Coolier - 新生・東方創想話

里に住む蓬莱人の一日

2011/02/06 12:08:38
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 満月の夜、一心不乱に筆を走らせる慧音の後ろ姿が好きだった。無防備な背を見せられること。それは信頼されている証だと思うから。
 囲炉裏の火の番をしながら、藤原妹紅は考えるともなしに想っていた。史記編纂の邪魔をすると即座に頭突きが飛んで来るから、この場で言う勇気はないけれど。
 冬。
 夜の長い、季節だ。一枚絵のようなその姿を眺めながら、妹紅はあと何度こうして過ごせるのだろうと思った。
 千以上の歳月を生きてきて、初めて出会った心からの友人。上白沢慧音は、しかし半人半獣だった。彼女の寿命は人よりも長いとは言え、永遠はおろか純粋な妖怪にすら遠く及ばない。
 蓬莱の薬を飲んでから、妹紅は後悔し続けてきた。それが理由で仇敵を憎み続けた自分の生を、今更否定するつもりはないけれど――普通の人間と同じ寿命だったらと考えることは増えた。もちろん、あれを飲んでいなければこうして彼女と出会うことはなかったのだが。

 ――考えずに過ごすには、二人きりの夜はあまりにも永いのだ。





 朝一番から妹紅は機嫌が悪かった。案内業の客にすら何かあったのかと聞かれるくらい、竹林の中にも関わらず上の空。これじゃ案内人失格だな、と言ったら苦笑しながら返された。悩み事は誰にだってあるものです、だそうだ。そうは言っても仕事は仕事、頭の中のもやもやはとりあえず棚にあげておこうと心に誓う。
 人里は基本的に妖怪に襲われることはない。だからその領域内にいればそれなりには安全だ。しかし、他の場所に行くとなるとそうはいかない。永遠亭や博麗神社、あるいは守矢神社など。行きたくても人が出向くことの難しい場所は、幻想郷に数多い。
 永夜の異変を経て、妹紅は人里と永遠亭の間に横たわる迷いの竹林の案内業を始めた。最初は慧音に促されて。次第に自分から進んで。今ではそれが高じて、二つの神社や変わり種では太陽の畑なんて所にも足を向けるようになった。半端妖怪は彼女がいるだけで回れ右、彼女以上に強い輩はそうそう人を襲いはしない。太陽の畑では、少し危ない目にもあったけれど。
 そうしていろいろな場所へ行くようにはなっても、一番件数の多い依頼は永遠亭への案内だった。

「じゃあ、診察が終わるまで待っていて。今日は例月祭の片付けが忙しくて、もてなしは出来ないかも知れないけど」
「構わないさ。私はただの案内役なんだ」

 言うと、八意永琳は苦笑しながら襖を閉めた。畳敷きの狭い部屋、小さな座卓、外を覗ける丸い窓。妹紅にあてがわれた待合室。永琳は一応、妹紅を客分として扱っているつもりらしい。
 里の医者には手に余る患者や、あるいは買い薬を求める客など。ここへの案内を依頼する客は様々だ。今日は病後健診の患者だから、そう長くはかからないだろうと妹紅は踏んでいた。今回限りで八意様の診察は終わりかも知れない、とも言っていたか。永琳が許可を出せば里の医者に引継ぎできる。わざわざこんな辺鄙なところへ来る負担も減るはずだった。

 居を構えていた竹林のあばら屋は、連絡の便が悪すぎて放棄した。今は里の外縁で目立たないように暮らしている。外見のせいで目立ってしまうのは仕方ないと割りきって。里の人達に声をかけてもらうのは嬉しい。
 幻想郷の冬は寒い。ここ最近はとみに永遠亭へ来る回数が増えていた。早く春が来ればいいのに。竹林の中に入ってしまえば積雪の影響はあまりないが、里は雪かきで大変だし、何よりこの季節は病人が増える。

「妹紅、入るわよー」
「……輝夜。何しに来た」
「ご挨拶ね。永琳に頼まれたからわざわざ来てあげたのに」

 すらりと襖を開けて、蓬莱山輝夜が入ってきた。漆染めの盆に湯呑みが二つ。永遠亭には似合いの、品の良い拵え。妹紅の好みには合わないものだったが。
 盆を置いて正座した、輝夜の向かいに胡座をかいて、妹紅は部屋を見回した。調度品に限らず、妹紅は永遠亭の装飾全般があまり好きではなかった。それなりの回数、ここを訪れてはいるのだが。例えば襖に描かれた五つの宝物柄は、輝夜が隣に立つと身構えてしまうくらいに精緻で。わざわざこの部屋用に彼女が描いたと聞いて、嫌がらせなのか判断に苦労した。良いものは良いと分からないわけではないのだが――昔を思い出してしまうからだろう、と自分では考えている。
 ここで出てくるものは人によってばらつきがある。永琳は大抵放ったらかし、鈴仙なら湯呑みが一つ減って、代わりに茶請け。てゐの出したものには手を付けてはいけない。そして輝夜は、

「毎回毎回、お前はどうしてお茶だけしか持ってこないのかね」
「あいにく、客でもない人に出す茶菓子は切れてるのよ。代わりにあんたが話をなさいな。私の分はそれで足りるから」
「……引きこもりめ」
「言い得て妙ね。じゃあ患者の社会復帰に付き合うと思ってほらほら」

 はあ、と妹紅が溜息を吐く間に輝夜は急須から茶を注いでいた。少しだけ危なっかしい手つき。当然だ。家事なんて、滅多にしないのだから。永遠亭の裏手にある薬草園で採れる茶は、人里で買ってきたものより味が良い。ただ、輝夜が煎れると味は一定しない。慎重に一口啜ってみる。今日は熱め、渋め。器はともかく味は妹紅の好みだった。

 案内人として人里に――少しづつではあるけれど――馴染むようになり、忙しくなるに連れて、輝夜と殺し合いをする頻度はずいぶんと落ちた。続けてきた理由は憎悪からなのか、と訊かれれば頷くことはできる。それでも、争う日々がどうしようもなく充実していたのは本当だったから――少し、物足りない感はある。
 代わりと言うには穏当だが、最近はスペルカードルールに基づいた決闘をするようになった。殺し合いの回数が減った分歯止めが効かなくなり、危うく里まで燃やしてしまいそうになったからだ。たまに流れ弾で絶命することもあるが、以前に比べればずいぶんマシとしたものだろう。

 そしてもう一つ、妹紅と輝夜の争いを減らした原因があった。命蓮寺尼僧・聖白蓮の存在である。
 憎いなりに気持ちの整理を着けることが肝要です、と彼女は妹紅を諭したのだが。輝夜との争いを腕尽くで止めた後の説教だったから、今一つ聞く気にはなれなかった。途中から協力したにも関わらず二人まとめて鎮圧され、しばらくは消沈していたから、結果として頭を冷やすきっかけにはなったけれど。その後結局、なし崩し的に永遠亭は緩衝地帯となった。
 
 輝夜との間に共通の話題はほとんどない。彼女は滅多に外に出ないし、盆栽を眺めてるだけで満足するような変わり者だから。月都万象展を開いてからは、また宝物蒐集を始めたらしいけれど。ヒントを得て作られた新難題。取材に来た文があれは反則、と嘆いていたとか。幸か不幸か、妹紅はその弾幕を見たことがない。

 ゆえに輝夜と話す事は専ら永遠亭の事情だったり、護衛道中の話だったり、最近会った連中の話だったりするわけで。
 今日は宝物を集め探す命蓮寺の主従に話が飛んでいた。妹紅はナズーリンを何度か迷いの竹林で護衛したことがあった。失せ物探しに集中すると、妖精の悪戯程度にすら気づきにくくなるのだそうだ。無事見つけた竹取りの忘れ物を届ける道すがら、内緒にしておいてくれと前置いて告げられた。普段は目立たないが一つ事に集中すると周りが見えなくなる性質なのだと。
 輝夜は命蓮寺の主従とは宴席でしか面識がないと言った。彼女たちの持つ能力も知らなかったらしい。

「星とナズーリンは宝物に関しては専門家みたいな奴らだし、話は合うかも知れないな。命蓮寺に行く気があるなら、だけど」
「そうなの? 永遠亭の人脈は広いけど浅いから蒐集には向いてなくて、正直困ってたのよね」

 ふむ、と考えるように顎に手を当てて、

「ま、いいわ。案内して頂戴な。興味が湧いたわ」
「……私は午後から用事が」
「命蓮寺は確か、里の近くにあるのよね? ああいう建物はレアものが多いって外の本に書いてあったっけ。蒐集家の血が騒ぐわー」

