不意に出会う知人と言うのは厄介なものだ。
往来なら、互いに頭を下げるだけでいいだろう。
何かの会合であれば、その話題で場をつなぐことができる。
しかし、この時この場では、どちらも無理な話。
「あー……どうも」
「おや、こんばんは」
脱衣場などと言う気のきいたものはない、博麗神社近くの温泉。
そこで、私は、仕事と仕事の合間に出来た微妙な時間を潰そうと思っていた。
出会いがしら故、相手側の事情は当然ながら解らないが、概ね似たような理由だろう。
「命蓮寺の……」
何故なら、彼女も私と同じで、ヒトリでの来訪だったからだ。
「寅丸星です。八雲さんもおヒトリで?」
確かに私は八雲の姓を許された身だが、どうにも慣れない呼称で反応が遅れてしまった。
「ええ。……ただ、寅丸殿、その、よければ、姓ではなく名で呼んでもらえないでしょうか」
「あい解りました。ですが、それならば此方も名でお呼びくださいな、藍さん」
と言う訳で、‘スキマの式‘こと私、八雲藍と、‘毘沙門天の弟子‘こと彼女、寅丸星は、素っ裸で微笑みあうのであった。
話題が思い浮かばないから、と言う訳ではないのだが、妙に相手の体が目に入ってしまった。
すらりと伸びた四肢。
絶妙なバランスの筋肉と脂肪。
少なくとも、純粋な肉弾戦をしたいとは思わない。
武を司る毘沙門天の弟子と言う二つ名は、伊達ではないようだ。
そんな評価を勝手に下していると、ふと視線が重なってしまった。
「あ……なんだ、えと、じろじろと見てしまい、申し訳ない」
頭を掻き非を詫びる私に、彼女は柔らかな笑みを返してくる。
「いえ、お互い様ですので」
柔和な表情に、どうかと思う、有体に言えば性的な響きは感じられなかった。
‘純粋に同性の裸身を眺めていた‘。
そんな印象を持つ。
どうにも、やりにくい。
思う私に、彼女は悪戯気な笑みを浮かべ、続けた。
「胸、大きいんですね。
御覧の通り、私は小さいので、少し羨ましく思います。
あはは、‘毘沙門天の代理‘としては、ちょっと情けない感想でしょうか」
ぺろりと舌を出し、こつんと自らの頭に手を当て、星。
あらやだ可愛い。
そう思わせてもらうことにした。
実際には、反応に困っていた此方への助け船だろう。
風の噂で粗忽者だと聞いていたが、なかなかに抜け目のない。
「ともかく、藍さん、入りましょうか」
「その前にもう一つ。互いに獣より昇華した身、親交をより深くするために」
「此方の口調は勘弁して下さいな。帰依して以来、こうなので。……では改めて、浸かりましょう、藍」
出会いの折に浮かんだ憂いは何処へやら、私は、眼前の知人との語らいを、楽しみにしていたのであった。
全身に湯を浴びせた後、足を投じ、胸まで浸かる。
冷えた体にこたえるが、反面、それが気持ちいい。
自然、私は大きな息を吐いていた。
「ふぅー……」
吐息が重なる。
どうやら、星も同様だった模様。
合致するタイミングに、彼女ははにかんだ笑みを浮かべた。
あれ、素で可愛いんじゃないかこの大猫ちゃん。
縁に置いていた盆を引きよせ、その上の徳利を掴む。
無論、自分ヒトリで飲むつもりなどさらさらない。
都合のよいことに、猪口は二つあった。
「……待ち人でもいたのですか?」
本当に抜け目がないな。
「や、待っていた訳じゃない。
だが、顔を合わせた時に用意していないと、煩くて。
話し相手がいないなら百歩譲って待っていたと言わなくもないが、今はむしろ、来んなと思っている」
社交辞令と思われるだろうか。
けれど、マジなんだ、私。
来んなよ鴉。
念じる私に、星が笑む。
「ふふ、気のおけないご友人なのですね」
巧い返しだ、と感心する。
恐らくだが、二言三言の会話で、星は私の性格をある程度捉えたのだろう。
その上で、先の言葉と表情を鑑み、悪友への評価を推測した。
いい判断だ。
動揺する訳でもなく、相槌を打ち、認めた。
「まぁね。……ともかく、まずは一献」
「有り難いのですが、どうにも酒癖が悪いらしくて」
