Coolier - 新生・東方創想話

幻想郷海物語

2011/02/06 17:29:32
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幻想郷に海は存在する。

私がそう言うと、大抵の者は怪訝な表情になる。
顰められた眉に。無理やり作った半笑いの頬。目は口ほどにものを言うという諺があるが、口は目よりもはっきりとものを言う。
この世界の住人たちは、素直というか、歯に衣着せぬをいうか。実直な言葉を使う人物が多く。
頭の正常・異常を問う言葉をぶつけられるのは、自分の中では定番となっている。
そこで、その所在を教えてやれば、感嘆の声が上がるのだ。
上がるのだが。残念なことに、あまり良い響きは含んでいないのが大体の場合である。
「確かにね」の言葉をもらうことは、もらえるのだが。「あなたにとってはね」という接尾語がくっ付いてくるのが悲しい。

光る砂粒も。香る貝殻も。波立つ海面も。何一つないけれど。
泳ぐことのできる場所。

雲である。

案外、雲は苦もなく泳ぐことができるのだ。
水を泳ぐとなると、手も足も忙しなく動かすことになるのだろう。
しかし、雲というのは、見掛けは毛を刈られずに放置されてきた羊の毛みたいだが。
実際に触れてみると。綿ほどに柔らかく。触感は半透明の絹と思わせる。
白い絵の具を水に溶いた色合いを透かして眺める地上は、水彩の絵画と言えよう。
鮮やか過ぎるほどの緑を雲が薄め。湖の表面に反射した日の光も、宝石の輝きに変えてしまう。
逆に、上を向けば。広がる空を。
青に。蒼に。藍に。紺に。碧に――
一つであるはずの色を、無限にしてしまうのだ。

そうした景色の中でも、取り分けなのが黄昏時だ。
落ち去る太陽は茜色を纏った絵筆であり、淡い水の色の下地に夕暮れを描画する。
燃え盛る蝋燭の先端に踊る火の色の朱から、湖の底から掬い取った水の色の蒼まで、たった少しの濁りのない色の変化を目の当たりにするだろう。
更に雲を上塗りすることによって、整然とした色の並びは多彩な重なり合いへと様相を変えていく。
その風景には、如何に粗野な輩でも感激するに違いない。

神秘的という言葉が相応しい、そんな空間で暮らす私はいつも心に、ある想いを抱いている。
想いとは、正しく一言に尽きる。

「暇」だ。

ここが幻想郷屈指の絶景であるのは、改めて説明する必要もないだろう。
しかし、だ。そうした事実も認知されなければ、全くもって意味がない。
この場所の良さを広めようにも、人が来ないという根本的な問題が立ちふさがる。
人の興味・関心または好奇心といった、行動に繋がる感情を突くものも存在せず。
どうしようもない。と諦めている。
ここは袋小路なのだ。初めから入り口など特に無いのだから、密室というべきか。

普段の生活は暇の字から取り出した日の字ようだ。
時には、言葉を発することなく、一日を終えることもある。
こともある。誤りだ。ことばかり。正確だ。

来訪者は少ない。しかし、皆無ではない。
どこぞの神社の賽銭箱の中身程度ではあるが、ちゃんと来訪者は存在する。

まず挙がるのは、この雲の海の上に住む天人。総領の娘。先日の宴会の異変の犯人である。
そして、幻想郷の大いなる大地に石で栓をした人物だ。
この行動にによって、私生活が一転することになる。
要石を打ち込む。その行いにより、地は荒らげる災厄を無くし。私は災いを知らせる仕事を無くした。
別にそのことについて、どうこうしてやろう等という怨みに満ちた考えは全くない。
全くないが、不満はある。多少。
そんな気を知ってか知らずか。時々、顔を見せに来るようになったのだ。

次に挙げられるのは。と続けたいところなのだが、実はいない。
特定の人物を指差せるのはここまでだ。
だが、ここを訪れる人物は大抵が面倒な人物である。

暇を持て余した鬼。落し物を探す鼠。家出した入道雲の行方を追う頭巾。
どれも皆、個性的というか、個性が溢れ過ぎの暇を潰すには丁度良い、見ていて飽きない者ばかりだった。

