「ねえ、神様って知ってる?」
みんな私を変な目で見る。
キスメもヤマメも、変な顔をして目をパチパチさせるんだ。
パルスィは見たことないからわからないって言うから、私と一緒だ。
でもね、聞いたんだ。
お店で買い物して、お肉を食べてるときにね。
『神様に感謝して食べなさい』
神様って言う人が、この世界にいるってそのお店の人が教えてくれたんだ。
なんていうか、地面とか世界とかそういうのを作ったのが一番最初の神様なんだって。
だけど、その人に会いたいって言ったら無理だって言うの。
『会ったことがない、だから誰も会えない』
私が変、なのかな?
そうやって言われても、首を縦に振れなかった。
会ったことないなら、誰がそういうのを伝えてきたんだろう。
最初に神様を見た誰かしかわからないのかな。
あ、でも昔の人なら、わかるのかな。
昔の人。
昔の人……
「あ、昔の鬼!」
「いきなり指差して言う台詞かね、この馬鹿」
考え事をしながら歩いちゃだめだって、パルスィから言われてたから。
ふよふよって、低空飛行してたのが駄目だったのかな。
屋根の上で寝転がってる勇儀に怒られた。
翼の風で酒のツマミが飛ぶだろって、ぐーで頭の上を殴られた。
うん、痛い。
屋根の上に飛び移って目を細めてじっと見つめたら、女性に古いとかそういうのを臭わせることを言っちゃ駄目だって逆に怒られた。
「でも勇儀って、結構歳いってるよね? っいたぁ……」
「ったく、お空は言ったそばからこれだよ」
あれ、おかしいな。
二回目のゲンコツが飛んできた。
なんでって聞いたら、気持ち良く飲んでたのを邪魔したからだって言うの。
意味がわからないったらありゃしない。
これ以上叩かれたら、きっと頭がぐわんぐわんで変になっちゃうから、その前に、
「ねえ、勇儀ってさ。神様って知ってる?」
急に変なことを聞くなって怒られるかと思った。
でも、私の予想とはまったく逆だった。
いきなり、笑い出したんだよ。
お酒の瓢箪を手に持ったまま、大笑い。
手をパタパタ振って、持っていた杯を団扇の代わりにし始める。
そんな態度に、ちょっと胸がチクチクする。
「私、真剣だよ?」
「ああ、悪かった。真剣な顔でそんな質問をするやつは中々いないからね。いやぁ、久しぶりに酒の良い酒の魚を貰ったよ。ありがとう」
「む~!」
「なんだ、頭撫でてやったじゃないか」
「答え! 質問されたら答えないと駄目です!」
「わ~かった。わかったから、そうだねぇ、神様って言うのは……」
胡坐をかいて、瓢箪が屋根の上から転げ落ちないように足で固定する。
やってることは単なる酔っ払いの行動なんだけど。
目の色が少し変わった気がした。
なんていうのかな、ちょっと鋭いって言うか。
私を威嚇するみたいな、そんな感覚。
それでも薄っすら笑みを浮かべて、勇儀は教えてくれた。
「神様って言うのは、腕っぷしが強くて、酒と祭りが大好きで――」
ぽんっと、膝を両手で叩き。
体を起こして。
「自分が絶対正しいって思ってる、自信家の大馬鹿野郎さ」
自信満々に、私を見下ろしてくる。
会ったことあるの、って尋ねたら。
格の低いのとなら何度かケンカしたことあるんだって。
神通力って言うのが凄かったらしい。
勇儀ってさそういう強い人が大好きみたいなんだけど、
「だってそうだろう? 神様が世の中のこと全部見通してるって言うんなら冗談が過ぎる。ここで生まれた妖怪たちが何をしたって――いや、悪い。ちょっと、酒が妙なところに回ったみたいだね」
なんだかちょっと苦手なのかな、私を見てから頭を振ってまたねって。
うん、またね。
「お酒飲みすぎたら、またパルスィに怒られるよ~♪」
ぱたぱたって手を振って、私もいつもの場所へ帰る。
暖かいけど、ちょっと寂しい場所へ。
◇ ◇ ◇
まん丸の半分だけを切り取った形の、旧灼熱地獄の一番奥。
そこが私の住処であり、仕事をする場所でもあった。
ぽいぽい、と。集めてきた死体なんかを真っ赤な水面に投げ入れて、こぽこぽ、と泡を立てる水面を覗き込む。すると程よい湯気が頬を撫でてきた。熱気を肌で感じ取って温度を調節するんだけど、うん、こんなものかな。私以外の妖怪だとこの部屋にいるだけで火傷することもあるから、昔から私しかこの仕事をしていない。
「ん、えーっと、今はあったかくしていいんだもんね。うん」
暖かい期間、暑い期間、暖かい期間、寒い期間。
勇儀はそれが順番にくるようにしろって昔から言ってる。
なんで、って聞いてみたら、
『いつも同じじゃあ、つまらないだろう?』
ってことらしい。
今は寒い期間の後の、暖かい期間だからいいんだけど、寒いのは好きじゃないから一個だけなくそうって、お願いしてみた。
いつお願いしたかは忘れちゃったけどね。
そのとき勇儀は地底の天井を軽く見上げ、お酒を一杯だけ飲んだ。
『慣れておかないと、広い場所で遊べないぞ』
なんか頭を撫でられてしまった。
子ども扱いしないでって言いたかったけど、気持ちよかったからいいかなって。
よくわからなかったからパルスィにも聞いてみたけど、
『鬼は嘘が嫌いだから、勇儀を信じて気長に待ってるしかない』
もっとわからない答えをくれた。
唯一わかったことは、パルスィと勇儀はやっぱり仲がいいんだなぁってことだった。
二人に何度尋ねても意味不明な答えしかくれないから、ときどきそのことを思い出してしまう。
「ん~……」
二足歩行状態から地獄烏へと変化して、熱で炭になりかけた止まり木へ。
温度調節が終わってからのボーっとできる時間に、いろんなことが頭の中でぐるぐる回る。
神様のことや、
勇儀のよくわからない言葉、それに――
自分のこと。
地底で翼を持った妖怪はいないのに、私には立派なのが二つ。
翼がなくても飛べる人が多いのに、私だけ持ってる。
もしかしたら、私はここの生まれじゃないのかなって思ったりする。
いつからここで住み始めたのか、いつ妖怪になったのか。
それとも親って言うのが居て、生まれたときから妖怪なのか。
答えの出ない疑問をつぶやき続けて、橙色に光る水面を見る。
光に照らされて輪郭を浮かび上がらせる岩場と、暗闇の中で点々と輝く水晶が綺麗な丸い天井を見る。そうやって綺麗な風景を見ていたら不安な気持ちも少しは和らいでいく。
こぽこぽという音と、天井の光を見ていると。
『空は、空、だから心配しないで』
って、励まされてるみたい。
だから私は、みんなにありがとうって伝えてから、旧都の方へと――
カラン、
そのとき、視界の隅で小石が転がった。
誰も来ないはずの場所だから、弾けた泡のせいかなって思った。
でも、そっちに顔を向けたとき。
え?
