※本作は書き手の独自解釈、独自設定が含まれております。
又、話の都合で特定のキャラが原作で設定されているパワーバランス
と異なる点がありますのでご注意願います。
命蓮寺の建設が完了した日の夜、白蓮達一行が幻想郷の新たな住人となったことを記念し、博麗神社では宴が開かれた。
新たな幻想郷の住人を前にして最初こそ静かであった境内だが、幹事である黒白魔法使いの乾杯の言葉を合図に、そこは大きな声の飛び交う賑やかな宴の様相を呈している。
数多の妖怪が種族の違いなど関係なく、力の強弱等関係なく存在している。そんな中にわずかではあるが存在する人間達も、妖怪と同じようにこの宴で酒を交わしている。
それは、白蓮が夢見た光景。
「ああ、なんと素晴らしい……」
「いや、そんな感動するもんじゃないでしょ、これ」
感動に咽ぶ白蓮だが、隣に立つ霊夢には賛同頂けないようだ。
ちなみに霊夢の目には某鬼が某天狗にパワハラ紛いなことを、某姫と某焼き鳥屋が口喧嘩をしている姿が見えている。少し離れたところに目を移せば、今回の異変で霊夢と同じように異変解決の為に参加した某風祝が、初参加の付喪神相手にくだを巻いていたりもする。悪いとは言わないが、少なくとも涙を流す程有難くもない。
だが、初めてこの場所に招待された白蓮にとっては、この光景は素晴らしいものだった。
かつての白蓮が封印された時代では、人間と妖怪が対立するだけではなく、妖怪同士でも種族が異なれば互いに交わりを避けていた。このように杯を交える光景なんて想像すらできなかったのだ。
多少の問題はあるみたいだが、それらの諍いは命を掛けたものではなければ、後々に深刻な遺恨を残すようなものでもない。某姫と某焼き鳥屋の口喧嘩には物騒な言葉が混じってこそいるが、ただ言葉の応酬を楽しんでいることは良く見ていれば分かることだ。
「まったく、相変わらず煩い連中ね」
「賑やかなのは良いことです」
「否定はしないけれど。でも、後片付けするのって、結局私なのよね。異変が起きて損するのは私だけ。良いことなんて何もありゃしない」
異変の解決後には、その異変を起こした犯人を招いて宴会をするのが幻想郷の慣わしにして博麗の巫女の仕事になってしまったらしい。おかげで霊夢は異変が起きる度にその解決だけでなく、後の宴会の開催、そしてその後の片付けという労働が降って来るのだ。のんびりと過ごしたい霊夢にとって、面倒なことこの上ない。
とはいえ、そう口にした割には彼女の表情は柔らかい。本心は別のところにあるのだろうなと白蓮は思う。藪蛇になりそうなのでそのことは口にしないが。
「あら、後片付けなら手伝いますよ」
「そう? ならお願いしようかしら」
自分からの提案ではあったが、なんの遠慮もなくそれを呑むあけすけな霊夢に思わず噴出してしまう。自分が封印された頃にいた近くの神社の巫女には、もう少し遠慮というものがあった気がするのだが、この巫女ときたらまるでない。
それは、相手が神であろうと大妖怪であろうと変わらない。当然、力の弱い妖怪や人間を相手にしても変わらない。
出会って僅かではあるが霊夢はずっと全てに平等であったのだろうと想像することは容易だ。だからこそ、彼女は全てを受け入れてくれる幻想郷の素敵な巫女なのだ。
その在り方は、正に白蓮が目指したかったことの体現――と、そこまで言うには彼女は少々乱暴すぎるか。
「何よ?」
「いえ、霊夢は本当に素敵だなと」
「……褒めてないでしょ、それ」
「ええ、褒めてはいませんね。正しく言うなら尊敬しています」
「やめてよ、気持ち悪い」
瞳を向ける白蓮に対し、霊夢は心底気味悪そうな表情を浮かべる。どうしてそんな顔をするのだろうか?
霊夢の盃が空になっているのに気付き、白蓮は傍に置かれていた徳利を差し出す。訝しげな眼差しを向けていた霊夢だが、宴の空気に浸ることを優先してか、まあいいかと手にした盃で受け取る。と、その時だ。
「ちょっと、私の話は終わっていない!」
「煩いねえ。あたいはあんたに用なんかないよ」
宴の席に似合わない、大声が白蓮と霊夢の耳に止まる。某姫と某焼き鳥屋の言い争いとは違い剣呑な雰囲気を含んだそれに、周囲の妖怪達もざわめき出す。
「まったく、こんな宴の席で喧嘩? 勘弁してよ」
白蓮の注いだ酒を一口で飲み干すなり、立ち上がる霊夢。それに続く形で白蓮も立ち上がる。
「あんたはいいわよ。せっかくの主賓なんだし」
「いえ、そういう訳にはいきません。どうやら私も関係者のようですから」
なぜなら先の声の一人は、白蓮の仲間――村紗のものなのだから。
騒ぎの元は境内の端にあたる場所。明かりが少なく、薄暗いそこで村紗が一人の妖怪に今にも掴み掛からんとしている。
「村紗、落ち着きなさいって」
「黙ってて。こいつには言っておかないといけないことがあるんだから!」
良く見れば、白蓮達の信仰する毘沙門天が代理の星が間に立っていた。にも関わらず、村紗はその激しい感情を収める素振りを見せない。かつての村紗ならともかく、白蓮が舟を与えてからはこのように攻撃的な姿を見せたことはなかったのに。
「一体どうしたと言うのですか?」
白蓮の声に気付いた二人の反応はそれぞれ別だった。星は安堵の表情を浮かべ、片や村紗は気まずげに視線を落とす。その態度に村紗は何があったのか教えてくれないだろうと判断し、白蓮は星に視線を送る。
「いえ、私もついさっき止めに入ったばかりなので」
「近くにいたのに気付くのが遅かったんだ、ご主人は。まあ、気づき次第止めに来たのは褒められるかな」
背後よりこれまた良く知る声がした。振り返ればそこに居たのはナズーリンであった。
「ナズーリン、あなたは何があったか知っているのかしら?」
「あまり分からないね。ずっと近くにいたのだけど何の兆候もなかった。恐らくは突発的な行動だったのだろうけど」
「あの、ナズーリンは近くにいたのですか? だ、だったら何で一緒に止めてくれなかったのですか」
情けなく非難の声を上げる星に、ナズーリンは村紗が食って掛かった妖怪を顎で差して言った。
「そんな酷なことは言わないでくれ、ご主人様。あれは私の天敵なんだから」
ナズーリンの視線の先を追うと、そこに居た妖怪の頭にあるのは猫耳。なるほど、確かにナズーリンに止めに入れというのは酷な話だ。
「おや、お仲間のねずみさんも知らなかったのかい。なら、これはそこの怨霊さんの独断って考えたらいいのかい、お姉さん」
どうしたものかと考えている間に頭に猫耳を持つ妖怪少女がこちらに近づいてくる。その表情は笑みであると同時に気まぐれな猫めいてて、何かの拍子にすぐに別のものに変わりそうな予感も感じさせる。
「おっと。聖、後は頼むよ」
そう言ってナズーリンは後ろに跳んでそのまま闇の中に消えていく。さすがの智将も正面からでは天敵の相手は勘弁願いたいところなのだろうか。その割には同じ猫科である寅の属性を持つ星には正面きってやりあっている気がするのだが……まあ、その疑問を解決するのはまた別の機会だ。
今、すべきことは目の前の妖怪少女に事情を聞くことだ。
「村紗が失礼したようね、御免なさい。私は聖白蓮。貴女のお名前は?」
「何、名乗るほどのものじゃないよ。もう二度と会う気はないしね」
表情こそ笑みを浮かべているが、言葉は酷く距離を感じさせるものだった。相手をするのも不愉快だと、この声音はこちらに伝えてくる。とはいえ、それをそのまま素直に受け入れる気は白蓮にはない。
「村紗のせいで気を悪くしてしまったのね。重ねて謝るわ。でも、彼女は理由もなく相手を怒らせるようなことをする子じゃないの。きっと何か誤解があるのよ」
「ふーん。何があったのか分からないのに、そこまで言い切るんだ。あれ、怨霊の類でしょ? なら、多かれ少なかれ忌み嫌われるものを持っているのは知っているよね。なのに、彼女は何も咎められるべきことはないと言うのかい?」
投げかけられた問い。それに、白蓮は迷いなく頷く。
「ええ」
白蓮は知っている。村紗は本当に心優しい子だと。
かつて自らの拠り処である舟を失ったときこそ悲しみのあまり自暴自棄の妖怪となってしまった。だが、白蓮によりその心の新たな拠り処となる舟を与えられた後、彼女は白蓮と同じ思想を抱く同志となった。
人間と妖怪の狭間に立つことで色々と迫害を受けてもなお、村紗は妖怪や人間を恨むことなく、白蓮が封印されるその時まで傍に居続けてくれた。白蓮が封印された後も、白蓮の目指していた人間と妖怪の共存という考えを大切にしてくれた。心の弱さゆえに白蓮を封印した人間を前にしても手を掛けるなどせず、後に白蓮と同じように封印されたと聞く。
そして、白蓮と同じ道を進もうとしてくれる姿は封印を解かれた後も変わらない。今も人里にできた命蓮寺で人と妖怪の共存の為に力を尽くしてくれている。
そんな彼女が、理由もなくその目標に相反する諍いを起こすなどとはどうあっても考えられない。
「なるほどねえ。じゃあお姉さんは私が悪いって言うんだ」
「いえ、そんなことは言っていません。ただ、お互いすれ違っているだけだと思うのです。だから、お話をしませんか?」
言って白蓮は猫耳の少女に右手を伸ばす。それをみて彼女は眉を顰めた。
「どういうことだい?」
「村紗は少し気が立っているようですから、まずは貴女からお話を伺いたいの。あ、そんな堅苦しいものじゃないわ。こんな宴の席ですもの。お互いの親交も兼ねて他のことでも色々とお話を聞かせてもらえたらなと。私、幻想郷に来たばかりで何も知らないですから」
「ふーん、そうなんだ。幻想郷に来たばかりか」
猫耳の少女は白蓮の言葉に僅かな笑みを浮かべると、伸ばされた白蓮の手に対し、同じように自らの手を伸ばし――パンと乾いた音がした。
何があったのか一瞬理解できなかった白蓮だが、少し遅れて感じたジンとした痛みに自ら伸ばした手が払いのけられたことを知る。
「こ、こいつ、聖になんてことを!!」
「あ、暴れないでください」
次の瞬間、村紗の怒り声が聞こえる。星が必死に押しとどめているが、今にも飛び掛らん勢いだ。
「村紗、落ち着きなさい。私は大丈夫ですから」
白蓮は正面に立つ猫耳の少女を見る。
こちらを見つめる猫耳の少女の表情はもはや不快感を隠す気などないようだ。肌に突き刺さすような敵意を何の遠慮もなく送ってみせる。
彼女の態度は村紗との因縁だけが原因という訳でもないらしい。なぜならば、この向けられた視線は全て白蓮に対してのものだから。
一体何故なのだろう。
妖怪に嫌われるのは初めてではない。封印される前にもよくあったことだ。
だが、その理由は妖怪と人間の壁を取り除こうとしたり、妖怪の種族同士の壁を取り除こうとしたが故だ。今の白蓮は幻想郷に身を置いたばかりであり、未だ先の異変以外の何も起こしていない。そもそも、白蓮は彼女とは初見である。そのような敵意を向けられる覚えはないのだが………。