「ふふ、気にしなさんな。唾を飲んだのは解っているぞ?」
「えっと、私は仏道に身を置く者、五戒と言うものがありまして」
「殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の戒めだな。しかし星、これは屠蘇なんだ」
話す間にも猪口に徳利を傾け、とくとくと注ぐ。
「屠蘇ですか」
「そーそー、屠蘇」
「外にいた頃は、この時分、檀家の方からよく頂きました」
手前の猪口にも注ぎ、持ち上げる。
合わせたのだろう、星も掲げていた。
両手で持っているのはご愛嬌。
「今日の出会いに」
「明日からの健康に」
因みに、星がいただろう西の方では、屠蘇と言えば薬酒に当たる。
ここでことわりを入れているのはつまり、是はただの祝い酒と言うことだ。
解らぬ彼女ではないだろう、私のやんわりとした無理強いを聞いてくれたと見るべきだ。
自己保身と言うなかれ、適度な柔軟さに、私はまた一つ感心した。
「――乾杯っ!」
あと、この地に来て酒抜きとか正気の沙汰じゃないしな。
酒が口を滑らかにしているのか。
はたまた、相性によるものか。
会話は弾んだ。
「ふぅ……久々にのんびりとできています」
「最近は忙しかったろうなぁ」
「そうですね、お陰さまで賑わいました」
「巫女から営業妨害を受けそうだな」
「まさか。あぁでも、視察だとかで、保護者の方と来られましたね」
「保護者? 誰のことを……」
「宝塔を見て、『これはいいものだ』と。霊夢は呆れていましたけど」
意外なことに、星は割と飲める性質のようだ。
気付けば猪口が何度も空になっている。
おかわりを言いだす彼女ではないから、その度私も素知らぬ振りをして注ぎ足した。
回数的には、此方とどっこいどっこいか。
湯と酒が相まって赤らむ肌が、健康的な色気を醸し出している。
「彼女たち以外にも、宴会で顔を見る方々は三が日以降に来て頂けました」
「各々挨拶回りもあるだろうしなぁ。例えば?」
「紅魔館と地霊殿の方、白玉楼と永遠亭の方がご一緒に、天界と地底の方が偶然にも同日に」
「流石に守矢の神々は動けなんだか」
「いえ、八日辺りだったでしょうか、魔界神と悪霊の方と連れだって来られました」
そんな星との会話は、実に愉快なものだった。
内容云々と言うよりは、緩やかな身振り手振りと穏やかな口調に、そう感じさせられている。
生まれもったものか、努力の賜物か、それとも、天性を持ちながら更に昇華させたのか。
細々とは言え、彼女は従者と共に、外の世界で長い年月を過していたと聞いた覚えがある。
命蓮寺の二番手を張れるのは、そう言った話術を駆使して、ある程度の信仰を人間たちから得ていたのだろう。
これまでの会話で、私は一つ、自身が大きな間違いをしていたんじゃないかと思うようになった。
試してみよう。
浮かんだ話は、少し場違いな類の物だった。
これを返すようであれば、私の間違いはほぼ確定すると言っていいのだが……さて。
「新旧婦々婦か。ところで、好きな球団は何処かな?」
「殊更何処と言う訳でありませんが、強いて挙げれば、縁の地の近くの……」
「やはり、虎」
「阪急、南海、近鉄……うン年前の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打には、ついはしゃいでしまいました」
「アレは熱かった」
独特のオープン打法を真似する星に相槌を打ちつつ、思う――私は、彼女を過小評価していた。
まず、幻想郷では滅多に見ない穏やかな性格に、周りの者は少なからず惹かれるだろう。
次に、知人の多さが挙げられる。
これに関しては星個人のものと言う訳ではないが、含めても良いだろう。
彼女たちが幻想郷に居を置いてから然程経っていないと言うのに、大方の勢力と繋がりを持っている。
そして、的確な判断力の元に用いられる豊富な知識。
唐突な問いをしたが、私は何も本心、外の世界の球技を語りたいと尋ねた訳ではない。
