※このお話は全四部構成の予定となっております
当作品はその内の第一部にあたります
時刻が夕方を迎えようとする頃、僕こと森近霖之助は店内の椅子に一人腰かけ、今日手に入れたばかりの本を読み耽っていた。
霊夢がとある妖怪から強奪してきたこの本、表紙には『非ノイマン型計算機の未来』とタイトル名が打たれている。
僕の興味を惹いてやまないこの本は、破れた服の修繕費+今までのツケの一部+αと引き換えに、霊夢が置いていったものだった。
霊夢から本を手に入れた後、一刻でも早く中身を読みたかった僕は、破れた巫女服をかつてないスピードで仕立て直し、魔理沙には適当な理由をつけて、
2人を店から追い出した。
こう書くと少し酷いように思われるかもしれないが、彼女たちの日頃の行いを思い返せば、店から追い出す程度のことは可愛げのあるほうだと言える。
もし僕が真っ当かつ厳格な商売人だったら(自分で言っていて若干悲しくなるが)とっくの昔にあの2人は出入り禁止になっていることだろう。
そう思えば2人を追い出したことに対する罪悪感も消え失せ、心置きなく読書に集中できるというものだ。
他に気がかりなことがあるとすれば、霊夢から本を奪われたあの妖怪。
一度霊夢に打ち負かされたにも拘らず、わざわざ後を追跡してまで本を取り返しにきた辺り、彼女の本に対する執着心は相当のものだろう。
もしかしたら近いうちに再び本を取り返しにやってくるかもしれない――などと考えもしたが、さすがにそれはないだろう。
何せ、1日のうちに1度ならず2度までもコテンパンにやられたのだ。
学習能力のない低級妖怪ならともかく、彼女は“本”という、ある程度の知識と教養がなければ価値を見出せないような代物に執心していた。
それだけの知性を持っているのなら、何度挑んでも霊夢と魔理沙には敵わないと理解できたはずだ。
その上で再び本を取り返そうとは思わないだろう。下手をしたらトラウマになっている可能性もある。
きっとこの本については諦め、新たに面白そうな本が落ちていないか探索でも続けているに違いない。
そう楽観していた僕は、ふと窓の外を見た瞬間にその表情を曇らせることとなる。
窓から一瞬だけ見えた人影、あれはもしや……
「今度こそ本を返してもらうわよ!」
次の瞬間には、直したばかりの店のドアが蹴破られていた。次いで店内に響き渡る少女の怒声。
扉の無くなった入り口には、数時間前にもここを訪れたあの妖怪の少女が立っていた。
霊夢と魔理沙との2連戦によって、服はすっかりボロボロになってしまっている。
「……いらっしゃい」
少女の粗暴な来店に対し、何と言うべきか迷いあぐねた僕の口から出てきたのは、客を歓迎するための常用句であった。
しかしどう考えても、目の前の少女が客とは思えない。
(参ったな……あれから半日も経っていないのに、もう取り返しに来るとは)
この場合、彼女の根性とタフさを褒めてやるべきなのか。
それとも、学習能力がないと罵ってやるべきなのか。
「赤いのと黒いのはいないみたいね……やい、青いの! その本は私のよ、大人しくこっちに渡しなさい!」
霊夢と魔理沙がいないことを知ってホッとしたのか、余計強気になって本の返却を要求してくる。
最初に2人の不在を確かめた辺り、どうやら彼女たちにやられたことが全く堪えていないわけではないらしい。
にも拘らず、少女はあの2人と再び相見えること覚悟の上で、本を取り返しに来たようだった。
そこまでこの本が大事だというのか。
だがしかし、僕とてタダでこの本を手に入れたわけではない。
然るべき代価を支払い、正当な手段で入手したのだ。返せと言われてあっさり返すわけにはいかない。
「君の言い分は尤もだと思うが……僕もちゃんと代価を支払ってこの本を手に入れたんだ。だからそう簡単に返すわけにはいかないよ」
荒事が苦手な僕は、目の前の少女と争いごとになるのだけは避けたかった。
何よりこんな場所で暴れようものなら、店の中がめちゃくちゃになってしまう。
そう思い、できるだけ相手を刺激しないような口調で、尚且つ筋の通った言い分を放ったのだが、