「こらこら、面倒事はそこまでにしなさい」
今までじっと成り行きを見守っていた霊夢が、どうにもならない様相に堪り兼ねてか口を出す。
「まったく、せっかくの宴の席でそんな剣呑な雰囲気を振りまいてんじゃないわよ」
重い空気なんてなんのそのと猫耳の少女に話しかける霊夢。けど、それでも少女はこちらへ向ける敵意を収めたりはしない。
「ふん。あたいは元々今日の宴会に参加する気なんてなかったからね。そういう意味では確かに邪魔者さ。早々に退散させてもらうよ」
それは、まるで白蓮達を歓迎する気などないと言っているようだ。いや、彼女の態度から判断するに、事実そうなのだろう。
「ちょっと、そこまでは言ってないでしょ」
「いいのいいの。元より今日はここに来る気はなかったし、お空も一緒じゃない。じゃあね、紅白のお姉さん」
止めようとする霊夢を余所に猫耳の少女は背を向けると、争いを見守っていた野次馬の間を跳ねて闇の中に消えた。
諍いの当事者である片方が去ったことで、成り行きを見守っていた野次馬達の興味も逸れたようだ。皆は再び酒を口にし、そして喧騒が戻ってくる。
「なんだ、お燐の奴帰ってしまったのか」
「遅いわよ、魔理沙。なんで幹事でもない私が仲裁に入らなきゃなんないのよ」
「トラブルはイコール異変だからな。なら、巫女の仕事だぜ」
「まったく、都合の良い」
騒ぎを聞きつけたにしては遅すぎるタイミングで現れたのは黒白の魔法使い、霧雨魔理沙。
「で、何があったんだ。いきなり騒ぎを起こすなんて白蓮らしくない」
「どうやら嫌われてしまったらしいわ。何故嫌われたのかについてはまるで身に覚えがないのだけれど」
そう答えながら、白蓮は星に肩を抱かれた村紗の前に立つ。
「村紗、話してくれる。彼女は何者? そして、彼女と何があったの」
「聖、巻き込んでしまってすみません。でも、これは私の問題ですから手を煩わせる訳にはいかないです」
そう言って口を噤む村紗。されど、それをそのまま良しとする訳にもいかない。
「既に私も当事者ですよ。きっかけは村紗なのかもしれないけど、私も彼女に敵視されている。妖怪との平等を説く私が、このままでいられる訳ないことは村紗にも分かるわよね」
視線が下を向いている村紗の頬に手を伸ばし、お互いの視線を合わせる。村紗の表情は気まずそうで、苦しそうで。
「私は貴女にそんな顔をして欲しくない。貴女の幸せは私の幸せ、貴女の不幸は私の不幸。ならば、貴女の悩みも私の悩みよ。お願い、話してくれないかしら。私はやはり無力かもしれないけれど、それでも助けになりたいわ」
「無力だなんて、そんなことは思っていません………」
「なら、話して下さいな」
しばらく続いた沈黙の後、村紗は観念したようにポツリポツリと言葉を口にした。
「彼女は地底にある地霊殿の火車で名を火焔猫燐と言います。彼女は地霊殿で灼熱地獄の燃料となる死体を集めたり怨霊を管理したりしています。そして、私は彼女に、彼女達に奪われているものがあるのです」
「奪われている?」
問いに、村紗は小さく頷く。
「聖に頂いた経典。そして封印される前に星が私に預けた様々な宝。そして私の船員である怨霊達が」
込みあがる何かに耐えるようにして、村紗は一つ一つ言葉を紡ぐ。
「地下に封印されていた私は一輪達と同じように一つ前の異変で地下より脱出することができました。けれど、その際に大切なそれらを地下に置き残したままなのです。そのせいで私は、かつてのように聖と経を読むこともできない。命蓮寺に必要不可欠な仏具も用意できない。そして、舟をかつてのように自由自在に動かすことも……できな……い」
そこまで口にして耐えられなくなったのだろう。村紗の瞳の潤みが膨れ、次の瞬間には頬を濡らす。そんな村紗を、白蓮は抱いた。
「ごめんなさいね、村紗。今まで貴女が悩んでいたことに、苦しんでいたことに気付けなくて御免なさい」
「ぞん、な……聖が謝る……ことでは……」
「いいえ、私は貴女と同じ苦しみを負うべきなのに、それを貴女任せにしてしまった。これは、命蓮寺の住職として恥ずべきことだわ」
彼女の背中を軽く叩いてやると、彼女は堰を切ったように涙を流し、嗚咽は止まることがない。ああ、何ということだろう。私はここまで村紗を苦しめていたのか。
「霊夢、宴の最中で申し訳ないのですが私は席を外させて頂きます」
これ以上村紗を悲しませる訳にはいかない。今すぐにでも地底へと赴き、彼女が奪われたそれらを取り戻そうと白蓮は思った。が、
「地底に行く気? それは駄目よ」
その前を、霊夢が立ちふさがる。
「何故?」
「地底は昔の協定で地上の者との接触を禁じているの。そんな場所へ、幻想郷の地上の住人となった貴女が行くことは幻想郷の異変となるわ。それが何を意味するかは分かるわよね」
つまり、異変解決の役割を担う霊夢は白蓮のその行動を許さないということだ。いや、それが幻想郷に敷かれたルールであるならば、霊夢だけではなくこの幻想郷自体が敵になることを指すのかもしれない。
体に回された村紗の腕に力が込められる。
「聖……もういいです。これは私の不手際なのだから、貴女が――」
かすれた声で言う村紗。その言葉は村紗の大切なものを犠牲にして作られたもの。どうしようもなく痛い。
白蓮さえその気になれば、例え霊夢が邪魔をしようとも、地底へ向かうことは出来るだろう。自惚れではなく、白蓮にはそれだけの力がある。無論、博麗の巫女を相手に無傷とはいかないだろうが。
だが、同時にそれは幻想郷を敵に回すことも意味している。
これは村紗達が自分を封印から解放するためにしてきた苦労を水泡に帰することとなってしまう。これからの平穏な生活を望むのなら、ここは村紗には堪えてもらうのが最善。だからこそ、村紗は苦しみながらも今まで我慢を続け、そして今も再び自らの心を押さえつけようとしている。
しかし、そんな犠牲を強いての平穏な生活に意味があるだろうか?
答えは否、だ。もはや家族であるに等しい村紗に苦しみを与えたままで、どうして白蓮の目指す妖怪の救済ができようか。己が信念を守るためにも、ここは引けない、引かない。
覚悟を決め、白蓮は己が決意を口にする。
「すみません、霊夢。やはり、私は村紗を泣かしたままでいることなど耐えられません」
抱きついた村紗の腕をそっと放し、白蓮は強い意思で霊夢を見る。今、ここに至っては己が決意を止めることは誰にもできない。
そんな白蓮の姿に、霊夢は呆れたように小さくため息をつく。
「あのね、早とちりしないでよ。何も私はあんた達にあきらめろと言っている訳じゃない」
「……どういうことです?」
白蓮の問いに、霊夢は答える。
「白蓮が地底に行くだけの理由があることは分かったわ。そして、それは止められないこともね。例え、この場所であんたを叩きのめしたとしても、いずれは向かうのでしょう」
頷く白蓮を見て、霊夢は小さく息を吐く。
「なら仕方がない、私が話を付けてくるわよ」
それは意外な言葉だった。面倒臭がりのぐーたらな、表向き妖怪なんてどうでも良いという考えの霊夢が発した言葉としてはあまりにもらしくない―――
「何か失礼なことを考えているでしょ」
「仕方がないぜ。霊夢が面倒事に自分から首を突っ込むなんてまずないことだからな」
ケラケラと笑う魔理沙に、霊夢は溜息。
「異変が起こるかどうか分からないなら私は動かない。けど、このままじゃ確実に異変になってしまうじゃない。だったら事が大きくなる前に動いたほうがよっぽど楽だわ。幸いにも人間は地底に行っては駄目って決まりもないそうだから、私なら問題もないし。ただ、それ相応の謝礼はいただくけど」
「おっと、私も行ってもいいぜ。地底にはお宝もありそうだしな。謝礼は必要ないが、頂けるなら私も断らないぜ」
「えーっと」
霊夢と魔理沙はこの問題の解決を名乗り出てくれる。それは感謝すべきことなのかもしれないが、あまりにも露骨に裏をちらつかされては素直に頷きがたいと言うか……。いや、実際助けてくれるというのなら有難いし、当然それの報酬を惜しむ気等ないのだが。
「あら、駄目ですわ。未だ異変でもないのに地底へ行くことは、例え人間でも認められません」
だが、この二人の提案を受け入れるべきかと悩む間もなく、それを否定する言葉がスキマと共に白蓮達の前に現れる。
「以前は異変が起きたからこそ貴女達が地底へ行ってもらいました。しかし、それは地底との無制限の交流を許すものではありません。多くの妖怪は問題無くとも、それでも害をもたらす妖怪はやはりいるのです。そのような妖怪達に地上進行の口実を与えない為にも、介入はあくまで最低限に留める必要があります」
扇子を霊夢に向けてそう言ったのは幻想郷の賢者とも云われる大妖怪――
「八雲紫」
「あら、名前を覚えて頂いているなんて光栄だわ、尼さん」
扇子を口元にやり、ふふふと笑う紫。白蓮が彼女と接触するのは初めてではない。
彼女は此度の異変開始と共に白蓮が魔界に封印されているにも関わらず白蓮の思念に接触するなんて離れ業をして見せ、弾幕勝負という幻想郷における決闘のルールを教えた。そのお陰で白蓮は封印から開放されたばかりにも関わらず、この度の異変の元凶として霊夢達の前に立つことができた。
紫の接触がなければ、これほどスムーズに幻想郷に受け入れられることも出来てなかっただろう。そういう意味では感謝すべき相手なのだが、どうにも彼女の行動は胡散臭さが伴っていて素直に感謝できない。人間と妖怪の共存を望む白蓮としてはそんな気持ちは抱きたくないのだが……自分もまだまだ修行が足りないなと白蓮は自省するのだが、中々どうして上手くはいかない。
「紫、説明が終わっていない。というか説明になっていない」
「そうだぜ。お燐やお空は自由に地上に出てきているじゃないか。なんで私達が地底に行くのは駄目なんだ」
「彼女達は理由も無しに地上に出ている訳ではありません。火車の猫は地上に残ってしまった怨霊の回収、地獄烏は山の発展の為に山の神の責任の元、一時的に地上への来訪を許されているだけです。貴方達にはそれだけの理由があるのですか」
「理由ならあるぜ。白蓮のお仲間が地底に忘れ物があるらしい。それは立派な理由にならないか?」
魔理沙の言葉に、しかし、紫は首を横に振る。
「それは命蓮寺一行の問題です。貴女達の問題ではありません」
「だったら、どうすんだ。妖怪は地底へいけないんだろ? なら、代理で動けるのは私達ぐらいじゃないか。それともお前はこの問題はほっとけとでも言う気か」
「誰もそんなことは言っていません。私は貴女達二人が動くべきではないと言っているだけ。動くならその当事者が動くべきだと私は言いたいのです」
そう言って紫はその手の扇子を白蓮に向ける。
