突然だが、香霖堂の店主、森近霖之助は、そうめんが好きである。
ぐつぐつと煮えたぎる湯がたっぷりと入った鍋にそうめんをばさっといれると、それまで細いながらもピンと立っていたそうめんがふにゃり、としなを作る。
このふにゃりがいい。
すぐに食べられるという期待も膨らむし、どことなく儚げで素朴な色気がある。
茹だったそうめんは今度はたっぷりの冷水を使ってきゅっとを引き締める。
そうすると先ほどまでふにゃりとしていたそうめんは、はっと気を取り直したようにしゃきっとする。
このしゃきっがいい。
歯ごたえや喉越しのよさはもちろん、さわやかで芯の通ったそうめんの真面目な一面が見て取れるからだ。
最後に、氷水と一緒に器にいれて真ん中に真っ赤なさくらんぼを添えれば完成である。
真ん中にさくらんぼ、これは絶対に欠かせない。
それも新鮮な生のさくらんぼより、缶詰に入ったうんと赤いさくらんぼがいい。
真っ白なそうめんの肌色によく映える赤色。
ふにゃりとしたり、しゃきっとしたり、様々な顔をみせてきたそうめんが、自分を省みて恥ずかしげに頬を染めているようではないか。
すばらしい、そうめんはまことに素晴らしい。
霖之助は心からそう思う。
しかし、霖之助はここ数ヶ月そうめんを口にしていなかった。
なぜなら……。
「ふぅ、今日も冷えるね……」
そう、季節は今、冬真っ只中なのだ。
洗い物をするだけでも手の感覚が無くなるほどに寒い。
いくらそうめんが好きでも、これだけ寒い冬に冷たいそうめんを食べるほど霖之助は変わり者ではなかった。
とにかく寒い。そうめんにとっては最悪の環境である。
夏の風物詩そうめんは、冬にはその力を存分に発揮できない。
寒さに耐えかねた霖之助はとりあえず、ストーブのスイッチを入れる事にした。
入手困難な燃料の問題もあり、出来るだけ無駄使いはしたくはないのだがこの寒さだ、背に腹は変えられない。
かちっ、ぱちちちと小気味よい音がして、次にぼぅっとストーブの熱を発する部分が赤く発光する。
だが、まだほとんど熱気は出てこない、十分な熱気が出てくるまでにはタイムラグがあるのだ。
それでも火鉢に比べれば暖かくなるまでがとても早いし、スイッチ一つで手軽に機能する点は素晴らしい。
更に、ストーブの上部にやかんを置けば湯も沸かせるし、餅だって焼ける。
霖之助のストーブはなんとも多機能な一品なのである。
このストーブは霖之助のお気に入りの道具の一つで、もちろん非売品だ。
「暇だな」
霖之助はひとりごちる。
魔法の森の近くにあり、商品も怪しげなものが多い彼の店は平素より閑古鳥が鳴いている状態ではあるが、一週間の内、五日くらいは誰かしら来るものなのだ。
ただし、その誰かしらには、客以外もかなりの割合で含まれる。
悪戯をしにくる氷精や、難解な言葉を吐いて去るスキマ妖怪、お茶を飲みに来る巫女や魔法使い等がよく来る客以外の一例である。
彼女らは常連といっても過言ではないが、なんせ客以外であるため商品の購入は滅多に、というよりほぼ確実にしない。
それでも決して潰れる事のない香霖堂。
一体どうやって生計を立てているのか、それは店主である霖之助にしかわからない。
そして今日も朝から店のカウンターに腰掛けて、客を待っていた霖之助。
日はとうに昇りきり、時刻は正午を過ぎようとしていた。
お昼ご飯の時間である。
座りっぱなしで客が来ずとも、半分が人間である霖之助は普通に腹が減るし、普通に物を食べる。
「そうだ、折角ストーブがついてるんだし、昼ご飯は餅でも焼こうかな」
霖之助はふと思い立つ。
ストーブの熱を余すことなく利用する事が出来る、一石二鳥の名案だといえよう。
それに、霖之助はそうめんだけじゃなく、餅も好きである。
餅には、遊び心がある。
焼くと膨らみ、食べると伸びる。
これほど遊び心溢れた食べ物が他にあるだろうか?
