Coolier - 新生・東方創想話

人でなしの語る人の道

2011/01/22 23:45:27
最終更新
サイズ
20.48KB
ページ数
1
閲覧数
1542
評価数
9/70
POINT
3750
Rate
10.63

分類タグ

「邪魔するぜ」

夏の短い幻想郷でも、未だ暑さの残る日の事。
普通の魔法使い霧雨魔理沙が訪れたのは、人里も近いある寺だった。

「いらっしゃい、今日は何の御用?」

出迎えたのは山門を掃除していた雲居一輪である。この暑さの中、薄紫の頭巾をきっちりと被り、膝丈に手首まで確りと隠した僧衣であるにも拘らず、背筋を伸ばし悠然と魔理沙に声を掛けた佇まいの中に暑苦しさを感じる事は無かった。

魔法使いの友人の某巫女ならば、首だけでも動かせば良い方で、目線さえ繰れずに出迎える事は間違いない。
方や脇の出た涼しげな装束にも拘らず、どちらが暑苦しいかは言うまでも無い。

魔理沙は帽子を取りながら用件を伝えた。

「聖は居るかい?」
「ええ、御在宅よ。いつもの魔法談義かしら?」
「…………ああ」

霧雨魔理沙は一輪の案内を受け、命蓮寺の山門をくぐった。

「…………たまには寅丸の説法も聞きにいらっしゃい」
「気が向いたらな」




 ■■■■■■■■




境内は良く掃き清められている。庭は勿論の事廊下の隅から鴨居の上まで塵や埃の気配は一切無い。生来の散らかし屋である魔理沙にとってこの静謐な雰囲気が苦手かといえば、案外そうでも無い。
彼女も元は里の大店の娘である。乳母日傘の生まれとしてはこの様な環境こそ慣れ親しんだ雰囲気といえる。
それでも自宅兼職場ともいえる霧雨魔法店があの状態なのは、彼女個人の性分であろう。

この寺の住職、あるいは主人ともいえる聖白蓮は自室に居た。どうやら読書中の様だ。
今日は出掛ける様な予定も無いのだろう、藍染の小袖に麻の単帯と涼しげな部屋着であり、独特の色合いの髪は頭の後ろに飾りの無い簪で纏められていた。実にくつろいだ格好ではあるが前に置かれた文机に披いた書物に目を落とす所作は、書に添えられた指先から、文字を追う目線に掛かる数条のやや癖のある髪、ちらりと見える首筋から腰、腰から床に、すとんと落ちた姿勢と良い、一葉の絵にも見える美しいものだ。

「聖。魔理沙だ、入るぜ」

季節柄、明かり障子は開け放たれていた。廊下から直接聖の姿を見つけた魔理沙は、一声かけて部屋の中に入る。
声に顔を上げた聖は、金髪の魔女の姿を見て柔らかく微笑んだ。

「いらっしゃい魔理沙、今日も暑いのに良く来てくれたわ」

「用があるならたとえ火の中水の中、用が無くても三途の川から地獄の業火、どこへでも飛んでいくのが私、霧雨魔理沙だぜ」

「誠に軽挙妄動である」

聖の歓迎に軽口で答えながら適当な所に座り込もうとした魔理沙に、実に無礼な言葉が掛けられた。
声の方向を見ると、寺に似つかわしくない黒のミニスカートのワンピースに派手な色のハイソックスの少女が、床の間の柱に首を預けだらしなく寝転がっていた。
行儀悪く立てられた膝にもう片方の足を乗せ、足先をだらしなく遊ばせながら、腹の上で何やら複雑奇怪な知恵の輪らしき物を弄りながら目線だけで魔理沙を見た。
無論の事足の付け根辺りは正体不明である。見るな、見るんじゃない。どうなっても知らんぞ!

