注意!
今回、出てくるキャラクターの性格が悪いです。
「くあぁっ……は、ふぁ、ふぅ…」
眠気を堪え欠伸をしていると、ごーん、ごーんと除夜の鐘が鳴る。
年明けが近いのだが、今も雪は降り続いている。初日の出は拝めないであろう。
ごーん、ごーん。音が響き続ける。
此処幻想郷に鳴り響く鐘は、妖怪の山中腹に存在する誰が作ったのか解らぬモノ一つしかない。
その上ソレを打ち鳴らすのは徳を積んだ坊主ではなくそれどころか人ですらない。
山に住む魑魅魍魎共――主だって鳴らすのは天狗だ――である。
煩悩や苦を取り除く筈の鐘は、此処では欲や邪念に満ち溢れた者共が叩いているのだ。
効果の方もたかが知れている。
それに今の私にとっては所詮騒音の一つに過ぎず、苛々を募らせるだけのモノとなっている。
何故年明け間近に、このような雪化粧の丘に来なくてはならないのか。
いや、理由は簡単な事で、主に呼ばれたからに過ぎない。問題はそこではなく、
『何故アイツが此方を訊ねて来ないのか』、それに尽きる。
確かに私は式神だ。使役され、使命を果たすのが本懐なのであろう。
しかし、そもそも私は主を主とは認めていない。いうなれば、私が式神に“なってやっている”のだ。
であればこそ、あちらから訊ねてくるのが道理ではないのか。
ああ、忌々しい。いつかあの喉笛、噛み千切ってくれよう。
かねてからの不満の全てを追想していると、
「阿呆が」
背後から一言のみ掛けられた。
振り向けば其処に立つ異形の姿が眼に入る。
何といっても眼を引くのは背に携える九つの尾だろう。金色に輝き、自らの力の程を強調しているかのようだ。自信満々と言った様子が実に腹立たしい。
ソレは尾と同じ色の髪を僅かに揺らしながら此方を見遣り、続ける。
「また貴様は修行を怠ったな。全く出来の悪い式だ。貴様なぞを式としたのは失策であったか」
顔を合わせるたびに言う言葉を、飽きもせず吐き出していた。
彼女こそ我が主にして、私にとって最も忌むべき相手、八雲藍だ。
「えぇえぇ、失策で御座いましょうさ。何と言ってもアンタの式だ。アンタの力に影響を受けるのだから出来が悪いのも当然だろう?」
姓を持たぬ故、橙とだけ呼ばれるあたしは、初めて会ったときからこの女狐が嫌いだった。
どれだけ頭の周りが良いのかは知らないが、その高慢な態度が、下品に輝く金色が、落ち着き払った態度が気に入らなかった。
全く、何故こんな奴の式神にまで成り下がってしまったのか。
せめてもの反抗として気を害する様な言葉を吐くのだが、そんな様子を欠片も見せない辺りもムカつく。
「ふん。もう少し罵声と言うモノを学んで来い。自ら力無き事を吹聴する様な真似は莫迦のする事だ。つまり貴様は莫迦にしたつもりで私に“莫迦です”と教えているだけに過ぎん」
相も変わらず冷静な対応。それがあたしの怒りを増幅させる事も無論知っているのだろう。
其処まで解っていながらあたしは怒りを抑えられない。確かに愚かではあるが、コイツに言われるとこの上なく腹立たしい。
「く、くくっ!……は、ぁ……ふん、まぁいいさ。これ以上アンタと話をするだけ無駄なんだからな。ほらぁ、さっさと命令おしよご主人様!もたもたしないでさぁ!」
怒鳴る。怒鳴る。怒鳴る。
あたしはいつもそうだ。言葉で勝てなくなれば怒鳴りつける。
せめて言の上では負けたくは無いと大声を上げるのだ。それがより自分を惨めにしている事も知っているのに。
「実に元気そうで結構結構。少々ドン・キホーテの様にも見えるのが哀しい所だがな。……おっと、もたついていたらまた吠え立てられるのかな?それはそれで愉快なのだが、これでは話も進まぬ。貴様の思い通りに命を下すとしようか」
ニヤニヤと笑いを浮かべながらあたしをからかう。コイツはあたしを嘲ってやがる。
ああその顔だ。口が裂けるのか、と言うほどに嗤うその顔だ。
例えどれだけがなろうとコイツは動じないどころか、より私を虚仮にする。
ああ、憎らしや、忌々しや。いつか必ず、血反吐をブチ撒かせてやる、絶対に!
「さて、今回の命だが、実に容易だ。それこそ欠伸が出る程にな」
「ああそうかい。だったら早く御言いよ」
ああ、腹立たしい。あたしのこんな態度もコイツにとっては愉快な事柄に過ぎないのだろう。
思い通りに動かされている自分に腹を立てていると、目の前の女狐は腹を抱えて笑いだした。
「はは!そんなに鈍いのが嫌いか?僅かの余裕も持てぬほどに?はははは!我が式神ながら実に滑稽だ。ははははは!ならば望む様に簡潔に言ってやろう。ははは!」
笑いを止めても、その顔から厭な笑いは取れなかった。
「妖怪レティ・ホワイトロック。彼奴に此度の冬は動くなと伝えろ。場合によっては殺してもかまわない。なに、どうせ次の年には蘇っている」
理由の説明などなかった。ああ、解っていたさ、どうせ何の意があっての命令なのか教えるつもりも無いなんて事は。
私は雪原をひた走る。さっさと命令をこなして帰るのだ。長引けば長引く程、アイツにいびられる材料が増えてしまう。
ああ、こんなに美しい月の光る夜に、素晴らしい雪の降る夜に、何故私は怒りと憎悪で身を焦がしているのだろう。
中々見つからない標的に苛立つ。しかし落ち着かねば、見える物も見えなくなってしまう。
あたしは深呼吸し、落ち着きを取り戻しながら考え始めた。
このまま捜索していても埒が明かない。どの様にすれば“埒”を開けられるだろうか。
式神の力を行使するか?