 いまいち話が噛み合わないのはいつものことだ。話を聞けよと言いたいのをこらえて頭をかいた。と言ってもどうせ輝夜は典型的な天邪鬼だから、妹紅が止めようとするほど行きたがるに決まっているのだけれど。

 ――やれやれ。

 ここへ来てから何度目かの溜め息を吐いた。いつになく喋ってしまったからか、喉が乾きを訴えていた。中身が半分くらいまで減った湯呑みに手を伸ばした。まだ少し熱いそれを一気に飲み干したところで、

「あ、そうだ。人里って言えば」

 向かいに座った輝夜が手を打った。

「慧音に言付けておいてくれるかしら。永琳がそろそろ来なさいって言ってたわ」
「何かあったのか?」
「いつもの定期健診よ。薬が切れる頃だろうから、って。そんな顔しなくても別にあんたが心配するような事はないってば」

 ひらひらと手を振る、深刻さを感じさせない態度に安堵した。永琳は患者の病状をはっきりと告げるし、輝夜もこと永琳の言葉をねじ曲げることはないから。後天的な獣人の慧音は、患った時――十数年前――から永遠亭の世話になっている。体調の管理だとか、満月の夜の興奮を鎮める薬だとか。白沢の記憶を歴史として体系化する事を慧音に勧めたのも永琳だ。元・人間が抱え込むには多すぎる知識をアウトプットする事で、身体への負担を和らげる――らしい。詳しい事は妹紅にはよく分からない。

「早い方がいいのかな」
「慧音の予定が合えばいつでもいいって。薬がなくなる前なら、だけど」
「そっか、分かった。……あー、時間を見て言っとくよ」

 曖昧に濁して、急須を要求した。差し出されたそれを取ろうとして、

「――また慧音と喧嘩したでしょ?」

 しれっと投げられた言葉に、浮かせた手が止まった。目線だけで伺うと、輝夜は寺子屋にあった童話の猫のような笑みを浮かべていた。してやったり。顔全体が語っていた。

「ふふ、どうして分かったか知りたい? そのいち。最初に慧音の事を持ち出さなかった。そのに。普段なら"時間を見て"なんて言わない。あの子の事に関してはね」
「む」
「そういう時は大抵喧嘩してるのよ、あんたたちは。ま、一番の理由は昨日が満月だったからなんだけど」

 分かりやすい奴、と呆れられた。人の事は言えないくせに。殺し合いを続けて三百年、相手の顔色を読むのは慣れていた。言いたくない事であっても、互いに雰囲気で何となく察せてしまう。甚だ不本意ではあるけれど。それでも、軽く鎌をかけられただけであっさり引っかかってしまった自分が腹立たしかった。いや、だって。言い訳にもならない言葉を口の中で転がす。

「……喧嘩、ってほどのことじゃない。ちょっと揉めただけで」
「はいはい。大方、今日くらいは休めだの休まないだので喧嘩したんでしょ。早いとこ仲直りなさい? あんたはともかく慧音は抱え込みやすいタイプだし。倒れても知らないわよ? 月一で同じようなことしてる癖に、学ばないのねえ」

 浮かせた手が座卓に落ちた。細められた瞳を睨みつけて、

「言われなくても分かってるよ! ……最近はお互い意地になってて――分かってるのについ、ね」
「妹紅の気持ちも分からないではないけどね。イナバも結構無茶するから」

 輝夜は苦笑した。蓬莱人は不死任せに無理を通す。だからこそ定命の者が無理をするのは、見ていて気持ちのいいものではない。実際に鈴仙は手術や新薬を試している最中の永琳に付いて一週間近く寝ず過ごし、挙句倒れてしまったのだ。
 あの時は連れてきた患者さんに――今朝の妹紅と同じように――様子がおかしくないか、なんて訊かれるほど、永琳はいつもの精彩を欠いていた。医者の不養生、弟子の体調にも気をつけてあげなさい、と輝夜の叱責を見た時には驚いたものだ。結局、鈴仙はてゐが看病していた。暇だしねえ、と薄く笑いながら、しかし労るように頭を撫でていたのを覚えている。

「自分を大切にしろ、って私には怒ってたくせにさ。どうせ死なない私を心配する暇があるんなら、自分の心配してろってんだ」
「過保護ね」
「うるせえ」

 仰向けになって畳へ倒れ込んだ。夜中に急患を運び込んだ時には不本意ながらここで仮眠を取ることもあった。目に映るのは天井、丸窓、襖――好むと好まざるとに限らず、見慣れてしまった光景だ。

「気晴らしに弾幕ごっこでもする? 付き合うわよ」
「結構。今日は予定があるって言っただろ」

 珍しく午後からも予約が入っているのだった。それに真昼間から派手にやらかせば、白蓮が飛んできてもおかしくない。和を以て貴しと為す、を標榜する彼女に捕まれば、ことによると閻魔よりも長い説教を食らうことになる。何より疲れるし。
 妹紅がそう言うと、輝夜は心なしかつまらなそうに鼻を鳴らした。仰向けのままだったから表情は見えなかったが。
 
「お前とやりあうのが楽しいのは認めるけどさ。お客さん優先なんでね」
「そう? なら、週末までは待ってあげる。それまでに慧音と仲直りして、私の相手をなさい」
「仲直り、って……あのな、別にそこまで深い喧嘩じゃないっての」

 よっ、と勢いをつけて妹紅は起き上がった。

「今日中にはなんとかなるって……多分」
「あらそう」

 頬杖をついて、どこか可笑しそうに輝夜は笑っていた。いつの間にかお茶が注がれていた。

「愚痴なら聞いてあげるわ。――何なら、泊りがけで愚痴ってく? 慧音がヤキモチ焼いてくれるかも知れないわよ?」
「バカ言え。私がここに泊まるのは仕事の時だけだ。――あと百年は、な」

 ありがたく二杯目をすすり、ほう、と息をはいた。帰る場所を人里に定めていること――それは、妹紅の中の決まりごとだ。できるだけ長く、慧音の傍にいたいから。
 人に近しければ、変わっていくのも早い。十年ほど前、寺子屋を開いた時。慧音は今のような信頼を勝ち得てはいなかった。彼女が未だ白沢の能力を完全に飼い慣らしてはいなかったこと、妖怪との間に今よりも隔たりがあったこと、理由は様々だったけれど。
 寺子屋や里の護りを続け、解ってもらう努力をして、慧音はいつしか"里の守護者"とまで呼ばれるようになった。人ならざるものとなって尚人間の側に立つ事を決めた――その慧音が人の前に立ちはだかったのは後にも先にもあの一度、肝試しの夜にだけ。
 だから、あの時。
 妹紅は彼女が逝ってしまうまで、傍にいる事を決めたのだ。

「永くは生きられない者にのめり込んで、少しでも共に生きたいと望んで。ままならないものね、人間は」

 語ったことはないにせよ、輝夜もまた永遠の命を持つ。物憂げに呟いた彼女とて、別離を考えたことがないわけではないのだろう。

「全くだ。人と生きる事を放棄すれば、それだけ楽に生きられるのにな。そこを割り切れないから私は人間なんだろうよ」
「――私も、イナバが居なくなればその気持ちが分かるのかしら」

 住処を永遠で押し包み、親しい者の死を知らない輝夜。地上で彼女を育てた翁と媼――あの二人の死を見送っていれば、少しは何かが変わっていたのだろうか。それを経験させないために、月人はかぐや姫を迎えに来たのだろうか。いずれにせよ目論見は外れた。彼女は自分を地上の民だと言い切る程度には、地上での暮らしに慣れている。
 その分、人間らしくない言動は目立つのだが。

「まずはその"イナバ"って呼ぶのを止める所からじゃない? 名前ってさ、結構大事なモノなんだよ」

 今まで何度となく思っていたことだ。例えばそれは、自らを白沢の上に置く"上白沢"を名乗る慧音のように。永琳が鈴仙を"ウドンゲ"と呼び、月兎としての"レイセン"でない存在として定義しようとするように。後者は本人が今一つそれを自覚していない分、上手くいっていないようだけれど。
 名前かあ、と輝夜は丸窓の外を見やった。自分と永琳以外の個体を認識する必要のなかった永遠亭。その外にいた、癖の強い連中。異変の最中に知り合った彼女たちを、どう呼んでいた?

