あいやいや――――
絹を裂くような……というより背中に火がついたようなトラの声。
一般の世界では聞き慣れぬ音声だが、ここ命蓮寺では珍しくない。
ただし、トラはトラでも寅の方。主人である寅丸星の叫びを聞き、台所にいた妖怪ネズミのナズーリンは、お茶碗を洗う手を止めた。
「……今日一つめか」
軽く嘆息して、濡れた手を拭き、エプロンを外す。
その間、灰色の髪の毛から生えた丸耳を動かし、また何か悲鳴が聞こえてこないか探りつつ、ナズーリンは台所を出た。
格子窓が続く長い廊下を急いでいると、途中で同居人の一人と出くわした。
水兵服を着た黒髪の舟幽霊は、「おっ」と片手を少し上げ、
「ナズーリン。星なら今庭にいるわ。私が様子を見に行ってきたわよ」
「そう。で、何と言ってた?」
「『何でもないから、大丈夫、気にしないで』って顔面蒼白で首を振ってたけど」
「わかった。ありがとう」
彼女、村紗水蜜に礼を言って別れ、ナズーリンは再び廊下を早足で進んだ。
◆◇◆
人間の里の近くに新しく建立された寺、命蓮寺。
元は地底に封印されていた大きな宝船であったが、今は広い敷地に建つ立派な仏閣の姿となっている。
建物の内部は部屋が多くて相当入り組んでいるため、たとえ住み慣れた者であっても、同居人を秘密裏に捜し出すのは少々手間のかかる場所だ。
なのでナズーリンにとって、途中で早々に情報が得られたのは小さな幸運だった。第一発見者が自分じゃなかったのは不運でもあったが。
庭に面した回廊に出ると、早速井戸の側の地べたに、ぺたんと座り込んでいる妖怪を見つけた。
赤い法衣をまとい、腰には虎柄の腰巻きを締め、黒と黄色の混じったショートヘアーには蓮の花を模した髪飾りが、肩には輪っかを描いた羽衣がついていた。
傍らには水を溜めた桶が一つ。そして離れた場所には、物干し竿がいくつか用意されている。
庭に下りたナズーリンは、細い尻尾をくねらせて、その妖怪に後ろから近づいた。
「どうしたんだい。ご主人様」
そう声をかけると、寅丸星は大げさなほど肩を跳ねさせてから、のろのろとこちらを向く。
なるほど、確かに村紗から聞いた通り、その顔面は真っ青である。
元々面貌の造りも含めて、きりりと凛々しい妖怪なのだが、今の彼女は何というか、気弱な猛獣の女の子。
頼りなげに寄った眉の下、潤んだ瞳がすがるような視線をナズーリンに浴びせてくる。
星はかすれた声で言った。
「ナズーリン……」
「悲鳴が聞こえてきたので飛んできたんだ。何かあったのかな」
「……イエ、ナンデモナイデス」
「誤魔化さなくたっていい。私は君の味方だからね。……不本意ながら」
「うう。自業自得とはいえ、最後の一言が胸の傷にしみます」
「で、今度はどんなミスをしでかしたんだい? 物を無くしたとか、何かを壊したとか、調味料を間違えたとか」
ナズーリンは言いながら、彼女の周囲を探る。
命蓮寺の家事は各自が分担して行うことになっており、今朝の星は洗濯を引き受けていたはず。
彼女のまくられた袖と何も掛かっていない物干し竿からして、衣服を洗っている途中で悲鳴を上げたらしい。
桶の水に浸かっている洗濯板と布に目を移し、ふむ、とナズーリンは考える。
「……また聖の派手な下着を破いたとか」
「ぎくっ」
「やれやれ。不器用な上に怪力なんだから、加減というものを覚えてほしいな。聖の顔も三度までだよ」
「い、いえ。今日破いてしまったのは聖のじゃないんです」
「ほう。となると、村紗か一輪。あるいは自分のか。まさか私のじゃないだろうね」
「いえ……その……」
煮え切らない反応を見る限り、どうやらどれも違うらしい。
主人は涙目をそらしつつ、口元でつくった波線を動かす。
「ぅ………………」
「何? よく聞こえないな」
「う………………」
「もっと大きな声で、はっきりと」
多少叱るような声でナズーリンが促すと、星はしゃっくりを一度はさみ、そして決心したように叫んだ。
「雲山のパンツを破いてしまったんです!」
~ぱんつ・ぱんつ・れぼりゅーしょん~
ナズーリンはしばらく沈黙していた。
できれば永遠にそうしていたかった。
だが、部下の職業意識とツッコミ役の気概が、それを許してくれなかった。
とりあえず、こめかみを指で押さえて、まず頭に浮かんだことを述べる。
「……それはひょっとして、新手の冗談かな」
「うう、冗談だったら、どんなに気が楽なことか。でも本当です。雲山のパンツを破いてしまったんです」
「落ち着くんだご主人。よく考えてみたまえ。雲山のパンツだって? 彼がパンツを穿いていたら、それこそ巨大な変態だろう」
ナズーリンは苦悩する星に困惑しつつ、正直な見解を伝える。
頭の中には、幻想郷の空をパンツ一丁で漂う白い巨人の姿があった。なんというか、色々な方面で物議を醸しそうな光景である。
しかし主人の方は、大まじめに泣きべそまでかいて、
「だって本当にパンツなんです! まぎれもなく雲山の下着です! 正統なパンツです!」
「パンツパンツと連呼しないでくれ。はしたない。まずは証拠となる物を見せてくれないか」
「はい……これです……」
星の手により、桶の中から水のしたたり落ちる布地が取りだされ、ナズーリンの眼前で大きく広げられた。
「おお……」
思わずある種の感嘆の呻きを漏らす他なかった。
毘沙門天に長年仕え、通常の妖怪より遙かに肝が据わっているナズーリンといえども、である。
それはパンツというにはあまりにも大きすぎた。大きく、ぶ厚く、重そうで、そして男らしすぎた。
蒼い地に白波を描いた、シンプルで力強い図柄。どちらかというと下着というより、外界の漁船が掲げる大漁旗に見受けられる。
そしてその表面には、お経のような字が細かく書かれており、それに囲まれるようにして、『雲 山』の太い紅の二文字があった。
だがしかし『雲』と『山』の間、常人であればお尻に相当する部分が見事に裂けていて、向こう側まで貫通していた。
パンツの穴から主人の顔を見つめるという珍しい体験をした後、ナズーリンは顎に手を当てて首肯する。
「……なるほど。これは確かに雲山のパンツかもしれない」
「さっきからそう言ってるじゃないですか……ようやく分かってくれたんですか」
「ますます分からなくなったよ。雲山が下着を所持していたというのは驚きだが、どうして君が雲山の下着を洗っているのか、私の頭でもさっぱりだ」
「実は……」
濡れた巨大パンツを両手で持ったまま、星は事情を語り始めた。
◆◇◆
それは先日の晩のことである。星は人間の里の寄合に、新参の命蓮寺の代表として特別に参加させてもらうこととなった。
本来は立場上、住職の聖白蓮こそが適任のはずなのだが、彼女は寺に集まった妖怪相手の説法があるということで、星にお鉢が回ってきたのである。
妖獣の身であるものの、幸い里の守護者であるワーハクタクのはからいによって、警戒心の強い人の輪の中にも、星はスムーズに溶けこむことができた。
そればかりでなく、素直な人柄と縁起が良い妖怪だということがウケて、終いにはその後の酒盛りに誘われ、一日で人気者となり、仕事は大成功に終わったのである。
そしてその宴の後、子の刻が近くなった頃。
首尾良く任務を果たした達成感に包まれ、星はほろ酔い加減で命蓮寺に帰り着いた。
いつものように通用門をくぐり、裏口の戸に手をかけたところで、少し心配事が頭をもたげる。
仕事が無事成功したのはいいが、遅くなってしまったことについて部下にお説教をちょうだいするかもしれない。
というわけで、上手い釈明を考えるため、しばらく腕組みして玄関先に立っていたのだが、それが運命の分かれ道だったのである。
物思いの途中で、何かの気配を感じたのだ。
頭を振って探ってみると、庭側の塀の外から、自分以外の者が寺に入ってくる姿が目にとまった。
いや、者というか、見た目は湯気の塊のようなのだが。
「……雲山?」
その白煙は、命蓮寺に同居する見越入道に見えた。
しかしおかしなことに、雲でできた彼の体は、その朝に見かけた時よりもかなり小さかった。
ふよふよと左右に動きつつ、辺りの様子を窺っているらしい。何やら住居のはずの僧堂に忍び込もうとしているみたいで、挙動不審である。
不思議に思った星が近づいてみると、向こうもこちらに気がついたようで、厳めしい顔をさらに強張らせ、ぎょろ目を蠢かした。
「こんにちは雲山、散歩の帰りですか?」
星は愛想良く話しかける。とはいえ、別に何か気の利いた反応を期待したわけではない。
雲入道の彼はこの幻想郷では珍しいほどの無口で、なおかつ愛嬌とは無縁と思われる妖怪なのである。
寺の中ですれ違った時の挨拶も、軽く頷くくらいで済ませてしまうことがほとんどだ。かわりに、いつも側にいて行動している尼僧の方が饒舌かつ柔軟な頭を持った妖怪なので、彼女と話すことが多く、雲山の意思も彼女を通じて伝えられるのが日常なのであった。
しかし、今日の雲山は、やはりどこか様子がおかしかった。
相方を連れていないだけではない。雲でできた体の奥に、何かが見え隠れしている。
「それは何ですか?」
星が指をさして聞いてみると、彼は明らかに動揺した。
夜目の利く星の瞳には、月明かりの下、密度の濃い白煙に挟まれた青い布のような物が映っていた。
と、その視線から遠ざけるように、雲山はもこもこと体を動かし、その『何か』を体の後方に移動させる。
なんというか、我が子を外敵から隠すかのような警戒っぷりである。それでもやはり喋らないのは、あっぱれな頑なさであったが。
「布のようですけど、手ぬぐいですか?」
