幻想郷に秋がやってくると、僕は必ず無縁塚へ行き無縁仏を弔う。
香霖堂から西へ歩いて六時間、人間とは違い半妖の僕にとっては些細な時間だ。
――涼しげな秋風が紅葉やイチョウの葉を飛ばす。それが山間を行き交い、まるで赤色と黄色が幻想郷を支配しているように見える。
無縁塚もそんな赤と黄の支配下だったが、近くのイチョウの木の下には、それに抵抗するように唯一の白色――白骨化した死体があった。
僕はその死体へ近づいて、例年通り弔おうとする。
「……これは、なんだろう」
すると、雨風に晒されてボロボロになった死体の骨盤の下に、見慣れぬ箱を発見した。
手で触ってみると、僕の能力が名称と用途をすぐに教えてくれる。
「結婚指輪か」
なぜかはわからないが、この死体は結婚指輪の箱を持っていたらしい。
好奇心に駆られて箱を開けてみると、その箱の中に指輪は入っておらず、代わりに折りたたまれた、端に何らかの染みが付着している紙が入っていた。広げてみるに、どうやら手紙のようだ。
僕はその手紙と箱を昨年外の世界から拾った『リュックサック』なるものに入れ、外の世界の雑多な品物拾いを始める。
もちろん、無縁仏を弔ってからだが。
香霖堂に帰ってきたときには、すでに夜の帳は下りきっていた。
鈴虫の鳴き声を聴きながら、今日拾ってきた品物を机に広げてみせる。
外の世界の雑誌三冊に小説五冊。漫画二冊。破れたビニール傘に駅の切符。丼と湯飲み。そして結婚指輪の箱と、そこに入っていた手紙のみ。
大きな偏りがあると言わざるを得ない。
「しかし、この手紙には一体どういう意図があるのだろう」
甚だ謎だった。なぜ結婚指輪の箱の中に入っていたのかも謎だし、手紙に書かれている文自体も意味不明だ。
あの死体――骨の形状から推察するにどうやら男のようだったが……。
「こーりん、元気にしてる? 私は元気よー」
近くで突然、甲高い声がした。僕はその声がした方向へ振り向く。すると、我が物顔の少女がソファに座っているのを発見した。
「……八雲さん、灯油を持ってきてくれるのには多大な感謝をしているが、扉から入ってきてくれるかな」
八雲紫――八雲はこうして冬が近くなると灯油やらの生活必需品を持ってきてくれる。僕は半妖とはいえ、半分は人だ。
人里離れて暮らしている身からすれば、灯油は非常に有難い”おみやげ”の品だった。
「だって面倒じゃない。扉から入るのって。それに気心も知れている仲だし、これくらい平気でしょう?」
八雲はすでに寛いでいるらしく、上品にソファに寝転んでいる。
「……もういいか。八雲さん、また外の世界に?」
「ええ。羨ましい?」
その言葉に僕は返答しなかった。またいつもの嫌がらせのようなものである。だからこそ、僕は八雲紫が苦手だった。
「羨ましいなら素直に羨ましいと言ったらいいのに。で、その机にあるのは無縁塚にあった外の品物ね?」
「そうだが、それがどうしたんだ? 毎年のことだろう」
僕が言うと、八雲はソファから立ち上がって机に並べてある品物に視線を這わせた。そして、あるひとつのモノに目が留まる。
それは、あの白骨死体が持っていた手紙だった。
「なに、これ? 手紙?」
「無縁塚の近くにあるイチョウの木の下に死体があってね。その死体が持っていたんだ」
すでに手紙は広げられていて、その全貌を机の上で明らかにしている。八雲はその手紙を食い入るように見つめながら、
「意味がわからないわ。何が言いたいのかしら、この人」
まったくの同意見だ。試しに僕ももう一度、手紙を見てみることにする。
11月26日。
もうすぐ冬が来る。冬が来る前に君とあの場所に行かなくてはならない。
時間がない。焦燥感だけが募る。
双子だったことは知っていたが、しかしあの子のほうは野放図で君とは全く違ったんだ。
でも、違う。違うに決まっている。
夏を君と一緒に過ごしたと思ってたんだ。
でも、同じ家に君とあの子は住んでいて……。
利用されていた? 違う。あれは君だ。それが嘘だったなんて、信じられない。
いや、嘘じゃない。嘘じゃない。嘘じゃない。嘘じゃない。
こんな裏切り、耐えられない。
また、あの場所に行けば、全て元通りになる気がするんだ。
あの紅葉が全て見渡せる場所で、僕はもう一度、君に愛してると言うよ。