「うるさい! その本を最初に見つけたのは私なの! あんたがどうやって本を手に入れたとしても、その本が私のものであることに変わりはないわ!」
と、彼女はまるで聞く耳を持たなかった。
何もしていないのにいきなり襲撃された上、大事な物を強奪されたのだ。彼女の怒りは尤もだろう。
しかし、その怒りの矛先を向けるのは僕ではないと、声高に主張したい。
主張したいのだが、件の本が僕の手元にある以上、彼女の怒りが僕に向けられるのも致し方ない。
とはいえ、このまま大人しく本を返すのには納得がいかない。
もし本を返してしまった場合、僕がこの本のために支払った代価はどこへいくというのか。
結局いつも通り、霊夢が一方的に得をして終わるだけである。それだけは何だか許せなかった。
しかし本を返さない限り目の前の少女が退いてくれそうにないのもまた事実。一体どうしたものか……
(……仕方ない。ここは妥協案でいくか)
このまま思考を長引かせても、少女が痺れを切らして実力行使に出るのを待つだけである。
ならば彼女が言葉で本の返却を促しているうちに、妥協案を出してこちらの損失を最小限にとどめるべきだ。
「君の言いたいことは分かった。この本は君に返却しよう」
「ほんと!? やったー!!」
諸手を挙げて喜ぶ様は、見た目相応の少女らしさを感じさせる。
2度の挫折を経て、ようやく目的の品を取り戻せると分かったのだ。その過剰な喜びようも納得できる。
そんな彼女の喜びっぷりが微笑ましかったからこそ、次の言葉を発するのは若干躊躇われた。
「喜ぶのはまだ早いよ。僕の話を最後まで聞いてくれ」
「なに? いいからさっさと本を返してよ!」
僕の態度に不穏なものを感じ取ったのか、今すぐにでも本が戻ってくると思っていた彼女は、その表情を再び怒りに歪ませる。
だが、これから僕がする話……いや、僕が持ちかける取引は、彼女にとっても有益なものであるはずだ。
「とりあえず怒りを鎮めてくれないか。これからする話は、君にとっても悪い話じゃないはずだ」
「……なによ、話って」
僕の宥めるような物言いが功を奏したのか、少女は一旦気を落ち着かせてくれた。
ここから先は僕の話術が鍵を握る。
他人との交渉など久々だが、不安のようなものは一切ない。
むしろ、如何にして相手を丸め込むかという、商人としての血が騒ぐのを感じていた。
周りの者は僕のことを商売に向いていないなどと揶揄するが、まだまだ僕は商人としての矜持を失っていないようだ。
「まず始めに、君が拾ったこの3冊の本がシリーズ物の13巻から15巻だということには気付いていたかい?」
「ええ、背表紙に数字が書いてあったもの」
どうやらそれぐらいのことは知っていたらしい。ならば話が早い。
「ということはだ、この3冊以外にも同じタイトルの本が12冊存在するということになる」
「そうなるわね。私は持ってないけど」
「だが僕は持っている」
「へーそう……って何ですって?!」
実にベタな反応で驚いてくれる少女。
ここまできたら話も大詰め、後は取引を持ち掛けるだけだ。
「君は残りの12冊を読んでみたくはないかい?」
「読みたい!」
少しも本音を隠そうとせずに、自らの欲求を正直に叫ぶ彼女。
その様は見ていて好感が持てるが、同時に危うくも思える。
少しでも弱みを見せれば、とことんつけこまれるというのが世の真理なのだ。悲しいことに。
「そこでだ、僕は君の持つ3冊の本を読みたい、君は僕が持つ12冊の本を読みたい。だったらお互いの本を貸し借りし合えばいい」
「貸し借り?」
「そう、この3冊を僕が読み終わるまで貸して欲しい。その代わり、僕が持つ1巻から12巻までを君に貸し出そう。もちろん、読み終わった本はちゃんと返却することが条件だ」
本音を言えばこの3冊は僕の手元に置いておきたかったのだが、このまま読むこともできずに彼女に奪い返されるよりは何倍もマシだ。
それにここで彼女と仲良くなっておけば、いつかまたこの3冊を読み返したくなったとき、進言すれば素直に貸してくれるかもしれない。
「うーん……」
少女は僕の言葉を反芻し、どうすべきか考えあぐねているようだった。