黒い猫がいた。
おもいっきり地面を蹴って飛び上がろうとする猫が。
その姿はあっという間に視界一杯に広がって。
がしっと、私の翼を掴んでくる。
赤い髪の、二足歩行型に変化して。
え、猫? 人? でも、手がある?
あれ? あれ、あれ?
でも、悩んでる場合じゃない。
だって私の翼を掴んだ相手が、牙のついた口を大きく開けたから。
食べられる!
そう思った私は、無我夢中で変化し、両腕を払って、
がつん、と一撃。
なんで、なんでいきなり食べようとするのこの子、なんなの!
かみつき、羽攻撃、蹴り。
諦めない相手に、私はもう叫び声を上げながらむちゃくちゃに体を動かす。地面をごろごろ転がって、服を引き裂いて、どれだけ攻撃を繰り返したか。
でも、攻撃用の特殊能力がない私は――
もう無理、もう駄目……
疲れで体が動かなくなってしまう。
がたがたと震える膝が体を支えるのを諦めて、前から地面に体を預けた。
食べられちゃうのかなって、怖くなったけど。
ぱたんっ、てね。
相手の方も倒れちゃってる。
それで、いきなり話し掛けてきた。
「私の勝ち」
何言ってるの、って思った。
だから、なんて言うのかな。大根意識? 退行意識? ってやつがムクムクと出てきて。
「私の、勝ちだよ」
思わずそんなことを返してしまっていた。
そうしたら、仰向けで倒れていた相手のきょとんっとした目と視線がぶつかって。
「ぷ、あは、あはははっ!」
おかしくなって笑っちゃった。
さっきまで、食べられるって思ってたのが嘘みたい。
なんだかこの猫の人が憎めなくなっちゃって、まだ回復しきっていない体を動かして近づいてみた。
そしたらね、その子すっごいびっくりしてた。
さっきまでケンカしてたのに、いきなり近づいたから何か去れると思ったのかな。よく見たら耳が4つもあるし、おもしろい格好だなって思っただけなのになぁ。
「あたいは火車、化け猫から変化した妖怪なんだよ」
ちょっとぼろぼろになった服を気にしながら、火車は岩場に背中を押し当てる。私と同じ、動物とヒトに近い姿を取れる妖怪だったから、なんだか嬉しくなっちゃって。思わず四つん這いになって体を近づけちゃったり。
そしたら火車の人がいきなりこんなことを言ってきた。
「仲間になろう」
私の瞳をまっすぐ見つめて、静かにはっきりと。
だから私は考える。
仲間ってことは、同じ集まりってことで、えーっと、同じ種族ってことかな。
「地獄烏になりたいってこと?」
そうやって尋ねたら、なんだか肩を落とされた。
なんか間違ったみたい。
私が頭の上にハテナを浮かべていると、何を思ったのか火車がいきなり立ち上がって、踊り始めた。そうやって踊りながら、言うんだよ。
「友達になろう」
私に手のひらを向けて、笑顔でそう伝えてくれる。
でも、私の頭は、何故か固まった。
友達という言葉のを探して、自分の知ってる意味全部思い浮かべて。
間違いがないか何度も何度も確かめる。
だって、そんな素敵な言葉、初めて真正面から言われたんだもん。
「なる! 友達に、なる!」
「う、うわぁ、びっくりさせないでおくれよ」
大声で返したら、びくって火車が震えちゃって恨めしそうに耳を押さえていた。
あ、そっか、耳が大きいから音には敏感なんだね。
照れ笑いで誤魔化して、指し出されていた手をやっと掴んで。
名前をいい合いっこしてね。
「……うん、とりあえずこの格好をなんとかしようか?」
「うにゅ?」
ずいぶん面積の少なくなった服を指差すお燐の頬が、ほんのり赤くなっていた。
「服を直してもらうなら、やっぱりパルスィかなぁ、器用だし」
お燐が服をなんとかしたい、できればタダで。
と、言ってたから、私は旧都の中を歩いていた
長屋が並ぶ細道や、お店が並ぶ表通りを行ったり来たりしてね。
本当ならもう着いちゃってもいい頃なんだけど、ふふん、やっぱり友達を自慢したいじゃない。どう? こんなに素敵な人なんだよって、胸を張ってね。
「ねぇ、お空、その歩き方は際どいところが見えそうだから、止めた方がよくないかねぇ」
「え? なんで?」
「あー、ほら、あたいはいいんだけどさ。道行く人が目のやり場に困るっていうかね」
「んー、でも地獄烏って私しかいないし、欲情するときって子孫残したいときだって聞いたことがあるから。大丈夫なんじゃない?」
「あー、んー、いやー、そういう不健全だけど健全みたいなやつばっかりだといいんだけどねぇ、なんていうかほら、いたずらとか……うん、伝わってないねこりゃ」
気の抜けた声が後ろから聞こえてくる。それと一緒に小さな風の流れが私の羽を撫でる。たぶん、尻尾をだらんって垂らしたか、腕を下げたかしたんだろう。
お燐って、もしかして心配性なのかな
怒りっぽい人もいたりするけど、私が知ってる旧都の人は優しい人が多い。
ほら、そこにいる。
「おーい、ヤマメー! キスメー!」
「あ、おく……うっ!?」
ほら、気軽に挨拶してくれる。なんでか顔を赤くしたり、一緒にいたキスメの目を塞いだりしてるけど、何の問題もないはず。優しい住人だよ。
「あーもぅ、おくぅ、目的地はまだなのかい?」
ん、しかも、慌てんぼうかな。
猫ってすばしっこいって聞くし、ゆっくり歩くのが苦手なのかもしれない。
もうちょっとだよって、返して、また一本細道に入ってみた。
散歩を続けたかったから、わざとね。そしたら、なんでかな。肌がぴりってなった。音が鳴った意味じゃなくて、そんな気がしたっていうか。誰かに見られてるような、押し付けられてるような。そんな感覚が少しだけあった。
でも、目に入ってくる風景はいつものままだから、気のせいかな。
変な感じはあった、でもそれはきっと無視できるものだと楽しい時間を優先したら。
「ごめん、忘れ物したから先にいってて」
ぺろっと舌を出したお燐が、私に向かって手を合わせてきた。
忘れ物を取ってきたら広場まで行くからって、広場なら昨日通ったからわかるらしい。
まったく、仕方ないなぁ。
とん、っと。
軽く地面を蹴って空中に飛び上がると、お燐に手を振って羽で空気を叩く。
目指すは広場一直線、だったんだけど。
「こ、こらぁぁぁぁっ!」
「はふっ!?」
