Coolier - 新生・東方創想話

火焔猫

2011/02/07 11:41:59
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火焔猫

  一

 貴方様がこの里に招かれた所以で御座いますか?ええ、別に、今更隠すことでは御座いませんから、仔細申し上げてよう御座いますが、今更その様な昔話をお聞きになるのはどうしてでしょうか?はぁ、なるほど。寺子屋が作られるまでの経緯を子供達に教えて差し上げたいと。それでしたら、概ね貴方様がご存知であるところで、充分かと思いますが。ええ、左様で御座いますか。いや、貴方様は大変真摯なお方で御座いますから、多少の瑕疵もあってはならないと思って、その様に詳しく調べなくてはならないと思われるのでしょう。宜しゅう御座います。書を紐解く必要は御座いません。全て私の知悉するところで御座いますから、間違いありません。ただ、多少長い話になるやも知れませんから、お茶でも入れてお持ち致しましょう。

  二

 さて、貴方様が起こしになる一年ほど前、この里には正十郎と言う名の行商と、その娘の小夜とが住んでおりました。えぇ、この正十郎と言う者の名は、ご存知でしょう。あの、背はそれほど高くありませんが、どっしりとして益荒男さびた、大丈夫です。里の者からは、虎児などとあだ名されておりましたのは、その男ぶりにも起因することで御座います。そうして、また、行商人と呼ぶよりは豪傑染みたこの男は、一人娘をかわいがることが他に類を見ないほどで御座いました。えぇ、もちろん、外目にそう分かるような、そういったことは御座いませんでしたけれども、その心の内は、誰にだって分かるくらい、なんとまぁ、優しい目で娘を見る、そんな男で御座いました。それが虎の我が子を愛でるが如きものでありましたから、あれは虎の生まれ変わりに違いないだのと、酒の席で言う、中々洒落た者がおりましたそうで、それから、密かに虎児などと呼ぶものもおりました。これもご存知で御座いましたか?作用で御座いますか。ただ、その娘の名前まではご存知ではなかったと見えますね。ええ、この小夜と言う女は、まるで父親に似るところの無い、雪の様な白い肌をした、華奢でどこか品のある、器量持ちでした。本来は、この娘のことを話す必要は無いのですが、全様を詳しくお知りになりたいとのことで御座いますから、この娘の話もせねばなりますまい。

  三

 それで、この二人は、まぁ、貧しい暮らしをしておりました。行商と言っても、儲かる仕事はしておりませんでした。冬の間娘と編んだ草履だなんだといった物を、春になって西の方に売りにいって、そこで藤布なんかを買って来ては、こちらで売って、またその間に娘のこさえた物を、今度は東国に持って行って売って、帰りには針なんかを持って来て……そうして二人で、やっとこさの生活をしておりました。これが戦国の時代であれば、正十郎も、虎児の名に恥じぬ、戦働きで以てして、娘を養ってやれなくもなかったのでしょうが、如何せん徳川の太平の世で御座いましたから、他に身を立てる術もなかったので御座います。平和なことが、幸福とならない、哀れな境遇の男でありました。
 それは妙な話だと仰るのですね?えぇ、その通りで御座います。如何な益荒男とて、戦乱よりは平和な時代のほうが良う御座いましょう。まぁ、これにも理由が御座いまして……え、そうではない?はぁ、男親と娘二人の生活で、行商の身でありながらどうして貧しいことがあろうかと。確かにそうで御座います。そうお金になる物は売っておりませんでしたが、それでも百姓暮らしよりはよっぽど金になりましたからね。本来は、慎ましやかな二人暮らしで御座います。商人らしい生活を送って然るべきもので御座いました。が、事実は異なり、娘はいつも藤柄の使い古した服を、あちこち継ぎ接ぎして着ておりましたし、年の頃にも関わらず、かんざしの一つも持っておりませんでした。それには理由があります。この娘は、元々身体の弱い子供で、常時薬師から処方してもらった丸薬を欠かすことの出来ない、哀れな娘だったのです。そのために、二人の生活は、余裕のないものとなっておったのです。

  四

 最も、余裕が無いと申しましても、それはお金の上で余裕が無かっただけで御座います。貧しくとも、品性を貶めず、また楽しみを失わずに生きることの出来る、そういった者達も、世の中にはいるもので、この二人もその一つに数えられるべき家族で御座いました。
 例えばこの男は、まぁ、信心深い男で、行商の折、何処何処の神社に参って来たと言った、土産話に事欠かない男でした。そうして、お前さんのためにお祈りして来たから、なぁに、病気もそのうち、嫁に行くころには治っているさと、健気なことをよく言っておりました。最も、その土産話は、商いのためにもなるものでありましたけれども、だからと言って、父親の娘を思う気持が嘘になるものではないことは、よくよくご理解頂けることと存じ上げます。
 また、あるとき、里の近くで、独り者が、病に臥して倒れたことが御座いました。身元も分からぬ独り者ですから、当然これは、里の外れの小屋において、生きればよし、死ねばそれまでとするのが、通例で御座います。これは何処のお国へ行っても、同じことで御座いましょう。が、たまたまその男を見つけたのが、この男で御座いました。これも何かの縁だと思ったのでしょうか?或いは、さすれば神様の思し召しもあらんと思ってのことでしょうか?いずれにしても、元来の優しい心地がそうさせたことは間違いありません。その旅人を家に連れて行き、粥を食わせ、薬を飲ませ、介抱してやったそうで御座います。幸いその旅人はすぐ良くなり、いつまで礼を言っても言い足りぬくらいの礼を言って、旅立って行きました。どうやら、これからは不良な生き方を改めようと思うなどと言っておったそうですから、田舎に帰って、百姓暮らしでもするので御座いましょう。この旅人を養っておったために、これは近くの者が、後年ポツリと話したことですが、どうも二人は、しばらくは水を啜るような生活をしておったそうで御座いますから、何とも健気な話で御座います。

