注意:妖々夢がベースとなっております。
森近 霖之助は手をもてあましていた。
今日のお昼のことである。彼は彼岸に出かけていた。外の世界の道具を探すためである。
その日課である道具拾いをした帰りに珍しいものを見つけたのだ。
道中雪が積もった草むらの上。それは淡い桃色の光を放ち、何やら桜の花びらに見える。
偶然見つけたそれを彼は怪しみながら手に取ると温かみを感じた。
これは良い拾い物であった。
何せ今はちょっとおかしいことになっているのだ。現在、暦上は春を指しているのだが、見渡す限り白銀の世界が広がっている。時期がずれているのだ。
長いこと、生きてきた彼にもこの異常な状況に出会った記憶が全くない。
そういうわけで寒い今を生き残るために彼は懐にそれを入れた。
「お、温いな」
顔をほころばせながら大事そうに抱えながらまた歩き始める。
雪道をリヤカーに乗せた重い荷物を引きずりながら彼は自分の店へと戻っていった。
ストーリー
香霖堂――霖之助が運営する道具屋。幻想郷唯一の外の道具専門店である。
霖之助はその店主として今日もお客や道具の対応にせっせと―――してはいなかった。
自慢ではないがここはお客がこないことで有名な店だ。そういうわけで彼はカウンターに備えてある椅子に座りながら今日の拾い物を観察していた。
もちろん、対象は桜の花びらを模ったそれ。
肘を突き、手の上に頭を乗せながらもう片方の手でつんつんと突付いてみる。
鳥の羽のように軽い。
「何だろうな、これは」
そこで彼は自身の能力――物の名前と用途が分かる程度の能力を使用した。
読み取ったものからつぎつぎと情報が彼の頭に入り込んでくる。
「名前、春度。用途、春をもたらす。何だこれ」
余計に訳が分からなくなった。
大きくため息をついたところで、店の入り口がけたましく開かれた。
音で察するに厄介な人が来たようだ、そう愚痴りながら顔を上げると見たことない少女が立っていた。そして彼女の発する言葉が彼を余計に気を滅入らせた。
「春度を返してもらう!」
普通はこんにちはだろう、そう呟きながら海よりも深いため息をついた。
「それで君は、何者だい?」
霖之助は取り合えず、来訪者の対応に当たった。
見たところ十代前半のようななりをした少女のようだ。とは言え、見た目には騙されない。何せ、傍らには幽霊の様なものが浮いているからだ。
「ふむ、半霊かい?」
彼女が答える前にもう一つ質問をした。
「魂魄 妖夢。さるところで剣術指南役兼庭師をしている」
丁寧な口調で簡潔に答える。
「春度を返してもらうぞ!」
もちろん要求も忘れずに。
春度といわれたので霖之助はカウンターにおいてあるそれを見やった。彼女が言うものはこれであっているだろう。そう思いそれを無言で指差した。
「それだ!」
勢いつけて飛び掛る妖夢に彼は待ったをかけた。
「ちょっと待ちたまえ。これは僕が拾ったものだ。だからこれは僕のものである。返すわけにはいかないよ」
「何~?」
くいっと軽くメガネを持ち上げて彼は妖夢にそう告げた。
すんなり返してもらえるものだろうと思っていた彼女には不意の言葉であった。
目を細めにらみを利かせながら、思わず腰に下げている二本の刀に手をかけた。
霖之助は慌てることなく制止した。
「おっと、君は物取りかい?」
「違う! 私はお嬢様の付き人だ。あの人に迷惑を掛けることはするつもりはない」
「だったら、これはとってはいけないよ。何せ、僕のものだからな」
「ふざけるな! それは彼岸で回収したときに私が落としたものだ。お前のものだというなら、証拠を見せてみろ」
「その言葉をそっくり返すよ。君の名前でも書いてあるのかい?」
そう言われて妖夢は言葉を詰まらせた。
自分が落としたとはいえても、それが正しいという証拠はないし証人もいない
一方、彼は現にそれを持っている。彼女が落としたはずのものを持っている彼がいる。
自分のものだと確信している妖夢にとってこの状況は歯がゆかった。思わず何度も床を強く踏む。
そんな息んでいる彼女に霖之助は提案をしてきた。
「とは言え、このままでは床が壊されそうだ。そこで、君に提案がある」
「…提案? 言ってみろ!」
「高圧的だね。まぁ、いい。僕の提案は言い値で買い取って欲しい」
霖之助はカウンターにある春度をそっと掌に乗せた。
そして、彼女に間近で見せた。
「これは珍しいものだ。しかも君とっては大切なもの…いや、お嬢様にとってかな」
「……そうだ。お前の言う通り、お嬢様は私にそれの回収を命じた。お嬢様の用命は絶対だ。だから絶対に返してもらわなければならない」
なかなかに重そうな雰囲気を放ちながら淡々と告げる。
その身なりには似合わない科白を告げる妖夢に霖之助は感心するもそれは一瞬であった。
すぐに彼は笑みを浮かべた。まるで、獲物が掛かったような猟師のような目であった。
「そうかい、そんなに大事なら僕としてはこれぐらい欲しいかな」
そう言って手近にあったメモ用紙にさらさらと金額を書いて妖夢に見せた。
それを見た彼女は大きく目を開いた。
「ふざけるな! こんな金額、払えるわけない!」
ぐしゃぐしゃにまとめて床にたたきつけた。
そこには霊夢が三ヶ月、毎日三食取っても尚余裕がある生活が送れるほどの金額が書いてあった。
霖之助は妖夢の足元を見たのであった。
「払えるだろう。君はおそらく名家出身のお嬢様の付き人なのだろう。雰囲気で分かるよ。だから、そのお嬢様に払ってもらってくれ」
「そんなこと言える訳がない。あの人は私を信頼して春度の回収を頼んだのだ」
「だったら、これはどうするんだい。僕としては君に渡すつもりはない。譲歩してこの値段なのだ。びた一文まからないよ」
霖之助は強気に攻めていた。
妖夢がどんな反応を示すかじっくり待っていた。
十中八苦彼女が折れるだろうと思いながら……
辺りは何も音が聞こえない。
呼吸音でさえ静かにしか聞こえず、ただただ無音が続いていた。
そんな状況に妖夢は顔をしかめうんうん唸っている。やはり値段がネックなようで悔しそうに春度を見ていた。
いわゆる身から出たさびなので彼女はどうしようもすることが出来ないことを悟り、ついに彼女が先に折れた。
「わかった。お嬢様に確認する」
妖夢は無念そうに口を開いた。
一方の霖之助はそうなるだろうな、と思い通りの展開に一つ頷いた。
「だから、お前にはついて来てもらう。そこでお嬢様に話をしてもらおう」
「それは出来ないよ。僕はここの主だ。そして、君たちが依頼に来たんだ。ならば、君たちが来るのが筋ってもんだろう」
「なっ!?」
そのことにまた絶句した。
こんな高圧的な店主見たことがない、そんなまなざしも霖之助には効かなかった。
とは言え、自分ではもう何もできないのはわかっているので妖夢は沈うつな表情で頷いた。
「分かった……悔しいがそれも呑もう」
「それは何よりだ。当日楽しみにしているよ」
悔しげに妖夢は入り口の戸を開いた。それは来たときとは違う弱弱しい様子であった。
彼女を見送ってから霖之助はゆっくりと椅子に座った。
ほんのりと温かみを放つ春度。それを楽しげに抱えながら静かに言葉を発した。
「温かいなぁ」
こんなことをしているから彼の元にはまともな収入が入らないことに彼は気づいていなかった。
天にそびえ雲よりも高いところにあるは白玉楼。
そこは幽霊たちが住まう、一角の場所であった。
特殊な結界を抜けた先には博麗神社よりも長いといわれる石で模られた階段。そこをのぼってやっと拝める。
純和風の庭園が二百由旬もあり、中心にはこれまた庭に合った様な屋敷が威風堂々と佇んでいた。その屋敷の周りには桜の木が植えられている。どれもが花びらが咲き誇っている。その群衆の中に一本だけ一際大きな桜の木が目立つ。残念ながら、これはまだ咲いていないようだ。
「……というわけでございまして、春度の回収にはその、失敗しました」
言葉を少し詰まらせながら報告する妖夢の姿が屋敷の中にあった。廊下で方膝をつきながら顔を俯かせている。その様は怒られるのが怖いのか、それとも任務をまっとう出来なかったのが悔しいのか。
「構わないわ~」
間の伸びた声が妖夢の耳に入る。
思わず気が抜けそうになるが、そこは長年の実務経験。彼女は折れることなく、じっと佇みながら感謝の言葉を述べた。
「しかし、いかがいたしましょうか。春度は向こうの手にありこのままでは私達の計画は水の泡になるかと」
「うふふふふ、妖夢ったら本当に悪役が身についてきたわね~。私感心しちゃうわ~」
「な!? 誰が悪役ですか!!!」
妖夢は思わず足を一歩踏み出してつっこんでしまった。
折角ここまで我慢していたのが水の泡になった。
「大丈夫よ。だって次は私が赴くからね」
「……やはり出られるのですか。では、私もお連れしてください、幽々子様」
「それは駄目」
えぇぇ、と嘆く妖夢。
幽々子と呼ばれた女性は正座を崩し、ゆっくりと立ち上がってから庭の方を見渡した。
そこはまさに春の世界。
太陽から降り注ぐ光が桃色の桜を通過し、庭にある周辺の石砂利を桜色に染め上げていた。
「妖夢。貴女には別の命があります」
「…はっ!」
先ほどまでの軽やかな口調とはうって変わる。
その変化にもっと大事な用命があるのだろうと妖夢は思わず、身を竦ませる。
「何なりと御命じ下さい。必ず、遂行いたします」
「では、一つ……」
凛したと空気が張り詰める。
「桜餅を三十個用意しておきなさい。あ、もちろんこしあん、しろあんをそれぞれでね♪」
「おい!!!」
魂魄 妖夢
この日、初めて敬語以外で主に向かって突っ込みを入れた記念日になった。
霖之助曰く、あれは交渉だったと言う。
妖夢との交渉を楽しんだ彼は春度を懐に抱えながら、じっとしていた。
何をするのも億劫であった。というのも寒いからだ。この一言に尽きる。
時刻は夕方。最も空は厚い雲に覆われており夕日が全く見えないのだが。
「全く…今年の幻想郷はおかしなものだ」
誰に言うでもなく、ポツリと言葉を洩らした。
そういえば、これは春をもたらすものだったなと懐に目を見やった。
不思議なものだ。これをもっているだけですごく温かい。心根からそう実感できた。
いつまで続くか分からない冬にこれは貴重なものである。
「……非売品かな」
そう呟いた瞬間、入り口の戸が開かれた。
「こんばんは、道具屋さん」
入り口に立っていたのは白玉楼の主であった。
「西行寺 幽々子と申します」
「西行寺…君はもしかして白玉楼の当主かね。これはすごい方が来られたな」
その問いに幽々子はこくりと頷いた。
霖之助はたいそう驚いた。妖夢が言っていた主と言うのは高名な方だとは思っていたがまさかかの有名な亡霊嬢が来るとは思いもよらなかったからだ。
この時になってすこしだけあの交渉のやり取りを後悔した。ほんの少しだけ……
「妖夢がお世話になりました」
「いや、こちらは何もしていませんよ」
幽々子が当たり障りない会話をする。その言葉にいろいろ棘があるように聞こえて霖之助の額に脂汗が浮かんだ。
「春度はいかがですか? 温かいでしょう、それ」
「ええ、確かに。これはどういうものかご存知なんですよね?」
もちろんと言いながら幽々子は頷いた。
霖之助は彼女との対応や距離感がつかめず上手く発言が出来ずにいる。それだけ彼女の存在が彼にとっては厄介な者であった。
「それはね、春の子供のようなものかしら。それが幻想郷中に溢れることで春は生まれます。即ちそれがなくては春は来ないに等しいということになりますのよ」
「ふむ、ということは貴女が妖夢に集めさせているからここには春が来ていないことを意味するのですか?」
「ええ、まさしく」
霖之助は驚いた。どうやらこの異常気象は自然がもたらしたものではなく人為的に起こしたものらしい。しかも、目の前の当人が首謀者だということも認めている。
どうやら、この春度は厄介者を引き込む魅惑の塊だったらしい。
少しだけうんざりしながら霖之助は幽々子のほうに目を向けると彼女はくすくすと笑っていた。
「…何でしょうか?」
「あら、ごめんなさい。決して小ばかにして、笑っているわけじゃないのよ」
「?」
「その貴方のため息と表情。偶に見せる妖夢にそっくりでつい、ね」
そう言ってまた笑い出した。
どうやら霖之助の仕草などが妖夢に被って見えたのだ。思わず彼は妖夢に同情した。
「ああ、そうですか。それで、貴女は結局のところこれが欲しいのですか?」
「ええ、是非……と言っても今すぐじゃなくてもいいわ」
「は?」
そこでずっと入り口近くに立っていたままの幽々子がカウンターに近づいてきた。
足音は聞こえず、よく見れば浮遊しながら動いている。彼女は霖之助と手が触れ合える距離にまで近づいた。
椅子に座っている霖之助は彼女の顔を見上げた。
薄い青色をした着物を纏い、いい意味で女性らしい体つきをしている。
この女性は桜が似合う人だなと思った。
くせっ毛のある桃色の髪がそのように連想させられるのだが、唇もまた同様にそう見えるので、艶やかに感じる。対照に頬は白く雪のようだ。
綺麗だと思った。
「貴方が必要でなくなったときに返して欲しいのよ」
霖之助ははっとした。
彼女を見てるあまり耳に集中が出来ていなかった。
一つ見苦しくないように咳をしてから言葉を紡いだ。
「だいぶ時間をくれますね。従者とは違い懐が深いことで」
「ふふふ。それくらいしなくては信頼を出来ないでしょう。私の人となりとか」
「人ではなく亡霊ですよね」
霖之助は知っていた。彼女が幽霊ではなく亡霊と言う種族であること。
そんな言葉の綾に幽々子は楽しそうに笑っている。その笑みがまた可愛らしくて再度霖之助は見とれてしまった。
困ったものだ。これでは相手に主導権が握られそうだと感じ霖之助はうんざりした。
「『雪が舞う 春の暦に いとふしぎ 桜抱くは 白きものかな』貴方はどう感じたかしら?」
「短歌? オリジナルだろうか? それに応えて何の意味があるのだい?」
「暇つぶしよ。今度来るときまでに考えておいてちょうだい」
そう言って幽々子は玄関の方に向かう。
がちゃりと戸をあけると、いつの間にか雪が降り始めていた。
冷たい風が店内に吹き込む。霖之助は一応、彼女を見送るために彼もまた入り口のところに来た。
「お体にお気をつけてね」
「貴女が春を返してくれれば問題ないですよ」
「ふふふ、ではまた」
ひらひらと軽やかに手を振りながら幽々子は空へと登っていった。
羽衣があればもっと相応しかっただろうと呟く。いつの間にか上げていた右手を引っ込めながら今日の収入にうんざりした。
幽々子の来店から三日後、霖之助は特別何をすることなく七輪でもちを焼いていた。
まさか卯月にもなって七輪が必要になるとは思いも寄らなかった。ちなみに春度は懐に入れている。もはやカイロ代わりだ。
異常――幻想強風に言わせてもらえば異変を起こした犯人は知っている。
しかし、霖之助にはどうすることも出来なかった。
彼は力を持てない存在であった。半分妖怪の血を引き継いでいるがお情け程度のものであった。故に弾幕ですら展開出来ない。
こういうときに打ってつけな知り合いが二人いる。彼女たちは異変解決の専門家だが如何せん、雪がひどくて知らせようにも外に出るのが億劫であった。なので知らせていない。
「彼女たちが気づいてくれればいいのだが」
淡い期待を抱きながら霖之助はもちが膨らむ様を観察していた。
「いい匂いね。砂糖と醤油の準備は出来ているかしら?」
玄関から女性特有の柔らかさを伴った声が聞こえた。
振り向くと件の犯人が立っている。
霖之助は来てしまったかと、内心うんざりしながら挨拶をした。
「いらっしゃい。寒いならこちらに来るといいよ」
「あら、よろしいのかしら」
嬉々としながら幽々子は七輪に近づく。
亡霊でも一応寒かったらしく冷えた手を翳しながら暖を取っていた。
「ああ、幸せ♪ まさに生き返るような心地よさね」
「そんなんで生き返るのであれば、さぞや白玉楼は寂しいでしょうに」
隣にしゃがみ込む幽々子に皮肉を交えながら彼はカウンター奥にある居間へと入っていった。
「砂糖をお持ちします。それまで焦げないように見ていてください」
「ええ、任せなさい」
どうも彼女との距離感が未だつかめないでいる霖之助は会話のたびに言葉を変えずにはいられなかった。
台所は居間の奥にある。
一人暮らしの彼には十分なスペースが確保されており、調味料一式は揃えてある。
戸棚から砂糖の入った袋を取り出して適量を皿にあける。醤油は既に向こうにおいてあった。
「後は、海苔もいるかな」
幽々子のリクエストにはなったが一応持っていくことにした。
お盆の上に必要なものを乗せて七輪の置いてある店内に行くと幽々子がしっかりと『もちの焼ける様を見ていた』。
「どうですか、もちの方は?」
「ええ。なかなかいい塩梅よ。食べるには十分なようだわ」
「それは何よりです」
霖之助は幽々子がいつまでもしゃがんでいるので椅子をもってきた。
彼女は感謝の言葉を言ってから取り皿と砂糖の入った皿を受け取る。少し醤油を垂らし砂糖を加えてから小指につけて味を確かめた。丁度良かったようだ。
それからもちを一つ取って砂糖醤油につける。それを口に入れるまで霖之助は思わずじっと見つめていた。
