「ねぇねぇ咲夜~」
「あらこれは妹様。今日もいちだんとご機嫌麗しゅう。いかがなさいました?」
いつもどおりの紅魔館。
フランは咲夜の姿を見つけると、たったったっと快活な足取りでやってくる。咲夜の目の前へとやってくると、どこかはにかんだ表情を見せながら彼女は言った。
「咲夜あのねあのね、お願いがあるの。聞いてくれる?」
「はい、お願いの内容にもよりますが、なんでしょう?」
へへへ~♪ と言いながら、咲夜の太ももの辺りにほっぺをすりすりしてくるフランドール。
頬と両手で擦られる感触に少しくすぐったさを覚えつつ、こんなに積極的に甘えてくる妹様も珍しいと、その姿にどこか微笑ましいと感じてしまう。
興味津々な表情で上目遣いに咲夜の顔を見あげながら、らんらんと目を輝かせてフランドールは言った。
「キスって、どんな味がするの?」
ぶっ。フランの口から出た言葉に、口に含んだレモン飴を思わず噴き出してしまう。
「いきなりなにするのよ咲夜! ばっちぃじゃない!」
「妹様がそんな唐突にとんでもないことを言い出すからです! その辺の黒白かなにかに吹き込まれたんですか? だとしたら、今度きつく言い聞かせておきますわ」
「えーちがうよー。魔理沙に教えてもらったからじゃないもん」
「妹様。キスというものは、いつか好きになった方のために取っておくものですわ」
「私、咲夜のこと好きだよ?」
そういう意味での「好き」ではないのに。どう説明したものか……。咲夜は少し考える。
妹様もそういうことが気になるお年頃。コウノトリさんやキャベツ畑のことを訊ねられることと比べれば、キスなどまだまだいい方なのだろう。
咲夜のそんな様子を見て、フランドールはその幼い悪魔の名に相応しい悪戯な笑みを浮かべながらぼそりと呟いた。
「……いますぐここでキスしてくれないと、ばらしちゃうよ?」
フランのつぶやきに、咲夜の身体があからさまにこわばった。
心当たりがありすぎてなんのことやら。
果たしてどの事を指しているのか皆目見当もつかない。
まさかあのことを……。それともあのことを……。
「な、なんのことだか存じ上げませんわ」
「ごまかしてもダメだよ。私みてたもん。お姉さまが寝ている隙にキスしてるところ」
「!!!」
「お姉さまにはキスしてくれて、私にはしてくれないなんて不公平。だから私にも今すぐキスして」
うろたえる咲夜にフランはニヤリと笑みを浮かべていた。
これは勝った、と。
なんてことだ。主の側近中の側近のみに許された夜の嗜み。最愛の主に御本を読んで寝かしつけたあとのあんなことやこんなこと。
……。
寝室のベッドで、すやすやと眠るレミリア・スカーレットの無防備な姿。その寝息を感じ取りながら、咲夜はそっと唇を奪う。
主人と従者。悪魔と人間。あまつさえ女性同士という垣根。
それは許されざる恋心。けれど、想いの心そのものを最初からなかったことにすることなどできはしない。
だからこれは、その、せめてもの代償行為。
いいじゃないか。そう、これは恋愛感情などではなく、ただの挨拶代わりに過ぎないのだから。
大丈夫だ、問題ない……時にはこれくらいの役得、いや御褒美をいただいても罰は当たらない。そう自分自身に言い聞かせ。
……。
そんな、あんなシーンやこんなシーンまで見られてしまっていたなんて。
このまま妹様の口からお嬢様に報告されれば、今まで築き上げてきた信頼がガラガラと崩れ去ってしまう。
主君に似て幼く可愛らしい顔立ちの彼女は、あらゆるものを破壊する程度の能力を持つ悪魔の妹は、早くも悪魔としての片鱗を見せつけている。
フランドール様、なんて恐ろしい子……!