「聖白蓮、この問題を解決するのなら動くのは貴女以外にいません」
告げられたのは、意外な言葉。
「おいおい、紫。地底との決まりはどうするんだ」
「あれが厳密に適用されるのは妖怪のみ。妖怪の力を使っているとはいえ、魔術を身に付けたに過ぎない人間は対象外ですわ」
魔理沙の問いに紫はそう答えた。それが意味するのは――
「つまり、私は人間だと貴女は言ってくれるのですね」
「ええ、今の貴女は人間ですわ。後のことは知りませんが」
扇子の後ろで笑う紫。相も変わらず意図が見えない。
話を聞く限り地底というのはこの幻想郷においても特別な場所のようである。そんな場所に新参であり、かつこれからの幻想郷での一勢力になりかねない命蓮寺の代表である白蓮への来訪を勧めるなど、無用なトラブルの火種になる危険性が高いというのに。
いや、恐らくこの妖怪の賢者はそのトラブルを招きたいのだろう。その為に、白蓮を利用しようとしている。だが、その理由が分からない。
「嫌なら無理強いはしません。ただ、その場合何も変わりませんわ。貴女の大切なお仲間の、大切な物は地底に残されたまま」
即答できぬこちらを挑発するように言う紫。
意図も分からず利用されるのは白蓮としても願い下げである。だが、この機会を逃しては二度と地底の住人と接触することは不可能かもしれない。この機会を逃しては、村紗の笑顔を取り戻すことは出来ないかもしれない。ならば、答えは一つしかないのだろう。例え、どれほど懸念すべきことがあろうとも。
「分かりました。私が地底へ行きます」
「聖……」
腕の中の村紗がこちらを心配する声を上げるが、白蓮は彼女の頭を優しく撫でる。村紗が心配する必要はない。だって自分は命蓮寺の住職なのだから。
「村紗の為だけではありません。聞けば地底の妖怪は地上と関係を絶っているそうではないですか。この機会は私にとっても有り難い」
地底と地上は不干渉の関係を貫いているという。ならばこそ、自分が地底に向かわなければならない。あらゆる妖怪と人間の共存を望む聖白蓮が。例え、利用される身であろうとも。
「余計なことはあまり考えて欲しくはないのですがね。まあ、いいでしょう。ただ、地底の住人に話を通しておく必要があります。向かうのは明日で良いかしら」
「ええ」
よろしいと、紫はパチリと音を立てて扇子を閉じる。
「丁度此度の宴には地底と行き来できる鬼がいます。話を付けてきますわ」
固い話はこれで終わりと、紫はスキマへと消える。と、同時に周囲も宴の喧騒が戻ってくる。
そんなこんなで落ち着きを取り戻した宴の中、魔理沙が口を開く。
「なあ、霊夢。白蓮達を借りていいか? 幹事として皆に紹介しときたいんだが」
「なんで私に尋ねるのよ? 面倒ごとなんだから幹事が引き取るのに反対はしないわよ」
随分とひどい言われようだ。けど、彼女たちの会話を前に白蓮の表情が和らぐ。裏のない彼女達の姿は、先の紫のような胡散臭さがなく表面に出てきた感情を素直に受け取ることが出来る。
「で、白蓮。どうするの? 面倒だったら断ってもいいわよ」
おまけに素直じゃない気遣いをしてくれる。確かに、明日の地底行きについて色々と考えたいことがあるが、せっかく自分達の為に開いてくれた宴だ。引きずったままではせっかく集まってくれた人妖にも悪い。
「いいえ、大丈夫ですよ。じゃあ魔理沙さん、付き合いますからご紹介頂けますか?」
「了解。じゃあ、まずは私の知り合いの魔法使い達からと行くか」
そういって器用に手で箒を回しながら、魔理沙が行く。
「村紗、せっかくの私たちの為の宴よ。まずはこの宴を愉しみましょう」
腕に抱えたままだった村紗を解き、彼女の手を引く白蓮。村紗の暗い表情は無視だ。この際、般若湯を飲ませてでも変えてやるつもりである。
「聖がこう言っているんだ。観念しなさい、村紗」
そういって村紗の背を押す星。その後ろにいつの間にやら集まっていた命蓮寺の面々がいる。
「ご主人の言うとおりだ。いつまでもウジウジしていても良いことなんてないぞ、ムラサ船長」
「雲山、この泣き虫さんを運んでくれる」
「誰が泣き虫よ! これは目にゴミが入っただけ。好き勝手言わないでよ」
賑やかな面々に村紗は大声を上げる。そして、そんな村紗の姿に皆が笑う。
うん、大丈夫だ。私たちは大丈夫。そして、明日、自分が大切な村紗の宝物を取り戻せたなら、全てが解決できる。
はぁ、と霊夢が溜息を吐くと同時、ついさっき消えたはずのスキマが彼女のすぐ隣に現れる。
「あら、溜息なんて宴の席に相応しくないわよ」
「あんた、用事はどうしたのよ?」
「すでに終わりましたわ」
よっと、スキマから出てくる紫。
「どうしたのかしら、霊夢。悩み事なら聞きますわよ」
「悩み事はあんた達よ。まったく、何を考えているの?」
「心外ね。私は組んだ覚えはありませんわ。私は私の意志で、動いているだけ。組んだように見えるのは、偶々私がしようとしていることとあちらさんがしようとしていることが重なっただけですわ」
「どうだか」
つっけんどんな霊夢の言葉に紫はよよよと泣いてみせる。
「悲しいわ。霊夢が信用してくれない」
「そんなうそ臭いことをするからでしょ」
ポカリと頭を叩く。
「痛いわ。ひどい暴力巫女ね」
「泣きたかったみたいだから泣くのを手伝っただけよ」
目尻に涙を浮かべている紫。嘘にしか見えなかった泣き真似を本物にしたのだから感謝されこそすれ、非難される謂れはない。
「で、何を企んでいるの。お燐をけしかけたうえ、無茶な理由で白蓮を地底に誘うなんて」
「ですからけしかけたのは私ではありませんわ。けど、やはり霊夢には無理があるように見えたかしら」
「当然でしょ。しょうもないことで動け動けというのに、今回は動くな、だもの。怪しすぎるわ」
「強引過ぎたことは否定できませんわね」
紫は素直に認めた。
「しかし、これは必要なことなのです。彼女達が今の幻想郷の真の住人となって頂くには、絶対に必要なこと」
「それは誰のことを言っているのかしら?」
霊夢の問いに答えることなく遠くを見つめる紫。その視線の先に霊夢は何があるのか見つけることはできないが、想像することは出来た。
「厄介なことはしないでよね」
「ええ、無論ですわ。どう転がっても悪くはなりません」
「転がる? 何よ、らしくもなく結論が見えないことをしようとしているの?」
「私も万能ではありません。今回に関しては予想される結果は見えていますが、どちらになるか分からないだけ。無論、どちらに転がっても問題はありませんわ」
そういって紫はスキマから見たこともない名が刻まれた角瓶を取り出す。霊夢は諦めの眼差しで杯を差し出す。注がれるのは琥珀色のお酒。外界のものか。
「どうぞ」
促され、口に運ぶ。度数が高いのかアルコールの刺激が強い上に癖の有る味、癖のある匂い。
「あまり好きな味じゃないわね」
「ええ、明日の結果もそんな感じになりそうですわ」
結果も好ましいものではないということだろうか。霊夢は杯の中で琥珀色の液体を揺らしながら思う。
「水で割りたいわね。そしたらもう少し口当たりが良くなりそうだけど」
つぶやいた言葉に紫が笑う。
「お子様ね」
再度、頭を叩いてやった。
日が変わり朝と昼の境界の時間、昨晩の喧騒が嘘のように穏やかな時が流れる博麗神社の境内に三つの影がある。
ちなみにその三人にこの神社の巫女は含まれて居ない。霊夢はそんな三人のことなど知ったことかと社務所の縁側で暢気にお茶をしていたりする。
「意外ね。てっきり総出で見送りに来るものだと思っていたのに」
「寺を空けるわけにはいきませんから」
村紗達は自分達も付いてくる勢いだったが、今は人里に馴染むための大切な時期。法事の予定もあったことから、星に代理をお願いした上で、皆には命蓮寺で見送るに留めてもらった。
「お寺は大変だね」
最後の一人、二本の大きな角とそれに不釣合いな小さな体の鬼がニハハと笑う。
「そういえば、自己紹介は済んでいるのかしら?」
「ええ、萃香さんのことは昨日魔理沙さんに紹介してもらいました」
「萃香と呼び捨てでいいのに。丁寧だねえ、白蓮は」
言って瓢箪の酒を煽る萃香。昨晩の宴でも相当飲んだというのに、まだ飲み続けられるのはさすがの鬼と言ったところか。
「なら自己紹介は不要ということで本題に入らせて頂きますわ。貴女はこれから萃香の案内で地底へと降りて頂きます。向かう先は地霊殿という屋敷。ここの主人が地底を管理していますから、その人と話を付けて、必要なものを取り返してください」
「その主人とは?」
「それは後の楽しみとしておきましょう。貴方はその相手が如何なる妖怪であろうと何も変えないのでしょ?」
試すように言う紫。からかうような、その言葉に小さく嘆息。
遠まわしに彼女は、そうでなければ白蓮が地底へ行く意味がないと言っている。実際、昨夜に白蓮の地底行を進めた経緯から考えるに、紫は白蓮が地底で何かをすることを期待しているのだろう。
まったく回りくどい。そのような問いに白蓮が返す言葉などこの妖怪の賢者も理解しているだろうに。
「そうですね。そうありたいと考えて、私はそうあります」
必要のない質問に、必要のない答えを返す。
白蓮は自らの在り方を曲げるためにここにいるのではない。曲げない為にここにいるのだから。ならば答えは決まっているのである。
「よろしいですわ。そして、よろしくおねがいします」
紫は満足したように笑う。
「まあ、そう気を張らなくても良いですわ。地霊殿の主は諍いを好む類の人物ではありませんから」
「私はそう楽観視できませんが」
簡単なことのように言う紫だが、白蓮はそう考えることはできない。何せ妖怪の賢者たる紫自身も、かつての制約に未だ縛られ、地底へと向かうことが出来ない。今の地底を知らぬ者の言葉をどうして鵜呑みにできようか。
「あら、妖怪の言うことなのに信頼してくれないの?」
「信頼と妄信は違いますわ」
「なるほど。貴女は妖怪を妄信している訳ではないのですね」
クスリと笑う紫。再びこちらを試すような言葉に、当然白蓮は良い気はしない。
「では、何か尋ねたいことはありますか?」
当然、紫はそんな白蓮の感情に気付いている。が、言葉の調子は変わらない。そのことに白蓮は苛立ちが大きくなるも、自身の感情の乱れに気付くとそれを抑えるべく小さく息を吐く。
利害は一致しているが、白蓮は紫に利用される身だ。どのようなことをさせられるのか見えていない以上、誤った判断をしないためにも心までを乱す訳にはいかない。
「色々と問いたいことはありますが、時間も勿体ないので一つだけ伺いたい。地底とは何ですか?」
昨夜、宴の中で出会った者達に同じことを尋ねた。だが、いずれも要領を得ない答えをする。力の弱い者達はよく知らないと言い、力のある者達は煙に巻くようにしてまともに答えなかった。ちゃんと答えてくれたのはと言えば魔理沙と――