  五

 さて、この娘ですが、ある春、床下に猫の家族が住み着いたことに気がつきます。元来気の優しい娘ですから、子猫が「な~ご、な~ご。」と鳴くのを聞いて、「あら、かわいい。貧しい家でも、賑やかになって楽しいわ。」くらいに思って、そのままにしておいてやったそうです。ですからきっと、父親が帰って来ても、「新しい家族が出来て嬉しいですわ。」くらいのことを言って、微笑んでいたに違いありません。父親も、猫が住み着いたくらいで小言を言う様な男ではありませんから、そのままにしておいたようです。ところが、しばらくすると、どうも猫達の元気が無くなったように思えます。どうしたことかと思って、娘はたいそう心配して、父親もかわいそうに思ったのでしょう、床下を剥いで、見てみました。すると、母猫は産後の肥立ちが悪かったものと見えます。すっかり死んでしまって、子猫たちも、ぐったりとして、元気がありません。もう少し早く助けてやったら、他の子猫たちも助かったのかも知れませんが、結局、一匹の黒猫だけが何とか生き永らえて、他の子猫は皆死んでしまいました。
 どうやらこの娘は、親猫や子猫を死んでしまったことを、自分の責任に感じたようで、その分この黒猫をたいそうかわいがってやっておりました。手前にかんざしの一つもないのに、かわいい鈴をこの黒猫につけてやって、黒猫が「りん、りん。」と音を立てて遊ぶ様を、たいそう喜んだそうで御座います。父親も、そうして子猫をあやす娘を見て、或いは病に苦しむ娘の、良い遊び相手になってくれるやも知れぬと思ったのでしょうか。余裕のある生活ではありませんでしたが、元々、猫など餌をやって養う畜生でもありませんことは、ご存知の通りです。小さいころは、多少飯をやっても、大人になれば、たまに残飯をやる程度のもので御座います。大体そこいらの猫を見ても、脇腹の浮き出て、頬の痩せたものしかおりません。それが、猫と言うもので御座います。ですから、猫を飼いたいと言っても、父親が反対しなかったのは、道理として理解できることであります。精々の出費は、その鈴の代金くらいで御座いましょう。それも、見知らぬ旅人のために、水を啜って飢えをしのぐ親子で御座いますから、慳貪は言わなかったのは当然で御座いましょう。

  六

 さて、この黒猫、流石に私とて、猫の名までは聞き及んでおりませんから、黒猫と呼んで参りますが、中々聡い猫であったようです。
 例えば、鼠を狩ることは、他のどの猫よりも上手で御座いました。時には、自分の身の丈よりもよっぽど大きな鳥を捕まえてきて、娘へ献上する、恭しいもので御座いました。猫も中々どうして、忠義の心を弁えていると見えます。「やはり虎の孫もまた虎だ。」などと言って、近くのものは、その黒猫の狩人振りを褒め称えたそうで御座います。虎柄でないのは多少の落ち度で御座いますが、まぁ、そんな出来すぎた話は世の中にはないもので御座います。ですがかえって、「いや、あれは音に聞く豹という奴だ。」などと言って、話を盛り上げる知恵者もおりました。全く面白い者は、いつの時代にもおるものです。しかし、本当に、虎や豹に劣らぬ、見事な狩の腕前であったようで御座います。
 また、この黒猫、父親が行商から帰って来ると、全く不思議なもので、里の離れまで行って、お利口に座って待っていたそうです。そうして、「な~ご、な~ご。」と愛嬌のある声で出迎えて、鈴の音を鳴らしながら、かわいく一緒に帰って来ておったそうです。これは何も父親ばかりではなくって、娘がちょっと用事で出たときなども、家の近くまで来ると、何処からか「りん、りん。」と鈴の音がするかと思えば、ひょんと飛んできて、愛嬌を振舞うさまが、見られたことを聞き及んでおります。はい、全く不思議なものです。ですがこれも、後になってみれば、不思議でも何でもないことで御座います。えぇ、その理由は、もちろん後で申し上げます。が、話には筋が御座いますから、今はご勘弁くださいまし。

