いつも通りの境内、いつも通りの本殿、いつも通りの参拝客……。
毎日が同じように流れ、何の変化も無い。
少し前まで、信仰が無くなって私達は消えてしまうんじゃないかって騒いでいたのが嘘みたいに、
今は何も心配事もないし、本当に平和な毎日が続いている。
……何も心配事が無いって言うのは、ちょっと嘘かな……。
私達が幻想郷へ引っ越してから、もう二年ぐらいが経つ。
こっちへ来てからは、神奈子と一緒に核融合炉を作ったり、
非想天則を作ったりと、まあまあ充実した日々をすごしてきた。
でも、最近やることがめっきり無くなって、何事も無い毎日が続いている。
そろそろ何か始めようかな~……と思うんだけど、特に何も思い浮かばない。
私がそんなことを考えながら本殿に戻ると、珍しく早苗が自室に居た。
いつものこの時間なら、境内で掃除をしているのだけれど……。
「早苗……」
私はそっと、そう呼びかけてみた。
「あっ、諏訪子様!すみません、すぐ掃除に行ってまいります!」
「ああ、いいよ。今日は境内、そんなに散らかってないし……」
私に話しかけられるまで、早苗は一冊のアルバムを眺めていた。
私が話しかけたので、早苗は慌ててそれを仕舞っていた。
「……やっぱり、外の世界に帰りたい?」
早苗は少しだけ間をおいた。
少しだけって言ったけど、私にはちょっと長く感じられた。
「……帰りたくないって言ったら、嘘になりますね」
ようやく、早苗の口から出てきたのはそれだった。
でも、その後に続ける言葉は見つからなかったようだ。
「ごめんね、守矢の巫女として生まれちゃったばっかりに……。
私、神様なのに早苗の事、助けてあげることも出来なくて……」
「い、いえ……そんな!神奈子様と諏訪子様の為ですもの、
むしろ私なんかを同行させて頂いて、感謝しているぐらいですよ!」
早苗は必死に言葉を探している、それは見れば分かる。
普段落ち着いた子だから、いつもならこんな大声で喋ったりはしない。
「無理しなくていいよ。早苗だって本当は、外の世界に残りたいって言ってたじゃない」
「……確かに、最初はそう思っていました。でも私は、あの子の言っていた事は真実だと思うし、そうであってほしいと願っています。
だから、私は幻想郷でその日が来るのを神奈子様と諏訪子様と一緒に待とうって決めたんですから」
あの子……早苗はその名前を言おうとはしなかった。
言ってしまったら、昔のことを思い出してしまうから。
懐かしくなって、寂しくなって……きっと、早苗は耐えられなくなっちゃうから。
だから、早苗はその子の名前を言うまいとしているんだ。
二年前、私達は外の世界に居た。
科学技術の発展と共に、私達神に対する人間の信仰は減っていった。
私達が起こしてきた現象も、人間達は科学を利用することで再現できるようになった。
すべての事象が科学で証明できると人間達は確信した。
それから、神の存在は科学によって否定され、結果今に至った。
これは、私達神々にとって由々しき事態である。
なぜなら、信仰が消えるということは、私達の存在が消えるということだからだ。
そもそも、私達の存在が科学によって否定されているのだから、消え去るのは本当に時間の問題だった。
初め、私達は何とかして人間達の手から科学を奪おうと考えたりもしていた。
でも、早苗に止められた。
何とかして、信仰を集めるから、それだけはやめてくれと。
当然、いきなり科学を失ってしまったら、人間達は混乱してしまう。
それは良く分かっていたし、早苗だって現人神とはいえ人間……当然、その危険性はよく分かっている。
だけれど、早苗一人がどんなにがんばったって、信仰なんて集まる訳なかった。
現人神として、地元の人は早苗のことをある程度信仰してはいたけれど……それはあくまでも早苗の話。
私達に対する信仰ではない。
どうしても信仰が集まらず、ある日神奈子は一つの計画を打ち出してきた。
それが、幻想郷移住計画だった。
それを聞いた早苗は、それはそれは強く反対した。
「お願いです、神奈子様!私、がんばって信仰を集めます!だから、もう少しだけ時間をください!」
「でも、早苗だって、今すごく生活が大変でしょ?向こうへ行けば、もうこんな大変な思いしなくていいのよ。
これは、早苗のためでもあるの……」
神奈子はそういった。
早苗のため……そう、この幻想郷移住計画は、早苗のためでもあった。
早苗を、この世界という檻から解放するため……。
「確かに、決して楽とは言えません……ですが、必死に今まで頑張ってきました!
私は、ここで頑張りたいんです!だから、もう少しだけ時間をください!」
「……悪いけれど、早苗のその言葉はもう信じられないのよ……」
神奈子は早苗の言い分をあっさり切った。
私見を述べるまでも無いけど、かなり冷たい言い方だった。
その一言に、早苗がどれだけ傷ついたかはよく分かる。
でも、こうでも言わなければ、早苗はこっちの世界に残ると言い続けるだろう……。
「こんな言い方はしたくなかったけれど、今の早苗はもう信用できないの」
「一体、どうしてですか?神奈子様……」
神奈子は少しだけ間をおいた。
これから、早苗にとって辛い話をするのだ。当然、神奈子は慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「……早苗は小さいころ、よくテレビを見ていたわよね。その……巨大何とかってやつを……」
「……巨大ロボットのことでしょうか?」
「そう、それそれ。早苗、大好きだったわよね。大きくなったらアレの操縦士になるって、口癖のように言ってて」
「そんなこともありましたね……でも、もう昔のことですよ」
早苗は、ちょっと照れくさそうにそういった。
それとは対照的に、神奈子の顔は強張っていった。
それを早苗も感じて、少し表情が曇った。
「……その巨大ロボットっていうのは、科学の力で出来ているわけよね?」
「そう……ですね……」
早苗もなんとなく、神奈子の言いたいことが分かってきたようだった。
「早苗は既に、科学を信仰し始めちゃっているの。それも小さいころから。
今じゃあ、携帯電話もパソコンだって使いこなせるわけでしょ?」
ちゃぶ台に置かれた早苗の湯のみの横に、一粒、二粒と涙が落ちた。
早苗は声を必死に押し殺していたけれど、それもすぐに我慢できなくなって、すぐにしゃくりあげてしまった。
「ごめんね、きつい言い方だったよね。でも、早苗を責めてるわけじゃないんだよ。だって、早苗は悪くないもの。
早苗も普通の女の子なんだし、テレビを見たり、携帯電話やパソコンを使うのだって、当たり前だもん」
私はそう言って、早苗の背中をさすってあげた。
それでも、早苗はしゃくりあげるばかりだった。
早苗の両手は、スカートの裾をぎゅっと握り締めていて、ブルブルと震わせていた。
さすがに、これ以上この場で早苗に何かを言うのは、酷だと私たちは判断し、この日は解散した。
やっぱり、神奈子もだいぶ参っているようだった。
そりゃそうだ。早苗があんなふうにしゃくりあげたのは、小学校以来のことだもの。
早苗の両親は、早苗が小さいころに、事故でこの世を去ってしまった。
それまでは、早苗のお母さんがこの神社の巫女として、神社を守ってくれたり、早苗に巫女というものを教えたりしていた。
お父さんの方は、お母さんを手伝って神社の掃除をしてくれたり、小さい早苗にいろいろな本を読んで聞かせたりしていた。
早苗のお父さんは綺麗好きで、かなりまめに神社の掃除をしてくれていた。
早苗が今も、毎日のように境内を掃除しているのは、お父さんの影響だった。
いつも使っているほうきも、生前お父さんが使っていたもので、早苗は次々と新しいものを買うのに、その箒だけは絶対に新調しなかった。
それだけ、お父さんのことが好きだったんだと思う。
この神社には、お父さん以外男の人は居なかったから、特別な思い入れがあったのかもしれない。
もちろん、早苗はお母さんのことも好きだった。
早苗が着ている巫女服は、お母さんのお下がりだし、あの蛙と蛇の髪飾りも、元々お母さんのものだった。
あの頃の早苗は、本当に甘えん坊さんだった。
早苗の両親は、それはそれは大切に早苗を育ててた。
その幸せが、突然何の前触れも無く崩れ去ってしまう。
本当に、不運な事故だった。
思い出したくないから、詳細は言わないけれど、とにかく突然のことだった。
早苗は夜通し泣いちゃって……ご飯も少しの間、まともに食べなくなっちゃって。
このままじゃ、早苗も倒れちゃうなんて、当時はすごく慌てたよ。
それよりも、私と神奈子には重大な問題があった。
残された早苗をどうするか?