「やあ、人間。相変わらず電光朝露な人生を謳歌しているかね?」

芝居がかった口調に、口の端を吊り上げながらの挨拶だ。
魔理沙は家主に向き直り、件の少女を指差しながら無表情に口を開く。

「…………折伏して良いか? こいつ」

首を振り、魔理沙の言葉に否定を示しながら聖は同居人を嗜める。

「ぬえ」

しぶしぶといった表情を隠す事無く妖怪の少女は目線を手の中の玩具に戻しながら答えた。

「…………ごめんなさーい」

それからは来客に興味を無くした様に、手遊びに専念していた。


丁度一輪が茶を持ってきたこともあり、魔理沙も転がった妖怪を気にしない事にした。
ぬるめに淹れられた茶を器の半分ほど一気に流し込みながら、魔理沙は聖の手元を覗く。

「…………何を読んでいるんだ?」

聖は手元の書を畳み、魔理沙の方向に表紙を回した。

「ええと…………顕浄土真実行文類二……か?」
「顕浄土真実教行証文類…………教行信証の行巻ね」

「仏教典か…………こっちは?」

魔理沙は文机の脇に積まれた書物の方にも手を伸ばす。聖は答えながら手元の書を脇に纏めた。

「歎異抄。こちらの教行信証を記した親鸞という方の弟子が記した書よ」

「比較分析か、私もよくやるぜ」

聖は書物を片付け終ると、魔理沙に話しかける。

「それで、今日は何の御用かしら? 魔法についてはこの前の話で一段落した筈だけれど、私の話の検証も終わっていないうちからまた来てもらえるとは思わなかったわ」
「おや? 寺ってのはいつでも誰にでも門戸を開いているものじゃないのか」
「あら、それなら星に説法でもやらせましょうか? “あの”幻想郷でも有名な霧雨魔理沙嬢に説法できると言うならば、星も張り切って何時間でも話してくれると思うわ」

「…………勘弁してくれ、こちとら魔法使いだぜ? 仏門に入る気は無いぜ」

魔法とはその名の如く冥府魔道に通じる常人には憚られる禁断の法であり、外道である。真っ当な人生を送る者が関わる様なものではなく、比較的その冥府や魔道に近いとはいえここ幻想郷でもそれは変らない。

が、相手が悪かった。

「あら? 命蓮寺は魔法使いにも妖怪にも門戸を開いておりますのよ? 門主を勤めさせております魔法使い、聖白蓮がいつでも、いくらでもお相手させて頂きますわ」

「…………そうだったな」

魔理沙は気不味げに脇に置いたトレードマークの帽子を指先で弄る。
その様子を見ながら聖はふむ、と暫し考えをめぐらせた。

霧雨魔理沙は魔法使いである。そして人間であり、未だ聖から見れば頑是無い少女である。如何に幻想と怪異に近い幻想郷の人里とはいえそれらに殆ど接する事無く一生を終える人間は多い。その里に生を受け、育った彼女がどうして魔道に堕ちる事になったのか、それを聖が知る訳は無い。
魔道は堕ちるものなのだ、少なくとも人にとってそれは異質で異端なのである。生まれ育ちから魔法に関わる様な魔界の出身や生まれつきの魔法使いではない。真っ当な人間が魔法を使う様になるには何らかの理由が有る筈であり、そしてそれがあまり人聞きの良い理由である事は極めて少ないだろう。
この魔法使いの少女は日頃から強気で乱暴な姿勢を崩す事は無い。しかし付き合いの浅い聖の目からしてもそれが常に彼女が故意に取っているポーズである事に疑いは無い。本質的に霧雨魔理沙はただの人間の少女である、魔術に触れた人の異端ではあるものの。

そして、情欲から仏門に縋りつき、怯えから魔道を志した聖白蓮という人妖に堕ちた化け物は、やはり世俗の情欲からこの異端の少女を救いたくて堪らない。軽口さえ受け答えできぬ態度は、不意の来訪は、何かしらの問題が彼女を苦しめているのだろう、それを解決する手助けを出来る、それをしたくて堪らない。
そしてそれは仏道の衆生済度の精神からではなかった。いやそれも有るのは確かなのだが、それ以上にあるのは同質の仲間意識であり、同じ立場を持った同族意識であり、儚き少女への同情でもある。己の欲望の儘にこの少女を“贔屓”したいのだ。

菩薩の顔を思い浮かべながら微笑む、内面の人妖としての欲望を一切表す事無く。彼女一人守る為ならば人や妖怪の十や二十尽く縊り殺してやろう、己か望みの儘に。
その内面を仏道により律しながらも、棄て去る事が出来ない。それが人妖聖白蓮である。

―――――――――嗚呼、何と罪深い。

そうして微笑みながら言葉を紡ぐ。

「…………何か有った?」
「!」

魔理沙の小さな肩がびくり、と跳ねた。同じ年頃の娘の中でも彼女は華奢な方だ。
落ち着き無く視線を泳がす。目に付いた茶菓子を乱暴に口の中に放り込んだ。それを見ながら聖は言葉を続ける、探る様に。