「……努力してみる」
「そうしろそうしろ」

 腕を組んで難しい顔をした輝夜に、妹紅は頬杖をついて軽く片手を振った。とりあえず区別はしていたのだし、名前を呼ぶくらいの事は簡単だと思うのだが。それとも、月にいた頃の習慣が関係あるのだろうか。だとすればどうすることも出来ない。まあ、応援くらいはしてやるか。
 その輝夜の背後で襖が開いた。聴診器を首から下げて、永琳が立っていた。腕組みをする輝夜と頬杖をついた妹紅を交互に見て、

「何の話をしていたの?」
「妹紅が慧音と喧嘩したって話」「輝夜がイナバ呼ばわりを止めるって話」
「……ええと」

 永琳は珍しく曖昧な苦笑を浮かべた。仕切り直すように咳払いを一つして、

「佳恵さんには先に玄関まで行ってもらったわ。待たせないように早く行ってあげて」
「ええ? 勝手だなあ」
「こっちから回った方が遠回りになるじゃないの。それから、一応あなたにも言っておくわね。今回で私が経過を観察するのは終わり。何かあった時のために、里医へ紹介状は書いたけれどね。もともと置き薬のお客さんだったし、強壮剤の類なら引き継ぎなしでも事足りるでしょう」
「分かった。もう前通りの生活に戻っても構わない、って事だよね?」
「ええ。無茶さえしなければ、だけど」

 よかった。妹紅は掛け値なしに安堵した。あの人と連れ添いの苦労を間近で見てきたから、尚更だ。永琳が永遠亭を開いて本当によかったと思うのはこういう時だった。

「じゃ、私はこれでお暇するよ」
「そう? 輝夜から聞いたかも知れないけど、そろそろ慧音も検診の時期よ。喧嘩してたとしても早めに仲直りして、言付けておいてね」
「……はーい」

 子ども扱いされるのは好かないが、自分が悪いのだから仕方がない。残っていたお茶を飲み干して立ち上がった。向かいに座っていた輝夜も同時に。

 ――本当に行くのか、命蓮寺。

 正直な所、日を改めてもらった方がいいのだが。まあ、連れて行くだけなら構わないかと思い直す。道案内という仕事にはそれなりの愛着と誇りを抱いているのだ、これでも。
 輝夜は永琳に盆を押し付けて、言った。

「永琳、ちょっと出かけるわ」
「あら、どこへ?」
「命蓮寺まで。じゃあ行きましょ。案内してくださいな、紅の自警隊さん?」

 溜め息一つで返事をして。廊下へ続く襖を開けた。行ってらっしゃーい、と少し間延びした永琳の声が追いかけてきた。





 人里の外れの一角に、命蓮寺は建っていた。門主、聖白蓮をはじめ寺に住む者はみな妖怪だが、人徳と宝船・聖輦船が変化した縁起の良い寺院として信仰を集めている。
 と、言えば聞こえはいいのだが。
 寺住まいとは言え彼女たちは妖怪であることに変わりなく、つまり誰もかも一廉の武僧なのである。里を守るべき立場の慧音は命蓮寺建立当初、その扱いには大分苦労していた。苦慮に苦慮を重ねた結果、一時体調を崩していたほどだ。
 しかし聖の人柄や幻想郷の風土が幸いしてか、時間が経つ内に命蓮寺一門は人里に馴染んでいった。今まで縁のなかった除夜の鐘は、たった一年で年越しの風物詩となった。狭い人里どころか、遠く妖怪の山にまで響いていたというから、余程インパクトの強い出来事だったのだろう。
 妹紅は外の世界で経験があったから、懐かしく思いこそすれ命蓮寺に帰依しようとまでは思わなかったけれど。あれが決め手となって入信した里人も多かったと聞く。

「ナズーリンはいるかな。会いたいって奴がいてね」
「あら、今日は失せ物探しの依頼で朝からいないの。残念だけどこういう日は大抵夕方頃まで帰って来ないから、日を改めてもらったほうがいいかもね」

 ただ、入信したからと言って今まで正式な仏教とは馴染みのない暮らしを送ってきた人ばかり。無論、慣例的な素地はある。しかし大抵は命蓮寺を訪れたとしても、"正しい"作法が分からないのだ。妹紅とてそれは同じなのだが――そういう人たちのために、寺の門前には入道使い・雲居一輪が立っている。
 命蓮寺の誰かに用がある時は彼女に取り次いでもらえば事足りる。暇な時には入道・雲山共々遊んでもらうこともあるのだと、寺子屋の生徒たちから教えてもらった。
 その一輪が言うからには、ナズーリンは本当に夕方頃まで帰って来ないのだろう。妹紅は振り返って輝夜に曖昧な苦笑を向けた。

「だってさ。今日の所はやめとくか?」
「いいえ、せっかく永遠亭を出てきたんだもの。雲居さん、でしたっけ。少し中を見学させてもらっても構わないかしら?」
「構わないわよ。あ、でも姐さんと星は読経の時間だから邪魔はしないようにね」

 ああ、星もいたなと思いだした。面識のあるナズーリンを優先して彼女の存在を忘れていた。宴席でも余り絡んだことがなかったから仕方がないとしておこう。妹紅は心の中で星に謝った。
 輝夜を引きあわせれば時間も丁度いい頃だろう。さっき正午の鐘が鳴っていたから、待ち合わせまであと半刻程度だろうし。

「あいよ。失礼のないようにな、輝夜」
「馬鹿にしないで。貴女よりは礼儀作法を心得ているつもりですわ」

 すまし顔の輝夜が外の世界で見たものよりも数段簡素な山門をくぐり、境内に入る。一輪と挨拶を交わし、妹紅も後を追った。

「妹紅、案内してよ。お寺の中なんて入ったことないから分かんないの」
「だから私はこの後仕事が……ま、少しくらいならいいか。見学っていうと本堂からかね」

 聖輦船が変じた本堂は良くも悪くも目立つ。妹紅があれだ、と指さす前に、輝夜はさっさと歩き出していた。彼女は馴染みの前では猫を被らない。できれば永遠亭の外にいる間くらい被り続けて欲しいものだ。無理だろうけれど。

「へえ、本当に変わった形をしてるのね」

 言われなければ船だと分からない程度に形を変えて、聖輦船はもともとの形だという倉に近くはなっている。それでも、一般的な建物の形からすると確かに奇妙にも映る。船長――村紗水蜜の趣味なのだとか。船に憑依する船幽霊だからこその技、とでもいうべきか。土台は守矢の神が作ったから変えられないが、上部は今まで何度か変化したのだとも聞く。

「月に一度は遊覧飛行もしてるんだ。迷いの竹林は周回コースに入ってないから、私もあんまり見る機会はないんだけどな」

 霧の湖や太陽の畑、果ては冥界の白玉楼までリクエストすれば大抵の場所を訪れることができるとあって、遊覧飛行は好調なのだとか。正直なところを言えば案内業と分野が被るので、妹紅は当初、商売敵になるだろうと思っていた。しかし聖輦船は一つ所に停泊せず、あくまで"遊覧"という形に留めたから、喰い合わずに済んでいる。

 本堂の中はがらんとしていた。そもそも本尊が生きている上に、変形する上での障害になるという理由で据え付けの祭壇しかおいていないためだ。ここを講堂代わりに説法を行っているとも聞く。何度か誘われた法会に妹紅は来た事がないから、伝聞なのだが。こうして見た感じだと、命蓮寺の伽藍は相当に変則的な造りをしているのだろう。
 何かあるものだと期待していた輝夜は露骨に消沈していた。ぐるりと首を巡らせどうでもよさそうに、

「外からはよく分からないけど、案外天井が低いわねー」
「その辺りは水蜜にでも聞いてくれ。詳しいことは分からん」
「ムラサは布教に出ていていないの。ぬえも追いかけて行ってしまったから、今日の命蓮寺は私と星と一輪の三人だけということになるわね」

 中心で天井を見上げていると、入口側から声をかけられた。隣の輝夜が少しだけたじろぐ。聖白蓮――輝夜の苦手なこの寺の尼君だった。輝夜は読経の時間と聞いて油断していたのだろう。争いごとの渦中でもなければ温和な尼僧だし、慧音が参っていた頃には半ば監視のようなこともしていたから、妹紅自身はそれなりに打ち解けている。命蓮寺へは案内が必要ないから、あまり来ることはないのだけれど。

「久しぶり。ちょっと見学させてもらってるよ」
「ええ、一輪から聞いたわ。何なら私が案内して差し上げますが?」

 邪気をかけらも見いだせない笑みを向けてくる。暫く観察していて分かったのだが、白蓮は会ったことのないタイプの人間――魔法使いだった。端的に言うなら、今までに見たことのない"善人"。いつかは幻想郷の文化に染まってしまうのか、その辺りが妹紅にとっては不安材料だった。
 今日はその邪気のなさを利用させてもらおうと思い立つ。このまま輝夜に付き合うと待ち合いに遅れてしまいかねない。妹紅は白蓮へと輝夜を押しやった。