「照れますわ。そんなに見ないで下さい」
「あ、ああ。すまない」
慌てながら霖之助も自分の皿に醤油を垂らす。砂糖は要らない彼はそのままもちを取って醤油につけようとしたが、
「あちっ!」
思わず七輪に指が触れてしまった。反射的に指を引っ込めると彼はすぐに口の中に指を入れる。幸い、大きな怪我にはならなかったようだ。
「大丈夫かしら?」
「ええ、まあ……これくらいならすぐに治りますよ」
そう言って彼は怪我した指を幽々子に見せた。
すると心配そうに覗き込んでいた彼女は彼の手を取り、やけどした指を自分の両手で包み込んだ。
「幽々子さん!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる霖之助。
幽々子の冷たい掌が気持ちよく感じた。
優しく包む彼女の掌は綺麗で糸の様に細い。ガラス細工のようにも見て取れる。
霖之助は掌から彼女の顔に目を移す。
にこりと笑った顔が素敵で思わず、目を逸らしてしまった。
七輪で焼かれるもちがぷっくりと膨らんでいた。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
未だ目をあわせられずにいる霖之助はそれでも礼を失することなく感謝の言葉を述べた。
幽々子のほうもそれに応える。皿に乗せていた食べかけのもちは少し冷え固まっていた。
「これからは少し気をつけましょうね」
「ええ、そうします」
七輪の上で少し焦げ目がついた餅を今度は気をつけながら取る。醤油につけて口に含むもあまり味がしなかった。
どうやら、まだ緊張しているようだ。それもまた無理のないことであった。
知り合って間もない女性にいきなり手を握られたのだ。何も感じないほうがおかしい。その部分は彼もまだ健全な青年男子であることを証明していた。
「ねぇ、霖之助さん。この前私が詠んだ意味、考えていただけたかしら?」
「うん? ああ、一応考えましたよ。合っているかは知りませんが」
霖之助は質問を聞きながら自分の考えた答えを思い出していた。
幽々子はもちを食べ終えお皿を近くに置いてから彼の言葉に対して静かに耳を傾けた。
「『暦上春なのに未だ雪が降っているのはとても奇妙だ。まだ冬が桜を抑えているようだ』と、考えてみました。どうですか?」
「う~ん、60点かしら。いいところを付いているのだけど、それじゃあ足りないのよ」
幽々子はおしいと言う。どうやら霖之助の答えは彼女の回答を満足させていないようだ。
ふむ、と唸りながら彼は再度熟考した。
霖之助が答えた最初の答えは意外と早く推測できただけに妖しい部分も確かに彼の中にあった。おそらく、掛詞とかがあるのだろう。その部分まで彼は考えていなかった。
「どうかしら?」
「………もしかして僕のことを言っているのですか?」
「具体的には?」
「四句目から『春度を抱えている僕の所為で』と掛けているとか」
「あら、すごい! でも、それでも90点てところね。良い線いっていたわ」
どうやらそれでも完璧では内容だ。とは言え、幽々子は満足そうに微笑んでいる。しっくり来ないが霖之助はよしとした。
「といいますが、正式には僕は春を盗んでいませんよ。酷い言われようですね」
「ごめんなさい、つい貴方が妖夢にしたことを思い出しちゃってね。気分を悪くさせたのならお詫びします」
「……まぁ、いいですけど」
霖之助は思わず妖夢のことを出されたので、反論するのをやめた。
幽々子が頭を下げる前に彼は制止をかける。
「霖之助さん」
「何ですか?」
「また、遊びませんか?」
「………良いですよ」
幽々子のいう遊びがどういうものかは推測できる。同時にどうやら今日はこれでお終りということを意味していた。
幽々子は腰をあげ入り口の方に向かう。ゆっくりと戸を開くとまだ、冬の冷たさが辺りを包んでいた。
(いつまで続くのやら)
そう愚痴る。
春は遠い。
「『男待つ いつかいつかと 来るはずの 萌ゆる桜の 春はどこかと』」
まるで霖之助の内心を読み取るような歌を残して幽々子は帰っていった。
霖之助は弱い存在であった。妖怪としても中途半端で人間としても中途半端。半端だからどこにも属せない。弱いから、目の前の犯人にやめるようにいえない。
でも本当にそれだけが理由なのだろうか。
彼の心に迷いがあった。
「最近楽しそうですね、幽々子様」
妖夢が庭の掃き掃除をしながら、縁側で足をぶらぶらさせながら桜餅をほお張る主に尋ねた。よほどおいしいのか、口に含んだまま言葉を紡ごうとする主に、やんわりと辞めさせた妖夢。
「まぐっまぐっ………そう見えるかしら」
「ええ。だってこの前なんか上機嫌に鼻歌まで歌っていたじゃないですか」
「あら、鼻歌なんていつでもするわよ?」
「厠の中ででもですか?」
妖夢のさらりとした発言に幽々子は思わず赤面し、持っていた扇を投げつけた。
寸分違わずこめかみに当たり妖夢は庭に倒れた。
「いった~~~……何するんですか、幽々子様!」
「言っていいことと悪いことがあるわ。ホント、デリカシーがないわね。まるで妖忌みたい」
「う~~~」
最近反抗期なのか妖夢が真剣に謝りを見せない。
幽々子ははぁ~と盛大にため息をついてから桜餅をつまんだ。
「やっぱり、桜餅60個はやりすぎたかしら」
今日も幽々子の傍には桜餅が山のように積まれていた。
二回目からの来店から二日後、霖之助は飽きることなくもちをまた焼いていた。
よほど好きなのか、それとも単に在庫処分のためか判断が付きにくい。
店内はまだまだ寒く幻想郷から冬型の気圧配置が消える気配は見えない。
「西高東低だったかな。寒いのはもう勘弁して欲しいよ」
霖之助は最近、まともに外を出ていなかった。
幻想郷の冬はなかなかに厳しく、吹雪くこともある。積雪も膝以上の日はざらでそのために人間は前もって備蓄を備えることが当然として生活に染み渡っていた。
妖怪もまた同様だ。体が資本とは言え、これだけの吹雪だと鳴りを潜めるのが当然であった。
「こんな季節に平然と外出できるのは君ぐらいなものだよ」
「あら、それはお褒めの言葉かしら」
そう言って幽々子は入り口の戸を静かにあけた。
「こんにちは、霖之助さん。今日も寒いわね」
「こんにちは、幽々子さん。そう思うのなら早く春を返してほしいくらいだ」
いつも通りの会話が始まった。
こんな異変が続いているのにいつもどおりと思う辺りだいぶ毒されたようだと霖之助はうんざりした。
「時に霖之助さん。私への呼びかけが変わりましたね」
「は? どういう意味ですか?」
「先ほど、貴方は私のことを『君』と言ったり、言葉が大分くだけたように見えますの。お気づきじゃなかったのですか?」
「言われてみれば……すみません、これからは気をつけます」
「いえ、良いのよ。むしろ、そう話してちょうだい」
そう言って幽々子はあのときのようにぎゅっと霖之助の手を握る。
ひやりと冷たい手は霖之助の体温を吸収するように力強く握られた。けれど、不思議なことに決して痛くはない。むしろ気持ちよかった。
「貴女が…いえ、君がそういうならそうやって話させてもらうよ。だから手を離して欲しい」
「あ、あら、ごめんなさい。つい、ね」
お互い顔を赤面しながらぱっと手を離した。
霖之助は手を落ち着きなく動かしていた。幽々子は握っていた両の掌を自分の頬にくっつけていた。
「幽々子さん?」
「温かいわ。貴方の手を握った両手から貴方の温もりを感じるのよ」
「寒いのか?」
「ええ。いくら体温が低い亡霊と言えど、この寒さは厳しいのよ。これからますます寒くなるわ」
「春度を回収しているからか? そんなに体を冷たくするまで一体何の意味があるんだ? 君は一体何をしようというのだ!」
思わず語調を強めてしまう。言い過ぎたかと思い霖之助は少し目を逸らした。
幽々子は彼の言葉をあまり気にしていないのか、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「桜を咲かせたいのよ」
「桜? 白玉楼にある桜をかい?」
「ええ、そうよ。と言ってもただの桜じゃなくていわゆる妖怪桜のことよ」
聞きなれない言葉に霖之助は首をひねった。
話が長くなりそうだと思った彼は、七輪の前に椅子を用意し彼女に座らせる。
幸い、丁度良い焼き加減でもちが焼けたのでそれをつつきながら幽々子の話に耳を傾けた。
「それで、その妖怪桜と言うのは…」
「白玉楼に植えられているの。名は西行妖。いつからそこにあるのか私には分からないくらい長い間あるのよ。普通の桜と比べられないくらいくらいの大きさを誇っているわ」
「それはさぞ、咲いたときが見事なものだろうね」
「いいえ、それは一度も咲いたことがないのよ。これでも数百年以上は亡霊をしている私でさえ見たことがないのよ」
「それはまた不思議な」
霖之助は真剣に驚いていた。
「それでね、一体どれだけ絢爛なのか見たくてね。こうして春度を集めているのよ。春度が集まればいかに西行妖といえど咲くに決まっているわ」
「そのために幻想郷の春はなくなっていいと……なんだかわがままな話だな」
「軽蔑するかしら。してくれても良いのよ。元々私はそういう性格だから」
笑いながら話す幽々子に霖之助は眉を潜めた。
彼女の話が本当なら、これほど迷惑なことはない。実際、寒くてたまらないのだから。
しかし、彼女はそれだけを望んでいるようには見えなかった。
なぜなら彼女の目は寂びしそうに見えたからだ。
「何か隠しているのかい? 君の表情はとても本心を語っているようには見えないが」
「……そう、見えるかしら」
「ああ。自信を持っていえるよ」
幽々子は意外そうに霖之助の顔を覗きこむ。
「へぇ。情緒だとか人の機微には疎そうに見えたのだけれど違っていたようね。私の中の貴方の評価を変えざるをえないわ」
「………嫌な言い方だ。これでも妹分が何度もここに遊びに来ているんだ。そのお陰で彼女から色々と学ばせてもらっているんだよ」
そういうといやなことでも思い出したのか苦笑しながら霖之助はお皿にもちを乗せた。
幽々子もクスリと笑い、もちを皿に乗せる。
「………会いたい人がいるのよ」
「会いたい人?」
霖之助が鸚鵡返しをする。すると彼女の顔はまるでどこか遠くのほう見るような表情でぽつりぽつりと話し始めた。
「その人は私の知らない人なの。たぶん女性だとは思うけどそれ以外は知らない。どこから来るのか、一人で来るのか、全く知らない。けど…」
「けど?」
「西行妖が咲けば会える。それだけは確信している」
彼女の目には力強い意思が灯っていた。
彼女の行動は傍から見ればわがままかもしれない。ほとんど、正体不明な人物に会うがために幻想郷のものを奪うなんて正気じゃないと思う人もいるだろう。
けれど、そうしてまでも達成しようという意思が霖之助には垣間見えた。
(まるで魔理沙みたいだな)
妹分の彼女の行動を、表情を思い出しながら彼は嘆息した。
「君はその人に会って何をしたいんだ?」
「歌を詠みたいわ。一緒に詠みあうのよ。それが私の望み」
「そうか……」
目を瞑り彼女の言葉をゆっくりと反芻する霖之助。
彼女を信頼していいのかもしくは駄目なのか、その選択をする岐路に彼は立たされていた。
幻想郷の春を戻すか、彼女の願いをかなえるか……何度も不安定にゆれる天秤を掛けながら彼は答えを導いた。
「僕を白玉楼に連れて行ってくれないか。そこで僕は結論を下すよ」
霖之助は幽々子に顔を向け、答えを尋ねた。
彼にとってこの選択はかなり荷が重かった。故に少し時間をほしいと言うのが理由の一つ。他には純粋に白玉楼に興味があることも挙げられる。
幽々子は霖之助の思考を覗き込むようにじっと見つめていた。
右手には自分の愛用の扇子がいつの間にか握られている。それを何度も開いたり閉じたりしては少し落ち着きない様子でいた。
「……構いませんよ。是非いらしてください」
そして了承の言葉を口にした。
難しい顔からほんのりと柔らかい笑顔で答える幽々子。その言葉を聞いて霖之助も同じ顔をした。
「よかったよ。断られるかと思ったからね。じゃあ、行く日なんだけど……」
「その前に」
そう言って幽々子は霖之助に制止をかけた。
「前回のお遊び、返してくれませんか」
幽々子は先日の帰り際に残した短歌に触れてきた。
言われてみればその解釈を伝えていなかったことを思い出した霖之助は言葉を紡いだ。
「えっと、『遠い春が…』」
「そうじゃなくて、『返して』欲しいのよ」
「は?」
くすくすと笑いながら待ったをかける幽々子。その言葉に訝った霖之助は再度彼女の言葉を反芻した。
ほんの少し間を空けて彼は彼女の言っている意味を理解した。
「返歌ですね」
返歌とは人から送られた歌に対する返し歌のことである。
それを彼女が望んでいることを知った霖之助はそこからまた時間を掛けた。
正直、返歌を望んでいるとは思ってもいなかったので即興で練り上げるしかなかった。
「『向かう地は げに暖かき 天の空 春の道へと 嬢が誘(いざな)う』」
拙いな、そう言ってから霖之助は自分の歌の乏しさに呆れた。
もしかして返歌が駄目で訪問が取りやめになったらどうしようと心配した。
しかし、それは杞憂に終わった。
幽々子は彼の返歌に満足したのか微笑みながら手を差し出してくる。
「貴方の返歌、確かに受け取りました。とても良い歌でしたよ。では、貴方の歌の通りに私がお誘いしますね」
それを聞いて霖之助はほっとしながら差し出された彼女の手を握った。
心なしか彼女の手がいつもより暖かいなと感じた。
外は猛吹雪。視界ゼロ。一面白銀の世界。レティがはじける。妹紅がもてもて。
表現はいくらでも仕様がある。
それくらい外は寒かった。
しかし、それもある程度の高さまで来ると不思議なことに暖かい風が流れていた。
常識で考えると上空に行けば行くほど寒くなるものだが、今は完全に逆転している。
「それくらい今の幻想郷は異変でおかしいと言うことか」
やっぱり春を返せと言えばよかっただろうかと霖之助は少し後悔した。
とは言え、素直にそうはいえなかった。
幽々子の望み――他の人が聞けばはた迷惑なの一言で問答無用に退治するだろう。特に霊夢なんかがかなりキレそうだ。
でも彼にはそんな一言で終わらせられなかった。
やっぱり自分もこの異変に毒されているのだろうかと深いため息を吐きながら彼の少し前を飛んでいる幽々子の顔を見た。
「あら、何かしら?」
霖之助の視線に気づいたのか幽々子が振り向いた。
「いや、なんでもない。しかし本当に空は暖かいんだね」
「ええ、そうね。白玉楼から漏れた春が空を暖めているのよ」
「と言うことは、やっぱり今は春なんだね」
霖之助は呟いた。
自分の選択に自信がなくなってきた。ふと右の方を向くと春の代名詞、リリー=ホワイトが飛んでいるではないか。
「もうすぐで結界付近に着きますよ。そうすれば貴方も歩くことが出来るわ」
幽々子は楽しそうに彼女の左手を見る。
その手には霖之助の右手が握られている。飛べない彼は彼女に手を引っ張られて空を移動しているのだ。
後ろの方でリリーが『春ですよー』と毛玉相手に告げている。
彼女の行動にもう少し待ってて欲しいと思いながら霖之助は前の方に目を向けた。
大きな結界が徐々に現れてきた。
「ああああああ、もうあのお方は!」
白玉楼へと向かう長い石畳の階段。
散った桜の花びらで埋め尽くされた階段をせっせと掃除に勤しむ妖夢がそこにいた。
何やら機嫌が悪いのか声を荒げている。
「何で、稽古ほっぽり出して『下に行ってくるわ~。後よろしく~』ってサボるのかなぁ。これじゃあ、私のお役目が果たせないよ」
妖夢の主な役目は幽々子の剣術指南である。決して掃除をはじめとした小間使いがメインではない。
それを知ってか知らずか彼女は何かと妖夢を口で言いくるめながら稽古をサボっていた。
「まあ、これも私の任務失敗が原因なんだけどね」
結局自分の失敗から始まったことでもあり、妖夢は強く言えないでいた。
はぁ~っと不幸を呼び込むような重いため息を吐きながら彼女は最近の幽々子のことを思い出していた。
よく笑うようになった。
以前から笑みは絶えない人だと思っていたが、今はそれ以上に笑っているように思えた。
原因は………分からない。
特別自分が何かしたわけではないことは、妖夢は分かっていた。と言うことは別の理由があるはずだ。
「あ、もしかして!!!」
妖夢は閃いた。
「無理矢理笑うことで、顔のフェイスアップをしてるんじゃないだろうか!!! 最近、頬のたるみを気にしていたからそうに違いなっ!?」
そこまで言って妖夢は突如、どこから飛来したのか幽々子の愛用の扇子が彼女のこめかみに直撃した。当たり所が悪かったのか一撃で石畳に沈み、その衝撃でぶわっと花びらが舞った。
「ほんとデリカシーのない娘ね! 育て方間違えたかしら」
ぷりぷりと怒りながら倒れ込んだ妖夢の傍に近づき扇子を拾い上げる。
後ろから霖之助が登ってきた。長い階段に疲れたのか、少し息を荒げている。
「おや、妖夢が倒れているが…過労かい?」
「春の陽気当てられたのでしょう」
幽々子は一瞬で表情を変えて霖之助に先へ進むように促した。
「さぁ、行きましょう。後もう少しで着きますわ」
「ああ、わかった」