否。それは突き詰めればあの女狐の力だ。あたしに貸し与えられた力を使って命令を遂行した所で、それはあたしの力ではなくあの女の力だ。
それではあたしのコトをアイツに認めさせる事も出来ない。それどころか、結局自分の力を使ったのか、と嘲られるだろう。
そうだ。あたしにとって命令は『あたしの力で』『迅速に』解決しなければならないものなのだ。
そうすることで要約あの女にあたしを認めさせられるのだから。
そう考えて一つの妙案が思いつき、口が三日月を描く。
そうだ。あたしの力で解決すればいいのだ。あたしの、『化け猫の力』で。
幼子が裸足で雪原を駆けていく。
顔は引き攣り、恐怖に歪んでいく。
足も顔も痛々しく赤い。一体どれ程の間雪の中を駆けているのだろう。
もはや前も見えぬ程に降り続く氷雪が体力を奪っていく。
そして、何も見えないのにハッキリと解る。
アレが背後からにじり寄ってきている事も。
「うふふふふ。可愛い可愛いお嬢さん。
駆けて回って疲れたでしょう。冷たく寒くて辛いでしょう。
少し歩みを止めなさいな。少し腰を下ろしなさいな。
私が頭を撫でてあげる。私が抱きしめてあげる。
貴方が休めるように。貴方が眠れるように。
それはとても心地良いわ。それはとても喜ばしいわ」
背後から声が響く。それは決して駆けてはこない。
けれど決して離れない。背後にあり続け、言葉を投げかけ続ける。
その声はとても甘美な響きで、従ってしまいたくなる。
けれど里の者は皆知っている。白い闇から聞こえる声に耳を傾けてはならないと。
誘われるがままに消えた人は、まるで彫像のように固まってしまうのだと。
二度と、動き出す事は無いのだと
幼子は転げてしまう。
力尽きたか蹴躓いたか、どの道もはや立ち上がれない。
振り向けばすぐ其処にソレは居た。もう、逃げる事は敵わない。
「大丈夫よ。怖くないわ。痛くないわ。心配事など何もない。貴方は瞼を閉じるだけでいいの。それで全てから解放されるわ」
優しげな笑みを浮かべながら近づく雪女。
ああ、幼子の命は今此処で終わるのだ。
しかし――
「捕まえたぁ!」
レティは驚愕に目を見開いた。
今自分が追い詰めた筈の獲物が笑んでいる。そんなことは今まで一度たりとも無かったのに。
彼女がその身を固くしている内に、目の前の幼子が形を変えていく。
小さな体躯は少し大きく。
くりくりとした眼は厭らしい獣のそれに。
そして頭に一対の毛に覆われた耳。
ソレは正しく獣の妖で。
レティ・ホワイトロックは酷く不快な気持になった。
「アンタは実に運の無い妖怪だね、レティ」
私は高揚したまま語り出す。
「アンタを探していたよ。理由を知りたいかい?」
「…………」
黙り込むレティ。なんだ、私の力に怯えているのだろうか?何せ私は『あの』九尾の式なのだ。気持ちは解らんでも無い。
「ほらぁ、何とかお言いよ」
「貴方は」
私の話終わりと同時に喋り出す。
「確か、八雲の式の、そのまた式だったわね。貴方が私に何の用かしら」
表情からは何も窺えないが、どうせ心は竦んでいるに違いない。
私は今思えば増長していた。高々相手を見つけ出しただけに過ぎないのに。相手の力量を図る事すらしない程に。
「教えてやろう。八雲藍直々の命である。今冬の活動を止めよ。聞けぬというのなら、我が牙と爪にて動けなくしてやる」
さぁ、どう出る?たかが一妖怪、妖怪の賢者相手に大口は叩けまい。
思った通り、口も開かずだんまりとしている。
そこであたしは、化けて逃げている間に思いついた計画を実行することとした。
「……とはいえ。いきなりそんな事を言われても了解できないだろう?何せお前の唯一の季節だ。これを逃せば長く待たねばならん。とてもじゃないが応とは言えまい?」
レティの周囲を歩き回りながら続ける。
「ならば一つ、あたしから提示できる案がある」
表情を変えぬままにレティがあたしを見据えて言う。
「…何かしら」
「ふふ、簡単だ。私と手を組め!お前にこの命を飛ばした八雲藍。アイツを仕留めてしまえばいい!何、実際的には私が戦う。少し力を貸してくれればいい。どうだ?」
あたしの力なら八雲藍打倒が可能だ、と、本気で思っていたのだ。
そうしてようやく彼女の表情が変った。
微笑みを湛え、笑いをこぼしながら喋る。
「ふふふ。…成程、確かにその通り。それで問題無く収まるわ」
「だろう?さぁどうするレティ。手を組むか否か。答えておくれ」
私は疑っていなかった。コイツは私に従うだろうと。
そして――
「ええ。手を組みましょう、橙」
「と、言うと思ったのでしょう?」
その言葉にレティの顔に目を向ける。
其処にあった表情は、今まで見た中で最も、恐ろしかった。
藍が私に向ける嘲笑よりも、紫が私に向ける軽蔑よりも。
其処にある変わらぬ笑み。冷たく、氷の様な笑みこそが恐ろしかった。
「貴方が藍と戦う?勝てるつもりでいるの?冗談。貴方程度なら片手であしらわれるでしょうよ」
「それに先程からの言葉遣い。目上の者に対して、成っていないのではなくて?同列だとでも思っているの?」
「貴方の主ならまだしも、高々二股の獣風情が良くも吠えたものね。身の程を弁えなさい」
「な、な…!」
次々に放たれる言葉に怒りがこみ上げる。
コイツは何を言っているのだ。私に、私に向かって!
