はねまわる、かけまわる。
ここは私の、私による、私のための、素敵なお庭。
邪魔するものの存在しない、自由を謳歌するように私は、飛びまわる。
走り、飛び込み、抱きつき、転がり、服が汚れるのも気にせずはしゃいだ。
また立ち上がり、はねまわる、かけまわる。
でも、私の庭には何かが足りない。なんだろう。一旦止まって考える。
ちょっと視線を下げたなら、二つの目に映るのは、ひたすら続く、地面、地面。
そうだ、と気がつく。このお庭には、緑が足りない。殺風景な庭なんか、遊んでいても楽しくない。
それならば、こいしちゃんお得意のガーデニングで、この庭を賑やかにしてあげたらいい。
そうすれば。走るも、飛ぶも、転がるも、もっと楽しくなるはずだから。
ワクワクするような考えだ。躍動感があふれ出して、じっとしてはいられない。
だから、はねまわる、かけまわる。今度は、少しでやめておく。残した分は、立派なお庭のために、大切にしまっておこう。
ぐるっと見回して、考えた。どこになにが、なにがどこにあって、どうなったのなら良い庭か。
私はただ、考える。花の名前など、知らなくてもいい。ビフォーな庭を前にして、アフターな庭をイメージする。
後は無意識にバトンタッチ。全部の手はずを整えるのは、私の便利な潜在意識。
赤、白、紫。ほら、もう完成。素敵なお庭の出来上がり。
むき出しの土を緑が覆い、色とりどりの花が咲く。私の庭に、彩りが増えた。
カラフルな彼らの間を縫って、またはねまわる、かけまわる。流れる景色が鮮やかで、吸いこむ空気は匂いやか、気分もますます高揚していく。
かける勢いそのままに、地面に体を投げ出せば、葉っぱに優しく受け止められる。
見上げる空の、深い青。流れる雲は、後ろ髪をひかれつゆっくりと。
でも。まだまだ不満が渦巻いていた。心の底から楽しめない。
起き上がって周りを確認。いろんな顔の花々が、私に向かって笑ってる。
足りないんだと、そう思った。色も香りも、もの足りない。増やせばもっと、楽しくなれる。
だから、私は考える。ここにまだ無い色彩を。世界中の色を、香りを、ここに集めて、素敵なお庭を作るんだ。
青、橙、黄。新たな色が加わって、空気の匂いに深みが増す。
これ以上ない、にぎやかな庭。充分だ、と確信した。これで、満足できるはず。
そして私は、はねまわる、かけまわる。二倍華やかな色彩と、二倍芳しい香りとで、きっと四倍楽しめる。
そう、信じていた。
だけど結局変わらない。まだ、足りない。何か大切な一ピース、私の庭から欠けている。
それがなんなのかわからずに、やっきになって探してみた。赤と白と紫と、青と橙と黄色の間を、二つの目が、何度もなめた。
一つだけ、気がついた。私の庭には動きがない。こわいくらいにスタティック。だから、むなしく感じるのでは。
そう考えて、最後に思い当たった。もう一つ、増やせる花があるだろう。ちょこんと可愛らしく生えて、よく動き、ふよふよで、もふもふな――
――タンポポ。大きな花々に囲まれて、一輪、小さく花開く。
踏んでしまいそうな小さな体躯で、風にゆられて自己主張。目を奪われる、健気な光景。
一際大きく風が吹き、まんまる綿毛が飛ばされて、大空めがけて飛び上がる。
ふわふわ、ふわふわと飛ぶ。私みたいにふわふわ。何にも縛られずふわふわ。
私はただ、見上げていた。はねまわりも、かけまわりもせず。タンポポをつぶさないよう、注意深く横たわった場所から、遠い空を眺めていた。
綿毛は、自由に浮かんでいく。青い青い空に、吸い込まれるように、白い綿毛はどこまでも、高く。
急に、寂しさを感じた。こんなにも賑やかな場所から、あんなにも小さな綿毛は、ふよふよと、どこまでもさまよい出てしまう。
帰っておいでと、呼び返したかった。声は出ないで、代わりに涙が出そうになった。周りの鮮やかな花たちは、びっくりともせずたたずんでいた。
結局綿毛はどうなったか、覚えていない。
爽やかな風が吹き抜ける中、葉っぱのベッドに体を預け、いつの間にか意識を手放していた。
最後まで、満足のいく庭が出来ることはなかった。
ベッドの上で、目が覚めた。もちろん葉っぱではない。
周りを見渡しても、いつもと何ら変わりはない。花瓶の花すらなく、青空も見えない、そこは自分の部屋そのものだった。
「夢、か……」
言葉にして確認する必要のあるほど、鮮烈な夢。その中で見た色や、感じた香りは、鮮やかに記憶に焼きついていて。
何よりも、目の奥にまだ、涙が残っている気がして、気分が悪かった。
ダウナーな心持を断ち切るよう、軽く頭を振る。思考がすっきりすると同時に、昨夜の記憶がようやくよみがえってきた。
昨日地霊殿へと帰りついたのは、夜も遅く、夜行性のペット以外の生き物が皆、寝静まった後だった。
当てのない放浪の旅に疲れ、しばしの休息を求めての帰宅。長居するつもりはなかった。早朝、屋敷が起き出す前に、気づかれないまま立ち去るつもりでいた。
しかし、既にすこしだけ、決心がゆらいでいた。夢に出てきた庭のせいだった。あの、私だけの、自由な、庭。