霖之助はとりあえず、妖夢を放っておくことにした。
それが正解のように思えたからだ。
階段を上った先はまさに桃源郷の一言に尽きていた。
桜の木が鮮やかに咲いており、風が吹けばに花びらが舞う。澄みきった青空が日本晴れを表し、石砂利で敷き詰められた庭が鏡のようにきらきらと輝いている。。
そして何と言っても暖かい。何枚も着込んできた服が邪魔に思えるくらいの気候だった。
「ようこそ、白玉楼へ」
幽々子の言葉にしばし絶句していた霖之助ははっとした。
「如何かしら?」
「開いた口がふさがらないよ。まさに富を象徴したような光景だね」
「それは皮肉かしら」
幻想郷の春を奪って創られた景色がここに彩られている。それを皮肉っている霖之助に幽々子は少し寂びそうな表情を浮かべる。
「もちろん、事を終わらせればすぐにお返しします。私とてこれを見て何も感じない訳ではないですから」
「それならいいさ」
無言のまま二人は階段の上った先でじっと佇んでいた。
幽々子はちらりと横に目をやる。彼の表情に硬さが見えた。
驚きで一杯になるだろうと思っていた彼女にとって彼の表情は少し心が痛んだ。
澄まし顔。
彼の心が見えないので言葉で探ることにした。
「少し歩きませんか?」
「ああ、そうしてみたい」
案内役の幽々子が一歩リードして二人は足を進めた。
右手には桜の群生が、左手には屋敷が構えている。その中間をゆっくりと歩く二人。時折り顔を撫でるように吹く風が気持ちよかった。
じゃりじゃりと小気味のいい足音を鳴らしながら角を曲がった。
「あ」
すると霖之助は思わず言葉を洩らした。
向こうの方に見えるそれ。遠くからでも分かるその異常な大きさ。あれが幽々子の言っていた妖怪桜なのだと気づいた。
「あれが西行妖なのかい?」
「ええ、その通りよ」
歩みを進め、傍まで近づく。その背丈は首を痛めるぐらい見上げなければならないほど高かった。
剥き出しの茶色の枝。太い幹には人の口を思わせるような虚(うろ)がある。人のふとももほどもあるかのような根が、今にも足となって動きそうな感じがした。
「怖いな。それが僕の率直の感想かな」
「そうね。私も時々そう思うわ。けど」
一瞬言葉をきる。
「何故か惹きつけられるの。何年も何十年も何百年も見ているのにね」
苦笑しながら幽々子は見上げた。
怖いもの見たさが働いているのかもしれない。それがずっと延長しているだけ、彼女はそう感じた。
「家に入りましょう。お茶を用意するわ」
「…ありがとう」
西行妖を後にし、二人は下足を脱ぎ屋敷の中へと入った。
何か視線を感じ、霖之助はふと後ろを振り向く。
虚が笑ったみたいに少し歪んだように見えた。
お嬢様だからと言ってお茶を用意できないわけではない。こういったものは従者にさせてこそ主としての威厳が高まる。
そういう風習がある幻想郷において幽々子は威厳なんか全く気にしないようで、彼女はいそいそと台所でお茶の用意をしていた。
「えっとお茶葉は…と、あったあった」
お盆の上に次々と手際よく用意していく。かまどの上ではやかんに入れたお湯がふつふつと音を鳴らしている。そこへ廊下に繋がる引き戸が開かれた。
「幽々子様! ひどいじゃないですか、私をあんなところに放っておくなんて……」
「あら、妖夢。掃除は終わったの?」
「終わりました! だから説明してください! 何で私を放っておいたか!」
「お客様を案内していたからよ。それにどうせ掃除するんだからあそこに残したって問題ないんじゃなくて。それより私は忙しいんだから、ちょっと邪魔よ」
幽々子は用意をしながら説明する。その間、一度も目を合わせなかったことが妖夢を余計に怒らせた。
「幽々子様、私だって怒りますよ。最近、私への扱いがひどいと思います。改善を要求します」
「あら、言うようになったじゃない。………そうね。考えてあげなくもないわね、善処してあげる」
「ほ、ホントですか?」
妖夢は素で驚いた。
怒っていたのは事実だったがまさか、自分の要求が通るなんて思っていなかったからだ。
偶には言ってみるものだ、とつい自分を褒めてやりたくなった。
「ありがとうございます、幽々子様」
「ええ、ええ、どういたしまして。だから、お風呂の準備と夕食の買出しお願いね。あ、ついでに今からでもいいから客間の布団の日干しもね」
「はい、お任せ下さい!」
妖夢は嬉しそうに台所を後にした。
幽々子は彼女を見送るとぽつりと呟いた。
「ホント単純な娘。ちょっとは改善してあげようかしら」
やかんがピーッと音を鳴らしていた。
「お待たせ。お茶を用意したわ」
居間へと繋がるふすまを開けた。
そこにはどこか落ち着きない様に座っている霖之助がいる。初めてだからそうなるのだろう。
さっきまでの澄まし顔から砕けたようにも見えて彼女はおかしくなった。
「お茶菓子は桜餅を用意したの。一緒に食べましょう」
「ああ、ありがとう」
声が硬かった。
居間は十畳以上あり二人で落ち着く分には少々広かった。
自分の家ならともかく人の家でしかも女性と二人きりとなると霖之助でも緊張せずにはいられなかった。
一口お茶を口に含んでみる。
緑茶だと思っていた彼はその味に甘みを感じ、不思議に思った。
見てみると湯飲みの中には紅い液体がなみなみと注がれている。
「これは紅茶かい?」
「ええ。桜餅には合わないと思うけど、少し体をほぐすには丁度いいかなと思ってね。気に入ってもらえたかしら」
「ああ。かなり美味しいよ。悪いね、わざわざ僕のことを考えてくれたなんて」
「良いのよ。好きでやっているのだから。こうやって人に出すのもいつ以来かしらね」
何故湯飲みに紅茶なんだと言う無粋な突込みを入れず、霖之助はまた一口含む。一方、幽々子は自分が言った言葉に、昔を懐かしむようしばし遠くのほう見ていた。
「ごめんなさい。お客様の前でこんな事をするなんてね」
「大丈夫ですよ。そんな君が美しく見えたから」
思わず歯の浮いたことを言ってしまった、と霖之助は顔を赤くする。俯きかげんに彼は幽々子の顔をちらりと見た。彼女の髪の色のような頬になっていた。
「『照れる頬 桜のように 染まるのは 達者に語る 男の言葉』」
「『軽やかに 語る男は 自惚れる 驚く様は いとおかしけり』」
「どういう意味かしら?」
「『僕も驚いているよ。こんなこと言うなんて僕は自惚れているんじゃ』ってとこさ。申し訳ないね、もっと勉強するよ」
霖之助は照れたようにそっぽを向く。その様子が幽々子にはおかしく写り微笑んでしまう。それがまた彼をこそばゆくさせた。
楽しいひと時だった。それは二人が心に思ったことだった。
霖之助には新鮮だった。毎日来るのか分からない客の相手と少々おてんばな妹分の相手、そして本を読むだけの生活。これらは彼の望んだ生活だったが、少し華が欲しかったのも感じていた。心騒ぐような時もあってはいいのじゃないかと内心抱えていた。
幽々子は白玉楼で幽霊の管理が仕事である。
専ら食べるだけと思われがちだがその実、閻魔に任されていた仕事はきっちりとこなしていた。
亡霊な彼女。故に寿命はほぼ無限。代わり映えのない生活が苦痛なときもあった。
そんな時、決まって妖夢を弄るのだった。
刺激が欲しいと思っていた。
新鮮さを望む霖之助と刺激を望んだ幽々子。
この出会いはある意味必然だったのかもしれない。
幽々子は霖之助の横顔を見つめていた。
まだそっぽを向いている、白髪の男性。引き締まった口からは知識の深さと想像もできないほどの饒舌さが生まれる。腕は細くもなく太くもない。どこか中世的な雰囲気を思わせる顔は心をくすぐらせる。
庭先を一緒に回ったとき彼の心には私はどう映っているのか知りたくなった。
さっき、ぽろりと出た彼の言葉は『そんな君が美しく見えたから』だった。歯の浮いた言葉に自分でも驚いていると言っていた。
(他にはどう思っているのだろう)
一度聞いたらもっと聞きたくなった。次々と探りたくなった。だから、彼女は身を乗り出す。ちょっと近寄っただけなのに彼の顔が視界内に拡大され自分も頬をほんのり染める。彼女の行動に彼は気づき彼女のほうへ振り向いた。
そして彼女は彼に尋ねた。
けれど、いかんせん時間が時間だった。故に、『彼女』は何も悪くはない。いつもなら頃合の時間だったからだ。これは事故だった。
「あ、あの霖之助さ…」
「幽々子様! 夕食の用意が出来ました。今からお持ちしますね」
すぱーんとふすまが飛んでいきそうなくらい勢いよく開けられた。現れたのはご機嫌な妖夢。どうやら自分の願いを聞いてもらえたのがよほど嬉しかったのだろう。
だが、そのにこにこ顔も徐々にしかめられていく。なぜなら幽々子の対面に座る人の顔をみたからだ。
「あ、貴様は森近 霖之助! 何故貴様がここに!? もしや幽々子様のお客と言うのは貴様のことか、だったら許せん。この妖怪に鍛えられし楼観剣で……」
「もう妖夢のお馬鹿!!!」
そう言って投げられた本日二度目の扇子による砲撃。
繰り返すようだが、妖夢は悪くない。ただ、タイミングが悪いだけだった。
だからこの仕打ちも仕方なかった。
「良いのかい? また伸びているようだけど」
「もういいのよ。妖夢がどうしたいのか分かったから。よほど私の邪魔をしたかったようね」
さっきの話、なしにしましょう、そう言いながら肩で息をしているあたりかなりのご立腹のようだ。
妖夢を再度おなざりにしたまま立ち上がって、幽々子は居間から出ようとする。
「ちょっと待っててくださいな。妖夢が用意した夕食持って来るわ」
「君だけでは大変だろう。僕も手伝うよ」
「ありがとう。助かるわ」
そう言って二人は台所に向かった。
霖之助は今度は妖夢を放っておくことはなかった。座布団を折りたたみ、それを枕にして彼女の頭に敷いてあげた。
居間を出るとあたりは暗くなっていた。
二人の会話が弾んでいた証拠であった。
夕食は意外にもつつがなく終了した。
鍋と言うこともあり、妖夢は比較的大人しかった。暴れて鍋でもひっくり返したらひどい目に会うのが見えていたからであろう。
そんな一間を終えた後の幽々子部屋。もちろんここには部屋の主しかいない。
現在、幽々子は座布団の上に座っているだけで何をすることなくぼーっとしていた。
決して食べすぎで動くのが辛いというわけではない。ただ何もする気がなくなっていたのだ。
「はぁ~」
海よりも深いため息。出る理由は今日のお客についてである。
初めて自分の家に招いた今日は楽しかった。それにどきどきした。こんな風に異性を自分から招き入れることはなかったからだ。けれど、そういうどきどき感もひっくるめて本当に楽しかった。
けれどため息が出てしまう。
「結局、聞けなかったな……」
聞けなかったと言うのは彼女のことをどう思っているかのことだ。
外見は言ってくれたのだが、内面のことまでは言ってくれなかった。幽々子はその部分を一番気にしていたのであった。
食事中は聞ける雰囲気ではない。と言うか、妖夢がいる手前で率直に聞くなんて恥ずかしかった。
これまで長い間生きていたということもあり異性との出会いは決して少なくなかった。土地柄、幽霊がほとんどではあるが……
それらをひっくるめてでも、彼女にとってこれ程までに異性を意識したのは初めてであった。故にどうすればいいかよく分からないこともある。これがその悩みである。即ち、
「こういうのって直接本人に聞いていいのかしら」
本人に聞くのが恥ずかしいのか、霖之助の顔を思い浮かべては顔を真っ赤にし、いやんいやんと首を横に振る。かといって、妖夢に頼むのも筋違い。結局答えは出ず、仕方なく立ち上がった。
「お風呂に入ろう」
幽々子はまたため息をつきながら部屋を後にした。
ところ代わって客間を借りている霖之助。
一足先にお風呂を頂いたと言うこともあり、体からは湯気がうっすらと立ち上がっている。また、浴衣も拝借したこともあり、襟元をぱたぱたと動かすだけでむわっと湯気が出た。
「それにしてもでかかったな」
もちろん大きいと言うのは湯船のことである。着替えをかごに置き、風呂場に着くなり湯船を覗いた彼はその大きさにメガネがずり落ちた。
「ざっと二十人は入れそうだったな。流石、名家といったところかな」
白玉楼の中は春ということもあり部屋の中はなかなかの暖かさを保っている。湯冷めは大丈夫だろうと思いながらも一応、カイロ代わりの春度を浴衣の中に仕込んだ。
「さて、どうしたものかな。このまま春度を持っているわけにはいかないし」
こちらも大きくため息をついた。
幽々子の願いを聞く、幻想郷に帰す――どちらにせよ、いつかは手放さなければならない。
しかし、霖之助はまだ決めあぐねいていた。
「単純に考えれば、幻想郷に放たなきゃいけないんだろうけど」
けれど、彼の心中にはそれに対する抵抗感があった。
かと言って、彼女の願いを聞くのにも抵抗感があった。
しっくり来る理由がどちらにもなかった、それゆえに迷っているのだ。
「だから、優柔不断だって魔理沙に言われるんだよな」
悪いと思いながらも直せないでいる自分の性格に呆れながら彼は早めの就寝に着いた。
明日になったら何とかなるだろうと言う、楽観的な希望を抱いて。
深夜
暗い部屋の中で、霖之助が眠る布団の中からおぼろげながらも淡い光が漏れている。
春度であった。
それは心臓のように鼓動し始める。何度も脈打つその違和感に霖之助は浴衣にしまったそれを手探りで確認した。
「うん? 何だって…言うんだ………」
眠い目を必死で擦りながら近くに置いてあったメガネを身につける。
布団をまくり、春度を取り出す。それは漆黒のような部屋の中で淡い桃色の光を放っていた。
「どういうことだ、これは?」
寒い香霖堂の店内。彼はそれを抱きながら寝たこともあったがこんな現象は初めてであった。
嫌な予感が彼の中によぎった。いつも、何も起こらないものが突然変化するときは大抵ろくでもないことが起こる予兆だと言うのが彼の経験論であった。
「おそらく、白玉楼の中に何かこんなことが起こるきっかけみたいなものがあるんだろうな」
ここに来て、彼は初めてうんざりした。
面倒ごとに巻き込まれるのが嫌いな彼は髪を掻きながら部屋から出ることにした。
廊下を歩いていても誰とも会うことはなかった。
「幽霊は夜が本分だというのに、サボりかね」
誰に言うでもなくぼそりと呟く霖之助。
昨今では吸血鬼も昼型にチャレンジ中だと言うのを耳にしたこともあり、何かがおかしいだろうと思う彼であった。
「にしても改めて広いと感じるな、ここは。一体どれだけ歩けばいいんだ」
鼓動する春度を抱えながら彼はあてもなく歩いていた。
とは言え、一応考えはあった。
こういう場合、春度は何かしら強い変化を起こすだろうというのが彼の推測である。故に、歩いていればそのうち原因を見つけれるだろうと言う、行き当たりばったりな考えであった。
「っと。やっと変化が起こったみたいだね」
春度の鼓動が急激に高まってきた。顔を上げてみると、正面にあるものを見て霖之助の中でなんとなく納得できた。
「西行妖か」
大きな妖怪桜が見える。桜の花びらを身に付けてないそれは、夜と言うこともあり不気味に見えた。大きく広げる枝はまるで地獄の針山を連想させられ、虚は血を吸い取る口にも見える。
自然とため息が出た。白玉楼での出来事は楽しいはずなのに何故か夕食以後はよく出てしまっている。
「まぁ、出てしまうものは仕方ないとして…どうしたものかな」
様子見だけが目的だった霖之助にとって、すぐに引き返すつもりであった。だが、西行妖を確認すると何故か足が動かなくなってしまった。むしろ、そこに近づきたくなっていた。
「僕も春の陽気に当てられたかな」
そう呟きながら足を進めた。
廊下から下足に履き替えて庭に下りる。砂利の足音を鳴らしながら近づいた。
西行妖と手が触れ合えるとこまで来て、彼の意識はぷっつりと切れた。
暗い世界
黒か紫か紺か―――とにかく暗い色で塗り固められた世界が広がっていた。
足元を見る。まるでガラスの上に乗っているかのように足場のようなものは何も見えなかった。
すぐに夢の中だと意識できた。
霖之助はふと自分の格好を見た。浴衣ではなくいつもの服装に戻っていた。
「つまらない世界だ。少しは華を見せて欲しいな」
そう呟くと目の前に光が見えた。
そしてそこから声が聞こえた。
「花が見たいのならこちらにいらっしゃいな」
小鳥のさえずりのように可愛らしく、透き通った声であった。
突然聞こえた声に霖之助は訝りながら声のするほうに足を進めた。どうせこのままいても時間の無駄だと感じたからだ。
「はい、そこで止まって」
言われたとおりに霖之助は足を止めた。
光の正体は桜の木であった。太陽やそれに代わる光がないにもかかわらず、光り輝く桜を不思議に思う。しかもかなり大きい。まるで『西行妖』のようであった。
「それ以上近づいたら、危険だからね。そこからでも十分に声が届くでしょう」
「ああ。聞こえるよ」
声は聞こえるが顔はよく見えなかった。声から察するに女性と言うことは分かるが。
「君は何者だい? 因みに僕は森近 霖之助だ。道具屋を経営している」
「私? 私は…………ごめんなさい。忘れちゃったのよ」
「忘れた? 不思議なことがあったものだ」
「うん。だから、好きに呼んでいいわ。その代わり可愛い名前でね」