ここまでのことをおよそ0.04秒ほどで思考した結果、咲夜はコホンとひと呼吸おいて。
「……かしこまりました。妹様のご期待にお応えすることもまた、従者たる者の務めですわ」
「やったー!」
咲夜の棒読みの言葉に対して、わーいわーいとはしゃいでいた。
しかし改めて見れば見るほど、細部に違いこそあれ、フランドールの姿や仕草は主レミリアのそれによく似ている。
スカーレットの名に違わぬ紅い瞳。まるで白磁のようなキメの細かい瑞々しいを持つ彼女は、血を分けた姉妹だからこそレミリアに近いものを持っているのだろう。
「……どうしたの? フランのお顔に見とれちゃったりして」
フランの微笑みにはどこか確信犯めいた悪戯っぽさが見え隠れしている。それは、大人を困らせてやろうとする子悪魔の笑み。
いかに姉レミリアそっくりの容姿をしていようと、その事実は揺らがない。目の前にいるのは……そう、あくまで妹様、妹様なのだ。落ち着け。落ち着くんだ十六夜咲夜。お嬢様からいただいた名はただの飾り物か。
「なんなら、お姉さまから私に乗りかえてもいいのよ? 私だったら毎日ちゅーちゅーしてあげるし」
妹様とは果たして、人の心が読める妹様なのか。
地底のさとり妖怪ではあるまいに。このタイミングでそんなことを言わないでほしい。
その一言だけで、かろうじて保っていた理性が跡形もなく吹き飛びそうになった。
さすがは紅魔館の破壊能力者。
ハァハァハァと荒ぶる呼吸をなんとか落ち着かせつつ、咲夜は仕えるべき主の妹君の姿を凝視している。
「ぶはっ!」
堪らず鼻血を噴きだしてしまう。だって見れば見るほどやっぱりその面影が最愛の主・レミリアの姿と重なってしまうのだから。
「なんだか様子がヘンだよー? お熱を測ってあげよっか?」
一向にキスしてくれない様子に煮え切らないフランドールは咲夜に顔を寄せ、コツンとおでこ同士をくっつける。ヒンヤリとしたフランの額に咲夜は、ひゃっ、と思わず声をあげてしまう。
「あっ、妹様っ。そのようなオイタはいけませんっ」
「うーん、そこはかとない微熱。それほどでもないかなー……と思わせて、ちゅっ!」
「!!」
そのままおでこにキスをされる。とっさのことに咲夜はあわてて額に手を当てるが時すでに遅し。
「んー? ちょっぴり塩味? やっぱりキスはお口とお口でしなくちゃダメね」
これは一本取られた。対するフランはその感触を思い返すように唇に指をあてながら、どこか物足りなさそうにしている。
「やっぱり次はお口でキスして? してくれないと……わかってるよね?」
当の本人すら自覚しているのか、咲夜ですらゾッとするほど冷たく微笑むフラン。ああ……どうしてこんなにも、こういう時に見せる妹様の表情はレミリアお嬢様のそれに瓜二つなのか。
「わかりました。私も紅魔館にお仕えする者。いい加減に覚悟を決めました。でも、お嬢様には絶対にナイショのナイショですからね?」
「うんわかったー!」
だがそれが咲夜の咲夜たりうる由縁か。こう言って念を押すことも忘れない。
仮にも数多の部下を従え、紅魔館に君臨する幼魔王に身も心も捧げてきた、完璧で瀟洒な紅魔館のメイド。その長たるもの、陰の努力を決して忘れないのである。
「それではこの不肖十六夜咲夜が、妹様にキスの味というものをお教えいたします」
「うん。私はいつでもおっけーだよ」
フランと目線を合わせるために膝をつき、その頬に手を添える。咲夜の冷たい掌の感触にぴくんと身をふるわせながら、きゅっと目を閉じた。
幼い彼女にとっては初めての体験となる口づけの瞬間。咲夜の唇を待つフランドールの恥らいの表情に、胸がどきんと高鳴る。
なんたる不覚。
思い出せ咲夜。姿かたちは似ていれど、この方は妹様、妹様なのだ……。そのように自己暗示をかけながら、昂奮を鎮めようと試みるが、意識すれば意識するほど、キスの瞬間を待つフランの恥じらう表情が、レミリアのそれと重なってしまって。
「んー、どうしたの? お口同士のキスって、そんなに時間がかかるものなの?」
心臓の音が高鳴りすぎて、フランがなにを言っているのかすら耳に届かない。