「そう? じゃあ輝夜、私は飯食って来るから。聖に案内してもらった方が詳しく解説してもらえるだろ」
「え? あ、ちょっと!」
「命蓮寺までお連れしました。中の案内までは契約内容に入っておりませんので悪しからず。じゃ、頼んだよ」

 仕方なさそうに白蓮は笑った。一瞬反応が遅れた輝夜を大丈夫大丈夫と無理矢理押し付けて、妹紅は本堂を後にした。



「それで、聖に輝夜さんを押し付けてきたんですか? 貴女も存外に人が悪いですね」
「物理的な手段に出ないだけ丸くなったのさ、これでもね」
「下手をすると皆が帰って来るまで離してもらえませんよ?」

 それもまた良し、と返して。里で買っておいた握り飯を長座卓に着いて頬張りながら、妹紅は宿敵の現状を思った。命蓮寺はそう広いわけでもない。見学自体はすぐに終わるだろう。その後に説法でもされなければ、だけれど。
 隣の台所に立つ星がやれやれと溜息を吐いた。白蓮の説法は始まると長い。命蓮寺を訪れた者の共通認識だった。尤も間に挟まれる小噺が面白いから、さほど退屈はしまい。妹紅も初めてここを訪れたときに、その洗礼を受けていた。しかし気の短い輝夜がどれだけ耐えられるか。
 もちろんそのことは星も分かっている。

「日暮れ前には帰すように、私から聖に言っておきます。遅くなるようなら永琳さんに連絡を?」

 命蓮寺や永遠亭などの大きな建物には、最近になって河童が電話を取り付けていた。急を要する事が起きた時に使ってくれ、と言っていたか。妹紅も頼み込んで、自宅に取り付けてもらっていた。守矢の巫女の発案だそうだが、なかなかに便利で重宝させてもらっている。例えば、永遠亭に急患の受け入れを頼む時だとか。
 ゆえにこういう時に使うのは抵抗もあるのだけれど。あとあと輝夜になにか言われるのも面倒で、妹紅は軽く頷いた。

「うん、そうしてもらえると助かる。あれで永琳は過保護だから」

 輝夜に聞かれれば自分のことを棚にあげて、と怒鳴られそうな台詞だ。この場に彼女はいないから、何の問題もないのだが。

「以前お会いした時には、あまりそういう印象を受けなかったのですが――意外なものですねえ」

 人好きのする笑みを見せて、星は言った。肩口に乗ったネズミがどことなく間抜けだ。
 彼女や守矢の二柱を見るたびに思うのけれど、本尊とか御神体が実体を持っているのは――何というかこう、落ち着かない。神仏妖怪の類を見慣れているとは言え、外の世界では見えない事が普通だったからだろう。妹紅が知らないだけで、実体を持っているモノもいたのかもしれないが。威厳とかそういう次元でイメージと外れているのも原因だろうか。
 垣間見せる厳しさで言うなら、彼女たちより永琳の方が上かもしれない。それも以前の話で、妹紅の前ではそういう態度を見せなくなって久しいから、思い出す事は難しいのだ。

「あいつは――うん、まあ読めないから。そうは見えなくても仕方ないさ」

 読めない、というよりは分からないという方が正しいかも知れない。いつもはマトモな癖に、たまにチラつく加虐趣味がいけないと思う。いつだったか当人は毒劇物が効かないからと言って、ロクでもない薬の臨床試験に使われそうになったこともある。あの時は流石に全力で逃げた。それでも、何のかのと永遠亭主従との付き合いは長いわけで。

「腐れ縁、って言うのかな。三百年も付き合ってたから何となく分かるんだけどね」

 照れくさくなって、握り飯を口の中へ放り込んだ。昔は輝夜ともども殺してやろうと思っていた。今は人里に関わる者として、良好な関係を築いておきたいと思っている。
 それでも永琳が変わり者であることは、論をまたない所なのだが。

「薬師始めた時だってそう、冗談みたいな値段で売って警戒されたりしてたんだ」
「永遠亭の方々も紆余曲折あって人と馴染んでいる、ということですか……」
「そうそう。あんたらと同じようなもんさ」

 命蓮寺と違うのは、永琳の人となりを多少なりとも慧音が知っていたことだろう。永遠亭が人間を診察し始める数年前から、彼女は秘密裏に永琳に掛かっていた。その里の守護者が喧伝したからこそ、永遠亭の名が人口に膾炙するのも早かったのだ。幻想郷縁起にただより高いものはない、と書いた稗田の当主ですら、今は永琳の世話になっているくらいなのだから。
 けれど妹紅の言葉に、星は小さくかぶりを振った。

「同じ、と言えるかどうかは怪しいところでしょう。私たちは帰依していただいた方々に返せる物があまりにも少なすぎますから。仏式の行事を広めていく段階ですよ? 永琳さんは薬師としての技量を持っていたのでしょう?」
「まあね。けど不思議だな。冥界、中有の道、三途の川……他にも仏教に関係ありそうな場所なんて幻想郷にはありふれてるのに、そんな所から始めなきゃいけないなんて」
「私たちのような者からすれば確かに、そういった場所は身近かも知れません。ですが、里の人々にとって仏教とは何哉と問われて返る答えは精精彼岸、法要程度のものです。霊魂との距離が近しいからこそ起きることなのでしょうが、我々としては個々の行事の意味まで考えてもらえれば――祖霊や死者との関わり方も変わってくるのではないかと思っているんです。そもそも私たちの教義において、厳密に霊魂というものの存在は認められていませんし。幻想郷の観念を学ぶ事で精一杯ですよ、今は」

 柄にもなく語ってしまいましたね、と台所の親しみやすいご本尊は頬をかいた。いや、と妹紅は手を振って、

「いいさ。あんたが言う時には言うヤツだ、って分かったからね。聖共々、命蓮寺はこわーい妖怪がいっぱいだ」
「これでも一応、虎ですから。魔法使いより怖いかも知れませんよ?」
「参ったな。おちおち殺し合いもできないじゃないか」

 星はネズミが落ちない程度に静かに笑った。三つあった握り飯の二つを平らげた所で、味噌汁を持ってきてくれた。朝の残りを温めてくれたらしい。他の残り物はナズーリンや水蜜が昼食用に持っていったそうだ。惜しいことをした。命蓮寺の料理は他人からすれば味気ないのかも知れないが、素朴な味付けが妹紅は好みなのである。
 今度慧音に作ってもらおうか。自分で習った方が早い気もするけれど、そこは気分の問題だ。特に料理に関しては、自分のセンスが信じられないし。不死任せはこういう時に困る。
 前掛けを外して、星が向かいに座った。この庫裏――住まいは命蓮寺本堂の裏側にあって、客はあまり入って来ない。修行をしていない時にはここでのんびりしていることも多いのだという。たまに、居眠りをしてしまうことも。虎が元身のまま日向で寝転んでいるところを想像して、妹紅は小さく笑った。

「似合い過ぎ。でもナズーリンは怒りそうかな」
「いえ、彼女は……その」

 言葉を探すように、星は視線を彷徨わせた。数秒の間を置いて、

「――私がそうすることのできなかった千年を知っていますから」
「ああ……そっか」

 命蓮寺が抱えていた事情を失念していた。言ってはいけなかったか、と一瞬後悔して。浮かべられた笑顔にほっとした。待っていた甲斐は――あったのだ。聖白蓮は封印から解かれたのだから。再び得られた微睡みを邪魔するには、あの従者は少しばかり優しすぎると見える。

「他が厳しい分だけ、ナズーリンの中でバランスを取っているのでしょう。私には言ってくれませんが」
「……いいね、そう言うの」
「でしょう? でも私に感づかれていると知ったら、きっと手加減してくれなくなると思うので。あの子には内緒にしておいてもらえますか」

 あなたも内緒ですよ、とネズミと顔を見合わせている。
 長い歳月を待てる妖怪たち。聖が生きているという確信があったから――では、あるのだろうけれど。いや、仮令命を落としたのだとしても、仏徒たる彼女たちは輪廻を信じて待ち続けるのか。いずれにせよ、拠り所があるというのは心強いのだろう。
 今はその気はないにせよ、いつか仏門に帰依してみるのも面白いかも知れない。そう言うと、星は静かに頷いた。入信希望はいつでも受け入れています、だそうだ。
 千年。自分が生きてきたのと同じような時間、この主従は仲を深めてきたのだろう。それを思うと、