だから、最初の問い方は『球団』とぼかした言い方をした。
続く此方の発言に星は合わせ、しかも、その筋のファンなら誰もが覚えているだろう場面を語ってみせた。
加えて、打法まで再現されては、その底が浅いとは思えない。
正直に言おう。
私は彼女を愛でるべき存在だと捉えていた。
しかし、実際はどうだろう。
肩を並べる……いや、その上だろうか。
付け入る隙が見当たらないのだ。
端正で中性的な容姿は、老若男女を問わず、人に好まれよう。
遠近双方の武力、仏門の知識をはじめとした知力は文武両道と評価できる。
以上だけでも十二分に二物と言わず天から与えられている気がするが、更に‘力‘で財力もあるときたもんだ。
そいでもって、性格もいい。なんだこのパーフェクト超人。
同じような質の者を思い当たらないでもない。
紅魔館の主、‘永遠に幼い紅い月‘レミリア・スカーレット。
永遠亭の主、‘永遠と須臾の罪人‘蓬莱山輝夜。
しかし、彼の姫たちの言動は、須らく自分本位なものだ。
こればかりは、立場上、いかんともしがたい本質であろう。
その点、星は文字通り在野から昇ってきた身、他人本位な謙虚さも兼ね備えている。
繰り返す。なんだこのパーフェクト超人。
――だが、だからと言って慄くだけでは、‘策士‘と呼ばれる私の名が廃る。
星と同じく獣から昇華した私だからこそ、大方の本能を抑えつけられるだろう彼女の弱い所を捉えているはずだ。
賢人と言えど、賢妖と言えど、捨て切られない、否、捨て切るべきではない衝動。
三大欲求にも絡むソレは――愛。
愛と言えば、式、或いは部下へのものである。ちぇーん!
溢れんばかりの思いを胸の内で叫び、私は星と向き合った。
「……そう言えば、其方の従者――」
「ナズ……ナズーリンのことですか?」
フィッシュ!
深い付き合いのある者ならともかく、普通、知人程度の相手に身内を愛称では呼ばないものだ。
事実、星も言い淀み、言葉を訂正した。
やはり、彼女と言えども部下への思いは隠し切れぬ模様。
続く手は、既に二つ浮かんでいる。
褒めるか貶すか……私は、前者を選んだ。
愛でるべき存在を貶すなど、畜生にも劣る行為だからだ。
「そう、ナズーリン。
力量もさることながら、度胸も大層だと聞いている。
私も式を持つ身、できれば、そこまで育てあげた方法を教えて欲しいのだが……」
あとまぁ、指導方針を聞きたいのは本音だったりもする。
問いに、星は目を伏せた。
猪口に口をつけ、こくりと少し嚥下する。
此方に向かい吐き出したものは、酒の匂いと小さな溜息。
そして、目を細く開き、滔々と語る。
「贔屓目もあるでしょう、確かにナズーリンは出来が良く、日々骨を折り仕えてくれています。
ですが、あの子は元よりしっかりしていたんですよ。
毘沙門天様の教えが……いえ。
ともかく、私が教えたことなど微々たるもの。
けれど、ふふ、それらを着実に身につけていると思っているのは、やはり過保護だからでしょうか」
一瞬の陰り。
しかし、それを指摘するのは躊躇われる。
ただの知人が興味本位の土足で踏み込むべきではない――そう思えた。
加えて、表情を一転させ、自身の教えを吸収する部下を語る彼女は、揶揄を挟ませない程度の優しさと温かみに満ちていた。
「あぁ、けれど……」
またもや一転。
微笑が微苦笑へと変わる。
だが、抱く思いは変わっていないだろう。
「‘好奇心は猫をもチョメチョメ‘……あの子は何でもかんでも首を突っ込みすぎる。
ダウザーと言う職業柄致し方ない部分もありますが、私としては心配です。
引き際は心得ていると思うのですが……」
‘チョメチョメ‘ってあんた。可愛いなぁもう。
目的を忘れた鼻の下を戻そうとしていると、不意に星が言葉を切った。
次いで、ぽんと手を打ち、にこやかな笑顔となる。
その笑みに、反撃の狼煙を見た。
「不謹慎な例えで思い出したのは申し訳ないですが、藍の式も大層出来た子だと伺っています」
あかん。
あかんでぇ藍。
これに乗ったら相手の思う壺やがな……!
