私のことを察したらしく、藍さんはもう一度口を開いた。
「つまり、聖殿がもう一度異変を起こす気があるのかどうか。それを確かめにきているのだろうな」
「そ、そんなっ!?」
私は驚いて立ち上がってしまう。
藍さんはやはり伏し目がちではあるものの、表情は冷静なままだ。
あの聖がもう一度異変を起こす?
そんなことは有り得ない。
聖は自分の異変がどれだけ迷惑をかけたか知っている。
しかもあの異変のほとんどは、私達が引き起こしたもので、聖が中心人物になったわけではない。
あの人は、多くの人に迷惑をかけてまで、異変を起こしたりするような人間ではない。
「聖はそんなことしないですっ!あの方を侮辱しないでくださいっ!!」
私はいつの間にか、藍さんに掴みかかっていた。
「あの方は、私達の恩人なんですっ!!聖がいたから、私達はこうやって幸せな暮らしができているんですっ!!それをっ、それをっ!もう一度異変を引き起こすかテストだなんてそんなことっ……!」
「す、すまなかった……すまなかったから、離してくれ、星」
「あ……」
襟首の辺りをぎゅっと掴んで、私は藍さんを持ち上げていた。
苦しそうに呻く藍さんを慌てて離した。
すぐに、ごほっ、ごほっ、と咳き込んで座り込んでしまう。
私は、目の前が真っ白になった。
なんてことを、なんてことをしてしまったんだろう。
「ご、ごめんなさい!」
私は、畳に頭をつけて土下座した。
客人を締め上げるなんて、最低の行為だ。
しかも憧れていたこの人に向かって、そんな失礼なことを……。
頭に血が上って、こんなことをしてしまうなんて……。
「ごめんなさい、私、私っ……!」
「い、いやいいんだ。顔を上げてくれ。むしろ今のは私が悪かった」
そういうと、今度は私に向けて藍さんが土下座してしまう。
お互いに顔を上げられず、しかし一分ほど経ったところで、私達は同時に顔を上げた。
『あの……』
しかも、お互いに同時に喋り始めようとしてしまって、私達は慌てて先を譲り合った。
結局、先に喋るのは私になった。
「あの……ほんとにすいませんでした」
「いや、それはもう本当に大丈夫だ。このままでは堂々巡りになってしまうからな」
「そうですね…………あの、私、藍さんが羨ましいです」
「私が?」
藍さんは、とても意外そうな顔で私の方を見ていた。
「はい。主の気持ちを推し量ることが出来て、橙ちゃんのことも立派に育てていて」
「いや、それは別に……」
「すごいことですよ。私なんかにはとても真似できません……」
「星……」
聖の気持ちを、私は少しも理解してあげられない。
何か悩みがあれば相談して欲しいと言っても、あの人は、大丈夫ですからという風にちょっと笑って、それで話を終わらせてしまう。
普段の様子を見ていれば、悩み事を抱えていることは明らかなのに、それを打ち明けてはくれない。
信頼されていないわけではないのだと思う。
だけど、聖は私達に心配をかけたくないのだ。
だからいつも自分の心に全てを隠して、優しい笑顔を振り撒いてくれる。
けれど、それはとても辛いことだった。
その笑顔が、余計に心配になってしまうのだ。
だけど、私には聖の気持ちを推し量ることが出来ない。
それが歯がゆくて、悔しくて、でもどうすることもできないのだ。
ナズーリンにしてもそうだ。失くし物ばかりしてしまう私のことを、いつも助けてくれている。たまに不満は漏らしたりしても、必ず私の頼みを聞いてくれる。
私の大切な部下。
しっかりしなよご主人、と私を励ましてくれる部下。
私は彼女の上司として、本当に情けないと思う。
そんな気持ちを、私は藍さんに打ち明けた。
どうして、今日あったばかりの人にこんな話をしているのだろう。
でも、私と似ていて、けれど私より遥かにすごい藍さんに、この話を聞いて欲しいと思ってしまったのだ。
藍さんは、私の話を聞き終えると、ふっと優しく笑った。
「なるほど、星は優しいんだな」
「え……」
「星は優しい。優しいから、そうして悩んでいるのだろう?」
