木陰1
こいしは目の前の風景をじっと眺めながら、頭の中で別のことを計算していた。
思考が現実から解き放たれているこいしにしても、今回の遊離はかなりの距離がある。距離というのは比喩表現で、一般人基準でいえばぼーっと空想している度合いがひどいといった類だ。地上が現実とすれば、こいしの自我未満の心はふわふわと空中を散歩している。今回は地上からの距離が遠いといった次第である。月まで行ってしまいそうなくらい。
いまこいしがそういう空想を飛ばしているのは、それぐらいしかすることがなかったからである。
雨だった。
大きな木の影で、少女雨宿り中というわけである。
豪雨というほどではない。かといって小雨というほど弱くもない。地底に帰るまでには必ず服がびしょぬれになるだろうし、なんだか体温を奪われそうな冷たい雨だった。ほとんどなんとなくというレベルで、こいしは雨が降る前にふらふらと木陰に入りこみ、なんとか濡れずにすんでいる。
気づいたら雨の牢獄に囚われていたようなものだ。
見渡せば雨音が少し遠くにあるような広がりのある空間。
小高い山の上。
周りは草原で、眼下には人の家がちらほらと見える。
空はネズミのような濁った灰色で覆われていて、遠くにあるはずの山は塗りつぶされたかのように視界に映らない。
雨音が葉っぱに反響してぴちょんぴちょんと鳴っている。
現実からどこか遠い場所。
雨でなにもかもがシールドされたような世界。
こいしは小さな雨傘を握りしめながら、ぼんやりまなこで雨宿りをしている。
空想1
突然だが古明地こいしは武器が欲しくなった。
当たり前の前提であるが、こいしは武器をもたない。
というのも、妖怪にとってはおおよそ武器よりも素手で殴ったほうがてっとりばやかったりするし、華麗な少女に無骨な武器は似合わないからだ。
もしも武器をひとつだけ持てといわれたら、こいしに似合う武器はなんだろう。
こいしの武器候補としては、いくつかある。
まず、包丁なんてどうだろう。
あの生活の残留思念がこびりついた冷たい凶器はこいしにとってはわりと美的感覚に合致している。
こいしの矮躯でも十分に釣りあう程度の重さでもあるし、なによりも相手に気づかれないうちに臓腑にズプリと刺し入れるのはなかなかにおもしろそうな感覚が期待できる。
殺傷性はあまり考えない。
どうせ貫手でも同じことができる。あえて包丁の利点を言えば手が汚れないことぐらいだが、そんなのは高速で手を振りぬけばおそらく臭いすら残らないだろう。
結局、包丁のおもしろさは刃物を突き入れるときの”プツ”という突破の感覚ぐらいなものだ。それとまるっこい形。包丁はかわいい。丸くて小さくてふんわりした曲線を描いている。それでいて誰かを傷つけることができる。だから少しだけ共感できるのかもしれない。
次の候補は言わずとしれたバールのようなもの。でもこれはあまりにも無骨すぎるかもしれない。こいしの腕力ならブンブン振り回せるが、かわいさに欠けるからいまいちだろう。あれは脱出のモチーフではあるが一種の力技、こちら側から無理やりこじ開けて侵奪していく方法だ。今回は雨に囚われてはいるもののバールでは力及ばずといったところだろう。なにしろ雨はそこらに偏在している。偏在しているものをこじあけることはバールにはできない。
次に考えたのは、はさみ。
はさみはわりといいかもしれない。こいしもはさみ程度なら触っているし、なによりもあの形が完璧に近い。
はさみの閉じた状態はハートの形に似ている。
殺傷能力も実はわりと侮れない。刃の部分を極限まで研いだことがあるが、そのはさみをちょっと人外の腕力で回転しながら投げつけると、大きめな木がスパっと切れた。たぶん人間でも同じようになるかもしれない。ただ、そこまで研ぐには相当の集中力と時間を要するところであるし、元来ふわふわ状態のこいしはなにより集中力が持たないので、そこまでのはさみを創り上げるには長い時を待たなければならないかもしれない。無意識に気がのれば、ほんの三日ほどで完成していたこともあったのだが、その無意識に気がのるかどうかが運次第なので当てにならない。
あとは――傘なんてどうかな?