普通なら、親戚の家へ厄介になるものだけれど、私たちの場合、そうはいかない。
この守矢神社を守ってくれる巫女が、必要だからだ。
そして、守矢神社の巫女になれるのは、残された早苗ただ一人だった。
当時の早苗は、歳で言えば幼稚園児だ。
まあ、ただうちは昔から、子供は小学校に入る前にある程度巫女としての教育を受けるようにしている。
だから、早苗も幼稚園には行かず、神社でひたすら巫女としての勉強をさせられていた。
巫女としての勉強はある程度していたとは言え、両親もおらず、
幼稚園児ぐらいの早苗たった一人に、神社のすべてを押し付けるわけにも行かなかった。
だから、私と神奈子の二人で早苗を育てることにした。
巫女として……一人の娘として。
とりあえず周りの人たちには、とにかく一人で守矢神社に住み続けると早苗が説明した。
その時、私たちの存在は伏せておいてもらった。どうせ、誰も信じないからだ。
世話をしてくれる人が居ないのに、頑なに神社に残ると言い張る早苗は、それはそれは、不思議に見られたことだろう。
でも、早苗がこの神社に残ると主張するので、周りの人も仕方ないと思い、親戚の家に送ることはしなかった。
だけど、昔からうちの神社は少ないなりにも信者は居て、信者達が早苗を心配して、時々差し入れなんかをくれたりした。
公に働いて、お金が稼げない私たちにとって、これはありがたかった。
厳密に言うと、早苗は私の血を引いた子供……だから、私の娘といっても間違いではない。
とはいえ、私たちも神社の巫女と親子として接したことは今まで無かった。
だから、早苗の子育ては本当に苦労が耐えなかった。
本当に、分からないことばっかりで……今まで、何世代もの巫女を見守ってきたけど、
巫女の仕事をしながらお母さんまでやっていた彼女達は、本当にすごかったんだなって、今更思い知らされた。
でも、大変なことばっかりじゃなかった。
なんていうか……ちょっと恥ずかしいけど、早苗は本当に可愛かったんだ。
私たちにもすぐなついてくれてね。
まあ早苗自身甘えん坊だったから、両親が居なくなって、それで誰か他に甘えられる人が欲しかった時期だったっていうのもあると思う。
早苗は、幼いながら飲み込みはよくって、すぐに巫女としてのノウハウは覚えてくれた。
どうやら早苗は、褒められると伸びるタイプみたいだったね。
ただ、早苗が可愛い分、少し寂しいことはあったよ。
早苗は私たちを親として接してくれたけれど、呼び方だけは巫女として、諏訪子様、神奈子様と呼んでいた。
もちろん、そうするようにってお母さんが言ってたからだし、それが巫女として当然なのだけれど……少し寂しかった。
どんなに早苗がなついてくれても、諏訪子様って呼ばれると、私は早苗のお母さんにはなれないんだなって思っちゃう。
それから暫くして、早苗も小学校に通う歳になった。
幼稚園に行っていない早苗にとっては、これがはじめての集団生活ということになる。
親としては、かなり心配だったよ。
でも、油断してたんだね。
早苗は現人神で、地元の人もそういって早苗をあがめる人が何人か居た。
そういう人たちは、先代の巫女のときからあがめてくれていた人たちだ。
とにかく、それで早苗は昔からいろんな人からちやほやされてた。
それで、自分はきっと特別な存在なんだってきっと思ってたことだと思う。
正直言うと……幻想郷で霊夢と会うまで、その節は消えなかったかな……。
言いにくい事だけれど……特に小学校ぐらいだとね、一人ちやほやされてる子が居ると、
その子はいじめられる対象になるんだよ。
いわゆる、嫉妬ってやつかな。子供の世界にも、案外暗い影は存在するものなんだ。
特に早苗は、自分で自分自身が特別だと思っていた。
だから、なおさらいじめの対象になったね。
これが、どこかのお偉いさんの子供だったら話は別だろうけど、
早苗はこじんまりとした神社のこじんまりとした娘でしかなかった。
後、早苗には一子相伝の守矢の秘術ってやつが使えるんだよ。
小学校に入る前、私たちがその力を呼び起こさせてあげたんだけど……それが、また良くなかった。
披露しちゃったんだね、みんなの前でそれを。
それが、気味悪がられたらしいよ、いろんな子から。
普通の人間じゃないとか、悪魔の手先だとか、いろんな罵倒を浴びせられたらしい。
更にいじめはエスカレートして、早苗の両親が居ないことまで話題に上げられた。
中には、東風谷の一族はみんな悪魔で、だから両親は退治されたんだ、良かった良かった。なんていう子まで居たらしい。
いじめられる度に、早苗は家に帰ってきて、私たちに泣きついてきた。
その時の私たちが、どんなに不憫な思いだったか……。
早苗がこの家系に生まれてきてしまったこと……それが原因だとしたら、早苗に罪は無い。
だから、どうしようもなくて、どうすることもしてあげられなくて……本当にもどかしかった。
一応私たちは神様だから、普通の人間とは違う。
だから、いわゆるPTAってやつにも参加できなかったんだよね。
ああいういじめって、案外先生達の見てない影でやられるみたいでさ、
だから学校側も早苗に対するいじめについては、認識してなかった。
そして、私たちもそれを学校側に訴えることは出来なかった。
なおさら、もどかしかったんだよ。
早苗自身も、怖くて先生には相談できなかったみたいだしね……。
こんなときに、自分の子供一人守れなくて、何が神様だって、神奈子に言ったことがある。
あの時はさすがに、神奈子には悪い事したなって思ったよ。
神奈子だって、私と同じように苦しんでたんだ。
私だけがそれに折れて、神奈子に当たっちゃうようじゃ、これ以上早苗のお母さんでは居られないと思った。
でも、嘆いている暇も無かったよ。
とにかく、なんとかしなくちゃと思った。
当の早苗は、もう学校へは行きたくないと泣くばかりだった。
仕方が無いので、先生に訳を話して暫く学校を休ませてもらうように言った。
早苗も、それでようやく先生に相談した。
先生も事態を重く見たようで、暫く早苗は先生の家に預けられることになった。
早苗は両親がおらず、一人で守矢神社に居ることになっているからだ。
先生は、早苗の話を親身になって聞いてくれたらしい。
やはり、私たちと違って先生は多くの子供達と接してきたからだろう、先生のおかげで早苗はかなり立ち直れた。
早苗は、いじめこそあれど、毎日がんばって登校し、一生懸命勉強をした。
そして、学年の中でもトップクラスの成績をとるようになった。
その頃になると、早苗はかなり頭が良くなっていた。それは、学校の成績だけじゃない。
コミュニケーション能力に関しても、次第に変わっていった。
いじめられる経験というのは、決していいものではない。
でも、それによって子供が多くのことを学んでいくのも確かだ。
早苗は、今までの自分のやってきたことを反省し、そして自粛するようになっていった。
それだけではなく、周りの子供達と自分を比較し、何が良くて何がだめなのかを自然と学んでいったらしい。
両親が居ないということも、早苗を成長させた要因の一つだと思う。
早苗は、本当に窮地に立たされていたのだ。
