師匠を手伝って薬の調合をしていると、庭のほうから音がした。がさがさ、草がかきわけられて、こすれあう音だった。
とても大きな音で、少し離れた診療所にいても、聞こえるくらいだった。
師匠を見ると、行ってきなさい、と目で合図する。
走って見にいくと、永遠亭の庭の先の竹林から姫様が姿をあらわした。妹紅さんの髪の毛を片手でつかんで、そのまま地面の草の上をずるずる引っ張って運んでいる。
髪の付け根の肌がひきつって、痛そうだ。生きていれば、妹紅さんも文句を言うんだろうけど。
「おみやげよー」
と姫様が言う。にこにこ笑っていた。
頬のあたりを少し火傷しているけど、その他はいつもどおりのきれいさで、着物にもほとんど乱れがない。今日は、圧勝だったみたいだ。
いたずらっぽい目をして、姫様が言った。
「鈴仙、今、もこたんの下の毛を見たいって思ったでしょ。白髪なのかどうか。見てみる? 確かめてみる?」
見たくない。
妹紅さんの腹が破れていた。内蔵が見える。左腕は折れていて、右腕は無事なようだ。
顔を見ると、目玉がなくなっていた。両目とも抉り取られたようになっている。思わず、まじまじと見てしまった。すると姫様が袂から、妹紅さんの右目の眼球を取り出した。おみやげってこっちよ、もこたんは私のだからね、と言う。
左目は、その場で食べてしまったんだとか。左目のほうが、そのときの体勢からは食べやすかった。喰いつきやすかった。アクション混じりで教えてくれた。
私はおかえりなさい、と言って、お風呂を用意した。そうするように姫様から言いつけられたのだ。
姫様があがった後に妹紅さんを運んで、体を洗ってあげようと思ってたんだけど、姫様と一緒に私もお風呂に入るように言われて、姫様の髪を洗ったり耳を洗ってもらったりしているうちに妹紅さんは生き返って帰ってしまった。
姫様宛の伝言をてゐに残していて、「次は絶対勝つからなバーカ」だったそうだ。
それで、そのとおりになった。次の日は、姫様が負けた。
ちょうど役割を逆にして、妹紅さんが姫様を引きずって、永遠亭まで運んできた。
妹紅さんは姫様よりも乱暴だ。引きずってくるうちに、私が見ている前で姫様の髪の毛がぶちぶち抜けたり、ちぎれたりした。着物もぼろぼろで、焼け焦げて穴が開いて下の肌が見えていた。
昨日の妹紅さんと同じように、腹には大きな穴があいていて、血溜まりみたいになっていた。でも、昨日見た様子よりも、内蔵の数が少ないように思えた。質問すると、「昨日のお返しに食ってやった」と言う。
何で、そんなことをするんだろう。
目玉は食べなかったみたいで、そのままそこにあった。かわりに鼻から下が潰れていて、あごが吹っ飛んで唇から喉がそのままつながったみたいになっていた。真っ赤だった。
「陰毛見るか?」
と言って妹紅さんは笑った。昨日一緒にお風呂に入って、見たので、別にいいです、と私は返した。そっか、と言って、妹紅さんはさらに笑った。
死体の姫様に触ると、血とか煤とかで私の体が汚れた。そのまま生き返るまでそばにいた。食事はいつも、私が作ることになっているんだけど、その日は気を利かせたてゐがかわりに作ってくれた。夕食の時には姫様は生き返っていて、元気いっぱいになってもりもりご飯を食べた。私は食事をする前に手を洗って、服を着替えた。
◆ ◇ ◆
蓬莱の薬って何なんだろう。
師匠に訊いてみた。
「そうねえ」
師匠はペンを持って、手元の紙に何か書きだした。薬の組成でも書いてくれてるのかと思って覗きこんだら、師匠のオリジナルキャラクターの「ナイトメアうさちゃん(殺意ver)」だった。師匠はうさぎがとても好きで、ときどきバニーガールのコスプレをする。次の日は姫様がやたらお疲れになっている。