「………………」
「じゃあ帯とか旗。いや、一反木綿かなぁ」
星はなぞなぞ遊びを楽しむ気分で、自由に想像を巡らせる。
対する雲山は、全身を桃色にして首を振るばかりであった。ここで背中を向けて去ったりしないところが、この入道の男らしいところである。
「じゃあもしかして、パンツとか」
それは、あてずっぽうの発想であった。
しかしなんと雲山は、子供が見れば泣き出しそうな形相で、重々しくうなずく仕草をみせたではないか。
解答を導き出した星は、無邪気に感心する。
「そうかぁ。雲山もパンツを穿くんですねぇ」
雲の体が一回り小さくなり、色は桃色から赤に近くなった。
だが彼は狂おしそうに、しかしやはり無言で、短く太い首を縦に振る。
「ああ、もしかして、洗濯していたんですか? なら、次の機会には、こちらにまとめて出しておいていいですよ。私が洗いますから」
その途端であった。ぎん、と雲山の両眼が開き、小さな稲妻を帯びたのだ。
さすがの星もこの反応にはちょっと驚き、
「あ、ごめんなさい……。大事なパンツでしょうし、お節介でしたね。気にしないでください。おやすみなさい雲山」
と頭を下げ、気を遣って回れ右しようとすると、遠雷にも似た音が庭に響いた。
見れば、元の大きさに戻っていた雲山が、咳払いするように拳骨を口元に当てている。
そして……
『……お願い仕る……かたじけない、星殿』
聞いた瞬間、星は瞠目し、口に手を当てて息を呑んだ。
心の内では、カラフルな花火が盛大に打ち上がっている。
クララが……いや、雲山が喋った。一輪を介さず、直接語りかけてきてくれた。
これまでにない、そしてこれからも絶対にないであろうと諦めていた振る舞い。
しかもその内容は、こちらの好意的な申し出に対する返礼に他ならなかった。
声が弾むのを抑えきれず、星は強く胸を叩く。
「ま、任せてください! これからも何かあったら、気軽に話しかけてきてくださいね、雲山!」
◆◇◆
「それで、今日洗濯の機会に彼からパンツを受け取って、うっかり破いてしまったというわけか」
「はい……張り切って洗ったのがまずかったんです……」
話を終えて意気消沈する星に、そういう問題だろうか、とナズーリンは思った。
雲山が命連寺の大切な一員であることは、住職をはじめとして、他の住人の意見も一致させるのに難しくないだろう。
だが彼は雲で出来た不定型の入道とはいえ、外見はれっきとした殿方なのだ。
それなのにまるで抵抗なく、下着を一緒に洗濯してあげようか、と持ちかけるとは。
ちょっと心配なほど無防備だった。この人の良さが彼女の良さでもあるのだけど。
本人は下着を破った罪で頭がいっぱいらしく、目元を腕でぬぐってから、弱々しくかぶりを振り、
「雲山は私のことを信頼して、大事なパンツを預けてくれたのです。それなのに私は……何ということをしてしまったのでしょう」
「まぁでも、そこまで深刻な話ではないと思うよ。たかが大きなパンツじゃないか」
「たかがとは何ですか! 雲山がどれほどこのパンツを大事に扱っていたか、私は見たんです!」
「うーん、確かにいい気分はしないだろうけど……」
「ではナズーリン。己の身に置き換えて考えなさい。もし私が貴方の大事な下着を破いてしまったら、どうしますか?」
「まず間違いなく、その悪行を過去に宝塔を無くした件と一緒に皆に訴えるだろうね。ご飯も当分抜きだ」
「ひぃ!?」
半眼で無慈悲に宣告する部下に、主人の方が肝を潰していた。
日頃の主従関係の内実が、かいま見える瞬間である。
「……で、今度はどのような解決がお望みで?」
ナズーリンは冷めた視線のまま、話を進めることにした。
すでに慣れたやり取りであり、気弱な主人が頭を垂れて反省する姿も、おなじみの構図である。
星は破れたパンツをたたんで、そっと桶に戻しながら、
「謝る他はないのでしょう……できれば雲山を怒らせず、傷つけない方法を選びたいのですが、私にはどうしていいか分かりません」
「怒らせず傷つけない方法、か。早速考えてみよう」
「え! 本当ですか!?」
「ん、別に今回が初めてじゃないよ?」
「だって、だって、今度という今度こそ、貴方に見捨てられると思ったのに!」
「そのつもりならとっくに見捨ててるさ」
わざとらしく肩をすくめて、ナズーリンは言った。
「だがこれでも、私は気の長いネズミなんだ」
「ナズーリン! 貴方は本当に素晴らしい部下です!」
「濡れたままの手で引っ付かないでくれ。ご主人様は気にせず、洗濯の続きをしていたまえ。ただし、これ以上服を破いたら、いくらなんでも庇いきれないよ。いい案が思いついたらこちらから報せに行くから、このまま寺の外で待機してること。もちろん雲山との接触も避けるように」
「は、はい。後は頼みました」
星はもう一度頭を下げて、厚い礼を述べた後、慎重だが危なっかしい手つきで洗濯を再開した。
ナズーリンはそれを確認してから、すぐに寺の中に戻ることにした。
◆◇◆
「いい妖怪だとは思うんだけどね……」
廊下を早足で進む間、ナズーリンはついため息がてら独り言をこぼす。
主人である星のことである。
部下のひいき目を取り払って冷静に観察しても、彼女はとても真面目で働き者の妖怪だ。
どんな仕事も嫌がらずに引き受け、泣き言一つ漏らさない誠意があり、それが終わったら次の仕事を探しているくらいの疲れることを知らぬ体力を併せ持つ。
性格上ナズーリンの方から面と向かって敬うことは少ないのだが、形だけの主従という意識は全くない。正直なところ、毘沙門天より役割を授かってから、彼女は一日たりとも戒を破らずに聖を失っていた寺を護り続けてきたのだから、その点ではきちんと尊敬しているのである。
しかし寅丸星という妖怪は、何というか、極度のうっかり者であった。
特に平穏な日常においてそれが顕著であり、こちらが油断していると、常識では考えられないミスを犯すのだ。
そのミスの要因も様々。不注意だったり空回りだったり並はずれた発想だったり。他の同僚二人は彼女に、うっかりアーティストというあだ名までつけていた。
彼女達のように端から見ている分には面白い妖怪なのだが、あいにくナズーリンは星の部下である。
宝塔をうっかり無くした時はちゃんと取り戻したし、掃除の際にうっかり備品を壊した時は修理するかよく似た代わりの物をすぐに用意してあげた。
塩と粉セッケンをうっかり間違えた時は料理の皿を運ぶ前に臭いで気付いてあげたし、聖の下着をうっかり破いた時は一緒に謝ってあげた。
ナズーリンとしてはこれ以上弱味を押しつけられても処置に困るので、できれば早く『うっかり』から『しっかり』の境地へと進んでもらいたいと思っている。
そして今回は雲山のパンツ。謝るにしろ直すにしろ偽物を用意するにしろ、事態がもっとも丸く収まる方法を選ぶつもりだったが。
――その雲山も、よく分からない妖怪だしね。
遙か昔からの知り合いではあるのだが、かの入道はナズーリンにとって謎の多い存在であった。
雲で出来ているためか、大きさも形状も自由自在。寡黙で無骨で恐るべき怪力の持ち主。それくらいしか分からない。
そもそも性格や表情からして『男性的』ではあるのだが、正体は『女性』である可能性が無きにしも非ず。
彼自身は命蓮寺の女性陣に遠慮しているようであり、付き人というかパートナーである妖怪を除いて、会話や遭遇をなるべく避けている気がした。
そんなわけで、今回星が彼の『パンツ』の洗濯をしていたというのは、ナズーリンにとって衝撃的なニュースだったのである。
――やはり私の主人は色々な意味で常識を超えているな。
半ば感心、半ば呆れつつ歩いている内に、ナズーリンは目当ての存在の気配を探し当て、そちらへ足を向けた。
謎に満ちた雲山を最もよく知り、彼が心を許す数少ない妖怪。
「あ、ナズーリン。洗い物終わった? こっちも手が空いたら、お昼の支度手伝うわよ」
廊下の端で雑巾を絞っていた少女が、こちら向いて微笑し、立ち上がる。
濃紺の頭巾の下には晴れた空と同じ色の髪が見えており、着ているのは白雲を切り取って縫いつけたようなエプロン服。
雲居一輪。彼女こそが雲山の長年の相棒であり、謎に満ちた彼について最もよく知っている妖怪であった。
「一輪、ちょっと君に話がある。知りたいことがあるんだ」
「え? ええ、いいわよ。ナズーリンが私に聞くんだから、きっととても大事な話でしょうね」
「その通り。実は……」
と、ナズーリンは言葉に詰まった。
ここで単刀直入に話題を振ってよいものか。
(一輪。大事な話というのは他でもない。雲山の下着についての話でね)
(ごめんそれ引くわ)
(引かないでくれ! こっちは真剣なんだ! 雲山のパンツについて、私に出来る限りの情報を!)
(近寄らないで! 変態!)
いやいや、いくら尼僧といえども、しゃれっけのある彼女がそこまでショックを受けることはないだろう、とナズーリンは思い直す。
だがしかし、念のため慎重かつ婉曲に問いかけなくては、さらなる勘違いのあまり、賢将が痴将のあだ名に変えられてしまう可能性だってある。
それは仏界にて確固たる位置を占める、毘沙門天の配下としてのプライドが許さなかったが……。
ふとそこで、ナズーリンはあることに気づいた。
「一輪、雲山はどうしたんだい? 珍しく一人で拭き掃除をしているけど、今日は一緒じゃないのか」
「雲山なら、今朝から禅堂にこもって瞑想しているみたいだけど」
「…………」
――まさか、パンツがないから外を歩き回れないのだろうか?
