「話は全て聞かせて貰いました! この勝負、東風谷早苗が預かります!」
神出鬼没。いや現人神出鬼没。
窓ガラスを突き破って登場した山の巫女に、文もはたても言葉も失っていた。扉から入ればいいのにとか、どうやって話を聞いていたのかとか、ガラス代弁償しろよという思いが頭を駆けめぐる。
最近の巫女は暴力的なのが流行っているのか。
二人が戸惑っているのを良いことに、早苗は勝手に話を進めた。
「文さんなりの新聞論。そしてはたてさんなりの新聞論。私にはどちらも優れているように思えます。しかしお二方はそれで満足していない。どちらがより優れているのか、それを決めなければお二方のわだかまりは解消されない!」
だから次の新聞大会で決着を付けることにして、宅飲みをしながら新聞が大衆にもたらす影響について火花を散らせていたのだが。
「新聞大会よりも手っ取り早く、お二人の記者としての腕前を試すゲームがあります。より優れている記者こそが、より優れた新聞を作ることが出来る。優れた新聞を作れるのなら、その記者の論理も優れているに決まっています!」
例外はあるものの、概ねは間違っていない。どうして早苗が仕切るのかという疑問を除けば。
何度も宴会に参加している文は早苗の暴走癖に慣れており、まぁ仕方ないかという気になっているようだが、当のはたては初対面の上に早苗という巫女の事をよく分かっていなかった。
「あなたには関係ないでしょ。これは私と文の問題なのよ」
「ふふふ、この幻想郷ではモラルに囚われていてはいけないのですよ!」
「いや、そこは囚われなさいよ」
必死に食い下がるはたてに対し、どうやら文は少しずつ乗り気になっているようだ。確かに議論へ横暴な横入りをしてきた事は腹が立つけれど、ゲームというのも気になる。しかも記者としての腕を試すものと言われれば、否応にも盛り上がるというものではないか。
そう考えているのだろう。
はたては肩を押さえられ、強引に座らされた。
「こうなったら誰にも止められないわ。それに面白そうじゃない、ゲーム」
「相変わらず面白いものの奴隷ね。私は納得いかないわよ」
「そりゃそうでしょう。ゲームと名の付く物で私に連敗を喫しているはたてさんが、しかも今度は記者としての腕を試すゲームをやるなんて。再起不能になってしまうからねえ。無理はしなくてもいいのよ」
「馬鹿言ってるんじゃないわよ。ゲームはあくまでお遊び。だけど記者としての腕を競うのなら手加減も容赦もしてあげないわ!」
あっさりと手のひらに乗ってしまう。悪い癖だと知りつつも、はたては止まることを知らない。今更撤回など出来るはずがなかった。
早苗も満足そうに頷く。
「つまり、お二方とも参加するという事でいいですね?」
「私は構いません」
「私もよ! ……ん?」
誘導された事に気付いたのか。しかし後の祭りだ。参加を表明してしまった以上、今更止めるとも言い出せない。言えば文の不戦勝だ。はたての矜持がそれを許さない。
「お二人にやって貰うゲームは、その名もズバリ三面記事バトル!」
「あのー、八坂様。三面記事バトルって何ですか?」
「良い質問だな、河童」
二人の戦いのはずなのに、いつのまにか部屋の中には幾人かのギャラリーがいた。窓際には神奈子とにとりが佇み、早苗の側には諏訪子がいる。椛は窓の外からこちらを眺めており、何やら念を唱えている様子だ。大方、文がこっぴどく負ける姿を望んでいるのだろう。
しかし、この短期間にこれだけの連中が集まるとは。最初からゲームをさせるつもりだったのだろう。
何せ、ここには娯楽に飢えた神やら妖怪やらがごまんといる。面白い事が始まりますよと持ちかければ、一も二もなく飛びついてくるのだ。
だが勝負に影響さえ無ければどうでもいい。観衆がいるから緊張してできないなど、戦う前から負け犬であることを自白しているようなもの。自分に言い聞かせ、はたては何度も深呼吸をした。
「三面記事バトルとは、その名の通り三面記事を手に入れることが目的になっている。相手よりも先に手入れた方の勝ちだ」
「この部屋の中に三面記事が隠してあるんですか?」
「いや違う。この戦いで使うのは情報のみ。まず最初に早苗が両者に十枚のカードを渡す。各カードには数字の番号と三面記事に関する情報が載っているのさ。そのカードを元にして三面記事になったネタを探り当てる。先に正解を当てた方が勝利ってわけだ」
「へえー」
河童が感心したように頷く。
「しかし当然のように配られたカードだけでは事件の全容を知ることができない。だから相手の情報を使うのさ。各自に配られた情報は異なっている。如何にして自分の情報を隠しながら、相手の情報を探るのか。必要なのは推理力だけじゃない。むしろ外交や弁舌の力が試されるってこと」
記者にとって必要なもの。それは如何にして相手から情報を引き出すのか。
確かに事件の臭いをかぎ分ける嗅覚も大事だ。しかしいつだって関係者達は事件をひた隠しにする。一流の記者ならば例え閻魔が相手でも怯むことなく、いとも容易く情報を得るものだ。
なるほど、確かにこれは記者としての腕が試されるゲームだ。尚更、負けるわけにはいかない。
はたては拳を握りしめた。
「回答権は各自三回まで。犯人と現場に関しては最初から五枚の候補が提示されている。その中から情報を元にして選び、事件の真実を明るみに出した方の勝ちだ」
「なるほど。じゃあ、この数字には何の意味が?」
「良い質問だな河童。情報の選別も記者として必要な能力だ。だから十枚のカードの中に一枚だけ嘘が混ざっている。当然、プレイヤーはどれが嘘だか分からない。分かっているのは相手だけ。相手の情報の中には自分のカードの何番が嘘なのか、それが書かれたカードが入っている」
「情報を鵜呑みに出来ないってわけですね」
「そういうことだ」
つまり纏めると、
勝利条件:早苗が用意した三面記事のネタを言い当てる
ルール:①各自に異なった十枚の情報カードが配られる
②情報カードには数字と事件に関する情報が書かれている
③犯人と現場に関しては五枚の候補が提示されており、その中から選択する
④回答権は各三回
⑤十枚のカードの中に嘘が一つだけ混ざっている
⑥何番のカードが嘘なのか、書かれているのは対戦相手が持っている情報カードだけ
「情報のやり取りに関しては制限はない。交換するも良し、譲渡するも良し。まぁ、主なやり取りは交換だと思うが」
誰も好きこのんで無償で情報を渡したりはしない。なにせ相手は文なのだ。
やり方は気に入らない事もあるけど、記者としての腕は優れている。しかも智謀策略の類にも長けており、生半可な戦略では通用しないだろう。
面白い。はたてはいつの間にか笑みを浮かべていた。
これで負けるようなことがあれば、果たして文はどのような顔をするのか。記者としての腕を競うことと同じぐらい、そちらも楽しみである。
「お二人とも、ルールの確認は済みましたか?」
早苗の問いかけに頷いた。シンプルなルールだけに特筆するような穴もない。
文も納得したとばかりに頷く。
「それでは始めましょうか。まず、犯人候補と現場候補のカードから」
はたてと文の間に置かれた十枚のカード。
『霊夢、咲夜、さとり、天子、紫』
『博麗神社、紅魔館、地霊殿、守矢神社、灼熱地獄跡』
まずは先入観を捨て去ろう。仮に霊夢が犯人だっとしても神社が現場になっているわけではない。なまじ知っている名前が多いだけに勝手に関係性を作ってしまわないか心配だ。まぁ、殆どの面子と会ったことはないのだけど。
「そして次に情報カードですね」
胸が高鳴る。果たしてどんな情報が記されているのか。
おそらくは公平性を保つ為に、二人のカードは同じぐらいの情報量なのだろう。だとしてもせめて自分の方が有利でありますようにと願うことぐらい、許されてもいいはずだ。
早苗から十枚のカードを手渡される。
恐る恐る、はたては一枚ずつ確認していった。
① さとりは犯人ではない
② 紫は犯人ではない
③ 守矢神社は現場ではない
④ 博麗神社は現場ではない
⑤ 被害者はさとりか紫
⑥ 煎餅は無事だった
⑦ 犯人は盗み食いをした
⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、栗羊羹
⑨ 犯人は霊夢
⑩ 相手の3番は嘘
歓喜の後に訪れる疑心。明らかなジョーカーが混入している。
犯人は霊夢。これが真実ならば恐ろしいほどのショートカットだ。文に一歩どころか三歩もの差を付けられる。だがこれが嘘であった場合、はたてはコースを間違えて走ることになるのだ。
迂闊に信用はできない。だが無視するわけにもいかない。
難しい顔で悩むはたてに対し、文は至って余裕の顔だ。まさかあちらの情報の方が当たりだったのか。
いや、と首を振る。文の常套手段だ。どんな不利な状況でも余裕ぶって、文の方が有利だと見せかける。そうすると相手は萎縮して思うように自分の実力を発揮できないのだ。その手には乗らない。
「では早速始めましょうか。お二人とも、準備はよろしいですね?」
「ええ、勿論」
「かかってきなさい、文!」
不敵な笑みが交差する。
そして早苗は高らかに手を挙げた。
「それでは三面記事バトル、始め!」
文が自分のカードと睨めっこをしている隙に、はたても情報の整理を始めた。球技じゃあるまいし、開始の合図と同時に攻める必要もない。むしろ整理する事の方が大事であり、これを疎かにすると自分が何処に向かって走り出したのかも分からなくなる。
情報カードを纏めれば、暴くべき事件とやらの全貌も見えてくる。要は、犯人が、何処で、誰の、何を、どうしたのか。これに当てはまる単語を入れていけばいいのだ。
そしてあくまで情報カードの中に嘘がないと仮定した場合、(霊夢・咲夜・天子)が(紅魔館・地霊殿・灼熱地獄跡)で(さとり・紫)の(饅頭・栗羊羹)を盗み食いしたという風になる。ただ嘘が混じればこの仮定も崩壊するだろう。
いずれにせよ文の情報が必要なのは間違いない。問題はどうやって、情報を引き出すかという事だ。それもなるべく、自分の情報を与えずに。
