「貴方は、白」
独り言のような、小さい声だった。
だけど、静かな部屋に良く響いた。彼女らしい、真っ直ぐで明瞭な声だった。
私たち二人は、テーブルを挟んで向かい合って座っている。
テーブルの上には、緑色のボード。黒い線が規則正しく張り巡らされたそれは、囲碁盤をそのまま緑に塗り変えたようだった。白と黒の石が並べられているところも、囲碁に似ている。ただ、石が表と裏で、白と黒に塗り分けられている点がそれとは違った。
オセロ・ゲームだ、と彼女は言った。
白と黒、二つの陣営に分かれて、自分の色の駒で相手の色の駒を挟みあう。挟まれた色の駒は、裏返って、味方の色に変わる。そうして、最終的な数を競う。
私は先攻で、黒陣営だった。
だからその彼女の言葉に、私は、
「私は黒ですよ」
そう、盤上を見つめたまま顔も上げずに答えたのだった。
彼女――四季映姫・ヤマザナドゥが、これを持って地霊殿にやってきたのは、二ヶ月くらい前のことだった。
その頃、私は彼女と親交が深くなかった。といって、今だって別段仲がいいというわけではないのだが、その今から見ても取り分け交友がなく、とてもゲームに誘われる間柄ではなかった筈だった。
地霊殿の主である私は、是非曲直庁から怨霊と灼熱地獄跡の管理を任されていて、彼女は是非曲直庁からその視察にやってくる。つまり、上司と部下に似た間柄なのだった。交わされる会話は事務的で、必要最低限のもののみ。あくまで仕事上の付き合い、そんな間柄だった。
しかし、あるとき不意に――本当になんでもない日に突然に、映姫はボードと駒の入った紙のケースを持ってやってきたのだ。「これで勝負しませんか」と言いながら。
驚いた。
お互いに仕事の枠を超えた付き合いを求めようとしていないと思い込んでいたために、私は呆気にとられた。
私は、第三の目で彼女の心を読んで、その人物像を正確に把握している。そう思い込んでいた。
真面目に仕事をこなす、有能な閻魔。今まで覗いた誰の心よりも品行方正で、心にやましいもののない人。徳もあり、知識・教養も備えた、まさに聖人君子。
私の思い描いていた彼女の像はと言えば、大体こんな感じだった。実際それは、あっているのだろうと思う。
なのに、このとき私が驚かされたのは、今思えば、第三の目に見えぬ「何か」の存在を知らなかった所為かもしれなかった。
私は、出来るだけ他人と関わらないで生きることを望んでいた。そんな私と、まさか積極的に関わり合いになろうとするとは考えてもみなかった。
そう、私のような、地底でひっそりと暮らす忌み嫌われた妖怪と。
「何故?」
私は、いぶかしむ気持ちを隠しもせずに訊いた。
どうしてこんなことを。どうして私と。
映姫はすでにいそいそと持ってきたボードをテーブルに設置していた。私はまだ、やるなんて一言も言ってないというのに。
「小町――私の部下の死神なんですがね、小町がどこからか拾ってきたんです。最初は二人ともルールは解らなかったんですが、たまたまそれを知ってる人魂を小町が船に乗せる機会がありまして、それで」
「そうではなくてですね」
楽しそうに話し始めた映姫を、私はあわてて制す。
今までの彼女からは想像できないその姿に、戸惑う。
それでも何とか、質問を絞り出した。
「どうして私と?」
私の問いに、映姫はきょとんとする。
引きこもってばかりの私と違って、彼女は交友関係も広いだろう。私などよりも、もっと誘うのにふさわしい者がたくさんいる筈だ。例えば、自分の部下の死神とか。
映姫は腕組みをして、真面目な顔で何か考えた。
そうして一言、
「さあ、なんででしょうね」
そんなことを、さも不思議そうに言ってみせた。
呆れながら、私は彼女へと第三の目を向ける。
そうして流れ込んでくる思考の波には、確かにどう答えていいものかと迷う気持ちがあった。彼女の心の余白の部分に、適当な理由が浮かんでは消えていく。
本当に、何も考えていなかったようだった。ただ、私と何となく勝負がしたかっただけ、そんな感じだ。私はため息を吐いて、第三の目の視線を、ついと彼女から逸らす。
まただ。呆気にとられたさっきを思い返す。
