Coolier - 新生・東方創想話

女子高生寓話

2011/01/07 19:19:17
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 ふと何処かで誰かが歌っているのを聴いた。
 とても静かで悲しいけど楽しげな歌声だった。どこから流れているのだろうかと、耳を澄ませてみると、それは遠くて近いところみたいだ。この世界の裏側から響いてる。
「――――――♪」
 私もその歌声に合わせて適当に思いついた戯言な歌詞を乗せて歌ってみた。
 メロディラインはパッヘルベルのカノン……奇遇にも私のお気に入りの曲の一つである。
「―――♪」
「妹紅さん、それってなんて歌ですか?」
 私のすぐ横で、紙パックのいちごオレをストローで啄む妖夢が尋ねてきた。気苦労が多いのか白髪ばかりで、黒い髪色が目立つという珍しい髪型だ。今は深紅の太陽を受けて、白銀の髪を肌もろとも朱色に染め上げられてしまっている。彼女は小柄でおかっぱときたもんだから、こけし人形を否応なしに連想してしまう。褒め言葉だと付け加えておこう。
「むぅ」
 私の肩に頭をぴったりとくっつけて座る彼女のシャンプーのいい香りが鼻孔を擽り、すこしだけアブナイ気分になりかけた。
「いま誰かが適当に歌っていただけだよ」
 歌詞をつけたのは私だけど。ふと《愛されたい少女達(Ma"nchella)》なんてタイトルがいいかもしれないなぁ、なんてメロンパンを齧りながら題名した。
 そんな時に旋風が私たちを襲った。
 冬の誰そ彼時の屋上は思ったよりも寒風が強くてとても人が寛ぐことは出来そうにない。もうすぐクリスマスなのか流行のクリスマスソングやらなにやらの音楽が旋風に乗り私たちの鼓膜を揺らす。何の感慨も抱くわけもなく、ただ布教ソングを耳朶に通らせるだけでも季節感は十分に伝わる。それだけでBGMの存在意義はあるというものだ。
 私が通う公立高校では珍しく屋上が解放されていた。申し訳程度の自殺防止用のフェンスが当然のようにあるが、簡単に境界を踏み越えてアチラ側に行くことが出来る。そんなまるで意味を成さない鉄格子の隙間から見る夕日は血の色みたいに真っ赤だった。そろそろ日が堕ちて夜になるのが分かる。
「へぇ。綺麗な旋律ですね。まるでパッヘルベルのカノンみたいです」
 それそのものだが……なんだ知ってるじゃないか。
「カノンメロディだよな」
 私は食べ終わったメロンパンの包み紙をゴミ箱へと投げ捨て、ポケットから煙草を取り出し口に咥えた。
 案の定とも謂うべきか、妖夢が興味津々といった顔で私の一挙一動を注視している。あくまで気がつかないふりをして百円ライターで火をつけた。
 ふぅと息を吐く。肺が痺れるような感覚と共に、緩やかに一条の白煙が昇る。それは青白い女性の手を思い出させ、尚且つ幻視した左手薬指には銀色のリングも見えた気がした。
 昇る煙の様子を妖夢はキラキラと少女漫画のキャラクターみたいな双眼で見つめ続けている。
 ……付き合ってみて分かったことだが、どうも妖夢は悪に憧れる悪癖がある。私を慕っているのもそのせいだと思う。それはそれで悪い気はしなかったが、どことなく重みになっているような気もした。
 妖夢は、俗っぽく云えば「お嬢様」とあだ名されるぐらいの名家の長女である。生まれてこのかたファストフード店に行ったことがないなんて純真無垢な穢れを一切知らぬ健全青少年とは些か考えものだ。
 まったくの余談だが、妖夢の母親……確か西行寺幽々子という名前だったと思うが、あまりの過保護っぷりから、あまり仲がよくない……と、彼女に以前愚痴として聞かされた。
「で、何処にしましょうか?」
「……何がどこって?」
「もう! 耄碌するにはまだ早いですよー」
 本当は分かってるんですよね、となじる妖夢だったが、反面私はさっぱり話の前後が分からない。耐えかねて詳細を聞いてみた。すると彼女は渋々と言った顔で説明をはじめてくれたので申し訳ないという気持ちが芽生えた。
「『期末試験が終わったから何処か遊びに行こう』って、誘ったのは妹紅さんじゃないですか」
「ああ……そういえばそうだっけ」
 そんな他愛もない話もしていたな。私は痴呆症にでもなってしまったのだろうかと病院に通うことまで検討したというのに……この娘は。
「そうだなー。街にでも行ってごはんでも食べに行こうか」
 ありきたり且つ面白みのない提案をしてみることにした。
「わぁっ! 面白そう~。夜の街なんてわくわくしちゃいます!」
 思惑とは真逆の結果だが、妖夢は羨望剥き出しの眼差しを宙に向けた。その姿はサンタクロースを信じる子供のように無邪気に見えた。もっとも私はサンタクロースの存在そのものを最近まで知らなかった。我が家はキリスト教ではないのだから仕方ない。
「よし、早速行こう」
 ポイ捨ては私の趣味じゃないし校内で吸殻が見つかると後々面倒にもなるので、いつも持ち歩いている金属製の携帯灰皿に煙草を押し付け消火し、立ち上がった。
「はいです」
 私たちは荷物をまとめ小奇麗な校舎を出た。
 学校前の大きな道路沿いにあるバス停から馴染みのそれに乗り込み、そこから最寄りの駅へ向かった。バス直通で街まで行けないのは少々不便だが、駅から街までは五分ほどの距離しかない。
 駅では丁度帰宅ラッシュということもあってなのか、人で溢れかえっていた。草臥れたサラリーマンにミュージシャン気取りの若者、冬なのにミニスカを履いている女子高生。縦社会も横社会も無いただの群衆としての集まりである彼らを尻目に、私たちは彼らが先程までいただろうと思われる場所へと向かう切符を購入し、改札口を通った。
 電車が来るにはまだちょっと時間があるな……などと思っていたら、線路を挟んで向かい側で悲鳴と嗚咽それに嘔吐の音が響き渡った。どうやら誰かが電車に飛び込んだらしい、と名も知らぬ男の叫び声で分かった。
「ひ……!」
 妖夢が今しがたまで人の形をしていたピンク色の肉塊を見ないように目を固く閉じた。同時に彼女の両手は私のスカートの裾を力強く掴んでいた。
 別段見る気もなかった私は、妖夢の手を振りほどかずにそっぽを向いていた。
「最近、自殺者多いですよね……」
 涙声になってるぞ。
 目の前に死体があるわけでもないのに恐る恐る目を開いた妖夢は悲しんでいた。瞳には少しだけ弱アルカリ性の液体が溜まっている。
 こいつは今時にしては珍しく、表裏がない性格だと分かりきっている。きっと今も心底、自殺した者に同情しているのだろう。面倒くさいけど面倒くさくない奴……そんな言い方が的を射ているだろう。うーん、自分でもよく分からないな、と自嘲した。
「ま、ひとりだけだからそんなに時間は食わないだろ。あと十人が続いて自殺するとかになったら今日は大人しく帰ろう」
「帰るにしても私はこの電車に乗らないと、お家には帰れないんです……」
「なら仕方ないな。諦めろ」
 私は煙草を取り出そうとして、ここは禁煙だと示すでかでかと張られたプレートが視界に入ったので動作を取りやめた。
「……なんで自分を殺すんでしょうか」
 唐突な疑問を妖夢が白息混じりに小さく呟いた。
「さぁな」
「死ぬぐらい辛いのでしょうか」
「私に聞かないでよ。自殺者の気持ちなんて分かりたくもないわ」
「そうですよね。分かった時があったら死んじゃいますよ、私」
 ホントは気持ち悪いぐらい分かる。どこかの本で書いてあった。死とは抗いがたい誘惑に満ちた林檎であると。一瞬の勇気があれば、この世のウザったいしがらみから解放されるのだから縋りつきたくなるのは分からなくもない。
 ……まぁ所詮は構ってもらいたいが為に、こんなひと目のある場所で死ぬわけだ。要する構ってもらえなかった子供たちの最初で最期の周囲への反抗というわけだ。自殺に子どもが多いのも頷ける。
 しばらくしてから電車が来た。人が一人死んだというのに平常運転とは素晴らしいほどに唯物信者だなと内心で賞賛を送った。というわけで世界は今日も寸分狂わずに正常運転だ。
 車内は暖房が効いておりとても温くて澱んだ空気に満ちていた。私を含め、外で起きたことなんて微塵も思わない無機質な人々を乗せている。
 幸運にも席が二つほど空いていた。そこに二人並んで腰掛けることにした。
 乗ってから一分もたっていないのにガタンゴトンという心地のよい電車特有の振動が私を眠りへと誘うが、例によってそれに抗う。ところが、そんな私の頑張りを余所に肩に重みを感じて目を横にやると、
「…………」
 妖夢は順当に睡魔に大敗を喫していた。一定のリズムを刻む幽かな寝息が私だけに聞こえる。夢の国へと漕ぎ出している場合じゃないだろ。というか、よく一分弱で眠れるな。
 起こそうかと思ったけど、それもやめた。どうせ五分少々だ。我慢してやろうと思う自分はいつにも増してらしくない。
 ………………。
 …………。
 ……。
 目的地到着を告げる鼻のかかった独特の声が車内に響き渡った。
「おい、ついたよ」
 私は既にドリームランドフリーパスを購入し、メリーゴーランドで遊んでいると思しき少女の肩を容赦なく揺すった。彼女の重い瞼がゆっくりと開き、
「ぅ……ん?」
 などと可愛く呻きつつ、妖夢は切符を握りしめた拳で猫みたいに目を擦った。どうやら虚ろな瞳で周囲を観察して状況把握に務めているようだ。
「しっかりしてよね。ここは御伽の国じゃないわ」
「……はいです」
 ふらふらと安定しない足取りをしている相方はひどく危なっかしい。よって私は、彼女の手を引いて白雪姫の王子様よろしくリードしながら駅を出た。以前もこんな感じで誰かを保健室に運んでやった気がする。
 街には所狭しと碧と白が基調のイルミネーションで着飾られていた。どうやらここでもクリスマスムード一色らしい。期間限定ではあるが、人の血が僅かも通っていないビル群ですら、たちまちに人の温かみのある建物へと早変わりだ。
「うわぁっ……!!」
 妖夢は先程の寝起きのローテーションが嘘のように、見る物全てが新鮮だと云わんばかりに興奮していた。つられたのか、私も自然と楽しい気分になるような気がした。気がしただけだけど。
「すごいです! ものすごく感激感動です!」 
「そ、そうか。よかったな」
 やっぱり彼女とのテンションに落差がある。まぁ、無理に合わせる必要もないなと思い直し、自分らしく振舞うことにした。私ごときの楽しい気分では彼女の『ハイパー楽しいですテンション』には付いていけそうにない。
「ありがとうございます! やっぱり妹紅さんは頼りになります」
 私はそんなに単純な人間じゃないと反論したくなった。
 が、頼られるのはそれほど悪い気分じゃなかったし、反論してこの空気を壊すのはもっと悪いことだと考え直し、口を噤んだ。
「とりあえずファミレスにでも行こうか」
「そうですね!」
 当たり障りの無い提案をしてみたら、思いの外妖夢の食いつきは良かった。しかし、流石にアレだな。ハイ過ぎるんじゃないか……。
「……そのテンションどうにかなんないのか?」
「ん? 私変ですか?」
「いや……別にいいや」
 諦めるも逃げるも決断にかわりないと、教えてくれたのは誰だっけかな。意外なところで役に立ちました、と心の中で名も知らぬ先生にお礼を述べた。
「さてと。どこのファミレスにするか」
「どこでもいいですよ」
「そう。じゃ安いところにしよう」
 今月はバイトのシフトがあまり無いので浪費は勘弁願いたい。給料日までまだ日数があるという事実もそれに伸し掛る。そんな俗っぽい思惑でいっぱいな私は、薄氷の張ったアスファルトを歩き始めた。歩くたびにパリパリと音がなり、童心に返るという言葉の意味を知った。
 夜の町を闊歩する人々はそれぞれの顔をしていた。嬉しそうな顔だったり、落ち込んでいたり、それは様々だった。
「…………」
 その中に一人だけひと際異質な『モノ』がいた。それは女だった。
 華飾服に身を包むどこかのファッションモデルみたいに高身長の女性は自身の周囲に形容し難い空気を纏わり付かせていた。顔は夜陰があるため、幸か不幸か詳しく覗い知ることはできない。私たちの歩くメインストリートの真正面からゆっくりと自分たちと同じぐらいの速さで移動しており、彼女が歩を一歩進める度に左右に振り子のように白銀の髪が揺れた。百人男がいれば、九十九人は振り返ると難なく予想できる可憐とも美麗ともつかぬ容姿だが、それらは全て彼女の不気味さに拍車をかけるだけだった。
 肌の色や顔立ち、それに髪色からして独逸人だろうか。一見しただけではどこかのバイトの女がコスプレをして客引きをしているのかと思ったが、そんな様子は微塵も見られなかった。唯唯ゆっくりと歩いているだけ。しかし。
 どことなく見覚えがあった。