じゅうぶん陰影をつけたイラストを描き終わると、師匠は椅子を回して、こちらに向き直った。
「では、うどんげ。イメージしなさい」
「はい」
「イメージは重要よ。あなたのパンツの柄と同じくらいに」
「はあ」
「考えるな、感じるんだ。と外の世界の偉い人が言ったわ。みんなそれぞれ、これだ、と思う、自分だけのパンツを探している」
「わかりましたって」
ペンを指先でくるくる回しながら、座ったまま足を組む。長いスカートの先から足首がにゅっと見えて、なんだか色っぽかった。
「体を楽にして、両手を膝の上に軽くのせて……静かに目を閉じて、全身の力が徐々に抜けて、リラックスするのを感じなさい。
頭と額の筋肉がだんだん、気持よくほぐれていく。いいかしら。
あなたがそう思うだけで、実際に筋肉がほぐれるわ。ただ、背筋だけはぴんと伸ばしていてね。
今、あなたの右肩に蚊が一匹とまっている」
催眠術師みたいな口調になった。私は師匠の言葉に従って、蚊をイメージした。
「とても軽いので、重さは感じとれない。でも、確実にそこにいる。羽音がとてもうるさかったので、ずっと前からあなたはその蚊を殺したくて殺したくてたまらなかったのよ。いいかしら。
では、左手でその蚊を叩き潰しなさい」
私は肘を曲げて、左の手のひらで右肩をぱぁん、と叩いた。けっこう力を入れて叩いたので、手のひらが痛くなったし、自分の右肩に骨があって、硬いのがよくわかった。
「やりました」
「はい。そのままにしてね。今、腕は胸に触れていないわよね」
「はい」
「胸にパッドを入れていると、このとき当たっちゃうのよ」
「はあ……って何ですかそれ」
目を開けてつっこむと、師匠が解説してくれた。
なんでも、人は自分の胸の大きさを、自分で思うよりもはるかにきちんと把握しているから、こういう動作をする場合、無意識に手が胸に当たらないような動かしかたをするんだとか。胸の大きな女性は、肘を大きくまわして遠回りをする。男性や、胸の小さな女性は、ぎりぎりまで小さな動作で素早く叩く。
ほんとうの乳房の大きさに合わせた軌道で叩くから、パッドを入れていると手が膨らみに触れてしまう。女性のパッドを見抜くにはこれがいちばんの方法よ、とのことだった。
「そういうことなのよ」
「さっぱりわかりません」
蓬莱の薬について訊いていたんだった。
「ボディーイメージといって、胸に限らず、誰もが自分の体の正確なサイズについて、無意識で理解している。心のなかの内なる目、というふうに考えなさい。蓬莱の薬はそれに従って、破損した体を再構成するのよ」
だから薬を飲んだ当時の体型にしか戻れないし、そこで固定されてしまうから、変化することもないの、と言う。
私は感心したけど、何故だか、つい、
「不便ですね」
と口にしてしまった。
まずったかな、と思って師匠を見ると、師匠はとくに怒った様子もなく、そうね、と短く言った。
その日の午後、私は姫様に膝枕をされて、耳を撫でられていた。
姫様は私の耳をいじるのがお気に入りで、一日一回はこうして手入れをしてもらうのだ。
障子が開いて庭が見えていて、天気が良くて空気が澄んでいた。冬なのでとても寒かったが、たまに換気をしないと体に悪い、と師匠が言うのだった。
(体に悪い、ねえ)
師匠の言葉を思い出して、ゆっくり意識すると、変な気分になった。
顔の左側がべったり、姫様の太ももにくっついている。姫様の太ももは、余分な肉がついていないのに、何故だかとてもやわらかく感じる。いっぱい着込んでいる着物のせいかもしれないし、ぜんぜん力が入っていないからかもしれない。
私は手を伸ばして、姫様の長い髪に触った。黒くて細くて、真っ直ぐで、濡れたみたいにつやつやに輝いていた。指で梳くとするすると指の間を滑っていった。
