◆
一月四日。
正月の三が日も過ぎて、大概の人妖は今日から普段どおりの生活に戻る。
人間は畑仕事や客商売に、妖怪もそれぞれの仕事や暇つぶしに。
誰も彼もが残留する正月気分を必死に追い出しながら、やるべきことに精を出していた。
しかし。
「よっしゃー! みんな、飲んでるかーい!?」
「「「飲んでますともー!」」」
博麗神社からは未だに宴会の喧騒が響いていた。
いや、博麗霊夢と酒を酌み交わす面々にとっては今日からが本番だった。
いくら普段は人気のない寂れた博麗神社であろうと、正月は里の人間も参拝に来る。
霊夢はその対応に追われ、宴会などやっている暇はとてもじゃないがなかった。
しかし三が日が過ぎたことで人間の訪問者は激減し、神社は徐々にもとの静けさを取り戻しつつあった。
それを見越した霊夢の友人たちは酒を持ち寄り、正月時に匹敵するほどの大宴会を開いたのだ。
「……まったく、やかましいわね」
複雑な感情が混じりあった呟きが、怒号にかき消される。
そんな言葉を発した博麗霊夢は、広間の壁を背にしてのんびりと猪口を傾けていた。
その頬はいつもと比べて格段に赤くなっており、彼女もまた他の参加者たちと同様に酔っていることが窺える。
霊夢は残り少なくなった酒瓶を抱きかかえながら周囲を見回した。
誰かが暴走して神社を破壊しないように監視するためのものだったが、その視線がある一点で停止する。
「……なによ、ずいぶん珍しい組み合わせね」
興味の引かれた霊夢は、立ち上がってそちらに歩み寄った。
近づくほどに彼女たちの会話が耳に入ってくる。喧嘩をしているのかじゃれ合っているのか、酩酊する頭では判断が付かなかった。
転がる天人を跨ぎ、嘔吐しかけた鬼を一撃し、スペルカードを披露しようとした蓬莱人を壁の模様にする。
何度も足がもつれそうになりながらも、霊夢はなんとか二人の隣に座った。
瑞々しさをも感じさせる透き通った声に、若くして老婆のような低い声が答える。
「ねえねえ魔理沙さん! こちらの芋焼酎はいかがでしょうか?」
「……早苗。悪いけど、まだ飲んでる最中だぜ」
「そうですね! だったらこの厚揚げ焼きを食べてください! とってもおいしいですから!」
「……おう、頂くぜ」
「おおっと! これ、切られてませんね。ここは奇跡の力で……はい、スパッと切れました! どうぞ、あーん」
「いや、食べさせてもらわなくても大丈夫だから」
「そう言わずに~」
二人はこちらを見向きもせず、ただ押し問答のような会話を繰り返している。
なんとなく寂しくなって脇から厚揚げを横取りするも、やはり彼女たちは気づいてくれなかった。
この、誰よりも頬を朱に染めた東風谷早苗と、困った表情で早苗に対応する霧雨魔理沙は。
「ああ! 魔理沙さん、本当は眠いんですね!? だったら私の膝をお貸ししますよ!」
「眠くないし耳も痒くない。静かに飲ませてくれ」
「そんなこと言って……お姉ちゃん、怒っちゃいますから!」
「残念、そいつはお前の妄想だ。私に姉妹なんていないぜ」
「む~~。じゃあどうしてほしいんですか。奇跡を起こして明日を大晦日にすればいいんですか?」
「本当にやめてくれ……。ああ、そうだ。早苗に頼んでいいか?」
「なんなりと!」
「たった今、猛烈に軟骨のから揚げが食べたくなった」
「らじゃーです! ほんの数分お待ちを!」
早苗は勢いよく立ち上がると、一直線に台所へ向かった。
半ば夢の中なのか、屋内だというのに三十センチほど浮遊しながらの移動である。
それを見送った魔理沙は、これまた派手に溜め息をついた。
その油断しきった横顔に話しかける。
「あんたたち、デキてたの?」
「うおわぁ!? なんだ霊夢、いつの間に!?」
ついさっきよ、と返してから厚揚げをもう一切れ口に運んだ。
サクサクとした表面とふんわりとした甘みの豆腐のバランスが絶妙だった。
それはまあ、置いといて。
「で、どうなのよ。霧雨早苗になるの? それとも東風谷魔理沙になるの?」
「酷い発想の飛躍だなおい! 私と早苗は付き合ってもないし結婚する気もない!」
「じゃあどうしたってのよ。あんなに早苗がベタベタするのは、あの二柱に対してだけかと思ってたわ。いくら酔っててもね」
本音をそのまま伝える。
魔理沙は渋い顔で厚揚げに咀嚼しながら、そして答えた。
「……分からん。仲は悪くなかったけど、あそこまで親しげに接してきたのは今日が初めてだ」
「ふ~ん。正月辺りに何かあった? なんかこう、恋愛フラグが立つような事件とか」
「……守矢神社に初詣に行って挨拶した。その時一緒に屋台を巡って……」
「って、ちょっと待て。はつもうで? じゃあ私のところは二度目か?」
魔理沙が露骨に目をそらした。
彼女の顎を引っ掴んで無理やり振り向かせると、若干瞳が潤んでいた。ちょっと可愛い。
それを見ると、まあいいかと思い、手を離して続きを促した。
「で、でさ。屋台巡りの時にさ、迷子になった」
「あんたが? 早苗が?」
「……私が。それで、途方にくれているところを発見されて……母屋の方で休ませてもらったんだ」
それくらいだ、と魔理沙は照れを隠すようにコップを傾けた。
ずいぶん素直に喋ったと感心したが、それだけ早苗のアタックがきついのかもしれない。
それにしても……その状況なら惚れるというより愛想を尽かされるシチュエーションでは?