地霊殿にも庭はある。建物に囲まれる形で、中庭として存在するその空間は、ずいぶんと長い間ほったらかしにされたまま。
あの庭を改造しようか、と思った。楽しい時間が夢だというのなら、たとえそうだとしても、夢のままでは終わらせない。
だから、もう一度、今度は本当に、素敵なお庭を作ってやろう。確かな現実の中で、あの楽しさをもう一度体感するんだ。そして……。
そして。今度こそ、満足できるお庭が作れたら。
作れたら、いいな、と思った。確かに、作れる気もしてきた。もはや、安穏としていられなかった。
急ぎ着替えを終えて、廊下に出る。ネコの足音も響きそうな静寂が支配する中、朝方の空気はひんやりと冷え切っていた。
足元の冷たさに身がすくみ、思わず忍び足になる。そろそろ、ぺたぺた。
道中誰に会うこともなく、中庭へ続く出口にたどり着いた。扉を大きく開け放ち、まだ冷たい風にしり込みしつつ、最初の一歩を踏み出し……
そして、驚いた。
目の前には、赤と白と紫と、青と橙と黄色。夢の中で、自分が作った庭だった。
気が付けば、花に囲まれた場所まで飛び出して、思いっきり大声で叫んでいた。
「夢だけど!夢じゃなかった!」
気分は突如、うなぎのぼり。あふれる喜びにまかせ、はねまわる、かけまわる。
夢と同じ、景色が流れ、夢と同じ、匂いがした。
夢心地で一人、はしゃぐ私は、どこまでも自由だった。自由すぎて、何にも縛られず、綿毛みたいに、ふわふわと……
「うにゅ?こいし様、久しぶりに、おはようございます」
ふいに、後ろから声がかかり、現実に連れ戻される。振り向けば、私の大声につられて中庭をのぞいた、お空の姿。
おはよー、と返す。お空は、なぜか両手いっぱいに卵を抱えて、挨拶の次に何を言っていいか、考えているようだった。
私は私で、言い知れぬ感覚がわきあがってきて、言葉が出なかった。
ただひとつ、わかるのは、今、悪い気分ではないということ。
「お空、早くそれ台所に……ってあれ、こいし様?庭も豪華になってるし。……あ、おはようございます」
続いて、こんな朝から忙しそうに姿を現したのは、みつあみをほどいたお燐。私をみつけて足を止める。
おはよう。やっぱりそれしか言えなかった。
でも、だんだんわかってきた。今、どうしてこんな気分なのか。夢で、私は何が不満だったのか。
あの庭に一つ、決定的に足りなかったもの。それは、
「こら、朝から廊下で立ち話ですか?サボってないでパッパと朝ごはんを……あら?」
声。みんなの、声。第三の目を閉ざしても、確かに聞こえる、家族の声。
どんなに庭が立派でも、それを楽しむのが自分だけでは、寂しかった。みんなと一緒に、楽しみたかった。
庭をのぞきこむお姉ちゃんと目が合う。久しぶりに見る私の姿と、改造された庭の景色に、少しだけ驚いたような顔をしていた。
それがおかしくて、ちょっと微笑みながら、今度は私から、言った。
「おはよう、お姉ちゃん」
「……ええ、おはようこいし」
それからは、とんとん拍子に、良い方へと話が進んだ。
まず、この庭で朝ごはんを食べたい、とお空が言い出した。この意見が満場一致で可決される。
すぐさま、ペット十匹がかりでテーブルが中庭に運ばれ、あれよあれよという間に朝食の準備が進んでいった。
私は、運ばれてきた椅子に座って、なんとなく楽しい気分で、その様子を眺めていた。サボりだと責められることはなかった。
「あたいはゆでたまご。半熟で!」
「温泉卵で~」
「お空、温泉卵は剥いちゃだめだからね。ちゃんと覚えてる?」
「うにゅ」
廊下を通り過ぎる家族の声を聞きながら、周りを囲む花たちをながめる。
私の気分と連動するように、大きな花も、小さな花も、みんな、ゆらゆらと楽しげにゆれていた。
ふと、強い風が吹いた瞬間、わずかに残ったタンポポの綿毛が、親元を離れて飛び立った。
ふわふわ、ふわふわと飛ぶ。でも、夢と違って、遠く離れていかなかった。意気地なしの綿毛は、私のそばを、ふよふよ、ふよふよ飛びまわるだけ。
「こいし、あなたは卵、どうする?」
気ままな綿毛にみとれていると、お姉ちゃんが顔をのぞかせ、問いかけてきた。
珍しくエプロンなんかつけて、菜箸を手にして。今日の朝ごはんは、お姉ちゃんがじきじきに作ってくれるみたい。
考えるふりをしながら、エプロン姿のお姉ちゃんにずっと、見惚れていたかった。でも、そんな"ふり"なんか、すぐにばれて叱られそうだから、早めに答えを出した。
「目玉焼き。目玉は三つで!」
了承して台所に戻っていくお姉ちゃん。その後姿から目を離してみると、さっきの綿毛がテーブルに着地していた。
ふっ、と息を吹きかけて、背中を押す。臆病風じゃない、強い風に吹かれて、どこか遠くへ飛んでいけ、と願いをかけて。
綿毛はどんどん離れていき、ますます小さくなりながら、青い青い空に吸い込まれていったけど。
もう、涙は流れなかった。
俺的なものが足りていないだろう?
こいしちゃんは、やりかねないから困る。
地底なのに「青い青い空」という表現がありますけど、何か意味があるのでしょうか。