――なぜ喰ったのか。
赤と白の服を着た女は、確かそのようなことを尋ねた。
◇
その年、幻想郷は不作でどこの人里も餓えていた。
特に人里から、ぽつねんと存在しているような辺境の辺境である村は、皆が餓えて餓えて――餓えていた。
馬を殺し、草を食し、根を囓り、泥水を啜る。
それくらいに、どうしようもないくらいに、壊滅的に餓えていた。
いつもいつも腹が減っていた。
◇
乳が出ない――と、母が泣いていたような気がする。
弟だったような何かを抱えて、蝿の集る、ぐじゅぐじゅの熟れた果実のような何かを抱えて、母がそんなことを言っていたような気がする。
あばら骨が浮き出て、頬はこけて、けれどもお腹だけはぽこりと出て。母はそんなことを言っていた。
そして母はそのまま、何を想ったのか石を飲み込み、そのまま死んでしまった。
びくんびくんと身体を痙攣させて、何かに助けを縋るように両の手を天に伸ばし、けれどもやはりいつものようにそれは虚空を切るだけで、顔を真っ青にさせて、ぶくぶくと血とも泡ともつかない何かを口角から漏らして死んでいった。
母は最後まで抱えていた弟のような何かを決して離さなかった。
私はそれを呆然と、粛然と、整然と、ただ見つめていた。
山に食料を採りに行った父は、数週間帰っていなかった。
妖怪に殺されたのか、怪我でもしたのか、もしくは独り食料のあるところで悠々と暮らしているのか。
私には解らないが、たぶん、父はもう戻ってこないのだろうなという予感だけが身体を支配していた。
何もかもが不足した村には、当たり前のように死だけが充実していた。
◇
母を埋葬してやらなくては。
私は空腹に苛まれながら、そんなことを考えた。
森の奥に共同の墓地がある。死者はそこで土葬してやるのが、あの村のしきたりだった。
しかしながら、そこまで行くにはそれなりの距離があり、そして私は幼子であった。
おぶって母をそこにまで連れて行くのは、私の力では不可能だ。死者を乗せるための台車が居る。
私はそう考え、村長の下へと向かった。
死者が出たら村長に連絡しなくてはならないという理由もあったが、今更、そんなことを護っている人間など果たしてどれほどいるだろうか。台車を借りに行くというほうが、私にとっては大きな理由であった。
◇
外では迷い込んだ犬を大人達が取り合っていた。
罵声が響き、暴力が容易く行使されていた。
棒を持って、犬を何遍も何遍も殴っていた。
ぐちゃりと肉が抉れて、棒からは血が滴り、犬からは骨が砕ける音がした。犬はぴくりとも動いてはいなかった。
私も犬を食べたかったので、それに参加したかったが、その後、大人達の持つ棒がどのようにつかわれるか解っていたので、私は泣く泣く犬を諦めた。
それが酷く悔しくて悔しくて――涙が出てしまったような気がする。
ぐう、と腹がなった。
◇
村長の家にまで行き、私は事情を説明する。
母が石に喉をつまらせて死んでしまった。埋葬したいので台車を貸して欲しい、と。
村長は小さくため息をつき、倉庫の方から台車を貸し与えてくれた。
そして台車の脇にはシャベルが置いてあった。先のよく尖った、シャベルであった。
私は村長に礼を言い、台車をひいて家にまで戻る。
その道中、大人達が手にしてた棒は、やはり私が想像していたとおりの使われかたをしていた。
罵声が響き、暴力が行使されていて、棒からは血が滴り、骨が砕ける音がしていた。
◇
私は家にまで帰ると、母を台車の上に乗せた。
母に触るとじんわりとした温もりが返ってきたが、それ以上に骨と皮だけになった身体が酷く哀れだった。
持ち上げてみたが、幼子の私でも簡単に持ち上げることが出来るほど、酷く軽かった。
私は母が抱きしめているものから引き離そうと想い、苦心したが、母は死んでそこまで時間も経っていないというのに、絶対にそれを離そうとはしなかった。
だから、私は仕方なく、抱きしめているものと一緒に母を台車の上に乗せたのだった。
酷く妬ましい。何故だか、そう想った。
◇
私は墓地にまで向かった。
外の大人達は数が更に増えて、犬を奪い合っていた。