そこら辺の事情を物凄く追求したい気がするものの、今は自重する。
時間は限られているのだし、何より雲山が一輪の近くにいないというのは、ナズーリンにとって好都合だった。
「そうだったのか。瞑想とは寺院らしくもあり、雲山らしくもあるね」
「そうね。でも昨日は一緒に空中散歩に出かけたら、子供達に人気だったわよ。本人もまんざらでもなかったようだし」
「へぇ。子供達に。意外と子供好きなのかな」
相槌を打ちながら、さりげなく会話を誘導する。
目論見通り、一輪は自らの相棒について、嬉しそうに語り始めた。
「子供好きでもあるけど、単純に優しくていい妖怪なのよ。顔は恐いし普段は頑固な所もあるけど、それも半分照れ隠しみたいなものだと思うから」
「なるほどね。参考までに聞いてみるけど、君は過去にその優しい雲山を怒らせたことはあるかい?」
「うーん、機嫌を損ねたことはいっぱいあるけど、正々堂々とした態度を好むから、正直に謝ったらいつも許してくれたわ。まぁせいぜい拳骨一つくらいかしら。多少加減はしてくれるし」
「ふぅん、そうか……」
ナズーリンはその返答を聞いて、態度に出さずに満足した。これなら星の選択は決まったようなものである。
素直に謝る。これにつきるだろう。誠意を重んじる雲山には、正攻法が何よりふさわしい。
拳骨一つで済むくらいなら安いものだ。まぁ、彼の拳骨は光の国の宇宙人サイズなのだが、主人の方も頑丈にできているのでそこは妥協してもらう。
てきぱきと考えをまとめるナズーリンを他所に、一輪の話はまだ続いていた。
表情はいつのまにか暗くなり、なぜか声の調子もだいぶ低い。
「でもね……そんな雲山が一度だけ激怒したことがあったの。私がまだ妖怪になりたての頃だから、あまり覚えてないんだけど……」
「ほう。一体なぜ」
「下着よ。大事な下着を傷つけられたの」
ナズーリンの笑みが硬直し、脳内の算段が氷結した。
一輪はそのことに気付いてないらしく、夏の夜の怪談を語る調子で続ける。
「それは妖怪同士の抗争の最中で、私は遠くから見守るだけだったんだけど、下着を傷つけられた途端、普段寡黙な雲山の『絶叫』が戦場に轟いたわ。『我が下着だけは許さぬ!! 大天誅!!』ってね。理性が残らず消し飛んで、両目から光線を放ちながら、巨大な拳を振り回し、敵を残らず殲滅したの」
「……………………」
「さらに怒りがおさまらなかったらしくて、敵将の大天狗の褌まで破り捨てて……」
「………………!!」
喩えようのない悪寒が、聞き手の肌を走った。
「じょ、冗談にしては過激だね」
「いいえ。本当の話。今雲山が穿いているのは二代目のパンツよ。幻想郷に来るまであの一帯では、鬼のパンツは破いても雲山のパンツは破くな、と言い伝えられていたそうだし」
「なんと…………」
あまりの情報に、ナズーリンは尻尾の先端まで戦慄する他ない。
寡黙で誠実な態度を好むが、根は優しく子供にも人気な入道。
そんな彼の唯一の逆鱗が、あのパンツだった。傷つけられただけで、敵軍をまとめて殲滅し、なおかつ大天狗の下着まで破いてしまったという怒りっぷり。
ナズーリンは、不注意でパンツを破ってしまい、同じ目に遭わされる主人の姿を嫌でも想像した。
……まずい、それは非常にまずい。
「ところで、何でそんなことを聞くのかしら」
「うっ……」
「もしかして、雲山に何かサプライズを用意しているの? それはきっと感激すると思うわよ」
「サプライズか。うん……確かにサプライズだ」
ごくりと喉を鳴らして、ナズーリンは正直に伝えた。
「一輪。実は、私のご主人様が洗濯中に、雲山のパンツを盛大に破いてしまったんだ。どう思う?」
彼女は頭巾を脱いで、磨きたての床に投げ捨てた。
「実家に帰らせていただきます」
「どこだそれ!?」
「尼さんは止めて、さすらいの占い師生活に戻ることにするわ。アディオス、ナズーリン」
「今さらそんな嘘キャラ作ってる場合じゃないだろう! 待つんだ一輪!」
「放して! 早く避難しないと、こっちも命が危ないのよ!」
「こら! 聖を置いていくつもりか! 彼女への恩を忘れたわけじゃあるまい!」
「もちろん姐さんも連れて行くわ! だから雲山の方は、あんた達が責任持って何とかして!」
必死の形相で逃げようとする一輪を、ナズーリンも必死に引き留める。
ぎゃあぎゃあと揉み合う二人の元に飛んできたのは、同居人の舟幽霊だった。
「へー、めっずらしー。ナズーリンと一輪が取っ組み合い? まぁまぁ落ち着いて。何があったのよ」
「何があったのよじゃないわよ! 星がとんでもないことをしでかしたのよ!」
「あ、もしかして、昨晩火力上げすぎて、お風呂の釜壊しちゃった話? 困ったよね。今日は里の銭湯に行かない?」
「そんなことじゃない! 雲山のパンツを破いちゃったの!」
一輪の叫びに、村紗は下着で頬を殴打されたかのように、ぽかんとしていた。
だがやがて、こらえきれない様子で、腰を折って震え出す。
「ぱ……パンツ! 雲山がパンツ! あはは、やだそれおかしい! ちょっと巨大な変態みたい!」
「村紗! あまり大きな声でそれを言わないでくれ! 雲山に知られたら、幻想郷が危ない!」
笑い転げていた村紗は、ナズーリンの話を聞くうちに態度を改め、最後には神妙な顔つきへとチェンジしていた。
「……それはちょっと穏やかな話じゃないわね……雲山も心配だけど、星がどんなにショックを受けるか」
「そうなんだ。私もそれが心配だ。もし万が一これがバレて、雲山に乱暴されるようなことがあれば」
「最悪……自殺しちゃうかも……」
あまりにもむごい結末である。事態に悩む二人の間に、暗澹たる空気が流れる。
しばしの重い沈黙の後、ナズーリンは己に活を入れ、当初の予定の軌道修正を計ることにした。
「とにかく、我が主人のためにも、雲山に気付かれる前に早急に手を打つ必要がある」
「何か考えがあるの? ナズーリン」
「いくつか策が考えられるけど……例えばこういうのはどうだろう。幸い、この幻想郷には様々な能力を持つ人材が揃っている。中には雲山のパンツを修復するか、同じ物を用意できる者がいるかもしれない。これからすぐに内密に探し回って……」
「うーん、仮にそれで見つかっても、パンツを直せませんかって依頼するのはちょっと気が引けるなぁ……」
村紗は腕を組み、頬に汗を一筋流して言った。
そりゃあ進んでそんなことをやりたがる奇特な輩は普通いない。
「いいことを思いついたわ。みんなで逃げ出して、西の国にナズニーランドを作るの。姐さんはお城に住んでいて、パレードの度に宝船で出てくるの。ハハッ」
「一輪、現実逃避してないで、正気に戻るんだ」
床に尻餅をついて虚空を眺める彼女を、ナズーリンはたしなめる。
「だって、雲山恐いんだもん……」と呟く一輪の姿は、いつもの軽妙さが失われていた。よほど怒った雲山は、この相棒にとってトラウマらしい。
村紗がしゃがみこみ、傷心の尼僧の肩を抱いて慰めつつ、
「いくらなんでも新天地は、聖が許してくれないわよね」
「だろうね。今回の事態について、聖にも話を通しておきたいが……」
「私がどうかしたのですか?」
反射的に、ナズーリンと村紗はそちらを向いた。
噂をすれば何とやら。彼女達の共通の主人である、命蓮寺の住職が廊下に姿を見せたのだ。
いつもの白と黒のドレス姿の聖白蓮は、ウェーブのかかった長い髪を揺らして、こちらに歩いてきた。
これで命蓮寺の住人のうち、四人が揃ったことになる。
「お昼ご飯の相談ですか? 私の希望は……」
「いえ違います。実は、ご主人様がとんでもないミスをしてしまったんですよ」
「ふふ、今度も私の下着を破いたのであれば、気にすることはありませんよ。後一回まで許します」
「今度は聖の下着じゃないんです。雲山のパンツなんです」
それを聞いた直後、聖は素早く瞬きをした。
口元がわななき、それを手で覆い隠し、眉を震わせつつも懸命に表情を保とうとする。
だが結局、
「…………はうっ…………」
突如呼気を漏らして、糸が切れたかのように膝から崩れ落ちてしまった。
「ああっ、聖! なんてこと!」
「やっぱりこうなったか……」
慌てて彼女に駆け寄る村紗と、額に手をやって天を仰ぐナズーリン。
いまだ放心状態の一輪とはまた違ったダメージを受けたらしい聖は、村紗の手を借り、何とか起きあがろうとする。
「だ、大丈夫。少し立ちくらみを起こしただけです。う、雲山も……ぱぱぱ、パンツを穿きますよね」
「無理せず、休んでいてくださいな」
「いえ、なんのこれしき……でも……正直驚きました」
肩で息するその様は、命蓮寺の代表者にしては情けない姿ではあるが、ナズーリンも村紗も彼女に同情的であった。
何しろ純度100%の聖少女にとって、益荒男のパンツのイメージは即効性の猛毒に値するのである。値ったら最強ね。
「聖も一輪も、元気を出して。今は落ち込んでいる時じゃないわ。仲間のために立ち上がらなきゃ」
そう皆を鼓舞するのは、錨を背負ったセーラー服の舟幽霊だった。
ざっぱーんと伸び上がる青い波のイメージを背景に、彼女は腰に片手をあて、勇ましく斜め上に人差し指を向ける。
「人と妖怪から信仰を地道に集めた時だって、魔界に乗り込んで聖を復活させた時だって、厳しい試練だったけど、私達はやり遂げた。皆が力を合わせた結果よ。聖も加わった今、私達は無敵。たとえどんな障害が立ちふさがろうと乗り越えることができる……いえ、乗り越えてみせるわ!」
「いいこと言うじゃないか村紗。さすが聖輦船の船長だ。見直したよ」
「ありがとう、ナズ先生」
「先生?」
「それでは先生、あとはよろしくお願いします」
「……まさか私に全て任せるつもりなのかい?」
先生は呆れて問うものの、船長の方は涼しい笑みを浮かべ、両手を胸の前で回す仕草をして、
「私は舵を切る役。アイディア方面は別の担当に任せるわ。適材適所ってあるじゃない。得意分野を任せ合うことで、船は進むのよ。大体、ナズ先生もアイディアはあるんでしょ?」
