新春特集・花果子念報『創作』
序
毎年元旦、一年の初めに、ブン屋は特集を組んで競う。新春の新聞大会である。この大会に、姫海棠はたては並々ならぬ意欲で挑む。目指すは上位入賞。そして、ライバルの射命丸文を、必ずしも驚愕たらしめん……と、最初はそんなことを考えていたはたてであったが、『創作』のテーマに従い、インタビューを繰り返し、編集していくにつれ、段々とその心意気も変わっていくのだった。
ふと思うのは、果たして彼女にとって、創作とはなんだろうかと言うことだ。もちろん彼女なりに創作とは何か、その答えはあったのだが、それが本当に、行き着くべき答えなのだろうかと強く疑問に感じるのだ。
そうして物思いに耽っていると、思い出すのはある人の答えである。
「私にとって、創作は人生の残滓にしか過ぎない。楽しみも何もありはしない。そこにあるのは、効率と効果。一定の間隔で、成果物を出すことが有益だから、私は創作をしているに過ぎない……」
はたてにとって、この答えは驚くべきものだった。何故なら彼女は、ただ楽しいから、創作をしたいから創作をしていたに過ぎないのだから。そして、それが全てだと思っていたのだ。多少なり、人により違いは有るとしても。
「だから、私は羨ましいの。創作を通じて、幸福を得られるあなた達が。私にとってこれは、むしろ苦痛なのだもの」
その言葉に、はたては大なる痛みを感じた。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それがわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
あれから一年近く経った。
今日は元旦、大会の日。私は私なりの答えを得た。貴方にとっても、貴方なりの、もっと幸せな答えが、私の創作を通じて見つかりますように。
もうすっかり、当初の目的などはどうでもよくなっていた。
一
紅魔館の主レミリア・スカーレット。はじめに彼女の元を訪れたのは故無しではない。きっとプライドが高い彼女のことだ。一番でなくては、へそを曲げてしまうだろう。それに、彼女は……縁起が良いのだ。
「それで、一番に私のところに来たのね?なるほど、案外天狗にも賢しいのがいるのね。気に入ったわ」
どうやら、計算どおりだったらしい。先ずは幸先が良い。
「それにしても、貴方にとって創作とは何か、ね。中々面白いテーマじゃない。もちろん、私にも一家言あるわ。ただ、普通に答えたのでは面白くないわよね。さて、どう答えたものかしら」
私としては、率直な創作感を訊きたいところなのだが、まぁ、仕方ない。これはこれで面白そうだ。
「創作は社会の余剰があってはじめて誕生する。これは先ず疑いようがないでしょう?」
果たしてそうだろうか?とも思ったが、そういうことにしておこう。
「だから創作家にはパトロンが付くのよ。パトロンがいなくては、創作家のもとに余剰が集まらないのだから、当然創作も生まれない。そう考えると、創作の功績は、半ばパトロンにあるとは思わなくって?」
パトロンが付いている創作家に関しては、そうに違いないが、そもそも創作家全員にパトロンが付くわけではないという指摘はしないでおこう。話がややこしくなる。
「ところがこのパトロンにも色々なタイプがいるわ。一番下種なのは、資金援助の対価として貞操を買うタイプね。次は将来の投資として援助をするタイプ。まぁ、この程度なら、愛嬌として許してあげないこともないのだけれども。しかし一級のパトロンともなれば、見返りなどは求めないわ。富ある者は富で。才ある者は才で。芸術文化に対する偉大な奉仕として、パトロンの使命を果たすのよ」
「おぉ……でも、それは何だか悪魔らしくない主張ですね」
「そんなことは無いわよ。そもそも悪魔ほど、美に拘るものはないわ。それ故、美に対する畏敬の念は並々ならぬものがあるのよ。私達はあくまで人ではなく、美に対して奉仕するのだからね」
「ふむふむ。で、紅魔館の主は、無償で数多の芸術家に援助をして来たと」
「それでは、一級のパトロンになってしまうじゃないの」
「え?それの何が問題に……?」
「超一流でないとダメよ。私がやる以上はね」
「なるほど。それでは、超一流のパトロンとは?」
「知的パトロン、或いは精神的パトロン。これが超一流のパトロンよ」
「ほぉ、それは深いですね。果たして今まで、どんな教えを授けられて来たのでしょうか?」
「別に何も教えを与えてはこなかったわ」
「は?えっと、それじゃ……」
「貴方。私の能力を忘れたのではなくって?」
レミリア・スカーレットの能力。それは運命を操る程度の能力……あぁ、そうか。もしかして……
「つまり、超一流のパトロンとの出会いを創作した、と?」
「ご名答。そう、それが私の創作よ」
そう言って不敵な笑みを携える吸血鬼。なるほど。聊か創作の香りもするけれども、貴族の末裔に相応しい、見事な創作論。やはり彼女を最初の回答者に選んで正解だったようだ。
二
別館にある書庫。そこに住むのは七曜の魔法使い、パチュリー・ノーレッジ。創作を題材に選んだ際、最初に紅魔館を訪れた理由の一つには、彼女の存在があった。話によれば、彼女の著作は少なくないとのこと。魔道書の作成もまた、創作には違いない。はてさて、どんな創作論を聞くことが出来るのやら。
「創作?創作ねぇ……果たして私は、創作をしたことがあるのかしら?」
予想外の答えに、少し戸惑う。知識人はこれだから困る。時に凡人が悩みもしないような、はっきりといえばどうでも良いようなことに拘泥して、立ち止まってしまうからだ。
「なるほど。確かに魔道書は幾つも作ったわ。でも……いいえ、そうね。貴方の言うとおり。魔道書は創作物に違いないわ。確かに私は、数多の創作を手掛けて来たわ」
しかもこうやって、勝手に一人ごちて解決してしまう。まぁ、解決してくれたならばいいか。気を取り直して、インタビューを続ける。
「創作論ね。ふむ……」
そうして数秒悩んだ後、
「私にとって創作とは、人生の残滓に過ぎないわ」
この答えだ。う~ん、やっぱり知識人の言うことは難しい。だが、それでこそ私の特集も価値を生むというもの。此処は読者の皆様にご理解頂ける様、なんとかほぐしてほぐして簡単にして記事にせねば!