「貴方は羽虫に虚仮にされた事がある?今、私はそんな気分よ。ああ、実に腹立たしいわ」
表情一つ変えずにのたまい続ける相手に、ついに私は堪えられなかった。
「よくも、よくもぉ!殺す!殺してくれる!」
「まだ身の程を解っていないようね。貴方程度では相手にならないしつまらないわ。
……けれど、そうね。人に比べて味も落ちるし、物足りないけど。食料は多いほうが良いわね」
「おのれぇぇぇぇええぇぇぇえぇ!!!」
「ふふふ。余り貶してばかりだと可哀相だから褒めてあげる。貴方の変化、中々素晴らしかったわ。全く正体に勘づけなかったもの……妖力が無さすぎて、ね」
もはや私の言葉は言葉になっていなかった。
爪も牙むき出し、一直線に目の前の女の喉笛を目指していた。
この爪を、この牙を、あの女の喉に突き立ててやる!あの笑いを止めてやる!
しかし、レティの三尺ほど手前。レティの背後から噴き出した雪風に吹き飛ばされ、あたしは無様に転げていた。
「あなたね。私が冬の妖怪だって忘れていたりする?」
呆れた口調で言う。
顔を上げれば、そこには既に異界が広がっていた。
雪が。
上から、下から。前後左右、ありとあらゆる方向から吹き付ける。
「貴方は私を虚仮にしてくれたから、その御礼をしてあげるわ。“貴方には指一本触れずに殺してあげる”」
この上まだあたしを侮辱するのか!
必ず殺してやる。そう決心し、再度突進した。
「吠え面かかせてやる!」
怒りに身を任せている様に見えて、あたしは冷静だった。
もう突進を仕掛ける一方、術の印を刻みだす。
ソレは分身、そして存在の希薄化の術。
レティまでおよそ六尺まで近づいたとき、その術を発動した。
分身をそのまま直進させ、あたしはそれよりも速く奔り、レティの背後を取る!
コイツは気付いていない!爪を限界まで伸ばし、全力で袈裟斬りに――!
「本当に莫迦ね。相手の力量を、能力を見ようともしないなんて」
またもあたしは吹き飛ばされた。式も同様だ。
そして理解した。アイツの周りには吹雪が渦巻いて、アイツを守っている!
ソレを如何にかしないとアイツに触れる事も出来ない。
「くぅ、お前だって、吹き飛ばす以外何も出来ない癖に。大きな口を叩くなぁっ!」
そう。実質的な攻撃は受けていない。
むしろ、能力を使い続けているだけアイツの方が早く妖力が底を突く筈。
あたしはこのまま突撃を続け、それが成功するも良し、アイツがばててしまうも良し。
どの道あたしの勝利は揺るがない――!
その時だった。
あたしの意思に反して、発動していた式が、
消えた。
「な!」
「ふふふ。貴方の言う通り、一撃で命を奪う様な力は持っていないわ。ただ――」
おかしい。そう言えば足に力が入らなくなっている!?瞼も重くなって、……まさか!
「ただ、“冬”を強めるだけ。それだけの力しかないわ。けれどそれで充分。貴方は気付いていなかったようだけど、此処はもう死の世界。人間なら一秒も生きていられないわ。そして、弱小妖怪なら、そうね」
あたしを、見下すなぁ……!!
「丁度貴方位かしら?ふふ、ふふふ、あはははははははは!!」
高笑いが響く。
悔しい。憎い。
その顔を引き裂いてやりたい。
けれども体はビクともしない。
ああ、あたしはこのまま死に果ててしまうのか…。
意識が薄れ、消え去ってしまう――。
「そこまでだ。レティ・ホワイトロック」
あたしが見たのは白の中に映えるその色。
アレは、あの下品な、厭らしい、金色は……。
「ふん。予想通りだな。大方相手の力を見誤ってその様になったのだろう?全く、度し難い莫迦だなぁ、ははは!」
ニタニタと笑いながら足元の橙を見下す。
それはさながら面白いものを見るようで、下らない物を虚仮にするようでもあった。
既に橙は口を開く事も出来ず、ただ下から藍を睨めつける事しか出来なかった。
「あらあら。どうしたの、九尾の。貴方がわざわざ出向くなんて。そんな雑魚でも大切なのかしら?」
「まさか。この程度なら幾らでも替えは居るさ。ただね、此処まで無様なのはコイツ位だ。より近くで死に様を見てやろうと思ってきたら妙に寒い。もう此処は死の世界に成っているじゃないか。このままじゃあ少々辛いのでね。止めてもらおうと思っただけさ」
「ふふ。そうなの。……お優しいのねぇ?けれど残念ね」
その顔の笑みが、凄絶なまでに歪む。
「私、四足のケダモノに耳を貸すほど優しくないのよ」
「止めぬなら止めさせるまで、さ」
轟々と吹き荒ぶ吹雪は止まる様子も無かった。
先に口を開いたのは藍だった。
「それにしても流石だな、レティ。その冷酷さ。その残酷さ。正しく、正しく“冬そのもの”だなぁ?」
その言葉に反応して、初めてレティの表情が崩れた。
「……どう言う、意味かしら?」
「ははは。隠し立てする必要も無い。レティ、お前の力は『冬の力の増幅』等では無い」
二人とも笑っている。けれどそこに含まれる意味は違っている。
藍は余裕を、レティは嘲りを。
そして今、レティの笑みには別の意味も混じり出していた。
