1.はじめに
この宇宙は、4つのエネルギーによって支配されている。
それは、「重力」、「電磁力」、「強い核力」、「弱い核力」である。
はじめ、電磁力は「電気の力」と「磁気の力」に二分されていた。
しかし、19世紀初期にこの二つは同一のものであると物理学的に証明された。
これが世界で初めての「統一理論」であった。
そして今日、様々な物理学者がこの4つの力を統一するために様々な研究を行っている。
物理学は今、すべての力を統一した、「大統一理論」を完成させるために動いている。
しかし、「大統一理論」の完成は、すなわち物理学の終焉を意味することである。
なぜなら、この宇宙を支配している力の限界を知ることになるからである。
観測物理の世界においては、その現象が顕著に見られる。
小さな物体を分離させるのにかかるエネルギーは、対象物が小さいほどそれに反比例して大きくなる。
つまり、いずれ宇宙最大のエネルギーを使っても分離できない小さな物体に当たることになる。
すると、必然的にそれは世界の最小構成物質だということが証明できてしまう。
ここまで至れば、物理学は観測による研究が行えなくなり、ひいては哲学による研究分野へと変化する。
これを食い止めるためには、統一理論によるエネルギー限界説を覆す必要がある。
そこで、我々は物理学に新たなる見方を加えることを検討した。
統一理論によるエネルギー限界説を覆すには、統一理論に含まれないエネルギーが必要となる。
そこへ我々が注目したのは、『魔法エネルギー』である。
2.魔法とは何か?
魔法という概念は、実に古くから存在する。
一般的には、現実に不可能な手法や結果を実現する力として捉えられ、『科学』と対比して用いられることが多い。
しかし、人によっては『科学』と『魔法』は同一のものであると定義するものも少なくない。
科学と魔法の差は、一般的には現実的な手法、結果なのかどうかという観点で分けられる。
それは、『科学』というものが、現実の全てであるという解釈が根底に存在するためである。
科学が発展する以前は、現代における『魔術的』と呼ばれることを人々は行っていた。
例えば、医療なんかでも治療技術が無いので、『お祈り』などで治療をしていた。
更に当時は、医療技術の方が悪魔的とされ、蔑まれていたという歴史もある。
しかし、現在においてそのような考え方を持っているものは居ない。
それは、医療技術が科学的根拠に基づいた、『現実的手法』であると言うことが、一般に理解されているからである。
科学が発展していくにつれ、魔法はしだいに衰退して行った。
だからこそ、科学と魔法は対比されるのである。
だが、他方でこれら二つは同一のものであるとする説があると言うことは前述の通りである。
理由としては、科学も魔法も同じ目的で生み出された技術だからだ。
つまり、根底が同じだからこそ、同一とされているのであると考えられる。
しかし不思議なのは、科学と魔法には他にも共通点があるということである。
一番大きな共通項として、『魔法の呪文』という存在があげられる。
古くから魔法というと、魔法の呪文を唱えることで、その効力を発揮するという情景が思い浮かべられることと思う。
この呪文という概念は、科学における『プログラミング』という技術に非常に酷似している。
まず、魔法において呪文を唱えるときは、魔道書や結界などと呼ばれる『媒体』を用意する。
そして媒体を用意した後に、呪文を唱え魔法を発動させる。
この媒体は、科学では『コンピュータ』に置き換えることが出来ると考えられないだろうか?
コンピュータにプログラムを打ち込み、実行させることで結果を得る。
この動作は、まさしく魔法の呪文のそれと同じではないだろうか?
まったくの余談ではあるが、プログラミングを行うときは、
必要なファイルを読み込んだりするため、決められた文章を先頭に記述しなければならない。
プログラミングを学習する際、初めこの概念が難しいため、『魔法の呪文』という言葉で、
一種の手続きとして、この動作を機械的に行わされる。
当然、プログラミングの知識がつけば、その『魔法の呪文』がなぜ必要なのか、の意味は理解できる。
よって、プログラミング上級者が、『魔法の呪文』という言葉を使うことは一切無い。
しかし、我々は寧ろそれは逆なのだと考える。
プログラム言語という文字の羅列そのものが、魔法の呪文であると考えられるからだ。
最近の魔法アニメにおいて、少し気にとめたものがある。
従来、魔法は魔道書などを媒体として発動させられているのだが、
そのアニメ内では、まるで機械のような媒体を使用し、魔法を発動させていた。
しかもこの媒体は、術者が呪文を唱えずとも、内蔵されたプログラム(アニメ内ではプログラムと表記されている)
により、状況に応じて自動的に魔法が発動するようになっている。
コンピュータも元々は計算機であり、計算機の初期といえばそろばんである。
いわば魔道書はコンピュータにおけるそろばんにあたり、
それが発展すれば自動的に魔法を生成するような媒体も登場しうる、という考えに基づいたアニメなのだと考えられる。
不思議なのは、このコンピュータとプログラムの関係が生み出されるよりもはるか昔に、
魔道書と魔法の呪文という関係が存在していたという事実である。
これは、魔法と科学が同一のものであると言う根拠であり、更に科学の祖先こそが魔法であると言えるのではないか?