折りたたみ傘じゃなければ先端に金属の芯が通ってるやつがあるし、あれを高速で突き出せば、人間くらいなら殺せるかもしれない。
殺傷力は無いに等しいけれど、開けばそれなりにかわいらしい。
ふわふわとしているものはわりと好きなこいしである。
――やっぱり好きなものを武器にするというのが一番よね?
と、こいしは計算する。
――好きこそものの上手なれという言葉もあることだし。
だとしたら、とりあえず今回はバールは一段落ちて、包丁はさみ傘のなかから武器を選ぼう。栄えある一位はなにかしら?
木陰2
雨の音がずっと続いていると、そのノイズがあたかもいつもそこにある音に感じられて安心感のようなものが生まれる。
耳小骨を震わせる感覚がこいしを強烈に現実へと押し戻す。
大きな音ではなく小さな音が耐えず降り注ぐことによる一種の麻痺状態のようなものか。
この感覚はこいしだけのものなのだろうか。雨音をじっと聞いていると、空想と現実が入れ替わりたちかわり訪れて、自分という存在がよくわからなくなってくる。それはアイデンティティの崩壊とかそういった重さとは無縁の、心地の良い浮遊感。
消えてなくなってしまいそうな感覚。
存在の耐えられない軽さ。
単に空想し続けることも疲れるという他愛のない理由なのかもしれない。
だから、いまのこいしは考えることを一端やめて、木陰からまた変わりばえのしない風景を眺めている。
あいかわらず雨は降っているし、小高い山からみおろす風景も同じだし、空の色もまったくいっしょだ。
違う点を探す。
無意識の流れを読んで、わずかな違いを見つける。思考的な視野狭窄はこいしにはありえない。
例えば雨のなかをわざわざ飛ぶやつはいないだろうといった思いこみは、こいしには無縁だ。
「妖精さん?」
ずっと向こう側を編隊飛行している妖精たちだった。
雨で視界が悪いせいもあってか、豆粒くらいにしか見えない。
妖精にもいろいろいて、雨が好きな子嫌いな子いろいろいる。編隊飛行組はおそらく雨が好きな性格なのだろう。一糸乱れぬV字型飛行は楽しいからそうしているという雰囲気が、この距離からでも伝わってくる。
こいしも駆け出していって、いっしょに雨の中でダンスしようかしらと思った。
べつに雨に濡れることくらいこいしにとっては本当にどうとでもないことなのだ。いくら冷たい雨だからといってその程度で体を弱らせることはないし、服が濡れるといってもまた乾かせばいい。ただなんとなくの気分で決めたことだ。自分で決めたことをひっくり返しても誰も迷惑なんてしない。
だから――
だから――自分で決めたことをそのまま貫徹しても、やはり誰も迷惑なんてしない。
こいしは雨宿りを続けることにした。
空想2
こいしは料理が苦手だ。
と断定的に言われればさすがにこいしもちょっぴり頬を膨らませるかもしれない。
料理ができない女の子は無能の烙印を押されてもしかたない。それほど女の子というカテゴリーにとって料理は重い。
もちろんそれもこいしの気ままな価値判断に過ぎないけれど。
実を言うと、姉のさとりに料理を作ってあげようとしたことがあるのだ。
料理のような一つの結果に向けて自分の意思をコントロールすることはこいしにとっては至難に近い。しかし、だからこそおもしろくもある。みんな何故やりたいことが分裂しないのだろう。
こいしは包丁を取り出して、よく砥いで、お湯を沸かして、まな板を設置して、その上に野菜を置いた。
さぁ切るぞと、こいしが意思を統合した――。
そのあたりが限界だった。
なんの偶然か、窓の外からひらひらと舞い降りた蝶があまりにも綺麗だったから、そのまま外へと出て行ってしまったのである。もはや料理が苦手というレベルですらない。
そのとき、さとりは呆れ、哀しんだが、怒りはしなかった。
こいしらしさに溢れたプレイとみてもらったのかもしれないし、もう諦めているのかもしれない。
こいしも姉に対して料理を作る約束だったことを、約三日後ぐらいには思い出して、とりあえず経験則にしたがって謝った。こういうときは謝ると、ほとんどの場合は引いてくれることを知っていたからである。それは小悪魔的な計算とはほど遠い。哀しいほどに他人の気持ちがわからないから、そうするしかなかったのである。
こいしは姉のもとに帰ってきたときも包丁を握り締めたままだった。
包丁は濡れていた。
なにかテラテラしているムラサキ色をした粘液で覆われていた。
ちょうど窓からやってきた蝶の色に似ていた。
――やっぱり、包丁は武器に最適なのかな?