「お前は冬に活動するのではない。だろう?“お前が活動するから冬になるのだ、幻想郷は”!」
レティの笑みに交じり出したモノ、ソレは賞賛であった。
「ふふ、素晴らしい。素晴らしいわ!そんなことまで看破しているなんて。だてでは無いわね、その九尾も」
「お前が居なくとも冬は来る。しかしてそれは厳しさの無い冬だ。幻想郷の冬が恐怖を持って迎えられるのは貴様のせいだ。お前と言う存在が産み出す冬のな。そしてお前がこの季節以外動かない理由。ソレは“冬でなければ勝てると勘違いして寄って来る輩を、喰らうためだ”。違うか?レティ・ホワイトロック」
「その通りよ。――先程の言葉の謝罪をさせてもらうわ。御免なさい。そこまで知られているなんてね。その考察と推察に敬意を表するわ。
そして、莫迦ね。そこまで解っていて私に喧嘩を売るの?」
「――お前こそ、解っているんだろうレティ。此処まで私が喋る理由も」
「……まぁね。私は莫迦では無いもの。つまりこうでしょう?“お前の力の強力さも、弱点も解っているぞ”ってね」
二人は笑う。先ほどとは違い、どちらも愉快そうに。
「ははは。そう言う事だ。とはいえお前は一筋縄ではいかないからな。出来れば此処は手を引いてくれると有難い。今後は好きにしてくれて構わんがね」
間が空く。どちらも目線を逸らさない。
何分経っただろうか。レティが口を開いた。
「わかったわ。そんな味も悪そうな妖怪のために命を張るなんて馬鹿げてるものね。いいわ、ここは私が引きましょう」
くるりと向きを変え歩き出すレティ。
振り向いて僅かに意識の残る橙に、嘲りの笑みを浮かべて言う。
「じゃあね、三下。次は必ず殺すから気をつけなさい。あははは!」
そうして白い闇へと消えて行った。
あたしの意識がはっきりとしたのは、勢いの衰えた雪の中だった。
倒れたあたしに藍が力を分け与えたようだ。
あたしがパッチリと眼を開いて始めに見えたのは、厭らしい笑み。
聞こえたのはケタケタと喧しい狂笑。
「嗚呼可笑しい。実に愉快だぞ、橙!お前は私の、九尾の式だと言うのに、これ程までに無様な姿を晒すとはな!どこまで笑わせれば気が済むのか!」
ケタケタケタ。響き渡るがソレを聞くのはあたしだけだ。
だからこそ、あたしには耐えられない。
ようやく力の満ちて来た体を奮い立たせ立ち上がる。
「良くも…!良くも言えたものだなぁ、貴様!容易だと言ったのはお前じゃあないか!話が違うぞ!」
「ふ、ふふ、ふふふふふ!あぁはっはははははははは!莫迦、莫迦、莫ぁ迦だなぁ!常日頃貴様の言う様に、貴様に力があればその筈だったのだがな!力のあるどころか、一撃も与えられずに倒れ伏しているのだから、お笑い草だ、はははははは!」
もうわかってしまった。あたしはコイツに敵わない。
レティの時と同じか、それよりも酷いザマを晒す羽目になってしまうだろう。
あたしは悔しくて、腹立たしくて、けれどその怒りのやり場も無くて、駆けだしていた。
全てに背を向け、この墳怒を何かにぶつける為に。
知らず知らず涙が溢れる。
口から怨嗟の言葉が噴き出す。
「ああ、ああ!憎らしや、怨めしや、八雲藍!この怒りをどうしてくれよう!
我が生を賭けて、貴様にこの爪この牙を叩きつけてくれる!
我が全てで貴様を八つ裂きにしてやる!殺してやるぞぉぉっ!!!」
あたしの声は闇夜に響き渡り、誰にも届く事無く消えていった。
駆けて行く橙を見送って笑いを止める。
これでいい。これでアレは私をより憎むだろう。
それでいいのだ。それが素晴らしいのだ。
式神と言うモノはより強い感情に呼応して強力に成る。
そう。此度の命令は全てそのためだ。始めからレティに打ちのめして貰うつもりだった。
ズタボロになったアレを見下ろし、莫迦にし、虚仮にし続ける。
私を強く憎むだろう。
橙よ、強く強く、私を憎むがいい。全ては私の目的のために。
八雲紫を殺すために。
あの女も、私を強くするために、憎しみを植え付けていたのだろう。
私の里を焼き払い、弟を妹を、目の前で惨殺したのだろう。
私は忘れていない。あの堪え難い怒り、憎しみ、そして屈辱を。
血涙を流した日々の事を。
強くなった橙を使って、何時の日か八雲紫を同じ様に苦しめ、殺してやる。
数百年前からの決意を確かめる。
――ああ、憎らしや、怨めしや、八雲紫。
我が生を賭けて、貴様を我が憎しみの炎で焼き尽くしてくれよう。
我が全てで貴様を下らぬ塵芥に変えてやろう。
必ず殺してやる……。
そうして冷笑を浮かべ、炎に身を焼かせ、その場から消え失せた。
この夜の事を知る者は居ない。
証拠は雪に刻まれた後のみ。
それも降り続く雪に消え、何も残る事は無く白に消えた。
今回、出てくるキャラクターの性格が悪いです。
「くあぁっ……は、ふぁ、ふぅ…」
眠気を堪え欠伸をしていると、ごーん、ごーんと除夜の鐘が鳴る。
年明けが近いのだが、今も雪は降り続いている。初日の出は拝めないであろう。
ごーん、ごーん。音が響き続ける。
此処幻想郷に鳴り響く鐘は、妖怪の山中腹に存在する誰が作ったのか解らぬモノ一つしかない。