女性――幼い声をしているのでどちらかと言うと少女は笑いながら霖之助に催促した。
困りながら彼は考えてあげた。
最初、近場の馴染みのある親しい人物の名で呼ぼうかと思ったが、ふと彼女の髪にある人物と重なる特徴があったのでそれに変更した。
「ゆゆこ……って言うのはどうかな?」
「ゆゆこ?」
彼は彼女の桃色掛かった髪を見てこれが相応しいだろうと思った。知り合って間もない女性の名前を与えるなんて失礼だと思ったがこれが一番しっくりきていた。所詮夢の中だ、何を言っても文句は言われまい。
そう思いながら、彼女の反応を待っているとどうやら気に入ってもらったようで笑顔になっていく。
「素敵ね、その名前。貴方のお知り合いかしら?」
「ああ。今その人のところに泊まっているんだよ」
「ええええええええ!? じゃあ、その人って霖之助さんの恋人さん? いいの、そんな人の名前をもらっちゃって?」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。彼女は決して恋人なんかじゃない。そうだな……客……いや、友人と言ったところかな。だから勘違いしないでくれ」
霖之助は落ち着きながら対処した。
けれど、少女――『ゆゆこ』は驚いたまま、彼の顔を覗いていた。そしてぶつぶつと呟く。
「友人なのに女性が男性を泊まらせるなんてあるかしら? もしかして、単にこの人が気づいていないだけじゃあ……」
「うん? 何を言っているんだい。すまないが、もう少し大きな声で喋ってくれ。聞こえないんだ」
「あ、ううん。何でもない。独り言だから気にしないで」
『ゆゆこ』は頭を横に振りながらそう言った。
「ここは夢の中でいいのだろうか」
夢の中にいると確信しているのに、こんな質問をする自分自身に霖之助は苦笑した。
しかも相手は、同じ世界にいる住人だというのに。
「まぁ、それが近いかな。ねぇねぇ、何か遊びましょう。私、ちょっと退屈してたところなの」
「遊びか………良いだろう。夢の中だから君に付き合うことにしよう。どんな遊びがいいだろうか」
自分が何故こんな夢を見ているのか不思議ではあったが、所詮夢は夢と言うことでどうしようもないだろうと言う考えに行き着いた霖之助。とりあえず、暫く彼女に付き合うことにした。
そんな彼の言葉に『ゆゆこ』は嬉しそうに声をあげる。そして彼はここでも同じ付き合いをすることになった。
「じゃあ、歌を詠みましょう」
「歌? もしかして和歌かい?」
「ええ、そうよ。お嫌かしら?」
遠くからでも彼女が今にも泣きそうに尋ねてくるのがよく分かる。
霖之助は首を横に振りながら取り繕った。
「いや、決して嫌じゃないのだが……僕はなかなかに下手でね。君を楽しませることができるか自信がないのだよ」
「あら、そんなことないわよ。歌はね思ったことを口にするのがいいのよ。そこに上手いも下手もないわ。あるのは『思い』! これに尽きるのよ」
先ほどと同じ少女らしい『ゆゆこ』の声なのに、何故かどこか大人びたような声に聞こえた。
彼女の言った言葉が彼女の信念だから。だから、自信を持っていえるのでは――霖之助にはそう思えた。
「歌は『思い』か……単純だな」
「いいじゃない、単純で……」
「だが、真理だと思うよ。僕の友人が詠む歌にもそんな感じがしたから。……あ!」
「え!? な、何?」
「いや、その……そうか、そういうことか! あの歌にはあの意味が込められていたのか! いや、ちょっと待て。だとしたら、僕は……」
『ゆゆこ』の言葉を無視しながらぶつぶつと呟く霖之助。軽くトリップしたかのように何でも喋るが遠くにいる彼女には何を言っているのかよく分からなかった。
だが、困ったように頭を抱え、また顔を赤くしているところを見るに、恥ずかしいことがあったのかもしれない。
「あの~、霖之助さん?」
「ああ、すまない。取り乱したりして…少々厄介なことがあってね」
「厄介? もし良かったら教えてくれない? 相談に乗れるかもしれないよ」
心配そうに覗き込む『ゆゆこ』に霖之助は少し考え込んだが首をふった。
「いや、すまない。これは僕自身の問題なんだ。僕が解決しなくちゃいけないから話せないよ」
「あ、いえ、大丈夫よ。そんなに気にしてないから」
『ゆゆこ』は慌てて霖之助に言葉を紡ぐ。気にはなるが先ほどの態度を見るからに踏み込んではいけないようにも感じていたから、断られても気にしていなかった。
「それじゃあ、改めるけど時間が来るまで歌を詠みましょう。お題は自由で」
「分かった。それじゃあよろしく」
暗い世界の中、桜が光り輝くところで歌を読みあった。
時間が全く感じられないこの世界で楽しい時間を費やした。
「あ~楽しかった。こんなに詠んだの久しぶりだわ。貴方の歌、素敵だったよ」
「そうだったかい。それは良かった。僕も貴女のように『思い』を乗せて詠ませてもらったからね」
霖之助の何気ない一言に『ゆゆこ』の心はとくんと動いた。
嬉しそうにはにかむ彼女。彼のほうを見てみると、服の中から光が漏れているのが見えた。
どこかで見たことがあるような光。はっと気づいて後ろを振り返った。彼の服から漏れる光とまるで後ろに咲いている桜のような光が同じように見えた。
そこで、彼女は初めて彼がここに来た理由に気づいた。同時にお別れの時間が――別れなければいけない時間が来たということにも気づいた。
「霖之助さんの服から漏れている光、『春の光』よね?」
「うん? あれ、これも夢の中で再現されていたのか。そうだよ、貴女の言うとおりこれは春の元。僕らは春度と呼んでいる」
そう言って『ゆゆこ』に見せようと懐に手を入れると彼女はそれを制止した。
「待って! お願い、それは出さないでちょうだい!」
「『ゆゆこ』? どうしたんだい、突然」
「私ね、どうして貴方がここに来たかやっと理由が分かったの。それでね、もう貴方とお別れしないといけないわ」
「お別れだと? もう終わりの時間なのかい?」
突然の『ゆゆこ』の言葉に動揺する霖之助。もう少し、歌を詠みあえるだろうかと思っていただけに素直に驚いた。
「貴女とはもう会えないのだろうか?」
自然と名残惜しいように言葉が出た。
彼女もそうなのか、残念そうに言う。
「そうね……二度と会えないわ。だって」
『ゆゆこ』は俯き、淀みながら言葉を紡いだ。
「夢の中なのですから」
「……そうか」
「だから、もし、私に会いたくなったら、私と同じ名前の人に会ってあげて。それが貴方のためでもありその人のためだと思うの」
霖之助には何故彼女がそう言っているか分からない。しかし、彼女の言いたいことは分かった。
『あの歌』の真の意味を理解した彼は彼女に言わなければいけない。夢から覚めたらすぐに会いに行こう。
彼はこの場を離れることに惜しみながらも踵を返し、もと来た道を歩き始める。すると背後から大きな声で話す『ゆゆこ』の声が聞こえた。
「夢から覚めたら『春の光』をあるべき場所に返してあげて。お願いよ!」
その言葉を最後に霖之助は暗い世界の中で意識がぷつりと切れた。
「行っちゃった…………………………………また、一人ぼっちか」
『ゆゆこ』は腰を下ろし桜の木に寄りかかる。
彼女はこの世界の住人である。そして唯一の住人でもあった。
ここから動くことは出来ない。唯一ここだけが彼女の居場所であった。
「十年、百年、千年………時間なんてあっという間に過ぎるわね」
突然の来客。長い間、生きてきた中で初めての出来事だった。異性と互いに笑いあいながら楽しい時間を過ごせた時間が愛しかった。それだけに、またこれから先、千年も生きていられるだろうか。いや、狂わずにいられるだろうか。
それが心配であった。
「仕方ないか。今回は『こいつ』が勝手に霖之助さんを連れてきたんだからね。偶然だと思って諦めるか」
そう言って掌で何度も桜の幹を叩く。不思議と花びらが一枚も落ちることはなかった。
春度を欲しがったこの桜は何も言わない。
「『永劫の 時を刻むは わが命 共に歩むは 妖怪桜』」
『ゆゆこ』はこてんと寝転がった。
霖之助が目を覚ますとそこはどこかの部屋の中であった。白玉楼の中だと言うのは分かる。何となく自分が泊まっていた部屋に似ていたからだ。
顔を横に動かすとふすまが見える。わずかなスキマからは白い光が差し込んでいた。
「朝、か…」
不思議な夢であった。長い間居たにもかかわらず、全て覚えていた。くっきりと鮮明に。
ゆっくりと体を起こすとおなかの辺りに重みを感じる。幽々子であった。
看病でもして疲れたのか、静かな寝息を立てながら顔を布団に埋めていた。
どうして…とは思わなかった。自分のことを心配してくれたのだろうと感じた。あつかましい感情かもしれない。けれど、それ以外ないように思えた。
そう、思っていると不思議と彼女の髪を撫でたい衝動に駆られた。
後でひどい目に合うかもしれない。そう思いながらもそろそろと手を伸ばす。
「…うん……はぁ…………」
気持ちが良いのか顔がほころんでいるように見えた。
大切に、花を愛でるように静かに何度も撫でる霖之助。
すると、ゆっくりと彼女の目が開いた。
「…………だ~れ~? 私の髪を弄るのは…」
「おはよう、幽々子さん」
「………霖之助さん? 起きていたの?」
「ああ、すまないね。つい、気持ちよさそうだから撫でてみたくなってしまったよ。罰なら何でも受ける」
そう言いながらも彼の手は止まることを知らず、幽々子が起きても尚撫で続けていた。
その手が気持ちいのか彼女の目はとろんとなり、甘えるように頭を彼の手のほうに近づけた。
彼は少し驚いたが、それも一瞬のうち。顔をほころばせ、微笑みながら撫で続けた。
ゆっくりと、ゆっくりと……
「そのままでいいのだが、少し僕の話を聞いてくれないか。真面目な話なんだ」
右手で幽々子の頭を撫でながら彼女に目を向けた。
真面目、と言う言葉を聞いた彼女はピクリと反応し、顔をあわせた。
「春度を幻想郷に返してやってはくれないか?」
その言葉は幽々子を落胆させた。
けれど落胆した顔を霖之助に見せないようにした。そんな顔をしては彼に迷惑だと思ったからだ。
「どうしてか、話してくださらない?」
「……信じてはくれないだろうが僕は夢を見ていたんだ。その中で春度をあるべきところに戻して欲しいと願う少女に出会ったんだ。まるで君みたいな可愛らしい少女とね」
「…………どうして、その娘のいうことを聞くの? 理由は?」
「すまない。彼女が理由を話す前に僕は目を覚ましてしまった。けれど、約束なんだ」
「私の願いよりもその娘のいうことを聞くの? どうして……」
幽々子の目にはうっすらと涙が溜まっていた。
それをふき取ろうとせず、彼女はじっと霖之助の顔を見つめた。
「すまない。ただ、それしか言えない」
「…………………………………………………………分かりました」
彼女の顔には残念な気持ちがありありと見えていた。それに気づかないほど霖之助は鈍感ではなかった。
話の順序を間違えたかもしれない。こんな顔を見るくらいならこの話を後にもってきたほうが良かったかもしれない。
けれど、筋を通すならこっちの方が先だと彼は決めていた。なぜなら、その話が目的で白玉楼に来たのだから。
だからこそ彼は今度の話はもっと緊張した。
なぜなら、彼の人生の中で未体験な出来事だから。
「幽々子さん。実はもっと大事な話がある。出来れば、顔を向けて欲しい」
いつの間にか目を逸らせていた幽々子。悲しさを募らせている彼女にとって彼と目を合わせるのはつらかったが一応、言われるとおり顔を向けた。
涙の筋が頬に伝っている。悲しませた分だけ、余計に彼の心臓がきゅっと引き締まった。
「…………君は初めて僕の店に来たとき、帰り際に歌を詠んでいったよね。『雪が舞う 春の暦に いとふしぎ 桜抱くは 白きものかな』。僕がこの歌の意味を言ったとき君は最高で90点といったよね」
「ええ、そうね………」
「あれから、僕はずっとその歌の心の意味を考えていた。そして、やっとたどり着いたよ」
幽々子は息を呑む。心臓が高鳴る。本当に分かってくれたのかとはやる気持ちが止まらない。
「教えてちょうだい、貴方が思った意味を」
「最後の二句に注目だ。『桜』と『白』は比喩だったんだ。それぞれある人の特徴を現している。なので、それぞれを置き換えてみると、『僕が抱きしめるのは幽々子』。これを望んでいたのかな」
そう言って、霖之助は強引に幽々子の体を近寄らせる。そして腰に手を回し互いの体を密着させた。
あ、と言う彼女の言葉は衣擦れの音にかき消される。不意の彼の行動に彼女の頭は真っ白になった。来ると分かっていても何かが弾けたように頭の中がパニックになった。そして徐々に嬉しさで満たされていった。
霖之助の手が震えているのが分かる。目を瞑り、今の感情をかみ締めながら幽々子もゆっくりと手を背中に回した。
「ありがとう、霖之助さん。私の歌に気づいてくれて」
「……正直、自信がなかったよ。だってあの歌は君が初めて来たときに詠んだものじゃないか。今でも信じられないさ。その証拠に僕の手は震えている」
「一目惚れ……だったの。貴方のたたずまい、仕草、声全てが素敵だった。もう一度足を運びたい。そんな気持ちに駆られる毎日だったわ」
帰り際のお題は彼女自身への制約であった。毎日通えば、それは幸せかもしれない。だが、会えない時間が長ければ長いほどより幸せになれるかもしれない。距離を開けることで彼女は自分の感情を昂ぶらせていたのだ。
幽々子は少し体を離し霖之助の目を見つめた。
彼もまた彼女の腰から手を離す。息が掛かる。鼻が触れ合う。そんな距離で見詰め合っている状況に霖之助は顔を赤くした。
「くすくす、霖之助さんお顔が真っ赤よ」
「君だってそうだ。まるで桃のようだ」
二人は笑った。
そこで、幽々子は一つ小さなため息をついた。
「実はね、そのころから春度なんかどうでもいいかなって思い始めたのよ」
「どうしてだい? 君の願いだったのだろう」
「うん、そうね……でも、貴方の顔を見にいける嬉しい気持ちの方が大きかった。優柔不断な主で妖夢には迷惑掛けたと思っているわ」
「じゃあ、何故さっきは泣いていたんだい?」
「もう、貴方と会う口実がなくなるからよ」
幽々子は恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
この出来事が終わると霖之助と会う機会がなくなると考えていた彼女。普段は幽霊の管理に忙しく、もっぱらお使いは妖夢の担当なので彼女がここに来る機会は減ってしまうのだ。それを思うと彼女は寂しい気持ちで溢れたのだと言う。
「もう少し悩んでいて欲しかったわ。そう、もっとね……」
残念そうに呟く彼女に霖之助はこてんとおでこをぶつけた。
「君はもう少し良い方法を見つけることが出来たよ。例えば、妖夢に僕を迎えに行かせるとかね。困ったことに僕のお店は閑古鳥がお得意さまでね、時間は余っているのだよ」
「じゃあ、また会ってくれるの?」
「もちろんだ」
そう言って霖之助は幽々子を力強く抱きしめた。
その強さに彼女は困りながらも嬉しそうに身を任せた。
「好きだよ、幽々子」
「嬉しいわ! 私、今すっごく幸せよ!」
その日、白玉楼にとどめられていた春が開放された。
長い間、幻想郷に覆われていた冬が瞬く間に消えてゆき、春色に塗り替えられていく。空から降り注ぐ春の暖かさと、桜の花びらに幻想郷は歓喜に包まれた。
これが後に言う『春雪異変』であった。
終
森近 霖之助は手をもてあましていた。
今日のお昼のことである。彼は彼岸に出かけていた。外の世界の道具を探すためである。
その日課である道具拾いをした帰りに珍しいものを見つけたのだ。
道中雪が積もった草むらの上。それは淡い桃色の光を放ち、何やら桜の花びらに見える。
偶然見つけたそれを彼は怪しみながら手に取ると温かみを感じた。
これは良い拾い物であった。
何せ今はちょっとおかしいことになっているのだ。現在、暦上は春を指しているのだが、見渡す限り白銀の世界が広がっている。時期がずれているのだ。
長いこと、生きてきた彼にもこの異常な状況に出会った記憶が全くない。
そういうわけで寒い今を生き残るために彼は懐にそれを入れた。
「お、温いな」
顔をほころばせながら大事そうに抱えながらまた歩き始める。
雪道をリヤカーに乗せた重い荷物を引きずりながら彼は自分の店へと戻っていった。
ストーリー
香霖堂――霖之助が運営する道具屋。幻想郷唯一の外の道具専門店である。
霖之助はその店主として今日もお客や道具の対応にせっせと―――してはいなかった。
自慢ではないがここはお客がこないことで有名な店だ。そういうわけで彼はカウンターに備えてある椅子に座りながら今日の拾い物を観察していた。
もちろん、対象は桜の花びらを模ったそれ。
肘を突き、手の上に頭を乗せながらもう片方の手でつんつんと突付いてみる。
鳥の羽のように軽い。
「何だろうな、これは」
そこで彼は自身の能力――物の名前と用途が分かる程度の能力を使用した。
読み取ったものからつぎつぎと情報が彼の頭に入り込んでくる。
「名前、春度。用途、春をもたらす。何だこれ」
余計に訳が分からなくなった。
