私、河城にとりは工房で道具の製造や修理にいそしんでいた。
人間や妖怪を問わず、いろんな仕事を頼まれる毎日だった。
そんな中、今日も工房にお客さんがやってきた。誰かなと思って玄関に出てみる。椛だった。
どうしたのかなこんな朝っぱらから。
よく見ると、なんだか椛の様子がおかしいことに気づく。えぐえぐと目じりに涙を溜めているようだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
何かあったの? と声をかけようとした途端。私はものすごい勢いで椛に抱きつかれて、そのまま床に押し倒されてしまった。
ж
「落ち着いた? とりあえずお茶でも飲みなよ」
「うん。ありがとう」
急いでここまでやってきて喉もカラカラに乾いているだろうと思ったから、飲みやすいようにとぬるめでたっぷりのお茶を出してあげる。
私が湯飲みを持ってくると、ぐっと両手で受け取って、ごくごくと慌てながら飲んでいる姿は、横で見ていて可愛いなと思う。
椛がうちにまで来てくれた用件は、あの天狗様……いや射命丸文についての愚痴話をするためだった。
「……実はかくかく、じかじか、なのですう」
「ふーん。そうなんだ」
想っている相手から恋愛相談を持ち掛けられるなんて正直気乗りしない話だ。黙って聞いている私の気持ちにも少しはなってほしい。
でも当の椛本人にとっては、きっとそれどころじゃないんだろうなあ。
椛とは今のところ将棋仲間でお茶呑み仲間。いつか友達以上の関係になりたいと思っているのは多分私だけだと思うんだけど、まぁそういう関係を続けている。
そのことを椛に気取られないように振る舞うだけでも大変だ
。
見た目的にはとてもそうは見えないだろうけど、この子は妙にカンがするどい所がある。ひょっとしたらこうして愚痴を零している最中でも、私が心の中で密かに考えていることにだって感づいてしまうかもしれない。
汗の匂いがいつもより多いよ? 大丈夫? とか訊ねてきて。
だから私は話を聞きながら作業に没頭しているフリをする。こうしている時が一番心を落ち着かせることができる。
河童族に受け継がれる遺伝子がそういう風にできてるんだと思う。便利なものだ。
こういう時ばかりは河童に生まれてよかった、なんて思えたりして。
そこで呼び鈴の音がする。玄関に誰かお客さんがやってきた音だ。
「ゴメンちょっと待ってて。お客さんがきたみたい」
誰だろう? 椛にひとこと断りをいれて、私は部屋を離れる。
廊下を程なく歩いていくと、文が玄関先に立っていた。あえて天狗様とは呼んであげない。
だってアイツは私の恋敵……にもなれていないんだけど、とにかく私にとっては恋のライバル。
用件は案の定だった。椛がいなくなったというので探しに来た、ということらしい。
そして二言目には椛のことについて語ってくれている。
私に向かって喋る時の文の語り口調は、とても流暢で淀みがない。このウィットの利いた口ぶりにコロッと騙されたやつって多いんだろうな。
古くからの盟約という立場上、絶対に外に漏らすことはないけれど、天狗様は口がうまいので話半分から六分くらいに聞くことにしている。
私が職人肌の河童だから余計そう思うのかもしれないけど、口数が多くておしゃべりな相手よりも、言葉足らずだけど一生懸命にやってる相手の方がずっと信用できる。
語っている内容は一部始終、自分は如何に椛のことを想っているか、如何に大切な時間とやらを過ごしてきたのかについてだった。
正直そんなのどうだっていい。恋敵の気持ちなんて全然知ったことじゃないんだし。
問題なのは、私の椛のことをコイツが泣かせたっていう、この一点に尽きる。
でもコイツに対して本気で怒れないのには理由がある。
本当は私、見ている前で泣きっ面をかいているコイツのホンネを知っているから。
それは文は本命の相手に対してだけは、ひどく不器用なんだって事。
普段あちこちで発揮している社交性は、その裏返しなんだ。
椛の話をしているときの文の顔ったらなかった。むしろカメラをひったくって写真に撮ってやりたいくらいだった。
こんなに取り乱すまで椛のことを心配してくれるヤツが、椛のことをどうでもいいなんて思っているワケがないじゃないか。
だから私は……よけいに頭にくる。いい加減にしなよって言いたくもなる。