 ――羨ましい、ね。

 妹紅は心の中で溜息を吐いた。今日は何だか、調子の狂う日だった。輝夜然り、星然り。自分が寿命の短いものたちの間に暮らしていることを考えてしまう。慧音との口論が響いているのだろうか。思えば永遠亭も命蓮寺も、生きる時間を同じくする人妖の集まりだ。
 人の傍に生きる、という事は妹紅を含む彼女たちにとって残されるという意味でしかなくて。どれだけ経ってもこの寂しさに慣れる事はない。慣れたいとも思わないけれど。人妖の大きな壁は、命の長さに起因していると慧音は言っていた。何とはなしに、そのことを思い出した。

 和室にあまりあっていない壁掛け時計を見た。これも河童が作った物だ。長針と短針の組み合わせは、命蓮寺へ来てから四半刻余りを告げていた。次の客との待ち合わせ時間が迫っていた。

「っと、もうこんな時間か」
「これから予定が?」
「そうなんだ。輝夜の事、よろしく頼む」

 片手で拝んで立ち上がった。握り飯を包んでいた油紙は厚意に甘えて処理してもらうことにした。
 待ち続けた千年分の話を今度聞いてみよう、と妹紅は思った。絆と繋がりの話。獣人と蓬莱人でも、それを見出すことはできるのだろうか。

「急で悪かったね。説法、たまには聞きに来てみるよ」
「ええ。お待ちしています」

 こちらの心境に気づいた風もなく、星はいつも通りだった。その優しげな微笑はやはり、獰猛な虎妖怪には見えなかった。次の法会の日取りを思い出しながら食堂を出て、

 ――……あ。

 そう言えば、輝夜の目的を話し忘れた事を思い出した。しかしどうせ聖に捕まったのだし、今日中にどうこうという訳にはいかないだろうと思い直した。
 少しだけ後ろ髪を引かれながら、妹紅は命蓮寺を後にした。





 博麗神社の裏手に温泉が湧いたのは、何年前だったか。命蓮寺ができた頃に噂になって、それから依頼されて護衛をするようになったから、かれこれ二年にはなるのだろうか。
 賽銭は願えど萃まらないが、妖怪は願わずとも萃まる妖怪神社――と揶揄されたのも昔の話だ。人里にはない露天風呂。巫女の庇護の下、普段は話せないような大妖と話せる機会。娯楽の少ない幻想郷には珍しく、物見遊山に日帰り旅行をするにはちょうどいい距離。
 冬場は少し辛いけれど、妹紅の炎は寒さと妖怪を寄せ付けない。今では永遠亭についでよく訪れる場所となっている。片道一刻もかからない道のりを、お客さんと談笑しながらゆっくり歩くのはなかなかに楽しい。彼ら彼女らの中には泊まってみたいという客もいるのだが、今の所霊夢にその気はないらしい。

「神社にお宿を作ればいいのにねえ」
「うーん、鬼に頼めば簡単かもしれないけどね。でも内風呂作るのも手伝ってもらったらしいし、霊夢は借り作るの好きじゃなさそうだからなあ。一応駄目元で頼んでみればいいんじゃない?」

 神社前の石段を登りながら、そんな話をした。鬼――伊吹萃香は乗りが良さそうだから協力してくれるかも知れない。ただ、敷地を考えると裏手の神木が邪魔になって、場合によっては伐る事になるだろう。八雲紫がそれを許すとは思えなかった。
 そう思ってはみたものの、後ろで盛り上がるお客さんたちに水を差すのも悪い気がして。あんまり強引に押すのは止めときなよ――なんて、日和った台詞を妹紅は吐いた。霊夢は基本的に誰に対しても平等だけれど、あれはあれで押しに弱い性格をしている。紫は冬の間何故か姿を見せないから、その間に宿を建ててしまったら事だ。里の人が大事なのは無論だが、妹紅は幻想郷を失いたくもないのだった。
 何段あるか数えた事もない階段を登って行くと、朱塗りの造形が姿を現した。

「鳥居が見えたよ。もう一息だ」

 数段をひょいひょいと登って振り向いた。今日の客も、いつものように年配者が多い。手伝いたいのは山々だが、仮にも神社を訪れるのだし、祭神に敬意を払う意味でも自力でここを登ることは必要経費だと妹紅は思っている。
 妖怪と人間が今ほど近くなかった頃の生まれなのに、どうして辛い思いをしてまで"妖怪神社"に行く気になったのだろう。思って聞いたことがある。その時は年を取ったからだ、と返されて、妙に納得したものだ。実のところ温泉は口実で、命あるうちに博麗神社へ参拝しておきたいという客は存外に多い。

 今日はどなたがいらっしゃるのかしらねえ、と暢気な人たちの先頭に立って、妹紅は緋色の鳥居をくぐった。眼に映るのは境内に面した社務所。開かれた障子。冬の最中だと言うのに、博麗霊夢は縁側に座っていた。奥の座敷には炬燵だって見えているのに。

「あれ?」

 炬燵に誰かが入っていた。両手で湯呑みを抱えて、開け放たれた障子を恨めしそうに眺めている。見覚えがあるその顔は、

「ナズーリンじゃないか。どうしたのこんな所で」
「失せ物探しだよ。君の客が神社に忘れ物をしていてね。それをすっかり忘れて私に依頼してきたのさ」

 おかげでこの寒い中を出歩くハメになった、と恨み言を投げられた。寒いのは苦手だったのか。と言うよりそれはこちらのせいではないような気がするのだが。いつも一緒のネズミたちがいないのも、寒さが理由だったりするのだろうか。あの一匹だけでなく、みな星と留守居をしていたのかも知れない。

 境内の隅には雪かきをした跡なのか、雪山が幾つか出来ていた。雪だるまも。氷精か鬼の仕業だろうか。賽銭箱周りと裏の温泉へ続く道はできるだけ丁寧にやろうとしたのか、努力の痕跡が見えた。ただ、その甲斐なくあまり綺麗にはなっていない。
 挨拶を交わす妹紅とナズーリンを放っておいて、霊夢は客に声をかけていた。

「よく来たわね。お風呂で一献、なんて人はいる? 少しくらいなら用意するわよ」
「儂らァもう無理の出来る年ではないですわ。軽く晩酌するのがせいぜいで」
「そう? そうね、酔っぱらいの世話をするには妹紅一人じゃ大変か」

 今日は四人。妹紅一人で介抱しながら里まで帰るとなると、大仕事になる。できれば止めてもらいたかった。不可能ではないから、どうしてもという人がいればそれはそれで構わないのだが。と、客の一人がナズーリンの耳に気付いたらしい。妹紅の後ろから出てしげしげと彼女を見つめ、

「そちらのお嬢さんは毘沙門天様のお弟子さんで?」
「ああ、そうだよ」
「神社に仏様のお弟子さんがいるというのも、何やら不思議な気分ですなあ」
「そうかい? まあ一風呂浴びてくると良い。ここまで来るのは寒かっただろう」

 台詞を取られた霊夢が頬をふくらませた。流石にそれは狭量というものではなかろうか。 
 客たちはめいめい霊夢とナズーリンに頭を下げて、神社の裏手へ回っていった。途中で賽銭箱に心付けを入れることも忘れずに。温泉の利用料は取っていないけれど、その分里で湯屋を使う程度のお金を納めていくのが慣例となっている。中には純粋な信仰心から賽銭をあげていく人もいるのだが、その違いは霊夢にとって微々たるものであるらしい。

 客の後ろ姿を見送って、妹紅は社務所の中に入り込んだ。裏手には脱衣場と式神が配されているから、安全面――溺れたり、食われたり――の心配はない。温泉を開放するに当たり紫に教授してもらったそうだが、彼女の使う式とは違い媒介を利用しない分単純な機構しか組み込んでいないのだとか。聞く限りでは不安を拭えなかったが――一度実演されてからは信用することにしている。

「一週間ぶり、だっけ。元気してた?」
「まあまあね。冬場は来る人が少ないから楽でいいわ」
「……嘘ばっかり。さっきまで鬼と天狗が来ていたじゃないか。雪かきまでやらせていた癖によく言う」

 ボソリと呟いて、ナズーリンは湯呑みに口をつけた。霊夢の額に青筋が浮かんだ。

「人、って言ったでしょうが。あんたら妖怪は勘定に入れちゃいないわよ」
「そうかい? これは失敬」

 能力禁止で雪かきをさせられちゃ敵わないからね、とナズーリンはシニカルな笑みを浮かべた。えげつない事をさせる。萃香がいたのに今一つ境内が片付いていなかったのはこれが理由だったようだ。寒中弾幕ごっこに付き合わされた腹いせだとか。