大声と一緒にいきなり羽を捕まれて、地上まで降ろされてしまった。口を押さえられているから声をあげることもできない。
そして、ずりずりと引きずられて、家の中へと連れ込まれてしまった。
乱暴者の仕業かとも思ったけど、何か違う。
だって、なんだか見覚えのある家具の配置だし、
「あんたは! なんて格好で外を出歩いてるの!」
おもいっきり聞き覚えのある声だし。
「あ、パルスィ、どうしたの?」
「どうしたのじゃないわよ! お空、そんな服をめちゃくちゃにして、な、何があったの! どんな酷い事をされたの!」
私を連れ去った犯人は、パルスィだった。
口から手を離してくれたからしゃべりやすくなったけど。両肩をがくんがくん揺らされたらすごくしゃべりづらい。だから仕方なく大事なところだけ話すことにした。
「えっと、襲われて食べられそうになった」
「た、食べっ!」
「敏感なとこにかみつかれた」
「び、びびびんっ!」
お燐に飛び掛られて、羽をかまれたんだから嘘は言ってないと思う。
でも、なんかパルスィの様子が変だ。
途中で会ったヤマメよりも、赤くなってる。なんか爆発しそうなくらい。
「地面の上を転がされたり、押し倒されたり」
「おしたおっ、誰、一体誰にっ!」
お燐っていってもわからないだろうから。
えーっと、なんて言えばいいかな。
「昨日、初めて地底に来た友達」
「と、ども、友達っ? 初めてって! そいつはやっぱり男よね?」
「ううん、女の子。私より小さい」
「――――っ!」
パルスィの目が点になる。
そして私から少し離れたかと思ったら、部屋の隅へと移動してなんだかぶつぶつ言い始めた。
「えっと、つまり、女友達に襲われたってことは、お互い承諾してるってこと、よね。しかもお空より小さい女の子が、か、かみついたりって、初対面でなんて激しいことを……私だって勇儀とそんなこと……ねたましい……」
「うにゅ? ぱるすぃ?」
「あ、う、うん。なんでもないのよ。ちょっと気持ちの整理をしてただけ。でもね、いくらそういう楽しいことをした後だからって、そのままの格好で出歩いては駄目なのよ。ちゃんと服を直さないと」
「あ、うん、だからパルスィにお願いできないかと思って。あ、友達の分も直して欲しいんだけど」
「またなの? 別に良いけど、布は余ってるから。で。お友達の方は?」
「忘れ物したから、取りに行くって」
「そっか、じゃあ後で一緒に……」
言い掛けたパルスィの眉毛がぴくって動いた。
何か不自然なことがあったのかな。
顎に手を当てて、小さな唸り声を出した。
「ねえ、お空、その子初めて地底に来たって言ったわね?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、そんな子が、よ? 変えの服すら持っていない子が、何を忘れたっていうのかしら?」
「それは、お燐じゃないとわからないよ」
「お燐っていうのね、じゃあお空、もう一つ聞くわよ。そのお燐が忘れ物をしたって言い出したとき、変な感じしなかった? 違和感みたいなのでもいいけれど、それとその場所も」
「え、えっとね、ちょっとだけぴりってなった。場所は、二つほど離れた細道かな」
「そう、わかった。お空はここでじっとしてなさい、いいわね!」
私に指示した後、パルスィは勇儀の名前を叫びながら外へ出た。
それにどんな意味があるのかはわからなかったけど、
胸の奥が、ずきって痛くなった。
それから一時間も経ったかな。
勇儀と一緒にお燐はやってきた。
ごめんって私に謝って。
「ねえ、お空、いい加減機嫌を直しておくれよ」
でも、私は首を振る。
後ろから裸のお燐をぎゅっと抱きしめて、左右に振る。
畳の上で座って、羽でやさしく包み込みながら。
「あたいは、お空を巻き込みたくなかったから、新しくできた友達を危険な目に合わせたくなかったんだよ」
お燐は乱暴者から私を守るために、わざとあんなことを言ったんだ。
取り囲まれそうだって思ったから、私だけを逃がした。
わかってる。
それに、お燐のことは許してる。
私のためにやってくれたんだもん。
自分一人が犠牲になれば、私がすくわれると思ったんだから。
でも、私が許せないのは、私が、弱い私がお燐にそういう行動を取らせてしまったこと。
「お空、気持ちはわかるけど」
パルスィもいい加減にしなさいって、服を直しながらため息をついてる。服が出来上がるまでに仲直りしなさいって、そう言いたいのかも知れない。
勇儀はパルスィの横で『青春だねぇ』とかつぶやいて、景気よくお酒を飲んでいたけどやっぱりこっちを気にしている。
だから私は嘘をついた。
「もう、こんなことしない?」
「うん、しないよ」
弱い自分のせいなのに、お燐にその答えを求めた。
「絶対?」
「たぶん、ね」
「う~!」
「絶対、絶対こんなことしないから!」
私に、もっと力があれば、強い妖怪として生まれていれば。
みんなに心配を掛けることなんてないのに。
「うん、じゃあお燐のこと許してあげる」
そんな自分の心を見せないように、私はお燐に笑顔を向けて、改めてパルスィと勇儀に友達を紹介した。
今度は絶対、私が守るって心の中でつぶやきながら。
◇ ◇ ◇
楽しい時間はすぐに過ぎていくって、誰かから教えてもらったけど本当だった。
お燐が死体を集めて、私が温度を調節する。
たったそれだけの仕事が、すごく暖かい。
お燐を待っている時間も、早くこないかなーって思ったり、戻ってきたらどんなお話しようかなって、すっごくホンワカなんだ。
でも、お燐の方はちょっと……最近元気がない。
何かの病気に掛かったかなって思ってたら、
「お、お空、た、助けて……」
よろよろと台車を押す、弱りきったお燐が私の視界に入ってきた。
何があったのって駆け寄ったら、体がすごく冷えてて……
「お燐、しっかりして、お燐!」
「あたいはもう、駄目かもしれない」
「そんな、しっかりして。私が暖めてあげるから!」
「ありがとう、お空。あったかい、あったかいよぉ」
少しでもお燐の体が温まるように、灼熱地獄の一番奥へと台車ごと運び、羽で包む。
するとお燐は、冷え切った体を震えさせながら微笑んでくれる。
「お空、私のお願い、聞いて。最期のお願いになるかもしれないから」