 挨拶ヲシナイト―――。

「……? どうしたんですか、妹紅さん」
 現実に引き戻された。ざわつくレストランの店内にはぬるい空気が充満している。
 目の前では妖夢がお子様ランチを頬張っている。たしかお子様ランチって、店側からするとコストパフォーマンスがすごぶる悪いため、一定の年齢以上になると注文できなかったはずだが……まあいいか。よほど妖夢は童顔だということの証明になるな……無論褒め言葉だ。
 ちなみに私は銀色のスプーンを手に持っていて、目の前のオムライスサラダセット。なるほど、レストランで夕飯を食べていたのだった。いよいよ病院に通った方がいいかもしれないな。通うとしたら精神科……それとも心療内科か?
「妹紅さん?」
「え、いや……別になんでもない」
 誤魔化すためにケチャップライスを口に運んだ。とうの昔に味覚が馬鹿になっているために美味しいのか不味いのか分からなかった。美味ということにしておこう。
「そうですか。さっきからずっと硝子の向こう側を見ていますけど……もしかして、私と一緒に御飯食べるのがいけなかったですか?」
 申し訳なさそうに俯く妖夢は、とても寂しそうで見ているこっちまでも悲しくなってしまう。事実ぼーっとしていた自分が悪いのだけれど。
「そんなことはない。ごめん、ちょっと呆けてた」
 手で謝るジェスチャーをして、その場は収まった。再び妖夢はプリン型の炒飯を口に運ぶ作業を再開した。
 それにしても。
 あの女性は何処かで見たことがあると、ノイズのように私に不愉快な気分を与えた。
「あの、妹紅さん」
「なに?」
「食べ終わったら寄りたいところが在るんですけど……いいですか?」
「いいよ。どこなの?」
「ゲームセンターってところです。悪い人たちばっかりいるところらしくて、一人じゃちょっと行き難くて……」
 おいおい、と内心苦笑した。どこまで世間知らずなんだこの娘は。ゲームセンターなんて昔ならいざ知らず、今では深夜だろうがドラマ的な出来事は皆無だ。向かう途中で質の悪いキャッチに掴まれなければの話だけど。
「そうだな。ま、二人いれば大丈夫かもな」
「やった!」
 目を細め喜ぶ妖夢を見ているうちに、どうでもよくなった。