「そういえば…………うちに良く来る小傘ちゃんって知っている?」
「? ああ、知っているが」
「その子がね、この前泣きながら寺に飛び込んできたのよ。何があったかと思ったら…………あの、博麗の霊夢ちゃんを脅かそうとしたらしくて、こてんぱんにやられちゃったらしくてね…………」
「…………そりゃあ、そいつが悪い。霊夢が妖怪に容赦する訳が無いからな」
「そうよねぇ」

悩みなんてものは人間関係か将来の不安、金銭的問題のどれかだ。適当に辺りをつけてそれを聞き出そうとする。まずは人間関係かと、仲の良い博麗霊夢の話題を出したが、反応は無かった。
その後も世間話の態を装いながら、色々な話題を持ちかけてみた。

「…………それで人里でね……どうしたの?」

反応は一目瞭然だった。彼女が名を馳せた弾幕勝負の時の様な反応を隠す技巧など全く無い、まさに年頃の少女そのままの反応だった。

「…………何か、悩み事かしら?」

出来た大きな隙に、真っ直ぐの一撃を見舞う。
老練の手管に、未熟な少女は諸手を挙げた。
魔理沙はちらり、と部屋の奥を見る。平安の都の帝を苦しめた事もある封獣は、手の中の玩具に散々に苦しめられている様だった。熱中のあまり眉間には皺が寄り、短い腰布ははだける寸前である。布の下は正体不明ったら正体不明。
その様子に聞かれる事は無いと判じたのか魔理沙はぽつり、と口を開いた。

「…………人里にな、昔世話になった人が居るんだが…………」

何十年も生きていない娘が、昔と言う事に内心苦笑しながらも、遮る事無く黙って話を促す聖。

「その人がな……夏風邪を拗らせたらしくて…………ああ、別に命が如何こうという事は無いらしいんだが、な」
「お見舞いにでも?」

「……いや、いいや。…………ちょっと事情があってな、直接会う訳には行かないんだが…………」
「その人が心配なのかしら? お薬でも送ったら?」
「…………ああ、送ったよ。丁度通りがかった丁稚に……ああ、大店の主なんだその人……薬を渡すように頼んだし、永遠亭の薬師にも頼んだらしいから暫くしたら治るのもたいして時間は掛からないだろうし…………」

歯切れの悪い言葉は未だ問題の本質に届いていない証拠だ。どうやら聖の放った弾幕はグレイスされたらしい。
もう一手、反則すれすれの自機狙い高速誘導弾を放つ。

「怖かった? その人が居なくなるのが」

がたん、と何かが鳴った。魔理沙は腰を浮かし気味になりながら、聖を黙ったまま睨み付ける。それは弾幕勝負の時の獲物を睨み付けるような爛々と輝く瞳ではなく、些か怯えの混ざったものであり、年相応の力無き少女のものでしかなかった。
それを気にする事無く、聖は言葉を続ける。

「それとも、自分が居なくなる時を想像した?」

「………………………………」

日頃から真っ当な“人間の魔法使い”を自称する霧雨魔理沙であり、今までは特に種族“魔法使い”になっての擬似不老不死を目指す様な事は無かった。いや、未だ十代後半の年若い娘である。己の将来や死に関して真剣に考える様な年でも無い。
しかし聖白蓮は確信している。人が人である限り、死を逃れる手段が目の前にあってそれを使わない道理は無いと。

魔法はそれを成すのだ。

彼女が自分の後輩になるのを、聖は楽しみにしているのだ。死を厭い、人を捨て、魔人となる日を。
魔人聖白蓮はその口から音を紡ぐ。それは呪でありながら魔法の呪文ではない、人を惑わし、堕とす、魔法の様な呪文。

