バレンタインである。
私もご主人もれっきとした生物学上メスであるため、想い人にチョコレートを贈りつけて鼻血の海に沈ませる義務が生じる。
えっ、女同士でちゅっちゅするのはおかしい? 何が?
そんなわけで、例によってどんなチョコがいいか、ご主人に訊いたのだが、
「楽しみにしていますよ。私ももちろん、手作りをしますけど、どんなものかはひみつです。うふふ、では当日に」
と言ってナイトメアチョコレート山篭り(主催者:八意永琳)に出かけていってしまった。不安だ。
まあ、ああ見えてご主人は料理が得意だし、お菓子づくりも年季が入っているから、食べられないようなものは作るまい。ときどきネジがぶっ飛ぶが、基本的にはとても優秀なひとなのだ。
それよりも、問題は私の方だった。
家庭的で繊細で、ひかえめで、機転が利いて母性愛にあふれていて、乳がないことをのぞけば良妻賢母を絵に描いたような私だが、意外なことに料理だけは不得意だ。何しろ手順が決まっていて、もちまえの創造性を発揮する機会がない。やれるだけやってみようと思ってバッテラにカレーをかけたら一輪には不評だった。他のみんなは食べてもくれなかった。
困った顔して歩いていると張り紙を見つけた。
『バレンタインの手作りチョコ教室 参加者募集中! ~あなたのSweetな気持ちで、彼のHeartを溶かしちゃえ! 熟年離婚にも効果あり』
微妙なところが気に入ったので、参加してみることにした。
◆ ◇ ◆
「ではまず下準備からね。市販のチョコレートをロイヤルフレアで溶かします」
「できません」
思わずつっこんでしまった。
生来のツッコミ気質がまさかチョコ作りでも役に立つとは。
「なによ、いきなり。じゃあ永遠に無理よ。手作りチョコなんてできないわよ」
「手作りチョコってスペカ必須なのかい……?」
うす暗い図書館に無理やり設置したキッチンに立って、パチュリー・ノーレッジは口を尖らせていた。いつものネグリジェの上から割烹着を身につけている。帽子はもともとそれっぽいのでそのままだった。
「もう少し、難易度を落としてくれないか。先生のやり方だと、しょっぱなからエクストラステージだよ」
「じゃあ、アグニシャインで」
「そういう問題じゃない」
帰ろうかと思ったところ、横から手が伸びて私の肩をつかんだ。
つかまれた方を向くと、空中にスキマが浮いていてそこから手が伸びていた。
逆側を向くと、八雲紫がスキマに手を突っ込んでもう片方の手で扇子を持ってオホホと笑っていた。
「まあ待ちなさいな」
「普通に引き止められないのか」
「今のところただの芸人に見えるけど、彼女は幻想郷でも一二を争う知識人よ。このままで終わるはずがないわ」
それに、と言って周りを見回すように指図する。
私と八雲紫にくわえて、八雲藍と、蓬莱山輝夜と、霧雨魔理沙が参加していた。よくわからないメンバーだった。
面白くなりそうじゃない、と扇子を口に当てたまま言う。面白すぎて絶対に血を見そうだったが。これギャグだし。
「というか、他の人間はいないのかい」
「いっぱい来たけど、みんな門番に撥ねられたわ。あの程度の関門をクリアできないようじゃ、そもそもチョコを溶かす資格がない」
割烹着先生がしたり顔で言う。ハードル高いな、と思った。
八雲藍は先生をはなから無視して、スライサーで市販のチョコを細かく削っていた。なるほど、職人が切ったかのような薄く反った美しいかけらができあがっている。真似しよう。
「そうはイカンザキ!」
八雲紫が式に向けてスペルカードをぶっ放した。
電車に撥ねられたような勢いで電車に撥ねられて藍はぶっ飛んだ。起きてこない。
「ふう、危ないところだったわ」
「何をしてるんだ」
めずらしく、無駄口をたたかずに作業に専念していた魔理沙がつっこんだ。口の周りがチョコで汚れているから、作りながら食べていたんだろう。先生ほんと意味ない。
「藍はね、いつも大量にチョコを作って、ナッツが入ったのとか生クリームが入ったのとか、いろいろたくさんトッピングをつけたやつとかを私に食べさせようとするのよ」
「いいじゃないか」
「私、ダイエット中なの」
「……何しに来たんだ」
まったくもってそのとおりだった。
「だって、おいしいのよ。食べたいじゃない。でも、作りすぎなのよ。見なさい」
藍のいたスペースを見ると、刻みチョコが浴槽一杯分くらい溜まって散らばっていた。
見ただけで鼻血が出そうだった。