「ねえ、文。ちょっと提案があるんだけど、いい?」
「ええ、構いませんよ」
「……その前に、何で敬語なの?」
「ゲームとはいえ取材の一環みたいなものですから。癖ですよ」
さして気にするような事でもない。口調で勝負が決まるわけでもないし。
気にせず、はたては続けた。
「どちらも考えることは同じ。自分の情報は出さず、相手から情報を引き出したい。だけど、いつまでも膠着状態のままじゃ勝負にならないわ。いつかは情報を交換することになる。そこで提案なんだけど、まずは犯人だけでも確定させておかない?」
「ふむ。それはそれは有り難い提案ですけど問題がありますね」
「へえ、何かしら」
文は自分のカードに視線を落とした。
「この中には一枚ほど嘘が混ざっています。そして嘘のカードの番号を知っているのは対戦相手だけ。つまりここで迂闊にカードを見せて仮にその中に嘘があったなら、対戦相手だけが得をすることになりますね」
例えば文が『霊夢は犯人ではない』と『咲夜は犯人ではない』のカードを出してきた場合。そして『霊夢は犯人ではない』が③だった場合。はたては相手の③が嘘だと知っている。つまり霊夢が犯人だという確定情報を手に入れるのだ。
対して文は悲惨だ。はたてが出すカードは『さとりは犯人ではない』『紫は犯人ではない』の二枚。四枚のカードから導き出される答えは『犯人は天子』という誤ったもの。片方は正解を掴まされ、片方は不正解を正解と信じる。一歩どころか三歩もリードを許すことになるのだ。文が懸念するのも無理はない。
ただ、はたてにその心配は無かった。なにせ⑨は『犯人は霊夢』なのだから、これが正解だとしたら『① さとりは犯人ではない』も『② 紫は犯人ではない』も正しいことになる。そして嘘だったとしても、十枚の中に嘘は一枚だけなのだから①や②が嘘である可能性もゼロだ。そして①の②のどちらかが嘘だとしたら、『⑨ 犯人は霊夢』と矛盾することになる。
つまり、いずれにせよ①も②も間違いなく真実。相手のカードに番号が記されている可能性は全く無いのだ。
だから、はたてが損をすることはない。むしろ得をする可能性が高い。仮に相手の出した情報カードに③があるなら嘘ということになり、自動的に自分の⑨も嘘ということになる。
そして文が渋っているということは、少なくとも文の手札には無いのだろう。犯人は○○という形のカードは。
「これはあくまで交渉のゲーム。出来れば運の要素は排除したいのです。ですから情報を口頭で言うのはどうでしょう?」
「冗談。捏造新聞の親玉のあなたが本当の事を言うわけないでしょ」
「勿論、あなたも」
だったら、どうするつもりなのだろう。このままでは結局膠着だ。
「そこで今度は私から提案です。数字の部分を隠してカードを見せ合うというのは如何です?」
それならば相手の情報が嘘かどうか分からない。意味がないように思えるが、しかし少なくとも相手が出すカードのどちらかは真実なのだ。情報が増える事に変わりはないし、断ったところで膠着状態が続けくだけなら。
いや、待てよ。
思考回路を最大限に働かせ、ある一つの抜け道を見つけ出した。思わずニヤケそうになるのを堪え、不承不承といった感じで頷く。
「仕方ないわね、ただしちゃんと犯人に関する情報を見せるのよ」
「勿論。ここで場所のカードを見せても相手に余計な情報を与えるだけですから」
どうやら自分の策略に気付いていないようだ。
はたては勝利に一歩近づいたことを確信した。
たかがカードの交換で何を戸惑っているのかという思いもあった。しかし将棋に例えれば理解に至る。何気ない一手が悪手となることもあれば、思いもよらぬ鬼手となる。時間制限さえ無ければ相手が降参するほどに頭を悩ませたい所だ。
にとりも腕も組み、勝負の行く末を見守っていた。
「とりあえず、これで犯人は決まりですかね」
「どうだろうな。嘘が混じっている可能性はあるし、そう簡単に言い切れるものでもないよ」
さしずめ一手目で歩を動かした程度。まだまだ勝負は序盤戦にも到達していないという事か。長期戦になりそうだ。いや、動き始めれば短期決戦になるのか。
なにしろ遊んだことのないゲームだ。勝手も分からないし、定石も未知ときた。それは神奈子も同じはずなのに、この自信の差は何だろう。
これが神様というものか。
「しかし、この様子だとはたてがリードしそうですね」
こちらから見えるのははたてのカードのみ。うろうろして勝負に水を差すわけにもいかないし、推理する楽しみも半減するというもの。
ただ犯人捜しに関しては確実にはたてが有利だろう。なにしろ⑨のカードが強力すぎる。
霊夢以外が犯人ならば嘘の在処が分かるし、そうでなくても犯人は分かる。損をする選択肢が無いのだ。
数字がないから嘘の可能性も含まれている。だが犯人が決定した時こそ、⑨のカードは真価を発揮するのだ。
「確かにリードするのははたてだろう。ただ、このゲームはそう簡単なものじゃない。勝負に勝って試合に負けるかもしれないからねえ」
「そうなんですか?」
「まぁ、一か八かの賭けだから。余程口先に自信のある奴じゃないと、この道は選ばないだろうさ」
嫌な予感が脳裏を過ぎった。勝負が始まる前はどちらに勝って欲しいという思いは無かったのだが、カードを見てしまったからだろうか。いつのまにかはたてを応援している自分がいた。
だからこそ不安なのだ。文という烏天狗の恐ろしさは妖怪の山にいる者なら誰もが知っている。実力よりも口先が勝っているとさえ言われる彼女ならば、神奈子のいう道を選ぶかもしれない。
それがどんなルートなのか。にとりには全く分からないけれど。
「それじゃ、まずは一枚目から」
「ええ、良いでしょう」
にとりと神奈子が会話をしている間にも盤面は進んでいく。はたてと文はカードの束から一枚を抜き出し、数字の部分を指で隠したままお互いに見せ合った。
『咲夜は犯人ではない』
『さとりは犯人はない』
数字がないから一概に信じることはできない。だが、多少なりとも判断材料にはなるはずだ。
二枚目のカードを出す段階になって、何故か文が悩み始めた。どうしたことだろう。さして手を止めるような要素はないはずなのに。
「おっ」
「どうしました、八坂様」
にとりと違い、神奈子の視線ははたての方を追っていた。
「……いや、何でもない。そうだ、河童。こうして見ているだけなのも退屈だし、どっちが勝つのかちょっと賭けをしないか」
「良いですね。じゃあ私ははたての勝ちに酒を一樽」
文の方が経験は勝っている。しかしカードが有利なのは、おそらくはたての方だろう。
「そうか。じゃあ私は文の勝ちに酒を三樽」
三倍とは、これまた強気な賭けだ。何か勝算があるとしか思えない。
それは何だろう。聞き出そうとするよりも早く、盤面の方に動きがあった。
はたてと文が二枚目のカードを相手に見せる。
『天子は犯人ではない』
『さとりは犯人ではない』
思わず、にとりは言葉を失った。
「なっ! そ、それは先程のカードじゃないですか!」
血相を変える文。無理もない。何よりも情報が重視されるこの勝負において、重複とは即ち敗北への一歩である。
当然、はたてもそれは分かっていた。だからこそやったのだ。
「ええ、そうだけど。それがどうかしたの?」
文は見事に罠へはまってくれた。
「ルール違反ですよ、これは! 確かに私達の間の取り決めとはいえ、こうもあからさまな嘘は相手の信用を損ないます」
「あら、文の発言とは思えないわね。それに私は嘘なんて吐いてないわよ」
「何ですって?」
「言ったじゃない。犯人に関する情報を見せるのよって。これは立派な犯人に関する情報だわ。それに誰も言わなかったわよね。同じカードを二回見せてはいけないって」
「ぐっ……」
悔しげに顔をしかめる文。しかし後悔したところで手遅れだ。抗議の声をあげても空しいだけ。はたては決められた約束を守っており、悪いのはしっかりと確認しなかった文の方にあるのだ。
だが、おかげでかなり有利になった。
全体を見通せば犯人は霊夢で間違いあるまい。あくまで文のカードが真実ならばという前提だが、かなりの高確率で真実だろう。
相手の嘘は③。位置的にはおそらく現場系か犯人系。しかし犯人系の場合は『霊夢は犯人ではない』ぐらいしか候補は残っていない。それが嘘ということは霊夢が犯人ということ。意表をついて全くの別のカードという可能性も有るには有るのだが、いずれにせよ最初の答えは霊夢で行こう。ある程度は絞っていかないと、こちらも身動きがとれなくなる。
「さて、それじゃあ交渉を続けましょうか。次は現場のカードね」
「さすがにこれも二枚というわけにはいかないでしょう。一枚ずつ数字を隠して見せ合うというのはどうですか?」
「あら、文ったら何か勘違いしてるでしょ。今は私の方が圧倒的に立場が上なのよ。私はさっき見せなかった犯人を示すカードを提示する。あなたは現場系のカードを数字付きで見せる。これが私からの条件よ」
「馬鹿なっ!」
さすがに鵜呑みはしない。はたてとて無茶な条件だと知っている。だが物事は言ってみなければ始まらない。案外、こんな無茶な要求だって言えば通るかもしれないのだ。
「今度はちゃんとさっき見せなかったカードをあなたに見せる。これはちゃんとした約束事。もしも守らなかったら私の負けでもいいわよ」
「そういう問題じゃありません! これは明らかに私の方が不利すぎる! 犯人と現場という種類の違いならまだしも、数字を見せろというのは横暴すぎやしませんか!」
「へえ、じゃあ数字を隠せばいいんだ?」
「ん、いや、それは……」
「あなた言ったわよね。種類の違いならまだしも、って。まさかついさっき言った発言を翻すのかしら? 天下の烏天狗ともあろうものが、自分の発言に責任を持てないとなったら、その時点で記者としての資質が伺えるというものね」
「待ってください。私はあくまでも数字を隠す事に比べるならばという論調で言ったに過ぎません。種類の違うカードを見せ合うことに賛同していたわけではない。勝手に私の真意を曲解しないで貰いたいですね」
「曲解? 一文字一句間違えずに言ったと思ったけど?」