(あー、やっぱこういうのはわかんないわ)
無造作に頭を掻く。
酔いによって頭が回らないこともさることながら、霊夢は自分が恋愛の機微に疎いことを自覚していた。
何しろ、他人に興味を抱かないまま今の今まで生きてきたのだ。
読書は好きなので恋愛小説を読んだこともあるが、結局主人公やヒロインに感情移入できたことはない。
下手の考え休むに似たり、である。
するとそこに、渦中の人物が危なげにスキップしながらやってきた。
早苗だ。
「魔理沙さ~ん!」
その姿を目視した途端、霊夢は思案をすっぱり諦めた。
そして露骨に眉をひそめる魔理沙の肩を掴み、早苗にも聞こえるように大きな声で言った。
「魔理沙。お酒が足りないから調達してきてちょうだい」
「はぁ? いきなり何言い出すんだ」
「酒屋の人には後で取りにいくって伝えてるから代金は必要ないわ。誰かお供を連れてってもいいわよ。あそこは色々大変だし」
その瞬間、予想通り早苗から元気な声と手が上がった。
「はいはい! 私、魔理沙さんのお手伝いします!」
「ええ、マジで!?」
「マジよ大マジ。それじゃ行ってらっしゃい」
困惑しながら抵抗する魔理沙の背中を力任せに押し出し、宴会場から追い出した。
二人の後ろ姿を見送り、まだ中身がある瓶をひったくって猪口に注いで、飲み干す。
喉を焼いて通り行く感触が実に心地いい。
「そうよね、二人っきりで会話させりゃ原因も分かるでしょ。さすが私!」
誰に言うわけでもなく満足げに頷き、早苗が持ってきた軟骨のから揚げを口に放り込んだ。
「……うまっ」
◆
「魔理沙さ~ん、なんだか春みたいにポカポカ陽気ですね~」
「……そーですねー」
魔理沙は気だるそうに同意した。
実際は、休みなく凍えるような空気が肌を通り抜けて痛いくらいである。
早苗は酔ってるからだよ、と突っ込んでも聞き届けられそうにないので言わないけれど。
「でも、たしかにいい天気だな」
空を見上げると、ほとんど快晴だった。
小さく薄い雲は眺めていても微動だにせず、まるで彫像のように空に浮かんでいる。
太陽は真上を少し過ぎたところ。真昼間も真昼間だ。
そんな時間帯の人里に、酒気を帯びた山の巫女さんと手を繋いでおつかいに来ているとは。
「早苗……手を離してくれ。その、みんなに見られてるから……」
「駄目です! 魔理沙さんが迷子になっちゃいますから!」
「う、ぐぅ……」
そう言われると、こちらも返す言葉がない。
けれどそれは、大勢の人が込み合っている元旦の神社だからであって……!
「あ、あそこセールですって! ちょっと見て行きましょうよ!」
「お、おい! 私たちが行くのは酒屋だって!」
叫ぶ声にも動じず、早苗は目についた店に突進していった。
魔理沙も連れて行かれまいと足を踏ん張るが、圧倒的な体格の差であっさりと引き摺られてしまう。
「……はぁ。もういいよ」
魔理沙はそこでもう諦め、唯々諾々と手を引かれるままについていく。
それからしばらく、早苗と共に新春開店の店を回るのであった。
「いらっしゃいませー!」
「ここが酒屋ですかここが酒屋ですね!」
「まあ、見ての通りだぜ」
強制ウインドウショッピングを終え、どうにか酒屋に辿り着いた。
店内に入るやいなや、早苗は我先にと店内の酒瓶を物色し始める。
彼女に目利きができるか不安だったが、ここならばよほどの物でない限り大丈夫だろう。
(それにしても……今は何時だ?)
年季に入った内装を見回すが、時計らしきものは見当たらない。
あまり時間は経っていないと思うが、後半は自分も結構ノリノリだったので分からなかった。
目の前に暇そうな若い店主がいるので聞いてみることにする。
「なあ兄ちゃん。今って何時か教えてくれないか?」
「あ、はい。少々お待ちを――……五時前ですね」
「良かった。霊夢に怒られなくて済みそうだ」
魔理沙はほっと胸を撫で下ろす。
名目はおつかいなので遅くなると陰陽玉でぶっ飛ばされかねない。
ただ残念なことに、宴会時に摂取したアルコールは完全に抜け切ってしまっていた。
早苗も抜けていてくれればいいのだが……。
ちらりと視線を投げる。
「いやっふー! まんまみーや!」
……謎の呪文を発しながら踊っていた。まだ駄目らしい。
はぁ、と溜め息をつく横で、押し殺された笑い声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けると、店主が「失礼」と言って頭を下げる。
どの道酒選びは早苗がやっているので、暇つぶしに彼と会話することにした。
「何が可笑しいんだ?」
「気に障ったのなら申し訳ありません。あなた方を見ていたら、つい」
「まあ、構わないさ。変な二人組だって自覚はあるから」
すると店主は首を横に振って否定した。
「いえいえ、微笑ましいと思っただけですよ。実に仲の良い姉妹だな、と」
「別に姉妹なんて間柄じゃないが、参考までにどっちが姉だ?」
「あちらの巫女さんがお姉さん……だと最初は思いましたが、今はあなたがお姉さんに見えますね」
「酒に弱い妹で大迷惑だぜ」
「失礼ながら、それは嘘でしょう。まるで手のかかる妹を見守るかのような表情ですよ」
むう、と唸って頬を上下左右に捏ねてみる。
店主は子供っぽい笑顔を浮かべながら一旦奥に引っ込み、すぐに黒い瓶を携えて戻ってきた。
――かなりの上物だ。
「お目が高い。これはうちの店でも桁が違う商品でしてね。せっかくなのでサービスしますよ」
「はぁ? 兄さん、商売が分かってないのか?」
「ええ。我ながら馬鹿なことをしていますね。でも、そうしたい気分なんです」
そう言った店主の目は、魔理沙を捉えていなかった。
目線は魔理沙と合っているが、まるで亡き日々を眺めているかのように虚ろな瞳である。
「…………」
魔理沙は押し黙り、静かに早苗を見やった。
幻想郷では、彼のような目をする人間は少なくない。妖怪と隣り合わせている以上、仕方がないことだ。
「……そっか。すまんな、私たちが守れていれば良かったんだが」
「いいんですよ。弱肉強食は自然の摂理。幻想郷はその境界が少しだけ薄い場所というだけの話です」
「ならありがたく貰うけど……今回の代金は博麗神社のツケでいいって聞いたけど?」
「博麗の巫女様の使いでしたか。ならば、なおのこと遠慮なく持っていってください。……あの方にも、ずいぶん手伝ってもらいましたから」
ここで店主との会話は途切れた。
会計台に寄りかかって彼の顔を見上げると、店主は直立不動で早苗を眺めていた。
先ほどとまったく同じ目で。
早苗に投影しているのは彼の妹だろうか、姉だろうか。生きていれば何歳だったのか。
詮無いことだ。知ったところで、自分には同情も慰めも出来ないのだから。
わずかに胸をつく寂寞の情に耐えていると。
「魔理沙さん!」
早苗が二本の酒瓶を振り回すようにして近寄ってきた。
そして魔理沙の前で立ち止まると、瓶を並べるようにして突き出した。
「魔理沙さん魔理沙さん! こっちとこっち、どっちがお似合いでしょうか!?」
早苗は満面の笑みで聞いてきた。
正直さっぱり意味が分からない質問だが、適当に話をあわせておく。