  七

 こういった様子で、親子と黒猫と、仲良く慎ましやかに暮らしていたのが、三年ほど続きました。その間、この家族は、それは大して変わらぬ貧しい生活で御座いましたが、この通り、立派な益荒男と、優しい娘と、愛嬌のある猫との生活で御座いましたから、里の者は皆、親しみこそ持て、恨みを持つことはありませんでした。道を歩けば、鈴の音がするので、皆がそれをかわいく思って、声をかけてやって、たいそう楽しげに日々を送っておったそうで御座います。その噂は、滅多に外に出ることがなく、病に臥しがちな私のところまで届くほどで御座いましたから、それはよっぽど、里の者から愛されておった証拠となりましょう。
 さて、その頃、ある御触れが、このあたりの里里に建てられました。えぇ、それがご存知の通り、あの盗人、小狼太を捕らえたるものに恩賞を授けるとの御触れで御座います。当時小狼太と言えば、このあたりで知らぬものが無い義賊でありました。丁度、日本左衛門が喝采を受けた、享保の改革の時代でしたから、お上も憂いて、何としてもこれをひっ捕らえようとしたのでしょう。幕府が直接動くようなことになれば、責任を問われて、城主様は、掛川城主の小笠原長恭と同じように、転封を命じられるに違いありません。多分に保身があったことは、言うまでもないことで御座います。が、その動機と振る舞いは如何にしても、義賊といえ泥棒は泥棒ですから、許してはおけません。私達の里でも、何か手がかりはないかと、皆で話し合って、少しでもお上に協力しようとしました。万が一にでも、里から盗人が出て、それを捉えることなくあったとすれば、これはもう、一大事で御座いますからね。潔癖を証明するためにも、必死になって情報を集めておりました。
 ですが、やはり当時、何処の家も厳しい生活を強いられておりましたから、お上に対しては、庶民が反感を持つのも、仕方のない話です。里の中でも、地位ある者は、道理をわきまえて、何とか小狼太の情報を集めよう、これを捕らえようと頑張りますが、下々の真面目な協力が無くては、小狼太の様な、独盗は、捕まえられないものであります。徒党を組んでおれば、また別なのですが、顔も分からぬ、居場所も分からぬでは、庶民の内から、何か怪しい奴を見つけて、監視するほか無いわけです。ですから、上のものがどう頑張っても、いっこうに小狼太の情報などは集まって来ませんでした。それでも、諦めることなく、里長たちは、賢明に小狼太を探したのであります。

  八

 さて、此処からはもう、貴方様もご存知のことで御座いましょうから、少し話を急ぐことに致します。えぇ、小狼太こと正十郎は、里の者達の手によって捕らえられ、城主様の下に送られ、すぐさま打ち首となります。しかしその死に様の見事であったことは、伝えられた通りです。
 斬首の刑に処される時になると、「あっしは、盗人で御座いますが、これ、わっぱはゴメンでさ。」と言って、飄々と斬首の席に着き、「此の度は、あっしのために、ご苦労をお掛けして申し訳ねぇ。」などと、首切りの偉丈夫に語りかけたのは、随分な語り草になりました。そうして偉丈夫が首を刈ろうとするのですが、どうにも首切り刀が重くて仕方ない。気合を入れなおし、もう一度と振りかぶるも、どういうことか、振り下ろすことは出来ない。それを見ておった者が、どうしたことかとざわめき始めて、偉丈夫はそれで喝が入ったのでしょう。居合わせた者が、余りに大きな音に驚くくらい、パーン、パーン、と、頬を二度叩いて、真っ赤になりながら、目をかっと見開いて、身体ごと切りかかって、ようやく勤めを果たせたそうで御座います。音に聞こえし義賊の小狼太、まさにここにありと、まざまざに見せ付ける死に様で御座いました。
 そうして里は、小狼太を見事掴まえたのは天晴れであると、恩賞を授かり、それで、当時、江戸で噂されておりました、高名な学者様であった、貴方様に来て頂いたので御座います。急なことで御座いましたし、御用時があるとのことで、お越し頂くまでに一年と、もう少しかかりましたか。こちらとしても、お迎えする屋敷を建てねばなりませんでしたので、ちょうど良いではないかと相成ったわけです。しかし、まさかあの名伯楽が、半獣であったとは、いえ、思いもよらないことでしたので、それは驚きましたが、まぁ、幸いこのあたりは昔から妖怪が多く、中には人に溶け込むものもおりましたから、その一人なのだと思って、案外我々もすんなりと受け入れられたものです。よくよく考えてみれば、天狗の餅屋に秘伝の技を教えたことだの、大喰らいの蛇が養ってくれた爺婆に恩返しをしただの、河童が川に流されたしまった里の者の道具を修理して持って来てくれただの、化けるのに失敗した狐が里の者と一緒に笑い転げておっただの、この里には昔から、良い妖怪との話も多く伝わっております。もちろん、多くの里の者には、貴方様の素性は、最近まで秘密であったわけですけれども。そのために、中々貴方様も苦労なさったので御座いましょう。しかし、はて、果たして江戸ではどのようにして身の上を隠していらっしゃったのでしょうか……いや、これは詰まらない詮索でした。強いてお聞きするつもりは御座いません。
 さて、正十郎の話は、これでお終いです。このことは、貴方様が既にご存知であった通りで御座いましょう。ですが、実は隠された話が御座います。それは、この正十郎がお縄につくまでの話と、その後の小夜のことと、そうして、この黒猫の正体のことで御座います。
 ですが、続きをお話する前に、お茶の御代わりを入れて参りましょう。私も、少し話過ぎて、疲れましたからね。