黒い髪の毛は、他のどの色よりも美にはっきりと優劣をつける、と聞いたことがある。
気持ちいいはずの耳の手入れが、一瞬、何だかそうでもなくなったように感じた。
私は手の中の、姫様の髪の毛から一本を選ぶと、それをつまんで、一気に引っ張って引っこ抜いた。
「痛っ」
と姫様が声を出した。
「何するの?」
困ってしまった。
自分でもどうして、そんなことをしてしまったのかわからなかった。なんとなく、としか思えなかった。
「蓬莱人でも、新しい毛は、すぐには生えてこないんですね」
口から出た言葉は、そういうものだった。他人がしゃべったみたいだった。
「当たり前よ。死ななきゃ、もとに戻らないわよ」
姫様はぷんすか怒って、私を置いて部屋から出て行ってしまった。
変な気分が、ずっとつづいていた。
少しして落ち着くと、
(耳の手入れも、膝枕も、おしまいになってしまって残念だったな)
と思った。
◆ ◇ ◆
夕方になって、ご飯を作る時間になった。
この前一度、てゐにまかせちゃったので、埋め合わせに今日の夕食はちょっと凝ったものを作ろう、と思っていた。
寒いので、手を洗うのにもお湯を使ってしまう。お湯を使うと手荒れをするんだけど、あんまりにも冷たいので、しかたがない。
手を洗っていると、死体の姫様を思い出した。
あの日も、何度も手を洗った。
今日は変わりご飯にしよう、と考えていた。具材は、にんじんはまず外せない。あと、てゐがどこからか牡蠣を持ってきたので、それとしょうがとしめじでも使ってご飯に炊きこんで、牡蠣ご飯にしようと思っていた。
牡蠣なんてすごくめずらしい。たぶん、八雲さんのところからもらってきたんだろう。幻想郷には海がないので、海産物を食べられるとしたら、あそこを通すしかないわけだし。
てゐはときどき仕事をさぼって、博麗神社あたりで橙ちゃんと遊んでいるのだ。
今年の牡蠣は、あんまり太っていなくて、小さかった。まあ、ぜいたくは言わない。
私は包丁を持つと、自分の腕をじっと見つめた。
にんじんを切らなければいけない。
だからにんじんを切って、細かくして、食べやすい大きさにした。
それから自分の腕を切ることを考えた。私の腕を切ったら、すぐには治らない。
(姫様みたいなふうにはいかない)
血が流れるだろうから、まずそれを止めて、消毒して、薬を塗って、ガーゼを当てて、包帯で巻いて、という手順だ。
傷を治すにはそうする。
今度は姫様ではなくて、死体の妹紅さんを思い出した。腹が破けて穴があいていて、血が流れていて、私が見たときには、まだ止まっていなかった、姫様も同じだったけど。
仰向けで運ばれてきたから、たっぷたっぷ血が溜まって、血と内蔵の容れ物みたいになっていた。
あの傷も、すぐに治ったんだろうか。
生き返れば治る。
(死ねば治る)
私は包丁を置くと、台所の壁を思いっきり蹴りつけた。
漆喰に穴があいて、ぼろぼろと崩れ落ちた。そのまま台所を出て、廊下の壁や襖をいちいち蹴って壊しながら進んだ。
兎たちが驚いて出てきた。私はそのとき、どんな顔をしていたんだろうか。遠巻きに見つめられて、するとますます壁を蹴る足に力が入った。
このまま進めば、姫様の部屋がある。
廊下の先からてゐが出てきた。いつもどおりのピンクのワンピース姿で、私よりもはるかに年上なのに幼い容姿で、十歳くらいに見える。
てゐの髪の毛は黒く、肩までくらいの長さで、ちょっと癖が付いている。
手でつかむのに都合が良さそうだな、と思った。
そう思った瞬間、頭がくらっとして、めまいがした。
すると、何故だか落ち着いた。深呼吸をして頭をかいて、台所へ戻った。料理の続きをした。
壊したところはてゐに謝って、直してもらうことにした。てゐは何も言わなかったけど、私を見つめて、料理の間じゅうそばを離れなかった。