  ●

 ベランダから小鳥の音色が聞こえるのも日常だと感じながら醒めた。
「……朝、か」
 直後に六時半にセットしてある携帯の目覚ましアラームが鳴り響く。毎度の事ながら睡眠過不足が無いのは褒められたことだ、などと思いながら耳障りな音を止めた。
 気怠い体を起こし、一服するために台所へ向かった。朝はやっぱり冷え込むが寒さには慣れていた。
 我が家の換気扇の作動音は、ぶーんっ、という蝿の唸り声に似ているといつも思う。
 一連の小慣れた動作を行い、肺いっぱいに吸い込む。
 吐いた息が自分の息なのか、それとも発がん性たっぷりの白煙なのか……曖昧模糊だ。
 煙草を吸い始めたのはいつごろだろうか……なんて意味の無い事が脳裏を掠めた。それは兎も角として周囲と距離をおくにはいい小道具だった。
 他人に介入されることが大嫌いで、人を寄せ付けないような生き方を心がけた。
 ホントは。
 自分が第三者からどう見られているのか気になって仕方がない。
 他人からの評価が、他者にどう見られどう思われているのかが堪らなく怖いのだと自覚していた。中学生ぐらいの頃は他の人なんていなければいいのになんてことも思ったりした。
 だから私は孤独で孤高を気取っている。誰にも理解されない一匹狼の皮を被って、「あいつは何を考えているのか分からない近寄り難い奴」って称号をもらったほうが気楽だ。
 だって所詮は人間なんて一人だろう? 
 だったら何もいらない。私はそうやって生きていくのがもっとも賢いと知っていた。
 人は死に物は崩れる。失うぐらいなら最初から持たなければいい。
「でも昨日は……」
 昨日は、といっても昨夜に限ってにしようか。どうせ午前中は期末テストを受けていただけだ。
 ファミリーレストランに行った後ゲームセンターにいってはしゃいだ記憶がある。何も知らない妖夢はいろいろなゲームに挑戦して玉砕した。そして店員を呼び出し難しすぎると難癖をつけ、「もう二度と来ません!」と暴言を吐いて帰宅したのだ。そして私は寝た。
「……そういえば、私は昨日風呂に入ってないな」
 学校に行く前にシャワーだけでも浴びていこうと思い、ガラス製の灰皿に火種を押し付けて消した。
 ガスをつけた直後の最初の一分は冷たい水だったが、次第に熱い熱湯が湯気を立たせてタイルに打ち付けられた。寝間着を脱ぎ捨て、シャワー室へ入った。
 リンスを取るときに左手首がちらりと映った。
 生傷が絶えない紫色に鬱血した左手首は、自分の体ながら心底醜い。ホントならこんなことはしたくなかったのだが、仕方ない。
 息をしない魚は死んでしまうだろう? だったらその行為をしないわけにはいかないよ。
 愛用のカミソリが私を見てニタニタと意地悪く哂っている。
「…………」
 『彼』の嘲笑を無視し、私はお湯を止めた。
 シャワーを浴び終えると、気のせいか先程よりも寒くはなかった。
 手早く下着やらワイシャツを着こみ、上に灰色のブレザー、下は赤のチェックのスカートを纏う。
「朝御飯は買ってけばいいか……」
 一人暮らしになると、自然と独り言が増えるというがまさにその通りだった。自分は寂しがり屋ではないと自負していたのだが、自己評価を改めなければいけないな。
 外気に備えて、制服の上に血潮の様に赤いダウンコートを羽織った。以前、妖夢とウィンドウショッピングに行ったときに一目惚れをして衝動買いしてしまったものだ。給料の半分以上をもってかれたことを思い出すと、我が家で二番目ぐらいに高いものじゃないだろうか。ちょっとゴワゴワとしていて重いけどお気に入りの服だ。
 まだ早いけど、学校に行こう。
「じゃ、行ってきます」
 嘗て誰かに告げていたはずの出かけの挨拶は誰もいない室内を彷徨った。
 最寄りのバス停まで徒歩で良く途中に、カラスがゴミ袋を啄いていた。彼らが猛る度に黒い羽が路上に散りばめられる。なんともなしにその一枚を踏みつぶし、路を急いだ。
 幸いなことに一番近いバス停は学校直通のバスだ。しかも短い間隔ですぐに来る。余り暇を持て余すこともなく、バスが来るのだ。今日もそうだった。
 乗り込むと同じ学制服を来た学生がちらほらと見え、ひっきりなしに盛りのついた猫のような会話を繰り返している。私の通う都立高校は女子高なので女生徒しかいないのだから、その手の話しは自然と他校への話題へとスライドするのだ。嗚呼、女三人集まれば姦しいとはこのことを指すのだろう。
 視線を泳がすと、バスの電光掲示板が目についた。最近のニュースを右から左へと流れていた。当然ながら昨日の自殺ことなんて触れられてもいなかったが。
 無関係な知らせに心底うんざりとして、目を閉じて眠っている振りをした。虹色みたいな黒色が視野を覆った。
 ………………。
 …………。
 ……。
 バスが学校に到着したらしく、運転手が学校の名前を呼ぶ。それに応じて降車すると、まずはじめにこれでもかというぐらい権威を誇示する仰々しい門が視界に映った。上品さも何もないくだらない門を潜ると、バブル期に買いあさった土地に之でもかというぐらい大きな庭園と小さな池がある。聞いた話によるとナマズを飼っているらしい。まったく、成金ここに極まりだ。ついでにトランペットだかホルンだかよく分からない間の抜けた吹奏楽部特有のチューニングの楽器音が聞こえる。気にせず校舎に入ろうとして、入れなかった。
 いつもは開放されているはずの下駄箱前の扉が施錠されている。ガラス飛散防止フィルムと土埃で濁りきっている開き戸が開かないのだ。
 仕方ないので裏口から入ろうと試してみたが、やっぱりここも開かない。
「……早く来過ぎたのか」
 ちょっとだけ不安になる。どうしようか。とりあえず携帯で今の時間を確認しよう。飾り気のないディスプレイ画面の時計には七時三十二分と表示されていた。
「チッ……」
 思わず舌打ちをしてしまった。
 時刻のすぐ上には「sat」と小さく曜日も添えられていた。そうだ今日は土曜日だった……アホだな私は。
「あれ、妹紅さんじゃないですか」
 聞き慣れた鈴の音の声が遠くから聞こえる。振り向けば、灰色のブレザーの上に深緑色のトレンチコートを着込んだ妖夢がいた。コートの袖で半分以上見えない妖夢の手には、彼女の大好きな紙パックのいちごオレが握られていた。
「珍しいですね。休日登校なんて……はっ、まさか呼び出し!?」
 そんなに憧れ剥き出しの目で見るなよ。いいことじゃないよ、呼び出しって。その視線は期末テスト一位を取ったやつに向けるものだ。もちろん私ではない。
「……まぁそんなところだ」
 まさか間違って来たとは言えないので、私は嘘を吐いた。
「バックレないんですか?」
「いや別に。……それよりもなんでお前はここに?」
 まさか『部活』をやっていますとかぬかすんじゃないだろうな。
「今日は空が綺麗なので部活をやってました」
 真性のアホだ、こいつは。などとは言わずに、
「ふぅん。真面目だな」
 と努めて棒読みで答えてあげた。
 『青空研究会』なんて体のいい帰宅部じゃないか。ちなみに私の学校は部活入部が絶対条件なので、こんなひねくれた部活が生まれたわけだ。偉大かつ怠惰な先輩たちも考えることは一緒ということだ。
 ところが一方でこんな馬鹿げた部活を真剣にやってるやつもいるわけで。そんな天然記念物並みのアホは今すぐにでも、ワシントン条約で然るべき処置なり保護なりを受けるべきだと確信した瞬間だった。
「あ、そうだ今日は魔理沙さんもいますよ」
「へぇ」
 あいつが休日に『彼女』見舞いしないで部活なんて珍しいな。何かあったのだろうかと少しだけそそられたが、それをおくびにも出さずに素っ気なく告げた。
「ちょっと部室に寄っていきますか?」
「ん、そうだな。……行ってみようかしら」
 そこまで思ってふと疑問が頭を掠めた。
「妖夢……貴女、どうやって学校に入ったの?」