「そうだな……早苗には右が似合うと思うぜ。ラベルと瓶の色合いが早苗の巫女服にベストマッチしてるからな」
「もう! 私は結婚披露宴の話をしているんです!」
ぶっ、と魔理沙と店主が同時に噴き出した。
「け、けっこんひろうえん!? 本当に何の話をしているんだ!?」
「んもう。籍を入れたんですから次は結婚式でしょ? あ・な・た」
「すすすすすみませんでした!」
何を血迷ったのか、突然店主が猛烈に謝りだした。
それはもう土下座どころか切腹でもしかねない勢いで。
「てっきりお嬢さんかと思ったんですが、よもや男性の方だったとは! まことに、申し訳ありませんでしたぁ!」
「私は女だ! そしてこいつは酔っ払いだ! 酒屋の店主ならそれくらい見分けろ!」
「男の娘じゃとぉ!?」
店主の後ろにある部屋――おそらく居住区だろう――から、立派な白髭を蓄えた老人が出てきた。
そして魔理沙に隙のない足捌きで近づき、その顔を無遠慮に凝視しだしたではないか。
魔理沙は顔を嫌悪に歪めながらも老人を見返す。
すると、
「……この、未熟者ぉ!」
老人は振り返って、何故か店主を拳で殴りつけた。
「お、おい! なにやってんだ爺さん!」
「爺ちゃん……まさかまた……?」
呆れたように肩を落とす店主の前で、老人は唾を飛ばしながらとんでもない発言をした。
「こんなに可愛い子が……女の子であるはずがないじゃろうがぁ!」
絶句する魔理沙の横で、早苗がそれに同調した。
「そうです! 魔理沙さんには心に立派なアレが生えています!」
「何が生えてるってんだこの酔っ払い巫女がああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
我慢の限界に達した魔理沙は懐から八卦炉を取り出し、それで早苗の後頭部を殴打した。
途端に早苗の体は脱力し、どさりと店の床に倒れ伏す。ヒヒイロカネ、さすがに頑丈だった。
魔理沙は気絶した早苗を急いで背負い、三本の酒を持って店外へ飛び出した。
「長生きして男の娘と巫女様の結婚式を見たい! 儂は人間をやめるぞ! MAGOーーーーー!」
「爺ちゃん、正気に戻ってくれ!」
後ろで行われているであろう戦いに耳を塞ぎながら。
◆
日が落ちて墨で染め上げられたかのような暗闇が広がる。
夜が近づくにつれて、冷たい風が徐々に強さを増していく。おかげで周囲の草木が絶え間なくざわめいていた。
空で輝く月明かりのみが幻想郷を煌煌と照らしている。
「はあ……すっかり遅くなっちゃったな」
魔理沙はぼやいて、背中の早苗を抱えなおした。
今いるのは、里から博麗神社に行くために整備された野道だ。路辺に適当な柵をこしらえ、足で踏み固められただけの代物だが。
傍には相棒の箒が宙に浮かんでいる。柄の中間辺りには酒瓶を包んだ風呂敷が吊られていた。
本当は箒に乗って帰りたかったのだが、あのスピードでは壊れ物の瓶や気を失った早苗を振り落としかねない。
なので、現在は体を弛緩させた早苗を背負い、博麗神社を目指して歩いている最中だった。
「いつもなら一飛びなんだけどな~」
時折地べたに尻をついて、適度に休みながら移動している。
蓄積された疲労が手足を鉛のように重くするが、早苗を捨て置くわけにもいかない。
こんなところに人間を置いていったら妖怪が貪り食ってしまうだろう。
当の早苗は、子供のように素朴な寝顔ですやすやと眠っていた。
こちらの苦労なんて欠片も分かっちゃいない。
「むにゃ~」
「おいおい、幸せそうだな現人神さん。さっさと起きてくれよ」
早苗を木の幹に寄りかからせ、そのにやけ面を軽く叩いた。
酒も入っているのであまり期待していなかったが、丁度眠りの浅い時間帯だったようで。
「……んん? あれ、魔理沙さん?」
早苗は小さく欠伸をしながら目を覚ました。
「大丈夫か? 正気か? 酔ってないよな?」
「何がなんだかいきなりすぎますけど、酔ってませんよ」
「嘘だ! 酔っ払いはみんな酔ってないって言うんだぜ!」
幻想郷の常識である。たぶん、外の世界でも健在の常識だろう。
「もう、あんまりふざけてお姉ちゃんを困らせないでください!」
「ほらみろ、やっぱり酔ってるじゃないか! 誰がお姉ちゃんだ誰が!」
「……あれ? 私たちって血縁関係なかったでしたっけ?」
「ないよ! いつまでも寝ぼけすぎだよ!」
声を張り上げると、早苗はがっかりしたように肩を落とした。
そのまま地面と接していた尻を軽く手で払い、姿勢よく立ち上がる。
「……はぁ、夢かぁ。本当に魔理沙さんが妹だったらなぁ」
早苗は拗ねたように呟いて、自分の足で歩き出した。
その足取りは意外としっかりしている。これならば支えなくても大丈夫だろう。
魔理沙は小走りで彼女に追いつき、そして横に並んだ。
「なんか拘ってるけど、どうしたんだ? 妹だの何だのって」
「……魔理沙さん、元日に守矢神社へ来てくれたじゃないですか。で、その後迷子になってちょっと涙ぐんでましたよね」
ああ、と同意する。
恥ずかしい話だが、客観的に見てもその通りだった。
「その時、ふと思ったんですよ。『妹がいたらこんな感じなのかな』って」
「…………」
「私は一人っ子でしたし、両親ともあんまり仲が良くなかったです。彼らは普通の人間で、私は一族の中でも格段に能力の高い現人神でしたから」
早苗は苦笑するように微笑み、強張った体をほぐすように伸びをする。
ぱきぱき、と骨の鳴る音がした。
「……お前には神様がいるじゃないか」
八坂神奈子。洩矢諏訪子。
あの二人が早苗を溺愛しているのは周知の事実だ。
その愛情は天を割り地を裂くと皆から評されるほどに激しく深いものだと聞いたことがある。
比喩表現ではなく、実際にしそうだなというのが魔理沙の印象だった。
しかし、早苗は静かに頭を振った。
「あの方々はもちろん家族ですけど、それ以上に崇拝対象です。不満ではないけど、何か物足りないというか」
「贅沢だな。霊夢は天涯孤独だぞ。私と知り合う前からな」
「ええ、贅沢です。知っています。理解してます。でも私は……対等な存在が欲しい」
早苗はそれっきり口をつぐみ、歩行に専念する。
魔理沙も魔理沙で特に反論や持論を展開するわけもなく、箒から受け取った風呂敷を担いで早苗に続いた。
しばし風と森のざわめきに耳を傾けながら早苗の言葉を反芻する。
――対等な存在が欲しい。
対等、とはどういった存在を指すのだろうか。
何の気兼ねもなく意見を言い合える相手か? ……早苗はしっかり自己主張をするタイプの人間だし、自分たちの間にそのような遠慮があったとは思えない。
ならば、立場的に対等な相手か? ……現人神、風祝という観点では無理だろう。それは彼女のオンリーワンだからだ。巫女という意味なら霊夢がおり、霧雨魔理沙に求めなくてもいいはずだ。
では、実力が対等な相手か? ……幻想郷には想像を絶する化け物がいるが、自分に近い実力の人物がいないということか。いや、特別彼女が一人劣ってるわけでもない。これはないか。
考えても考えても納得のいく答えは出なかった。
(それとも、単に姉妹が欲しかっただけなのかね?)