  九

 それでは、隠された話を、明らかに致しましょう。
 まず、正十郎がお縄につくまでの話で御座いますが、正十郎を小狼太として町奉行の下に通報したのは、その娘の小夜で御座います。ただ、表立っては、里長たちが正十郎を小狼太であることを突き止め、ひっ捕らえたことになっておりますのは、理由があってのことです。
 貴方様もご存知の通り、世には連座制と言うものが御座いまして、父親の正十郎が盗人として捕らえられ、斬首となれば、必然娘の小夜も斬首となる他に御座いません。が、流石にそれは哀れであると言うのが、我々、正確には、私自身ではありませんが、我々の考えで御座いました。ですから、何とかして城主様に、小夜を許してやって欲しいと、直訴するべきだというのが、結論で御座いまして、実際に小夜は、小狼太であった父を町奉行へ通報して捕らえさせるほど、正義感の強い、立派な娘でしたから、どこかの寺にでも行って、尼となるのであれば、確かに話としては通りそうでありました。が、そのためには、当然当時の慣習に則り、里長が直訴に行かねばなりませんし、お上に直訴することは当然大罪ですから、その結果如何に関係なく、里長は切腹と相成るわけで御座います。このあたりは、今更私がご説明申し上げるまでも御座いません。それで、里長も、「よし、俺も男だ。」と言って、覚悟を決めておったのです。そうして、人をやって、その旨を小夜のところへ伝えに行ったのですが、小夜の家からは、人の気配が致しません。はて、どこか買い物へでも行ったかと思い、まぁ、仕方が無い。そこいらにおるだろうと、近所の者に居場所を聞いても、判然と致しません。仕方が無いので、里長の下に帰って、どうもいないようだと話すと、そんな馬鹿なことはあるまいと、今度は里長直々に小夜のところへ赴きます。が、もう日も暮れそうだというのに、小夜は帰って来ておりません。明かりもついておりません。これはおかしいと思っていると、家の中から、なんとも悲しげな声で、「な~ご、な~ご。」と鳴く声が致します。その声を聞いていると、里長は妙な不安を感じて、玄関の戸を開けようとしますが、これは閉まっておりました。それで、裏口に回ると、そこは開いておりましたから、そこから中に入ってみると、そこには、首を吊った小夜の死体があったのです。里長は、「あぁ、しまった。」と思いました。小夜は、もうお分かりでしょうが、身体は弱くとも、大変気丈で、心の優しい女子でしたから、道理を心得て、また、里長たちがどうするのかをよく察して、気遣い無用と、潔く首を吊って死んだのであります。
 里長は小夜の死体を見上げると、がっくりと肩を落として、「面目ねぇことをした。」と言って、小夜の下で鳴いている黒猫の、そのがりがりにやせ細ったあばら骨をさすってやりながら、「ほんとに、義賊の血ってのは、あるんだなぁ。」と言って、大きな溜息をついたそうです。これは里長が、生前、何度も何度も、秘密を知る里の男どもと酒を交わした際に、こぼしていたことでありますし、私も、それは聞いたことを覚えております。本当に、先代以前の記憶で、こうもはっきりと残っているものは、そうそうあるものでは御座いません。よほど、ご先祖様も、このことは心打たれたと思われます。
 こうなっては、手柄を小夜のものとしておいても意味がありませんし、また、それは小夜の望むところではないことは明らかでした。ですから、里の男衆は、事件の真相は隠してしまって、里の手柄にしよう、そうして、里が汚名を被らないようにしよう、また、恩賞は、つとめて村のためになることに使おう、せめて小夜は厚く弔ってやろうと、諸種の決め事をしたのです。それで、貴方様がご存知であった通り、表立っては、里長たちが、一緒になって盗人をひっ捕らえて、その恩賞で、寺子屋を建てて、先生を呼んだことになっているので御座います。

  十

 さて、この話にはまだ続きが御座います。残された黒猫の話です。
 この黒猫は、私の下で引き取られることになりました。私はこの身の上で御座いますから、子を持ちません。もとより短命なこの身を割く余裕は、ないので御座います。ですが、それ故で御座いましょうか、何とも命の愛しいことはないので御座います。これは、当代の私がそう強く感じると言うことも御座いますが、途切れ途切れにある先代以前の記憶も、大体のものは、他愛の無い、しかし、日常にある、とても暖かな、そういった命の喜びを感じるものばかりで御座います。或いは、定めなれども、悲しむべき物語ばかりで御座います。意外と、公文書に記録されるような、大事なことは、覚えていないもので御座います。人間とは、果たしてそういったものかも知れませんね。
 おっと、これは話が横にそれてしまいました。それで、その黒猫は、かわいそうに思ったご先祖様が、我が家に引き取ることと相成ったので御座います。まぁ、これについては、例えばご先祖様が引き取らずとも、懇意にしておった里の者が、誰か引き取ったでありましょうから、どちらかと言えば、ご先祖様の、この黒猫を飼いたいという想いに従ったもので御座います。それが、哀れでまた尊いものであることは、先ほど申し上げた通りで御座いまして、ご理解頂けるかと存じ上げます。
 ただ、そう相成ったので御座いますが、ついぞ黒猫がご先祖様の飼い猫となる、その日は訪れませんでした。それは何故かと言うのが、これから最後、お話致しますことで御座います。
 