「それだけじゃないわ。おそろしいことに、ホワイトデーには三倍返しを要求するのよ。どこのスイーツなんだか。去年なんか、指輪を要求されたからリングの頭に油揚げをつけて贈ってあげたわよ。喜んでたけど」
「いいじゃないか」
「いいえ、もう黙ってはいられないわ。やられっぱなしじゃ、主人の威厳が保てないでしょ」
と言って前に向き直って、
「というわけで、今年は私から藍に贈ることにしたわ。先生、いいやつを教えてね。もう乙女成分たっぷりで、食べたらちゃおの連載漫画くらいに目がおっきくなっちゃうようなやつ」
「難しい注文ね」
割烹着先生は、腕を組んでうむむと唸った。
ああでもない、こうでもないと相談しているふたりを見ていると、たかがチョコでもいろんな種類があって、それ以上にいろんなドラマがあるんだなあと思った。
「できたぁ!」
突然、声がした。魔理沙以上に黙って調理をしていた蓬莱山輝夜が、両手を上げてコロンビアのポーズをしていた。
黒髪が図書館のうす暗い背景に溶けこんで見えにくかった。ピンク色の化物みたいに見えた。格好を考えろ。
「あなたに言われたくないわよ、この灰色ネズミ」
「何を言う、初音ミクだって基本は灰色の服じゃないか」
「もうできたのか。どんなのを作ったんだ」
魔理沙が覗きこんできた。いつになく、こいつも真面目だ。
「ふふん。見て驚きなさい」
輝夜が手に持って、出来たてのお菓子を見せてくれた。
三角錐型のクッキーに、上からチョコレートのコーティングがかけられていた。大きさはひとくちサイズ。チョコの表面には模様が入っていて、小さなたけのこみたいに見えた。
というか、
「たけのこの里だね」
「美味しそうでしょう」
あげないわよ、と言う。食べたいか食べたくないかで言うとすごく食べたいが、それよりも輝夜の器用さに驚いてしまった。あそこまでそっくりに作るなんて。市販されていても驚かなかった。
「姫様はたけのこの里派か。どうやらお前とは旨い酒が飲めなさそうだ」
と言って、いつの間にか完成していた自分のチョコを魔理沙が持ち出す。
きのこの山だった。
「ほほう……」
「ふん……」
目に火花を散らしてどんどん陰険な雰囲気になってくる輝夜と魔理沙を置いて、私はそっと図書館を出た。
扉を閉めると、後ろから爆発音が聞こえてきた。闘争の歴史は長い。我々の近代的「正義」の立場とは、個人の存在のかけがえなさとその権利(その核心は、今風に言えば自己決定権である)の不可侵性を前提とする、「公正」の立場である。幻想郷はすべてを受け入れる。ユートピアは、複数のユートピアから、つまり人々が異なる制度の下で異なる生を送る多数の異なったコミュニティーから成り立つのだ。誰も自分のヴィジョンを他人に押し付けることはできない。
どっちもおいしい。私は走って逃げた。紅魔館の外に出たあたりで、スキマ妖怪が割烹着先生を連れてスキマから出てきた。藍はいなかった。
◆ ◇ ◆
「ご主人、はい、どうぞ」
「わあ」
嬉しそうな顔をして、私の差し出したチョコをご主人は受け取ってくれた。あけていいですか、と言う。恥ずかしいが、もともとそのために作ったんだから、是非もない。
ご主人が作ってくれたチョコは、でっかいチョコレートケーキだった。アーモンドやラム酒が入っていて、上にいちごなんかも載っていて、細いホワイトチョコで「ナズーリン大好き」とか書いてあった。顔が熱くなって食べる前から鼻血が出そうだった。食べたらほんとに出た。
首の後をとんとん叩くのは、効果がないので、やめるべきだと身を持って学んだ。やってもらったらあわてたご主人が力加減を間違ったので首の骨が折れた。
湿布を貼るなど余計な治療の時間をおいて、やっと自分のチョコを渡せたのだった。
ラッピングも自分でやったんだが、下手糞で困ってしまった。でもご主人は、丁寧に剥がしてくれた。
箱を開けると、ひとくち大の大きさのチョコがいくつも出てきた。
たけのこの里のお尻から、きのこの山を生やしたお菓子だ。
「これは……」
「新スナック『たきのこの里山』だよ」
ナ、ナズーリン、た、食べていいですか、とご主人が異常に興奮しながら私に許可を求めた。チョコから目が離せないみたいだ。ウケたみたいでよかった。
もちろんいいよ、と言うと、ひとつひとつじっくり眺めて、噛み締めるようにして食べてくれた。嬉しかった。
その夜はチョコが溶けるほど熱くなった。
私もご主人もれっきとした生物学上メスであるため、想い人にチョコレートを贈りつけて鼻血の海に沈ませる義務が生じる。
えっ、女同士でちゅっちゅするのはおかしい? 何が?