地霊殿で料理を作るのは、お燐とさとりの場合がほとんどである。一番多いのはさとりである。
料理は――” ”で溢れている。
” ”は最高のスパイスなんて言い方もあるけれど、本当のところは知らない。
その言葉を前提にするなら、さとりはいつだって” ”をこいしに与え続けたことになる。
このままじゃ、こころがパンパンに膨らんで、よくある吸収タイプの妖怪みたいに、風船のように爆発しちゃう!
だから、こいしはさとりに料理を作ってあげたかったのかもしれない。
これは……意趣返し?
違う。復讐?
違う。
単に……、” ”という武器で攻撃してくる姉に対する正当防衛なのだ。
木陰3
「なにしてんの?」
気づいたら、話しかけられていたなんて経験は、こいしにとっては珍しくもない。
青い妖精だった。
背中には氷の羽がついていて珍しいタイプだ。
少し所有欲求が湧いたが、今は雨宿りに専念すべきという想いが強い。
だから普通に答えることにした。
「雨宿りしているのよ。妖精さん」
「ふうん。じゃあなんで、その傘使わないの。あんたってもしかしてバカなのね?」
「傘は武器候補だもの」
「なに言ってるのよ。傘は差して使うもんでしょ」
「そう傘は刺して使うものね。斬撃はさすがに無理だわ。撲殺も無理そう」
「意味不明なこと言ってるな。さてはからかってるでしょ。嫌なやつね」
「からかってなんかないわよ。だってほら、この傘こんなに小さいのだもの。こんなんじゃちょっと強く叩きつけただけで骨組が折れちゃう」
「そうじゃなくて、なんで雨避けに使わないのさ」
「なんでって……そりゃ傘は武器だもの?」
「それ普通の使い方じゃないだろ」
「普通ってなに? 道具の使い方を決めるのは持ち主の意思よ。私が武器だって言ってるんだから、この傘は武器よ。断じて雨避けの道具じゃないの」
「変なやつだな」
「あなたから見て私が変だというのなら、相対的に、私から見てあなたも変だということになるわね」
「やっぱりバカにしてるのか」
意味がわからないからバカにされているように感じたのか、青い妖精はいきなり小さなつぶてを投げつけてきた。
氷の弾幕だった。
こいしはハート型弾幕で相殺する。
「ヤル気ね!」と妖精は威勢の良い声をだした。
「なにを?」
「は? 弾幕ごっこに決まってるじゃん」
「やらないし、やる気もないわ」
「ギギギ。これだけあたいを挑発しておいて!」
「挑発? なんだか気に障ったのなら謝るわ。ごめんなさい」
帽子を脱いで丁寧に一礼する。
例によって、経験則に裏づけられた単なる儀式的行為だ。内心や主観においてはまったく謝罪の念なんてものは存在しない。ただその効果はバツグンのようで、目の前の青い妖精は明らかに威勢をそがれたようだった。
「まったく。なんなの?」
フワリ。
ポスン。
そんな軽い音をたてて、こいしの隣に着地する。
「あら。あなたも雨宿りするの?」
「フン」
よくわからない行動だった。
それ以上話しかけてくる様子もなければ、腕を組んでムスっとした表情で前を向いている。
なかなかにおもしろい。
どうして嫌いなのに近づこうとするのだろう。
こいし以外の多くの存在が持っている機能、耐障害性《フォールト・トレランス》なのだろうか。異常なものを切り捨てるのではなく、既知の存在として取りこもうとする。そうすることで社会、セクト、集団といった全体を保持しようとする。
ありきたりな言い方になおせば、共感しようとする性質。
寄り集まろうとする性質。
他者を許容している気分になれるという素敵機能だ。本当に殺したいぐらい素敵。
こいしは自分の右手に握られている傘を見る。ピンク色の小さな傘。
この殺傷力極小の傘でも隣にいる妖精さんくらいなら一突きでピチューンさせることができるかもしれない。
空想4
はさみの話に移ろう。