「『まだしも』というのは、あれに比べればいくらかマシだという意味です。大体、犯人と現場ならはたてが一方的に得をするではないですか。せめて両者に得がないと交渉には応じられません」
思わず歓喜が顔に漏れた。だが、これだけでは足りない。
まだ決定的な切り札を手に入れてないのだ。
「少なくとも、私はさっきのような言葉の裏をついた取引をするつもりはない。その誠意だけでも酌んでは貰えないの?」
「公正な取引は常識というものですよ。自分が持ってる同じカードを二度も出すということは有り得ない」
「じゃあ、こうしましょう。手元にある同じ内容のカードを二回出したプレイヤーはその時点で敗北にする。これなら私も同じ手は使えない」
「いいでしょう、異論はありません。自分が持っている同じ内容のカードを二回出したら、その時点で負けを認めます」
心の中でガッツポーズをした。ようやく文から引き出せた。
念願の一言を。
きっと、文はいつもこうやって取材をしているのだろう。なるほど直接会ってしたがる気持ちも分かった。これは念写だけしていたら味わえない快感。それを味わいたくて、だからこそ自分も外に出るようになったのだ。
「取り決めもしたことだし、早速元の交渉に戻りましょうか。じゃあ、現場と犯人の情報を交換するということでいいわね?」
「何でそうなるんですか。犯人と犯人です」
「あら、でもさっきあなたはこう言ったわね。両者に得が無ければ交渉には応じられない。私もそう思うわよ。だから犯人と犯人の交渉には応じない。だって、その取引には私の得がないもの」
「くっ! ですが、それはあなたが卑怯な手を使ったからです。だからある意味では謝罪の気持ちみたいなものですよ。犯人と犯人の取引を持って、先程のはリセットしましょうと提案しているのです」
やはり、これでは致命傷を与えられない。
だからこそ用意していた二の矢。これで文にトドメを差すとしようか。
「あらあら、文はひょっとして健忘症なの? 今さっき自分が言った事を思い出しながら、もう一度よく考えてみて。もしも犯人と犯人の情報を交換する場合、あなたはどのカードを見せるつもりなのかしら?」
「えっ? …………ああっ!」
咲夜と天子が犯人でないことを示すカードは既に提示されている。そして同じカードは二度出せない。つまり犯人と犯人で情報を交換するのなら、文は先程見せた情報以外のカードをはたてに見せないといけないのだ。
ひょっとしたら『霊夢は犯人ではない』というカードがあるのかもしれない。あるいはそれ以外に何か犯人を示す情報があるのかもしれない。しかしいずれにせよ、それを見せるという事は自分を更にリードさせるということ。
だが先程のカードを出せば文の敗北は決定する。だから絶対に同じカードは出せない。
「どうする? 私はどちらでもいいわよ? 犯人に関する情報でも、現場に関する情報でも」
文は言葉もなく、自分の手元にあるカードと睨めっこを続けた。そうしていたら内容が変わるのかと思うぐらいの視線だ。意味はないのに。
やがて力無く頭を下げたまま、ボソリと呟く。
「犯人と現場での取引に応じます」
「当然、数字付きよね?」
「そ、それとこれとは話が別です」
出来ればそろそろ数字付きの情報が欲しいのだが、まぁそれは高望みというものだろう。いくら自分が有利とはいえ、いや有利だからこそ相手は情報を出し渋る。ある程度で引くのも優秀な記者としての条件だ。
相手が根負けするぐらい粘るという手段もあるが、今回は相手も新聞記者。何日か粘ったところで泣き言すら言うまい。
「分かったわ、数字無しでの取引に応じる」
「同じカードも無しですよ」
「当然。出したら負けになるもの」
だが、出さなくても文の敗北は決定している。
これでまた、はたては更にリードを広げるのだから。
二人はカードを取り出し、数字を隠したまま見せ合った。
『紅魔館は現場ではない』
『犯人は霊夢』
驚愕の表情でカードを見つめる文。こちらの言葉が届くかどうかは分からないが、せめてこれだけは言っておかないと駄目だろう。
「どうしたの? 取り決めたルールには違反してないわよ?」
にとりは首を傾げた。
「あの、八坂様。どうして文はあんなに驚いてるんですか? むしろ確定情報が増えたんだから喜んでもいいはずなのに」
「おいおい、河童よ。確定情報だと思ってるのはあくまで私達がはたての手札を見ているからだ。しかし文には見えていない。確かに残る候補は紫だけになった。『紫は犯人ではない』のカードをはたてが持っているのなら、あの霊夢のカードは敵に塩を送る行為に他ならない」
「ですよね」
「だが、文はこう考えているはずだ。もしも紫の情報が手元に無かったら? 現にはたても現場に関するカードは二枚しか持っていないはず。必ずしも全ての情報が手札にあるとは限らない。紫の情報をはたてが持っていないとしたら、選択肢は依然として変わらない。『霊夢』か『咲夜・さとり・天子・紫』のいずれかだ」
「なるほど!」
普通なら『紫は犯人ではない』のカードがあるはず。だけど、それは願望が見せた幻なのかもしれない。そう考えたら迂闊に断言することもできないだろう。ただ紫のカードを見せるよりも、遙かに相手へダメージを与える作戦だ。
「これは、ますますはたてが有利ですねえ。切れ味の鋭い新しいルールという刀も抜きましたし」
あれは思わず舌を巻いた。百戦錬磨の文を相手に、ああも自分に都合の良いルールを作り上げるとは。しかし神奈子は面白そうに河童を見下ろす。
「ただし、あれは諸刃の剣だ。私は到底、あのはたてって天狗が扱いこなせる物じゃないと睨んでいるんだがね」
諸刃? 確かにルールははたてにも適用される。同じカードを出せば負けてしまうのだ。
しかし、今更そんなルールが適用される場面なんて有るだろうか。せいぜい、先程のように相手を陥れようとする時ぐらい。
「ひょっとして、さっきみたいな手が二度と使えないからってことですか? だから、はたては新しい罠を考えなくてはならない」
だがそれにしたって、さほど恐ろしくはない。振るわなければ諸刃もただの剣に過ぎないのだから。
「いいや、むしろ逆だよ。二度と使えないからこそ、あの剣は諸刃なんだ」
「へ?」
神奈子が何を言っているのか分からない。
盤面が進めば理解できるのだろうか。にとりは二人に視線を戻した。
ここでの⑨は相手を動揺させる為だけではない。『② 紫は犯人ではない』という情報の重要度を上げること。こちらが主な目的だった。
文のことだ。九割方、はたてが②を持っていると見抜いているだろう。だが確信には至っていない。一割ほど外れる確率が残っているのだ。そして、それはこの勝負においては決定的な致命傷となる。
喉から手が出るほど欲しいだろう、②を持っているのかいないのか。その情報が。
だがこちらも迂闊な対応は出来ない。わざわざ見せる必要はないのだ。有るという態度をとるだけで、文の疑惑は安堵に変わる。そして、はたてと同じように①と②が真実であるという理論に辿り着くのだ。
危険な賭けではあるが、成功すれば文の注意は②へ釘付けとなる。
「さすがに参りましたね。これに文句を付けるほど馬鹿ではないつもりですが、仕方ありません。現場のカードを今度は数字付きで提示しましょう。ですから、そちらは『紫は犯人ではない』のカードを提示して貰えませんか?」
「断るわ。だってそんなカードは無いんだもの」
破格の条件だが、ここで応じれば気が変わったと言い訳を並べて止めるだろう。そして応じるということは、自分の手札に②があるという何よりの証拠。さすがは長年新聞記者をやってきただけのことはある。リードしているとはいえ、油断して良い相手ではなかった。
「でしたら、次の取引はどうしますか?」
「そうね……」
無難に現場の交換と行きたいが、それは文が応じまい。犯人と現場の情報を二枚とも相手に見せるなど、最早勝負を諦めているとしか思えない。
しかし文の言葉は、はたての予想を裏切るものであった。
「何でしたら、次は数字を隠さず現場の情報を見せ合うというのはどうでしょう? いい加減、ちゃんとした情報も欲しいところですし」
此処でまさかの数字公開に踏み切るとは。相手の意図が読めない。
「そんな馬鹿な真似、出来るわけないでしょ」
「ですが、お互いとも数字付きの情報は欲しい。いつまでも不確定なカードに振る舞わされるのも疲れるじゃないですか?」
「……ちょっと考えさせて」
確かに数字付きの情報は欲しい。それが嘘であるならば、はたての勝利は磐石のものになるだろう。だが逆に相手だけが嘘に気付いたなら、せっかくのリードが無くなってしまう。なるほど、これが文の起死回生の策なのか。
当然断ろうと思ったが、ふとはたての視線が自分のカードに向けられた。
『⑩ 相手の3番は嘘』
自分のカードの数字を参照するならば、そこにあるのは現場の情報。おそらく③~⑤辺りに現場の情報があると仮定するならば、この取引は決して悪いものではない。
相手も同じことを考えている可能性はあったが、しかし自分の手札を見直してみる。①と②は間違いなく真実であるし、あるとすれば③~⑤。
いや待て。相手も自分と同じ考えに至ったとしたら、つまり文の手札も同じように並んでいるのではないか。そして嘘の位置も似たような場所だとしたら。③~⑤にありそうな現場の情報を見せろと言ってきたのも頷ける。
リスクは高いが、仮に同じとすれば『③ 守矢神社は現場ではない』はかなりの確率で安全と見た。ルールにはこう書いてある。各自に異なった情報カードを配ると。だから自分の手元に『相手の3番は嘘』というカードがあるのだから、相手にも同じカードがあるはずがない。
起死回生の一打も無駄どころか自分の手助けになったか。これで文もチェックメイトだ。
「いいわ、その申し出受けるわよ」
「そうですか、ああ、すいませんがちょっと待ってください」
「ん? まぁ、いいけど」
自分の申し出なのに何を待つというのか。文はしばらく考え込んだと思えば、いきなり申し訳なさそうに手を合わせた。
「すいませんが、やっぱりこの取引は無しという事でお願いできますか?」