 私の知る限り、生徒が入れる場所は全て閉まっているはずだ。こいつが実は幽霊で、壁なんてすり抜けられるという意味不明な特技を持っていない限り、校舎には入ることは不可能なはずだ。
「……? 窓からですけど」
「どこの?」
「校長室の窓です。戸締り甘いので簡単に入れますよ」
 ……これを泥棒と言わずして誰を泥棒と罵ることができようか。しかもよりによって校長室とは。こいつは正真正銘馬鹿の神様だ。
 ……まぁ、細かいことはいい。外での立ち話は体を動かさない分寒さが通常の三倍増しなので一刻も早く室内に入りたい。
 バイトの時間まで特にやることはないという付加事項もそれに後押しし、私は妖夢に導かれるが儘に学校に侵入した。
 バレたら停学ものだな……退学にはならないだろう。ちなみに屋上=部室だ。帰宅部なんかに振る舞える部室なんて存在しない、と生徒会が言い放っていたことを思い出した。
「…………」
 ふと妖夢が私の顔をじっと見ていることに気がついた。
「……? どうした。私の顔になにかついてる?」
「いえ別に。やっぱりバックレるんだなって」
 天使のように小さく笑って、妖夢は視線を空した。
「…………」
 バックレるもなにも、これが見つかったら私も貴女も現行犯逮捕だよ、と内心で苦笑いをしている私を尻目に、妖夢は校長室の窓を勝手知ったる我が家の玄関扉を開くように淀みなく侵入した。
 主不在の校長室でも暖房はがんがんにたかれていて、温度差でちょっとだけ目眩がした。
 職員室を経由して廊下に出た。先ほど地獄の様な快暖を体験した私にとって、廊下は流石にちょっとだけ寒かったが、それでも外よりは全然マシだった。
 階段を上り、屋上の入り口である鉄製の扉を開くと、太陽光に晒されていたためか予想以上に温かかった。アスベスト検査で色々と揉めた鈍色の床は今尚向日葵のように日光を吸収し続けている。
 もう一つ予想外だったのは、妖夢が告げた人物のほかにももう一人いたことだ。
「…………」
 首だけで振り返り、墨汁を垂らしたような艶のある黒髪の隙間から鋭利な視線を覗かせた。
 無論私も睨みつけた。他者から見れば一触即発な空気に妖夢は慌てふためいているが心配ない。これは私たちなりの挨拶なのだ。
「出不精の輝夜が休みの日に学校に来るなんて……今日は槍でも降るのかしら」
「降っても別に困らないけどね」
 憎たらしく言い放つ彼女は、着色料満点の毒々しいが故に色彩豊かな飴を三粒ほど投げつけた……私にだ。
 思いの外痛い。私は拾わないので妖夢がせっせとおはじきみたいな飴玉をかき集めていた。
「そんなことしなくてもいいんだって」
「え、でももったいないですよ」
「だから――」
「まあまあ」
 私たちの会話に向けて、柔和な声が響いた。
 蜂蜜で染め上げたみたいな眩しい髪を風に梳かせ、快活を絵に描いたような笑みを張り付けたそいつは霧雨魔理沙だった。いつもどおり雲みたいに掴みどころのない人物だ。
「今日休みなのに、こんな場所で何してるの?」
 私は当然して然るべき疑問をぶつけた。すると彼女は周りを一瞥し、
「いやぁ別に」
 桃色コバルト華の結晶みたいな頬を掻きながら答えた。
「実は昨日、パチュリーんとこ見舞いに行ったんだけどさ、『迷惑だから』って断られちゃって」
 たははと笑う魔理沙は寂しげで、いつもより声のトーンが落ちている。気のせいかも知れないが。
「馬鹿ねぇ。それでも通い続けるのが紳士で王子様な近道よ」
 輝夜はいやらしい笑みを浮かべながら続けた。
「アナタは彼女にとっての王子様なんだから、もっと大切にしないと――ね」
「王子様って……私は生物学上は女性だよ」
「そうですよ! 王子様なら妹紅さんが相応しいです……!」
「おい、妖夢。それはどういう意味なのかしら……」
「ふぇ……私何かとんでもないことをしれっと!?」
「いや、聞かなかったことにしておくわ」
 私たちのやりとりをみて、ケラケラと笑う魔理沙と輝夜であった。
 ………………。
 …………。
 ……。
 特になにをするわけでもなしに、部室という名を称された屋外で各々は思い思いに過ごしていた。
 音楽(おそらくは洋楽だろう、最近『なんとかパープル』にハマっていると聞いたことがある)を聞きながら昼寝をする魔理沙には寒くないのかとは問わない。だっておそらく彼女は「大丈夫」と答えるだろう。答えの分かりきっている質問ほどナンセンスなものはないのであえて聞かない。
 屋上のコンセントから電気泥棒をしている輝夜は携帯ゲーム機に興じていた。柵を背に寄りかかりながら座り込み奇声を発していた。掛け声や喚き声やらが非常に五月蝿い。でも帰ってやればいいのにとは言わなかった。彼女の家も妖夢に負けず劣らずの秩序規則ギッチギチな生活らしくゲームなんて低俗なものは家では絶対に出来ないと以前聞いたことがある。妖夢の家が古くから代々の地主とするならば、彼女の実家は戦後一代にして富と名声を築いたわけで、言い方は悪いのかもしれないがニューリッチというやつらしい。
「……クッソ勝てねぇし!」
 空に向かって叫ぶ彼女は、どうみてもそんなキチキチな生活はしていないように見えるがアレはアレなりに苦労があるのだと納得するしかなさそうだ。輝夜から視線を外し出入口のドアに目をやると、
「あれは入道雲っと……」
 妖夢は妖夢で先程から熱心かつ楽しそうに青空のスケッチをとりつつ、理科(地学ではなかった)の教科書とにらめっこをしていた。あんまりにも毒をしらないというのも毒だなぁと私たちに考えさせてくれる。彼女に悪気はないのだけれども。
 そして私はというと。
「…………」
 別にやることもなかった。強いて言うなら手すりに寄りかかりながら四本目の煙草に火を付けたぐらいだ。やることはないが、ちょっと寒いけど家よりも居心地がいいのでここに居た。
 普通よりも高い目線で見下ろす地形は殆どが灰色の道路で、ひっきりなしに車が通り排気ガスのありがたくない効果により更に濁り汚されている。誰の要請か分からないままに植えられた街路樹なんて味気がなく、ソレ以外は飴玉と同じぐらい人工的な色の看板ばかりだった。それらのすぐ上に貼りつく青空やら雲やらと対比すると非常に拙く、どうあがいても勝てないんだなと私に実感させてくれた。
 私は、ただ道路を見つめ続けていた。時折蜉蝣のように視界がぼやける。
「あれは……」
 昨日妖夢と一緒に乗り込んだバス停のすぐ横で白髪の女が私を見ていた。そいつの紅色の双眼は空を睨んでいるわけはない。私をじっと見つめている。観察してみると昨夜と同じような碧と白を基調とした華美な服を来て。
「―――――」
 戦慄。哂った。世界がネジの様に回った。膝から崩れ落ちそうだ。事実私は膝をついてしまっていた。彼女は、桜色の唇を歪めて、綺麗な下弦の月を象ったのだ。気づくと彼女は居なかった。いや、元々存在しなかったのかも知れない。しかし背筋が凍るほどの微笑は脳裏に焼き付いて離れないので幻覚ではないと信じたい。
 私たちとは住んでいる世界が違う。
 まるで幻想世界に住んでいるみたいに異質異常という唯心的存在をを具現化させたような女のいた場所を呆然と見つめ続けることしかできない。
 ……もしも夢幻ならばいよいよ精神科に運ばれてしまう。むしろその方が心地良いのかもしれないなどとくだらない思考も過る。
 昼を告げる鐘が低く唸り、私を此処へ呼び戻す。そよりと軟風が首筋を撫でた。それすらも女の冷ややかな掌のような悪寒しか感じ得なかった。
「お昼ですねー」
 妖夢の声に脊髄反射してお昼だな、と私は答えたけど論理的思考はどこかへと置き忘れてしまったようだ。
「……お昼どうします?」
「ん……バイトあるからもう帰るよ」
 私は脳に蔓延るノイズと共に足早にその場を過ぎ去った。誰かの「また月曜日に学校で」という声が幽かに脳髄に響いた。