その日は早めに寝た。よく眠れた。
夢を見た。
永遠亭の庭は迷いの竹林とつづいている。姫様も妹紅さんも、いつもそこから庭に入ってくる。
私は何度もそれを見た。永遠亭に来てから、繰り返し見た場面だ。
夢のなかで、私は姫様と縁側に座っていた。夜だった。雲がなくて、背の高い竹のてっぺんよりもっと上に月が輝いていて、暑くも寒くもなくて、いい雰囲気だった。
十五夜の日だったと思う。昔のことを、夢に見ているんだ、と思った。いつあったことなのか、はっきりとはおぼえていない。
私は姫様に寄り添って、姫様の語るお伽噺を聞いていた。
(むかし、むかし、あるところに……)
お伽噺だったんだと思う。姫様がそう言っていた。
竹から女の子が生まれて、大きくなって、美しくなって、たくさんの人に結婚を申し込まれるけど、女の子は実は地上の人間ではなくて月の人だったので、最後には帰ってしまう。
月へ。
最後に帰っちゃうところが、お伽噺なのよ、と言って姫様は笑った。
首を持ち上げて、上を見た。月の光があった。丸い月の輪郭が、目の端っこにひっかかっていた。
下を見た。草がぼうぼうに生えていて、風が吹いて、草どうしがこすれあって大きな音を出す。
起きると、夜のうちに少しだけ雪が降っていて、庭の木に積もっていた。
寒いのは苦手だ。もう少しすれば、あったかくなると思うんだけど。
朝食を作って師匠とてゐと一緒に食べた。姫様は起きてこなかった。
片付けと、今日の分の薬の整理を終えると、私は姫様の部屋に行こうと考えた。とくに仕事がない日は、そうすることが多い。
いつものことだ。
永遠亭は広いので、廊下も長い。てゐに訓練された兎たちが、パンツ丸出しで雑巾がけをしていた。寒そうだな、と思った。自分も年中ミニスカだけど。師匠の趣味だ。
姫様の部屋に着くと、姫様はこたつに入って背を丸めて、ラーメンを食べていた。てゐもいて、よく知らないけど、パソコンの画面をテレビに映してシューティングゲームをやっているようだった。
「あのさ、思いっきり近づいて、青弾を右、左、右、左ってチョン避けするのよ」
「えぇー何それ、知らなきゃわかんないですよ」
ふたりとも画面を見ていて、私に注意を払っていない。
食べているラーメンは味噌ラーメンだった。朝、召し上がらなかったので、おなかがすいたのだろう。でもこの時間に食べると、お昼がはいらないんじゃないかと思った。
「姫様、だめですよ。ちゃんとした時間に食べないと」
こたつに入りながら、私は言った。
「鈴仙はうるさいわねえ。いつ食べてもいいじゃない。一緒に食べる?」
「はい。でも、ラーメンはいらないです」
「ふーん」
「姫様、そこの冷蔵庫からアイスクリームをとってください」
姫様は、面食らったような顔をした。
姫様の右手側に、冷蔵庫が置いてある。姫様専用のもので、中にはいつもジュースとか、アイスとか、ビビンバとかが入っている。電子レンジもある。
手を伸ばしただけでは取れないので、立ち上がってこたつから出て、歩いて扉を開けなければいけなかった。
私はこたつに入ったまま、テレビの画面を見つめて動かなかった。
てゐの操るキャラクターが、弾に当たって、画面が止まった。
「ふーん」
「鈴仙ちゃん?」
「いいのよ。どうしたのかしらね」
姫様は立ち上がって、冷蔵庫を開けて、アイスクリームを私に手渡してくれた。
コーンの上にバニラアイスとチョコが乗ってるものだった。私はありがとうございます、と丁寧にお礼を言った。
それから紙を破いてアイスクリームをむき出しにして、手を突き出して、姫様の顔の真ん中に思い切りなすりつけた。姫様の鼻から口までアイスまみれになった。
驚く姫様の手を引っ張って、上から手刀を叩きつけて、腕を折った。ぼきん、と音がする。
てゐが叫んだ。