その上ソレを打ち鳴らすのは徳を積んだ坊主ではなくそれどころか人ですらない。
山に住む魑魅魍魎共――主だって鳴らすのは天狗だ――である。
煩悩や苦を取り除く筈の鐘は、此処では欲や邪念に満ち溢れた者共が叩いているのだ。
効果の方もたかが知れている。
それに今の私にとっては所詮騒音の一つに過ぎず、苛々を募らせるだけのモノとなっている。
何故年明け間近に、このような雪化粧の丘に来なくてはならないのか。
いや、理由は簡単な事で、主に呼ばれたからに過ぎない。問題はそこではなく、
『何故アイツが此方を訊ねて来ないのか』、それに尽きる。
確かに私は式神だ。使役され、使命を果たすのが本懐なのであろう。
しかし、そもそも私は主を主とは認めていない。いうなれば、私が式神に“なってやっている”のだ。
であればこそ、あちらから訊ねてくるのが道理ではないのか。
ああ、忌々しい。いつかあの喉笛、噛み千切ってくれよう。
かねてからの不満の全てを追想していると、
「阿呆が」
背後から一言のみ掛けられた。
振り向けば其処に立つ異形の姿が眼に入る。
何といっても眼を引くのは背に携える九つの尾だろう。金色に輝き、自らの力の程を強調しているかのようだ。自信満々と言った様子が実に腹立たしい。
ソレは尾と同じ色の髪を僅かに揺らしながら此方を見遣り、続ける。
「また貴様は修行を怠ったな。全く出来の悪い式だ。貴様なぞを式としたのは失策であったか」
顔を合わせるたびに言う言葉を、飽きもせず吐き出していた。
彼女こそ我が主にして、私にとって最も忌むべき相手、八雲藍だ。
「えぇえぇ、失策で御座いましょうさ。何と言ってもアンタの式だ。アンタの力に影響を受けるのだから出来が悪いのも当然だろう?」
姓を持たぬ故、橙とだけ呼ばれるあたしは、初めて会ったときからこの女狐が嫌いだった。
どれだけ頭の周りが良いのかは知らないが、その高慢な態度が、下品に輝く金色が、落ち着き払った態度が気に入らなかった。
全く、何故こんな奴の式神にまで成り下がってしまったのか。
せめてもの反抗として気を害する様な言葉を吐くのだが、そんな様子を欠片も見せない辺りもムカつく。
「ふん。もう少し罵声と言うモノを学んで来い。自ら力無き事を吹聴する様な真似は莫迦のする事だ。つまり貴様は莫迦にしたつもりで私に“莫迦です”と教えているだけに過ぎん」
相も変わらず冷静な対応。それがあたしの怒りを増幅させる事も無論知っているのだろう。
其処まで解っていながらあたしは怒りを抑えられない。確かに愚かではあるが、コイツに言われるとこの上なく腹立たしい。
「く、くくっ!……は、ぁ……ふん、まぁいいさ。これ以上アンタと話をするだけ無駄なんだからな。ほらぁ、さっさと命令おしよご主人様!もたもたしないでさぁ!」
怒鳴る。怒鳴る。怒鳴る。
あたしはいつもそうだ。言葉で勝てなくなれば怒鳴りつける。
せめて言の上では負けたくは無いと大声を上げるのだ。それがより自分を惨めにしている事も知っているのに。
「実に元気そうで結構結構。少々ドン・キホーテの様にも見えるのが哀しい所だがな。……おっと、もたついていたらまた吠え立てられるのかな?それはそれで愉快なのだが、これでは話も進まぬ。貴様の思い通りに命を下すとしようか」
ニヤニヤと笑いを浮かべながらあたしをからかう。コイツはあたしを嘲ってやがる。
ああその顔だ。口が裂けるのか、と言うほどに嗤うその顔だ。
例えどれだけがなろうとコイツは動じないどころか、より私を虚仮にする。
ああ、憎らしや、忌々しや。いつか必ず、血反吐をブチ撒かせてやる、絶対に!
「さて、今回の命だが、実に容易だ。それこそ欠伸が出る程にな」
「ああそうかい。だったら早く御言いよ」
ああ、腹立たしい。あたしのこんな態度もコイツにとっては愉快な事柄に過ぎないのだろう。
思い通りに動かされている自分に腹を立てていると、目の前の女狐は腹を抱えて笑いだした。
「はは!そんなに鈍いのが嫌いか?僅かの余裕も持てぬほどに?はははは!我が式神ながら実に滑稽だ。ははははは!ならば望む様に簡潔に言ってやろう。ははは!」
笑いを止めても、その顔から厭な笑いは取れなかった。
「妖怪レティ・ホワイトロック。彼奴に此度の冬は動くなと伝えろ。場合によっては殺してもかまわない。なに、どうせ次の年には蘇っている」
理由の説明などなかった。ああ、解っていたさ、どうせ何の意があっての命令なのか教えるつもりも無いなんて事は。
私は雪原をひた走る。さっさと命令をこなして帰るのだ。長引けば長引く程、アイツにいびられる材料が増えてしまう。
ああ、こんなに美しい月の光る夜に、素晴らしい雪の降る夜に、何故私は怒りと憎悪で身を焦がしているのだろう。
中々見つからない標的に苛立つ。しかし落ち着かねば、見える物も見えなくなってしまう。
あたしは深呼吸し、落ち着きを取り戻しながら考え始めた。
このまま捜索していても埒が明かない。どの様にすれば“埒”を開けられるだろうか。
式神の力を行使するか?