「わかった、うん、聞くよ。何でも聞いてあげるから」
「じゃあ、お空」
潤んだ瞳で、私をぎゅっと抱き締めてくる。
甘える子供みたいに、強く、優しく。
「お願いだから、寒い季節やめにしない?」
「……だーめ」
「うう、お空の人でなし」
やっぱりね、また仮病だった。
お燐は毎年、この寒い季節になると決まって私を騙そうとする。
理由は簡単、寒いのが苦手だからだ。
昔の私だったら、お燐のお願いを叶えたかもしれないけど。
「いつみんなが外に出てもいいように、四季っていうのを経験させてるんでしょ。だったら我慢する!」
「うわぁ、余計な入れ知恵しなきゃよかった……」
ここにお燐が来た一年目、だったかな。
お燐が温度調節をするのはなんでって聞いてきたから、私は素直に『わかんない』って答えた。勇儀に言われてやってるって説明したら、お燐はそれだけで大体わかったみたいだった。
『たぶん、地底に閉じ込められた妖怪がもう一度地上に戻るときのことを考えているんじゃないかい?』
さすがお燐だと、そのときは素直に感心できたのに。
冬が来る度にこれだもの。
暖かいときに入ってきたから、寒くなるなんて思ってもみなかったのかもしれないけどね。
「明日からまた暖かくなるから、がんばって!」
「自分は暖かいところにいるからって、ずるいなぁもぅ~」
「私はお燐より我慢強いもんね」
「ふーん、じゃあ、一緒に死体を探してみるかい?」
「でも、我慢強いのと、嫌なのは別問題だよね」
「……わかったよ! もうちょっと死体あつめてくればいいんだろう!」
「うん、もうちょっとで春を迎えられるから」
「火車が春告精になるなんて、どんな時代だよ……」
でもグチグチ言いながらも、仕事はしっかりやってくれる。
ちょっと気まぐれなところがあるけど頑張り屋なんだよね、お燐って。
だから、私も頑張ろう。
地底に振る雪を溶かすために。
春の喜びを広げるために、ずっと水面とにらめっこ。
そして最後に、文句を言いながら集めてくれた死体を放り込んで……
調節、して……
「あれ?」
気が付いたら、眠ってた。
慌てて赤い水面と温度の確認をして、よし、完璧。
「お燐~、起きて~」
私の横で眠っていたお燐を揺らし、春の訪れを喜び合う。
がしっと腕をぶつけあった後、いつものようにお燐は台車を掴んで外へと上っていき。
「ねえお空。私の目、おかしくなったみたいだから一緒に来て」
「うにゅ?」
くるりっと、回れ右して戻ってきた、
いきなり何を言い出すんだろうと、半信半疑でついていったら。
「……お燐、もしかして私たちの巣?」
「その発想はなかったねぇ……」
本当に、目を疑いたくなるような大きなお屋敷が、圧倒的な存在感を見せ付けていた。
「ん、ああ、造った。昨日の晩に」
「え、えええええぇぇぇぇっ!」
勇儀は凄いって話は聞いてたけど、あの大きさの家を一日掛からずに造れるなんて思わなかった。しかももう引越しは終わっていて、地底を管理する人が住んでいるらしい。
しかもその人は地上で嫌われた妖獣とか動物を集めてお世話しているって。
うん、いい人かもしれないね。
お燐も勇儀の説明を受けて満足そうにしていたし、これで勇儀の負担が減ったりするのかな~なんて気軽に考えていたら。
なんだか、お燐の様子がおかしい。
「お空、探究心ってすごく大事だと思うんだ」
「うん、よくわからないけど。ここって、このお屋敷の前だよね?」
「ほら、お空そこに動物用の出入り口が」
「凄く嫌な予感がしてきた……」
無理やりお屋敷の前に連れて来られたと思ったらこれだ。
私を食べようとしたときもそうだったけど、お燐って興味が沸いたらどんなことでも試そうとするみたい。今だってそうだ。ペットが一杯いるなら動物用の美味しい食べ物があるはずだって言い出して。
「ほら、早く早く」
ってすでに猫形態だし、前足動物用入り口に突っ込んでるし。
「あーん、うん、私、ほら、烏になっても胸引っかかるし」
「……嫌味? ねえ、それあたいに対する嫌味?」
「ち、ちがうよぉ、でも、本当にそこって小さい動物しか」
カチャッ
「へ?」
「はい、いらっしゃーい」
大きい方の扉が開いて、中から人型のお燐が手招きする。
そこまで入りたいんだ、お燐。
「わかったから、いくから……」
茶色いドア板を潜って、烏へと姿を変える。
すると、周囲にいた見知らぬ動物っぽいみんなが、一斉に私を凝視する。
しかもそのほとんどが、ヨダレを垂らしてるってことは……
「うわぁお、人気者」
「狙われてる! 私すっごい狙われてる!」
え、地上だと私ってそういう立場になっちゃうの?
それでも、猫姿のお燐が追っ払ってくれたからいいんだけど、追っ払ったら侵入者が居るって知らされちゃうんじゃないかなって思う。
赤い絨毯の上をずんずん進む度に、不安な気持ちだけが大きくなるけど、前を行くお燐は尻尾を振って上機嫌。
まるで自分の城みたい。
そうやって、一つ目の角を曲がったところで。
「あら?」
とうとう、出会った。
桃色に近い髪の毛をした、変なところに目がある妖怪。
さとり、様に。
◇ ◇ ◇
お燐と、さとり様――
二人はね、出会ったときすっごく仲悪かったの。
お燐なんて心を読まれて臨戦体勢になっちゃうし、私もまきこまれちゃって。
火焔猫っていう苗字を付けられたのも、嫌だったみたい。単純すぎるから。でもさとり様が私たちを受け入れてくれたから、お燐も安心したのかな。
今ではすっかり、自分の部屋での昼寝が日課になっている。
私が誘っても、中々起きてくれなかったりするのが不満だけどね。
でね、やっぱり一緒にご飯とか食べたりするんだけど。
すっごいの、わけわかんないくらい美味しいの。
毎日お燐とおかわりの競争するくらい。
さとり様はお話しながらゆっくり食べたいみたいだけど、結局私たちが満腹になってから話が始まっちゃう感じかな。そうやって話をしていると、いつのまにかもう一人、こいし様が加わっていたり。
なんだか面白い毎日だ。
そうそう、私も貰ったんだ。
何がって、ほら、お燐の火焔猫と同じで、名前の前につく、もう一個の名前。
えっとね、なんだっけな、れ、れ、そう、『れいうじ』っ!