「はぁ? そっちから提案しておきながら、この土壇場で無しとか有り得ないわよ!」
「いやはや、しかしよく考えたら私が不利になる可能性も有るわけですし」
「だから私に譲歩しろって? そんなのは御免ね!」
「兎に角、この申し出は聞かなかったことにして貰えますか?」
「……仕方ないわね、じゃあ改めて話し合いましょう。次の取引をどうするか」
大方、こちらの意図に気付いたのだろう。
勘の良い奴だ。
はたては心の中で溜息を吐いた。
本来なら有り得ない申し出に、さすがの神奈子も動揺も隠せていない。一時は身を乗り出していたのに、今は何事もなかったかのように振る舞っている。文に賭けている身からすれば、今のは思わず口を挟みたくなる一幕だったのだろう。
三樽というのは軽い数字ではない。用意するとなれば、さしもの神様でも一苦労はあるだろうし。出来れば避けたい罰だ。
「なあ、河童。物は相談なんだが、やっぱりはたてに変えたら駄目か?」
「駄目ですよ。大体、そんな事したら賭けにならないじゃないですか」
「そう、だよな……ううむ」
先程までの余裕が全くない。つまり文の不利がいよいよ濃厚になってきたのだろう。
この分だと今日の宴会は盛大に行えそうだ。神様の苦渋の顔を肴にして飲むのも、たまには悪くない。
「変えたいなら変えればいいよ。私が文に賭けるから」
どこからともなく聞こえてきた声に、思わず辺りを見渡す。しかし神奈子以外の姿はない。当の神奈子はと言えば、苦虫を噛みつぶしたような顔で足下を睨み付けていた。
神奈子とにとりの間に、見覚えのある帽子が落ちていた。
「何の用だい」
「神奈子が苦しそうな顔をしてたからさ、ちょっと気になっただけ。賭けなら心配しなくてもいいよ、神奈子がはたてで私が文にすれば問題はない。ああ、私も賭けるよ。酒を三樽ほど」
どうやら諏訪子が帽子だけになって、こちらにやってきたらしい。器用な真似をする。
「しかし、どうしてそんな格好で?」
「私も純粋に勝負を楽しみたいからね。そっちに行ったらはたての手札が見えちゃうし。賭けが成立したなら決着が着くまでそっちの話も聞かないようにするよ。で、どうするの? 変えるの? 変えないの?」
しばし悩んだ神奈子は、渋面を崩さすに腕を組んだ。
「諏訪子と同じってのは縁起が悪いからね。変える。はたてに酒を三樽だ」
「ケロケロ。いやあ、神奈子は相変わらず脳筋だねえ。大方、今のやり取りを見て不安になったんだろうよ」
「文の勝ち筋は見えている。だが、この分だと切り札を使う前に負けるだろうよ。諏訪子こそ良いのかい? あっちの天狗はかなり混乱してるようだぞ」
馬鹿にするように諏訪子は笑った。神奈子の表情が更に曇る。
「あれを混乱と言っているようじゃ、なるほどやっぱり脳筋だ」
「あの、洩矢様。それは一体どういう事で?」
帽子の目玉がこちらを見上げた。正直、気持ち悪い。
「今の申し出を受けようとすることで、相手の手札が大体分かるようになっているのさ。まず普通に考えれば、こんなのは運任せの撃ち合いになってしまう。なのにはたてが妙に乗り気だったのは、おそらく相手の嘘を示すカードの番号が③~⑤だったから。相手の嘘と自分の嘘が同じ番号ではないと見て、出しても安全なカードが出来た。だから勝負をする気になったんだろうね」
鋭い。確かにはたてが持っているのは『⑩ 相手の3番は嘘』。
「そして更に言うならば、この提案をされた時はたては即座に断った。相手の意図を考える間もなく、即断でね。でもそれって変じゃない? これは知略と弁舌を駆使したゲーム。こういう提案をされたなら、まずは相手の考えを読もうとするはず。なのに、はたてはそれをしなかった。つまり、はたての方が圧倒的に不利な提案だったわけだ。どうして? 決まってる。嘘を射抜かれる確率が10分の1じゃなくて8分の1だったから」
にとりは言葉もなかった。
「ねえ、あるんでしょう? 紫のカード。それもおそらくは、①か②のどちらかに。はたては真実のカードを2枚も持っていた。だから不利な提案には乗らなかった。だけど、よくよく考えたら①と②は真実。そして相手の嘘を示す番号は、幸運なことに自分の中では現場を示すカードだった。自分の⑩と同じ番号のはずがない。だからこれが嘘である心配はない。安心して出せる」
まさか、文がそこまで考えていたというのか。あの短時間で。
だとしたら、はたての勝利が霞んで見える。しかも、その文に賭けたのは企みに気付いた洩矢諏訪子。いわば、この二人が結託しているようなものだ。
ひょっとすると、自分は敗北の目に賭けてしまったのかもしれない。
「待て、諏訪子。その理屈はおかしい。いや、仮にそうだったとしても文は気付いていない可能性が高いぞ」
「どうして?」
「お前の理屈が正しいのなら、文は提案を拒否する理由がないからだ。確かに自分だけが嘘のカードを出す可能性はある。しかし相手のカードの数字を見れば、自分の手札の中にある嘘のカードも分かるはずだ」
はたての手札には『⑩ 相手の3番は嘘』のカード。そして、はたては『③ 守矢神社は現場ではない』を出す。文はそれを見て、自分の3番のカードが嘘だと知る。仮に3番のカードを出してしまったとしても、相手と情報を共有することになる。むしろはたては自分の中に潜む嘘を知ることができず、盤面は一気に文が有利となるのだ。
なるほど。言われてみれば不自然だ。文が提案を断る理由など無い。
「今の盤面は文が3ではたてが7。提案を受け入れたら文が6ではたてが4になる。だけど、これを見逃せばいずれは文が8ではたてが2になるのさ」
「理解できないねえ」
「まぁ、後々になれば分かるよ。それにこの提案は相手の手札を知るだけじゃなくて、もっと大切な意味があるんだけど。そっちは自分たちで考えるといいよ。ケロケロ」
「相変わらず、腹の立つ奴だねえ」
「お褒めに預かり光栄だね。ああ、あと、文がこれを神奈子に渡してくれってさ」
帽子の隙間から一枚の紙切れが顔を覗かせた。何だろう。まさか不正のお誘いではあるまい。
若干緊張した面持ちで、神奈子は紙切れを拾い上げる。
そこには文章が書かれておらず、ただ一言だけ。
『⑥』
神奈子とにとりは顔を見合わせ、首を傾げた。
「何だい、こりゃあ?」
「そのうち分かるよ」
言い方から察するに、諏訪子は理解しているのだろう。何が何だか、にとりにはもう理解の範疇外だった。
これからどうなるのか。
願わくば、はたてが勝ってくれることを祈るのみだ。
定石なら現場の情報交換といきたいが、出来ることなら更にリードを広げたい。はたての勝ちは決定したわけではなく、油断や慢心をすれば即座に優位は逆転するだろう。
さて、どうしたものか。自分のカードと睨めっこを続けるはたてに、文が話を切り出す。
「では、こういうのはどうでしょう? 私はこれまで通りに数字を隠して現場の情報を提示する。そしてあなたは『さとりは犯人ではない』の番号を提示する」
数字無しと数字の交換。常識で考えれば有り得ない。
文も分かっているだろうに、どうして今更そんな提案をしたのか。
まさかルールを逆手にとったつもりか。同じカードを二回出させて、それで勝ったと主張するつもりでもあるまい。
「それはあまりにも私が不利すぎる取引ね。そもそも同じカードを二回出したら負けるじゃない」
文が不気味に微笑んだ。
「いえいえ、ですから提示と言いましてもカードを見せる必要は無いんですよ。口頭で教えて頂ければ良いのです」
何を考えているのか。仮面のように張り付いた笑顔からは心情を読み取ることは出来ない。動揺している時ならいざ知らず、平常時の文の心を読めるのはさとりぐらいのものだ。笑っているように見えて、その裏では計り知れない奸計を巡らせている奴だし。
あからさまにこちらが有利な取引。何か裏があると見て良いのだが。
それは一体何だろう。
「数字を言うだけでいいのね?」
「適当に言われては困りますね。『さとりは犯人ではない』の数字です」
見せるのなら門前払いするところだが、ただ数字を言うとなれば話は別だ。この取引が成立したら、数字無しとはいえ現場の情報が四枚揃う。確定には至らずとも前進は出来るのだ。
対して文は足踏みに等しい。何しろ口頭なのだ。いくらでも嘘を吐ける。
正直に①という義理はない。だから適当に言った数字が『さとりは犯人ではない』のだと相手に教えることとなる。だが、それがどうしたと言うのだ。どれだけ考えたところで、はたてが不利になるような結末は見えなかった。
それどころか、逆に文が不利になる可能性もある。例えば適当に言った数字が、ちょうど嘘を示す番号と一致したとすれば。文は大いに混乱するだろう。
考えれば考えるほど解せない。気味の悪さもあり、ここは拒否するのが最善策だろう。
しかしそれは文という天狗を理解していない奴の考え方。おそらく、この取引にさしたる意味などない。要ははたてを動揺させようとしているのだ。
確かに現場の情報は欲しい。だが仮に四枚揃ったところで確定情報には成り得ないのだ。数字がない限り。だから敢えて一枚を犠牲にして、はたてを混乱させる作戦に出た。これほど思考を巡らせるゲーム。動揺していたら簡単に騙されて、あっという間に敗北だ。
もっとも種が分かってしまえば児戯に等しい。ここは一つ文の作戦にのって情報を頂くとしましょうか。
「それで、どうします?」
「仕方ないわね。数字という貴重な情報を渡すのは気がひけるけど、まぁ私も色々と酷いことをしてきたわけだから。ここら辺で少しぐらいは罪滅ぼしでもしようかしら」
「それは助かります。よーく考えてから、ちゃんと数字を言ってくださいね」
「分かってるわよ。それじゃ、まずは文のカードから見せて貰いましょうか」
「そちらから先に言うべきでは?」
「数字と数字無しのカード。どちらが貴重で、どちらから先に提示すべきか。私は後者だと思うんだけど?」
文が僅かに顔を引きつらせる。思ったよりもこちらが動揺していない事に落胆しているのか。
悩む振りぐらいすれば良かったのかもしれない。今更遅いが。
「分かりました。では、私から」