「あたしが昨日説明したじゃん。あそこは良いとこだよ。冬も温かいし、珍しい酒もある。地上と違う賑やかさもある。鬼は嘘を吐かないよ」
不満そうにそう告げる萃香のような鬼位なものである。
「ええ。無論萃香さんの言ったことを嘘だなんて思っていません。ただ、私は他の者が同じような答えを返さなかったのが不思議なのです」
ちなみに魔理沙の語ってくれたのは地底の温泉は気持ち良かったというもので、特に白蓮の役に立ちそうになかった。どちらかというと、地底に行ったことがあるのにあまり多くを語らなかった巫女の霊夢と風祝の早苗の姿の方が地底というものを伝えてくれた気がする。
「ついでに言えば、かつて地底にいた私の仲間達は地底について口を噤む。これは地底がただならぬ場所であることを指しているのでは?」
「あなたのお仲間の事情は地底と交流できないからではなくて? ちなみに地底と地上の妖怪達は遠い過去に不干渉の約束を結んでいます。これが原因で地上の妖怪は地底のことを知らない。古い妖怪の中には知っている者もいますが、約束があるからわざわざ口にしない。そのような話をするのは約束に束縛されない者達……萃香のような鬼ぐらいでしょうね」
「では、貴女は地底のことを何も語らないと?」
白蓮の言葉に、紫は首を振る。
「そうですわね。貴女が知りたいのは地底と地上の関係ではなく、地底のことでしたわね。ええ、私は古い妖怪ですから知っています。ただ、語れることは少ないわ」
紫は言う。
「地底はね、地上が受け入れられなかった幻想郷。私達と共存できないと判断した妖怪が隔離された場所よ」
「随分と険しい顔をしてるねえ」
地底に潜り始めて数分が経った頃、白蓮の隣を飛ぶ萃香が声を掛けてくる。
「そんなつもりはないのですが」
「自覚してないのかい? なら重症だねえ」
ケラケラと笑う萃香。自分がそんな表情をしているとは認めたくなかったが、鬼である萃香は嘘を吐かない。なら、きっと自分はそんな顔をしているのだろう。
「で、何が気を悪くした? 紫の態度が気に入らなかった? まあ、紫の胡散臭さは人を選ぶけど」
「いいえ、彼女のことではありません」
確かに紫の人をはぐらかすような、何を考えているのか分からない態度を白蓮としては好意的に見ることはできない。だが、それについては既に半分諦めている。
仮にも彼女は妖怪の賢者と呼ばれているのだ。恐らくはそのような姿勢でないと幻想郷を管理できなかったのだろう。だから、彼女があのような態度を取るのは仕方がないと思うことにした。納得は出来てないが。
「なら、何が原因?」
「幻想郷に対する、少しの失望でしょうか」
「へえ。昨日はあんなに素晴らしいと言っていたのに?」
瓢箪の酒を口に運びながらも、
「幻想郷は全てを受け入れると聞きました」
「その後にはこう続く。それはそれは残酷なことですわ、と」
身形は子供のような萃香が紫を真似て言う。それはとても滑稽な姿ではあったのだろうが、白蓮は笑わない。笑えない。笑い事ではない。
白蓮は視線を降りていく先へと向ける。
闇はどこまでも深く暗い。
それは全てを拒絶するが如く。
穴はどこまでも深く見えない。
まるで終わりがないかの如く。
思い出すのは封印された長い時間。
否、思い出すまでもなくここは同じだ。
結局のところ、この地底は忌み嫌われた妖怪を封じているのだから。
「悲しいですね」
「何がだい?」
「地底にいる妖怪達が。光を失った冷たいこの地で、人と触れる機会なく存在する妖怪達が」
地底の妖怪達はかつて結んだ約束に従ってこの暗い地へ降り、地上との交流を断絶したという話は理解している。そして、それは地上の妖怪達と同意した上での結果だということも。
しかし、この暗い地の底は果たして自ら望んで向かえるような場所だろうか。否、このような暗き闇を望む者などいない。
白蓮は知っている。例え闇にしか存在しない妖怪であろうとも、彼らは常に光を求めている。だからこそ、光ある世界を生きる人間に触れようとするのだ。妖怪が危険視されるのは、弱い人間への触れ方を知らないから。
共存することは可能なのだ。現に地上では一定のルールの中で妖怪と人間が共存している。ならば、なぜ封じられた妖怪がいるのか。
恐らくは、見捨てられたのだろう。人間と上手く触れられない不器用な妖怪達は、その機会すら奪われ、そしてこの暗い地底に追いやられた。自主的ではなく、それしか選択肢がなかったのであろう。
ならばこの地底にいる妖怪達こそ、正に迫害されているのではないだろうか。光を奪われ、ただ闇の中で生きることを強要されている。
そして、そんな状況で現れた白蓮達の姿を、お燐はどう見たであろうか。
片や古くからの幻想郷の住人は忌み嫌われているのに、片や新人が歓迎されているのだ。そこに暗い、恨みのような感情を抱いたことを想像するのは、白蓮の自惚れではないはずだ。
恨みは恐れとなり、恐れは迫害を起こし、迫害は恨みとなる。
負の感情の連鎖。それに囚われているからこそ、お燐は白蓮のことを嫌ったのだろう。
「ひどい言われようだね」
瓢箪の酒を口にして、萃香は言う。
「別にね、地底の妖怪はここが嫌な訳ではないよ。地底は地底で居心地が良い。地上とはまた別の美味い酒に美味い飯もあるし、地上じゃご法度の喧嘩もできる。弱い妖怪など気にせず、自分の在りたい姿のままでいられる」
「それは地底に比べて地上の居心地が悪いという意味ですか? 地上に居る為には在りのままの姿であることを止めねばならず、堅苦しいと」
「そういう気持ちがあることは否定しない。でもね、それだけじゃないさ。こっちが地上で無理に居座って、それで不幸な目に合う奴の姿を見たくもないからさ」
萃香は続ける。
「距離ってのはやはり妖怪にもあるんだ。自分のせいで他の者が苦しんだり、恨んだりされるのがずっと続くのは嫌なものなんだ。少なくとも鬼はね」
そういうのを餌に出来る妖怪も居るのだけどと萃香は言う。
「説得力がないですね。昨夜、天狗と河童を苛めていた貴女を見ると」
「ありゃ人生のスパイスだよ。妖怪は退屈だと死んでしまうからね、ああして刺激を与えられるのはあいつらにとっても損な話じゃないさ」
随分と自分勝手な意見だ。が、同時に鬼らしくもあるか。
「しかし、信じられません。本当にこんな場所が居心地良いというのですか」
太陽の明かりが届かぬ、暗く冷たい洞窟。ここが居心地良いというのは余程の変わり者だと思うのだが。
「まさか、地底はもっと賑やかだよ。この穴は不可侵の地上と地底を繋げるものだから、普通の者が足を踏み入れたくないようにしているだけ。おっと、ここからうねるよ」
萃香の言葉通り、今まで下に伸び続けていたはずの穴がうねりだす。
上に下に、左に右に、そんなことを繰り返していると、やがて緩やかな下りの洞窟になる。
「もうすぐ地底だ。ほら、あそこに番の妖怪がいるよ」
萃香の指差す先、地面が岩から木で出来た橋へと変わる境界に、一人の妖怪が立っている。
「や、パルスィ」
「ようやく来た。まったく、時間も指定せずに来ることだけ伝えて。おかげで今日の私はここに釘付け」
パルスィと呼ばれた妖怪は気だるそうに返事する。
「勇儀はちゃんと伝えてくれたんだ」
「伝えたって言うのかしらね。あいつったら、萃香が来たら呼んでとだけ言って、私の布団に入って来たし。こちらは頑張って番をしているのに、あいつはぬくぬくと熟睡中。まったく、想像するだけで妬ましいわね」
相変わらずだねと笑う萃香の言葉はどちらに対してのものか。
「勇儀がわざわざそんなこと言ってくるから、仕方なしに早朝から番の仕事。こんな時間に来ると分かっていたならもっと眠れたのに」
パルスィは口から出そうになる欠伸を噛み殺す。
ちなみに今は丁度昼前。本当は朝一に地底へと向かうはずだったのだが、地底へ向かう前に注意すべきことを教えてくれるはずだった紫が寝坊した為、出発は朝と昼の境界となってしまっていた。
「ところでさ、他のみんなはどうしたの? ここまで誰にも会わなかったんだけど」
「誰かが来るとしか聞いてなかったからいつもみたいにちょっかいを出していいのか、分からなくて隠れてんじゃないの? まあ、鬼のあんたも一緒なのに喧嘩を売ろうなんて馬鹿はいないと思うけど」
そう言ってパルスィは白蓮に目をやる。
「あんたが勇儀の言っていた来訪者かしら」
「ええ。聖白蓮と言います。貴女のお名前は?」
「私は水橋パルスィよ。ああ、地上の匂いが妬ましい」
緑色の瞳が舐めるように白蓮を見る。
「どうかしましたか」
見られて困ることはないのだが、そうも熱心に見つめられるとさすがに恥ずかしい。
「パルスィは白蓮に嫉妬しているんじゃない? 結構豊な体つきをしているし」
「そうなんですか」
萃香の言葉に思わず胸を隠すように腕で抱く。
「そんなんじゃないわよ。妬ましいのは事実だけど」
パルスィは興が削がれたと鼻を鳴らす。
「じゃあ、勇儀を起こしてくるわ」
「お、萃香に白蓮、来たのか」
そう言って背を向けようとした途端、パルスィの背後に現れるはぼさぼさの寝癖のついた髪で、腹を掻いている勇儀。だらしのない姿を前に、パルシィは顔を顰める。
「あんたねえ、せっかく起こしにいこうとしたのに起きてこないでよ」
「起こしに来る手間が省けて良かったんじゃないか? ついでに札も持って来たしさ」
「ふん。私の仕事を取るだなんて妬ましいわね」
パルスィは勇儀から札を奪い取ると、それを白蓮に手渡す。
「これは?」
「地底への入場許可書とでも言おうかしら。何か不満かしら」
「ええ、ちょっと」
でかでかと札に書かれている一文が気になった。『接触禁止』とはどういうことか。
「地底は地上より粗野な連中も多いからね。それに、あんたは地上からの来客。事が起こっちゃ色々厄介だし」
「これは必ず付けないと駄目なのですか?」
「そういう訳でもないけれど、でも付けといた方が良いと思うわよ。これから旧都にも寄るんでしょ」
パルスィは視線を勇儀に移す。
「そうだなあ。もう昼時だから地霊殿に行く前に旧都の店で腹にものを入れた方が良いかもな。ちょうど美味い飯屋も出来たし」
「だったら断然付けといた方が良いわね。昼から酔っ払いが多いし」
ということは、日常的な地底の生活と触れることが出来るということか。
「それならこれは不要ですね」
白蓮は、札をパルスィに返す。
「……会話が繋がっていない。なんでそれなら不要になるのよ」
「特別扱いは不要ですよ。こんなものが付いていては料理の注文もできないじゃないですか。勇儀さんは美味しいお店を紹介してくれるんですし、それは勿体ないですよ」
「注文ぐらい、酔っ払いの鬼二人に任せりゃいいじゃない」
「はい。萃香さんと勇儀さんがご一緒ですから、絡まれても平気です」