しかし、誰も皆。隣人なのだ。
会えば挨拶するし、世間話もする。だが。所詮は付き合いの良い隣人でしかない。
家族でもなく。恋人でもなく。友人ですらないのだ。
実に中途半端な立ち位置。

親しいと思える天真爛漫の天人の娘も、家族ではない。
向こうには立派な家族がいる。
口を開けば皮肉や憎まれ口だが、やはり、根は自身の髪のように澄んだ色をしているから。
潜んだ親愛を言葉の内から見つけることは簡単だ。そこに他人の入る隙間などありはしない。
それは、お互い分かっていて。だからこそ、唯一無二の好き隣人なのだ。

寂しくはない。淋しくもない。
そういう性格で、生活だったから。満足している。
ただ、羨ましく思う。例えば宴会で、連れ立って帰る後ろ姿の多いこと。別れを告げ合う姿の多いこと。
それに比べて、私の隣はいつだって、空気だけが立っていて。風が冷たいと思った。

不満を感じたことはない。
今までも、誰かと近しい仲になることもなく。嫌い合う間柄もなし。
これからも。きっとないのだろう。



――そして、また一人。面倒な暇潰しがやって来る。

その時も、すること無く適当に雲の中を泳いでいたのだが、見知った顔を見つけた。

先の異変の時に遭遇した、会うたびに人のことをまるで食材であるかの如き視線を向けてくる変人。
紅い館のメイド、その人である。

このメイド。実に厄介な性質の人間だ。少なくとも私は苦手感覚を持っている。
別に生命の危機を抱かされているからではない。

何を隠そう、この人間。
頼んでもいないのに、勝手に目玉焼きにソースをかける人間である。
もちろん、文字通りの意味ではない。ちなみに、私は醤油とソースを半分ずつかける、ハーフ派である。
非常にお節介というか、世話したがりというか。そのような節が見受けられる人間なのだ。
その逆。種族としての気質からか、他人の行動は黙って見守るのが多い。その違いが、苦手意識の源なのだろう。



開口一番に呪文を唱えられた。
幻想郷の大妖怪にも匹敵する胡散臭い言葉。
けれども、それは遠く昔の、幼少の頃の思い出の埃を払われた感覚を与えてくれる。
自分のことのようで、他人のこと。
脇腹を衣服越しに擽られる、むず痒さに似たものを心に感じた。

空を掴むような舌を惑わせるような独特な語感。やけに語呂の良い、その呪文を反芻して答えてやる。

「タツノオトシゴ、ですか……知りませんね」
「残念、当てが外れてしまったわ」

面倒事に巻き込まれたくはなかったのだが、流石に目を合わせてしまったら挨拶をせざるを得ないだろう。
一言ずつ挨拶を口にした後、その奇っ怪な単語を投げられたという流れだ。
挨拶は、やはり大事である。そういったのを蔑ろにしない点は、高評価に値する。
ただし、順序をしっかりと考えてほしい。

「というか……何ですかタツノオトシゴって」
「ん、ああ。そういう魚がいるらしいのよね」

念のためにもう一度、記憶を探ってみるが、魚の種類自体をあまり知らないので、大した時間もかからず知識の底が見えてしまった。
そもそも、あまり外出しないので、知識の絶対量は少ないのだ。長いこと生きているのに自分の知識のなさは嘆かわしい。
ちょっとは、改善するべきなのかもしれない。
それにしても、物々しい名前である。