「それはそうだが……」
ナズーリンは眉間を指でなぞりつつ、再び考えに沈む。
「……これはなかなかの難題だよ。あのパンツを直すにしろ偽物を用意するにしろ、雲山の目を欺ける確証はないんだから。しかも時間は差し迫っているときている。雲山が業を煮やして部屋から出てくれば、パンツのことをいつまでも誤魔化し続けることはできないだろうし」
「さっき貴方が言ったように、その雲山のパンツを元通りに修復できる人を探せばいいんじゃないの? 急いで能力を使って」
「私の能力の対象は本来探し物であって尋ね人じゃないんだけどね……。いや、もちろん努力はするさ。しかし我が主人の開けた穴は、ネズミが囓った程度ではない。虎の前足を受け止めたかのような大穴だ。容易に元通り補修できる人材が見つかるかどうか」
「あちゃあ、星は力強いもんね」
村紗は同情と諦観が混ざった、微妙な苦笑で相槌を打つ。
件のうっかり者のドジは一生懸命が空回りして発動するのが常なのだが、しかしもし彼女の腕力が十分の一程度であったなら、その内の器物破損の多くが未然に防げたはずであろう。ナズーリンはもちろん、錨を片手で振り回す村紗や超人的な能力者の聖でさえも、彼女に腕相撲では敵わない。可能性があるとすれば雲山だが。
そう。今考えるべきは、その雲山についてである。
パンツにほんのわずかな傷がつけられても大噴火したという入道に対して、下手な仕掛けは施せない。
彼の目を誤魔化すためには、完璧な修繕、あるいは偽装が必要とされているのだ。
――布を用意するのは里でも可能。染料の違いはどうだろう。確か複雑な文字が細かく書かれていたが、あれをすべて写し取るのにどれくらいかかるだろうか。ネズミ達を、パンツの模造品の材料を探す隊と、修繕する人材を捜す隊の二つに分けるべきか、一つの案に集中した方がよいのか。
「うーんと、とにかく、直すにしても代わりの物を作るにしても、時間が必要なのよね?」
「ん……その通り。稼げる時間はあればあるほどいいよ」
「それじゃあ、いい方法があるわ! ぬえを使うのよ!」
村紗が手を鳴らして出した案に、ナズーリンは首を傾げた。
ぬえというのは、この命蓮寺に最近住み着いている地底出身の妖怪のことである。
ご飯をねだるだけねだって、働いたりせずに悪戯ばかりしているひねくれ者であるが、物の正体を分からなくするという特殊な力の持ち主だった。
しかし、
「ぬえにパンツを正体不明にさせる? あれは実態を知る者には効かない能力だったはずだけど」
「違う違う。パンツを正体不明にするんじゃなくて、パンツに化けてもらうのよ」
「つまり、破れる前の、完全な雲山のパンツに?」
「そうそう。あの子変身が得意だし、容易なことじゃバレないって。例えばこんな感じで……」
村紗は嬉々として、自分の思いつきを語り始めた。
◆◇◆
・A案 『封獣ぬえは犠牲になったのだ。雲山のパンツ……。その犠牲にな』
原案:村紗水蜜
(以下再現シーン)
命蓮寺の奥には、修行の間として造られた禅堂が存在する。
広さ二十帖ほどの板敷きの部屋であり、書や絵画等の装飾や仏像の類はなく、明かり取りの窓すら備え付けられていない簡素な広間である。
可能な限りの「色」を取り除いた、殺風景で無音の空間。すなわち、修行者がただひたすらに瞑想に耽るためにある一室だった。
その禅堂の中央で、雲の体を持った入道が一人、座禅を組んでいた。
固く閉じられた双眸に加え、皺の寄った大きな口角が作る表情は極めて厳めしく、鎮座する不動明王にも似た風貌である。
ただし、暗闇の中に潜む彼は、この部屋で瞑想を始めてから数時間、決して動かずにいたわけではない。
例えば数分ごとに、何やら具合がよろしくないように痺れそうもない足をもぞもぞと動かしたりする。
肩を小刻みに揺すって、それからまた首を小さく振って動かぬよう努めたりもする。
時折片目を開けて、襖から漏れる薄明かりに視線を走らせ、強い悲哀を眉間で表現したりする。
要するに、ここに入ってからじっとしていられない状態が続いているのである。
実は彼、寡黙な見越入道の雲山は心配しているのであった。
自らが後生大事にしている宝物が、今どのような状態にあるのかを。
そして、待っているのであった。
その掛け替えのない装飾品が、再びその手に戻ってくる時を。
さてそれから数刻、禅堂にて雲山が悶々と悩んだ末、ようやく廊下を走る音が近づいてきた。
俯いていた顔を上げると、襖が勢いよく開け放たれ、息を弾ませた水兵服の少女が姿を見せる。
「雲山! 星が洗ってたパンツ、干し終わったから持ってきてあげたわよ!」
彼女、村紗水蜜はそう叫んで、雲山の唯一無二の宝物である、巨大パンツを両手で広げて見せた。
『おお、村紗殿かたじけない!』
厳つい顔をほころばせて、雲山は意気揚々とそのパンツを受け取り、腰に着用する。
ああ、十二畳の広間に光が満ちる。
金色に輝く雲山は、禅堂の中央に仁王立ちし、全身でマッスルポーズを取って、パンツ姿の己を披露した。
『我、今、完全体なり! 我がパンツに一片の曇り無し! この肌触り! このフィット感! 抱きしめたいなぁ我がパンツ!」
「あ、大事に穿いてね。あと引っ張ったりしたらトラツグミの声で鳴くかもしれないけど無視してね!」
『トラツグミ!?』
驚いた雲山は、早速自らのパンツを引っ張ってみた。
はたして村紗の言うとおり、横に伸びた青い布地の奥から、何やら「ぐむぅ~」と呻き声にも似た音が流れ出る。
『むぅ。これがトラツグミの鳴き声。そういえば、何やら穿き心地も以前とはわずかに違う様……」
「た、たぶん星が洗ったおかげで、法力がついたんだと思うわ」
『法力!?』
「そうよ! 今日から貴方は、従来の雲山を超えたスーパー雲山となったのよ!」
『スーパー雲山……! 星殿、ありがたや!』
さらに機嫌を良くして、次々とポーズを取り、金色の肉体美を披露する雲山。
トラツグミの声で呻き続けるパンツと共に、彼は禅堂、いや命蓮寺の中心で、いつまでも輝き続けていた。
(めでたし、めでたし)
◆◇◆
「……とまぁこんな感じで、しばらく時間を稼いでもらって、その間にナズーリンが本物を修繕できる人材を捜してくるってこと。どう?」
案を説明し終えた舟幽霊は、得意げな顔で同意を求める。
対するネズミの賢将は、無言で腕組みして聞いていたが、話が終わってから重い重いため息をつき、
「あのね村紗。雲山の思いっきり改変されたキャラクターについてはこの際何も言わないが、問題は鍵となるもう片方の存在だ。短い間とはいえ『入道のパンツになってくれ』と頼んで『はい』とうなずく妖怪がこの世にいると思うかい? 君はどうなんだ」
「……げ、幻想郷を滅亡から救うためにどうしてもっていうなら、善処しないわけではないけど」
「その自己犠牲の精神は素直に立派だと述べておこう。けどあの天の邪鬼のぬえが、命蓮寺のためであろうが世界平和のためであろうが、黙って雲山のパンツ役で数日過ごしてくれるはずがないだろう。残念ながら、その案は却下させてもらう」
とはいえ、術か何かを用いて、力尽くであの悪戯者を犠牲にすることは可能といえば可能ではある。
しかしナズーリンとしても良心が痛む話ではあるし、何より事が明らかになってしまった場合、世間体が問題であった。
「あの寺の住人は、居候の妖怪を無理矢理入道のパンツにして生け贄に捧げたらしい」なんて噂が立てば、仮にこの異変が収まったとしても、命蓮寺が集めた信仰は残らず吹き飛ぶだろう。すでにパンツ一つで非常事態となっている時点で、公に知られたくない話ではあるのだが。
ふくれっ面でナズーリンの査定を聞いていた村紗は、口を尖らせて言い返す。
「じゃあ、他にいい案ってどんなのがあるのよ。時間が足りないんでしょ? 穴を一瞬で塞いだり、絶対に縫い目を見破られない術をかけられる人とかをすぐに捜し出せるの?」
「それも考慮しているところさ。さっきも話した通り、この幻想郷は人材だけは豊富だしね。けど当然口が堅い相手を選ぶ必要があるし、強力な妖怪に頼むなら代価もそれなりに支払う覚悟をしなくてはいけない。何とか上手い抜け道があるといいんだが……」
「ナズーリン、それに村紗」
考えの途中に割り込んできたのは、それまで静観していた聖だった。
何やら彼女にしては珍しい、穏やかならぬ表情である。
「話を聞いていると、貴方達は雲山をどうにかして騙す策を練っているように思えてならないのですが」
「それは目的というより、通過点ではありますが、結果的に騙すことになるのは然りですね。不満なのですか、聖?」
「ええ、私は反対です」
物腰は柔らかいままだったが、彼女ははっきりした声で意見を述べた。
「まず今回の件で、雲山は修羅である前に被害者なのですよ。好意が元であっても不注意が原因であっても、星が雲山の宝物を傷つけてしまったのは明白な事実です。にも関わらず、私達が雲山の目を欺こうと画策するのは、果たして正道といえるでしょうか?」
「しかし聖。知らぬが仏ということわざもある。嘘も方便、見ぬもの清し。時に小さなベールは、世の平穏を保つのに必要だよ」
「それもまた詭弁です。雲山の性格を鑑みても、それが有効な策とは思えません。失敗に終わった時にはさらなる亀裂を生み出してしまうでしょうし、そしてその瞬間を引き起こす危うさは、私達が彼を欺く限り、この先ずっと続くのですよ?」
「………………」
確かにそれは正論といえた。人材集め、偽装工作、アフターケア、それら全てに関わってくる制限時間とリスク。
星があのパンツを破いたという事実を隠すことに決めた場合、根本的な解決へと到るまでに、いくつもの障害が自動的に発生するのだ。
策士としてはやる気のでる話だが、好んで危険に飛び込もうとするのは愚者のやり口である。分の悪い賭けはなるべく避けるべきであった。
とそこで、ナズーリンは聖の発言の思惑に勘づいた。
「つまり聖。貴方は貴方なりに事態を解決する策を思いついたんですね?」