だから、精神的に大きく成長したのだろう。
頭もいいし、付き合いもいい。
そうなってくると、もう誰も早苗をいじめなくなった。
それが、ある意味で早苗が起こしたはじめての奇跡だったと言っても良い。
早苗が小学校中学年になった頃だったかな……クラスメートの女の子がいじめられているのを見たらしい。
早苗は、その子を庇って助けてあげたんだってさ。
早苗はもうその頃になると、学級委員長に推薦されるぐらい、みんなの信頼を集めていた。
だから、早苗がその子を庇ったときも、いじめっ子達は『ヤバイ!』と言わんばかりに逃げていったらしい。
今の守矢神社にこれだけの参拝客が集まるのは、ひとえに早苗のこのコミュニケーション能力の高さにあると言っていい。
学級委員長に推薦されるぐらいの人望の厚さは、今はこういう形で発揮されているといったところだ。
んで、話を戻すと、その女の子は早苗とは対照的で、内気で気の弱い少女だった。
だからこそ、いじめの対象となってしまうのだろう。
絶対に、歯向かっては来ないタイプだから。
後、こういう子は内気だから話すのが苦手だ。
つまり、人付き合いがあんまり上手くないわけだね。それもまた、狙われる理由みたい。
早苗はそれから、その子とよく話をするようになった。
その子には、まあ当然だけど両親が居て、それで昔の早苗のように大切に育てられて、幸せな家庭で暮らしているらしかった。
まあ、だから逆に言えば両親に甘えてばかりで、自分から他の誰かに話すことが出来ない……
つまり、コミュニケーション能力が発達しなかった、それでここまで来たという事のようだった。
あくまでも、早苗がその子の話を聞いて、感じた感想だけれど。
その子は、人付き合いの上手い早苗を羨ましがっていた。
でも、早苗は優しい両親が居るその子が羨ましかった。
因果なものだよね……。
それから、二人は仲良くなって、よく一緒に登下校するぐらいの仲になった。
小学校を卒業した後も、その子とは同じ中学校へ行って、やっぱり毎日のように二人で登下校してた。
でも、その中学を卒業するちょっと前の事だった……。
早苗はその子と一緒に、同じ高校へ行こうなんて言ってて、実際に二人で行く高校なんかも決めて……
それで、うちの神社にその子を呼んだりして、二人で一緒に受験勉強なんかしてたんだよ。
でも、本当にある日ね……その子の両親が、早苗と同じように事故で亡くなっちゃったんだよ。
当然、その子はすごく悲しんだし、早苗もすごく悲しんだ。
私たちだって、悲しかったよ。
その後、その子は親戚の家に引き取られることになってね、遠くへ行っちゃったんだ。
その子はもう受験どころじゃなくてね、まあ当然だけど……早苗は結局、一人で進学することになった。
早苗は高校生になってから、なんだか笑うことが無くなっちゃって……。
とにかく、勉強と巫女の仕事に必死になって打ち込んでいた。
そうやって、気を紛らそうとしてたみたい……。
時が流れるにつれて、科学は進化し、神々への信仰は無くなった。
私たちにとってはそれが死活問題だから、早苗はがんばって巫女の仕事をしてくれたよ。
守矢神社の信仰を取り戻そうと……。
正直……異常なぐらい頑張ってくれた。
信仰を集めるためなら、なんだってするって感じだった。
仕事に打ち込んで、全部過去の事忘れようとしていたんだ。
そうそう……高校へ行くと、当然学費の問題があるじゃない?
さすがにそれは、守矢神社のお賽銭とかじゃ賄えなくてね……だからって、信者の人にお金を援助してもらうわけにも行かないから、
早苗はバイトもやってたんだよ。いろいろなのを……。
勉強に、仕事に、バイト……あの頃の早苗は、本当に忙しそうだった。
でも、弱音は吐かなかった。
自分の弱い所を少しでも誰かに見せたら、終わりだと思ったんだろうね。
それに、早苗はなんだかんだで、自分が現人神であり、特別な人間なんだということを今でも誇りに思っていた。
だから、それで自分に自信があったっていうのも、彼女が頑張れた理由の一つだと思う。
だからね、安易に早苗が自意識過剰だからって、それが決して悪いわけじゃなかったんだよ。
むしろ、そのおかげで当時、私たちの生活は成り立っていたんだから。
信仰が薄れていったこと……それと、今の早苗を激務から解放してあげる事……私と神奈子はずっとそれを考えていた。
そして、行き着いた答えが、幻想郷だった。
そこへ行けば、もう一度信仰を集めることが出来る。
それに、早苗が学費のためにバイトしたり、成績のために勉強したりすることも無くなる。
早苗も楽が出来る……。
でも、早苗はきっと嫌がると思った。
今がこんなにも辛い状況だったとしても、早苗は外の世界に残りたいって言うと思ってた。
そして、案の定早苗は反対した。
だって……幻想郷へ行ってしまったら、早苗はもう二度とあの子と会うことは出来なくなってしまうから。
こっちに居る限り、早苗はいつかあの子と再会できる可能性はある。
だけれど、向こうへ越してしまったら、その可能性すらもゼロになってしまう。
だから、必死になって反対したんだ。
小学校の頃、みんなにいじめられたときみたいに、みすぼらしくしゃくりあげてまで……。
神奈子が幻想郷移住計画を早苗に話した後、当然私も神奈子も早苗が心配になっていた。
すごく嫌な予感がしてね……そっと、早苗の部屋を覗いてみたんだ。
そしたら、早苗大きなかばんの中に荷物を仕舞っていたんだ。
誰が見たって分かるけど……家出するつもりだったみたい……。
「早苗……」
私はそっと、そう呼びかけてみた。
「っ……!諏訪子様……」
早苗は、かばんに仕舞おうと手に持っていたアルバムを強く握り締めたまま、こっちを向いた。
「ごめんね……早苗には、こっちの世界に沢山思い出がある。だから、ここを離れたくないっていうのはすごく分かるよ」
早苗が握り締めていたのは、小中学校の頃、件のあの子と一緒にいろいろなところへ遊びに行って、
その時二人で一緒に撮った写真が、沢山収められている。
早苗はいつも、お父さんとお母さんの写真が入ったアルバムと、このアルバムの二冊を大事に持っていた。
そう……それだけ、外の世界は早苗にとって思い出深い場所だった。
嫌なことがあったとしても、それでも早苗はここが好きなんだ……。
「私は……守矢の巫女として一生懸命頑張ってきました……。
生まれたそのときから、私の人生は決まっていたんです。ここで、巫女として生きるんだって事が……」
早苗の言葉には、怒りと悲しみが溶け込んでいた。
その一言一言が、すごく重く感じられた……。
「私だって、本当は普通の女の子として生きていきたかったです!普通の家系で、普通に勉強して、
普通にお友達を作って、普通に遊んで……普通の仕事がしたかった!
私だって……私だって、巫女がしたくてここに生まれてきたわけじゃないんですよ!」
早苗は床に膝をついた。そして、またしゃくりあげ始めた。
「そういう家系だから……仕方なく、私は巫女として生きてきました……。
それが、お母さんのため……お父さんのため……お二人のためだと思ったから……っ!