「やっぱり分からないですね。因みにですが、どんな魚なんですかね」

興味は半分程度、もう半分は会話の流れで聞くべきだろうと判断したからだ。
でも、心はしっかりと聞き耳を立てている。ちゃっかり者だ。

「私も実物はもちろん、話をちらりと聞かされただけだから詳しくは分からないんだけど、いいかしら?」

首を縦に振る。向こうも、同じように頷いて。
ゆっくりと、自分にも言い聞かせるように言葉を置いていく。

「魚って普通、横長よね」

彼女は両手の平を合わせた状態で腕を前に伸ばす。
私もなんとなく、その動作を真似しながら相槌を打つ。

「ええ、そうですね」
「そう、横長」

確かめるように言うと、腕を開く。
私は鈍間な鏡で、腕を開く。
そして、二人で視線を合わせて同時に頷いた。

これから抱き合うようのではないかと、他所から見たら思うだろう。
そんなことを考えると。ちょっと、頬が赤くなる。一度思い至ってしまうと、意外と気恥ずかしい。

広げていた腕を下ろせば、正面は鏡であった。

「なんでもね。縦長の身体をしているらしいの」

今度は捻りを加えた状態で胸の前にまで腕を挙げる。
やはり、身体は鏡でありそれに倣う。

「縦長、ですか」
「ええ、縦長」

目の前で手が分かたれる。
それに合わせるように手を別れさせれば。奇妙な図のできあがりだ。
端から見たら、一体どのような感想を抱くのだろうか。
もし、自分がそのような光景を見たら、きっと悲しい気持ちになるに違いない。

縦長の魚。
確かに、そんな魚がいたのなら一度、お目にかかりたいものだ。
縦長という時点で既に想像することすら、難しい。
少なくとも、私は思い描くことはできない。

「本当に縦長の魚なんかいるんですか」
「さあ、どうでしょうね。きっと、妖怪の類だろうとは思うわ」

なるほど、と私は頷く。
妖ならば如何な奇怪な姿でも否定はできないだろう。
常軌を大幅に外れた容姿にして、その名前である。
タツノオトシゴ。
名前から連想される強靭な顎は、通常の魚などいとも容易く粉砕し、身に鎧う牙壁の鱗は、石礫を削り崩すに違いない。
名は体を表すのなら、実に恐ろしい怪魚だ。
人々の畏怖を集めるのも当然で。幻想郷に移って来ていても、なんらおかしくはない。



会話をしていて。疑問を抱いた。
何故彼女はここに来たのだろう、と。魚なら湖や川の辺りが定番だろうに。
それとなく聞いておきたい。

「確かに変わった魚ですね」
「そうね。私もそう思うわ」
「まあ、それは分かりました。でも、どうしてここんなところへ」

その問い掛けに、えっ、と答えは詰まる。
答えが返ってくるのに、数秒くらいの間があった。

「海なんでしょ」

ここは。
そう、後に続けて、一回転して辺りを示す。
すると、糸ほどの線の光が、雲の切れ間から差し込んで。
微笑する顔の後ろで、広がっていき、丁度、一人分を照らす川になり。
姿を白く染めて、雲へと溶かしていた。
雲の波に散らされ、儚くなった光は、彼女の銀色に撫でられて弾ける。
銀色の水面は少し眩しくて、目を細めずにはいられなかった。
違うのかしら。そう言って鼻に抜けるように短く笑うと、再び、静かに回るのだった。
髪から光が散り。肩へと落ちて、鎖骨に流れ。胸で弾け飛んで。回る身体が、それで雲に羽衣を描いた。透明な色の羽衣だった。
光跡が生まれて、羽衣になって、身に纏って。衣を纏って、天女になって。やっぱり、眩しくて。
帽子を目深に被るのだった。



「それに。タツノオトシゴとリュウグウノツカイってなんか、通じるものがありそうじゃない」

じっと、下に視線をやっていると、ぐりぐり、と頭を押しやられて。
そのまま。帽子を取られた。
瞳に映る自分が見えるほどの距離。照らす表情は明るく。
普段、長身に思える身体は、間近にすれば、決して同年代のそれを大きく外れるものではないと気付く。

「あなたも、そう思わないかしら」
「確かにそうですね、なんて言いませんよ」

人を何だと思っているのだろうか。
そこのところ、一度問いただす必要があるかも知れない。十中八九、思わしくない答えがくるだろうが。

取られた帽子は円盤みたいにグルグルと回され、今にも飛び出しそうで恐ろしい。
もし、落としてしまったら。下界の樹木の迷路にでも入り込んだのなら、二度とは帰ってこないだろう。
流石、宴会やらで機会があるたびに、手品ばかり披露しているだけはあって。人の肝を冷やすことに関しては一流である。

止めようか、止めざるか、中途半端に腕を伸ばした体勢でいると。
帽子の回転は止まり。彼女の口元は崩れ。
ワンちゃんみたいね。
と、頭をクシャクシャにされた。
実に遺憾である。