「ええ。私は、星が正直に過ちを犯したことを謝るのが先決だと思います」
「しかし……」
「雲山の怒りの方は私が何とかします。彼に諸行無常の法を説くことによって」
諸行無常。
あらゆる現象と存在は生滅変化を繰り返し、同じ形で続く永遠は存在しない。
仏教概念の中心に位置する法印の一つであり、当然熱心な門徒である雲山も、その説法に心を動かされる可能性はある。
しかし、
「果たして説得できますかね」
「いざとなれば……力尽くでも」
むん、と口元に力をこめ、命蓮寺の隠れた肉体派である住職は、気合いを示した。
◆◇◆
・B案 『雲山、所詮この世はパンツなど、春の夜の夢のごときものなのです』
原案:聖白蓮
(以下再現シーン)
命蓮寺の奥には、修行の間として造られた禅堂が存在する。
広さ二十帖ほどの板敷きの部屋であり、書や絵画等の装飾や仏像の類はなく、明かり取りの窓すら備え付けられていない簡素な広間である。
可能な限りの「色」を取り除いた、殺風景で無音の空間。すなわち、修行者がただひたすらに瞑想に耽るためにある一室だった。
その禅堂の中央で、雲の体を持った入道が一人、座禅を組んでいた。
固く閉じられた双眸に加え、皺の寄った大きな口角が作る表情は極めて厳めしく、鎮座する不動明王にも似た風貌である。
ただし、暗闇の中に潜む彼は、この部屋で瞑想を始めてから数時間、決して動かずにいたわけではない。
例えば数分ごとに、何やら具合がよろしくないように痺れそうもない足をもぞもぞと動かしたりする。
肩を小刻みに揺すって、それからまた首を小さく振って動かぬよう努めたりもする。
時折片目を開けて、襖から漏れる薄明かりに視線を走らせ、強い悲哀を眉間で表現したりする。
要するに、ここに入ってからじっとしていられない状態が続いているのである。
実は彼、寡黙な見越入道の雲山は心配しているのであった。
自らが後生大事にしている宝物が、今どのような状態にあるのかを。
そして、待っているのであった。
その掛け替えのない装飾品が、再びその手に戻ってくる時を。
やがてさらに数刻が経ち、廊下を静かに歩む音が聞こえてきた。
俯いていた顔を上げると、襖が静かに開けられ、夕闇色の髪を長く垂らした僧侶服の女性が姿を見せる。
『聖殿……?』
「座禅のお邪魔をしてすみません雲山。実は貴方が星に洗濯を頼んでいた、その……」
『………………』
「……下帯に類するお召し物が、悲しいことに破れてしまったので……お知らせに」
『……ぬぉおおおおおお!!』
雲山は全身を激しく膨れあがらせ、天井に大穴を開けた。
「ですが、星も悪気があって破いたわけではありません。彼女の謝罪を聞く前に、ほんの一時、私の説法に耳をお貸しくださいな」
『ぐがぁあああああ!!』
雲山は目から光線を発射し、周囲の壁を大きく焼き払った。
「御仏曰く、諸行無常。この世に形ある物全ては、等しく滅びゆく運命にあります。だからこそ尊く、計り知れない価値があるのです」
『ぬふぅううううう!!』
雲山は巨大化した拳骨を振り回し、寺を破壊しながら横断した。
「ですから、過去にとらわれることなく、この出来事を新たな人生の門出ととらえては……」
『むぁああああああ!!』
ついに寺をすっぽり覆うほどのサイズとなった雲山は、天に向かって伸び上がり、戦の始まりを告げる咆哮を轟かせた。
「……くっ! 言って通じないのであれば、拳で伝えるのみ! 南無三ー!!」
説得の限界を悟った聖は、作戦を変更し、超人モードと化して、暴れる雲入道に素手で立ち向かっていった。
遠く離れた場所には、急ごしらえの解説席が用意され、鴉天狗がマイクを握り、横には赤い長髪の妖怪が座る。
「さぁ、いよいよ始まってしまいました! スペシャルシングルマッチ! 怪力無双の入道雲山vs尼さん超人聖白蓮! すでにリングである命蓮寺は無惨にも半壊しており、人間の里の庶民は避難を始めております。天は裂け、地は割れ、現場は嵐のごとき弾幕が飛び交う地獄絵図。両者それぞれの拳を振るいつつ、激しくカンフーファイティング!! 実況は私射命丸文、解説は紅美鈴さんにお越しいただいております。美鈴さん、この闘いの見所はどういった所にあるのでしょうか」
「そうですねぇ、雲山さんの怪力を聖さんがスピードでどう対処して一撃を加えるか。一瞬たりとも目が離せない攻防が予想され……」
「ああっと! 聖白蓮の右ストレート! これは惜しくも外れたか!? しかしその余波により、命蓮寺が完膚無きまでに崩壊……!! あ!? あれは誰でしょう!! 舟幽霊です! 舟幽霊が泣き叫んで、空中で戦闘を続ける二人に向かって何かを訴えております! 愛ゆえに家族の争いに傷ついた彼女は、身を投げ出して魔人達を説得しようというのでしょうか!?」
「船を壊すなぁああああ!!!」
◆◇◆
「あー! だめだめ! 却下よ! この船が壊されるなんて、絶対許せないわ!」
予想される展開が語られている途中で、村紗は勢いよく割って入った。
さっきまで面白半分に案を出していたのに、今は目を血走らせて半狂乱の状態である。
彼女にとっては、雲山のパンツに相当するのがこの建物、聖輦船なので当然の反応かもしれないが。
「ううう、なんてことなの。いつの間にか雲山だけじゃなくて、私の宝物までピンチになってたなんて!」
「それについては同情する。でも村紗。もし被害が命蓮寺の内々だけで済ませられるのであれば、我々はその運命に従うべきだよ」
「絶対に嫌! それならいっそ先手を打って、ひと思いに雲山を……!」
錨を担いで物騒なことを口走る村紗を、ナズーリンは片手で引きとめつつ、
「けれども、聖に説得を任せることもできませんね。何しろ怒り狂った雲山の力は未知数ですし、幻想郷に災厄を引き起こすことになった時点で、我々は失敗しているんですから」
「その通りですね……ふがいない住職ですみません。もし私に御仏の持つ力の一片でもあれば……」
聖はそう言って肩を落とす。
かつて釈尊の説法には、荒くれ者や狂人、言葉の通じぬ獣なども耳を傾けたというが、まだその域に達することができないことを彼女は嘆いているのだろう。しかし、この僧侶の価値はその力ではなく、思想と意志にある。
ナズーリンはそう慰めようとしたが、
「せめて、毘沙門天か闘戦勝仏ほどの力が私にあれば……」
「そっちですか」
呆れてナズーリンは突っ込んだ。
妖怪と人間、それぞれに柔軟に応対できる彼女は、時に強力な肉体言語によって争いを調停してきたのであった。
そこで、「私の船~私の船~」などと壁を切なく撫でていた村紗が、ナズーリンの方に矛を向ける。
「ちょっと頭脳派の先生、貴方もダメだしばっかりしてないで、そろそろいい案出してよ。私の船がピンチなのよ?」
「そうだね。君や聖の意見も十分参考になったし、ここらで私も考えをまとめておくのがいいだろう」
「よっ、待ってました」
彼女に調子よく囃したてられ、小さな賢将は小鼻をこすりつつ、用意した構想を展開し始めた。
「偽装も困難、素直に謝るのも上手くいく保証はない。というわけでここは、『敵を知り、己を知らば、百戦危うからず』という故事に倣いたい。つまり雲山の怒りを鎮める方法を、彼の性格からもう一度考えてみよう。例えば好物でご機嫌を取って、怒気を中和するというのが考えられる」
「なるほど。でも、えーと好きなものっていっても、雲山って何が好きなのかしら。その……例のパンツを除いて」
「はうっ」
「一輪から聞いた限りでは、子供というのも外れてないのかもしれない。裏表の少ない純真で誠実な性質を好むんじゃないかな。あとは私見だが、温泉も好みだったような。他には……」
「……ちゃんこ鍋……」
「……だ、そうだ」
いまだ抜け殻状態の一輪がぼそりと呟いた情報も、ナズーリンはきちんと拾っておいた。
「村紗は何か思い当たることはないかい?」
「えーと、雲山とはあんまり話したことないけど、たぶん霧とか水滴とかが好きなはずよ。っていうか、乾燥しているのが嫌いなんだと思う。元が雲だし」
「なるほど。では、そちらでまた立ちくらみを起こしている聖、どうですか」
「……あ、はい……そうですね、私も彼とはあまり話す機会はないのですが、木魚の音が好きだったような気がします。同じく読経を聞くのも好きなようですが、種類についてはさほどこだわりがないようです」
「結構。となると、これらの情報を統合してみて、最も有効な策は……」
と、ナズーリンの頭に、電球ならぬ穴あきチーズが浮かんだ。
◆◇◆
・C案 『ほう……これはまことに旨そうな饅頭。お主も悪よのうナズ屋』
原案:ナズーリン 編:村紗水蜜
(以下 再現シーン)
命蓮寺の奥には、修行の間として造られた禅堂が存在する。
広さ二十帖ほどの板敷きの部屋であり、書や絵画等の装飾や仏像の類はなく、明かり取りの窓すら備え付けられていない簡素な広間である。
可能な限りの「色」を取り除いた、殺風景で無音の空間。すなわち、修行者がただひたすらに瞑想に耽るためにある一室だった。
その禅堂の中央で、雲の体を持った入道が一人、座禅を組んでいた。
固く閉じられた双眸に加え、皺の寄った大きな口角が作る表情は極めて厳めしく、鎮座する不動明王にも似た風貌である。
彼、寡黙な見越入道の雲山は心配しているのであった。
自らが後生大事にしている宝物が、今どのような状態にあるのかを。
そして、待っているのであった。
その掛け替えのない装飾品が、再びその手に戻ってくる時を。
さてそれから数刻、禅堂にて雲山が悶々と悩んだ後、廊下を軽快に進む二つの足音が近づいてきた。
俯いていた顔を上げると、襖が半分ほど開き、赤い瞳のネズミ少女が姿を見せる。
「やぁ雲山。突然だけど、残念なお知らせがある。君の大事なパンツはご主人様の怪力で、大穴が開いてしまったよ」
『ぬぉおおおおおお!!』
「というわけで、彼女が今から君に謝るらしい」
雲山が怒りを爆発させる前に、ナズーリンは襖をさらに開いた。