どうしてこの人は、心の声からは想像できないような行動をとるのだ。論理的な考え方をするいつもの彼女からは想像できない、適当っぷりだった。あるいは、オフだと意外とこんな性格なのかもしれない。とにかく、私には理解できない人物だった。
仕事抜きで初めて言葉を交わしたが、こんなに疲れる人だとは。
「別に構いませんよ」
私も何となく、何も考えずに答えてみた。
目の前のテーブルには、映姫の手によってほとんど準備が整ったと思われるゲーム・ボードがある。今まで見たことのないゲームだった。チェスでも、将棋でもない。
私の返事を聞いて、映姫は嬉しそうに向かいに座った。
「これはオセロ・ゲームと言って――」
そうやって、私たち二人の奇妙な交流は始まった。
私は、眉根を寄せていた。
どこに置こうか、それを熟考すること早二分。未だに、どこに置くべきか決めかねている。
どうせいくら考えたところで、映姫を唸らせるような一手を打てる訳ではないということは重々承知している。彼女は相当このゲームをやり込んでいるらしく、やたらと上手いのだ。
右手の指先で摘んだ駒を、こつこつとこめかみに軽く打ちつけた。
「違いますよ、さとり」
また、映姫がよく通る声で小さく言った。
思考に没入していた私は、それが何の話か解らなくなって、思わず顔を上げた。こちらをずっと見つめていたらしい映姫と視線がぶつかる。
私と目が合うと、映姫は顔を微笑ませた。
「白いのは、あなたの心です」
「はぁ」
訳が分からない。私は眉を顰めて、彼女の顔を見つめた。
ふと、確かに自分の心は覗いたことはなかったな、と思う。如何に第三の目とは言え、自分の心を覗くことは出来ない。
しかし、第三の目で覗いた他人の心の中に、色なんて見えることはない。思考がさまざまな文字や数字として現れ、埋め尽くされているのが大抵の者の心の中だ。色なんてシンプルな情報で書き表せるものではないと思う。
しかし、彼女はまるで自分が正しいと信じているかのように続ける。
「ええ。まっさらで綺麗な色」
「それは褒め言葉?」
褒め言葉だとしたら、こんなにも的外れな言葉はないだろう。およそ、覚り妖怪を前にして口にする表現ではない。
私は迷った末に、黒の駒を置いた。挟まれた白を、二枚裏返して、黒に。
「それはどうでしょうね」
まっすぐに伸びた彼女の白い手が、盤に駒を置く。挟まれた黒が、みるみる白へと変わっていく。
気が付けば、ボード上のほとんどの駒が白に寝返っていた。ゲームも終盤、ここから挽回するのは不可能だろう。全く、初心者にも容赦がないのだ、この閻魔様は。
終わってみれば、案の定私の大敗だった。積み上げられた白と黒には、二倍以上の差がある。
「うふふ。これで白黒はっきりしましたね」
恍惚としたため息を吐いて、映姫は満足そうに笑った。
「白鳥は」
帰り際。映姫がぽつりと言った。
「哀しからずや、空の青、海のあをにも染まずただよふ」
どこかで聞いたことのあるような歌だった。
きょとんとする私に、彼女は続けて言った。
「白であることを否定はしません。白は無実、潔白の色。それ自体に価値がある。ですが――ときにそれは、哀しいことなのかも知れませんね」
相好を崩して微笑む。
意味を掴めない私は、首を傾げることしか出来ない。
* * *
私は、映姫の言った意味を考えた。
というよりも、ふと気が付けばそのことを考えてしまうのだった。
例えば、入浴中、読書中、ティータイム中。
その日も、自分で淹れた紅茶を飲みながら、彼女の意味深な発言について思いを巡らせていた。
「白、白ねえ」
「どしたの、お姉ちゃん。白、白って。ついに閻魔様に裁かれるの?」
「ついにって何よ。私は裁かれるようなことしてません」
「だよねえ。お姉ちゃんってば、びっくりするほど何もしないもんね。妖怪なのにさ。覚り妖怪やめた私の方が、よっぽど妖怪らしく悪いことしてるもん」
「あなたは自由すぎるのよ」
いつの間にか隣にいて会話に加わっている妹を軽くいなす。
無意識を操る妹はまさに神出鬼没だが、それにもだいぶ慣れた。この子に対して驚いたら負けなのだ。気にしないのが一番。
突然現れた自分に驚かないのが不服なのか、唇をとがらせるこいし。私はそれも気にしない。膝の上に乗せた本のページを一枚めくった。