◇
汗が止まらなかった。あんなにも軽かった母を酷く重く感じた。
林道は厳しく、整備されているとはいえ、小石が車輪を跳ね上げて、幾度が転倒してしまった。
先の尖ったシャベルが台車から転げ落ちてしまいそうになるので、右手で私はぎゅっとそれを握っていた。
そしてやっとの思いで墓地に着くと、そこには一匹の妖怪が居た。墓を滅茶苦茶に荒らして、死骸をむさぼっていた。
妖怪も餓えていたのだろう。
山の幸も随分と少なくなっている。
平地は人の領分。山はあやかしの領分。昔からそう決まっているのに、こんな所にまで妖怪が姿を現すと言うことは、そういうことに違いなかった。
妖怪は私に気がつくと、陽気に語りかけた。
「よう、ようようよう小僧。辛気くせえ面だなぁ、おい。……っち、駄目だ。腐って喰えたもんじゃねえよ」
妖怪は肉を口からはき出して、手にしていた死骸を放り投げると、こちらに近づいてきた。
ああ、私は喰われるのだろう。身体が凍ったような気がした。
「おい、おいおいおい。そんなビビンなって。確かに俺様は空腹で、ノコノコと阿保面さげてやって来た、新鮮で美味しそーな辛気くさい小僧を頭からガブリとやっちまいたいと想っているが、そうならないようにしてやろうと話しかけてやってるんだからよお。そんなビクビクされると、お兄さん傷ついちまうだろーが」
どういうことだろうか、と想っていると、妖怪は更に畳みかけるように口を開いた。
どうも、かなりの饒舌家らしかった。
「いや、いやいやいや。なによ。アレよ。俺様はぶっちゃけ小食なのよ。後ろの人間を置いて、まあ、なんだ。さっさと消えろ的な感じ? 後ろの死骸、見たところかなり新鮮だろ? それを普通に俺様が美味しくいただいて俺様大満足。小僧は俺様から逃げられて大満足。あら不思議。損する人が誰もいない、ってね」
というわけで――そう言いながら、妖怪は私の返事など待たずに、勝手に台車から母を軽々と持ち上げて、そのまま頭からかぶりついた。
ぐじゅぐじゅの肉を抱えているのを不快そうに見つめると、その腕ごとちぎり、私に渡した。
脳漿がどろりと母の頭蓋から垂れる。
妖怪は一転して嬉々とそれを手ですくって舐めていた。私は母が喰われていく様を、ただまじまじと見つめることしか出来なかった。
◇
「あれ、あれあれあれ? なんだ、小僧。まだ居たのか」
母を全て平らげた妖怪は私を見て意外そうな顔を浮かべた。
そして頬を掻いて、少しばかり感謝しているように、こう言った。
「実を言うとよ、ここ、人里だからさ、生きた人間喰っちゃいけねーし、殴っちゃいけねーっていう約束事があんのよ。だから俺様は結局のところどうしたって小僧を喰えなかったし、小僧が必死になって台車の人間を護ろうとしてたら、すっげー困ったことになってたの。無抵抗でいてくれてマジ感謝してるよ、小僧。助かった。今度あれだ、お礼に何か飯が入ったら分けに行ってやるから。だから、新鮮な死体があったらまたよろしくな」
妖怪は、笑った。
◇
――なぜ、喰ったのか。
◇
「そりゃ、そりゃそりゃそりゃあ、お前。腹が減っていたからに決まっているだろう。腹が減れば飯を喰う。当然だな。ホント。……と、腹一杯になったら眠くなってきやがった。最近、獲物探しで寝てなかったからな」
妖怪はそう言って横になった。
本当に数日間眠っていなかったのだろう。妖怪は暫くすると、直ぐに寝息を立て始めた。
私の右腕にはシャベルが握られていて、左手には母の腕が握られていた。
ふいに、犬を叩いていた大人達を想い出す。
あの犬は美味しそうだった。
ぐう、と腹がなった。
だから私は――。
◇
「腹が減っていたのです」
私は閑かに赤と白の女性に語った。
赤と白の服を着た女は、確かそのようなことを尋ねた。
◇
その年、幻想郷は不作でどこの人里も餓えていた。
特に人里から、ぽつねんと存在しているような辺境の辺境である村は、皆が餓えて餓えて――餓えていた。
馬を殺し、草を食し、根を囓り、泥水を啜る。
それくらいに、どうしようもないくらいに、壊滅的に餓えていた。
いつもいつも腹が減っていた。