「うむ。もう一度読んでみたけれど、やはり意味不明だね」
筆致はしっかりとしており読みやすいのだが、いかんせん短文で意味がわからない。
たぶん、他人に見せるための手紙ではないのだろう。メモ帳みたいなものと言っていいのかもしれない。
「その死体って、男だったの?」
「ああ、男だった――って、男だったと言ったかな」
「いえ。『君』なんて言葉を書き綴る女がいたら気持ち悪いなと思っただけよ」
釈然としなかったが、確かに男のほうが確率は高いだろう。
八雲が椅子に座る。本格的に手紙のほうへ興味がいってしまったらしい。仕方なく、僕も椅子に座って手紙を見つめる。
「この手紙を見て、わかることがあるかしら」
「あるかしらって言われても困るんだが。……強いて言えば、『あの子』と『君』が双子だってことくらいだね」
この段落だけ抽象的ではないので、読み取ることは簡単だった。
「そうね。それと『あの子』は野放図な性格で『君』はそれとは全く違う性格――野放図の反対はお淑やか?」
「どうだろう。ただ単に引っ込み思案って可能性もあるけれど」
「まあ、元気な性格ではないってことは確定かしら。つまり双子だけれど、『あの子』は野放図で『君』は大人しかったってことね」
双子は小さい頃から無意識に反発し合い、正反対の性格になることが多い。この双子もそうだったみたいだ。
「あと執筆者がいて、それは男性。愛しているって言葉もあるし、その双子の『君』をその言葉通り愛していた」
僕は八雲が集中していることを感じ、灯油のお礼といってはなんだけれど紅茶を淹れることにした。
三ヶ月前に十六夜さんから貰ったアールグレイしかなかったが、この際仕方がない。あるだけマシだと思ってもらうことにする。
「あら、ありがとう。気が利くのね」
「いつも世話になっているからね。僕は無愛想ではあるが恩を忘れたことはないよ」
そう僕が言うと、八雲は薄く笑う。鈴虫の音色のような、そんな心地よさを覚える。
「大げさな奴」
二人分のティーカップに紅茶を注ぎ、僕は椅子に座り直した。湯気が八雲の顔を揺らし、その香りが部屋に滲む。
「それで、他に何かわかったかい?」
すると八雲は頷いて、
「『男』は『君』と過ごした夏を疑っているわ」
「疑っているって?」
「要するに双子ってところがミソね。たぶん、『男』は『君』と夏を過ごしたと思っていたけれど、後々その『君』が『あの子』だったことに気が付いたんじゃないかしら」
「……なるほど。それで『裏切りに耐えられない』に繋がるのか。……待てよ。裏切りってことは、誰が?」
「『君』が裏切ったんでしょ。『男』に『あの子』を譲り渡したとか――そんなところね」
なんだか、嫌な方向に話が転がりだしている気がした。八雲は幻想郷の賢者とも呼ばれているし、こんな手紙暇つぶしなのだろうが。
「しかし、なぜ冬なんだろう。冬が来るという事象が、男にとって都合が悪いとしかわからないな」
ティーカップを口につける。熱い液体を少しだけ含み、舌の上で味わう。この味なら、悪くは言われないだろう。
どんな顔をして紅茶を飲んでいるのか気になって八雲に視線を移す。すると八雲と目が合ってしまった。
八雲は薄桃色のくちびるを薄っすらと開き、僅かに口角を上げる。
「……ねえ。男と女が共に夏を過ごしたら、どうなると思う?」
「……変な質問だね」
意図はわかるが、わざとわからないフリをしてみせた。気まずさもあったからだ。
「やることは、やるわよね」
遠慮がないとは、まさにこのことを言うのだろう。
「『男』は『君』と臥所を共にした――体の関係になったと勘違いしたのね。本当は『あの子』と寝てしまったのよ」
にやり、とまるでチェシャ猫のような笑みをする八雲。僕も百年以上生きているとはいえ、この妖怪と比べるとまだまだ若輩だ。
だから苦手なんだ、と僕は心の奥で呟いた。
「その結果、裏切ってしまったと『男』が思ったんじゃないかしら。ううん、違うわね。両方の意味、ダブルミーニングかしら」
だからこそ、男はここまで悩み苦しんだ、ということなのか。
やはり、腑に落ちない。それだけでこんなメモを取るほど悩むのだろうか。
「あとは冬の意味ね。冬が来る前に君とあの場所に行かなくてはならない……」