何故か西の方の言葉で思考しつつ、どうにか微苦笑で返す。なんか嫌な汗も出ていた。
「ち、ちぇぇ、ん、のことかな。
それはもう花粉症時の点眼薬のようにどばどば目に入れたいほど可愛、ノゥ!。
――あぁいや、あの子はまだまだ若輩者、故に其方の可愛い子ちゃんの話を続けて頂きたく」
乗り切った、私は乗り切ったぞ橙! 後でうんと頭を撫でさせておくれ!
だが――星の方が一枚上手だった。
「ええ、そのナズに聞いたんです。
夜雀屋台でしたか、あの子たちの寄り合い所で出会ったらしく。
『しなやかな身のこなしと鋭い勘は天性のもの、礼儀の正しさは主人の教えの賜物だろう』と。
獣より昇華した私たちですから、本能を克服することの難しさは理解しています。
学んだ彼女と教えた貴女……主従以上の絆があってこそでしょう」
式が付いていたからだろう。
「えぇえぇ、ウチの橙は可愛く賢く勇ましく可愛いのですよ、もぅっ!」
本音と建前が逆になり、大事なことなので二度同じ単語を重ね、握り拳で頷くワタクシ。
策士と呼ばれる私にも捨て切れぬ衝動がある。
それは、愛。
星が頷く。
「私はナズのことを語りました。
ですので、次は貴女の番です。
どうぞ、お聞かせ下さい」
落ちる。
そんな単語が頭に浮かぶ。
何処にかは解らない、何にかも解らない、けれど、落ちる。
「星……――!」
幾百幾千の衝動は、しかし、言葉にならなかった。
続けて浮かんだ友の言葉が、私を押し留める。
侮蔑かもしれない。
『流石の私でも、貴女の橙への思いは引くわー』
ちくしょう語らせろよ鴉。
しかし、今は感謝しよう。
崩れかけた平静を整え、星に向き合う。
作った微苦笑を浮かべることに少しの罪悪感を覚えつつ、私はやんわりと断った。
「……その、私はどうにも式のことになると、熱くなりすぎて。
知人に語るような様ではないらしいんだ。
いや、申し訳ない」
断ったつもりだった。
星の表情がくるくると変わる。
ぱちくりと目を開閉し、
残念そうに眉根を寄せ、
そして、笑んだ。
その笑みは、私に二度目の感覚を与えた――落ちる。
「共に湯へと浸かり、酒を飲み、語らう……私は、貴女を友と思っていますよ」
「しょぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「わっ、どうどう」
あぁ……。
私は、生まれ変わろう。
下卑た妄言を無駄に言い合う不毛な関係は、今日限りで捨て去ろう。
崩れ落ちた私の両肩を柔らかく握る、この新しい友に、心の内でそう誓った。
故に――対岸から吹いてくる妖気混じりの一陣の風に、私は鋭い目を向けた。
「温泉温泉と……って、あやややや、何してんのよ、藍」
「これはこれは射命丸さん、今日は良きお日柄で、そのまま去ね」
「酷っ!? 幾らそんな痴態を見られたからっていきなり帰れはないでしょうに!」
言いつつも、此方の挨拶を意に介すはずもなく、鴉天狗の射命丸さんは岩場に降り立った。
……しかし、言われてみれば恥ずかしい格好をしてないでもないな。抱き合ってるんだし。
「自分に似せた式を創りだして二人エッチだなんて。まぁ私は受け入れるけど」
「そう解釈するか。‘狐狗狸さんの契約‘!」
「はんぎゃぁぁぁ!?」
自身が扱う中でも強めの弾幕で黙らせる。
だが、単撃で散るほど射命丸さんは柔ではない。
動きが鈍っている間に、私は二撃目の弾幕を掌に集めた。
「幾ら深い親交のある方相手でも、最初から手を挙げるのは感心できません」
――その手が柔らかな両手に包まれて、結局、‘力‘は霧散してしまった。
流石に苦笑が浮かぶ。
集めていた妖気は生半可なものではない。