大きくため息をついたところで、店の入り口がけたましく開かれた。
音で察するに厄介な人が来たようだ、そう愚痴りながら顔を上げると見たことない少女が立っていた。そして彼女の発する言葉が彼を余計に気を滅入らせた。
「春度を返してもらう!」
普通はこんにちはだろう、そう呟きながら海よりも深いため息をついた。
「それで君は、何者だい?」
霖之助は取り合えず、来訪者の対応に当たった。
見たところ十代前半のようななりをした少女のようだ。とは言え、見た目には騙されない。何せ、傍らには幽霊の様なものが浮いているからだ。
「ふむ、半霊かい?」
彼女が答える前にもう一つ質問をした。
「魂魄 妖夢。さるところで剣術指南役兼庭師をしている」
丁寧な口調で簡潔に答える。
「春度を返してもらうぞ!」
もちろん要求も忘れずに。
春度といわれたので霖之助はカウンターにおいてあるそれを見やった。彼女が言うものはこれであっているだろう。そう思いそれを無言で指差した。
「それだ!」
勢いつけて飛び掛る妖夢に彼は待ったをかけた。
「ちょっと待ちたまえ。これは僕が拾ったものだ。だからこれは僕のものである。返すわけにはいかないよ」
「何~?」
くいっと軽くメガネを持ち上げて彼は妖夢にそう告げた。
すんなり返してもらえるものだろうと思っていた彼女には不意の言葉であった。
目を細めにらみを利かせながら、思わず腰に下げている二本の刀に手をかけた。
霖之助は慌てることなく制止した。
「おっと、君は物取りかい?」
「違う! 私はお嬢様の付き人だ。あの人に迷惑を掛けることはするつもりはない」
「だったら、これはとってはいけないよ。何せ、僕のものだからな」
「ふざけるな! それは彼岸で回収したときに私が落としたものだ。お前のものだというなら、証拠を見せてみろ」
「その言葉をそっくり返すよ。君の名前でも書いてあるのかい?」
そう言われて妖夢は言葉を詰まらせた。
自分が落としたとはいえても、それが正しいという証拠はないし証人もいない
一方、彼は現にそれを持っている。彼女が落としたはずのものを持っている彼がいる。
自分のものだと確信している妖夢にとってこの状況は歯がゆかった。思わず何度も床を強く踏む。
そんな息んでいる彼女に霖之助は提案をしてきた。
「とは言え、このままでは床が壊されそうだ。そこで、君に提案がある」
「…提案? 言ってみろ!」
「高圧的だね。まぁ、いい。僕の提案は言い値で買い取って欲しい」
霖之助はカウンターにある春度をそっと掌に乗せた。
そして、彼女に間近で見せた。
「これは珍しいものだ。しかも君とっては大切なもの…いや、お嬢様にとってかな」
「……そうだ。お前の言う通り、お嬢様は私にそれの回収を命じた。お嬢様の用命は絶対だ。だから絶対に返してもらわなければならない」
なかなかに重そうな雰囲気を放ちながら淡々と告げる。
その身なりには似合わない科白を告げる妖夢に霖之助は感心するもそれは一瞬であった。
すぐに彼は笑みを浮かべた。まるで、獲物が掛かったような猟師のような目であった。
「そうかい、そんなに大事なら僕としてはこれぐらい欲しいかな」
そう言って手近にあったメモ用紙にさらさらと金額を書いて妖夢に見せた。
それを見た彼女は大きく目を開いた。
「ふざけるな! こんな金額、払えるわけない!」
ぐしゃぐしゃにまとめて床にたたきつけた。
そこには霊夢が三ヶ月、毎日三食取っても尚余裕がある生活が送れるほどの金額が書いてあった。
霖之助は妖夢の足元を見たのであった。
「払えるだろう。君はおそらく名家出身のお嬢様の付き人なのだろう。雰囲気で分かるよ。だから、そのお嬢様に払ってもらってくれ」
「そんなこと言える訳がない。あの人は私を信頼して春度の回収を頼んだのだ」
「だったら、これはどうするんだい。僕としては君に渡すつもりはない。譲歩してこの値段なのだ。びた一文まからないよ」
霖之助は強気に攻めていた。
妖夢がどんな反応を示すかじっくり待っていた。
十中八苦彼女が折れるだろうと思いながら……
辺りは何も音が聞こえない。
呼吸音でさえ静かにしか聞こえず、ただただ無音が続いていた。
そんな状況に妖夢は顔をしかめうんうん唸っている。やはり値段がネックなようで悔しそうに春度を見ていた。
いわゆる身から出たさびなので彼女はどうしようもすることが出来ないことを悟り、ついに彼女が先に折れた。
「わかった。お嬢様に確認する」
妖夢は無念そうに口を開いた。
一方の霖之助はそうなるだろうな、と思い通りの展開に一つ頷いた。
「だから、お前にはついて来てもらう。そこでお嬢様に話をしてもらおう」
「それは出来ないよ。僕はここの主だ。そして、君たちが依頼に来たんだ。ならば、君たちが来るのが筋ってもんだろう」
「なっ!?」
そのことにまた絶句した。
こんな高圧的な店主見たことがない、そんなまなざしも霖之助には効かなかった。
とは言え、自分ではもう何もできないのはわかっているので妖夢は沈うつな表情で頷いた。
「分かった……悔しいがそれも呑もう」
「それは何よりだ。当日楽しみにしているよ」
悔しげに妖夢は入り口の戸を開いた。それは来たときとは違う弱弱しい様子であった。
彼女を見送ってから霖之助はゆっくりと椅子に座った。
ほんのりと温かみを放つ春度。それを楽しげに抱えながら静かに言葉を発した。
「温かいなぁ」
こんなことをしているから彼の元にはまともな収入が入らないことに彼は気づいていなかった。
天にそびえ雲よりも高いところにあるは白玉楼。
そこは幽霊たちが住まう、一角の場所であった。
特殊な結界を抜けた先には博麗神社よりも長いといわれる石で模られた階段。そこをのぼってやっと拝める。
純和風の庭園が二百由旬もあり、中心にはこれまた庭に合った様な屋敷が威風堂々と佇んでいた。その屋敷の周りには桜の木が植えられている。どれもが花びらが咲き誇っている。その群衆の中に一本だけ一際大きな桜の木が目立つ。残念ながら、これはまだ咲いていないようだ。
「……というわけでございまして、春度の回収にはその、失敗しました」
言葉を少し詰まらせながら報告する妖夢の姿が屋敷の中にあった。廊下で方膝をつきながら顔を俯かせている。その様は怒られるのが怖いのか、それとも任務をまっとう出来なかったのが悔しいのか。
「構わないわ~」
間の伸びた声が妖夢の耳に入る。
思わず気が抜けそうになるが、そこは長年の実務経験。彼女は折れることなく、じっと佇みながら感謝の言葉を述べた。
「しかし、いかがいたしましょうか。春度は向こうの手にありこのままでは私達の計画は水の泡になるかと」
「うふふふふ、妖夢ったら本当に悪役が身についてきたわね~。私感心しちゃうわ~」
「な!? 誰が悪役ですか!!!」
妖夢は思わず足を一歩踏み出してつっこんでしまった。
折角ここまで我慢していたのが水の泡になった。
「大丈夫よ。だって次は私が赴くからね」
「……やはり出られるのですか。では、私もお連れしてください、幽々子様」
「それは駄目」
えぇぇ、と嘆く妖夢。
幽々子と呼ばれた女性は正座を崩し、ゆっくりと立ち上がってから庭の方を見渡した。
そこはまさに春の世界。
太陽から降り注ぐ光が桃色の桜を通過し、庭にある周辺の石砂利を桜色に染め上げていた。
「妖夢。貴女には別の命があります」
「…はっ!」
先ほどまでの軽やかな口調とはうって変わる。
その変化にもっと大事な用命があるのだろうと妖夢は思わず、身を竦ませる。
「何なりと御命じ下さい。必ず、遂行いたします」
「では、一つ……」
凛したと空気が張り詰める。
「桜餅を三十個用意しておきなさい。あ、もちろんこしあん、しろあんをそれぞれでね♪」
「おい!!!」
魂魄 妖夢
この日、初めて敬語以外で主に向かって突っ込みを入れた記念日になった。
霖之助曰く、あれは交渉だったと言う。
妖夢との交渉を楽しんだ彼は春度を懐に抱えながら、じっとしていた。
何をするのも億劫であった。というのも寒いからだ。この一言に尽きる。
時刻は夕方。最も空は厚い雲に覆われており夕日が全く見えないのだが。
「全く…今年の幻想郷はおかしなものだ」
誰に言うでもなく、ポツリと言葉を洩らした。
そういえば、これは春をもたらすものだったなと懐に目を見やった。
不思議なものだ。これをもっているだけですごく温かい。心根からそう実感できた。
いつまで続くか分からない冬にこれは貴重なものである。
「……非売品かな」
そう呟いた瞬間、入り口の戸が開かれた。
「こんばんは、道具屋さん」
入り口に立っていたのは白玉楼の主であった。
「西行寺 幽々子と申します」
「西行寺…君はもしかして白玉楼の当主かね。これはすごい方が来られたな」
その問いに幽々子はこくりと頷いた。
霖之助はたいそう驚いた。妖夢が言っていた主と言うのは高名な方だとは思っていたがまさかかの有名な亡霊嬢が来るとは思いもよらなかったからだ。
この時になってすこしだけあの交渉のやり取りを後悔した。ほんの少しだけ……
「妖夢がお世話になりました」
「いや、こちらは何もしていませんよ」
幽々子が当たり障りない会話をする。その言葉にいろいろ棘があるように聞こえて霖之助の額に脂汗が浮かんだ。
「春度はいかがですか? 温かいでしょう、それ」
「ええ、確かに。これはどういうものかご存知なんですよね?」
もちろんと言いながら幽々子は頷いた。
霖之助は彼女との対応や距離感がつかめず上手く発言が出来ずにいる。それだけ彼女の存在が彼にとっては厄介な者であった。
「それはね、春の子供のようなものかしら。それが幻想郷中に溢れることで春は生まれます。即ちそれがなくては春は来ないに等しいということになりますのよ」
「ふむ、ということは貴女が妖夢に集めさせているからここには春が来ていないことを意味するのですか?」
「ええ、まさしく」
霖之助は驚いた。どうやらこの異常気象は自然がもたらしたものではなく人為的に起こしたものらしい。しかも、目の前の当人が首謀者だということも認めている。
どうやら、この春度は厄介者を引き込む魅惑の塊だったらしい。
少しだけうんざりしながら霖之助は幽々子のほうに目を向けると彼女はくすくすと笑っていた。
「…何でしょうか?」
「あら、ごめんなさい。決して小ばかにして、笑っているわけじゃないのよ」
「?」
「その貴方のため息と表情。偶に見せる妖夢にそっくりでつい、ね」
そう言ってまた笑い出した。
どうやら霖之助の仕草などが妖夢に被って見えたのだ。思わず彼は妖夢に同情した。
「ああ、そうですか。それで、貴女は結局のところこれが欲しいのですか?」
「ええ、是非……と言っても今すぐじゃなくてもいいわ」
「は?」
そこでずっと入り口近くに立っていたままの幽々子がカウンターに近づいてきた。
足音は聞こえず、よく見れば浮遊しながら動いている。彼女は霖之助と手が触れ合える距離にまで近づいた。
椅子に座っている霖之助は彼女の顔を見上げた。
薄い青色をした着物を纏い、いい意味で女性らしい体つきをしている。
この女性は桜が似合う人だなと思った。
くせっ毛のある桃色の髪がそのように連想させられるのだが、唇もまた同様にそう見えるので、艶やかに感じる。対照に頬は白く雪のようだ。
綺麗だと思った。
「貴方が必要でなくなったときに返して欲しいのよ」
霖之助ははっとした。
彼女を見てるあまり耳に集中が出来ていなかった。
一つ見苦しくないように咳をしてから言葉を紡いだ。
「だいぶ時間をくれますね。従者とは違い懐が深いことで」
「ふふふ。それくらいしなくては信頼を出来ないでしょう。私の人となりとか」
「人ではなく亡霊ですよね」
霖之助は知っていた。彼女が幽霊ではなく亡霊と言う種族であること。
そんな言葉の綾に幽々子は楽しそうに笑っている。その笑みがまた可愛らしくて再度霖之助は見とれてしまった。
困ったものだ。これでは相手に主導権が握られそうだと感じ霖之助はうんざりした。
「『雪が舞う 春の暦に いとふしぎ 桜抱くは 白きものかな』貴方はどう感じたかしら?」
「短歌? オリジナルだろうか? それに応えて何の意味があるのだい?」
「暇つぶしよ。今度来るときまでに考えておいてちょうだい」
そう言って幽々子は玄関の方に向かう。
がちゃりと戸をあけると、いつの間にか雪が降り始めていた。
冷たい風が店内に吹き込む。霖之助は一応、彼女を見送るために彼もまた入り口のところに来た。
「お体にお気をつけてね」
「貴女が春を返してくれれば問題ないですよ」
「ふふふ、ではまた」
ひらひらと軽やかに手を振りながら幽々子は空へと登っていった。
羽衣があればもっと相応しかっただろうと呟く。いつの間にか上げていた右手を引っ込めながら今日の収入にうんざりした。
幽々子の来店から三日後、霖之助は特別何をすることなく七輪でもちを焼いていた。
まさか卯月にもなって七輪が必要になるとは思いも寄らなかった。ちなみに春度は懐に入れている。もはやカイロ代わりだ。
異常――幻想強風に言わせてもらえば異変を起こした犯人は知っている。
しかし、霖之助にはどうすることも出来なかった。
彼は力を持てない存在であった。半分妖怪の血を引き継いでいるがお情け程度のものであった。故に弾幕ですら展開出来ない。
こういうときに打ってつけな知り合いが二人いる。彼女たちは異変解決の専門家だが如何せん、雪がひどくて知らせようにも外に出るのが億劫であった。なので知らせていない。
「彼女たちが気づいてくれればいいのだが」
淡い期待を抱きながら霖之助はもちが膨らむ様を観察していた。
「いい匂いね。砂糖と醤油の準備は出来ているかしら?」
玄関から女性特有の柔らかさを伴った声が聞こえた。
振り向くと件の犯人が立っている。
霖之助は来てしまったかと、内心うんざりしながら挨拶をした。
「いらっしゃい。寒いならこちらに来るといいよ」
「あら、よろしいのかしら」
嬉々としながら幽々子は七輪に近づく。
亡霊でも一応寒かったらしく冷えた手を翳しながら暖を取っていた。
「ああ、幸せ♪ まさに生き返るような心地よさね」
「そんなんで生き返るのであれば、さぞや白玉楼は寂しいでしょうに」
隣にしゃがみ込む幽々子に皮肉を交えながら彼はカウンター奥にある居間へと入っていった。
「砂糖をお持ちします。それまで焦げないように見ていてください」
「ええ、任せなさい」
どうも彼女との距離感が未だつかめないでいる霖之助は会話のたびに言葉を変えずにはいられなかった。
台所は居間の奥にある。
一人暮らしの彼には十分なスペースが確保されており、調味料一式は揃えてある。
戸棚から砂糖の入った袋を取り出して適量を皿にあける。醤油は既に向こうにおいてあった。
「後は、海苔もいるかな」
幽々子のリクエストにはなったが一応持っていくことにした。
お盆の上に必要なものを乗せて七輪の置いてある店内に行くと幽々子がしっかりと『もちの焼ける様を見ていた』。
「どうですか、もちの方は?」
「ええ。なかなかいい塩梅よ。食べるには十分なようだわ」
「それは何よりです」
霖之助は幽々子がいつまでもしゃがんでいるので椅子をもってきた。
彼女は感謝の言葉を言ってから取り皿と砂糖の入った皿を受け取る。少し醤油を垂らし砂糖を加えてから小指につけて味を確かめた。丁度良かったようだ。
それからもちを一つ取って砂糖醤油につける。それを口に入れるまで霖之助は思わずじっと見つめていた。
「照れますわ。そんなに見ないで下さい」
「あ、ああ。すまない」
慌てながら霖之助も自分の皿に醤油を垂らす。砂糖は要らない彼はそのままもちを取って醤油につけようとしたが、
「あちっ!」
思わず七輪に指が触れてしまった。反射的に指を引っ込めると彼はすぐに口の中に指を入れる。幸い、大きな怪我にはならなかったようだ。
「大丈夫かしら?」
「ええ、まあ……これくらいならすぐに治りますよ」
そう言って彼は怪我した指を幽々子に見せた。
すると心配そうに覗き込んでいた彼女は彼の手を取り、やけどした指を自分の両手で包み込んだ。
「幽々子さん!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる霖之助。
幽々子の冷たい掌が気持ちよく感じた。
優しく包む彼女の掌は綺麗で糸の様に細い。ガラス細工のようにも見て取れる。
霖之助は掌から彼女の顔に目を移す。
にこりと笑った顔が素敵で思わず、目を逸らしてしまった。
七輪で焼かれるもちがぷっくりと膨らんでいた。
「ありがとうございます……」
「どういたしまして」
未だ目をあわせられずにいる霖之助はそれでも礼を失することなく感謝の言葉を述べた。
幽々子のほうもそれに応える。皿に乗せていた食べかけのもちは少し冷え固まっていた。
「これからは少し気をつけましょうね」
「ええ、そうします」
七輪の上で少し焦げ目がついた餅を今度は気をつけながら取る。醤油につけて口に含むもあまり味がしなかった。
どうやら、まだ緊張しているようだ。それもまた無理のないことであった。
知り合って間もない女性にいきなり手を握られたのだ。何も感じないほうがおかしい。その部分は彼もまだ健全な青年男子であることを証明していた。