「……焦燥が募るってくらいだから、現在進行形で何かが差し迫っているんじゃないかな」
終ったことに対して焦燥は募らない。ということは、『あの子』と関係を結んだことに対して焦燥を覚えているわけではなく、もっと、別の何か――
「『あの子』との関係がバレそうで、焦っているというわけでもないわね。利用されていた? という記述があるし、『男』は双子のからくりに十中八九勘付いているわ」
「そうだね。そして双子は同じ家に住んでいたと書いてあるし、さすがに『君』が『男』と『あの子』の関係に気づかないまま夏を終えるなんて考えられないな」
やはり『君』は確信的に、『あの子』と『男』を引き合わせたのだろう。恐ろしい女もいるものだと、僕は思う。
「……ふふふ」
気味の悪い笑みを漏らす八雲。そして意地の悪そうな表情をして、
「知ってる? 妊娠してから三、四ヶ月ほどでお腹が大きくなるってこと」
「……そんなこと、僕に聞かないでくれ」
「百年以上も生きてきて、そんなコトも知らないの? 一体あんたこの百年何やってきたのよ」
知るわけがない。そもそも百年の間僕は道具を蒐集していただけだ、とは言わなかったが。
「夏といえば七月か八月くらいだし、丁度季節が合わないと思わない? 夏と冬。そういう可能性もあるんじゃないかしら」
「……つまり、『あの子』のお腹が大きくなる前までに、『君』と会って話がしたいってことかい? でも、何で。どういう意味があるんだ」
「全て元通りになる気がするんだ、なんて言ってるわよ、この男。ってことは元から変わってしまったんでしょ」
「ああ、それがどうした」
「男は女性を孕ませたら責任取らなきゃいけないわ。可哀想に、『男』は『あの子』と結婚することになってしまったのよ」
「詭弁だ」
「妄想だってこと?」
「全て推測じゃないか」
「そういう『ゲーム』じゃない。私の中ではそういう『真実』になっているというだけの話よ」
「…………。『男』は『君』と付き合っていたが、『君』が愛想を付かす。『君』はおそらく『男』に気があった『あの子』に『男』を譲り、双子という似通った容姿を利用して『あの子』は『君』に成りすました。そして『男』は騙され『あの子』と体の関係を結んでしまう。その結果『あの子』は妊娠し、既成事実を武器にされ『あの子』と結婚させられてしまう――」
なんとも、言い難い気分だった。
残酷だ、とも思った。
これが真実とは限らない。むしろ、外れている可能性が高いようにも思う。
けれど、この可能性を否定する論拠はどこにもありはしないのだ
悪魔の証明――悪魔の否定は決してできない。
「さて、いい暇つぶしにもなったし、そろそろ帰ろうかしら」
いつの間にか、彼女の紅茶は空になっていた。壁に掛けてある時計を見ると、とうに日付が変わってしまっていることがわかった。
「そうだ。明日の朝、またここに来るわ」
「なぜ」
「来てはダメなの?」
そんな首を傾けて可愛い子ぶられても困る。
「駄目とは言っていないだろう。わかった、明日の朝だな。……ちゃんと扉を使って入ってきてくれよ」
「そうするわ。もう、邪険にされたくはないしね」
くすくす、と八雲は笑い、そして僕が目を離していた隙に、どこかへ消えていってしまった。
後には何も、残らない。
翌日。
八雲は僕の言いつけを守ったためしがなく、僕がベッドで目を覚ますと傍らに八雲が立っていた。
最初に視界に入ってきたのが八雲とは、まさに『厄』日だった。
「さあ、行くわよ」
と、八雲は言う。
「何処に」
「い、い、と、こ、ろ」
僕は八雲を無視するかのように服を着替え(もちろん目の前で。程度の低い嫌がらせだった)、朝支度をする。顔を洗ってさっぱりしたところで八雲のところへ戻り、
「行こうか」
とだけ言った。
境界のスキマに入るのは数えるほどしかなく、こんな歳になっても未だ緊張するものだった。僕の能力とは言葉通り程度が違う。
そうして視界が開けると、眼前には幻想郷の紅葉が一望できるんじゃないかというくらいの、そんな絶景が広がっていた。
八雲の手にはあの結婚指輪の箱と手紙が握られている。
「こんな殊勝な人だとは思わなかった」
「人じゃないわ。妖怪よ。それも大妖怪」