そんなわけで、例によってどんなチョコがいいか、ご主人に訊いたのだが、
「楽しみにしていますよ。私ももちろん、手作りをしますけど、どんなものかはひみつです。うふふ、では当日に」
と言ってナイトメアチョコレート山篭り(主催者:八意永琳)に出かけていってしまった。不安だ。
まあ、ああ見えてご主人は料理が得意だし、お菓子づくりも年季が入っているから、食べられないようなものは作るまい。ときどきネジがぶっ飛ぶが、基本的にはとても優秀なひとなのだ。
それよりも、問題は私の方だった。
家庭的で繊細で、ひかえめで、機転が利いて母性愛にあふれていて、乳がないことをのぞけば良妻賢母を絵に描いたような私だが、意外なことに料理だけは不得意だ。何しろ手順が決まっていて、もちまえの創造性を発揮する機会がない。やれるだけやってみようと思ってバッテラにカレーをかけたら一輪には不評だった。他のみんなは食べてもくれなかった。
困った顔して歩いていると張り紙を見つけた。
『バレンタインの手作りチョコ教室 参加者募集中! ~あなたのSweetな気持ちで、彼のHeartを溶かしちゃえ! 熟年離婚にも効果あり』
微妙なところが気に入ったので、参加してみることにした。
◆ ◇ ◆
「ではまず下準備からね。市販のチョコレートをロイヤルフレアで溶かします」
「できません」
思わずつっこんでしまった。
生来のツッコミ気質がまさかチョコ作りでも役に立つとは。
「なによ、いきなり。じゃあ永遠に無理よ。手作りチョコなんてできないわよ」
「手作りチョコってスペカ必須なのかい……?」
うす暗い図書館に無理やり設置したキッチンに立って、パチュリー・ノーレッジは口を尖らせていた。いつものネグリジェの上から割烹着を身につけている。帽子はもともとそれっぽいのでそのままだった。
「もう少し、難易度を落としてくれないか。先生のやり方だと、しょっぱなからエクストラステージだよ」
「じゃあ、アグニシャインで」
「そういう問題じゃない」
帰ろうかと思ったところ、横から手が伸びて私の肩をつかんだ。
つかまれた方を向くと、空中にスキマが浮いていてそこから手が伸びていた。
逆側を向くと、八雲紫がスキマに手を突っ込んでもう片方の手で扇子を持ってオホホと笑っていた。
「まあ待ちなさいな」
「普通に引き止められないのか」
「今のところただの芸人に見えるけど、彼女は幻想郷でも一二を争う知識人よ。このままで終わるはずがないわ」
それに、と言って周りを見回すように指図する。
私と八雲紫にくわえて、八雲藍と、蓬莱山輝夜と、霧雨魔理沙が参加していた。よくわからないメンバーだった。
面白くなりそうじゃない、と扇子を口に当てたまま言う。面白すぎて絶対に血を見そうだったが。これギャグだし。
「というか、他の人間はいないのかい」
「いっぱい来たけど、みんな門番に撥ねられたわ。あの程度の関門をクリアできないようじゃ、そもそもチョコを溶かす資格がない」
割烹着先生がしたり顔で言う。ハードル高いな、と思った。
八雲藍は先生をはなから無視して、スライサーで市販のチョコを細かく削っていた。なるほど、職人が切ったかのような薄く反った美しいかけらができあがっている。真似しよう。
「そうはイカンザキ!」
八雲紫が式に向けてスペルカードをぶっ放した。
電車に撥ねられたような勢いで電車に撥ねられて藍はぶっ飛んだ。起きてこない。
「ふう、危ないところだったわ」
「何をしてるんだ」
めずらしく、無駄口をたたかずに作業に専念していた魔理沙がつっこんだ。口の周りがチョコで汚れているから、作りながら食べていたんだろう。先生ほんと意味ない。
「藍はね、いつも大量にチョコを作って、ナッツが入ったのとか生クリームが入ったのとか、いろいろたくさんトッピングをつけたやつとかを私に食べさせようとするのよ」
「いいじゃないか」
「私、ダイエット中なの」
「……何しに来たんだ」
まったくもってそのとおりだった。
「だって、おいしいのよ。食べたいじゃない。でも、作りすぎなのよ。見なさい」
藍のいたスペースを見ると、刻みチョコが浴槽一杯分くらい溜まって散らばっていた。
見ただけで鼻血が出そうだった。
「それだけじゃないわ。おそろしいことに、ホワイトデーには三倍返しを要求するのよ。どこのスイーツなんだか。去年なんか、指輪を要求されたからリングの頭に油揚げをつけて贈ってあげたわよ。喜んでたけど」