こいしはテーブルの向かい側に座る。ひょいと私がお茶受けに用意したクッキーを、勝手に摘んだ。
「で、どうしたの?」
むぐむぐと租借しながら、もう一度訊ねた。
本に落とした目を、妹に向ける。興味津々とばかりに、目を輝かせるこいし。
相談するのも癪だし、何より面倒なことになりそうだ。黙っていることにしよう。
「あ、もしかして新しく買う下着のこと?」
「……」
「白かあ。まー、お姉ちゃんに派手な色は似合わないけど」
「こいし」
「でも、もう少しオトナっぽいのも似合うと思うんだけどなあ。黒とか」
「こいし止まりなさい」
前言撤回。
変な妄想をたくましくされる前に、さっさと話してしまうことにしよう。
「心が白い、ねえ」
「ね。訳が解らないでしょう」
一通り聞き終わって、こいしは自分で淹れてきた紅茶に口をつけた。
「んー。いや、閻魔様の言うことも解るよ。何となく」
お茶受けに手を伸ばしながら、こいしは言う。
「だってさ、お姉ちゃん、あんまり他人と関わろうとしないじゃん。「自分が覚り妖怪だから」って、嫌われる前に自分から逃げてる感じ? だから、心に色があるとしたら、お姉ちゃんの心は自分で思ってるよりずっと白に近い色をしてると思うよ」
「……」
こいしの言葉を聞きながら、私もクッキーを一つ摘んで口に運ぶ。反論したかったが、なんだかつかみ所がない話で、何て言ったらいいか解らない。
もぐもぐと咀嚼し、ゆっくりと飲み込んでから、私は口を開いた。
「そもそも、心の色って何よ。私は心を覗いてもそんなもの見たことがないわ」
心は、あくまでも文字や数字で埋め尽くされた空間だ。色なんてない、モノクロの世界。
私が覗いた世界は、いつだって無味乾燥で面白みのない空間だった。
それに対し、こいしはわざとらしく息を吐いてみせた。解ってないなあ、お姉ちゃんは。そんな感じの仕草だった。
「あのね。そもそも第三の目で覗ける領域が心のすべてだと思うことが間違いなの。第三の目が覗けるのは、あくまで心の表層部分に立ち現れる思考だけ。その奥にもちゃんと、その人ごとの深層部分があるの」
解ったような顔で、カップを傾ける。
「それが多分、閻魔様に言わせれば色なんだろうね。うん、なんだか解る気がするよ。確かに人それぞれの心に、色があると思う」
色、ねえ。
なかなかピンとこない話だった。
私の心が白っていうことは、私には深層部分がないということ? あまりにもぞっとしない話だ。
私がそう言うと、こいしは笑った。
「そういう訳じゃないと思うけど。白っていうのも、考え方によっては立派な色よ。ただ、他の大抵の人妖はもっと、色んな色がごちゃ混ぜになってるんじゃないかなあ」
嫌われる前に、自分から逃げてる。
妹がさっき言った台詞を思い出す。
「ま、私には解らないけどね。でも、閻魔様が言うんならそうなんじゃない?」
こいしは、カップの中身を一気に流し込んで立ち上がった。
「ごちそうさま。じゃ、遊び行ってくるからよろしく」
「慌ただしいわねえ。もっとゆっくりしなさいな」
「やだよぅ。楽しいことは待ってくれないもん」
軽いステップで部屋を出ていく。
相変わらず落ち着きのない妹だこと。ため息を吐きながら、残った紅茶を飲む。
色、色か。
例えば、妹にも色はあるのだろうか。それに、お燐やおくうにも。
それはどんな色だろう。こいしの言うとおり、ぐちゃぐちゃになった色だろうか。
お茶受けに手を伸ばす。しかし、摘もうとする指が空を切った。
おかしいと思って皿を見る。多めに作った筈のクッキーが、綺麗に完食されていた。
「……こいし」
楽しみにしていたのに。
ああもう。
あの妹の心にも色があるとしたら、まさしく真っ黒に決まってる。決めた。私が今決めた。
こいしは黒。
* * *
全くもう、あの子ったら。
今日で何回目になるか解らないため息を吐く。
膝の上にはまだ読みかけの本がのっかっていた。目を落としてみたものの、内容が頭に入ってきそうにない。静かにぱたんと閉じる。
ソファに深く腰掛ける。ゆっくり目を閉じた。
確かに、私には他人を遠ざけようとする嫌いがあるかも知れない。
もしかしたら、こいしが言う通り、嫌われたくなくて、嫌われる前に逃げているのかも知れない。覚り妖怪、第三の目という看板を盾にして。