なのに……なのに……一生懸命やったのに……信用できないなんて……っ!」
早苗は顔を床にうずめてしまった。
「違うんだよ、早苗。本当は、私も神奈子も、早苗のことすごく信頼してるんだよ」
「それなら、どうして神奈子様はあんなことをおっしゃったんですか!?」
「それは……早苗のため……だよ」
早苗は今までずっと、子供のままだとどこかで思ってた。
あの、甘えん坊だった早苗の記憶が、私の中ではずっと残っている。
それが、今ではいつの間にか大人になっていて……私たちの意見に反対している。
それどころか、私たちに対して怒りまで抱いている。
今、私の目の前に居る早苗は、あの頃の早苗とは違うんだ……。
「私のため……そんなの、嘘です!」
「本当だよ!早苗は巫女の仕事に、学校の勉強に、学費のバイトまでして……こんなこと続けてたらいつか体壊しちゃうよ!」
「そんなの、私の勝手じゃないですか!学校は楽しいし……そのためには、バイトして学費を稼がなきゃいけないし……
それに、お二人のために信仰を集めるのは、お父さんとお母さんの望みです……。
それなのに、ここから去るなんて……私は嫌です!」
「……あの子と会えなくなるから……?」
早苗は少し黙った。でも、すぐに口を開いた。
「……そうです。私はもう一度、あの子に会いたいんです……」
早苗の親友だもの……そりゃあ、二度と会えなくなると思ったら、寂しくなる。
もしかしたら、戻ってくる方法もあるかもしれないが、保障は出来ない。
それに、神社ごと引っ越すのだから、その後昔の知り合いと再会でもしようなら、面倒なことになるのは間違いない。
となれば、引っ越したらまず再会は難しい。
事実上、永遠に別れなければならないのだ。
「このまま、早苗がこんな生活を続けてたら、絶対に体を壊しちゃうって分かってる。
だから、私たちはなんとしてもそれを辞めさせたいの。
それには、幻想郷へ行くしかない。まあ、私たちの信仰を取り戻すって言う目的もあるけれど……」
早苗は俯いたままだ。
「私は長い間、早苗のご先祖様を見てきたよ。本当にいろんな人が居た。
みんな、早苗みたいに一生懸命この神社を守ってくれたよ。
もちろん、中には巫女になりたくないって駄々をこねていた子も居たよ。
でも、最後にはしっかりとこの神社を守ってくれた。
早苗のお母さんもそうだったよ」
「…………………………」
早苗はまだ俯いたままだ。でも、もう泣き止んではいるみたいだった。
「みんなが代々、この神社を代わる代わる守ってきた。
初めは、巫女になりたくないって言った子もね、この神社が今もこうして存在しているのは、
先祖代々、みんなが命のリレーと共にこの神社を守ってきたからなんだって知って、
自分もその端を担いたいって思ったからなんだ」
「……諏訪子様……」
「みんなには感謝してる。神社を守ってきてくれたこと。もちろん、早苗の事だって感謝してるんだよ。
それに、私は代々早苗の先祖を見守ってきたけど、それは本当に見守ってきただけ。
こんな感じに、親子みたいに接したのは早苗が初めてだった。
だから……なんていうのかな……私にとっても神奈子にとっても、早苗は特別なんだ」
早苗はまた泣き始めてしまった。
でも、今度はさっきまでの怒りは感じられなかった。
「諏訪子様……私……」
「ありがとうね、早苗。もう良いんだよ。早苗が苦しむことはもう何も無いよ」
早苗は私の胸の中でただ泣いていた。
気がついてみれば、早苗の身長はもう私より大きくなっていたんだ。
その身長差のせいで、なんだか変な構図にはなってしまったけれど……でも、私はそっと早苗を抱いた。
最後にこうやって早苗を抱いたのは、いつだったかな……なんて思いながら。
大きくなったんだな。早苗は……。
本当に、本当に……。
とりあえず、早苗は落ち着いたけど、まだ幻想郷に行くことをためらっていた。
だから、学校の長期休みを利用して、親戚の家へ行ったあの子の元へ行かせた。
私も、神奈子に神社の事を任せて、早苗についていった。
あの子と再会したら、早苗は余計に幻想郷へ行きたくなくなっちゃうかもしれない。
だから、一応ついていったんだ。
でも、そこでの出来事は意外なものだった。
今でも、私は忘れないよ……。
久しぶりに会ったその子は、かなり雰囲気が変わっていた。
なんていうか……ちょっと、大人びたって言うのかな。
やっぱり、両親が居なくなったのをきっかけに、成長したみたいだった。
早苗はその子と久しぶりに会って、いろいろな話をしていた。
どうやら、彼女は歴史家を目指しているらしい。
早苗が神社の巫女だったから、それで古い日本の事を調べたくなったんだってさ。
それで、早苗は思い切って彼女に聞いてみた。どうやったら、今の日本で信仰を取り戻せるのか?と。
早苗は、まだあきらめていなかった。こっちの世界に残ることを。
こっちの世界で信仰を集められれば、この世界に残ることは出来る。
だから、その方法を知りたかった。
その子は早苗の質問に答えた。その言葉は……本当に忘れられなかった。
「もう、良いんだよ……信仰を集めなくても」
思いもかけない一言に、早苗は困惑していた。
まあ、かく言う私も影で聞いてたけど、やっぱり困惑した。
「一体、どういうことなの……?」
「……私、分かったの。お父さんとお母さんが居なくなってね……独りぼっちになって、ようやく分かったの。
雛はいつか、親鳥の元を離れて巣立っていくものなんだって。
私の場合は、それがあの時事故だったんだって……分かったの」
早苗にも同じ思いがある。だから、すごく意味深な顔をしていた。
「私たちの場合は唐突だったけれど、巣立ちは必ず死別というわけじゃないわ。
親戚のおばさんにも一人、息子さんが居てね、私が来る少し前に高校を出た後、上京して一人暮らしをはじめたらしいの。
その息子さんがおばさんの唯一の家族でね……だんなさんもだいぶ前に病気で亡くしてて……
だから、上京するときすごく寂しかったって言ってた。
でも、子供といつか別れなければいけない、そしてそれを暖かく見送ってあげなきゃいけない……
それが、親の務めなんだって思ったって」
なんだか寂しい感じがした。
私もいつか、早苗と分かれるときが来る……それが何年先か分からないけれど……
でも、そのときは暖かく見送ってあげなきゃならないんだろう。
どんなに寂しくて……辛くても……。
「歴史を調べていってね、一つ思ったことがあるの。
私たち人間を作り、そしてここまで育ててくれたのは神様なんだなって。
だから、神様は私たち人間にとってのお父さんとお母さんなんだよ。
人間は神様と一緒にいろんな歴史を築いてきた。
時には、神様と協力したり、時には、過ちを犯して罰を受けたり……
助けてくれるのも、間違ったときに叱ってくれるのも……神様が私たちの親だからだと思うの」
「それなら、その神様を信仰しないのは親不孝じゃないの」
「そうじゃないの。それは、人間が神様のもとを巣立とうとしているからなのよ。
人間は神様に作られてから、神様の力を借りて生きてきた。
その中で、次第に科学という力を見つけ、研究し、自分達のものにしていった。
そして、あらゆる現象を科学によって人間は自ら操れるようになった。
今まで、神様の力を借りてやっていたことが、自分達で出来るようになったの。
つまりね……人間は大人になったんだよ。だから、これからは巣立ちの時期なの」
彼女は静かに空を見上げた。
早苗もそれにつられて空を見た。
「大人になるって言うことはね、すべての事が自分で出来る代わりにすべての事に自分で責任を負わなきゃならない。
人間は科学を手にした代わりに、いろんな問題を抱え始めたわ。
環境問題なんかが、その典型例かしらね。
でも、そういった問題も自分達の責任で、自分達の力で解決していく……それが大人なの。
神様の力を借りずに……」
早苗は空を見上げたまま黙り込んだ。
「だからね、もう信仰は集めなくていいのよ。人間は、神様から巣立ちをするんですから。
神様だって、自分達が育てた人間達が独り立ちしていくのを暖かく見送る務めがある。
それで、人間はいつかきっと立派な大人になって、親孝行をしに帰ってくるわ。
その日を信じて待ちましょうよ」
彼女の話を聞いてから、早苗は幻想郷へ行くことを誓った。
巣立っていく人間達から、信仰を集めるのは間違っている。
親ならば、それを暖かく見送らなければらない……遠い、幻想の地から……。
気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
「あーうー……すっかり夜になっちゃったね……」
私はさっきまで、早苗と一緒にアルバムを眺めていた。
外の世界には、沢山の思い出があった。
もう……戻ることのできない、あの日の記憶……。
「さて。それじゃあ、そろそろお夕飯の支度をしないといけないですね」
「ああ、私も手伝うよー」