 二人の言い合いを一先ず放っておいて、妹紅は炊事場へ入った。ここへ来る頻度が多くなった頃に買ってきた、自分用の湯呑みを探す。戸棚の隅にしまわれていた。宴会用の大皿が占拠する棚の中から毎度探すのは割に骨が折れる作業だ。
 社務所へ戻ると口論は終わっていた。大してこだわりもないのだから当然と言えば当然か。とりあえず炬燵へ潜り込む。ナズーリンの右手側。誰が持ってきたのかみかんが山積みになっていた。ここ何年かで冬の間よく見かけるようになった果物で、甘みと酸味が程よい味が好きだった。早速一つ皮を剥きながら、ナズーリンに話しかけた。

「ここの前に命蓮寺に寄ってきたんだ。ナズーリンと星に用があってさ」
「私たちに? 君とは商売上の繋がりしかなかったはずだけど」
「違う違う。輝夜、って知ってるか? あんたらの能力に興味があるんだって」
「私の……と言うと、何か探し物でもあるのかい?」

 いいや、と首を振って一つまるごと口へ。……酸っぱい。外れを引いたようだ。

「~~っ。ま、まあ近いって言えば近いかな。蒐集癖持ちで、宝物を集めてスペカ作るヒントにするんだよ」
「へえ。そういう事なら、申し訳ないが期待には応えられないな。私は不特定の何かを探す事は不得手なんだ。宝物、という括りだけでは漠然としすぎているからね」

 そうだったのか。外の世界ではそれこそ温泉や鉱脈を探し当てるのがダウジングと聞いていたから、少し意外だった。

「なら星は?」
「ご主人様は私欲のために能力を使わないよ。本人は頼まれれば首を縦に振るかも知れないがね。――私が使わせないさ」
「……どっちが上なんだ、あんたら」
「さて、どちらだろうね」
 
 ナズーリンは意味深な笑みを送って寄越した。初めて会った時から思っていたけれど、彼女の底知れなさは永琳と通ずるものがある。感じる妖力自体は然程でもないのに、正面きって渡り合いたい相手ではない。目だけで探り合いをしていると、縁側で障子を閉める音がした。妹紅の向かいに霊夢が足を突っ込んだ。

「やっと熱が引いたわ。全く無茶させるんだから」

 縁側で火照りを冷ましていたのだと言う。相手は萃香だったらしい。珍しい事もあるものだ。てっきり文を追い払うためだと思ったのに。文は通りがかった所を萃香に萃められたのだとか。

「酒だけ呑んでりゃいいのに酔っ払って挑んでくるから返り討ちにしてやったのよ。もう少し早く来てればあんたに任せたのに」
「無茶言うね。じゃあ二人とも、温泉に入ってたりするの?」
「いいえ? 文がうっかり山で宴会があるなんて言っちゃって、萃香に引きずられて行ったわ。……まだ日も暮れてないのにね」
「そりゃ何と言うか――あいつは災難だな」

 妖怪の山と鬼の関係は、少しだけ聞いた事があった。酒が入ると文は昔の事を語りだすから。生半なことでは乱れないくらいに強いので、何人もの猛者と飲み比べをした後、考え考え思い出しながらしみじみとではあるが。
 初めて絡まれた時には意外だったけれど、彼女は彼女で思うところがあるのだろうし――自分が知らない頃の幻想郷の話は聞いていて楽しかった。考え方によっては素面の方が鬱陶しい位だろう。

 ナズーリンが急須をこちらへ押しやった。みかんと合わせて飲むのは苦手なのだが、彼女の厚意を無下にするのは忍びない。障子を閉めても外気にさらされていた部屋の中が急に暖かくなるわけでもなく、彼女はまだ寒そうだった。術を使えば室温自体は上げられる。しかし一度炎を経由する関係で、あまり室内向けの術ではない。

 ――そうだ。

 ふと思いついて、試させようと思い立った。向かいの霊夢に手招きする。

「霊夢、ちょっと手ぇ貸せ」
「何よ」
「いいから。私の符を織り込んで、暖気の結界を張ってくれないか。細かい調整は苦手でさ。できる?」
「できない事はないと思うけど……」

 そう言って面倒そうに炬燵から這い出た霊夢に、数枚の符を渡した。危ない危ない、たぶんあと数分遅れていれば動かなかっただろう。燃やす事に特化して作ってある分、自分の力では継続的に熱を加えたりする微妙な調整がきかないことを、妹紅は経験上知っていた。どこぞの魔法使いの八卦炉くらい使い勝手のいい魔具がそこらに転がっていないものだろうか。
 炎の符に抑えの符を重ねて、燃焼から暖気まで力を落とした符を部屋の四方へ配する。他人の力を通した符でも、霊夢には容易く制御できるらしい。天才肌はこういう所が怖い、と妹紅は思った。
 結界の効果はすぐに現れた。かすかに揺れる暖かい空気が冷気を払っていく。頭寒足熱と言うには"寒"が強すぎた室内が、炬燵の中と丁度いいくらいの温度差になった。
 一仕事終えた霊夢が炬燵に戻ってきた。座るなり妹紅に指を突きつけて、

「あんた、符一枚にどれだけ妖力込めて作ってるの? 下手すると一日持つわよこれ」
「言っただろ、細かい調整は苦手なんだよ。自分じゃこんな使い方はしないし、とにかく燃やせる事の方が大事だったし」

 もったいないなあ、と呟いて霊夢はみかんの皮を剥き始めた。その向かいでナズーリンもみかんを手に取って、

「いやしかし、これは中々に良いものだね。聖があまり結界術を得手としないのが悔やまれるほどだよ」
「そうよね? もったいない……妹紅、これあと二十枚くらい置いていきなさい」
「別にいいけど。あ、そうだ。酒一本と交換なら」
「それだけでいいの? じゃあ後で見繕うから」

 霊夢はらっきぃ、と手を打ち合わせた。実際は日頃の余剰分を流し込んだのストックのような物だから、タダで譲り渡しても構わないのだが。慧音と話す糸口くらいはもらっても構わないだろう。本人の言を信じるなら、五日は持つ計算になるし。
 二人が黙々と手許に集中し始めた。私ももう一つ剥いてみる。一つ目の教訓を活かして慎重に一房口に運んだ。……これは当たりだった。みかんはもともと幻想郷にはなかった果物だ。しかし冬はあれがないといけないよ、と言って栽培計画を守矢の二柱が推し進め、山の一画に地熱と坤の力で農園を作ったのだ。ゆえに未だ質や価格の安定に関しては途上にある。

「これって早苗が持ってきたの?」
「そうよ。なんか箱いっぱいに持ってきたんだけど、私一人じゃ食べ切れないから置いてあげてるの」
「えらく上からだね。元手はかかってないんだろうに」
 
 まあね、と胸を張られて妹紅は苦笑した。人里でこの量を手に入れようと思ったら大枚を叩かなければならないだろう。あと数年もすれば、そこいらの事情も解決されているのかも知れないが。
 みかんの山が幾らか低くなった頃、

「……あふ」

 ナズーリンが欠伸を噛み殺した。外を出歩いて疲れてしまったのだろう。部屋も暖かくなったし。器用に屑籠へ皮を投げ入れたあと、こくりこくりと船を漕ぎはじめた。珍しいものを見た気がして、霊夢と顔を見合わせる。弾幕ごっこをした、という割に彼女は睡魔に襲われていないようだが、こっそり聞けば何のことはない、午前中に寝すぎての事らしい。嘆息してナズーリンの肩を軽く揺すった。

「寝ててもいいよ? 私たちが帰る時に起こしてやるから」
「む……いや、そこまで世話になるわけには」
「そんな大したものでもないでしょ。うちに泊まっていく、とかなら別だけど」
「……なら、少しだけ」

 すまない、と言ってすぐ、炬燵に伏せて寝息を立て始めた。霊夢が軽く肩をすくめる。

「ここに来るまで結構難航してたらしくってね。探し物見つけるなり"少し暖を取らせてくれ"とか言って炬燵に潜り込んだのよ。でも騒がしくて落ち着けなかったみたい」
「そりゃそうだ。あんたらがやりあってる隣でのうのうと休める奴なんて、魔理沙くらいのもんだろ」
「そうでもないわよ?まあどっちかっていうと便乗して騒ぐ奴のが大多数ではあるわね」
「……あぁ」

 妙に納得して頷いた。言われてみればそういうイメージしか浮かんでこない。それを気にしないから、霊夢の所には人妖種族問わず大勢が集まってくるのだろう。
 彼女はそうすることが習慣になっている、と言わんばかりの流れるような鮮やかさで自分の湯呑みに茶を注いだ。動いたついでにふと気になったのか、