けれど、もういろんな意味でそれどころではなくて。その一方で、主君の妹のファーストキスを奪える役得に心躍る咲夜自身も確かにそこにいて。ああっもう。
「それでは参ります!」
ややあって、咲夜の覚悟は決まった。
フランの唇に自らの唇を重ねようと自身も目を閉じて――その油断が命取りだった。
ふたりの唇が直に触れ合う寸前。
どこからともなくカメラのフラッシュが焚かれた。
「おおっ。これはいい写真が撮れました。記事のネタを探し回って紅魔館をぶらぶらしていたら。まさかあの咲夜さんの浮気現場を目撃してしまうなんて。特ダネの神様はやっぱり私を見捨てなかった! これで一面トップは決まりです。あとはお二人の邪魔にならないように速やかに撤収しないと……」
彼女こそ幻想ブン屋、射命丸文そのひとだった。最高のシャッターチャンスをつかんだとニヤニヤがとまらない。
善は急げとばかりに撤収作業に移行するや、突如、首筋にヒタリと当てられた冷たい感触。
そこには一筋の銀閃がきらめいていた。そこには咲夜が、一瞬の間に文の背後を取り、ひとふりのナイフを抜いていた。
時間能力者を前にしては、さしもの幻想郷最速の機動力も形無しであった。
「赤外線式フィルムじゃないから、暗がりだと相手にすぐにバレてしまうのがネックですよねーあやややや……」
「そこのエロ天狗。一度しか言わないわ。いま撮った写真を置いたままおとなしくここを去りなさい」
最後通牒と言わんばかりに厳然と告げる咲夜の目はマジだった。声もマジだった。なにもかもマジだった。
これ以上弱みを握られてたまるか、とでも言うように。普段のサファイアのような蒼い瞳はなりを潜め、ルビーのように燃えさかる紅が浮かび上がっている。
その手は超振動カッターのようにブルブルと震えている。触れれば斬れる一触即発。抵抗は無意味と思い、文は観念したのかカメラからフィルムを抜き、両手を上にあげて降参のポーズを取った。
「賢明な判断ね。そのままフィルムをこっちに渡しなさい」
「いやーそれがですね。仮にいまこの瞬間に咲夜さんにネガをお渡ししたとしても、すでに手遅れだと思うんですよ」
「……どういう意味かしら?」
言って射命丸文がゆっくり人差し指を向けた先。咲夜もそれに倣い、文にナイフをつきつけたまま、文の指差す先を見やる。
禍々しい気配がそこにあった。
紅い紅い、しかし静かに燃え上がるような気配。
カリスマすら感じさせる、圧倒的なプレッシャー。
「なにをやっているのよ、あんた達……」
そこには紅魔館の主。レミリア・スカーレットが立っていた。
彼女は左右の拳をぷるぷるふるわせながら、涙目になって咲夜達を睨みつけている。
咲夜は、最も恐れていたこの瞬間での主の襲来に、驚愕の表情で目を剥いた。
「廊下で誰か騒いでると思って来てみたら……目の前でフランの唇を奪われた……しかも他でもない咲夜に……毎晩私としてくれてたのに……ご主人様は私なのに……最初のうちは怖かったけど、がんばってキスを受け入れてたのに……」
どうしてそのことを? 寝たふりをしてたってことですか? そんな疑問の言葉も、レミリアの涙目によってあえなくかき消される。
「お嬢様、その、どこから、ご覧になられて……?」
「フランが咲夜のふとももに頬をすりすりしてたあたりから」
それはつまり、全部みられていたということじゃないか。なんとか誤解を解こうと慎重に言葉を選んで弁明する咲夜。
だが、一度こうなってしまったレミリアが聞く耳を持つはずもなく、懸命の説得も通じることはなかった。
いまこの瞬間に全世界ナイトメアを最大火力で叩きつけられてもおかしくないくらいの勢いで、身体をわなわなと震わせるレミリア・スカーレット。
「ごめんなさい。本当にごめんなさいっ!」
もう謝ることしかできなかった。平身低頭。ただひたすらに。
フランからおねだりされたこととはいえ、そんなことは言い訳にもなりはしない。誤解も六回もない。レミリアの涙がすべてを物語っている。