魔理沙は首を傾げる。
――やがて視線の先にほのかに明るい地面が見えてきた。
その周りにはいくつもの小さな影が動き回っており、明らかに生物的な動作をしている。
おそらく宴会から抜け出した妖怪たちが遊んでいるのだろう。
(ふう。ようやく到着か)
そう考えたとき。
突如、何もかもが見えなくなった。
「っ!?」
慌てて瞬きを何度か行うが、状況は好転しない。
試しに自分の手を目の前に掲げてみる。しかし、確かにあるはずの手は影も形も視認できなかった。
鳥目か? いや、これは――。
その瞬間、いきなり強風が舞い上がった。
二つの目蓋が意思に反して固く閉ざされる。眼の中に異物……たぶん砂粒でも入ったのだ。
じわりと鈍痛が起こり、完全に視界を失ったことを悟る。
反射的に体が丸まり、顔面を庇うように両の腕を眼前で交差させてしまった。
こんな状態の人間は妖怪にとって明らかに格好の餌だろう。
(……さ、早苗は!?)
前にいるはずの彼女の状態は、目が閉じられている今、無事か否かも判別することは出来ない。
心が恐慌状態に陥る。体が硬直するほどの恐怖が湧き上がった。
「早苗!」
咄嗟に声を上げた。
――しかし。
「魔理沙さん、もう大丈夫ですよ」
「へ?」
すぐに返事が来た。
しかも実に落ち着いた、むしろパニックになった魔理沙を気遣うかのような声色で。
目を擦りながら開けると、黒々とした地面の上に黒ずくめの少女が目を回して倒れていた。
黄色の髪。そこに結ばれた特徴的なリボン。宵闇の妖怪、ルーミアだ。
さらに視線を上げると、そこには悠々と佇む早苗の姿があった。
その表情は柔らかで、まるで失敗した妹を慰めるようで――。
「魔理沙さん」
「な、なんだ?」
「そこの妖怪さんが仕掛けたみたいですけど、退治しますか?」
「あ、あー……別に構わんさ。いつもみたいに不意打ちで抱きつこうとしたんだろ」
今回は考え事をしていて避けられなかったが。
そう付け加える前に、早苗は愉快そうに御幣を玩びながら近づいてきた。
どうしたのだろうか、と疑問に思っていると。
「よしよし、怖くないですよ~」
早苗が頭を撫でてきた。
「なっ」
「ふふふ、うふふふふふ」
「撫でるな触るなにやにやするなー!」
魔理沙は真っ赤な顔で早苗の手を撥ね除ける。
けれど早苗は変わらず笑顔を振りまきながら、さっと身を翻した。
その体がふわりと浮かぶ。博麗神社の大階段を上るのは辛いらしい。
魔理沙も箒に腰掛け、並行するように博麗神社へと向かう。
宴会の喧騒が段々強まってきた。
あの輪に加われば否応なく酒を飲まされ、連中の仲間入りだろう。
だからその前に、一つだけ伝えておく。
「早苗」
「はい?」
「私はお前を、対等な友達だと思ってるぜ」
そう言うと、早苗は数秒驚いたようにこちらを凝視し――風も羨むような微笑みを浮かべた。
「魔理沙さん……もう、可愛い~!」
「ぶはっ!? おい抱きつくな、苦しいから!」
「ああもうああもうああもう! どうして魔理沙さんったらこんなに可愛いんですか~?」
「知らんがな! ええい離せ!」
必死の思いで早苗を引き剥がす。
……苦しかった。何てでかいものをぶら下げてんだこいつ。
「魔理沙さん。大事なお話があります」
早苗は先ほどとは一転して真面目な顔つきになった。
だがこれまでの発言を省みると、シリアスな方向に行くとは到底思えない。
そしてそれは予想通りだった。
「私の妹になってください。毎日我が家で愛でさせてほしいです」
「……もう突っ込まないぜ。今日だけで一生分疲れたからな」
「大袈裟ですねぇ。霧雨と東風谷、大した差はないのに」
「ありまくりだ」
そんなことを言い合っていると。
「魔理沙ー、早苗ー! 待ちくたびれたわよー!」
霊夢の怒声が聞こえてきた。
眼下を見ると、霊夢が空瓶を振り回しながら叫んでいるではないか。
欲望に忠実な巫女だ、と苦笑すると、早苗も同じように口角を吊り上げながら霊夢を見下ろしていた。
早苗は魔理沙の手を握って降下する。魔理沙も特に逆らわなかった。
その途中で。
「魔理沙さん」
「なんだ、早苗」
「魔理沙って呼んでもいいですか?」
新しい始まりの風が吹き抜けた。
「今年もよろしくな、早苗」
「はい、今年もよろしくおねがいします! 魔理沙!」
夜でも映える、眩い笑顔だった。
◆
博麗霊夢は内心呆気に取られていた。
酒の調達から帰ってきた魔理沙と早苗の態度が、あからさまに変化していたからだ。
魔理沙から受け取った酒瓶片手に二人の様子を観察していると。
「魔理沙、はいあーん」
「……うまいなこれ。誰が作ったんだ?」
「私です。あとでレシピを渡しましょうか?」
「お、頼む。これは是非とも家で作りたいぜ」
早苗はごく自然に魔理沙を呼び捨てており、
「ふわぁ……」
「お疲れのようですけど、大丈夫ですか?」
「ちょっときつい。少し隣で寝てくるわ」
「なら、私の膝をお貸ししますよ。どうですか?」
「……早苗はいいのか?」
「もちろん! 魔理沙さえ良ければいくらでも」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ……」
「ふふ、どうぞっ」
魔理沙は早苗への態度を軟化させて、妙に甘えん坊になっていた。
これは間違いなく何かあったなと確信する。博麗の巫女の勘が。
まあ、だからどうというわけでもないが。
「別に酒に変わるわけでもないしね~」
霊夢は溜め息をついて猪口に酒を注ぐ……が、もうすでになくなっていた。
魔理沙たちの帰りを待っている最中に抜けたアルコール分を補充したのだが、すでに一升くらいは軽く消えていたらしい。
これでは不完全燃焼のまま宴会が終了してしまう。
そう思って代わりの酒を探す。その途中で、黒い羽を広げて座り込む鴉天狗の姿が目に入った。
(そうね、あいつから分捕ろう)
一計を思いついた霊夢は泥酔状態の天狗に近寄り、その肩を掴む。
天狗――射命丸文は、不思議そうに霊夢の顔を見返した。
「あやややや。どうしました、霊夢さん?」
「実は良いネタがあるの。それと引き換えにあんたの秘蔵酒を寄越しなさい」
「……へえ、貴女から言い出す程の情報ですか。分かりました、買いましょう」
「取引成立ね。実は――」
翌日、文々。新聞の号外が飛び回った。
それを読んだ普通の魔法使いは、新年早々色鮮やかな弾幕で群青色の空を彩ったのだった。
一月四日。
正月の三が日も過ぎて、大概の人妖は今日から普段どおりの生活に戻る。
人間は畑仕事や客商売に、妖怪もそれぞれの仕事や暇つぶしに。
誰も彼もが残留する正月気分を必死に追い出しながら、やるべきことに精を出していた。
しかし。
「よっしゃー! みんな、飲んでるかーい!?」
「「「飲んでますともー!」」」
博麗神社からは未だに宴会の喧騒が響いていた。
いや、博麗霊夢と酒を酌み交わす面々にとっては今日からが本番だった。
いくら普段は人気のない寂れた博麗神社であろうと、正月は里の人間も参拝に来る。
霊夢はその対応に追われ、宴会などやっている暇はとてもじゃないがなかった。