「や、優しいとか優しくないとかではないんです!私は自分が情けなくて情けなくて……」
「優しさは何よりも大事だ。主を想い、部下を想い、そして彼女達のために悩む」
「で、でもそんなことは……」
「当たり前か?ならば、やはり星は優しい」
「うぅ……」
「他人を侮辱されて、あれほど怒ることができるのだ、その星が、情けないわけがない。むしろ感情を殺して、私にはあんなことはできないかもしれない。言っておくが、これは皮肉ではないぞ?」
そんなこと、藍さんの表情を見ていればわかる。
この人は、そんな皮肉を言って満足するような人ではない。
「だから、情けないのは私のほうだ」
「い、いえ、私のしたことはただの無礼です!」
「確かに無礼かもしれない。だが、主に失礼なことを言う無礼者を問答無用で殴るのも、また部下の役目だとは思わないか」
そんな風に言わないで欲しい。
反論できなくなってしまうから。
言い包められてしまうから。
私はやっぱりこの人には敵わないなと悟った。
「……やはり、今日は来てよかったな」
「え……?」
何か言葉を探さなければと思う私の耳に、藍さんの小さな呟きが聞こえた。
藍さんは、その凛々しい顔を私に向けて続ける。
「こんなに優しい人と出会えた。私に似て、でも私よりもずっと優しくて、可愛らしい人に」
「そ、そんなっ!?」
「心からそう思うぞ。さっき言いかけたのはこのことだ」
「そ、それなら私も藍さんと出会えて良かったです。私に似て、でも私よりもずっと賢くて、素敵な人に」
「星……」
「藍さん……」
私達はお互いに見つめ合っていた。
自分の頬が赤くなってくるのがわかる。
見れば、藍さんの頬も赤くなっているようなな気がする。
まるで時間が永遠に引き延ばされていくような感覚がして
「藍、帰るわよ」
『っ!!?』
突如、私達の間にスキマが開き、そこから紫さんがにゅっと顔を出していた。
「あらあら、お邪魔だったかしら」
「い、いえそんなことは全くもって全然ありません!」
「ふふふ、慌てちゃって、藍がそんなになるなんて珍しいじゃない」
「~~~~~~~っ!ちぇ、ちぇんを呼んできます!!」
失礼する、と私に言い残して、藍さんは部屋を飛び出していった。
部屋の中には、ぽかん、とした私と、紫さんだけが残される。
「あなたは……寅丸星、だったかしら?」
「え?あ、あぁはい……」
「なるほど、覚えておきましょう」
そう言うと、彼女はスキマの中に消えてしまった。
結局部屋の中には私だけが残されてしまった。
それからしばらく、私は動くことができなかった。
後で聖に聞いてみたが、紫さんとの話がどんな内容だったかは教えてもらえず、ただ静かに、命蓮寺は大丈夫です、と言われた。
だから、私もそれ以上を聞こうとしなかった。
私には聖の気持ちを理解してあげられない。
藍さんのように察してあげることはできない。
それを悔やんでいるだけではダメだ。
もっと修行を積んで、彼女の重荷を理解してあげられるようにならなければ。
そのためにも、まずは失くし物を減らすことからはじめてみようか。
私は凛々しい彼女の顔を思い出して、ナズーリンに頼もうとしていた依頼を破棄することにしたのだった。
橙ちゃんという可愛らしい女の子のお世話をナズーリンに任せて、私、寅丸星は八雲藍さんの相手をすることになった。
命蓮寺の案内。
聖と八雲紫さんの話し合いが終わるまでの間、私はそんな大役を任されてしまったものだから、それはもう緊張していた。
「なあ、寅丸殿?」
「ひゃ、ひゃい!な、なんでしゅか?」
もうカミカミとかそういうレベルではなかった。
舌が別の生き物であるかのように制御不能だった。
そんな私の様子を見て藍さんはぷっ、と吹き出していた。
「わ、笑いましたね?今笑いましたね?」
「いや済まない、可愛らしい方だと思ってな」
「か、可愛らしい!?」
「あぁ、少し怖い方かと思っていたのだがな。どうやら想像よりも遥かに可愛いようだ」
「~~~~~~~っ!」
か、可愛いなんて初めて言われた!