「妹紅は昼まで何してたの? また慧音の授業でも見てた?」
「今日は永遠亭に行く用事があってね。慧音と喧嘩した、ってのもあるんだけど」

 言うと霊夢は意外そうな顔をした。喧嘩しそうにないのに、と言われ、妹紅は少しだけ苦笑する。

「よくある事だよ。それより何とかしてご機嫌を取らないと、今日は慧音の家で夕飯食べるつもりだったから買い置きもないんだよね」
「それでさっき酒って言ったの? 手土産にするならそれなりのにした方がいいのかしら」

 安酒を持って行っても口実としては弱いだろう。そうしてくれるのなら願ってもないことだ。

「話が早くて助かるね。ま、いつもならもう少し意地張ったりもするんだけど」

 ちらりとナズーリンに目をやって、

「命蓮寺で誰かさんがちょっとだけ羨ましくなったから」
「そ。頑張って」

 短く言って、霊夢は茶をすすった。彼女の場合は別け隔てなく扱うというより適度に無関心な所が好かれているのかも知れない。自分から適当に話を振った割には今一つ続ける気がない所とか。基本的には騒がしい奴ばかりだから、そういう態度が新鮮だったりするのだろうか。それとも妖怪と付き合っていける人間が希少なだけか。
 部屋の中が静かになった。別段こちらの都合を斟酌するでもない霊夢と、独りでいることに慣れすぎて話の接ぎ穂を見つけるのが苦手な妹紅しかいないのだから当然ではある。ナズーリンは眠ったまま起きないし。これだけ油断した姿を見せられると、何となくくすぐったいような気分になる。幾度か依頼を受けて同道したことがあるだけの間柄なのに、一応信用してくれているのだろうか。だとすれば嬉しいのだが。

「あ、雪」

 え、と顔を上げて妹紅は障子を見やった。雪雲を透かす薄い夕日に雪の影が幽かに映っていた。よく気付いたな、と感心して、次に現実を思い出した。

「うわあ、帰り大変そうだな」
「余計なのが来ないから冬はいいんだけど、雪だけは面倒で嫌よね」
「余計なの、って?」
「紫よ紫。来て欲しくない時に来る疫病神。冬の間は冬眠するんだって」

 冬の間紫を見なかった理由を初めて知り、妹紅は苦笑した。

 ――冬眠って。熊か。

 でも、と霊夢は前置いて、

「……たまには顔見せないと春になるたび忘れちゃいそうなのよね」
「来て欲しいのか欲しくないのかどっちなんだ」
「どっちでも。まあ私は巫女だから? どうせ切っても切れない関係なんだけど」
「……今日のお客さんは長風呂だな」
「そうね。あ、そろそろお酒は見といてあげるわね」

 苦し紛れにごまかした妹紅にそう言って、霊夢は炬燵から出た。ナズーリンを気遣ってかいつもより静かに台所への引き戸を開け、

「まあ、薄情な私が言えた義理じゃないんだけどさ。死なないあんたに一つ忠告」

 首だけで振り返って、彼女にしては珍しく言い淀んだ。言うか言うべきか悩むような間。しかしやがて、一度頷いて。

「あれだけ毎日のように来てた奴が来なくなると、色々考えたりもするわけよ。目を覚まして私が死んでたり居なくなってたらあいつはどうするんだろう、とかね。私たちはいなくなる側だからいいんだけど、後でそれを聞かされる側となるとそりゃ嫌なものじゃない? 喧嘩して別れたきりなんて最悪だし。上手いこと言えないけど何となく分かるわよね?」
「……分かるけど」
「そ、それだけ。ちゃんと仲直りしときなさい。いまいちあんたは深刻そうじゃないけど、聞かされた私が寝覚め悪いからね!」

 言いながら恥ずかしくなったらしい。最後は半ば叫ぶように言葉を放り投げて、霊夢は台所へ引っ込んだ。今日の静けさはもしかしていつもとは別の――自分と紫のことを重ねて考えていたからなのだろうか。

「……ないだろ。どうせ何も考えずに言っただけだ」
「そうでもないと思うよ? 君は彼女の顔を見なかったのかい、ずいぶんと真っ赤だったじゃないか」

 独り言だったはずなのに、しっかり聞かれていたらしい。組んだままの腕に顎を乗せて、ナズーリンがこちらを見つめていた。まだ完全に起きた訳ではないのか、紅い目は半分がた閉じられたままの寝ぼけ眼だ。とは言ってもたぶん、肝心なところは把握しているのだろう。

「誰と喧嘩をしたのかは知らないが。いなくなられた側からすれば、最後に話が出来なかっただけでも悔いは残るものさ」

 封印される前の聖とご主人様がそうだった、とナズーリンは遠い目をした。

「君は死なない人間だろう? そうならないように努力することは悪いことじゃないと思うよ。自分で薄情、などと言ってしまえる人間ほど――情には厚く脆いものだからね」

 いつだか君も、同じようなことを言っていたよね? そう言って小さく欠伸をし、彼女は薄く微笑んだ。
 妹紅は自分の頬が熱を持つのを自覚しながら、

「そんなの言われなくたって分かってる。一応、私だって千年以上生きてきたんだ。ままならない別れの一つや二つ、とうの昔に経験済みだし――慧音とそんな別れ方をするつもりは毛頭ないさ」

 いつの間にか笑っていた。謝るつもりでわざわざ手土産を用意してもらっているというのに。情に厚いのはどちらだか。と言っても悩みの種は自分と慧音で話し合うべき事柄だ。今までも何度となく話してきたから、今更ではあるけれど。輝夜との争いが少しだけ落ち着いたように。慧音を説得することだってできるはず、と妹紅は決意を新たにした。

「もう少し、無理する量を減らしてくれればいいだけなんだけどなー」
「喧嘩の原因かい? 話し合いをするのなら、命蓮寺の本堂を貸切にしてあげようか。仏前で話し合い、というのも緊張感があっていいかも知れないよ」
「……そいつは勘弁してもらいたいね。絶対、落ち着けないだろ」

 言いながらふと考えた。仏前とは星のことなのだろうか、やっぱり。……相談相手としてはありなのかもしれない。考えていると霊夢が台所から退散してきた。寒い寒い、と肩を抱いて。
 持ち帰りやすいよう風呂敷包みにされた一升瓶を炬燵の上に置く。霊夢自身が漬けた梅酒だそうだ。博麗神社にあるのは桜だけじゃないんだから、と彼女は得意げだった。境内を取り囲む森のどこかに立派な梅の木があるのだとか。

「去年は見つけられて運が良かったわー」
「正確な場所も分からずに威張られてもなあ」
「なら今年は探すのを手伝おう。料金は割り引くよ」
「そこはただって言いなさいよ」

 にわかに騒がしくなった部屋の中を、数分もしないうちに客が不思議そうに覗きこんで。山から宴会料理をさらってきた萃香が赤い顔で乱入してくるハプニングがあったり、ナズーリンが失せ物探しの営業をしたり――気づけばいつしか日は暮れていた。
 客にナズーリンを加えて、来た時より人数の増えた妹紅たちは、炬燵から梃子でも動きそうにない霊夢たちに見送られて、博麗神社を後にした。





 ――あれ?

 我が家に帰り着くと、格子窓から行灯の薄明かりが漏れていた。よろず護衛案内承り〼、と書いた看板が浮かび上がっている。自分が出向こうと思っていた妹紅は、肩透かしを食らったような気分になる。

「……ただいま」

 からりと引き戸を開けた。三和土から囲炉裏を挟んだ向かい側、ちょこなんと正座して彼女は待っていた。

「……おかえりなさい」

 どちらの家に入るにしても、一日何があったとしても――"ただいま"と"おかえり"だけは交わすようにしよう、と言い出したのはずいぶんと前のことになる。今では言わないほうが不自然で居心地が悪くなるくらいに。
 それは朝方喧嘩した日でも例外ではなかった。きっかけを探していたのは慧音とて同じだったのだろう。妹紅が入るなり、急に落ち着かなくなったから。ブーツを脱ぐことも思い浮かばず、何となく見つめ合ってしまう。

 ――ええい、こう言うのは先に謝った者勝ちだ。

「あー、その……悪かったね、今朝は」
「わ、私の方こそ。やはり寝不足だったのだろうな。何と言うか――意地になってしまって」

 喧嘩するたびにこのやりとりをしているような気がした。進歩がない、と輝夜に言われてしまうのも宜なる哉。気まずくなるのが嫌で、手土産を掲げてみる。

「博麗神社で梅酒もらってきたんだ。雪見酒なんてどう?」

 包みを解いて一升瓶を取り出した。よくよく見ると弱い明かりの下でも年季が入っているのが分かる。今度、洗って返しに行かないと。現実逃避気味に考えた妹紅に、慧音はじっとりとした目を向けた。