  十一

 さて、小夜で御座いますが、かわいそうなことでありますから、懇ろに弔ってやろうと相成り、死に化粧を施してやって、死に装束を着せてやって、火葬にて弔ってやることとなりました。ご存知の通り、火葬は土葬よりも大変で御座いますから、通常は土葬にするので御座いますが、恩賞のお金が御座いますから、誰もが火葬にて弔ってやろうと言うことになりました。そうして、生前はかんざし一つ持たぬ、まるで化粧気の無い、それでいてとてもとても良い器量の娘でしたから、それでは余りにもかわいそうじゃないかと思った商人のお上が、嫁ぐ前に着ておりました、桃色羽二重の、決して安いものではありませんでしょう、着物の良さは裏地に表れるなどと粋な人は言いますが、それが見てよく分かりました、五つ紋こそありませんでしたが、はじめての振袖を死に装束に着せてやったので御座いますが、それのまぁ、なんと綺麗なことでしょうか。首吊りの死体などは、糞尿を垂らして、首をくくって血が顔に溜まるものですから、決して死に顔なども良くないので御座いますが、その娘は、死んでいることも不思議に思われる、ともすると寝ているだけではなかろうかと思うくらい美しい死に顔で御座いました。それがまた、見るものの哀れを誘ったことは、言うまでもないことで御座います。それだけでも、胸の詰まる思いがするというのに、黒猫が、やはり悲しい調子で、「な~ご、な~ご。」と鳴いて、小夜の近くを離れようとしないのですから、死に化粧をしてやっていたお上など、その中途で涙がはらはらと零れて、死に顔を濡らしてしまったとのことであります。それも詮方ないことで御座いましょう。そうして、後生だからと、黒猫を小夜から離してみても、じきに「りん、りん。」と鈴の音が聞こえて来るので御座います。私もこのことは、人伝えに聞く限りで御座いますが、それでも、お話申し上げておりますと、何か堪えがたいものが御座います……。

  十二

 小夜を火葬にて弔わんと、男衆の用意が終わって、火をくべてやって、皆で、と言っても、事情を知る者はそう多くは御座いませんでしたので、大多数の里人は、苦に思って自殺したのだろうと考えておりましたから、参列することは御座いませんでした。その方が都合の良かったことは、お察し頂けるかと思います。とにかくそうして、少ないながらも、事情を知る者は厚く弔ってやったので御座います。念仏のこだまする厳かな雰囲気の中、火の美しく燃え上がる様は、如何にも厳粛に思えましたし、また一方で、如何にもちぐはぐな気も致しました。ただ、その二つともが、幻想的と申しましょうか、現世のこととは思えぬ様でありましたことは、記憶にしっかりと残っております。そうして、皆が、思い思いに、しかしぼうっとした心地で、その火を見つめておりますと、どこからか、「りん、りん。」と、鈴の音がするのであります。そう、あの黒猫が、どこからかやって参ったので御座います。それに一番早く気がついたのは、正しく私で御座います。余りにもかわいいその命が、悲壮に歩き寄る様は、如何に言葉に出来ましょうか。そうして、こちらへと手を招いてやると、なんとも素直に、私の下へ来て、何も言わずに抱かれるのであります。抱いてみると、そのあばら骨の浮いたこと、頬の痩せたこと、華奢で軽いこと、それが如何にも物悲しくありました。火の光も、その時は、この黒猫を無慈悲に照らしているように思えました。そうして、私は悲しくなって、涙が一筋、滴り落ちるのを感じました。そうして、風が少し、いやにむわっと吹いて、妙な生臭さを感じました。焼けた人の匂いで御座いましょうか?それがいっそう辛くて、涙が更に一筋落ちて、それが、或いはこの黒猫の、小さな顔に掛かったかも知れません。そのとき、お上の、死に顔を濡らしたとの言葉を思い出して、ハッとこの黒猫を見ようとした時です。急に颶風来るやと思うほどに風の勢いが強まり、火の粉がそこいらに飛びます。そうして、火は天を突くほどに高く舞い上がり、その日の只中に、一匹の黒猫が、身を投げ出しておりました。そうして、その黒猫が火の中に入るや否や、更に火は勢いを増し、念仏唱えたる僧も驚き身を引き、里の男どもも後ろ去り、何事かと呆気に取られていると、火の中から一匹の真紅の、あれは確かに、虎に違いありませんでした。二股の化け虎が、何物かの頭を口に咥えて、空中で身を震わせて、火の粉を吹き散らしながら、東北の方角を一睨みしたかと思うと、一気に跳躍して、空を駆けていったのであります。その余りのすさまじさに、色を失わない者はおりませんでした、気をやったものも、たくさんおりました。ですが私は、驚きましたが、不思議と恐ろしさは感じませんでした。そうして、里の者は一人たりとも、傷を受けたものはおりませんでした。あれほどに狂い猛る火の勢いであれば、一人くらいは、火の粉にやられてもおかしくはなかったので御座いますが……。