ここで一も二もなく快諾するような相手だったら扱いやすくて良かったのだが、やはり目の前の少女はその容姿や言動以上に思慮深いようだ。
「……分かった。それでいいわ」
やがて彼女の中で結論が出たのか、取引を承諾する旨を伝えてくれた。
単純に数値化して考えても、3:12の破格の取引なのだ。向こうにとっては非常に美味しい条件に見えたことだろう。
あまりに美味し過ぎる条件ゆえ、何か裏があるのではないかと勘繰っていたのかもしれない。決断までに時間が掛かったのはそのためだろう。
いずれにせよ取引は成立した。
本に対する執着が並々ならぬ彼女のこと、この条件を飲まないはずはないと思っていたが、まさにその通りの結果になった。
「君が理解ある人物で良かったよ。これで交渉成立だ」
大した内容の交渉ではなかったが、それでも滞りなく事が運んだことに対し、ほっと肩を撫で下ろす。
つい先ほどまで疑うような視線をこちらに向けていた少女は、今では純真無垢に瞳を輝かせ、何かを期待するような眼差しでこちらを見上げている。
それだけで彼女が何を望んでいるのか理解できた。
「ああ、残りの12冊だね。今持ってくるからその辺の椅子に腰掛けて待っていてくれ」
「分かった!」
元気良く返事をした彼女は、僕に言われたとおり店の隅に置かれた椅子へと駆け寄っていき、その上に腰を下ろした。
いきなり扉を蹴破って登場したり、怒声を撒き散らしたりする姿しか見ていなかったため、もっとガサツなイメージを彼女に抱いていたのだが、存外素直で扱いやすい……もとい、素直で良い子のようだ。
上機嫌に両足をバタバタさせる少女の姿を見届けると、僕は本を取ってくるために店の奥へと引っ込んだ。
「お待たせ、これが『非ノイマン型計算機の未来』の1巻から12巻だ」
「待ってました!」
待ってましたと言わんばかりに、というか実際に口に出しているが、少女は満面の笑みを浮かべて、本を抱えて戻ってきた僕を出迎えた。
「早く早く!」
「そう慌てなくとも本は逃げないよ……っと、おい!」
さすがに12冊ともなるとそれなりの重量があるのだが、少女はそれを僕から引っ手繰るようにして受け取った。
「うわっととと……っ!」
いきなり重量のある物を受け取ったせいか、少女はバランスを崩しそうになって慌てていたが、何とかその場に踏みとどまった。
「結構、重いわね……コレ……っ」
「だから慌てるなと言っただろう。とりあえず、一旦カウンターの上に置くから返してくれないか」
「え~っ」
妖怪とはいえそこまで腕力があるわけではないらしく、本の束を抱える少女の顔は辛そうだ。
見かねて本を預かろうとしたのだが、一度手元に渡った物を取り上げられるが嫌なのか、少女は半目でこちらを見つつ不服そうな声を上げた。
「心配しなくても本を取り上げたりはしないよ。どうせ読むときは1冊ずつしか読めないというのに、その間君は残りの11冊をずっと抱えているつもりかい?」
「むぅ……はい」
納得してくれたのか、少女は抱えていた本の束を僕に差し出した。
それを丁寧な手つきで受け取って、カウンターの上の空いているスペースに置く。
「さて……君はこれからどうする? 本を持って帰るにしても、さっきの様子では一度に全部は無理だろう。
何か袋をあげるから、とりあえず半分ほどを持ち帰っては――」
「早速ここで読ませてもらうわ!」
言うや否や、少女は驚くべき速度で積まれた本の中から1冊を取り出し、椅子に座ってそれを読み始めた。
取り出した本の背表紙には“第1巻”と書かれている。まさか本当にここで読んでいくつもりなのか。
「待ってくれ、何もここで読まなくてもいいだろう? 自分の家で読んだ方が落ち着いて読めるんじゃないのかい?」
あと数時間で日没を迎えるとはいえ、今はまだ営業時間中だ。
店先に堂々と居座られては、商売の邪魔になりかねない。
「んー? だって今すぐ読みたいんだもん。それに、本を持って外をうろついてたらまた誰かに奪われるかもしれないしー」
少女は本のページから目を離さずに、気の抜けた返答を寄越した。