はさみといえば、言わずもがなの機能は切断である。切るというより切り取るといった言葉がぴったりとあてはまる。こいしがはさみを使用するのはさしてないところであるが、姉のさとりはわりとよく使用しているようである。
主にペットの毛を適度にカットするために。
もちろんこいしの髪もさとりがカットしている。
ふわふわの髪の毛をカットするのは、かなり熟達した腕がないと難しいところであるが、さとりの場合は年季が違った。こいし専用の美容院さんみたいだった。すぐにでもどこかに行きそうになるこいしの集中を適度な会話で喚起し、すばやく必要な量だけカットする。それはもうさとりにしかできない完成された技といってもよいほどだ。
こいしもやりたいと思った。
単純に姉の髪を切ってみたかったのだ。なんとなく切るときのシュワシュワという音が気持ちよくもあるし、姉を切断することに対してなにかしら喜びめいたものを感じなくもない。
さとりは顔を青くした。
なにをするかわからないところのあるこいしに髪を切られるのは、やはり姉としても怖かったのだろう。
故意に害されることはないとしても、無意識にやってしまうなんてことはありえるところだし、さとりの憂慮はまずまず正当だといえた。こいしも自分のふわふわしているところは否定できないし、表面上はあきらめた。
けれど姉を切り刻みたいという欲求は埋め火のようにくすぶり続けた。
このままでは本気でやりかねないかもと自己判断して、こいしはとりあえず髪のかわりに紙を切り刻むことにした。
面積いっぱいに描かれたのはこいし作、さとりの絵である。その絵をチョキチョキチョキチョキ切り刻む。
チョキチョキチョキチョキ切り刻む。
髪の部分だけにとどまらず、四肢分裂は当たり前だった.
――だから、はさみはわりと優秀な武器なの。
なにしろ姉の身代わりをこれだけやすやすと切り裂いて、それなりの満足感を与えてくれるのだ。
木陰4
「ねえ。あんたどこから来たのよ?」
「地底にある地霊殿というところよ」
「地底ってどんなところ?」
「地上よりは狭くて、寒くて、生ぬるいところ」
「あ、わかった。あんた家出してきたんでしょ。だから家に帰りたくないんだ」
「どうしてそう思うの?」
「だって傘があるのに帰らないなんておかしいわ。最初は誰かを待ってるのかと思ったけど、そんなこともなさそうだし……消去法よ! あたいったら天才ね」
「消去法を使うには可能性の提示が少なすぎるかな」
「うん?」
「雨を眺めるのが好きなだけなのかもしれないし」
「ゆ、憂鬱そうな顔をしていたから、その線は消えるわ」
「時間を潰しているだけなのかもしれない」
「傘を差して歩きまわって時間を潰せばいいじゃない」
「歩きたくない面倒くさいってだけかも?」
「もーっ。本当のところはなんなのよ」
「だから最初に言ったとおりよ。この傘は武器だから雨避けには使わない。そして濡れるのは嫌。だからここで雨宿りしているだけ」
「あんた傘に怨みでもあるの?」
「怨み?」
「だって、傘は傘らしくつかってこそ本望でしょ。武器として使われるなんて傘も望んでないでしょ」
「そうかしら?」
「というか、その無頓着さ。その傘あんたのじゃないわね! あたいの目は誤魔化せないわ。全部まるっとお見通しよ」
「ん。まあそれは当たってるかな。この傘はお姉ちゃんに貸してもらったの」
「ほらやっぱり!」
「でも、今日は雨が降りそうだから持っていきなさいとしか言われてないわ。だから、どう使うかまでお姉ちゃんに指定されているわけじゃないの」
「はぁ? あんたバカなの? 死ぬの? それはどう考えても、雨降りそうだから降ったら傘差しなさいってことでしょ」
「私がこの傘を武器として使ってはいけないと、お姉ちゃんは禁止していると思う?」
「う……ん? それは……よくわからないけど」
妖精さんは目に見えてうろたえているようだった。
出会って十分も経ってないのだ。こいしのこともさとりのもこともわかるはずがない。