  十三

 その後のことで申し上げるべきことは三つで御座いましょうか。
 第一に、小夜のしゃれこうべが無くなっていた事。
 第二に、猫の骨は見つからなかった事。
 第三に、斬首の刑に処されて、晒し首となった正十郎の首の横には、得体の知れぬ、焼けて焦げた、しゃれこうべが一つ、人知れず置いてあったとの事。
 これ以上は、語るべきことは御座いません。果たして真実はどうであるのか、私には判然と致しません。が、慧音さん。どうかこのまま、知らぬことにしてやってくれませんか?先代もそれを望んでおります。そのご先祖様たちも、そう望んでおります。知られずに、そうっとしておいてやったほうが、仕合せなことも、私はあると思うのです。
純粋に、面白い物語を作ってみました。
これまでに色々とコメントを頂き、それを活かして書いたつもりです。
芥川龍之介の『地獄変』からインスピレーションを得ていますが、話はまるで別物です。
東方を知っていたらクスリと出来る程度の話を目指しました。
雲井唯縁
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コメント



0.230簡易評価
1.無評価名前が無い程度の能力削除
これが純粋に面白い作品なのか、純粋な気持ちで面白い作品を作るように努力したのか。
どっちにしろ自分は点数はつけられないっすね。
4.30昼風呂only削除
全く話の流れが掴めませんでした。
阿求→慧音だと思うんですが、何故阿求は慧音にこの話をしたのでしょう?「知らぬことにした方がよい」というのなら尚更阿求自身の中に留めておくべきなのでは?里に伝わる小狼太の最期の伝承を書き換えてくれと頼んでいるんでしょうか?でも里の人は本当の事を知らないから、歴史を書き換える必要性はないですよね?何にせよ物語の意図が読めません。

細かい指摘をすると、正十郎=小狼太の理由がわかりません。物語が飛躍しすぎです。正十郎は良い人で話が進んでいたのに、いきなり名を知らぬ人がいない程の盗人に成り下がった理由はなんだったんでしょう?全くわかりません。
また、黒猫は登場しましたが、お燐が全く登場しませんでしたね。最後に出てきた火の虎がお燐ですか?よくわかりません。人の形をしているか、せめて化猫の形(尾が二本とか)で出てきて欲しかったです(←個人的にお燐が好きなだけなんですがw)。お燐タグで釣られてきたので少々騙された気になりました。
5.無評価雲井唯縁削除
>昼風呂onlyさん

説明した理由としては、それは当事者だったからです。
当事者である以上、知る権利はあるし、もう昔の話なのだから説明するということですし、
そうして説明しておいても、この人は理解してくれるのだと言う話だったのです。
そういう、お互いに会い通じるところのある人間同士の美しさが此処にはあるのです。

正十郎は、いきなり名を知らぬ人がいない程の盗人の成り下がったではないんです。
むしろ、余りにも良い人であったから、彼は義賊だったのであって、またそれ故、彼の娘も、首を吊って死んだわけです。
幾ら金を得ても、あくまで義賊としてあった。
厳密に言えば、義賊であるから必ずしも大衆に金を撒いていたと言う話にはなりませんが、彼は、振る舞いとしては、一般的なイメージとしてある鼠小僧なんですね。
だからこそ、世間の人も、子狼太が誰であるかを探そうとはしなかったのです。
それにも関わらず、最後この親子は、自分の身を投げ出してしまう。
そこに義賊なりの美しさを見て欲しかったのです。

化け猫の形に関しては、今丁度自分も、あぁ、流石にあそこは、二股にしてやらねばならなかったなぁっと思って、修正を入れようとしたところでした。これは今、修正を入れます。
9.無評価名前が無い程度の能力削除
どの作品見ても思うけど、コメレスとあとがきでグダグダ解説しないと読者に伝わらない、
自己完結で満足してる独りよがりな話が多いなあと思います。
これはこれこれこういう理由なのです、そこに美しさがあるのです、とかここで力説するより
作品本文でそれを感じ取れるように工夫した方がいいのでは。
10.無評価名前が無い程度の能力削除
後書きやコメントでの解説は少し無粋では?
阿求がこの話をした理由について、だけでも十人十色の解釈があったろうに、筆者自身が意見を出してしまってはそれだけが「解答」になってしまいます。

書きたい事が明白ならばこそ、作品については作品でのみ語っていただきたかった。
11.40名前が無い程度の能力削除
よくある地方の民話に近い話なんだろうか。雰囲気としては大体そんな感じ。

しかし阿求さんは過去の記憶は完全には残らないしなぁ……。
ってことは先代稗田が書き残してたと考えるのがベターかな?
でも、おっけーね先生の寿命ってそこまで長くはないはずっすよ。
誤解されがちだけど、数百年も平気で生きてるってのはちょっと、違う。
半人半獣は寿命が人とそれほど変わらないのです。
(求聞史記71p参照)

東方を知っているとクスリとできるように仕上げられた民話風SSとしてはそこそこ読めるものだったんだけども、
普段からこういう語り口に耐性ある人じゃなきゃ面白いと感じられない。
だって東方の雰囲気が感じられるだけで、これ、東方そのものの話じゃないもん。
義賊の話に東方の調味料をほんの少し振り掛けました。これが面白い話です! って言われても首を傾げる。
せめて現在の東方へと繋がっていく展開を用意しておかないと、黒猫がりんちゃんである必然性は欠片もないし。
ていうか「猫は家に居つくっていうけどきちんと恩返しするのもイルンダナー、この民話イイハナシダナー」から脱せてない。