同等の‘力‘もしくは以上、或いは、似た生い立ちが故だろうか。
「……貴女も心の内ではそう思っていたのでしょう。
ですから、こうも容易に‘力‘を抑えられた。
違いますか、藍?」
表情から読み取ったのだろう、星が続けた。
「抑えてくれて礼を言う、確かにあの程度で奴は打ち取れぬ、さぁ力を合わせ邪な鴉をひれ伏させよう!」
「私の勘違いでした。ぜんっぜん思っていませんね」
「ごめんなさい」
だってね、えとね、射命丸さんが私のダークサイドを蘇らせるの。
思うと同時、奴が蘇った。
言葉なく、じぃと此方を見つめてくる。
けれど、然程の湯煙もなく、凝視する必要はないはずだ。
……まさか本気で見分けがついていないのか。確かに背格好は似ていなくもないが。
明確に違う部位は、うん、言わぬが花と言う奴だ。
「よくよく見れば、片方はぺったんこね」
「命蓮寺の寅丸星です、文」
「取材したから知ってる」
ガチで見えていなかったようだ。暗いししょうがないか。
ほぅと私は、星と射命丸さんに視線を向ける。
星の呼び方に、二名は知人だったのかと気付いたのだ。
まぁ先の異変の一角で、しかも新設の寺の住人に突撃しない訳ないわな。
そんなことを思っていると、射命丸さんと視線がぶつかった。
「モフモフとモフモフの語らい……」
「おいこら鴉、それは私たちのことか」
「獣の歓談、略してじゅうぎゃぁぁぁぁ!?」
射命丸さんが言い終えるよりも早く、光線のような弾幕がどてっ腹を貫いた。
表現で伝わると思うが、今のは私じゃないぞ。
どうやら毘沙門天の顔も三度までらしい。
顔を赤らめる星の肩に手を置き、私は笑いかけた。
「止めは任せてくれ、星」
「や、そこまでするつもりはありません」
「さようなら邪な私、こんにちは縦縞の私!」
微苦笑を浮かべる星に徳利を置いた盆を向け、私は、呻きをあげる射命丸さんの元へと進んだ。
「あのな、何時までもがいている。どうせかわしただろうに」
「しまパンの藍……し、新種を発見、八雲っち」
「立ておら」
縁に渋々と胡坐をかく射命丸さんの腹は、やはりと言うか、無事だった。
けれど、完全に避けた訳ではないようだ。
ちらちらと白い肌が覗いていた。
蠱惑的だと思わなくもない。
……。
「ほら見ろ、お前が現れたから全体的に桃色になってしまっているではないか!?」
「いや、あの、見てるけど、温泉の湯は乳白色なんじゃないかしら」
「乳が白いだなんて!? 射命丸さんのどエロ!」
何時からだろう、普通の単語をそう感じるようになったのは。
遠い目をする私に、奴が半眼を向けてくる。
「さっきもだけど、その他人行儀な呼び方は何よ」
「うむ、よくぞ聞いてくれた」
「わー、いい笑顔」
碌でもないことを考えている顔だと評したのは、何処の鴉だったか。
追憶を振り切り、私は過去に決別を告げた。
「いいか射命丸さん。
私は、星との出会いにより正義へと落ちたのだ。
……どうでもいいけど悪堕ちはあるのに正義堕ちはないんだな」
黒いレオタードから白いワンピースに変わるとか。悪くはないんじゃなかろうか。
「妖艶な女王様が清楚なお姉さんに転身……ありね」
「うむうむ、な、文、腹の奥が滾るだろう?」
「えーと、正義が何だって」
朱に交われば赤くなる!?
声なき声をあげる私に、しゃめい、あ、面倒くさい、文が胡乱気な表情を向けてくる。
だが、その視界に映しているのは私だけではないようだ。
有体に言うと、星をも見ていた。
いや、ちょっと待ってくれ、私はともかく彼女をそんな目で見てくれるな。
伝えるより先に、口を耳に近付け、文が言う。
「あとね、彼女も大概よ?」
……あん?