おもむろに取り出されたカードは、
『灼熱地獄跡は現場ではない』
つまり、残されたのは地霊殿のカードか。あくまで全てが真実ならばという前提の話だが。
「次ははたての番ですよ」
ここで惚けるのも有りだが、さすがにそれは相手も認めまい。さして痛い情報でもないし、はたては少しだけ考えてから口を開いた。
「分かってるわ。『さとりは犯人ではない』のカードは」
背後でにとりと神奈子が、あっと声をあげる。
何だろう。気になるから、そういうのは止めて欲しい。
それとも自分に見落としがあったのか。そんなはずはない。
誰がどう見たって、この取引で得をしたのは自分だけなのだから。
「⑥よ」
河童にも鳥肌は立つのだと生まれて初めて知った。
何度も紙切れを確認する。そこには間違いなく⑥という数字が書き込まれている。
手品で似たようなものがあった。トランプのカードを引かせて、出た数字をマジシャンに見せる。すると「あなたがその数字を引くだろうと私は予想していました。そこの花瓶の下を見てください」と言い、花瓶をどかすと引いたカードの数字が出てくる。本当に未来が見えるのかと驚く人もいるが、なんてことはない。ただ部屋のあちこちに1~13の数字が書かれた紙を隠しているだけのこと。相手の数字を見てから、それに応じた場所を言えば簡単に未来予知の真似事が出来る。
しかし、文のしたこれは全く違う。紙は一枚だけ。そしてはたてが数字を言う前から、にとりも神奈子も⑥という数字を見ていた。当てずっぽうと断言するのは簡単だけど、ここでそんな馬鹿な真似をする意味はない。
まさか文には未来を見通す力があるのか。それこそレミリアを凌ぐほどの。
神奈子も固まっている。対して、諏訪子はニヤニヤとこちらの方を見ていた。
当のはたては気付いていない。しかし、にとりには勝負の行く末が見えていた。
ああ、酒樽の用意をしないと。
「へえ、文って案外頭の回転が早いんだね」
「うわっ!」
神奈子とにとりの間から、いきなり顔を覗かせたのは古明地こいし。今まで何処にいたのかと尋ねたくなるのだが、この娘にそんな質問は無意味だと気付いた。無意識を操る彼女は誰にも姿を見られることなく、山や神社の辺りをウロウロしている。
何やら面白そうな気配を感じて近づいてきたのだろう。それとも、最初からこの場にいたのか。しかし神様も気付かないとなると、どちらもよほど熱中していたのだろう。
「ねえねえ、そういえば賭けしてるんでしょ。私も参加していいかな?」
「賭けるなら好きにしな。だけど文の応援席はあっちだよ」
「文がどうして⑥って言ったか分かる?」
相変わらず話に繋がりがない。本能で喋っているとしか思えなかった。
しかめっ面の神奈子はさておき、にとりは思わず食い付いた。
「あなたは分かるの?」
「うん、だってあれは未来予知でも何でもない。ただの推測だもん」
「推測?」
「そう、推測」
それだけで数字を言い当てることが出来るのか。俄には信じられなかった。
「まず文は兎に角はたてっていう天狗に言わせる数字を考えさせた。さすがに運任せで選んだ数字だったら文も言い当てることは不可能だったろうね。考えるなら思考をトレース出来る。だから数字を当てられる」
「そう簡単には……」
「まず①は論外。この場面で素直に答える必要はなし。敢えて言う手もあるけれど、はたてはそういうタイプじゃないしね。大事な所は誤魔化して、他のカードで煙に巻く感じ。②も無いね。文は『紫は犯人ではない』のカードがあると確信してる。そしておそらくは②だろうと思ってる。あれほど重要度を上げたカードなんだもん、その数字は言いたくないと無意識に考える」
①や②を選ばないだろうというのは、にとりも少し考えれば予測できることだ。しかし、問題はこれから。
「⑩も無いね。多分相手の嘘を示すカード。後生大事にしてきた情報だし、それに端っこはあまり選ばないしね。そして③~⑤も除外。さっきはたてが必死で考えていたゾーンだからね。はたては基本的に核心を避けようとする傾向がある。だから散々取り上げられたここも絶対に選ばない。だとすれば、残るのは⑥~⑨」
しかし、それでもまだ四択。
「だけど、そもそも文は『さとりは犯人ではない』の番号なんてどうでも良かったんだよねえ。だから別に推測を外しても良かった。単に⑥の方が当たる確率が高いだけで、⑤と言う可能性も充分にあったわけだよ、ワトソン君」
「え、それはどういう?」
「文が必要だったのは『犯人は霊夢』の数字。これもまた犯人系だし、これまでに何度も登場してきたカード。だからはたては、なるべくこれからも離して答えようとする。だからはたての数字で、大体の位置が分かるようになっているんだよ」
「信じがたいね」
神奈子の言葉に頷いた。そんな離れ業、簡単に信じることはできない。
「①~②は犯人を示すカード。そして現場のカード多分隣り合っている。⑩のカードに示された相手の嘘の番号と同じ番号の自分のカードは真実。更に言うなら、それは『犯人は霊夢である』のカードじゃない。だってもしも霊夢のカードだったら面倒くさい犯人捜しなんてする必要はない。③は真実なんだから、そのまま『犯人は霊夢』と断定できるもんね。だから最初の取引ではたては現場の情報から必要とするはず。でもそうしなかった。とすると③~④が現場。霊夢のカードがあるとすれば⑤~⑨のどこか」
饒舌に、こいしの説明は止まらない。
「答える数字は『犯人は霊夢である』のカードから離そうとする。これを踏まえたら確率的には⑤、⑥、⑨辺りを嘘の情報として教えるだろうね。そして⑥はひっくり返したら⑨になる。人間も妖怪もあやふやな情報は事実に近づけようとして考える。だから仮にはたての答えが⑨だったとしたら、これはもしかしてひっくり返すのではないかって思うだろうね。まぁ、⑤だったら大恥を掻いたんだろうけどさ」
そもそも、こいの話が正しければ数字を当てる必要など無かったのだ。
それよりも大事な情報を、はたてに気取られることなく文は手に入れた。
「だけど答えたのは⑥。だとすれば多分、⑧か⑨辺りにあるんだろうね。『犯人は霊夢』のカードは」
息を呑む。あくまで仮定の話だが、もしも文の⑩が『相手の6番は嘘』だったり『相手の7番は嘘』だとしたら。この時点で文は確信するだろう。犯人は霊夢なのだと。
いや、そんなはずはない。おそらく文の⑩も③~⑤が嘘だと示しているはず。
だからこそ、数字付きで現場の情報を交換しようとしたのだ。もしかしたら、それさえも文の罠だった可能性もあるのだが。こうなるともう、はたてに勝利の目はないように思えた。
これで文の有利は確実なものとなり、おまけに当のはたてがその事に気付いていない。
「じゃあ、私は二樽ほど賭けるね」
無邪気にこいしははしゃいでいる。無理もない。おそらく勝利するのは文だろう。
神奈子の顔色も悪かった。あれは酒樽の心配よりも、諏訪子に負けるという結果に我慢ならないという表情だ。
「だから文の応援席はあっちだってば」
不思議そうに首を傾げ、こいしは満面の笑顔を浮かべた。
「私が賭けるのは、はたての方だよ!」
理解できない。あれほど自分で文の有利を語っておきながら、どうして賭けるのははたてなのか。
「負け戦に参加するのが趣味かい?」
「誰も気付いてないけど、文は密かに動揺している。多分、幾つかの罠は見事に決まってるんだろうね。だけど予期せぬ罠に嵌められたのかな。かなり焦っている。だから、こんな紙を神様に渡した。さっきも言ったけど、数字を言い当てる必要なんて無かったんだよねえ」
「だけど文は数字を言い当てようとした」
「そう。これは保険。もしも負けても、自分はあれだけの事をした。だから決してはたてに劣ってはいない。それを周りに示す為、わざわざこんな真似をしたんだよ。具体的に何に焦っているのかは私にも分からないけど、正直かなり厳しいんじゃないの? 文の勝利は」
落ち込んでいた気持ちが復活する。心強い味方が出来たようだ。
最早、盤面はにとりの理解を超えている。だが文が焦っているのは確かなのだろう。
その焦りが思わぬミスを呼ぶ可能性はある。
まだまだ勝負は終わっていない。最後の最後まで、結果は誰にも分からないのだから。
期待はしていなかったが、全く反応がないとそれはそれで寂しい。本当は動揺しているのかもしれないけど、よっぽどの事が無ければ文も顔には出すまいて。
現場の情報も手に入れたのだが、いかんせんはたての表情は優れない。やはり、いくら集めても不確定なのだから推測の域を出ない。せめて一枚ぐらい数字付きの情報が欲しいのだけど、既に現場の情報は全て見てしまった。あれをもう一度出せば文の負けが確定するわけで、かといって手のひらを返すようにルールの撤回をするわけにもいかない。口頭など以ての外だ。
文の⑩も上の方の数字が嘘だと書いてあるはず。ここは一つ、数字付きで下の方の情報を交換するべきか。いくら何でも全てが全て曖昧なままでは答えに至ることは難しいし。
「ねえ、文。お互いそろそろ数字付きの情報を交換すべきじゃないかしら?」
「私は持っていますけどね、数字付きの情報を」
「……それで、どうするの?」
「勿論、願ったり叶ったりです。ですが、一つだけ条件があります」
此処で無茶を言うとは思えないが。あまりにも酷いようなら取引の中止はやむを得まい。
唾を飲み込む。
「⑩は出さないという約束をして貰えますか」
「はぁ? そんなもの頼まれたって出せるわけないでしょ」
「ほぉ」
ハッとはたては口を押さえた。何という迂闊な反応をしてしまったのだ。これでは⑩のカードが相手の嘘を示すものだと態度で表しているようなもの。文とて予想はしていただろう。だが、それはあくまで確率が高いという話。
しかしこれでもう文は確信に至った。諦めよう。今更惚けたところで騙される相手でもないし。それに⑩を狙い打ちしてきたということは、相手の⑩も嘘を示すもののはず。いわば情報を交換したに過ぎない。一方的な損ではないのだから、落ち込むことはないし、落ち込んでいる時間もない。
「兎に角、今度は数字を隠さずに情報を交換。それは⑩以外のどれか。それでいいわね?」