私はこたつをひっくり返して、姫様の着物の裾をつかみ、引っ張って脱がせた。うまく脱がせられないところは、無理矢理にびりびりと引き裂いた。私は月の兎で、訓練も受けているから、普通の着物なら破れるくらいの力はある。
姫様のむき出しの足を見ると、一緒にお風呂に入ったことを思い出した。床に転がったままのむこうずねを蹴っ飛ばした。それから飛び上がって、足の上に乗った。腕とおんなじに、折れたかもしれない。
頭をがつん、と殴られた気がした。振り向くと、てゐが弾を撃ったんだとわかった。目の前が暗くなって、そのまま私は意識を失った。
◆ ◇ ◆
気がつくと、診療所のベッドの上だった。師匠が側の椅子に腰掛けて、こちらを見ていた。
「元気?」
「はい」
返事をする。私は入院着の上だけを着せられていて、下はパンツだけの姿だった。師匠の趣味だろう。
ベッドのシーツは白くて、清潔で、肌触りがよかった。薄着だったけど、室温が調整されていて快適だった。薄いグリーン色のコットンタオルが一枚だけ、上からかけられていた。
患者扱いだな、と思った。でも、私はすごく健康で、どこもおかしいところはないんだから、こんなふうにされるいわれはないのだ。
それはわかる。
そう言った。
「そう」
師匠が座っている椅子をよく見ると、普段使っているものとは違って、ちょっとゴージャスで、座り心地がよさそうなものだった。片側だけに丸い筒状の肘掛がついていて、革張りで、深く使い込んだような色味があった。
この椅子は前からあっただろうか。いつからあったんだろうか。
思い出せなかった。
師匠は私にベッドから下りて、立ち上がるように言った。私はそうした。
椅子が四つあって、どれもが他のものと違っていた。二人掛けの椅子に、師匠と同じような革張りの椅子、樹脂製の、硬そうなものもあった。
四つの椅子はそれぞれが適当な距離を開けて置かれている。師匠はそのひとつを指さして、私を座らせた。肘掛けが両方についていて、よく体が沈み込む、高級そうなものだった。
師匠が立ち上がって、私のそばに来た。
「楽しかった?」
と訊く。私は、はい、とこたえた。
楽しかった。
怒られるだろうな、と思った。もしかすると、永遠亭を追い出されてしまうかもしれない。
月から逃げてきた自分には、なんとなく、それもふさわしいように思った。
(ここを出たら、どうして生きていこうか)
と考えたら、妹紅さんの顔が目に浮かんだ。浮かんだ顔がすぐに焼け焦げて、目玉をくり抜かれた死に顔になった。
(あの目玉は、どうしたんだろう)
「うどんげ」
ぼーっとしてしまった。
師匠の声が聞こえた。
「何か、今、したいことはある?」
私は、今座っているこの椅子を壊したり、さっきまで寝ていたベッドのシーツを破いたり、壁を壊したりしたいです、と言った。
それを聞くと、師匠はうん、とうなずいて、机の上にあったペンケースをつかんだ。
何をするのかと思って見ていると、私の目の前で、師匠はそのペンケースを思い切り振りかぶって、窓ガラスに向けて投げつけた。
ガラスが割れて、大きな音がした。神経に障るような音だった。それから師匠は私が寝ていたベッドに向かって、シーツを引っ張り出して、両手でびりびりと破りはじめた。
「手伝うわ」
と師匠が言った。私に向けられた言葉だった。すぐには、そうとわからなかった。
はあ、と生返事をした。
「一緒にやりましょう」
それで、私も一緒になって、壁を壊したり、椅子を壊したりした。
師匠のキック力は私よりも強いので、すぐに診療所の壁がぼろぼろになった。私も負けずに、椅子を壁や床に叩きつけて、壊した。
とても楽しかった。けれどどこか、変な気持ちがした。
「うどんげ、今日はちょっと寒いわね。暖房の機械を璧からはがして、パイプをもぎとってしまいましょう」