否。それは突き詰めればあの女狐の力だ。あたしに貸し与えられた力を使って命令を遂行した所で、それはあたしの力ではなくあの女の力だ。
それではあたしのコトをアイツに認めさせる事も出来ない。それどころか、結局自分の力を使ったのか、と嘲られるだろう。
そうだ。あたしにとって命令は『あたしの力で』『迅速に』解決しなければならないものなのだ。
そうすることで要約あの女にあたしを認めさせられるのだから。
そう考えて一つの妙案が思いつき、口が三日月を描く。
そうだ。あたしの力で解決すればいいのだ。あたしの、『化け猫の力』で。
幼子が裸足で雪原を駆けていく。
顔は引き攣り、恐怖に歪んでいく。
足も顔も痛々しく赤い。一体どれ程の間雪の中を駆けているのだろう。
もはや前も見えぬ程に降り続く氷雪が体力を奪っていく。
そして、何も見えないのにハッキリと解る。
アレが背後からにじり寄ってきている事も。
「うふふふふ。可愛い可愛いお嬢さん。
駆けて回って疲れたでしょう。冷たく寒くて辛いでしょう。
少し歩みを止めなさいな。少し腰を下ろしなさいな。
私が頭を撫でてあげる。私が抱きしめてあげる。
貴方が休めるように。貴方が眠れるように。
それはとても心地良いわ。それはとても喜ばしいわ」
背後から声が響く。それは決して駆けてはこない。
けれど決して離れない。背後にあり続け、言葉を投げかけ続ける。
その声はとても甘美な響きで、従ってしまいたくなる。
けれど里の者は皆知っている。白い闇から聞こえる声に耳を傾けてはならないと。
誘われるがままに消えた人は、まるで彫像のように固まってしまうのだと。
二度と、動き出す事は無いのだと
幼子は転げてしまう。
力尽きたか蹴躓いたか、どの道もはや立ち上がれない。
振り向けばすぐ其処にソレは居た。もう、逃げる事は敵わない。
「大丈夫よ。怖くないわ。痛くないわ。心配事など何もない。貴方は瞼を閉じるだけでいいの。それで全てから解放されるわ」
優しげな笑みを浮かべながら近づく雪女。
ああ、幼子の命は今此処で終わるのだ。
しかし――
「捕まえたぁ!」
レティは驚愕に目を見開いた。
今自分が追い詰めた筈の獲物が笑んでいる。そんなことは今まで一度たりとも無かったのに。
彼女がその身を固くしている内に、目の前の幼子が形を変えていく。
小さな体躯は少し大きく。
くりくりとした眼は厭らしい獣のそれに。
そして頭に一対の毛に覆われた耳。
ソレは正しく獣の妖で。
レティ・ホワイトロックは酷く不快な気持になった。
「アンタは実に運の無い妖怪だね、レティ」
私は高揚したまま語り出す。
「アンタを探していたよ。理由を知りたいかい?」
「…………」
黙り込むレティ。なんだ、私の力に怯えているのだろうか?何せ私は『あの』九尾の式なのだ。気持ちは解らんでも無い。
「ほらぁ、何とかお言いよ」
「貴方は」
私の話終わりと同時に喋り出す。
「確か、八雲の式の、そのまた式だったわね。貴方が私に何の用かしら」
表情からは何も窺えないが、どうせ心は竦んでいるに違いない。
私は今思えば増長していた。高々相手を見つけ出しただけに過ぎないのに。相手の力量を図る事すらしない程に。
「教えてやろう。八雲藍直々の命である。今冬の活動を止めよ。聞けぬというのなら、我が牙と爪にて動けなくしてやる」
さぁ、どう出る?たかが一妖怪、妖怪の賢者相手に大口は叩けまい。
思った通り、口も開かずだんまりとしている。
そこであたしは、化けて逃げている間に思いついた計画を実行することとした。
「……とはいえ。いきなりそんな事を言われても了解できないだろう?何せお前の唯一の季節だ。これを逃せば長く待たねばならん。とてもじゃないが応とは言えまい?」
レティの周囲を歩き回りながら続ける。
「ならば一つ、あたしから提示できる案がある」
表情を変えぬままにレティがあたしを見据えて言う。
「…何かしら」
「ふふ、簡単だ。私と手を組め!お前にこの命を飛ばした八雲藍。アイツを仕留めてしまえばいい!何、実際的には私が戦う。少し力を貸してくれればいい。どうだ?」
あたしの力なら八雲藍打倒が可能だ、と、本気で思っていたのだ。
そうしてようやく彼女の表情が変った。
微笑みを湛え、笑いをこぼしながら喋る。
「ふふふ。…成程、確かにその通り。それで問題無く収まるわ」
「だろう?さぁどうするレティ。手を組むか否か。答えておくれ」
私は疑っていなかった。コイツは私に従うだろうと。
そして――
「ええ。手を組みましょう、橙」
「と、言うと思ったのでしょう?」
その言葉にレティの顔に目を向ける。
其処にあった表情は、今まで見た中で最も、恐ろしかった。
藍が私に向ける嘲笑よりも、紫が私に向ける軽蔑よりも。
其処にある変わらぬ笑み。冷たく、氷の様な笑みこそが恐ろしかった。
「貴方が藍と戦う?勝てるつもりでいるの?冗談。貴方程度なら片手であしらわれるでしょうよ」
「それに先程からの言葉遣い。目上の者に対して、成っていないのではなくて?同列だとでも思っているの?」
「貴方の主ならまだしも、高々二股の獣風情が良くも吠えたものね。身の程を弁えなさい」
「な、な…!」
次々に放たれる言葉に怒りがこみ上げる。
コイツは何を言っているのだ。私に、私に向かって!