「いや、おおよその場合でいいから教えてくださいな。一般的に雨が降りそうな条件下で姉が妹に傘を渡すとき、姉は妹に何を期待しているのかしら?」
「やっぱり濡れないでほしいってことじゃない? ふつー」
「つまり傘を差してほしい?」
「傘差して早く帰ってきなさいってことでしょ」
「ふうん? ありがとう。タメになったわ」
「なんか変なやつだな。でも……まあ……」
ごにょごにょとなにかしら小さく呟いて、
「あたいはチルノ。あんたは?」
「怪奇雨宿り娘」
「むきーっ! こっちが名乗ってるのに誤魔化そうとするな!」
「古明地こいしよ」
「こいしね。しかたないから覚えておいてやるわ!」
「妖精さんのお友達ができたのは初めてかも?」
名前を交わした以上、もはや関係の修復は絶望的だ。
この場合の関係の修復というのは、無関係という名の関係であるが。
しかたがないので、今さら弾幕ごっこに返答してみよう。
ギュウウウウンとエネルギーを充填して、ハート弾幕を連射する。
連射性能に優れた『イドの解放』であった。
「ちょ、こいし、いきな……」
ピチューン。
不意打ちめいたこともあって、あっさり落ちた。まあ妖精なので死ぬことはないし、おそらくすぐに復活するだろう。復活がどのくらい先になるかはわからないが、できれば雨がやむころまでは復活しないでほしい。
周りは急に静かになった。
雨はやまない。
「傘……、差そうかな?」
空想5
今日でかける前のこと。
さとりはこいしの様子を観察して、そわそわ外に行きたそうにしていることを看破したのか、小さな傘を手渡した。
全体としてはピンク色を基調としており、さとりの趣味なのかこいしにあわせたのか薄い薔薇の刺繍がみてとれる。一見すると日傘に見えるくらい派手でかわいさ溢れる一品だった。
「手がふさがるしいいわ」
と、こいしは突っぱねた。
「濡れますよ」
と、さとりも一歩も引かない。
「持っていくという意思が統合されないと、どこかに捨ててきてしまう可能性が高いわ。お姉ちゃんの傘をどこかに置いてきてしまうのも悪いわ。だからいいの。それに雨だったら帽子があるから大丈夫だし、それにそもそも濡れたって平気よ」
「ダメです、こいし。女の子は体を冷やしてはいけませんよ」
「妖怪なんだし、いままで帰ってこなかったときに雨に降られたことなんかいくらでもあるし大丈夫よ」
「今日の天気予報では雨だったんです」
「お姉ちゃんは結局、そうやって私を” ”してるって態度をとることで、自分の信念を貫こうとしているだけじゃないの。私のためじゃないよ。それ」
「……妹のことを考えない姉がいますか?」
「考えてるなら、私が嫌だって言ってるのをもっと考慮してほしいんだけど?」
「……お姉ちゃんはさすがに傷つきました」
「お姉ちゃんだけが傷ついたの?」
木陰5
といったような上記のいざこざは一切起こらず、実際にはフラフラと外に出かけようとしているときに、傘持っていきなさいといわれてハーイと軽く受け取っただけである。そうじゃなければ傘がいま手元にあるという現実を説明しようがない。
空想に傾きがちなこいしでも、記憶力と識別能力は高く、空想を現実と取り違えたりすることはありえないといってよい。
だから空想5はどこまでいっても、こいしの内部的な創想話に過ぎない。
けれど――” ”であるから正しく” ”を根拠にしているから絶対的に許されるなんてことは考えてほしくない。絶対的多数派が共有しているその幻想だけは、こいしは受け入れることはできない。だから武器が欲しい。
武器が欲しいの。
身を護るための武器が。
思えば、さとりに渡された傘は自決用の武器だったのかもしれない。
これを使って死になさいと、さとりは暗に指し示しているのかもしれない。それこそが”愛”と呼ばれるものの正体。
汝死すべしという呪いこそが、愛がこいしに強要する言葉なのだった。
意味がわからない?