その結果が白い心? 何の色にも染まらず、誰の色にも染めさせず。だとしたら、笑える話だ。人のすべてを知りうる能力を持っているくせに、その実、何も知らない。滑稽な覚り妖怪。……
……妹やペット達はどうなんだろう。
いや、考えるまでもないな。
外を飛び回って、色んなものに興味を示すこいし。最近、地上に出ていって、新しい交友関係を築き始めているお燐とおくう。
彼女らは、広い世界で、いろいろな色を吸収し、その色で自分だけの絵を白いキャンバスに描いているのだ。引きこもっている私とは違う。……
思考の海に沈んでいく。
腰を掛けていたソファが、泥濘に変わって私をずぶずぶ取り込んでいくような感触がした。……
* * *
「お姉ちゃん、言い忘れたことがあるんだけど……お姉ちゃん?」
「……」
「何だ、寝てるの? もう、こんなところで寝たら風邪引くってば」
「……」
「掛けるもの、掛けるものないかな……あ、そうだ。えい!」
「……」
「えへへぇ、暖かいでしょ。私もいい気持ちだし」
「さとり様ー。ただいま帰りましたー……ありゃ?」
「うにゅ?」
「あ、お燐におくう。お帰りー」
「ただいま帰りました。さとり様……寝てらっしゃるんですか?」
「みたい」
「で、こいし様は何をやってるんですか」
「肉布団」
「膝枕ですよねどう見ても」
「違うもん。私はおねぇちゃんが風邪を引かないように、暖めてあげてるの」
「そんなむちゃくちゃな……」
「お燐もやる?」
「あたいは……」
「じゃあ私、やる!」
「あっ、おくう!」
「後ろから、えいっ! えへへ、どうですかさとり様、暖かいですか?」
「だから寝てるんだって……あぁあもう、おくうまで」
「お燐もおいでよー」
「行きません!」
* * *
そうして私は夢を見た。
さざ波のような笑い声を、どこか遠くで聞いていた。
潮騒のような心の声が、胸の奥で響いていた。
予想に反して、色のある世界に私はいる。
落ちていきそうな深い青の空。コバルトブルーに染まった、静かに凪いだ海。
夢の中の私は、真っ白な鳥だった。
真っ青の世界で、私だけが何色にも染められずにいた。
青と青の境界を、さまよっていた。
私は、真っ白のまま、目的もなく飛び続ける。
――お燐ったら、妬いてるんでしょ。おねぇちゃんの膝の上取られちゃったから。
――そんなことないですってば。いい加減にしないと、さとり様起きちゃいますよ。ほら、おくうも。
――大丈夫だって。
突然、声が聞こえた。
にぎやかな声たちが、私の夢に無遠慮に飛び込んできた。ノックもしないで。
波のなかった綺麗な青の水面が、ぐにゃりと揺れた。
――うー、やっぱりあたいも!
――うにゅ、いきなり!
――あはは、狭い狭い。
――おくう、あんた鳥状態に戻ってよ。狭い。
――やだよ。こうやってさとり様をぎゅうって、出来ないじゃん。お燐こそ、猫状態に戻ってよ。
――やだ。こっちの方があったかいもん。
私は、大きくバランスを崩す。
なんだか急に重石を背負ったみたいに、体が重くなった。
おかしい。下を見る。
気が付けば、私は何かにまとわりつかれていた。真っ黒で、よくわからない。
目を凝らしてみて、その輪郭がやっと解った。
足を引っ張るように、猫がいた。体を羽交い締めにするように、烏もいた。
離しなさい、と私は言う。
嫌だ、二匹は答える。
ああもう、これでは飛べやしないじゃない。それに、折角の真っ白で綺麗な体が、二匹の黒で汚れてしまう気がして、嫌だ。まるで、真っ白のブラウスに、染みが付くみたいに。
そして何より、このままでは、重くて海に落ちてしまう。
私は、下を見た。
穏やかに凪いでいた青の海は今や見る影もなく、いつの間にか黒く荒れた海原へと姿を変えていた。波は飛沫を上げ、渦を巻く。
二匹の重石に耐えきれずに、私は徐々に高度を落としていく。
ああ、私はこのまま海に落ちて溺れ死ぬのだ。
あの波や渦に取り込まれて、何も解らないくらいぐちゃぐちゃにされるのだ。白かった私の羽根は、黒い猫と黒い烏と、黒い海に取り込まれて、やがて漆黒に染まってしまう。