「うーん、ここにいないとなると、困ったわね」

頭を撫でられていたかと思えば。いつの間にか、帽子は頭の上に帰還しており。
彼女の腕は軽く組まれていた。
悩ましげに唸る表情は、まさに、考える人である。
何かを期待するように、ちらりと視線を向けてくるのは、なんとかして欲しい。

「あ、ちょっと待って下さいな」

視線の要求する期待に応えるべく、呼び止める。仕方なしに。
確かにタツノオトシゴとやらを見たことはないが、私だってここの全てを知っている訳ではないのだ。
だから、ちょっぴり意地の悪いことを言ってやる。

「まだ、ここにいないと決まった訳ではないですよ」
「あら、そうなの?」

私は首を縦に振る。
なによりも、折角の来訪者である。見す見す、暇潰しを逃すのは勿体無い。
一日中、寝て過ごす心身に優しすぎる生活は、流石に飽きているのだ。
でも、騙すような罪悪感もあったから。言い訳がましい言葉を、聞こえるか怪しいくらいの声量で付け足す。

いると決まっている訳でもない、と。

それは、しっかりと彼女に届いていて。

分かってる、と。

返事があった。
その言葉は、いつもの声より、硝子一枚分ほど大きく。二つ折りにした布の分ほど楽しそうで。彼女の顔は、少しだけ嬉しそうに見えた。
活々と踊る好奇心の舞台になった瞳は、やっぱり眩しく、見ていられない。

両手で帽子のつばを押し下げた。



――時が歩み、歩が進む。進んだ日は更に昇る。 それにより作られる世界は、広大なる万華鏡である。
日は更に上を目指し、眼差しをより鋭いものにと変え。それに見抜かれえた白雲は、純白よりも澄んだ銀白にへと色を変貌させる。
雲で作られた波は果てしなく続き、綿でできた広大な湖を思わせ。天高く座る太陽は、水よりも水色の空と漂う雪の塊の雲の境界を、その体温で溶かして混ぜる。
天よりも高い空ではしゃぐ太陽のせいで、雲中にあっても周りは明るい。
時間が経つにつれて、物は味わいを増すが、雲もまた同様で。

全て同じに見える雲も、十人十色という言葉がある通り、それぞれの表情で思い思いに漂っている。
分厚い部分は重く暗く、薄い部分は軽く明るく。白と灰色で描く水墨画は至高の作品だ。
水面に垂らされた墨汁は風によって刻々と変化し、それを一撫でするだけで、全く違った絵へと変わる。

慣れてくれば、雲を弄って自らの望む模様を描くことも不可能ではない。
人差し指でもって、左から右へと波打つように線を引けば、蛇の完成である。
小指で縦に線を四本引けば、足だって付け足すことだって可能だ。
蛇もとい竜。姿を与えられた雲は活きて、風の潮流に乗って雲海を旅する。
虫も魚も蛇も鳥も竜も猫も犬あるいは人間まで。ここには無限の生き物が漂っているのだ。
母なる雲。きっと彼女の探し物も。

僅かばかり目を右に動かせば、雲を描く私の戯れを訝しむような視線とかち合った。

「あなたって変わってるわね」

面白いわね、と。そう笑われた。

面白いのは、目の前のこの人物の方である。
例えば。巫女ならば、その能力で。魔女ならば、その魔法で。鳥すら顔負けに自在に空を移動できるのも、納得できる。
しかし、眼前の人物には、そういった要素は見られない。まさしく奇術だ。

どうやって飛んでいるのか。
そう問えば。

じゃあ、あなたはどうやって。
そう返される。

返されたところで、答えに困ってしまう。
手を挙げる方法や立ち上がる方法を説明できないのと同じだからだ。
人が歩くように、私は雲を泳ぐ。
うんうん唸る、こちらを向いて。

私の手品に種は無いの。
そんな風におどけた調子で口を動かすのだった。
実に面白いものである。



旅は道連れ世は情け。

なんて言葉があるが、残念ながら私の柄ではない。
柄ではない。しかし、それこそ、雰囲気的な意味の空気を読む、という行為の体現なのだろう。

右へ左へと当て所なく歩く人間の斜め後ろを、つかず離れず移動するだけ。
母親に縋る幼児みたいである。
残念ながら、愛らしいの形容詞には相応しくない外見であるのは自覚しているが。
そんな私を鬱陶しがってか、時折、振り返る彼女の視線は剣呑なものである。
だがそれは、日々磨いてきた必勝の受け流しスマイルを駆使してやり過ごす。流石は私だ。
どうせ誰も褒めてくれないだろうし、自分で労っておこう。