俺がやりてーからこういうスタイルでやるんだよ!!
っていうのは小説では大いに結構なんですが、物語の構成をもーすこしひねって欲しかったなー。
美しさが此処にはあるのです。
とか
義賊なりの美しさを見て欲しかったのです。
とか
やりたかったことはわかるんですが、完全にそこで終わってますねー。
それを読み取って「ああこれはなんて深い話なんだろう!」って思う人あんま居ないと思いますよ。
読み取ったとしても「ふーん、そういう考えだったんだね」でおしまいです。

後書きやコメレスで「僕の考えた最強の小説設定」を押し付けるのは全くもってけっこーなことです。
でも話自体が普通の民話っぽい、その上で無理やり東方をちょっと絡めてみました/////のようじゃなぁ。
以前から努力はしているようなんですけど(私はこのコメントが初めてです。一応)東方SSとしては確実に珍種です。
珍種であるからには、他の人が当たり前にクリアしていることが壁となって立ちはだかります。
それに対して自分なりにアプローチはしてみましたか?

あのね、義賊の話を見て、それに東方混ざってるヤッター面白いすげええええ発想だあああああ。(椅子から転げ落ちる)
なんてこと、ないですもん。

で、新人文學賞のどれかを目標にして書いていると思うんですがー、傾向と対策で文体を使い分けていなかったり、高尚な意味を含ませているのですと自負するばかりで、染み込んでくるような心情の吐露がないようなものはちょっとなぁ。
語彙選択はたしかに「それっぽい」んですが、じゃあなぜその語彙を選択したの? 雰囲気作りなのか、それ以上に深い意図があるのか。あったとしてそれは、読者に対してきちんと伝わるのか。
この語りには壮大なバッググラウンドが描かれていて、そこから現在の二人の関係などを読み解くべきである。
だなんて言わないとは思いますが、雲井さんの~~して欲しかったのですにはそこを読み取らない人への苛立ちがあるように見えます。

私は、想定した読者に対して真摯に取り組んで居るならばそれは何でも良い物なんじゃないかなぁと思ってます。
で、想定する相手が文学賞だとしたら尚更、そこに対しての傾向と対策を組むべきではないんでしょうか。
手癖でありながら、こういう場面なんですよ! という小説外での解説をしてしまうのは、正直いただけませんね。

こういうときにふと、芥川龍之介が蜘蛛の糸を書いたときの逸話を思い出します。
鈴木三重吉が彼の原稿を見て「完璧ではあるが読み手は子供なのである」ということで朱筆を入れ、芥川もそれに応えたという話です。
それがいつのまにか、たったの数千部しか発刊しない小さな世界で褒めあったり貶しあったり文学の重要性について偉そうにしてたりと面白い業界になりました。謎。

私自身文学部出身でもないので純文学について偉そうなことを言えたものでもないんですが、いまの時代において明らかに下火になっているのはなんででしょう。
純文学は娯楽の中でも特別にハイカラであるというような驕りがあるのではないかなぁと、勝手に思っております、私は。
これは文藝春秋三月号にも載っている「復活の批評」辺りにもべらぼーに漂ってくる腐臭なのですが、アニメや漫画は貧しいなどという表現がなされていて閉口してしまったのですが、直接関係はないですね。

創想話は多くの作者と読者が、各々が書きたい物と読みたい物を見つけて、住み分けしている場所だと思っていますから、傾向と対策をすべきではないか? というのも行き過ぎた発言なのだと自覚しています。
で す が。
読んで楽しいものというのは、意味が十全に把握できずとも楽しいものだと信じてます。
読みとれるだけのリテラシーを備えている人向けに書いているのだというのは、傲慢ではないかとも考えています。
作品というのは常に、読んでもらえるのだろうか、楽しんでもらえるのだろうかという不安を持って生まれてくるものです。
読み取って貰えないこともあるし、つまらないと言われるかもしれない。
けれども、生まれでた作品に対して、親である作者があーだこーだ言うのは良くないのです。
読み取ってくれたかもしれない読者の芽を摘み取ることにもなりかねない行為です。
わかんなかったも立派な感想ですよ。読み方は読者の自由なんですからね。
次からは言いたくなるのをぐっと堪えて貰えると嬉しいですね。


途中から敬語になってたりしますが、直すのが面倒なのでこのままで。
長文失礼致しました。
14.50名前が無い程度の能力削除
無しではないと思う。
それぐらいの評価。


私的な穿った意見だが、作者とは最上の立場。
何を言われようが読者よりも作者の方が偉い。
だから気にすることはない。自分の書きたいものを書けば良い。
元よりここはそういう場所だ。
だから何を言われても受け流せば良い。煽られて悔しいなら良い作品でも投稿すれば良い。