「ねぇ、霖之助さん。この前私が詠んだ意味、考えていただけたかしら?」
「うん? ああ、一応考えましたよ。合っているかは知りませんが」
霖之助は質問を聞きながら自分の考えた答えを思い出していた。
幽々子はもちを食べ終えお皿を近くに置いてから彼の言葉に対して静かに耳を傾けた。
「『暦上春なのに未だ雪が降っているのはとても奇妙だ。まだ冬が桜を抑えているようだ』と、考えてみました。どうですか?」
「う~ん、60点かしら。いいところを付いているのだけど、それじゃあ足りないのよ」
幽々子はおしいと言う。どうやら霖之助の答えは彼女の回答を満足させていないようだ。
ふむ、と唸りながら彼は再度熟考した。
霖之助が答えた最初の答えは意外と早く推測できただけに妖しい部分も確かに彼の中にあった。おそらく、掛詞とかがあるのだろう。その部分まで彼は考えていなかった。
「どうかしら?」
「………もしかして僕のことを言っているのですか?」
「具体的には?」
「四句目から『春度を抱えている僕の所為で』と掛けているとか」
「あら、すごい! でも、それでも90点てところね。良い線いっていたわ」
どうやらそれでも完璧では内容だ。とは言え、幽々子は満足そうに微笑んでいる。しっくり来ないが霖之助はよしとした。
「といいますが、正式には僕は春を盗んでいませんよ。酷い言われようですね」
「ごめんなさい、つい貴方が妖夢にしたことを思い出しちゃってね。気分を悪くさせたのならお詫びします」
「……まぁ、いいですけど」
霖之助は思わず妖夢のことを出されたので、反論するのをやめた。
幽々子が頭を下げる前に彼は制止をかける。
「霖之助さん」
「何ですか?」
「また、遊びませんか?」
「………良いですよ」
幽々子のいう遊びがどういうものかは推測できる。同時にどうやら今日はこれでお終りということを意味していた。
幽々子は腰をあげ入り口の方に向かう。ゆっくりと戸を開くとまだ、冬の冷たさが辺りを包んでいた。
(いつまで続くのやら)
そう愚痴る。
春は遠い。
「『男待つ いつかいつかと 来るはずの 萌ゆる桜の 春はどこかと』」
まるで霖之助の内心を読み取るような歌を残して幽々子は帰っていった。
霖之助は弱い存在であった。妖怪としても中途半端で人間としても中途半端。半端だからどこにも属せない。弱いから、目の前の犯人にやめるようにいえない。
でも本当にそれだけが理由なのだろうか。
彼の心に迷いがあった。
「最近楽しそうですね、幽々子様」
妖夢が庭の掃き掃除をしながら、縁側で足をぶらぶらさせながら桜餅をほお張る主に尋ねた。よほどおいしいのか、口に含んだまま言葉を紡ごうとする主に、やんわりと辞めさせた妖夢。
「まぐっまぐっ………そう見えるかしら」
「ええ。だってこの前なんか上機嫌に鼻歌まで歌っていたじゃないですか」
「あら、鼻歌なんていつでもするわよ?」
「厠の中ででもですか?」
妖夢のさらりとした発言に幽々子は思わず赤面し、持っていた扇を投げつけた。
寸分違わずこめかみに当たり妖夢は庭に倒れた。
「いった~~~……何するんですか、幽々子様!」
「言っていいことと悪いことがあるわ。ホント、デリカシーがないわね。まるで妖忌みたい」
「う~~~」
最近反抗期なのか妖夢が真剣に謝りを見せない。
幽々子ははぁ~と盛大にため息をついてから桜餅をつまんだ。
「やっぱり、桜餅60個はやりすぎたかしら」
今日も幽々子の傍には桜餅が山のように積まれていた。
二回目からの来店から二日後、霖之助は飽きることなくもちをまた焼いていた。
よほど好きなのか、それとも単に在庫処分のためか判断が付きにくい。
店内はまだまだ寒く幻想郷から冬型の気圧配置が消える気配は見えない。
「西高東低だったかな。寒いのはもう勘弁して欲しいよ」
霖之助は最近、まともに外を出ていなかった。
幻想郷の冬はなかなかに厳しく、吹雪くこともある。積雪も膝以上の日はざらでそのために人間は前もって備蓄を備えることが当然として生活に染み渡っていた。
妖怪もまた同様だ。体が資本とは言え、これだけの吹雪だと鳴りを潜めるのが当然であった。
「こんな季節に平然と外出できるのは君ぐらいなものだよ」
「あら、それはお褒めの言葉かしら」
そう言って幽々子は入り口の戸を静かにあけた。
「こんにちは、霖之助さん。今日も寒いわね」
「こんにちは、幽々子さん。そう思うのなら早く春を返してほしいくらいだ」
いつも通りの会話が始まった。
こんな異変が続いているのにいつもどおりと思う辺りだいぶ毒されたようだと霖之助はうんざりした。
「時に霖之助さん。私への呼びかけが変わりましたね」
「は? どういう意味ですか?」
「先ほど、貴方は私のことを『君』と言ったり、言葉が大分くだけたように見えますの。お気づきじゃなかったのですか?」
「言われてみれば……すみません、これからは気をつけます」
「いえ、良いのよ。むしろ、そう話してちょうだい」
そう言って幽々子はあのときのようにぎゅっと霖之助の手を握る。
ひやりと冷たい手は霖之助の体温を吸収するように力強く握られた。けれど、不思議なことに決して痛くはない。むしろ気持ちよかった。
「貴女が…いえ、君がそういうならそうやって話させてもらうよ。だから手を離して欲しい」
「あ、あら、ごめんなさい。つい、ね」
お互い顔を赤面しながらぱっと手を離した。
霖之助は手を落ち着きなく動かしていた。幽々子は握っていた両の掌を自分の頬にくっつけていた。
「幽々子さん?」
「温かいわ。貴方の手を握った両手から貴方の温もりを感じるのよ」
「寒いのか?」
「ええ。いくら体温が低い亡霊と言えど、この寒さは厳しいのよ。これからますます寒くなるわ」
「春度を回収しているからか? そんなに体を冷たくするまで一体何の意味があるんだ? 君は一体何をしようというのだ!」
思わず語調を強めてしまう。言い過ぎたかと思い霖之助は少し目を逸らした。
幽々子は彼の言葉をあまり気にしていないのか、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「桜を咲かせたいのよ」
「桜? 白玉楼にある桜をかい?」
「ええ、そうよ。と言ってもただの桜じゃなくていわゆる妖怪桜のことよ」
聞きなれない言葉に霖之助は首をひねった。
話が長くなりそうだと思った彼は、七輪の前に椅子を用意し彼女に座らせる。
幸い、丁度良い焼き加減でもちが焼けたのでそれをつつきながら幽々子の話に耳を傾けた。
「それで、その妖怪桜と言うのは…」
「白玉楼に植えられているの。名は西行妖。いつからそこにあるのか私には分からないくらい長い間あるのよ。普通の桜と比べられないくらいくらいの大きさを誇っているわ」
「それはさぞ、咲いたときが見事なものだろうね」
「いいえ、それは一度も咲いたことがないのよ。これでも数百年以上は亡霊をしている私でさえ見たことがないのよ」
「それはまた不思議な」
霖之助は真剣に驚いていた。
「それでね、一体どれだけ絢爛なのか見たくてね。こうして春度を集めているのよ。春度が集まればいかに西行妖といえど咲くに決まっているわ」
「そのために幻想郷の春はなくなっていいと……なんだかわがままな話だな」
「軽蔑するかしら。してくれても良いのよ。元々私はそういう性格だから」
笑いながら話す幽々子に霖之助は眉を潜めた。
彼女の話が本当なら、これほど迷惑なことはない。実際、寒くてたまらないのだから。
しかし、彼女はそれだけを望んでいるようには見えなかった。
なぜなら彼女の目は寂びしそうに見えたからだ。
「何か隠しているのかい? 君の表情はとても本心を語っているようには見えないが」
「……そう、見えるかしら」
「ああ。自信を持っていえるよ」
幽々子は意外そうに霖之助の顔を覗きこむ。
「へぇ。情緒だとか人の機微には疎そうに見えたのだけれど違っていたようね。私の中の貴方の評価を変えざるをえないわ」
「………嫌な言い方だ。これでも妹分が何度もここに遊びに来ているんだ。そのお陰で彼女から色々と学ばせてもらっているんだよ」
そういうといやなことでも思い出したのか苦笑しながら霖之助はお皿にもちを乗せた。
幽々子もクスリと笑い、もちを皿に乗せる。
「………会いたい人がいるのよ」
「会いたい人?」
霖之助が鸚鵡返しをする。すると彼女の顔はまるでどこか遠くのほう見るような表情でぽつりぽつりと話し始めた。
「その人は私の知らない人なの。たぶん女性だとは思うけどそれ以外は知らない。どこから来るのか、一人で来るのか、全く知らない。けど…」
「けど?」
「西行妖が咲けば会える。それだけは確信している」
彼女の目には力強い意思が灯っていた。
彼女の行動は傍から見ればわがままかもしれない。ほとんど、正体不明な人物に会うがために幻想郷のものを奪うなんて正気じゃないと思う人もいるだろう。
けれど、そうしてまでも達成しようという意思が霖之助には垣間見えた。
(まるで魔理沙みたいだな)
妹分の彼女の行動を、表情を思い出しながら彼は嘆息した。
「君はその人に会って何をしたいんだ?」
「歌を詠みたいわ。一緒に詠みあうのよ。それが私の望み」
「そうか……」
目を瞑り彼女の言葉をゆっくりと反芻する霖之助。
彼女を信頼していいのかもしくは駄目なのか、その選択をする岐路に彼は立たされていた。
幻想郷の春を戻すか、彼女の願いをかなえるか……何度も不安定にゆれる天秤を掛けながら彼は答えを導いた。
「僕を白玉楼に連れて行ってくれないか。そこで僕は結論を下すよ」
霖之助は幽々子に顔を向け、答えを尋ねた。
彼にとってこの選択はかなり荷が重かった。故に少し時間をほしいと言うのが理由の一つ。他には純粋に白玉楼に興味があることも挙げられる。
幽々子は霖之助の思考を覗き込むようにじっと見つめていた。
右手には自分の愛用の扇子がいつの間にか握られている。それを何度も開いたり閉じたりしては少し落ち着きない様子でいた。
「……構いませんよ。是非いらしてください」
そして了承の言葉を口にした。
難しい顔からほんのりと柔らかい笑顔で答える幽々子。その言葉を聞いて霖之助も同じ顔をした。
「よかったよ。断られるかと思ったからね。じゃあ、行く日なんだけど……」
「その前に」
そう言って幽々子は霖之助に制止をかけた。
「前回のお遊び、返してくれませんか」
幽々子は先日の帰り際に残した短歌に触れてきた。
言われてみればその解釈を伝えていなかったことを思い出した霖之助は言葉を紡いだ。
「えっと、『遠い春が…』」
「そうじゃなくて、『返して』欲しいのよ」
「は?」
くすくすと笑いながら待ったをかける幽々子。その言葉に訝った霖之助は再度彼女の言葉を反芻した。
ほんの少し間を空けて彼は彼女の言っている意味を理解した。
「返歌ですね」
返歌とは人から送られた歌に対する返し歌のことである。
それを彼女が望んでいることを知った霖之助はそこからまた時間を掛けた。
正直、返歌を望んでいるとは思ってもいなかったので即興で練り上げるしかなかった。
「『向かう地は げに暖かき 天の空 春の道へと 嬢が誘(いざな)う』」
拙いな、そう言ってから霖之助は自分の歌の乏しさに呆れた。
もしかして返歌が駄目で訪問が取りやめになったらどうしようと心配した。
しかし、それは杞憂に終わった。
幽々子は彼の返歌に満足したのか微笑みながら手を差し出してくる。
「貴方の返歌、確かに受け取りました。とても良い歌でしたよ。では、貴方の歌の通りに私がお誘いしますね」
それを聞いて霖之助はほっとしながら差し出された彼女の手を握った。
心なしか彼女の手がいつもより暖かいなと感じた。
外は猛吹雪。視界ゼロ。一面白銀の世界。レティがはじける。妹紅がもてもて。
表現はいくらでも仕様がある。
それくらい外は寒かった。
しかし、それもある程度の高さまで来ると不思議なことに暖かい風が流れていた。
常識で考えると上空に行けば行くほど寒くなるものだが、今は完全に逆転している。
「それくらい今の幻想郷は異変でおかしいと言うことか」
やっぱり春を返せと言えばよかっただろうかと霖之助は少し後悔した。
とは言え、素直にそうはいえなかった。
幽々子の望み――他の人が聞けばはた迷惑なの一言で問答無用に退治するだろう。特に霊夢なんかがかなりキレそうだ。
でも彼にはそんな一言で終わらせられなかった。
やっぱり自分もこの異変に毒されているのだろうかと深いため息を吐きながら彼の少し前を飛んでいる幽々子の顔を見た。
「あら、何かしら?」
霖之助の視線に気づいたのか幽々子が振り向いた。
「いや、なんでもない。しかし本当に空は暖かいんだね」
「ええ、そうね。白玉楼から漏れた春が空を暖めているのよ」
「と言うことは、やっぱり今は春なんだね」
霖之助は呟いた。
自分の選択に自信がなくなってきた。ふと右の方を向くと春の代名詞、リリー=ホワイトが飛んでいるではないか。
「もうすぐで結界付近に着きますよ。そうすれば貴方も歩くことが出来るわ」
幽々子は楽しそうに彼女の左手を見る。
その手には霖之助の右手が握られている。飛べない彼は彼女に手を引っ張られて空を移動しているのだ。
後ろの方でリリーが『春ですよー』と毛玉相手に告げている。
彼女の行動にもう少し待ってて欲しいと思いながら霖之助は前の方に目を向けた。
大きな結界が徐々に現れてきた。
「ああああああ、もうあのお方は!」
白玉楼へと向かう長い石畳の階段。
散った桜の花びらで埋め尽くされた階段をせっせと掃除に勤しむ妖夢がそこにいた。
何やら機嫌が悪いのか声を荒げている。
「何で、稽古ほっぽり出して『下に行ってくるわ~。後よろしく~』ってサボるのかなぁ。これじゃあ、私のお役目が果たせないよ」
妖夢の主な役目は幽々子の剣術指南である。決して掃除をはじめとした小間使いがメインではない。
それを知ってか知らずか彼女は何かと妖夢を口で言いくるめながら稽古をサボっていた。
「まあ、これも私の任務失敗が原因なんだけどね」
結局自分の失敗から始まったことでもあり、妖夢は強く言えないでいた。
はぁ~っと不幸を呼び込むような重いため息を吐きながら彼女は最近の幽々子のことを思い出していた。
よく笑うようになった。
以前から笑みは絶えない人だと思っていたが、今はそれ以上に笑っているように思えた。
原因は………分からない。
特別自分が何かしたわけではないことは、妖夢は分かっていた。と言うことは別の理由があるはずだ。
「あ、もしかして!!!」
妖夢は閃いた。
「無理矢理笑うことで、顔のフェイスアップをしてるんじゃないだろうか!!! 最近、頬のたるみを気にしていたからそうに違いなっ!?」
そこまで言って妖夢は突如、どこから飛来したのか幽々子の愛用の扇子が彼女のこめかみに直撃した。当たり所が悪かったのか一撃で石畳に沈み、その衝撃でぶわっと花びらが舞った。
「ほんとデリカシーのない娘ね! 育て方間違えたかしら」
ぷりぷりと怒りながら倒れ込んだ妖夢の傍に近づき扇子を拾い上げる。
後ろから霖之助が登ってきた。長い階段に疲れたのか、少し息を荒げている。
「おや、妖夢が倒れているが…過労かい?」
「春の陽気当てられたのでしょう」
幽々子は一瞬で表情を変えて霖之助に先へ進むように促した。
「さぁ、行きましょう。後もう少しで着きますわ」
「ああ、わかった」
霖之助はとりあえず、妖夢を放っておくことにした。
それが正解のように思えたからだ。
階段を上った先はまさに桃源郷の一言に尽きていた。
桜の木が鮮やかに咲いており、風が吹けばに花びらが舞う。澄みきった青空が日本晴れを表し、石砂利で敷き詰められた庭が鏡のようにきらきらと輝いている。。
そして何と言っても暖かい。何枚も着込んできた服が邪魔に思えるくらいの気候だった。
「ようこそ、白玉楼へ」
幽々子の言葉にしばし絶句していた霖之助ははっとした。
「如何かしら?」
「開いた口がふさがらないよ。まさに富を象徴したような光景だね」
「それは皮肉かしら」
幻想郷の春を奪って創られた景色がここに彩られている。それを皮肉っている霖之助に幽々子は少し寂びそうな表情を浮かべる。
「もちろん、事を終わらせればすぐにお返しします。私とてこれを見て何も感じない訳ではないですから」
「それならいいさ」
無言のまま二人は階段の上った先でじっと佇んでいた。
幽々子はちらりと横に目をやる。彼の表情に硬さが見えた。
驚きで一杯になるだろうと思っていた彼女にとって彼の表情は少し心が痛んだ。
澄まし顔。
彼の心が見えないので言葉で探ることにした。
「少し歩きませんか?」
「ああ、そうしてみたい」
案内役の幽々子が一歩リードして二人は足を進めた。
右手には桜の群生が、左手には屋敷が構えている。その中間をゆっくりと歩く二人。時折り顔を撫でるように吹く風が気持ちよかった。
じゃりじゃりと小気味のいい足音を鳴らしながら角を曲がった。
「あ」
すると霖之助は思わず言葉を洩らした。
向こうの方に見えるそれ。遠くからでも分かるその異常な大きさ。あれが幽々子の言っていた妖怪桜なのだと気づいた。
「あれが西行妖なのかい?」
「ええ、その通りよ」