もう、私はどれぐらいの年月を生きてきただろうか……。
早苗の先祖と共に、移り変わっていく日本を私はずっと見てきた。
新たらしいものが増えていく一方で、古いものが一つ、また一つと幻想に流れている。
でも、それが生きていくっていうことなんだと私は思う。
人間達は生きているんだ。だから、こうして大人になっていくんだ。
私はそれを、これから先も、ずーっと見守っていこうとそっと誓った。
毎日が同じように流れ、何の変化も無い。
少し前まで、信仰が無くなって私達は消えてしまうんじゃないかって騒いでいたのが嘘みたいに、
今は何も心配事もないし、本当に平和な毎日が続いている。
……何も心配事が無いって言うのは、ちょっと嘘かな……。
私達が幻想郷へ引っ越してから、もう二年ぐらいが経つ。
こっちへ来てからは、神奈子と一緒に核融合炉を作ったり、
非想天則を作ったりと、まあまあ充実した日々をすごしてきた。
でも、最近やることがめっきり無くなって、何事も無い毎日が続いている。
そろそろ何か始めようかな~……と思うんだけど、特に何も思い浮かばない。
私がそんなことを考えながら本殿に戻ると、珍しく早苗が自室に居た。
いつものこの時間なら、境内で掃除をしているのだけれど……。
「早苗……」
私はそっと、そう呼びかけてみた。
「あっ、諏訪子様!すみません、すぐ掃除に行ってまいります!」
「ああ、いいよ。今日は境内、そんなに散らかってないし……」
私に話しかけられるまで、早苗は一冊のアルバムを眺めていた。
私が話しかけたので、早苗は慌ててそれを仕舞っていた。
「……やっぱり、外の世界に帰りたい?」
早苗は少しだけ間をおいた。
少しだけって言ったけど、私にはちょっと長く感じられた。
「……帰りたくないって言ったら、嘘になりますね」
ようやく、早苗の口から出てきたのはそれだった。
でも、その後に続ける言葉は見つからなかったようだ。
「ごめんね、守矢の巫女として生まれちゃったばっかりに……。
私、神様なのに早苗の事、助けてあげることも出来なくて……」
「い、いえ……そんな!神奈子様と諏訪子様の為ですもの、
むしろ私なんかを同行させて頂いて、感謝しているぐらいですよ!」
早苗は必死に言葉を探している、それは見れば分かる。
普段落ち着いた子だから、いつもならこんな大声で喋ったりはしない。
「無理しなくていいよ。早苗だって本当は、外の世界に残りたいって言ってたじゃない」
「……確かに、最初はそう思っていました。でも私は、あの子の言っていた事は真実だと思うし、そうであってほしいと願っています。
だから、私は幻想郷でその日が来るのを神奈子様と諏訪子様と一緒に待とうって決めたんですから」
あの子……早苗はその名前を言おうとはしなかった。
言ってしまったら、昔のことを思い出してしまうから。
懐かしくなって、寂しくなって……きっと、早苗は耐えられなくなっちゃうから。
だから、早苗はその子の名前を言うまいとしているんだ。
二年前、私達は外の世界に居た。
科学技術の発展と共に、私達神に対する人間の信仰は減っていった。
私達が起こしてきた現象も、人間達は科学を利用することで再現できるようになった。
すべての事象が科学で証明できると人間達は確信した。
それから、神の存在は科学によって否定され、結果今に至った。
これは、私達神々にとって由々しき事態である。
なぜなら、信仰が消えるということは、私達の存在が消えるということだからだ。
そもそも、私達の存在が科学によって否定されているのだから、消え去るのは本当に時間の問題だった。
初め、私達は何とかして人間達の手から科学を奪おうと考えたりもしていた。
でも、早苗に止められた。
何とかして、信仰を集めるから、それだけはやめてくれと。
当然、いきなり科学を失ってしまったら、人間達は混乱してしまう。
それは良く分かっていたし、早苗だって現人神とはいえ人間……当然、その危険性はよく分かっている。
だけれど、早苗一人がどんなにがんばったって、信仰なんて集まる訳なかった。
現人神として、地元の人は早苗のことをある程度信仰してはいたけれど……それはあくまでも早苗の話。
私達に対する信仰ではない。
どうしても信仰が集まらず、ある日神奈子は一つの計画を打ち出してきた。
それが、幻想郷移住計画だった。
それを聞いた早苗は、それはそれは強く反対した。
「お願いです、神奈子様!私、がんばって信仰を集めます!だから、もう少しだけ時間をください!」
「でも、早苗だって、今すごく生活が大変でしょ?向こうへ行けば、もうこんな大変な思いしなくていいのよ。
これは、早苗のためでもあるの……」
神奈子はそういった。
早苗のため……そう、この幻想郷移住計画は、早苗のためでもあった。
早苗を、この世界という檻から解放するため……。
「確かに、決して楽とは言えません……ですが、必死に今まで頑張ってきました!
私は、ここで頑張りたいんです!だから、もう少しだけ時間をください!」
「……悪いけれど、早苗のその言葉はもう信じられないのよ……」
神奈子は早苗の言い分をあっさり切った。
私見を述べるまでも無いけど、かなり冷たい言い方だった。
その一言に、早苗がどれだけ傷ついたかはよく分かる。
でも、こうでも言わなければ、早苗はこっちの世界に残ると言い続けるだろう……。
「こんな言い方はしたくなかったけれど、今の早苗はもう信用できないの」
「一体、どうしてですか?神奈子様……」
神奈子は少しだけ間をおいた。
これから、早苗にとって辛い話をするのだ。当然、神奈子は慎重に言葉を選ぶ必要がある。
「……早苗は小さいころ、よくテレビを見ていたわよね。その……巨大何とかってやつを……」
「……巨大ロボットのことでしょうか?」
「そう、それそれ。早苗、大好きだったわよね。大きくなったらアレの操縦士になるって、口癖のように言ってて」
「そんなこともありましたね……でも、もう昔のことですよ」
早苗は、ちょっと照れくさそうにそういった。
それとは対照的に、神奈子の顔は強張っていった。
それを早苗も感じて、少し表情が曇った。
「……その巨大ロボットっていうのは、科学の力で出来ているわけよね?」
「そう……ですね……」
早苗もなんとなく、神奈子の言いたいことが分かってきたようだった。
「早苗は既に、科学を信仰し始めちゃっているの。それも小さいころから。
今じゃあ、携帯電話もパソコンだって使いこなせるわけでしょ?」
ちゃぶ台に置かれた早苗の湯のみの横に、一粒、二粒と涙が落ちた。
早苗は声を必死に押し殺していたけれど、それもすぐに我慢できなくなって、すぐにしゃくりあげてしまった。
「ごめんね、きつい言い方だったよね。でも、早苗を責めてるわけじゃないんだよ。だって、早苗は悪くないもの。
早苗も普通の女の子なんだし、テレビを見たり、携帯電話やパソコンを使うのだって、当たり前だもん」
私はそう言って、早苗の背中をさすってあげた。
それでも、早苗はしゃくりあげるばかりだった。
早苗の両手は、スカートの裾をぎゅっと握り締めていて、ブルブルと震わせていた。
さすがに、これ以上この場で早苗に何かを言うのは、酷だと私たちは判断し、この日は解散した。
やっぱり、神奈子もだいぶ参っているようだった。
そりゃそうだ。早苗があんなふうにしゃくりあげたのは、小学校以来のことだもの。
早苗の両親は、早苗が小さいころに、事故でこの世を去ってしまった。
それまでは、早苗のお母さんがこの神社の巫女として、神社を守ってくれたり、早苗に巫女というものを教えたりしていた。
お父さんの方は、お母さんを手伝って神社の掃除をしてくれたり、小さい早苗にいろいろな本を読んで聞かせたりしていた。
早苗のお父さんは綺麗好きで、かなりまめに神社の掃除をしてくれていた。
早苗が今も、毎日のように境内を掃除しているのは、お父さんの影響だった。
いつも使っているほうきも、生前お父さんが使っていたもので、早苗は次々と新しいものを買うのに、その箒だけは絶対に新調しなかった。
それだけ、お父さんのことが好きだったんだと思う。
この神社には、お父さん以外男の人は居なかったから、特別な思い入れがあったのかもしれない。
もちろん、早苗はお母さんのことも好きだった。
早苗が着ている巫女服は、お母さんのお下がりだし、あの蛙と蛇の髪飾りも、元々お母さんのものだった。
あの頃の早苗は、本当に甘えん坊さんだった。
早苗の両親は、それはそれは大切に早苗を育ててた。
その幸せが、突然何の前触れも無く崩れ去ってしまう。
本当に、不運な事故だった。
思い出したくないから、詳細は言わないけれど、とにかく突然のことだった。
早苗は夜通し泣いちゃって……ご飯も少しの間、まともに食べなくなっちゃって。
このままじゃ、早苗も倒れちゃうなんて、当時はすごく慌てたよ。
それよりも、私と神奈子には重大な問題があった。
残された早苗をどうするか?