霊夢や魔理沙からはよく「香霖(霖之助さん)が本を読み出すと、何を言っても適当な返事しかしないから困る」などと言われるが、本を読んでいるときの僕はこんな感じなのか。
成る程、こんな気のない態度を見せられたのでは不機嫌にもなるだろう。次からは僕も気を付けるべきかもしれない。
「この時間帯なら霊……赤いのと黒いのには出会わないだろうから、そう警戒しなくても大丈夫だよ。分かったらさあお帰り」
「えー、でもー、今いいとこだし~」
心ここにあらずとは、目の前の少女のような状態を指すのだろう。
きっと今頃彼女の心は、本の世界を旅しているに違いない。
さてどうしたものか。
これ以上何かを言ったところで彼女が聞き入れるとは思えない。
かといって力尽くで追い出しては本末転倒だ。それでは何のために平和的な交渉をしたのか分からない。
となると残された道はただ1つ。
すなわち、諦めて現状を受け入れることだ。
「はぁ……仕方がない。その代わり、客が来ても大人しくしててくれよ」
「は~い」
諦観の境地に至った僕の耳に、どこまでも気の抜けた声が飛び込んできた。
「……ん、もうこんな時間か」
何だか視界が暗くなってきたことに気付いた僕は、ふと壁に掛けられた時計を見て現在の時刻を確認した。
時計の短針はちょうど7を指している。この時季ならとっくに日が落ちて、辺り一面が宵闇に包まれる時間帯だ。
現に窓の外には漆黒の世界が広がっていた。
半分ほどを読み終えた本――『非ノイマン型計算機の未来』の13巻をカウンターの端に置き、少女の方に目を向ける。
するとそこには数刻前と変わらない、本の世界へ旅行中の彼女の姿があった。
あの様子だと日が落ちたことにも気付いていないだろう。
「おい、君。もうこんな時間だし、そろそろ帰った方がいいんじゃないか?」
「………………」
応答なし。
「おーい、もうこんな時間だが、帰らなくていいのかい?」
「………………」
相も変わらず応答なし。
その無反応っぷりには感服の念さえ抱く。
仕方無しに僕は椅子から立ち上がり、彼女の側へと近づいていく。
そうして本の虜となっている彼女の耳元に顔を近づけると、一際大きな声を上げた。
「おーい!!」
「わひゃっ!?」
さすがに耳元で叫ばれては反応せざるを得なかったようだ。
こうして僕は、目の前の少女を本の世界から強制送還させることに成功した。
「び、びっくりしたぁ……え、何?」
「何、じゃない。外を見てごらん」
窓から見える景色は黒一色。
この辺りには民家の明かりも存在しないため、誇張抜きで外は真っ暗だ。
「わわわ、なんでこんなに真っ暗なの!?」
「夜だからだ」
至極当然の答えを返してやる。
「これじゃあ私帰れないよ……」
すると至極当然の答えが返ってきた……って待て待て。
「帰れないって……たしかに外は真っ暗だが、君は妖怪なんだし何の問題もないだろう?」
夜は妖怪の時間と言われるぐらいである。
そのため、妖怪である彼女が夜だから帰れない、などという道理はないはずだ。
「そりゃあ私は妖怪だけど、妖怪は妖怪でも鳥の妖怪なのよ」
「鳥? するとまさか……」
彼女は鳥の妖怪である。
そして彼女は真っ暗だから帰れないといった。
そこから導き出される解答は――
「……鳥目、か」
一部の種類を除いて、鳥類は暗いところで目が利かない。
この少女も元が鳥であるためか、恐らく鳥目なのだろう。
「こんなに暗いんじゃ何も視えないし、とてもじゃないけど飛べないわ。歩いて帰るには遠すぎるし……」
少女はすっかり困り果てている。
提灯の1つでも貸してやろうかと考えたが、あれでは極小さな範囲しか照らすことができない。
飛んで帰るには多大な危険が伴うだろう。
「まったく、本を読むことに夢中になりすぎているからこうなるんだ」
「う~……」
霊夢や魔理沙が聞いていたら、「お前が言うな」とツッコミを受けるような台詞だったかもしれない。
だが、今この場にあの2人はいないのだし、こういうのは言った者勝ちだ。
「君の家はそんなに遠いのかい?」
「うん……湖の西辺り」
「となると、軽く見積もっても三里はあるな……」
歩いて帰ったとして、最低でも3時間以上は掛かる距離だ。