……まったく、こっちの気も知らないで勝手にのろけちゃって。
椛を想っている気持ちだけなら、こっちだって負けてないっての……。
お目当ての椛なら、ほんのさっき工房にやってきて中に上がってもらってるけど、「ここには来ていないよ」と方便を使って追い返すことにする。
心底残念そうな顔を浮かべる文の背中に向かって、私は内心あっかんべーをする。
ざまーみろ。
アイツがしぶしぶ帰っていく間際、古ぼけたカメラを手渡された。使えるように直してほしいという。
特に凝った意匠は籠められていないけど、随分と年季の入った年代物のカメラ。
そりゃ、私の手にかかればカメラの修理なんてお茶の子歳々だけど。
でもよりにもよって、こんな古いカメラを直してどうするつもりなんだろう? ――よくわからないまま、私はカメラを抱えて椛のもとへと向かうことにした。
「ただいまー椛、お茶菓子もってきたよ。いっしょに食べよう」
「あ、お客さん帰っちゃったんだ。誰だったの?」
「性質の悪い新聞の勧誘だったよ。いらないよって追い返してきた」
「……ふーん。そうなんだぁ」
「それでさっきの話の続きなんだけど……」
また何か勘付かれる前に話を戻すことにする。
正直、椛がアイツとくっつくところなんて見たくない。でも、好きな子が悲しむ顔なんて、もっと見たくないんだし。
だから私は、不本意だけど助け舟を出してやることにする。
「それって要するにさ、好きってことなんじゃないの?」
「えっ、そう……なのかなぁ?」
うわー……この反応で確信できた。この子、本気で気づいてなかったんだ。
好きでも何でもなかったら、わざわざここまでやってきて愚痴を零したりしないでしょまったく。思わず溜め息をつかずにはいられなくなる。
「本当に嫌いなら、そもそも興味がないってことなんだから、そんなにムキにならないものなんじゃないかな」
千里眼の能力を持っているくせに、自分の目の前のことしか見えていない心理的近眼な椛は、考えてることが実は至極単純。ごちゃごちゃしたものを頭の中で上手に整理しきれていないから、考えていることが複雑でややこしく見えるだけ。
だからこうやって絡まった糸を解いてあげるようにすれば、意外と簡単に問題が解決したりする。
ま。そういうことが元々好きな性分だし、椛のこともまんざらじゃないから、困った時はいつでも協力してあげることにしてるんだ。
……よし、椛の話を聞きながら並行してやっていたカメラの修理も終わった。何本か作り置きしてあるフィルムを使って何枚か試し撮りしてみたけど動作も良好。問題なく使えるようになったみたいだ。
どうだ見たか、私の実力。
「じゃあさ。椛」
依頼がひとつ片付いたおかげで、椛のことだけに集中して物事を考えられるようになった。
上機嫌の私は、ひとつサービスをしてあげるんだ。
「そんなに不安に思っているなら、とっておきのおまじないをかけてあげるよ」
それは香霖堂のお兄さんから借りた本を読んで知った――きっと今日この日のために取っておいたと思うことにする――恋の仲直りのおまじない。
科学を得意とする河童だけど、非科学的なことを信じないなんてことはしない――とはいえ幻想郷は、魔法どころかまだ誰も知らない未知の事柄に満ちあふれている世界だけれど。
道具も魔法も、使う者の心が宿っていることで初めて意味を持つ技術に違いないんだから。
私は「こうするといいんだよ。耳を貸して」って言うと、素直な椛は疑うことも知らず、私の口元に耳をそばだててくる。
油断大敵だよ。かかったな、椛。
不意打ちとばかりに、スキだらけの椛の耳を甘く噛んでみせた。
ひゃん、と驚きの声をあげる椛。なんだか久しぶりに椛の可愛い声を聞いた気がする。「ひどいよにとりー」と言いながらぽかぽかと叩かれている。
あれだけ愚痴にのろけ話を聞かされたんだから、これくらいの役得はいただかないと割に合わないじゃないか。
それからしばらく。椛はそっぽを向いたまま口も聞いてくれなかったけれど、しばらくするとまたいつも通りの椛の顔に戻ってくれた。
うん。やっぱり椛は、健気で明るい椛をやってるのが一番似合ってる。それでこそ私が惚れた椛だ。
――どのみち今夜にはアイツのところに帰っていってしまうんだろうけど。
このまますぐに帰してしまうのも勿体ない。もう少しだけここに居てもらいたいな……そう思うことは、いけないことかな?