普通なら、親戚の家へ厄介になるものだけれど、私たちの場合、そうはいかない。
この守矢神社を守ってくれる巫女が、必要だからだ。
そして、守矢神社の巫女になれるのは、残された早苗ただ一人だった。
当時の早苗は、歳で言えば幼稚園児だ。
まあ、ただうちは昔から、子供は小学校に入る前にある程度巫女としての教育を受けるようにしている。
だから、早苗も幼稚園には行かず、神社でひたすら巫女としての勉強をさせられていた。
巫女としての勉強はある程度していたとは言え、両親もおらず、
幼稚園児ぐらいの早苗たった一人に、神社のすべてを押し付けるわけにも行かなかった。
だから、私と神奈子の二人で早苗を育てることにした。
巫女として……一人の娘として。
とりあえず周りの人たちには、とにかく一人で守矢神社に住み続けると早苗が説明した。
その時、私たちの存在は伏せておいてもらった。どうせ、誰も信じないからだ。
世話をしてくれる人が居ないのに、頑なに神社に残ると言い張る早苗は、それはそれは、不思議に見られたことだろう。
でも、早苗がこの神社に残ると主張するので、周りの人も仕方ないと思い、親戚の家に送ることはしなかった。
だけど、昔からうちの神社は少ないなりにも信者は居て、信者達が早苗を心配して、時々差し入れなんかをくれたりした。
公に働いて、お金が稼げない私たちにとって、これはありがたかった。
厳密に言うと、早苗は私の血を引いた子供……だから、私の娘といっても間違いではない。
とはいえ、私たちも神社の巫女と親子として接したことは今まで無かった。
だから、早苗の子育ては本当に苦労が耐えなかった。
本当に、分からないことばっかりで……今まで、何世代もの巫女を見守ってきたけど、
巫女の仕事をしながらお母さんまでやっていた彼女達は、本当にすごかったんだなって、今更思い知らされた。
でも、大変なことばっかりじゃなかった。
なんていうか……ちょっと恥ずかしいけど、早苗は本当に可愛かったんだ。
私たちにもすぐなついてくれてね。
まあ早苗自身甘えん坊だったから、両親が居なくなって、それで誰か他に甘えられる人が欲しかった時期だったっていうのもあると思う。
早苗は、幼いながら飲み込みはよくって、すぐに巫女としてのノウハウは覚えてくれた。
どうやら早苗は、褒められると伸びるタイプみたいだったね。
ただ、早苗が可愛い分、少し寂しいことはあったよ。
早苗は私たちを親として接してくれたけれど、呼び方だけは巫女として、諏訪子様、神奈子様と呼んでいた。
もちろん、そうするようにってお母さんが言ってたからだし、それが巫女として当然なのだけれど……少し寂しかった。
どんなに早苗がなついてくれても、諏訪子様って呼ばれると、私は早苗のお母さんにはなれないんだなって思っちゃう。
それから暫くして、早苗も小学校に通う歳になった。
幼稚園に行っていない早苗にとっては、これがはじめての集団生活ということになる。
親としては、かなり心配だったよ。
でも、油断してたんだね。
早苗は現人神で、地元の人もそういって早苗をあがめる人が何人か居た。
そういう人たちは、先代の巫女のときからあがめてくれていた人たちだ。
とにかく、それで早苗は昔からいろんな人からちやほやされてた。
それで、自分はきっと特別な存在なんだってきっと思ってたことだと思う。
正直言うと……幻想郷で霊夢と会うまで、その節は消えなかったかな……。
言いにくい事だけれど……特に小学校ぐらいだとね、一人ちやほやされてる子が居ると、
その子はいじめられる対象になるんだよ。
いわゆる、嫉妬ってやつかな。子供の世界にも、案外暗い影は存在するものなんだ。
特に早苗は、自分で自分自身が特別だと思っていた。
だから、なおさらいじめの対象になったね。
これが、どこかのお偉いさんの子供だったら話は別だろうけど、
早苗はこじんまりとした神社のこじんまりとした娘でしかなかった。
後、早苗には一子相伝の守矢の秘術ってやつが使えるんだよ。
小学校に入る前、私たちがその力を呼び起こさせてあげたんだけど……それが、また良くなかった。
披露しちゃったんだね、みんなの前でそれを。
それが、気味悪がられたらしいよ、いろんな子から。
普通の人間じゃないとか、悪魔の手先だとか、いろんな罵倒を浴びせられたらしい。
更にいじめはエスカレートして、早苗の両親が居ないことまで話題に上げられた。
中には、東風谷の一族はみんな悪魔で、だから両親は退治されたんだ、良かった良かった。なんていう子まで居たらしい。
いじめられる度に、早苗は家に帰ってきて、私たちに泣きついてきた。
その時の私たちが、どんなに不憫な思いだったか……。
早苗がこの家系に生まれてきてしまったこと……それが原因だとしたら、早苗に罪は無い。
だから、どうしようもなくて、どうすることもしてあげられなくて……本当にもどかしかった。
一応私たちは神様だから、普通の人間とは違う。
だから、いわゆるPTAってやつにも参加できなかったんだよね。
ああいういじめって、案外先生達の見てない影でやられるみたいでさ、
だから学校側も早苗に対するいじめについては、認識してなかった。
そして、私たちもそれを学校側に訴えることは出来なかった。
なおさら、もどかしかったんだよ。
早苗自身も、怖くて先生には相談できなかったみたいだしね……。
こんなときに、自分の子供一人守れなくて、何が神様だって、神奈子に言ったことがある。
あの時はさすがに、神奈子には悪い事したなって思ったよ。
神奈子だって、私と同じように苦しんでたんだ。
私だけがそれに折れて、神奈子に当たっちゃうようじゃ、これ以上早苗のお母さんでは居られないと思った。
でも、嘆いている暇も無かったよ。
とにかく、なんとかしなくちゃと思った。
当の早苗は、もう学校へは行きたくないと泣くばかりだった。
仕方が無いので、先生に訳を話して暫く学校を休ませてもらうように言った。
早苗も、それでようやく先生に相談した。
先生も事態を重く見たようで、暫く早苗は先生の家に預けられることになった。
早苗は両親がおらず、一人で守矢神社に居ることになっているからだ。
先生は、早苗の話を親身になって聞いてくれたらしい。
やはり、私たちと違って先生は多くの子供達と接してきたからだろう、先生のおかげで早苗はかなり立ち直れた。
早苗は、いじめこそあれど、毎日がんばって登校し、一生懸命勉強をした。
そして、学年の中でもトップクラスの成績をとるようになった。
その頃になると、早苗はかなり頭が良くなっていた。それは、学校の成績だけじゃない。
コミュニケーション能力に関しても、次第に変わっていった。
いじめられる経験というのは、決していいものではない。
でも、それによって子供が多くのことを学んでいくのも確かだ。
早苗は、今までの自分のやってきたことを反省し、そして自粛するようになっていった。
それだけではなく、周りの子供達と自分を比較し、何が良くて何がだめなのかを自然と学んでいったらしい。
両親が居ないということも、早苗を成長させた要因の一つだと思う。
早苗は、本当に窮地に立たされていたのだ。