咲夜に裏切られたショック。妹であるフランへのやきもち。やり場のないどうしようもない気持ち。それらが綯い交ぜになったレミリア・スカーレットの、魔力を溜めた拳が真紅に光って。
「咲夜の、ばかぁあぁぁぁぁっ!」
うぇぇぇぇん、びぇぇぇぇん。
ありったけの弾幕とスペルカードをその場にぶちまけると、レミリアは年相応の子供のように泣き出しながら走り去っていった。
…………。……。
最愛の主に泣かれてしまい、すっかり放心状態の咲夜だった。
「あやや~……それでは今日はこの辺で失礼しますね~……」
拘束を解かれた文は、そそくさと紅魔館を離れていった。
彼女を拘束していたことも忘れ、咲夜はただただ茫然自失となって口元をぱくぱくさせている。
お嬢様に嫌われたダメだもう私。お仕事なんてとても手につかないしこんな私はもう消えてしまいたい。今夜もいつものように美鈴をたたき起こして慰めてもらおう……。
うわ言のようにつぶやく咲夜の様子を見て、すっかり興を削がれたフランドールは「なんかつまんないのー」と言いながら、地下にある自分の部屋へと帰っていった。
ж
「ねーねー魔理沙。キスしよ? ちゅっちゅしよ?」
「おい頼むからフラン。そんなにくっつかないでくれよ」
あの時は途中でキスを阻止されたからなのだろう。ますますキスに興味津々のフランドール。
今日は、大図書館にやってきた魔理沙にしきりに抱きついては困らせていた。
これまでにもパチュリー、小悪魔、美鈴、妖精メイド。館ですれ違う誰かを見つけてはキスをおねだりする有様だ。
小悪魔などは嬉々としながら、淫魔としての英才教育などと称したレクチャーを試みていたのだが、「女の子同士でちゅっちゅなんて絶対だめ!」 とレミリアから禁止令を出されてしまったため、あえなく断念することになり、本気で残念そうにうつむいたりしていた。
そんなことも知らず、悶々とするフランの欲求不満は募るばかりだった。
(キスの味って、どんな味がするんだろ?)
フランドールは興味津々な表情を浮かべながら、今夜もキスの味を教えてくれる相手を求めて紅魔館を歩いている。
「あらこれは妹様。今日もいちだんとご機嫌麗しゅう。いかがなさいました?」
いつもどおりの紅魔館。
フランは咲夜の姿を見つけると、たったったっと快活な足取りでやってくる。咲夜の目の前へとやってくると、どこかはにかんだ表情を見せながら彼女は言った。
「咲夜あのねあのね、お願いがあるの。聞いてくれる?」
「はい、お願いの内容にもよりますが、なんでしょう?」
へへへ~♪ と言いながら、咲夜の太ももの辺りにほっぺをすりすりしてくるフランドール。
頬と両手で擦られる感触に少しくすぐったさを覚えつつ、こんなに積極的に甘えてくる妹様も珍しいと、その姿にどこか微笑ましいと感じてしまう。
興味津々な表情で上目遣いに咲夜の顔を見あげながら、らんらんと目を輝かせてフランドールは言った。
「キスって、どんな味がするの?」
ぶっ。フランの口から出た言葉に、口に含んだレモン飴を思わず噴き出してしまう。
「いきなりなにするのよ咲夜! ばっちぃじゃない!」
「妹様がそんな唐突にとんでもないことを言い出すからです! その辺の黒白かなにかに吹き込まれたんですか? だとしたら、今度きつく言い聞かせておきますわ」
「えーちがうよー。魔理沙に教えてもらったからじゃないもん」
「妹様。キスというものは、いつか好きになった方のために取っておくものですわ」
「私、咲夜のこと好きだよ?」
そういう意味での「好き」ではないのに。どう説明したものか……。咲夜は少し考える。
妹様もそういうことが気になるお年頃。コウノトリさんやキャベツ畑のことを訊ねられることと比べれば、キスなどまだまだいい方なのだろう。
咲夜のそんな様子を見て、フランドールはその幼い悪魔の名に相応しい悪戯な笑みを浮かべながらぼそりと呟いた。
「……いますぐここでキスしてくれないと、ばらしちゃうよ?」
フランのつぶやきに、咲夜の身体があからさまにこわばった。
心当たりがありすぎてなんのことやら。
果たしてどの事を指しているのか皆目見当もつかない。