多少の時間が経過したところで、彼女が振り向く。
表情は不満そうである。

「人間観察なんて趣味悪いわよ」
「妖怪の大半は人間観察が好きだと思いますよ」

「千歩程、譲ってそれはよしとしましょう。でも、そのニヤニヤした笑いはどうにかした方が身のためよ」

周囲の雲は灰色に近い白であり、明かりを遮る。そこに彼女は立つ。
もしやめないなら、こっちにも考えがあると、指差し。そうして、瞬きをした覚えはなかったのだが、一瞬すら経たず表情が変わる。

人々を照らす晴れを隠す、薄暗い曇りだった。

一見すれば、赤子を見やる母の優しい微笑みだが。
それは彼女だからこその、小慣れた笑みであり、その実は見掛けと反対に、ないしは面倒だという感情を心持っている。
まさしく、私の笑みだった。
自分だからこそ見抜ける、完璧で美しく優しい、酷く不愉快な表情だ。
そして、その分厚く凝り固まった笑みで着飾った顔を見ていると、急に赤の他人だったのだなあ、と実感させられた。

理由は分からないけど、何故か気に食わない、そんな感じであったのだ。

「そうですね。参考にします」

愛想笑いも考えものだと頷くに。そういうことじゃないんだけどねえ、と。
あなたらしい考え方だと、呆れた声混じりに頬を掻くのを見て、少なくとも、この人の前ではやめておこうと思った。



――霧よりもさらに薄く、霞よりももっと深く。雲中。
見上げる太陽は、水中から仰いだ揺らぎに似た形に欠け凹んで。
手を翳して見れば、縁を儚いほどに柔らかい光の額縁が飾る。
指と指の隙間。僅かから抜ける光線は、そこで弾けて変じ。結晶へ。

そのまま雲の上へと抜ければ、日差しを遮る傘も無し。頭上から降る日光の雨は、なるほどイカロスの翼を溶かそうものだ。
雲という巨水と、曇という砂面を焦がさんとする太陽。見渡す全て、話に聞く浜辺の風景と酷似している。
それほどまでに、天に近いこの場所を射す日差しは強い。このような場合、時が過ぎて正天から日が腰を退かすのを待つに限る。

照りつける日差しを受けながら、私は座る。
すっ、と差し出されたそれを、両手で受け取って、同時にお礼を述べる。

舌とは実に貧乏な奴で。特に、私の味覚芽は貪欲な性格らしい。
昨晩から口に何も入れていなかっただけで、僅かの旨味をもってして、閉じていた蕾も満開に開かせる。
美味な料理は香りや見た目だけで口内に水気を帯びさせることすら容易である。まさしく、花咲かおじいさん、とでも呼ぶに相応しい。
何が原因かは分からないが、よく誤解されることがある。私は決して料理が得手ではない。
これを述べると、多くの人物は意外だ、という感想を持つ。しかし事実である。
間違ってほしくのないのが、不得手であるわけでもないということ。
私自身、妖怪であり絶対的に必要な食事も限りなく限られており。それも美味である必要もなく。
なによりも、料理を振舞う相手がいない。つまりは、自分の満足で腕の成長は止まっているのだ。これから先、成長させる予定もない。
その意味で、料理上手とは、腕で包むべき人がいる表れであり、尊敬に値する人物であろう。

周知の事実であるが。料理の秘訣は、と聞かれて、「愛情」であると答えるくらいに瀟洒である彼女の作る料理は、非常に美味である。
それは如何なる質素なものであってもだ。

「具もなければ、塩もふってないんだけどね」

片目を閉じて、頻りに髪を撫でつけながら、そんなことを言う。
はたして、自分用に作ったのだというこれに、愛情がどの程度込められているかは疑問だが。不味くないものであるのは間違いない。

片手を胸の前に持ってくる。手のひらは横に向けた状態で。
そのまま、いただきます、の一言と共に丸く形作られたそれを口へと運ぶ。
温かくもなければ、冷たくもない普通の舌触り。
歯が米の球を削って、跡を残す。
片手で持っても崩れることのないくらいしっかりしているのに、米粒は潰れていなかった。