3.魔法の証明
しかし、現実に魔法を扱う方法は未だ発見されていない。
それどころか、科学により魔法は否定されているのが現状である。
そこで、コンピュータと魔道書の関係を元に、魔法という存在をもっと現実的に捉えたいと思う。
コンピュータ上では、実に様々なものが表現できる。
我々の専門分野である物理学も、これに大きく貢献している。
ここで、3Dゲームを想像していただきたい。
仮想ではあるが、コンピュータ上で3次元空間を作り上げ、そこで物語が繰り広げられる。
そのコンピュータ上の3D世界では、魔法という概念が普通に存在する。
もちろん、これはプログラミングされた動作上でのことだが、3次元世界と魔法をつなぐ接点の一つであることに変わりは無い。
つまり、コンピュータの中でゲームの主人公達は『魔法』が使えるのである。
いくら3Dゲームとはいえ、パソコンの画面は平面である。
つまるところ、これは擬似3Dであり、ゲームの主人公達は全員2D世界の住人なのである。
結論だけ言えば、2D世界の住人には魔法が扱え、3D世界に存在する我々には魔法が扱えないことになる。
しかし、この2D世界の住人が使っている魔法の正体は、3D世界の我々が作り上げた『プログラム』である。
つまり魔法とは、(我々の居る世界を仮にn次元と仮定した場合)『n+1次元のプログラミング』と定義できるのである。
もし、ここで我々が4次元の世界へ移動することが出来、そこで3次元の世界に干渉するプログラミングが行えれば、
それこそが魔法になると考えられないだろうか?
4.空間と時間
ここで、次元の話をする必要が出てきたので、少し触れておこう。
我々が存在する3次元は、いわゆる『空間』と呼ばれる存在である。
0次元は点、1次元は線、2次元は平面と定義されている。
ここで抑えていただきたいのは、下次元から上次元への干渉は出来ないという点である。
点は線を描けないし、線は平面を描けない。
点が集まれば線にはなるが、その時点ですでにそれは1次元の物質である。
先ほどの項で4次元という言葉を使ったが、これは我々の眼には見えない。
この4次元という存在は、『時間』というふうに現在は定義されている。
しかし、空間の上が時間と言われても、納得できないかもしれない。
だが、これは間違いではないのだ。
実に、空間と時間という存在は密接に関わりあっている。
時間が無ければ、空間を移動することは出来ないのである。
簡単に例を挙げると、電車に乗って数分経つと、別の駅に降りることが出来る。
しかし、時間という概念が無ければ、電車に乗っても別の駅で降りることは出来ないのである。
つまり、時間なくして空間は存在しないとはそういうことなのである。
これは『算数』の話だが、速さには専用の単位が存在しない。
時速(km/時)だったり、分速(km/分)だったりと、時間と距離(空間)の単位を利用して、初めて速さは表現できる。
ここからも、この二つがいかに密接な関係にあるかが分かると思われる。
話を戻して、先ほど我々が出した結論から魔法エネルギーを導き出す場合、
我々はこの時間と呼ばれる4次元世界へ移動しなければならなくなる。
そうなると、これは一種のタイムスリップ現象を引き起こす必要があるという事に他ならない。
そもそも、タイムスリップとは何なのか?
一般的には、時間を移動することと捉えられているが、これは正解でもあり不正解でもある。
正しくは、『n+1次元へ行き、n次元に再び戻ること』を指す。
つまり、我々3次元に住むものは、4次元空間へ行き、再び3次元空間に戻ることをタイムスリップと言う。
だからこそ、4次元は『時間』と定義されているのだ。
そしてこのタイムスリップの現象は、2次元の世界で考えると良く分かるだろう。
ここで、一冊の漫画本を思い浮かべて欲しい。
その漫画の10ページのとある一コマに、その漫画の主人公が描かれていたとする。
ここに描かれている主人公は、『10ページ目』という『時間』に存在していると言って差し支えない。
その『10ページ目』に居る主人公が『9ページ目』に移動するにはどうしたらよいだろうか?