秋風が僕と八雲の髪を撫でる。赤の黄の葉が青空に舞い踊る。そんな幻想的な景色の中、この結婚指輪の箱は酷く場違いだった。
「最後に、やっておきたいことがあって、ここに来たわ」
「弔いかい?」
「なんとなくね。暇だから」
その横顔には、どことなく憂いが見て取れた。まあ、何千年も生きているのだ。色々な思い出があることだろう。それは、僕が知る領域ではない。
「どこに埋めようかしら」
「どこでもいいんじゃないかな」
彼は、もう死んでいる。どこに埋めようが、過去は変わらない。それは妖怪も人間も、そして半妖も同じことだ。過去は不変。だからこそ、前を向くしかないのだ。
前を向くのではなく――向くしかない。それがこの世に生れ落ちた生物の業だと、僕は思っている。
「そういえば、この染みはなんなのかしらね?」
手紙の右端には、黒ずんだ染みがあった。それは拾った当初からわかっていたことだが――
「ぱくっ」
「おい、何切れ端食べてるんだ。それ、紙だろう」
「いいえ、血よ」
まあ、そんなことだろうとは思っていた。おそらくこの幻想郷に流れ着き、妖怪に襲われた時に付着したのだろう。
哀れなことだ。
「わたしはね、人食いの妖怪だから、血だけで色々なことがわかっちゃうのよね」
そう八雲は言って、手紙と結婚指輪の箱を地面に埋めた。几帳面にも落ち葉を上に敷いている。
「――女の血だったわ」
八雲は続ける。
「恋なんてものはね、いつかは必ず終わりを迎えるものなのよ。そんなくだらないものに執着した結果がこれなんて――ざまぁないわ」
まるで吐き棄てるように。
「結婚指輪の箱が空っぽだったということは、指輪はもう棄てたってこと。結婚指輪を棄てて、『男』は『君』と思い出の場所で再び会ったのよ」
僕は無言を返すことしか出来ない。
「愛してる――なんて、言うつもりは、なかったと思うわ」
八雲は空を仰ぐ。何を想い、何を思い出しているのだろう。
もうすぐ幻想郷にも冬がやってくる。
僕は顔も知らぬ男の末路に、思いを馳せた。
手紙を二人が考察しあってるというだけで十分東方ssになってると私は思います。
特に、香霖堂ってそういうものですしね。
単に手紙の内容を考察しただけならば、あるいは手紙の最後に救いがあれば、この作品はこのような評価にはならなかったはずだ。
創想話にいる大半の読者は、小説における技術や描写の上手さを見たいのではなく、東方のキャラクターがどんな表情を見せてくれるのかを期待している。
この紫は確かに妖怪だった。現実で相対したら、誰もが嫌悪感を抱かざる負えないはずだ。しかしこの様な紫を見たくて本を開く読者はメッタにいない。「――ざまぁないわ」。人間だとか愛とか恋だとかが嫌いで嫌いで仕方ない。そう思えるような生々しいこの台詞。“妖怪”なら言うでしょう。けどそんな紫を期待している人はそうはいない。生々しく重いだけの内容の手紙であること相俟って、結果読者に怒りの感情すら芽生えさせてしまった。
でもこれは間違いなく東方SSですし、俺は嫌いじゃないです。ただ需要と供給が合わなかった。ただそれだけの話だと思います。
何を思い彼女は話を悪い方向へと膨らますのか。何を思い「ざまぁないわ」などと吐き捨てたのか。話の全ては彼女の憶測。血の件ですら果たしてホントかどうか――
筆者が読んで欲しかった行間は、もしかしたらそんな所だったかもしれませんね。キャラクターの見たくもない一面を見せられ怒りを覚えてしまうのは、東方ファンの性なのかもしれません。
今ちょっと読み返したのですが、気になることが一つ。筆者は東方の一次設定についてどこまで正確に知っているんだろうか。呼び名くらいは作者趣味次第で変える人はいるだろうけど……。
筆者がどれだけ正確な原作設定を知ってるか少し曖昧なのでどうにも言えんのですが、『双子』を「メリー」と「紫」に置き換えるとちょっと面白いかもしれない。
特にオチも無いようですし、まあ色々微妙な話でしたね
ただ、原作を知ってるのと知らないのとじゃ大きな差がでるよね。それだけで深みが違ってくる。
あえてそのキャラにしてるのか否か。
問題はそこだ。
ただ、ちょっと紫の口調や霖之助の紫の呼び方に違和感は感じましたが。
これで東方関係ないとか……創作の幅を狭めるだけだと思うけど。