個人的には貴方の今後に期待したい。
頑張れ。
15.30名前が無い程度の能力削除
前に投稿されたものも合わせて、なんとなく薄い気がします
言葉だけの世界で何も訴えてくるものが無いというか、レポートを読んでる気分になります
16.10名前が無い程度の能力削除
文章は綺麗だし雰囲気は出ているが東方らしくない。説明をつける位なら中身で相手に伝わる方法を模索すべきではないだろうか。しかしそれ以上に感じるのは雰囲気だけが出ていて内容が無い。結局お燐の誕生話だというだけであってそれ以上の何かが無い、それが文章が綺麗な分やたらと悪目立ちしている。だからこの作品は面白く無いな
17.80deso削除
面白かったです。
話としてはもう少し深いところが知りたいなあと思いましたが、この語り口は個人的にツボでした。
19.20名前が無い程度の能力削除
文章を美しくしようとするあまり物語的面白さがおろそかになってしまった感が否めない
文体は好みなのでこの点数で
23.30名前が無い程度の能力削除
前半部分がとにかく退屈でした。ラストも曖昧で読み終えても消化不良に感じました。
創想話にどっぷりな私の脳みそが他に多くみられるストレートで分りやすい作品群とどうしても比べてしまうので、このような感想になってしまったのかもしれません。別に文学が嫌いって訳じゃないです。
24.無評価雲井唯縁削除
非常にたくさんのコメント有難う御座いました。
色々と疑問が多かったのですが、おかげで解決しました。
正直自分は、皆さんの評価に不満はありませんでしたが、強い疑問はありました。
それは、私の作品を読解できているのかどうかと言う疑問です。
それで、その結論は読解できていると確信できました。
が、問題は、読解で来ていても、そこから感じるものが私とはまるで反対だと分かりました。

例えば、物語の構成とか筋なんですが、私は大分意図的に、平坦なものにしています。
これは、その力量が自分に無いという理由もありますが、私としては、驚天動地を狙うよりは、平々凡々であるべきだと思うからです。
理由は、三つあります。
第一に物語がよく分かる。
第二に形式上の技巧が映える。
第三に、実はこれが大切なのですが、幻想郷の美しさがよく伝わるからです。

この物語も含めて、実はそれ以前も、私は東方のSSを書いてきましたが、キャラクターのSSと言うよりは、幻想郷のSSを書いてきたつもりなのです。幻想郷は、こんなに美しいところなんだって言う主張を、投げ掛けたかったわけです。そのためには、どうしてもキャラクターを全面に出してはなりませんし、話の筋や展開が優れていてもいけないのです。あくまで綺麗な表現と、幻想郷に住む人たちの美しい内面を通じて、幻想郷って、現在の世界とは違って、こんなに綺麗なんだよってことを表現したかったわけです。

例えばこの話ですが、全て中途半端なのは、ご指摘の通りで、そして意図の通りでもあります。
私の意図としては、

1.小狼太の話は出来るだけどうでもよくする
2.お燐の過去話は、添えるだけにする
3.形式上の表現と雰囲気を大事にする

この三つがありました。
その理由は、

1.小狼太はいる必要がないから(小狼太の話は、これを世代をまたいでも覚えているあっきゅん一族は、綺麗な心の持ち主だということと、お燐がこんなに良い奴である理由さえつくれたらよかったのです)
2.お燐は公式設定で良い奴と言う幻想郷稀なキャラクターなんだから、必要以上は書かなくてもいいよね?と言うことを言いたかったから(そんなんわかるかよ!!って話であったわけですが)
3.この物語は、あっきゅんか、あるいはその前か後の一族の者が語っているのですが、公式設定にあるとおり、彼女達は普通大して記憶を受け継ぎません。その少ない記憶ってのは、何かと考えたら、こういう綺麗な、人間の生き様だと思うんですよね。文章として明記される、仰々しい記録ばかり覚えている短命な一族って幻想郷としては美しくない気がします。だから、こういう記憶ばかり覚えていて、慧音先生に、そのままにしておいてあげてくださいと言って、それが通用すると信じている一族の人は、とても綺麗な人たちなんです。そういう話にするために、どうしても、想い出は綺麗じゃなくっちゃいけなかったのです。

上記の意図は、悉く反対に解釈されてしまいましたが、それは当然だと思っています。
普通に解釈すれば、そうなるのですから。
ただ、自分と同じ解釈の人がいたら素敵だなぁっとは思いました。
それがいなかったのは、多少残念ですが、これはもともと無茶なお願いなのです。
だって、本文で書かれていることと正反対の解釈をしなくっちゃいけないのですから!!
他にも、博物学的な面白さが、全然共有されなかったのにも、驚きました。
レポートを読んでいる気がするという指摘が正確すぎて唸りましたね。
だって自分、レポートが大好きなんです。
自分の面白さ=他の人の退屈
に近いものがあって、仰天しました。
此処まで認識に違いがあるとは!!っと。
しかしそれが面白いですね。
頑張って、他の人が面白いと思える世界観を模索して行きます。
新人賞送るよりも、こっちのほうがよっぽど勉強になりそうで、嬉しい限りです。
私に対しては、自由にコメントして頂いて結構ですから、率直なご意見をこれからもよろしくお願いします。
むしろ整理されていない言葉のほうが、嬉しいくらいです。
25.無評価名前が無い程度の能力削除
勉強になるなら何よりですが、「だってレポート大好き」やら「反対に解釈されるのは当然」なんて、自己正当化を言葉で美化している内はミジンコ1ミリ成長出来ないんじゃないですかね。

考えて下さい。結論をここに発表はしなくていいので、ただ考えて下さい。

貴方は、『自分は高尚な志を持って文章を書いているのだと思っている』のではありませんか?
そして『それは疑いない真実である』と確信してしまってはいませんか?

では。