歩みを進め、傍まで近づく。その背丈は首を痛めるぐらい見上げなければならないほど高かった。
剥き出しの茶色の枝。太い幹には人の口を思わせるような虚(うろ)がある。人のふとももほどもあるかのような根が、今にも足となって動きそうな感じがした。
「怖いな。それが僕の率直の感想かな」
「そうね。私も時々そう思うわ。けど」
一瞬言葉をきる。
「何故か惹きつけられるの。何年も何十年も何百年も見ているのにね」
苦笑しながら幽々子は見上げた。
怖いもの見たさが働いているのかもしれない。それがずっと延長しているだけ、彼女はそう感じた。
「家に入りましょう。お茶を用意するわ」
「…ありがとう」
西行妖を後にし、二人は下足を脱ぎ屋敷の中へと入った。
何か視線を感じ、霖之助はふと後ろを振り向く。
虚が笑ったみたいに少し歪んだように見えた。
お嬢様だからと言ってお茶を用意できないわけではない。こういったものは従者にさせてこそ主としての威厳が高まる。
そういう風習がある幻想郷において幽々子は威厳なんか全く気にしないようで、彼女はいそいそと台所でお茶の用意をしていた。
「えっとお茶葉は…と、あったあった」
お盆の上に次々と手際よく用意していく。かまどの上ではやかんに入れたお湯がふつふつと音を鳴らしている。そこへ廊下に繋がる引き戸が開かれた。
「幽々子様! ひどいじゃないですか、私をあんなところに放っておくなんて……」
「あら、妖夢。掃除は終わったの?」
「終わりました! だから説明してください! 何で私を放っておいたか!」
「お客様を案内していたからよ。それにどうせ掃除するんだからあそこに残したって問題ないんじゃなくて。それより私は忙しいんだから、ちょっと邪魔よ」
幽々子は用意をしながら説明する。その間、一度も目を合わせなかったことが妖夢を余計に怒らせた。
「幽々子様、私だって怒りますよ。最近、私への扱いがひどいと思います。改善を要求します」
「あら、言うようになったじゃない。………そうね。考えてあげなくもないわね、善処してあげる」
「ほ、ホントですか?」
妖夢は素で驚いた。
怒っていたのは事実だったがまさか、自分の要求が通るなんて思っていなかったからだ。
偶には言ってみるものだ、とつい自分を褒めてやりたくなった。
「ありがとうございます、幽々子様」
「ええ、ええ、どういたしまして。だから、お風呂の準備と夕食の買出しお願いね。あ、ついでに今からでもいいから客間の布団の日干しもね」
「はい、お任せ下さい!」
妖夢は嬉しそうに台所を後にした。
幽々子は彼女を見送るとぽつりと呟いた。
「ホント単純な娘。ちょっとは改善してあげようかしら」
やかんがピーッと音を鳴らしていた。
「お待たせ。お茶を用意したわ」
居間へと繋がるふすまを開けた。
そこにはどこか落ち着きない様に座っている霖之助がいる。初めてだからそうなるのだろう。
さっきまでの澄まし顔から砕けたようにも見えて彼女はおかしくなった。
「お茶菓子は桜餅を用意したの。一緒に食べましょう」
「ああ、ありがとう」
声が硬かった。
居間は十畳以上あり二人で落ち着く分には少々広かった。
自分の家ならともかく人の家でしかも女性と二人きりとなると霖之助でも緊張せずにはいられなかった。
一口お茶を口に含んでみる。
緑茶だと思っていた彼はその味に甘みを感じ、不思議に思った。
見てみると湯飲みの中には紅い液体がなみなみと注がれている。
「これは紅茶かい?」
「ええ。桜餅には合わないと思うけど、少し体をほぐすには丁度いいかなと思ってね。気に入ってもらえたかしら」
「ああ。かなり美味しいよ。悪いね、わざわざ僕のことを考えてくれたなんて」
「良いのよ。好きでやっているのだから。こうやって人に出すのもいつ以来かしらね」
何故湯飲みに紅茶なんだと言う無粋な突込みを入れず、霖之助はまた一口含む。一方、幽々子は自分が言った言葉に、昔を懐かしむようしばし遠くのほう見ていた。
「ごめんなさい。お客様の前でこんな事をするなんてね」
「大丈夫ですよ。そんな君が美しく見えたから」
思わず歯の浮いたことを言ってしまった、と霖之助は顔を赤くする。俯きかげんに彼は幽々子の顔をちらりと見た。彼女の髪の色のような頬になっていた。
「『照れる頬 桜のように 染まるのは 達者に語る 男の言葉』」
「『軽やかに 語る男は 自惚れる 驚く様は いとおかしけり』」
「どういう意味かしら?」
「『僕も驚いているよ。こんなこと言うなんて僕は自惚れているんじゃ』ってとこさ。申し訳ないね、もっと勉強するよ」
霖之助は照れたようにそっぽを向く。その様子が幽々子にはおかしく写り微笑んでしまう。それがまた彼をこそばゆくさせた。
楽しいひと時だった。それは二人が心に思ったことだった。
霖之助には新鮮だった。毎日来るのか分からない客の相手と少々おてんばな妹分の相手、そして本を読むだけの生活。これらは彼の望んだ生活だったが、少し華が欲しかったのも感じていた。心騒ぐような時もあってはいいのじゃないかと内心抱えていた。
幽々子は白玉楼で幽霊の管理が仕事である。
専ら食べるだけと思われがちだがその実、閻魔に任されていた仕事はきっちりとこなしていた。
亡霊な彼女。故に寿命はほぼ無限。代わり映えのない生活が苦痛なときもあった。
そんな時、決まって妖夢を弄るのだった。
刺激が欲しいと思っていた。
新鮮さを望む霖之助と刺激を望んだ幽々子。
この出会いはある意味必然だったのかもしれない。
幽々子は霖之助の横顔を見つめていた。
まだそっぽを向いている、白髪の男性。引き締まった口からは知識の深さと想像もできないほどの饒舌さが生まれる。腕は細くもなく太くもない。どこか中世的な雰囲気を思わせる顔は心をくすぐらせる。
庭先を一緒に回ったとき彼の心には私はどう映っているのか知りたくなった。
さっき、ぽろりと出た彼の言葉は『そんな君が美しく見えたから』だった。歯の浮いた言葉に自分でも驚いていると言っていた。
(他にはどう思っているのだろう)
一度聞いたらもっと聞きたくなった。次々と探りたくなった。だから、彼女は身を乗り出す。ちょっと近寄っただけなのに彼の顔が視界内に拡大され自分も頬をほんのり染める。彼女の行動に彼は気づき彼女のほうへ振り向いた。
そして彼女は彼に尋ねた。
けれど、いかんせん時間が時間だった。故に、『彼女』は何も悪くはない。いつもなら頃合の時間だったからだ。これは事故だった。
「あ、あの霖之助さ…」
「幽々子様! 夕食の用意が出来ました。今からお持ちしますね」
すぱーんとふすまが飛んでいきそうなくらい勢いよく開けられた。現れたのはご機嫌な妖夢。どうやら自分の願いを聞いてもらえたのがよほど嬉しかったのだろう。
だが、そのにこにこ顔も徐々にしかめられていく。なぜなら幽々子の対面に座る人の顔をみたからだ。
「あ、貴様は森近 霖之助! 何故貴様がここに!? もしや幽々子様のお客と言うのは貴様のことか、だったら許せん。この妖怪に鍛えられし楼観剣で……」
「もう妖夢のお馬鹿!!!」
そう言って投げられた本日二度目の扇子による砲撃。
繰り返すようだが、妖夢は悪くない。ただ、タイミングが悪いだけだった。
だからこの仕打ちも仕方なかった。
「良いのかい? また伸びているようだけど」
「もういいのよ。妖夢がどうしたいのか分かったから。よほど私の邪魔をしたかったようね」
さっきの話、なしにしましょう、そう言いながら肩で息をしているあたりかなりのご立腹のようだ。
妖夢を再度おなざりにしたまま立ち上がって、幽々子は居間から出ようとする。
「ちょっと待っててくださいな。妖夢が用意した夕食持って来るわ」
「君だけでは大変だろう。僕も手伝うよ」
「ありがとう。助かるわ」
そう言って二人は台所に向かった。
霖之助は今度は妖夢を放っておくことはなかった。座布団を折りたたみ、それを枕にして彼女の頭に敷いてあげた。
居間を出るとあたりは暗くなっていた。
二人の会話が弾んでいた証拠であった。
夕食は意外にもつつがなく終了した。
鍋と言うこともあり、妖夢は比較的大人しかった。暴れて鍋でもひっくり返したらひどい目に会うのが見えていたからであろう。
そんな一間を終えた後の幽々子部屋。もちろんここには部屋の主しかいない。
現在、幽々子は座布団の上に座っているだけで何をすることなくぼーっとしていた。
決して食べすぎで動くのが辛いというわけではない。ただ何もする気がなくなっていたのだ。
「はぁ~」
海よりも深いため息。出る理由は今日のお客についてである。
初めて自分の家に招いた今日は楽しかった。それにどきどきした。こんな風に異性を自分から招き入れることはなかったからだ。けれど、そういうどきどき感もひっくるめて本当に楽しかった。
けれどため息が出てしまう。
「結局、聞けなかったな……」
聞けなかったと言うのは彼女のことをどう思っているかのことだ。
外見は言ってくれたのだが、内面のことまでは言ってくれなかった。幽々子はその部分を一番気にしていたのであった。
食事中は聞ける雰囲気ではない。と言うか、妖夢がいる手前で率直に聞くなんて恥ずかしかった。
これまで長い間生きていたということもあり異性との出会いは決して少なくなかった。土地柄、幽霊がほとんどではあるが……
それらをひっくるめてでも、彼女にとってこれ程までに異性を意識したのは初めてであった。故にどうすればいいかよく分からないこともある。これがその悩みである。即ち、
「こういうのって直接本人に聞いていいのかしら」
本人に聞くのが恥ずかしいのか、霖之助の顔を思い浮かべては顔を真っ赤にし、いやんいやんと首を横に振る。かといって、妖夢に頼むのも筋違い。結局答えは出ず、仕方なく立ち上がった。
「お風呂に入ろう」
幽々子はまたため息をつきながら部屋を後にした。
ところ代わって客間を借りている霖之助。
一足先にお風呂を頂いたと言うこともあり、体からは湯気がうっすらと立ち上がっている。また、浴衣も拝借したこともあり、襟元をぱたぱたと動かすだけでむわっと湯気が出た。
「それにしてもでかかったな」
もちろん大きいと言うのは湯船のことである。着替えをかごに置き、風呂場に着くなり湯船を覗いた彼はその大きさにメガネがずり落ちた。
「ざっと二十人は入れそうだったな。流石、名家といったところかな」
白玉楼の中は春ということもあり部屋の中はなかなかの暖かさを保っている。湯冷めは大丈夫だろうと思いながらも一応、カイロ代わりの春度を浴衣の中に仕込んだ。
「さて、どうしたものかな。このまま春度を持っているわけにはいかないし」
こちらも大きくため息をついた。
幽々子の願いを聞く、幻想郷に帰す――どちらにせよ、いつかは手放さなければならない。
しかし、霖之助はまだ決めあぐねいていた。
「単純に考えれば、幻想郷に放たなきゃいけないんだろうけど」
けれど、彼の心中にはそれに対する抵抗感があった。
かと言って、彼女の願いを聞くのにも抵抗感があった。
しっくり来る理由がどちらにもなかった、それゆえに迷っているのだ。
「だから、優柔不断だって魔理沙に言われるんだよな」
悪いと思いながらも直せないでいる自分の性格に呆れながら彼は早めの就寝に着いた。
明日になったら何とかなるだろうと言う、楽観的な希望を抱いて。
深夜
暗い部屋の中で、霖之助が眠る布団の中からおぼろげながらも淡い光が漏れている。
春度であった。
それは心臓のように鼓動し始める。何度も脈打つその違和感に霖之助は浴衣にしまったそれを手探りで確認した。
「うん? 何だって…言うんだ………」
眠い目を必死で擦りながら近くに置いてあったメガネを身につける。
布団をまくり、春度を取り出す。それは漆黒のような部屋の中で淡い桃色の光を放っていた。
「どういうことだ、これは?」
寒い香霖堂の店内。彼はそれを抱きながら寝たこともあったがこんな現象は初めてであった。
嫌な予感が彼の中によぎった。いつも、何も起こらないものが突然変化するときは大抵ろくでもないことが起こる予兆だと言うのが彼の経験論であった。
「おそらく、白玉楼の中に何かこんなことが起こるきっかけみたいなものがあるんだろうな」
ここに来て、彼は初めてうんざりした。
面倒ごとに巻き込まれるのが嫌いな彼は髪を掻きながら部屋から出ることにした。
廊下を歩いていても誰とも会うことはなかった。
「幽霊は夜が本分だというのに、サボりかね」
誰に言うでもなくぼそりと呟く霖之助。
昨今では吸血鬼も昼型にチャレンジ中だと言うのを耳にしたこともあり、何かがおかしいだろうと思う彼であった。
「にしても改めて広いと感じるな、ここは。一体どれだけ歩けばいいんだ」
鼓動する春度を抱えながら彼はあてもなく歩いていた。
とは言え、一応考えはあった。
こういう場合、春度は何かしら強い変化を起こすだろうというのが彼の推測である。故に、歩いていればそのうち原因を見つけれるだろうと言う、行き当たりばったりな考えであった。
「っと。やっと変化が起こったみたいだね」
春度の鼓動が急激に高まってきた。顔を上げてみると、正面にあるものを見て霖之助の中でなんとなく納得できた。
「西行妖か」
大きな妖怪桜が見える。桜の花びらを身に付けてないそれは、夜と言うこともあり不気味に見えた。大きく広げる枝はまるで地獄の針山を連想させられ、虚は血を吸い取る口にも見える。
自然とため息が出た。白玉楼での出来事は楽しいはずなのに何故か夕食以後はよく出てしまっている。
「まぁ、出てしまうものは仕方ないとして…どうしたものかな」
様子見だけが目的だった霖之助にとって、すぐに引き返すつもりであった。だが、西行妖を確認すると何故か足が動かなくなってしまった。むしろ、そこに近づきたくなっていた。
「僕も春の陽気に当てられたかな」
そう呟きながら足を進めた。
廊下から下足に履き替えて庭に下りる。砂利の足音を鳴らしながら近づいた。
西行妖と手が触れ合えるとこまで来て、彼の意識はぷっつりと切れた。
暗い世界
黒か紫か紺か―――とにかく暗い色で塗り固められた世界が広がっていた。
足元を見る。まるでガラスの上に乗っているかのように足場のようなものは何も見えなかった。
すぐに夢の中だと意識できた。
霖之助はふと自分の格好を見た。浴衣ではなくいつもの服装に戻っていた。
「つまらない世界だ。少しは華を見せて欲しいな」
そう呟くと目の前に光が見えた。
そしてそこから声が聞こえた。
「花が見たいのならこちらにいらっしゃいな」
小鳥のさえずりのように可愛らしく、透き通った声であった。
突然聞こえた声に霖之助は訝りながら声のするほうに足を進めた。どうせこのままいても時間の無駄だと感じたからだ。
「はい、そこで止まって」
言われたとおりに霖之助は足を止めた。
光の正体は桜の木であった。太陽やそれに代わる光がないにもかかわらず、光り輝く桜を不思議に思う。しかもかなり大きい。まるで『西行妖』のようであった。
「それ以上近づいたら、危険だからね。そこからでも十分に声が届くでしょう」
「ああ。聞こえるよ」
声は聞こえるが顔はよく見えなかった。声から察するに女性と言うことは分かるが。
「君は何者だい? 因みに僕は森近 霖之助だ。道具屋を経営している」
「私? 私は…………ごめんなさい。忘れちゃったのよ」
「忘れた? 不思議なことがあったものだ」
「うん。だから、好きに呼んでいいわ。その代わり可愛い名前でね」
女性――幼い声をしているのでどちらかと言うと少女は笑いながら霖之助に催促した。
困りながら彼は考えてあげた。
最初、近場の馴染みのある親しい人物の名で呼ぼうかと思ったが、ふと彼女の髪にある人物と重なる特徴があったのでそれに変更した。
「ゆゆこ……って言うのはどうかな?」
「ゆゆこ?」
彼は彼女の桃色掛かった髪を見てこれが相応しいだろうと思った。知り合って間もない女性の名前を与えるなんて失礼だと思ったがこれが一番しっくりきていた。所詮夢の中だ、何を言っても文句は言われまい。
そう思いながら、彼女の反応を待っているとどうやら気に入ってもらったようで笑顔になっていく。
「素敵ね、その名前。貴方のお知り合いかしら?」
「ああ。今その人のところに泊まっているんだよ」
「ええええええええ!? じゃあ、その人って霖之助さんの恋人さん? いいの、そんな人の名前をもらっちゃって?」
「いやいや、ちょっと待ってくれ。彼女は決して恋人なんかじゃない。そうだな……客……いや、友人と言ったところかな。だから勘違いしないでくれ」
霖之助は落ち着きながら対処した。
けれど、少女――『ゆゆこ』は驚いたまま、彼の顔を覗いていた。そしてぶつぶつと呟く。
「友人なのに女性が男性を泊まらせるなんてあるかしら? もしかして、単にこの人が気づいていないだけじゃあ……」
「うん? 何を言っているんだい。すまないが、もう少し大きな声で喋ってくれ。聞こえないんだ」
「あ、ううん。何でもない。独り言だから気にしないで」
『ゆゆこ』は頭を横に振りながらそう言った。
「ここは夢の中でいいのだろうか」
夢の中にいると確信しているのに、こんな質問をする自分自身に霖之助は苦笑した。
しかも相手は、同じ世界にいる住人だというのに。