パルスィは話にならないと萃香を見る。
「案内、あんた本当に良いの」
「どうだろうねぇ。白蓮さえ良ければどっちでも良いんじゃないかな」
「なら決まりですね」
白蓮の浮かべる笑みにパルスィは呆れた表情だ。
「もう何があっても知らないからね。責任はあんた達が取りなさいよ」
「大丈夫ですよ。こう見えて荒事も得意ですから」
「ますます不安だわ」
パルスィは札を手にし、橋の中央から端へと体を退ける。
「まあ、いずれにしても歓迎するよ。ようこそ地底へ」
パルスィが指を鳴らすと、橋の先にある門が開く。
その先に見えるのは、洞窟と呼ぶには広すぎる空間。大きさは人里と同等か、それ以上かもしれない。
「これが地底――」
白蓮の感想に、鬼二人は嬉しそうに笑う。
「じゃあ、まずは食事だ。美味い飯を期待しているよ、勇儀」
「合点承知」
こちらに何度も頭を下げる白蓮の姿を、パルスィは手を振って見送る。
「あれが新しく幻想郷の一員となった命蓮寺の代表か。なるほどね」
噂は地底にも伝わっている。何でも妖怪の救済を声高に主張する僧侶だと。どんな狂信者だと地底仲間と笑っていたが、どうやら想像していたものとは違ったようだ。
妖怪をも安心させる柔らかな笑み、どこまでも澄み切った瞳。
あのようなものは「妖怪の救済」という自分の主張に酔っている者は持てない。
妖怪を見て、その上で妖怪の救済を主張しているからこそ、持てるものだ。
温い地上の妖怪達ならば、噂に聞くとおり、彼女のことを好いても不思議ではない。
だからこそ笑ってしまう。なぜならば、彼女が向かおうとしている地霊殿の主は、あまりに正反対なのだから。
パルスィは思い出す。昨夜、地底へと戻ってきたお燐の様子を。美味しくいただいたあの感情を。
昨夜はあの白蓮を歓迎する宴があったと聞く。きっと、お燐はその時にどうしようもなく見せ付けられたのだろう。白蓮に向けられる、彼女の主人とはまったく別物の感情を。
「さてさて、何が起こるのか」
そう独りごちて、パルスィは唇を舐める。
「しまったなぁ」
自己嫌悪で部屋のベッドに倒れこんだまま動けないお燐。今日は仕事も全て他のペット達に任せてしまっている。ようするにサボリである。
原因は昨夜のことだ。
「あんなことをするつもりはなかったんだけど」
元々は新たな幻想郷の住人となった命蓮寺の代表である白蓮がどんな人物なのかを、仕事の帰りがてら覗き見る程度のつもりだったのだ。
伝聞ではあったが彼女は妖怪と人間の平等を主張していると聞く。で、あるならば地底でも忌み嫌われている自らの主、さとりにも対等に接してくれるのではないかと。もしそうならば、孤独なさとりの話相手ぐらいにはなってくれるのではないかと。そんな期待を込めて。
とはいえ、別にそこまで深刻に考えていた訳ではない。あくまでもそうなればいいなという程度の希望で顔を出しただけである。が、気がつけばあんな風に喧嘩を売っている有様である。
舟幽霊に捕まって、売り言葉に買い言葉で感情が高まってしまったのが原因なのかもしれない。
そもそも、地底にいた頃からあの舟幽霊のことは気に入らなかったのだ。一緒に封印されたという他の亡霊達は地底仕事を手伝ってくれたのに、その纏め役である彼女に限ってはお燐がいくら声をかけたところで少しも手を貸そうなどとしてくれなかった。
聖白蓮の復活の為に頭を悩ませていたからだと知った今ならば理解は出来るが、やはり納得は出来ない。そんな彼女の態度は、さとりが管理しているこの地底を下らないと思っているようだから。
「あー、今日ばかりはお空が羨ましい」
お空であれば一眠りすればあんな出来事も忘れられるだろうが、残念ながらお燐は簡単に頭を空っぽに出来ない。今も舟幽霊と、そして白蓮と対峙したときのことが脳内で繰り返されている。
きっとこのまま主人のさとりの前に立つようなことがあれば、昨夜のことを読まれてしまうだろう。そうなればさとりの怒りを買うことは間違いない。
けど……
「さとり様に会いたいな」
妖怪に慕われている白蓮の周りには何人もの妖怪が傍にいた。
それとは対照的に、妖怪にも忌み嫌われるさとりはほとんど一人だ。
あんなにも優しいのに、一人ぼっちだ。だからこそ、お燐だけはさとりの傍にいたいのに。でも、今の自分は傍にいても彼女が喜ぶことはない。ならば、自分はどうすべきだというのだろうか。
そんなことを考えていると、部屋をノックする音が聞こえた。
「誰?」
問いに答える言葉はない。変わりに聞こえたのはヒューヒューと言う鳴き声。まるで吹きそこないの口笛のような。本来はそういう風に表現すべきではないのだろうが、お燐はこいつにはこんなもんでいいだろうと思っている。
しばらく放置するも、止まないその音に仕方なく立ち上がり、扉を開ける。
「裏切り者が今更なんのようだい」
「手厳しいね。私は今でもペット仲間のつもりなのに」
封獣ぬえは、そう口にしながら部屋に入ってくる。
「だったら、何で間欠泉騒ぎに乗っかったんだい。あたいはあんたまで外に出す気はなかったんだけど」
「だってこいしは地上にいるんだもん。だったら私も地上にいる方が良いじゃない」
ぬえはお燐と違いさとりの妹であるこいしのペットだ。まあ、正体不明を笠に着て旧都を騒がしていたのを無意識に持ち帰られただけなのをペットと言って良いのかは疑問が残るところではあるが。ついでに言えば主人であるこいしのことも呼び捨てだし。
「こいし様は何度も帰ってきてるのに、あんたは一度だって帰って来なかったじゃないかい」
「隠れて地上に出た身とすると色々難しいんだよ。橋の守護さんはどちらの神社ルートでも厳しいしさ」
「だから、命蓮寺に籍を置いたと?」
昨夜の宴、遠目にではあったが、仲良さげにいた命蓮寺の中に溶け込んでいた姿をお燐は見ていた。恐らく、地上の妖怪の誰もがぬえは命蓮寺の一員である思っているであろう。
「籍って程じゃないけどね。休める場所はやっぱり欲しいからさ。ほら、お燐にとっての博麗神社と同じだよ」
喉が渇いたからもらうねと、勝手にテーブルの上の水差しを直接口にするぬえ。行儀の悪さに眉を顰めるが、ぬえはそんなお燐の表情を気に留めることなどない。自由奔放なところは確かにこいしのペットらしいとも言える。
「で、どうして色々難しいのに今になって地底へ帰ってきたのさ」
「面白いことになりそうだからね、様子を見に来たんだ」
「面白いこと?」
聞き返すお燐に、にやりと笑うぬえ。その表情は嫌な予感しか呼び起こさない。
「まさか……」
「まさかだなんて。当事者なんだから確信を持って欲しかったけど」
ぬえは歌うように続ける。
「聖が来るよ。もう間もなく、お燐とムラサが争っていた問題を解決する為に、さとりの元へね」
その言葉は最後まで耳に届いたのだろうか。お燐は部屋を飛び出した。
今、白蓮達の目の前には大きな屋敷がある。
ここに来る途中の旧都は、確かに封じられているとは言えないほどの活気があった。勇儀に案内してもらった店は美味しい料理が並び、そして多くの妖怪が笑って過ごしていた。
だが、この屋敷には静寂しかなく、そして旧都からの声も届かない。
「ま、ここは地底で一番嫌われている奴の住処だからね」
勇儀の言葉は諦めが混じっている。何故、同じ地底の住人に対し、彼女はこんなにも悲しいことを言うのか。
「そんな目で見るなよ」
白蓮が視線を向けると、気まずそうに頭を掻いてそれを逸らす勇儀。鬼らしくもなく後ろめたい姿を見せる勇儀を助けるように、もう一人の鬼である萃香が口を挟む。
「良いことじゃないとは分かっているんだよ。私達だって、何度もそれを変えようとした。でも、駄目だった。本人がね、変わろうとしてくれないんだ。力不足なんだ」
鬼である私が力不足だなんて言いたくないんだけどと、萃香は自嘲するように笑う。
「それは――」
どういう意味かと問おうとすると同時、屋敷の扉が開き、一人の少女が現れる。
「あ、本当に来てる!」
それは、昨日村紗と激しい口論をしていた猫耳の妖怪少女、お燐だった。肩を落としてこちらを見る彼女に、白蓮は声をかける。
「こんにちは、お燐さん」
「あ、ああ、こんにちは。えっとどうしてあたいの名をって……あんな騒ぎを起こしてちゃ誰かが教えるか。まあ、ここに来てる時点でそうなんだと思うけど」
「ええ」
「昨日はごめん。あたい、どうかしてたみたいだ」
謝罪の言葉を口にするお燐に、思わず拍子抜けする。昨夜のことを思えば、再び邪険にされるものだとばかり思っていただけに、今目の前にいるのは別人のように感じられる。
「用件は……って聞くまでも無いね。しかし随分と気が早いね。昨日の今日で来るなんて」
「ええ、大切なお話ですから」
「うん。まあ、お姉さんの性格ならそんな気はしてた。けどね、今はちょっとやめて欲しいというかなんというか」
視線を逸らして気まずそうに頭を掻くお燐。その姿に、白蓮の隣に立つ勇儀が笑う。
「ひょっとして、昨日の騒ぎを主人にばらされたくないってか?」
「げっ、勇儀!? なんであんたまで」
「おいおい、今まで気づいてなかったのかい。ついでにいうと私以外にももう一人鬼もいるんだがね」
「げげっ、本当だ。萃香までいる」
お燐は白蓮の登場に相当慌てていたのだろう。言われるまで鬼二人の姿にはこれっぽっちも気付いていなかったようだ。
「で、どうなの? あんたの格好がつかないというだけだったらそれは理由にならないよ。こっちは紫の紹介で案内しているんだから」
非難するような萃香の眼差しに、しかしお燐は引かない。
「えっと……そ、そうじゃなくてさとり様は忙しいんだよ。来季の是非曲直庁に上げる予算申請とかでここ数日は執務室に篭りっ放しで………」
弁解をするお燐。その彼女の言葉に初めて出てきた名を白蓮は聞き逃さなかった。
「さとり様? もしかしてその人がここの主ですか」
今まで幾ら問うても答えてくれなかった交渉相手の名だが、勇儀は白蓮の問いに天を仰いだのち、頷いた。
「お燐の口から名が出ちゃ駄目だな。鬼は嘘を吐けないし。うん、古明地さとりというのがこの地霊殿の主なんだ。けど、詳細は話さないよ。あんたには真っ白なまま向かい合って欲しいから」
やはり話してくれないか。ここに来るまでに何度も問うても誤魔化され続けてきた以上、想像できたことではあるが。しかし鬼である勇儀にここまで言わせる、さとりというのはどのような妖怪なのか。
「お燐、お客様なら入ってもらって結構よ。仕事の方は問題ありませんから」
そんな声と共に、お燐の背に一人の幼い少女が。お燐は耳をピンと立て、恐る恐る背後を振り返り、そして仰天した。
「さ、さとり様!?」
お燐が呼んだ少女の名に、白蓮も驚きを覚える。まさかこの幼い少女が地霊殿の主である古明地さとり?