い、いやそれはもちろん小さい頃とかは言われていたけど、でも、この年になって可愛らしいってそんな……
私はもう真っ赤になってしまって、可愛いという言葉だけが頭の中をぐるぐると回っている。
「どうかしたのか、寅丸殿?」
「はっ!い、いえ、どうもしていません!あ、あと、星と呼んでくれて構いませんから!」
慌てて答えた私が面白かったらしく、藍さんが笑いをこらえているのがよくわかった。
「ありがとう、星」
凛々しい笑顔が私に向けられる。それだけで心臓のドキドキが、緊張とは別の何かで加速するのがわかった。
今、私達は命蓮寺の廊下を歩いている。
ほぼ内部の案内は終わって、次にどこに行くかを考えていた。
すると不意に、藍さんが立ち止まる。
どうかしたのかな、と思って私も足を止めた。
「改めてお礼を言いたい。星、今日は命蓮寺に招いてもらって、本当にありがとう」
その廊下の真ん中で、突然そんなことを言われてしまう。
しかも、きっちりとしたお辞儀までされてしまった。
突然のことに、私はちょっと混乱する。
「あ、あの顔を上げてください」
藍さんは私がそう言ってからしばらくして、ようやく顔を上げてくれた。
「いや、唐突に済まない。しかし今日のことは、私がお礼を言わなければ。紫様はあまりそういうことをしないから……」
少しだけ申し訳なさそうな顔を私に向けてそう言った。
八雲紫さんの印象は、確かに少々不気味な感じがしていた。
簡単に自分の心を明かすタイプではないだろうなと思う。
その、主のことをよく理解して、いきなりこんなお礼をしてきたのか……
「素敵な人……」
「ん、何か言ったか?」
「え!?あ、いえ、その、なんでもないんです!」
思わず呟いてしまった言葉は、自分にとっても意外な言葉だった。
(いや、意外でもないか……)
仕えるべき主を持ち、式という部下を持つ。
藍さんは私に似ているのだ。
聖という主を持ち、ナズーリンという部下を持つ私に。
同じ立場であったなら、私は聖の気持ちを理解して、こんなことが出来ただろうか。
いや、現状ではできないと言わざるを得ない。
緊張して自分のことだけで手一杯になってしまう私が、そんな気を回せるはずもない。
だから藍さんが素敵な人に思えたのだ。
私の憧れ。
私の理想。
目の前の女性はそういう存在に思えたのだ。
気がつけば私は、藍さんに見惚れてしまっていた。
「星、大丈夫か?」
藍さんの言葉が右耳から左耳へと流れていってしまう。
「顔が赤いが……ちょっと失礼するぞ」
すっと私の額に向かって藍さんの手が伸びてくる。
ぴたっ、という音がして、ようやく私は我に返った。
「ふむ……やはり少し熱いな」
藍さんが、自分の額と私の額に手を当てて、熱を測っていた。
理解した瞬間、私の顔が沸騰した。
「だ、だだ、だ、大丈夫ですからっ!!」
「い、いやしかし今すごい熱が……」
「ほんとに大丈夫なんですっ!」
「そ、そうか?私は気にしないから無理はしないでくれよ。良ければ看病でもなんでもするぞ」
「か、看病なんてそんな!!」
一瞬それもいいな、って思ってしまった自分が怖い……。
そうしてしばらくの間、私を心配する藍さんと、大丈夫だと言い張る私の闘いが続いた。
場所は変わって、私の部屋。
畳張りのその部屋で、藍さんと向かい合って座布団に座る。
藍さんがどうしても譲らないので、それなら私の部屋でゆっくり話をすることにして、何かあったらすぐに横になれるようにしようということで話がまとまったのだ。
「藍さんは、紫さんが何の話で来たのか知っていますか?」
会話が途切れたタイミングを狙って、私はその話を切り出した。
「紫様の用事か……」
藍さんは、一度考えるように静かに目を閉じる。
やっぱりその姿は凛としていて、どうしても羨望の眼差しをを向けずにはいられない。
そうしていると、藍さんがゆっくりと目を開けて、口を開いた。
「おそらくは……テスト、と言ったところか」
「テスト?」
「ああ、この命蓮寺が幻想郷に存在することを許すかどうか、そのテストだと思うが……」
少し伏し目がちで話す藍さんの言葉に、少なからず私は驚いていた。
八雲紫さんが、幻想郷の管理者であるという話は聞いたことがある。
でも、私達の存在を許すかどうかというのは、どういう意味があるのだろうか?