なんか凄い名前。
それを自慢しに旧都にいったら、パルスィに変なこと言われた。
「お空、あなたもうちょっと大事なこと気付かない?」
「え……」
ちょうどパルスィお姉さんの家で宴会が開かれてて、みんなが祝福してくれた。ヤマメもキスメも勇儀だって『おめでとう』っていってくれたのに、
「私、ダメ? 変なことした、のかな……」
喜んじゃダメなのかなって、凄く悲しくなって、玄関で泣いちゃいそうだった。
両手でぎゅっとスカートを握りしめて、泣かないようにがんばったけど、ちょっとだけ潤んじゃった。
だって、凄く嬉しかったから。
誰かと一緒に暮らすって、こんな素敵なんだって思ったのに、
「ちょ、ちょっと! 泣かないでよ! 私はそんなつもりで……」
「なぃてなぃ……もん……」
「あはは、おいおいパルスィ。その回りくどい言い方はお空に向かないって言ってるだろう」
ゆらゆらし始めた目の中で、勇儀が体を起こして近付いてくる。
そして目の前に来たと思ったら。
「お空、お前は名前よりも凄いモノを見付けたみたいだぞ」
「名前、より?」
「そうだよ。それを人は『家族』っていうのさ」
「家族……」
でも、変だよ。
家族って、ほら同じ姿の生き物が親と子供で作る集まりだったはずなのに、全然違う人たちが集まって家族だなんて。
私がそれを質問するよりも早く、勇儀がいきなり顔を近づけてくる。
もう少しで、鼻と鼻がぶつかりそうになるくらい。
「好きなんだろう? お燐のことがさ」
「うん」
「あのさとり妖怪も、大切なんだろう?」
「うん」
「屋敷にいる他の動物とも、一緒にいたいと思うだろう?」
「うん」
お燐も、さとり様も、こいし様も大好きで、大切。
他のペットの子たちも、一緒に遊ぶと凄く楽しい。
だから、ずっと、ずっとこんな毎日が続けばいいなって思う。
「その暖かい気持ちがあるなら、もう『家族』なんだよ」
「そう、なのかな?」
「もちろんさ。それと、パルスィはお空をいじめたかったんじゃなくて、それを気付かせたかっただけだからね。許してあげておくれ」
「ちょ、勇儀! 変なこと言わないでよ! 誰がそんな!」
「はいはい、お酒のせいですっかり頬まで真っ赤っかぁ~」
「ああ~、もぅ~! この大酒食らい!」
「あはは、あはははははっ!」
勇儀がパルスィに話しかけるたび、笑いが起きる。
耳まで赤くなるパルスィと、勇儀の話し合いを見てたら、私も面白くなってきてついつい笑っちゃった。
あ、でも、さとり様たちと私が家族だって言うなら。
「ねえねえ、旧都の人たちも私の家族だよね?」
だって、みんな大切だって言うもん。
みんながみんな、支え合って自分の得意なことを仕事にしてる。
だから誰が欠けても、寂しくなっちゃうんだって。
あのお燐を襲った一つ目の鬼さんだって、自分の仲間には美味しいご飯を作ってあげたり、守ってあげたりしてる。
強いってことは、それだけ責任があるって、勇儀もいってたっけ。
「だからね、勇儀もパルスィも、私の家族でいいんだよね?」
そしたら、二人が抱きしめてくれた。
うん、凄く、暖かい。
◇ ◇ ◇
『空』を飛びたくないか。
ペットの誰かがそう言ってた。
地上でめいっぱい飛んでみたくないかって。
でも、決まって私はこう返すんだよ。
「よくわかんない」
ってね。
さとり様のお話もおもしろくて、地上って凄いなって思う。
お燐のお話もやっぱりおもしろくて、地上に行ってみたいなって思う。
でもね、行けないの。
地底の妖怪はここから出ちゃ駄目だって、決まりがあるから。
ここは、地上で嫌われちゃった妖怪たちが住むべき場所だから、行けない。
でも、なんでかなって思う。
考えるたびにわけがわからなくなる。
「ねえ、お燐。上の世界にはさ、素敵な風景が一杯あるんだよね?」
「そうだよぉ、こんな生ぬるい水が一杯溜まってるところより素敵な場所がね」
わからなくなったから、お燐に聞いてみることにした。
お燐が嫌いなお風呂の中だったけど、ちょうど良いかなって思って。
裸になると心が開放的になるって、さとり様も言ってた。
「そら、って綺麗なんだっけ?」
「うん、青かったり、赤くなったり、黒くなってチカチカ光ったり。そんな中で白いもやもやが流れていくんだよ、この湯気みたいのがね。好きな人なら一日みてるだけでも飽きないかも」
「へぇ~、見てみたいなぁ」
「いつかきっと、見られるよ。お空はいい子だから」
「あ~、また子供扱いする!」
口までお湯につけてぶくぶくって抗議したら、お燐は苦笑して髪留めを取る。
赤い長髪がゆっくりとお湯の中に広がって、気持ち良さそう。
でも、お燐はお風呂が嫌い。
お湯って、すごく暖かくて、優しい感じがするのに、嫌い。
優しいのに……嫌われる。
「ねえ、なんでかな、お燐」
「何が?」
「どうしてさとり様やお燐が地底に来なきゃいけなかったのかな」
「……え?」
「地上には綺麗な風景が溢れてるのに、心までは綺麗じゃないってことなのかな。だからみんな、お燐やさとり様に意地悪したのかな」
「……お空」
考えれば考えるほど、わからなくなるの。
わからないんだよ、お燐。
私、ときどき変なんだ。
今みたいに、お燐を困らせるだけだってわかってるのに、心が止められない。
お燐やさとり様と長い時間を過ごすたびに、どんどんわからなくなるんだ。
「ねえ、地上って、本当に、綺麗な世界なのかな?」
それ以上の言葉を喉に止めて、私はお風呂を出た。
困った顔をするお燐に、『ごめん』とだけ伝えて、どんどんと暴走を続ける胸をぎゅっと掴む。
地上なんて……
地上なんて、本当はいらないんじゃないかな。
続けようとした言葉を――私は、必死で飲み込んだ。
◇ ◇ ◇
「お空、悪いことを考えてしまうのならそれを消してしまうくらい楽しいことを見つけてはどう?」
さとり様は心が読める。
だから、私が最近変なことを考えてるのを知っているのかもしれない。それでも何もなかったみたいにやさしく話し掛けてくれるのは、すごく嬉しい。