それに噛めば噛むほど、もちもち、もちもちと自己主張する様もいじらしくて良い。
餅は心も、歯も、そしてもちろん舌も楽しませてくれる素敵な食べ物だ。
霖之助は常々そう思っている。
しかし、霖之助が周囲をきょろきょろと見渡すも餅はない。
がさごそとカウンターや商品棚を探っても餅はない。
それもそのはず、ここは店内だ。
餅は売り物ではなく、食料なのだから、ここにあるはずもない。
店の裏の台所になら、ちゃんとある。
手を伸ばしても届かないが、足を伸ばせばすぐ手に入る。
霖之助は、目を瞑り、しばし思案する。
「面倒だな、やめた」
結果、霖之助は餅を焼くことを諦めた。
ストーブに乗せれば餅は簡単に焼きあがるが、取りにいくのが面倒なのである。
折角ストーブをつけたのだ、こんなに暖かいのだ、燃料だって消費しているのだ。
そうして手にいれたこの温もりを手放してまで餅を取りに行くべきか?
そう悩んだ挙句霖之助は餅を焼くのを諦めたのだ。
彼の名誉の為に弁解すると、霖之助は決してケチなのではない、倹約家なのである。
そして環境的にも人体的にも、無駄なエネルギーは消費しない。エコロジストでもある。
「ふわぁ……」
霖之助はあくびをした。
する事がないせいである。
早い話が暇なのだ。
お客は来ないし、餅は取りに行きたくない。
もういっそこのまま寝てしまおうか、そう霖之助が考え始めた時、からんからんと来客を告げるドアベルの音がした。
霖之助がそちらを見やると、そこには一部が人間らしからぬ少女がいた。
「こんにちはー」
へにょへにょの兎耳と赤い瞳を持つ妖怪兎、鈴仙・優曇華院・イナバである。
霖之助は少しだけ目にあくびした時に出た涙を浮かべたまま、来客の対応をする。
「おやいらっしゃい鈴仙、何かお探しかな?」
珍しい娘が来たな、と霖之助は思った。
少し人見知りな所がある鈴仙は、普段は迷いの竹林の奥深くにある永遠亭の中で薬師の見習いをしているのだ。
外出をするとすれば、薬の訪問販売くらいなので、基本的に人里や妖怪の山といった賑わっていて、人や妖怪が多く集まる所によく現れる。
つまり、閑散とした魔法の森の近くにあり、閑古鳥の鳴いている香霖堂などには滅多に訪れないのである。
「特に何も、薬の訪問販売で近くまで来たから久しぶりに寄ってみたのよ」
今日も来たのは客以外だったか、霖之助は声には出さずにそう思った。
それでも彼女は悪い妖怪じゃないし、適当に会話を楽しもうかと思考を切り替える。
少なくとも、暇を持て余すよりは有意義だ。
「そうかい、まぁその辺の椅子を適当に使うといいよ」
「うん、ありがと」
店主に勧められた鈴仙は、言われたとおりにその辺りにあった来客用の椅子を持ってきて、ちゃっかりとストーブの近くを陣取る。
半妖だけでなく、妖怪にとっても、この温もりは魅力的らしい。
鈴仙は持っていた薬箱を横に置くと、ストーブに両手をかざした。
「ストーブつけたんだ? あったかーい」
へにょり耳の彼女の顔が、ストーブのぬくもりでふにゃっとだらけた。
へにょへにょでふにゃふにゃな妖怪兎の誕生である。
だらしがないといえばそれまでだが、みるからに幸せそうないい顔だ。
「ああ、今日は一段と冷えるからね」
だらけきった鈴仙をみて、いつも通りの無表情で言葉を返す霖之助。
だがその無表情が何処となく誇らしげなのは、自慢のストーブを褒められたからであろうか。
そして霖之助は、鈴仙の頭をみて、ふとある事を思いつく。
「そうだ鈴仙、君は確か月の兎だったよね?」
「んー? うん、そうよ」
ストーブの暖かさにだらけながら答える鈴仙。
そう、鈴仙は地上に生息する普通の妖怪兎とは一味違う、月に住む玉兎という種族の兎なのだ。
霖之助はその返答を聞いてふむ、と満足そうに頷き、言葉を続ける。