椛の笑っているところを間近で眺めながら、そんなことを思っていると。
「ちーっす。にとりーいるー?」
姫海棠はたてさんが呼び鈴も鳴らさず、工房に足を踏み入れていた。
彼女もまた文と同じく烏天狗様の末裔。
とはいえ玄関の呼び鈴も押さないで勝手に部屋に立ち入るなんて、いくらなんでも不貞不貞しいんじゃないかな。
「玄関の呼び鈴何度も押したけど、全然でなかったじゃん」
そうだっけ? 椛と話してる時間に夢中になってて全然気がつかなかった。
「で、うちに何か依頼かな? はたてさん」
「そうそう。なんかあたしが使ってるカメラの画面がすぐに消えるようになっちゃって」
「ああ。きっとそれはバッテリーが消耗しているからだね。ちょっと貸してみて。すぐに直してあげる」
言ってパームトップ型のカメラを受け取ると、せっせと作業に入ることにする。
新しく入ったお仕事だ。作業をしながら椛に「お茶持ってきてー」とか「この部品持ってきて」とか指示を出している。
まるで椛を工房の助手扱いしてるし。なんか私って、すごいことしてる?
でもこれで、もうしばらく椛を引き止める理由ができた。私は、はたてさんの突然の来訪にちょっぴり感謝した。
「おっ、誰かと思えば椛じゃない。元気してる?」
椛ははたてさんと目が合うと、「あ、こんにちは」と言いながらおずおずとお辞儀をしている。そういう律儀なところが本当に可愛らしい。
本当はとてもいい子なのだ。それなのに文のヤツがダメダメなせいで、せっかくの椛の魅力を引き出せていないだけ。
まぁとりあえず。
さっさと作業を済ませてしまうまで椛には悪いけど、はたてさんの応対をしていてもらおう。
ж
……よし。あとはこの改良したポリマーを組みこんだらできあがりだ。
カメラの容積はそのままなのに、バッテリー容量を倍に増やした傑作が完成した。
我ながら惚れ惚れしてしまう仕事ぶりだね。新型バッテリーの装着を済ませて、はたてさんにカメラを返そうとしたら案の定。
「じゃあさ、いっそあたしとくっついちゃう?」
「なななっ!?」
「どうしたの? あたしと組めばアイツなんかよりずっとイイ思いをさせてあげるわ」
「あ~~う~~……」
はたてさん……もとい、はたてが椛にちょっかいを出していた。
指先でくいっと顎を持ち上げて、袴に膝を割りこませて、顔をあんなに近くに寄せて。
うっわ。見ているこっちが恥ずかしくなるし。
「こらこら。そういうことは工房の外でやりなって」
なんだかよく分からないけど、二人の様子を見てモヤモヤが止まらない。
それは椛に対して? はたてに対して? それとも私に対して?