「楽しいこと、ですか?」
朝食が終わって一息ついた頃、さとり様は何枚かの紙を私にくれた。
てかてかした、手に収まるくらいの。
確か、お燐も同じようなモノ持ってた気がする。
「そう、真剣な遊び、あなたにも教えようと思ってたのだけれど遅くなってしまったわね。最近仕事の方で忙しそうだったから」
さとり様が言うには、このカードに自分の妖力を込めて、弾幕っていうのをイメージするらしい。それで、相手を参ったってさせちゃえば勝ちみたいなんだけど。
それの凄いところは、弱い妖怪でもやり方次第では強い相手に勝つことが出来るということ。
ということは、私でも勇儀なんかに勝てちゃったりするわけかな……
変化しか出来ない私が……
「んふ、ふふ~♪」
「えっと、お空……あんまり夢見ないほうがいいと思うよ~、さとり様には絶対勝てないだろうし」
「なんです? 私もちゃんとフェアにやってるじゃないですか?」
「心読んだりするのに、ですか?」
「……種族特性は仕方ないと思いませんか?」
「それがずるいんですってば!」
確かにさとり様と勝負したらあっさり負けちゃいそう。
でも、お燐には勝てたりとかしないかなって思ったんだけど。
「はぁ……はぁ……」
「お空、大丈夫?」
「らいりょふっ!」
「うん、全然そうは見えない」
スペルカードってやつに派手なイメージをぶつけて、大きな弾幕を一杯出してみたら、バテた。
妖力が一瞬で空になって、座り込むことしかできない。
せっかく旧灼熱地獄奥で秘密の特訓を始めたっていうのに。
「だからさとり様も言ってたでしょ。やり方によってはって。力を温存して相手を追い詰めたり、やられたって思わせたりしないと駄目なんだって」
「む~」
それから毎日お燐と練習したんだけど、私はどうしても途中で調子に乗っちゃって、大技を狙ったところで妖力切れ。
そこを狙われて、お燐に負けちゃうんだよね。
でもさ、すっごい楽しいんだこれ。
確かに、負けたら相手の言うこと聞いたりしないといけないんだけど、勝負する前に要求を言い合うから嫌だったらやめることができる。
殴り合いなんかと比べたら安全で、安心な勝負方法だよね。
最初はちょっとしたいざこざの解決方法として広がったこのルールも、段々と大きな争いにも使われるようになって、今じゃ地底のみんながカードを持つようになっていた。
「今は勝てないけど、絶対お燐より強くなってやるんだから」
「おや、あたいより強くなってどうするんだい?」
「ふふ~ん、秘密」
これなら、大丈夫。
がんばって練習すれば、いつかさとり様やお燐を守れるほど強くなれるはず。
だから今日も、仕事の合間に練習する。
だからね、だから神様お願い。
もう少しだけ強い弾幕が使えるようにしてください、
できるだけ早く♪
お燐やさとり様と出会う前に、神様のことを考えていたのを思い出して、ちょっとだけ祈ってみた。
◇ ◇ ◇
弾幕勝負が広まり始めたのが秋で、今はもうすぐ冬の季節。
そろそろ温度を最低にしないといけないなぁ、なんて思って、旧灼熱地獄に控えめに燃料を入れる。
またお燐が、もっと暖かくしてって文句を言うから今年は少しだけ温度を上げてみることにしたけどね。
「ふふ、感謝してよね」
思ったよりも作業が速く終わったから、ちょっとだけスペルカードの練習をしよう。
そう思ったのが、いけなかった。
慌てて地霊殿に戻ると、時間はもうお昼を軽く回ってて、ご飯の時間に大遅刻。
怒られるだろうなぁって思って、こっそり居間を覗いてみたら、あれ、誰もいない。
ペットたちが騒いでるだけで、ご飯を食べた後にも見えなかった。
みんなおなか減ったーって騒いでるように見えるし……
何か、あったのかな。
いつもより静かな地霊殿の廊下を歩いていたら、なんだか怖くなってきた。
このまま進んだらなんだか私の知らない世界に繋がっていそうで、心臓の音がどんどん上がっていく。
そんなことはないのに、何も怯えることなんてないのに、
「――っ!」
あ、ほら、さとり様の声が聞こえた。
やっぱり、何もおかしなことなんてないよ。
玄関の方にいるだけで、
いる、だけで、
「お燐、しっかりなさい!」
あれ、何、これ。
「さとり、今は離れるんだ! 旧都から医者も連れてきたから。早くお燐を部屋に!」
「は、はい! わかりました! こっちです! 早く!」
なんで?
なんで、玄関に赤い点々がついてるの?
なんで、みんなそんなに慌ててるの?
「さとり、様?」
「っ! お、お空、あなたいつから……」
なんで、お燐が……そんなに、血まみれなの?
「お燐っ! おりぃぃぃんっ!」
「だ、誰か、お空をっ! お願いします、これ以上お空にこの場を見せないで! このままじゃ心が!」
「わかった、私に任せな! さとりは医者と一緒にお燐を運ぶんだ!」
なんで?
なんで、なんでなんでなんでナンデ?
嘘だ!
ウソだよこんなの!
お燐が何したっていうの?
あんなに優しい、明るいお燐が、何でこんな目にあってるの?
「あ、あぁぁぁ……あああああっ!」
離して! 離してよ、勇儀!
私はお燐の側にいないといけないの!
ずっと一緒だったんだもん、一緒にいさせてっ!
そっちじゃ、ない。
そっちはお燐のいる場所じゃ、ないのにぃ……
「悪い、少しだけ我慢しておくれ」
勇儀の腕が振り払えない。
お燐が、お燐がどんどん小さくなっていく。
でも、諦めきれなくて、声を掛けるのに――全然お燐が動かない。
声も出してくれない。
「すぐに、戻るから」
お燐も、さとり様の姿もない中庭に連れてこられ、旧灼熱地獄に押し込まれて、
ばたんっと。
非常用に設置された大きな扉が、私の意識を黒く塗りつぶした。
がんっ……がんっ……
硬い岩場を叩くたび、手が痛む。
額を打ち付けるたび、倒れ込みそうになる。
いつもの旧灼熱地獄の岩肌には、赤い染みが少しこびり付くだけ。
欠けたり、ひびが入ったりなんてしない。
私の体が傷つくだけ。
「う……ふぇぇえええ……」
なんで、なんでこんなに弱いのよ!