「ええ、確かに私が古明地さとりです。地底一の嫌われ者には見えない、ですか。威厳がないことは十分に自覚していますよ、聖白蓮」
「え?」
彼女に会うのは当然の如く初めて。そして、彼女も白蓮の姿を見るのは初めてのはずだ。なのにどうして――
「名を知っているのか、ですか。むしろそう驚かれることの方が私には意外ですね。何故勇儀さんたちは私のことを教えていないのか」
問いを言葉に出す前に、答えるさとり。まるで心の中を読まれているような――否、そのとおりなのか? 普通の人に見られるのとはことなる、まるで胸の中心にまで突き刺さるような眼差し。だが、それは彼女の顔にある二つの眼から向けられたものではない。それは、さとりの胸元にあるアクセサリーのような大きな瞳から向けられている。
「ええ、貴方の考える通りです」
それだけ言って、さとりは鬼二人に視線を移す。
「さとり、そういうの止めなよ。何度も言うけど」
「萃香さん、同じく何度も言っていますが私はこういうものです。諦めてください」
相変わらず取り付く島もないなと勇儀はため息を吐く。
「実はさ」
「八雲紫からもお願いされている、ですか。なるほど、そういう理由なら断れませんね。こちらも後処理で色々協力をお願いしなければならなかったですし。むしろ出向いて頂いて感謝するところなのかもしれません」
恐らくは萃香が伝えようとした続きを自らの口から語る。勘が良いで済ませることもできるかもしれないが、初めて会うにも関わらず白蓮の名を口にできた以上、彼女に心の中を読む力があることは疑いようのない事実のようだ。
「悪いね。この時期は忙しいのに」
「忙しいのは大丈夫です。勇儀さん主導の酒虫の予算は申請額を三割カットにしました。旧都の拡張もあらかた完了してますから全体的にも予算は申請分から二割カットで見直しています。これならさすがの映姫も判子を押してくれるでしょう。詳細の資料は後程渡しますので旧都の皆に説明しておいてください」
「カ、カット!? おい、さとり!」
さとりの言葉に驚きの声を上げる勇儀。が、言われたさとりは落ち着いたものだ。
「多少の交際費等は認めますが、少し過剰過ぎます。お上も苦しいのですよ。……そもそも何ですか、あの酒虫の改良理由は。随分と自分勝手が――」
「あー!! そ、その話はまた後で聞くから」
これ以上何かを言われては溜まったものではないとばかりに、大声でさとりの言葉を遮る勇儀。萃香が冷たい視線を向けるも、下手な口笛を吹きながら見て見ぬ振りをする。
さとりは小さく息を吐く。
「まあ、いいでしょう。いずれにしても立ち話で済ませる話じゃないですし。白蓮さんの用件は中で伺いますが、勇儀さん達はどうしますか?」
「ああ、今回は――」
「……つまらないことを考えていますね。分かりました。部屋を用意しておきますから、そこで待っていて下さい。お燐、勇儀さんと萃香さんの案内をお願い。白蓮さんの用件は別室で私が伺うことにしましょう」
「は、はい!」
背中を真っ直ぐに伸ばしてそう答えるお燐。そんな彼女の案内に促され、勇儀と萃香は屋敷の中に足を進める。
「まあ、らしくやってくれ」
そんな言葉を残して。
天窓のステンドガラスを通して光が入る中、黒と赤の二色のタイルが敷き詰められた廊下をさとりに先導され、とある一室に案内される。
「すみませんね。仕事の関係で散らかっていまして。けど、こちらの方が色々と都合が良いのです」
そこは地霊殿の執務室なのだろう。言われたとおり奥にある机の上は大量の書類が積まれて散らかっている。が、それ以外は綺麗なものである。
「そこのソファに座ってください」
さとりはそう言って部屋に備え付けられていたポットを手に取る。
「飲み物はコーヒーで……って知らないのですか」
「え? ええ。御免なさい」
コーヒーというのは飲み物なのだと白蓮は初めて知った。音から判断するに、恐らくは白蓮が封印されている間に異国より伝来されたものなのだろう。長年封印されていた身とはいえ、勉強不足を自覚させられる。
「そんな恥ずかしがることではありません。地上でも流通量の少ないものですから。ふむ、貴女好みの緑茶は残念ながらここにはありませんね。申し訳ありませんが紅茶で――」
「いいえ。コーヒーですか、それでいいです」
「なるほど、勉強熱心ですね」
初めてだから試してみようと思ったこちらの心を読んだのだろうか。考えていることを全て読まれてしまうと言葉が不要。そのせいで会話のリズムが掴み辛い。
だが、それ以外ではさとりはごく普通に接してくれているように思う。昨夜のお燐のように嫌われている訳ではないようだ。
「どうぞ」
差し出されたカップの中にあるのは黒に近い茶色の液体。湯気と共に上る匂いは初めて嗅ぐものだ。香ばしい匂いではあるが、白蓮の知るほうじ茶とはまた別物。
「いただきます」
カップを口にして――白蓮は眉をひそめる。初めて口にしたコーヒーの味はとても飲み物とは思えなかった。口に広がるのは苦味だけ。茶道の心得もある白蓮としては味が苦いだけで飲み物であることを否定するつもりはないが、これには抹茶の苦味の裏にある風味のようなものはない。お茶請けも無しにこんな苦いものを飲むなど正気の沙汰ではない。よくよく見てみれば、これはちょっと変わった匂いのついた泥水に過ぎないのではないだろうか。
そこまで考えて白蓮は想像する。
表面上は普通に接してくれているが、しかし、彼女は地上から追い出された妖怪が住む地底でも、なお嫌われている存在だ。地上から訪れた自分等を歓迎するはずも無い。もしや、歓迎してないことを示す為に泥水を出されたのでは――。
「いえ、さすがにそれは違います。これは泥水ではなく、れっきとした飲み物ですよ。まあ、慣れてない人が直接飲むのは難しいかもしれませんね。失念していました。カップを一度置いてもらえませんか」
言われた通りに従うと、さとりはテーブルの端にあった二つの小瓶を白蓮の前に並べる。中身は白い粉と白い液体。
「砂糖とミルクです。これを入れれば飲めるでしょう」
彼女はカップの中に角砂糖を二個、ミルクを少々入れ、匙で中身を混ぜる。
どうぞと言われ、白蓮は恐る恐る口に運ぶ。苦味はミルクで柔らかなものになり、砂糖の甘さに相殺される。なるほど、これなら一応飲めないこともない。癖のある香りも合っているように思う。
「慣れればそのままでも平気なんですけどね。カフェインという成分が眠気覚ましに良いのですよ」
そう言って、彼女はミルクも砂糖も入っていないコーヒーに唇を付ける。先ほど口にした言葉の通り、彼女の顔はその味に歪んだりなどしない。
良く見れば、さとりの瞼は随分と重そうだ。白蓮がこちらを訪れたのは決してどうでも良い理由ではないのだが、それでもこちらの一方的な事情で訪問したのだ。
忙しい様子のさとりの手を煩わせてしまうことに申し訳なくなる。
「いえ、こちらも用事がありましたから。それと目は元からです」
少し不機嫌そうな声に、自分は失礼なことを考えてしまったと白蓮は自省する。
「別に良いですよ。慣れていますから」
さとりはそう言いながら机の上から一冊のファイルを手に取ると、それを白蓮に手渡す。
「これは?」
「貴女がここに来た目的です」
ページを捲る。そこにあったのは村紗の部下であった亡霊数十体、並びに数多の舟から零れ落ちてしまった仏具の目録とそれを地底から地上へ移管する許可書。
「貴女の目的は分かっていますから。地上の方からも事後処理について相談を受けていましてね、予め準備をしていたのです。仏具を含めて貴女達の所有物は既に梱包済みですのですぐにでも返却できます。亡霊に関しては地上に逃走済みのがいるのですが、それはお燐が地上で回収次第届けるようにしましょう」
矢継ぎ早に伝えられる内容に一瞬呆けてしまう。地底と地上は互いに交流が無いがため、紫がどう言おうと多少の困難があると覚悟していただけに、あまりにことがあっさりと進み過ぎている気がしてしまった。
「何か問題がありますか。ああ、拍子抜けしましたか」
「少なからずこちらにも原因がありましたから、多少の交渉は必要になると思っていたのです」
白蓮が封印から解放された星蓮船異変のきっかけは、ある見方をすれば村紗達と彼女の舟が封じられていた地底から逃走したことが原因とも言える。白蓮の立場ではそれを咎めることはないが、地底の管理者であるさとりにとって、好ましかった事態ではなかったと想像することは容易だ。
だからこそ、白蓮はまず彼女に頭を下げる必要があると思っていたのだが、その機先をくじかれてしまった。心読むさとりのペースに嵌り、その機会を失ってしまっていた。
そこまで考えて頭を振る。心を読むさとりを前にして下らないことを考えている。さとりがどうこう関係なく、白蓮は頭を下げるべきではあったのだ。
そして、気づいた時点で白蓮の体は動いていた。
「本当に申し訳御座いません。私達のせいでご迷惑をおかけしたうえ、事後処理まで快くしていただいて」
「別に頭を下げていただく必要はないのですが。この件に関しては私のペットの不始末でもありましたし」
白蓮のその姿は、心を読めるさとりにとっては下らないことなのであろうか。彼女は小さく嘆息して一枚の書類を出した。
「あなたに協力頂きたいのはこの書類のことです。査印をお願いできますか?」
出された書類には村紗水蜜、雲居一輪、雲山に封獣ぬえの名前。
「現在彼女達は地底を脱走した身でしてね、それを放置している状況に各所から非難轟々なのです。なので、ここで正式に地底から地上に管理が移ったことにしておきたいのです」
宜しいでしょうかと問われ、断る理由などない。白蓮としても彼女の仲間達を地底に引き渡されかねない状況は望んでいない。
喜んでと言おうとした白蓮であるが、その書類の一文に気になる文言があった。
――以上の妖怪、並びに管理責任を負う者は今後、地底への一切の干渉を認めないことに同意する――
「管理責任を負う者というのは当然聖白蓮、貴女のことです」
向かいのソファに腰掛けながらさとりは言葉を続ける。
「貴女がどういう考えの持ち主なのかは知っています。妖怪と人間の共存ができると信じている」
そう。だからこそこの書類へ査印することは白蓮には出来ない。この書類の内容を認めることは、白蓮までもがこの地底との交流を今後一切しないことになるのだから。
「しかし、そういう考えは厄介なのです。この地底は地上と関係を絶ってこそ平穏が守られる。貴女には二度とこの地底に足を踏み入れてもらいたくない」
「それは本心なのですか?」
「ええ」
無表情に頷くさとり。
「地上との別離は強制されたものではありません。望み、地上の妖怪の賢者と結んだ約束事」
「しかし、それはそうせざるを得なかったからではないですか。地上での生活を認めない者がいたから、貴女達地底の住人はそれを避けて地底に追いやられただけなのではないですか?」
「そうかもしれませんね。さらに、私はその地底の民にすら忌み嫌われ、この地霊殿に閉じこもっている」
「ならば――」
続けようとした白蓮の言葉を、さとりは笑い声で絶つ。絶って、白蓮が伝えようとした言葉をそのまま口にした。
「ならば、自分が守ると言うのですか、聖白蓮。地底の住人だけでない、この嫌われ者の私すらも貴女が守ると。幻想郷が出来て長年守られ続けてきたその理を、貴女が絶つと?」
問いに返す言葉は決まっていた。
「その為の命蓮寺です。私は命を賭して妖怪と人が共存できる世界を作りたい。そう、地底一の嫌われ者の貴女とも」
寺で今現在忌み嫌われる妖怪を受け入れた上で、その者達の誤解を絶つ。最初は小さな一歩であろうが、それをきっかけとして妖怪と人が共存できる世界を白蓮は作るつもりである。その目的の為であれば、己が命を懸けても良いという気持ちに嘘、偽りなどない。
「フフフ。こんな私と共にですか。命を賭してですか」
されどさとりは白蓮の言葉を笑う。当然か。
「荒唐無稽に聞こえるのでしょうね。しかし、私の覚悟は本気です」
「ええ、貴女の本気は心を読める私には分かる。だからこそ笑ってしまう。本来ならば今存在しているはずのない貴女が、その命を懸けるだなんて言葉を口にするなんて」