首を捻りつつ、文の星に対するもう一つの評価に気付く。
千の齢を越える彼女もまた、星を愛でるべき存在ではないと捉えているようだ。
仮にそうであれば、『彼女』ではなく、『あの子』と呼んでいただろう。
とは言え、散々の無礼な態度に畏まっているとも考えられない。
思うに、文も私と似たような印象を抱いているのではなかろうか。
だとすれば、『大概』の意味が解らないのだが……。
「うん、普段はまぁ、卒がないように見えるわね。
でもね、私が聞いた話じゃ、結構な酒乱らしいわよ。
尤も、そこそこ飲めるそうだから、中々お目にかかれないみたいだけど」
あー……そう言えば、そんなことを聞いた覚えが。
「しかし、文」
「その様は、五戒になぞらえ、こう呼ばれている」
「つまりは乱れる方面も有るのか。……詳しく聞こう」
『星はもう飲んでいるぞ』。
浮かんだ言葉を打ち消して、私は続きを促した。
我が意を得たりと、文が更に身を寄せてくる。
ちらりと視界に入れた星は、飽くことなく猪口を呷っていた。
「比較的性質の良いのは、飲酒でしょうね。暴飲暴食」
「まさに‘ハングリータイガー‘と言う訳か」
「亡霊嬢に匹敵し得るらしいわ」
「腹を空かした虎でも五分五分って、どうかと思う」
「頑張れ‘半人半霊の半人前‘、貴女はきっと出来る子よ」
当然、妖夢は愛でるべき存在だ。
「次に、殺生。甘え上戸で萌え殺す」
「チョメチョメとか言ってたな。可愛い」
「拳を丸めて猫パンチ、幼児返りでがおーがおー」
「ちょっとスピリタス買ってくる」
「そう言って醜態を晒す者が多いんじゃない?」
鬼呼んで来い鬼。
「妄語は、なんでも、外の世界の虎を騙るらしいの」
「む、流行は廃れやすいぞ」
「何の話よ」
「虎の仮面じゃないのか?」
「ええ。宝塔を上下に突き出して『タイガァ』、槍を突きあげて『アパカッ』って」
そっちか。いや、確かに被害は大きいだろうけど。
……ん?
文は『比較的性質の良い』飲酒から語りだした。
と言うことは、残る二つは『ジェノサイッ』よりも破壊力が高いのか。
期待に胸が膨らんだ。あ、いやいや。
「そして、偸盗は、心を盗む」
「イケトラモードか。なればあの振舞いも納得できる」
「そんな次元じゃない、微笑み一つが一発代わりってレベルなのよ……!」
「あぁ、女体の神秘にナニカが満ちる……!」
「藍、あの、飛ばし過ぎ。ん?」
何と言うか、反動って怖い。
たおやかな笑みを浮かべ、私は最後の戒めの解説を待った。
しかし、肝心の文が押し黙ってしまっている。
今更何を躊躇う必要があろうか。
……いや、躊躇ではないようだ。顎に人差し指と中指をかける文は、思考している。
「ねぇ、藍。ちょっと質問なんだけど」
「文ちゃんは卵産むのん?」
「目ぇさませ狐」
ガスっ、と顎を直撃する一打。
刃物のような鋭さをもったソレは的確に此方の急所を突いた。
だから、揺れる脳を感じつつ、私はついつい、叫んでしまった。
大声で叫んでしまった。
「顔の形が変わりそうな勢いで肘入れるな肘!?」
「輪郭はシャープなままよん?」
「あぁ……どうにかしたい」
確かにどうにかしたいと思ったが、ソレは私の発言ではなかった。
湯の色が変わる。
正確には、放たれている‘力‘を反射していた。
その輝きは、彼女の‘能力‘を象徴するかのように、黄金色だった。
――突然、星が‘力‘を解放したのだ。
唐突の事態に驚いていると、文が先の言葉を繰り返した。
「藍、応えなさい! 何故貴女はさっきから、星が酔っているかのような言い方をしていたの!?」
端々に感じさせる動揺を不可思議に思いつつ、私は応える。
「や、一緒に飲んでたし」
「うっそ、気が付かなかった!?」
「あぁ、やはり本当に見えなんだか」
目を見開かせる文。
ひのふの……星は、私が持ってきた徳利を全部空けてしまっているようだ。
しかし、何を慌てる必要があるだろう。
残る戒め、つまり悪い酒癖は一つ。
私たちの得意分野だ。
だと言うのに、我が悪友は戦慄いていた。
「文、最後の戒律は邪淫だろう?