だから、精神的に大きく成長したのだろう。
頭もいいし、付き合いもいい。
そうなってくると、もう誰も早苗をいじめなくなった。
それが、ある意味で早苗が起こしたはじめての奇跡だったと言っても良い。
早苗が小学校中学年になった頃だったかな……クラスメートの女の子がいじめられているのを見たらしい。
早苗は、その子を庇って助けてあげたんだってさ。
早苗はもうその頃になると、学級委員長に推薦されるぐらい、みんなの信頼を集めていた。
だから、早苗がその子を庇ったときも、いじめっ子達は『ヤバイ!』と言わんばかりに逃げていったらしい。
今の守矢神社にこれだけの参拝客が集まるのは、ひとえに早苗のこのコミュニケーション能力の高さにあると言っていい。
学級委員長に推薦されるぐらいの人望の厚さは、今はこういう形で発揮されているといったところだ。
んで、話を戻すと、その女の子は早苗とは対照的で、内気で気の弱い少女だった。
だからこそ、いじめの対象となってしまうのだろう。
絶対に、歯向かっては来ないタイプだから。
後、こういう子は内気だから話すのが苦手だ。
つまり、人付き合いがあんまり上手くないわけだね。それもまた、狙われる理由みたい。
早苗はそれから、その子とよく話をするようになった。
その子には、まあ当然だけど両親が居て、それで昔の早苗のように大切に育てられて、幸せな家庭で暮らしているらしかった。
まあ、だから逆に言えば両親に甘えてばかりで、自分から他の誰かに話すことが出来ない……
つまり、コミュニケーション能力が発達しなかった、それでここまで来たという事のようだった。
あくまでも、早苗がその子の話を聞いて、感じた感想だけれど。
その子は、人付き合いの上手い早苗を羨ましがっていた。
でも、早苗は優しい両親が居るその子が羨ましかった。
因果なものだよね……。
それから、二人は仲良くなって、よく一緒に登下校するぐらいの仲になった。
小学校を卒業した後も、その子とは同じ中学校へ行って、やっぱり毎日のように二人で登下校してた。
でも、その中学を卒業するちょっと前の事だった……。
早苗はその子と一緒に、同じ高校へ行こうなんて言ってて、実際に二人で行く高校なんかも決めて……
それで、うちの神社にその子を呼んだりして、二人で一緒に受験勉強なんかしてたんだよ。
でも、本当にある日ね……その子の両親が、早苗と同じように事故で亡くなっちゃったんだよ。
当然、その子はすごく悲しんだし、早苗もすごく悲しんだ。
私たちだって、悲しかったよ。
その後、その子は親戚の家に引き取られることになってね、遠くへ行っちゃったんだ。
その子はもう受験どころじゃなくてね、まあ当然だけど……早苗は結局、一人で進学することになった。
早苗は高校生になってから、なんだか笑うことが無くなっちゃって……。
とにかく、勉強と巫女の仕事に必死になって打ち込んでいた。
そうやって、気を紛らそうとしてたみたい……。
時が流れるにつれて、科学は進化し、神々への信仰は無くなった。
私たちにとってはそれが死活問題だから、早苗はがんばって巫女の仕事をしてくれたよ。
守矢神社の信仰を取り戻そうと……。
正直……異常なぐらい頑張ってくれた。
信仰を集めるためなら、なんだってするって感じだった。
仕事に打ち込んで、全部過去の事忘れようとしていたんだ。
そうそう……高校へ行くと、当然学費の問題があるじゃない?
さすがにそれは、守矢神社のお賽銭とかじゃ賄えなくてね……だからって、信者の人にお金を援助してもらうわけにも行かないから、
早苗はバイトもやってたんだよ。いろいろなのを……。
勉強に、仕事に、バイト……あの頃の早苗は、本当に忙しそうだった。
でも、弱音は吐かなかった。
自分の弱い所を少しでも誰かに見せたら、終わりだと思ったんだろうね。
それに、早苗はなんだかんだで、自分が現人神であり、特別な人間なんだということを今でも誇りに思っていた。
だから、それで自分に自信があったっていうのも、彼女が頑張れた理由の一つだと思う。
だからね、安易に早苗が自意識過剰だからって、それが決して悪いわけじゃなかったんだよ。
むしろ、そのおかげで当時、私たちの生活は成り立っていたんだから。
信仰が薄れていったこと……それと、今の早苗を激務から解放してあげる事……私と神奈子はずっとそれを考えていた。
そして、行き着いた答えが、幻想郷だった。
そこへ行けば、もう一度信仰を集めることが出来る。
それに、早苗が学費のためにバイトしたり、成績のために勉強したりすることも無くなる。
早苗も楽が出来る……。
でも、早苗はきっと嫌がると思った。
今がこんなにも辛い状況だったとしても、早苗は外の世界に残りたいって言うと思ってた。
そして、案の定早苗は反対した。
だって……幻想郷へ行ってしまったら、早苗はもう二度とあの子と会うことは出来なくなってしまうから。
こっちに居る限り、早苗はいつかあの子と再会できる可能性はある。
だけれど、向こうへ越してしまったら、その可能性すらもゼロになってしまう。
だから、必死になって反対したんだ。
小学校の頃、みんなにいじめられたときみたいに、みすぼらしくしゃくりあげてまで……。
神奈子が幻想郷移住計画を早苗に話した後、当然私も神奈子も早苗が心配になっていた。
すごく嫌な予感がしてね……そっと、早苗の部屋を覗いてみたんだ。
そしたら、早苗大きなかばんの中に荷物を仕舞っていたんだ。
誰が見たって分かるけど……家出するつもりだったみたい……。
「早苗……」
私はそっと、そう呼びかけてみた。
「っ……!諏訪子様……」
早苗は、かばんに仕舞おうと手に持っていたアルバムを強く握り締めたまま、こっちを向いた。
「ごめんね……早苗には、こっちの世界に沢山思い出がある。だから、ここを離れたくないっていうのはすごく分かるよ」
早苗が握り締めていたのは、小中学校の頃、件のあの子と一緒にいろいろなところへ遊びに行って、
その時二人で一緒に撮った写真が、沢山収められている。
早苗はいつも、お父さんとお母さんの写真が入ったアルバムと、このアルバムの二冊を大事に持っていた。
そう……それだけ、外の世界は早苗にとって思い出深い場所だった。
嫌なことがあったとしても、それでも早苗はここが好きなんだ……。
「私は……守矢の巫女として一生懸命頑張ってきました……。
生まれたそのときから、私の人生は決まっていたんです。ここで、巫女として生きるんだって事が……」
早苗の言葉には、怒りと悲しみが溶け込んでいた。
その一言一言が、すごく重く感じられた……。
「私だって、本当は普通の女の子として生きていきたかったです!普通の家系で、普通に勉強して、
普通にお友達を作って、普通に遊んで……普通の仕事がしたかった!
私だって……私だって、巫女がしたくてここに生まれてきたわけじゃないんですよ!」
早苗は床に膝をついた。そして、またしゃくりあげ始めた。
「そういう家系だから……仕方なく、私は巫女として生きてきました……。
それが、お母さんのため……お父さんのため……お二人のためだと思ったから……っ!