簡単である。
その『10ページ目』の主人公が実体化し、『9ページ目』に入っていけばいいのだ。
これは、漫画という2次元の世界から一時的に実体化し、3次元の世界を通り、再び2次元へと帰ったということである。
先ほど言った、『n+1次元へ行き、n次元に再び戻ること』に当てはまっている。
しかし、その漫画の『9ページ目』にも、主人公が描かれている(あるいは描かれていなかったにしても)
場合、そこへ10ページ目の主人公が現れたら、内容がおかしなことになる。
つまり、本来のストーリーとは違う『別のストーリー』が、その漫画上では展開されることになる。
それこそが、『パラレルワールド』なのである。
パラレルワールドは平行世界と呼ばれ、この世界と同じようで少し違う歴史が刻まれている世界である。
タイムスリップにより、過去や未来に干渉すると、本来の歴史とは違う歴史になる。
それら別々の世界は、パラレルワールドという形で平行に保たれ、同時に存在している。
このパラレルワールドこそが、4次元の正体であると言えないであろうか?
無数の三次元空間が平行して保存されている場所、それこそがパラレルワールドであり4次元の世界であると言える。
結論としてタイムスリップとは、平行世界を移動するということである。
5.おわりに
現在、我々が存在しているこの3次元空間では、魔法エネルギーというものは存在しない。
なぜならば、魔法とは3次元空間に干渉する『プログラム』であり、我々はその方法を会得していないからだ。
しかし、数ある平行世界には、そのような技術を会得している世界があっても不思議ではない。
我々は現在、可能性空間移動船と呼ばれる船を建造中である。
この船は4次元空間を移動し、別の3次元空間へと向かうことの出来る船である。
端的に言って、タイムスリップを行う船である。
この世界が科学の統一理論で出来ている世界であるのと同じように、
パラレルワールドには、全てを魔力で統一している世界も存在しているはずである。
その世界を見つけ出し、魔法エネルギーを入手し、物理学の分野に新たなる道を切り開くことを我々は約束する。
この宇宙は、4つのエネルギーによって支配されている。
それは、「重力」、「電磁力」、「強い核力」、「弱い核力」である。
はじめ、電磁力は「電気の力」と「磁気の力」に二分されていた。
しかし、19世紀初期にこの二つは同一のものであると物理学的に証明された。
これが世界で初めての「統一理論」であった。
そして今日、様々な物理学者がこの4つの力を統一するために様々な研究を行っている。
物理学は今、すべての力を統一した、「大統一理論」を完成させるために動いている。
しかし、「大統一理論」の完成は、すなわち物理学の終焉を意味することである。
なぜなら、この宇宙を支配している力の限界を知ることになるからである。
観測物理の世界においては、その現象が顕著に見られる。
小さな物体を分離させるのにかかるエネルギーは、対象物が小さいほどそれに反比例して大きくなる。
つまり、いずれ宇宙最大のエネルギーを使っても分離できない小さな物体に当たることになる。
すると、必然的にそれは世界の最小構成物質だということが証明できてしまう。
ここまで至れば、物理学は観測による研究が行えなくなり、ひいては哲学による研究分野へと変化する。
これを食い止めるためには、統一理論によるエネルギー限界説を覆す必要がある。
そこで、我々は物理学に新たなる見方を加えることを検討した。
統一理論によるエネルギー限界説を覆すには、統一理論に含まれないエネルギーが必要となる。
そこへ我々が注目したのは、『魔法エネルギー』である。
2.魔法とは何か?