ならば、望むところではなかろうか。
星が従者に『ちゅっちゅしたいよー』と言っても、私は驚かんぞ?」
むしろ、どんとこい。
胸を張る私に、けれど文は、口から泡を飛ばしつつ、言った。
「彼女は、貴女とベクトルが違うのよ!」
「べ、ベクトル?」
「そう、星は穏やかな情を従者に、激しい情を上司に向けている!」
「上司って聖殿か。白蓮上戸?」
「は!? 『肘入れるな肘』『輪郭が』……『ひ・じ・り』――私たちは、既に禁句を言ってしまっていたのね……!」
どこの能力者だオイ。おいでませ銀狐。
「馬鹿なこと考えているんじゃないわよ!
いい、情を向ける相手が違うと言うことは、接し方の願望も変わってくるわ!
橙やナズーリン、椛になら『ちゅっちゅしたいよー』程度でしょう、だけど、上司、お姉様方相手なら!?」
「股ぐらがいきり立つ。誠に淫らで精力旺盛であるっ、いざ、南無三──!」
「そして旦那――彼奴奴は、どストレートに言ってのけるのよ……!」
漸く、NBV(ナチュラル・ボーン・ヴィッチ)と称される文が戦慄している訳を、理解した。
今のやんちゃなドジっ虎なら容易に口にしてしまうだろう下卑た妄言は、この幻想郷では粛清されてしまうのだ。
や、絶対にとは言わないけども。
少なくとも、私や文は幾度となくその憂き目に遭っていた。
主がやってんじゃないかとも思ったが……あのヒトにも隕石とかぶつかってたしなぁ。
過ぎた春のある日を思い出していると、本日二度目の衝撃が対岸から放たれた。
「あぁ聖!
しこたま飲んで騒いでみても貴方は貞操観念が強い!
勢いに任せて有体に云いますと、今すぐ出会茶屋に連れ込みたいっ!」
もったいぶらずに曝け出した彼女の卑猥な心は、文の言葉通り、剛速球だ。
「あぁもぅ、じれったい! 一つに――」
続けざまに三度目の衝撃。
今度は声ではなく、音。
文が湯に突撃した。
――どっぽぉぉぉんっ!
「藍! 私たちを目の敵にする‘奴‘は、恐らく声に反応する!」
「思い返してみれば、確かに私たちは大声を出していたな!」
「『一冬のアバンチュール』とかね! どうかと思う!」
冷静に考えると返す言葉もないのだが、上空で衣服を脱ぎ去りダイブできるお前に言われたくはない。
「こうなればとことん追い詰めて私しか……」
「病まないで毘沙門天の代理様!?」
「愛をぼったくって、幾ら出してでも私が買って……」
「買えない! 愛はお金じゃ買えないわ、星!」
「あぁもぉ、じれったい! 私のものになればいいのにー!!」
上辺を剥がされた星が絶好調だ。
両腕を振り水飛沫をあげる文も面白し。
新しい友に、古くからの友に、私は声を張り上げ、笑った。
「藍?」
重なる友の呼び声。
それほどまでに大笑いしていたのであろう。
ふと気が付けば、目尻には涙さえもが浮かんでいる。
ぱしゃりと顔に湯を浴びせ、二名に視線を向けて、私は、言う。
「文、先の言葉は取り消そう、申し訳ない。
星、改めて、これから宜しく頼む。
どうやら、私たちは類友のようだ」
顔を見合わせた後、鴉が肩を竦め、虎が笑んだ。
「何を今さら」
一しきり笑い合い、区切りがついたところで、私は文に頭を下げる。
「と言う訳で、文、後は頼んだ」
「貴女が頼みの綱ですからね」
「え、頼むって何を?」
流石は星だ。
言わずとも、此方の考えが読めたらしい。
今この場に置いて最も素面なのは、どう言う訳か文だった。
鴉を挟み、狐と虎の熾烈な視線の応酬がかわされる。
「ちょ、貴女たち、まさか!?」
「突っ込み役は、ヒトリで十分でしょう」
「友に痴態に応えずして何が大妖か! 共に向かうことこそ八雲の心意気!!」
そして、私たちは各々、叫びをあげた。
「後もう少し蛮勇があれば、抱かせろと言えるのかもしれませんね、紫さま―!」
「やりたいようにやらせてください、一度お願い、びゃくれーんっ!」
「あかんべぇしてさようなら――って、出来るかぁー!?」
どっぽん、どっぽん、どっぽぉぉぉぉぉん!!