実際には魔法の森を越える必要があるため、その倍近い時間が掛かると言っていいだろう。
というかこんな夜中に魔法の森を歩いていたら、人間だろうが妖怪だろうが確実に迷ってしまう。迷いの森の名は伊達ではない。
「どうしよう……」
気のせいか、少女は今にも泣き出しそうな顔をしているように見えた。
本当は気が進まないのだが……こうなってしまった以上は仕方がない。
「……こんな所で良ければ、今晩は泊まっていくといい」
「え?」
僕の申し出を予想だにしていなかったのだろう、少女は驚いたような声を上げた。
「布団と風呂、それに最低限の食事だけは提供しよう。できれば後日、料金を支払ってくれるとありがたいが……その辺は君の良心に任せよう」
「け、けど、ホントにいいの?」
「じゃあこの暗い中を歩いて帰るかい?」
質問を質問で返された少女は、それだけはご免被ると言わんばかりに、首を真横にふるふると振った。
「だったら、ここは厚意に甘えておくといい。僕も鬼ではないからね」
「……うん、ありがとう」
申し訳ないと思っているのだろう、少女はバツの悪そうな顔をして、それでもきちんと礼を述べた。
やはり最初に思ったとおり、彼女は有象無象の妖怪に比べて教養があり、尚且つ良識も持ち合わせているようだ。
来たときにドアを蹴破ってさえいなかったら、彼女に対する評価はもっと高かったのだが。
「とりあえず今から風呂を沸かしてくるから、君はまた本でも読んで待ってるといい」
「私も何か手伝う! タダで泊めてもらうのも悪いし……」
少女の申し出は素直に感心できるものだったが、生憎手伝いを必要とするようなことはない。
だが、厚意を無駄にするなと言ったのは僕の方だし、ここは何か当たり障りのないことを申し付けておこう。
「じゃあ、机の上を整理しておいてくれないか。物をどこかに仕舞おうとはしなくていいから、本は本、筆は筆といった具合に固めて置いておいてくれ」
「わかった!」
早速作業に取り掛かってくれる少女を見て、僕の顔は少し綻んだ。
「「いただきます」」
と、僕と少女の声が重なる。
風呂を沸かした後に手軽な夕食を作り、少女に配膳を手伝ってもらって、今こうして食卓を囲むに至る。
夕食の献立は白飯に味噌汁、焼き魚に漬物という、至って質素なものであった。
本来そこまで食事を必要としない身であるため、いちいち食生活に贅を尽くす必要もない。
「ん~、これ美味しい!」
「ただの焼き魚だよ」
有り合わせで適当に作った食事に対しここまで喜んでくれれば、調理された食材たちも本望だろう。
作った身としても鼻が高いが、なまじ大した調理を施したわけではないため、若干の気恥ずかしさも残る。
「これを食べ終えたら風呂に入ってくるといい。その間に食器を片付けておこう」
「え、でも悪いよ。私も片付けを手伝うからさ」
「2人分の食器を片付けるぐらい、1人いれば十分だろう。その間に君が風呂に入ってくれることで、僕も早く風呂に入ることができる。何事も効率が大事だよ」
「うーん、香霖堂が言うならそうするよ」
少女は僕のことを“香霖堂”と屋号で呼んだ。
まだ僕の名前を教えていなかったので、店の看板でも見てそう呼ぶことにしたのだろう。
対する僕も未だに少女の名前を訊いていないことに気が付いた。
「そういえば君の名前だが――」
「んぐ!? いたたたた……っ!」
僕が名前を尋ねようとした瞬間、少女は喉を抑えて苦痛の声を上げた。
「お、おい! 一体どうした?」
「うー、喉が痛いよ……」
少女は焼き魚を食べている最中だった。
ということは恐らく、小骨が喉にでも刺さったのだろう
「骨が刺さったのか? もっとゆっくり噛んで食べないから……」
「そんなことより何とかしてよ、喉がチクチクするぅ……」
「お茶を飲めば取れるだろう。ほら」
そう言ってお茶が並々と注がれた湯呑みを渡してやる。
少女は仰々しい手つきでそれを受け取り、中身のお茶を一気に喉へと流し込んだ。
「!? あぢぢぢぢ!」
「あーもう! 君はもう少し落ち着きを――」
「いいから! 水、水!」
「はあ……今汲んでくるから待ってろ」