  ●

 月曜日に私が学校に登校すると、妖夢が死んだという事を聞かされた。うわさ話を統合すると、屋上から落ちて死んだらしい。空と床の境界線に綺麗に足あとが揃えられていたことから自殺だということだ。
 それからはよく覚えていない。
 葬儀に出かけた。正直どんな顔をしていいのか分からない私とは裏腹に、周りの人(主に生徒)はさめざめと映画のワンシーンの様に泣いていた。
 ……妖夢が人望があったのだろうな。ちょっとだけ羨ましいという相応しくない嫉妬を覚えたが、そんな自分を恥じたので錆びたナイフで押し殺した。
 おそらくひときわ大声で泣いているのは妖夢のご両親だろう。母親は気が触れた様に号泣し、見た目からして武道一筋の父親も涙を見せていた。
 葬儀も終わり、外に出るとひときわ寒かった。寒さに耐性のある私も流石に身を震わせた。
 頬だけが異様に痛いぐらい冷たい。なぜなのかしら。
「あ……」
 ホワイトクリスマスだった。なにもこんな日に、という憤りも覚えた。嘲る無謬な天使は、私の様な塵芥の願いなどいちいち聴いてられないと謂わんばかりに羽が地上に舞い降りる。ふわりふわりと無風に晒される落下運動は悲しいまでにメルヘン調で、アスファルト大地に触れた途端に無残にも掻き消えた。
 素直に感嘆の声など出すことができない。
「あー雪振ってるー!」
 葬儀から出てきた生徒が嬉しそうにはしゃいでいる。声色には憐憫やら懊悩やらは欠片も見えなかった。

 ほーら。

 所詮はペルソナだらけの猖獗に満ちた世界じゃないか。

 失うだけなら持たないほうが……楽だろう?