原因がハッキリしないから余計にイライラする。
こらっはたて、さっさと椛から離れなよ。その子は私が先にツバつけてたんだぞ。
「……なーんて、ね」
そんな私の心が通じたのか、はたては意外なほどあっさりと椛から手を離した。
「椛の反応が面白そうだったからついやってみたかったの。その様子だと、どうやら“そういうこと”みたいだし、ね?」
はたてさんは、椛の顔色を見てチロリと舌を出していた。
どうやら“そういうこと”みたい。椛のことを試していたんだ。――って、こら。なんでこっちまで見てる!?
「あれを本気でやってたら、スパナでぶん殴ってでもここから追い出してたよ」
「あんた見た目によらず結構おっかないわよね……」
椛を守るためなら、それくらい辞さない覚悟ってことだよ。って言いたかった言葉を直前で呑みこんでみせた。
「それはそうとにとり。カメラの修理できたー?」
「ほら。バッテリーを改良したから、これまでの倍くらい駆動時間が保つようになったよ」
「おっ、助かるわー。じゃあカメラも直った事だし。椛、そんなにアイツのことが気になるなら見せたげる」
改良を終えたばかりのカメラをはたてさんに返すと、カメラの端末に『吠え面かいてる射命丸文』と打ちこんでいる。
さすが持ち主だけあって馴染んだ手つきだ。
ピッ、という音とともに、はたてさんの念写の能力が発動する。
念写の検索結果の画面を最初は椛には見せずに、私の方にだけ見せてくれる。
はたてさんと一緒に画面の中を覗き見る……ああ、予想通りって言うか、やっぱりそういうことか。
ところ狭しと並べられた写真たちを見て思わずニヤニヤしてしまう私。
これは確かに『射命丸文の吠え面』じゃないか。見ていて清々した気分になるのは、どうしてなのかな。
椛が手と尻尾をバタバタさせながら「私も見たいー見せてー」と画面を覗きこんでくる。
いい加減に意地悪ばかりしてないで、椛にもアイツの“吠え面”を見せてあげようってはたてさんに提案した。
そんなこんなで。
「またなにかあったら、いつでもうちに来なよ」
「あはは、今日はありがとう。また遊びに来るよ」
いろいろドタバタもあったけれど、そんなこんなで陽も沈み始める頃。
文から預かったカメラを手渡すと、椛はこっちから見えなくなるまで手を振りながらアイツの所に帰っていった。
いろいろと毎度ありだよ本当に。
ж
「……振られちゃったね。あたしたち」
「まぁ、椛が幸せなら、それが一番だよ」
いろんなものを作ったり直したりするのが、私たち河童の仕事だしプライドだからね。
こじれた二人の関係だって元通りに直してみせる。
だから……これでいいんだ。私はそう思うことにする。
「にとりも本当は狙ってたんでしょ? 椛のこと」
「な、なんのことだかわからないな」
「真っ直ぐで健気ないい子だもんねぇ。あの子」
「文と椛ほど仲のいいコンビなんて見たことがないよ」
「あたしのことは“さん”付けで呼ぶのに、アイツのことは呼び捨てなんだ?」
しまった。うっかり地が出てしまったか。
なんとか誤魔化す方法はないかなと、そんなことを考えていると。
「じゃあさ。あたしのことも改めて呼び捨てで呼びあえるようにしよっか?」
「……はい?」
「ひとつ屋根の下に佇む傷心者同士、やることはひとつでしょ?」
「言ってる意味が、よくわからないんだけど……」
「恋に破れた者同士だからこそ、花咲くなんとやらもあるんじゃない?」
いったい何を言ってるんだこの天狗は。
つっこみをいれようとしたら、背中からがっしりとホールドされてしまって身動きを取れなくされてしまう。
正直いろいろと不意打ちだと思った。機械をいじるのは得意なのに、私自身がいじられることには全然耐性ができてないっていうか。
はたての手つきは、そういうことが絶対わかっててやってる手つきだ。
「アイツらに負けないくらい、ちゅっちゅしましょ?」
うわーよせーやめろー。
人間や妖怪を問わず、いろんな仕事を頼まれる毎日だった。
そんな中、今日も工房にお客さんがやってきた。誰かなと思って玄関に出てみる。椛だった。
どうしたのかなこんな朝っぱらから。