その奥に控えて立っていたのは、いつもよりだいぶ小さく……というより幼くなった寅丸星だった。
『ぬっ…………!?』
涙目の彼女を目にした途端、雲山の動きが止まる。
ミニ星はぺこりと頭を下げ、舌っ足らずな声で言った。
「うんざん! ぱんつやぶっちゃったの、ごめんね!」
『なんと可愛い。ならば二割許そう』
相好を崩す入道の体が、若干縮んだ。
「ちゃんとしょーじきにあやまったよ!」
『うむ。潔い態度、見上げたものなり。四割許そう』
「おわびに、ちゃんこなべもつくったの! どうぞめしあがって!」
『むぅ、これはそれがしの大好きなつくねのちゃんこ。おお。この芳しい香り、六割許さざるを得ない』
「たべてるあいだは、おきょーをとなえてあげる! もくぎょもたたくよ! おみずもまいてあげるね! そのあとはおんせんにつかってのんびりしてね!」
『天晴れなり! 十割許してしんぜよう!』
はっはっは、と元のサイズに戻った雲山と、幼い星は仲良く笑う。
襖の影から見守っていた命蓮寺の皆は、仲直りを果たした二人に対し、温かい拍手を送った。
(めでたし、めでたし)
◆◇◆
「こうして、命蓮寺の平和は守られたのでした……ってナズーリン、これのどこが有効な策なのよ」
「私だってうまくいくとは思わないよ。途中で茶々を入れたのは君だ」
ジト目で見下ろしてくる村紗に対し、心外な気持ちでナズーリンもきつい視線を返す。
しかし聖の方は、その案について感心し、真面目に検討しているようであった。
「見込みはあるのではないでしょうか。何といっても雲山は誠意を重んじる妖怪です。ただ謝るのではなく、できる限りの誠意を伝えようとするのは、正しい姿勢だと私は思います」
「さすが聖。いいこと仰いますね」
「こほん、村紗。案を出したのは私だよ」
「わかってるわ。冗談よ。でも私はまだちょっと心配だけど」
「ん? 聞いておこう」
「だって、怒った雲山がどんなものか、みんな知らないもの。どれくらいおっかなくて、どれくらい誠意が必要な相手かわからないわよ。そうでしょ?」
彼女の率直な意見に、ナズーリンも頷いた。
「その通りなんだ。なまじたくさんのご機嫌を取るアイテムを用意しては、逆に誠意が疑われる可能性があるからね。雲山の心に響く、決定的なもてなしがあればいいんだが、それについて知っている可能性のある者といえば……」
「……パンツ」
と、呟いたのは、相談する三者の内の一人ではなかった。
それまで蟹の念仏を続けていた妖怪、突然ゆらりと起きあがった雲居一輪である。
「パンツ……ふふふ。その手があったわね」
「一輪……?」
村紗の問う声が不安げなのは、同僚が心配だからというだけではないだろう。
徳を備えた尼さんに似つかわしくない、黄泉沼のごときドス黒い表情は、ナズーリンにしても見ていて安心できるようなものではなかった。
青いざんばら髪の奥で、彼女は両の眼を明滅させながら、
「雲山は過去に下着を傷つけられた時、敵将の褌を引き裂くことでおさまった。ならば今回もそれにならえば……いいえ、自発的にそれを起こせばいい」
「ま、まさか!?」
「そうよ!」
一輪はまなじりを決して、三人に言い放った。
「雲山の前で、自分のお気に入りのパンツを破くの!」
雲山の前で、自分のお気に入りのパンツを破く。
そのあまりにも奇想天外な発案に、聞いていた女性三名は耳まで燃え盛った。
「そ、そんな破廉恥な!」
「いくらなんでも無茶苦茶だわ!」
「パンツを……殿方の前で……はぅ……」
「ああ!? 聖が今度こそショックで気絶しちゃったじゃない! どうすんのよ一輪!」
「静まれーぃ!!」
怒声が廊下の端まで響き渡る。
人型大梵鐘ともいうべきその迫力に、ナズーリンと村紗は無言で気をつけをし、茹だっていた聖も即座に息を吹き返した。
三者を一喝した一輪は、床に投げていた自分の頭巾をおもむろに拾って、乱れた髪の上にかぶり直し、クールに呟く。
「……命蓮寺、ひいては幻想郷の平和を守るためだと考えれば、これくらいのことで怖じ気づいちゃいられないわ」
「で、でも、それでうまくいかなかったらどうするの!? 意味もなく自分のパンツを破いて船の下敷きになるなんて最期、私は絶対嫌だからね! 溺れ死ぬ方がまだマシよ!」
「そうね……絶対確実とは言えない。けど、雲山との付き合いが一番長い私が、一番自信が持てる方法はこれよ。信じてちょうだい村紗」
一輪は穏やかな口調で、舟幽霊を説き伏せる。
それまでの干物っぷりとはうって変わって、実に堂々とした物言いである。
「それに私達がやる必要はないわ。やらなきゃいけないとすれば、ただ一人」
「まさか……ご主人様に!?」
「そうよナズーリン。今回の騒動の責任者である星が生け贄になればいい。それが、けじめってもんでしょ」
動揺して問うナズーリンに、一輪は冷たく返してくる。
「……確かに、星が謝り、誠意を雲山に見せるのが筋だということに一理はありますが……」
「そうよね。要するにみんな星が原因なんだし。ああ、なんかホッとした」
他の二人、聖は案について一考する姿勢となり、難を逃れた村紗に至ってはすでに賛成の様子である。
残るはただ一人。主人の身を案ずる妖怪ネズミ。
「ま、待ってくれ。百歩譲ってそれが有効な解決策だとしても、リスクが完全に消えたわけではない。もっといい案がないか考えてみよう。だから時間を」
「星を庇おうとしても無駄よ。いい加減巣立ちの時じゃないかしら」
一輪が無造作に放った一言に、ナズーリンは軽く打ちのめされた。
他の二人は怪訝な面持ちだが、尼僧は全てお見通しと言わんばかりに続ける。
「私達が知っているだけでもかなりたくさん、貴方は星の失敗をフォローしてきた。知らないのも含めれば、もっとでしょうね。でも貴方の救済が、彼女の修行の意味を削り、成長する機会を奪っている。そうは考えられない?」
「それは……」
「誤解しないで。星のことは私も気に入ってる。彼女はいい妖怪だし、ここで一番の働き者だし、うっかり具合も端から見る分には可愛いしね。でも、可愛がることと甘やかすことは違うわ。それを教えるのも、一番身近な存在である貴方の役目じゃないかしら」
「わかっているさ。私もきちんと責任を取らせるべき時は、いつもそうしている。しかし今回だけは話が別だ。やはり私は反対させてもらうよ」
「どうして? 理由は?」
「…………」
ここでそれについて答えるべきか否か。ナズーリンがそう逡巡していると、
「待ってください。話は大方理解しました。私からも一言」
涼やかな声が、対峙する二人の間に割って入った。
廊下に現れたその妖怪に、皆が一斉に注目する。
右手には宝塔のかわりに、床まで届くほど大きな青い下着を。
左手には槍のかわりに、黄色と黒が混ざった拳大の塊を。
その他は彼女の正装といってもよい、赤い法衣に白い袖、そして虎柄の腰巻き姿。
背筋を伸ばし、凛然とした表情を浮かべた、その短髪の妖怪はまさしく。
「ご主人様!?」
「星! そ、その右手のが、雲山のパンツ!? でっか!」
「雲山の……はうっ……」
「ああっ! また聖が! 今日何度目なの一体!」
意識を失う僧侶の背中を、舟幽霊が慌てて支える。だがナズーリンは、そちらに構っている余裕がなかった。
議論に夢中で気がつかなかったが、星は離れた場所で自分達の会話を聞いていたらしい。
彼女の優れた耳ならば、確かに可能な芸当である。だがその話の内容を知って、なぜこの場に姿を見せたのか。そもそも、庭で待機していてくれと言いつけておいたはずなのに。雲山と遭遇する可能性を考えれば、彼が立て籠もる命蓮寺の中を歩き回るのは自殺行為に等しいはずなのに。
ナズーリンが答えを見つけるよりも先に、星は口を開く。
しかし、話しかけたその相手は部下ではなかった。
「一輪。この度はご迷惑をおかけしました」
「本当に迷惑だけど、今さらそれを責めても仕方がないわ。私は事態の解決を望むだけ。で、貴方の答えはどうなのかしら」
「これをご覧あれ」
星は雲山のパンツではなく、もう片方の手に持っていた『虎柄の布』を見せつけた。
「これは私が最も大事にしている下着、『ハンシーン』です」
「ハンシーン!?」
「ええ。聖に推薦されて毘沙門天より宝塔と槍を授かる前から身につけていた、妖怪である私と最も付き合いの長い一品です。雲山のパンツにかける想いに、匹敵する自信があります」
「じゃあ!?」
「その通りです……」
彼女は驚く一同の前で、広げていたそのハンシーンを片手に握りこむ。
そして口元を引き結んだ後、張りのある声で宣言した。
「受けます。命蓮寺を守るため、謝罪の意を込めて、見事彼の前でこれを引き裂いてみせます」
◆◇◆
寅丸星の宣言を聞いた一同は、言葉を失っていた。
宝物のパンツを破るという非常識な作戦。その恥辱に耐える勇気を、気弱な彼女が示したこと。今自分達が置かれている不条理な事態。
何から何までが、即座に消化するには突飛なことばかりだったのである。
そんな中、始めに落ち着いて沈黙を破ったのは、一輪だった。
「そう……ちょっと意外だったわね。てっきり私、貴方の説得に手間取ると思ってたから」
「心外ですね。私の覚悟はすでにできてます。今すぐにでも雲山の元に向かう所存ですが?」
「わ、わかったわ。じゃあ、今雲山は奥の禅堂に籠もってるから……」
滑らかな星の返答に、むしろ一輪の方が呑まれている。
ナズーリンはいまだ絶句したまま、事態を見守ることしかできない。
そんな部下に対し、廊下の奥へと向かおうとする主人が、背中を向けた状態で語りかけた。
「ナズーリン。貴方がたった今私を庇おうとした理由、分かっていますよ。親愛だと期待したくもなりますが、そうではないのでしょう」
「………………」
ナズーリンはそれを聞いて、唇を噛んで俯く。
「貴方は私が信じられなかったのですね? 私がこの苦行に耐えてやり遂げる勇気など、持ち合わせていないと思っていた。だから、かわりの策を講じようとしたのでしょう」