 祝(のろ)いめいた言の葉が螺旋階段みたいにぐるぐると反芻された。
 同時にあの女の微笑がフラッシュバックする。何故だか分からない。
「あーえっと……話聞いてるかしら」
「え……」
 目の前には知らない女性が居た。同時に自分が腰掛けていることにも気がついた。そうだ、私は目の前の女性に導かれるままに最寄りのレストランへと移動したのだった。奇しくも、そこはあの日妖夢と一緒に夕ごはんを食べた場所だった。あの日よりも一段と暖房が効いていた。窓の外では真宵を背にして、埃みたいな雪がひっきりなしに降り注いでいる。
「うん。聞いてないみたいね」
 一粲しつつ、女性は自分の髪を弄った。彼女の癖なのかどうかは分からないが、蠢動する指先を妖艶に髪の毛を巻きつける仕草は、それこそ雪の肌と揶揄してもいいぐらいだ。それは煙草の煙のようにか細く繊細なピアニストみたいな指先だった。
「……すみません」
 意味もなく謝ると、これ見よがしに女が憂いを帯びた視線を伏せた。妙に演技かかって見えるのは私の物の見方が歪んでいるからなのだろうか。
「無理も無いわ。だってご友人をなくされたんですもの……」
「えっと……貴女は?」
「私? 私は八意咲夜ってさっき名乗ったじゃない。ほら、貴女の学校で養護教諭をしている八意永琳の娘よ」 彼女はテーブルの上の珈琲に砂糖を入れかき回しながら告げた。そして一口だけ液体を飲みながら続ける。
「もっというと『青少年健全育成理事会』の一人なんだけどね」
 彼女の手の白いカップがテーブルを叩いた。そんな胡散くさい会があるのか。
「いま、『胡散くさい』って思ったでしょ?」
 私に人差し指を向けながらクスクスと笑う彼女はもっと胡散くさかった。それを契機にコイツを『信用できない人物リスト』にカテゴライズすることにする。方法は簡単だ。黄色のラインマーカーで一本線を引く感覚。それこそ教科書の重要な部分に線を引くのと同じようなものだ。
 他人と自分を区別するためには必要な領土分割行為。侵食されないように、浸食されないように予防線を一本引く。そこを一歩でも踏み越えようとしたら、私はラインごと身を引く。そうやって私は私を保ってられるのだ。
「……別に。で、私に用ってなんなんですか?」
 本音を言うと、今は誰とも話したくないのだけれども。よく『人に悩みを打ち明けると気が楽になる』と曰う輩がいるが、あれは嘘ね。秘密を共有したところで、愛なんて利己的な感情しか生まれない。
 半ば拉致気味に彼女に連れて行かれた事を後悔した。あの時は私もどうかしていたのだろう、そうとしか思えなかった。そう思い込まないと不安定になってしまう。
「ちょっと話を聞きたいだけよ。妖夢、さんは生前変わったことなかった?」
 妖夢の名前を出したとき彼女は、一瞬だけばつの悪そうな顔をしたのを私は見逃さなかった。が、ソレが何を意味するのかまでは行き着かなかった。
「いえ。別に」
「そう……自傷行為とかも?」
「私の知る限りそんなことはありませんでした。最後に会った時も月曜日に学校で会うと約束をしました」
「そう。じゃあ―――貴女は?」
「は……?」
 なぜ私の話題になるのか。
「貴女はそういうのないの?」
 極めて真剣な眼差しを私に向けた。
 それは……今は関係ないだろう。慇懃無礼とはこいつの為に生まれてきたような言葉だ。全てを自分より下に見ているかのような態度がいちいち尺に触る。私は先に引いた白線よりももっと後ろ側に下がる(イメージをした)。
「どんな些細なことでもいいわよ」
 ある。
 けれど。
 貴女はそれを話すに、秘密を共有するに値しない。
「ありません」
 はっきりと、憤りを無感情で包みこみ告げてやった。
「そう」
 彼女はそれっきり何も言わなかった。そしてカップに並々と残る黒い液体を一気に飲み干した。
「もう行きましょう、咲夜さん」
 凛とした声が私ではなく、目の前の咲夜という人物にかけられた。
 声の出処を探ると、咲夜のすぐ隣でちょこんと腰掛けていた。一体いつからそこにいたのだろうか。存在が希薄すぎた。発声をしなければずっと気付かなかっただろう。
 綺麗に前髪が整えられて、声と同様に凛とした整った顔立ちからは不釣合なまでに鋭い刃の如き視線が私に向けられていた。しかしそれ以上に目につくのは青空を切り取ったような空色の和服。日本舞踊の稽古の休憩中だという言い訳が通用するだろうと容易に推測できる。
 咲夜は隣りに座る女性をちらりとみやり、私に視線を戻した。
「そうね……じゃあ私達は暫くこの街にいるから。なにかあったら相談してね」
 そう言いながら紙ナプキンにボールペンで電話番号を書き記し、私に手渡した。実際の会計金額よりも多めにテーブルの上に紙幣をおくと同時に席を立ち、瀟洒な動作で私に背を向けた。
「…………」
 咲夜の後に続く和服の女性は、どことなく妖夢に似ていた。きっと成長したらあんな感じになったのだろうなと、今となってはありえない未来を予想してみた。

  ●

 穏やかな午後に血は降り注いだ。
 鬼哭啾啾のクラスから私は先生に支えられ、どこかへと移動していた。ちらりと視線を後ろにやると、歩いた軌跡には左手首から滴り落ちる林檎の様な血痕が点々としている。まいったな。公共の場ではあまりやらないようにしていたのに。
 そして私は保健室で寝かされていた。左手首は真白な包帯が紅く錆びた鎖のように絡められていた。
 私の部屋にあるものよりも高級だと思われるベッドは、しかし私を眠りに誘うには力足らずだったようだ。悶々とした気分のまま、どれぐらいの時間が過ぎ去ったのだろうかと想いを馳せた。分からないが眼を閉じて闇に体を預けることしかできない。薄紅色のカーテンの隙間から溢れる木漏れ日は輝き、どこまでも純白な部屋を煌々と照らす。宛ら西洋教会のようだ。もしくは黎明のモン・サン・ミシェル……いや観たことないけど。
「具合どう?」
 カーテン越しに八意永琳養護教諭が私の容態を尋ねた。女性の私がみても色っぽい。これが人妻故の艶やかさなのだろうか、などとくだらない美容観念について考察をしてみた。
「あまりよくありませんが、平気です」 
 ぶっきらぼうに答えると、八意先生は困ったように笑い、
「もうちょっと休んでいきなさいな」
 あくまでも優しく提案した。優しい瞳の奥では、きっと面倒くさいやつだなという念が込められているのだろう。そういう扱いは慣れっこだ。別に彼女とソレ以上の関係になろうとはさらさら思ってもいないので無問題なのだけれど。
 彼女は穏やかな微笑を崩さずに私に近づいてき、何気なしに私の左手首をつかんだ。どうやら私の傷の具合を確かめているようだ。
「綺麗な肌なのに……ダメよ。こんなことしちゃ」
 先生は出来の悪い生徒を諭すような口振りを使った。
 ――馬鹿みたい。
「貴女の指先はとっても綺麗よ。指は人そのものを表すというけど、それが本当だと分かるほど優しくてあったかい指ね」
「先生のご息女ほどじゃありませんよ」
 皮肉を言ってやった。
「……何言ってるの? 私に娘なんていないわよ」
 若干怒気を内包した声色だった。そりゃそうか。既婚者じゃないのに、子持ちと間違えられたんだから―――。
「私は貴女の娘に会ったんです。しらばっくれないでくださいよ」
「はぁ!? 私は結婚もしてないし、子供もいません!」
 真剣に怒り始めた。年不相応な怒り方は反則的なまでに可愛い。けど、
「八意咲夜って名乗ってましたし、貴女の娘だとも公言してました」
「あの……呼びました?」
 誰もいないと思い込んでいた隣の部屋からか細く、病的な声が投げられた。カーテン越しなのでシルエットしか分からないが、どこかで見たようなシルエットだった。しかも最近だ。
「えっと、どちらさま?」
 思わず私は尋ねてしまった。
「十六夜咲夜さん。生まれつき体が弱くて保健室の常連さんよ。貴女が大声出したから起きちゃったんでしょ」 代わりに八意先生が答えてくれた。大声出したのは先生でしょう、とツッコミたくなったけど飲み込んだ。咳き込む音がカーテン越しに聞こえたからだ。先生の言うとおり、あまり大声を出しても迷惑がかかるだけだ。
「い、いえ別にそんなことはないけど……」
 今にも掻き消えそうな声は答えた。
「ねぇ、妹紅さん。アスペルガー症候群って聞いたことある?」
 聞いたこともない。
 ……何よ、その哀れみ篭った目線は――まるで私が精神異常者みたいじゃないか。不快極まりない。
「えっとね……言い辛いんだけど、要は心の病気ってこと」
「ふーん。それに私が罹ってるなんていいたいわけ?」
 ついつい嫌悪感を顕にして、喧嘩腰になってしまった自分を自重しようとした。否、こういう場合は感情を隠蔽する必要もないのか。
「掻い摘んで云えばコミニュケーション障害ね」
「へぇ」
 まったく興味のない私を余所に、先生は淡々と詳細を告げ始めた。
 『アスペルガー症候群』
 ここ日本では自閉症などの名称で呼ばれることが多い。
 主だったコミニュケーション障害は三つだが、私にはそのうちの一つが当てはまるらしい。
 共感性の欠如、とかいうやつだと告げられた。
 例えばの話だが、私は愛を利己的なものだと思う。誰かを愛するのではなく愛している自分が好き、もっといえば愛されている自分が好きという極めてナルシスト的な意味合いをもつ。
 自殺をするやつは構って欲しいから自殺をするだけ、人を殺すやつは目立ちたいから殺すだけ。
 そういう穿った見方しかできないことが病気らしい。
 これは重度になると、嘗て体験した出来事からの幻視幻聴の類も現れるという。
 ……なんとも身勝手な判定だ。ひねくれた奴は精神異常者だと定義されているみたいだな。
「どう? 誰かさんに当てはまっていると思わない?」
 極めて優しくまるで腫れ物に触るように、爆発寸前の時限爆弾を愛でるようにそう告げた。本人はうまく誤魔化しているつもりなのかもしれないけど、そういうのって分かる。
「……モノの見方ぐらいで、私を精神異常者にしないでほしい、不愉快です」
「ごめんなさい。精神異常者というと聞こえが悪いわね。えっと、ちょっとだけ発達が遅れている人?」
 どっちでも本質は同じでしょ。国語の勉強をやり直したほうがいいと心のなかで毒づいた。これ以上彼女と話していても、私は安らぎとはかけ離れた感情しか生まれ出てこないだろう。
「そろそろ、私は帰りますね」
「あっ……」
 カーテン越しに脆弱な声色が私を引き止めた。
「何?」
「あの、この間はありがとう」
「――――何が?」
「……私が、倒れたとき、ここまで運んでくれた……」
「悪いわね。覚えてないわ」
 言い放ち、私は保健室の引き戸を乱暴に開け外界へと歩き始めた。