「なら、餅を焼いてくれないかな?」
そう、霖之助は先ほど面倒だから諦めた餅の用意を、鈴仙にやらせてしまおうと思いついたのだ。
その理由は月の兎だから、という至極単純な、よく言えばシンプルで無駄のない物であった。
正確にいうならば、月の兎は餅を焼くのではなく搗くのだが、霖之助とて幻想郷の住人だ、細かい事は気にしない。
「ふんふん、何処にお餅があるの?」
そして鈴仙は鈴仙でそんないきなりの申し出にも動じない。
何故ならば、彼女もまた、幻想郷の住人なのだ、細かい事は気にしていられない。
それに霖之助だけではなく、幻想郷に住む者のほとんどが、餅といえば月の兎を連想するらしく、餅に関する事で頼まれたり、からかわれたりする事は彼女にとって日常茶飯事なのである。
餅の在り処を聞くということは、餅を焼く事をほぼ許諾したという事だ。
霖之助は嬉しく思い、普段より少しだけ笑顔で餅の在り処を言う。
「店の裏の台所、戸棚の中にあるよ」
「そ、じゃあ焼くから持って来てくれる?」
平然と答える鈴仙、その表情に悪意はなく、純粋そのものだ。
だがしかし、この答えに、霖之助は戸惑った。
彼の目的はこの場を動かずして餅を手に入れることだ。
しかし鈴仙は、霖之助の頼みを聞いて、自分が頼まれたのは餅を焼くことだけだと思ってしまったのだ。
誤算だった、何故こうなる事が想定出来なかったのか、と霖之助は自戒した。
そして、どうすればここから動かずに、鈴仙に餅を取ってきて貰えるかを考える為に、人差し指を曲げて顎にあて、目を閉じる。
「店主さん? どうしたの?」
鈴仙は急に黙り込んだ霖之助をきょとんとした表情でみて尋ねた。
だが、今の霖之助にはそれに答えるだけの余裕がない。
幻想郷においても、上から数えたほうが早いであろう聡明な頭脳を使って必死に考えているのだ。
尋ねても答えが返ってこなかった為、鈴仙は少しだけ不信に思ったが、些細なことは気にせずに、ストーブの暖かさの堪能を優先する事にした。
それから約一分が経過した頃、黙り込んでいた霖之助はやっとこさ声を発した。
動かずして餅を手に入れる計画を思いついたのだ。
難しい計画なのか、霖之助は一度大きく深呼吸をした。
そうして気持ちを落ち着け、計画を実行する。
「餅を焼いてほしいんだ」
「どうしたのよ、店主……さん……?」
先ほどと同じ意味の台詞を吐く霖之助。
急に固まったかと思うと今度は同じ事を繰り替えす。
その様子をおかしいと思った鈴仙は、霖之助に問いかけようとしたが、思わぬ事態に声が詰まってしまった。
今回は先ほどとは決定的に違う所があった。
それは霖之助の顔である。
いつもの無味乾燥な無表情が、精悍で、真剣味を帯びた表情へと変貌を遂げていたのである。
そう、霖之助が立てた作戦、それは真剣な表情でごり押しするというものであった。
シリアスな空気に持ち込んで頼めば、ノリで何とかなるかも知れないと思ったのだ。
最初は、適当に動けない理由をでっちあげる作戦も考えたが、いつもてゐに騙されている鈴仙の事を騙すのは心が痛むのでやめておいた。
霖之助なりの優しさである。
そして、そんな作戦と呼ぶ事さえもおこがましいような稚拙な作戦ではあったが、真剣な表情の霖之助は、はっきりいって、かっこよかった。
幻想郷に芸能事務所があれば、所属していてもおかしくないくらいだ。
知的で涼しげなハンサムが、きりりと真面目な顔をして語りかけてくる。
これは、永遠亭という女所帯で暮らしている鈴仙にとっては、少々刺激が強すぎた。
彼女の頬がほんのりと赤く染まる。
「鈴仙」
「はっ、はいぃ!?」
名前を呼ばれただけなのに、声が上擦ってしまう鈴仙。
ストーブの温もりでだらけ、兎のくせについつい猫背気味だった背筋もしゃきっと伸びてしまう。