よく見ると、なんだか椛の様子がおかしいことに気づく。えぐえぐと目じりに涙を溜めているようだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁん!!」
何かあったの? と声をかけようとした途端。私はものすごい勢いで椛に抱きつかれて、そのまま床に押し倒されてしまった。
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「落ち着いた? とりあえずお茶でも飲みなよ」
「うん。ありがとう」
急いでここまでやってきて喉もカラカラに乾いているだろうと思ったから、飲みやすいようにとぬるめでたっぷりのお茶を出してあげる。
私が湯飲みを持ってくると、ぐっと両手で受け取って、ごくごくと慌てながら飲んでいる姿は、横で見ていて可愛いなと思う。
椛がうちにまで来てくれた用件は、あの天狗様……いや射命丸文についての愚痴話をするためだった。
「……実はかくかく、じかじか、なのですう」
「ふーん。そうなんだ」
想っている相手から恋愛相談を持ち掛けられるなんて正直気乗りしない話だ。黙って聞いている私の気持ちにも少しはなってほしい。
でも当の椛本人にとっては、きっとそれどころじゃないんだろうなあ。
椛とは今のところ将棋仲間でお茶呑み仲間。いつか友達以上の関係になりたいと思っているのは多分私だけだと思うんだけど、まぁそういう関係を続けている。
そのことを椛に気取られないように振る舞うだけでも大変だ
。
見た目的にはとてもそうは見えないだろうけど、この子は妙にカンがするどい所がある。ひょっとしたらこうして愚痴を零している最中でも、私が心の中で密かに考えていることにだって感づいてしまうかもしれない。
汗の匂いがいつもより多いよ? 大丈夫? とか訊ねてきて。
だから私は話を聞きながら作業に没頭しているフリをする。こうしている時が一番心を落ち着かせることができる。
河童族に受け継がれる遺伝子がそういう風にできてるんだと思う。便利なものだ。
こういう時ばかりは河童に生まれてよかった、なんて思えたりして。
そこで呼び鈴の音がする。玄関に誰かお客さんがやってきた音だ。
「ゴメンちょっと待ってて。お客さんがきたみたい」
誰だろう? 椛にひとこと断りをいれて、私は部屋を離れる。
廊下を程なく歩いていくと、文が玄関先に立っていた。あえて天狗様とは呼んであげない。
だってアイツは私の恋敵……にもなれていないんだけど、とにかく私にとっては恋のライバル。
用件は案の定だった。椛がいなくなったというので探しに来た、ということらしい。
そして二言目には椛のことについて語ってくれている。
私に向かって喋る時の文の語り口調は、とても流暢で淀みがない。このウィットの利いた口ぶりにコロッと騙されたやつって多いんだろうな。
古くからの盟約という立場上、絶対に外に漏らすことはないけれど、天狗様は口がうまいので話半分から六分くらいに聞くことにしている。
私が職人肌の河童だから余計そう思うのかもしれないけど、口数が多くておしゃべりな相手よりも、言葉足らずだけど一生懸命にやってる相手の方がずっと信用できる。
語っている内容は一部始終、自分は如何に椛のことを想っているか、如何に大切な時間とやらを過ごしてきたのかについてだった。
正直そんなのどうだっていい。恋敵の気持ちなんて全然知ったことじゃないんだし。
問題なのは、私の椛のことをコイツが泣かせたっていう、この一点に尽きる。
でもコイツに対して本気で怒れないのには理由がある。
本当は私、見ている前で泣きっ面をかいているコイツのホンネを知っているから。
それは文は本命の相手に対してだけは、ひどく不器用なんだって事。
普段あちこちで発揮している社交性は、その裏返しなんだ。
椛の話をしているときの文の顔ったらなかった。むしろカメラをひったくって写真に撮ってやりたいくらいだった。
こんなに取り乱すまで椛のことを心配してくれるヤツが、椛のことをどうでもいいなんて思っているワケがないじゃないか。
だから私は……よけいに頭にくる。いい加減にしなよって言いたくもなる。
……まったく、こっちの気も知らないで勝手にのろけちゃって。
椛を想っている気持ちだけなら、こっちだって負けてないっての……。