  ●

 放課後に私は校舎の外で電話をかけた。もちろん電話の反対側の手には紙ナプキンを握りしめて。
 呼び出し音が流れる。もう四時か……冬は日が暮れるのが早い。宵闇と血のグラデーションが空に染み渡る。
 少しのコール音の後に『はい、いざよいです』という、あの日聞いたときと遜色の無い声が私の鼓膜を揺さぶった。何故か安心した。同時に魚の骨が喉に刺さったような違和感があるが、恐らく気のせいだろう。安堵の息を電話越しに苦笑する声もずっと聞いてなかったみたいに、不覚にも懐かしさを感じた。
『何か思い出した?』
 この人は一体だれだ? 誰なのだ? 曖昧模糊な存在……否、存在しているのかすらも危うい。丁度バランスの悪い境界の上に立っているような感覚を持っているのだ。
「いえ別に」
 喉がカラカラで、声を出すのが辛い。だけど次の一声を言わないと進捗しない。唾を飲む音がドレミ和音に聞こえた。そして、
「……ぁ」
『どうしたのかしら?』
「アナタは誰……」
 言ってやった。視界が真っ白になる。極度の立ちくらみにも似た拒絶感が私を支配する。指先から五臓六腑まで神経毛細リンパ管を忙しなく擬人化した恐怖心を駆け巡る。立っているのが辛くて、その場に、お気に入りのコートが汚れることすら構わずにへたり込んだ。
『…………』
「…………」
 悠久の沈黙を超えて、彼女は告げた。
『……信じてもらえないかもしれないけど、私達は《幻想郷》と呼ばれる世界から来たの』
「ゲン、ソウキョウ?」
 聞き覚えのない単語なのに、どこか郷愁の念を抱く自分がいた。
『ま、簡単に言えばこの世界の平行線の世界なのかしらね、私もよくわかってないのだけれど』
「ふーん」
 水に恋焦がれる魚というのはこういう気分だろう。あと少しで全ての歯車が噛み合いきっと世界は回りだす。否、狂騒乱舞するだろう。さぁ、あと少しだ。ここまで来たら引き下がれない。更に引き出すために餌を与えないと。
「貴女もあの女の知り合いなのね」
『あの女?』
 電話越しに小さく息を飲んだのが分かった。
「白髪の女よ」
 瞬間。向こう側で小さく誰か(おそらくはあの和服の女性だろう)に告げた。小さくだけど、確実に固有名詞を呼んだ。聞き逃すわけがない。
 ――カミシラサワケイネ、と確かに呼んだ。
「…………私の知っていることは全部話したわ」
『そう……ありがとう』
 まったく心のこもっていない礼を述べて彼女は一方的に電話を切った。
 誰かが落ち葉を踏みつける音が虚しく響き、意味もなく包帯の巻かれた左手首が疼いた。
 狂い始めた。

  ●

 今日は終業式だった。そのメインセレモニーも午前中に滞りなく終了し、文化系の部活も遅くまではやっていないのでおそらくは校内に残っているのは私と残業のある教員だけだろう。
 既に朽ちたモミの木を見下しながら私は一人屋上にいた。体重をかける自殺防止用の手すりはひどく冷たく、骨の髄まで凍らせようと私を蝕み続ける。既に指先の感覚が危うい。
 一時間ほど経過しただろうか。煙草は十三本目に突入していた。灰は風に乗り何処へと旅立ち、フィルターだけが私の足元に転がっている。
 左手にはライターの他にもう一つ。
 汗やらで皺くちゃになった一枚の手紙がある。