「…………ちなみに、どんな薬を送ったの?」
「え? ああ……精の付く物でもと思って……………………」

「…………ああ、けどそれはどういう風に精製を?」
「それは…………」
「あと、あれも加えると良いわ」
「……ああ、なるほど。それで…………」




 ■■■■■■■■




夕刻である。冬には雪も深く、秋の早い幻想郷の事、暑さも早々に和らいでいる。

「…………すっかり魔術談義になってしまったぜ」
「そうね、引き止めてしまったみたいで御免なさいね」
「いいさ、こっちも為になった」

そう言って魔理沙は退出の為に愛用の帽子を手に取ると、立ち上がり廊下に向かう障子を開く。
見送りにと、立ち上がりかけた聖に、魔理沙が外を向いたまま話しかけた。

「…………なあ、あんたは何故魔法使いになったんだ?」

その言葉に、聖は内心の笑みを隠して穏やかに答えた。

「最初は、死が怖かったわ。…………弟を失い、自分もいつかは死ぬ、それをどうにかしようと手を出したのが魔法。
けれど、途中からは魔法そのものが面白くなってね、夢中で取り組んでいたらいつの間にか…………目的は気付くと達成していたと言ったところかしら?」

その言葉は真であり、嘘である。
魔法が面白くなったのは否定しない、其れ程に熱心に取り組まなければ人を捨て魔人になる事など出来ない。しかし同時に目的に邁進しなければやはり魔人の階位は手に入れられなかったであろう。
霧雨魔理沙に“魔法使い”としての才能は殆ど無い。しかし種族“魔法使い”に届かないほどの無才でもない。魔法使いとしての能力はたとえ長き寿命を手に入れたとしても頂点を目指せるほどの力は無いだろうが、少なくとも人として魔人を目指すことの出来る程度の才能は充分に保有しているのだ。

「…………いつの間にか、人間でなくなっていたのか?」

「ええ、けどそのお陰で貴女と会う事も出来たし、ここで寺を開く事も出来たわ」

「…………何故、魔法だったんだ?」

死の恐怖から逃れるならば、仏道を邁進する手も有った筈だ。それを成す事こそ仏門の本懐の一つであろう。三昧、三明の先には、聖人として劫の寿命を得る事も不可能ではなかった筈である。
彼女とて徳の高い僧侶であった、本来ならばその道を目指すべきだった、修行をひたすら積むべきだった。
しかし目の前には魔道があったのだ。かつて人であった人間は、それから逃れる事は出来なかった。

「…………魔法だったから、ね」

弾かれた様に魔理沙が振り向く。
聖白蓮は穏やかな笑みを浮かべたまま、魔理沙を見つめていた。
その表情は、冷たい仏像の様であり、妖怪が餌である人を目の前にした時に浮かべる笑みに似ていた。魔理沙にはそう見えた、見えてしまった。

夕暮れの静謐な寺院の境内に、静寂が流れる。それは魔理沙にとって少なくとも穏やかな印象を与える事は無かった。

不意に、蜩の声が響き渡る。夏の終焉を哀しむ様な、慟哭の鳴き声だった。
あるいは、盛者必滅を嘆いた様にも、己の死への恐怖から上げた悲鳴の様にも聞こえた。

「じゃ、邪魔したな」

乱暴に障子を閉じ、見送りを断る様にどたどたと早足で去っていく魔理沙の足音をその場で送り、聖はいつもの様に丁寧な所作で座り直す。
そこに声が掛かる。

「誠に大逆無道である! …………アンタ本当に僧侶かい? 他人を魔道に進ませるたぁ、人の風上にも置けないね」

玩具に飽きた後はその場で居眠りをしていた封獣ぬえが、口端を吊り上げながら聖を眺めていた。

「あら? 私は本当に彼女を救いたいのよ? それの何処が悪道とでも?」

悪びれもせず、聖は平然と嫌らしい笑みのままこちらを向いている妖怪に返す。

「誠に三百代言! な僧侶だねぇ…………アンタが悟りを開くには尽未来際掛かるね」
「あら酷い」

くすくすと笑いながら聖は魔理沙が出て行った方向を見つめた。
そのまま誰に言うとは無しに呟いた。

「…………神でも仏でもなく、人が人を救う。これは悪行であり善行よ」

そう、人妖であり僧侶である聖白蓮は呟いた。


この日から霧雨魔理沙が命蓮寺を訪れる事はぱたりと無くなった。




 ■■■■■■■■




豊穣の秋が終わり、長き冬が訪れ、歳徳神が交代する時期を迎える。
正月も終わった或る日、新年会と称して守矢神社に幻想郷の面々が集う事になっていた。
些か早めに着いてしまった女性が境内に降り立つ。まだ時間が早い事もあり、新年の参賀も引いたその場は閑散としていた。ふと、境内の隅を見ると焚き上げの為だろう、人里から運ばれた注連飾りや門松がひっそりと置かれていた。
それを眺める女性、小野塚小町は独り言を呟く。