「ええ、構いません」
挑発するような笑みに腹が立つ。いっそ、⑩を出してやろうかとさえ思った。
こちらのルールは破ったところで敗北するわけではない。それに出すなという事は出して欲しくないという事。⑩を出せば腰を抜かすほど文は驚くかもしれない。
はたては己の頬を叩いた。いけないいけない、すっかり文のペースに巻き込まれてしまった。
過去のゲームでも、こうやって煽てられたり貶されたりして自分の実力を発揮できなかった。射命丸文という天狗は自分の力を高めようとしない。相手を罠にはめて実力を出させず、そこを狙って勝利をもぎ取る奴だ。
挑発に乗ってはいけない。冷静に考えよう。
とはいえ、もう出すカードは決めていた。
『⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、栗羊羹』
これならば、あくまで候補を増やすだけの話。さほどダメージはない。
万が一にこれが嘘だったとしたら、被害にあっていない物の候補をあげているようなもの。おそらくは真実だろうし、仮に嘘だったとしても痛くも痒くもなかった。
「さあ、こっちの準備は万端よ」
「私も大丈夫です。それでは、同時に公開しましょう」
「ええ」
果たして、文はどんなカードを出すのか。おそらくは自分と似たようなカードだろう。全く同じ内容のカードは無いというから、多少は変えてあるのだろうけど。
そして、はたては息を呑む。
『⑨ 被害者は犯人候補の中におり、紫ではない』
『⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、栗羊羹』
思わず自分の手札を確認した。
『⑤ 被害者はさとりか紫』
まさか、ここまで詳しい情報を持っているとは文も考えていなかったのか。何にしろ、これでようやく念願の確定情報を手に入れた。
被害者はさとり。
まだまだ千里の一歩目なれど、密かに安堵してしまったのはゲームの激しさ故か。無論、そんな事を文に気取られるわけにはいかない。ガッツポーズも机の下で。見えたのはせいぜい、周りの連中ぐらいだろう。
しかし状況が劇的に変わったわけではない。改めて、このゲームにおける嘘の重要性を思い知った。どれだけ推測を立てようと、この嘘を確定させておかなければ答える事は出来ない。要は、如何にして相手から⑩の情報を奪い取るか。それが三面記事バトルの真髄にして核心。
だが逆の考え方もある。自分の手札に紛れ込んだ嘘は分からないのに、相手に紛れ込んだ嘘は分かるのだ。だから相手のカードを頼りにして推理を進めるという手段もある。何とも皮肉な話だ。自分の情報は信用できないくせに、相手の情報は頼りになるというのだから。
⑤にしたって、本当かどうか分からない。ただもしもこれが嘘だとしたら、被害者はさとりでも紫でもないという事になる。つまり候補は三人。推理も糞もない。残る手段は当てずっぽうだけだ。さすがの早苗も、そんな馬鹿な真似はさせないだろう。
「ふうむ……」
となると今後の方針としては二つ。再び同じ取引をするか、いっそ⑩狙いの取引をするか。後者は格段に難しくなるが、成功すればほぼ勝利と言って間違いないだろう。もっとも、どうすればいいのか分かっていないのだが。
前者にしたところで、今度はどのカードを出すというのか。いずれも劣らず重要なカード。簡単に切れるものではない。いっそ『① さとりは犯人ではない』が出せたら良いのに、あの取り決めが足枷となっている。
迂闊に破るわけにもいかないし。
「ねえ、文。こうなったらもう数字無しの取引なんてする意味がないと思わない?」
「……そうですかね。これ以上数字を見せたら私が一気に不利な気もするんですけど」
「じゃあ、次のカードは⑩を出すわ」
文が目を見開く。先程出すなと言われたらカードだ。
「それはさっき言ったじゃないですか。⑩は出さないと」
「あくまでさっきの取引では、でしょ。でも確かに⑩はお互いにとって大事なカード。使いどころは見極めないとね。じゃあ取引を始めるけど。先程と同じルールで良い?」
半ば強引に話を進めた。文も顔をしかめたものの、さして反論することはなかった。
だが、こちらからの話はまだ終わっていない。
「だけど、さっきは文の条件を呑んだんだから今度は私からも条件を出しても良いわよね? だからあなたが一番欲しがっている情報をあげる。同じカードを二回出したら負けというルール。あれに例外を作りましょう。数字を隠して出したカードに限り、数字を見せるならもう一度場に出しても問題ないと」
「つまり、『さとりは犯人ではない』のカードを出すということですね」
「それは分からないわ。ただせっかく数字を教えてあげようとしても、口頭じゃあやっぱり言い間違いってものがあるからね。ちゃんとカードを見せてあげたいじゃない。だからこういう例外は必要だと思うんだけど」
「ああ、物は言い様ですね。有り難くて涙が出そうだ」
「鴉の目にも涙ね。それで、どうするの?」
「受けますよ。こちらとしても犯人の情報が不足していますから。数字付きで貰えるのなら有り難い限りです」
寒々しいやり取りを終え、出すべきカードの選定に入る。といっても、最初から決めていたのだから選ぶも何もない。
「もういい?」
「ちょっと待ってください」
文はまだ何を出すべきか迷っているようだ。てっきり犯人の情報を出してくると思ったのだけど。それ以外でも別にはたては構わなかった。出来れば③を出して欲しいものだが、そうそう上手くいくとは思えない。あちらも③~⑤のカードは警戒しているだろうし、こちらのように真実だと保証されたカードがないのだから。
このまま同じ取引を続けていけたら楽なのだけど、さすがに文も許すまいて。どこかで区切りをつけるか、あるいは一気に勝負へ出るしかない。もっとも、ここで挑戦するのは無謀と呼ぶべきだ。
暗闇の中で無意味に剣を振るうなど、ただ体力を消費させるだけ。ある程度の光が灯ってから走りだせばいい。
「決めました」
「よし、じゃあ早速取引再開よ」
「ええ」
同じタイミングで、互いともカードを見せ合った。
しかし。
『 』
『① さとりは犯人ではない』
文が示したのは白紙のカード。馬鹿な、あんなものが手札にあるなんて。
11枚あったとは思えない。
だとしたらつまり。
「文! ちゃんとカードを見せなさいよ! そっちは裏じゃない!」
「あややややや。これはこれはうっかりミスですねえ。そんなに怒鳴らなくても直ぐにひっくり返しますよ」
裏返せば、そこにはしっかりと情報が書き込まれていた。
『⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、羊羹』
自分が持っているカードとは微妙に表記が異なる。何か意味があるのか。
いや、それよりも先程の行為だ。
「うっかりミスなわけないでしょ! 意図しないと、ああいう出し方は出来ない! なに? 今まで散々騙された仕返し?」
「そんな小狡い真似をするわけ無いじゃないですか。単なる勘違いですよ」
絶対にそれは有り得ない。しかし、ここで水掛け論をしても無意味だ。
故意だと認めさせた所ではたてが得る物などない。
惑わされてはいけない。自分のカードに集中するのだ。
『⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、羊羹』
『⑧ 被害にあった物の候補は煎餅、饅頭、栗羊羹』
羊羹と栗羊羹という違いはあるものの、数字は同じだし内容も大差ない。『⑥ 煎餅は無事だった』という情報を信じるならば、残る候補は饅頭と羊羹と栗羊羹。個人的には饅頭だと思うのだが、羊羹や栗羊羹である可能性も充分にあった。
やはり⑩が鍵を握っている。どれだけ情報を集めても、最後の最後に立ちはだかるのだ。
そろそろ決着を付けなければならない。
だが、どうする。文とて簡単に交換しようとは思わないだろう。
正直、はたてとしては普通に交換しても良かった。自分が持っている嘘のカードの在処さえ分かれば、その時点で不確定だった情報が確かなものへと変わる。あるいは一回目の回答権を使ってもいいぐらいに前進できるのだ。
だからこそ文は⑩の交換を許すまい。この取引で勝利か敗北かが決まるといっても過言ではないのだから、これに応じるような奴は大馬鹿者だ。そして残念ながら文は性格が歪んでいるけれど馬鹿ではなかった。
しかも文は先程から⑩の取引だけはしないと何度も言っている。生半可な説得では受け入れて貰えない。
さて、どうするべきか。
「それにしても妙ね」
「何がです?」
「さっきからあなたはしきりに⑩の交換には応じられないと言ってる。このゲームの鍵は⑩。だから簡単に取引できないのは分かるけど、わざわざ口頭で注意するようなものかしら? 言われなくても普通は出さないわよ」
威圧感たっぷりに身体を乗り出す。これで怯む文ではないと知りながらも、多少の効果を期待して。
「だから私は思ったの。ひょっとして、文はこれまでの取引の中で自分の手札にある嘘のカードが確定してしまったのではないかってね」
鉄面皮は崩れない。相変わらずの飄々とした表情。しかし顔に血が流れている限り、脳みそが動いている限り、どこかで動揺のシグナルが現れているはずだ。それを見極めようと目を凝らすのだが、いかんせん自分の力不足に悩まされていた。
これまで念写を主な取材としてきたはたてには、決定的に対人能力が欠けていたのだ。露骨な態度なら兎も角として、微妙な変化から感情を読み取るだけのスキルは無い。これまで相手にしてきたのは携帯の画面のみ。人間と接してこなかった事が、ここにきて仇となったようだ。
仕方ない。ここで秘められたスキルが発動するわけでもなし、そちらのスキルは今後磨くとしよう。今は言葉だけで文を誘導するしかないのだ。
「わざわざ知っている情報を欲しいとは思わない。そこであなたは⑩の取引を禁じようとした。言わなくても普通はしないけど、これまでの私を見ていれば万が一という可能性もある。だけどその釘を刺した事が致命傷になったのよ」