彼女は今、自分の感情がコントロール出来ない状態である事を知り、焦った。
こんな事は始めてだ。
そんな鈴仙に、霖之助は追い討ちをかける。
「君に、餅を焼いて欲しいんだ」
再度、真剣な顔でお願いしてみる。
更に今回は声のトーンも少しさげ、落ち着いてゆっくりと、そして力強く言った。
この声の調子を変える演出は、耳の良い鈴仙には特に効果覿面であったらしい。
頬の赤みが三割は増してしまった。
「わ、わかったわ! 餅は何処にあるの?」
顔だけでなく、身体の奥からむず痒いような温もりを感じた鈴仙は、早く話終わらせるべく、尋ねた。
霖之助にとってはここが正念場だ。
彼は先ほどはここで失敗したのである。
真面目な顔をキープしつつ、鈴仙に気づかれぬようごくりと唾を飲む霖之助。
「それが、裏の台所にある戸棚の中なんだよ……取ってきてくれるかい?」
「えっ……台所?」
餅の所在を知り、鈴仙は思わず聞き返してしまった。
裏の台所、つまりはこのストーブの温もりが届かない所だ。
特に台所は、水場とも呼ばれるほどに水を扱うところ、骨にまで染みそうな寒さと冷たさが待ち受けている事は想像に難くない。
それは行きたくないな、鈴仙の表情が少し曇る。
しかし、そんな鈴仙の表情をみて、霖之助は、追撃を加えた。
「そうなんだよ……だめかな?」
真面目な表情を、不安げな、そして憂いを浮かべた表情へと変えたのだ。
こうしてシリアス度をアップさせて、ごり押しにごり押しを重ねようというのである。
その表情を直視してしまった鈴仙は、もう耐えられなかった、先ほどから赤くなっていた頬は更に赤くなり、もはや彼女の持つ赤い瞳と比べても遜色しないほどである。
もちろん、顔だけでなく身体にも変化は訪れていた、動悸が激しくなり、妙に緊張する。
もう鈴仙には、ストーブの前を離れたくないだとか、寒いところにいくのは嫌だとか、そんな事を考える余裕はなかった。
「い、いいわよ! とってきて、焼いてあげる!」
言うが早いか鈴仙は台所に向かって猛ダッシュ、それはまさに脱兎の如し勢いであった。
その姿を見届けた霖之助は、いつもの無表情に戻りこう言った。
「うまくいったか、断られるかと思っていたんだけどね」
彼自身、お粗末な作戦だと思っていたため、上手くいった事はうれしかったが、失敗する確率は高いと考えていたのだ。
そして霖之助は呟く。
「それにしても、なんで鈴仙の顔はあんなに赤かったのかな?」
本気で理由のわからない霖之助は、首を傾げる。
変な所で鈍感な彼には、鈴仙の心中など察せられるはずもないのだ。
しかし、鈴仙は何処となくそうめんに似ているかも知れないな。
霖之助はぼんやりとそんな事を考え、ふっと少しだけ微笑み、餅と兎の到着を待った。
そしてこの日から、香霖堂にはまた一人、客以外の常連が増えましたとさ。
めでたしめでたし。
冗談抜きにこの食生活を一年以上継続している俺にとって、霖之助の言い分はまさに敗者の戯言。
同じく素麺を愛する者として彼にはこの言葉を送ろう。
「君の愛は幻想。所詮そこまでの漢だったのだ」と。
決して彼がイケメンだからパルってる訳ではない。断じてだ。
幻想郷らしさがとても出ていて面白かったです…♪
ものぐさにも程あるだろw
うどんげは初心者ホイホイと言われますけど、最近また好感度がupです。
何故かって?
このようなssがあるからです。
素直なうどんげかわいいです。
イケメンなら何しても許されると思うなよぉぉぉぉぉぉ……!
↑38
イエメンになるのか。ムスリムなのか。
もう少し長いとよかったかも
地の文すげえ綺麗でした
でもうどんげ可愛いので。
超ローカルなネタだけど「うーめん」もオススメよ。
東北人の方はぜひ。
こんなところにも※の波が...