悶える少女を尻目に座布団から腰を上げる。
こんなに騒がしい食卓は実に久々だった。
夕食を食べ終えた少女は、僕の言いつけどおり風呂へと向かっていった。
あの後何とか小骨を取り除くことには成功したが、その代償として少女は舌に軽い火傷を負った。
舌がヒリヒリすると涙目で訴えてきたので仕方なく診てやったが、何てことはない、よく見ないと分からないほどの軽症だった。
妖怪である彼女なら明日には完治していることだろう。
「ふぅ、今上がったわよー」
いつもより1人分食器が多かったとはいえ、片付けに大した時間は要さない。
全てを片付けて一息つく頃には、少女は風呂から上っていた。
「随分早かったね、遠慮せずゆっくり浸かっていけば良かったものを」
「私にとってはこれが普通なの」
もしかしたら彼女は、気を利かせて早めに出てきたのかもしれない。
少女の髪は未だにしっとりと濡れていたので、箪笥から乾いた手拭いを取り出して渡してやる。
それを受け取った少女は、わしわしと自分の髪を拭き始めた。角(?)が引っ掛かって破れやしないかと心配になる。
当然だが少女は替えの服など持っていなかった。
風呂に入る前に着ていた服は、霊夢及び魔理沙との戦闘によってあまりにも無残な風体を曝していたため、僕が修繕を買って出ることにした。
お代は頂くがそれでもいいかと尋ねると、少女は背に腹は代えられないと言って服の修繕を僕に任せてくれた。
さすがにあの服を着続けるのには抵抗があったのだろう。あれは最早服ではなく、ただのボロ布だ。
そういうわけで着替える服がなかったため、少女には僕の服を貸し与えることにした。
彼女の背丈は僕の半分と少し程度しかないため、霊夢がこの服を着たとき以上にぶかぶかで、見ていてとても歩き辛そうだ。
彼女に合いそうなサイズの服として、巫女服のスペアや魔理沙の古着もあったのだが、彼女はそれらを着ることに頑として応じなかった。
よほどあの2人のことがトラウマになっているようだ。
「さて、それじゃあ僕も風呂に入ってくるから、本の続きでも読んで大人しくしているように」
「分かってるって。ていうか、言われなくても本を読むつもりだし」
重要なのは“本の続きでも読んで”の部分ではなく“大人しくしているように”の部分だったのだが、その辺をちゃんと理解しているのだろうか。
まあ彼女に限って店を荒らすような真似はしないだろう。
そう考えたところで、出会ったばかりの相手に信頼を置くなど僕にしては珍しいな、などという自覚の念が湧いたが、さしてそのことを追求するでもなく、1日の疲れを取るために風呂場へと足を進めた。
風呂から出て居間に戻ると、少女は畳に寝そべって本を読み耽っていた。
ストーブは点いているものの、先も言ったように彼女が着ている服はぶかぶかなため、風通しが良すぎて寒そうだ。
読書中の彼女に声をかけても無駄だろうとは思いつつも、一応忠言をしておくことにする。
「本を読むのはいいが、そんな格好だと風邪を引くよ」
「大丈夫大丈夫、私は妖怪だからー」
てっきり反応がないだろうと思っていたが、ちゃんと言葉を返してくれた。どうやら先刻のことで学習したらしい。
「ならいいが……ああ、少しストーブの前のスペースを空けてくれ、僕も本の続きを読みたい」
「はーい」
寝そべった体勢のまま、這うようにして場所を移動する少女。
鳥の妖怪ではなく芋虫の妖怪なのでは、と思えるほど器用な動きであった。
カウンターに積み上げられていた本の中から例の3冊を取ってくると、ストーブの斜め前方に腰を下ろし、栞を挿んでおいたページを開く。
それから1分も経たないうちに、部屋の中は静寂に包まれた。
僕も少女も本の世界に入り浸ってしまったのだから、それも当然といえよう。
静まり返った室内に響くのは、ストーブが燃える断続的な音と、本のページを捲る微かな音だけであった。
「これで1冊目はお終いか」
どれだけ時間が経っただろうか、僕は3冊のうちの1冊目を読み終わった。
目に少し疲れを覚えたため、何度かこめかみを軽く揉む。