お目当ての椛なら、ほんのさっき工房にやってきて中に上がってもらってるけど、「ここには来ていないよ」と方便を使って追い返すことにする。
心底残念そうな顔を浮かべる文の背中に向かって、私は内心あっかんべーをする。
ざまーみろ。
アイツがしぶしぶ帰っていく間際、古ぼけたカメラを手渡された。使えるように直してほしいという。
特に凝った意匠は籠められていないけど、随分と年季の入った年代物のカメラ。
そりゃ、私の手にかかればカメラの修理なんてお茶の子歳々だけど。
でもよりにもよって、こんな古いカメラを直してどうするつもりなんだろう? ――よくわからないまま、私はカメラを抱えて椛のもとへと向かうことにした。
「ただいまー椛、お茶菓子もってきたよ。いっしょに食べよう」
「あ、お客さん帰っちゃったんだ。誰だったの?」
「性質の悪い新聞の勧誘だったよ。いらないよって追い返してきた」
「……ふーん。そうなんだぁ」
「それでさっきの話の続きなんだけど……」
また何か勘付かれる前に話を戻すことにする。
正直、椛がアイツとくっつくところなんて見たくない。でも、好きな子が悲しむ顔なんて、もっと見たくないんだし。
だから私は、不本意だけど助け舟を出してやることにする。
「それって要するにさ、好きってことなんじゃないの?」
「えっ、そう……なのかなぁ?」
うわー……この反応で確信できた。この子、本気で気づいてなかったんだ。
好きでも何でもなかったら、わざわざここまでやってきて愚痴を零したりしないでしょまったく。思わず溜め息をつかずにはいられなくなる。
「本当に嫌いなら、そもそも興味がないってことなんだから、そんなにムキにならないものなんじゃないかな」
千里眼の能力を持っているくせに、自分の目の前のことしか見えていない心理的近眼な椛は、考えてることが実は至極単純。ごちゃごちゃしたものを頭の中で上手に整理しきれていないから、考えていることが複雑でややこしく見えるだけ。
だからこうやって絡まった糸を解いてあげるようにすれば、意外と簡単に問題が解決したりする。
ま。そういうことが元々好きな性分だし、椛のこともまんざらじゃないから、困った時はいつでも協力してあげることにしてるんだ。
……よし、椛の話を聞きながら並行してやっていたカメラの修理も終わった。何本か作り置きしてあるフィルムを使って何枚か試し撮りしてみたけど動作も良好。問題なく使えるようになったみたいだ。
どうだ見たか、私の実力。
「じゃあさ。椛」
依頼がひとつ片付いたおかげで、椛のことだけに集中して物事を考えられるようになった。
上機嫌の私は、ひとつサービスをしてあげるんだ。
「そんなに不安に思っているなら、とっておきのおまじないをかけてあげるよ」
それは香霖堂のお兄さんから借りた本を読んで知った――きっと今日この日のために取っておいたと思うことにする――恋の仲直りのおまじない。
科学を得意とする河童だけど、非科学的なことを信じないなんてことはしない――とはいえ幻想郷は、魔法どころかまだ誰も知らない未知の事柄に満ちあふれている世界だけれど。
道具も魔法も、使う者の心が宿っていることで初めて意味を持つ技術に違いないんだから。
私は「こうするといいんだよ。耳を貸して」って言うと、素直な椛は疑うことも知らず、私の口元に耳をそばだててくる。
油断大敵だよ。かかったな、椛。
不意打ちとばかりに、スキだらけの椛の耳を甘く噛んでみせた。
ひゃん、と驚きの声をあげる椛。なんだか久しぶりに椛の可愛い声を聞いた気がする。「ひどいよにとりー」と言いながらぽかぽかと叩かれている。
あれだけ愚痴にのろけ話を聞かされたんだから、これくらいの役得はいただかないと割に合わないじゃないか。
それからしばらく。椛はそっぽを向いたまま口も聞いてくれなかったけれど、しばらくするとまたいつも通りの椛の顔に戻ってくれた。
うん。やっぱり椛は、健気で明るい椛をやってるのが一番似合ってる。それでこそ私が惚れた椛だ。
――どのみち今夜にはアイツのところに帰っていってしまうんだろうけど。
このまますぐに帰してしまうのも勿体ない。もう少しだけここに居てもらいたいな……そう思うことは、いけないことかな?