魔法という概念は、実に古くから存在する。
一般的には、現実に不可能な手法や結果を実現する力として捉えられ、『科学』と対比して用いられることが多い。
しかし、人によっては『科学』と『魔法』は同一のものであると定義するものも少なくない。
科学と魔法の差は、一般的には現実的な手法、結果なのかどうかという観点で分けられる。
それは、『科学』というものが、現実の全てであるという解釈が根底に存在するためである。
科学が発展する以前は、現代における『魔術的』と呼ばれることを人々は行っていた。
例えば、医療なんかでも治療技術が無いので、『お祈り』などで治療をしていた。
更に当時は、医療技術の方が悪魔的とされ、蔑まれていたという歴史もある。
しかし、現在においてそのような考え方を持っているものは居ない。
それは、医療技術が科学的根拠に基づいた、『現実的手法』であると言うことが、一般に理解されているからである。
科学が発展していくにつれ、魔法はしだいに衰退して行った。
だからこそ、科学と魔法は対比されるのである。
だが、他方でこれら二つは同一のものであるとする説があると言うことは前述の通りである。
理由としては、科学も魔法も同じ目的で生み出された技術だからだ。
つまり、根底が同じだからこそ、同一とされているのであると考えられる。
しかし不思議なのは、科学と魔法には他にも共通点があるということである。
一番大きな共通項として、『魔法の呪文』という存在があげられる。
古くから魔法というと、魔法の呪文を唱えることで、その効力を発揮するという情景が思い浮かべられることと思う。
この呪文という概念は、科学における『プログラミング』という技術に非常に酷似している。
まず、魔法において呪文を唱えるときは、魔道書や結界などと呼ばれる『媒体』を用意する。
そして媒体を用意した後に、呪文を唱え魔法を発動させる。
この媒体は、科学では『コンピュータ』に置き換えることが出来ると考えられないだろうか?
コンピュータにプログラムを打ち込み、実行させることで結果を得る。
この動作は、まさしく魔法の呪文のそれと同じではないだろうか?
まったくの余談ではあるが、プログラミングを行うときは、
必要なファイルを読み込んだりするため、決められた文章を先頭に記述しなければならない。
プログラミングを学習する際、初めこの概念が難しいため、『魔法の呪文』という言葉で、
一種の手続きとして、この動作を機械的に行わされる。
当然、プログラミングの知識がつけば、その『魔法の呪文』がなぜ必要なのか、の意味は理解できる。
よって、プログラミング上級者が、『魔法の呪文』という言葉を使うことは一切無い。
しかし、我々は寧ろそれは逆なのだと考える。
プログラム言語という文字の羅列そのものが、魔法の呪文であると考えられるからだ。
最近の魔法アニメにおいて、少し気にとめたものがある。
従来、魔法は魔道書などを媒体として発動させられているのだが、
そのアニメ内では、まるで機械のような媒体を使用し、魔法を発動させていた。
しかもこの媒体は、術者が呪文を唱えずとも、内蔵されたプログラム(アニメ内ではプログラムと表記されている)
により、状況に応じて自動的に魔法が発動するようになっている。
コンピュータも元々は計算機であり、計算機の初期といえばそろばんである。
いわば魔道書はコンピュータにおけるそろばんにあたり、
それが発展すれば自動的に魔法を生成するような媒体も登場しうる、という考えに基づいたアニメなのだと考えられる。
不思議なのは、このコンピュータとプログラムの関係が生み出されるよりもはるか昔に、
魔道書と魔法の呪文という関係が存在していたという事実である。
これは、魔法と科学が同一のものであると言う根拠であり、更に科学の祖先こそが魔法であると言えるのではないか?
3.魔法の証明
しかし、現実に魔法を扱う方法は未だ発見されていない。
それどころか、科学により魔法は否定されているのが現状である。
そこで、コンピュータと魔道書の関係を元に、魔法という存在をもっと現実的に捉えたいと思う。
コンピュータ上では、実に様々なものが表現できる。
我々の専門分野である物理学も、これに大きく貢献している。
ここで、3Dゲームを想像していただきたい。
仮想ではあるが、コンピュータ上で3次元空間を作り上げ、そこで物語が繰り広げられる。
そのコンピュータ上の3D世界では、魔法という概念が普通に存在する。
もちろん、これはプログラミングされた動作上でのことだが、3次元世界と魔法をつなぐ接点の一つであることに変わりは無い。
つまり、コンピュータの中でゲームの主人公達は『魔法』が使えるのである。
いくら3Dゲームとはいえ、パソコンの画面は平面である。
つまるところ、これは擬似3Dであり、ゲームの主人公達は全員2D世界の住人なのである。
結論だけ言えば、2D世界の住人には魔法が扱え、3D世界に存在する我々には魔法が扱えないことになる。
しかし、この2D世界の住人が使っている魔法の正体は、3D世界の我々が作り上げた『プログラム』である。
つまり魔法とは、(我々の居る世界を仮にn次元と仮定した場合)『n+1次元のプログラミング』と定義できるのである。
もし、ここで我々が4次元の世界へ移動することが出来、そこで3次元の世界に干渉するプログラミングが行えれば、
それこそが魔法になると考えられないだろうか?