まさかあのことを……。それともあのことを……。
「な、なんのことだか存じ上げませんわ」
「ごまかしてもダメだよ。私みてたもん。お姉さまが寝ている隙にキスしてるところ」
「!!!」
「お姉さまにはキスしてくれて、私にはしてくれないなんて不公平。だから私にも今すぐキスして」
うろたえる咲夜にフランはニヤリと笑みを浮かべていた。
これは勝った、と。
なんてことだ。主の側近中の側近のみに許された夜の嗜み。最愛の主に御本を読んで寝かしつけたあとのあんなことやこんなこと。
……。
寝室のベッドで、すやすやと眠るレミリア・スカーレットの無防備な姿。その寝息を感じ取りながら、咲夜はそっと唇を奪う。
主人と従者。悪魔と人間。あまつさえ女性同士という垣根。
それは許されざる恋心。けれど、想いの心そのものを最初からなかったことにすることなどできはしない。
だからこれは、その、せめてもの代償行為。
いいじゃないか。そう、これは恋愛感情などではなく、ただの挨拶代わりに過ぎないのだから。
大丈夫だ、問題ない……時にはこれくらいの役得、いや御褒美をいただいても罰は当たらない。そう自分自身に言い聞かせ。
……。
そんな、あんなシーンやこんなシーンまで見られてしまっていたなんて。
このまま妹様の口からお嬢様に報告されれば、今まで築き上げてきた信頼がガラガラと崩れ去ってしまう。
主君に似て幼く可愛らしい顔立ちの彼女は、あらゆるものを破壊する程度の能力を持つ悪魔の妹は、早くも悪魔としての片鱗を見せつけている。
フランドール様、なんて恐ろしい子……!
ここまでのことをおよそ0.04秒ほどで思考した結果、咲夜はコホンとひと呼吸おいて。
「……かしこまりました。妹様のご期待にお応えすることもまた、従者たる者の務めですわ」
「やったー!」
咲夜の棒読みの言葉に対して、わーいわーいとはしゃいでいた。
しかし改めて見れば見るほど、細部に違いこそあれ、フランドールの姿や仕草は主レミリアのそれによく似ている。
スカーレットの名に違わぬ紅い瞳。まるで白磁のようなキメの細かい瑞々しいを持つ彼女は、血を分けた姉妹だからこそレミリアに近いものを持っているのだろう。
「……どうしたの? フランのお顔に見とれちゃったりして」
フランの微笑みにはどこか確信犯めいた悪戯っぽさが見え隠れしている。それは、大人を困らせてやろうとする子悪魔の笑み。
いかに姉レミリアそっくりの容姿をしていようと、その事実は揺らがない。目の前にいるのは……そう、あくまで妹様、妹様なのだ。落ち着け。落ち着くんだ十六夜咲夜。お嬢様からいただいた名はただの飾り物か。
「なんなら、お姉さまから私に乗りかえてもいいのよ? 私だったら毎日ちゅーちゅーしてあげるし」
妹様とは果たして、人の心が読める妹様なのか。
地底のさとり妖怪ではあるまいに。このタイミングでそんなことを言わないでほしい。
その一言だけで、かろうじて保っていた理性が跡形もなく吹き飛びそうになった。
さすがは紅魔館の破壊能力者。
ハァハァハァと荒ぶる呼吸をなんとか落ち着かせつつ、咲夜は仕えるべき主の妹君の姿を凝視している。
「ぶはっ!」
堪らず鼻血を噴きだしてしまう。だって見れば見るほどやっぱりその面影が最愛の主・レミリアの姿と重なってしまうのだから。
「なんだか様子がヘンだよー? お熱を測ってあげよっか?」
一向にキスしてくれない様子に煮え切らないフランドールは咲夜に顔を寄せ、コツンとおでこ同士をくっつける。ヒンヤリとしたフランの額に咲夜は、ひゃっ、と思わず声をあげてしまう。
「あっ、妹様っ。そのようなオイタはいけませんっ」
「うーん、そこはかとない微熱。それほどでもないかなー……と思わせて、ちゅっ!」
「!!」
そのままおでこにキスをされる。とっさのことに咲夜はあわてて額に手を当てるが時すでに遅し。
「んー? ちょっぴり塩味? やっぱりキスはお口とお口でしなくちゃダメね」
これは一本取られた。対するフランはその感触を思い返すように唇に指をあてながら、どこか物足りなさそうにしている。