「門松は冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし…………か」

門前に置かれた煌びやかな姿と違い、木の陰にその役目を終えひっそりと佇む門松には、意外としっくりと来る歌だった。

「…………何を年明けから縁起の悪い歌詠んでいるんだ…………」

小町は後ろから掛かった声に振り向く。そこには彼女の肩くらいしかない上背の少女が呆れた顔をして、箒を片手に立っていた。
明るい色の金髪が雪化粧した境内に注ぐ日の光を受け、温かそうに輝く。どう見てもサイズの合わない黒い大きな尖がり帽子がふわり、と揺れた。

「何を言う、とんでもなく徳の高い坊さんの詠んだ歌だぞ? 縁起が悪いなんてとんでもない」
「どんな坊さんだ、そいつ」
「…………まあ、親交の有った太夫の歌とも言われるが」
「太夫の知り合いって…………なんだそりゃ」

「ちなみにその太夫の名前は地獄太夫」
「もういい…………私の人生には役に立たない知識だ」

話を切り上げて霧雨魔理沙は宴会場に向かう。基本的に彼女は手伝いもせず宴会の最初から最後まで居るのだ、いつもその調子である。

「…………徒然草にも載っている歌なんだがなぁ…………」
「知らないぜ」

ちなみに小野塚小町も宴会の出席率は高く無いが、来ると帰るまで梃子でも動かず、飲み食いするばかりである。
二人を出迎えた早苗も心得たもので、宴会の準備の邪魔にならない様に、直ぐに二人分の酒と肴を部屋の隅に用意した。


三々五々と人が集り、日が暮れる頃には宴会場の中は冬とも思えぬ熱気と喧騒に包まれていた。部屋の隅には小野塚小町が一人でゆっくりと盃を傾けていた。魔理沙は人が来訪する度に酒瓶を持って飛び出して行き、宴もたけなわの頃にはここに戻っても来ない。
小町が宴会中動かない事は周知の事実であり、彼女に声を掛ける連中は須らく彼女の元に移動してきていた。
それも一段落した処だったが、静かに飲んでいた小町に声を掛ける人物が居た。

「こんばんは」
「…………聖さんかい、久方ぶりかね?」

彼女に声を掛けたのは、この幻想郷では新顔の方だろう。命蓮寺門主、聖白蓮だった。
彼女が人里近くに寺を建立する事になった際、仏門の関係として閻魔との仲立ちを勤めたのが小町だった。その後もちょくちょく小町が人里に現れる事もあり、聖が中有の道を訪れる事もあるので、二人はそれなりの顔見知りだった。

「ですね…………あ、どうぞこちらを」
「おお、すまないねぇ…………おとと」

聖の手の銚子から酒を注がれ、有り難く頂いた小町は、すかさず返杯をした。
酌み交わした二人は、聖の持って来た肴を摘みながら暫し無言で宴席を眺める。

宴の中心には現在比那名居天子が陣取っていた。今は紅魔館の門番である紅美鈴との呑み比べの最中である、鬼が使う様な大杯に並々と注がれた酒を、洩屋諏訪子の合図で一気に飲み干す。未だ余裕のある美鈴とは対象的に天子の顔はかなり赤く、目も据わっている。
それも当然であろう。二人の足元には既に魂魄妖夢、鈴仙・優曇華院・イナバが転がっていた。意外と二人が善戦したのだろう、とても美鈴の後ろに体操しながら控えている村紗水蜜にまで順番が回ってくるとは思えない。

その様子を苦笑しながらも摘みにと眺めていた小町は、ふと隣の聖を見る。
彼女はその饗宴を眺める事無く、ある一点を見つめて視線を動かさなかった。その視線の先を何気無しに追った小町に見えたのは、河城にとりと肩を組みながら酒瓶をラッパで飲みつつ大口を開けて笑い合う霧雨魔理沙だった。

「…………魔理沙かい?」

酒のアテとしては良い塩梅の話題だろう、隣に座る女性に小町は水を向けてみる。
白黒の魔法使い、霧雨魔理沙を知らない者はこの宴席に一人も居ない。人の身でありながら人外の化生の向こうを張って一歩も引かない胆力と、弾幕を交えて互する実力から、そして人でありながらも決してこちらを排する事無く付き合える人柄と良い、この場に集う化物全てが彼女に好意を持って接していた。