私は床に座って、師匠は立って、二人でぐいっと引っ張った。私たちはパイプをもぎとってしまった。
師匠は部屋を見渡すと、
「ここではもうできることがないわね。次の部屋へ行きましょう」
と言って出て行った。
ほんとうにこんなことしていいのかな、と思った。
訊いてみた。
「もちろん。おもしろいでしょ? 私はおもしろいわよ」
歩いて行くと、姫様がいた。いつもの着物を着て、手にはジュースの入ったコップを持っていた。
お茶に飽きたのだろう。こたつに入っていると、喉が乾くんだ。
師匠は姫様の襟元をつかむと、そのまままっすぐ手を引き下ろして、着物をびりびりに破いた。姫様はすぐに裸に近い格好になって、転んでしまった。
コップが廊下に落ちて、ジュースがこぼれた。コップは割れて破片になった。それを上から踏んだので、師匠の足が血まみれになった。
姫様はつま先をこちらに向けて、仰向けに転がっている。足の間が見えた。でもすぐ、私の視線の先に師匠が立ちはだかった。右足を上げて、姫様の下腹部を勢いをつけて踏みつけた。姫様が、ぐええ、と呻いた。
思う存分そこを踏みにじってから、放り出されている姫様の右足に狙いを定めて、容赦なく蹴りつけた。爆発したようにはじけて、骨が折れたのがわかった。
倒れている姫様の髪の毛をつかんで、体を起こさせた。顔面を殴りつけると鼻血が出て、顔の下半分が赤黒く染まった。前歯が廊下に落ちて、転がってからからと音を立てた。
姫様が、あがが、と、声にならないような音を喉から出した。呼吸するのも苦しそうだった。目には涙が浮かんでいた。
私はそれを見ていた。師匠も、同じものを見ていた。
師匠は口を大きく開けると、姫様の右目に喰らいついて、歯と舌で眼球を抉り取ってしまった。
口が真っ赤になった。師匠はそれを、破れた姫様の着物で拭った。
姫様も、そうしたんだろうか。
そのときになって、ようやく私は言うことができた。
「師匠、やめてください。それはいけないことです」
私は診療所に駆け戻って、破れたシーツと救急箱を持ってきた。シーツで姫様の体をくるんで、手当をしてあげた。
◆ ◇ ◆
「まあ、昔からあるやり方なのよ」
姫様はつづけて、鈴仙は簡単でよかったわ、と言った。もう、体は治っていて、新品みたいにきれいになっている。いつもの姫様だ。
私は急須を傾けて、姫様の湯のみに新しいお茶を注いだ。罰として、しばらくの間姫様のお茶汲み係になったのだ。
あんまり、いつもと変わらない気もするけど、お茶のほかにいろんなジュースやお酒も用意しておいて、姫様の目配せを読み取っていれてあげなければいけないので、けっこう気を使う。
何で自分があんなふうになったのかは、よくわからない。鏡で自分の眼を見ちゃったんじゃないの、とてゐが言ったけど、そこまで間抜けな能力でもない。
例によって師匠に訊いてみると、「原因って複雑な事柄で、問題解決には必ずしも必要じゃないのよ」とか何とか言って教えてくれなかった。それで、では姫様に訊いてみようと思ったんだけど、
「さあね」
教えてくれなかった。思わせぶりなことを言うくせに、はっきりとした答えは出さない。師匠も姫様も、月人はいつもそうだ。私はやきもきした。
「あのね、あなたの事情なんて、私は知らないわよ。永琳じゃないんだから。あ、でも、いいこと教えてあげようか」
「えっ、何ですか。何ですか」
「永琳だけど、ときどきバニーガールのコスプレをするじゃない」
「はい」
「あいつ、ずっと前からそういう趣味なのよ」
「……そうですか」
興味はあったけど、自分の問題とは関係がなかったので、冷めた返事になってしまった。
「ずっと前って、並大抵の昔じゃないわよ。ものすごく昔からよ」
「はあ」