しかし三が日が過ぎたことで人間の訪問者は激減し、神社は徐々にもとの静けさを取り戻しつつあった。
それを見越した霊夢の友人たちは酒を持ち寄り、正月時に匹敵するほどの大宴会を開いたのだ。
「……まったく、やかましいわね」
複雑な感情が混じりあった呟きが、怒号にかき消される。
そんな言葉を発した博麗霊夢は、広間の壁を背にしてのんびりと猪口を傾けていた。
その頬はいつもと比べて格段に赤くなっており、彼女もまた他の参加者たちと同様に酔っていることが窺える。
霊夢は残り少なくなった酒瓶を抱きかかえながら周囲を見回した。
誰かが暴走して神社を破壊しないように監視するためのものだったが、その視線がある一点で停止する。
「……なによ、ずいぶん珍しい組み合わせね」
興味の引かれた霊夢は、立ち上がってそちらに歩み寄った。
近づくほどに彼女たちの会話が耳に入ってくる。喧嘩をしているのかじゃれ合っているのか、酩酊する頭では判断が付かなかった。
転がる天人を跨ぎ、嘔吐しかけた鬼を一撃し、スペルカードを披露しようとした蓬莱人を壁の模様にする。
何度も足がもつれそうになりながらも、霊夢はなんとか二人の隣に座った。
瑞々しさをも感じさせる透き通った声に、若くして老婆のような低い声が答える。
「ねえねえ魔理沙さん! こちらの芋焼酎はいかがでしょうか?」
「……早苗。悪いけど、まだ飲んでる最中だぜ」
「そうですね! だったらこの厚揚げ焼きを食べてください! とってもおいしいですから!」
「……おう、頂くぜ」
「おおっと! これ、切られてませんね。ここは奇跡の力で……はい、スパッと切れました! どうぞ、あーん」
「いや、食べさせてもらわなくても大丈夫だから」
「そう言わずに~」
二人はこちらを見向きもせず、ただ押し問答のような会話を繰り返している。
なんとなく寂しくなって脇から厚揚げを横取りするも、やはり彼女たちは気づいてくれなかった。
この、誰よりも頬を朱に染めた東風谷早苗と、困った表情で早苗に対応する霧雨魔理沙は。
「ああ! 魔理沙さん、本当は眠いんですね!? だったら私の膝をお貸ししますよ!」
「眠くないし耳も痒くない。静かに飲ませてくれ」
「そんなこと言って……お姉ちゃん、怒っちゃいますから!」
「残念、そいつはお前の妄想だ。私に姉妹なんていないぜ」
「む~~。じゃあどうしてほしいんですか。奇跡を起こして明日を大晦日にすればいいんですか?」
「本当にやめてくれ……。ああ、そうだ。早苗に頼んでいいか?」
「なんなりと!」
「たった今、猛烈に軟骨のから揚げが食べたくなった」
「らじゃーです! ほんの数分お待ちを!」
早苗は勢いよく立ち上がると、一直線に台所へ向かった。
半ば夢の中なのか、屋内だというのに三十センチほど浮遊しながらの移動である。
それを見送った魔理沙は、これまた派手に溜め息をついた。
その油断しきった横顔に話しかける。
「あんたたち、デキてたの?」
「うおわぁ!? なんだ霊夢、いつの間に!?」
ついさっきよ、と返してから厚揚げをもう一切れ口に運んだ。
サクサクとした表面とふんわりとした甘みの豆腐のバランスが絶妙だった。
それはまあ、置いといて。
「で、どうなのよ。霧雨早苗になるの? それとも東風谷魔理沙になるの?」
「酷い発想の飛躍だなおい! 私と早苗は付き合ってもないし結婚する気もない!」
「じゃあどうしたってのよ。あんなに早苗がベタベタするのは、あの二柱に対してだけかと思ってたわ。いくら酔っててもね」
本音をそのまま伝える。
魔理沙は渋い顔で厚揚げに咀嚼しながら、そして答えた。
「……分からん。仲は悪くなかったけど、あそこまで親しげに接してきたのは今日が初めてだ」
「ふ~ん。正月辺りに何かあった? なんかこう、恋愛フラグが立つような事件とか」
「……守矢神社に初詣に行って挨拶した。その時一緒に屋台を巡って……」
「って、ちょっと待て。はつもうで? じゃあ私のところは二度目か?」
魔理沙が露骨に目をそらした。
彼女の顎を引っ掴んで無理やり振り向かせると、若干瞳が潤んでいた。ちょっと可愛い。
それを見ると、まあいいかと思い、手を離して続きを促した。
「で、でさ。屋台巡りの時にさ、迷子になった」
「あんたが? 早苗が?」
「……私が。それで、途方にくれているところを発見されて……母屋の方で休ませてもらったんだ」
それくらいだ、と魔理沙は照れを隠すようにコップを傾けた。
ずいぶん素直に喋ったと感心したが、それだけ早苗のアタックがきついのかもしれない。
それにしても……その状況なら惚れるというより愛想を尽かされるシチュエーションでは?
(あー、やっぱこういうのはわかんないわ)
無造作に頭を掻く。
酔いによって頭が回らないこともさることながら、霊夢は自分が恋愛の機微に疎いことを自覚していた。
何しろ、他人に興味を抱かないまま今の今まで生きてきたのだ。
読書は好きなので恋愛小説を読んだこともあるが、結局主人公やヒロインに感情移入できたことはない。
下手の考え休むに似たり、である。
するとそこに、渦中の人物が危なげにスキップしながらやってきた。
早苗だ。
「魔理沙さ~ん!」
その姿を目視した途端、霊夢は思案をすっぱり諦めた。
そして露骨に眉をひそめる魔理沙の肩を掴み、早苗にも聞こえるように大きな声で言った。
「魔理沙。お酒が足りないから調達してきてちょうだい」
「はぁ? いきなり何言い出すんだ」
「酒屋の人には後で取りにいくって伝えてるから代金は必要ないわ。誰かお供を連れてってもいいわよ。あそこは色々大変だし」
その瞬間、予想通り早苗から元気な声と手が上がった。
「はいはい! 私、魔理沙さんのお手伝いします!」
「ええ、マジで!?」
「マジよ大マジ。それじゃ行ってらっしゃい」
困惑しながら抵抗する魔理沙の背中を力任せに押し出し、宴会場から追い出した。
二人の後ろ姿を見送り、まだ中身がある瓶をひったくって猪口に注いで、飲み干す。
喉を焼いて通り行く感触が実に心地いい。
「そうよね、二人っきりで会話させりゃ原因も分かるでしょ。さすが私!」
誰に言うわけでもなく満足げに頷き、早苗が持ってきた軟骨のから揚げを口に放り込んだ。
「……うまっ」
◆
「魔理沙さ~ん、なんだか春みたいにポカポカ陽気ですね~」
「……そーですねー」
魔理沙は気だるそうに同意した。
実際は、休みなく凍えるような空気が肌を通り抜けて痛いくらいである。
早苗は酔ってるからだよ、と突っ込んでも聞き届けられそうにないので言わないけれど。
「でも、たしかにいい天気だな」
空を見上げると、ほとんど快晴だった。
小さく薄い雲は眺めていても微動だにせず、まるで彫像のように空に浮かんでいる。
太陽は真上を少し過ぎたところ。真昼間も真昼間だ。
そんな時間帯の人里に、酒気を帯びた山の巫女さんと手を繋いでおつかいに来ているとは。
「早苗……手を離してくれ。その、みんなに見られてるから……」
「駄目です! 魔理沙さんが迷子になっちゃいますから!」
「う、ぐぅ……」
そう言われると、こちらも返す言葉がない。
けれどそれは、大勢の人が込み合っている元旦の神社だからであって……!