「いいじゃないか」
「いいえ、もう黙ってはいられないわ。やられっぱなしじゃ、主人の威厳が保てないでしょ」
と言って前に向き直って、
「というわけで、今年は私から藍に贈ることにしたわ。先生、いいやつを教えてね。もう乙女成分たっぷりで、食べたらちゃおの連載漫画くらいに目がおっきくなっちゃうようなやつ」
「難しい注文ね」
割烹着先生は、腕を組んでうむむと唸った。
ああでもない、こうでもないと相談しているふたりを見ていると、たかがチョコでもいろんな種類があって、それ以上にいろんなドラマがあるんだなあと思った。
「できたぁ!」
突然、声がした。魔理沙以上に黙って調理をしていた蓬莱山輝夜が、両手を上げてコロンビアのポーズをしていた。
黒髪が図書館のうす暗い背景に溶けこんで見えにくかった。ピンク色の化物みたいに見えた。格好を考えろ。
「あなたに言われたくないわよ、この灰色ネズミ」
「何を言う、初音ミクだって基本は灰色の服じゃないか」
「もうできたのか。どんなのを作ったんだ」
魔理沙が覗きこんできた。いつになく、こいつも真面目だ。
「ふふん。見て驚きなさい」
輝夜が手に持って、出来たてのお菓子を見せてくれた。
三角錐型のクッキーに、上からチョコレートのコーティングがかけられていた。大きさはひとくちサイズ。チョコの表面には模様が入っていて、小さなたけのこみたいに見えた。
というか、
「たけのこの里だね」
「美味しそうでしょう」
あげないわよ、と言う。食べたいか食べたくないかで言うとすごく食べたいが、それよりも輝夜の器用さに驚いてしまった。あそこまでそっくりに作るなんて。市販されていても驚かなかった。
「姫様はたけのこの里派か。どうやらお前とは旨い酒が飲めなさそうだ」
と言って、いつの間にか完成していた自分のチョコを魔理沙が持ち出す。
きのこの山だった。
「ほほう……」
「ふん……」
目に火花を散らしてどんどん陰険な雰囲気になってくる輝夜と魔理沙を置いて、私はそっと図書館を出た。
扉を閉めると、後ろから爆発音が聞こえてきた。闘争の歴史は長い。我々の近代的「正義」の立場とは、個人の存在のかけがえなさとその権利(その核心は、今風に言えば自己決定権である)の不可侵性を前提とする、「公正」の立場である。幻想郷はすべてを受け入れる。ユートピアは、複数のユートピアから、つまり人々が異なる制度の下で異なる生を送る多数の異なったコミュニティーから成り立つのだ。誰も自分のヴィジョンを他人に押し付けることはできない。
どっちもおいしい。私は走って逃げた。紅魔館の外に出たあたりで、スキマ妖怪が割烹着先生を連れてスキマから出てきた。藍はいなかった。
◆ ◇ ◆
「ご主人、はい、どうぞ」
「わあ」
嬉しそうな顔をして、私の差し出したチョコをご主人は受け取ってくれた。あけていいですか、と言う。恥ずかしいが、もともとそのために作ったんだから、是非もない。
ご主人が作ってくれたチョコは、でっかいチョコレートケーキだった。アーモンドやラム酒が入っていて、上にいちごなんかも載っていて、細いホワイトチョコで「ナズーリン大好き」とか書いてあった。顔が熱くなって食べる前から鼻血が出そうだった。食べたらほんとに出た。
首の後をとんとん叩くのは、効果がないので、やめるべきだと身を持って学んだ。やってもらったらあわてたご主人が力加減を間違ったので首の骨が折れた。
湿布を貼るなど余計な治療の時間をおいて、やっと自分のチョコを渡せたのだった。
ラッピングも自分でやったんだが、下手糞で困ってしまった。でもご主人は、丁寧に剥がしてくれた。
箱を開けると、ひとくち大の大きさのチョコがいくつも出てきた。
たけのこの里のお尻から、きのこの山を生やしたお菓子だ。
「これは……」
「新スナック『たきのこの里山』だよ」
ナ、ナズーリン、た、食べていいですか、とご主人が異常に興奮しながら私に許可を求めた。チョコから目が離せないみたいだ。ウケたみたいでよかった。
もちろんいいよ、と言うと、ひとつひとつじっくり眺めて、噛み締めるようにして食べてくれた。嬉しかった。
その夜はチョコが溶けるほど熱くなった。
まぁ幸せならいいや
淡々としてるなあナズ。
実際の形はどんなだろうか。