◇
乳が出ない――と、母が泣いていたような気がする。
弟だったような何かを抱えて、蝿の集る、ぐじゅぐじゅの熟れた果実のような何かを抱えて、母がそんなことを言っていたような気がする。
あばら骨が浮き出て、頬はこけて、けれどもお腹だけはぽこりと出て。母はそんなことを言っていた。
そして母はそのまま、何を想ったのか石を飲み込み、そのまま死んでしまった。
びくんびくんと身体を痙攣させて、何かに助けを縋るように両の手を天に伸ばし、けれどもやはりいつものようにそれは虚空を切るだけで、顔を真っ青にさせて、ぶくぶくと血とも泡ともつかない何かを口角から漏らして死んでいった。
母は最後まで抱えていた弟のような何かを決して離さなかった。
私はそれを呆然と、粛然と、整然と、ただ見つめていた。
山に食料を採りに行った父は、数週間帰っていなかった。
妖怪に殺されたのか、怪我でもしたのか、もしくは独り食料のあるところで悠々と暮らしているのか。
私には解らないが、たぶん、父はもう戻ってこないのだろうなという予感だけが身体を支配していた。
何もかもが不足した村には、当たり前のように死だけが充実していた。
◇
母を埋葬してやらなくては。
私は空腹に苛まれながら、そんなことを考えた。
森の奥に共同の墓地がある。死者はそこで土葬してやるのが、あの村のしきたりだった。
しかしながら、そこまで行くにはそれなりの距離があり、そして私は幼子であった。
おぶって母をそこにまで連れて行くのは、私の力では不可能だ。死者を乗せるための台車が居る。
私はそう考え、村長の下へと向かった。
死者が出たら村長に連絡しなくてはならないという理由もあったが、今更、そんなことを護っている人間など果たしてどれほどいるだろうか。台車を借りに行くというほうが、私にとっては大きな理由であった。
◇
外では迷い込んだ犬を大人達が取り合っていた。
罵声が響き、暴力が容易く行使されていた。
棒を持って、犬を何遍も何遍も殴っていた。
ぐちゃりと肉が抉れて、棒からは血が滴り、犬からは骨が砕ける音がした。犬はぴくりとも動いてはいなかった。
私も犬を食べたかったので、それに参加したかったが、その後、大人達の持つ棒がどのようにつかわれるか解っていたので、私は泣く泣く犬を諦めた。
それが酷く悔しくて悔しくて――涙が出てしまったような気がする。
ぐう、と腹がなった。
◇
村長の家にまで行き、私は事情を説明する。
母が石に喉をつまらせて死んでしまった。埋葬したいので台車を貸して欲しい、と。
村長は小さくため息をつき、倉庫の方から台車を貸し与えてくれた。
そして台車の脇にはシャベルが置いてあった。先のよく尖った、シャベルであった。
私は村長に礼を言い、台車をひいて家にまで戻る。
その道中、大人達が手にしてた棒は、やはり私が想像していたとおりの使われかたをしていた。
罵声が響き、暴力が行使されていて、棒からは血が滴り、骨が砕ける音がしていた。
◇
私は家にまで帰ると、母を台車の上に乗せた。
母に触るとじんわりとした温もりが返ってきたが、それ以上に骨と皮だけになった身体が酷く哀れだった。
持ち上げてみたが、幼子の私でも簡単に持ち上げることが出来るほど、酷く軽かった。
私は母が抱きしめているものから引き離そうと想い、苦心したが、母は死んでそこまで時間も経っていないというのに、絶対にそれを離そうとはしなかった。
だから、私は仕方なく、抱きしめているものと一緒に母を台車の上に乗せたのだった。
酷く妬ましい。何故だか、そう想った。
◇
私は墓地にまで向かった。
外の大人達は数が更に増えて、犬を奪い合っていた。
◇
汗が止まらなかった。あんなにも軽かった母を酷く重く感じた。
林道は厳しく、整備されているとはいえ、小石が車輪を跳ね上げて、幾度が転倒してしまった。
先の尖ったシャベルが台車から転げ落ちてしまいそうになるので、右手で私はぎゅっとそれを握っていた。
そしてやっとの思いで墓地に着くと、そこには一匹の妖怪が居た。墓を滅茶苦茶に荒らして、死骸をむさぼっていた。