4.空間と時間
ここで、次元の話をする必要が出てきたので、少し触れておこう。
我々が存在する3次元は、いわゆる『空間』と呼ばれる存在である。
0次元は点、1次元は線、2次元は平面と定義されている。
ここで抑えていただきたいのは、下次元から上次元への干渉は出来ないという点である。
点は線を描けないし、線は平面を描けない。
点が集まれば線にはなるが、その時点ですでにそれは1次元の物質である。
先ほどの項で4次元という言葉を使ったが、これは我々の眼には見えない。
この4次元という存在は、『時間』というふうに現在は定義されている。
しかし、空間の上が時間と言われても、納得できないかもしれない。
だが、これは間違いではないのだ。
実に、空間と時間という存在は密接に関わりあっている。
時間が無ければ、空間を移動することは出来ないのである。
簡単に例を挙げると、電車に乗って数分経つと、別の駅に降りることが出来る。
しかし、時間という概念が無ければ、電車に乗っても別の駅で降りることは出来ないのである。
つまり、時間なくして空間は存在しないとはそういうことなのである。
これは『算数』の話だが、速さには専用の単位が存在しない。
時速(km/時)だったり、分速(km/分)だったりと、時間と距離(空間)の単位を利用して、初めて速さは表現できる。
ここからも、この二つがいかに密接な関係にあるかが分かると思われる。
話を戻して、先ほど我々が出した結論から魔法エネルギーを導き出す場合、
我々はこの時間と呼ばれる4次元世界へ移動しなければならなくなる。
そうなると、これは一種のタイムスリップ現象を引き起こす必要があるという事に他ならない。
そもそも、タイムスリップとは何なのか?
一般的には、時間を移動することと捉えられているが、これは正解でもあり不正解でもある。
正しくは、『n+1次元へ行き、n次元に再び戻ること』を指す。
つまり、我々3次元に住むものは、4次元空間へ行き、再び3次元空間に戻ることをタイムスリップと言う。
だからこそ、4次元は『時間』と定義されているのだ。
そしてこのタイムスリップの現象は、2次元の世界で考えると良く分かるだろう。
ここで、一冊の漫画本を思い浮かべて欲しい。
その漫画の10ページのとある一コマに、その漫画の主人公が描かれていたとする。
ここに描かれている主人公は、『10ページ目』という『時間』に存在していると言って差し支えない。
その『10ページ目』に居る主人公が『9ページ目』に移動するにはどうしたらよいだろうか?
簡単である。
その『10ページ目』の主人公が実体化し、『9ページ目』に入っていけばいいのだ。
これは、漫画という2次元の世界から一時的に実体化し、3次元の世界を通り、再び2次元へと帰ったということである。
先ほど言った、『n+1次元へ行き、n次元に再び戻ること』に当てはまっている。
しかし、その漫画の『9ページ目』にも、主人公が描かれている(あるいは描かれていなかったにしても)
場合、そこへ10ページ目の主人公が現れたら、内容がおかしなことになる。
つまり、本来のストーリーとは違う『別のストーリー』が、その漫画上では展開されることになる。
それこそが、『パラレルワールド』なのである。
パラレルワールドは平行世界と呼ばれ、この世界と同じようで少し違う歴史が刻まれている世界である。
タイムスリップにより、過去や未来に干渉すると、本来の歴史とは違う歴史になる。
それら別々の世界は、パラレルワールドという形で平行に保たれ、同時に存在している。
このパラレルワールドこそが、4次元の正体であると言えないであろうか?
無数の三次元空間が平行して保存されている場所、それこそがパラレルワールドであり4次元の世界であると言える。
結論としてタイムスリップとは、平行世界を移動するということである。
5.おわりに
現在、我々が存在しているこの3次元空間では、魔法エネルギーというものは存在しない。
なぜならば、魔法とは3次元空間に干渉する『プログラム』であり、我々はその方法を会得していないからだ。
しかし、数ある平行世界には、そのような技術を会得している世界があっても不思議ではない。
我々は現在、可能性空間移動船と呼ばれる船を建造中である。
この船は4次元空間を移動し、別の3次元空間へと向かうことの出来る船である。
端的に言って、タイムスリップを行う船である。
この世界が科学の統一理論で出来ている世界であるのと同じように、
パラレルワールドには、全てを魔力で統一している世界も存在しているはずである。
その世界を見つけ出し、魔法エネルギーを入手し、物理学の分野に新たなる道を切り開くことを我々は約束する。
二次創作の醍醐味を感じた。
文中に(岡崎,1997)とかあるとわくわく。