人里がとても美味い胡瓜を栽培している、と聞いたのは昨日の事だった。
誰かに聞いた、というわけではなく盗み聞きだ。夜に釣りをしている二人組がいたからめずらしい、と思い好奇心で近づいたら偶然それを耳にした。
他の野菜なら聞き流していただろう。いや、その話ですら妄言と思っていた。人間に河童より美味い胡瓜が作れるはずがない。そう考えていた。
だが気になって仕方がなかった。おかげで寝不足だ。
今すぐ確かめに行きたい、という衝動に駆られながら胡瓜をかじる。昨日の話を聞いてからずっと胡瓜しか食べて無いような気がする。
――もし本当だったら、この胡瓜よりも美味いのだろうか。
「行くしかないかなぁ」つい声が漏れた。
だが、残念だが私は人とうまく話せないのだ。人に聞くことは出来ないだろう。魔女に聞いてくるように頼むか?でも最近彼女を見ていない。おそらく今すぐは無理だろう。
こうなったら私が確かめに行くしかない。幸いまだ早朝、この時間ならまだ起きている人間も少ないはず。
光学迷彩スーツで身を隠し、バックにありったけの胡瓜を詰めて人里へ向かった。
「だーれもいないじゃん」
誰もいなかった。子供たちがよく遊んでそうな大きい広場にも、さまざまな古い店が並ぶ通りにも、龍神の石像前にも誰もいない。
石像の目を見る。我々河童の作ったこれは、目の色でその日の天気がわかるのだ。といっても的中率70%程度。あまり信用できない。
「今日は・・・曇り?かな」
龍神の目は汚れのない白になっていた。いや汚れが無いから晴天じゃないか?いやでも空を見る限り・・・何とも言えない。
青い空に綿飴のような形の雲が点々と浮かんでいた。晴天でもないし、曇りとも言えない。
里にはあまり来ないから読み方を忘れてしまったんだな。
目をじっと見ていると、ふとある考えが過った。八百屋だ。八百屋ならあるんじゃないか。
私は八百屋を目指して足を進めた。
「どこだっけ・・・八百屋」
迷った。わざとじゃない。まるで思い出せないのだ、記憶力には自信があるはずなのに。
気が付いたら全く知らない通りに出ていた。見たことのない場所、家、なぜか不安を覚えた。
「知らないのも無理はない」
澄んだ女声が静かな通りに響いた。
「誰?」
突然のことで戸惑う。ありえない、誰もいないとはいえ用心して光学迷彩スーツを来ていたはず。だがあの声は私に問いかけてるみたいだった。いつの間にかスーツが壊れたのか?
背後に振り向くと、そこには知らない人が立っていた。
「人間!?」
それは人間とは違っているような気がした。フリフリの青っぽい服に胸元の赤いリボン、青と白の混じった腰まである長髪、そして何とも形容しがたいその帽子、古臭い里の景色をバックに見たその姿は異質だった。
「そうだ、お前は何しに来た?」
その人間は明らかに私の眼を見据えていた。金縛りを受けたかのように私も彼女の眼から視線を外せなかった。
「私は・・・胡瓜を探しに」
言い訳を考えていたはずが、本音が口から勝手に出た。ヤバい、胡瓜は河童の大好物なのは人間も周知の事実、私が河童って知ったら古来の盟友とはいえ里を襲いに来たと勘違いされるかもしれない。
「胡瓜・・・ははあ、お前」
ばれたか?
「ならいいや、まあ付いてこい」
・・・え?