なのに……なのに……一生懸命やったのに……信用できないなんて……っ!」
早苗は顔を床にうずめてしまった。
「違うんだよ、早苗。本当は、私も神奈子も、早苗のことすごく信頼してるんだよ」
「それなら、どうして神奈子様はあんなことをおっしゃったんですか!?」
「それは……早苗のため……だよ」
早苗は今までずっと、子供のままだとどこかで思ってた。
あの、甘えん坊だった早苗の記憶が、私の中ではずっと残っている。
それが、今ではいつの間にか大人になっていて……私たちの意見に反対している。
それどころか、私たちに対して怒りまで抱いている。
今、私の目の前に居る早苗は、あの頃の早苗とは違うんだ……。
「私のため……そんなの、嘘です!」
「本当だよ!早苗は巫女の仕事に、学校の勉強に、学費のバイトまでして……こんなこと続けてたらいつか体壊しちゃうよ!」
「そんなの、私の勝手じゃないですか!学校は楽しいし……そのためには、バイトして学費を稼がなきゃいけないし……
それに、お二人のために信仰を集めるのは、お父さんとお母さんの望みです……。
それなのに、ここから去るなんて……私は嫌です!」
「……あの子と会えなくなるから……?」
早苗は少し黙った。でも、すぐに口を開いた。
「……そうです。私はもう一度、あの子に会いたいんです……」
早苗の親友だもの……そりゃあ、二度と会えなくなると思ったら、寂しくなる。
もしかしたら、戻ってくる方法もあるかもしれないが、保障は出来ない。
それに、神社ごと引っ越すのだから、その後昔の知り合いと再会でもしようなら、面倒なことになるのは間違いない。
となれば、引っ越したらまず再会は難しい。
事実上、永遠に別れなければならないのだ。
「このまま、早苗がこんな生活を続けてたら、絶対に体を壊しちゃうって分かってる。
だから、私たちはなんとしてもそれを辞めさせたいの。
それには、幻想郷へ行くしかない。まあ、私たちの信仰を取り戻すって言う目的もあるけれど……」
早苗は俯いたままだ。
「私は長い間、早苗のご先祖様を見てきたよ。本当にいろんな人が居た。
みんな、早苗みたいに一生懸命この神社を守ってくれたよ。
もちろん、中には巫女になりたくないって駄々をこねていた子も居たよ。
でも、最後にはしっかりとこの神社を守ってくれた。
早苗のお母さんもそうだったよ」
「…………………………」
早苗はまだ俯いたままだ。でも、もう泣き止んではいるみたいだった。
「みんなが代々、この神社を代わる代わる守ってきた。
初めは、巫女になりたくないって言った子もね、この神社が今もこうして存在しているのは、
先祖代々、みんなが命のリレーと共にこの神社を守ってきたからなんだって知って、
自分もその端を担いたいって思ったからなんだ」
「……諏訪子様……」
「みんなには感謝してる。神社を守ってきてくれたこと。もちろん、早苗の事だって感謝してるんだよ。
それに、私は代々早苗の先祖を見守ってきたけど、それは本当に見守ってきただけ。
こんな感じに、親子みたいに接したのは早苗が初めてだった。
だから……なんていうのかな……私にとっても神奈子にとっても、早苗は特別なんだ」
早苗はまた泣き始めてしまった。
でも、今度はさっきまでの怒りは感じられなかった。
「諏訪子様……私……」
「ありがとうね、早苗。もう良いんだよ。早苗が苦しむことはもう何も無いよ」
早苗は私の胸の中でただ泣いていた。
気がついてみれば、早苗の身長はもう私より大きくなっていたんだ。
その身長差のせいで、なんだか変な構図にはなってしまったけれど……でも、私はそっと早苗を抱いた。
最後にこうやって早苗を抱いたのは、いつだったかな……なんて思いながら。
大きくなったんだな。早苗は……。
本当に、本当に……。
とりあえず、早苗は落ち着いたけど、まだ幻想郷に行くことをためらっていた。
だから、学校の長期休みを利用して、親戚の家へ行ったあの子の元へ行かせた。
私も、神奈子に神社の事を任せて、早苗についていった。
あの子と再会したら、早苗は余計に幻想郷へ行きたくなくなっちゃうかもしれない。
だから、一応ついていったんだ。
でも、そこでの出来事は意外なものだった。
今でも、私は忘れないよ……。
久しぶりに会ったその子は、かなり雰囲気が変わっていた。
なんていうか……ちょっと、大人びたって言うのかな。
やっぱり、両親が居なくなったのをきっかけに、成長したみたいだった。
早苗はその子と久しぶりに会って、いろいろな話をしていた。
どうやら、彼女は歴史家を目指しているらしい。
早苗が神社の巫女だったから、それで古い日本の事を調べたくなったんだってさ。
それで、早苗は思い切って彼女に聞いてみた。どうやったら、今の日本で信仰を取り戻せるのか?と。
早苗は、まだあきらめていなかった。こっちの世界に残ることを。
こっちの世界で信仰を集められれば、この世界に残ることは出来る。
だから、その方法を知りたかった。
その子は早苗の質問に答えた。その言葉は……本当に忘れられなかった。
「もう、良いんだよ……信仰を集めなくても」
思いもかけない一言に、早苗は困惑していた。
まあ、かく言う私も影で聞いてたけど、やっぱり困惑した。
「一体、どういうことなの……?」
「……私、分かったの。お父さんとお母さんが居なくなってね……独りぼっちになって、ようやく分かったの。
雛はいつか、親鳥の元を離れて巣立っていくものなんだって。
私の場合は、それがあの時事故だったんだって……分かったの」
早苗にも同じ思いがある。だから、すごく意味深な顔をしていた。
「私たちの場合は唐突だったけれど、巣立ちは必ず死別というわけじゃないわ。
親戚のおばさんにも一人、息子さんが居てね、私が来る少し前に高校を出た後、上京して一人暮らしをはじめたらしいの。
その息子さんがおばさんの唯一の家族でね……だんなさんもだいぶ前に病気で亡くしてて……
だから、上京するときすごく寂しかったって言ってた。
でも、子供といつか別れなければいけない、そしてそれを暖かく見送ってあげなきゃいけない……
それが、親の務めなんだって思ったって」
なんだか寂しい感じがした。
私もいつか、早苗と分かれるときが来る……それが何年先か分からないけれど……
でも、そのときは暖かく見送ってあげなきゃならないんだろう。
どんなに寂しくて……辛くても……。
「歴史を調べていってね、一つ思ったことがあるの。
私たち人間を作り、そしてここまで育ててくれたのは神様なんだなって。
だから、神様は私たち人間にとってのお父さんとお母さんなんだよ。
人間は神様と一緒にいろんな歴史を築いてきた。
時には、神様と協力したり、時には、過ちを犯して罰を受けたり……
助けてくれるのも、間違ったときに叱ってくれるのも……神様が私たちの親だからだと思うの」
「それなら、その神様を信仰しないのは親不孝じゃないの」
「そうじゃないの。それは、人間が神様のもとを巣立とうとしているからなのよ。
人間は神様に作られてから、神様の力を借りて生きてきた。
その中で、次第に科学という力を見つけ、研究し、自分達のものにしていった。
そして、あらゆる現象を科学によって人間は自ら操れるようになった。
今まで、神様の力を借りてやっていたことが、自分達で出来るようになったの。
つまりね……人間は大人になったんだよ。だから、これからは巣立ちの時期なの」
彼女は静かに空を見上げた。
早苗もそれにつられて空を見た。
「大人になるって言うことはね、すべての事が自分で出来る代わりにすべての事に自分で責任を負わなきゃならない。
人間は科学を手にした代わりに、いろんな問題を抱え始めたわ。
環境問題なんかが、その典型例かしらね。
でも、そういった問題も自分達の責任で、自分達の力で解決していく……それが大人なの。
神様の力を借りずに……」
早苗は空を見上げたまま黙り込んだ。
「だからね、もう信仰は集めなくていいのよ。人間は、神様から巣立ちをするんですから。
神様だって、自分達が育てた人間達が独り立ちしていくのを暖かく見送る務めがある。
それで、人間はいつかきっと立派な大人になって、親孝行をしに帰ってくるわ。
その日を信じて待ちましょうよ」
彼女の話を聞いてから、早苗は幻想郷へ行くことを誓った。
巣立っていく人間達から、信仰を集めるのは間違っている。
親ならば、それを暖かく見送らなければらない……遠い、幻想の地から……。
気がつけば、辺りはすっかり暗くなっていた。
「あーうー……すっかり夜になっちゃったね……」
私はさっきまで、早苗と一緒にアルバムを眺めていた。
外の世界には、沢山の思い出があった。
もう……戻ることのできない、あの日の記憶……。
「さて。それじゃあ、そろそろお夕飯の支度をしないといけないですね」
「ああ、私も手伝うよー」
もう、私はどれぐらいの年月を生きてきただろうか……。
早苗の先祖と共に、移り変わっていく日本を私はずっと見てきた。
新たらしいものが増えていく一方で、古いものが一つ、また一つと幻想に流れている。
でも、それが生きていくっていうことなんだと私は思う。
人間達は生きているんだ。だから、こうして大人になっていくんだ。
私はそれを、これから先も、ずーっと見守っていこうとそっと誓った。
とても素晴らしかったです