「あいつ、この世に兎って生物が産まれる前から、あのかっこしてるのよ」
「ええっ」
さすがに驚いた。
もっと詳しく訊こうと身を乗り出したところで、テレビで「戦国鍋TV」が始まったので姫様はそれに見入ってしまった。話を中途半端にされたので、もやもやした気持ちになった。
お気に入りのコーナーの、戦国ヤンキー川中島学園が終わると、姫様はようやく口を開いた。
「まあ、さっきも言ったけど。昔からある方法なのよ」
「でも、今は歴女とかブームですし、そのへんを差し引いてもこの狂いっぷりは楽しいですよ」
「お馬鹿。何言ってるのよ。永琳がやったことについてよ」
「バニーガール」
「違うって」
師匠がシーツを破いて、暖房装置を壊して、姫様の目玉を喰らったことについてだった。
あれ以来、私はすっかり……姫様の言葉でいうと「よい子」になったのだ。
「永琳もよくやるわね。私はまあ、痛かったけどね」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいけどね。私は私で、同じことしてるんだから」
姫様はにやにや笑うと、鈴仙は簡単だったわね、よい子ね、と言った。
「あなたが言えたことを、永琳は、千年経ってもまだ言えない。ますます悪事を重ねるばかり。比べると、鈴仙のなんと素直なことか」
「何のことですか?」
「お伽噺をしてあげようか」
竹から女の子が出てきて、大きくなって、結婚を申し込まれて、月に帰って……というお話を、姫様はした。
以前にも、聞いたことのある話だった。よく思い出せないから、きっとずっと昔に聞いたんだと思う。
でも、ほんとうは月に帰らなかったのよ、と姫様は言った。それは知っている。
だから姫様は、永遠亭にいるのだ。
月からの迎えが来たとき、その中の一人だった師匠が、邪魔をして、月の使いをすべて射殺してしまったのだ。
「そうよ。でもその前から、永琳は悪いことばかりしてるのよ。ひどい悪党なんだから、あいつ」
こたつから体を出すと、折られた方の足を伸ばして、裾を捲って私に見せた。傷ひとつついていなかった。右目の下を引っ張って、あかんべえをする。きれいな目が、きちんとはまっていた。
「死なない体になってしまった」
「姫様」
「だからまあ、私も見せてやってるわけよ。永琳があなたに見せたようにね。自分のやった行いが、実際にどういうものなのか」
と言うと、姫様は伸びをして、立ち上がって腰をひねった。ぼきぼき音がした。番組はもう終わっていたので、そのまま靴を履いて庭に出て、竹林に入っていった。
妹紅のおぱんぽんの毛が見たいですー。
読解力不足で理解しきれなかったんだけど、結局どういうお話だったんでしょう。
狂った感じが好きでした。
でもまあそんなのは私が考える筋のことではないね、ごめんね。
うどんげは素直な良い子や。
果たしてどっち!?
あとがきに書いてあることは作中でも読みとれたつもりなんだけど……なんかすっきりしない。
本当にそれだけが書きたくてこの話を? と思ってしまうんだよなあ。もっと何かあるような気がして。
私もあとがきで理解したクチだけど
常人であれば一番長引いて苦しむ方法な気もしますが
彼女はああいう人だから効かないんでしょうね
スラスラ読めて、中身もあるのでこの点数で
この点数で。
常に身につけているPADは既に咲夜さんの身体の一部と
なっているのではないだろうか。
故にレミリアは知ることになるだろう。
やはり紅魔館のメイド長はどこまでも瀟洒であると。
やめてください。それはいけないことです
作者さんの作風にもあっていていい感じに歪んでます。
最後の姫様の、
>あなたが言えたことを、永琳は、千年経ってもまだ言えない。
っていう台詞が全てを表している気がします。