「なるほど、人生の残滓ですか」
まずは理解、同意からはじめるのが会話の基本。
「しかし残滓と言うのは、ちょっと謙遜が過ぎませんか?パチュリーさんの魔道書ならば、そう簡単に書ける程度のものではないでしょう」
基本、相手は持ち上げるもの!
「ならばむしろ、私は不遜ね。私にとって残滓に過ぎないものが、他の人には充分価値あるものなのだから」
むむむ……これは予想外に苦戦しそうだなぁ。
「私にとって創作は、それは貴方の言う、或るいは世人の言う創作にあたるのだけれども、それは所詮私が会得したいと思い、研鑽を積んだ才識から滲み出る灰汁でしかないのよ。私は、創作をしたいと思って創作をしているわけではない。ただ、定期的に成果物を生み出すことが必要だからしているだけなの。私が、私の魔道書作成を、本当に創作なのかどうか悩んだのも、そういうわけなのよ」
と思ったら、案外詳しく説明してくれた。流石の自己分析力です。
ふむ、なるほど。パチュリーさんの言うことも理解できる。彼女からしてみれば、魔道書の作成は、言ってみればレポートだとか論文だとかの作成で、それも先に何々の答えを求めて研究する……といった類のものではなく、自然と行き着いた結果として得たものを書き留めておく、言わば日記か、報告書の類なのだろう。それならば、確かに創作といった感じはしないのも当然だ。
「何か、小説だとか、詩だとか、そういったものは作ったりしないのですか?」
「……随分昔に挑戦したけれども、まるで面白くなかったから止めたわ」
「それはまた、どうして?」
「時間が勿体無かったのよ。書き留めておく時間が」
恐るべき効率と効果の世界だ。頭の中で創られたならば、もうそれで満足。世に出すだけ時間の無駄と言うことなのだろう。読まれる喜びは……この生活では、見出しえないのも当然か。
なんとも困った。実のところ私は、他のブン屋仲間を見てもそうだが、そもそも創作は楽しいものとして疑って来なかったのだ。楽しいから創作をするのであって、楽しくないのであればしない。そして創作をしないものは、その時間を、何か他の楽しいことに費やす。或いは友人と時間を共有し、或いは好事家として学問芸術を楽しみ、或いは美食好色弾幕ごっこetc……それ故、楽しくないのに創作をする(本人からすれば創作とは言い難いわけだが)人物との遭遇は、想定していなかったのだ。私はすっかり、彼女が一人、図書館と言う名の静寂な宇宙で、温かいものを楽しんでいる光景ばかり思い浮かべていたのだ。
おっと、沈黙が良くないのは会話の基本。とりあえず、当たり障りのない話題をと、
「しかし、創作のあり方は、人それぞれではありませんか?」
ちょっと月並みな言葉ではあるけれども、それ故正論で、話の繋ぎには良いでしょう。
「レミリアさんも、パトロンとしての創作論と言う、ちょっと独創的な持論を……」
と、言う間に、あれ……何かパチュリーさんの様子が変だぞ?いかにも魔女的なニヤッとした笑みを浮かべていらっしゃる。
「えっと。何か私、おかしなことを言いましたっけ?」
そうして伺って見ると、次第にパチュリーさんは笑いを抑えきれなくなったようで、ちょっと不気味(というか怖い)な声を漏らし、体を小刻みに震わせている。状況がつかめずにあたふたしていると、
"Strange are the ways of men."