「いや、それは……すまない」
「いいんです。確かに貴方には助けられてばかりで、みっともないところばかり見せていますから。今でも私は頼りない不出来な上司かもしれない。けれど」
彼女は振り向いた。いつもの情けない姿からは程遠い、清々しさすら感じられる表情で。
毘沙門天の風格を備えた、一頭の神獣の顔で。
「私だって、やらなければいけない時があることくらい知っている。自分の罪の尻ぬぐいをさせるばかりか、部下を苦況に晒すほど堕ちたつもりはありません」
「ご主人様……」
思わず、ナズーリンは呟いていた。
形式的な呼称ではなく、畏敬の念を余さずこめた、その呼び名を。
「だから見ていてください。私が役目を果たすところを。もしものときは、骨を拾ってくださいね。では……」
それだけ言い残し、星は命蓮寺の奥で待つ入道の元へと結着をつけに向かおうとする。
引き裂かれた青いパンツと、自らのハンシーンを携えて。
だが、その背中に褐色の棒が引っかかり、僅かに彼女はよろめいた。
引きとめたのは、歪な形をしたロッドである。
「ナズーリン?」
「バカだな君は。今さら何を強がっているんだか。足が震えるのを我慢してることくらい、お見通しだ。格好つけるのも大概にした方がいいよ」
「こ、これは武者震いというやつで……」
「……けど、私はもっと大バカだ。いつだって、黙って見捨てて逃げることができたはずなのに、どうしてもそれができない。ずっと前からそれは変わらないけど」
ぴゅう、とナズーリンは短く口笛を吹いた。
その合図に、廊下をちょろちょろと一匹の小ネズミが走ってくる。
灰色の小さな背中には、白いレースのついた薄地の下着を載せていた。
それをつまんで取り上げ、ナズーリンは指にさして回して見せる。
「ご主人様、そして一輪。見てくれ。これが私のお気に入りのパンティー、『シニカルジェリー』だ。私はご主人様とともに、雲山の前でこれを破いてみせよう」
「な、ナズーリン!? ダメです! それは『粗末に扱ったら二度と君の顔を見ることはないだろう』と私にきつく言いつけてあった一品じゃないですか!」
「なに、形ある物はいずれ朽ちる。それがこの世の理だ。しかし私は未熟者でね。絶対に壊したくないものだってあるんだ。大切な主人の決意を聞いて一人で死地に向かわせるほど、薄情にはなれないさ。何も君の勇気を疑っただけで、別の策を講じようとしたわけじゃないんだよ?」
「ナズーリン…………」
互いにパンツを握った状態で、二人は見つめ合う。そこには確かに、偽りならぬ本物の主従愛が存在した。
だが、事態の展開はそこで終わらなかった。
いつの間にか途中で抜けだしていた船長が、ばたばたと走ってくる。
彼女が持っているのは、白地に青いマークがいくつかついた、子供用の下着だった。
「二人の世界に浸っている所悪いけど、私だって覚悟できたわよ! 見て! このイルカさんパンツ! 私が海で死んだ時に穿いてた思い出の品!」
「村紗……!」
続いて、同じく姿を消していた僧侶が戻ってきて、紫色の蝶柄ひもパンツを見せてくる。
「命蓮寺を預かる者として、私が貴方達を放っておけるはずがありません。これは私の三大勝負下着の一つ、魔界蝶の妖香です」
「聖…………」
星とナズーリン、そして村紗は呆然として、彼女に問うた。
「雲山のパンツで卒倒する貴方が、どうして勝負下着なんて持ってるんですか」
「内緒です♪」
命蓮寺の聖人は、茶目っ気たっぷりに舌を出す。
もしや先程までの初心な反応は演技か。一体魔界での数百年の間に、彼女の心境に何が起こったのか。
いずれにせよ、ただの僧侶では有り得ぬ奥深さを秘めた、魔性の存在と言えよう。
最後に皆の注意は、残った一人に集まった。腕組みしてそれぞれの覚悟を聞いていた、雲山の相棒である。
彼女は、はぁ、とため息をついた後、
「……なっ!」
なんと、おもむろにその場で自らのスカートの中に手を入れ、下着を取り出したではないか!
しかも脱ぎたてほやほやのそれは、尼さんに似合わないローレグすれすれの代物。
一輪……大胆な子!
「私はこれかしら。雲山も私まで参加したと知ったら、態度を変えてくれるかもしれないわ」
「私を許してくれるのですか、一輪」
「ふふ。ごめんね星、意地悪なこと言って。冷静に考えて、雲山の始末をつけるのに、相棒の私が参加しない道理はないもの」
一輪は片目をつむって、空いた手で軽く星の胸をノックする。
かくして、それぞれのお気に入りのパンツを片手に、命蓮寺一家の絆はさらに深まったのである。
思えば入道の下着を一枚破るだけで、天変地異にも匹敵するこの騒ぎ。
しかし幻想郷は全てを受け入れるのだ。なんと残酷にして、美しい世界であろう。
「くっくっ。パンツ持って面白そうなことしてるわね。それも聖の教えってやつ?」
互いに円陣を組んでむせび泣く五人の元に、青い発光体が現れ、人の姿へと転じた。
色も形も異なる左右三対の翼を持った、悪魔のような外見のミニスカ少女。近頃この寺に住み着いている居候の妖怪である。
ナズーリンは顔を上げて、目元をぬぐい、
「ぬえか。私達はこれから、世界の行く末を占う戦場へと向かわなくてはならないんだ。今はお互いの士気を高めあっていたところさ」
「知ってるわよ。最初の方聞いてたもの。雲山のパンツ破いたんでしょ? 今こっちに来るわよ」
跳ねた黒髪を指先でいじり、天の邪鬼はいたずらっぽく笑う。
だが彼女から伝えられた情報に、一同は思いっきり血相を変えた。
「今!? 雲山がこっちに向かってるの!?」
「うん、私呼んだから。パンツが破れちゃったことも全部話したわ。そうしたら……」
「な、なんてことしてくれたのよ、このリトルビッチ!」
「作戦が台無しじゃないか! 怒らせて暴れられてからでは遅いんだぞ!」
「船が壊されたらどうすんの! 責任とって、あんたが雲山のパンツになりなさいよ!」
「ぬえ! さすがに此度の罪は許しがたい!」
青ざめて沈黙する星以外の面々、いつもは大人しい四者の激烈な反応に、ぬえは仰天してうろたえる。
「な、なにそんなに怒ってるの? いつもなら笑って許してくれるのに。私のこと嫌いになっちゃったの? うぇーん、ばか! もー知らない!」
「泣いてる暇があったら、さっさと雲山のパンツに化けなさい!」
「嘘泣きも通じないし!? っていうかなんで村紗は、執拗に私にパンツへの転職を勧めてくるわけ!?」
「一か八かの手段だ! それが嫌なら君もパンツを脱いで破る準備をしたまえ!」
「ナズーリンまで! っていうか私パンツ穿かない主義なんだけど!」
「パンツを穿かないですって!? つくづく使えない妖怪ねあんた! 地獄の底まで見損なったわ!」
「よくわからない基準で一輪に酷い評価を下された!?」
「ならば……ぬえ。私の三大下着の最後の一つを貴方に贈呈します。それを穿いて自らの所有物だと証明した後、潔く破りに行きましょう」
「聖が一番意味不明だー!!」
普段はまともな四者の偏執病的な発言に、ぬえはツッコミが追いつかない。
話を聞いた星は、どうしましょうどうしたら、と頭を抱えて右往左往している。
その時だった。
廊下に満ちる空気が急に重たくなった。
妖怪の身であろうと、獣であろうと人であろうと。それこそ廊下の隅に残る塵あくたであろうと戦きたくなるような、濃密な気配が漂い始めた。
「……………………」
その場にいた全員が息を殺す。
薄暗い廊下の奥が、ぽう、と火がついたかのように、薄紅に染まった。
空気が陽炎のように揺らめき、天井から壁、床までいっぱいに広がって、赤い濃霧が徐々に移動していた。
それはまさしく、殺意の波動に目覚めた、雷雲入道。
全身は血に染まったかのように真っ赤であり、うねる体の激しさは火砕流のごとし。両眼にいたっては激しい稲光を放っている。
何よりその妖気が圧倒的だった。津波が溜め込んだエネルギーを一気に発散させようとするように、秘めた力の解放を望む歴戦の戦士がそこにいる。
歩く破壊兵器と化した一個の妖怪に、誰しも言葉を失い、萎縮してしまった。
ただ一人を除いて。
あろうことか、事件を引き起こした張本人である星が、逃げるどころか入道の方に走り出したのだ。
「う、雲山ごめんなさい! 貴方のパンツを誤って破いてしまいました! お詫びのしるしに、私のパンツも破ります!」
「ご主人様! 待つんだ!」
ナズーリンが手を伸ばすが、もう遅い。
彼女の自己犠牲の行為は、爆弾状態の雲山に着火するようなタイミングだ。次の瞬間、命蓮寺が木っ端微塵になる。
怒り狂う雲入道が巨大化し、雷を放ちながら暴れ出すその瞬間に備え、全員が息を吸って身構えた。
しかし、
「あ、あれ……?」
予想された爆発は、全く起こらなかった。
それどころか、廊下に隙間を作らず膨張していた入道は…………掌サイズに姿を縮めてしまったのである。
◆◇◆
星殿、一輪、及び命蓮寺の皆の衆。
まずは此度のことでお騒がせしたこと、お詫び申し上げたい。
ぬえ殿から話を聞き、いたく驚いた。預けた下着が無惨にも大きく裂かれた状態になり、風穴から幻想郷が一望できるほどの派手な破損であったとか。
いくらか誇張が混じるにしても、身を切られるような、あるいは秋刀魚の煙で燻されるような悲しみであったことは確かである。
しかし、それが理由で星殿をはじめとした命蓮寺の者達に乱暴をはたらくことなど、誓ってありえぬことだけは信じていただきたく候。
これもまた、それがしの性格と日常の振る舞いが招いた結果であることは重々承知。
今こそ話さなくてはなるまい。そして誤解を解かねばなるまい。
まずは何から語るべきか。それがしの心情を打ち明けるとしよう。
幻想郷にこの命蓮寺が新たに建立され、活動を始めた途端、里の人間や野良妖怪達に、瞬く間に人気となった。
そのことについては、さほど意外なことでもなかった。むしろ聖殿達の人徳を思えば、さもありなん、と納得したものだ。