妖怪も餓えていたのだろう。
山の幸も随分と少なくなっている。
平地は人の領分。山はあやかしの領分。昔からそう決まっているのに、こんな所にまで妖怪が姿を現すと言うことは、そういうことに違いなかった。
妖怪は私に気がつくと、陽気に語りかけた。
「よう、ようようよう小僧。辛気くせえ面だなぁ、おい。……っち、駄目だ。腐って喰えたもんじゃねえよ」
妖怪は肉を口からはき出して、手にしていた死骸を放り投げると、こちらに近づいてきた。
ああ、私は喰われるのだろう。身体が凍ったような気がした。
「おい、おいおいおい。そんなビビンなって。確かに俺様は空腹で、ノコノコと阿保面さげてやって来た、新鮮で美味しそーな辛気くさい小僧を頭からガブリとやっちまいたいと想っているが、そうならないようにしてやろうと話しかけてやってるんだからよお。そんなビクビクされると、お兄さん傷ついちまうだろーが」
どういうことだろうか、と想っていると、妖怪は更に畳みかけるように口を開いた。
どうも、かなりの饒舌家らしかった。
「いや、いやいやいや。なによ。アレよ。俺様はぶっちゃけ小食なのよ。後ろの人間を置いて、まあ、なんだ。さっさと消えろ的な感じ? 後ろの死骸、見たところかなり新鮮だろ? それを普通に俺様が美味しくいただいて俺様大満足。小僧は俺様から逃げられて大満足。あら不思議。損する人が誰もいない、ってね」
というわけで――そう言いながら、妖怪は私の返事など待たずに、勝手に台車から母を軽々と持ち上げて、そのまま頭からかぶりついた。
ぐじゅぐじゅの肉を抱えているのを不快そうに見つめると、その腕ごとちぎり、私に渡した。
脳漿がどろりと母の頭蓋から垂れる。
妖怪は一転して嬉々とそれを手ですくって舐めていた。私は母が喰われていく様を、ただまじまじと見つめることしか出来なかった。
◇
「あれ、あれあれあれ? なんだ、小僧。まだ居たのか」
母を全て平らげた妖怪は私を見て意外そうな顔を浮かべた。
そして頬を掻いて、少しばかり感謝しているように、こう言った。
「実を言うとよ、ここ、人里だからさ、生きた人間喰っちゃいけねーし、殴っちゃいけねーっていう約束事があんのよ。だから俺様は結局のところどうしたって小僧を喰えなかったし、小僧が必死になって台車の人間を護ろうとしてたら、すっげー困ったことになってたの。無抵抗でいてくれてマジ感謝してるよ、小僧。助かった。今度あれだ、お礼に何か飯が入ったら分けに行ってやるから。だから、新鮮な死体があったらまたよろしくな」
妖怪は、笑った。
◇
――なぜ、喰ったのか。
◇
「そりゃ、そりゃそりゃそりゃあ、お前。腹が減っていたからに決まっているだろう。腹が減れば飯を喰う。当然だな。ホント。……と、腹一杯になったら眠くなってきやがった。最近、獲物探しで寝てなかったからな」
妖怪はそう言って横になった。
本当に数日間眠っていなかったのだろう。妖怪は暫くすると、直ぐに寝息を立て始めた。
私の右腕にはシャベルが握られていて、左手には母の腕が握られていた。
ふいに、犬を叩いていた大人達を想い出す。
あの犬は美味しそうだった。
ぐう、と腹がなった。
だから私は――。
◇
「腹が減っていたのです」
私は閑かに赤と白の女性に語った。
甘ったるい話も好きだけど、こう言うのもいいですよね。
霊夢が去った後、やっぱり食べるのかな?
むしろあってしかるべき
なんか変な読後感。
こういうのもありだと思う。
確かに東方は関係ないけれど、こんなのもあっていいんじゃないかな。
東方の裏面とも言うべきお話でした。
何度か読むと妖怪がかわいそうになりました
東方とは毛色が違うけれどいい作品だと思う
ってか妖怪がカワイソス
痛快な作品、優しい作品が多い東方界隈で『厭な読後感』の作品で挑んだ作者様の度胸を評価します。
この独特な感じが好きかも。
ステージと音楽が怖かったなあのキャラ
話として満点と言える程の展開
しかし霊夢いらないね
こういう一捻りのあるSSは好きだけど、東方SSとしてはいまいち
ひねりのない話ですね