「……用意がいいな。私がへそを曲げたままならそれで懐柔しようと?」
「う。まあ最悪そうするつもりだったけど……永遠亭、命蓮寺、博麗神社、今日は行く先々でいろいろ見聞きしちゃってさ。挙句霊夢にまで心配されてちゃ、終わりだよなって」

 だからってわけじゃないけど、ごめん。

 もう一度頭を下げた。行灯の明かりがゆらりと揺れた。

「私の方こそ――すまなかった」

 見えないのに、慧音が頭を下げたのが音で分かった。数秒、お互いの気配を探り合って。どちらからともなく顔を上げ、くすくすと笑いあった。

「雪見酒もいいが、先に夕飯にしよう」

 今夜のは自信作だぞ、と言われて上り框をまたいだ。囲炉裏の上に吊られた鍋の中身は雉鍋だった。暖かいものがいいと思ってな、と彼女は言った。
 いただきます、と手を合わせて箸を握った。今日あったことをぽつりぽつりと話し聞かせた。ついでに永琳からの伝言も。自分は話すのが下手だ――と妹紅はよく感じるけれど。慧音を相手にするときは、彼女が聞き上手だから強く意識したことはないのだった。時に頷き、時に促して話を引き出してくれるのだ。
 半刻もしないうちに鍋の中身は胃の中へ消えた。慧音と一緒に食事をするといつも時間を忘れてしまう。
 さあ雪見酒にしよう。言いながら縁側と部屋を仕切る障子を開けて、外へ出た。雪が降っているとは言え今宵は十六夜。手許が十分に見えるほど明るい。その分寒いけれど。
 猫の額ほどの庭には数日前から積もったままの雪が残っていた。その気になれば溶かしてしまえたそれは、しかし風情を思えば正解だったのかも知れない。
 互いの猪口に、ガラス瓶から徳利に移して燗を付けていた酒を注ぎあう。里の外れとは言え寝付いた人もいるかもと静かに乾杯をした。しんしんと降り積もる雪を前にほう、と息を吐いて、

「謝りこそしたがな。私はやはり今日のような日も授業を行うつもりだ」

 慧音は唐突に言った。ゆっくりと振り向いた私の目から逃げるように、猪口に視線を落として呟く。

「もちろん、お前が案じてくれていることは分かっているし、嬉しい。しかしこの身は白沢であることもまた事実でな。知識を人に授けることを好む、古来より伝わる獣――その本能とでも言うべきモノか。子どもたちに何かを教える、ということが楽しくて仕方がないのだ。もともと史学を教え始めたのは人と妖怪の正しい関係を伝えるためだったが、結局は読み書き算盤まで教えている」
「そっちのが生徒は集まってるから、じゃないの」
「……教えることに意義があるからだ。私にとっては、だが。だから私がこれをやめるとすれば、お前と輝夜の殺し合いが穏便な手段に移った時以上の原体験が必要かも知れんな」

 月明かりにその頬は少し紅い。酒気から来るものでは――ないのだろう。妹紅も彼女もそれなりに酒には強い。ならば自分の言葉が小理屈だということを正しく理解しているからか。苦笑を零さずにはいられなかった。

「本能とまで言われちゃね。止める私が悪いみたいじゃないか。いいさ、でも私は慧音が無茶をしていると感じたらすぐに永遠亭に駆け込んでやるから」
「そうしてくれ。自分で止まるには些か私は未熟だ」

 やれやれと首を振り、手酌で満たした杯を煽った。もう一献、と慧音にも手振りで勧めてみる。

「貰おう」
「ん、飲め飲め」

 両の手で差し出された盃に、なみなみと注いだ。それでちょうど徳利は空になった。今日のところはこれで終わりだな。言った慧音は少しだけ寂しそうだったけれど、明日だって寺子屋はあるのだ。流石に今日は寝てもらいたい。

「何なら添い寝してやろうか? 自慢じゃないが私は温かいぞ?」
「い、いやいい。子ども扱いするんじゃない!」

 今度こそ真っ赤になって、慧音は逃げ出した。待ちなよ。言いながら妹紅は障子を閉めて後を追った。
 何度仲を違えても、こうして傍を歩いていたい。それが有限の時間であるのなら、なおのこと。

 囲炉裏の炭が音を立てて爆ぜた。長い冬はじき終わり、やがて暖かい春がくる。それは永きを生きる自分にとっても同じ事だと、

 ――君が教えてくれたんだよ。

 ありがとう。帰る背中に囁いた。今日はゆっくりお休み、慧音。
 初めまして、斎木と申します。まずは読んでくださった方にお礼をば。
 何分初投稿ですゆえ、拙い部分は平にご容赦くださいませ。

 永夜抄原作を遊んだのが昨年のことで、Exステージでの妹紅と慧音に惹かれ本作を書いた次第です。書籍を最後に出番がありませんし、どうしているのか気になって。

 それではこの辺りで。ありがとうございました。

※追記
 コメントに倣い聖輦船の表記を改めました。勘違いを正して頂きありがとうございました。
 表記の揺れを訂正しました。校正は難しいものですね。
斎木
http://
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コメント



0.2140簡易評価
4.80名前が無い程度の能力削除
丹念に調べ、仕立てあげられた作品という印象でした。
妹紅と慧音の間柄について、私の中で思うところがもっとあれば、もうちょっと評価は高くなったと思います。
基礎の力はあると思ったので、もっと他の作品を見てみたいかも。

ちなみに星蓮船はゲームタイトルで、遊覧するのは聖輦船になります。
5.100名前が無い程度の能力削除
冬の幻想卿の静かな情景と、キャラ同士の温かさが伝わる素敵なお話でした。
文体もテンポよく読みやすく丁寧で、キャラ描写も原作の世界を愛してるのがよくわかります。
慧音と妹紅の距離感が自然体で、伴侶と呼ぶのがぴったりだと思いました。
作者さんの他の作品もぜひ読みたいです。新作を楽しみにしています。
8.100奇声を発する程度の能力削除
とても良い雰囲気のお話でした
9.100名前が無い程度の能力削除
細やか、かつ、説明臭さを感じさせない情景描写が素敵でした

>ーー溺れたり、食われたりーー
長音になってますよー
10.100名前が無い程度の能力削除
これは良いほのぼの。冬も良いものです。
13.100名前が無い程度の能刀削除
……ホット梅酒でも飲むか
15.80名前が無い程度の能力削除
誤字がちらほらあるのが残念。
でもいい雰囲気でした。
21.90名前が無い程度の能力削除
妹紅の目線から見た冬の日常が、雰囲気を大事にした細やかな描写で
しっかりと物語として描かれています。
久々に感じ入る作品を、ありがとうございました。
27.100名前が無い程度の能力削除
淡々とした文章だけども、澄んだ冬の情景が
心に浮かぶきれいな話だと思います。次回作にも
期待してますよ。
31.100名前が無い程度の能力削除
これは良い冬の幻想郷ですね。
主題となる妹紅と慧音の関係だけじゃなく、妹紅と輝夜、そして永琳、二人と星やナズーリンや白蓮の
関係が、オリジナリティとキャラクターの説得力を持って描き出されていて好感が持てます。
特に命蓮寺メンバーと妹紅、輝夜の絡みはあまり見かけることがないのにすごくそれらしくて頷いてしまいました。
守矢の二柱がみかんを幻想郷に持ち込んでいたり、人里の人々が博麗神社に行くのに、
「年を取ったから」なんていう理由がさらりと出るあたりの細部の描写も丁寧で素敵。
幻想郷の暮らしと風景がリアルに息づいてる感じが良かったです。
初投稿か……。貴方の次回作も楽しみにしています。
35.無評価斎木削除
コメント・評価ありがとうございます。
一つ一つ、大切に読ませていただきました。
雪のあまり降らない地方に住んでいます。幻想郷の冬を描けているか不安でしたが、良いと言っていただけて安心しました。
寒い日はまだ続きますが、皆様ご自愛くださいませ。それでは。
43.100名前が無い程度の能力削除
文章の整然さと構成の綺麗さによる安心感溢れる作品でした。この作品こそまさにジャンル『ほのぼの』ではないかと思います。
49.100名前が無い程度の能力削除
モブを含めて様々な背景を持つキャラクターを、この一日で見事に交差させていると思います。
幻想郷の昨日・今日・明日がありありと見えてきました。
丁寧なストーリーと語り口で安心した最後に、妹紅の優しい独白で胸が締め付けられる。
ありがとうございました!