それがしを驚かせたのは、寺の外ではなく、内のことであった。数百年、互いに別れて過ごしてきた者達が、確かな信頼で繋がっていたことだ。
一輪は硬派で裏方を好む性格であったが、今は寺の業務を精力的にこなし、聖殿をはじめとした皆の衆と積極的に交流し、柔軟に支援している。
村紗殿は舟幽霊の過去など微塵も感じさせず、寺の畑で命を育て、寺の皆のために収穫をし、時には持ち前の明るさで皆を引っ張っている。
ナズーリン殿は失敬ながらネズミの妖怪であるにも関わらず、洗い物や炊事を日常的にこなしている上に、評判は上々だ。
いずれも互いの信頼にのっとった行為であり、それがなければ有り得ぬ光景である。
正直な話、それがしもその輪の中に入れてもらえるのだろうか、と期待したこともあった。
しかし忘れることにした。
それがしはこの態であり、気が利かぬ上に無骨な入道だ。はぐれ物とされても仕方のない風体だ。
だが、この命蓮寺に仇なす不貞の輩共に対しては、見事一番槍の大役を果たし、聖殿が説く理想を守ることを誓う。
それこそが忠義の証として、その機会が来るまでは慎ましく生きることを心がけてきた。
しかし、そんな自分を諦観から救ってくれた存在がいた。
言うまでもなく、星殿だ。
先日の晩、闇夜に潜むそれがしを恐れず、かつての一輪と同じく、気安く声をかけてくれた。
ましてや、丈夫の下着を洗濯するなどと……。何という罰当たりな身だ、と己を嘆きつつ、星殿の心の温かさに感涙せんばかりであった。
なればこそ、それがしにとっての唯一の装束であり、宝でもあるその下着を預けたのであった。
その布はただの布にあらず。
かつて戦へと躍り込み、積年の風雨に散らされてしまった雲達……真の仲間の名を全て記した、入道の魂ともいえる宝物なのだ。
ゆえに、過去に怨敵に嘲笑され、傷つけられた際には、怒りに我を忘れてしまった。恥ずべき過去であり、若気の至りなり。
二代目となっても、あれが引き裂かれてしまうのは辛い。しかし、心優しい星殿の苦痛はそれを上回るものであったろう。
かつての天狗共ならいざしらず、どうしてそれがしが星殿を責められよう。むしろ辱めを与えたそれがしこそが、真っ先に罰せられるべきなのだ。
かくなる上は、傷もつかない腹を切るかわりに、寺の山門から去り、この地の辺境に隠遁する覚悟。
だがその前に、一つだけ言い残しておきたいことがあった。
その布、よくあらためてはくれぬか。
おおよそ数百年ぶりに、筆をとったのだ。
呆然と、一輪の通訳を聞いていた星は、携えていたハンシーン……ではなく、雲山のパンツをそっと広げてみた。
そこには確かにたくさんの名前が書き記されており、雲居一輪の名も確認できる。
いや、その後、しんがりと思われるその場所にあったのは、新しい名であった。
寅丸星。
その名が、燦然と輝いていた。
「雲山……私の名を?」
『迷惑であれば、破り取ってしまって構わぬ。だが、かつての戦友達も納得してくれるであろう』
小さくなった雲山は、その時だけは一輪を介さず、やはり恥ずかしげに、しかし堂々と気持ちのこもった声で伝えた。
「う、雲山。私の名前も入れてくれないかい? この前温泉を掘り当てて、他の皆に内緒で譲ってあげたことがあったような……」
「わ、私もこの前、空気が乾いていた時に、お水を撒いてあげたよね!」
ここにきて盛んに友情をアピールするのは、話を聞いてうっかり羨ましくなってしまったネズミ妖怪と舟幽霊である。
「ええっと、何だか知らないけど私もお願い!」
と、封獣までどさくさにまぎれて参加。
最後に一家の長である聖が、三人を背後から宥めつつ、真っ直ぐ入道を見据えた。
「雲山。私はとうの昔から、貴方はこの命連寺の一員であると思っていました。しかし、その思いを伝える努力が、これまで足りなかったのかもしれません」
彼女は慎ましくそう告げた後、全てを包み込む笑顔となり、
「今日この日だけは言葉で誓いましょう。しかし明日からはいつも通り、態度で示します。貴方は立派な、命蓮寺の一員、私達の家族です。隠遁生活のことは忘れて、これからも末永く、ここで暮らしてくださいね」
わっ、と歓声を上げて拍手したのは、盛り上げ役の船長である村紗であり、同じく喝采を上げたのは一輪だった。
「雲山、惚れ直したわ!」と飛び付く彼女の反対側で、星も同じく感激してしがみつき、ぬえもそれに加わる。
ナズーリンはやれやれ、と肩をすくめていたが、頬に浮かぶその笑みは、いつもよりもだいぶ温かく、安らいだ雰囲気だった。
場が落ち着く頃合いを見計らって、聖が再び宣言する。
「では星。貴方には、今回の事件を起こした廉で、ふさわしい罰を与えます」
「えっ!?」
「そう驚かないでくださいな。雲山のパンツが破れたままではいけないでしょう。新しいものを作る必要があります。貴方があつらえてはどうですか?」
その提案に驚いたのは星だけではない。場にいた残りの女性陣全員が聖を見つめ、続けて雲山に注目した。
入道はもくもくした指で顎を撫でた後、一輪に何か伝える。
「……『彼女の作なら喜んで穿こう』と雲山は言っているわ!」
その答えに、また場が活気づき、星は跳び上がらんばかりに驚いて、きちんと本人に確かめた。
「ほ、本当ですか雲山!?」
「『男子に二言は無い。約束する』そうよ! 私からもお願いするわ星!」
一輪が歯をみせて笑う横で、入道も微笑んでうなずく。
星は鼻をすすりあげ、溌剌とした声で請け負った。
「わかりました! 引き受けます! 雲山のために、素晴らしいパンツを作りますね!」
「よかった! 船も壊されずに済んだし、これでめでたしめでたし、ってことかしら?」
「どうかな、ちょっと心配だね。ご主人様はうっかりなところがあるから。パンツを織っている最中にまた破かないか見張っていてあげようか」
「だ、大丈夫です! いつまでもナズーリンの心配をさせてはいけませんし。私は今日から、うっかり卒業です! 命蓮寺のみんなの名前を記した、最高のパンツを作ってみせます!」
「ま、その立ち直る元気が無くならないのが、いいところでもあるんだけど」
「同感。ふふっ」
「あはははは!」
七色の笑い声が重なり、いつもの和気藹々とした雰囲気が戻ってくる。
こうして、命蓮寺、幻想郷、彼女達のパンツの平和は守られたのであった。
(めてたし、めでたし)
文々。新聞
怪奇! 闇夜を舞う未確認飛行物体!
この記事を読む貴方はすでに目撃したであろうか。最近、深夜の幻想郷の空に出没する、謎の飛行物体を。
なんと、他の雲の間に隠れるようにして、一塊の浮き雲が巨大なドロワーズと共に遊泳しているのだという。
読者の方々にお断りしておくが、私は決して麻薬の類に手を出しているわけではない。
この噂の火は消えるどころか幻想郷に広まる一方であり、知らぬ間に貴方の寝床の上空をドロワーズが通過していた可能性すらあるのだ。
「一瞬見たけどすぐに逃げてしまった」「雲に顔があった気がした」「指をさして笑った妖精が落雷を受けた」等々、目撃証言は多くとも、その全貌と正体は明らかになっておらず、共通しているのは『(何か文字が書かれた)大きなドロワーズ』が浮かんでいた、ということであった。
私も何とかその足取りを掴もうとしたが、運悪くその雲に遭遇することが叶わないでいる。
ただし、独自の情報網を探ってみたところ、近頃人間の里の側に誕生したある派閥だけが奇妙な証言を残していたので、ここに紹介しておく。
『やはり無理にでも監視しておくべきだったよ……彼女のうっかり具合は、私の想像を遙かに超えていた』妖怪のN氏
『そっちの方が可愛いと思ってたんだって。あ、なんでもないわ。忘れて忘れて。というか忘れさせて』妖怪のM・M氏
『地獄への道は善意で敷き詰められている、と言う者もおりますが、私は見捨てるつもりは一切ありません』魔法使いのB・H氏
『へぇ……大きなドロワーズがね。素晴らしいじゃない。ハハッ』妖怪のI・K氏
『あのさ、私からも聞きたいんだけど、男子に二言は無いってどういう意味なの?』妖怪のN・H氏
なお、私が過去に特集にて取材した、もう二人の証言ももらいたかったのだが、現在謹慎中の身であるらしく、面会は断られてしまった。
おそらく彼女達一派は何らかの実験兵器――例えばドロワーズ型の自動爆撃機の開発に失敗し、二人はその犠牲になったのではないか、との推測が立つ。
この謎に満ちた興味深い事件については、新たな情報が入り次第、追って紙面で紹介していくつもりである。
(おしまい)
でも道具の修繕なら森近の旦那の出番ですよ!
この阿呆め、なんてものを読ませるんだ(褒め言葉)
雲山のパンツでこんな話を展開するなんて……いい話だったのかなー。
>雲井一輪の名も確認できる
一番盛り上がりそうな部分で一輪の名前に誤字が……w
ところどころに入っていた小ネタもいい味を出していたし、展開もすっきり。お見事です。
他の作品が面白かったので読んでみたが、題名通りくだらない内容で時間の無駄だった
胸が熱くなりました
雲山の心意気が素晴らしい、正に漢!
星ちゃん張り切りすぎだよぉ
まさか雲山に女性の可能性を見出す奴がいるとは……。
色々な意味で常識を超えている奴等だ。また会いたいぜ。
やられました。
百点持って行ってくれww
最初から最後まで勢いが止まらずに読めました。
ドロワをつけた雲山に惚れる。
……でもぬえちゃんが化けたパンツだったら?
くんかくんかしたい!
不思議!
ただ、絶対にタイトルで損してると思う、私は木葉梟さんの他の作品を読んでいなかったら確実に避けてましたよw
だって女性ばかりだし
益荒男ぱんつに話題が及ぶたび失神する聖に胸アツ。
こういうネタを思い付いたとしても、これほどおもろくできる人はそういないんじゃないでしょうか。
また雲山が自ら誤解をとく場面で、新鮮な感動を受けました。こんな雲山を見たかったのかもしれない。
夢中で読みました。ありがとうございます。
命蓮寺の絆は不滅です。素晴らしい作品をありがとうございます。