「やっぱり次はお口でキスして? してくれないと……わかってるよね?」
当の本人すら自覚しているのか、咲夜ですらゾッとするほど冷たく微笑むフラン。ああ……どうしてこんなにも、こういう時に見せる妹様の表情はレミリアお嬢様のそれに瓜二つなのか。
「わかりました。私も紅魔館にお仕えする者。いい加減に覚悟を決めました。でも、お嬢様には絶対にナイショのナイショですからね?」
「うんわかったー!」
だがそれが咲夜の咲夜たりうる由縁か。こう言って念を押すことも忘れない。
仮にも数多の部下を従え、紅魔館に君臨する幼魔王に身も心も捧げてきた、完璧で瀟洒な紅魔館のメイド。その長たるもの、陰の努力を決して忘れないのである。
「それではこの不肖十六夜咲夜が、妹様にキスの味というものをお教えいたします」
「うん。私はいつでもおっけーだよ」
フランと目線を合わせるために膝をつき、その頬に手を添える。咲夜の冷たい掌の感触にぴくんと身をふるわせながら、きゅっと目を閉じた。
幼い彼女にとっては初めての体験となる口づけの瞬間。咲夜の唇を待つフランドールの恥らいの表情に、胸がどきんと高鳴る。
なんたる不覚。
思い出せ咲夜。姿かたちは似ていれど、この方は妹様、妹様なのだ……。そのように自己暗示をかけながら、昂奮を鎮めようと試みるが、意識すれば意識するほど、キスの瞬間を待つフランの恥じらう表情が、レミリアのそれと重なってしまって。
「んー、どうしたの? お口同士のキスって、そんなに時間がかかるものなの?」
心臓の音が高鳴りすぎて、フランがなにを言っているのかすら耳に届かない。
けれど、もういろんな意味でそれどころではなくて。その一方で、主君の妹のファーストキスを奪える役得に心躍る咲夜自身も確かにそこにいて。ああっもう。
「それでは参ります!」
ややあって、咲夜の覚悟は決まった。
フランの唇に自らの唇を重ねようと自身も目を閉じて――その油断が命取りだった。
ふたりの唇が直に触れ合う寸前。
どこからともなくカメラのフラッシュが焚かれた。
「おおっ。これはいい写真が撮れました。記事のネタを探し回って紅魔館をぶらぶらしていたら。まさかあの咲夜さんの浮気現場を目撃してしまうなんて。特ダネの神様はやっぱり私を見捨てなかった! これで一面トップは決まりです。あとはお二人の邪魔にならないように速やかに撤収しないと……」
彼女こそ幻想ブン屋、射命丸文そのひとだった。最高のシャッターチャンスをつかんだとニヤニヤがとまらない。
善は急げとばかりに撤収作業に移行するや、突如、首筋にヒタリと当てられた冷たい感触。
そこには一筋の銀閃がきらめいていた。そこには咲夜が、一瞬の間に文の背後を取り、ひとふりのナイフを抜いていた。
時間能力者を前にしては、さしもの幻想郷最速の機動力も形無しであった。
「赤外線式フィルムじゃないから、暗がりだと相手にすぐにバレてしまうのがネックですよねーあやややや……」
「そこのエロ天狗。一度しか言わないわ。いま撮った写真を置いたままおとなしくここを去りなさい」
最後通牒と言わんばかりに厳然と告げる咲夜の目はマジだった。声もマジだった。なにもかもマジだった。
これ以上弱みを握られてたまるか、とでも言うように。普段のサファイアのような蒼い瞳はなりを潜め、ルビーのように燃えさかる紅が浮かび上がっている。
その手は超振動カッターのようにブルブルと震えている。触れれば斬れる一触即発。抵抗は無意味と思い、文は観念したのかカメラからフィルムを抜き、両手を上にあげて降参のポーズを取った。
「賢明な判断ね。そのままフィルムをこっちに渡しなさい」
「いやーそれがですね。仮にいまこの瞬間に咲夜さんにネガをお渡ししたとしても、すでに手遅れだと思うんですよ」
「……どういう意味かしら?」
言って射命丸文がゆっくり人差し指を向けた先。咲夜もそれに倣い、文にナイフをつきつけたまま、文の指差す先を見やる。
禍々しい気配がそこにあった。
紅い紅い、しかし静かに燃え上がるような気配。