その言葉の意味が理解できない。
「どういうことですか?」
「少し話をしましょうか。貴女について」
貴女の事情は大体分かっているのですと、さとりは胸元の瞳を白蓮に向ける。
「貴女は魔法使いらしいですが、不老長寿の魔法である捨虫の法は使用していない。まあ、当然でしょうね。貴女が魔術を学んだ頃には存在していなかったし、そもそもその時には既に年老いていた。後に魔界で知る機会はあったようですが、そのような身で不老となるには肉体は脆く、長寿の効果も期待できなかった」
白蓮の心を読んで知ったのだろう。それは確かに事実である。
「ならば、貴女は何故その姿で生きているのか。答えは身体強化の術を継続して使用し、体を若返らせた状態に強引に戻しているから。ただ、この方法は膨大な魔術が絶えず必要となり、今や魔法使いでも選択肢に入れる者はいないと聞いています。当然ですね。常に発動し続ける必要のある魔法など人間には、否、種族魔法使いでも普通の方法では魔力が尽きてしまいます。では、貴女はそんな実現ほぼ不可能な方法をどうやって実施しているのか?」
「私は妖怪の力を借りて、その術を維持しています」
「つまり、貴女は妖怪が存在しないと生きていることすら出来ない」
なるほど。さとりが言いたいことが白蓮にも分かった。
「貴女は私が死と老いから逃れる為だけに、必要な妖怪の力を確保する為だけに妖怪との共存を図っているというのですか?」
妖怪の存在無しに今の白蓮は生きていることすらできない。それは確かな事実であり、また妖怪を助ける切っ掛けでもあった。動機が不純であったことを否定はしない。
しかし、それは過去の話。今の白蓮は心から妖怪と共に在りたいと思っている。
数多の妖怪と触れ合い、白蓮は妖怪達がどれだけ人間を好いているのかを知った。妖怪達の感情は不器用過ぎて人間には分かり難いところもあったが、その誰もが人間から目を離さずにはいられなかったことを知った。
なのに、人間はそんな妖怪達の見え難い好意を見ようとせず、己が心に浮いた恐怖だけを根拠に妖怪を迫害していた。
人間が悪いと断じる気はない。人間は弱く、妖怪のわずかな行為でその命を失う者もいるのだから。と、同時に妖怪が悪い訳でもない。
結局は誤解なのだ。今の白蓮はその誤解を説き、拒絶ではなく共存したいと本気で願っているのだ。
その本心、白蓮の心を視たさとりは分かっているはずなのに。
「ええ。本心は分かっています。しかし、その本心は貴女に力があるからこそ持てる願いではないですか。不器用な妖怪を前にしても、死ぬことがないというその余裕があってこそ。ならば、もしその余裕がなければどうなるのでしょうね」
その言葉と共にさとりの胸元の瞳がこちらに鈍い光を放つ。嫌な予感が急速に白蓮の心に膨らむ。
「正解です、その予感。しかし遅すぎましたね」
頭の中で、自分の意図しない思考で溢れる。
ある遺体の姿。なによりも大切だった弟が老い、弱くなり、そして死んでいく姿。
泣きながら助けを求める幼き鬼の子の姿。伸ばす手はしかし届かず、その命は絶たれる。
妖怪に殺された人の恨み言。その言葉に対し、何も返せない己の姿。
裏切り者と罵られ、床に押さえつけられる己が身。その前で、見せつけられるように殺される、笑顔が素敵だった妖怪達の姿。
忘れてはいけない記憶。しかし、それらの記憶は重く大きい。だからこそ白蓮の思考を鈍らせる。
「くっ」
「弱いですね、聖白蓮。八苦を滅したとは思えない弱さ」
気が付けば、白蓮は組み伏され、腹の上にさとりが居た。
「何を」
さとりから逃れようとする白蓮。しかし、その両腕はさとりの左手に抑えられ動かない。妖怪とはいえこんなにも幼い姿のさとりにまるで対抗できない。
「実は先ほどコーヒーにミルクと言って入れたものに薬を混ぜていました。少しばかり神経を麻痺させる薬。わずかな動作には影響しない為気づかなかったのでしょうが、本格的に力を入れるような動作には影響大ですね」
嵌められたのかと白蓮は理解した。だが、それを悔やんだりはしない。これは自らのミスだ。ならば、それは取り返す。
僅かばかりの神経の麻痺等、魔法を起動させれば――
「残念ながら、魔法は使わせませんよ」
第三の瞳が再度白蓮を視る。その瞬間、再び脳裏を埋め尽くす記憶の波に、魔法の発動は止められる。
「貴女は本当に忌み嫌われる妖怪を知らなかった。それに触れる意味を知らなかった。ならば、しばらく地上で考えなさい。こんな妖怪を前に、本当に貴女の望むことはできるのかを」
そう口にしたさとりの右手には、いつの間にか注射器が。
「それは――」
「外の世界から幻想入りした病原菌です。症状としては過度に老化を促す程度の能力を持っています。先ほど想起させて頂いた貴女の心を視るに、トラウマの一つのようですね。丁度良かった」
さとりは注射器を白蓮の首に宛がい、
「地底はね、そのままでは幻想郷に受け入れることが出来ないものの隔離地域です。このような病原菌を始め、ルールとして人間に限らず他の存在に害を与えざるものを得ないものを閉じ込めている場所。私も含めて」
そして突き刺した。
「ぐ……ぁ……」
首筋から猛烈な熱を感じる。と、同時に体が急に締め付けられるような感覚に襲われる。体中の肉が、削げ落ちるような痛み。
「貴女は理解が足りていない。そんなものを相手に、本当に貴女が望む妖怪と人間の共存ができるのか、もう一度考えると良いでしょう」
さとりのそんな言葉を最後に、白蓮の意識は落ちた。
突然、窓ガラスが割れる音がした。と同時、さとりは白蓮の上から壁へと吹き飛ばされる。衝撃に、机上の資料が舞い、壁に掛けられていたお気に入りの絵が落ちる。
予想外のことに驚きながらも、さとりは自分を襲撃した者の姿に納得する。
「そうですね。貴女が怒るのは正しい。彼女は貴女にとって大切な人なのだから」
そこにいたのは封獣ぬえ。
「さとり、貴女は白蓮に何をしたの!」
「地底の管理者として正しいこと。幻想郷の一勢力として正しいこと」
「答えになっていない!!」
ぬえは怒声と共に三又の槍をさとりに向ける。
「さとり様、さっきの音は――」
騒ぎを聞きつけたのだろう、お燐が部屋の扉を開けて現れる。さとりに相対するぬえを目にし、彼女はすぐさま間に割って入る。
「ぬえ、あんた何をしてるか分かっているのかい」
目を細め、殺気の込められた視線と共に静かに語りかけるお燐。並の妖怪なら怯むその気迫に、常時のぬえなら相手を面倒くさがり身を引く。が、今日に限っては彼女は引かない。
「お燐こそ何が分かっているのさ。さとりはね、白蓮のことを傷つけたんだよ」
「何を……」
ぬえはソファの上でぐったりとしている人物を指す。
そこにいるのは一人の老婆。体躯は小さく、細く、見える腕は皺だらけの肌。とても先の快活な白蓮と同一人物には見えない。
「これは……」
「ええ、私のせいですよ。とはいえ、ここでぬえに暴れられても困るのだけど。まあそんなことより――」
さとりの言葉を絶つように、ドンと壁を叩きつける音。見れば部屋の入口で勇儀が鬼のような眼差しを向けている。ああ、あれは元から鬼だったか。
「何があった」
「ただ事ではないようだね。事と次第によっては……」
勇儀の隣で、同じような眼差しを向けてくるは萃香。鬼二人にこうも睨まれると、さすがに気分は良くない。
「丁度それを話そうとしていたのですがね、勇儀さん。彼女はね、地底と地上の約束を反故にするようなことを話したのです。だから、現実を知ってもらった。老化を促進する病原菌が手に入ったのでね、それを使わせて頂きました。ああ、トラウマが美味しい」
「……彼女は話をしに来ただけのはずだぞ」
「ここは私の領地です。私は私のルールに従い、言葉巧みに地底へ干渉を図った者にそれ相応の代償を払って頂いただけ。そもそも、彼女は地底来訪者に配られるはずの許可証を付けていなかった。ならば、何をされても仕方がないのではないですか」
立ち上がる。強かに打ち付けた背の痛みに、さとりは顔をしかめる。妖怪であっても、あまり身体能力の強くないこの身が少しばかり恨めしい。
「確かに白蓮は札を付けてなかった。でもな、その理由はお前には分かるだろ!?」
「妖怪と対等に向き合う為だったのでしょう。しかし、彼女にはその実力がなかった。私と向き合うにはあまりに無知だった。まあ、いつぞやの異変の時みたいに、先入観を持ってほしくないという貴女の意向もあったのでしょうがね」
そういう意味では白蓮は可哀そうでもある。妖怪と人間の共存を熱望したいたからこそ、こんな嫌われ者への交渉役を強いられたのだから。本人は自発的だと言い張るだろうが、その割には影響を受け過ぎだ。
「だからと言って――」
「もういいよ、勇儀。これ以上さとりと話していても時間の無駄だ」
萃香はそう言って倒れこんでいる白蓮により、抱く。もはや幻想郷の少女とは呼べない老婆の姿である彼女は、鬼でなくとも抱えることは容易だろう。
「帰りますか」
「ああ、これ以上ここに居ても意味がないし」
「そうですね。そうそう、地底に残されていた怨霊や、道具は後日責任を持って送りますから安心してください」
「そいつはどうも」
どうでも良いことをと、気の籠らない言葉で返事する萃香。
この場の空気はもはや争いのものではない。諦めの重い空気のみが支配する。
やれやれ、これで一段落だとさとりは小さく息を吐く。
「こんなはずじゃなかった。私が思っていたのはこんなのじゃなかった」
突如、ぬえが呟いた。
「私は楽しいことになると思ってた。白蓮は優しいから、さとりに何を言われても動じなくて、そして強引で。だから、最後には引き籠りのさとりを白蓮が強引に地上へ連れ出してくれると思っていた。そんな困り顔のさとりが見れると思っていた。さとりだって、幻想郷で楽しく過ごせると思っていた。なのに、どうして――」
「残念ながら、私はぬえと違って優しくありませんよ。どこまでも地底の住人です」
こうして見ると、ぬえは随分と優しい。それは地上で白蓮と出会った為なのか、彼女本来のものなのか。
切っ掛けは偶然だったかもしれないが、彼女が地上へ行ったのは正解なのかもしれない。
「いずれにしても、早く地上にお帰りなさい。ぬえ、貴女の居場所はここではありません」
勇儀に肩を抱かれ、ぬえは部屋を出ていく。それに続く形で白蓮を抱いた萃香も外へ。
残されたのは、嫌われ者の地霊殿の住人だけ。
「さとり様」
「なんで貴女が苦しそうな表情をするのかしら」
沈黙に耐え切れず、声を出したお燐。彼女の心は混乱している。
仕方がないことかも知れない。白蓮が地霊殿を訪れた原因の一つは、お燐が白蓮を挑発したことにより、地底に興味を抱かせてしまったからなのだから。間接的に、白蓮を地底に招いてしまったとお燐は思っている。
「先のことは私が私の責任でしたこと。貴女が悩むことではないわ。そもそもの原因はこいしのせいだし」
「ひどいなー。私が何をしたというの、お姉ちゃん」
さとりの言葉に応じるように、この場に不釣り合いな明るい声がする。
「こいし様、いつからここに?」
「うん? 最初からずっといたよ。お姉ちゃんが白蓮を迎えに行った隙にちょろっとね」
「まったく、今度から常に施錠が必要ね」
神出鬼没ここに極まれりだ。まさか、ずっと何があったのか見られていたとは。
「そんなことよりもお姉ちゃん、どうして私のせいなの」
「昨夜の宴、お燐の無意識を操ったでしょ。村紗に絡まれた後と、白蓮と相対した時でお燐の記憶の繋がりが変だったわ」
さとりがお燐に視線を向けると、確かにと頷く。彼女自身も白蓮にあんな風に絡んでしまった原因を不思議がっていたようだ。
「ありゃ、そういう見方をするんだ。しまったしまった」
「少しも反省してないじゃない」
「うん。反省するつもりはないからね」
にこやかな笑みを消して、こいしはさとりを見つめる。
「地上は変わったよ。危険な力を持っているからって屋敷の地下に幽閉されていたフランも、今では外に出ることがある。ぬえだって、普通に過ごせている。だから、お姉ちゃんだって大丈夫なはずなのに」