それはそうだろう。多数派にとっては、すでに経過済みのことだから。つまりこいし以外のほとんどみんなは屍体に過ぎないのだから、いまさら生前のことを思い出そうとしてもゾンビのように頭がまわらなくて当然なのだ。
けれどこれだけは知っておいて欲しかった。
せめてお姉ちゃんにだけは知っておいて欲しかった。
こいしにとって、この傘を差して帰ることは、自殺にも等しい苦痛を感じる行為なのだ。
傘の柄に手をかける。
こいしのなかのほとんど全員が全力でその行為を押し留めようとするが、妖精の言葉をトリガーにした”愛は普遍である”という幻想は凄まじい力を誇っており、こいしが体験したどんな魔法よりも強力だった。もはや逆らうことはできない。アポトーシスが作動した細胞のように、川に飛びこむマウスの群れのように、戦争する人間のように、そうしては死ぬとわかっているのに止めることができない。
もう片方の手で少しずつ傘を上へと、天に向かうように上へと押し上げていく。
開く。開く。開いていく。
開く。開く。開いていく。
今までずっと閉じられていた傘が、ゆっくりと開かれていく。
ふわり。
最期は断末魔の悲鳴にしては弱々しく、シンプルに――
傘は完全に開かれた。
雨の中へ
雨が降っている。
こいしは傘に護られるようにして歩いていた。
約十五分ほどの間は。
それからこいしは一瞬さとりの顔を想起しつつも、傘を投げ捨てて風に飛ばされるがままにした。
さすがに罪悪感と後悔が生じたが、傘を開いてしまったのだからしょうがないのかもしれない。いずれ風に吹き飛ばされてそういった感情もどこかに飛んでしまうだろう。
地霊殿に帰ると、さとりは傘はどうしたのかとは聞かずに、濡れネズミのこいしをすぐさま温かいお風呂に入れて、ふんわりしたタオルで包みこんで、新品の洋服に着替えさせた。
ひと段落ついたところで、こいしは計算する。
結局、あの傘は小さかったから風に飛ばすことができた。
では、古明地さとりという名の巨大な傘はどうだろう?
そもそも、こいしは傘を差したくないのだろうか。それとも少しは差してもいいと思っているのだろうか。
考えてもわからなかった。
しかたがないので、こいしはしばらくの間、家の中で傘を差して歩いた。
ほぼ自己完結な物語、もやもやした感じが好きです。
ぐへえ、甘い。
よく揉んで甘くしたみかんくらいに甘い。
こいしちゃんに切り刻まれたい。
…ふふふ…
ハート型弾幕がフルにあるしね。
ハートフルだね。
なぜ武器なのか全くわからないけど、武器なのにこいしちゃんっぽい思考回路が良い。
あと、姉を切断するという表現が非常にツボに入りました。
一つ、空想3が飛んでいるのが意図的なことなのかどうか、判断に困っています。
まるきゅーさんの自由奔放で無意識なこいしちゃん大好きです