ここからが分水嶺。勝つも負けるも、この取引で決まると言ってもいい。
言葉を溜め、勿体ぶって、相手を焦らしながら、はたては口の端を吊り上げた。
「次の取引は⑩の交換。これが私の最低条件よ」
「……それは、まぁ、何とも」
「⑩の交換をするか、あるいは永遠に睨み合うか。好きな方を選ぶといいわ」
断固として、この条件だけは譲れない。今更根比べかと非難する者もいるだろう。しかし、文の性格を考えれば持久戦だけは有り得なかった。彼女は何よりも最速を尊ぶ。そしてゲームにおいても延長戦という概念を嫌うのだ。
確かに、はたての対人経験は浅い。だが文の事ならばそこら辺の天狗よりも詳しいつもりだった。
ここで持久戦は有り得ない。だから文は必ず⑩の取引に応じるはず。そんな確信があった。
「いずれは⑩の取引も有り得るでしょう。しかし、まだそれは時期尚早のように思えます。まずはもう一度だけ数字付きの取引をして、それから話し合いませんか?」
「くどいわよ。次の取引は⑩。これは絶対に譲れない」
「はたての言い分を信じるならば、これは私にとって不利でしかない取引です。せめてもっと公正でなければ、私としても応じるのは難しいでしょうね」
「公正でしょ。同じカードを取引するんだから」
「情報の重要性が違います。秤にかけたら間違いなくはたての方に傾く。釣り合ってこその公平です」
段々と文の言いたい事が分かってきた。それを受け入れるべきかどうか。
持久戦はないと言ったが、さすがの文にも譲れない部分はあるだろう。ここで断ったら、あるいは根比べが始まるのかもしれない。譲歩しようと言ってきているのだ。素直に受け入れるべきなのだが。
「おそらく、はたての手札には現場の情報が最低でも2枚はあるはず。それを数字付きで公開するのなら⑩の取引に応じましょう」
「はぁ!? 寝言は寝ながら言うものよ! それこそ公正から離れた取引じゃない!」
「しかし、私とはたての⑩にはそれだけの格差があると思いますけど?」
「感覚が鈍ってるんじゃないの? せいぜい数字無しを一枚ってところよ」
「いやいや、そこは数字有りでしょう。1枚に減らすのですから、それぐらいはして貰わないと」
「じゃあ犯人に関する情報。数字付きで1枚ね」
「ご冗談を。現場に関する情報。数字付きで1枚です」
「文は現場のカードを出す時に数字を見せた? まずは文から見せるのが道理じゃない?」
「話を逸らさないで貰いたいですね。今は⑩のカードに何をオマケするかという交渉です。数字付き現場のカード1枚」
「公平を重んじるなら枚数も合わすべきじゃないかしら。そちらも数字無しのカードを1枚公開してよ。それなら応じる」
「では⑩の交換のオマケとして私は数字無しを1枚。はたては数字付きの現場の情報を交換するという事でいいですね?」
「ええ」
③~⑤は嘘の可能性が高い。出来れば見せたくなかったのだが、そうも言ってはいられない。だが嘘である可能性を除くのなら、真っ先に手放すべきなのは現場の情報。これを少々見せたところで全体に影響はない。
要は嘘が何処にあるのか。それが分かれば良いのだから、はたてがすべき事も決まっている。
「じゃあ早速⑩から交換するわよ」
「おや、先にオマケからでも構いませんよ」
「オマケはあくまでオマケよ。餅を撒いてから家を建てる奴なんていないでしょ」
「なるほど、まったくです」
いやらしい笑みだ。分かっていて言ったのだろう。
先に嘘の在処が分かっていれば、後の交換で嘘を渡すことが無くなる。これは嘘の情報だと知りながら、敢えて渡す意味はないのだから。逆にオマケから取引を始めれば、渡したものが実は嘘だったという失態を晒すかもしれない。自分の手札を見てみれば、○○ではないという否定形ばかり。これが嘘であるのなら、即ちそれは現場を示していることになる。迂闊に渡せるはずがなかった。
もっとも、それは文とて同じこと。だから食い下がってこなかったのだろう。
相も変わらぬニヤニヤ笑いには腹が立つけど、ここで噛みついても仕方ない。
早速取引を始めようとしたところで、不意に頭へ引っかかるものがあった。念には念を入れておこうか。保険はかけて困るものでもないし。
「待ちなさい、文。この取引の重要性はどっちも把握しているでしょ。だからさっきのように裏を見せるなんて事があったら困る。ちゃんと表を見せなかったら、その時点で負けという新しいルールを設けない?」
「それは困りますね。天狗も人間もうっかりミスというものはありますから。ちょっとした手違いで敗北になったら、はたても満足はいかないでしょう?」
「それはそうだけど、同じカードを出してはいけないってのと大差ないでしょ」
「全然違いますよ。はたては同じカードを出したままでゲームを進めた。私は裏返したカードをちゃんとあなたに見せた。前者は策略に見えますけど、後者はどうでしょう。単なるミスだと思いませんか?」
「うっ!」
そう言われると、はたても返す言葉はない。確かに傍目から見ても前者と後者には大きな違いがあった。うっかりミスだと言われれば反論もできない。はたてが何か不利益を被っているのなら、あるいは強く出られるのだが。
「だったら仮に裏を出しても、必ず最後には表を出すのよね?」
「ええ、最後に必ず」
「……ゲームが終わった後にってことかしら」
「そういう風に受け止めて貰っても結構ですよ。解釈は自由ですから」
対抗して自分も裏側にするか。いや、それでは結局何の意味もない。
「じゃあ、こうしましょう。今回の取引はお互いのカード自体を交換する。これで問題はないでしょう?」
「なるほど、それなら確かに後腐れもありませんね。何処かの誰かが全然違うカードを出さない限り」
「……出さないわよ」
見抜かれていたか。警戒していないようならばとも考えたが、さすがに見過ごさなかったか。
「どうですかね。では、どうせならこういうルールを設けましょう。出すべきカードを口頭で宣言した場合、もしも違うものを出したなら出すべきだったカードの情報を相手に渡すまで永遠と一方的な譲渡を続ける。如何ですか」
「要するに渡すべきカードを渡せってことでしょう。いいわ、そんなつもりなんて元から無かったしね!」
これで不正は出来ない。だが文も出来ないのだから問題はあるまい。
ちゃんと出すべきカードを確認しておこう。ここで本当にうっかりミスだなんて、洒落や冗談では済まないのだから。
何度も穴が空くほど見つめられた⑩のカード。これを渡すのだと頭の中で繰り返した。
「それでは交換しましょうか」
「ええ、大凡の見当はついているけどね」
「それはそれは」
「ふふふ」
一見すると和やかそうな雰囲気の中で、ピリピリとした空気を醸し出しながら、お互いにカードを交換する。おそらくは③~⑤の間だろうが、はてさて。
カードをひっくり返した。
『⑦ 被害にあった物は羊羹系ではない』
目を擦った。何度も確認した。
しかし書かれている内容は変わらない。顔をあげれば、文が面白そうな顔で渡されたカードを眺めているところだ。
「これはこれは、また随分と愉快な……」
沈んでいた怒りが浮上し、気が付けば両手は机を思い切り叩いていた。
「巫山戯ないでよ! 自分から警告しておきながら早速これなの!」
「は、はたて?」
「私を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ! これのどこが⑩なのよ!」
突きつけたカードには⑦の数字。誰がどう見ても⑩ではなく、嘘という単語は一つも出てこない。
文は血相を変えて自分の手札を確認し、思わず顔をしかめた。
「す、すいません。どうやら出すカードを間違えたようで……」
「じゃあ、とっとと⑩のカードを出しなさい!」
「いや本当に申し訳ない。ただ、かなり面白いことになってますよ」
「?」
怒りは沈み、今度は疑念が湧き上がる。面白い嘘とは何だろう。
今度こそはと受け取ったカードをひっくり返せば、なるほど確かに面白い、
『⑩ 相手の3番は嘘』
自分と相手の嘘の番号が同じではないと仮定していた。まさか、その前提が崩れることになろうとは。
見れば、文は早苗を呼び寄せている。そして何かを耳打ちし、
「はい、嘘の番号が同じになることはありますね」
審判にして主催者の発言だ。これが嘘という事はないだろう。
だとしたら色々と推測が崩れる。どこから立て直すべきなのだろう。いやそれよりも、今は何が嘘なのか確認する方が先決だ。はたては自分の③に目を遣った。
『③ 守矢神社は現場ではない』
実に危ないところだった。もしもオマケを先にしていたら、間違いなくはたてはこのカードから出していただろう。
そしてこれが嘘ということは、現場は守矢神社。そして犯人は霊夢。被害者はさとり。で饅頭、羊羹、栗羊羹のいずれを盗み食いしたことになる。
いや待てよ。はたては思い出した。
先程文が間違えたあのカード。あれの番号は⑦だった。つまり嘘ではない。
だとしたら羊羹系も排除される。
つまり答えは、
「ねえ、早苗。回答ってのは交代制なの?」
「いいえ、一人が連続して答えても構いません。ただし答えが合っているのか間違っているのか、それを聞いてから次の回答をして貰います。可能性を三つ並べられても回答とは言えませんのでご注意を」
「そう。だったら、早速答えさせて貰おうかしら!」
「えっ!?」
これから推理を組み立てる所だったのか。文の表情には驚愕の色が浮かんでいる。
今更動揺されても、むしろ滑稽なだけだ。
「……分かりました。それでははたてさん。三面記事にのせるべき事件とは何ですか?」
「ちょっ!」
「文さん。回答中は口を挟んではいけません。もしも何かあるようでしたら、お答えが終わってからにしてください」
早苗に窘められ、文は口を噤む。
悔しそうな表情が、更に色を濃くするだろう。正解を言えば、確実にそうなる。
文は何と言うのだろう。どんな負け惜しみをするのだろう。
射命丸文は自分の頭に自信を持っている。口先なら誰にも負けないと自負している。だからこそ、それで負けた時の衝撃は大きい。
………………?