よくわかっていない私のことを察したらしく、藍さんはもう一度口を開いた。
「つまり、聖殿がもう一度異変を起こす気があるのかどうか。それを確かめにきているのだろうな」
「そ、そんなっ!?」
私は驚いて立ち上がってしまう。
藍さんはやはり伏し目がちではあるものの、表情は冷静なままだ。
あの聖がもう一度異変を起こす?
そんなことは有り得ない。
聖は自分の異変がどれだけ迷惑をかけたか知っている。
しかもあの異変のほとんどは、私達が引き起こしたもので、聖が中心人物になったわけではない。
あの人は、多くの人に迷惑をかけてまで、異変を起こしたりするような人間ではない。
「聖はそんなことしないですっ!あの方を侮辱しないでくださいっ!!」
私はいつの間にか、藍さんに掴みかかっていた。
「あの方は、私達の恩人なんですっ!!聖がいたから、私達はこうやって幸せな暮らしができているんですっ!!それをっ、それをっ!もう一度異変を引き起こすかテストだなんてそんなことっ……!」
「す、すまなかった……すまなかったから、離してくれ、星」
「あ……」
襟首の辺りをぎゅっと掴んで、私は藍さんを持ち上げていた。
苦しそうに呻く藍さんを慌てて離した。
すぐに、ごほっ、ごほっ、と咳き込んで座り込んでしまう。
私は、目の前が真っ白になった。
なんてことを、なんてことをしてしまったんだろう。
「ご、ごめんなさい!」
私は、畳に頭をつけて土下座した。
客人を締め上げるなんて、最低の行為だ。
しかも憧れていたこの人に向かって、そんな失礼なことを……。
頭に血が上って、こんなことをしてしまうなんて……。
「ごめんなさい、私、私っ……!」
「い、いやいいんだ。顔を上げてくれ。むしろ今のは私が悪かった」
そういうと、今度は私に向けて藍さんが土下座してしまう。
お互いに顔を上げられず、しかし一分ほど経ったところで、私達は同時に顔を上げた。
『あの……』
しかも、お互いに同時に喋り始めようとしてしまって、私達は慌てて先を譲り合った。
結局、先に喋るのは私になった。
「あの……ほんとにすいませんでした」
「いや、それはもう本当に大丈夫だ。このままでは堂々巡りになってしまうからな」
「そうですね…………あの、私、藍さんが羨ましいです」
「私が?」
藍さんは、とても意外そうな顔で私の方を見ていた。
「はい。主の気持ちを推し量ることが出来て、橙ちゃんのことも立派に育てていて」
「いや、それは別に……」
「すごいことですよ。私なんかにはとても真似できません……」
「星……」
聖の気持ちを、私は少しも理解してあげられない。
何か悩みがあれば相談して欲しいと言っても、あの人は、大丈夫ですからという風にちょっと笑って、それで話を終わらせてしまう。
普段の様子を見ていれば、悩み事を抱えていることは明らかなのに、それを打ち明けてはくれない。
信頼されていないわけではないのだと思う。
だけど、聖は私達に心配をかけたくないのだ。
だからいつも自分の心に全てを隠して、優しい笑顔を振り撒いてくれる。
けれど、それはとても辛いことだった。
その笑顔が、余計に心配になってしまうのだ。
だけど、私には聖の気持ちを推し量ることが出来ない。
それが歯がゆくて、悔しくて、でもどうすることもできないのだ。
ナズーリンにしてもそうだ。失くし物ばかりしてしまう私のことを、いつも助けてくれている。たまに不満は漏らしたりしても、必ず私の頼みを聞いてくれる。
私の大切な部下。
しっかりしなよご主人、と私を励ましてくれる部下。
私は彼女の上司として、本当に情けないと思う。
そんな気持ちを、私は藍さんに打ち明けた。