少女はどこまで読み進めたのか、気になって隣を見てみると、どうやら彼女もたった今1冊目を読み終えたところのようだった。
「ん~……あれ? どうしたの?」
凝りをほぐすために背伸びをした彼女は、自分の方を見遣る僕の視線に気付いたらしい。
「いや、僕もちょうど今1冊目を読み終えたんだ。お茶を持ってくるから、少し休憩にしよう」
「ん、分かった。何か手伝う?」
「気遣いはありがたいが、お茶を汲んでくるだけだから別にいいさ」
「そっか。じゃあ待ってる」
温みきったストーブの前から名残惜しみつつ離れると、茶葉を取り出すために台所へと向かう。
上質な茶葉は霊夢によって消費されてしまったが、それ以外の茶葉ならまだ残っていたはずだ。
棚の中から手頃な茶葉を見つけ出すと、居間に戻ってストーブに掛けられていたヤカンを手に取る。
茶葉を急須に入れてお湯を注ぐと、瞬く間に湯気が立ち昇り、緑茶のほのかな香りが僕の鼻をくすぐった。
さてお茶を湯呑みに注ごうかという時になって、僕はあることに気付く。
(そういえば、彼女は舌を火傷しているんだった)
そんな状態で熱いお茶を出されても、嫌がらせとしか思えないだろう。
少し考えた後、僕はヤカンと急須を一旦置いて、再び台所へと戻った。
その様子を見た少女が「?」と首を傾げていたが、どうやら自分が舌を火傷したことを忘れているらしい。
鳥の妖怪だけあって鳥頭な節があるのかもしれないな、などと失礼な考えが頭を過ぎる。
「えーと、冷たい飲み物は……っと」
確か先日入荷した代物の中に、それらしい物があったはずだ。
「あったあった、これなら彼女も飲めるだろう」
そう言って僕が掴み取ったのは、白と水色の容器に入れられた外の世界の飲み物だ。
名称を“ポカリスエットステビア”と言い、とてもさっぱりとした味わいを持つ飲料水だ。
外の世界ではこういった飲み物のことをまとめて“スポーツドリンク”と呼称するらしい。
目的の物を見つけた僕は、それを持って居間へと戻る。
見たこともない物体を持って現れた僕を見て、少女は不思議そうな顔を浮かべた。
「香霖堂、それ何?」
「これはポカリスエットステビアという、外の世界の飲み物だ」
「ぽ、ぽかすえっと……すていば?」
慣れない横文字に戸惑う少女。確かにこいつの名前は覚えづらいだろう。
「ポカリスエットステビア、だ。君は舌を火傷しているから、熱いお茶よりもこっちの方がいいかと思ってね」
「あっ……」
やはり自分が火傷したことを忘れていたらしい。
もう少しでそのことに気付かずにお茶を飲んで、先刻と同じようにのた打ち回られるところだった。
「えっと……わざわざありがとう」
「気にしなくていい。どうせ取っておいても誰も飲まないし、放っておいたら傷んでしまうからね」
今は冬真っ只中だ。
こんな時季に好き好んで冷たい飲み物を飲むやつもいるまい。
僕は注ぎかけだったヤカンと急須を手に取り、自らの湯呑みにお茶を注いでいく。
少女は受け取ったポカリスエ……長いのでポカリでいいだろう。ポカリの容器の蓋を開けると、恐る恐るといった様子で一口目を流し込んだ。
「どうだ、美味しいかい?」
「んー、あんまり味はしないけど、すっきりしてて嫌いじゃないかも!」
「それは良かった。飲みすぎてお腹を壊さないように」
「大丈夫だって、私は――」
「妖怪だから、だろう?」
「そうそう、ていうか香霖堂も妖怪? それとも人間?」
「ああ、僕は――」
飲み物を飲んで一息ついた僕たちは、他愛もない雑談に花を咲かせた。
僕が半人半妖であること。
彼女は朱鷺の妖怪で、名前は無いということ。
霊夢と魔理沙のこと。(ほとんど愚痴だった)
好きな本のジャンルについて。
気が付いた頃にはヤカンのお湯とスポーツドリンクは空になっていて、時刻も午後11時を回っていた。
普段の僕ならまだ余裕で起きている時間帯だが、目の前の少女はどうだか分からない。
「もうこんな時間だが、そろそろ寝るかい?」
「うーん、もう少しだけ本の続きを読もうかな」
僕は彼女の親ではないし、夜更かしを注意する必要性は感じなかった。
彼女が起きていると言うのならそれでいいだろう。
