平穏な日常の中、ほんの些細なことでそれまで信じていたものがいとも容易く崩れてしまうことがある。
それはある意味無知からの脱却という幸運であり、二度と無知には戻れないという不幸でもある。
ここ白玉楼で主人と縁側でお茶を啜っている妖夢も、そんなきみょんな体験に心を揺さぶられてしまうのだろうか。
「幽々子様、ふと思ったんですけど」
「何かしら?」
「白玉楼には幽霊がたくさんいますよね」
「そうね」
「幽霊って冷たいですよね」
「妖夢が熱出したときなんて半霊を氷枕代わりにしてるぐらいだしね」
「はい、我ながら便利な体質です。で、つまり白玉楼は常に冷え冷えですよね」
「すごしやすくて良いじゃない。それがどうしたの?」
「どうして桜が咲くんですか?」
「……あなた、知らなかったの?」
瞬間、ただでさえ気温が低いというのに、空気まで凍り付いてしまったかのような静けさが辺りを包み込んだ。
(す、凄まじいプレッシャーがッ)
妖夢の本能が咄嗟に身構えようとするが、緊張で指一本動かない。
「そう。ついに気づいてしまったのね。出来れば一生知らないままでいられたならそれでも良かったでしょうに。でも仕方無いわ。これも大人になるということよ」
緊張しているのは何も妖夢だけではない。プレッシャーの発信源である幽々子自身も言葉選びに必死だ。
それはさながら、子供に「サンタなんて本当はいないのよ」と告げる母親のようなものである。下手をすれば子供の心を傷つけ、しばらく口を利いてもらえなくなる恐れさえある。
よって熟考の末に辿り着いた彼女の結論は、
(ま、なるようになるでしょう)
無理して逆に迂闊なことを言うより、普段と変わらぬありのままの自分で接するのが一番だ。別に考えるのをやめたわけではない決して。
「そんな大したことじゃないんだけどね~」
フッと空気が軽くなり、妖夢もようやく戻ってきた身体の自由に安堵する。
「はぁ、ビックリした。もう、急に霊圧解放しないで下さいよ」
「ごめんね~」
「いったい何が言いづらいんですか。もったいぶらないで教えて下さい」
「あぁ、そうそう。実はね――」
「全部幽霊だからなの」
「……は?」
「いやだからね。桜も含めて、庭の池で泳いでる鯉も、そこを飛んでる虫も、ここに在るもの何もかも全部幽霊なのよ」
「えっ」
「そもそもこの白玉桜だって、昔現界で建てられてとっくに朽ち果てた屋敷の霊なんだから」
「ぅえぇーッ!?」
淡々と語る幽々子に対し、妖夢は文字通り飛び上がってすっころんだ。
「ここで生きているのはあなただけよ。それも半分だけだけど」
絶句。あまりにもあんまりな事実に言葉が出ない見つからない。驚愕というレベルを超えてもはや呼吸すら忘れてしまっている。
そして倒れた。ぱたり。
「あら、死んだの? てことはこれでもう完全に幽霊率十割ね」
『って死んでませんから!』
半人の方が気絶してしまったので半霊が人型をとって会話を続ける。彼女のツッコミ魂は常識に囚われない。
「まぁまぁ落ち着いて。とにかく、この場所において霊体はその魂が望む頃の姿をとるの。だから桜は花を咲かせ、虫は羽を広げ、屋敷は建てられたばかりのような輝きを放つのよ。私がいつまでも美しく可憐な少女で在り続けるように、ね」
『ツッコみませんよ』
「どこにツッコむ要素があったのかしら?」
『むむむ、ここにあるもの全てが幽霊だったなんて』
「無視!?」
春雪異変から早数年。妖夢はたくましい子になりました。
「ハッ、もしや楼観剣と白楼剣も……?」
「急に戻らないで!?」
半人がバッと起き上がるのと半霊が普段の餅形態になるのは同時だった。
横に置いた二振りの刀に目をやり、恐る恐る幽々子の方を振り返る。幽々子は頷いた。
「霊よ」
「やはり……!」
霊剣(ソウルキャリバー)。そこに気づくとはこの娘、やはり天才か。
「あなたはまだ刀の名前を知っているに過ぎない。もし彼らの声が聞けるようになれば、真の力を解放することも可能よ」
通称、卍解。
「本当ですか!?」
「要修行ね」
「はい、頑張ります!」
自分の身のまわり全てが幽霊だったというのに、衝撃よりも剣士としての性が疼いてしまう。
常人なら何もかも信じられなくなってしまったとしてもおかしくないが、半人半霊の彼女からしてみればそれは些細なことだったのかもしれない。
知識を得ることで世界が一瞬にして変わってしまう。それはとても素晴らしく、また残酷なことだ。
今回の妖夢の場合、日常そのものが大きく変わることは無かったため、その影響は少なくて済んだ。
そして今ある日常を素直に受け入れられる。それは幸せなことなのではなかろうか。
妖夢は嬉々として刀を手に取ると、鞘からスッと抜き放ち、頭上へ掲げた。
「今まであなたたちの正体に気づかなくてごめん。その償いの意味も込めて、いつか必ずあなたたちの使い手として誇れる剣士になってみせるから!」
新たな可能性に夢を膨らませる少女。その目は爛々としていた。
そんな彼女を幽々子は見つめる。穏やかな笑みを浮かべながら、ただ静かに、いつまでも。
(今さら冗談だなんて言えなくなっちゃったわ)
幽々子ェ……
いつから幽々子が真面目に返答してくれると錯覚していた?
思いつきそうでそうでないネタ、面白かたです。
白玉楼そのものは屋敷幽霊でも違和感無いな。
永遠に美しく可憐な少女
の件から。
なぜこの一文に気つかなかったんだ!
真剣に幽々子様の言うことに聞き入ってしまったではないか!