「どうかしら?」
「普通、ですかね」
「あらそう、良かったわ。美味しいなんて言われたらどうしようかと思った」

物事に小慣れた者ほど、手を抜くところを心得ているのもであり。彼女もまた、そうである。
同時に、その抜いた部分を他人に見られるのを好まない。当たり前のことだ。
だから。ちょっぴり。彼女の頬は赤い。

それを誤魔化すように薄い笑い声を出しながら、彼女は私の方に身を乗り出してくる。
滑るように彼女の腕が伸びてきて、頭上へと到り。そして、僅かの間もなく引っ込められる。
やはり、その手には黒が握られていた。

奪った帽子で顔の下半分を隠す。普段では、まず見ることのない仕草だ。
見掛けこそ大した反応は見れていないが、考えているよりも、ずっと恥ずかしがっているのかもしれない。
だとしたら。少しばかり意地悪をするのも面白いかもしれない。

「別に触っても構いませんが、汚さないで下さいよ」

そう注意をしてやれば、心配しすぎだ、と不満気な視線で返してくるのだった。
残念ながら、まったく迫力などなく恐いとは思わない。

更に一口、手を運びながら。反対の手を彼女へと伸ばして、帽子の返還を、暗に要求する。
すると、彼女はわざとらしく。こちらから視線を逸らすと、人差し指を帽子に引っ掛けて回し始めるのだった。
やれやれ、と零れそうになる溜息を咀嚼して、代わりにもしもし、と呼び掛ける。
手首を躍らせて。

「これ、しばらく借りててもいいかしら」

私的にはそれほど困ることもないので、構いませんよ、と返してやる。
すると彼女は、ホワイトブリムを着けたまま帽子を被ろうと苦心しだす。
しばらく格闘していたが、途中で諦めて外すのだった。

「吸血鬼だけじゃなくて、人間も直射日光に弱いものなのよ。案外ね」

それに、へえ、とだけ返して、手に残った米粒を口へと運ぶのだった。

「衣を取っちゃうと、貴方とくっつかないといけないけど、玖なら構わないでしょ」

何故かホワイトブリムを差し出してくる手を払いのけてやる。
面白くなさそうな表情を一瞬だけ拝むこととなったが、別に気にはならなかった。

「さて、休憩はこれくらいにしますかね」

帽子を目深に被り直しながら彼女が言う。
それを尻目に指に取り残された最後の一粒を舐め取るのだった。



――彼女の頭の上は黒。対して私の上には白。

くぐもる世界に一つだけ置かれた玖は、白の貝の内に秘められた黒璧と言うに相応しい存在感だ。
それはきっと、私が被っている物と同じであって、同じではない。その髪の色彩との対比があってこその珠であるのだ。

かわって私となれば。
やはり、ちょっと頭寂しいので着けることにした白のフリフリ。
髪や服の色と相まって、どうにも浮いている気がする。

それを見て。
案外と似合うね。と彼女。頬で笑う。

嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになったので。
やっぱり不似合いですよ。と私。目で笑う。

風に吹かれて揺れる生地の、少し引っ張られる感覚が、頭にくすぐったい。
横のは、黒い塊にしか見えないほどに目深に被られた帽子で顔は見えなくなっている。普段から被り慣れていない様子が丸分かりだ。
日に照り返す雲の白い煌きを水に溶いた銀の髪に、白薄に包まれた太陽光に覆われた帽子が、ほんのりとした影の曲線を結ぶ。
いつもより、一歩。距離を近づけてみれば、移り変わる濃淡は際立ち。目を放すことが躊躇われるほどの玖となった。

「あの、そろそろ返して欲しいんですけど。それ」
「ん、別にいいじゃない。無くても困らないでしょ」
「まあ、確かにそうなんですけどね」

こちらを一瞥することもなく受け答えをしてくる。
ちょっとくらい、こっちを見てくれてもいいんじゃないかと思う。礼儀的に考えて。

いつも身に着けているものがないと、物足りない感じがするものだ。
目の前に踊る自分の帽子を見ていると、これまた不思議な気持ちになる。

一歩大きく踏み出して、彼女との距離を詰める。
それから、素早く腕を伸ばして、眼前に揺れる帽子に手を伸ばす。
流れるような動作で。

もう少しで届くかと思ったその瞬間。それは、消え去っているのだった。
僅かにドキリとするが、なんてことはない。彼女のお家芸なのだから。

「んと、残念ね」

その声に導かれるように後ろを振り向けば、先程までと同じくらいの距離に、こちらを向きながら彼女が立っている。
帽子で口元を隠すように、胸元の少し上くらいに抱えていた。