「本当に……彼女は皆に好かれているのねぇ」
「まあ、そうだろうね。あんな人間はそう居るもんじゃ無い」

良い肴に、上機嫌で酒を口に運ぼうとした小町だったが、次の聖の言葉に盃を思わず止めた。

「彼女が居なくなったら、皆どうするのかしら?」

小町はしげしげと聖白蓮の横顔を眺めた。人間同士ならば眉を顰める様な話題だったが、そこは小町も人外の存在である。
盃を空け、死神は気軽に話しに乗った。

「当然暫くしたら居なくなるさ、あれは人間だからね。そしたら思い出話を肴に呑むとしようじゃないか」
「あら? それじゃ彼女が居なくなっても気にしない、と?」

こちらに視線を向けた聖に、小町は笑いながら返す。

「親死に、子死に、孫死に」
「宗純禅師が送った祝辞ね?」
「人はうつろうものさ、だからこそ人だ」
「その結果、うつろわぬ者になっても?」

小町は堪らず破顔した。そうして元人間の僧侶に向かって銚子を差し出す。
やっと彼女の意図を理解した。

「そもさん、霧雨魔理沙とは何ぞや?」

酒を受けながら、聖はにこりと微笑む。そして説破した。
魔人であり仏門に籍を置くそれは、黙ったまま視線を向けた。

そこには、にとりの口に酒瓶を押し付けようとして抵抗されている“普通の魔法使い”が居た。

「見事!」

小町は呵々と笑う。
互いの盃は暫し渇く事が無かった。


「しかし…………あれは“魔法使い”になるのかい?」
「なれる才は有るわ」
「惜しいねぇ…………あの子を船に乗せる時を楽しみにしていたのに…………多分抱えきれない程の銭を持っているか、若しくは無一文だろうね」
「あら、良い子よ彼女。良く迷っているわ」
「それは良き人だ…………さて白蓮阿闍梨、あの者は何を迷っておいでで?」

彼女が肴に持って来た菜漬けを口に放り込み、酒を煽る。

「…………般若湯を頂いている場の事は、口外無用よ?」
「応とも、すっかり忘れるさ」

そうして二人は額を近付けた。

「人里の事には詳しいかしら?」
「まあ、多少は」
「去年の夏の終わり、風邪を拗らせた大店の主って誰か分かるかしら?」
「ん…………ああ、霧雨の所の旦那か?」

人里の名士である、狭い里の中話題に上る事は少なく無い。

「霧雨…………?」
「ああ、そうか、あの子の親だ。子供の方から勘当状態にある、人の口には上らないが有名な話だ」
「そう、成る程…………」
「おや、なんだい何か分かったのかい?」
「ええ」

そう言って聖はその頃命蓮寺であった事を小町に話した、小町は苦笑するしかない。

「とんだ阿闍梨も居たものだ…………で、それからあれが魔法の事を聞きに来る事が無くなった、と?」
「それはもう、ぱたりと」

二人の目線の先には、にとりに首投げで沈められた魔理沙がアリス・マーガトロイドに介抱されていた。

「…………魔道は人の歩むべき道では無いわ」
「そうかい」
「人は、人である限り、人として生き、人として逝くべきよ」
「仏門としては、当然の話だな」

小町は銚子を手酌で傾けるが、中身は既に二人の腹の中だったらしい。

「あれは…………あの子は人として、魔道を捨てるかい? 人として親の後に、子の前に死ぬかい?」
「それの出来ぬ人は、余りにも多いわ…………弟の前に死ねなかった私の様に」

行儀悪く銚子を啜っていた死神、小野塚小町はそれでも機嫌良く酔いに任せる。

「六道は迷いと艱難辛苦に満ちている、この世もあの世も人が人である事は難しいのかもしれないねぇ」
「彼女が魔法を捨て去り人の道を歩むならそれは人として目出度き事、己を律した立派な人間として祝いましょう。そして魔道に堕ちればそれは魔法使いとして目出度き事、同族として同胞の誕生を祝いましょう」
「罪深い、大いに罪深い」

謡うように、謳うように、死神は笑う。
楽しむように、哀しむように、魔人は笑う。

「あら、私も罪深き人間だったわ、昔は」

小町は空の盃を掲げた。

「年の初めだ、先の話をしよう、人のなりをしているものとして。
あの人間が死んでしまったら祝杯を挙げるとしよう。
あの人間が生き続けたら祝杯を挙げるとしよう。
先が楽しみとは、なんとも人間らしいじゃないか!」