どうして、今日あったばかりの人にこんな話をしているのだろう。
でも、私と似ていて、けれど私より遥かにすごい藍さんに、この話を聞いて欲しいと思ってしまったのだ。
藍さんは、私の話を聞き終えると、ふっと優しく笑った。
「なるほど、星は優しいんだな」
「え……」
「星は優しい。優しいから、そうして悩んでいるのだろう?」
「や、優しいとか優しくないとかではないんです!私は自分が情けなくて情けなくて……」
「優しさは何よりも大事だ。主を想い、部下を想い、そして彼女達のために悩む」
「で、でもそんなことは……」
「当たり前か?ならば、やはり星は優しい」
「うぅ……」
「他人を侮辱されて、あれほど怒ることができるのだ、その星が、情けないわけがない。むしろ感情を殺して、私にはあんなことはできないかもしれない。言っておくが、これは皮肉ではないぞ?」
そんなこと、藍さんの表情を見ていればわかる。
この人は、そんな皮肉を言って満足するような人ではない。
「だから、情けないのは私のほうだ」
「い、いえ、私のしたことはただの無礼です!」
「確かに無礼かもしれない。だが、主に失礼なことを言う無礼者を問答無用で殴るのも、また部下の役目だとは思わないか」
そんな風に言わないで欲しい。
反論できなくなってしまうから。
言い包められてしまうから。
私はやっぱりこの人には敵わないなと悟った。
「……やはり、今日は来てよかったな」
「え……?」
何か言葉を探さなければと思う私の耳に、藍さんの小さな呟きが聞こえた。
藍さんは、その凛々しい顔を私に向けて続ける。
「こんなに優しい人と出会えた。私に似て、でも私よりもずっと優しくて、可愛らしい人に」
「そ、そんなっ!?」
「心からそう思うぞ。さっき言いかけたのはこのことだ」
「そ、それなら私も藍さんと出会えて良かったです。私に似て、でも私よりもずっと賢くて、素敵な人に」
「星……」
「藍さん……」
私達はお互いに見つめ合っていた。
自分の頬が赤くなってくるのがわかる。
見れば、藍さんの頬も赤くなっているようなな気がする。
まるで時間が永遠に引き延ばされていくような感覚がして
「藍、帰るわよ」
『っ!!?』
突如、私達の間にスキマが開き、そこから紫さんがにゅっと顔を出していた。
「あらあら、お邪魔だったかしら」
「い、いえそんなことは全くもって全然ありません!」
「ふふふ、慌てちゃって、藍がそんなになるなんて珍しいじゃない」
「~~~~~~~っ!ちぇ、ちぇんを呼んできます!!」
失礼する、と私に言い残して、藍さんは部屋を飛び出していった。
部屋の中には、ぽかん、とした私と、紫さんだけが残される。
「あなたは……寅丸星、だったかしら?」
「え?あ、あぁはい……」
「なるほど、覚えておきましょう」
そう言うと、彼女はスキマの中に消えてしまった。
結局部屋の中には私だけが残されてしまった。
それからしばらく、私は動くことができなかった。
後で聖に聞いてみたが、紫さんとの話がどんな内容だったかは教えてもらえず、ただ静かに、命蓮寺は大丈夫です、と言われた。
だから、私もそれ以上を聞こうとしなかった。
私には聖の気持ちを理解してあげられない。
藍さんのように察してあげることはできない。
それを悔やんでいるだけではダメだ。
もっと修行を積んで、彼女の重荷を理解してあげられるようにならなければ。
そのためにも、まずは失くし物を減らすことからはじめてみようか。
私は凛々しい彼女の顔を思い出して、ナズーリンに頼もうとしていた依頼を破棄することにしたのだった。
藍と星がここまで合うとは思いませんでした
たじたじな星がかわいらしかったです