「やれると思ったんですけどね」

いつの間にやら、握っていたホワイトブリムに困惑しつつ、悔しそうに眉を顰める私を見て、彼女が肩を揺らす。
口元は見えないから、笑っているのかは分からない。

「本当に残念だわ。ね」

そう言うと、彼女の目は細まる。
流石にこれは笑っているに違いない。

「そんなにおかしいですか」
「ええ」

帽子によってくぐもった笑い声が聞こえてくる。
いくらなんでも、そこまで馬鹿にされるような筋合いはない。
これには遺憾の意を表明したいと思う。

「どうやったら、そんなところにご飯粒が付くのよ」
「はい?」
「唇の下のところ」

帽子を退けて、自らの唇を指し示してくる。
その口元はやはり少しだけ吊り上っているのだった。

彼女の言うとおりに手で口の下を浚う。
すれば、何かに当たる感触がある。
指先を見れば、なるほど米粒が一つ付着していた。

「もっと早く教えてほしかったですね」

そう愚痴を零しても、少しも堪えた様子は見られない。
再び、帽子を被りなおすのを見届ける。
食えない人だな、そう思いながら、手の米粒を舐め取った。


――周囲は彼女の髪を除いて一様に暗さを増す。暮れだした日を反射させて。眩惑。
雲の中へと到達する日の光の量は少なく、きっと数刻の内に夜が訪れるのだろう。
夜空に照らされた雲面の淡い灰色というのも、また格別な風景であるが。それを見るには少々時間が早い。
海は空の青を落とした色をしていると聞いたことがあるが、この場所も海に負けないくらいに世界の色を取り込む。

いろいろと脇道に逸れたりもしたが、もちろんながら、当初の目的を忘れてはいない。
残念なことに、対象は未だ見つかってはいないのだが。

「見つかりませんね」

そう話しかけると、面白くなさそうな表情で答えられる。
眉をハの字にしながらも、眉間に皺を作った顔だ。
悲しんでいるのやら、怒っているやら分からない。そんな中途半端なものだった。

「そうね」

短く言い放ち、ゆっくりと腕を組む。
二の腕に添えられた左の指が忙しなく動いているのは彼女の感情の表れだろうか。
片目だけを閉じて、見据えられる。
値踏みされているようで、なんとなく落ち着かなかった。

「ずっと考えてたんだけどね」
「何をですか?」

そう問いかけても、すぐに答えは帰って来なかった。
間が生まれる。実際の秒数にすれば大した時間ではないのだが、個人的感覚では、とても長く思えてならなかった。
その数瞬の後に再び言葉が放たれるのだった。