微かな引っかかりを覚えた。
「どうかしましたか?」
「あ、いや、何でもないわ」
「そうですか。では改めて。はたてさん、お答えをどうぞ!」
少しだけ文の方を見てから、はたては口を開いた。
「霊夢が守矢神社でさとりの煎餅を盗み食いした!」
誰かの唾を飲み込む音がして、一瞬の静寂が部屋の中を通り過ぎていく。
早苗は目を瞑り、ゆっくりと手を挙げた。
その手が交差し、
「残念! 違います!」
すかさず文が割り込んできた。
「次は私が答えます。良いですね、早苗さん」
「勿論です」
異論を挟まないはたて。その視線はただひたすらに自分の手札へ注がれていた。不正解ということは、つまり何処かで間違えていたということ。⑩のカードは③が嘘だと言っている。だから現場は守矢神社だと判断した。
どこにも違和感はない。至って普通の考え方だ。
「納得いかないという顔ですね、はたて」
「ちょっと黙っててくれる。いま考えを纏めてるとこだから」
「その必要はありませんよ。私が正解を言うのだから、あなたの番は永遠に回ってこない」
「……随分と自信があるみたいね」
不敵な笑みは文の専売特許。まるで生まれた時からその表情を浮かべていたかのように似合っていた。
「当然です。最初から私はこれを狙っていたのですから」
「はあ?」
はたてが不正解になると、ゲームの前から分かっていたのか。有り得ない。そんなものは紅魔館の吸血鬼だって鼻で笑うだろう。あれだって運命を変えることは出来ても、完全に未来を予測することなんて出来ないのだから。
芝居がかった手振りで、文は自分の手札を放り出した。白い裏面が並んでいる。苺のないショートケーキのようだ。
「不必要にあなたへ情報を流し、なるべくあなたが有利になるよう取引を進め、そしてあなたが先に答えるよう誘導した。まぁ、幾つかトラブルはありましたけど概ねは私の意図した通りになりましたよ」
「まさかさっきのミスも!」
「渡すカードを間違えるとか、そんなミスするわけないでしょう」
冷静に考えれば当たり前の話。しかしあの時、はたては怒りで我を忘れていた。ようやく落ち着いたきた頃には正解を手に入れ、結果としてゆっくり考えられたのは不正解と分かってから。
不甲斐ない。あそこで冷静に対処できていれば、もっと違う結末もあっただろうに。
「殆どの情報ははたてに集まった。そしてあなたは答えを導いた。だからあなたの答えを聞けば、自ずと私も答えが分かる」
「文、あなたが変なことを言っている自覚はあるの? 答えが分かった後は何を言っても意味がないのよ」
心の底から愉快そうに笑う文。
「それが本当に正しい答えなら、の話でしょう」
唾を飲み込む。
「徹底的に⑩の交換を拒みました。そうすることであなたは私が⑩を軽んじており、取引したくないと思うようになった。そして一度裏表を間違うことで、あなたはカードを見せ合う行為に疑いを持つようになった。選んだようで実は選ばされていたんですよ。私とはたてが直接カードを交換するように」
「それが何だってのよ!」
「まだ分かりませんか? 最初のルールで有ったじゃないですか。『各自に異なった十枚の情報カードが配られる』。つまり同じカードがあるわけないんですよ」
目を細めた。文は何を言っているのか。
現に、こうして手元には自分が持っていたものと同じ③のカードが――
「ああああっ!」
「その通り。それはあなたが持っていたカードです」
最初に渡されたのは別のカード。そして、その後に文は手札から⑩のカードを差し出した。だがそれは、はたてが渡したカード。つまり文ははたてが持っていた⑩のカードを返したに過ぎない。
「で、でも早苗は!」
「おや、何を勘違いしていたのですか。私はこう訊いただけですよ。『異なっているというルールがなければ、同じ番号を嘘だと示したカードが配れることはあるのか』って」
「ぐっ!」
はたてが勝手に勘違いしただけと言われたらそれまで。反論の余地はない。
「最後の最後であなたに嘘の情報を与え、限りなく正解に近い答えを手に入れる。わざわざ自分で推理する必要はない。放っておけば相手が勝手に答えまで導いてくれるのですから。これがこのゲームの最短ルートですよ」
干支の話を思い出す。自分は牛だ。頑張ってゴールまで近づいたところで、ひょいとネズミに1位の座を奪われる。なんという不覚。そして何という化け物。
「はたては自分の③が嘘だと思った。その位置には現場のカードがありますね。つまり守矢神社は現場ではない。そして私の手札にあった嘘のカード。『③ 犯人は現場で暮らしている』。犯人は霊夢なのだから博麗神社は除外。とすると、残ったのは地霊殿ですね」
淡々と堀が埋められていく。だが、はたてにはどうすることも出来ない。
自分はただ、黙ってその作業を見つめるだけだ。
「被害者はさとり。だけど盗み食いされたわけじゃない。それこそがあなたの嘘。実際は『⑥ 犯人は何かを踏んでしまった』わけですから、導き出される答えは一つ!」
「それでは文さん、答えをどうぞ!」
まるで自分の鏡写しのように、自信満々に文は言い放った。
「霊夢が地霊殿でさとりの煎餅を踏みつぶした!」
完璧な理論。完璧な答え。
欠陥など到底見つかるはずもない。
早苗は厳かな顔で両手を挙げ、
「残念! 違います!」
×の字で宣言した。
文が驚愕の声をあげるよりも早く、今度ははたてが手を挙げる。
「今度は私が答えるわ!」
「分かりました」
回答権は得た。しかし文はまだ状況を理解していないらしく、呆然とした面持ちで虚空を見つめている。
こんな相手では張り合いがない。だから現実に戻す為、敢えて彼女の言葉を借りた。
「納得いかないという顔ね、文」
「……是非ともご説明をお願いしたいところです」
「簡単なことよ。私があなたを見くびらなかった。ただそれだけのこと」
常に自分は浮かれていたのだろう。情報は次々と手にはいるし、文は思うように罠へはまってくれる。まるで自分が優れた記者のように錯覚し、あたかも経験豊富な天狗のように思っていたのだ。
しかし実際は違う。引きこもり歴が長く、常に相手をしていたのは携帯の画面。経験という意味では文の方が遙かに格上。弁舌においても同じこと。だからどんなゲームをやっても駆け引きで文に勝つことができなかった。
だからこそ違和感を覚えた。
「射命丸文という記者は、こうも簡単に手玉へ取られるような奴だったかしらと。もしも本気で真正面から戦いを挑むのなら、もっと熾烈なやり取りがあったはずよ。それこそ私も何度か、いいえあるいは全てにおいて敗北していたかもしれない。だけどそうじゃなかったってことは、つまりあなたが本気で戦おうとしていなかった」
それは何故か。はたてを勝たせようと思っていた。これは論外だ。
文は負けることを嫌い、例え格上だろうが格下だろうが容赦なく叩きつぶす。手心を加えて勝利を譲るなど、到底文らしくない行為だ。
だとしたら答えは一つ。勝負しても意味がないから。
「勝負に負けても試合に勝てばいい。情報の量で負けたとしても、最終的に三面記事のネタを見つけた方が勝ちなのよ。だからあなたは兎に角勝負を捨てていると思った。まさか全てにおいて誘導されていたなんて考えもしなかったけど」
「ま、まさか……!」
「そう、だから私は罠を張った」
取り出したのは⑥のカード。まだ文に見せていないカードだ。
「文と同じよ。相手に嘘の情報を与えて、最も正解に近い答えを奪い取る!」
有利なように見えて、実は薄氷の戦いだった。
最後の最後で気付かなければ、負けていたのははたての方だったろう。
「これが正解よ! 霊夢が地霊殿でさとりの饅頭を踏みつぶした!」
顔を強ばらせる文。
両手を挙げた諏訪子。
そして背後では神奈子とにとりの喜ぶ声が聞こえてきた。
神妙な顔つきの早苗は片手を挙げ、勢いよくはたてに向かって振り下ろした。
「お見事! 正解です!」
神奈子の喜びの声に混じり、いきなり抱きついてきたにとり。よく見れば古明地こいしも反対側から抱きついていた。いつのまに居たのだろう。相変わらず気配の読めない娘だ。
だがはたては、そんな些細な事に囚われている暇はなかった。次第に湧き上がってくる歓喜の渦が、思わず両手を突き上げた。諏訪子のように降参しているわけではない。溢れそうな思いが、はたての両手を突き動かしたのだ。
自然と声が漏れる。こんな大声をあげたのは、何十年ぶりだろう。
「いぃぃぃぃぃやったぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「なあ、天狗よ」
「何でしょうか、神様」
早苗も歓喜の渦に加わっている。神奈子も安堵したように胸を撫で下ろし、酒樽の心配をせずとも済むと肩の力を抜いていた。誰もが目先の勝利に囚われている。それはそれでいいのだが、残念ながら諏訪子にはそうも喜べない事情があった。
「お前のおかげで私は今日の宴会の酒担当になりそうだよ」
「良かったじゃありませんか。皆の人気者になれますよ」
負けたのにさほど悔しがる様子もない。底の読めない奴だと思いつつ、気になっていた事を訊いてみる。
「最後の回答さ、どうしてあんたも嘘を吐かなかったの?」
「……はて。そんな必要が何処にあったのですか?」
「間違ったのにはたては悔しがる様子もなかった。冷静に何かを考えていた。明らかにおかしな態度だよ。ここは保険代わりに、敢えて間違った答えを言えば良かったんじゃないの?」
そうすれば、はたてには嘘の情報しか伝わらない。だから今度こそ本気で答えを言おうとしても、それは所詮不正解でしかないのだ。そして、それを元にして今度こそ文は言えばいい。正しい答えを。
まだまだ勝てる道は残っていた。それが分からぬ文でもないだろうに。
「いやあ、それにしてもはたては成長しましたね。同じカードを出された時はさすがに心臓が飛びだすかと思いましたよ。あれでかなり私の計画も狂いましたし」
「ああ、あれは確かに私も意表を突かれたね」
「外に出るようになって、本当はたては変わりましたよ。おかげでゲームにも張り合いが出た」
「だからご祝儀代わりってわけ? 文らしくないなあ」
底の知れない笑顔を浮かべる。
「確かに私らしくありません。ですがお忘れですか? 今の私は烏天狗の射命丸文じゃない。新聞記者の射命丸文なんですよ」
「だから?」
にとり達と一緒になって楽しそうにはしゃぐはたて。
彼女を見る文の目つきは、自分が神奈子を見るときのものに似ていた。
「知りませんでした? 相手に華を持たせるのが一流の新聞記者なのですよ」
呆気にとられ、やがて笑った。
なるほど、なるほど。
実に文らしい。
「勝負にも負けたし、試合も負けた。だけど記者としては文の勝ちだね」
「お褒めに預かり光栄です」
少しだけ恥ずかしそうに頬を掻きながら、文も渦の中へと入っていく。
諏訪子がそこへ行くことはない。
それよりもまず、酒の調達をしないと。
せっかく良い物を見せて貰ったのだ。極上の酒を用意しよう。
そして密かに諏訪子は誓うのであった。
次に賭ける時も、文の方にしようと。
しかし回答シーン、なんて間抜けな字面なんだww
よく考えて作りましたねー
結局はたてが手玉に取られてた印象で終わってしまったのは残念だったなぁ。
新聞で頑張れはたたん。
でも途中ではたての「⑥」のカードと「⑧」のカードの内容が入れ替わってますね
ご指摘ありがとうございます。しかし、何という致命傷。
見事なお話でした!
・異なる情報カードが配られるはずなのにはたての現場カード2枚と文の現場カード2枚が全く一緒の内容
・はたての8のカードの内容が出すまでは『煎餅、饅頭、栗羊羹』。しかし、そのあと文が8のカードを出した直後にはたてのカードの内容が『煎餅、饅頭、羊羹』になっている。
・現場の可能性に紅魔館が残ってしまう。
なんかこう、ゲームを出してバグが沢山見つかった気分です。
10枚配られた瞬間答え分かってたわー
途中、文とはたての名前が逆になってたとこがあった気がした。
お見事です。
こいしが覚妖怪(心理戦のプロ)をしていて満足でもあります。
個人的には、『犯人が一人じゃない』可能性があって怖かったのですが、そう言う意味では安心しましたw
こういうゲームの話作れる人ってすごいよね~。どういう頭の構造してるんだろ?て
思うわ。そのうえキャラがちゃんと動いてるのがすごい。流石って感じ。
やっぱ凄いですね、こういう問題って製作の難易度は回答の難易度に比例すると聞きますし
自分には解こうとするだけで精一杯なんですよ…無念
とてもおもしろかったです