「貴方は羽虫に虚仮にされた事がある?今、私はそんな気分よ。ああ、実に腹立たしいわ」
表情一つ変えずにのたまい続ける相手に、ついに私は堪えられなかった。
「よくも、よくもぉ!殺す!殺してくれる!」
「まだ身の程を解っていないようね。貴方程度では相手にならないしつまらないわ。
……けれど、そうね。人に比べて味も落ちるし、物足りないけど。食料は多いほうが良いわね」
「おのれぇぇぇぇええぇぇぇえぇ!!!」
「ふふふ。余り貶してばかりだと可哀相だから褒めてあげる。貴方の変化、中々素晴らしかったわ。全く正体に勘づけなかったもの……妖力が無さすぎて、ね」
もはや私の言葉は言葉になっていなかった。
爪も牙むき出し、一直線に目の前の女の喉笛を目指していた。
この爪を、この牙を、あの女の喉に突き立ててやる!あの笑いを止めてやる!
しかし、レティの三尺ほど手前。レティの背後から噴き出した雪風に吹き飛ばされ、あたしは無様に転げていた。
「あなたね。私が冬の妖怪だって忘れていたりする?」
呆れた口調で言う。
顔を上げれば、そこには既に異界が広がっていた。
雪が。
上から、下から。前後左右、ありとあらゆる方向から吹き付ける。
「貴方は私を虚仮にしてくれたから、その御礼をしてあげるわ。“貴方には指一本触れずに殺してあげる”」
この上まだあたしを侮辱するのか!
必ず殺してやる。そう決心し、再度突進した。
「吠え面かかせてやる!」
怒りに身を任せている様に見えて、あたしは冷静だった。
もう突進を仕掛ける一方、術の印を刻みだす。
ソレは分身、そして存在の希薄化の術。
レティまでおよそ六尺まで近づいたとき、その術を発動した。
分身をそのまま直進させ、あたしはそれよりも速く奔り、レティの背後を取る!
コイツは気付いていない!爪を限界まで伸ばし、全力で袈裟斬りに――!
「本当に莫迦ね。相手の力量を、能力を見ようともしないなんて」
またもあたしは吹き飛ばされた。式も同様だ。
そして理解した。アイツの周りには吹雪が渦巻いて、アイツを守っている!
ソレを如何にかしないとアイツに触れる事も出来ない。
「くぅ、お前だって、吹き飛ばす以外何も出来ない癖に。大きな口を叩くなぁっ!」
そう。実質的な攻撃は受けていない。
むしろ、能力を使い続けているだけアイツの方が早く妖力が底を突く筈。
あたしはこのまま突撃を続け、それが成功するも良し、アイツがばててしまうも良し。
どの道あたしの勝利は揺るがない――!
その時だった。
あたしの意思に反して、発動していた式が、
消えた。
「な!」
「ふふふ。貴方の言う通り、一撃で命を奪う様な力は持っていないわ。ただ――」
おかしい。そう言えば足に力が入らなくなっている!?瞼も重くなって、……まさか!
「ただ、“冬”を強めるだけ。それだけの力しかないわ。けれどそれで充分。貴方は気付いていなかったようだけど、此処はもう死の世界。人間なら一秒も生きていられないわ。そして、弱小妖怪なら、そうね」
あたしを、見下すなぁ……!!
「丁度貴方位かしら?ふふ、ふふふ、あはははははははは!!」
高笑いが響く。
悔しい。憎い。
その顔を引き裂いてやりたい。
けれども体はビクともしない。
ああ、あたしはこのまま死に果ててしまうのか…。
意識が薄れ、消え去ってしまう――。
「そこまでだ。レティ・ホワイトロック」
あたしが見たのは白の中に映えるその色。
アレは、あの下品な、厭らしい、金色は……。
「ふん。予想通りだな。大方相手の力を見誤ってその様になったのだろう?全く、度し難い莫迦だなぁ、ははは!」
ニタニタと笑いながら足元の橙を見下す。
それはさながら面白いものを見るようで、下らない物を虚仮にするようでもあった。
既に橙は口を開く事も出来ず、ただ下から藍を睨めつける事しか出来なかった。
「あらあら。どうしたの、九尾の。貴方がわざわざ出向くなんて。そんな雑魚でも大切なのかしら?」
「まさか。この程度なら幾らでも替えは居るさ。ただね、此処まで無様なのはコイツ位だ。より近くで死に様を見てやろうと思ってきたら妙に寒い。もう此処は死の世界に成っているじゃないか。このままじゃあ少々辛いのでね。止めてもらおうと思っただけさ」
「ふふ。そうなの。……お優しいのねぇ?けれど残念ね」
その顔の笑みが、凄絶なまでに歪む。
「私、四足のケダモノに耳を貸すほど優しくないのよ」
「止めぬなら止めさせるまで、さ」
轟々と吹き荒ぶ吹雪は止まる様子も無かった。
先に口を開いたのは藍だった。
「それにしても流石だな、レティ。その冷酷さ。その残酷さ。正しく、正しく“冬そのもの”だなぁ?」
その言葉に反応して、初めてレティの表情が崩れた。
「……どう言う、意味かしら?」
「ははは。隠し立てする必要も無い。レティ、お前の力は『冬の力の増幅』等では無い」
二人とも笑っている。けれどそこに含まれる意味は違っている。
藍は余裕を、レティは嘲りを。
そして今、レティの笑みには別の意味も混じり出していた。
「お前は冬に活動するのではない。だろう?“お前が活動するから冬になるのだ、幻想郷は”!」
レティの笑みに交じり出したモノ、ソレは賞賛であった。
「ふふ、素晴らしい。素晴らしいわ!そんなことまで看破しているなんて。だてでは無いわね、その九尾も」