「まぁ、それが近いかな。ねぇねぇ、何か遊びましょう。私、ちょっと退屈してたところなの」
「遊びか………良いだろう。夢の中だから君に付き合うことにしよう。どんな遊びがいいだろうか」
自分が何故こんな夢を見ているのか不思議ではあったが、所詮夢は夢と言うことでどうしようもないだろうと言う考えに行き着いた霖之助。とりあえず、暫く彼女に付き合うことにした。
そんな彼の言葉に『ゆゆこ』は嬉しそうに声をあげる。そして彼はここでも同じ付き合いをすることになった。
「じゃあ、歌を詠みましょう」
「歌? もしかして和歌かい?」
「ええ、そうよ。お嫌かしら?」
遠くからでも彼女が今にも泣きそうに尋ねてくるのがよく分かる。
霖之助は首を横に振りながら取り繕った。
「いや、決して嫌じゃないのだが……僕はなかなかに下手でね。君を楽しませることができるか自信がないのだよ」
「あら、そんなことないわよ。歌はね思ったことを口にするのがいいのよ。そこに上手いも下手もないわ。あるのは『思い』! これに尽きるのよ」
先ほどと同じ少女らしい『ゆゆこ』の声なのに、何故かどこか大人びたような声に聞こえた。
彼女の言った言葉が彼女の信念だから。だから、自信を持っていえるのでは――霖之助にはそう思えた。
「歌は『思い』か……単純だな」
「いいじゃない、単純で……」
「だが、真理だと思うよ。僕の友人が詠む歌にもそんな感じがしたから。……あ!」
「え!? な、何?」
「いや、その……そうか、そういうことか! あの歌にはあの意味が込められていたのか! いや、ちょっと待て。だとしたら、僕は……」
『ゆゆこ』の言葉を無視しながらぶつぶつと呟く霖之助。軽くトリップしたかのように何でも喋るが遠くにいる彼女には何を言っているのかよく分からなかった。
だが、困ったように頭を抱え、また顔を赤くしているところを見るに、恥ずかしいことがあったのかもしれない。
「あの~、霖之助さん?」
「ああ、すまない。取り乱したりして…少々厄介なことがあってね」
「厄介? もし良かったら教えてくれない? 相談に乗れるかもしれないよ」
心配そうに覗き込む『ゆゆこ』に霖之助は少し考え込んだが首をふった。
「いや、すまない。これは僕自身の問題なんだ。僕が解決しなくちゃいけないから話せないよ」
「あ、いえ、大丈夫よ。そんなに気にしてないから」
『ゆゆこ』は慌てて霖之助に言葉を紡ぐ。気にはなるが先ほどの態度を見るからに踏み込んではいけないようにも感じていたから、断られても気にしていなかった。
「それじゃあ、改めるけど時間が来るまで歌を詠みましょう。お題は自由で」
「分かった。それじゃあよろしく」
暗い世界の中、桜が光り輝くところで歌を読みあった。
時間が全く感じられないこの世界で楽しい時間を費やした。
「あ~楽しかった。こんなに詠んだの久しぶりだわ。貴方の歌、素敵だったよ」
「そうだったかい。それは良かった。僕も貴女のように『思い』を乗せて詠ませてもらったからね」
霖之助の何気ない一言に『ゆゆこ』の心はとくんと動いた。
嬉しそうにはにかむ彼女。彼のほうを見てみると、服の中から光が漏れているのが見えた。
どこかで見たことがあるような光。はっと気づいて後ろを振り返った。彼の服から漏れる光とまるで後ろに咲いている桜のような光が同じように見えた。
そこで、彼女は初めて彼がここに来た理由に気づいた。同時にお別れの時間が――別れなければいけない時間が来たということにも気づいた。
「霖之助さんの服から漏れている光、『春の光』よね?」
「うん? あれ、これも夢の中で再現されていたのか。そうだよ、貴女の言うとおりこれは春の元。僕らは春度と呼んでいる」
そう言って『ゆゆこ』に見せようと懐に手を入れると彼女はそれを制止した。
「待って! お願い、それは出さないでちょうだい!」
「『ゆゆこ』? どうしたんだい、突然」
「私ね、どうして貴方がここに来たかやっと理由が分かったの。それでね、もう貴方とお別れしないといけないわ」
「お別れだと? もう終わりの時間なのかい?」
突然の『ゆゆこ』の言葉に動揺する霖之助。もう少し、歌を詠みあえるだろうかと思っていただけに素直に驚いた。
「貴女とはもう会えないのだろうか?」
自然と名残惜しいように言葉が出た。
彼女もそうなのか、残念そうに言う。
「そうね……二度と会えないわ。だって」
『ゆゆこ』は俯き、淀みながら言葉を紡いだ。
「夢の中なのですから」
「……そうか」
「だから、もし、私に会いたくなったら、私と同じ名前の人に会ってあげて。それが貴方のためでもありその人のためだと思うの」
霖之助には何故彼女がそう言っているか分からない。しかし、彼女の言いたいことは分かった。
『あの歌』の真の意味を理解した彼は彼女に言わなければいけない。夢から覚めたらすぐに会いに行こう。
彼はこの場を離れることに惜しみながらも踵を返し、もと来た道を歩き始める。すると背後から大きな声で話す『ゆゆこ』の声が聞こえた。
「夢から覚めたら『春の光』をあるべき場所に返してあげて。お願いよ!」
その言葉を最後に霖之助は暗い世界の中で意識がぷつりと切れた。
「行っちゃった…………………………………また、一人ぼっちか」
『ゆゆこ』は腰を下ろし桜の木に寄りかかる。
彼女はこの世界の住人である。そして唯一の住人でもあった。
ここから動くことは出来ない。唯一ここだけが彼女の居場所であった。
「十年、百年、千年………時間なんてあっという間に過ぎるわね」
突然の来客。長い間、生きてきた中で初めての出来事だった。異性と互いに笑いあいながら楽しい時間を過ごせた時間が愛しかった。それだけに、またこれから先、千年も生きていられるだろうか。いや、狂わずにいられるだろうか。
それが心配であった。
「仕方ないか。今回は『こいつ』が勝手に霖之助さんを連れてきたんだからね。偶然だと思って諦めるか」
そう言って掌で何度も桜の幹を叩く。不思議と花びらが一枚も落ちることはなかった。
春度を欲しがったこの桜は何も言わない。
「『永劫の 時を刻むは わが命 共に歩むは 妖怪桜』」
『ゆゆこ』はこてんと寝転がった。
霖之助が目を覚ますとそこはどこかの部屋の中であった。白玉楼の中だと言うのは分かる。何となく自分が泊まっていた部屋に似ていたからだ。
顔を横に動かすとふすまが見える。わずかなスキマからは白い光が差し込んでいた。
「朝、か…」
不思議な夢であった。長い間居たにもかかわらず、全て覚えていた。くっきりと鮮明に。
ゆっくりと体を起こすとおなかの辺りに重みを感じる。幽々子であった。
看病でもして疲れたのか、静かな寝息を立てながら顔を布団に埋めていた。
どうして…とは思わなかった。自分のことを心配してくれたのだろうと感じた。あつかましい感情かもしれない。けれど、それ以外ないように思えた。
そう、思っていると不思議と彼女の髪を撫でたい衝動に駆られた。
後でひどい目に合うかもしれない。そう思いながらもそろそろと手を伸ばす。
「…うん……はぁ…………」
気持ちが良いのか顔がほころんでいるように見えた。
大切に、花を愛でるように静かに何度も撫でる霖之助。
すると、ゆっくりと彼女の目が開いた。
「…………だ~れ~? 私の髪を弄るのは…」
「おはよう、幽々子さん」
「………霖之助さん? 起きていたの?」
「ああ、すまないね。つい、気持ちよさそうだから撫でてみたくなってしまったよ。罰なら何でも受ける」
そう言いながらも彼の手は止まることを知らず、幽々子が起きても尚撫で続けていた。
その手が気持ちいのか彼女の目はとろんとなり、甘えるように頭を彼の手のほうに近づけた。
彼は少し驚いたが、それも一瞬のうち。顔をほころばせ、微笑みながら撫で続けた。
ゆっくりと、ゆっくりと……
「そのままでいいのだが、少し僕の話を聞いてくれないか。真面目な話なんだ」
右手で幽々子の頭を撫でながら彼女に目を向けた。
真面目、と言う言葉を聞いた彼女はピクリと反応し、顔をあわせた。
「春度を幻想郷に返してやってはくれないか?」
その言葉は幽々子を落胆させた。
けれど落胆した顔を霖之助に見せないようにした。そんな顔をしては彼に迷惑だと思ったからだ。
「どうしてか、話してくださらない?」
「……信じてはくれないだろうが僕は夢を見ていたんだ。その中で春度をあるべきところに戻して欲しいと願う少女に出会ったんだ。まるで君みたいな可愛らしい少女とね」
「…………どうして、その娘のいうことを聞くの? 理由は?」
「すまない。彼女が理由を話す前に僕は目を覚ましてしまった。けれど、約束なんだ」
「私の願いよりもその娘のいうことを聞くの? どうして……」
幽々子の目にはうっすらと涙が溜まっていた。
それをふき取ろうとせず、彼女はじっと霖之助の顔を見つめた。
「すまない。ただ、それしか言えない」
「…………………………………………………………分かりました」
彼女の顔には残念な気持ちがありありと見えていた。それに気づかないほど霖之助は鈍感ではなかった。
話の順序を間違えたかもしれない。こんな顔を見るくらいならこの話を後にもってきたほうが良かったかもしれない。
けれど、筋を通すならこっちの方が先だと彼は決めていた。なぜなら、その話が目的で白玉楼に来たのだから。
だからこそ彼は今度の話はもっと緊張した。
なぜなら、彼の人生の中で未体験な出来事だから。
「幽々子さん。実はもっと大事な話がある。出来れば、顔を向けて欲しい」
いつの間にか目を逸らせていた幽々子。悲しさを募らせている彼女にとって彼と目を合わせるのはつらかったが一応、言われるとおり顔を向けた。
涙の筋が頬に伝っている。悲しませた分だけ、余計に彼の心臓がきゅっと引き締まった。
「…………君は初めて僕の店に来たとき、帰り際に歌を詠んでいったよね。『雪が舞う 春の暦に いとふしぎ 桜抱くは 白きものかな』。僕がこの歌の意味を言ったとき君は最高で90点といったよね」
「ええ、そうね………」
「あれから、僕はずっとその歌の心の意味を考えていた。そして、やっとたどり着いたよ」
幽々子は息を呑む。心臓が高鳴る。本当に分かってくれたのかとはやる気持ちが止まらない。
「教えてちょうだい、貴方が思った意味を」
「最後の二句に注目だ。『桜』と『白』は比喩だったんだ。それぞれある人の特徴を現している。なので、それぞれを置き換えてみると、『僕が抱きしめるのは幽々子』。これを望んでいたのかな」
そう言って、霖之助は強引に幽々子の体を近寄らせる。そして腰に手を回し互いの体を密着させた。
あ、と言う彼女の言葉は衣擦れの音にかき消される。不意の彼の行動に彼女の頭は真っ白になった。来ると分かっていても何かが弾けたように頭の中がパニックになった。そして徐々に嬉しさで満たされていった。
霖之助の手が震えているのが分かる。目を瞑り、今の感情をかみ締めながら幽々子もゆっくりと手を背中に回した。
「ありがとう、霖之助さん。私の歌に気づいてくれて」
「……正直、自信がなかったよ。だってあの歌は君が初めて来たときに詠んだものじゃないか。今でも信じられないさ。その証拠に僕の手は震えている」
「一目惚れ……だったの。貴方のたたずまい、仕草、声全てが素敵だった。もう一度足を運びたい。そんな気持ちに駆られる毎日だったわ」
帰り際のお題は彼女自身への制約であった。毎日通えば、それは幸せかもしれない。だが、会えない時間が長ければ長いほどより幸せになれるかもしれない。距離を開けることで彼女は自分の感情を昂ぶらせていたのだ。
幽々子は少し体を離し霖之助の目を見つめた。
彼もまた彼女の腰から手を離す。息が掛かる。鼻が触れ合う。そんな距離で見詰め合っている状況に霖之助は顔を赤くした。
「くすくす、霖之助さんお顔が真っ赤よ」
「君だってそうだ。まるで桃のようだ」
二人は笑った。
そこで、幽々子は一つ小さなため息をついた。
「実はね、そのころから春度なんかどうでもいいかなって思い始めたのよ」
「どうしてだい? 君の願いだったのだろう」
「うん、そうね……でも、貴方の顔を見にいける嬉しい気持ちの方が大きかった。優柔不断な主で妖夢には迷惑掛けたと思っているわ」
「じゃあ、何故さっきは泣いていたんだい?」
「もう、貴方と会う口実がなくなるからよ」
幽々子は恥ずかしそうに言葉を紡いだ。
この出来事が終わると霖之助と会う機会がなくなると考えていた彼女。普段は幽霊の管理に忙しく、もっぱらお使いは妖夢の担当なので彼女がここに来る機会は減ってしまうのだ。それを思うと彼女は寂しい気持ちで溢れたのだと言う。
「もう少し悩んでいて欲しかったわ。そう、もっとね……」
残念そうに呟く彼女に霖之助はこてんとおでこをぶつけた。
「君はもう少し良い方法を見つけることが出来たよ。例えば、妖夢に僕を迎えに行かせるとかね。困ったことに僕のお店は閑古鳥がお得意さまでね、時間は余っているのだよ」
「じゃあ、また会ってくれるの?」
「もちろんだ」
そう言って霖之助は幽々子を力強く抱きしめた。
その強さに彼女は困りながらも嬉しそうに身を任せた。
「好きだよ、幽々子」
「嬉しいわ! 私、今すっごく幸せよ!」
その日、白玉楼にとどめられていた春が開放された。
長い間、幻想郷に覆われていた冬が瞬く間に消えてゆき、春色に塗り替えられていく。空から降り注ぐ春の暖かさと、桜の花びらに幻想郷は歓喜に包まれた。
これが後に言う『春雪異変』であった。
終
ゆゆ様がとっても乙女で可愛らしかったです。
特に設定と内容、序盤の展開と終盤の展開
幻想郷風?
素敵で良かったです
ゆゆこ様が可愛すぎる!
全体としてはとても面白かったです
また、作品の雰囲気も良いと思います。恋愛ものなので、どうしても評価が分かれそうですが、話の内容が、軽すぎずそれでいて重すぎない、絶妙のバランスで描かれているので、作品全体で、落ち着いているんだけど、どこか読者を引きずり込むような強さを持っている。そんな雰囲気を作り上げているように感じました。それと伏線も効いていましたね。
小説ど素人の意見ですが、私はとにかくそう感じました。少なくとも私はこの作品をすごく楽しんで読めたということは事実なので、その点は作者様の励みになればいいなと思っております。ありがとうございました。
素晴らしかったです!
貴様に幽々様はやらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!
彼女たちが解決してこそ異変は異変と呼ばれるようになると思っておりますので、
春を奪った己にペナルティを課して禊を果たすためにも、幽々子様には妖々夢を全うして欲しかったかな。
しかる後にゆゆ様は霖之助とのキャッキャッウフフに突入、みょんは唯一人アンニュイな気分に浸ると。
半妖と亡霊は……、まあいいや、十分幸せだろうし。魂魄妖夢にささやかな幸あれ。
こんなオリジナルもいいですね。
あなたの作品は考察・謎解きがあって読んでてめちゃくちゃ楽しい。それとこーりんの使い方がうまくて俺得。
けど今回は解決を急いだ感があるかな・・・?
なんにせよいい作品をありがとうございました
>10氏
かわいいでしょう、うちのゆゆ様は……って言っても良いでしょうか(笑)
>K-999氏
『ゆゆこ』について多少おざなり感があったので、もう少し良い方向に進めれたらと思う反面、これもありかなと思う自分がいます。 悩みました。
>18氏
前、後に分けてでも良いからもう少し展開をしたほうが良かったかもしれない…これからは気をつけていきます。
>奇声を発する程度の能力氏
いや~かわいいて言ってもらえると照れますね。
>30氏
すみません、やはり前後に分けたほうが良かったですね。
>39氏
かわいいでしょう…うちの(ry
>44氏
素人意見だなんてとんでもない!
氏の意見はこれからの励みになります。こちらこそ感謝。
>45氏
お褒めの言葉、サンクス!
>47氏
桃源郷です。
>50氏
一応、連作は考えていません。創るとしたら新しい話ですかねぇ。
>51氏
渡すまい! ゆゆ様はうちのもんじゃあああ!!!
>コチドリ氏
人によっては今回の異変解決に違和感を覚えた方もおいでかと思います。氏もその内の一人でしょう。
しかし、今回は霖之助で弾幕ではなく交渉みたいなもので解決させようというのが自分のもうひとつのテーマだったので、それをもとに話を創りました。ゆえに中途半端と思ったかもしれません。
今後、そういったパターンは採用しないようにしていきます。
>59氏
かわいいでしょう…(ry
>幻想氏
結構オリジナルテイストが強かったかと思いますが、楽しんでもらえてよかったです。
>62氏
楽しんでもらえたようで何よりです。
ただ、他の氏からも指摘があったように急すぎたかもしれません。
気をつけていきます。
>63氏
王道っていいですよね、自分で創っといて言うのも変ですが。
いや、これはただのフィルターか。
それ以上にゆゆ様が可愛かったのと、
メインの二人に対する違和感は少なかったので問題はないと思います。
しかも二次創作でもほとんど見ないマイナーな組み合わせに挑戦する心意気は尊敬します。
次の作品楽しみにしてます。