こいしは怒っていますと腰に手をやる。よく見ればお燐も小さく頷いていたりする。まったく、ある意味では人望があるといえるが、別の意味では人望がない。地霊殿の主として恥じるべきか、喜ぶべきか。
「貴女達の気持ちはありがたいわ。でも、地底の代表である私が地上に出たらどうなると思う?」
「地底と地上が交流できるじゃない。今よりもっと仲良く、友達になれる」
こいしの無邪気な回答。本当にそうであれば良いのだが、現実は違うのだ。
「地底にはどうしようもない妖怪がいるでしょ。意思に関係なく現象として人を間引いてしまう妖怪、現象として地上を壊してしまう妖怪。そんな彼らが、地底の代表である自分が地上に出たらどう思うかしら。きっと、『さとりが大丈夫なんだ。俺たちも地上へ行こう』なんて考えるはずよ」
そうなってしまえば、地底の妖怪は地上に住む人妖をどうしようもなく傷つけてしまうだろう。それは、現象なのだから妖怪一人一人の意思でどうにかなるものではないのだ。
その結果、地上の住人は地底の妖怪を再度閉じ込め、今以上に忌み嫌い、迫害する。地上との積極的な交流の結果予想される未来は、どうしたって今より悪くしかならない。
「むー。お姉ちゃんは難しく考えすぎなのよ。そんな厄介な妖怪のことは考えなくて良いのに。お姉ちゃんは地底で一番偉いんだから、一番優遇されてて良いじゃない」
「立場が偉いだけですもの。力で押さえつけられない以上、できるだけ不平は小さいようにしたいのです」
つまらないと言ってこいしは消えてしまった。
「嫌われてしまったわね。まあ、いつものことだけど」
「さとり様。でしたら私達が地上に出ているのは問題なのですか?」
不安そうに見つめるお燐を、さとりは撫でる。
「その為に私が地底にいるのよ。貴女達にはちゃんと理由があって地上に出ているのだし、気に病む必要はないわ。こいしに関しては私の我儘だけど」
こいしには地上に仲の良い友人が出来たのだ。だからこそ、自分が地底一の嫌われ者であることを代償に、彼女にだけは地上にも足を運んでほしいと考えている。
「しかし、色々と宿題が残ってしまいましたね。命蓮寺との関係は最悪なのに。お燐、申し訳ないけど後処理お願いできるかしら」
「亡霊と荷物の件ですね。ですけど、白蓮があの状況では……」
まあ、好意的には迎えられないだろう。下手をすれば怒りを買うだけ。だからこそ、お燐にはそれを解決する為にも動いてもらう必要がある。
「ヤマメさんを永遠亭に連れて行ってくれないかしら。地上への嘆願書も用意しておきますから」
「ヤマメをですか?」
「ええ、白蓮さんに使ったあの病原菌はヤマメさんから頂いたものですもの。永遠亭の薬師なら、薬を作れるはずよ」
「分かりました。じゃあ、私は亡霊達と荷物の準備をしておきます」
そう言って部屋を出るお燐を見送り、さとりはソファに腰を下ろす。
「とりあえず、私はやることをやりました。後は宜しくお願いしますよ」
覗きこむスキマに対し、独りごちた。
「ばれてたわねえ。妖怪の賢者らしくもない」
スキマを一緒に覗いていた幽々子は、小さく笑った。
「仕方ないわ。地底まで繋げるのは色々無茶だったから」
そもそも地底には強大な旧地獄で封印している妖怪が出てこないための、いくつもの結界が存在するのだ。それを縫ってスキマを展開するのは、紫をもってしても簡単なことではないのだ。
現に、地底の異変の際には細かなコントロールが出来なかったため、霊夢に色々と文句を言われた。
「で、結果としてはどう見るのかしら」
「予定通りかしらね。これを機に、白蓮も地底の妖怪との共存を図ろうという考えは捨てるでしょう。幻想郷の平和は守られましたわ」
「とはいえ、幻想郷の一勢力であることを期待した命蓮寺の力を削いでしまってないかしら。白蓮の身体が元に戻ったとしても、精神は折れたままかもしれないわ」
命蓮寺の一員は意味があって存在している。それは妖怪と人間との緩衝地帯。
「最近は守矢神社の影響で妖怪の力だけが強くなっているし。あちらも本当は人と妖怪の緩衝勢力を期待していたのにね」
「心配ないわ。命蓮寺には毘沙門天の代理がいる。信仰という意味では聖白蓮よりも優れているわ」
「なるほど」
幽々子はそう言いながら立ち上がる。
「まあ、固いお話はここまでで良いかしら。そろそろお酒を入れない? 紫が持ってきてくれた琥珀色のお酒」
「ええ、お願いできるかしら」
紫の答えに頷き、幽々子は角瓶に入った琥珀色の液体をグラスに注ぐ。
「紫」
「何?」
「今回の失敗は癖の強いのを直接持っていたのが悪かったと思うわ。本来の風味を消してしまうことは残念かもしれないけど、癖を抑える方法も考えて良かったかもしれないわね」
幽々子の手により、カランカランとグラスに入れられるは氷。
「丁度このお酒のように。ストレートは苦手だけど、ロックならいけるわね。このお酒」
「そうね。次は考えておく」
「考えなくてもなるんじゃないの」
笑顔でグラスを渡され、紫は苦笑する。
まったく、幽々子には敵わない。
考えるほど良い着地点が見えなくなってきますね……
パワーバランスという点を深く書いた話は殆ど読んでいないので、
説得力とか疑問等は置いておいて次作にとても期待しています。
誤字としてパルスィさんが一部パルスとかパルシィさんになってます。
>……ってこれは白蓮の隣に立つ萃香も同じか。
の部分は誰にとっての字の文ですかね……?そこだけ違和感&分からなかったです。
それぞれが傲慢というか…
思想を抱く同士→同志?でしょうか?
面白かったです。
理想主義と現実主義(?)の対立は見てて面白くなりますね。
こいしのフランへの呼称がどうもすっきりこなかったです。作者さんの他の作品とかの繋がりでしょうかね?
失礼ですが、正直続きは、誇張抜きで蛇足以外の何者にもならないと思います。
しかし、そもそもこのSSでやりたかったのがハッピーエンドなのだとしたら、ぜひとも僕はそれを待とうと思います。
どうハッピーエンドに持っていくのか楽しみです。それとも、一歩下がってニ歩進めた?くらいの塩梅にするのでしょうか。とても楽しみです。大事なことなので二回言いました。すいません。
期待を込めて
次の作品にも期待してます。
誠にめでたく将来有望であるっ! いざ、礼賛──!
さとり様ぁー幸せになってくれー
2次創作にとっても、寺と地底の関係は面倒臭い。ある意味タブー。誰も書きたがらない。そこに見事に切り込んだあなたは、素晴らしい。
おれはよかったです
スラスラ読めました
特に村沙は自責の念で自暴自棄になってしまいそう。
というか地底と命蓮寺との無用な衝突を招くだけでは。
命蓮寺の一行は白蓮に心酔してるし、一輪や星も
黙ってないだろうし、結局異変になっちゃうんじゃ...
そんな幻想郷はそれとして、
こうした妖怪本来のエゴとか、存在意義とかと言ったものを
全面に押し出した結果救いのないような話になってしまった…
私はこのお話を読んでそう解釈しました。
展開がどうこう関係なく、
すんなり自分の中に入ってきました
ここまでされて、それでも信念が変わらないかどうか。
この先似たような事があっても理想を貫けるか。
果たして地上に戻った白蓮は何を思うのでしょうか。楽しみです。
これを乗り越えるくらいの覚悟がないと理想を達成することなんてできないんだろうなとも思うからなんともムズ痒い気持ちになるなあ…でも面白かったです。
反省してるお燐とか、さとりの立場から見た考えとかキャラクターに対するフォローもよかったと思います。
「この後」にも期待。
それ以外の所は非常に楽しめましたので、後日談にも期待して待ってます。
別に嫌っている訳でもないけど、自分の中で聖はまさにこんなキャラ。
キャラ設定テキストを読んでから、どうしても何処かズレている感じが否めないのです。
余裕で100点のストーリーだと思うんですが、命蓮寺の他のキャラの事を考えるとやはり後味が悪いか……
ということでこの後に期待しつつ90点にさせて頂きます。
終わりのないのが終わりといったところでしょうか。
聖が立ち直れるかどうかが見てみたいです。
立ち直るかどうかはさておき
他の「そこにいるだけで相手に危害を加えてしまう妖怪」が地上に出たとする。
確かに地上の者たちをどうしようもなく傷つけてしまうだろう。
しかも意思とは無関係と主張した所で信用してもらえるかどうかは分からない。
場合によっては悪意を持って攻めて来たと誤解される可能性も。
それに、もし妖怪は大丈夫だったとしても人間相手ならどうか。
人を襲う妖怪として退治されることになるかも知れない。
そんな地底の住人を命蓮寺が守っているとなると人里と命蓮寺の関係もややこしくなるかも知れない。
意思とは無関係と頭で理解していたところで感情は割り切れないのだから。
これら全ての事を考えた上で、今の地上の平和を壊さないためにああいう行動したのだとしたら
お燐が言う通り(本人は否定するだろうが)さとりは優しいんだろうなとは思う。
今回は、妖怪を相手どる以上、聖はそれ相応の警戒を取るべきだった、
さとりの方が一枚上手だった、聖では力不足だった、それだけの話です。
公式設定で、聖がどのようにして妖怪を救ってきたのか具体的に書かれているのが、村紗との出会いだけ。
霊夢の「力を誇示したから封印されたんだろう」という考察から、
聖の救済とは、対等に接すると謡いながらも己の力で保護するスタイルだったのではないかと想像してしまいます。
そんな彼女が救いたい相手に力及ばなかったらどうするのか。無惨にも、このSSのようになってしまうのでしょう。
とはいえ、一勢力の代表者を、初対面でかつ、ろくな会話もしないまま敵に回してしまう、さとりの判断の方にこそ問題を感じます。
タイトルの元ネタであるヤマアラシのジレンマに例えると、ジレンマが発生する前から相手を突き刺してしまっている。
第三の眼を持っているから対話の必要もない、聖とは鼻から会話にならない、と判断されての行動でしょうか。
忌み嫌われた自分には対話ができない、という永い経験から、門前払いが染み付いてしまったのでしょうか。
いや、でも、書類は、聖と出会う前から用意していたのだから、聖と話してみた結果というわけでもないでしょうし。
考えてしまいます。彼女の心が読めません。そこを描写をしていただきたかったです。
後に語られる、さとりが地底に居なければならない理由は、説得力があるものの、
発言自体は唐突に思えたために、自身の人嫌いを肯定するために発せられた言い訳としか聞こえませんでした。
文句こそつけてしまいましたが、話のテンポは良く、主張はハッキリと伝わり、興味深いテーマだったのでこの点数です。
展開自体は起承転結の起の部分で終わっているよう感じますが、作品の主張は既に言い終わっている。
個人的に、この話の続くを書くよりは、別の話を書いてしまったほうが良いのではないかと思います。
大きくなるわけで。作中に示された不幸のスパイラルを発生させない方法はもっと別にあったはずだろうけれど。ついでにどうぞ。
この光景 を 素晴らしいものだった 沸いてきて 来て しまう 試したい た かのような 仕方がない 思うことにした
誰にも 合 わなかったんだけど パルス は話にならないと パルス が指を鳴らすと 風味 な ようなものはない
村 沙 の部下であった 雲 井 一輪 動いてもらう必要がある
続編はいらないと思うけどね
ここまでで完結としたのはこれが結論だと思ったからでは?
自分で不自然に感じてまでハッピーエンドにもっていく必要はない
こういった作品が好きでない人も当然いるだろうけど、俺は、無理がない、とても「らしい」幻想郷だと感じましたよ
冒頭のパワーバランス云々という注意書きだけでは拭い切れないし
はっきりと聖白蓮が弱くなってますとでも書いた方が読まずに済むかも知れません
え、これで終わり?という尻切れトンボ振りも
作者が何が言いたかったのか読み取れず、色々と勿体ないですね
タイトルの元ネタであるヤマアラシのジレンマに例えると、ジレンマが発生する前から相手を突き刺してしまっている。
自分も同意です。
結局時間の無駄だった
これからはもっと序盤で見切りをつけられるよう精進しないとだめだな