そういうと、彼女はこちらを見るのをやめ、後ろに振り向き歩き出した。
どういう状況だ、これ。
「人がいなかっただろ?私が隠したんだ」
彼女に付いていった先は寺子屋だった。なるほど、寺子屋の先生か。
だが入ると違った。まるで他の里の家と変わらない。古臭いタンスの上の真新しい写真立て、こたつの上に異常な数の茶菓子とみかんがあること以外。
座布団に座らされ、熱い茶と一緒に出てきた言葉がそれだ。
「隠す?」
「どこかに隠すわけじゃないんだ、わたしの能力でこの里で人間が生きてきたっていう歴史を隠すんだ。他に顔の皺や面皰も隠せる。面白いだろ?隠したら私と隠された物同士でしかその姿を確認できない。だからお前には見えなかった」
なるほど、確かに使い勝手のいい能力だ。
「そうやって秘密裏で胡瓜の開発を進めてたんだな」
「いや違う」
即答だ。やっぱり胡瓜はデマか?私の苦労を返せ。いやそんなに苦労してないけど。
「しかし胡瓜のために山から下りてきたのか、またまたご苦労」
「やっぱり私が河童って知ってたんだ?」
「ああ、それにそのスーツは何回か見たことがあるんだ」
へぇ、このスーツ私の自作なのに・・・やっぱり他の河童も作ってるのかな?人間には難しいけど河童なら手軽に作れるし便利だもんね。
タンスの上の写真に目をやる。写真立ては一個だけでなく何個か置いてあった。中に入ってる写真は少し古い印象を受けた。元気そうな子供達と寺子屋の先生である彼女の集合写真に金髪の女性の全体写真、白髪の女性と彼女の写ってる写真と様々だ。
一つは見覚えがあった。でもなぜ彼女の写真があるのかは聞かないことにした。仮にも人間なのだから里に来てても不思議じゃない、そしてなぜか強烈なデジャブと違和感が私を襲ったからだ。
「気になるか」
気付かれていた。悟られまいと軽く見る程度だったはずがいつの間にかじっと見ていたようだ。
「金髪の女か?そいつは人間だぞ」
見ればわかる。黒いデカとんがり帽子に黒と白の混じった服。こっちをみながらいわゆる決めポーズをしている。カッコいいと思ってやってるんだろう。
「そいつは見た目と一緒で捻くれものでな。皆でワイワイやるのは好きなくせに人に弱みを見せたがらない。病気を知られたく無いとか、顔の皺や面皰を取りたいっていう奴とかは里にもゴロゴロいるがな」
捻くれもの。盟友とはいえそこまで深く関わったことも無いから何とも言えない。
「その歴史の能力って隠すことしかできないの?」
そんなことを考えた。頭の中に急に湧いてきたのだ、好奇心に似たその感情が。
「聞きたいか?」
茶を啜っていたはずの彼女の顔は突然私の眼前に現れた。
「聞きたい」
一瞬戸惑いを感じたが、それでも好奇心は衰えなかった。
「ほかにも、食べることができるんだ」
え?食べるって
「それじゃ、隠すのと同じじゃないの?」
「違うんだよ」
彼女の眼はまっすぐにこちらを見ていた。彼女の顔から目が外せなかった。女らしい大きい眼、額の皺、面皰一つ無い肌、なぜかどこかで見慣れてるような気がした。
「隠しても引き出すことはできるだろ?でも食べたら何も残らない。
たとえば、今隠してる人間の生きていた歴史を食べたらその人間はいなくなる。存在が消えるんだ」
言いようの無い不気味さを感じた。
「ほかにも・・・お前自身の中の、お前の歩んできた歴史、つまり記憶を食べたり」
記憶を食べる・・・!?そしたら記憶喪失と変わりないじゃないか。なんて能力だ。血の気が引いていくのがよくわかった。
「そういや、恐怖や悲しみの籠った記憶ってのは美味いんだ」
恐怖・・・?今私が感じてるのは・・・
「今まで三人位の記憶を食べてきたかなぁ・・・どれも美味かったなぁ・・・そろそろお腹すいたなぁ」
さらに顔を近づけてくる。すでに鼻と鼻が触れそうな距離になっている。
「ひ・・・!?」
「ははは・・・冗談だ。こう見えても人を驚かすのが好きなんだ」
そういうと彼女は顔を私から離した。
何も言えなかった。もし私の記憶が消されたらどうなるんだ?いやそもそも存在を消されたら?心臓が大きく鼓動している。いつの間にか息も荒くなっていた。
「お前、記憶を消されるのがそんな怖いか?」
彼女が問いかけてきた。今まで食べるだの隠すだの物騒な話をしていたのに何もなかったように机の上の茶菓子を頬張っていた。
「当たり前だよ・・・そんな能力、怖くない?使い方間違えたら」
「いや、もう慣れた」
「え、慣れたって・・・」
どういう意味?その部分だけ喉に突っかかって声に出来なかった。
冗談じゃないのか?本当なのか?慣れたってもしかして・・・食べた事、あるのか?
聞きたいことは山ほどあった。でも言わなかった。突然彼女が自分とは違うものに感じた。
「そろそろ帰ろうかな」
逃げたかった。ここにいたら何か食べられる気がする。確証はないがそんなのどうでもよかった。
「そうか?胡瓜ならあるぞ」
「いや、用事があってね」
座布団から立ち、寺子屋を出よう考えたとき、いきなりある事に気付いてしまった。
「ねえ・・・・
何で私が来たとき、いえ来る前から人間を隠してる?」
彼女は動揺もしない、ただ座布団の上で正座したまま茶を啜っているだけ。
「おかしくない?もう人間もいない理由もわかったし、隠してた人たち出しても問題ないでしょ?特に妖怪が襲ってくるわけでも無いんだし」思考するより先に口が動く。まるで考えたら駄目だと口がわかってるみたいだ。
「もしかして・・・私が来る事わかってて・・・?」
「お前が帰ったら出しとくよ。それに人間全ては隠してない、実は一人は里近くにいるんだ」
一人って誰だ。お前自身じゃないのか?