「あ、あそこセールですって! ちょっと見て行きましょうよ!」
「お、おい! 私たちが行くのは酒屋だって!」
叫ぶ声にも動じず、早苗は目についた店に突進していった。
魔理沙も連れて行かれまいと足を踏ん張るが、圧倒的な体格の差であっさりと引き摺られてしまう。
「……はぁ。もういいよ」
魔理沙はそこでもう諦め、唯々諾々と手を引かれるままについていく。
それからしばらく、早苗と共に新春開店の店を回るのであった。
「いらっしゃいませー!」
「ここが酒屋ですかここが酒屋ですね!」
「まあ、見ての通りだぜ」
強制ウインドウショッピングを終え、どうにか酒屋に辿り着いた。
店内に入るやいなや、早苗は我先にと店内の酒瓶を物色し始める。
彼女に目利きができるか不安だったが、ここならばよほどの物でない限り大丈夫だろう。
(それにしても……今は何時だ?)
年季に入った内装を見回すが、時計らしきものは見当たらない。
あまり時間は経っていないと思うが、後半は自分も結構ノリノリだったので分からなかった。
目の前に暇そうな若い店主がいるので聞いてみることにする。
「なあ兄ちゃん。今って何時か教えてくれないか?」
「あ、はい。少々お待ちを――……五時前ですね」
「良かった。霊夢に怒られなくて済みそうだ」
魔理沙はほっと胸を撫で下ろす。
名目はおつかいなので遅くなると陰陽玉でぶっ飛ばされかねない。
ただ残念なことに、宴会時に摂取したアルコールは完全に抜け切ってしまっていた。
早苗も抜けていてくれればいいのだが……。
ちらりと視線を投げる。
「いやっふー! まんまみーや!」
……謎の呪文を発しながら踊っていた。まだ駄目らしい。
はぁ、と溜め息をつく横で、押し殺された笑い声が聞こえてきた。
そちらに視線を向けると、店主が「失礼」と言って頭を下げる。
どの道酒選びは早苗がやっているので、暇つぶしに彼と会話することにした。
「何が可笑しいんだ?」
「気に障ったのなら申し訳ありません。あなた方を見ていたら、つい」
「まあ、構わないさ。変な二人組だって自覚はあるから」
すると店主は首を横に振って否定した。
「いえいえ、微笑ましいと思っただけですよ。実に仲の良い姉妹だな、と」
「別に姉妹なんて間柄じゃないが、参考までにどっちが姉だ?」
「あちらの巫女さんがお姉さん……だと最初は思いましたが、今はあなたがお姉さんに見えますね」
「酒に弱い妹で大迷惑だぜ」
「失礼ながら、それは嘘でしょう。まるで手のかかる妹を見守るかのような表情ですよ」
むう、と唸って頬を上下左右に捏ねてみる。
店主は子供っぽい笑顔を浮かべながら一旦奥に引っ込み、すぐに黒い瓶を携えて戻ってきた。
――かなりの上物だ。
「お目が高い。これはうちの店でも桁が違う商品でしてね。せっかくなのでサービスしますよ」
「はぁ? 兄さん、商売が分かってないのか?」
「ええ。我ながら馬鹿なことをしていますね。でも、そうしたい気分なんです」
そう言った店主の目は、魔理沙を捉えていなかった。
目線は魔理沙と合っているが、まるで亡き日々を眺めているかのように虚ろな瞳である。
「…………」
魔理沙は押し黙り、静かに早苗を見やった。
幻想郷では、彼のような目をする人間は少なくない。妖怪と隣り合わせている以上、仕方がないことだ。
「……そっか。すまんな、私たちが守れていれば良かったんだが」
「いいんですよ。弱肉強食は自然の摂理。幻想郷はその境界が少しだけ薄い場所というだけの話です」
「ならありがたく貰うけど……今回の代金は博麗神社のツケでいいって聞いたけど?」
「博麗の巫女様の使いでしたか。ならば、なおのこと遠慮なく持っていってください。……あの方にも、ずいぶん手伝ってもらいましたから」
ここで店主との会話は途切れた。
会計台に寄りかかって彼の顔を見上げると、店主は直立不動で早苗を眺めていた。
先ほどとまったく同じ目で。
早苗に投影しているのは彼の妹だろうか、姉だろうか。生きていれば何歳だったのか。
詮無いことだ。知ったところで、自分には同情も慰めも出来ないのだから。
わずかに胸をつく寂寞の情に耐えていると。
「魔理沙さん!」
早苗が二本の酒瓶を振り回すようにして近寄ってきた。
そして魔理沙の前で立ち止まると、瓶を並べるようにして突き出した。
「魔理沙さん魔理沙さん! こっちとこっち、どっちがお似合いでしょうか!?」
早苗は満面の笑みで聞いてきた。
正直さっぱり意味が分からない質問だが、適当に話をあわせておく。
「そうだな……早苗には右が似合うと思うぜ。ラベルと瓶の色合いが早苗の巫女服にベストマッチしてるからな」
「もう! 私は結婚披露宴の話をしているんです!」
ぶっ、と魔理沙と店主が同時に噴き出した。
「け、けっこんひろうえん!? 本当に何の話をしているんだ!?」
「んもう。籍を入れたんですから次は結婚式でしょ? あ・な・た」
「すすすすすみませんでした!」
何を血迷ったのか、突然店主が猛烈に謝りだした。
それはもう土下座どころか切腹でもしかねない勢いで。
「てっきりお嬢さんかと思ったんですが、よもや男性の方だったとは! まことに、申し訳ありませんでしたぁ!」
「私は女だ! そしてこいつは酔っ払いだ! 酒屋の店主ならそれくらい見分けろ!」
「男の娘じゃとぉ!?」
店主の後ろにある部屋――おそらく居住区だろう――から、立派な白髭を蓄えた老人が出てきた。
そして魔理沙に隙のない足捌きで近づき、その顔を無遠慮に凝視しだしたではないか。
魔理沙は顔を嫌悪に歪めながらも老人を見返す。
すると、
「……この、未熟者ぉ!」
老人は振り返って、何故か店主を拳で殴りつけた。
「お、おい! なにやってんだ爺さん!」
「爺ちゃん……まさかまた……?」
呆れたように肩を落とす店主の前で、老人は唾を飛ばしながらとんでもない発言をした。
「こんなに可愛い子が……女の子であるはずがないじゃろうがぁ!」
絶句する魔理沙の横で、早苗がそれに同調した。
「そうです! 魔理沙さんには心に立派なアレが生えています!」
「何が生えてるってんだこの酔っ払い巫女がああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