いつしか、海は大渦を作り出していた。私を飲み込もうとするように、ぽっかりと大きく口を開けている。
私は、飛ぶ気力を使い果たして、どんどん落ちていく。その中心へと。
そして私は、意外なものを見た。
大渦の中心には、こいしがいた。黒い海の中心に、あの無邪気な笑顔で。早く落ちておいで、と手招きをしていた。
――やっぱり、あのとき言ったとおりだ。こいし、あなたの心は、やっぱり真っ黒だ。
私は、その妹の腕に絡め取られて、やがて引きずり込まれる。真っ黒な渦の中心へ。
でも、そんなこいしの笑顔は、やっぱり何にも考えてないみたいに無邪気で明るくて。
それを見たら、私はつい、それでもいいか、なんて微笑んでしまうのだった。
* * *
静かな部屋に、駒を打ちつける音だけが静かに響く。
私たちは、また今日も向かい合っていた。いつものように、二人の前には緑のボードと、並べられた黒と白の駒。
相変わらず、私は黒だった。
「少し、解ったことがあるんです」
「ほう。何でしょう」
「映姫がこのゲームを好きな理由」
ぱちんと小気味のいい音をさせて、映姫が白を置く。黒が一斉にひっくり返った。
「オセロというのは、シンプルで、手が読みやすい。最善の手というのが限られていますから、相手がどこに置こうが、自分の置くべき場所というのが、やり込めば解るようになる。全く、勝てないわけですね」
負けじとぱちんと音を立てながら、私は黒を置いた。挟まれた白が、黒に寝返る。
映姫は眉一つ動かさずに、涼しげにそれを見ている。
「こういうゲームなら、第三の目があっても対等に戦えますからね。考えが読めようが何しようが、相手に合わせて最善の手を選べば勝てる。そう、白黒はっきりつけやすいのです」
殆ど迷うことなく、映姫が駒を置いた。
なるほど、これだけシンプルなゲームは、実力差がはっきりと出る。映姫が好みそうなゲームだ。
「なるほど、映姫が好きそうなゲームですね」
「解りますか」
「ええ、何となく」
「そうですか」
うれしそうに、映姫が微笑んだ。
何となく、映姫は待っていた気がした。もう少し、私が彼女に歩み寄るのを。
オセロ盤は、何も語ってくれないから、私が話さなければいけないのだ。
「二人零和有限確定完全情報ゲームというのですよ。手の組み合わせが有限だったり、あるいは偶然に左右されなかったりするゲームに対する分類です」
「へえ」
「さとりは、こういうゲームは好きですか?」
「そうですね……どちらかと言えば、偶然の要素が絡む方が好きですね。双六とか、あとはトランプゲームとか」
そういう方面のゲームなら得意だ。
第三の目を使って、八面六臂の活躍が出来る。卑怯だが、この閻魔に一度吠え面をかかせてみたい、というのも本音だった。
「それなら今度、人生ゲームでも持ってきましょうか。小町が古い盤を持っていたはず。娯楽に関しては、たくさん知ってますからね、あの子は」
仕事さえちゃんとしてくれればいいんですが、と最後はため息に取って代わった。彼女が愚痴を言っているのを初めて見た気がする。閻魔様も、なかなか大変な職業らしい。
「それじゃ、あとで小町に訊いて――」
「あ、待って下さい」
「何ですか?」
私は、彼女の言葉を手で制止した。
確かに、そういうゲームの方が私は好きだ。好きだけれども、このまま負けっぱなしなのも癪だった。
「私が一度、映姫に勝ってからにしましょう。勝ち逃げはさせません」
その余裕の笑みが、驚きに変わるまで。
もう少し、続けてみようと思う。この奇妙なオセロ・ゲームを。
「さあ、出来ますかね。私は強いですよ」
映姫は、余裕の表情を崩さない。
私は、それに不敵に微笑み返す。駒を一つ摘むと、手を伸ばした。
ぱちん。
小さく、それでもはっきりと、静かな部屋に音が響く。
意外そうな顔をした映姫が、視界の端に映った。初めて、驚かせてやった。気持ちが良い。
二人の視線の先。
黒に挟まれた白が、今、一つだけ――
――裏返る。
贅沢を言えばもうちょっと黒と白に関して何かあったらよかったかもですが。
読了後になぜか二人で楽しそうに盤面を一色(完全試合)にする光景を想起しました……
このさとりと映姫はよくできた上司と部下という関係で好きだな
地霊殿組の雰囲気が素敵です。