「そう・・・そういえば名前を聞いてなかったよ」玄関の前まで歩いてきた。未だ茶を啜る音が聞こえる。暢気なものだ。
「言わなくてもいいだろ?」
その言葉と同時に私は寺子屋を出た。そしてひたすら走った。
息が切れる。足が痛い。それでも、この里から早く出た方がいい、という理性の判断に従った。
気が付けば、そこは里では無く森林だった。見たことのある場所では無いし、それほど走ったわけでも無い。多分里から近い場所で言えば魔法の森のはずだ。
小鳥の囀りが聞こえ、鳥の鳴き声が聞こえ、リスや犬の落ち葉を踏む音が聞こえる。
そこは何かが生きてる、生命がある、少なくとも人里よりも生活感の溢れる里だった。
「そうだ、魔理沙」
最近会っていない盟友もここに住んでいるはずだ。人見知りな私の、人間で一番の知り合いだ。
道はわからない。いつもならこういうところで活躍するバックは胡瓜しか入っていない、これじゃただの弁当箱だ。
魔女の事だ、おそらくそこらでキノコ狩りでもしているだろう。私が行く必要は無い。
なのに、足は動く。勝手に森林を進み始めた。とまれ、と思っても止まらない。
ただ進んだ。開いた道を進まずにわざと入り組んだ道を使った。足が悲鳴を上げてたが気にしなかった。進むにつれて鳥の鳴き声が聞こえてきた。それを頼りに、真っ直ぐ歩いて行った。
どれだけ歩いただろう。昼のはずが夕焼けになり、やがて満月がでていた。気が付いたら意味のない独り言が多くなっていた。
そして、大きく切り開いた場所に出た。
「何、ここ」
森の中とは思えなかった。その場所だけ切り取られたかのように森林が無くなっていた。森を歩いている間は差し込んでこなかった月光が、ここだけは十分に照らしてきた。
何より私の眼を引いたのは中央の場所だった。中央には何か、石のような何かが置いてあって、それを彩るように様々な花が咲いていた。
赤、黄色、ピンク、本当に色とりどり。私の頭はそれが何を意味するのか半ば理解していた。
気付けば中央を目指し歩いていた。やめろ。行くな。それでも足は止まらない。まるで下半身だけ別の生き物になったみたいに。
そしてたどり着いた。やっぱり墓石だ。証拠はないが、その石から
下には台座のようなものがあって、お供え物と思われる物も置いてあった。
腐ったような色をした胡瓜、比較的新品に見える・・・魔道書?そして、金髪の人形だ。眼や鼻、洋服も細かく意外と精巧に作られている。残念だが何をモデルに作ったのかはわからない。
これで終わりだ、よし帰ろう、早く帰ろう。上は見るなよ、絶対だぞ。
眼は、上の墓石にいこうとしている。もう戻れなかった。
そして、墓石に刻まれた字を視線に捉えた。
「あーあ、また見つけちゃったか」
そこに刻まれた名前は――――
自分の下らない批評でよければいくらでもどうぞ。
まずこの作品が全てを明確にしていないのは、読み手に対して想像の余地を残した結果だと思われますが、人によっては好みが分かれると思います。
次に慧音の行動ですが、これはまるで意味が分かりませんでした。伏線をはるためだけに無理やりそうさせたようで、少々強引な印象を受けました。もし慧音の行動に何らかの理由があるならば、その根拠をもう少し明確に提示するなり、対処するほうがいいと思います。
でも伏線のはりかたは凄く上手いと感じました。そういった系統の小説をあまり読まないせいなのかもしれませんが、改めて読み返すとはっとすることが多くて、驚きました。何気ない文章が物語のキーポイントになっていたりで、こういう文章の使い方もあるんだなと感動しました。
以上です。一笑にふされても仕方ないような批評(笑)ですが、それでも少しでもお役にたてれば幸いです。
ただ、コメントの方を読ませていただいて、このお話はもしかしたら、もっと深い意味があるんじゃないかと思い、読み返してみることにしました。
二回読み返して、やっと物語の核心を掴むことができたような、できてないような。
とりあえず、私が考察してみた結果、このお話の最大のキーポイント(と言っていいのかわかりませんが)は、『腐ったような色をした胡瓜』なんじゃないかなあと思いました。もし、私が考えているとおりだとしたら、上の方が言っている『慧音の行動の理由がよく分からない』というのもうなずけました。
ただ、ここでふと思ったことがあります。もしかしたら作者様は、私にそう思わせているだけなんじゃないのか、と。
実はこの物語はいくらでも解釈のしようがあって、私はその一つに作者様の意図によって導かれたのではないか、私はただわかったつもりでいるだけで、実はもっと底が見えないほど深い話なのではないか、という疑問が浮かび上がってきました。
う~ん、さすがに考えすぎですかね。何はともあれ、面白いお話でした。
一つ、難点を上げるとすれば、一回読んだだけでは理解するのが難しいと言うことでしょうか。それでは、これにて失礼いたします。
詰る所、にとりは耐えられなかったんですね。
ただ、やっぱりきゅうりがわからん・・・・。上の人と同じような事考えてる気がします。
個人的には、こう言った考えるタイプの作品は大好物なのです。