我慢の限界に達した魔理沙は懐から八卦炉を取り出し、それで早苗の後頭部を殴打した。
途端に早苗の体は脱力し、どさりと店の床に倒れ伏す。ヒヒイロカネ、さすがに頑丈だった。
魔理沙は気絶した早苗を急いで背負い、三本の酒を持って店外へ飛び出した。
「長生きして男の娘と巫女様の結婚式を見たい! 儂は人間をやめるぞ! MAGOーーーーー!」
「爺ちゃん、正気に戻ってくれ!」
後ろで行われているであろう戦いに耳を塞ぎながら。
◆
日が落ちて墨で染め上げられたかのような暗闇が広がる。
夜が近づくにつれて、冷たい風が徐々に強さを増していく。おかげで周囲の草木が絶え間なくざわめいていた。
空で輝く月明かりのみが幻想郷を煌煌と照らしている。
「はあ……すっかり遅くなっちゃったな」
魔理沙はぼやいて、背中の早苗を抱えなおした。
今いるのは、里から博麗神社に行くために整備された野道だ。路辺に適当な柵をこしらえ、足で踏み固められただけの代物だが。
傍には相棒の箒が宙に浮かんでいる。柄の中間辺りには酒瓶を包んだ風呂敷が吊られていた。
本当は箒に乗って帰りたかったのだが、あのスピードでは壊れ物の瓶や気を失った早苗を振り落としかねない。
なので、現在は体を弛緩させた早苗を背負い、博麗神社を目指して歩いている最中だった。
「いつもなら一飛びなんだけどな~」
時折地べたに尻をついて、適度に休みながら移動している。
蓄積された疲労が手足を鉛のように重くするが、早苗を捨て置くわけにもいかない。
こんなところに人間を置いていったら妖怪が貪り食ってしまうだろう。
当の早苗は、子供のように素朴な寝顔ですやすやと眠っていた。
こちらの苦労なんて欠片も分かっちゃいない。
「むにゃ~」
「おいおい、幸せそうだな現人神さん。さっさと起きてくれよ」
早苗を木の幹に寄りかからせ、そのにやけ面を軽く叩いた。
酒も入っているのであまり期待していなかったが、丁度眠りの浅い時間帯だったようで。
「……んん? あれ、魔理沙さん?」
早苗は小さく欠伸をしながら目を覚ました。
「大丈夫か? 正気か? 酔ってないよな?」
「何がなんだかいきなりすぎますけど、酔ってませんよ」
「嘘だ! 酔っ払いはみんな酔ってないって言うんだぜ!」
幻想郷の常識である。たぶん、外の世界でも健在の常識だろう。
「もう、あんまりふざけてお姉ちゃんを困らせないでください!」
「ほらみろ、やっぱり酔ってるじゃないか! 誰がお姉ちゃんだ誰が!」
「……あれ? 私たちって血縁関係なかったでしたっけ?」
「ないよ! いつまでも寝ぼけすぎだよ!」
声を張り上げると、早苗はがっかりしたように肩を落とした。
そのまま地面と接していた尻を軽く手で払い、姿勢よく立ち上がる。
「……はぁ、夢かぁ。本当に魔理沙さんが妹だったらなぁ」
早苗は拗ねたように呟いて、自分の足で歩き出した。
その足取りは意外としっかりしている。これならば支えなくても大丈夫だろう。
魔理沙は小走りで彼女に追いつき、そして横に並んだ。
「なんか拘ってるけど、どうしたんだ? 妹だの何だのって」
「……魔理沙さん、元日に守矢神社へ来てくれたじゃないですか。で、その後迷子になってちょっと涙ぐんでましたよね」
ああ、と同意する。
恥ずかしい話だが、客観的に見てもその通りだった。
「その時、ふと思ったんですよ。『妹がいたらこんな感じなのかな』って」
「…………」
「私は一人っ子でしたし、両親ともあんまり仲が良くなかったです。彼らは普通の人間で、私は一族の中でも格段に能力の高い現人神でしたから」
早苗は苦笑するように微笑み、強張った体をほぐすように伸びをする。
ぱきぱき、と骨の鳴る音がした。
「……お前には神様がいるじゃないか」
八坂神奈子。洩矢諏訪子。
あの二人が早苗を溺愛しているのは周知の事実だ。
その愛情は天を割り地を裂くと皆から評されるほどに激しく深いものだと聞いたことがある。
比喩表現ではなく、実際にしそうだなというのが魔理沙の印象だった。
しかし、早苗は静かに頭を振った。
「あの方々はもちろん家族ですけど、それ以上に崇拝対象です。不満ではないけど、何か物足りないというか」
「贅沢だな。霊夢は天涯孤独だぞ。私と知り合う前からな」
「ええ、贅沢です。知っています。理解してます。でも私は……対等な存在が欲しい」
早苗はそれっきり口をつぐみ、歩行に専念する。
魔理沙も魔理沙で特に反論や持論を展開するわけもなく、箒から受け取った風呂敷を担いで早苗に続いた。
しばし風と森のざわめきに耳を傾けながら早苗の言葉を反芻する。
――対等な存在が欲しい。
対等、とはどういった存在を指すのだろうか。
何の気兼ねもなく意見を言い合える相手か? ……早苗はしっかり自己主張をするタイプの人間だし、自分たちの間にそのような遠慮があったとは思えない。
ならば、立場的に対等な相手か? ……現人神、風祝という観点では無理だろう。それは彼女のオンリーワンだからだ。巫女という意味なら霊夢がおり、霧雨魔理沙に求めなくてもいいはずだ。
では、実力が対等な相手か? ……幻想郷には想像を絶する化け物がいるが、自分に近い実力の人物がいないということか。いや、特別彼女が一人劣ってるわけでもない。これはないか。
考えても考えても納得のいく答えは出なかった。
(それとも、単に姉妹が欲しかっただけなのかね?)
魔理沙は首を傾げる。
――やがて視線の先にほのかに明るい地面が見えてきた。
その周りにはいくつもの小さな影が動き回っており、明らかに生物的な動作をしている。
おそらく宴会から抜け出した妖怪たちが遊んでいるのだろう。
(ふう。ようやく到着か)
そう考えたとき。
突如、何もかもが見えなくなった。
「っ!?」
慌てて瞬きを何度か行うが、状況は好転しない。
試しに自分の手を目の前に掲げてみる。しかし、確かにあるはずの手は影も形も視認できなかった。
鳥目か? いや、これは――。
その瞬間、いきなり強風が舞い上がった。
二つの目蓋が意思に反して固く閉ざされる。眼の中に異物……たぶん砂粒でも入ったのだ。
じわりと鈍痛が起こり、完全に視界を失ったことを悟る。
反射的に体が丸まり、顔面を庇うように両の腕を眼前で交差させてしまった。
こんな状態の人間は妖怪にとって明らかに格好の餌だろう。
(……さ、早苗は!?)