「お前が居なくとも冬は来る。しかしてそれは厳しさの無い冬だ。幻想郷の冬が恐怖を持って迎えられるのは貴様のせいだ。お前と言う存在が産み出す冬のな。そしてお前がこの季節以外動かない理由。ソレは“冬でなければ勝てると勘違いして寄って来る輩を、喰らうためだ”。違うか?レティ・ホワイトロック」
「その通りよ。――先程の言葉の謝罪をさせてもらうわ。御免なさい。そこまで知られているなんてね。その考察と推察に敬意を表するわ。
そして、莫迦ね。そこまで解っていて私に喧嘩を売るの?」
「――お前こそ、解っているんだろうレティ。此処まで私が喋る理由も」
「……まぁね。私は莫迦では無いもの。つまりこうでしょう?“お前の力の強力さも、弱点も解っているぞ”ってね」
二人は笑う。先ほどとは違い、どちらも愉快そうに。
「ははは。そう言う事だ。とはいえお前は一筋縄ではいかないからな。出来れば此処は手を引いてくれると有難い。今後は好きにしてくれて構わんがね」
間が空く。どちらも目線を逸らさない。
何分経っただろうか。レティが口を開いた。
「わかったわ。そんな味も悪そうな妖怪のために命を張るなんて馬鹿げてるものね。いいわ、ここは私が引きましょう」
くるりと向きを変え歩き出すレティ。
振り向いて僅かに意識の残る橙に、嘲りの笑みを浮かべて言う。
「じゃあね、三下。次は必ず殺すから気をつけなさい。あははは!」
そうして白い闇へと消えて行った。
あたしの意識がはっきりとしたのは、勢いの衰えた雪の中だった。
倒れたあたしに藍が力を分け与えたようだ。
あたしがパッチリと眼を開いて始めに見えたのは、厭らしい笑み。
聞こえたのはケタケタと喧しい狂笑。
「嗚呼可笑しい。実に愉快だぞ、橙!お前は私の、九尾の式だと言うのに、これ程までに無様な姿を晒すとはな!どこまで笑わせれば気が済むのか!」
ケタケタケタ。響き渡るがソレを聞くのはあたしだけだ。
だからこそ、あたしには耐えられない。
ようやく力の満ちて来た体を奮い立たせ立ち上がる。
「良くも…!良くも言えたものだなぁ、貴様!容易だと言ったのはお前じゃあないか!話が違うぞ!」
「ふ、ふふ、ふふふふふ!あぁはっはははははははは!莫迦、莫迦、莫ぁ迦だなぁ!常日頃貴様の言う様に、貴様に力があればその筈だったのだがな!力のあるどころか、一撃も与えられずに倒れ伏しているのだから、お笑い草だ、はははははは!」
もうわかってしまった。あたしはコイツに敵わない。
レティの時と同じか、それよりも酷いザマを晒す羽目になってしまうだろう。
あたしは悔しくて、腹立たしくて、けれどその怒りのやり場も無くて、駆けだしていた。
全てに背を向け、この墳怒を何かにぶつける為に。
知らず知らず涙が溢れる。
口から怨嗟の言葉が噴き出す。
「ああ、ああ!憎らしや、怨めしや、八雲藍!この怒りをどうしてくれよう!
我が生を賭けて、貴様にこの爪この牙を叩きつけてくれる!
我が全てで貴様を八つ裂きにしてやる!殺してやるぞぉぉっ!!!」
あたしの声は闇夜に響き渡り、誰にも届く事無く消えていった。
駆けて行く橙を見送って笑いを止める。
これでいい。これでアレは私をより憎むだろう。
それでいいのだ。それが素晴らしいのだ。
式神と言うモノはより強い感情に呼応して強力に成る。
そう。此度の命令は全てそのためだ。始めからレティに打ちのめして貰うつもりだった。
ズタボロになったアレを見下ろし、莫迦にし、虚仮にし続ける。
私を強く憎むだろう。
橙よ、強く強く、私を憎むがいい。全ては私の目的のために。
八雲紫を殺すために。
あの女も、私を強くするために、憎しみを植え付けていたのだろう。
私の里を焼き払い、弟を妹を、目の前で惨殺したのだろう。
私は忘れていない。あの堪え難い怒り、憎しみ、そして屈辱を。
血涙を流した日々の事を。
強くなった橙を使って、何時の日か八雲紫を同じ様に苦しめ、殺してやる。
数百年前からの決意を確かめる。
――ああ、憎らしや、怨めしや、八雲紫。
我が生を賭けて、貴様を我が憎しみの炎で焼き尽くしてくれよう。
我が全てで貴様を下らぬ塵芥に変えてやろう。
必ず殺してやる……。
そうして冷笑を浮かべ、炎に身を焼かせ、その場から消え失せた。
この夜の事を知る者は居ない。
証拠は雪に刻まれた後のみ。
それも降り続く雪に消え、何も残る事は無く白に消えた。
文章は好きです。とても読みやすい。ただ、叫び声の部分は文字重ねじゃなくて別の表現にした方が良いんじゃないかな。この文体ならそっちの方が合うと思います。
内容はですね、オリジナル色が強すぎるかと。ここまで行けば逆に全部オリジナルの方が評価貰えるかもしれない。そんな感じ。
初期の作品集にはこんな雰囲気の作品もありました。まだ設定があまり知られてなかった頃の話ですね。
でも東方を抜きにすれば面白かったので、匿名最高点に+10してこの点数で。
この設定だったらむしろ長編の方が映えるかも。
……むむ、見返してみると随分偉そうな事書いてますね自分。
でも評価されそうにない勿体無さをどうにかコメントしたかった。
応援してます、本当。
大体優しくておっとり描かれるレティさんが残忍ながら良い味出してます。
藍とレティさんの会話にある種カリスマを覚えました、是非妖の続きも見てみたいです。
東方殺伐冬景色ですね。
万人受けはしなさそうですが、私は好きです、この雰囲気。