勇儀なんか、指一本で岩を壊したりできるのに、なんで……
「……てよっ、教えてよ! ねえ、誰か! どうやったらいいの!」
頭がごちゃごちゃなのに、頭の変なところにすっごい冷めてる自分がいる。
地獄烏である私には何もできない。
夢見たって、何にもならない。
これが自分だって。
「違う! 私だって、私だって!」
もう一度強く岩壁を叩いたら、ぽろぽろってカードが落ちた。
お燐と一緒に勉強して、使いこなせるようになった私の新しい力『スペルカード』たち。
昨日まではあんなに、あんなにキラキラして見えたのに。
地面に散らばった『ソレ』は、私にとってなんの魅力もない紙切れだった。
こんなもの、めちゃくちゃな力の前にはなんにもならない。
ルールを破ってくるヤツがいたら意味がない。
『ニセモノのチカラ』じゃ、誰も守れない。
ねえ……
ねえ、神様。
もう、スペルカードなんて、いらない。
チカラが欲しいの。
もう、大切な人が傷つかなくていいチカラが欲しい。
「……お願い、します。神様ぁ、力が、家族を守る力が欲しいよぉ……弱いままなんて嫌だよぉ……」
誰も、答えてくれない。
叫んでも、泣いても誰も答えてくれない。
水面に浮かぶ泡の音しかない場所でうずくまる私の声は、壁の中だけに吸い込まれて――
『力が欲しいかい?』
「っ!」
声が響いた。
私以外の、誰かの声。
少しだけ声の響きが勇儀に似てたから、泣いてるのを見られたと思って顔を擦ったけど。
「……え?」
どこにも、姿が見えない。
天井にも水面にも、後ろにも、前にも、横にも。
それでも声だけが頭の中に響いてくるみたいだった。
「誰! 誰かいるの!」
怖くなって、叫んでみたら。
頭の中のその声が笑った。
小心者の地獄烏だと、鼻で笑われた気がして、むっとした。
『お前の言う神様、としておこうか』
「かみ、さま?」
『そうだとも。さて、灼熱の業火の中で生き抜く小さな烏よ、そんなに家族が大切か?』
「あ、あたりまえだよ、お燐も、さとり様も、こいし様も、みんな!」
『種族が違っても、守りたいというのか?』
「うん、だって、だってみんな一緒にいないといけないんだもん! そうじゃなきゃ、楽しくないんだもん!」
『自分の身を犠牲にしても、守りたいか?』
「守りたいよ! 何言ってるの! 神様には――」
なんだか、ムカムカする。
確かに神様って言うのは偉いのかも知れないけど、すごく嫌な感じだ。
だから、自然に口が動いていた。
「神様には――、大切な家族はいないの! 守りたいって思わないのっ?」
「――」
神様の声が止まった。
怒ったのかもしれない。
もう、力なんてくれないって言うのかもしれない。
でも人前に姿も見せないで、家族のことを試してる神様が嫌だった。
だからどうしても言いたかった。
「ねえ、神様は、家族のことって知ってるの?」
『あぁ、知っているとも。そうだ、家族というモノは種族の垣根など簡単に越えてしまう。いいだろう、小さな烏。お前に力を与えよう』
「っ! ほ、本当に!」
『地獄の熱に耐える烏なら、神の火も受け入れられよう。お前には『太陽』の力を授けることとする』
「たいよう?」
『ああ、地上を隈無く照らす神の光さ。名を“ヤタガラス”、種族的に見ても最適だろう』
「そ、その力があればお燐を守れる?」
『その気になれば、地底を壊し尽くすことも可能だ』
こんな広い地底全部を壊しちゃう力。
それだけの力があれば、旧都のみんなを守ることもできる。
凄い、凄いよ!
そんな力が私にっ!
『一晩、考えてみると良い。その後、また強く念じろ』
声が聞こえなくなっても、私の胸はどくどくと速く動いた。
やったね、お燐、私、強くなれる。
地底のみんなを守れるんだ。
◇ ◇ ◇
誰かに、言いたかった。
旧灼熱地獄から出ることが許されてから、私の足は地霊殿じゃなくて旧都に向かう。
神様のことを丁寧に教えてくれたから、きっと勇儀なら信じてくれるはずだ。
「神様の声を聞いたって言えばいいのかな? う~ん」
本当はお燐に一番最初に言いたかったけど、廊下でこいし様に出会って、
『まだ寝てるって』
そう言われたから、もうちょっと後で部屋に行くことにした。
命には別状がない怪我だって言うし、よかった。
びっくりするだろうなぁ、ふふん。
ついでに、お見舞いのお菓子でも買っていこうかなぁ。
「って、あ……」
お財布、忘れた。
うう、私の馬鹿……
お菓子のお店を探してるときに気付いた。
やっぱり勇儀を探した方がいいかなって、くるりっと向きを変えたら。
「あ、勇儀!」
ちょうど見付けた、ちょっと先の方で誰かと話してる。
人を避けながら走っていったら、
「お空、悪いけどちょっと待っててくれないかい? これから大事な話があるんでね。パルスィのところにでも行っててくれないか?」
いきなり左手で軽く口を塞がれた。
静かにしてなさいってことみたい。
仕事だったら邪魔できないなって思って、はーい、って返事をして、一つ目の男の人にもさようならって挨拶して、
「はは、可愛いねぇ。でも、地霊殿のペットはここに来ない方が良いんじゃないか?」
「え? なんで?」
すれ違うときに、男の人が声を掛けてきた。
なんでだろう、旧都の人も家族だから大丈夫なのに、心配性だなぁ。
「あの小汚い黒猫みたいに、ボロクズにされたくなかったらな!」
「……えっ?」
どういう、こと?
男の人が私に、笑いながら言ってくる。
にやり、っていう感じかな。
馬鹿にするみたいに、私を見下ろしてくる。
小汚い、黒猫?
ねえ、それってさ、『お燐』のこと?
あんなに、酷い怪我をさせられた、お燐のこと?
「一つ目ぇっ! 黙ってついて来いってのが聞こえなかったかい!」
「っ! わ、わかった。悪かったよ……」
あの勇儀が怒っていた。
いつでもにこにこ笑ってお酒の杯を傾けてる勇儀が、男の人の胸ぐらを掴んでいる。
そしてそのまま並んで歩き、どこかに行ってしまう。
「家族、だよね?」
ああ、って思った。
そうなんだって、思った。
もっと、馬鹿だったらよかった。
お燐が私のこと、馬鹿っていうことあるけど、本当にもう少し頭が悪ければよかったのに、そうすればこんな気持ちにならなかった。
こんなことに、気が付かなくて済んだ。
「みんな家族なのに、やったんだ……あの人……」
初めての感情だったのかもしれない。
もしかしたら私が忘れているだけで、経験したことがあるのかも知れない。
でも、私、こんなの知らない。
こんな涙、知らない。
悔しいだけじゃない。
変なのが混ざってる。
胸の中が、燃え尽きてしまいそうなほど熱いのに、
何を考えればいいのか、わからないくらいなのに、
「あはは、あはははははっ!」
頭の中で、あの男の人の姿をぐちゃぐちゃにしていた。
何度も、何度も――
◇ ◇ ◇
手紙を書いた。
相手は、お燐だ。
旧都から帰ってもまだ寝てたから、部屋に戻って書いた。
でもね、びっくりしたよ。
お燐ね、あんな怪我をしたのに私にお菓子を買ってくれてた。
机の上にね、『お空へ』って書いてあったの。
お土産なんだって、がんばってる私にくれるんだって。
「私が守る……」
だから私もがんばるよ、お燐。
絶対、みんなを助けてあげるんだ。
もう、あんな想いはしたくないから。
お燐が居なくなるかもしれないって考えるのは嫌だから。
家族が傷つくのは、もう見たくないから。
「傷つける人は、もう、いらない……」
そうだよ。
攻撃する人がいなくなればいいんだ。
意地悪する人さえ消えちゃえば、みんな幸せなんだよ。
だから、ねえ?
神様……
「私に、力をください……みんなを守る力を……」
「元気になったんだね、お燐!」
凄い、凄いんだよ。
見てよ、お燐。
どんどん力が溢れてくるんだ。
「お空、あんた……どうしちまったんだい……」
どうしたって、ああ、この棒?
それとも、この右足の変な靴?
さとり様みたいな目が羨ましかったりする?
だよね、格好いいよね!