「は?えっと、今なんと……」
「人、それぞれと言ったのよ……ふふ」
何かこれは、変なスイッチが入ってしまったかなぁ。
「私の生き方は、不思議よね」
「えっと。不思議と言うか、別に、そういう生き方も有りじゃないかなぁっと」
まぁ、別に、本当に月並みだけど、どんな創作のあり方でも、その人がそれで良いと思うのならば、それで良いのではないかな?と思っていると、はぁっと軽く溜息をついて、彼女は答えた。
「私は、そう思えないのよ」
そのとき、私はハッとした。確かにこの人の目は潤んでいる……。
沈黙が流れる。どうにも言葉が無い。さっき、私は彼女の自己分析力を称えたが、あれは即座に発揮されたものではなかったのだ。彼女はきっと、長きに渡り、自分の創作の在り方に対して、それは必然的に自分の生き方に対して、疑問とコンプレックスを抱いていたに違いない。しかしながら、それでも変わることは出来なかったのだろう。それを理解したとき、私は胸が穿たれるのを感じた。今までの私の考えが、そして今の行動が、間違いではないのかと言う根底からの懐疑を生じさせしむる、そういった衝動が襲ってきたのだ。
創作が楽しいから創作をしたいのだと思う私は、決して間違っていないと思う。ならばこの人はどうなのか。この人も間違ってはいないはずなのだ。ならばお互いが正しいのか。きっとそうなのだろう。でもその答えは、ごまかしに過ぎないのではないだろうか。だって、この人は……
「貴方、新聞を書いて、楽しい?」
「はい……楽しいです」
「そう。羨ましいわ」
創作を楽しいと言う私を、こんなに羨ましそうに見ずにはいられないのだ。こんな寂しそうな人がいて、それが正しいなどとするのは、私には欺瞞でしかないと思う。正しいかどうかと言うものは、外から見て正しいかどうかが大切なのではなく、その内において正しいと確信し得るかどうかが大切なのだから。
彼女は俯いたままで、詠む。
「しかすがに なほ我はこの生を愛す 喘息の夜の苦しかりとも
あるがまま 醜きがままに 人生を愛せむと思ふ他に途なし」
私は思わず、涙を堪えられなくなりそうになった。なんと悲しむべき自己肯定なんだろう。それでも、自分を愛するより他に無いのだとは。
「本当はね、この歌には、続きがあるの。
『ありのまま この人生を愛し行かむ この心よしと覗きにけり』
そうすると、自己肯定の、素晴らしい歌になるんだけど、私はどうしても、これを続けて詠めないわ」
そうして、何があるわけでもない中空を見て、彼女はきっと涙を堪えているのだ。そこには、言葉にして説明できない、一種の尊さがあると、私は思う。
(どうにかして、この人に創作の楽しさを感じて欲しい!)
その思いが、胸の中で急激に膨らんで行くのがわかる。
「私は、この特集が、果たしてどういった形になるのか、まだわかりません。ですが、それでも、きっと多くの人の創作感に触れることで、貴方にも、何か、それが何かはまだわかりませんが、変化が訪れると思います。そしてそれは、きっと貴方にとって、価値のあるものだと思います。だからきっと、貴方の幸せのために、完成したら、是非読んで欲しいのです」
頼りないこの言葉に、その人は、決して横槍などを入れず、ただ微笑を携えて、「楽しみにしてるわ。」とだけ答えてくれた。
紅魔館でのインタビューが終わった。最初の取材で、私は、この企画をどうしてもやり遂げねばならないと思う、非常なモチベーションを与えられた。これが運命なのかどうかはわからないけれども、あの人に何か、楽しいと思って貰える様な、そんな記事が作れたらいいなぁっと、素朴に思うのだった。
言葉が丁寧に、かつ深く掘り下げられ、作者様の主張が伝わってきます。
あとがきでも書かれているように、この作品は「実験」であったと感じました。主張を伝えることに特化した文章、という意味で。
娯楽性を排し、作者様の考えを纏め記録しておく文章。ずばり作中で「人生の残滓」と表現されていたアレです。
作者様の主張は大いに伝わりました。しかしこれだけではパッチェさんの魔道書です。
文字数の割りに起伏が乏しく、「読みたい!」と思う要素に著しく欠けるこの文章は、娯楽作品としては評価に値しません(そんなつもりで書かれたのでないことは分かりますが)。
長々と失礼致しました。
コメントはフリーレスで失礼しますが、作者様の創作感を存分に振るった「作品」に創想話で出会える日を心待ちにしております。
仰る通りで、これからどうやって娯楽性を高めていくのか。これが課題になるだろうと思っています。
ただ主張を伝えるだけでは、主張を楽しいと思える人以外は興味を持てず、結局見られることなく、主張も伝わらないですからね。
真のエンターテイメントとは何か?今、五つその案があります。
その全てを扱えるわけでは当然ないのですが、その中で自分がやれそうなものをうまく用いて、週末、時間を割いて続きを書いてみようと思います。此処までを起承転結の起にして、転がなく、起承承承……結といった構成の話です。ただ、その承、つまりこれが話の節なのですが、その中で起承転結を作っていこうと考えているのです。
全部を書ききれるかは分かりませんが、多分ワードで10ページ分くらいは、日曜日にアップできると思うので、良かったらその時、再度コメントを頂ければ幸いです。
上りも下りも含めて、創作の醍醐味なんでしょう。このパチュリーには未だ頂点が見えないようですが、いつか下っていくときが来ますように。