椛の笑っているところを間近で眺めながら、そんなことを思っていると。
「ちーっす。にとりーいるー?」
姫海棠はたてさんが呼び鈴も鳴らさず、工房に足を踏み入れていた。
彼女もまた文と同じく烏天狗様の末裔。
とはいえ玄関の呼び鈴も押さないで勝手に部屋に立ち入るなんて、いくらなんでも不貞不貞しいんじゃないかな。
「玄関の呼び鈴何度も押したけど、全然でなかったじゃん」
そうだっけ? 椛と話してる時間に夢中になってて全然気がつかなかった。
「で、うちに何か依頼かな? はたてさん」
「そうそう。なんかあたしが使ってるカメラの画面がすぐに消えるようになっちゃって」
「ああ。きっとそれはバッテリーが消耗しているからだね。ちょっと貸してみて。すぐに直してあげる」
言ってパームトップ型のカメラを受け取ると、せっせと作業に入ることにする。
新しく入ったお仕事だ。作業をしながら椛に「お茶持ってきてー」とか「この部品持ってきて」とか指示を出している。
まるで椛を工房の助手扱いしてるし。なんか私って、すごいことしてる?
でもこれで、もうしばらく椛を引き止める理由ができた。私は、はたてさんの突然の来訪にちょっぴり感謝した。
「おっ、誰かと思えば椛じゃない。元気してる?」
椛ははたてさんと目が合うと、「あ、こんにちは」と言いながらおずおずとお辞儀をしている。そういう律儀なところが本当に可愛らしい。
本当はとてもいい子なのだ。それなのに文のヤツがダメダメなせいで、せっかくの椛の魅力を引き出せていないだけ。
まぁとりあえず。
さっさと作業を済ませてしまうまで椛には悪いけど、はたてさんの応対をしていてもらおう。
ж
……よし。あとはこの改良したポリマーを組みこんだらできあがりだ。
カメラの容積はそのままなのに、バッテリー容量を倍に増やした傑作が完成した。
我ながら惚れ惚れしてしまう仕事ぶりだね。新型バッテリーの装着を済ませて、はたてさんにカメラを返そうとしたら案の定。
「じゃあさ、いっそあたしとくっついちゃう?」
「なななっ!?」
「どうしたの? あたしと組めばアイツなんかよりずっとイイ思いをさせてあげるわ」
「あ~~う~~……」
はたてさん……もとい、はたてが椛にちょっかいを出していた。
指先でくいっと顎を持ち上げて、袴に膝を割りこませて、顔をあんなに近くに寄せて。
うっわ。見ているこっちが恥ずかしくなるし。
「こらこら。そういうことは工房の外でやりなって」
なんだかよく分からないけど、二人の様子を見てモヤモヤが止まらない。
それは椛に対して? はたてに対して? それとも私に対して?