『十二月二十八日に 屋上で』

 短い文面で記された待ち合わせの約束を私はパブロフの犬のように守っていた。
 更に一時間立った。煙草が切れたのでずっと思考の波の中を泳いでいた。
 喀血混じりの真宵の闇が私を包み込もうとしていた。ゆっくりと夕日が沈む。
「…………」
 待ち焦がれた屋上のドアの開く音がした。それはベートーヴェンのあの曲に酷似していた。
 振り返れば、以前視認したときと寸分違わず碧と白の華飾衣を纏う女がいた。脹脛ほどまで伸びた白銀の毛がひゅるりと風に梳かされた。
 愛に塗れた虚ろな眼は私を捉えて離さない。
 右手には苦痛に歪む人の皮をあしらってある分厚い書物。左手には銀色の指揮棒。
 人為らざる人の皮を被ったバケモノが悠々と私のもとへゆっくりと、一定のリズムを刻みながら近づいてくる。畏怖なんて些かも感じ得なかった。否、愛で満ち溢れたその分厚い歴史書にどうして畏敬の念を感じることができようか。
「貴女がカミシラサワケイネね」
「正しくは上白沢慧音よ」
 女は、上白沢慧音は病的なまでに白い肌に張り付いた桃色の唇をゆっくりと釣り上げ、まるで歴史の年表を読み上げるみたいに飄々と名乗った。そして二言目に、
「満足してる?」
 などと戯言を曰った。先程までの精気の宿っていないソレではなく、鮮やかな狂気で横溢された瞳を爛々と輝かせてだ。
「は?」
 コイツの喋っている言葉の意味が捉えられない。上白沢慧音の態度からは何も得ることはできない。
「妹紅がこの世界を望んだんだ。憎悪と偽善で満ち満ちている、幻想郷とは正反対側の世界」
「アイツらも言ってたけど、その《ゲンソウキョウ》ってのは何なのよ……」
「そうね。なんと揶揄すればいいのやら。強いて言えば、皆が皆本音で言い合える世界……違うな、愛と憎悪の区別がつかない世界かしら。まぁどっちでもいいわ。でもね――」
 まるでシェイクスピアの《マクベス》を観客満員のホールで演じるかのような仰々しい優雅且つ緩慢な動作を繰り返しながら、静寂を讃え尚嘲笑、世界を嘲り笑う。ソコには侮蔑しかなかった。きっと、彼女は幻想郷を憎み、『何か』を愛しているのだ―――病的なまでに。表裏一体の愛憎が彼女そのもの。
「嘗ての貴女=『藤原妹紅』は、幻想郷を拒んだのよ。そしてこの世界を翹望した。嘘と虚構で満ちた現実(この)世界を。だから私は『創り変えて』あげたのに。感謝してほしいぐらい」
 セレナーデを歌うほどに自己陶酔的な彼女とは裏腹に私はひどく冷静だった。
 これは想像でしかないのだけれど。
 きっと懊悩呻吟する必要のない世界は素晴らしいだろう。反対に、仮面舞踏会の様なこの世はなんと嘘塗れで虚構なのだろうか。幾億の嘘の中からたった一つの真実を見つけるだけの世界だ。
 ……でも。
 私が彼女と過ごした日々は決して偽善なんかじゃなかった。
 私は彼女と過ごしていてとても楽しかった。
 彼女が消失して悲しんだ。
 これらの気持ちがウソで茶番だって?
「私が抱いた感情はホンモノだ。どんなに厭忌で欺瞞に満ちた世界だろうとも、私は楽しかった。それだけが揺るぎない事実よ。彼女を好きになった気持ちが虚構だって? 笑わせないでよ改竄者」
「貴女は嬉しいぐらいに悲惨ね。そんな貴女を見ているのは辛いな」
「戯言はいいよ」
「どうする? このまま続ける? それとも戻す?」
 私は答えた。それが正答なのかは誰にも分からないだろう。
 果たして……狂っているのはどちらなのだろうか。
 私なのだろうか。それとも世界なのだろうか。
 今ではもう分からない。
「あっちを立てればこっちが立たず。然り、隣の芝生は青く見える……かぁ。まったく。世界とは面白いように出来ているものだなぁ」
 クスクスと嘲り笑う上白沢慧音は、しかし自虐的に呟いた。その目は悲しいまでに蒼かった。
「じゃ、始めるわね……そちらのお嬢さん方もおいで」
 彼女は屋上のドアの近く、妖夢がよく寄りかかって青空を観察していた場所に手招きした。すると真宵の影の中から蠢くように二人の少女が這いでた。
 一人はメイド服を纏うあの時八意咲夜と名乗った女。今にしてみれば、私と年はそう違わないだろう。
 もう一人は和服姿の少女だったが、以前と違い物々しい二本の日本刀を携えていた。
 歴史家は指揮棒(Kommandostab)を揮った。まるでコンサートホールで優雅に立ち振る舞う一流の指揮者の様なある種芸術性を持つ動きは、世界を分解させていく。そんな世界にサヨナラを告げた。

  ●

 ずっと夢を見ていたような気がする。
 目覚めるといつもの竹林だった。冬の弱々しい日差しが私にサスを当てる。
 小鳥の囁きが妙に懐かしいのはなぜだろうか。
 遠くて近いところで私を呼ぶ声が聞える。私はそれに答えるべく、体を起こした。
「ん……」
 体を起こそうとついた手には土以外の感触があった。
 掴んでみるとそれは雪に似た真白な感熱紙だった。紙には細かく小さい黒い文字が羅列されている。

『お子様ランチ  1200
 オムライス   600
  +サラダ   320
ドリンクバー×2 400 
       計 2520』

「なんだ、これは……」
 捨てようかとも思った。
 けれどひどく大切なもののように思えて、投げ捨てることに躊躇いを覚えた。
 小さく折り畳みポケットにしまいこんだ。
 さて、今日は慧音との約束があったな。彼女は待ち合わせ時間に五月蝿いのでそろそろ出発するとしよう。今から行けば五分前には着くだろう。
「――――――♪」
 メロディはパッヘルベルのカノン……私のお気に入りの曲だ。かつて慧音が私のためにピアノで演奏してくれたことを思い出した。
 静寂の中で私の声だけが静かに響いた。
 何処かで誰かが私に合わせて静かに歌っているような気がした。
 それはとても優しい歌声だった。


 おわり
「中二病」という言葉はスコール・レオンハートさんにこそ相応しいと感じる今日この頃です。

誤字脱字、その他ありましたらよろしくおねがいします。

一月十六日 修正させていただきました。ありがとうございます。
きゃんでぃ
http://
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コメント



0.490簡易評価
5.90EXコチドリ(黒ずくめ)削除
「曖昧模糊タン」

言って欲しかったんだろ? まったくイケナイ作者様だ……。

「中二を自覚してる大人な俺カッケェ!」
「でも待てよ、それこそが中二なんじゃ?」 
「でも待てよ、それをひっくるめて自覚してる俺はやっぱり大人なんじゃ……」

螺旋階段を昇るが如き果てしなき思考。だがそんな不毛はどこかで断ち切らねばならない。
だから俺は貴方のアンサーに対してこう言おう。

「面白かったぜ、きゃんでぃさん」

とな。
14.100奇声を発する程度の能力削除
>奇声を発していた
ピクッ
何だか面白かったです
16.10名前が無い程度の能力削除
誤字多過ぎなのは推敲してないからだろうな。
まさに書き散らかしたって感じ。
登場人物の名前を東方のキャラクターにしただけで
東方二次創作と言い切れる図々しさには感心するが、
作者のやってる事は東方の世界観が好きな読者を
馬鹿にしてるようにしか感じない。
ほんと良い加減自重しろよ作者様()
まあコメント欄が荒れてレスに揚げ足取りするまでが
作品のようだからこういった反応も喜んでるんだろうけど。
18.100カミソリの値札削除
面白過ぎる……。
これはマジで好きな作品でした。
師匠って読んでいいですか。