「そうか、じゃあ僕も続きを読むとしよう。ちなみに寝る場所についてだが、僕は居間で寝るから君は寝室を使うといい」
少女がいつでも寝れるようにと、寝室には先ほど布団を敷いておいた。
僕の分の布団はまだ居間に運び込んでいないが、また寝るときになってから用意すればいいだろう。
「いいの? 私はどこで寝ても構わないよ」
「一応はお客様だからね。あまり粗末な対応はできないよ」
「でも、泊まるためのお金だって払ってないし……」
この半日で彼女は、今のように遠慮する姿を何度も見せた。
臆病な性格ゆえ物怖じしているだけなのか。
それとも純粋に思い遣りの気持ちからか。
――恐らくは後者だろう。
霊夢や魔理沙は一見横暴で容赦がないように見えるが、あれでいて中々に義理堅いし、最低限のマナーは持ち合わせている。
しかし、この少女のように些細な気遣いや心配りを見せたりすることはあまりなかった。
そのためか、僕に対して遠慮する少女の姿はとても新鮮で、それを見せられる度に僕の心は温かくなるのを感じた。
「――君は客だ。この店の主である僕が認めたんだから、そう遠慮することはない。本当に遠慮して欲しいことがあったら僕の方からちゃんと言うさ」
「……わかった。じゃあ、えっと……お世話になります」
彼女はそう言って、ちょこんと軽く頭を下げた。
(今日は色々なことがあったものだ)
本を読みながら、僕は今日一日の出来事を思い返していた。
貴重な本を手に入れることができたのはいいが、まさか出会って間もない少女を宿泊させることになるとは。
けれど、久々の騒がしい食卓はなぜか悪い気がしなかったし、落ち着きのない少女の面倒を見るのは昔を思い出して何だか懐かしかった。
ボーン、ボーン、ボーン......
思考の淵に沈んでいた僕を、時計のベルの音が引き上げる。
その音は日付の変更を告げる合図であった。
「……おや?」
「すー……すー……」
気付けば少女は、僕の側らで微かな寝息を立てていた。
本を読んでいるうちに睡魔に勝てなくなってしまったのだろう。
「やれやれ……」
気持ち良さそうに眠る少女を見ていると、そっとしておいてやりたいとも思うが、このまま居間に放っておく訳にもいくまい。
「よっ、と」
少女が目を覚まさないように優しく体を抱え上げ、布団の敷いてある寝室へと向かう。
少女の体は見た目通りに、いや、見た目よりもさらに軽く感じた。
寝室に着いた僕は布団の上に少女を寝かせ、ゆっくりとした動作で毛布をかける。
この時季夜は冷え込むので、毛布の上にさらに掛け布団を被せてやった。
「んん……すー……」
布団を掛けてやる際、少女は一瞬呻き声のようなものを上げたが、すぐにまた穏やかな表情に戻り寝息を立て始める。
僕はそんな少女の寝顔を見届けると、本の続きを読むために居間へ戻ろうとする。
が、戻るために立ち上がろうとしたところで、腕の辺りに違和感があるのを感じた。
「ん? っと、これは……」
見ると、僕の服の袖を少女がその小さな手でしっかりと握り締めていた。
これでは少女から離れることができない。
「ううぅ……おのれ紅黒、もう絶対に渡さないんだからぁ……」
などと寝言をもらす少女。
もしかしたら、また本を強奪されそうになる夢でも見ているのかもしれない。というか紅黒って何だ、混じってるぞ。
恐らくは僕の袖を本だと思い込み、今度は奪われまいと必死になって握り締めているのだろう。
「まったく、参ったな」
口ではそう言いつつも、内心そこまで困っていないことに自分で気付く。
少女を起こせばこの拘束からは解放されることを知りつつも、そんな無粋な真似をする気にはなれなかった。
せめて少女の夢が終わるまでは、こうして傍らに座って付き合ってやってもいいだろうと、僕は思っていた。
次が楽しみです
続き期待してます!
続き楽しみにまってます!
朱鷺子と香霖は良いコンビになりそうですねw
続き期待してます。
続きがたのしぃみ!
Oh... 誤字報告ありがとうございます
修正させて頂きました
ステビアがとても懐かしく感じました。
いつの間にか無くなってましたが、なるほど幻想入りしていたのですね。