前にいるはずの彼女の状態は、目が閉じられている今、無事か否かも判別することは出来ない。
心が恐慌状態に陥る。体が硬直するほどの恐怖が湧き上がった。
「早苗!」
咄嗟に声を上げた。
――しかし。
「魔理沙さん、もう大丈夫ですよ」
「へ?」
すぐに返事が来た。
しかも実に落ち着いた、むしろパニックになった魔理沙を気遣うかのような声色で。
目を擦りながら開けると、黒々とした地面の上に黒ずくめの少女が目を回して倒れていた。
黄色の髪。そこに結ばれた特徴的なリボン。宵闇の妖怪、ルーミアだ。
さらに視線を上げると、そこには悠々と佇む早苗の姿があった。
その表情は柔らかで、まるで失敗した妹を慰めるようで――。
「魔理沙さん」
「な、なんだ?」
「そこの妖怪さんが仕掛けたみたいですけど、退治しますか?」
「あ、あー……別に構わんさ。いつもみたいに不意打ちで抱きつこうとしたんだろ」
今回は考え事をしていて避けられなかったが。
そう付け加える前に、早苗は愉快そうに御幣を玩びながら近づいてきた。
どうしたのだろうか、と疑問に思っていると。
「よしよし、怖くないですよ~」
早苗が頭を撫でてきた。
「なっ」
「ふふふ、うふふふふふ」
「撫でるな触るなにやにやするなー!」
魔理沙は真っ赤な顔で早苗の手を撥ね除ける。
けれど早苗は変わらず笑顔を振りまきながら、さっと身を翻した。
その体がふわりと浮かぶ。博麗神社の大階段を上るのは辛いらしい。
魔理沙も箒に腰掛け、並行するように博麗神社へと向かう。
宴会の喧騒が段々強まってきた。
あの輪に加われば否応なく酒を飲まされ、連中の仲間入りだろう。
だからその前に、一つだけ伝えておく。
「早苗」
「はい?」
「私はお前を、対等な友達だと思ってるぜ」
そう言うと、早苗は数秒驚いたようにこちらを凝視し――風も羨むような微笑みを浮かべた。
「魔理沙さん……もう、可愛い~!」
「ぶはっ!? おい抱きつくな、苦しいから!」
「ああもうああもうああもう! どうして魔理沙さんったらこんなに可愛いんですか~?」
「知らんがな! ええい離せ!」
必死の思いで早苗を引き剥がす。
……苦しかった。何てでかいものをぶら下げてんだこいつ。
「魔理沙さん。大事なお話があります」
早苗は先ほどとは一転して真面目な顔つきになった。
だがこれまでの発言を省みると、シリアスな方向に行くとは到底思えない。
そしてそれは予想通りだった。
「私の妹になってください。毎日我が家で愛でさせてほしいです」
「……もう突っ込まないぜ。今日だけで一生分疲れたからな」
「大袈裟ですねぇ。霧雨と東風谷、大した差はないのに」
「ありまくりだ」
そんなことを言い合っていると。
「魔理沙ー、早苗ー! 待ちくたびれたわよー!」
霊夢の怒声が聞こえてきた。
眼下を見ると、霊夢が空瓶を振り回しながら叫んでいるではないか。
欲望に忠実な巫女だ、と苦笑すると、早苗も同じように口角を吊り上げながら霊夢を見下ろしていた。
早苗は魔理沙の手を握って降下する。魔理沙も特に逆らわなかった。
その途中で。
「魔理沙さん」
「なんだ、早苗」
「魔理沙って呼んでもいいですか?」
新しい始まりの風が吹き抜けた。
「今年もよろしくな、早苗」
「はい、今年もよろしくおねがいします! 魔理沙!」
夜でも映える、眩い笑顔だった。
◆
博麗霊夢は内心呆気に取られていた。
酒の調達から帰ってきた魔理沙と早苗の態度が、あからさまに変化していたからだ。
魔理沙から受け取った酒瓶片手に二人の様子を観察していると。
「魔理沙、はいあーん」
「……うまいなこれ。誰が作ったんだ?」
「私です。あとでレシピを渡しましょうか?」
「お、頼む。これは是非とも家で作りたいぜ」
早苗はごく自然に魔理沙を呼び捨てており、
「ふわぁ……」
「お疲れのようですけど、大丈夫ですか?」
「ちょっときつい。少し隣で寝てくるわ」
「なら、私の膝をお貸ししますよ。どうですか?」
「……早苗はいいのか?」
「もちろん! 魔理沙さえ良ければいくらでも」
「じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ……」
「ふふ、どうぞっ」
魔理沙は早苗への態度を軟化させて、妙に甘えん坊になっていた。
これは間違いなく何かあったなと確信する。博麗の巫女の勘が。
まあ、だからどうというわけでもないが。
「別に酒に変わるわけでもないしね~」
霊夢は溜め息をついて猪口に酒を注ぐ……が、もうすでになくなっていた。
魔理沙たちの帰りを待っている最中に抜けたアルコール分を補充したのだが、すでに一升くらいは軽く消えていたらしい。
これでは不完全燃焼のまま宴会が終了してしまう。
そう思って代わりの酒を探す。その途中で、黒い羽を広げて座り込む鴉天狗の姿が目に入った。
(そうね、あいつから分捕ろう)
一計を思いついた霊夢は泥酔状態の天狗に近寄り、その肩を掴む。
天狗――射命丸文は、不思議そうに霊夢の顔を見返した。
「あやややや。どうしました、霊夢さん?」
「実は良いネタがあるの。それと引き換えにあんたの秘蔵酒を寄越しなさい」
「……へえ、貴女から言い出す程の情報ですか。分かりました、買いましょう」
「取引成立ね。実は――」
翌日、文々。新聞の号外が飛び回った。
それを読んだ普通の魔法使いは、新年早々色鮮やかな弾幕で群青色の空を彩ったのだった。
そして今日サナマリも好きになりました
だが爺さん、てめーは(ry
爆笑させてもらいました。
素晴らしい。サナマリ最高!
歳食った俺がいるじゃないか
流行るべきものは沢山あるよね
いいサナマリごちそうさまでしたー!
あ、俺も男の娘と巫女様の結婚式が見た(ry
だがこれもまたよいものだ。
姉妹の様な、親友の様な、恋人の様な。
そんな二人の関係がとてもしっくり来ました
サナマリごちそうさまでした。
帰り道のシーンですでに100点を入れる用意があった。
どこからどうみてもいい姉妹です。
しかし、魔理沙にルーミアが「いつもみたいに」抱きつこうとしたってのが気になってしょうがないんですがねぇ……?
冗談はさておき、二人の関係は百合というより姉妹ですね。ほっこりしました。
後、普段のルーミアの行動についてkwsk
文句なしの100点です