カリスマすら感じさせる、圧倒的なプレッシャー。
「なにをやっているのよ、あんた達……」
そこには紅魔館の主。レミリア・スカーレットが立っていた。
彼女は左右の拳をぷるぷるふるわせながら、涙目になって咲夜達を睨みつけている。
咲夜は、最も恐れていたこの瞬間での主の襲来に、驚愕の表情で目を剥いた。
「廊下で誰か騒いでると思って来てみたら……目の前でフランの唇を奪われた……しかも他でもない咲夜に……毎晩私としてくれてたのに……ご主人様は私なのに……最初のうちは怖かったけど、がんばってキスを受け入れてたのに……」
どうしてそのことを? 寝たふりをしてたってことですか? そんな疑問の言葉も、レミリアの涙目によってあえなくかき消される。
「お嬢様、その、どこから、ご覧になられて……?」
「フランが咲夜のふとももに頬をすりすりしてたあたりから」
それはつまり、全部みられていたということじゃないか。なんとか誤解を解こうと慎重に言葉を選んで弁明する咲夜。
だが、一度こうなってしまったレミリアが聞く耳を持つはずもなく、懸命の説得も通じることはなかった。
いまこの瞬間に全世界ナイトメアを最大火力で叩きつけられてもおかしくないくらいの勢いで、身体をわなわなと震わせるレミリア・スカーレット。
「ごめんなさい。本当にごめんなさいっ!」
もう謝ることしかできなかった。平身低頭。ただひたすらに。
フランからおねだりされたこととはいえ、そんなことは言い訳にもなりはしない。誤解も六回もない。レミリアの涙がすべてを物語っている。
咲夜に裏切られたショック。妹であるフランへのやきもち。やり場のないどうしようもない気持ち。それらが綯い交ぜになったレミリア・スカーレットの、魔力を溜めた拳が真紅に光って。
「咲夜の、ばかぁあぁぁぁぁっ!」
うぇぇぇぇん、びぇぇぇぇん。
ありったけの弾幕とスペルカードをその場にぶちまけると、レミリアは年相応の子供のように泣き出しながら走り去っていった。
…………。……。
最愛の主に泣かれてしまい、すっかり放心状態の咲夜だった。
「あやや~……それでは今日はこの辺で失礼しますね~……」
拘束を解かれた文は、そそくさと紅魔館を離れていった。
彼女を拘束していたことも忘れ、咲夜はただただ茫然自失となって口元をぱくぱくさせている。
お嬢様に嫌われたダメだもう私。お仕事なんてとても手につかないしこんな私はもう消えてしまいたい。今夜もいつものように美鈴をたたき起こして慰めてもらおう……。
うわ言のようにつぶやく咲夜の様子を見て、すっかり興を削がれたフランドールは「なんかつまんないのー」と言いながら、地下にある自分の部屋へと帰っていった。
ж
「ねーねー魔理沙。キスしよ? ちゅっちゅしよ?」
「おい頼むからフラン。そんなにくっつかないでくれよ」
あの時は途中でキスを阻止されたからなのだろう。ますますキスに興味津々のフランドール。
今日は、大図書館にやってきた魔理沙にしきりに抱きついては困らせていた。
これまでにもパチュリー、小悪魔、美鈴、妖精メイド。館ですれ違う誰かを見つけてはキスをおねだりする有様だ。
小悪魔などは嬉々としながら、淫魔としての英才教育などと称したレクチャーを試みていたのだが、「女の子同士でちゅっちゅなんて絶対だめ!」 とレミリアから禁止令を出されてしまったため、あえなく断念することになり、本気で残念そうにうつむいたりしていた。
そんなことも知らず、悶々とするフランの欲求不満は募るばかりだった。
(キスの味って、どんな味がするんだろ?)
フランドールは興味津々な表情を浮かべながら、今夜もキスの味を教えてくれる相手を求めて紅魔館を歩いている。
行ってフランが幻想郷の少女誰かとちゅっちゅするところが見たい。
咲夜さんの慌てぶり、小悪魔のようなフランが可愛かったです。
お嬢様も可愛い!
畜生こんな職場で働いてる上にちゅっちゅまでしちゃうなんて咲夜さんマジ妬ましい。
これで初投稿か……それとは無関係に100点だ! 持ってゆけい!!
いいぞどんどんやれ。