そうしてうつろわぬ者達は、切れた酒を持ってくる事もせず、空の盃で乾杯した。












そんな二人の横を離れる影がある。宵の些か回った二人がそれに気付く事は無かった。
影は宴会場を抜け、冷たい風の吹く守矢神社の外に出る。
影は楽しげに右に左に揺れながら、神社の屋根にふわりと飛んだ。そうして二人の話の最中に隙を見て盗んだ銚子の中身を美味そうに煽った。

……………………わかっちゃいるけどやめられない……………………

人里に忍び込んだ時に聞き覚えた歌を口ずさみながら、封獣ぬえは人では我慢出来ない様な寒空の中、独り占めした宵の月に向かって、酒の入ったコップを高く掲げた。

「誠に悪人正機である! 今の人でなしと先の人でなし全てに乾杯!」






御機嫌に胡坐を掻いた彼女のおみ足の付け根は、やはり正体不明である。
それを知りたくば、冥府魔道に堕ちる事を覚悟せよ。それも人の歩む道である。


とっぴんぱらりのぷう
迷いの一切無い人間が居るとすれば、それは既に人でなしではなかろうか。




二作目で御座います。

魔理沙さんの悩みは解決しておりません。
悩みが一発で解決するのはお話の中だけです。
すいません、お話でした……………………。
今回のお話は、去年の9月頃思いついたままほおっておいたお話です。今頃形にしてしまいました。里に流行っている歌はたぶん外来人が持ち込んだものでしょう、歌詞を書く訳にはいかないですが、大好きな歌です。
全ての人間が法と道徳を守り生きていけたなら、それはとても平和で、とても退屈な世界でしょう。艱難辛苦の一切無い世界など、人の身では想像も出来ません。それを望みながら、そこに行く事は決して出来ない、それが人間という奴なのでしょう。少なくとも世の賢人はそう言っているようです。


作中の宗教的用語は出来うる限り誤用の無いように心がけてはおりますが、何せこちとら葬式以外仏の世話になる事が無い名前だけの浄土真宗の門徒です、もし間違っておりましたら優しくお教え頂ければ、その方の幸せを祈ります。
そして作中ではあえてあらゆる仏門宗派の話題を混ぜ込んでおり、特定の宗派を信仰していると断言しておりません。本編で聖白蓮が信仰する宗派が言及されていない事もあり、あえてぼかしておいた方が問題ないと考えたからです。
(彼女への尊称はモチーフになった方の宗派を採用しておりますが)
まあ、封印されていた時期を取り戻す為にあらゆる宗派の事を勉強し直していると思って下さい。小野塚小町の方も同様に、世界の法則として事実地獄が存在する世界ですので、仏道全てを網羅している存在としました。
あらゆる宗教、信仰に対して筆者は何ら含む所は無い事を宣言しておきます。



お気楽極楽なスーダラ過ごす人生を目指したいものです。
へいすけ
http://
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.2860簡易評価
13.100名前が無い程度の能刀削除
"民衆の仏教"になる前の、朝廷公認魔法使いっぽいころの僧侶はこんな感じだったのかな?
聖さんの昏さというか欲の部分が興味深く、楽しめました。

それにしても、彼女のおみ足の付け根が気になって仕方ない…
14.100oblivion削除
可愛がられてますねえ魔理沙は。
よく迷っている、ですか。なるほどそれが所以なのかもしれません。
17.100名前が無い程度の能力削除
話が高尚すぎて気の利いたコメができないが、とりあえず一言

白蓮さん、マジ外道w
19.100名前が無い程度の能力削除
人の身で魔道に堕ちるは罪か否か。魔理沙はどっちを選ぶんでしょうね。
お、おみ足の付け根で迷っているわけではないですよ?
24.100名前が無い程度の能力削除
とにかく百点入れたかったんです
28.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
29.100名前が無い程度の能力削除
白蓮も小町も良いキャラしてますね。
生きても死んでも祝う、何からしいなと思いました。
32.90名前が無い程度の能力削除
ぬえはこんなキャラだっただろうか?
とも思いましたが、面白い話には違いなかったので。
魔理沙には是非とも人間のまま死んでもらいたいものです。
57.100名前が無い程度の能力削除
この話、すごく好きになりました。作者様はこれから名前読みさせていただきます。