原因がハッキリしないから余計にイライラする。
こらっはたて、さっさと椛から離れなよ。その子は私が先にツバつけてたんだぞ。
「……なーんて、ね」
そんな私の心が通じたのか、はたては意外なほどあっさりと椛から手を離した。
「椛の反応が面白そうだったからついやってみたかったの。その様子だと、どうやら“そういうこと”みたいだし、ね?」
はたてさんは、椛の顔色を見てチロリと舌を出していた。
どうやら“そういうこと”みたい。椛のことを試していたんだ。――って、こら。なんでこっちまで見てる!?
「あれを本気でやってたら、スパナでぶん殴ってでもここから追い出してたよ」
「あんた見た目によらず結構おっかないわよね……」
椛を守るためなら、それくらい辞さない覚悟ってことだよ。って言いたかった言葉を直前で呑みこんでみせた。
「それはそうとにとり。カメラの修理できたー?」
「ほら。バッテリーを改良したから、これまでの倍くらい駆動時間が保つようになったよ」
「おっ、助かるわー。じゃあカメラも直った事だし。椛、そんなにアイツのことが気になるなら見せたげる」
改良を終えたばかりのカメラをはたてさんに返すと、カメラの端末に『吠え面かいてる射命丸文』と打ちこんでいる。
さすが持ち主だけあって馴染んだ手つきだ。
ピッ、という音とともに、はたてさんの念写の能力が発動する。
念写の検索結果の画面を最初は椛には見せずに、私の方にだけ見せてくれる。
はたてさんと一緒に画面の中を覗き見る……ああ、予想通りって言うか、やっぱりそういうことか。
ところ狭しと並べられた写真たちを見て思わずニヤニヤしてしまう私。
これは確かに『射命丸文の吠え面』じゃないか。見ていて清々した気分になるのは、どうしてなのかな。
椛が手と尻尾をバタバタさせながら「私も見たいー見せてー」と画面を覗きこんでくる。
いい加減に意地悪ばかりしてないで、椛にもアイツの“吠え面”を見せてあげようってはたてさんに提案した。
そんなこんなで。
「またなにかあったら、いつでもうちに来なよ」
「あはは、今日はありがとう。また遊びに来るよ」
いろいろドタバタもあったけれど、そんなこんなで陽も沈み始める頃。
文から預かったカメラを手渡すと、椛はこっちから見えなくなるまで手を振りながらアイツの所に帰っていった。
いろいろと毎度ありだよ本当に。
ж
「……振られちゃったね。あたしたち」
「まぁ、椛が幸せなら、それが一番だよ」
いろんなものを作ったり直したりするのが、私たち河童の仕事だしプライドだからね。
こじれた二人の関係だって元通りに直してみせる。
だから……これでいいんだ。私はそう思うことにする。
「にとりも本当は狙ってたんでしょ? 椛のこと」
「な、なんのことだかわからないな」
「真っ直ぐで健気ないい子だもんねぇ。あの子」
「文と椛ほど仲のいいコンビなんて見たことがないよ」
「あたしのことは“さん”付けで呼ぶのに、アイツのことは呼び捨てなんだ?」
しまった。うっかり地が出てしまったか。
なんとか誤魔化す方法はないかなと、そんなことを考えていると。
「じゃあさ。あたしのことも改めて呼び捨てで呼びあえるようにしよっか?」
「……はい?」
「ひとつ屋根の下に佇む傷心者同士、やることはひとつでしょ?」
「言ってる意味が、よくわからないんだけど……」
「恋に破れた者同士だからこそ、花咲くなんとやらもあるんじゃない?」
いったい何を言ってるんだこの天狗は。
つっこみをいれようとしたら、背中からがっしりとホールドされてしまって身動きを取れなくされてしまう。
正直いろいろと不意打ちだと思った。機械をいじるのは得意なのに、私自身がいじられることには全然耐性ができてないっていうか。
はたての手つきは、そういうことが絶対わかっててやってる手つきだ。
「アイツらに負けないくらい、ちゅっちゅしましょ?」
うわーよせーやめろー。
これは流行る間違いない