獣たちの咆哮は、ただただ水面に吸い込まれていった――。
明けて翌日、そこから更に一週間後。
性懲りもなく、私は湯に浸かっている。
ちらちらと降る雪の風情を楽しもうとした矢先、文がやってきた。
やはりと言うか、桶と手拭いしか持ってきていない彼女に、猪口を回す。
とくとくとく。
「あんがと」
「まぁ、先日の礼代わりだ」
「あーねー……貴女も彼女も、力尽きるまで叫んじゃって」
責めるでも蔑むでもなく遠い目をする文に、私は微苦笑するしかなかった。
あの晩、私と星は互いにもう無理と言う限界まで、騒ぐに騒いだ。
ぶっ倒れた私たちを介抱したのは、文だった。
最後まで、後を頼まれてくれた模様。
「そいでもって、星の方は騒いだ記憶しか残らないんだから、大概よねぇ」
「うん? つまり、内容は覚えていないのか?」
「覚えてたら飲まないでしょ?」
それもそうか。
「なんと都合の良い頭か」
「色んな飲んべを見てきたけど、記憶が抜けるってのは初めてね」
「鬼様たちの宴会の時は私たちもしこたま飲まされるが……そうはならんもんなぁ」
後に残るのは、見るも無残な二日酔い。
「ん……初めてだっけ」
「あん、どうかしたか、文?」
「や、気にしないで。なんでもないわ」
猪口が空になっているのを察知して、また注ぐ。
何事にか頭を悩ませる文だったが、くぃと一呷りで嚥下した。
思い出せない記憶など、どうでもよいことか碌でもないこと、酒に流してしまえばよい。
とくとくとく。
「そう言えば、あの晩から気になっていたんだが」
「卵のことならノーコメント」
「違ぇ。文、一体誰が、お前に星の酒癖の悪さを教えたんだ?」
「‘大魔法使い‘様」
「やっぱりか。やるなぁ、‘ガンガン行く僧侶‘」
頷きに、意外そうな顔を向けられる。
「推測だが……他人の前で、星はそこまで飲まんだろう。
お前が強いと言っていたし、仲間や従者よりも先に酔うとは思えん。
故に、パーフェクト超人の痴態を楽しめるのは、彼女と同等、もしくはそれ以上の者」
小首を捻るまでもなく、文も頷いた。
「私が新聞記者って知ってるはずなのにねェ」
「相性の良さを見抜いていたんだろう」
「こちとら親兄弟だってネタにしちゃう鴉天狗よ?」
「書かないとも踏んでいた」
「でしょうね……あの可愛さを見れるのは、特権だもの」
とくとくとく。
自身の猪口に徳利を傾ける。
とくとくとく。
次いで、古くからの友の猪口に酒を注ぐ。
とくとくとく。
そして――
「こんばんは、フタリとも。一週間ぶり程でしょうか」
「はい、文さんの突撃インタビュー、この前ので覚えていることは?」
「何を話していたかはさっぱりですが、とっても騒げて楽しかったです。えへ」
「よっしゃ文さん、上剥げ上! 藍さんは下を剥ぐ! お宝拝ませてもらおうかいのぉ!」
「わ、ちょ、文、自分で脱ぎますから! あわわ、藍、袴を先に下ろされるとなんだか凄くマニアック!?」
――用意していた三つ目の猪口を満たし、私たちは、新しき友を迎えるのだった。
<了>
三人になって騒がしくなってからも楽しめました。
その内容はともかくとしてw
いつも素敵なダメのんべをありがとうございます!
密かに思ってた藍 × or + 星をまさかやってくれるとは・・・
『そして友が』は某剣各漫画でしょうか。
貴方の世界観、好きです。
このはっちゃけ具合大好きです。
ただ三人になったせいか、途中のセリフで誰が言ってるのか分からなくなったのが気になった点でした。