でも格好良いだけじゃないんだよ、この棒がね。私の力を操る手伝いをしてくれるの。
大き過ぎる力が暴走しないようにね。
そのおかげでね、私も片手で岩を壊せたりできるようになったの。
スペルカードだって、大きな弾撃ち放題なんだよ。
「神様が力をくれたの。これでみんなを守れるんだよ!」
「守る、力……じゃ、じゃあお空、その力はまだ使ってないんだね?」
あれ、お燐もしかして気付いちゃってるのかな。
困ったなぁ、後でちゃんと教えてあげようと思ったのに。
「使ったよ」
「え?」
ほら、あの意地悪した人にね。
太陽の力を使った。
そしたらね、どうなったと思う。
一つ目の鬼の人が欠伸した瞬間にね、上げた両腕を消し飛ばしちゃったんだよ。
鬼の、腕をだよ?
勇儀とかと一緒な、鬼だよ?
「お燐に怪我をさせたんだもん。当然だよ♪」
「あんた、なにを……」
あれ?
お燐、なんでそんな顔をするの?
そんなんじゃ気持ちよくないよ。
一つ目の人を攻撃したときも、絶対スッキリするって思ったのに、なんかもやもやして、イライラして、 全然感情が収まらないし……
お燐が凄いって言ってくれたらきっと、このもやもやも収まると思ったのに!
……あ、そっか。
……きっと、これだけじゃ不満なんだ。
そうだよね、意地悪した人ってもっと一杯いる『かもしれない』もんね。
「お燐やさとり様に意地悪する人は、私が消してあげるよ」
「お空……」
「あ、そうだ! 地上も消そうよ! うん、それがいいよ。だって、みんな地上の人に意地悪されたんだもんね。もしかしたら、また意地悪してくるかも知れないし。だったら……
なくなったほうが、いいよね?」
尻尾をぴんって立てて、お燐が興奮してる。
やった、喜んでくれた。
そうだよね、やっぱり地上も消さないと満足して――
「お空、あんた、自分が何を言ってるのかわかってるのかい?」
「うん、わかってるよ。地上を焼き払おうってことだよね」
「違うよ……あのね、お空。そのやり方は、地上の一部の奴らと一緒なんだよ。危険『かもしれない』からって相手を傷つけるやり方は、妖怪を地底に追いやった人間のやり方と一緒なんだよ!」
「……お燐」
私が、地上の人と、一緒?
あはは、何ソレ。
おかしいことを言うんだなぁ……お燐。
私は間違ってないよ。
神様が力をくれたんだもん、
この力は絶対にみんなを守る力なんだ!
なのに、変だよ、お燐。
私が、お燐やさとり様、こいし様を傷つけた人たちと同じなんて……
笑えないよ。イライラが止まらないよっ!
「だからね、お空。考えなおしておくれ! もとの優しいお空に戻っておくれよ!」
「わかったよ、お燐……よくわかった」
お願いだから、これ以上、もやもやを増やさないで……
これ以上、イライラさせないでよ……
カチャッ
「邪魔をするなら、お燐でも許さない」
うん、そうだ。
怪我で調子悪いんだ、お燐。
そうじゃなかったら私のことに反対するはずがない。
「……あんた、そこまで……」
お燐は、私を裏切らない!
なにがあっても!
だから、今のお燐は、お燐じゃない!
「あんた、あたいやさとり様を守るために力を貰ったんだろう? なのに、どうして……」
そうだよ!
私は、お燐を守るために!
マモル、ためニ……
アレ、なんで?
ナンデ、ワタシ、お燐を、こうゲキしようとしてるの?
「わ、私は、お燐を守る……ために……!」
「……わかったよ、お空。あたいがあんたを助けてあげる! こいつで勝負だよ、お空!」
ナニ、それ、ああ、すぺるかーどか。
そんなのもう意味がないのに、うん、いいよ。
お燐が遊びたいなら、遊んでアゲル。
「あたいが負けたら、お空のことは止めない! でも、あたいが勝ったら! 地上を滅ぼすなんて考えは捨てて、いままでどおり地底で暮らす。みんなで身を寄せ合って暮らすんだ!」
怨霊、出すんだ。
ホンキ、なんだね。
じゃあわかったよ、そんな震える膝で私とやり合おうっていうならやってあげるよ。
私のスペルカードが避けられるならね!
走ろうとするお燐に向かって、私は目一杯の弾幕を撃ちだした。
ああ……
ほら、ね。
いわんこっちゃない。
怪我してるのに、私に挑戦するなんて考えが甘いんだよ。
お燐は、私の言うとおりにしてれば……いいんだ……
ほら、お燐が変なコトするから……
涙が、出てきたじゃない。
それから、お燐は一生懸命手伝ってくれた。
やっぱり、あのときのお燐は変だったんだよ。
新しい力をさとり様に見せるときは、ちゃんと準備してびっくりさせないとダメだって、段取りをしてくれてる。
私も今の力を使いこなすために練習時間が必要だから仕方ないんだけどね。
でもね、そんなお燐との楽しい時間を邪魔するヤツが出てきたみたい。
「ふぅーん、地上の人が地底に入ってきたんだ。ちょうどいいね♪ 私の力を試さなきゃ」
「うん、でも、お空のところには来られないかも知れないよ? みんな強いからね」
「そっかー、おもいっきり焼き尽くしてやるんだけどな~♪」
「うん、そうだね……お空は、強いから……」
お燐はいつもどおり笑ってた。
でもね、いつもと違うの。
元気がないっていうか、何か変な感じがする。
「あたいは様子見にいってくるからね、お空は絶対ここから離れちゃダメだよ」
「うん、わかった」
がらがらって台車を押す音がなんだか頼りない。
私が強くなり過ぎたってことかな♪
ずっと前は、その音を聞いただけで、わくわくしてたんだっけ。
あのときは全然よわかったから、お燐くらいの力でも凄いって思ってたからかなぁ♪
「絶対お燐のこと守ってあげるからね!」
手を振ってそう言うと、お燐は振り返ってくれた。
そして台車から手を離して、真剣に私を見つめてくる。
瞳は、なんだか悲しそうで……
なんだろう、こっちが心配になってくる。
「絶対に、あたいが救ってあげるからね……どんなことになっても……」
ナニ言ってるのかな、お燐ってば本当に面白いんだからもぅ♪
あははっ
あはははははっ
……お願い、助けて……お燐。
これくらい重たい話でもいいと思いますよ。個人的には大好きです。
お馬鹿さんの視点で描かれているのもツボでした。感情がストレートに伝わってきて良い。
以下、目に付いた誤字等の報告です。
>何か去れると思ったのかな。→『される』
>「ねえお空。の目、おかしくなったみたいだから一緒に来て」→『私の目』?
>カチャツ→『カチャッ』?これは自分が気になっただけです。細かくてすみません。
>「あたいは、お燐を巻き込みたくなかったから、新しくできた友達を危険な目に合わせたくなかったんだよ」
→『お空を』じゃないかと思うんですが、僕の間違いだったら申し訳ないです。
面白かった!