「あなたがタツノオトシゴなんじゃないの?」

全く予想だに言葉だった。
驚きすぎて咄嗟に言が出ないのがもどかしい。

「だって。ほら、縦長じゃない」
「それは確かにそうですけども」

そんなことを言われても困るというものだ。
私は勿論ながら、タツノオトシゴなんかではない。

「見つからないし、もう面倒になってきたから、そういうことにしといてよ」

ね、とお願いされても、頷くはずがないだろう。
人のことを何だと思っているのだろうか。これは本当に詳しく聞かせてもらいたい。

「このまま帰るのもなんか面白くないし」
「そんなこと言われても、違うものは違いますよ」

面白くなさそうな顔をされるが、ここで引くわけにもいくまい。
再び、沈黙の間が生まれる。

しばらくして彼女は自らの頭部に手をやるのだった。
緩慢な動作でその上に乗っていた帽子を掴むと、こちらに向けて差し出す。

「また。貸してくれるかしら」
「構いませんよ」

それを右手でしっかり受け取る。
頭に乗せて目深に被れば、僅かに残った温もりが感じられた。
今までと同じもののはずなのに、少し違って思えるのだった。

「今日は付き合わせちゃって悪かったわ」

頭を下げる彼女。
それに向けて言葉を出す。

「また誘ってくださいな」

折角なのだから、タツノオトシゴという生物も見てみたいと思う。
どうせやることもないのだから、それくらい手伝ってやるのも悪くはないというものだ。

「ありがとう」

彼女は私の左手に握られていたホワイトブリムをそっと抜き取りながらそう言うのだった。



存在するかも分からないものを探すという目標。
それが叶うかは天のみぞ知ることだろう。
しかし、長い人生の中で目的もなく漂うよりも。何かを探しながら泳ぐほうが面白い。
まあ、悪くはないことである。
下へと降りていく姿を見送りながら、そう思った。

灰闇の水底へと消えていく白い姿に、ほんの少しの名残惜しさで手を振る。
なんのために彼女はそんなものを探していたのか。今になってそんなことが気を掠めた。
分かりはしないことだろう。人なんていつでも気まぐれで、思いつきで行動して。そうしてすぐに忘れる。
そういうものだと、知っているから。
ささやかな暇潰しに感謝を。だから、降り去る一儚の雪の彼女に向けて。一礼。
一筋の光が雲間を抜けて、照らして射した。



――それから、僅かの日が過ぎて知らせが届いた。
本人に自覚はなかったのだろうが、私には伝言だと考えたのだ。
きっと、すべては彼女は予想通りなのだろう。

「タツノオトシゴって知ってる?」

にんまり、その形容詞が当てはまる表情をしながら、総領の娘が問うてきた。

「名前だけなら」
「私、見てきた」

自らの鼻先を指差し、言う。小賢しい顔である。

「ちなみに聞きますけど、どこで見たのですか?」

顔をそのままに、自慢するような口振りで、説明してくる。
総領の娘の話は多分に憶測が混じっていて、どこまでが事実かは分からない。
しかし、まあ。こうやってわざわざ話しに来てくれる、案外にマメな性格は好ましく思う。

端的にまとめれば。
いつぞやのメイドの暮らす館に、水槽が置いてあったそうだ。
その水槽の中に、件の生き物が入っていたそうだ。
なんとも奇妙なことである。そして、そんな奇妙を起こしそうなのは、これまた限られている。
従者に家族の如き親愛の想いを注ぐ、幼い主。事ある毎に問題に首を突っ込む、存外にお節介な大妖怪。
どちらとも、面白そうなものに飛びつく悪癖がある。そして、人間が好きである。
だがまあ、誰の仕業かについて深く言及するのはやめておこう。

「どのようなものでしたか?」
「自分で見に行かないの?」

頭上にクエスチョンマークの浮かぶ表情。
私はできる限り自信に溢れた表情を作って。

「行きません」
「あら。どうして」
「知っていますから。ね」

そう、言って。
言ってやってから、帽子を被り直した。



――ずっと、ずっと、ずっと。後になって知ったのだが。
メイドは館に現れたタツノオトシゴを、頑として、見なかったらしい。
何度、見るように進めても、頭に何かを載せる仕草をして、楽しそうに笑うだけだった。
困惑する同居人たちを見て、彼女は言ったそうだ。
「幻想郷に海はある」のだと。

私は探している。今でも。
きっと見つかる。そんな予感が、頭の上を抜けていった。
ここまで読んで下さってありがとうございました。
もえてドーン
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コメント



0.520簡易評価
4.90奇声を発する程度の能力削除
タイトル見てパチンコの話かと思ったけどそんな事は無かった
とても面白かったです
5.100名前が無い程度の能力削除
とても和むお話でした
とりあえず明日の目玉焼きにはソースと醤油をかけようと思います
10.100無在削除
お見事でした。
咲夜さんのとぼけていながらも優しさがあるところや、咲夜さんと似た者同士な衣玖さんとのやりとりが素敵でした。
暇な生活のなかにも、宝物があるんじゃないかと探す心をもつことは、きっと素晴らしいことなのでしょうね。
豊かで、繊細な風景描写も素晴らしかったと思います。
11.70名前が無い程度の能力削除
全体的に少し説明不足な感じがしました。
雰囲気は好きです。
13.70即奏削除
最後の二行の畳み方が好きです。